妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前)   作:tom200

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匂わせる程度のR-15がありますが、苦手な方はご注意くださいませ。


四葉継承編 前編

 

――あなたの可愛がり方は異常よ。まるで籠の中で鳥を愛でているみたい。

手元に置いて可愛がっているような、真綿に包んで愛でるみたいに。

いつか、誰の目にも触れさせたくないと、鳥籠ごと隠してしまうのではないかと思うくらいの溺愛ぶりで。

あれだけ美しいんだもの。心配になるのもわかるわ。目が離せないのも、兄として仕方が無いと思う。

だけど、愛情という名の目隠しをして、心配という枷をつけて。

彼女の気付かないうちに風切り羽を切って飛べないようにしているのだとしたら、それはもう――兄妹愛とは呼べないわよ。

 

 

――

 

 

目元は頬以上に赤く染まり、潤んだ瞳は半眼となっていて、今にも瞼が閉じそうだった。

呂律も怪しく、幼児のように舌ったらずな口調。

緩慢な動きでグラスの中を空けようと傾けているが、中身はほとんど減らない。

もう体がアルコールを受け付けていないのだ。唇を湿らせては戻して、を何度も繰り返している。

そんな中、振られた話題は日中のことで。

初めのうちはつらつらと愚痴のように、何故他に人がいたのか。

 

何故、妹を連れてきたのか。

 

なら一条はよかったのかと問えばそうじゃないと頬を膨らませた。

そもそも狙われる可能性のある状態であの家に深雪を置いていくという選択肢は自分の中になかった。

一日、いや、半日であれば確実にどんな不利な状況でも彼女たちだけで十分に持ちこたえられることはわかっていた。それに今は周辺に四葉から派遣された護衛もいる。

それでも狙われる可能性のある状態で一日以上離れることは個人的理由で無理だった。

距離に関係なく守ることはできるが、できる事なら手の届く範囲にいる方が望ましい。

学校を休ませてまで、とも思ったがせっかく公休というシステムもある。使わない手はない。

昨年のこともあったので生徒会と風紀委員、それと有志の皆で警備の確認に来ているのに単独で行動するのは難しい、とそれらしく理由を述べるが、不服だと顔に書いてあった。

俺が読めるくらいだから隠す気がないどころか読ませる気だったのだろう。

そんなに妹を手元に置きたいのか、と唇を尖らせて言ったのは、それが一番彼女にとっての不満を抱く問題だったからか。

だが、そんなもの、当然だとしか返しようがない。

俺の一番は深雪であり、彼女こそが俺の存在意義。絶対守らねばならない一等大切なものなのだから。

そんなことを口にしないが、妹のことを思い出しただけで口元が緩んだのを目ざとく見咎められた。

酔っ払いの割によく見逃さないものだ。

二人で飲んでいるのに他の人を考えるのは非常識よ、と詰られたが、実際問題高校生をバーに連れ込む女子大生とどちらが非常識なのか。

それにそもそも話を持ち出したのはそちらだろうなどと、文句を言ったところで面倒になることはわかっていたので大人しくノンアルコールカクテルを流し込む。

初めのうちは物珍しさもあったが、今では深雪のコーヒーが恋しい。

早く解放されたい、とは態度に出さないが(これ以上面倒になるのはごめんだ)いったいいつまで続くのか。

苦行には慣れているが、これはまた違ったタイプの苦行だな、と内心溜息を吐いた時だった。

 

――妹への接し方の異常さを説かれたのは。

 

酔っ払いの絡み酒だ。ただの支離滅裂な戯言。

聞き流せばいいものを、脳内で一部分がリピートしている。

 

――兄妹愛とは呼べない。

 

ならば、俺が抱いているこの想いは一体なんだと言うんだ。

 

 

――

 

 

深雪視点

 

 

楽しい日々はあっという間に過ぎていく。

秋以降、トラブルなどほとんどなく賑やかな日常を送っていた。

去年同様雫ちゃん家でお勉強会をしたり、食欲の秋と銘打ってウチでタコパをしたり、水波ちゃんも巻き込んでハロウィンをしたり、わが校の演劇部が賞を取ったので凱旋公演を校内で行い、初めて彼らの舞台を見たり。

いろんなことがあった。

いろんな思い出ができた。

 

(たくさん準備はした。――だから、大丈夫)

 

 

 

 

今日は学校冬休み前、最後の登校日。

だから校内はどこを見ても浮かれた様子が見受けられた。

生徒会長として最後の校内見回りだと、泉美ちゃんと水波ちゃんを伴って校内を練り歩いていた。

一瞬どっちが助さんでどっちが格さんだろう、と考えたのは、生徒たちが控えおろう状態で平伏しようとするから。

でも黄門様じゃないよ。女王陛下に対して敬意を込めてってことらしいけど、皆が楽しんでやってること知ってますからね。

仕方が無いなぁ、と諦めつつ皆によいお年を、と寒いから体調に気をつけて、と注意喚起も促しつつ挨拶していく。

それだけだけど、皆が笑顔になってくれることが楽しくなってきて、端から端まで挨拶をして回った。

校内に異常はなく、生徒たちも皆明るい顔をしていて、こういうところは原作と違うな、と改めて実感する。

一科生も二科生も関係ない。魔工科はむしろ憧れの学科になっていた。

来年は倍率が増えそうだ。ただでさえ一クラスしかない狭き門なのに、二科生だけでなく一科生も興味を持ったようだからね。

図書室はそのおかげかこんな日だというのに人が多かった。

帰宅を促すと、彼らは集中していて私に気付いていなかったのか、慌ててバタバタ帰りだした。・・・なんだか追い出しをかけたようになってしまって申し訳ない。気をつけて帰ってね。

 

「これで粗方生徒たちは帰ったでしょうか」

「そうね。泉美ちゃんは帰ったらご家族でパーティーに参加するの?」

「・・・ええ。深雪先輩とご一緒したかったのですが、無念です」

 

泉美ちゃん本当に悔しそう。

香澄ちゃんを見かけた時ぐったりしていたからどうしたのかと声を掛けたんだけど、泉美ちゃん、相当ごねたらしいね。お父様にも逆らう勢いだったらしいから。

原作では確か、昨日が実家都合のパーティーで、今日はクラス会だったと思うのだけど、どういうわけか逆になっていた。

どうして、とも思ったけれど、なんとなく原作と違ってこちらの泉美ちゃんはクラス会を蹴ってでもこちらのクリスマスパーティーに参加しそうな気がするんだよね。

何と言うか、熱量がね。熱が冷めるどころかこちらに向けられた矢印が強くなっているというか。

あれかなぁ。生徒会室ではピクシーが彼女の行動を防いでくれているおかげで思ったように触れ合うことができず、それが障害となって燻っている炎が燃え上がっちゃった的な?

でもお家の行事優先で。

 

「残念だけど仕方ないわ。泉美ちゃん、頑張って」

「はい!」

 

応援すればいいお返事。いい子。

頭を撫でてあげると幸せそうな笑顔。可愛いね。でも水波ちゃんの視線を合図に手を下ろす。

これ以上撫でるのは危険らしい。ありがとう水波ちゃん。泉美ちゃんの身体が傾きだしていたことに気付かなかったよ。

そのまま生徒会室に向かっていくつかチェックをして皆で戸締り。

門にはエリカちゃん達が寒い中待っていてくれた。先にお店で待っていてくれてもいいのに、と言ったのだけど、どうせなら皆で行きたいでしょって。

優しい。

駅まで大所帯で賑やかに歩いた。

寒いのに、とても温かいこの空間が心地よかった。

駅で七草双子とお別れ。良いお年を~。

そしていつものメンバーでアイネブリーゼへ。

喫茶店をクリスマスに貸し切りにしてくれるマスターに今年も感謝!

エリカちゃんの音頭で始まったクリスマスパーティー。

去年は雫ちゃんがアメリカに行ってしまうための送別会を兼ねていたから複雑な気持ちだったのだけど、今年はそんなこともない。

純粋に楽しめるので顔が緩んで仕方が無かった。

 

「深雪ぃ。いっくら私たちしかいないからって緩み過ぎよ」

「もうお仕事は終わったもの。最後ぐらいオフで過ごしてもいいでしょう?」

 

生徒会長の営業は終了しました。

お友達だけのお食事会なんだから、気を抜いても良いよね?だめ??

そう、エリカちゃんに視線で訴えると、エリカちゃんはうっと怯んで僅かに顔を逸らした。

それによってよく見える彼女の形のいいお耳が赤く染まっていた。

・・・もしかして危険物級な顔になってる?

グラスを置いてむにむにと頬を動かす。

 

「達也さん、いつもお家ではこうなんですかっ?!」

 

美月ちゃんがちょっと興奮気味にお兄様に訊ねているけど、エリカちゃん同様顔が赤い。

聞かれたお兄様はと言うと、ちょっと困ったように苦笑していた。

 

「いいや、ここまではそうお目にかかれないぞ。なあ水波」

「そうですね。眠られる前の気が緩まれている時に稀にお見掛けする程度でしょうか」

 

え、そこまで無防備な顔してました?

最後張り切って練り歩いたりなんてしたから、気を張り過ぎて緩ませ加減間違えたとか?

 

「深雪、学校中歩いて皆に挨拶してたから」

「張ってた気が一気に緩んだのかも?」

 

雫ちゃん、ほのかちゃん、多分正解。よくわかってくれる良い友達です。

それから皆で今年一年の総括を。

今年も一年色々ありましたからね。

でも一年生の時のインパクトの方が彼らには強かったみたい。

4月の件は彼らの知らない事件だけれど、九校戦の事故多発と選手として出場は彼らにとっては衝撃だっただろうし、論文コンペの横浜事変は戦争一歩手前の最前線に立っていたのだからそのインパクトが色褪せるにはたった一年では無理がある。

それほど濃かった一年生時に比べれば、確かに今年は・・・なんて、実際そんなことないよ。

確かに一年生、の括りにすればパラサイトも含まれるかもしれないけどあれは今年最初の大事件です。

まあ一月二月の出来事なんて十二月には遠い過去になっておかしくないのだけど。

エリカちゃん達には深く関わらせないお手伝いが多かったから。というか裏事情や大人の事情には巻き込めない。

結構な事件に巻き込まれてたりするんだけどね。

四月の恒星炉実験も未然に政治家の暴走を食い止めたから恐れていた最悪の事態、学校環境を変えられることもなかったしね。

人間主義者の活動は世界規模で活発化しているが、日本国内で言えばそこまで大きな規模ではない。

デモや各地でヘイトスピーチなどは行われているが、アメリカ程の加熱はしていない。

これはパラサイトの件で迅速に十師族と軍と警察が動いたことが沈静化に役立ったからだろう。

連携こそしていなかったが、それぞれに付いたジャーナリストたちが原因追求と彼らの『活躍』を独自の解釈を交えて面白おかしく書いたことで、怒りの矛先が魔法師や、あの灼熱のハロウィンにではなく、アメリカ国内のごたごたに向けられ、同盟国としてどう向き合っていくか、という方向に流れたのだ。

更にこのパラサイト事件を境に行方不明者が増加傾向にあることについて吸血鬼に続く怪事件だ、とちょっとした騒動に発展したことも視線を逸らすきっかけになっていた。

おかげで夜出歩く人が減少したり、防犯グッズが飛ぶように売れたりしている。

魔法科高校も全体に夜遊び厳禁の通達が来ていた。誘拐事件だとしたら魔法師が一番狙われるから。

ただ、行方不明者として名の上がっている人たちは今のところ皆非魔法師ばかりだという。

 

(・・・もうすでに黒幕大好きおじさんの計画は動き出していた、そういうことだ)

 

これに関しては事件として警察が警戒に当たっているし、注意喚起も同時に行っているが、それがどこまで効果があるか。だが、何も無いよりもいい。

その後の九校戦の騒動は完全に内内の事件だ。アレが暴走していたら大事件になっていたけれど、お兄様が食い止められましたからね。

本当、感謝してほしい。軍の大失態になる所だった。あと魔法師界に不信感を抱かせる、ね。

論文コンペ周辺の事件についてだけど、これはウチの事情に彼らを巻き込んでしまった形だ。これに関しては巻き込んで申し訳なく思う。

彼らが狙われる原因となったのは私たちのせいで、本来なら巻き込まずに片付ければよかったのに、吉田くんたちを利用して敵をあぶり出したりしてもらった。

・・・なんというか、日本の魔法師、一回全部調査した方が良いんじゃない?

これ、京都奈良、だけの問題じゃないよ。七草だって一度は内側に入れてたんだから。どこもかしこも可能性あるでしょ。

一度自分の派閥に外国人が潜り込んでないか、または接触してないか確認した方が良い。

とまあ、この一年も結構激動の一年でしたよ。表立たなかっただけで。

そんな総括をしながら楽しいおしゃべりは続いていく。

美味しい食事と皆の笑顔。最高のクリスマスだ。

 

 

 

 

宴もたけなわ。時刻は19時を指す頃にほのかちゃんが勇気を出して、お兄様に声を掛けた。

お正月、今年もお参りを一緒にしないか、と。

エリカちゃん達も今年は参戦できるらしい。

良いなぁ。皆とお参り。きっと楽しいに違いない。

今になって泉美ちゃんの気持ちが痛いほどわかった。家の用事なんて放り投げて、皆と一緒にいたかった。

皆と一緒に初詣して、屋台を食べ歩いて、おみくじを引いて一年を予想したりして、甘酒を飲みたいのにお兄様に止められて、皆と笑って――そんな一年の始まりならどれだけ素敵なことだろう。

だけど残念なことに年末から私たちは予定が入っていた。

だから一緒に遊びにも行けない。会えるのは新学期になってから。

そう伝えると、ほのかちゃんはがっかりどころか、地に沈んじゃいそうなほど落ち込んでしまった。せっかく根回しして皆も誘ったのにね。

 

「深雪、そんなに罪悪感を抱かなくていい。予定あるんだから仕方ないよ」

 

雫ちゃんが慰めてくれる。

エリカちゃん達も、私たちも去年そうだったし、と気にしないでと声を掛けてくれた。

でもその予定が終わって落ち着いたら連絡が欲しい、と冬休み中全く会えないのはつまらない、とも言ってくれた。

皆の優しさが嬉しくて――苦しかった。

 

「ありがとう」

 

そう返すのが精いっぱいだった。

皆と過ごしたかった、なんて言えなかった。

最寄りの駅に着く。

もう、皆とお別れだ。

 

「あのね、皆に渡したいものがあるの」

 

そう言って取り出したのは今時珍しい白い紙の封筒。切手のない、宛名だけ書かれたシンプルなそれを、皆に手渡した。

 

「本当は郵送しようかと思ったのだけど、それで日時がずれたら嫌だな、と思って」

「なーに?時限爆弾でも仕込まれてる?」

「エリカ、物騒」

 

エリカちゃんのジョークに皆が苦笑いを浮かべる中、私はにっこりと笑って。

 

「流石エリカね。正解よ」

「ぅえ?!」

「もう、開けてのお楽しみだったのに」

 

エリカったら当ててしまうんだもの。とくすくす笑うと、皆手元の手紙を凝視していた。その様子がおかしくて更に笑みも深くなる。

 

「深雪」

 

お兄様の窘める声に、私は素直にごめんなさいをする。

 

「手紙が爆発することはないわ。でもきっと皆がびっくりするから」

「いったいどんな怖いことが書いてあるのよ・・・」

「エリカ、透かそうとしないで。フライングはダメよ」

 

エリカちゃんがおっかなびっくり手紙をひっくり返しては上に翳したりしていた。

透けるほど薄くはないけどね。

 

「ってことはこれクリスマスカードじゃないんだ」

「見た目はそれっぽいけれど、どっちかと言ったら年賀状のほうが近いかしら」

 

はがきによる年賀状文化は廃れました。

言葉が残っているくらいだから完全になくなったわけではないし、小学校では昔の文化を知ろう、と黒電話と並んで学ぶ。百年も経てばあらゆるものがひとまとめだ。

 

「ネンガジョウ・・・」

「つーか手紙自体初めてもらったわ」

 

紙でもらうことなんてほとんど無いからね。

 

「一斉送信のメールもいいけど、こういうのもいいかなって」

「それで、深雪。これはいつ開けていいの?」

「年賀状だからお正月って思ったけど、皆は正月に初詣行くのでしょう?だったら二日が良いわ」

「二日?皆で顔合わせた時じゃダメなの?」

「元旦はそれだけで盛り上がれるでしょう。だから、二日か三日がいいのだけど」

 

なあに、それ。とエリカちゃんが笑うと皆が笑う。私も、お兄様も、水波ちゃんも控えめに笑う。

 

「わかった。深雪の我儘を聞いてあげる」

「ありがとう」

「じゃ、この手紙は二日に・・・そーね、お昼ごろ開けましょうか。どっかの誰かさんが新年早々寝坊するかもしれないし」

「誰のことだそりゃ?自分のことか」

「んなわきゃないでしょ。ウチは通常営業よ」

 

エリカちゃん家は正月からずっと忙しいみたい。吉田くんもそうみたいなんだけど、今年は正月お参りする時間は作れたらしい。

皆それぞれ家の事情で忙しい。

 

「一体どんなことが書かれてるのかしら」

「楽しみですね」

 

それぞれが手紙を仕舞うのを見て、皆解散した。

 

「今年もお世話になりました」

「来年もよろしくね」

「よいお年を」

 

定型の年末の挨拶。

それに私たちも手を振り返して。

 

「よいお年を」

 

心の中ではぶんぶんと、表面上はおしとやかに手を振ってお別れ。

ほのかちゃんは最後まで別れが寂しそうにお兄様を見つめていたけれど、お兄様は苦笑して手を振り返していた。

――とても素敵なクリスマスだった。

 

「ところで、あの手紙には何が書いてあるんだ?」

 

俺には貰えないのか、とお兄様。

 

「お兄様は直接年明けにご挨拶できますでしょう?」

 

くすくすと笑えば、お兄様は残念だ、と肩を抱き寄せた。

水波ちゃんがいるのに珍しい、と思って見上げると、お兄様は気遣わし気に私を見ていた。

・・・お兄様、察しが良すぎますよ。鈍感が売りでしょうに。

何も答えない代わりにお兄様に少し凭れ掛かる。

 

(楽しかったの。本当に)

 

そこに偽りはない。ただ、隠した想いがあるだけで。

 

「深雪姉様、帰ったら温かいココアでも淹れましょう」

「いいわね。マシュマロも浮かべてくれる?」

「ご希望通りに」

「ふふ、嬉しい」

 

こんなに甘やかされて、幸せにしてもらって、私は恵まれているなと改めて実感する。

 

「ありがとう」

 

寒い冬も乗り越えられそうな温かさに包まれて帰宅した。

 

 

――

 

 

お兄様がFLTに向かわれたその日、我が家に珍しい訪問客が現れた。

津久葉夕歌さんだ。

垢抜けた、都会に馴染んだ女子大生のイメージを形にするとこんな感じ、というおしゃれ感。・・・伝わる?この表現。

七草先輩とは違うテニスサークル女子、みたいな。

七草先輩はほら、お嬢様があふれ出ちゃってるけど、夕歌さんのそれはサバサバに隠されちゃってる。

挨拶代わりの淑女の応酬に顔が引きつらずにいられるのは心にお母様を抱いているから。

お母様の嫌味攻撃・・・ではなく、淑女のご挨拶に比べたらこの程度、微風ほどにも思わない。

しっかし、高校生活で実力を隠さなくていいのかと言われてもこの見た目で隠したらその方がバレた時に大事では?

魔法師、容姿で強いかの目安として判断できる。お兄様は例外と言われるけどお兄様だって十分カッコイイよ!

