晁蓋が帰ってきたのは、すべてが終わった後だった。
軍は撤退し、王倫の埋葬も終わっていた。
墓石の前で佇む晁蓋は、しばらく呆然とした後、ゆっくりと口を開いた。
「オレは母親の腹を破って生まれてきたんだ」
帝王切開という意味だろうか。だが帝王切開は割と近代の術式だったと思うが、この時代の医療技術だと、母体はまず間違いなく助からないだろう。
「おまえは母親の
生命を吸って? どういう意味だろうか。もしかして、出産前に母親は亡くなっていたのか? だとすれば意味が違ってくるぞ。遺体の腹を裂いて胎児を取り出すのは、古代から行われてきた手法だ。せめて子供だけでも、という優しさでもある。
「親父はあまり良い父親ではなかったが、それでも子育てを放棄するようなクズでもなかった。多少ぎくしゃくした関係ではあったが、オレたちは家族だった。親父がおかしくなったのは、オレが七つの頃だ。親父が病を患ってな。うちには薬を買うような金もなく、そもそもオレの村には薬師も医者もいなかった。だからオレは長老に相談した。そうしたら熊の肝が病に効くと聞いてな、オレは熊を狩りに行った」
七つで熊を? 普通ならありえないが、こんな世界だからな。
「オレは物心ついた頃から気が使えた。たぶん産まれた時から気孔が開いていたんだろう。五つの頃には大人が持てないようなものも持てた。だからかな、熊程度に負ける気はしなかった。首尾よく熊を仕留めたオレは、熊を担いで家に帰った」
熊の体重って何キロだっけ? まあ種や年齢によっても違うだろうけど、子供が担ぐのは難しいな。この口ぶりだと、子熊を仕留めたってわけでもなさそうだし。
「あの時の親父の顔は、今でも覚えているよ。恐怖に引きつっていた。だがオレは気にせずに熊を
娘に手を出す父親ってのはごく稀にいるらしいが、七つはさすがに早すぎるな。まあ話の流れからすると、そういう意味ではないんだろうが。
「わけがわからなかった。だがこのまま首を絞められ続ければ死ぬと思ったオレは、無我夢中で親父を引きはがそうとした。そうしたら、オレの拳が親父の顔に当たったんだ。親父は壁まで吹っ飛んでいったよ」
哀しそうな瞳のまま、晁蓋は話を続ける。
「首の骨が折れていた。なぜ親父がオレを殺そうとしたのか、聞くこともできなくなった。まあ大方オレが怖くなったんだろう。元から怯えている様子はあったからな」
晁蓋は自嘲するように口の端を歪めた。
「村にいられなくなったと思ったオレは、すぐに家を飛び出した。それからは狩りをしたり、山賊どもを叩いて財貨を奪ったりして、各地を転々とした。村を襲ったりはしなかったぜ。オレにも良心があったからな。まあそんなことを五、六年続けていたら、山賊狩りの赤鬼なんてあだ名をつけられていた」
晁蓋はざんばらの赤髪だ。瞳も燃えるような灼眼で、赤鬼というのは言い得て妙である。
「角もある。ほら、ここだ」
そう言って、晁蓋は頭の一部分を指さした。触れてみると、たしかに少しだが、角のような盛り上がりがある。
「皮角ですね」
「……なんだと?」
「角ではなく、皮膚が盛り上がったものです」
皮角とは皮膚が硬い角のように盛り上がった症状のことをいう。老人に多く見られる症状だが、皮膚癌の前駆症状として現れる場合もある。普通は局所麻酔で切除するのだが、この時代だと難しいか。
昔話によく出てくる鬼婆のモデルは、皮角症状の現れた老婆だったのではないかと言われている。
晁蓋は咳払いをひとつして話を続けた。
「そんな時だ。こいつに出会ったのは」
そう言って、晁蓋は目の前の墓石をコツンと叩いた。
「こいつはオレを前にしても怯える様子もなく、こう言ったんだ。「君の力は天が与えた力だ。山賊退治も結構だけど、その力を大義のために使ってみないか」ってな」
晁蓋は瓢箪の栓を外すと、その中身を墓石にトクトクと注いだ。
「オレの評判を聞いて、勧誘しに来たやつは何人かいた。だがどいつもこいつも気に入らなかった。こいつは、そいつらとは少し違った。目がな、違ったんだ。だからオレはついていくことに決めた。そんでオレは
開封とはこの宋国の首都だ。そこの役人ということは、王倫はエリートだったのか。
「訓練は過酷だと聞いていたが、そうでもなかったな。まあほかのやつらはへばってたみたいだが。オレには屁みたいなモンだった。山賊狩りをしていた頃より、充実感はあったな。国のために働いているってのは、意外といい気分だった。こいつは、戦うことしかできないオレに、戦う意味を与えてくれたんだ。だがそんな日々も長くは続かなかった。
「処刑?」
なんか宋江みたいな経歴だな。まあ宋江は地方の小役人だったが。
「政敵に嵌められたんだよ。こいつは結構大事なとこで、うっかりしてるからな。オレはすぐに牢屋に押し入って王倫を救出した。かく乱のためにほかの囚人も全員解放して、開封を脱出した」
「そりゃあ、大騒動だったでしょうね」
「まあそうだな。その策が功を奏して、脱出は成功した。その後は色々あったが、結局はこの場所に落ち着いたってわけだ」
「なるほど」
それが梁山泊の始まりか。原典では王倫が首領時代の梁山泊は、ただの山賊だった。だがこの世界では義賊の側面の方が強いようだ。
「こいつの最期は聞いたよ。殺ったのは、
「蚩尤?」
