妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前) 作:tom200
これは優等生な妹と劣等生な兄の二人が入学した高校で騒動に巻き込まれていく波乱の物語――ではなく、
兄に幸せになってもらうため暗躍する妹と、妹を幸せにしたい兄の
――
激しい衝撃と灼熱を体に受けたような痛み。そして急速に冷える体に私は『目を覚ました』。
今までも痛みや恐怖がなかったわけではなかったが、どこか遠い夢の出来事であり、いずれ覚めて消えるものだと思っていたのだ。
ここは物語の世界で、好きなキャラクターを一番近くで見られる『特等席』。
大好きなラノベ主人公の妹視点から観察できる、都合の良い夢。彼女の幼少期を追憶する妄想を具現化、体験できる夢なのだと。
これがこの時感じた彼女の心情か、と体験して間近で傍観できるアトラクションの気分でいたのだ。
けれど死への恐怖が私を目覚めさせたのか、『夢』だったものが実際は現実だったのだと受け入れざるを得なかった。
私は12年も前から生まれ変わっていたのだという事実を。
ただ、無為に傍観していたのだ。
変えられた過去があったかもしれないのに流れに身を任せてしまっていた愚かしさを死の間際に気付くなんて、なんてもったいない人生を送ってしまったのだろう。
死を迎える間際に走馬灯が流れるというが、この時間はきっと過去の反省を促すものなのではないだろうか。
残り僅かな命のカウントダウンを刻む音を感じながら私は思考する。
この作品が好きだった。
いつだって巻き込まれて窮地に立たされる彼が、その逆境をものともせず淡々と乗り越える姿はとても格好良く、徐々に明かされる彼の素性、立場に怒り、悲しみを覚え、ままならない状態でも一番大切なモノを守ろうとする姿に応援せずにはいられなかった。
どうか彼にハッピーエンドを、と願わずにはいられない。そんなラノベ界でもなかなかの不幸を背負ったヒーローを、私は今唯一救える立場にいるのだと、抜ける力を振り絞り己の意思で握りこぶしをつくり意識を強く保って現状について考える。
ここは原作三年前の沖縄侵攻。
そして私――司波深雪は己の魔法で人を凍結させたこと、人の命を停止させてしまったことに動揺したところ隙を突かれ、母と穂波さんと共に銃の乱射を受けたところ。
なら、もうすぐ現れるはずだ。この世界のヒーローであり大好きな彼が、血相を変えて飛び込んでくる。
(もっと、もう少し早く思い出せれば――)
彼にそんな顔をさせなくて済んだかもしれない。
トラウマを植え付けずに済んだかもしれない。
けれど、起きてしまったことを嘆いても何にもならない。
知識はある。私は、この先に起こるだろう未来を知っている。
だから――
「深雪っ!」
私は『未来』を打ち砕こう。
この、世界中の不幸を一身に背負った少年を幸せにするために。
ふわり、と温かな空気に包まれる――これは少年の奇跡の起こす魔法の力。
(なんて、優しくて心地の良い――)
まるで少年の心そのもののようで涙が溢れそうになる。
(もう、大丈夫)
もう、これ以上何者にも奪わせやしない。
「深雪、大丈夫か!?」
心配でいっぱいの表情を安心させてあげたくて、
「お兄様」
初めて少年に、我が愛しのお兄様に微笑んだ。
少しでもこの喜びを伝えるように。
心入れ替えた私はあなたを全力で幸せにすると、音にできない思いを伝えたくて。
今まで見せたことのない妹の態度にお兄様は虚を突かれたように目を瞬かせていたけどそれは一瞬で、すぐに良かったと安堵されて抱きしめてくれた。
(ああ、生きている)
私は二重の意味で喜んだ。
私は生きている。深雪として、生きている。
お兄様のために、生きられる。
そっとお兄様の体が離れる。
母と、穂波さんを救うために。
それを邪魔しないよう息を潜めて見守った。
信じられないくらい大量のサイオンがお兄様の体に巡っているのが見える。
そこからは魔法――否、神の御業としか呼べない現象が起きた。
自分の身で体験したとはいえ第三者視点で見るとまたその凄さがわかる、ような気がした。
アニメで見るより一層輝いて見えるのは通す目が変わったからなのか。
倒れていた母が血の跡も穴の開いた服も嘘だったかのように元通りになり、続いて穂波さんも同様に『復元』されていた。
瞬く間に三人の命を救ったお兄様はすでに通常に戻っているように見えるが、しかし私は知っている。
今この時お兄様は冷静に状況を分析しているように見えて内心荒れ狂っているのだと。
(――そう、この話は深雪がお兄様を知るきっかけの物語だった)
ここから物語が動き出す、スタート地点。
私たち兄妹の転換期。
物語の通り、お兄様は風間大尉と前線に加わると部屋を後にする。
本来のストーリー上、ここで追いかけてお兄様から母に事情を尋ねるように言われるのだが――
「お兄様!」
母はまだ気を失っている。だから穂波さんだけが驚いた視線を背後から向けているのがわかったが私は構わなかった。
立ち止まり振り返るお兄様に、手短に伝える。
(いかないで、と伝えることは簡単だ。けれどお兄様は初めて憤りを感じ、初めての激情に身を委ねようとしている。それも理性を働かせながら。
果たしてそれを邪魔することが彼の幸福に繋がるだろうか?――そもそも命令でもしない限り、きっとお兄様は止まらない。そして私にはやっぱり止められない。だから)
「戻ってきたら、たくさんお話ししたいことがあります!」
だからどうか、ご無事で。
願いを込めて伝えるとお兄様は口元を綻ばせて、「ああ」と短く答えて行ってしまった。
「深雪さん?」
「桜井さん、お母様は」
目覚める前と後での私の変化は大きすぎて、気配りの上手な彼女が気づかないはずもなく、穂波さんが声をかけてくれたけど、それに応えることはできそうになかった。私もまだ、どこか夢うつつなところがあった。
何かを聞かれる前に彼女の言葉を遮って母の容態を聞いた直後、母は目を覚ました。
目を覚まして自分の体を見下ろした彼女が口にしたのは現状ではなくお兄様のこと。
不在の理由を答えると、原作通りの言葉が返ってきた。
「そんな勝手な真似をするなんて・・・やっぱりあの子は不良品ね」
原作を知らなければ正面から受け取り母を非難していたかもしれない。
でも、さっきもそうだ。自分の置かれた状況よりもお兄様の所在を訊ねるとは、そういうことなのだ。
この切り捨てるようなセリフにはどれほど複雑な思いが込められているか。
何も知らず聞いていたなら考えもしなかっただろう。
音だけを聞けば淡々と、温度のない声色だったが辛辣な言葉に隠された真実に私は密かに興奮していた。
安全な場所へ避難する際見上げた母の表情は感情が一切見えない。