って話が脱線しやすくて困る。ついね、これから訪れるストレスを緩和するためにか、思考が逸れやすい。

水波ちゃんの淹れてくれた美味しい紅茶を飲みながら、夕歌さんの提案を待つ。

彼女は私に一緒に慶春会へ行こう、と誘いに来たのだ。

自身のガーディアンがいなくなっちゃったから、と。

 

「いなくなった、とは。それはご愁傷様です。次を手配されるまでまだ時間もかかるでしょうからご不安でしょう。ちなみにお相手はお判りに?」

「分からないわ。狙われる当てが多すぎて」

 

うん、まあ。これが他の十師族だったならまだ絞り込む先が少ないだろうけど四葉だからね。狙われる理由が多すぎる。国内外関係ない。

殺す為なのか攫うためなのかそれさえもわかってないらしい。

でも津久葉家が四葉とはバレてないはずなんだけどね。何処からどう彼女が狙われるというのか。

特殊な研究をしていることは調べればわかる程度で隠されていないからそっちから狙われた可能性もある。

どこかの部署が調べてるんだろうけど、こっちまで情報がきてないということはまだ上げられるだけの情報すら拾えていないのだろうか。

うちの人を派遣する?こっちも今別案件で人員カツカツなんだけどね。

 

「それにしてもご愁傷様、なんて。彼女にしたらやっと楽になったというところじゃない?もう身代わりになる恐怖から解放されるわけだし、そもそもこんな我儘娘の世話をしなくて済むんだから」

 

夕歌さんの態度は亡くなった人に対する敬意などは無く、退職したくらいの軽いノリに見えた。

 

「あら、仕事上の関係しか築けないのではやりがいのない職場ですのね」

「・・・深雪さんのところは身内だから違うでしょうけど」

「それはそうですわね」

 

隙あらばの嫌味攻撃。・・・したくもないけどこれも淑女のお仕事です。

隙があるとちくちく刺さないといけないなんて嫌なお仕事だね。でも夕歌さんにしては珍しい隙だ。目の前で亡くなられたんだよね。

それを何事も無かったかのように振舞うのは、まだ二十代になったばかりの女性には無理があった、ということなのだろう。

あと、ガーディアンはお兄様の他に水波ちゃんもいるけど、なんていう必要も無い。もう私にとっては身内判定だし。

勝成さんのところも仕事関係以上の絆を結ばれているけれど、とか。あそこは公私混ざっちゃったから。

あの二人の忠臣っぷりから見て勝成さん自身が良い人なんだとわかる。四葉が愛の一族だって証明する一人だよね。

 

「それで、どうするの?私と行く?行かない?」

「そうですね。いずれ一緒に行くことになるのでしょうが、今はお断りをしておこうかと」

 

にっこり微笑んで紅茶を一口。何もかもすべてまるっとお見通しですよと言わんばかりの余裕の態度に、夕歌さんの目が鋭くなった。

 

「・・・どういう意味?」

「それは夕歌さんの方がよくお分かりなのではないでしょうか。それともわからないふり・・・いえ、私を試されているのかしら。――狙われるのでしょう?私たちは。慶春会へ向かえないように」

「なぁんだ。深雪さんたちも知ってたんだ」

 

あっさり認める夕歌さんだけれど、内心動揺しているのか体をソファに預ける振りをして体の緊張を解している。

魔法を使わずに心を静める方法を熟知しているのは心理学にも精通しているからだろうね。精神構造を知るにはまず通る道だろうから。

だけどごめんね。もう少し揺さぶらせてもらうよ。

 

「いいえ」

「揶揄ってる?」

「そちらもノー、と答えさせていただきます。知っているのは私だけ、ということです」

「・・・達也さんは知らないってこと?」

「そうなりますね」

 

お兄様は今頃貢叔父様から聞かされている頃でしょうけど。

正解を導き出した夕歌さんはここでようやく紅茶で喉を潤した。

 

「でも、いずれ一緒にっていうのはどういうこと?」

「大掃除が終わった頃には周囲の騒ぎも大きくなるでしょうから。私たちだけで抜け出すには少々骨が折れるでしょう。そこに夕歌さんが颯爽と現れれば、私たちは恩義を抱くことになるでしょうね」

 

ちなみに、狙われることについては原作知識だけで言っているわけではない。

原作軸から離れるつもりなのにいつまでも原作知識だけに頼っていてはいずれ大きなずれが起きることは予測できるわけで。

きちんと裏付けはしないとね、ということですでに裏は取れている。

 

「・・・恩を売りつけるタイミングまでわかってるんだ。まさかご当主様並みの直感が?」

「そのような能力があれば私はもっと有効活用していたと思いますけれど。避けられる危機はたくさんあったでしょうから」

 

そんな有能な直感なんてあったら、お兄様を要注意人物として認識させるようなことにはなっていないはずだ。

危機が訪れるたび大規模な奇跡の魔法を繰り出しては、敵味方関係なく危険視されていくのだから。

それを回避する術があるならばとっくにしている。

 

「それはともかく。そういうことですので、しばらくはご一緒できないと思われます」

 

夕歌さんと一緒に行って戦闘に巻き込まれ、迷惑料に次期の椅子を譲れと言われても困る。

夕歌さんが同乗した時点で襲撃が変更になる可能性は――はっきり言えばゼロだ。

なにせ、用意された駒は私たちの正体を知らないのだから。ただ、関係者が通るだけ、そう思わせているだけなのだから。

分家もまさか夕歌さんが共に動くとも思わなかっただろうしね。

 

「そ。分かったわ。・・・私の取り越し苦労ってことがね」

「そんなことはございません。心配してきてくださったのでしょう?ありがとうございます」

「よしてよ。私はただ利用しようとしただけなんだから」

「なら、お互い利用価値があるようでよろしゅうございましたね」

「深雪さんがそんなに食えない人だと知っただけ、今日は有意義だったかしら」

 

夕歌さんはお疲れの表情。ごめんね、疲れさせちゃって。淑女って大変だよね。腹芸は苦手です。

帰る彼女を玄関まで見送って、そういえばここまでガーディアン無しで来たんだよね、と思い出した。一応護衛はいるだろうけど。

 

「気をつけてお帰り下さいませ」

「深雪さんが言うとシャレにならなそうなんだけど」

 

あら、なんてない言葉で怖がらせてしまった。本当に何もないのだけど。にっこり笑ってお別れを。

なんにでも警戒することは悪いことではないですからね。

リビングに戻ると水波ちゃんがミルクティーを淹れなおしてくれたところだった。ありがたい。温かくて甘くておいしいものが飲みたかったの。

 

「・・・深雪様」

「お兄様には内緒ね」

「ですがっ」

 

水波ちゃんも判断が難しいんだろうね。

今までのお話を聞いて、心配事が増えただろうから。でもゴメンね。詳細は教えられない。

 

「夕歌さんが来たことは言うわ。でも、それだけ。襲撃が予定されていることをこちらからお兄様に伝える必要は無い。――これは一種の裏試験みたいなものだから」

「裏、試験ですか?」

 

と、言うことにさせてください。実際のところ本当に年末のお掃除を押し付けられているだけなのです。

分家の方々も本気で私たちを来させたくないのだとしたら、こんな片付けの押しつけしないでしょう。

お兄様の実力恐れているんだから。自分たちでどうこうできる相手がお兄様の足止めになるなんて思わないだろうから。

・・・だよね?そうであれ。でなきゃ本当、赤っ恥ですよ。

 

「本当は水波ちゃんにも秘密なんだけどね」

「!そ、それはもうしわけ――」

「仕方ないわ。不可抗力よ。まさか夕歌さんがわざわざ忠告に来てくれると思わなかったから」

 

・・・ちょっと不安になったので後で叔母様にお話しておこう。ちょっとした裏試験なんだと口実が無いと恥ずかしいことになっちゃうよ、と。

水波ちゃんは神妙なお顔で、とりあえず納得してくれたけれど、うん。そのまま誤魔化されてね。お家の恥を使用人にまでバレたら恥だから。

 

「それにしても、夕歌さんのガーディアンの方が亡くなられたなんて。・・・水波ちゃんは知ってる?」

「はい。夕歌様のお世話をさせていただいた時に付いていた方が恐らくそうだったのかと。ですがお見掛けしただけで交流はありません」

 

まあ人数少ないと言っても働く部署、仕える主が違い、交流も無ければすれ違うことすら少ない。

数少ないガーディアンとその候補だとしても一緒に訓練することもない。それぞれ用途が違うから、魔法が違うから一緒にということはそうない。

幼少期ならあるかもしれないけれど、年齢が離れているとそれだけで一緒に訓練することはないだろうから。

お兄様は大人に交じっていろんな訓練に参加させられていたけどね。お兄様は例外です。

それにガーディアンって四葉では地位が低いから。肉の壁になれってことだからね。

だから夕歌さんのような反応は四葉内では何もおかしなことではない。というより他家でもそう大差はないのだろう。

あのコミュニケーションおばけの七草先輩だとてボディーガードの名倉さんとそこまで親しい間柄ではなかったということだったし。

 

「ごめんなさいね、水波ちゃん。夕歌さんは自身を我儘だと言っていたけれど、私の方がガーディアンに我儘を押し付けているわね」

「・・・以前にも申しました。深雪様の我儘は私には都合のいいものばかりです。気に病まれることなど何もございません」

「ありがとう」

 

いい子。私にはもったいないくらいいい子!

ニコニコ微笑んだら久々に恐縮されちゃった。可愛いね。

お兄様が帰って来たのでお出迎え。

いつもと違う雰囲気を感じたのか、はたまた私を見ていて来客に気付いたのか――多分後者かな。

 

「それで、何の用だったんだ?」

「はい。それが――」

 

夕歌さんが襲われ、ガーディアンが亡くなられたこと。

慶春会までの道のりを一緒に行かないかと誘われたことを伝えた。

 

「いかがいたしましょうか」

 

すでに断ってはいるけれど、お兄様にもお伺いを立てる。答えは一緒なのはわかっていた。

 

「断ろう」

 

しばらく考えたのち導き出されたお兄様の答えに私は了承したと頭を下げた。

水波ちゃんはずっとキッチンで作業をして背を向けていた。

 

 

――

 

 

さあて、やってきました無駄足チャレンジ一日目!29日は伝統派のように十師族に恨みを持つ強化サイキックを率いた対大亜連合強硬派の方たちでしたかね。

強硬ではなく敵国の力を削ぐことに注力してくれていれば殲滅することにはならなかった。

敵に利用される者は早めに処分を、と上層部が考えるのも当然の決断と言えよう。彼らの思想は国内に分裂を招く。

四葉分家も強かだよね。自分たちの任務を押し付けて高みの見物だもの。給料差っ引くよ。

嵩張る荷物の一つでも持たしてもらいたいけれど、お兄様と水波ちゃんが箸より重いものを持たせないと言わんばかりに何も持たせてくれなかった。

駅までは普通の移動ですからね。どこぞの大陸の人たちのように管制をジャックして、なんて手荒な真似はしない。

何故なら一応彼らは愛国心ある軍人さんなのだ。日本国に不利なことなどはしない。・・・というよりできないだろうね。

そんな技術を持っている人もいないだろうし、そもそも人質を取って言うことを訊かせたい人間が被害を大きくして罪を重ねたくはないだろうから。

最小限に抑えて少しでもで罪を軽くしたいと考えているはずだから。

・・・誘導されていたとはいえ、勝手に人造サイキックを連れ出している時点で罪は重いと思いますけどね。我が国の隠したい罪の一つなのだから。知った時点でアウトだ。

四葉、人が悪すぎる。効率的ではあるんだけれどね。

キャビネットに揺られながら移動している間、水波ちゃんが緊張しているのか黙り込んでいた。

黒羽貢による警告をお兄様はその日のうちにお話になった。忠告って形でマイルドに、だけどね。

だけどその前に夕歌さんとの話で襲撃を聞いていた水波ちゃんはより一層真実味を感じて、身を強張らせていた。

彼女はガーディアンに選ばれたとはいえ、まだ高校一年生の少女だ。いくら覚悟ができていると言っても、実際の戦闘経験はまだ少ない。

たった一年しか違わないお兄様や、同い年でも黒羽の姉弟とはまた違う環境だからそこまでの実戦慣れはしていないのだ。

だけどまだ襲撃の恐れあり、の情報だけで日にちもあるのだから、と伝えると彼女は恥ずかしそうに縮こまってしまった。

こういうところが普通の女の子然としていて私はとても気に入っている。四葉にはいない、新鮮な反応です。ずっと傍に置きたいくらいに清涼剤。好き。

お兄様もそんな水波ちゃんを咎めることも、無理に落ち着かせようともしなかった。

ただ――

 

「深雪、寒くはないか。もう少しこちらに寄りなさい」

「あの、」

「寄りかかれば多少温かいだろう?」

 

お兄様、ここはお外ですよ。そんな肩を抱き寄せなくても。

キャビネットの中は空調もしっかり効いているので寒くはないし、コートもしっかり着込んでいるのに。

 

「手も冷えているね」

 

ええっと、それは元からの冷え性ですね。密着度が家並みに高いのですけれど。

お兄様どうしました?ここは確かに監視されてはいないでしょうけれど・・・ストレス対策?

お手手が掴まれたと思ったら指を絡められて恋人つなぎになってにぎにぎされてます。

深雪ちゃんのお手手はぷにぷにしてないのでスクイーズのような気持ちよさは無いと思うのですがね。

 

「お兄様、その・・・何かございましたか?」

 

もしや私の感知していないところで何かあったのだろうか。

口元が見えないようお兄様の胸にしなだれかかるようにして小声で尋ねるのだけれど。

 

「心配しなくても何もないよ。それとも何かなくては深雪とこうして触れ合ってはいけないか」

 

いけないわけではないけど・・・うん?ないのか??

お兄様の肩に乗せられていた手が滑るように首の方に近づいて――

 

「!達也様、深雪様から離れてください!いくらご兄妹とは言えど距離が近すぎます!!」

 

あったね。水波ちゃんが復活しました。そうだよ。距離が近すぎだ。水波ちゃんがいるのにお兄様にしては――と、そういうことか。

お兄様はお兄様なりに水波ちゃんの緊張を解こうとしていたんだ。

・・・その方法が私にちょっと負担がかかっているだけで。

負担と言っても嫌なわけではもちろんなく、心臓への負担なのだけど。お兄様、私の心臓だけは労わってくれない。

でも水波ちゃんの緊張が無くなったようでよかった。

お兄様は軽口を叩いて水波ちゃんをいなしつつも、最終的には彼女の言う通りに手を離した。ほっと一安心。

水波ちゃん、ちゃんと貴女はガーディアンができています。守ってくれてありがとう。

そんなこんなで待ち合わせの駅に到着。

 

「本日はよろしくお願いしますね」

 

本日の運転手に声を掛ければ一瞬惚けた後、シャキッと背筋を伸ばしていいお返事を。声が固かったのは今後のことを知っているからかと考えるのは疑い過ぎかな。

彼には彼の仕事があるから必要以上に突きはしない。運転よろしく。

水波ちゃんは彼と交流したことがあるのか和やかに話しかけていた。水波ちゃん、お外だとそんな感じなのね。あまり使用人同士の交流を見たことが無かったので新鮮。

そしてお兄様には、うーん無反応かぁ。悪態を吐くよりましだけれど、原作深雪ちゃんがこれを見たら荒れるぞぅ。

 

「もう少し柔軟に対応ができれば嬉しいのだけれど、貴方は私を喜ばせるのがお仕事では無いものね」

 

仕方が無いわ、とチクリと言えば深く頭を下げられて謝られた。うんうん、謝るくらいなら初めからしないようにね。無理しなくていいよ。運転が仕事だものね、とにこにこと。

お兄様からはほどほどに、と苦笑を頂いて後部座席に誘導される。もうトランクは積み終えたよう。水波ちゃんも助手席に乗り込む。

さ、映画さながらの危険なドライブへと行きましょうか。

 

 

 

 

・・・なんて。実際体験するとお兄様の隣という安全地帯にいるとわかっていてもびっくりはする。

人家が無くなると同時にお兄様が反応を示した。その口を開くより早く、私が警告を口にした。

 

「襲撃です!」

「、グレネード弾前方二、後方一」

 

お兄様の反応が少し戸惑った瞬間があったのは私が声を上げたからだろうけれど、この方が早いから。

運転手の態度でお兄様の指示に従うようには見られなかったから下手な自己判断をされるよりいいかと思って。

お兄様の声に水波ちゃんが反応して瞬時に対物・耐熱障壁の魔法を展開しようとしたのだけれど、不協和音のような嫌な波動を感じた。

この時すでにお兄様は相手がどのような魔法を行使していて、目的を理解し、相手の目星をつけて水波ちゃんに指示を出す。

 

「水波、魔法を中止しろ」

「、はい!」

 

何故、何、などの問答もしない。魔法を中断する水波ちゃんを確認することもなくお兄様は斜め上を右手で指差す。

車内で、窓から顔を出すわけにもいかない状態で見える範囲は限られている。だから何が起きているかはわからないがお兄様が攻撃を退けていることはわかる。

窓の外で何かが飛来しているのが見えたかと思ったらその方向で小爆発が。でも余波が来るほどの衝撃ではない。

特撮とかでよく見る小爆発の横を通り抜ける光景に、こんな時だというのにちょっぴり興奮した。

そして今度は左手で空を払うようにすると、漂っていた不協和音が綺麗さっぱり消えた。

実際に聞こえているわけではないけれど不快だったので助かりました。ありがとうございますお兄様。

水波ちゃんが仕事を全部お兄様に取られて落ち込んでいるけれど、もう魔法使えるから対ショックの防壁張っても大丈夫だよ。

 

「町へ引き返すんだ!」

 

お兄様の短い指示に、私は間髪を空けずに繰り返す。

 

「車を町へ戻してください」

 

全部お兄様に任せて強行突破で先に進もうとする運転手は私の指示に従い了承を伝えるとハンドルを大きく切った。

お兄様の指示には従わないくせにその力をあてにしようなんて、一体どんな教育をされてるんだか。ガーディアンの地位が低いとこういう時に不便だ。

特に、分家当主から指示を受けている彼にはこれが当たり前の反応だったのかもしれないけれど。

これが終わったら教育方針について叔母様と要相談かな。

 

「水波、深雪を頼む」

 

お兄様は懐から特殊サングラスを取り出して掛けるのだけど――カッコいいよね。映画みたい。

 

「はい!」

 

動揺しているだろうに水波ちゃんは力強く応えた。

 

「深雪、駅前で落ち合おう」

「ご武運を」

 

心配しないわけじゃないけれど、お兄様を引き留めることなどできない。

窓を開けながらわずかにサングラスをずらしてチラリと向けられる視線に頷いて返すけれど、口元には一瞬苦笑が浮かんでいるように見えた。ほんの、一瞬だけれども。

サングラスをしっかり顔にフィットさせて人相を隠すお兄様は、本当に映画の主人公が出撃する前のよう。

窓を開けたのは運転手がハンドルを切るタイミングを計ってなのか。そこから飛び出すところも自身の身体能力を把握できているからこその動き。

お兄様が主演の映画ならいくら払ってでも見たい。何回でも通う。

ハリウッドも驚きのスタント無しの一発撮りですよ。カッコ良すぎる。

こんな時だというのにときめかせないで欲しい。まだ緊張感漂ってないといけないのにお兄様に見惚れそう。

でもお仕事はしないとね。

見事なハンドルさばきでUターンを決めたけれど、中もなかなかの遠心力で、如何な衝撃を和らげる素材の座席であろうとも内臓にまで衝撃が来ますからね。慣性制御の魔法を三人に掛けて衝撃を和らげる。

運転手が驚いているけれど、貴方は運転に集中していてください。

 

「水波ちゃん、念のため対物の障壁お願いね。お兄様が打ち漏らすことはありえないけれど、この先に隠れている敵がいないとも限らないから」

 

注意を怠らないように言えば水波ちゃんは対物のみならず、耐熱障壁も同時に掛ける。

うんうん、さっきのこともあってか気合が十分。大丈夫だよ。私もサポートするから。いつでも魔法を掛けられるように準備はして。

警戒も立派なお仕事です。落ち込んでいる暇は有りませんよ。

駅に近くなったころには周囲に警戒すべき気配は見当たらなかった。追手はかかっていないようだ。お兄様が全て引き受けてくださった模様。

 

「さて、ではこの車はこのままどこかを走らせてから本家の指示を仰ってから戻ってください」

「、このまま本家へ向かわれるのではないのですか?」

「街頭カメラに映った車で移動をするリスクを背負ってまで予定を強行しなければならないわけでもありませんから」

 

運転手的には己の任務を遂行しようとしたのかもしれないけれど、もしや街頭カメラに気付かなかった、ということはないよね。

関わっていたと思われるだけで時間を取られるのは明白――、それも狙い?いやでも四葉とばれることは分家の彼らも望むところではないはずだ。

 

「カメラのないところへ降ろしてください。水波ちゃん、ちょっと大変だけれど二人で運べば一度で済むから我慢してね」

 

この場合の我慢は、嵩張る荷物を運ぶことではなく私が運ぶことを許容してね、ということである。

水波ちゃんはしょんぼりしているけれど、往復している時間が無いことはわかっているのでしぶしぶ了承するしかないのだろう。

複雑な使用人心だね。水波ちゃん、いくつ心を持っているの?乙女心といい大変だね。

ということで駅前からちょっと離れたスポットで荷物を下ろして運転手とはお別れ。電話も遠くでしてね。電波傍受とか厄介だから。

心の中でハンカチを振ってお別れして荷物を運ぶ。嵩張るだけでたいして重くもない。

だからそんな心配そうな顔をしないで欲しい。これくらいじゃ痕もつかないから。

 

「水波ちゃんは心配性ね」

「・・・深雪様が落ち着かれているのは、襲撃犯がわかっているからなのですか?」

「いいえ。襲撃犯が誰かとか、関係ないの。ただ、状況的に誘拐はされても、殺しが目的ではないと確信しただけよ」

 

でなければ初手であんなジャミング擬きの攻撃をすることもなければ、グレネード程度の攻撃をすることもない。

普通の車だったなら一発でアウトだけどね。普通車に見えるようでいてこの車もかなり改造している。グレネードがブラフで、続く榴弾で車をひっくり返しでもして人を攫う算段だったのだろう。

車がいくら頑丈でも爆風や衝撃でひっくり返ることは防げない。魔法を使えれば問題無いかもしれないが、相克状態で魔法は使えない。

それなりに勝算があったんだろうけど、お兄様の分解魔法は妨害できないから。

 

「誘拐、ですか」

「ええ。もしそうなったら世間知らずのお嬢様をするから、水波ちゃんは年相応の新米メイドさんとしておどおどしていてね。間違っても身を挺して守ろうとしちゃダメよ」

「どうしてです?」

「二人いるとね、一人を甚振れば一人が大人しく言うことを訊く人質が有効になる。甚振られる言動だけで怯えれば二人とも傷つくこともないかもしれない。まあ相手に嗜虐趣味があるようならまた対処が違うのでしょうけど、今日の彼らの武器や動きを見る限り軍人のようだったから、人質の扱いは丁重のはずよ」

 

これが大亜連合の前、大漢のような目的で連れ去られたのだとしたら――世界が滅びるだろうけど。お兄様を止められる気がしないもの。

国一つで済めばいいね、っていう。その前に私が敵を全部凍らせちゃうけどね。そうすればお兄様も暴走しないで済むだろうし。

でももし魔法が使えない状態になって私が身動きも取れない状態になったその時は、まあ、滅んで?

