恋姫奇譚:北宋編   作:乾燥海藻類

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閑話(三)

夢の中で、自分は男になっていた。役人として仕事をしている。充実した日々だった。国のために、民のために働けることに喜びを感じていた。

いつものように、書類を決裁している時、空がかげってきた。小雨は豪雨となり、宋江は慌てて雨戸を閉めた。だがその隙間から、黒い靄が侵入してきた。黒い靄はたちまち宋江を包み込んだ。

息苦しくなり、宋江は喚いた。そこで、夢が覚めた。

 

「まだ未練があるのか、ボクは……」

 

宋江は額の汗を腕で拭った。

女だからといって、役人になれないわけではない。能力があれば、採用される。宋江は優秀だった。しかし、そこそこという程度でしかなく、男を押しのけてまで採用されるような優秀さではなかった。

 

それでも採用される方法はあった。賄賂だ。鼻薬をかがせれば、性別など関係ない。汚職は地方にまで蔓延していた。だが宋江は、それを嫌った。自分を認めてもらいたいと気持ちがあった。そういう清廉さを、彼女は持っていた。青く、若い考えだった。

 

何度目かの試験で、宋江はついに合格し、役人として採用された。しかし理想は早々に裏切られた。役所は銅臭に塗れていた。誰もが蓄財に勤しみ、賄賂で民を苦しめていた。

それでも宋江は腐らなかった。民から賄賂を受け取ることはなく、それでいて仕事はしっかりと行った。

そんな頃、同僚のぼやきを耳にした。

 

――テメェも賄賂で採用されたくせに

 

心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。その男に詰め寄ると、父が賄賂を渡したのだろう、と言った。宋江は父を問い詰めた。父は平然とそれを認めた。

それが、悲しかった。なぜ自分を信じてくれなかったのか。それが、悲しかったのだ。

 

(若かったな、ボクも)

 

能力があっても、コネも賄賂もなしで採用されることはほとんどないと知ったのは、随分と後になってからだった。

ともかく、そのことを知らなかった宋江はそのまま家を飛び出した。

あてもなく山中を走り、やがて疲れてしゃがみこんだ。そんな時に、友人の花栄(かえい)と出会った。花栄は猟師だった。弓の腕で敵う者はいなかった。いずれは武挙(武官登用試験)にも合格するだろうと宋江は誉めそやしたが、本人は苦笑するだけだった。

 

狩りの帰りらしく、腰には野鳥が二羽、提げられていた。木の下でうずくまり、泣き腫らしたような赤い目をした宋江を一瞥すると、花栄は何も言わず、隣に腰を下ろした。

そのまま、無言で野鳥の羽根をむしり始める。しばらく、沈黙が続いた。

 

「……何も聞かないの?」

「聞いてほしいなら、聞いてやってもいいよ」

 

ぶっきらぼうに言った。昔から、こういうやつだったと、宋江は思った。ぽつりぽつりと、宋江は語り始めた。語り終わった後、花栄は一言だけ、言った。

 

「世の中、綺麗ごとだけじゃないってことだね」

 

それは宋江にもわかっていた。わかりたくは、なかったが。

 

「今夜はうちに泊まって、明日親父さんに謝りな」

「いやだ。もう、父さんの顔は見たくない。役人も、やりたくない」

「じゃあ、これからどうするんだよ」

「このまま、旅に出る」

「……そっか」

 

羽根をむしり終わった花栄は火の準備を始めた。野鳥の肉を木の枝に差し、焼き始める。しばらくして、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

 

「食え」

 

やはりぶっきらぼうに、花栄は焼き上がった肉を宋江に押し付けた。

少しだけ、宋江の鼻は動いた。だが、それだけだった。

 

「食え。美味いものを食っている時は、幸せになれる」

 

押し付けるように、木の枝を握らせた。

 

「一度戻って、準備をしてくる。勝手に動くなよ。そこで肉を食ってろ」

「……一緒に来てくれるの?」

「友達だからな」

 

それだけ言って、花栄は山を下りて行った。その背中が見えなくなってから、宋江は肉にかぶりついた。塩は振っていないはずなのに、しょっぱい味がした。

一度肉を口に入れると、腹がさらにすいたような気がして、宋江は次々と肉を放り込んでいった。気づけば、二羽をまるまる平らげてしまった。

しばらくして、花栄が戻ってきた。小さな袋が花栄の手から投げられた。

 

「親父さんからだ。餞別だってさ」

「――ッ!? こんなものっ!!」

 

投げ捨てようとしたところで、花栄に腕を掴まれた。

 

「銭に罪はないだろ。それに路銀は必要さ。毎日野宿は、あたしは嫌だ」

 

力強い手だった。毎日弓を引いているのだ。宋江よりも膂力は上だろう。

 