真直ぐと、ただ前を向く姿勢は美しく、気高いものだった。
「盗聴器や監視カメラの類のものは見当たりません」
案内された部屋をくまなくチェックして、問題なしと穂波さんは母の元へ戻る。
そしてパネルを操作しているのを遠めで見ながら、私は口を開いた。
「お母様。お兄様のことを教えていただけますか?」
あえてお兄様、と強調して言えば、予想通り母は麗しいかんばせに深い溝をつくって見せた。
「達也をそのように呼ぶのは控えなさい。他人の耳目のある所ではある程度仕方のないことでしょうけど四葉の者しかいない場所で兄として扱うべきではないわ。貴女は次期四葉の当主なのです。もしあのような出来損ないを兄と慕って依存しているなど見られたら貴女にとってひどくマイナスになります」
(やっぱり、今までの『深雪』では気づくことはできなかった。この母の想いがどこに向けられたものなのか)
否、知っていなければ気づけないほど些細なシグナル。それを12歳の子供に気付けという方が酷なのだ。
それほど母の言動は徹底していた。
(本当に四葉は愛が深い)
たとえ感情を失っていても、根源を見失っていてもそれでも――
「申し訳ございませんでしたお母様」
しっかりと目を見て頭を下げた私に部屋に走った緊張は緩み、穂波さんも操作が完了したのかモニターには戦地の最前線が映し出された。
ちょうど、お兄様が空から『投下』された場面だった。
「あなたもそろそろ知った方がよいでしょうし、そうね、どこから話そうかしら」
語られるお兄様誕生の物語。
母の様子に嘆きも悲しみもない。
ただ悲劇が報告書のように温度のない声で流れてゆく。
そして、
「あの子に残った唯一の衝動は、兄妹愛。つまり妹、貴方を愛し守ろうとする感情。それだけがあの子に残された、本物の感情なのですよ」
それだけがお兄様の原動力の源なのだと母は言う。
だからこそ今モニターに映る小さな背中は戦場を駆けているのだと。
お兄様が魔法を放つ。
敵の武器はばらばらになり、人は陽炎を残して消える。
お兄様が魔法を放つ。
傷だらけで倒れた兵士が息を吹き返し前進する。
お兄様が魔法を放つ。放つ。放つ。
戦況は不利な状況から一変。一気にひっくり返った。
画面では敵方が白旗を振り、降参を訴えているのにまだ攻撃しようとしたお兄様がちょっと手荒に止められていた。
――相手もここで、大人しく引き下がり終わればよかったのに。
「あの子はあれで常識に拘っているところがありますからね。親に愛情を抱けないなんてつまらないことで悩む必要はありませんから」
そうしたらこの母の言葉にだって今すぐ返してあげられたのに。
指令室から慌ただしさが伝わる。
モニターには兄を含めた三名の姿。
知っている。この後に起こる悲劇を。
解っている。私が止めねばそうなることも。
(だけどそれはいったい誰の幸せのために?)
手が震えた。いや、手だけではない。肩も震えている。
情けないと思った。
こんな安全地でこれから起こる悲劇をただ嘆くしかできない。
――力が欲しい。
この悲劇を防ぐために必要な知識も権力も、ましてや奇跡を起こす力なんて持っていなかった。
「奥様、お願いがあります」
その声に過剰に反応してしまう。
行かせたくない。
伝えたことはないけれど深雪に、私にとって彼女は親戚のお姉さんのような、憧れの大人の女性だった。
だから、母が傍を離れる許可を与え、彼女が了承した瞬間穂波さんに抱き着いていた。
「深雪さん?」
普段ならあり得ない私の行動に、けれど穂波さんは少し身を屈め抱き留めながら優しく肩を撫でてくれた。
その優しさに私は何も返せない。
「桜井さん、いえ・・・穂波さん!」
母に聞こえないよう耳元で小さくありがとう、と。
そして少し体を離して、
「いってらっしゃい」
笑顔で言ったつもりだ。
口元は引きつって、目は潤んでいた気もするけれど。
そんなおかしな行動を取る私に、けれど穂波さんはそのことに触れずに笑みで返してくれた。
少し離れて身を屈めて一言「奥様のそばにいてあげてくださいね」、と。
耐えきれなかった涙が頬を伝う。
それを拭うことはせず彼女は颯爽と部屋を出ていった。
「深雪」
呼ばれるままに母のそばに戻ると少し困惑したように眉尻を下げた母の顔があった。
「貴女には私のような直感はなかったはずだけど、貴女も何か感じたのかしら」
つまりは母も解っているのだ。
もう彼女が自分の下に戻らないことを。
そう思うとまた涙が零れ落ちた。
「お母様。私たくさん誤解をしておりました」
今、このタイミングしかない。
盗聴器もカメラも無く、他人に聞かれないこのタイミング。
(――聞かれてはいけない秘密の話をしようではないですか)
涙をぬぐい、母を見上げた。
「お母様はとても愛情深く私たち兄妹を慈しんでくれていた。そのことに今更ながら気づきました。
たとえ感情が表立たなくてもお母様は、お兄様を嫌ってなどいなかった。冷遇など表向きでしかなかった」
母がお兄様の手術の際無理をして感情を失っているなんて知らなかった。ただ、淑女として感情を表に出さないだけなのだと、そう思い違いをしていた。
だけどこの人はそこまで器用な人ではない。
そしてあえて私たち兄妹を、と言ったけど本当に母が愛しているのはお兄様の方なのだと知っている。
私はお兄様の為につくられた調整体だから。――この十二年間、全く愛されていないとは思わないけれど、お兄様とは比重が違うことくらいわかる。・・・わかってしまった。
いつだって母は一番にお兄様を探している。悪態をつこうとも必ず一番に目を向けるのはお兄様だった。
だけどここは気づいていないふりをして、等しく愛されているということにして、私は話を続ける。
「お気づきでないようですが、お兄様に親しく話しかけた男性のことを面白く思っていなかったようでした。それにさっきも穂波さんにお兄様の自慢をなさってましたし」
マテリアルバーストを使うのだと予測した母は、それがどれほど難しい魔法かを知った上でお兄様なら初めてでもうまくやるだろうと言い切ったのだ。これが自慢でないならなんだというのか。
無意識だったのですねとの指摘に母はまた眉間に皺を寄せたが、口を開いても音が出ない。
上手く言葉にまとまらないようだった。
「そして私にも傷つかないよういつだって諭してくださっていた。私はいつもそれを意地悪だと思ってましたけどそれも私の為だった。――そしてお兄様の為だった」
兄と親しくさせないのは、私が感情的になってお兄様を止めないため。それはお兄様の為でもあるけれど、少しは残される私の為だと思いたい。
そこまで言うと母の表情は困惑からすとんと感情が抜け落ちた。
(改めて思うけど美人の無表情ってめっちゃ怖い!)