 

「・・・そうならないよう、深雪様をお守りします」

「そうね、その前で止められたら止めましょう。攫われてお兄様と離れ離れになったら大変だもの」

 

主に、敵が。そしてお兄様のその後が。お兄様を暴発ばかりさせちゃうとお兄様を封印したい組が張り切っちゃうのでね。

話している間に駅の待合室へ。重くは無くても嵩張るモノを運ぶのは大変だ。ふう、とため息を吐いて椅子に座る。

無人の待合室なので周囲を気にしなくていいのはいいね。

正午過ぎに家を出て、キャビネットに揺られて一時間で、車に乗って少し走らせてからの襲撃。

目まぐるしく動きまわっていたけれど、まだ3時半にもなっていなかった。

あれだけの人数を相手にして、となると背後を探ろうとすることも考えてお兄様がここに戻られるまでまだ時間がかかるだろう。

 

「水波ちゃん、お茶にしましょう」

 

私は鞄の中からお茶菓子を取り出した。

 

「・・・かしこまりました」

 

水波ちゃんから準備の良さに呆れたような視線を向けられたけど、慌てても何も無いから。

お兄様を心配しっぱなしで水波ちゃんに迷惑をかけるのも嫌だもの。

 

(そう、お兄様なら大丈夫)

 

必ず戻ってきてくれるから。

 

 

 

 

お兄様が戻られたのはそれから30分後だった。

いきなり立ち上がった私に水波ちゃんは驚いたようだけれど、私の表情と、手にCADが握られていないことに気付いたはずだ。

待合室を飛び出てすぐ、お兄様も駆け寄ってきてくださった。

激しい戦闘をしたのだろう。

お兄様の恰好に今走ってきた以上の乱れはないが、漂う香りは激しい戦闘があったことを教えてくれる。それでも、再生を使うような怪我はされてないことが救いか。

抱きつきそうになるのと胸の前で手を組むことで抑えてお兄様を見上げると、お兄様は微笑みを浮かべられて。

 

「すまない、待たせた」

 

そう頭を撫でてくださった。

 

「ご無事で、何よりです」

 

その手に頭を押し付けるように擦り付けると、お兄様のその手が滑り落ちて肩を抱き寄せられて、水波ちゃんの待つ待合室にエスコートされる。

水波ちゃんにも労いの言葉を掛けたお兄様は一旦座るように促してから自分も腰を下ろした。私の肩にお兄様の腕が回ったままなので隣に座るのは必然だった。

それを水波ちゃんがジトっとした視線を向けるまでがセット。いつものやり取りにほっとする。

 

「迎えの車は返したのか」

「はい。襲撃の模様は問題ないでしょうが、向かう途中街頭カメラに撮られていたに違いありませんので、本家へ直接戻らぬよう言い含めて。・・・留めておいた方がよろしかったでしょうか?」

「いや、お前の判断は正しいよ」

 

正解、というように頭を撫でられる。わーい。

水波ちゃんの視線が鋭いのは、それ以上の接触をさせない、というプレッシャーだろうね。

お兄様はそれを楽しんでいる様子。あまり水波ちゃんを困らせてはいけませんよ、お兄様。やり過ぎると晩御飯から和食のメニューが消されちゃいますよ。

 

「今日は一旦、自宅へ戻る。明日出直すからその迎えを依頼してくれ」

 

お兄様や水波ちゃんから本家に掛けると遠回りになるから直接私が掛けた方が早い。

スチャッと携帯情報端末を取り出して本家へピポパっとね。

電話に出たのは小原執事。落ち着いた良いお声、何だけれどね。

電話口で散々私のみ安否を問われ、大丈夫だと言っているのに言葉を重ねられればうんざりもする。

その上不手際を詫びられるけれど、そちらは何にもないでしょうに。運転手だって悪くないんだから。

そこまではまだいい。面倒だけれど執事として謝罪したい気持ちは受け取りましたとも。

だけど迎えの車を寄越すと繰り返される主張がしつこ過ぎた。

映像付きではないにもかかわらず、にっこりと微笑んで。

 

「それはどなたからの指示でしょう?私を今日中に迎えいれるようにと、ご当主様がご命じになられたのですか?それは存じ上げませんでした。今すぐご当主様にお詫びを入れないといけませんね」

 

わざとらしく叔母様をご当主様呼びで強めに訴える。

わかっているよ。叔母様はそんな命令を下しては無いものね。

 

「、そのような指示はございません!」

「ではなぜ、そこまで執拗に本日迎えを、と?私に命令をできる方は限られています。それとも、私はいつの間にか次期候補から外されるのだと、皆様の周りで噂にでもなっているのでしょうか」

「けっして、そのようなことはございません!!」

 

これは教育し直しが急務な気がする。

おかしいよね。私帰るからいらない、明日の手配お願いね。叔母様には帰宅してから報告するからって言ってるのにどうしてそんなに迎えを寄越すって言われるんだろう。

もしや警察に絡まれて足止めを考えられてる?流石にそれは無いか。どのみち明日の襲撃があるんだし。

・・・その襲撃ポイントに向かわせたい、とか?きっと今の内からチェックを兼ねてスタンバっている可能性も?でもそのまま真直ぐ向かえば本日中に本邸に着いてしまうよ??

単なる小原執事一人の暴走なのかな。今日中にこちらに来れば襲撃はない、とかこちらを心配して?

だとしたらいじめ過ぎたということになるのだけれど・・・、それにしても気に入らない。

都合を押し付けられたような気持ちにさせられるようなやり方は仕えるものとしていかがなものか。

 

「再度、お伝えします。本日はこのまま帰宅しますので、明日の車をお願いします」

「は、何時なりと、お心のままに」

 

何やらびしぃっ!と音が聞こえてきそうな畏まり方。普段から大袈裟な言動が目立つ人だったけれど、なんだかな。見えなくても煩い気配。

葉山さんの洗練された動きを見習っていただきたい。

お兄様に何時がいいかと視線を向ければ端末の画面を見せてくれた。

 

「では午前十時にお願いできますか」

「畏まりましてございます」

 

不安になる即答っぷり。今なら無理難題もyesと言いそうだね。思いつかないから言わないけれど。

 

「明日、よろしくお願いします」

「はっ!深雪様、お帰りの道中、お気をつけて」

 

・・・知ってる?それ、フラグって言うんだよ。

まあ、別にいいけどね。この人が仕掛けるわけではなく、本心で心配してくれているのだろうとわかったから。

さて、キャビネットもいいタイミングで来たようだし、乗りましょうか。

・・・残念ながら水波ちゃんの横に並べられた荷物に触れることもできず、水波ちゃんとお兄様に取られてしまった。

 

――

 

 

襲撃されることもなく無事に帰宅。荷物の中身はほぼ変わっていないのでこのままで。

服だけは着替えたいので一旦部屋に戻ってからリビングへ。久しぶりにお兄様にコーヒーが淹れたい、と水波ちゃんにお願いすれば、今日のストレスを鑑みてか、譲ってくれた。

二人の時間の時は私が淹れさせてもらえるのだけれどね。水波ちゃんがいる時は彼女の担当なので。

ガリガリとしたこの振動が、ささくれ立った心を落ち着かせてくれる。それに、いい香りだ。

わかっている。小原執事が悪いんじゃない。アレが四葉の普通なのだ。・・・その中でちょっと彼がオーバーなだけであって。

徐々に意識改革をしても数十年積み重ねてきた習慣には敵わない。

改めて自分の影響は弱いのだと思い知らされるけれど、変わっている部分もあることはわかっているから。

地道な活動は無駄にはならない。させないためにも、私は四葉の次期当主になる。

 

「どうぞ、お兄様」

「ありがとう」

 

お兄様にコーヒーを運ぶタイミングで水波ちゃんが私と自身の紅茶を淹れてきてくれた。ありがとうね、私の我儘を聞いてくれて。

そう微笑めば、水波ちゃんも慣れたもので目礼で返してくれた。

全員が着席したことでお兄様は今日起きたことを纏めてくださった。

襲撃犯は国防軍が開発に失敗した身体強化併用型人造サイキックを主力とする、国防陸軍の士卒だったこと。

何故襲ってきたかは警察の介入があり確認できなかったこと。

そもそも人造サイキックとは何かの説明もしてくださったけれど、水波ちゃんには酷な話だっただろう。

彼らの開発自体は既に打ち切られて40年になるが、その間ずっと軟禁状態で過ごしていたのだと。実験当時は二十歳そこそこだっただろうから皆60を超えていること。

そして軟禁施設が諏訪・松本方面にあったのだろうということ。

 

「なんの役目も与えられず、ただ閉じ込められて・・・」

 

四葉の人間である私が、彼女を慰めることはできない。

顔を伏せ、目を固く閉じた彼女を抱きしめる権利はない。

 

「・・・しかし、そのような施設から被検体を連れ出せるものでしょうか?仮に全員が志願者だったとしても、人体実験の生き証人です。私たちから見れば今更ではありますが、軍としては世間、特にマスコミには絶対に隠しておきたい存在なのでは」

 

そうだね。ばれたら一大事。だからこそ早々に処分という決定になったのだろう。

今は人間主義者の動きも活発になっている上に、軍内部に随分と余計な異分子が入り込んでしまって変質してしまったから。

我が国のためにならない者は徹底的に処分・隠ぺいってことなんだろう。こういうのはぐずぐずしていると再編に時間がかかってしまうから。

・・・御上の都合で人の人生をコロコロ変えてしまうのだから、変えられた方はたまったものではない。

しかしそんな事情を深堀しても誰も幸せになれない。

 

「まさかとは思いますが、私たちを襲撃するのに国防軍が関与しているということは」

「それはない。国防軍の幹部層が黒幕なら、あんな中途半端な戦力を俺に向けてくるはずが無い。実験体を投入するとしても、もっと強力な駒を用意するはずだ。それこそ、強力過ぎて処分に困っているようなヤツらを」

 

お兄様の実力を知っていて、今お兄様を消そうとするなど愚の骨頂だ。それほど我が国に余裕はないのだから。

理性があり、手綱を握る、あるいは縛る鎖がある状態のお兄様をどうこうするよりも、制御しきれない危険物の処理をお兄様に任せるという方がまだ真実味がある、ということだろうけど、どちらにしてもお兄様を掃除屋として使うのはどうかと思う。

しかも無料奉仕ですよ。・・・やっぱり今回の件、叔母様に相談しよう。

彼らのお仕事を片付けるのはお兄様なのだから。満額分家に渡るのは納得いかない。

 

「夕歌さんは私たちが襲われることを知っていて誘ってくださったのですね」

「そうだろうね。そして、自分が一緒にいれば襲われない、とも考えていたんだろうな」

 

それは・・・どうだろう。夕歌さんの車で行ったとて、ターゲットが私たちであればやむなし、で巻き添えになっていた可能性。

どのみち誰も怪我しないだろうけどね。夕歌さんも自分の身を守る術があるから。

 

「黒羽さんの忠告の件もある。考えたくはないが、今日の襲撃は分家の誰かが糸を引いている可能性が高い」

 

高い、と言いながらお兄様は既に確信しているのだろう。

正解です。

まったく。どこもかしこも内部が乱れ過ぎだ。きっちり早めにまとめ上げねば。

 

「目的がどうであれ、私たちは慶春会に参加しなければならず、妨害されようとそれを突破しなければならない、ということですね」

 

結局のところ、私たちにできることはそれしかない。投げ出すことなど許されないのだから。

そう言えば、お兄様は少しばかり目を見開いてから微笑まれた。

 

「その通りだ。さ、そろそろ叔母上に電話した方が良い」

 

おっと、結構話し込んでましたね。

画面越しで対面する叔母様はそれはそれは妖艶で美しく――じゃなく、私の謝罪を受け入れ明日会えるのを楽しみにしていると微笑まれていた。

裏でニヤニヤ顔が見えるのは多分私の気のせいではない。明日も来れないとわかってますね。

・・・分家の皆さん、バレてますよ。まあ本日の戦闘に関する映像処理があるんだから情報は上がってくるでしょうからね。ばれないわけがなかった。

 

 

 

 

翌日、予定を変更して少し早めに到着した先には、無理を言ったにも関わらずちゃんと車が待機していた。

昨日のようにすぐにマークがつくようなことはなかったが、人家や工場が無くなったところでお兄様が反応した。

使い魔の尾行が付いたとのこと。

気配を辿っても、うん・・・これはわかりづらい。擬態されていると封印されたままでは読めない。

古式魔法ってすごいね。化成体だろうが想子情報体だろうが方向さえわかれば凍らせることはできるんだろうけど、それをしたら煩いだろうからこのままおびき寄せることに。

 

「こちらを見つけ出すのにこれだけ時間がかかっているんだ。敵の陣容はそれほど厚くないはずだが、油断するな。すぐに来るぞ」

 

その言葉は私たちにも向けられていただろうけど運転手に聞かせる意味もあったんだろうね。彼は落ち着いて見えるけど忙しなく視線を走らせ体に程よく緊張を走らせていた。

なかなかできた運転手さんだ。怯えもしないだけで十分すごいよ。自信をもって。

それから10分。緊張が解けかける頃合いにそれはやってきた。

 

「ヘリか」

 

後方にローター音、らしいけど・・・お兄様特別仕様の高性能なお耳をお持ちですね。

だいぶ近づいてきてようやく聞こえた。後ろを追い立てるように来たってことは、前方に仕掛けられるということ。

お兄様もその定石に則って運転手に声を掛け――

 

「ブレーキ!」

 

今日の運転手はお兄様の号令に従った。命の危機を感じていたのかもしれない。

その選択は正しく、横の道からトレーラーが信号無視でツッコんできた。進路妨害の意味なのだろうけど、昨日の運転手ならこれに突っ込んでいた可能性があったことを思うとぞっとする。

 

「水波、俺が離れたらシールドを張れ!」

「分かりました!」

 

息ぴったりだねー。私は大人しく邪魔をしないよう自衛とサポートに務めさせていただきますとも。

お兄様と水波ちゃんからの視線を受けて頷いて返すと二人は目の前の敵に集中した。

 

(・・・仲間外れにされてないようで嬉しい)

 

そんな配慮する時間なんてないのに、こうして気遣ってくれる二人に甘えてばかりだ。おかげでこんな緊迫した場面でも恐怖を抱かずにいられる。

お兄様は車を飛び出し敵の前に躍り出る。手を翳しては敵の攻撃を無効化していく。

水波ちゃんはお兄様の指示通りシールドを展開。

質量フィルターは対物に優れ、更に毒ガスなどの攻撃も防げる。爆風などの熱に関しては私がいるからサポートできることを踏まえての布陣だった。

命を守る防御としては完璧だ。――ただ、対人以外の攻撃を見逃していただけであって。

EMP爆弾――電磁波爆弾。現行の車は電子装置の塊であり、まあ、喰らったらひとたまりもない。

携帯端末が無事なのはガワだけ市販の四葉印の物だから。だからこそ、この車が仕様外なことに驚くのだけれどね。

昨日狙われたのだから最も防御に特化した車を用意されておかしくなかったのに。

これは何か仕掛けられたと考えられちゃうよ。例えば、謀反とかね。――全く、四葉の分家ともあろうものが、こんな隙を見せるとは。

女子高生なら気付かないと思った?残念中身は前世と通算して――やめよう。女子高生だろうとたくさん勉強をしていれば気付くこともある、ということで。

 

「申し訳ございません・・・」

「水波の所為じゃないから気にするな。俺もこれは予想外だった」

「そうよ。水波ちゃんはきちんと自分の役目を果たしてくれたわ」

 

戦闘を終えて戻ってきたお兄様が見たのは、故障して動かなくなった車を前に落ち込む水波ちゃんとそれを宥める私の姿だった。

さっきまであんなに張り切っていたのに、今ではしおしおです。水波ちゃんは悪くないよー。これも予定調和だから。

端末が使える状態で無事なんだからそこまで落ち込まないで。

そして運転手もね。あなたにはどうしようもないことだから。

 

「深雪、とにかく次の車を呼ぼう」

 

そうですね、何時までもここにいるわけにはいかないから。

端末を取り出したところで着信が。本当、見計らったようにタイミングが良いったら。

お兄様を見れば、出るように促される。

 

「こんにちは、深雪さん」

 

ナイスタイミングですね夕歌さん。

でものんびりお話する時間はないようで。

 

「道を塞いでいるトレーラーを動かすなり消すなりして、退かしてもらえないかしら」

 

唐突な発言に、けれど私は躊躇わなかった。

運転手にトレーラーを退かすよう指示をして――現れたのは一台の車。その運転席には夕歌さんが乗っていた。

車は故障車の隣に付けて、窓から夕歌さんが顔を出し、叫ぶ。

 

「乗って!」

 

・・・映画かな。昨日からもしかして四葉は総出演で映画撮影でもしてました?リアルでそんなセリフを聞くことがあると思わなかった。

って、そもそもここは創作の世界か。あって当然だった。でもおかしいな。ジャンルはスクールラブコメじゃなかった?

ちょっと呆けてしまったせいで夕歌さんがブチギレた。

 

「早く乗って!警察を遠ざけておくのはもう限界なんだから!」

 

この言葉にいち早く動いたのはお兄様だ。トランクの荷物を移動させて私たちに乗る様に促した。

お兄様は既に包囲網が布かれ始めていることに気付いていたのかもしれない。

まだ戸惑う水波ちゃんを連れて後部座席に滑り込む。

バタン、と締まる音と同時に今度は助手席の扉が開いた。お兄様は乗り込みながら、運転手は?と夕歌さんに尋ねた。

扉が閉まり切るよりも早く、夕歌さんはアクセルを踏み込んでいるのが見えた。

 

「自分で何とかしてもらいましょ」

 

・・・運転手さん、頑張って。

 

 

 

 

彼が無事生きて帰ったら年明けの休暇とボーナスが出るように打診させてもらおうと心にメモをしながら、車は走る。本家とは逆方向へと。

お兄様は車に乗ってからずっと音声ユニットと端末を操作していた。

それだけのアイテムで傍受ができるなんて恐ろしい世の中ですね。

窓の外の景色がビュンビュン通り過ぎていく。

 

(バイクは無理でも車の免許を取るのは良いかもしれない)

 

街中を走らせることはさせてもらえないだろうけど、四葉の村を走るくらいならいいんじゃないかな、と流れる景色をぼぅっと眺めながら夢想する。

オープンカーで風を切って走るなんてきっと気持ちがいいだろう。いいストレス発散になるかもしれない。

水波ちゃんが心配そうにこちらを見ながら視線を揺らしている。できるなら手を握って安心させてあげたいけれど、夕歌さんの前でそれはできない。

淑女は下手に隙を見せられないのですよ。使用人に甘い主人なんて、恰好の得物と取られておかしくないから。

だから、建物が視界に入るようになったところで笑みを湛えて沈黙を破って話しかける。

 

「本家とは逆に向かわれているということは、こちらには警察がいない、ということでよろしいのでしょうか」

 

しかしこの問いに答えたのは夕歌さんではなかった。

 

「そのようだ。警察は本家の方向に検問を張っている。だがこちら側には手を回していない」

 

傍受して最新の情報と手に入れたお兄様からの言葉に、夕歌さんは呆れ交じりの苦笑で応えた。

 

「全く、私の説明なんていらないじゃない」

「そんなことはございませんわ。たくさんお聞きしたいことがございますもの。例えば、何故このような妨害を受けなければならないのか、と」

「あら、深雪さんはご存じじゃないの?」

 

これは、この間の件を突いているのだろう。お兄様に隠し事をしているなんて、何かやましいことでもあるのでは、と。

ええ、ええ。やましさいっぱいですとも!暗躍なんてやましいことばかりなもので。

 

「なんて、意地悪だったわね。――貴女を本家に行かせたくないのよ」

 

夕歌さんは意趣返しができたことに満足してか、大人の余裕を見せて応えると、速度を上げた。

 

 

――

 

 

着いた先は津久葉家の別荘。

中に通されリビングまで案内されると、そこにはソファではなくそれぞれ個々になっているリクライニングチェアが。

何だか新鮮な光景。お兄様の隣に座っても距離が開いている。手を伸ばしてようやく届くくらい。・・・うちでも導入してみようかしら。

座り心地も良いし、と考えている間に夕歌さんはこれからの予定について話していた。

今夜はここに泊まっていけ、と。その申し出は彼女の立場が分からなければ頷けるものでもない。

わかっているはずだけれど、彼女はどうも言葉が足らない。・・・というか四葉の女性は基本的に言葉が足らない。使用人の男性陣は結構べらべらしゃべるのにね。

 

「明日、一緒に本家に行きましょう?それなら迎えの車のスケジュールから行動を読まれることもないわ」

 

お兄様からは視線を向けられるだけ。でもお兄様と考えは合致している。

 

「ありがたいお申し出だと思います」

「じゃあ決まりね」

「それは少しお待ちください」

 

にこやかな夕歌さんにストップをかけたタイミングでノックが。どうぞ、の声も無く進入してきた使用人がカップを並べていく。

いい紅茶の香りが漂うけれど、できるだけ接触を控えるような礼儀作法を簡略した姿に、夕歌さんは眉間の皺を深くした。

シュガーポットとミルクポットを置いて下がっていく使用人がいなくなると、背もたれに思い切り背を押し当てて。

 

「・・・人には礼儀作法礼儀作法と煩いくせに、気配りができてないったら。ごめんなさい。ウチは一家全員紅茶党だから、コーヒーも緑茶も置いてないのよ」

 

申し訳なさそうに謝るけれど、気にしなくていい。お兄様紅茶も嫌いではないから。

 

「お気遣いなく」

 

微笑んで返すと、夕歌さんは待ったをかけた。

今サイドテーブル出すから、とひじ掛けのスイッチを操作するとサイドテーブルがせりあがってきた。面白機能だ。

こっちにもボタンがあるんだろうか。見たいけれど、落ち着きのない淑女になってしまう。あとで立ち上がる時にでも確認しよう、と思っていると水波ちゃんが夕歌さんに会釈をしてミルクとシュガーの入ったポットをサイドテーブルまで持ってきてくれていた。

ウチのメイドさん世界一ぃ!可愛いくていい子だよ水波ちゃん!・・・ただし、やり過ぎると反感も買っちゃうんだけどね。大丈夫、貴女のことは私が守る。

 

「ありがとう」

 

疲れていたから甘いものが飲みたかったのでありがたく使わせてもらおう。ちょうどいい甘さになったので水波ちゃんに微笑みかけると、それだけでポットを元の位置へ。そして着席。

夕歌さんからしたら面白くない光景だよねぇ。自分の使用人より優秀な、年若いプリティメイドさんだもの。

 

「ストレートも好きですが、今日はいろいろありましたので」

 

せっかく淹れてもらった紅茶にケチをつけたつもりはないのだと弁明するように先手を打つ。

それだけで視線は水波ちゃんから私に戻った。

 

「疲れたら甘いモノ、ね。あれって幸福感は得られるけど体的には疲労は取れないどころか増すらしいわね」

「まあ、そうなのですか。肉体的には疲れておりませんので問題ありませんね」

 

ニコニコにっこり。春の微笑みを浮かべているのに寒いのはなんででしょうね。空調機器の故障ですか?

なんて、お遊びはここまで。

 

「それで、深雪さんは何が気になっているというのかしら」

 

居住まいをただした夕歌さんに合わせて、こちらも身体ごと向き直る。

 

「いくつか、お訊ねしたいことがあります」

「本心を聞かせろ・・・とは言わないのね」

 

夕歌さんにはもうおちゃらけた雰囲気はなく、目にも鋭い光が宿った。

それに対抗するため表情に仮面を張り付けて負けないだけの強い視線を向ける。

 

「それは意味のない要求だと思いますので」

 

本心なんて四葉の人間が答えるわけがない。

ぶつかり合う視線を逸らしたのは夕歌さんだった。初戦は私の白星スタートだね。

 

「全くの無駄ってわけでもないわ。話せる範囲でなら、本心を打ち明けてあげる」

 

そしてまた視線を合わせて第二ラウンドだけど・・・それってつまり何が変わるの?と思ってしまうけどせっかく水を向けてもらったわけだしね。

 

「そうですか。ではお言葉に甘えて・・・。まず今日はなぜ、あの場所に居合わせられたのです?」

 

タイミングよく駆けつけることは知っていた。直接お話した際そうなるだろうと、彼女にも話していた。

それが現実に起こったのだけれど、その方法がわからない。そう伝えると、夕歌さんは気の抜けた感じの笑みを浮かべてぼやく。

 

「そりゃあ、不審に思うわよねぇ。でも裏で結託していたりしないわ。それは信じて」

 

つまり、それ以外は信じられないということかな。

 

「では、どのように?」

「・・・実は、深雪さんたちが乗っていた車をこっそりつけていたの」

 

・・・流石にその嘘は信じられない。お兄様に視線を向ける必要も無い。だってお兄様が気づけないはずが無いから。

夕歌さんも秘密がいっぱい。流石四葉。簡単に信じられる人なんていない。

だけどここを突っ込んでものらりくらりと躱されるだけ。いくつか投げたら当たるらしいから投げてみよう。

 

「そうでしたか」

 

でもはずれを引いたんだから一応寂しそうな笑みを浮かべてみる。

・・・夕歌さん、意外とこういう表情に弱いの?うっ、と何かまずいモノでも呑み込んだようなお顔に。案外年下に弱いとか?

