URAを優勝するまでウマ娘に転生し続ける元一般人男性 作:安倍川餅
トレセン学園ではメイクデビューが始まって早三か月、夏季休暇に入っている。
私は入学からずっとランニングをメインにトレーニングを続けている。ただでさえ栄養不足気味なので基礎体力をつけることに専念している。デビューまで一年あるのを長いとみるか、短いとみるか。なんにせよ急いでレース向けの体を作らなくていいというのは大きい。
中学生になって環境が変わったからか、じわじわ食事量が増えてきている実感がある。標準体重まではまだ遠いけれど体重も増えてきているし。やっぱり準備期間があるのが精神的な負担を減らしているのかもしれない。
今回の私は、短距離とマイルのレースではおそらくまったく使い物にならない。前回マイルで普通に走れていたし、何なら中距離よりそっちばかり走っていたから今回も模擬レースで1600に参加したけれど、周囲の瞬発的な加速に全然ついていけなかった。そういうトレーニングをほとんどできなかったから当たり前なのだけど速筋がまったく発達しておらず、逆に延々と同じペースで走り続けていたから中距離の中でも長い距離の方が得意になっている。2200ぐらい距離があるなら道中からじわじわ速度を上げていけるので今の私でも勝負になる。レースで長距離を走ったことはないけど、多摩川沿いをのんびりランニングをしていて気が付いたら二子玉川あたりまで走っていたこともあるし*1、スタミナは充実してきた。意図してないけど長距離向けの体が出来上がりつつある気がする。残念ながら長距離レースは少ないので、日の目を見るかどうかはわからない。
「や、ループ。奇遇だね。今日は何? へぇ、バーピートレーニングするんだ」
背後からにゅっと手元のトレーニングメニューを覗きこまれ、思わず腰が引ける。グラウンドで会って奇遇もなにもないと思うんだけど……。
ミスターシービーに話しかけられるようになったけど、正直なところあまり関わり合いになりたくない。
誤解されては困るけれど彼女を忌避しているのではなく、私は彼女の同期と会いたくないんだ。その子はミスターシービーが競走相手として不足なしと認めているウマ娘であり、きっと良き友人でもあるのだろう。だから、ミスターシービーの傍にいれば、いつか私も会うことになってしまう。
「ループはお日様の匂いがするね。いつも外を走っているからかな?」
「ミスターシービー離して」
「えー?」
しかし、状況としてミスターシービーに捕まってしまって逃げられない。
なぜ抱きかかえられてるんだ私は。この人、私のことマジで猫か犬かと勘違いしてないか?
こら、頭の匂いを嗅ぐなよ! さっきまでランニングしてたんだから汗かいてるんだぞこっちは!!
「よお、シービー! せっかくみんな夏合宿行っちゃってコースが空いてるんだ、暇してるってんなら併走でもつきあってくれよ!」
――あーあ、ほら。こうなる気がしてた。
カツラギエース。
パーマー先輩に逃げを教えてもらう時、度々そのウマ娘の名前が挙がっていた。
性格や見た目、そういうのは全然似ていないけれど、競走ウマ娘を母親に持たず、クラブチームに所属もせず、地方から身一つでトレセン学園の門を叩いてきた境遇はループとそっくりだと。トレーニングも当初は独学で、何もわからない状態でトゥインクルシリーズに挑み始めた。そしてついには彼女は三冠ウマ娘二人を抑えて、ジャパンカップを日本勢として初制覇してみせた紛れもない偉大なウマ娘の一人なのだと。
かつてのパーマー先輩のルームメイトであり、パーマー先輩の持つ逃げの技術のいくつかは彼女から教わったものなのだという。先達から教えてもらったものだから、パーマー先輩も私に教え伝えてくれたのだろう。私が教わったもののいくつかは、おそらく元はカツラギエースのものなのだ。
「お、どした? んん、そのちっこいやつ見覚えあるな。……ああ、いつも端の方で長いこと時間をかけてストレッチしてる新入生だろ? けっこう目立ってるもんな」
えっそうだったの? 人目につかないように、他の人の邪魔にならないように端っこにいたのだけど、逆に悪目立ちしていたの?