目を覚ましてからずっとシリアスな場面だったから何とか踏ん張っていたけれど素の自分がひょっこりと飛び出てしまった。
元々私自身にシリアスは無理な人間だった。見た目は大人しそうでも内心がうるさいタイプ。オタクによくいる人種です。
自分でもここまでよく頑張ったと思う。
元来の自分は真面目な空気など長時間吸うことさえできない。
ボディが深雪ちゃんなおかげか、はたまた無意識に12年間四葉と共に育った影響か、だいぶシリアス耐性が付いているようだけど、やっぱり私にはここまでが限界だった。
何より、
(これ以上はただお母様を悲しませるだけになってしまう)
そのことが耐えられそうになかった。
先がない母をこれ以上苦しめるなんて、私にはできそうにない。
だって私は、
「お母様、私もお母様の事大好きです」
この十二年、ずっとこの母に嫌われないよう、好かれようと思うほどに母が大切だった。
手を取って、胸に抱いて真直ぐに想いを伝える。
突然の告白に、母は微動だにせず無表情のままではあるのだけれど。
「先ほどから何をおっしゃっているの?もしかして達也に修復された際におかしくなってしまったのかしら?」
「正確にはその前、です」
おかしくなった自覚はある。だって12歳だった深雪ちゃんに、その倍以上生きたOLの精神が合わさってしまったのだから。でもそれは母の言うお兄様に再構築してもらってからではない。
「死を前にして未練が過ったのです。声に出して伝えたい、と。遠慮していては何も伝わらないのだと。もちろん誰に対してもというわけではありません。けれど家族になら、外部を気にせず伝えたいと思ったのです」
深雪ちゃんはいつだって自分の気持ちを伝えることができなかった。
なぜならそれはけして望む通りに返っては来ないモノだったから。
大好きな母にも、嫌いどころか気になって仕方なかった兄にも伝えることのできなかったモノ。
いつだって言うことはできたはずのに伝えてしまえば叱られたり、遠ざけられてしまうのではないかと怯えていたのだ。
だけど母の過去を知っている今の私なら彼女の脆く崩れそうな心が見える。
兄の過去を知り、未来をも知っている私には兄の心の成長を、伸びしろを信じられる。
(私ができることは乾燥した大地に愛情という名の水を注ぐこと。
風を運びお日様を浴びさせて、育むことが今、私にできることだと)
恥ずかしいことを言っているのは重々承知だ。
でも前世オタクだった私はこういう時の対処法を知っている。
どんな世界であろうとも愛は不幸への特効薬、いや劇物だと。
果たしてそれがいい方向に転ぶのか、超展開をもってして破滅へと進むのかは分からない。
けれど事態を好転させるためには親子愛でも兄妹愛でも『愛』がなければはじまらない。
少し前までこの世界は圧倒的に愛が見えていなかった。
感情を失ってまでも子を守ろうとするなんてそれこそ愛でなくて何だというのだ。
四葉という一族の結束の力の源だってそもそも愛じゃないか。
そして今なおこの瞬間戦場に留まっているだろうお兄様は妹への愛のため、体を張っている。
「お母様、お兄様は確かに激しい感情、衝動を無くしたかもしれません。けれど情は残っているのです。ならばそれを成長させれば良いだけのこと。兄妹愛という愛を受け止める器があるのです。その器をちょっと広げれば家族愛になるでしょう。――お兄様に愛されるのは、情を向けられるのはお嫌ですか?」
「深雪、貴女は何を言っているのです?あの子にはもうそういった感情は」
信じられないだろう。母は手術を施術した本人。お兄様から感情をほとんど失わせたことを悔いて苦しんでいるのだから。
でもね、私は知っているのだ。この後、お兄様が高校に進学して友人をつくり、私と二人だけだった世界をちょっぴり広げられることを。
「心はあります。確かにお兄様は理性が働いて割り切るでしょう。でも割り切るだけなんです。想いはきちんと持っているのです。私にはわかります」
「それは貴女だからです。貴女にはそれを向けられているから――」
「他ならぬ私だからです。お母様、私はお兄様に幸せになってもらいたいのです」
言い切るとはっと母は気づいたようだった。
それは直感が働いたのか、それとも私の決意に何かを見たのかわからない。
けれど母ははっきりと私の意図に気付いた。
「深雪、貴女――」
「私が何者であろうとも構いません。私の意思には変わりないのです」
だからきっぱりはっきりと私も伝えようと思う。
「お兄様を幸せにしたい。でもね、お母様」
あえて言葉を崩して、
「私はもっと欲張りたいの」
深雪がしたことのない子供らしい、けれど心からの笑みで、
「大好きなお母様にだって幸せになってもらいたいし、当然私だって幸せになりたい」
だからね、お母様――
「一緒に運命に抗いましょう!」
一人では難しくても二人でなら変えられることがきっとあるから。
沈黙は長くは続かなかった。
母は私に向かって手を伸ばすと――
「いたっ」
ぺちっと額を叩いた。
声は出して言ってみたけど実際痛みなんて全くなかった。反射でうっかりポロリと出た。
でもそれがよかったのか母はくすり、と笑う。
「いくらここが耳目のない場所だとしてもそのように感情を晒すなど淑女としては以ての外ですよ。それにこのようにみだりに触れるものでもありません。
・・・せめてプライベート空間になさい」
拒絶の言葉は、ない。
それどころか今まであった壁のような空気が薄くなっていた。