 

「何故、そこまで私たちにご助力くださるのでしょう?」

「それは」

「護衛が必要というお話でしたが、それですとお迎えに来ていただいたことが矛盾になってしまわれますものね」

 

話の矛先を変えて問う。嘘を暴いてもどうしようもないから。

 

「そうね・・・。分かった。正直にお話するわ」

 

そして語られるのは、今度の慶春会で発表されるだろう四葉家次期当主の指名。私であることは確定だが、それを妨害しようとしている分家たちの存在。

私が次期当主に選ばれることには異論がないけれど、お兄様をくっつけたままだと困る、そういうこと。

どうにかお兄様を引き離して、世界から隔離させてからでないと、不安で仕方が無いんだって。

 

(自分たちの罪だから?――勝手にお兄様を罪悪にしないで)

 

お兄様は、この世界の英雄なのだから。

それを勝手に悪だと決めつけて排除しようとするなど言語道断。お兄様がいなければこの国崩壊していてもおかしくないのですからね?

一度お兄様がいなかったケースを検証してみると良い。今では優秀なシミュレーターがあるでしょう。

沖縄の時点で侵攻を風間さんたちが食い止めたとしても被害が甚大で数の大亜連合に呑み込まれていた可能性が高い。

圧倒的力の抑止力が働いたからこその侵攻食い止めだった。

さらに遡ってもしも大漢を四葉が滅ぼしていなかったら?どのみち黒幕大好きおじさんは大漢に復讐を果たすために周辺国を巻き込み、消耗させ弱体化させたところで討つのだろうから、その後は言わずもがな。

漁夫の利でどこかの国に取られるか、蹂躙されるか。どのみちこの国に未来はない。

 

「夕歌さんは私が次期当主になることに反対はなさらないのですね」

「四葉の当主に相応しいもの。――いえ、この表現は不正確ね。津久葉家は二年前から、次期当主に深雪さんを推すことを決めているわ。私が当主候補に残っているのは次期当主選定において津久葉家が発言力を確保するため。もっと言うなら、他の分家が勝成さんや文弥さんを支持した場合、それに対抗する為よ」

 

残念ながらその気遣いは必要なかったわけだけれど、それは言う必要も無い。

家の都合まで話してくれるのは、利害によって推薦を決めたと公正な判断をしていることをアピールしているのか。

この後で、そこに更に夕歌さんのお母様、冬歌さんの罪悪感もあると語られるのだけれど、それはカットで。

罪悪感なんて抱かれてもこちらも困ってしまう。でも、利用できるならするのが帝王学で学んだ知恵だ。四葉に君臨するなら訂正することでもない。

 

「お話は分かりました。夕歌さんも、内情を明かしていただいてありがとうございます」

「お礼を言われることじゃないわ。むしろ信用できる?こんな話」

「真意のほどはわかりませんが、腑に落ちる点もございましたので」

「・・・深雪さんって本当に16歳?」

「褒め言葉として取らせていただきます」

 

そこは探らないでいただきたい。中学生から帝王学を学んだのです。前世でいくら社会人を経験していたからってそこまで視野が広かったわけじゃない。

 

「しかし、世間からだけでなく世界から引き離したい、とは。

――兄を飼い殺しにするつもりだという分家を生かす理由ってあります?・・・なんて、冗談ですよ?」

 

いつも言わない言葉を使ったからお兄様たちがぎょっとしたように驚きの表情で固まってしまった。

でも、それが一番早くて楽なんだよね。

そんな次期当主に逆らうような反乱分子、生かしとく価値あるかね?とっとと首を挿げ替えて若返りしちゃった方が楽じゃない??と思ってしまうわけで。

 

「そんなことをしてはただの独裁者になってしまうではないですか。四葉にまた悪い印象を植え付ける必要はございませんよ。四葉は別に悪の組織でも何でもないのですから」

 

というか、四葉がやっているのはダークヒーローであって世界の滅亡だったり恐怖に陥れることを目的としていない。

全てを手に入れようなんてことも考えていない。根底にあるのは自身たちが安心して暮らせるように安全を確保しているだけだったりする。

住んでる国が沈んだら元も子もないから。

ただ上から仕事を受注するにしても、受けるたび内容を確認している。ま、上も一応国の害悪になりそうなものを処理させているわけだから、指針が同じ方向なので従順に従っている状態だ。

・・・もしそこにずれが生じるようなことがあったら、恐らくはめられて消されるんだろうけれどね。

それくらい上は特殊な力を有しているんだと思う。そんな彼らでも世界を破滅させるだけの力を持つお兄様は興味深い存在らしい。

と、また話が脱線した。

 

「・・・知らなかったわ。深雪さんって案外演技派なのね」

「演技は今も勉強中ですが、私の拙い演技に感心していただけたのなら少しは才能があるのかもしれませんね」

 

にっこり微笑むと、夕歌さんはオーバー気味にげっそりと肩を落とした。その仕草にくすりと笑って空気を和らげる。

 

「でもあと二年もすればこちらの水波がガーディアンとしてお兄様の代わりが務められるようになるとまで評価されているのは喜ばしいことですけれど」

 

ガーディアンの水準がどの程度の物か知らないけれど、お兄様と比肩しうる、は流石にどんな人間も無理だ。何をもってそんな虚言を吐くのか。

水波ちゃんも恐縮してしまっている。

 

「ですが、ご当主様のご意向が変わらぬ限りいくら分家が束になったところで意味もなさないでしょう。私たちは確実に本家に到着しますもの」

「明日は何を仕掛けられるかわからないのにすごい自信ね」

「それはもちろん。私たちには頼りになるお兄様がいらっしゃいますもの」

 

ここでひけらかすように自慢をしてみれば夕歌さんがえ、と驚いたような表情を浮かべられた。

ふふ、驚いてる驚いてる。

 

「夕歌さんが秘密を明かしてくださったのなら、私も明かさなければフェアではないでしょう?」

「・・・不肖の兄ではなかったの?」

「日本人は大変ですよね。社交辞令だったり謙った言い方をしなければならないのですから」

「・・・・・・じゃあ、いつも仕方が無く擁護している風だったのは」

「そうしませんとご納得しないおじ様方がいらっしゃったでしょう?」

 

いえーい、ドッキリ大成功!

本家ではお兄様とはガーディアンとミストレスごっこしていたのでね。きっと学校生活とか調べられているだろうけどそっちが演技と勘違いされていました。

夕歌さんもわが校出身者だからウチの情報手に入れてたと思うんだけどね。昔から見ている方を信じるよね。中学生より以前の私はあからさまにお兄様を苦手としていたから余計に。

あの件をきっかけに多少(・・)見直して呼称をお兄様に変えたのだけれど、それでも温度はさほど変わらないよう見せてましたから。

・・・だから使用人たちもさほど反感を抱く気持ちを抱かずに済んだ。

下に見ている者が血縁者というだけで優遇されているように見えれば不満を向けられるのも当然だ。

それが無くなっただけでお兄様に入らぬ関心を寄せる使用人が減った。

 

「知られても問題ない人の前では結構見せていたんですけどね」

「今回のことで、私にも見せてくれるってわけね」

「というよりもう必要が無くなるのだと」

「次期当主に指名されれば大抵のことでは覆ることが無いから、ということ?」

「夕歌さんはお話が早くて助かります」

「・・・やっぱり、貴女が四葉家当主で文句は無いわ」

 

夕歌さんが淑女を放り投げて深々と椅子に埋まった。

その姿ににっこり微笑んでからお兄様とも微笑み合う。

 

「よかったな、深雪」

 

このよかったな、は四葉当主と認められて、ということではなく、私の自然体の姿を受け入れてもらえるようで、という意味だ。

 

「ええ。これでお兄様とも水波ちゃんとも普通におしゃべりができますね」

 

やったね。勝利の紅茶がおいしい。

 

「・・・随分大型の猫を被ってたのね」

「普段飼うことはできないので二、三十匹は乗っけていますね」

 

可愛いでしょう。私の猫ちゃん達。

 

「深雪」

 

嗜めるようなお兄様の声色に夕歌さんを相手に揶揄いすぎたか、とごめんなさいと謝るのだけれど。

 

「ウチはペット禁止だからな」

 

違った。ペットが欲しいとおねだりしたつもりはないのだけれど、お兄様からの強めの圧が。

 

「達也様、深雪様は家で飼えないことは重々承知なのですからわざわざ口にされて深雪様を落ち込ませないでください」

 

水波ちゃんが慰めてくれるけど、やっぱり猫ちゃんを家で飼うことだけは許してもらえないんだね。・・・まあ強力な魔法師に生まれた時点で諦めてましたけど。

 

「・・・楽しそうな生活ね」

「ええ。申し訳ないくらい、毎日満ち足りた生活を送らせていただいております」

 

その発言にはさすがの夕歌さんも不快に感じたようだった。彼女も四葉の人間、不自由を強いられてきた身だ。それを同じはずの人間が満ち足りた、などと口にするなど許せるはずもない。

ただでさえ同じ候補の勝成さんは可愛い彼女がいる。文弥くんのところも姉弟は仲がいいし。・・・夕歌さん、一人可哀想だね。もっと優しくしてあげよう。

 

「お互い愚痴を言い合えるような仲になれれば幸いです」

「腹心にしてくれるって?大出世ね」

「私としてはずっと頼れるお姉さんとしてお付き合いしたいのですが。夕歌さん、とっても素敵なんですもの」

 

イイよね、サバサバ系お姉さん。好き。可愛いというより綺麗系。

 

「なあに?急に褒め殺すじゃない」

 

夕歌さんも口調を砕けたものに変えたのは、こちらに合わせてなのか。でも瞳がこちらの真意を探らんとしている。

残念だけどこれに関しては隠すこともないのでこっちは心オープン状態。

 

「まだお昼を回ったところですが、本日は検問等で外に出るのはまだ早いのでしょう?でしたら時間は有効に使いませんと」

「それが友好を深めようってことなの?――いいわ、付き合いましょう。次期当主の情報を早めに掴んでおかないと、あとで厄介なことになりそうだもの」

 

この短時間で随分とあけすけなお話してくれますね。その方がこちらとしては楽なのですけれど。

そして数分も経たないうちにお茶会はすっかり様式を変えて――。

 

「え、何?今一高ってそんな愉快なことになってるの?!今度卒業生ってことで覗きに行こうかしら」

「身内の方に見られるのは恥ずかしいのでご勘弁を」

「何も恥ずかしがることはないだろう、深雪は仕事を全うしているだけなんだから」

「ちょっと、人の家でいちゃつかないでよ。紅茶党からコーヒー党に鞍替えしたくなるじゃない」

「インスタントになりますが、ご用意できますよ」

「ねぇあなた、確か水波さんだったわね。彼らに胸焼けして辛くなったらうちに雇われない?」

「水波ちゃんを引き抜こうとなさらないでくださいませ」

「申し訳ございませんが、胸やけならもう克服しております」

「水波ちゃん??」

「これくらいでリタイアするようでは深雪のガーディアンは務まらないからな」

「私のガーディアンは胃痛に強くないとなれないのですか」

 

ここでゲラの夕歌さんが声をあげて笑った。知らなかった。夕歌さん笑いの沸点が低い。これをずっと隠してたの?すごいね。

あ、この部屋には遮音フィールドが張られてます。ので安心して大声をあげられるのだけれど。

 

「あー、おっかし。でもなるほどね。以前ご当主様に読書はしないのかって聞かれて心理学関係ならって答えて話が切られたことがあったのだけど、きっとその本のことをほのめかしたかったのかも」

 

・・・叔母様・・・。電話するたびにバックに見えますものね、初版本。あと夏に自費出版した分も。

 

「あーあ。なんだかずっと損した気分だわ。深雪さんがそんな愉快な人だったなんて」

 

愉快とは聞き捨てならないけれど、それでも親しみを持ってそう言ってくれることが嬉しかった。

だから口元が緩んだのだろう。夕歌さんが一瞬目を見開いてから、笑みを深くした。

 

「これからでも遅くは無いわね」

「ええ」

 

差し出された手を握り返す。

柔らかで薄い手は、とても温かかった。

 

 

――

 

 

私の趣味の一つが料理とバレていたのだから、強引にでもキッチンに立たせてもらえばよかった。

癖のない料理だったけれど、言い換えれば印象に残らない料理だった。味気ない、というのか。ちょっと物足りない。

夕食後、各客室に案内され、トランクの整理を少々。

先ほどお茶会で出した茶菓子(チョコチップクッキー)はなかなか好評でそれなりの数を持ってきていたけれど空になっていた。

お昼を食べ損ねたからその分食べちゃったんだね。トランクにはまだいくつか非常食のようにお菓子が詰まっている。一泊分服が空いたからね。その間にお菓子を詰めておいたのが役に立った。

ただの緩衝材を入れるよりお菓子入りの空気で膨らませた緩衝材が入っていた方が無駄がない。良い知恵だよね。

固めに焼いていたおかげでほとんど欠けなかったのも良い。水分が少ない分日持ちもするから非常食としてもグッド。って、そんなに危ない目に遭う予定は無いのだけれどね。用心に越したことはないので。こうして役にも立ったから。

そろそろいい頃合いかな、とトランクを閉じて時計を確認して部屋を出る。

向かうのはお兄様が宛がわれた客室だ。

ノックをすると、お兄様は誰がいるかわかっているだろうに誰何した。

 

「深雪です」

 

名乗ると同時に開く扉に果たして意味はあっただろうか。おかしくなって苦笑すると、お兄様も笑っていた。

中へ入るかも確認されず、手を引かれて導かれるように中に入る。

私の部屋より狭いのは、そういう配慮の下なんだろうね。ちゃんとした部屋があるだけありがたいのか。

お兄様は荷物を整理していたのか旅行バッグが開きっぱなしだった。中身もいくつか出ている状態。

いくらお兄様の物とは言え凝視するのは失礼だろうと視線を逸らす。

すまないね、とお兄様は手早く旅行バッグを閉じて退かすとベッドに座る様に促した。・・・椅子は一脚。仕方ないのか。

できるだけ浅く座ると、お兄様は何時かの俺の部屋で見た光景だね、と笑った。

うう・・・人様のお家のベッドに深く座るのは居心地が悪いんですよ。

 

「それで、どうしたんだ?」

 

お兄様の余裕が悔しくて、少し反発してみたくなる。

 

「何も用が無くては来てはいけませんか?」

 

我ながら可愛くない文言だが、すぐに返答がない。・・・もしや呆れられただろうか、とそっぽを向いた顔を戻すと、頭を抱えているお兄様の姿があった。

 

「お兄様?頭が痛まれるのですか?!」

「・・・ああ、お前が可愛すぎて構いそうになるのを堪えているだけだから気にしないでくれ」

 

・・・さようでございますか。なんか、ごめんなさい。

というか、お兄様の対応が原作とかけ離れすぎていることの方が気になるのだけれど、今更だった。

 

「もちろん用事なんて無くても構わないが、俺に聞きたいことがあるんだろう?」

 

お兄様は私が来た理由をすでに察していた。話が早い。

 

「黒羽の叔父様が忠告してくださった内容をあの時は訊ねませんでしたが、お兄様は既に彼らの目的をお聞きになっていたのですね」

「――お前に無駄な心配をかけるつもりはなかった」

 

お兄様は既に分家の思惑を知った上で、黙っていた。

・・・お兄様の気持ちもわかる。お兄様はただ、自分のことで余計な負担を掛けたくないと黙っていたのだ。心配されるようなことはない、と。

だけどそれならばお兄様の口から聞かせてほしかった、というのは我侭なのだろう。

分かってはいるのだけど。

 

「無駄な心配ではございません。お兄様を心配することに無駄などないのです。それとも、私の心配はお兄様にとってご迷惑ですか?」

 

自分でも卑怯な言い回しだと思う。お兄様に否と言えないことがわかっていて言っているのだから。

案の定、お兄様は首を振る。

 

「そんなことはない。深雪が俺を想ってくれることをどうして迷惑なんて思える?――だが、そうだな。俺の勝手でよりお前を不安にさせた。原因がわかっていても結果が同じであれば伝えた方が、気が楽だったかもしれないのに」

「お兄様がそのように私を気遣ってくださるように、私もお兄様を思っているのです。そのことだけはお忘れにならないでくださいませ。――私は、お兄様の絶対的味方ですから」

 

真直ぐと、お兄様を見つめて。想いごとぶつけるように伝える。

絶対に裏切らない存在というのは窮地でも心の支えになれるだろうから。

 

「いつまでも、お兄様の味方です」

 

それが司波深雪のアイデンティティ。お兄様の絶対的守護者。

お兄様が私を守るのではない。私は、お兄様を守るためだけに造られた存在。

私の固い決意に、逆にお兄様の瞳が揺らいだ。

 

「深雪――」

「お兄様に鳥籠など似合いません。自由に羽ばたいてくださいませ。その時はもう近づいているのですから」

 

正直、彼らの思う次期当主の側近という立場に発言権など大してない。

あれだけお兄様に反発していた分家の人たちや中途半端な使用人たちが、立場が逆転したからと言いなりになるわけがないのだから。何のかんの理由をつけて頭ごなしに押さえつけるのだ。

だが、ただの傀儡予定の次期当主がきちんと危険物をコントロールできるとあれば、閉じ込める必要性は無くなる。

ただ自分たちの罪を見たくないという大人の言いなりになる必要も無い。

――お兄様には何の罪も無く、彼らの願いが形になって生まれたわけではないのだから。

 

(――明日には、私たちの関係は変わっている。だからこそ、今話すしかなかった)

 

最後の念押しを。

幾度も伝えてきた、愛を注いできた。

ずっと味方であるのだと。

お兄様がしてきたことは何一つ間違っていないのだと。

 

「突然部屋に押しかけて妙なことを申しましたね。失礼しました」

「いや・・・。俺のためなのだろう?」

「!」

 

頭を下げたところでお兄様にかけられた言葉に肩が震えた。

 

「お前がそう言う時は、何時だって俺のためだった」

「そう、でしたでしょうか。私は、不安でしたのでお兄様にお話を聞いてほしかっただけですよ」

 

お兄様の為、のようでいて実際は私の思い描く幸せのための訪問だ。

そのことが後ろめたいがそれ以上言える言葉がない。

 

「明日もきっと一筋縄ではいかないでしょう。ですが、これくらいの障害を私たちが乗り越えられぬはずもありません」

 

そうでしょう、とお兄様に微笑みかけると、お兄様はそうだね、と目を伏せて。

 

「俺の任務はお前を慶春会に参加させること。必ず無事送り届けるよ」

「はい。頼りにしております」

 

 

 

 

お兄様が部屋まで送るというので大人しく従って送り届けてもらったのだけれど、お兄様は何か思案しているようだった。

上の空、というか。明日のことでプレッシャーをかけすぎただろうか。

 

「あの、お兄様、先ほどはお兄様に負担を掛けるようなことを言ってしまいましたが、そんなに気負わなくても・・・」

「ん?ああ。道中のことは大した問題じゃないよ。もちろん警戒を怠ることなどないけれど」

「では、何をそんなに悩まれているのです?」

「・・・そうだね、俺もそれがよくわからないんだ」

「お兄様でもわからないことがあるのですか?」

「深雪は、俺を何でも知っていると思っているようだが、俺が知っていることなんてほんのわずかだよ。むしろ人よりわからないことだらけだ」

 

お兄様が指しているのが、感情や心のことだとすぐに気が付いた。お兄様は今、自身の胸に宿った感情に戸惑っているようだ。

手助けをしてあげられるならしたいところだけれど、お兄様は気にしなくていい、とやんわり牽制した。

全てを妹に打ち明けることでもないからね。私もそれ以上踏み込まなかった。

 

「では、これから叔母様に連絡を入れようと思います」

「頼んだ」

「はい」

 

扉の前でお別れをして、身だしなみを整えてから端末を手にした。夕歌さんにはすでに連絡を入れることは伝えている。

電話に出たのは葉山さんだった。

叔母様は今傍にはいらっしゃらないらしい。

現在夕歌さんの別荘にいることを伝え、明日には必ずお伺いする旨を叔母様に伝えて欲しいと伝言を頼むと、好々爺然とした穏やかな声で了承の返事があった。

 

「そういえば、以前深雪様から頼まれていたあの件ですが、」

 

葉山さんの言葉にピンとくるものが一つ。葉山さんにお願いできることなんて限られているから。

 

「どうなりましたでしょうか」

「短い時間でしょうが、お披露目ができるかと」

「!そうですか。それはよろしゅうございました。今後もしばらくお願いいたします」

「もちろんです。――いい拾い物をなさいましたな」

「葉山さんのお眼鏡に適うのならばなかなかのものなのでしょうね。楽しみにしております」

 

ぷつり、と切れた電話をゆっくりと下ろす。

無事修復が完了したらしい。しかもあの口ぶりならばもう中身も動きも確認ができているのだろう。

一体どんな魔法を使ったのか。お兄様なら解明できるだろうか。

 

(――ついに、明日か)

 

長かった。でも短くもあった。

もっと前から動けていたらきっと違った結末を用意できていただろうに。それが悔やまれてならないけれど、今更引き返すことなどできない。

 

「見ていてくださいませ、お母様」

 

呟いた言葉は広い部屋に溶けて消えていった。

 

 

――

 

 

夕歌さんちの別荘から本家まで約二時間なのだけど、山道の近くを通り抜けなければならなくて、雪道を通らなければならない可能性を踏まえると三時間、更に襲撃もあると考えるともう少し早く家を出たかったのだけど――

 

「夕歌さん、二日酔いではないのですよね?」

「・・・本家に行く前にそんなことできるわけないでしょ・・・夜型なの」

 

つまり、朝がめっちゃ弱いということですね。

というわけで朝と呼ぶにはちょっと遅い時間から出社、じゃない、出発になりました。・・・昨日とかどうしてたんだろう。あの時間だと昼前には運転してたと思うんだけど。目覚まし的なドリンクでも用意すればよかったかな。

別に危なげない運転ではないのだけれど、気だるげに見えるから言い知れない不安が。

なんて、思っておりましたが無事に?襲撃ポイントまで来ました。

思ったより早く来ましたね。

 

「お兄様」

「ああ。定石通りならば来るだろうな」

 

四葉の村へ入るにはこの先のトンネルの特殊な魔法セキュリティを通らねば入れない仕組みになっている。

村の中でお兄様に暴れられては村の結界が危うくなる恐れがある。仕掛けるならその前まで。

それを鑑みてこの道中仕掛けられなかったということは、ここがそのポイントに選ばれたということ。

 

「え?ここまでくれば仕掛けるなんて無茶なこと――」

「その考えを逆手に取られたのでしょう。四葉の人間なら安全圏だと思うでしょうから」

「!」

 