「ああ。金を貰って人を殺すクズどもの集まりだ。オレも二回襲われたことがある。やつらは蚩尤気っつー赤い気を使う手練れ揃いだ。まあ誰が雇ったかまではわからんがな。だがケジメは取らせるさ」
晁蓋の双眸が鈍く光った。背筋がゾクリとするような険しさだった。
敵の狙いは、最初から王倫だったのだ。あの三千の部隊まるごとが、陽動だったわけだ。俺もだいぶ鈍ってるな。敵の頭を狙うってのは、常套手段じゃないか。
「昔話に付き合わせて悪かったな。ここじゃあ過去の詮索はご法度だから、自分から話さねぇと、誰も聞いてこねぇからよ」
ここには様々な事情を抱えた者がやってくる。過去の詮索は掟によって禁じられているのだ。
とその時、ピシリ、と音が鳴った。なんの音かと思ったが、晁蓋の握っていた瓢箪にひびが入る音だった。間を置かず、瓢箪は砕け散った。
「オオオオオォォォッッ!!」
彼女は生粋の
「……情けないところを見せたな」
「いえ。ところで、あなたは俺が首領になることに、なにか思うところはないのですか?」
「ん? そうだな……ひとつ言っておきたいことがある」
「なんでしょう?」
晁蓋がずいっと顔を近づけてくる。
「その言葉遣いはやめろ。部下に示しがつかねぇだろうが」
「……林冲殿にも同じことを言われました」
「なら改めろ」
「ああ、わかった。改めて、よろしく頼む、晁蓋」
そう言って、右手を差し出す。疑問の表情を浮かべる晁蓋の手を取って、俺は無理やり握手を交わした。
◇
王倫の葬儀が終わって、会議室には梁山泊の幹部が集められていた。総勢で二四人。その中には聞き覚えのない名前もいる。俺も一〇八人全員の名前を憶えているわけではないので、彼ら彼女らが一〇八人のひとりなのかはわからない。
ちなみに、前の世界では英傑のほとんどは女性だったが、この世界ではそうでもなさそうだった。例えば林冲の師である王進は男だったと聞いている。
「まず最初に訊いておきたいことがある。先代はこの梁山泊をどうしたいと思っていたか、知っている者がいれば教えてくれ」
「……では私が」
手を挙げたのは
普段は梁山湖近くの街道で酒場を経営していて、情報収集を行っている。また梁山泊へ渡るための窓口にもなっていた。
俺はその窓口を経由せずに現れたものだから、怪しまれたというわけだ。いや、王倫はさほど怪しんでいる様子はなかったが。
「ここには食い詰め者や流れ者、冤罪で故郷を追われた者など、それぞれ事情を抱えた者が集まってきます。王倫……先代はそういった者たちが安息に暮らせる理想郷を作ろうとしていました」
「それは、国を興すということか?」
俺がそう言うと、彼女はギョッと目を見開いた。
「いえ、そこまでは……」
朱貴は周囲を見渡すが、言葉を発する者はいなかった。
「別に不思議ではないと思うがな。この中華では多くの国が
この宋という国が生まれる前は、五代十国時代と呼ばれる混迷の時代だった。ちなみに五代とは華北にできた五つの王朝のことで、十国は十余りの地方政権のことだ。
とにかくややこしい、ハチャメチャな大乱世の時代だった。
まあそれは置いといて、この反応を見るかぎり王倫に建国の意思はなかったみたいだな。どうやら最悪のケースは回避できたようだ。王倫が建国の意思をみんなに伝えていたら、俺はそれを継がなきゃならなかったからな。諦めさせるにしても、それなりの理由が必要だった。
「ふむ。まあ国については置いておこう。まずは先代の望んだように、世間に弾かれた者たちの理想郷を造ることにしよう。慌てて故郷を飛び出したのだとすれば、家族を残してきた者も多いだろう。そういった者たちの家族を呼び寄せる手伝いをしたいと思うが、どうか?」
「はい、それは良いお考えだと思います。ですが、全員の家族となりますと、食糧の問題が……」
「それについても考えてある。心配はいらん。迎えに行く時は、単独行動ではなく、必ず三人一組で行動するようにしろ。組の構成は相談して決めろ」
「かしこまりました」
朱貴は恭しく頭を下げた。新参者に対する態度じゃない気もするけど、たぶん古参の自分が従うことで、ほかのみんなが従いやすくしているのだろう。これは俺に対する忠誠というよりは、王倫に対するものだろうな。
「それと、三人の中で一人、逃げ役を決めておけ。何か不測の事態が起こった時、その者は逃げることを最優先とするのだ。なんとしても逃げ帰り、事の顛末を俺に報告しろ。そうしなければ、動くに動けんからな」
豪傑というのは逃げることに否定的なやつも多いからな。ついでだから言っておこう。
「潔く、格好よく死のうなどと思うな。泥水を啜り、腐肉を食らってでも生きろ。
『……ハッ!』
これだけ言っとけば大丈夫だろう。豪傑ってやつらはなにかと格好つけて死にたがるからな。
死を覚悟するのと死にたがるのは違うんだよ。
「では動け。解散」
こうして会議は終わった。みんなが出ていく中で、残ったのは晁蓋だけだった。そういえば晁蓋の両親はすでに亡く、村も逃げるように飛び出してきたから、呼び寄せる人間はいないのか。
「なかなか堂に
「そうか?」
まあ前に一度、似たようなことをやっているからな。
「あいつの人を見る目は、最期までたしかだったな」
懐かしむように、晁蓋は窓の外を眺めた。