完全になくなっていないのはきっとこの場所が外のせいだ、と思う。
もしくは自身の慣れない行動に戸惑っているのかもしれない。
「はい。申し訳ございませんお母様」
少し大げさに頭を下げて見せれば顔はまだ微笑みを湛えていて。
(正直気味悪がられたりとか距離を置かれたりとか、お兄様を叱ったりするんじゃないかって心配だったんだけど)
どうやらそういった心配事は取り越し苦労だったようだ。
やっぱりこの母は感情が表に出せないだけで懐が広く、優しい。
内心胸をなでおろしたところで外から今度は歓声が轟く。
「!お兄様が」
「どうやらアレは成功したようですね」
敵の攻撃は沈黙し、今度こそすべて終わったらしい。
つまり――穂波さんは帰って、こない・・・・・・。
母の手を握る。
そっと手を重ねる母の表情はすべてわかっているようだった。
運命に抗おうと決めたけれど、私はこの運命を変えなかった。
穂波さんが好きだった。憧れだった。
確かに穂波さん自身こうなることがわかっていたと原作を読んだ私にはわかっている。
このことがきっかけとなってお兄様は軍に属するようになる。
だけど考えてしまう。知っていて見送ったのであれば彼女を見殺したことになる――
「彼女は選んだのですよ。本来彼女の立場なら選ぶことなんて許されないのに。それは幸せなことなのではなくて?」
・・・確かにそういう描写はあった。
それが彼女の救いでもあり、そしてお兄様への救いでもあった。
「それに、最後に見た彼女は笑っていました」
その笑みがついさっきのことでもあったので鮮明に思い出せた。
彼女はどうなってしまうか決意して応援に行ったはずなのに、あんなに綺麗に笑ってくれた。
私の言葉は少しでも彼女への餞別になっただろうか。
そのあとお兄様が戻り、あらましを聞き、様々な話し合いの末一度別荘へ戻ることになった。
四葉への連絡をして、帰りたくても完全に安全を確認してからでないと動きが取れないとのことでしばらく別荘に滞在するかもしれないと。
幸い食料は軍から新鮮な現地の食材を分けてもらえるそう。誰も料理ができなくともHARも備わっているので、しばらくここに缶詰となっても問題はなかった。
お嬢様育ちである母は窮屈ではないかと思ったが特に不満を言うこともなく従うつもりらしい。
というよりそもそもあれから体調は落ち着いたようだけどあれだけ苦しまれたのだ。すぐすぐよくなるわけもない。
「お母様、大丈夫ですか?ご無理はなさらないでください。何か欲しいものはありますか?」
ベッドで横たわる母に引っ付くように声を掛ける私の後ろには空気と化したお兄様もいた。
「そのように心配ばかりされては眠るに眠れなくてよ。少しは落ち着きなさい」
「だってお母様ったら我慢ばっかりなさるでしょう。少しは口にしたらどうです?」
苦言を呈する母に怯むことなく返す姿はまるで何年も連れ添った間柄のようであるが、実質家族だけで傍にいる時間なんてトータルしたら1年もないんじゃないかしら、と思わなくもない。
だがあの家じゃそれも仕方がないことだろう。幼少期、常に誰かしらが母のそばに控えており、偶の二人の時は次期当主候補として学ぶことが多かったし、そもそも体の弱い母はよく安静にと休まれていたから家族としての時間なんてそもそもほとんど存在していなかった。大きくなってできるようになったこういった旅行の時が家族として過ごせる唯一の時間だ。
背後では初めて聞く気安い私たちの会話にお兄様が驚いているのか、空気が動いた気がした。
「ここはプライベート空間、でしょう?だったら」
立ち上がってくるりと振り返ると、動じていませんよと言わんばかりの姿勢を崩さぬお兄様の元に足早に近寄ると後ろで組んでいる手を引っ張って母のベッドにまで連れていく。
「お嬢様、」
「深雪、ですよお兄様。お母様は言いました。プライベートな場所であれば自然体で過ごしていいのだと。ここには耳目もありませんしね」
にっこり微笑んで母を見れば母はあきれた表情で見つめ返してくるけれど以前のような恐ろしさは感じられない。
それは捨てられる、嫌われるのではなんて疑念がなくなったからだ。
「ここには家族しかいません。つまり取り繕うこともないのです。だからお母様もカッコつけなくていいのです」
私の暴論に今度は呆気に取られたらしい母は瞬きの回数が増えた。
(あらやだ私のお母様ったらかわいい)
アンニュイな美女のお目目ぱちぱち可愛すぎない?
なんて考えていたら母に睨まれた。
(え、どうして?!エスパー?そういえば魔法使いだった!)
「いえ、声に出ていますよお嬢様」
「そんな!」
お兄様に指摘され慌てて口元を抑えたけど時は戻らない。
「・・・やっぱり深雪が壊れたのは達也の再構築が原因ではなくて?」
「深雪が壊れた・・・?あ、いえお嬢様が」
「深雪で構いませんよ。ここには、私たちしかいませんからね」
お兄様がすぐさま言い直そうとしたのを母が止める。
表情は相変わらず無表情のままだが。
母の返答にお兄様は驚愕・・・しているのでしょうけど、うん。表面上ピクリって眉が動いただけだね。
「お母様大成功です。お兄様ったら飛び上がるほど驚いてますよ」
「・・・これのどこがそう見えるのかしら。癪に障った、と言われた方が納得しますよ」
「わかりづらいのは親子そっくりな特徴でしょうか。でも私にはわかりますもの」
(お母様の戸惑いもお兄様の困惑も今の深雪ちゃんにはまるっとお見通しなのです!)