夕歌さんのハンドルを握る手に力が入った。タイミング的にはギリギリかな。

トンネルが視界に入る頃、それは来た。

 

「深雪、雪崩を融かせ!」

「はい、お兄様!」

 

指を滑らせ魔法を放つ。

夕歌さんがブレーキを掛ける。

 

「水波、半球シールド!」

「はい!」

 

雪崩の発生した位置は少しでもタイミングが遅れたら掠る程度にはギリギリのコースに思われた。寝ぼけたままの夕歌さんだったら危なかった。

勝成さん、夕歌さんが朝弱いこと知らなかったのかな。私たちよりも付き合い長いから知っていそうなんだけど。

この時点で、勝成さんが私たちだけでなく夕歌さんも一緒に来ることを知っていたと確信していた。

叔母様から情報を得たわけではないだろう。

動きを読まれていたか、あるいは――津久葉家の別荘に密告者がいるか。

もっと単純に、昨日の運転手が私は夕歌さんに連れてかれたとでも報告したのが漏れたのか。

どれでも対応は変わらない。

雪が融け、水となって様々なものを飲み込んで濁流となり、下へと流れていく。・・・この辺に民家が無くてよかった。

多少景観は悪くなるけれど、この修復はどこが受け持つんだろうね。一応ここはまだ四葉の土地ではない。ばれないうちに誰かが片付けるのかな。それとも自然災害として処理するのか。報告書が楽しみだこと。

お兄様は水波ちゃんにシールドを解除させて車を降りた。

前方には倒木や岩が転がっている。これは水波ちゃんがいる前提での攻撃だったのかな。

岩の軌道なんてそう読めるものじゃないし、彼らがそこまで気を回してくれると思わない。

殺す気はないけれど、なんともこちら任せの雑な作戦に思えてしまう。それとも少しでも魔法を使わせて消耗させたかった?これくらいでへばると思われていたのだとしたらそれは随分と舐められたものだ。

こんなに四葉は生温かっただろうか。

 

「お兄様、これは足止めでしょうか」

 

そう言いながらもCADをしっかり握っている。

 

「いいや、待ち伏せだ」

 

お兄様は既に敵を捕捉しているらしかった。

 

「出てきなさい!」

 

あら、さっきまで気だるげで動くのも億劫という感じだった夕歌さんがブチギレです。おこですおこ。

ハンドバッグから折り畳み式CADを取り出して――って、ちゃんとバッグにしまってるのね。

完全思考操作型のCADは持ち合わせていない模様。アレは使うのにコツがいるから手を付けてないのかな。

でも折り畳み式は最新のものだから目新しいものはチェックしてると思うんだけど。

 

「出てこないなら、遠慮しないわよ!」

 

そう言って繰り出されたのは・・・直接浴びているわけではないけど、近寄りがたい波動が前方に向けられている。

使われているのは『マンドレイク』。夕歌さんが得意とする精神干渉魔法。

致死性は無くとも、恐怖を植え付けられる魔法なんて喰らったら精神が持たない。痛みがあるから恐れられる、その先の恐怖を予想して恐れるという段階をすっ飛ばして未知の恐怖だけが襲ってくるのだ。

対抗魔法と精神魔法の耐性が無いと大抵の人間が詰む。

中条先輩がいれば梓弓で落ち着くだろうけど。アレも悪用すれば結構な魔法だよね。悪用じゃなくても軍とかに利用されないよう祈るばかり。

想子の「音」によって繰り出されるだから物理的な音とは違い遮音シールドでは防げない。だが、音波を減衰させる魔法なら別、らしい。

 

「・・・この魔法、琴鳴さんね!正体は割れているのよ、出てきなさい!」

 

相手を予測していたからこそのマンドレイクだったみたいだけど、夕歌さんも遠慮がない。

 

「勝成さんも、女の背中に隠れてないで、出てきたらどう?!」

 

随分と直接的な挑発。だけど案外こういうのが効いたりするんだよね。

目の前に陽炎が揺らめく。濡れた地面があっという間に乾いた。

 

「フォノンメーザーか」

 

お兄様が魔法の正体を教えてくれた。

雫ちゃんが身に付けた技ですね。用途が色々あるようで。

そして現れる三人の人影。新発田勝成さんを中心に、堤琴鳴さんと弟の奏太君。

・・・こんな時に本当にアレなのだけど、本当にどこかでカメラ回ってないの?特撮とか撮影してない??

まんまその光景なのだけど。揺らめく陽炎の中、三人の戦士が現れる、みたいなよく見かける演出で満を持して登場のシーンそのもの。

ブラック、グリーン、・・・ブラック?色被りはよくないと思う。

奏太君は差し色に赤が入っているからレッドでいいかしら。主人差し置いてるけど見た目クールだけど熱血系っぽいし。・・・でもツンツン具合はブラック寄りだよね。

堂々とした陰から支える系ブラックが勝成さんで、俺はお前らの仲間になった覚えはないからなブラックが奏太君。

 

「私は隠れてなどいない。散らばった障害物を抜けるのに時間がかかっただけだ」

 

・・・うん、実際そうなんだろうけど、何と言うか言い訳すると間抜けに聞こえてしまうことってあるよね。本人至って真面目なのだけど。

近づいてくるブラック――勝成さんはお兄様よりも頭一つ分大きいのに、細身であるから十文字先輩のような威圧は感じない。

けれどその分表情が高圧的に映るのは、七三に見える髪型の所為か、目つきの所為か。

・・・よそ様から見たらお兄様もこう見えているってことかな。ふてぶてしく見えたって七草先輩が言っていた記憶がふと過った。

 

「隠れてなかったならなぜすぐ答えなかったのよ」

「もっと普通に話せる距離まで近づいてから答えるつもりだった」

 

あらあら。二人が喧嘩を始めてしまった。

鼻で笑う夕歌さんに、年下をあしらうような態度の勝成さん。うーん、相性はあまりよろしく無さそう。

奏太君が食って掛かろうとするのを制して勝成さんは冷静に返す。

 

「答える前に撃ってきたのは君だ。相変わらず好戦的だな、夕歌さんは」

 

その挑発になんだとー!と怒る夕歌さん可愛いかな。

だんだん微笑ましい光景に思えてきた。

だけどその毛を逆立てて突っかかる夕歌さんに黙っていられなかったのは奏太君。

直接的な攻撃なんてしかけてない、と主張するけれど、それは君が言うことではない。口出しできる立場にないことがわかっていないらしかった。

当然そのことは勝成さんの隙となりツッコまれる。

 

「奏太さん、引っ込んでくださらない?」

「何を!?」

「私は今、勝成さんとお話をしているの。津久葉家の娘が、新発田家の跡取りと話しをしているのよ。使用人の出る幕ではないわ」

「な!?」

 

・・・勝成さん、これは甘やかしすぎでは?これは若さを理由に庇えない。

というか彼の恰好すごいね。ミュージシャンみたいな恰好なのは楽師シリーズを印象付ける為なのかたまたまなのかわからないけれど、そんな派手なファッションで四葉本家に行くつもりだったのだろうか。

琴鳴さんも繋ぎみたいな恰好だし・・・暴れたらどこかで着替えてから向かう予定だったのかな。

クリーンな魔法使えない??ああ、切り裂かれたりしたら修復はできないものね。

彼の失言をお姉さんの琴鳴さんが注意するんだけど、うん。それはそんなに大きな声で今注意することじゃないかな。

こっちも非常識?ガーディアンってこうなの?水波ちゃんを見ると彼女がびくっと体を震わせて、視線だけで違う!と訴えてくる。

うん。そうだよね。この場で声を発することなんて許されてないよね。うちの子はちゃんと弁えられてて偉い!後で褒めさせてもらうとして。

 

「勝成さんに恥をかかせないで」

 

うん、本当。その通りなんだけどそれを人前で堂々と言っちゃうのも減点対象ですよ。ガーディアン検定があるなら受け直してきて。

 

「へぇ・・・。勝成さんは部下に慕われているのね」

 

夕歌さんの口調には皮肉の棘が生えている。まだ腹の虫がおさまらない模様。

 

「慕われているのは琴鳴さんに、だけじゃなかったのね」

 

意味ありげに口調を変えて紡がれたその言葉に、引き下がったはずの奏太が顔色を変えた。

 

「ああ、おかげさまでな」

 

しかし勝成さんの感情を伺わせない低音が、奏太の暴走を押し止める。

これってもう少し前からできなかったのかしら。こういう機会を使って教育しようってことなら教育をお手伝いしますよ。

そう思ったのだけれど勝成さんの方が早かった。

 

「私にはもったいない部下だと思う。私はいつも、彼女たちに相応しい主でありたいと考えているよ。四葉家の流儀に従うなら、もっとドライであるべきだと思うんだけどね。その点は夕歌さん、君を見習うべきかもしれないな」

 

わあ。ここでもお貴族社会の応酬が。今度は夕歌さんが顔色を変える番だった。

でもそこに救世主が現れる。言わずもがな、お兄様である。

 

「俺もガーディアンですが、口を挟ませてもらいますよ」

 

お兄様の温度のない声はすっと彼らの間に綺麗に入り込む。

 

「構わない。ガーディアンとはいえ、君は御当主様の近しい血縁だからな。我々とそれほど立場は変わらないと、私は思っているよ、達也君」

 

勝成さんが見せる鷹揚な態度は、年下に対する気安さか、はたまた使用人に対する粗略さか。区別がつきにくいものだけど、どちらにしても四葉の人間には珍しい態度だ。

こういうところが彼の慕われる理由だろうね。淡々としているように見えるけれど情が無いように映らない。

・・・おかしいな。お兄様もそっちタイプのはずなのに、どうして周囲から冷たいって取られてしまっていたのだろう。

 

「ありがとうございます。すぐに済みますので」

「ほう?何かな」

「簡単なお願いです。ここを通していただけませんか」

 

単刀直入に用件を伝える。潔い端的な要求だ。

 

「なるほど、達也くんらしい率直さだ」

「恐縮です」

 

お兄様は頭を下げず、目礼すらせず言葉だけでそう応えた。

形だけでも体裁を整えることもできるだろうにそれをしないのはもうすでにお兄様の策は実行に移されているから。

 

「しかし、それはできない」

 

勝成さんの双眸に、威圧的な光が点る。

彼はけして、このお兄様の態度に不満を抱いたりはしていないように見える。

けれどちらりと視線をずらせば感情を隠すこともしない奏太君の表情にいら立ちがくっきりと浮かんでいた。不敬だ、と。噛みつかないのは先ほどの勝成さんとお姉さんの言葉があるから。

そのお姉さんの琴鳴さんはといえば、表情を表に出さないように努めているようだけれど緊張は隠せていない。

 

「私の方からも言わせていただこう。このまま来た道を戻ってくれ。そうすれば余計な争いをせずに済む」

 

この言葉にお兄様が無言で頷く。だがそれは要求に従うことを示すための物ではなかった。

 

「つまり、ここを通るためには争いが不可避ということですね」

「その通りだ」

 

・・・ああ、ダメだ。勝成さんは交渉事には向いていない。これではまだ重役を任せることはできない。まんまとお兄様の用意した落とし穴の隠された蓋の上に乗っかった。

 

「では提案です」

 

蓋の開くスイッチに指がかかる。

 

「聞こうか」

「言うまでもないことですが、四葉のガーディアンはマスター、ミストレスをあらゆる危難から護衛する魔法師です。俺は深雪のガーディアンとして深雪を危険な戦いの場に立たせたくない。それはそちらのお二人にとっても同じでしょう」

「もちろんです!」

 

穴の上に勢いよく駆け寄ってきましたね。お二人様でよろしいですか?

 

「あたしは勝成さんを、このような内輪もめで危険にさらしたくありません!」

「オレも想いは姉さんと同じだ」

 

はーい、三名様ごあんなーい。これで締め切りですね。

 

「・・・おい、まさか」

 

勝成さん、貴方のプランは甘すぎた。敗因は、さっさと戦闘に持ち込まなかったこと。

 

「俺たちはここを通りたい。貴方はここを通したくない。このにらみ合いの現況を打破するためには、闘争が不可避。ならば」

「待て」

「ガーディアン同士の決闘で決めませんか。こちらは俺一人。そちらは二人一緒で結構です」

「駄目だ!」「いいでしょう!」

 

だから、貴方は大事な人を戦いに巻き込む羽目になる。

元々ガーディアンにしている時点でそれは回避不能なはずだけれど、自身の力を過信でもしましたか。

 

「こちらには第三者である夕歌さんがいますので、水波は深雪と夕歌さんの守りに付かせます。約束しますよ。手は出させません」

「やらせて下さい!」

「駄目だ、危険すぎる!」

 

手を出させない、なんて。相手に有利な条件をちらつかせるよう見せかけておいて、相手を戦闘から逃さないための巧妙な罠。

リーナちゃんの時もそんな感じだったよね。

あちらは慶春会に出席させたくない以上戦闘は元々避けられない。警告なんかで引き下がるわけがないことくらいわかっていたのだから。

何もこんな真正面からぶつかる必要性などなかったのだ。

夕歌さんは待ち伏せなんて卑怯だって思ってるみたいだけど、私だったら罠や仕掛けをたっぷり用意した上で奇襲をかける。・・・お兄様相手には無意味だけれどね。

お兄様の危険度はわかっていたのではなかったのか。

だって、

 

「達也くんは皆が思っているような欠陥品ではない!この私でも確実に勝てるとは言えない相手だ。前当主の英作様の命によって、彼は生まれた直後から戦闘魔法師として育成されたんだぞ!」

「あたしたちだって戦闘用に造られた調整体魔法師『楽師シリーズ』の第二世代です!生まれる前から戦うための能力を遺伝子に叩き込まれた魔法師です。誰が相手でも、そう簡単に後れは取りません!」

「そういう話ではない!達也くんはそういうレベルとは次元が違うんだ!彼が初めて人を殺したのは六歳の時、人造魔法師実験の直後だ。彼は手に入れたばかりの力に戸惑うこともなく、三十歳の脂がのった戦闘魔法師を、事故でもなく不意打ちでもなく、最初から殺し合いの条件で血の海に沈めた。たった六歳だぞ?まだ小学生にもなっていない歳だ」

 

彼は知っていたのだから。

お兄様が手術を受けたことも、お兄様の戦闘履歴も。どれだけの実力を秘めているのかを、こうしてひけらかすくらい知っていたはずなのに。

資料を持っていたにもかかわらず、愛する人を連れてきている時点で勝成さんの敗北は決まっていた。

 

「勝成さん」

 

お兄様の冷ややかな声が彼らの口を閉ざした。

お兄様の感情に揺るぎはない。怒ってもいない。だが――わずかに落ち込んでいるのがわかった。

 

(できることなら今すぐにでも抱きしめたい)

 

それが許されないことだとわかっているから、疼く手を固く握って自身を抑え込む。

視界に入る背中だけでもわかる。水波ちゃんが体を強張らせている。隣の夕歌さんを盗み見れば、表情が強張っていた。

夕歌さんはそこまで知らなかったのか。まあ、秘匿事項ではあるからね。

むしろ勝成さんがよく知っていたものだ。今回の件で資料でも渡されたかな。分家当主たちはお兄様を常に警戒していたから。

・・・その割に中途半端な戦力を送ってくるのを見るに、イマイチその資料の信憑性に欠けるのだけど。

 

「人のプライバシーをぺらぺらと喋らないでください」

 

勝成さんも自分の発言が迂闊だったと気付いたのか気まずそうに視線を逸らした。

 

「マスター、やらせて下さいよ。確かにそいつは手強そうだ。向かい合っているだけで首の裏がチリチリしてくる。ですが二対一で勝てない相手とは思いません」

「そう思わせるのが達也くんの策だ」

「それでもいいじゃないですか。こちらが有利になるんですから」

 

――もう、十分でしょう。猶予は与えた。これ以上は必要も無い。

 

 

――

 

 

「新発田勝成さん」

 

普段と違い人をフルネームで呼ぶ時、それは断罪のシーンであると相場は決まっている。

 

「元旦に行われる慶春会に出席するよう、私は四葉家当主である叔母様より申しつけられております。このご命令を果たすため、私は本日中に本家へ入らねばなりません」

 

淡々と、裁判官が罪を並び立てるように。

それでいて淑女の微笑は忘れない。

 

「私の行く手を妨げるのは、叔母様のご命令を妨げるのと同じです。勝成さんのおっしゃりよう、なさりようは叔母様に対する反逆も同然です。新発田家が本家に対して反旗を翻したということになりますが、それは当然お分かりですね?」

 

想子が騒ぐこともない。コントロールはきちんとできている。

けれどこの場は雪山で、空気は元々冷え切っていた。

それが凍てつく寒さになったのはただ勘違いを起こしただけ。

そう錯覚させるくらいには、私の醸す空気は肌を刺すほどの寒さを感じさせるに十分だった。

 

「しかし貴方にもお立場があるのでしょう。ですから私は貴方の行いを叔母様に告発するのではなく、この場を兄に委ねようと思います。兄が敗れれば、私は大人しくここから引き返しましょう」

 

そんなことは絶対に、万が一にも起きないという絶対の自信が誰にでも伝わっただろう。

つまりこれは既に逃れられない断罪。

 

「残念ですが、あまりお時間は差し上げられません。ご決断を」

「・・・私が達也くんと戦う。それでは駄目なのか?」

 

どうやら勝成さんは初めから戦うのは自分だけ、と考えていたらしい。

自分なら次期当主候補でもあるので殺されることはないと確証があったのかもしれない。

だとしたら見通しが甘すぎる。

 

「私は兄に委ねると申し上げました。兄の考えは、先ほどお聞きいただいた通りです」

 

そんな覚悟で、次期当主になるなど、いくら魔法力があろうとも彼には荷が勝ち過ぎる。

 

「我が主、新発田勝成に代わって、この堤琴鳴が司波達也殿の挑戦をお受けします!」

 

むしろ彼女の覚悟の方が上だと言わざるを得ない。

彼女はこの断罪を自分の首一つで済ませようと立ちはだかったのだ。

勝成さんの顔色が悪くなるが、彼女は既に腹を括った。弟の方はまだ事の重大さをわかっていないようだけれど。

止めろ、危険だ、と説得しても彼女は頑として譲らない。きっと自分の命を捧げているのだ。彼のために使うと。

それができることが羨ましいと思った。

私にそれは許されないから。

だから、なんだろうな。

お兄様が止めに入るより先に、私が口を開いてしまった。

 

「勝成さん、甘いことが悪いことだとは申しません。ですが、貴方は甘やかし方を間違えたようですね」

「・・・唐突になんですか」

「馴れ合いも結構、可愛がるならお好きにどうぞ。けれどそれを表にまで持ち込めばどうなるかわかっておいででしょう?

弱点をひけらかしてどうします。せめて礼儀作法を身に付けさせて身を守らせなさい。

主人が同格と話している際に口を挟むなど躾がなってないと大声で言っているようなもの。隙を与える行為です。

もし格下が相手でも口を挟むような礼儀のなっていない姿を見せれば、その時点で主が見下されるのだと言うことを自覚させてください。見ていて目に余ります。その場で注意するなども見苦しい。

年下だからと侮りましたか?親戚だから許されるなど、そんな馴れ合いの関係を私たちは結んでいましたかしら?

次期当主候補として対立関係なのだというのであれば、猶更そのような隙だらけでは困ります。同じ候補者として名乗られては恥ずかしくて辞退したくなるではないですか。

実力主義の四葉だから、力があれば問題ないなどと楽観視をしているのなら今すぐに考えを改めることをお勧めします。

力だけで組織を運営できるなら、お勉強など必要も無いのですから。

そちらのガーディアンも。主が情の深い人間だと知っているなら、その主を傷つけないために自身を磨きなさい。

先ほど兄がガーディアンはあらゆる危難から護衛する存在であると確認し、貴方方は確認されるまでもないような顔をしていたにもかかわらず、ずっと、守られてばかり。

主の意も汲めないでどうします?そちらの琴鳴さんは状況をお分かりになったようですが、奏太さん、今貴方のお姉さんは自分の首一つで勝成さんの罪を請け負うとおっしゃっているのですよ?この言葉の意味が解りますか?」

 

誰も、何も言えないでいた。

最後に語り掛けられた奏太君はまだ言葉が理解できないのかフリーズしてしまっている。

対する琴鳴さんは顔を青ざめさせながらも気丈にこちらを見つめていた。

やっぱり胆力は女性の方が強いのね。勝成さんも陰鬱な表情で口を開くこともできない。

 

(・・・私もまだまだだね。八つ当たりで虐めてしまうなんて)

 

私にはお兄様の為に命を差し出すことはできない。私が死ぬということはお兄様にも直結してしまうことだから。

それに、勝成さんも勝成さんだ。人の過去を暴いておきながら悪びれるだけで済まされると思わないで欲しい。

ふう、と息を吐いて心を落ち着かせる。

私の溜息にお兄様以外が肩を震わせた。

 

「やる気になったところに水を差すような真似をいたしましたね。失礼いたしました。

皆さん、勘違いしているようですので誤解を解かせていただきますが、ガーディアン同士の試合と言っても命のやり取りをするわけではございません。戦闘不能か降参をするまでです。

実力が拮抗していれば危うく殺してしまうこともございますでしょうが、そんなことはあり得ませんので」

「なっ!?」

 

奏太君が反応したけどすぐに口を閉ざしたのは先の忠告が効いてきたかな。学習能力があったようでなにより。

 

「そうですわね、お兄様」

「お嬢様の望むままに」

 

下げられる頭といつもよりも硬質な声にきゅんと来てしまうことをお許しください。

いつもの柔らかなお声も大好きなんですけれど、こういうお仕事全うしています、ってところに弱い私です。お兄様カッコいい。

でもいつまでも見惚れているわけにもいきませんから。

殺し合いでないことに安堵できる状態ではないだろうけれど、彼らは条件を飲み込んだ。

この場で戦うか、というお兄様の言葉に、私は夕歌さんの袖をツン、と引っ張って水波ちゃんの後ろに下がる。

 

「夕歌さんに万が一でも傷が一つでもつかないように」

 

小声で言えば、夕歌さんが気を緩ませたようにため息を吐いて。

 

「・・・そもそも器が違ったわ」

「はい?」

「貴女が当主になることに大賛成って言ったの!」

 

お墨付きを頂きました。

 

「ありがとうございます?」

 

むしろなんか若干キレ気味で熨し付けて押し付けられた気分なのだけど。

目をぱちぱち瞬かせてたら夕歌さんがさらに脱力した。

 

「ここにいるあなたはちゃんと16歳に見えるのにね。いえ、それよりもっと幼いかしら」

「・・・一体幾つに見えるか窺っても?」

「さっきの啖呵を切ってた姿は叔母様と同等に立てるくらい大人に見えたけれど、今のあなたは幼稚園児ね。お花畑が似合う純真さが見えるわ」

「それは・・・振れ幅が大きいですね」

 

