恋姫奇譚:北宋編   作:乾燥海藻類

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閑話(七)

東京(とうけい)開封府が包囲されたと聞いて、童貫(どうかん)は耳を疑った。しかもその軍勢は、百万にも届くという。

 

(さすがにそれは、大げさであろうが……)

 

報告とは、多少多めに見積もることが常となっていた。敵の兵数を少なく見積もって敗北するよりも、余力をもって当たる方が良いからだ。

百万、という数を心中で反復し、童貫は唸った。

 

燕京(えんけい)が落ちるのは、時間の問題だった。童貫はじっくりと腰を据えて、確実に燕京を落とそうとしたのだ。燕京が陥落すれば、燕雲十六州の奪還は達成したも同然である。

燕雲十六州の奪還は、宋王朝累代の悲願だった。童貫はその勅命を受けているのだ。

 

(……引き返すべきか)

 

帰還せよ、という勅命は出ていない。あるいは、勅使を出せるような状態ではないのかもしれないが。

逡巡の後、童貫は鈴を鳴らした。間を置かず、従者のひとりが入ってくる。

 

「四将軍を呼べ」

「はっ!」

 

しばらくして、四人の男女が現れた。畢勝(ひっしょう)鄷美(ほうび)呼延灼(こえんしゃく)関勝(かんしょう)である。畢勝と鄷美は、長く童貫の副官を務めていた歴戦の将だ。呼延灼、関勝は地方軍出身だが、童貫はこのふたりを地方軍のまとめ役として、副官に加えることにした。

老いてから、童貫は部下に意見を求めることが多くなった。若い頃は、すべて自分で決めていた。今でも、決めるのは自分であった。他人(ひと)のせいには、したくなかったのだ。だが、意見は聞くようになった。

これが、老いるということなのか、と自嘲したこともあった。

 

「開封府が、百万の反徒に包囲された」

 

正直なところ、百万という軍勢がどれほどの規模なのか、童貫には想像できなかった。禁軍は八十万と号しているが、実際には八十万などほど遠い数であった。

みな一様に驚いているようだが、呼延灼の反応だけが、少し違っていることに、童貫は気づいた。

 

「なにか、知っているのか。呼延灼」

 

反徒と通じているなどとは、思っていない。それでも、ほかの三人とは違った反応を見せた呼延灼が、童貫は気になった。

 

「まず、確実ではない情報を報告するか、迷ったと申し上げます」

「そうだな」

 

そういう実直なところを、童貫は嫌いではなかった。

 

「反徒を率いているのが誰か、総帥はご存じでしょうか」

「ふむ。百万という数が、よほど衝撃だったのであろうな。そこまでは、気が回らなかったようだ。旗は何本かあったらしいが、ひと際目立っていたのは、『替天行道』とのことだ」

 

旗には、大抵一文字が記される。四文字も記されているというのは、珍しいことであった。それを聞いて、鄷美は失笑を漏らした。

 

「天に替わって道を行うとは、大きく出たものですな」

「ですが、この機をうかがっていたのならば、相当な策士であると思います」

 

答えたのは、関勝だった。かねてより、江南の苛政については、童貫も反乱の気配を感じていた。そのために、遠征軍は地方軍を中心に構成し、禁軍からは麾下の兵しか出兵させなかったのだ。

しかし童貫をもってしても、百万の軍勢というのは、予想できなかった。

 

「反徒の首魁は、梁山泊の王倫であると思います」

「梁山泊……たしか、おまえには一度出動がかかっていたな。蔡太子の指示だったか。被害はほとんどなかったと聞いているが」

「はい。人的被害という意味では、そうです。ですが、私の失策で、撤退を余儀なくされました」

「詳しく話せ」

 

童貫に促され、呼延灼は詳細を語った。蔡京に上げた報告とは違い、真実をありのまま語った。童貫は興味深そうに、呼延灼の話を聞いていた。

 

「楊志か。懐かしい名を聞いた」

 

いつか、禁軍に引き抜こうと考えていた豪傑である。女ではあるが、そこらの男よりもずっと見どころがあった。家柄も申し分ない。出奔したとは聞いていたが、賄賂の護衛をさせられていたことは、いま初めて知った。

 

「憂国の士……か」

 