と決め台詞みたいなものを心裡で決めてみるも当人たちは困惑しっぱなしだ。
こうもすごい人たちを翻弄できるのはちょっぴり楽しい。
もしここに穂波さんがいてくれたらきっと一緒に揶揄っていただろう。彼女は茶目っ気ある人だったから。
「深雪?」
「何を考えているのですか」
ちょっと心が他所に移っていたことに気付いたのか二人の顔が真直ぐこちらに向いていた。
二人とも無表情に見えるけど、どことなく心配しているような?あれかな、ミリ単位で二人とも眉尻が下がっているとか?
もしそうなら気付ける深雪ちゃんの目ってすごい。
っと、そんなことを考えている場合じゃなかった。
「もしここに穂波さんがいたら、と思ったのです。きっとお母様の事もお兄様のことも揶揄ったはずですよ。『奥様、鏡をお持ちしましょうか?達也君も』とか」
少し無神経かな、とも思った。
まだ正直心の整理はついていない。
実感なんてその時が来るまでわかない、何が起きたか知っていてもわかないのだと。
それは私の想像力が足らないのかもしれないし、認めたくないだけなのかもしれない。
だから、こうしてするりと名前を出したのか。
しかし二人にそういった動揺は見られなかった。
むしろこちらを気遣っているような、そんな雰囲気さえある。
「明るいあの人が好きでした。彼女がいるだけで空気が軽くなるような気がして。羨ましかった。私の憧れです」
吹っ切れたわけじゃない。
でも悲しい思い出に埋め尽くされることは嫌だった。
ただそれだけ。
「あ、もちろんお母様も憧れの女性です。私の目指す淑女はお母様なのですから」
「・・・・・・・・・それにしては随分と人を揶揄うのがお好きみたいですが」
可愛いと言ったことが気に障ったのかたぶんジト目を向けられている。見えづらいけどこれは美女に向けられてるジト目!
慌てて弁明しようとするが、母なりのジョークのようだった。
「違っ、からかってなんて!」
「でも、そうですね。貴女の気持ちも少しわかる気がします」
窓の外に目を向ける母にはいったいどんな穂波さんが映っているのだろう。
私たちより長い時間共に過ごした分、きっと知らない彼女を知っているのだろう。二人はただの主従よりも親しい間柄だったから。
いつか聞いたら教えてくれるだろうか。
「お兄様も、お疲れさまでした」
バタバタして伝えられなかった言葉を伝えるとお兄様は首を振る。
「大したことじゃ、ない」
ありません、と言いそうになったのを直したんだなとわかる。
まだこの状況が飲み込めていないのか、考えがまとまっていないのか。
何でもそつなくこなすお兄様にしては珍しい。
けれどそこがとても人間味があって嬉しく思う。
「あのね、お兄様。私死を迎えそうになった時思ったの。ちゃんと伝えればよかったって」
お兄様がいないあの場所で何を話したのか、搔い摘んで説明した。
私があの瞬間何を思い、どう行動に移したくなったか。
直接、お兄様を幸せにしたい、なんてここでは言わない。
(言えない。それは押し付けになってしまうから。これは私が思っていればいいだけのこと)
原作ではいつもお兄様の為、と口にしていた。
だけれどあれは一種の鎖だ。お兄様に離れてほしくない妹のわがまま。執着の表れ。
それはどこか強制的でお兄様の選択肢がなくなってしまうように思われた。
私はあくまでもお兄様自身に幸せを掴み取ってもらいたい。
与えられただけの幸せだけではない、数ある幸福を見つけてほしい。
ヒーローはいつだって自分の幸せは自分で掴み取るから。
だからあえて私は言う。
「私は幸せになりたいんです」
私の幸せはお兄様を幸せにすること。
母にも幸せになってもらうこと。
そしてこれから出会う皆も笑顔で笑っていて欲しいから。
「そのためにもまず、私はお二人の誤解を解きたいと思います」
「「誤解?」」
二人は声が重なったことに当人たちは若干気まずそうだけれど、今は置いておくとして。
「お兄様はきっとお母様は自分に無関心だとお思いかもしれませんが決してそんなことないですからね」
「深雪さん」
(鋭いお母様の声が突き刺さるけど気にしない。だってわかるから。これはお母様の照れ隠しだと!)
声が低いけど、冷気が漂っているような気がするけどエイドスだって書き換えられてないからこれは本当にただの思い過ごしだ。
(めっちゃ怖い圧感じるけど!こういうところが誤解されるんですからね!)
「お母様はお兄様が傷つかないようにいつだって自分から距離を作っていました。お兄様を気遣って、多少傷ついても深く傷つかないよう無関心に見せて。でもお兄様がいないところではそうは聞こえないようさりげなく自慢したり、自分たち以外と仲良くする姿にはやきもちだって妬いちゃうんですから」
「深雪!」
めったに声を荒げない母が大きな声を出せばどうなるか、――当然噎せる。
予測できていた私は母の背を擦り、お兄様はすぐ水を用意する。
一糸乱れぬ動き、阿吽の呼吸だ。
(初めてのお兄様との共同作業!・・・ちがうか)
私は冷静さを取り戻した。
涙ぐむお母様、
「可愛すぎない?」
「・・・深雪、ちょっと座りなさい」
(あれ?なんでお母様おこなんです?)