え、叔母様美魔女だから見た目判断だとして30?だけど今は片手の年齢とは。

 

「せめて小学生になりませんか」

「今時の女子は成熟だから」

 

・・・小学生の女の子よりも下だって。

こんな気の抜けた会話をしていたら水波ちゃんが対物シールドと合わせて対音波のシールドも張っていた。

水波ちゃん、有能!爆発とか起きたら任せてね。私もフォロー入れるから。

勝成さんの方はいいのかって?お兄様が誤って彼に攻撃が届くようなミスをするとは思えない。あるとしたらあちらの堤姉弟の落ち度だろう。

ってことで開戦したのだけれど、たーまやー!と声を上げたくなるほど景気よく琴鳴さんが飛んでいきましたね。なかなかの飛距離。

勝成さん案外表情に出るタイプ?いや、私がお兄様ので鍛えられ過ぎたのか、わずかに動く表情は慌て顔に見えた。

奏太君ははっきりくっきり動揺顔だけど、戦闘中ですよ。気を逸らすのはいただけない。

だからこそお兄様は二人同時にしたんだね。一人一人だと時間がかかるし、二人同時だとこうして片方の隙が生じやすい。

二対一って二人の方が有利に見えてそうでも無かったりするんだよね。特に相手が心配!っていう仲良しさんには。仕事付き合いで連携される方が厄介。

何と言うか彼らは魔法師らしい戦い方というか、接近戦は不得意そう。お兄様に間合いを詰められた奏太君が苦戦を強いられてます。

その間のお姉さんはといえば勝成さんとラブラブお姫様抱っこ中でした。もしもし?試合中ですよ。

とはいえその時間は短くすぐに弟のフォローに入るのだけど。

 

「夕歌さん、ガーディアンってこの程度のレベルが当たり前ですか」

「え?そうね、こんなものじゃないかしら、と言いたいけれどこの状況じゃ彼女たちの強さはわからないのも無理は無いわね」

 

圧倒的にお兄様が有利です。相手にもなってない。これ、ここに来るまでの強化兵とどちらが強いかな。

二人で何人くらい倒せるだろう。不意打ちをすればそれなりに?でも相克を利用したジャミングをされたら彼らでは厳しいと思う。

お兄様が奏太君の腹を正拳突きで撃ち抜く。魔法ではない、純粋な体術だ。

そして長い脚から繰り出される頭部を狙った蹴りは無事にフォローの間に合った琴鳴さんの魔法によって阻まれた。

一人沈めば当然一対一となる。初めから不利の状況から更に悪化したが、彼女の闘志は衰えていない。むしろ逆境によって気力が上がっている。

ここで仕留められなければ主の立場が悪くなるとなれば踏ん張りどころではあるのだろう。

音響爆弾を大量に浴びせようとしたようだけれど、お兄様の魔法がそれを全て打ち消す。

 

「24か所を狙った魔法を一度に!?」

 

驚愕の声を上げたくなる気持ちもわかるけれど、実戦ですべきではない。

お兄様は先生と対峙している時のように魔法と体術を駆使した動きで翻弄し、振り返った琴鳴さんの首をきゅっと押さえるだけでオトした。

これも魔法ではない。単純に首を圧迫したことによる締め技でオトしたのだ。

もう意識のない体を叩きつける真似をせずに道路に横たえたところだけを見た奏太君はこれを押さえつけられているのだと誤解し逆上した。

感情的になりやすいところも教育してもらわないと、勝成さんの弱点になる。彼には今日だけでどれだけ課題が詰みあがったのだろう。

逆上してはいるものの技の精度は高い。彼の自慢の攻撃だったのだろうけれど、それすらお兄様の身体を傷つけることは叶わなかった。

何度も放つがどれもお兄様に届くことはない。その前に分解される。

それは魔法師にとってとても恐ろしい光景だったに違いない。魔法式は間違っていない。体に染みつくまで使い慣れた魔法が無効化されるなど信じがたい。

お兄様が最後の仕上げとばかりに跳躍した。止めを刺すつもりだったのだろうがその最中、お兄様の身体が圧縮空気の爆弾によって撃墜された。

お兄様の分解が間に合わないほどの速度だというのに威力はかなりの物で、お兄様の身体が吹っ飛んだ。

 

「お兄様!」

 

しかし声を上げたのは攻撃が当てられたからではない。

追撃が予測できる勝成さんの動きに、お兄様へ忠告のために叫ぶ。

できることなら悲鳴をあげたかった。

だけれど勝成さんの前でそのようなことはできないと、自身を戒めた。

噛み締めても収まらなくて口内の頬の肉を噛んでようやく止まった衝動は、けれど全てを飲み込みきれなくて。

 

「勝成さん、これはどういうことです!」

 

感情が乗るくらい声を荒げてしまった。

彼が参戦する可能性があることくらい承知していた。けれど抗議の声は上げなければ、相手を許したことになる。ルールを破ったのはそちらだ、と示さねばならない。

私の制止など意味もなく、勝成さんとお兄様の第二戦が始まった。

勝成さんの魔法力はすさまじく、特に得意魔法のスピードはお兄様を上回った。

だが、それで大人しくやられるお兄様ではない。そのものの魔法が壊せないのであれば周囲の干渉に物を言わせればいい。

勝成さんの魔法が打ち破られた。

 

(――これでわかったでしょう)

 

CADを操作して魔法を展開。お仕置きにしてはニブルヘイムはやりすぎだろうけれど、これくらいの力を私も見せつけないと腹の虫がおさまらない。

勝成さんの干渉力の届かない高度で展開された魔法は、彼に防ぎようもなく、液体窒素の雨が彼に降り注ぐ。

結界を二重障壁で防いでいるようだけれど、それもいつまでもつかわからない。障壁にも弱点がある。圧倒的力の前では押しつぶされることだ。

なんて、障壁に限らずどんなことにも言えることだけどね。出力を上げることもできるけれど、その前にお兄様が決着をつけられた。

奏太君の身体が吹っ飛び、お姉さんの近くまで転がっていった。

勝成さんに、もう攻撃する気力など残っていなかった。

 

 

 

 

堤姉弟を見下ろしていたお兄様のもとに小走りで駆け寄り、声を掛ける。

 

「お兄様、お怪我は」

「問題なく。巻き戻さねばならないような傷は一つも」

 

微かな笑みを浮かべて応えるお兄様に、勝成さんたちには見えないようこっそりと安堵の笑みで返す。

手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、この状況がもどかしい。

水波ちゃんがすぐに駆け付けてハンドタオルをお兄様に差し出した。

これだけ動いても勝成さんは動かない。

動けないのだろう、人質に取っているように見えなくもないから。だけどね、そんなことをする必要は私たちにはない。

 

「不問には致しません。どうせこの後顔を合わせることになるのです。この件については日を改めて追及するとします」

「深雪さん!」

 

彼らの処遇について追及しなくて良いの?と夕歌さんが言うけれど、この場は良いんです。

 

「急がなければならないのでしょう?そうですね、お兄様」

「ええ。このまま彼らをこの場で放置すれば後遺症が残るでしょう」

 

倒れている二人は死にはしていないけれど重傷は負っている。それはもちろん、後を追ってこさせないための力加減でもだった。

初めからここまでがお兄様の策だったのだ。

勝成さんがガーディアンを大事にしているからこそ立てられた作戦――罠であった。

勝成さんは四葉の魔法には恵まれなかったものの普通の魔法は全般的に優秀だった。

そんな優秀な彼であっても魔法治療を二人に交代で掛け続ける勝成さんに私たちを追いかける余裕などない。

そんな様子を横目で見ながら夕歌さんにお願いして車を運転してもらい、私たちはこの場を去った。

向かうは、四葉本家。

車を走らせてすぐ、夕歌さんが口を開いた。

 

「糾弾しなくて良かったの?」

「あら、私は後日に回したまで。しないとは言っておりませんよ」

 

にっこりと笑って答えると、沈黙が車内を包んだ。

利用できるものは利用しませんとね。でも本来利用できるものでもないのですけど。

 

「そもそも私たちに彼を責める理由なんてないのですよ」

「え、どうして?彼がやったのは不意打ちで、立派なルール違反じゃない」

「そのルールなんて初めから守る必要は無かったのです。なぜなら、彼らの目的は私たちが四葉本家へ行くことの妨害だったのですから」

 

ご当主様への反逆行為ですよ?死に物狂いで攻撃したっておかしくない。

それをしなかったのは勝成さんがこの妨害自体に不信感を抱いていたから。家を傾けてまでするべきことと思えなかった迷いからだろう。

だから彼は甘い作戦を立てた。意識的にかはわからないけれどね。

 

「・・・私、深雪さんの敵にだけは回らないようにする」

「良い関係であり続けたいものですね」

 

お兄様が説明しなかったことで、お兄様の策略が注目されることもなく非難の目が向くことは無かった。

 

 

――

 

 

早く出たにもかかわらず到着したのは15時だった。日が傾きはじめている。

到着してすぐ夕歌さんは別の使用人に案内され、水波ちゃんとも別れてお兄様と二人、母屋の客間へと通された。

二間続きの和室・・・脳裏をよぎるのは、あの(・・)とんでもシーンだ。深雪ちゃんと婚約が決まったその夜の――

 

(ないないない!そんなシーンは絶対に!私たちの間じゃ起こらないから!!)

 

「深雪、どうした?」

「!何でもございませんっ」

 

落ち着け。これはただの聖地巡礼だ。

あのシーンは原作にはあるけれど、それを変えるために行動を起こしてきたのだから。

お兄様が私以外の選択肢を得られるよう、四葉から抜け出し自由を手に入れられるように。

そのために準備をしてきた。私はお兄様と兄妹の関係は望むけれど、それ以上のモノを望むことはない。

だから叔母様から打診されたとしても、お兄様を望むようなことはない。

 

(もし婚約が成立したとしてもそれはあくまで仮なのだから)

 

お兄様が結婚をしたい相手が見つかり、結ばれるまでの仮契約。

ベストは今回次期当主の婚約者が発表されない、または別の人間との婚約なのだけど。果たして叔母様がどう動かれるか。

 

(――全ては今夜、動き出す)

 

頬を冷まし、落ち着きを取り戻したところで先に座卓の前に座っているお兄様の許へ。

座布団がふかふかで少し座りが悪く感じた。・・・実際は座布団のせいではないのだけれど。ちらっと除く襖の向こうをね、考えないようにはしているんだけどどうしても煩悩ががが。

いけない。ここは敵陣なのだからしっかりしなくちゃ。

 

「お兄様、この3日間お疲れ様でした」

「深雪も、疲れただろう。お疲れ様」

 

互いに労い合い、笑い合っているとお兄様が表情を引き締めた。

 

「失礼します」

 

そう声を掛けて入室したのは使用人の恰好に着替えた水波ちゃん一人だった。

すでに彼女はガーディアンではなく、四葉の使用人にクラスチェンジしたらしい。このバイト代ももちろん出るんですよね叔母様?

 

「達也様、深雪様」

 

額を畳に付けるほど深くお辞儀をする彼女は、すでに身も心も四葉の使用人に変わっているということなのだろう。

いつものように接することはできないという説明の込められた礼に思えた。

 

「水波、ここではその言い方を止めた方が良いのではないか?」

 

お兄様は自分の名を先に呼ぶ水波ちゃんを、彼女の立場を考えて注意をしたようだけれど、その優しさを今の彼女は瞬きを深くすることでこっそりと胸にしまったのだろうと思うのは、都合がよすぎるだろうか。

 

「いえ、白川夫人からご伝言を預かっております」

 

白川夫人はこの四葉本家の家政婦を統括する女性のこと。簡単に言うとメイド長。

使用人の統括に於いて葉山さんの補佐をしているのだから、油断できる相手ではない。

 

「達也様と深雪様は七時になりましたら奥の食堂へお越しください。奥様がお待ちです」

 

水波ちゃんが口調を変えて機械の音声のように抑揚なく告げた後、「とのことです」とそのまま伝言を繰ったのだと結んで伝える。

白川夫人がお兄様のことを、様をつけて呼んだことはない。

他の執事や使用人たちのようにそっけなく対応するでもなく、私の兄として接していた人だけれど、常に達也殿、と呼んでいたはずだ。

しかも先にお兄様の名を呼ぶなど序列を重んじる彼女が間違うはずもない。

お兄様は今、言い知れない何かを感じているのだろう。それを不安と取るか不気味と取るか。

 

「奥の食堂で叔母様がお待ちになっている、と。そう仰ったのね」

「はい」

 

明日の話をするだろうことは明白だった。

お兄様はそのメンバーをそれとなく尋ねるけれど、水波ちゃんは文弥くんと亜夜子ちゃんは昨日から滞在していることは答えるけれどそれ以外は不明だとしか答えなかった。

 

「その会食には俺も呼ばれているのか?」

 

食堂に来るようにとの伝言だが、そこで食事するとはまだわからない、との抵抗だろうけど、それは残念ながら否定された。

お兄様も一緒に、とのこと。初めて尽くしでお兄様も困惑。

何が起ころうとしているのか、といろいろ考えているんだろうね。きっとお兄様の考える数多の可能性を飛び越えることを画策されているので、そのシミュレーションは止めた方が、とは言えないことが苦しい。

 

「御用がおありの際は、そちらの呼び鈴をお使いください。すぐに参ります」

 

言って立ち上がる水波ちゃんを呼び止めたお兄様はさっそく黒羽の叔父様との面会を希望された。

お兄様が知りたいと思うことを止めることなどできない。お兄様にとって知らないことこそ、不利になることだとお考えだから。

引き留めることなどできはしない。

水波ちゃんが退室して、お兄様ともう一度向き合う。

お兄様の様子に変わったところはない。お兄様にとってはただ約束通り、自身にまつわるあれこれを聞きに行くだけと思われているのだろう。

 

「何か言いたげだね」

 

私の視線を受けて、お兄様は困り顔をされていた。

私には言いたくないのだろう、とわかるからこちらも口を閉ざしていたのだけれど、お兄様にはお見通しだった。

 

「深雪は物分かりが良すぎる。時折、全て見透かしているんじゃないかと思うよ」

 

(見透かしているのではないのです。ただ、知っているだけで)

 

そう言えたなら、どれだけ楽だっただろう。

 

「気になることがたくさんあるのは事実です」

 

けれど訊ねられてはお兄様が困るのでしょう?と言うのは嫌味になってしまうから。

 

「お兄様がお話しできることがあれば、教えてくださいませ」

 

いい子ちゃんの答えに、お兄様は先の困り顔を更に深くされた。困らせたかったわけではないのに。

そのことが心苦しい。

 

「今、ここが家であったなら、と思わずにいられないよ。お前を抱きしめて安心させることもできない」

 

・・・うん、それは、無くて大丈夫、かな。お兄様に抱きしめられて得られるのは安心よりも先に緊張と心臓の負担です。

特にこの部屋では、例のアレを彷彿とさせてしまうので遠慮したいところ。

オチが付いたところで水波ちゃんが入ってきた。準備ができたって。

お兄様、お気をつけて。そう一礼すると、お兄様は安心させるよう笑みを浮かべて水波ちゃんと共に部屋を後にした。

戻られるまでしばらく時間がかかるだろう。

私は立ち上がって端末を操作し、この時間を利用して暗躍に勤しむのだった。

 

 

 

 

お兄様は朗らかな笑みを浮かべられて戻ってきた。

けれど何か楽しいことがあったわけではない。私と目が合ったことにほっと安心したような、そんな笑みだった。

 

「おかえりなさいませ、お兄様」

「ああ、ただいま。――おや、お茶を飲んでいるのか?」

「和室でしたらお茶の方が落ち着くでしょう」

 

お兄様もいかがです?と訊ねると、先ほど飲んできたばかりだ、とのこと。

七時までまだ時間があるけれど、大丈夫かしら。

 

「深雪、手を貸してもらえるか?」

「?はい」

 

向い合せに机を挟んで座っているけれど互いに手を伸ばせば余裕で手を繋げるくらいの距離だった。お兄様であればまっすぐ伸ばすだけで私に届く距離。

差し出された手に乗せるように重ねると、包み込むようにもう片方の手が重ねられた。

温かい手だ。大きくて、いつも私に安心を与えてくれる魔法の手。

 

「――なんとも回りくどい話をされた」

「!!」

 

まさか、お兄様の口から聞いてきた話を聞けると思っていなかっただけに驚きが隠せなかった。

とはいえ全貌を話すわけではないのだけど、それでもだ。

このように感想を述べられるだけでも十分驚かされる。

 

「俺もお前に愚痴を言う日が来るなんて思わなかったよ」

 

愚痴をこぼすなんて、弱音を吐くようなものだから、自分には必要のないことだと思っていた。と。

 

「深雪に格好悪いところなんて見せたくなかったしな」

 

・・・浮かべられたほろ苦い笑みに、胸が大きな音を立てた。

何時か見られたら、というお兄様の弱った姿は想像の遙か上を行っていた。苦しくなる心臓を胸の上から空いた手で押さえる。

 

(離れていてよかった。いつものように傍に居たら、きっといつもみたいに息が止まってた)

 

「・・・お兄様に、格好悪い所などございません」

「深雪には一体俺がどう見えているのか不思議だよ」

 

不思議と言われても、お兄様はどこも素敵すぎて『悪い』ところなんてせいぜい『意地悪』なところくらいだ。つまり、格好悪いところなんてない。

その後二人して無言で手を繋げるだけで、時を過ごした。

叔父様との話の内容も、これまでのことも、そしてこれからのことも何も話さない。

寄り添うわけでもなく、ただ手を繋いで、目を閉じてはその手の温かさの心地よさを感じ、目が合えば微笑み合う。

ここ数日忙しすぎて取れなかった二人の時間を充電するように繋がっていた。

たったそれだけでも時間はあっという間に過ぎていった。

幸せな時間ほど瞬く間に過ぎてしまうもの。

するり、とお兄様が手の甲を撫でて離れていく。

 

「もう時間か」

「準備をしませんと」

 

入ってきたのは水波ちゃんだった。着替えの手伝いをしてくれるらしい。

こういう時二間続きの部屋で助かるのはお兄様を部屋から追い出す必要がないことだ。

持ってきていた服に着替えて、アクセサリも付けてもらって、準備は万端。

いつもならお綺麗です深雪様、と褒めてくれる水波ちゃんも、本家では必要以上の言葉はなく沈黙を貫いていた。

 

「綺麗だ。――水波、ご苦労だった」

 

すい、と頭を下げて水波ちゃんは一歩下がる。

代わりにお兄様は私に一歩近づいて。

 

「美しいが、寒くは無いか」

「この恰好で外に出れば寒いでしょうが、室内だけですから」

 

手を伸ばしかけたけれど、お兄様は触れることなくその腕を下ろした。

そして今度は手を差し出して。

 

「エスコートくらいはさせてくれ」

「よろしくお願いいたします」

 

手袋からはお兄様の手のぬくもりはあまり感じられない。たった一枚の布だというのに、私たちの間に壁ができたように感じた。

 

 

――

 

 

奥の食堂に着いた時にはすでにほぼ全員が揃っていた。

いないのは勝成さんと叔母様のみ。

席は決められており、案内されるままに座る。

叔母様のお隣ですか、そうですか。

もうこれ席順が答えじゃない。サプライズもあったもんじゃないね。初めから出来レースなんだからそんなもの無かったのだけど。

次期当主候補とそれに連なる兄弟がフォーマルな恰好をして席に付く。

皆素敵な衣装です。これがただの身内だけの会食ならばまずは夕歌さんの姿を褒めて、とできただろうけれど、身内しかいない会食でもこんな緊張感MAX状態では和気あいあいなんて難しい。

昨日の夕歌さんたちとのお茶会が楽しすぎたのが悪かったのか、ギャップが凄い。

威圧感が半端ない。多分内装のせいもある。流石極秘の会食をする部屋。密閉度が高い。

大みそかにこんな堅苦しいお食事会って何の試練でしょうね。優雅に笑っているようで、皆緊張しているのがビリビリ肌で感じる。

遅れてやってきたのは勝成さん。よくこんな時間ギリギリに来れたね。もしやこんなギリギリになるまで治療に専念してたからってわけじゃないよね?彼らから離れる途中、琴鳴さんが体を起こしかけていたのをバックミラーで確認できたし。

夕歌さんに嫌味を言われるのが嫌だった、とか?・・・なくもない、かな。

待っている間、誰も口を開こうとしなかったから多分杞憂だったと思うけどね。

そして最後に時間ぴったりにご当主専用の扉から入室した叔母様は黒に近い深紅のロングドレスがまたよくお似合いで、なんと美しいことか。

眺める時間が少なかったことが残念だけれど、そもそもすぐに立って一礼し、首を垂れるからじっと見ることなどできない。

妖艶で美しい叔母様です。美人さん、綺麗。語彙力なんて初めからなかった。

そちらに目を奪われていたから椅子を引いてくれたのが水波ちゃんだったことに気付くのが遅れた。他の方の使用人はガーディアンではないようだけど、これも特別待遇?