楊志が口にしたという言葉を、童貫は静かに吐き出した。そんな気持ちが、自分にもないわけではない。しかし、戦とともに生きてきた自分には、どうしようもないという諦念もあった。

 

「王倫は、国を亡ぼすつもりはない、と言ったのだな」

「はい」

「おまえはそれを信じたのか。賊徒の、戯れ言を」

 

口をはさんできたのは、畢勝だった。その顔には、呆れの色が浮かんでいた。

 

「北の集積所は襲われてはいません。兵站線は、すべて正常に機能しております。戦闘は、問題なく継続できます」

「おまえは……」

 

声を荒げようとした畢勝を、童貫は手で制した。

 

「国を亡ぼすつもりがない、というのならば、帝の交代か」

 

帝の浪費が、苛政の原因になっていることは明らかだった。帝が変われば、世の仕組みも変わる。宋の六代皇帝、神宗の時代、政治的な対立はあったが、世は比較的安定していた。

童貫にとって重要なのは、帝という存在であって、帝が誰であるかは大した問題ではなかった。とはいえ、反徒が建てた王朝に膝を折るつもりもなかったが。

 

「……勅命は、燕雲十六州の奪還である。作戦はこのまま続行する。各自、任務に戻れ」

「反徒の言葉を信じるのですか?」

「違うな、畢勝。呼延灼の目を、信じるのだ。しかし、その王倫なる者が言葉を(たが)え、宋王朝を亡ぼし、自らの国を建てるというようなことがあれば……」

「私の首をお打ちください」

 

一瞬の迷いもなく、呼延灼は童貫の目を真っ直ぐに見据えて、言った。

 

「そうではない。その時、我らは開封奪還のために兵を向ける。おまえが、先陣を切って戦うのだ」

「かしこまりました。その時は、必ずや王倫の首を獲ります」

「うむ。では全員、持ち場に戻れ」

 

四人を退出させて、童貫はふっと息を吐いた。そして、考える。王倫という名前に、聞き覚えがあった。記憶力まで老いたと認めたくなく、必死で思考を巡らせる。

 

「思い出した。一時期、蔡太子の補佐をしていた女の名だ」

 

昔、女が科挙を通ったという噂を耳にしたことを思い出した。軍務とは関係のないことなので、童貫はすぐに忘れた。それでも、蔡京と飲み交わしたときに、話題に上がったことがあったのだ。それきり、耳にすることはなかった。それで、失脚したのだと思っていた。宮廷では、珍しくもないことだった。

 

「元役人の女か。国を亡ぼすのではなく、生まれ変わらせる、といったところか。志の高さが、蔡太子に嫌われたか」

 

蔡京は、政治家としての能力は高いが、高い政治思想を持っているわけではない。自分の敵になりそうな者を排除していることは、童貫も気づいていた。

それを、醜いとは思わなかった。自分が戦に憑かれているように、蔡京は銭に憑かれているのだと思った。宰相という地位も、銭を集めるための手段でしかないだろうことにも気づいていた。

 

「蔡太子も、老いたな。有能な者を、使おうとするのではなく、排除することに腐心している。いや、老いたのは、私も同じか」

 

昔のように、剣を振れなくなった。歳は六十を超えている。退役しても良い歳だった。それでも、禁軍の総帥であり続けている。これまで、戦とともに生きてきたのだ。死ぬときは、戦場で死にたいと思っていた。

宦官としてではなく、軍人として死にたかった。

 

しかし、死を望んでいるわけではない。戦場では、生にしがみつく者ほど死に、死を覚悟した者ほど生き残る。そういう不可思議な力が、戦場では働いている、と童貫は思うようになった。

それが、人の持つ運の強弱であり、運命ともいえるかもしれない、と。

 

そして、自分が死んでも、畢勝や鄷美がいる。若い者も育ってきている。呼延灼や関勝のように、女が戦場に立つことも認めた。

儒教的価値観に支配された者たちの中には、いまだに女性の社会進出を非難する者も一定数いるが、童貫は戦場で性別を語るようなことはしなかった。

 

「新しい時代が、来ているのかもしれんな」

 

呟き、外を眺める。開封に比べて、北の景色は寒々しかった。しかし、この肌がひりつくような空気が、童貫にとっては日常だった。

 

 

 

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