水滸伝とは明代の中国で書かれた小説で、三国志演義と同じく、四大奇書に数えられている。内容が反権力的な傾向であるため、禁書とされていた時代もあった。
一〇八人の好漢たちが悪徳官吏を打倒し、国を救うことを目指す。
とまあ、これが水滸伝のざっくりとしたストーリーだが、この世界ではちょっと違うようだ。
まず王倫の人柄や性格が全然違っている。前にも言ったと思うが、王倫は狭量で首領という地位に固執する小物だ。
物語では王倫時代の梁山泊は悪名高き山賊集団だったが、この世界では義賊として名が通っている。とはいえ、義賊だろうが賊は賊。役人にとって目障りなのは変わりない。
ねずみ小僧だって最期は処刑された。
やってることはテロリストのそれなんだけど、武力で王朝を打倒して新たな王朝を建てるってのは、時代を考えれば割と当たり前のことなんだよなぁ。
一応、義侠心からの行動ではあるんだよ。この国はもうダメだ、俺たちが救わなきゃ、みたいな。
大きな転換点は、
だが今の首領は俺だ。だからなんとかなるとは思う。ただこの世界は、王倫を筆頭に好漢たちの生い立ちや境遇が少し違う。そこがネックとなる可能性はあるな。
……いや、違うな。朝廷に目を付けられた時点で、駄目なのだ。生辰綱はもう起こってしまったが、あれは蔡京への賄賂なので、朝廷は関係ない。
深く、静かに、時を待つ。
そんなことを考えていたら、おぼろげながら見えてきた。この宋という国の実態、目指すべき着地点が。
まずはこの辺りの山賊はすべて傘下におさめた。
やはり山賊といえども困窮者の集まりであり、好き好んで悪事を働いているというわけではないのだろう。生活を保障すると言って移住を促した。
山賊のありようも様々だ。村を襲う。無辜の民を殺す。いわゆるみんながイメージするような山賊は、意外と少ない。大抵は周辺の村々から貢ぎ物を受け取り、用心棒のようなことをする。ほかの賊に対する抑止力のようなものだ。
ヤクザのみかじめ料に似ている。まあ村人がそれを望んでいるかどうかは、微妙なところだろう。保険料っていうのは、いざという時がこないとありがたみがわからないし、無駄金だと切り捨てる人間も多い。
たまにいるのが、役人の屋敷や役所の穀物庫などを襲う義賊だ。そういった者たちは矜持を持っている。国の腐敗が生んだ者たちなのだ。
とはいえ、彼ら彼女らにも面子というものがあるわけで、やはり一騎打ちになったらしい。
らしい、というのは、俺はほとんど梁山泊から出ていないのだ。出張組は、荒事を想定して晁蓋や林冲といった武力の高い連中に任せた。
首領は軽々しく動くべきではない、と言われてはどうしようもない。まあ生活を富ませるという意味では、俺は残る方が良いのだが。
やってることは前回とほとんど変わらない。
梁山泊を発展させる。官軍を
世界が違うとはいえ、時代にして九百年くらい違っているはずなのに、大規模な技術革新は起こっていない。
いや、宋代の三大発明、火薬・羅針盤・活版印刷は技術革新と言えるかもしれないが。
宋は経済的という意味では、かなり発展した国だ。だが、それが腐敗を大きくしたともいえる。
国が豊かになって、平和を金で買って、その結果、役人は腐って、軍人は腑抜けになった。宋代の軍人は、歴代王朝の中でも最弱という意見もある。
火薬で戦場が劇的に変化したということはない。今は火薬の黎明期なのだ。鉄砲が登場するまでにはまだまだ時間がかかる。