叔母様は皆を労う言葉を掛けて着席を促し、全員腰を下ろした。

まずは食事を、と言うことなのだけど成人組にお酒を勧める叔母様は二人に断られても楽しそうだった。断られることをわかっていたんだろうから、不快にならなかったんだろうけど、言われた方はハラハラしただろうな。

普通こんな状況でお酒飲めないもの。

アルハラはしないよ、という叔母様だけれど地味にパワハラ案件だよね。言えないけど。

こういう階級ある社会ではこのくらい通常運転。貴族社会では挨拶だから。

十師族は別に貴族でも何でもないけど、血を継いで云々のシステムはそれのようなものだから。力で君臨する世界を構築した時点で階級社会は出来上がる。

豪華なお食事が机に所狭しと並べられているのに、全然食欲がわきません。いい匂いしてるはずなのにね。湯気も立っていて出来たてって感じなのに。まるで画面越しに見ているよう。

体が自動で食事を切り分けて口に運んでいるけれど、ちゃんと食べられてるか自信が無い。咀嚼してるはずなのに美味しいと感じられない。

歓談もそこそこに食事は進み、メインに入る前の口直しが終わったところで本題に入った。

明日の次期当主の発表について、だ。

正直、次期当主であることは決まり切っていた。原作云々ももちろんなのだけれど、中学の時点で、叔母様本人に指名されていたのだから。

 

『次期当主候補ということになっているけれど、深雪さんだから』

 

候補とは名ばかりで、次期当主は貴女なのだと。そう宣告されていた。

初めてそう聞かされた時は混乱したものだ。

だって、候補が外れるのは四年後のこの晩餐の時だったはずだからだ。

けれど運命を変えると意気込んでいた当時の私にとってそれは天の啓示に思えた。

私が目覚めて動いたことで運命の歯車は変わったのだと、この時の私には背中を押された気持ちになった。

そこからはたくさんの知識を求めた。生き抜く術を身に付けることに必死だった。

魔法を求め、体力を求め、知識を求め、美を求め――鍛えられることは全て鍛えようとした。

この間もお兄様は過酷な現状に身を置き、唯一の希望、兄妹愛だけを支えに生きているのだから。自分に甘えなど許されない。

強くならねば。強くあらねば。

 

全ては私の夢を叶えるために。

 

(なーんて、献身的に聞こえるけど、結局のところオタクによるオタクのための推しへの活動をリアルにやってるだけなんだけどね)

 

献身的なんてとんでもない。めちゃくちゃ欲塗れですとも。・・・オタクが欲に塗れてないことあった??純白です、なんて言えるわけない。オタクほど欲に忠実な生き物を知らない。

推しの幸せのためならなんだってやる。自分の力だけでなく周囲をも利用して推しの幸せを願う。

はっきり言って、お兄様が推しという時点で幸せにするための推し活はかなり詰んでいた状況にあったと思う。

だってスタート時点で不幸のどん底。お兄様には動かせるだけの感情が無い、心が無い、兄妹愛のみしか残されていない、ないない尽くしの状態からスタートなのだから。

親戚からは死を望まれ、けれど生まれ持った魔法によって簡単に死ぬことなど許されず、自ら死ぬこともできなければ、死を望む心も無い。

ただ自分には大事な妹がいて、妹には避けられているようだが、自分にとって可愛い妹。

お兄様にとって彼女はか弱い生き物であり、彼女の生きる環境は危険が付きまとう。

それを守る役目を与えられたことでお兄様は生きる希望とした。

大事な妹を守るため。妹の喜びは自分の喜び。妹が悲しむならその原因を取り除く。

・・・こんなの、どうやって救えというのか。

難易度Max、ハードモードなんて言葉も生温く聞こえる無理ゲーに思えた。

ただ、幸いなことに私はお兄様の妹として生まれ変わった。お兄様の唯一残された愛として。

更に原作(未来)を知っていた。

お兄様がこの先学校生活を送られるうちに友情を芽生えさせることができると。彼らのために行動したいと、心が突き動かされていく、その様を。

 

心が無いと、痛む感情が無いと思われていたお兄様が、苦悩するのだ。

 

妹以外に心動かされるような未来がある。

それを知っていて何もしないで高校までを待つなんてできなかった。

だって、お兄様にはたくさん幸せになってもらいたかったから。

だからまずは一番身近なはずの家族愛を。

父親には望めなかった。初めからアレに求める気も無かった。

父親の義務をはき違えるような男に何も任せるものなどない。まあ、望まず父親にされたのだから同情の余地はあるのだろうけれど、あまりに小物過ぎたのだ。なので即行切り捨てた。

母は、原作を読むにお兄様への愛情はあったような描写が多々あった。推測ばかりではあったが、彼女は息子のために自身の身を犠牲にして尽くせる手を尽くしていたのだと。それが母の愛で無ければなんだというのか。

その推察の通り、いや、それ以上に母は偉大であった。心を衰弱させていても、いつでもお兄様を想っていた。愛の深い女性だった。

初めは戸惑っていた家族間のやり取りも徐々に受け入れられるようになり、何時しか歪だった関係が自然と丸く収まり、ほっと心を落ち着けられる家族になっていった。

軍での居場所づくりも原作通り。十師族に良い感情を抱いてない部署でお兄様が歓待されないわけが無かった。十師族に生まれながら十師族と認められず蔑ろにされて育ったお兄様に同情を抱かぬわけが無かった。

本人のひたむきに努力する姿も――というより、一つ覚えのように邁進する姿は彼らに悪い印象をを抱かせることは無く、むしろ同情心だけでなく好印象も抱かせたことだろう。

努力する人間を嫌うような人間は実力主義の世界にはいない。お兄様は職場には恵まれた。

FLTもそうだ。初めこそ、あの父の子として入ってきたことで七光りだなんだと嫌厭されていたけれど、お兄様の前向きな取り組みに、それに伴う技術力の高さに誰もが唸った。そして彼の生み出す夢のような理論に感服し、実現しようと手を貸す大人たちが増えた。

実力主義の世界なら、お兄様はどこに行っても認められた。

色眼鏡などない。点数だけがすべてではない世界に於いて、お兄様は水を得た魚のように巧みに動き回り、周囲を魅了していった。

その理屈ならば十師族の中でも実力主義の四葉家では――本来であれば認められたはずだ。たとえ魔法力が無かろうとも、演算領域が人並み以下の空白しか残されていなくとも。神のごとき魔法が二つもあるのだから、それを巧みに使いこなすお兄様は認められてもいいはずなのに、大人たちの身勝手な願いが呪いとなって罪の意識を根付かせ彼らを苛み、目を曇らせた。

実力は認められても、『彼』を認めることができない。

子供たち世代はそんなものに囚われていないからとっくにお兄様の実力を認め、大人たちの言動に疑念を抱いている。

もし、お兄様が邪険にされているその理由をこの場に居る彼らが聞いたなら、きっと誰もがこう返すだろう。

 

『くだらない』

 

と。

 

 

――

 

 

「では、満場一致ということでよろしいかしら」

 

叔母様の少し弾んだ声が鼓膜を震わせた。無邪気そうに聞こえる大人の色気のある声。無邪気で色気とは、なんて矛盾した言葉だろう。だけれどその言葉が今一番彼女を表しているように思えた。

回想している間に、文弥くんがここ数日の分家の反逆に加担していないとアピールするため候補の辞退を申し出て、続く夕歌さんも同様、私に恩を売ることで津久葉家の立場を優位にしたいのだと発言した。

 

「家の実力は直接的な戦闘力だけで決まるものではないと思いますけれど・・・津久葉家の意向はわかりました。深雪さん、夕歌さんは貴女の贔屓が欲しいそうですよ」

 

あらあら、叔母様楽しそうですね。真夜姉さまのするいたずらっ子のお顔が出ていますよ。

 

「今の私は、四葉家の次期当主候補に過ぎませんので・・・。ただ、戦闘力だけが魔法師の価値でないという叔母様のご意見には賛成です」

 

というか、むしろ彼女たちのサポート力は四葉には不可欠だ。とんでもない価値を持っているのだから。

戦闘力が無いと言っても夕歌さんの手札はえげつない。全てを知るわけではないけれど、初手マンドレイクはなかなかの衝撃。

そして残る勝成さんはと言えば、叔母様の問いかけに多数派に従う旨を伝えると同時に、返上する上でお願いがあると頭を下げた。

・・・すごい度胸だよ、勝成さん。

自身の愛を貫く姿は素敵だと思う。そして同時に、四葉の魔法こそ持っていないが四葉の人間だな、と改めて思う。四葉は愛情の深い一族だから。

叔母様は面白いものを見るように勝成さんを見つめ、揺さぶりをかける。

 

「確か調整体『楽師シリーズ』の第二世代・・・。『楽師シリーズ』は今一つ遺伝子が安定しないから、分家当主の正妻には向かないのではないかしら」

「父にもそう言われました」

 

堂々とした返しっぷり。叔母様もこれには苦笑するしかなかったようだ。

 

「今でも内縁関係にあるのでしょう?」

 

・・・ご当主様ったら何でもご存じね。どこからそういう情報筒抜けるの?いや、この勝成さんのことだ。むしろ危険を承知でばらす前提叔母様の目と耳が届く範囲で――いや、これ以上考えちゃいけない。妄想を巡らせるの良くない。

本家でわざと、なんて琴鳴さんのいやいやする姿、きっと可愛かっただろうなんてよろしくない妄想です。オタクはおかえりください。

 

「そうねぇ、愛する者同士を引き裂くような真似をしたくはないし」

 

叔母様の意味深な視線が私に向けられる。

こんな時、心の中でいつもお母様が助けてくれる。淑女の仮面はしっかりと私の身を守ってくれています。

 

「調整体だからと言って早死にするとも限らないものね」

 

にっこりと微笑みかけられた。・・・ここ、こんなシーンだったかな。

思っていた反応と違う動きに内心戸惑うけれど、表に出すことは無かった。

 

「良いでしょう。本家の当主ともなれば結婚相手も自分の意思だけで、とはいかないけれど」

 

わあ、叔母様ここにきて一番のいい笑顔ですね。すでに私の相手を決めてるってお顔。

・・・あれぇ?これは良くない流れになりそうな予感。第一希望が全く通って無さそうな。気づいていないよ、とすまし顔で乗り切らせてください。

 

「分家の当主なら、そこまで深く考えることは無いわ」

 

口添えを約束すると、勝成さんは立ち上がって深々と一礼をした。

この場の次期当主候補の三人が、候補を辞退することになり、必然的に残り物が繰り上がるような形になった。

あまり嬉しくない表現だけど心情的にもそれがぴったりくる。それだけこの四葉という名は重責だから。自分で選んだ道とはいえ、とんでもないものを背負ったものだ。

 

「深雪さん、貴女を次の当主とします」

 

叔母様の言葉に応える様、立ち上がって一礼。

これでこの食事会の本題は終了。叔母様の指示でメイン料理が運ばれてきた。

そのタイミングでグラスを空けた叔母様はとても機嫌が良さそうに見えたことだろう。

 

「よかったわ。こんなに簡単に決まってくれて」

 

けれどグラスに映るニンマリ笑顔に、私は背筋に冷汗が流れた。

叔母様のこういう笑みはよろしくないことを言いだす前兆なのだと、深く付き合うようになって知っていた。

 

「残念だわ。勝成さんがよろしければ、深雪さんの婚約者になってもらう予定だったのに。今からでもどうかしら。本妻に深雪さんに立ってもらって、愛人という形で彼女を愛せばいいわ」

 

(・・・やっぱり)

 

心構えがあった分、その言葉の衝撃はほとんど無かった。ある意味予測していたとも言える。

だけど、その他は相当な衝撃だろう。皆お顔が真っ青です。

あの、勝成さんの結婚の許可発言を聞いて顔を赤くしていた文弥くんでさえ、真っ青に凍り付いていた。

それはそうだろう。つい先ほど、候補を降りる代わりに琴鳴さんと結婚する許可を求め、それを了承した口で愛人にすればいいなどと、当主でなければ非難が集中したことだろう。

 

「な、にを・・・」

 

可哀想に、勝成さんは青ざめた表情を強張らせながら呻くように何とか言葉を紡いだ。

勝成さんだけではない。ほとんどの人間が顔を引きつらせたり、強張らせたりしたまま動けずにいた。叔母様と葉山さんと、私を除いて。

 

「パーティーに出る時やパートナーが必要な時にはエスコートくらいしてもらうでしょうけど、それ以外は今まで通りの生活で構わないわ。当然子供を作っては貰うけれど」

 

それも提供だけしてくれればこちらでするから問題ないわよ、と。

叔母様は今度お茶でもどうかしら、と聞くくらいの気軽さで次期当主との婚約を勧めている。

勝成さんの顔はますます血の気を失っていく。まるで低体温症を引き起こす直前のようだ。

無理もない。私もまさか今更(・・)こんな人の多いところで提案するとは思わなかった。

 

「子を作った後は離婚して正式に自身の愛する女性と結婚して構わないわ。今時離婚を傷だと言う人もいないでしょうし」

 

深雪さんもそれくらいで傷ついたりしないでしょう?と微笑みを浮かべられるけど・・・これ、悪意ない発言だってわかるの現在私だけだと思うよ叔母様。

その言葉に苦笑する私の反応に、周囲がとても奇異なものを見る目で叔母様と私を見つめたのがわかる。そうだろう。つい先ほどまでのやり取りと、このやり取りでは親密さが違って見えるだろうから。

夕歌さんの視線が、まさか叔母様とも!?と驚愕が含まれているのもわかるが今その返答はできないのでしらを切らせてもらう。

しばらく続いた沈黙を破ったのは勝成さんだった。

 

「自分は、そんな器用な男ではございませんので。それに、次期当主にはもっとふさわしい男がいるかと」

「残念ねぇ。迅速に深雪さんの婚約者を選びたいのだけれど。きっと荒れるでしょうから」

 

いや、今この場を荒らしてるのは叔母様ですよ。

私の婚約は確かに至急必要なのだけれど。だからって何の用意もなく婚約者を割り振られた方はたまったものではない。

早めに誰かと婚約しておかないと周囲が騒がしくなるのは想像に難くないけれど、原作で魔法界が揺らぐのはお兄様を選んだからであって、お兄様がお相手でなければあそこまで荒れることはないはずだ。

叔母様、お目目がキラキラと輝いていてとても楽しそうですね。

うんうん、美女の楽しそうな表情は目の保養だよ。ちょっと魂がここから離れているから他人事に思えて美女の笑みを楽しんでおります。

夕歌さんの視線が先ほどより厳しく突き刺さっている気がするけど気にしない、というよりできない。

何故なら――

 

「達也さんはどなたならいいと思う?」

 

お兄様の方から感じたことのない沸々とした怒りをビシビシ感じて、身動きが取れないでいた。

見た目はごく普通に見えるんだよ。怒ってるようになんて見えない。とても落ち着いたいつものカッコいいお兄様。

四葉家でガーディアンしてる時の空気に溶け込むように気配を消している感じではなく、ごく自然のお澄ましお兄様。・・・だからこそこの深雪ちゃんだから感じられるお兄様の心が余計に怖い。

誰もお兄様のお怒りに気付いていない様子で、叔母様の問いかけにどう答えるのかと皆の視線が一点に集中している。

ただ、私一人が焦点をずらし、お兄様のお顔を見ることができずにいた。

 

「兄としてなら深雪を幸せにしてくれる相手をと言うところでしょうが、四葉家次期当主に望まれるとなると自分にはわかりかねます」

 

控えめな発言に、けれど叔母様はとても、それはとても愉しそうに笑われている。・・・これは、あまりいい状況ではないなぁ。叔母様がハイになっている。葉山さんは――止めないか。

なら――

 

「よろしいでしょうか」

 

そっと手を挙げて二人のにらみ合いにストップをかける。

 

「貴女のお話ですもの。どうぞ、深雪さん」

 

余裕ある笑みを湛えワインを揺らしながら促された。

一つ一つの動作が様になっている叔母様です。麗しいけれど、このお話は一旦ここまでです。

 

「ありがとうございます。まだ決めかねているのであれば、時間稼ぎもありかと」

「仮で婚約?それでは深雪さんにも傷が付かないかしら」

「それくらいのことで傷だと騒ぐようなお相手では四葉でいることは難しいでしょう」

「ふふ、それもそうね」

 

叔母様はご機嫌にワインを呷り、新たに注がれたグラスを傾けてそれ以上追求することはなかった。

もうすでに叔母様の中でプランが決まっているのだ。

この場で話したのは・・・多分だけどお兄様たちの反応を楽しみたかったんだろうな。

叔母様、好きな子ほどいじめちゃうタイプ。・・・やりすぎちゃうと困るのは叔母様だと思うのだけど。

こうして皆の前でお兄様と会話できるだけでテンション上がってるのか。

そう思うと可愛らしい人なんだけど、やってることと振り回してる権力が可愛らしくないんだよなぁ。

微笑みを湛える頬の筋肉鍛えていてよかった。

キープしつつ食事を飲み下していった。

 

――

 

 

お食事が終わる頃、叔母様にこの後のご招待を頂いた。・・・いや、居残りを命じられた、が正しいのか。

お兄様の機嫌があの質問の前あたりからずっと下降したままなのが気になって仕方が無い。

相当ストレスも溜まっていることだろう。ここに来るまでにも色々ありましたからね。

戦闘とか戦闘とか通せんぼとか回れ右とか。

いつまでたっても辿り着けないイライラに加えてようやく辿り着いたと思ったらこれだものね。

お兄様がこういったお食事の場に呼ばれることも初めてのことであったし、何より妹の結婚の話はお兄様にも面白いお話ではないらしい。

十文字先輩とか冗談でもピリッとしてましたからね。この世界でのシスコンブラコンは恋人ができると不満を抱くのが当たり前の世界のようだから。・・・お兄様もそうだとは思わなかったけど。

それとも世間がそうだから態とお兄様もそれに倣っているのかな。普通に見せる擬態・・・にしては不満の感情が伝わってくる。

不満、が可愛らしい表現だとは思わなかった。おこですおこ。お怒りです。

一体全体、何がそこまでご不満なのか。お兄様だって次期当主に婚約者が付くことはわかっていたはず。だから怒りが向いているのはこの件ではないと思うのだけど、タイミング的に切っ掛けはこれだと思うのよね。

お兄様の無表情の下に隠された感情が伝わってくる。

こんなにも、お兄様の気持ちが流れるように伝わってくることは初めてだ。

私がお兄様の心の動きに敏感なことをお兄様はご存じだ。以前話したことがある。だが、それは私の観察眼でそう思われているのだと今になって気付いた。

まさか精神干渉力が強く、血の繋がりの濃さが身内の心の動きを捉えやすくなっているなんてお兄様も思わなかったのかもしれない。

恐らくだけれど封印を解けば他人だろうと心の揺らぎが読めると思う。

深雪ちゃんは他人に興味が無かったから周囲を深く探ることなどなかった。お兄様しか見えていなかったから、そこだけがわかれば十分だった。それ以上必要などなかったのだ。

こんなことを考えている間にテーブルがセッティングしなおされていた。

叔母様の前にはストレートの香りの高い紅茶が。お兄様にはブラックコーヒー、私にはミルクの入ったコーヒーが用意された。各々の好みに合されたものをそれぞれの前に。

一体どこで調査されたんだか。お兄様になんて、今まで出たこともなかったのに。

並べ終えると使用人だけでなく、葉山さんも退室した。

完全に身内のみだという演出か。

先に口火を切ったのは、当然叔母様だった。

 

「さて、あまり時間も無いから用件を済ませましょうか」

 

本来叔母様から次期当主になったことを祝う言葉を頂戴する場面からスタートのはずだったけれど、叔母様にとって私が成ることはわかり切ったことであったためわざわざ言うことでもなかったのだろう。

優雅に傾けていたカップを置いた叔母様は手を組んで前のめりに体を傾けて妖艶に微笑まれて。

 

「まず初めに、伝えておかねばならないことがあります」

 

 

 

「達也さん、深雪さん、――あなた達は兄妹ではありません」

 

 

 

どくん、と心臓が悲鳴を上げた。

叔母様がそう話を持っていくことはわかっていた。わかっていたのにこの衝撃。

兄妹ではないと突き付けられたことに嘘だとわかっていても――恐怖を、絶望を抱かずにはいられなかった。間違っても歓喜ではない。

深雪ちゃんにとってそれは希望の言葉であった。ありえないはずの言葉であった。同時に叶わないとわかっていても、願っていた言葉であった。

けれど私には違う。お兄様にとって唯一残された心が妹を想う兄妹愛。

この根底が崩されてしまうことがどれほどの恐怖か、今まざまざと思い知らされた心地だ。

ありえないとわかっていても、兄妹ではなかったことで今まで築き上げた関係が崩れるのではないかという、絶望が心に広がっていく。

もちろん、叔母様の一言でお兄様が揺るがないことはわかっている。兄妹でないことなどありえないことも。

知っているのにそれでも怯えてしまうのは、私という異分子がいること。この身体がお兄様の兄妹であっても、私の心はお兄様の妹に擬態しているだけの一般人であるということ。

ここまで築き上げた絆はある。共に過ごしてきたのは間違いなく私だ。お兄様の妹として生まれ落ちたのも、私。だから擬態と言うのはただの気持ちの問題ではあるとわかっているのだけれど、どうしてもその一線を越えられない。

震えそうになる体を必死に叱咤して押さえつけた。

今まで学んだできた事はしっかりとこの身に付いている。淑女教育はいつも支えとなり、こんな時でも笑みを湛え、自然体のように叔母様と向き合えている。

だが、この場面での動揺の無さは逆に不自然に思えたことだろう。そんなことに気づけないほどに動揺していた。

 

「深雪さんはとても落ち着いていらっしゃるのね」

「・・・いいえ、とても衝撃的なお言葉に、どう反応していいのかがわからず困っているところです」

 

その言葉に嘘偽りはないのに滑って聞こえるのは言葉に感情が上手く乗り切れていないから。

隣でお兄様が気遣わし気に私を見ているのがわかる。

お兄様とて動揺していないわけではないのに。

叔母様は相変わらず笑みを湛えたまま。これから口にする言葉が楽しみで仕方が無さそうだった。

 

「叔母上、一体何の冗談です」

「冗談?冗談ではないわ。だって達也さん、――あなたは私の息子だもの」

 

この言葉にお兄様はついに絶句した。

ぽっかりと、お兄様の感情が空になったように読めなくなった。

きっと頭が真っ白になったのだろう。お兄様には滅多にない状況だ。

おかげで私は少し冷静になった。

 

「どういうことです?お兄様が叔母様の子というのは」

 

そして叔母様はお兄様が自身の卵子をベースに母深夜に代理母として出産してもらった子だと説明した。

 

「・・・後程、詳しく教えていただけませんか」

 

お兄様は取り乱しはしなかった。あくまで冷静にそう口にし、叔母様も鷹揚に頷いた。

 

「そうね。いきなり納得しろと言っても難しいでしょうし、この後、親子水入らずでお話しましょう」

 

私たちが兄妹でないのだと改めて宣言をしたうえで、畳みかけるように命を下す。

 

「四葉家次期当主、深雪さんの婚約者は達也さんよ」

 

――ああ、変えられなかった。

無力だ、と固く目を閉じた。

残念、無念、ではない。無力だ、とまざまざと見せつけられた気分だった。

 

「明日の次期当主指名と同時に婚約者も発表します。ですので達也さんにも、深雪さんの婚約者として明日のお披露目に出席してもらいますからそのつもりで」

 

ここまでの努力ではやはり叔母の決定には逆らうことができない。だけど予想できなかったことじゃない。――まだあがけるだけの手はある。

 

「叔母様、それはお兄様が一時的に私の婚約者となり盾となるということでしょうか」

 

お兄様の肩がわずかに動いた。身じろぎするほど大きくもなく、けれど息を吸った以上の動きだ。

お兄様も徐々に衝撃から抜けてきたのかな。きっと今頃脳内ではすさまじくフル稼働させてあらゆる可能性を導き出していることだろう。

でも残念だ。きっとその中に答えはない。

これは女性特有の複雑怪奇な思考が生み出した妄想による暴走。お兄様には難解過ぎた。

 

「なあに、深雪さん。もしかして他にどなたか想われている方でもいるのかしら」

 

まるで達也と結婚したくないみたいね、と叔母様はそれはそれは愉しそうに笑われていた。

続けられた言葉がずしん、と私の胸を圧迫した。

お兄様と結婚、したいかしたくないかと言われれば――お兄様のように素敵な人と結婚出来たらそれは最高に幸せなことだと思う。だけどそれはしてはならないこと。

もし、私と結婚してしまえばお兄様は一生四葉から離れた生活などできないのだから。

それでは真の自由など得られない。

 

「想う方など、そのような方はおりませんが私とお兄さ――失礼しました。・・・達也様と私が結婚するとは現実的ではございません。兄妹で無いにしろ血が近すぎます。叔母様と母は双子ですから普通の姉妹以上に血も濃いでしょう。一時的な候補として据えているのだと考えるのが妥当です」

「ふふ、そうね。深雪さんが言うことは正しいわ――普通なら、ね」

 

・・・まさか、叔母様私の前で完全調整体のことを暴露する気!?

