恋姫奇譚:北宋編   作:乾燥海藻類

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閑話(一)

夕暮れ時、一日の調練を終えて林冲は家路へと急いだ。

自宅では友人であり、同居人である魯智深(ろちしん)が夕餉の支度を終えて待っていた。

 

「おう、帰ったか」

「ああ、いま戻った」

 

夫婦のようなやりとりであるが、どちらも女性である。当たり前だが、そんな関係ではない。

林冲は故あって都を離れることになったが、その逃亡中にとある寺院で出会ったのが魯智深だった。以前より彼女は見聞の旅に出たいと思っており、この出会いを運命と感じて林冲に同行することにしたのだ。

それから二人は各地を旅して、最終的には義賊として名を馳せていた梁山泊を知って、そこに腰を落ち着けることにした。

 

「ではいただこう」

 

まず林冲は酒をグイと飲みほした。喉越しもよく、芳醇な香りが鼻に抜ける。貴人が飲むような上等な酒だった。

 

「ふふっ、新作の度に美味くなる。麦酒や果実酒も悪くないが、私はやはり米の酒が好きだな。まさか首領に酒造りの心得もあったとは」

 

首領が二代目に変わってから、三年ほどの月日が流れた。最初に彼が行ったのは、梁山泊の改革と情報収集だった。そのひとつが酒造りである。

 

「最初は貴重な食糧を使うことに反対した者もいたが、先見の明があったということか」

 

彼は新しい酒を売り、その金で食糧を買った。結果的に食糧は増えることになったのだ。また彼の行った農業改革により、元々の収穫量も増えることになった。住人の家族を呼び寄せ、近隣の山賊も取り込み、梁山泊の住人は倍以上に膨れ上がっていたが、十分賄えていることに、林冲は驚きを隠せなかった。

 

「というよりは、手慣れている感じがしたがの」

 

酒をちびりとやりながら、魯智深はこぼした。

 

「酒造りがか?」

「いや、商売が、じゃ。それに人を使うということにも、の」

「ふむ」

 

たしかに魯智深の言うことも尤もだと、林冲はうなった。よどみなく指示を出し、そのすべてが的確だ。もしかしたら、どこぞの大店(おおだな)の跡継ぎだったのではないかと思い至った。

 

「まぁ、気にはなるが、詮索はせんのがここの掟じゃからの。しかし、首領が国を興す、というのは本気だと思うか?」

 

魯智深が林冲に問いかける。無論、そんなことは言っていないが、皆そう思っていた。林冲は箸で焼き魚をつつきながら眉をしかめる。

 

「……開封(かいほう)の腐敗はますますひどくなっているらしい」

「出世は能力の高さではなく、いかに皇帝陛下に気に入られるかにかかっているらしいの。蹴鞠が上手い者、箱の中身を当てる遊戯で楽しませた者、裸で樹に登り、蝉の真似をして陛下の歓心を得た者もいるらしい」

「そのような者たちが国政を担っているのだ。この国も……長くないのかもしれん」

 

林冲は辟易するように酒を(あお)った。彼女の師、禁軍師範であった王進は腐敗を正そうと奔走したが、改革をよしとしない者たちに疎まれた挙句、高俅(こうきゅう)という上官に目を付けられ、出奔せざるをえなくなった。

 

「わが師は腐敗を正そうとしたが、首領は腐敗を叩き潰そうとしているのかもしれん」

 

実直だった師を思い出したのは、彼に師事したという若者に出会ったからだった。林冲にとっては妹弟子にあたる。梁山泊が行った改革のひとつに、近隣の山賊を統合するという事業があった。単に撃滅するのではなく、話し合い、梁山泊に迎えるといったものだ。彼らも生活に困窮して山賊行為を始めたのだ。百姓に戻り、安息に暮らせるならそれに越したことはないと思っていた。

 

だがすべての山賊が梁山泊を歓迎したわけではなかった。ふざけるな! と怒鳴る山賊もいた。そういった者たちは、仕方なく力で解決するしかなかった。

やがて、梁山泊の噂を聞きつけて、腕自慢の豪傑が集まってきた。大抵は晁蓋が、場合によっては首領自らが相手をした。誰もふたりには勝てなかった。

その中にいたのが、史進(ししん)という棒遣いだった。彼女の棒捌きを見て、林冲は一目で王進の弟子であることを見抜いた。

 