「さて、どこに行くかね。とりあえず、山の向こう側かな」

 

そう言って、花栄は歩き始めた。宋江の手を引いたまま。

流れ流れて、ふたりはこの梁山泊に落ち着くことになる。

 

(ボクはなにになりたかったんだろ……)

 

ふと、そんなことを考える。全国を旅して、宋江にもようやく現実というものが見えてきた。梁山泊の世間の認識は山賊であったが、基本は自給自足で、決して村は襲わない。たまに不義の財を奪う。

 

王倫(先代)も元役人で、色々なことを話し合った。国のありように思うところはあったようだが、具体的な構想などは語らなかった。あるいは、語れるほど固まってなかっただけなのかもしれないが。

宋江も、このままではいけないと思いつつも、現状を変えられるほどの力はなかった。

 

そこで起きた不意の事件。官軍の襲来と、王倫の暗殺。そして首領の交代。

それは、梁山泊に劇的な変化をもたらした。

 

(王倫には何が見えていたんだろう。それは今でもわからない。ただ間違いではなかった、と思う)

 

順当にいくなら、次の首領は晁蓋だった。晁蓋が首領になったら、どうなっていただろう。役所の穀物庫を襲う、というようなことを言ったのかもしれない。そして、多くの者はその計画に賛同するだろう。梁山泊には、役人を憎んでいる人間が大勢いるからだ。

 

対して彼は、内政に力を入れた。戸籍管理を徹底し、農業を発展・安定させ、商業を展開し、近隣の山賊を傘下に収めた。

家族を呼び寄せることも許可された。宋江は、父と妹を呼んだ。ふたりは何も言わずについてきてくれた。

まるで道筋が見えているような手腕だった。

それを横で見ながら、宋江は複雑な思いを抱いていた。それは、嫉妬だった。

 

自分は、こう(・・)なりたかったのだ。彼のように、なりたかったのだと気づいた。

鬱屈したものを抱えながらも、宋江は己の仕事に従事した。だが、ふとした酒の席で、それは爆発した。

 

――なんでもできるあなたには、ボクの気持ちはわからないよ!

 

隣にいた魯智深になだめられたが、宋江は止まらなかった。あまり覚えていないが、無様なことを叫んだような気がする。

 

「俺はなんでもできるわけではない。弓の腕は花栄の方が上だし、槍術は林冲の方が上だ。料理は朱貴に遠く及ばないし、軍略なら呉用の方が的確だろう。度胸や勇敢さなら、晁蓋には敵わないな」

 

ンなこたぁねぇだろ! と晁蓋が冷やかしてきたが、彼は苦笑するだけにとどめた。今なら、医術は安道全には負ける、と付け加えるだろう。

酔い潰れて、自分が言ったことはほとんど覚えていなかったが、その言葉だけははっきりと覚えていた。

 

それからしばらく経って、大きな戦があった。いや、首領はくだらない戦だと言ったが。

その戦い、祝家荘との戦いで、宋江は作戦指揮を任せられた。期待に応えたいと張り切ったが、上手くできたのかはわからない。

花栄の活躍が大きかった。夜襲の時は、ぼんやりと見える提灯や松明を次々と撃ち落としていき、日中であれば火矢を浴びせたり、強弓で船体に穴を開けて沈めた。

 

泳ぎの得意な阮三姉妹が率いる水軍も、水中から船に穴を開けて沈めたりと大活躍だった。

戦況は常に優勢で、林冲が敵将を捕縛したりもした。

だが無傷の勝利とはいかなかった。三十七人の死者を出した。林冲は、二万を相手にしてこの数で抑えられたのは上出来だ、と言ってくれたが、数字以上の重みを感じた。これが命の重みなのだと知った。

自分の指揮で兵が死ぬというのは、身を切られるようなものだった。戦が終わってからも、その痛みと重みが消えることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蔡京(さいけい)。この宋国の宰相であり、朝廷の最高権力者である。

花石綱や収賄で私腹を肥やし、その財は天にも昇る勢いで増え続けている。蔡京はこのほかにも、新法の名のもとに民衆から重税を取り立て、徽宗を喜ばせるために大土木工事を行い、王朝の財政を放漫化させた。

 

すでに蔡京は老齢の域に入ったが、その権勢は衰えるところを知らなかった。官僚同士の権力闘争が激しい宋の時代を、生き抜いてきたのだ。

奸智にたけ、策を弄することにかけては一流の人間である。

 

しかし、彼は政治家としては一流であったが、政治に対する理想は全く持っていなかった。政局を制す才能はあっても、国を富ませ、国民を幸福にする、などという思想はかけらも持ち合わせていなかったのだ。