今のメイン火器は、万人敵と呼ばれる爆弾だ。中を空っぽにした土の塊をよく乾かし、そこに火薬を詰め、導火線を仕掛けたもので、塊が砕けないよう木枠で囲んでいる。城を守る時などに、それを城壁の上から投げ落とすのだ。
要するに、守りの武器だな。野戦では、ほとんど使われないらしい。
あとは
火薬は国によって厳重に管理されており、外に流れることはまずない。火薬の配合比率も当然国家機密であり、到底入手できるものではない。
ただ一点、疑念があるとすれば、
だが史実で大砲が用いられるようになるのは、もっと後の時代だ。この世界が史実よりなのか、物語よりなのかで異なるだろう。
一応、開封に調査員を派遣して、凌振の存在は確認している。当然のように女性であった。
甲丈庫(武器庫)を管理する役人であることはわかったが、それ以上はわからなかった。
危険すぎるので宮廷には忍び込まなせなかったが、調べた限りでは大砲らしきものの原型はあるらしい。
凌振の軍での扱いは、あまり良いとは言えないので引き込める可能性はある。今は時機を待つ。
「首領」
厳かな声で入ってきたのは宗万だった。朱貴と同じく、古参メンバーのひとりである。陰で支えるのが性に合っているようで、目立った活躍はないが、いなくなると困る、そんな人間である。
「"草"より連絡が入りました。祝家荘が戦の準備を始めているようです」
「で、あるか」
最近はおとなしくしていたんだが、人を集め過ぎたのかもしれん。山賊を統合して、一大勢力になっているように見えなくもないし。
たしか祝家荘の保正(名主)である祝朝捧の次男が、禁軍の将校だったはずだ。それも関係しているのかもしれない。
もしくは、この梁山泊という土地自体が欲しいのか。
「みなを集めよ。会議を始める」
◇
独竜岡という地域には三つの荘(大きめの村)が隣接しており、中央に祝家荘、西側に扈家荘、東側に李家荘がある。祝家荘はその三荘の中でも最大の勢力を誇り、この三荘を束ねている立場でもある。
三家は対等ということになっているが、実質は中央に位置する祝家荘がリーダーとなっている。
「祝家荘がこの梁山泊に討伐隊を差し向けるようだ。俺たちを討って名を上げたいのだろう。みなの意見を聞きたい」
主だった面々の前で俺はそう言った。すると――
「私は機先を制するべきだと思います」
「賛成!」
「そうだそうだ。あたいらを討って名を上げようだなんてふざけてやがる。逆にとっちめてやらぁ!」
血の気多いなこいつら。発言したのは順に、
まあこいつらはわかるが、他のやつらも攻めたがってるんだよなぁ、どうしたもんか。
いま思えば、あの時に攻められた三千という兵数はたいした数ではなかった。たしかに今と比べて、こちらの兵の数は少なかったが、この梁山泊は天然の要害で、攻め込むのは難しい。誘い込んで罠に嵌めて撃破すれば、数の差を覆すことはさほど難しくない。
そういう意味では、王倫に君才はあったが、将才はあまりなかったのかもしれない。
そんなことを考えていると、誰が先陣を務めるかという議論に変わっていた。
いかんな。このままではなし崩し的に出撃することになってしまいそうだ。だが言い方にも気をつけなければならない。下手な言い方をすると、俺がビビってると思われてしまう。
一番突撃しそうな晁蓋がなだめてくれれば、みんなおとなしく従いそうなんだがな。
そう思って晁蓋に視線を向ける。
それに気づいた晁蓋はニッと笑ってうなずいた。よし、もう付き合いも長いからな。阿吽の呼吸ってやつよ。
勝ったなガハハッ!