「首領と、少しだけ語り合った」

「ほぅ、どんなことを?」

「この国の今を。いや、通じ合ったというべきか、首領もよく知っておられた。ぼそりとこぼしたのだ。後漢末期よりひどいかもしれん、と」

「ふむ。あの時代も役人の腐敗がひどかったらしいが」

 

魚の身を一切れ掴んで、林冲は口に運んだ。咀嚼し、飲み込み、言葉を続ける。

 

「首領は、(ほろ)びの前兆を感じ取っておるのかもしれんな」

「……やはり、ご自身が立つつもりじゃの。言葉にせずとも、伝わってきた」

「だとすれば、大戦(おおいくさ)になるな。しかも敵は、官軍だけとはかぎらない」

 

この宋国の北方には遼という国が、北西には西夏という異民族の治める国がある。今は歳幣(さいへい)を贈って平和を買っているが、中原が混乱を見せれば、いつ牙を剥いてもおかしくはない。

 

「江南の鬱憤は募る一方らしいの。怨嗟の声が渦巻いていると聞く。いつ爆発してもおかしくない」

 

ここで北宋王朝の都である開封と、後に勃発する方臘(ほうろう)の乱の発端となった花石綱(かせきこう)について、簡単に説明しておこう。

開封は水運の便に優れており、経済的に発展を遂げた都市である。位置的には平原の真っただ中に存在するため、軍事的には非常に不利だったが、開封は長大かつ堅固な城郭を三重に築き、そこに多数の兵士を備え、防衛力を高めた。

 

続けて花石綱について語ろう。皇帝徽宗(きそう)は、文人・画人としての才能を持ち、絵画・建築・造園などに優れていた。そのため、造園に必要な珍花・名木・奇石を集めさせたのだ。

調達は主に南部の江南地方で行われた。目に留まった物は強制的に買い上げ、あるいは強奪し、運河や陸路を利用して首都・開封へ運ばせた。

 

その横暴ぶりはすさまじく、陸路で輸送する際は、邪魔になる民家を潰し、運河で輸送する際は、邪魔になる橋を破壊した。

輸送も最優先で行われ、民間の船を押しのけて進むさまは、庶民の恨みを買った。

 

「以前、京兆府の将軍が反乱の嫌疑をかけられ、捕縛された。官軍は反乱を許さない。全力を以て鎮めるだろう」

「……首領は時機を見定めているのかもしれんの」

「南方で蜂起した反乱軍と共闘して、南北から開封へ攻め上がるのか? ふむ……」

 

林冲は顎に手を当てて考え始めた。

 

「あの方は戦うつもりなのだ。この世の不条理と。人を腐らせる魔物と。その義憤に、多くの者が気づいておる。わしも、心が震えておる。首領は今、刃を研いでおるのだ。中途半端にやれば潰される。一息に仕留めねばならぬ。重要なのは時機」

 

そこまで言って、魯智深はふっと息を吐いた。拳には汗が握られていた。

 

「少し、話題を変えようかの。晁蓋殿が首領に読み書き計算を習っていることは聞いておるかの?」

「ああ。呉用がどれほど言っても、自分の名前が書ければ十分だろう、と言っていたのにな。習いの後には、首領と手合わせもやっているらしい」

 

豪傑が集う梁山泊であっても、晁蓋と手合わせできるほどの猛者はいなかった。晁蓋が梁山泊を度々離れていたのは、自分と戦える猛者を探していたというのもある。

また一番の理由は、自分にとって王倫は弱点にならないと周知させることだった。さすがの晁蓋も王倫を人質に取られると面倒だったからだ。彼女なりの、不器用な気遣いだった。

 

「どちらが強いと思う?」

 

魯智深に問われて、林冲は箸を止めた。

 