その手腕で政敵を朝廷から追放することに成功した蔡京の権力は、今や揺るぎないものになっていた。そんな彼であるが、最近目障りになってきたものがある。

 

梁山泊という存在だ。自分に贈られるはずだった生辰綱を強奪した山賊である。替わりの貢物が届いたため、蔡京が何かを失ったといわけではないが、気分の良い話ではない。

ましてや、その山賊の首領が既知の人間で、かつて取り逃がしたとあっては、蔡京も動かないわけにはいかなかった。

だが首領を(うしな)っても、梁山泊は衰退するどころか、ますます隆盛し、最近では祝家荘の率いる兵二万を退けたと聞く。

 

(王倫……忌々しい名だ。亡霊になってなお、(うごめ)くか。目障りな)

 

王倫は、若くして科挙に合格した才女だった。最初の頃は、使えると思った。だが、王倫は高い理想を持っており、蔡京にとっては邪魔な存在になる可能性を秘めていた。小さな(はえ)であろうとも、鬱陶しくなれば叩き潰すのが蔡京の流儀だ。罠に嵌め、処刑した。したはずだった。

しかし彼女は脱獄した。その手引きをしたのは、末端の兵だとも言われている。

 

(それが初代。二代目は、男だ。しかし、なんの情報も得られぬとは、どういうことだ?)

 

人間には生きた足跡が必ずある。どこで生まれ、誰と関わり、どう生きてきたのか。調べれば、必ずなにかがわかる。ひとつわかれば、そこから辿っていける。いずれは、その人間の正体が見えてくる。

だが、二代目の男に関しては、なにもわからなかった。

 

(そんなことはありえない。なんの情報もないなど、突然この世に現れたとでも言うつもりか。諜報部も無能揃いだな)

 

蔡京は心中で悪態をついた。

 

(……王倫)

 

理想主義者が、夢破れて去った。梁山湖の中心に、小さな集落を作っている、というのは蔡京も承知していた。哀れだと、嘲笑(あざわら)った。

しかし、代が変わり、見過ごせぬほどの勢力になりつつあった。

なにより、王倫という名が、気に入らなかった。

 

(だが、生半(なまなか)な戦力では、梁山泊は落とせん。祝朝奉の兵力は二万、息子らもなかなかの豪傑と聞いている。禁軍よりも精強だった。しかし、敗れた)

 

禁軍は腐っていた。そう仕向けたのは蔡京である。精強なのは、童貫(どうかん)麾下(きか)だけだ。高俅の軍など、ひどいものだった。だがそれでいいと、蔡京は思っていた。

蔡京が警戒しているのは、内からの反乱だった。敵は外からくる。だから地方軍は強い方が良い。だが禁軍は、強すぎてはいけない。まとまってはいけない。

童貫が自分に逆らうことはない。だから、精強なのは童貫の軍だけで良い。

 

(やはり、あの男だ。梁山泊という"国"を支配し、全容を把握しているのは、おそらくあの男だけだ。あの男さえ殺せば、梁山泊は死ぬ。死なないまでも、十年は動けなくなる)

 

暗殺は、おそらく通用しない。あの蚩尤でさえ、手を引いたのだ。外に出てこない、というのもまた、暗殺を難しくしていた。

 

(呼延灼を、使ってみるか?)

 

呼延灼は汝寧州の将軍である。建国の頃の英雄、呼延賛の子孫であり、軍人の家系だった。剛直な性格で、政治に口を出さず、だからこそ、女だてらに将軍まで出世できた。

 

(だがあの女が、素直に従うか?)

 

呼延灼は禁軍を拒絶して、地方軍に志願した。外敵から国を守るのが、軍人の本懐だと思っているのだ。賊徒が生まれるのは、政治が悪いからだと思っていて、中央を嫌っているふしが見られた。

 

(いや、あの女も軍人だ。軍令に逆らったりはしないだろう)

 

蔡京にとって、文治主義は絶対である。文官が武官を統制するのだ。その逆は、絶対にあってはならない。

 

(砲撃隊も、使ってみるか)

 

何度か賊徒の山塞攻めに使ってみたが、結果は芳しくなかった。威力はそこそこあるが、機動力がないのだ。接近されると、なす術もなく蹴散らされる。また移動にも台車を使うため、整備されている道以外は進めない。いざ発射しようにも、台座を固定するのに時がかかる。命中精度も、それほど高いとは言えない。

問題点の多い火器であり、使いどころは限られていた。

 

(成果次第では、予算を削ってやる。あんなものに金を使うなら、もっと兵を増やした方が良い)

 

この開封の防衛力はそれほど高くはない。それを兵数で補っているのだ。

蔡京は書類に筆を走らせ始めた。梁山泊に、再び試練の時が訪れようとしていた。

 

 

 

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