「おまえら、くだらん争いをするな。先陣を切るのはオレに決まってんだろ」
違う、そうじゃない。
「みなの意見はわかった」
パンッと手を叩き、場を静める。
「だが万が一ということもある。こんなくだらん戦で、危険を冒す必要はない」
「くだらん戦……ですか?」
「そうだ、宋江。相手は功名心に逸った愚物にすぎない。正面から相手をしてやる必要はない」
「けど首領! あたいはあんなやつらには負けはしません!」
「おまえはそうだろう、呂方。だが率いる兵はどうか? 一兵の死者も出さずに勝つと断言できるか?」
俺がそう言うと、呂方は一瞬考えた後、口を開いた。
「あたいの手下は、死を恐れるような軟弱者じゃあありません!」
「つまり、死者は出るかもしれん、ということだな。呂方、俺は兵の損耗を恐れているのではない。死ぬ必要がないところで死なせるのが、哀しいのだ。兵の中には家族を持つ者もいるだろう。老いた両親がいるかもしれない。死ねば、俺は遺族に頭を下げねばならん。それはいい。頭を下げることなど、なんの苦でもない。その事実を伝えることが、苦しいのだ」
場がシンと静まり返った。よし、ここで畳みかける。
「呉用、策はあるか?」
「はい」
呉用が梁山泊周辺の地図を広げる。こういう時のために、呉用には守りの戦術を考えるように言っておいたのだ。
地図を次々と指差し、作戦を述べていく。
梁山湖は広大で海のようだが、波が立つことはあまりない。つまり、狙い撃ちが容易く、戦術も立てやすいということだ。
「おびき寄せ、誘い込み、仕留める。これは戦ではない。狩りだ。総指揮は宋江に任せる。補佐として
「ボ、ボクが!?」
いきなり名指しされ、宋江は面食らったようだった。
「宋江、おまえは状況判断が的確で、機転が利く。俺の指示を待っていては間に合わないこともあろう。そうした時は、現場判断で動いて良い」
「は、はい!」
花栄は宋江と仲が良く、弓の名手である。たとえ夜に攻めてきても、松明が見えていれば狙い撃てるだろう。
戦が……いや、狩りが始まる。
◇
実際に祝家荘が攻めてきたのは、それから一か月ほど経った頃だった。奇襲をかけたつもりだったようだが、草からの情報でまるっとお見通しだった。
船には屋根がつけられ、上からの攻撃に備えられていた。だから油を撒いて火矢を射かけた。
あちこちに迷路があり、罠が仕掛けられている。
それでも上陸する船はいくつかあり、乗船していた豪傑が一騎打ちを仕掛けてきた。
当然、逃げるようなやつらではない。受けて立ったのは林冲だった。彼女は敵将を捕縛して、俺の前に連れてきた。
「なかなかの女傑です。殺すには惜しいと思い、捕縛しました」
名を
「おまえは彼女をどうしたいのだ?」
「同志に迎えたいと思っております」
「くっ、殺せ! 誰が山賊の仲間になどなるかっ!!」
と、扈三娘は声を荒げた。それを見た林冲は肩をすくめる。
「無理矢理は好かんな。彼女は食糧と交換する。誰を交渉役にするかだが……」
「ならあたいが行きますよ」
そう言ったのは呂方だ。
「おまえが……か?」
「林冲さん、そんな目はやめてくれよ。酒さえ飲んでなきゃ、あたいだって交渉くらいできらぁ!」
「……わかった。では呂方、おまえに任せる。なるべく多くの食糧と交換してきてくれ」
「あいよ! 任せといてくれよ、首領!」
返事はいいんだよなぁ、返事は。
翌日、呂方は扈三娘を連れて敵陣へと向かった。それからしばらくして、呂方が扈三娘を連れたまま帰ってきた。
呂方はつまらなさそうな顔で、扈三娘は絶望したような顔で、俺の前に現れた。
「米の一粒も出すつもりはねぇらしいです」
「ふむ」
なるほど、戦における食糧の重要さをわかっているようだな。自軍の食糧が減り、敵軍の食糧が増える。それがどれほど不利なことかがわかっている。毒を仕込むという手も警戒していたが、思いつかなかったのかな? まあ持ち合わせていなかっただけかもしれんが。
しかし交渉も時間稼ぎもせずに即断するとはな。将兵の心の機微はわかっていないようだ。捕まっても助けてもらえないとわかった将兵が、どれほど必死で戦うだろうか。
「林冲、彼女の
「……はっ!」
恭しく頭を下げ、林冲は扈三娘を連れて退室した。
「やはり敵は愚物だった。この戦い、我々の勝利だ」
残った者をぐるりと見渡して、俺はそう言った。