「ふたりの手合わせを見たのは、そう多くはないが、気の総量や瞬間的な力は、晁蓋の方が上に見えたな」

「ふむ」

「だが首領は、相手を殺すつもりでやっていない。全力を出していないのだ。どちらが強い、などと論ずるのは、あまり意味がないな」

「なるほどの。しかしその言い方では、晁蓋殿は殺すつもりで戦っているように聞こえるが?」

「それは、信頼だろうな。全力を出しても、死にはしないという、な」

 

林冲は小さく笑って、食事を再開した。

 

「……首領は若いが、己を律することのできる人間のようじゃ。わしとは違う」

 

魯智深は若い頃から義侠心が強く、弱い者を見捨てられない性格だった。それが災いして、ある役人を殺害してしまったのだ。

彼女の父もまた役人だった。真面目で狷介(けんかい)な男だった。だから、嫌われた。軍費を横領した罪で処刑された。家内から銀の束が出てきたのだ。言い逃れはできなかった。

 

しかし魯智深は信じていなかった。父の上役である上官の目が腐っていたからだ。魯智深はそれを、子供ながらに見抜いていた。その男は民衆にも嫌われていた。

母は幼少の頃に流行り病でなくなっていた。男手ひとつで自分を育ててくれた父が、彼女は大好きだった。その命が、冤罪によって(うしな)われた。

魯智深はその上役を打ち殺し、故郷を飛び出した。

そして紆余曲折を経て、仏門に入ったのである。

 

「それは言えるな。王倫の……先代の見る目は正しかった。梁山泊は以前にも増して大きく、精強になった。だが……」

「国を相手にするには、まだ心もとない……かの」

 

林冲はコクリとうなずいた。

 

「まあ、それはいい。だが気に入らないところもある」

 

酔いが回ってきたのか、林冲も明け透けにものを言い始めた。

 

「役人に賄賂を贈っているそうではないか。私はそれが、気に入らん」

「……お主は真っ直ぐじゃの。だがその銭も、巡り巡ってこの梁山泊に流れておる」

「どういうことだ?」

 

林冲は口をへの字に曲げながら聞いてきた。

 

「首領が贈るのは、物ではなく銭。その銭で、役人は梁山泊が卸した商品を買う」

「その役人はそんなに愚かなのか?」

「大名府の商人を噛ませて(・・・・)おる。盧俊義(ろしゅんぎ)という女傑での。いざ事を起こす時には、武具や食糧を手配してくれるであろう。そもそも、山賊が作ったものなど風聞が悪くて売れんわい」

「……私は聞いていない」

 

口をさらに曲げながら、林冲は童子のように愚痴をこぼした。それを見て、魯智深は小さく笑った。

 

「あの頃、お主らは周辺の山賊を勧誘しに行っておったからの。それに、先ほど言ったであろう? お主は真っ直ぐじゃ、と。それはお主の欠点ではあるが、美徳でもある。首領もそう言っておられた」

 

そう言われて、林冲は押し黙った。なんと返すべきか考えてみたが、良い言葉が見つからず、たまらず盃を呷った。

 

「そういえば、言い忘れておった」

「なにをだ?」

「しばらく、留守にする」

「どこへ行くかは、訊いていいのか?」

「首領は、遼の情勢が気になるようじゃ」

「……ふむ」

 

うなり、林冲は考え始めた。

 

「首領の待っている時期というのが、遼に関係しているのか?」

「おそらくは、そうじゃろう」

「独りで行くわけではないのだろう?」

「当然じゃ。首領は、単独行動を許さぬからの。わしはひとりでもよいと言ったのじゃが……」

 

その時のことを思い出し、魯智深は小さく笑った。

 

「そんな科白(せりふ)は、俺に勝ってから言え、と言われてはな」

「くくくっ、それは、引き下がるしかないな」

 

魯智深につられて、林冲も笑った。

 

「それとな、この一件、盧俊義も噛んでおる」

 

盧俊義と聞いて、林冲は眉根を寄せた。

 

「遼と交易でもするつもりか?」

「いや、女真族だ」

「……たしか、遼の奥地にいる民族だったか? 読めんな。首領の考えが。まあ、いい。戦うのが私の仕事だ。気をつけていけよ。遼の軍人は、容赦がないと聞く」

「深入りはせんよ」

「なら、いいが」

 

そう言って、林冲は杯の残りを飲み干した。

 

 

 

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