「口に出てるよ深雪」
「あら」
「全く反省していないようですね」
どうやら思ったことを伝えたいという気持ちは口をゆるくさせるらしい。
困った。素直な気持ちが漏れ出てしまう。
母は先ほどよりわかりやすいジト目になって、お兄様はしょうがないなと言わんばかりだけど許してくれるような優しい笑みを口元に浮かべて。
(・・・ああ、ここに幸せはあったんだ)
小さな変化にまだ気づけていない二人に、私は諭すように、けれどそうは取られないよう無邪気に言う。
「噎せたお母様にお水を出すお兄様の行動は考えるよりも先に手が動いていた、そんな早さだったでしょう?お兄様だってお母様を心配しているんですよ」
二人は表情を強張らせた。
きっと母の脳裏には深雪が関わっているから、何もしなければ私が悲しむから行動したのだと過っているに違いない。
そして当のお兄様は自分の行動に『後付け』で理由をはじき出そうとしている。
「お二人とも考えすぎなのです。自ら迷宮に入ろうとしないでください。
お兄様、人は理屈なく動くことがあります。理由付けなどいらないのです。
お母様も、そんなはずはないなんて可能性の芽を潰さないでください。
二人とも、もし認められないのでしたらいっそのことこう考えたらいいのです。
――『そう思った方が深雪が喜びそうだ』、と。
事実、私は嬉しいです。二人が仲良くしているところをこれから見られると思うだけでも、もう嬉しくてたまらないのです。
そもそも愛なんてものは勘違いでも生まれるの。盛大に勘違いしていきましょう」
傲慢に言い放つ私に二人は開いた口がふさがらないようだった。
とはいえ二人は大きな口ではなく、ほんのうっすら、開いているような・・・?レベルではあるが。
二人って本当は私に隠れてずっと一緒にいませんでした?傍にいない限り親子ってだけでこんなに動作って似るものなんです??
それともこれも妹の欲目ってやつなのかしら。
ちょっと首を捻っていると母のため息が耳をかすめた。
「貴女は案外当主に向いているのかもしれないですね」
初めて言われた言葉に思わず母をじっと見る。
「当主とは時にわがままを言って周囲を翻弄するものです」
「・・・それは現当主様のことをおっしゃってます?」
「さあ、どうでしょうね」
あらやだお母様ズジョーク?笑って大丈夫?ミーティアライン飛んでこない??
流石にコレは漏れ出たらまずいと口元を覆って抑え込む。
母と叔母の仲はどうあっても修復不可能レベルだ。これはお兄様たちと違って一年二年でどうこうできる問題ではない。
いずれは、と考えなくもないけれど少なくとも母の生存中には難しそうな課題だ。
「それではお母様がわがままを言わないようではないですか」
「私がいつわがままを申しましたか」
「これから言うのですよ。それを私とお兄様でちょっとでも叶えていくんです」
ね、お兄様に微笑めばちょっと困惑気味に口角を上げられていて(ひきつった笑いにも見えなくない?)、もう一度母の方へ顔を戻せばわずかに顔を顰めて。
「ちょっと、だけですか?」
「叶えられるわがままでしたらいくらでも!」
母のことだからきっと無茶は言わないだろうけど、これはちょっとした言葉遊び。
母もわかっているから乗ってくる。
「なら少し疲れたから休みます。夕食の準備ができたころ呼びに来なさい」
「はい、お母様」
お兄様からは言葉はなかったものの躊躇いがちに頷いて返答していた。
それを見てからベッドを操作し横になる。
私たちは静かに部屋を退出した。
――
「その、深雪」
声を掛けられたのは母の休んでいる部屋から離れたリビングで、念のため窓からも離れたソファに座ったところだった。
しかし座っているのは私だけでお兄様は背もたれ側で立っている。
今まで通りのポジションだ。
お兄様はガーディアンとしての職務を全うしているのだと理解しているし、その方が今は気が楽なのではと私も無理に座るようには言わなかった。
「なんですかお兄様?」
少し体をずらしてお兄様の方を見て訊ねれば、口を開いては閉じて、を二度ほど繰り返していた。余程口にし辛いのか。
お兄様にしてはありえない行動だが、今お兄様にも変化が訪れようとしているのだろう。
「・・・母さんが言っていた、再構築の後壊れたのでは、とは・・・?もしや俺の魔法が失敗して」
「そんなことありません。お兄様の魔法は完璧でした。お兄様から見てもおかしなところはないのでしょう?」
お兄様の眼ならば私の体に異常がないことは分かるはずだ。
だけどお兄様の返事は返ってこない。
(もしやお兄様も私が壊れたと心配してる・・・?)
確かに純粋な深雪ちゃんだった頃と今では違いすぎる、か。
・・・あれ?ずっと成り変わりだと思っていたけれどもしや乗っ取り?所謂憑依なのでは?それだと深雪ちゃんを私が殺しちゃったことになる!?と怖い考えが過ったが、どうにも乗っ取りにしては違和感が少ないような気がした。
こうして『深雪ちゃん』と『私』と分けているけれど、それはあくまで原作の深雪ちゃんならこうだろう、ということであり自身が司波深雪であることは間違いなく、前世のことは過去のことであり、今は別の人生を歩んでいるという実感がある。
生まれる前に乗っ取ったといえばそうなるのかもしれないけれど。
意識はなかったけどこうして生きていたのは私のはずだ。つまりこれは成り変わりでいいってことでおk?あれ?ちょっとわかんなくなってきた。
「・・・き、深雪」
「あ、ごめんなさい。考え事してました。えっと、私が壊れてるかってことでしたよね。あの時も話しましたがそれは違います。壊れたのは確かに壊れたのでしょう。ですがそれは私が、ではありません。私の中にあった常識が壊れたのです」
「常識、」
「とはいえ私にもまだ世の常識というものが分かったわけではないですが、自分を覆っていた四葉という箱の中で身に着いた常識はどうにも違うらしいことを認識した、というところでしょうか」
箱入りだった深雪ちゃん。
孤独に怯え、周りの勝手な期待を裏切らないように努めていた深雪ちゃん。
嫌われないよう必死に居場所を探していた深雪ちゃん。
自分がしたいことをいつだって我慢して、自分の考えがおかしいのだと思い込もうとしていた深雪ちゃん。
「そういえば言い忘れていました。お兄様、おかえりなさい」