ウソ……。なんかチラチラ見られてるなーとか思ってたけど自意識過剰かと思ってた。やっぱり注目されてたんだ……。
「エース。生憎だけど海が見たい気分なんだ、今日のトレーニングは午前中でおしまい。アタシの代わりにこの子――オンザループと一緒に走るといいよ」
「ハァ? 何言ってるんだよ。あたしが誘ったのはシービー、お前だぞ。だいたい、そいつメイクデビューもまだなんだろ。オンザループなんて名前、今年デビュー目指してる面子にいなかっただろ」
「前から走っているのを見かけて思ってたんだ。ようやくエースと引き合わせることが出来た。トップスピードや身体能力はエースの方が高いだろうけど、ループとの併走はエースの力になるんじゃないかな」
あのう。私の意思は無視でしょうか。私にも拙いなりに自分で作ったトレーニングメニューというのがありましてですね。今日この後は腿上げしてからバーピージャンプする予定だったんですよ。
まぁ、ここで断ったらミスターシービーが食い下がってきそうな感じがするので、今日一日ということなら黙っていよう。けっして日和ったのではない。
「ごめんね、ループ。つきまとっちゃってて。これからは適度に話しかけるようにするからね。それじゃね」
にこにこ笑顔を浮かべ、用事は済んだとばかりにさっさと去って行ってしまうミスターシービー。えっ、本当に置いてっちゃうの? ……自由人すぎる。
……それにしてもダル絡みしている自覚があったのか。そしてこれからも話しかけてくるのは変わらないのか。まぁ、カツラギエースと会ってしまった以上、私もミスターシービーと距離を取る意味がなくなってしまったのだけど。
それより、なんでか知らないけど、ミスターシービーは私をカツラギエースと会わせようとしていたらしい。どうもカツラギエースの為に、私と併走するこの場を作ったようなのだけど。
「ええと、オンザループって言ってたよな。あいつ――シービーが注目してる未デビューのウマ娘なんて知ってる限りシンボリルドルフぐらいのもんだ。お前、いったい何者なんだよ」
訝しげに見られる私。なんかすごいハードル上げられてる気がするんですけど。
ウマ娘5回目にして最初の1勝すら覚束ない身である。何者でもない。
「諦めが悪いだけの、ただのウマ娘です」
・・・ ⏱ ・・・
ミスターシービーは意味のないことを言わないだろうと、初対面である私とカツラギエースはとりあえず併走トレーニングをすることにした。
残念ながらパワーが足りなくて最初の加速でまず追いつけないので、私が走り出してからカツラギエースが追いかける形で速度を合わせてくれる。
そうして何本か走ったところでカツラギエースがぴたりと立ち止まった。
「なるほどな。そういうことか? ……悪いループ。ちょっと一人でコース一周してもらってもいいか?」
「はぁ、なんだかわからないですけどわかりました。もうそろそろ帰っていいですか?」
「いやいやいや! レース本番を走ってる感じで頼む! 礼はするから!」
なんかすごい頼み込まれてしまったので、言われるがままカツラギエースの合図に従いスタートを切る。
一応本番を意識してとのことなので、息を整えてからの開幕の急加速、先頭を取った体でのコース取り、コーナー手前の上り坂で息を入れ、そしてゴール地点手前の直線でスパートをかける。最後は速度を維持した状態で限界まで再スパート、と思ったけど踏み込み過ぎると脚の骨が痛むのでそこだけは省略する。
と、本気を出して走ってはみたけれど、やっぱり全体的にニブい。加速と最高速度がよくないので、全体的なメリハリに欠く。でも、これが今の私の全力だ。
「はっ、はっ……。はぁ……これで、満足ですか?」
「ああ。サンキューな。……道中の坂での上体を起こした姿勢はあいつに似てるな。あれでスタミナ温存してるのか? ただ、最終直線じゃ踏み込みの深さと姿勢が変わってる。ここはあたしのフォームに近い。ただ、間違いなくあたしよりもフォームが洗練されてるんだよな。これが出来れば……」
「あのー?」
「あ、ああ。悪い。おかげさまで、自分の走りに改善するところが見つかった。なんていうか、正解を見せられた気分だ」
続けて、「トレーナーもついてないんだろ? だってのにレース展開だってしっかり作れてる。中等部なのに大したもんだ」と良かったところを挙げてくれる。
あんまり軽率に褒めないでほしい。私は私を肯定してくれる人をすぐ好きになってしまうのだ。
「そうだ、礼をするって話だったよな。何かあったかー? ああ、そうだ。大したもんでもないけど」
なにやらごそごそとスクールバックから荷物を引っ張り出し始めるカツラギエース。いやしい女と言われようとも、くれるというのならありがたくいただこう。
トレセン学園では食堂があり食事に困らず、生徒たち用に大量の麦茶と塩飴を用意してくれているのでトレーニング中の飲み物代もかからない。
ただ、それでも身の回りの物には消耗品だったりも多くて、私のような地方から出てきている苦学生は仕送り頼りになってしまうのでちょいちょい苦しい。公式レースで入着すれば賞金も多少貰えるけど、未デビューではそれもない。金銭的な意味では前回までの方が困らなかったかもしれない。
「ほら、あくまで気持ちだからな。お礼の気持ち」
そうして手を掴まれ、握らされるように渡される小さなボトル。
一瞬身を強張らせ、一拍遅れて手元のボトルを確認しようとする私に、カツラギエースはぽんと私の肩を叩いてから背中を向けた。
「尻尾用のトリートメント。あたしも土いじりするからよくなるけど、普段河川敷とか走ってるんじゃないか? 紫外線と砂埃が原因だろうけど結構痛んでるぞ」
「あ、ありがとう、ございます」
「それ、ルームメイトも使ってる評判の良い奴だから。あ、ストック用に買った未使用品だからな。そういう訳で助かったよ! じゃあなー!」
返事も碌に返せずに、手元のボトルを見つめることしかできない。
このボトルには見覚えがあった。どういう時系列になっているのかわからないけど、やっぱり。
今回のカツラギエースのルームメイトは、ほぼ間違いなくパーマー先輩だ。もうトレセン学園に在籍している。
まだ彼女に会う勇気はない。たぶん、パーマー先輩は私のことなんて知らないだろうから。会いたい。会いたいけど、無理だ。会ってどうするっていうんだ。
考えが堂々巡りし始める……パーマー先輩の身近にいる人と会ってしまうと、こうなるとわかっていたから、会いたくなかったんだけどな。