「・・・ああ、ただいま」
「ご無事で何よりです」
「だけど、桜井さんは」
「そのことですけどお兄様」
失礼だとは思いつつお兄様の言葉を遮って、私はお願いをする。
「明日穂波さんをお迎えに上がるのですよね。できれば最後にお顔を拝見したいのです。私は彼女にいってらっしゃいと言って送り出したのです。だからちゃんとおかえりなさいと言いたい。・・・自己満足ですが」
「いや、――そういうことならそのように手配しよう」
言うや否やお兄様は急いでどこかに電話をした。
もしや検死してすぐに荼毘に付す予定でした?作業の邪魔をしたのなら申し訳ないけれど、間に合ったのならよかった。
「明日の朝早くになるけれど」
「はい。大丈夫です。お母様を説き伏せてでも行きます」
「・・・深雪は少し見ない間に強くなったね」
「強くなるのはこれからですよ、お兄様。私は幸せになるためにこれからいろんなことを学ばなければならないのですから」
これからだ。
楽しそうに笑う私に、お兄様は眩しそうに目を細めた。
「でも私は今、幸せを感じ始めているのです。お母様に嫌われるのではと終始怯えるのではなく軽口を叩けるような今の関係は奇跡のようで。お兄様にもこうして話しかけることを遠慮せずにいられる今が、とっても幸せなんです」
昨日の自分なら信じられなかっただろう。
素直に思うまま大好きな人たちと話ができるなんて。
兄をお兄様と呼べるなんて。
「ずっと傍に青い鳥はいたのに、目をふさいでいたのは私。きっかけがこんな物騒な場面だったのが残念ですが、でもそこまでの衝撃がなければ気づくことができなかった。高い勉強代――ってそうでしたお兄様!!」
あまりに幸せで呆けていた脳が一気に活性化した。
勢いあまってソファの上で跳ね上がり膝立ちになってお兄様に向けて体を寄せた。
バランスを崩したらいつでも支えられるようにだろうか、お兄様は瞬時に動いて手を差し伸べてくれていた。
慌てさせてごめんなさい!つい勢い余ったんです。
「お兄様、助けていただいて、命を救っていただいてありがとうございました。
けれどあれほどのすごい魔法です、リスクがないはずがない!」
そう、あのような法外な魔法人の身で使うには代償がなければできるはずがなかった。
もし訊ねなければお兄様はきっと隠し通したはずだ。
けれどそうは問屋が卸さない。
お兄様は必死な私に根負けしたように語り始めた。
それは原作通り、とてつもない激痛を伴うというものだった。
それをたった13になったばかりの少年がまだ発達途上の身で受けたのだ。
普通なら一度で発狂していてもおかしくない。それを、三度も立て続けに受けるなど、耐えられるはずも無い。
だけどそれも偏にお兄様の感情が失われ、否希薄だったからこそ正気を失わずにいられたということ。
それを考えると母たちが行った手術は魔法を暴発させないためという話だったが実のところ――と思考は逸れかかったが今はそこではない。
「ごめんなさいお兄様。私があの時呆けてさえいなければ」
躊躇うことなく魔法を行使していればあんなことにはならなかった。
己の身を守るためだという場面で、敵の身を心配できるほどの力などなかったというのに。
「それは違うよ深雪。あれは俺の落ち度だ。深雪を絶対に守ると、そう誓っていたのに」
「お兄様は私を救ってくれました!私だけでなくお母様も、そして穂波さんも。それだけじゃありません。戦場の方々だって」
「それは俺の報復に――って、それはいいんだ。俺がしたかった。後悔はないよ。だから――泣かないで」
深雪、とそう言われて初めて自分が泣いていることに気付く。
だって、あんまりだ。
なんだってお兄様ばかりこんな苦痛を味わわなければならない。
理不尽だ。
この世界は理不尽なことだらけだ。
こんなにすごいお兄様が、世の中のおかしな基準のせいで劣等生にされるだなんて。
小学校や中学校ではお兄様は何でも一番で、いつだってすごいのに。
狂った魔法界の現行の常識のせいでお兄様の評価は地へと堕ちる。
(それが悔しい。悔しくてたまらない!)
そっと、遠慮がちに頭に触れるお兄様の手は温かい。
撫でられればちょっとぎこちなさもあるけれど気持ちいい。
そして頬に触れられ、涙をぬぐわれ、その優しさにまた涙が溢れる。
「泣かないでくれ深雪。深雪が泣くと俺まで悲しくなってしまう」
「ちがう、の。おにいさまが、やさしいから、だからなみだがとまらない、のっ」
お兄様が困っているのがわかるのに、泣き止むことができない。
呼吸が苦しい。
いつの間にか呼吸を乱しながら泣いている。
こんなの、ただお兄様を困らせるだけなのに。
するとお兄様は背もたれ越しだが私の背に腕を回し肩に私の顔を押し当てた。
「優しいのは深雪だよ。こんな俺のために泣いてくれているんだろう?ごめんな」
とん、とん、となだめるように背を叩く。
「深雪の願いは俺が叶えるよ。絶対深雪を幸せにする」
(ねえ!この人本当に私のこと泣き止ませるつもりかな!?嘘だよねボロボロに泣かそうとしてるよね?!)
忘れていたけれどお兄様は天然の、いや野生のモテ男だった。
血の繋がった妹さえ恋愛脳に堕とす魔性のお兄様だったわ。
あ、いや。深雪ちゃんは特別製ってこともあるんだけど、たぶんそれ抜きでもあれほど甘やかされればおかしくもなるよ。
だってそういったことに興味のなかった人であろうとも顔を赤くさせてたからね!壬生紗耶香ちゃんだっけ?一巻のヒロインちゃん。あの子だって初恋ドロボーされちゃってたもんね。部活や二科生問題で頭一杯だったはずなのに!
あ、そうだ。
お兄様の幸せを考えるならやっぱり恋人だったり結婚相手も重要よね。
原作ではいろんな思惑が絡みついて深雪ちゃんを選ばざるを得なかったけれど、あれは数少ない選択肢の中あみだくじのように紆余曲折してたどり着いた唯一の生きる道だった。
でも私はこの世界の運命に抗うと決めたのだ。
お兄様に選択肢を。
もっと他にも幸せになる道があるはずだ。
その道を増やすのがこれからの私の使命。
「お兄様もですよ」
「ん?」
「お兄様も幸せになってください」
けして深雪が、私が幸せにするなんて言わない。
お兄様の幸せはお兄様が決めるべきだから。
「俺は今十分に幸せだけど」
(そういうとこだぞお兄様―!)
「けど、うん。そうだね。もっと幸せになろう。深雪も、母さんも一緒に」
本当に悪気はないのだろうけど、私はさらにお兄様によって泣かされ、夕食に呼びに行った母に目の腫れを心配された。
その時お兄様が悪いと搔い摘んで説明すると、母は複雑な顔をして私の頭を撫でたのだった。
本当、この数時間でみんな感情表現豊かになりましたね。
(顔は無表情から数ミリ動く程度ですけれど)
ちなみに夕食時、母は実はピーマンや苦みのあるものが苦手と判明し、わがままを少しだけ叶えようとお兄様と二かけを残した残りを半分こして食べた。
「全部食べてくれてもいいのですよ」
「そこは頑張ってお母様らしさをお見せください」
「ひとつなら食べられますか?」
「お兄様、ここは甘やかしすぎてはいけません」
――
翌日母の手を引いて、お兄様が警戒しながら後に続き、穂波さんに会いに行った。
彼女の顔には苦痛はなく、穏やかに見えた。
「おかえりなさい、」
穂波さん、と名前を呼んだつもりだけど、最後まで言葉にならなかった。
母は優しく肩を抱いてくれ、見守ってくれていたお兄様は手続きに向かった。
魔法は便利で一瞬だ。
灰となった穂波さんを彼女の遺言通りに沖縄の海に撒く。
これは彼女の、四葉には細胞一つも渡してくれるな、という意思にも感じられる。
そこまで彼女は言ってはいないだろうけれど、お兄様は最後の一粒も残さぬように器をひっくり返してすべてを撒ききった。
その後私たちは沖縄を離れた。
あの攻撃が『四葉』深夜を狙ったものなのか次期当主候補を狙ったものなのか本家では様々憶測が飛んだが、調べつくしても四葉の、アンタッチャブルと呼び恐れた名については出てこなかった。
おそらく偶然だろう、と思われるが念には念を入れるべきだと距離のある東京の家ではなく大雑把に本家寄りの場所に一時的に移り住むこととなった。
(原作にそんな話はなかったと思うのだけど・・・)
首を捻るがこれは決定事項。こちらの意見など関係ない。
母はガーディアンが不在になり、体も弱っていたこともあって四葉の息のかかった一般総合病院で療養するのだという。調子が良ければ一時帰宅も可能とのことだけど当分は難しいとのこと。
そして仕事が忙しいと嘯き愛人宅に入り浸る父は、私たちが住んでいた家にわざわざ戻ることもなければ、これから住む家に来ることもない。つまり東京の家には誰も済まず約三年空き家になるということ。広い家なのにもったいないと思うのは前世の貧乏性からか。ま、HARがあるのだから家は清潔に保たれるのだろうけど。
(あれ?中学一年でお兄様と二人きりの同せ、ゲフンゴフン。同居生活です?え、四葉と勘繰られないために使用人もなし?いえ、それは構わないのだけど普通義務教育中にこんな放任あります?前世独り暮らししていた身としては全然問題ないですけど普通大問題じゃないですかね?え、四葉が普通なわけねぇだろ?確かにそれな!!)
「深雪、何か足りない物でもあったかい?」
「いえ、問題ないです」
正確には問題だらけで考えられないです、なんだけども。
お兄様的には問題なしです?そうですか。
引っ越すにあたって荷物はすでに新居に運ばれていた。いつの間に。
ああ、そういえば御当主様とのお話し合いは怖かった。
中学生が受けていい覇気じゃない。
圧迫面接が優しく思える日が来るなんて思わなかったよ。あれはあれで怖かったけど命の危険はないものね。恐れるほどのものじゃなかったのだと知った。
「地下を見てきたけどあの設備を使いこなせってことか」
「!申し訳ありません。そんなプレッシャーを掛けたかったのではなくて」
「ああ、わかってるよ。深雪はただ俺のために提案してくれたんだろう。これから軍でも学んでくるつもりだしすぐに使えるようになってみせるさ」
(あああ、私のばか!お兄様があの時CAD自体に興味を持ったみたいだからって調整できる設備を『お古』でもいいので融通できないか、なんて!あの御当主様がお兄様にお古なんて与えるわけがないのに)
挑発ととられたのか、あの時の当主――真夜様の麗しいお顔に一瞬稲妻が走って見えた、気がした。
そして不用意発言によって用意されたのが、地下の最新設備である。
まだお兄様は技術を身に着けていないというのに。
(ついうっかりお古とか言ってしまう前世の貧乏性が憎い)
しかしお兄様は存外喜んでいるようだ。まるで新しいおもちゃを手に入れた少年のようにはしゃいでいるように見える。
たぶん、普通の人が見ればちょっと口角上がったかな?くらいにしか見えないだろうけど、うん、お兄様めっちゃ喜んでるね。プレッシャーなんて感じてないね。
なら何にも問題ない。
私は思考を放棄した。
こうして私とお兄様の二人三脚同居暮らしは始まったのだけど、学校と軍を行き来するお兄様(さらにガーディアン業務も当然含む)と、学校と四葉から派遣された家庭教師やら習い事やらで忙しくする私。
そして週末のどちらかは母のお見舞いというハードスケジュールをほぼ二年間ちょっと繰り返すのだけどここでは割愛させていただく。
休む暇なんて全くなく、当初考えていた幸せ計画は予定通りにいかずいくつか頓挫したわけだけれど――
「お母様、大好きです」
「私もですよ。そしてありがとう。・・・達也も――深雪を頼みましたよ」
「はい。――母さん、貴女の分も深雪を幸せにします」
「・・・最後まで面白くない冗談を言わないで。私の分は私の分。勝手に背負わないで頂戴」
「もう、お母様ったら。お兄様につれないことばかり言って。でもそんなお母様もやっぱり可愛いです」
「貴女も最後まで私を揶揄うのですか?」
「おちょくっても揶揄ってもおりません。真実であり真理です」
決められた運命に描かれたような不幸な母なんてどこにもいない。
最期に笑って逝った母は私と約束を交わした通り、運命に抗い勝利していった。
「ありがとう」
愛する子供たち、と。
息子を愛することができないと嘆くこともできなかった母などいなくなっていた。
――
お読みいただきありがとうございました。
次回は入学編です。