内心慌てたけれど、しかしそれは杞憂だった。

 

「どのみち時間稼ぎが必要なのは深雪さんもわかるでしょう?すでに十師族の内、二家から司波深雪にそういった意味での調査が入っているのだから」

 

叔母様による別の暴露が止まりませんね。

このままでは私が叔母様に提案した内容さえもバラされそうだ。これ以上は口を噤めってことだと理解した。

口を閉ざして俯いたのを、叔母様は私が正しく理解したのだと読み取って口元をにんまりと歪めた。

 

「一時的にでも何でも、明日は深雪さんの次期当主の件と婚約者の件の発表は覆らないわ」

 

私の案に乗る様な形の発言だけれど、叔母様の意志は変わりない。そう窺える表情だった。

 

「ねえ、深雪さん。私は貴女がこれまでどれだけ努力してきたか、知っているつもりよ。“幸せ”のためにここまで頑張ってこられたのだものね。私も応援しているの。貴女の望む幸せが叶うことを」

 

白々しい言葉、だと言い切りたいのに叔母様の目には母にも似た慈愛が浮かんでいて。

 

(・・・叔母様はお兄様を四葉に縛り付けたいから私と婚約させようとしているとわかっているのに)

 

それはけしてお兄様の幸せには繋がらない。

伝えたことはない。叔母様に、お兄様を幸せにしたい等と言ったことはない。

けれど叔母様が察しているかもしれないと初めの頃から思っていた。今では確信している。

それなのに叔母様は私を応援しているというその口で、お兄様を手放して自由にするつもりはないと言う。

ぐらぐらと私の頭と心は揺れ動き、かき乱された。

 

「さあ、明日は貴女の望みが叶う第一歩よ。目いっぱい磨かれていらっしゃい。せっかくの晴れ舞台だものね」

「・・・はい、叔母様。お心遣い、感謝いたします」

 

これ以上の問答は許さない、とその場を追い出されたのだった。

 

 

――

 

 

 

部屋を去る際、お兄様を見ることができなかった。

あまりにも不甲斐無い自分を見せることが惨めだった。

それから、叔母様の呼び出した使用人に連れられ部屋を退出。廊下をどう通ってきたのかわからない。気が付いたらお風呂場で、三人の女性たちに体を洗われていた。

 

え!?洗われてる?!?!

 

一体どれだけ気がそぞろだったのか。

泡モコの身体にされている状態でようやく意識がはっきり覚醒した。

髪はとっくに綺麗に洗われ、どのようなオイルを使ったのか、まだ濡れているのに指通りが良さそうだとわかる。

羊のようにもこもこになっていた泡も洗い流された体は香油を垂らしたような花の香り漂う湯船に入れられた。湯加減は少し温いくらいだろうか。

失礼します、と二人の女性から片腕ずつ取られて首の付け根辺りからマッサージを受ける。水波ちゃんはいない。あれ?原作では水波ちゃんいなかった?!

たらりと垂らされた香油は既に温められていたので不快になることはなかったが、痛くなる直前の絶妙な力加減で塗り込められ、血流を促すように刺激されていけば体中が熱くなる。

その間、「なんと美しい肌でしょう・・・」「滑らかな肌触り、吸い付くようです」「水の弾きも肌のきめ細かさも素晴らしいですわ」「筋肉も程よくついたこの弾力に虜にならぬ者はおりませんでしょう」etc。

ひたすらに褒めちぎられてます。恥ずかしい。しかもそんなつもりはないだろうけれどお姉さんたちの声がだんだんと熱気と水気を帯びているように聞こえてきて身の危険を感じ始めた。

いや、そんなことないでしょうけどね、視線もね、頬もね、熱を帯びているように上気していて・・・お風呂の熱に中てられてるんだよね?

手先までのマッサージが終わったらまた肩回りに戻って脇から胸に――って!

 

「ひゃんっ」

「あら、可愛らしいお声ですこと」

「深雪様は声にも魅了をお持ちなのですね」

 

いやいやいやいや。なにこれ。どういうこと?!今私に何が起きているの!?誰か教えてエロい人!じゃなかった偉い人!!

お姉さま方に気持ちよくさせられてたらなんかとんでもないことになってるんですけれど?!

いつの間に浴槽を出ました?瞬きの間にマットの上に寝転がっていたんですけれど。魔法かな!?想子動いて――動いてるね?!

両サイドから薄っすらと濡れている湯着を纏ったお姉さま方に挟まれてマッサージを受けている状況。何これ天国??

でもね、さっきからね、ただ気持ちいいだけではない気分にさせられているのだけれど?!これなんたらマッサージとか言いませんよね!?

 

「あ、あの!」

「深雪様、どこか痛いところでもございましたか?」

「いえ、その、大変気持ちがいいのですが、」

「それはよろしゅうございました」

「このままわたくし共に身を預けていただければ、隅から隅まで磨き上げますので」

 

お姉さま方は施術をしながらにこやかに答えられているけれどその手は休むことが無く、私の口からは先ほどから我慢していても声が漏れ出ている状態で施術によって血行が良くなった以外の要因でも熱くなっている。

気持ちがよすぎてもう何が何やらわからない。

 

「それにしても、どこもかしこも引き締める必要のない身体というのは初めてですわ」

「本当に。普通でしたらぎゅうぎゅうと締め上げるところなのですが、深雪様にはそのようなことは必要ないくらい、非の打ちどころのない完璧な肢体です」

「日頃からストレッチをされているのですか?」

「、ええ。日課に、して、んっ・・・」

「それは素晴らしいことですわ」

「その努力がこの魅惑の肌のツヤと柔らかさに顕れているのですね」

 

褒め殺しと気持ちのいいことをされて思考はぐずぐずに溶かされてしまった・・・

施術を終えた彼女たちは汗だくになりながらもきらきらと輝いていた。

そしてお風呂場から上がると、白川夫人がタオルをもって待ち構えているではないか。

こんなこと、彼女がする仕事では無いはずなのに――

 

「・・・いい仕事ぶりですね、貴方達は下がりなさい」

「「「はい」」」

 

お姉さま方は先ほどまでの駄々洩れていた怪しい雰囲気を一瞬にして掻き消して頭を下げるとすっと部屋を出ていった。

残されたのは私と白川夫人のみ。

 

「より一層お美しくなられましたね。これは明日の慶春会ではどなたも貴女様に目を奪われることでしょう」

 

普段ほとんど余計な口など開かない夫人の誉め言葉に、そつなくお礼を述べるけれど内心バクバクである。

一体何が目的か、色々と考えてみるもこの溶け切った頭では何も浮かばない。

体裁を整えるだけで精いっぱいだ。

身体を拭われ、まとめられていた髪を下ろされたと同時に髪に魔法が掛けられる。一瞬にして乾く髪の毛。・・・体もこれで乾かせばよかったのでは、と思ったけれど、身体の方は程よくオイルと水分が残った方がしっとりとするのでこの方法は間違っていない。

一人で着替えられるけれど、白川夫人には逆らってはいけないと幼少期から身に染みてしまっているので、身体が力み過ぎないよう意識して、されるがままになっていたのだけれど、次の瞬間目に入ってきたとんでもないものに目を奪われる。

 

(・・・んん?そ、それはっ!?)

 

「し、白川夫人!?あの、こ、これは」

「奥様からです」

 

叔母様が!?

いやいやいや!何を考えてるのあの人!?

 

「深雪様のために吟味に吟味を重ねてお選びになっておいででした」

 

淡々と語る白川夫人は他の物を用意する気などないと言外に伝えているのが良くわかる。・・・わかってしまう。

他の物を着る選択肢などどこにもないのだと。

サーっと血の気の退く音を聞いた気がした。

逆らうことなど許されず羽織らされるそれは普段自身が身に付けることのない色味で、複雑な模様を描く細やかなレースが裾を縁取っている。

身体を覆っているはずなのに軽すぎて着ている気にならないのに、ひんやりとした生地が体に纏っているのだと教えてくれた。

目の前で白川夫人が前を留めてくれているけれど、大きく開いた胸元とトップからアンダーに掛けて宙に浮いた生地に当然温かさなどない。

触れる布が無いのだから当たり前なのだけれど、先ほどまで火照っていたからだが急激に冷えていくのを感じた。

鏡が無いので完成形をしっかり見ることができないのだけれど、はっきりと言おう。

 

(見下ろしただけでわかる。――えっっっっっっろいよ!!エッチが過ぎるよ!!)

 

どういうことだ?何がどうなってこんな・・・こんな・・・ベビードールなんて着させられているの?!更に下のお召し物もとっても布の面積が少ないのだけど!?腰のおリボン可愛らしいですね。ごく細の毛糸並みの細さがとっても心許ない。すぐほどけそうで心配になる。できれば堅結びでお願いしたいけれど、それでは美観を損なう?ですよね。

黒と紫の配色がエレガントでもありつつも夜の雰囲気たっぷりで、この布一枚で色気を感じるんじゃないかっていうくらいドキドキする。魅了系バフ付いてます?

とにかく布が薄い。胸のところ以外は透けている。スケスケである。

今は年末ですよ。真冬!室内だから季節は関係ないって?そうなんだけどさ。

薄いだけでなく、その上センタースリットが入っていてお腹を完全冷やす仕様です。

それを白川夫人が黒の光沢あるおリボンで結んで締めてくれているのですけれど、お胸の下で締めているのでトップとアンダーがくっきりと浮き彫りになってですね・・・深雪ちゃん、ご立派になられて・・・。

おかげで見下ろしてもおへそは見えませんね。ワイヤーもパットも無いから形がはっきりとわかる。垂れていないのは日ごろのストレッチのおかげか。それとも若さか、とにもかくにも形がいい。

胸を支える布が脇の部分予算カットしたのかなというくらい丸見えで輪郭が良く見える。他人事であれば手を差し入れたくなる誘惑に掻き立てられそう。

・・・というか自分一人であったならちょっとくらい、とか――いやいや!正気に戻れ!魅了がかかっている!!

締められるおリボンは一つではなくその下にも二つほど。おかげで括れもしっかり露わにされてしまっている。さっきまですーすーしていたお腹周りにひんやり薄い布が巻き付いた。

しかし、おへその上のリボンなんて、位置完璧すぎない??設計者を呼んで。大変素晴らしい出来ですわ!全身像見れていないけど。上からしか見えてないのだけど!!

え、何でこんな恰好をさせられているのです?

 

(叔母様からってどういうこと?これは何の意図がある??)

 

とんでもないエロい下着を身に付けられている。

・・・個人的な嫌がらせ?可能性はなくもない。揶揄うの大好き真夜お姉様だから。愉快犯って可能性もある。

原作を知っているからこの後お兄様と同室で寝ることになるのはほぼ確実だろう。

正直この魔窟でお兄様と離されることの方が問題だ。この場に限ってはお兄様と同室の方がありがたい。

それがわかっていてこの恰好はかなり精神的ダメージが大きい。寝られる気がしない。もちろん何かが起こってとかじゃない!お兄様の横でこんな恰好を・・・もちろん上に着せてもらいましたけどね、白い寝衣を。

これだって心許ないけれど、何より中身がこれというだけで落ち着かない。透けてないよね?!

睡眠不足を狙ってる?明日の失態を期待して??――それはない。

叔母様にとって私の失態はお兄様を引きずり下ろすきっかけを与えることになりかねない。

なんやかんや理由をつけては文句を言う分家に変な隙を与えたりしないだろう。

ならば何が目的?本当にただの愉快犯でいつものお遊びだったなら問題はないのだけど。ぬいの新コスチューム依頼とかね。タイミングとしてはかなり性質が悪いけど。

・・・まあ、どちらにしろお兄様に見られることは無いから私がただ羞恥心を煽られて終わるだけなんだけど。

お兄様が部屋にいなければ一度全身を見たいけど、きっと先に戻られているものね。

・・・今度似たタイプの買ってみようかな。し、資料としてね!あ、でもこれが叔母様の贈り物なら持ち帰ることになるのかな。・・・水波ちゃんには見られないように仕舞わないと。

羽織らせてもらった白い着物の帯も締め終わった模様。

それにしても、こちらも生地が薄い。寝るためのものだから当たり前なのだけど、今はこの一枚だけが私を守る防具だ。中身?危険な匂いのする身に付けると呪いのかかる防具のことは忘れましょう。

見えない防具は無かったことに。RPGにおいて、防具の重ね着はできないので表に出ている分が正式防具!

と意気込んでも一枚だけでは心許ない。所詮は布の服だ。

布の服一枚で冒険に出られる勇者は本当にすごいと思う。私には無理。今すぐにでも革の鎧が欲しい。

何で布の服の上に革の鎧が身に付けられないんだろうね。防具重ねてパワーアップしてくれればいいのに。

・・・今しているだろうって?防御力のない布に何の意味があるというのか。そのくせとんでもない呪いがセットされていると思うとこの後が恐ろしい。呪いを解く教会はこの村に無い。

心配したところで何もないはずだと考えても、着ていることを思い出すだけでとんでもない羞恥が襲ってくる。

心配と言っても寝乱れたりして見られるようなことがあったらっていう、あり得そうな事態についてなのだけど。怖いね。本当気をつけないと。

特にお尻の辺りが動くとね、忘れたい事実を思い出させると言いますか・・・。淑女教育の修行にも矯正ギプスってあったんだね。

否が応でも鍛えられそうだけれどすでに筋肉が負けそうです。心と共に悲鳴を上げています。

そんなことをつらつら考えながら白川夫人の案内で誰もいない廊下を歩く。

徐々にその時が近づいていると思うと心臓がランニングからジョギングに移行していっているのがわかった。

 

 

――

 

 

長い廊下を小さな歩幅で歩く。少しでもこの間に心が落ち着けばと思うのに、一向に心も心臓も落ち着かない。

 

(こ、こんな恰好でお兄様の前に出ろと言うの・・・)

 

改めて恐ろしい現実に顔は熱くなるものの頭が冷えてきた。不思議な現象。

別に脱ぐことはないとわかっていても、これを身に付けているだけで羞恥心に焦がされる心地だ。

今すぐにでも逃亡したい。

けれどそれが許されないのはわかっている。・・・重々、理解している。

 

「こちらで達也様がお待ちです」

 

その名前にどきぃっ!と心臓が一番の音を立てた。

落ち着け。

何度も言うけれど別に何か起こるわけがない。お兄様が扉の向こうで先に待ってくれている。ただそれだけだ。

叔母様に真意を訊ねに行かれたお兄様から説明を受けて、何事もなく寝るだけだ。

そう、寝るだけ・・・。・・・この恰好で?・・・・・・だめだ、それだけでも十分恥ずか死ぬ。

このまま白川夫人は下がるかと思いきや、扉を開けて中へ促したではないか。

逃げることは許されない、と――そういうことだ。これ絶対叔母様の仕込みでしょう。

私が怖気づくのわかってましたね。叔母様のニヤニヤ顔が見えるようだ。元々逃げ場なんてどこにもないのにこの隙の無さ。

肩を落としながらしずしずと中に入ると、お兄様の背が見えた。

私が入室する音はしていたはずなのに、迎えることなく背を見せているなど珍しい、と思ったらお兄様がばっと、これまた珍しく大きな動作で振り返る。

 

「俺が来た時にはすでにこうだった――」

 

謎の弁明をするお兄様の後ろには、一組の布団に二つの枕。

わあ、あれって本当に実在したんですね。

あの、時代劇で見るあーれーお代官様~、の時にバックに敷かれているヤツ。あれほど豪華なセットではない普通のお布団の色だけれど。

違和感があり過ぎてどこか現実味のない光景に遠く意識を飛ばしていたのだけれど、お兄様の声が不自然に途切れたままだと気付いて視線を戻せば、お兄様が呆然とこちらを見ていた。

眼を見開いて、凝視されている。

薄っすらと開いた口は、先ほどの言葉の後から開いたままになっているのだろうか。

まるで時が止まったかのようにお兄様は動かない。

昨年の正月にも、このように動かないお兄様は見たが、あの時とはまた違った反応。

あの時は驚いた、という表情は浮かべられていたけれど、それはすぐに笑みへと変わった。

けれど今のお兄様は息を止めて固まっていた。

お兄様が視線を向けられているのはもしや私ではないのでは、と後ろを振り返るもしっかり施錠のされた扉があるだけで特におかしな箇所は――って施錠!?

内側から掛かって見えるなら開ければ出られるはず、と思うけれどここは仕掛けいっぱい四葉邸だ。ドアのカギを捻って開錠の音はするけれどドアノブを回してドアを押しても引いてもびくともしない。

・・・閉じ込められた。

もちろん魔法を使えば開けられるだろう。緊急時に閉じ込めるようなことがあるはずは無いから。

だが別段、今はそんな非常時でもない。無理にこじ開ける場面じゃない。

扉から手を離してお兄様に向き直ると、お兄様は大きく深呼吸をしていたところだった。

良かった。お兄様は自力で呼吸を取り戻していた。

 

「お兄様・・・」

「すまない。あまりの美しさに魅入ってしまった。随分と磨き上げられたようだね。いつものままでも十分に美しいが、まだその上があったなんて、驚いた」

「・・・・・・あ、ありがとうございます」

 

お兄様のお言葉があまりにストレート過ぎて静まりかけていた心臓がまた騒ぎ出す。いや、心臓が完全に沈黙してしまったらまずいんだけど。

いつまでも扉の前にいるわけにもいかず、お兄様の方へ歩くのだけど、そうなると嫌でも目に入るのがあのお布団で。

意識しちゃいけない、と思えば思うほど気になって仕方が無かった。

お兄様もそのことに気付いたのだろう。後ろ手でふすまを閉じた。

そして座卓を挟んで座布団に座る様に促される。

そのことに酷くほっとした。よかった。ふすまは閉めてくれたけれど、ここは知ってる原作軸。

さっきのお兄様の反応は違えど、やはり最終的には大筋は変わらないのだ。

お兄様に用意していただいた座布団に腰を下ろす。正座は苦ではない。むしろ落ち着くので姿勢を正して座った。

お兄様は向い合せに胡坐をかいて座る。

和室でこのように向かい合うことなどないのでいつもと違う様子が物珍しい。落ち着かない気持ちを散らすことで暴れる心臓を宥めすかしてお兄様を見つめれば、お兄様もどう口にすべきかとまだ迷われているようだった。

それはそうだろう。これからお兄様が口にされることはとても正気で話せるような話ではない。

せめてここにお酒でもあれば、お兄様は楽になっただろうか。お兄様がお酒に酔って口が軽くなるかどうかは知らないけれど。

お兄様はその重い口を開いた。

 

「結論から言う。俺たちは間違いなく兄妹だ」

 

お兄様の力強い断言に、私は心の底から安堵する。

お兄様と兄妹で無いことはありえないとわかっていても、それでもお兄様に断言されるということが大事だった。

胸を撫でおろすと、お兄様も優しい笑みを浮かべられていた。

だがその笑みも、すぐに曇ることになる。

 

「ただ、叔母上には俺たちを婚約させることができる根拠を持っていた。深雪、心して聞きなさい」

 

お兄様の言葉に胸の前で拳を握って深呼吸を一つしてから、お兄様を見据える。

 

「お願いします」

 

心構えができるのを待っていてくれたお兄様にそう伝えると、お兄様は一つ頷いて、再度重い口を開いた。

 

「お前は、調整体、らしい」

 

調整体。

ずっと前から知っていてもずっとピンときていなかった。

遺伝子を操作されて生まれたと聞いても特に体に不調と呼べる不調はなく、穂波さんたちは寿命が極端に短いらしいと聞いてはいたけれどその前に亡くなっている。

身近な人で調整体だからと短命で終えた人を知らなかったことで実感もわかない。記録としては知っていたけれど、身近に無ければ実感もない。

水波ちゃんがきて、光宣君と知り合って、手を握って初めて自分が調整体とはこうであり、手の温度が低いのは単なる冷え性ではなく、調整体特有のものだったのかと思ったくらいだ。

普通とは違う点がそこくらいしかまだ見えていないから、調整体であることの何が問題かはっきりとわかっていない。私にとって大事なのは、

 

「私は、お役目を果たせますでしょうか」

 

私は私の生まれた意義を無事に熟せるからだか、ということだった。

私が生まれた理由はお兄様の為。

表向き(とは言っても知っている人数は限られるが)はお兄様が暴発した時に抑えるストッパー。けれどその実態は、お兄様を生かすために造られた安全装置。

お兄様を抑えられる力を持つ母はどうあってもお兄様より先に儚くなってしまう。

お兄様の制御装置が亡くなった場合、お兄様を生かすことを不安視した分家たちがお兄様を――と考えるのは想像に難くない。

だけど成長されたお兄様を始末するなんて、どれだけ骨の折れることだと思っているのだろうか。

簡単なことではないけれど、方法が全くないわけではない。

四葉の戦力がダウンするぐらいは犠牲を払わないと無理ではあるが、彼らもただ成長を見ていたわけではない。攻略法を見出している。

魔法は無限ではない。限界は誰にでもあるのだ。再生ができなくなるまで削り切ればいい。

だがそれを実行するだけの余裕はないし、お兄様を今すぐどうこうしなければならないほど、いうことを聞かない状況ではない。彼らにも私がお兄様の唯一心を傾けられることは知っていて、お兄様が私を大事にしていることも理解はしているようだ。

だから現在私が存在していることにより、お兄様を殺させないストッパーとなっている。

それでも表舞台に立たせたくはなく、厄介払いのように隔離することは画策しているようだけれど。

表に立たれて実力を認められて市民権を得られるようになるというのは彼らとしても黙って見過ごしたくはないのだろう。

そんな彼らに強硬手段を取らせないために私という存在が造られた。

本当、よくも都合よくおあつらえ向きな能力を持った妹ができたモノである。

外見や性別はどうにでもなっただろうけど魔法はランダムだっただろうに。・・・って、ご都合主義が発動するんだからそこは問題ないのだけどね。

お兄様と同じ時を生きられるか、それが問題だとお兄様に問うたのだけど、お兄様の反応が、その・・・おかしい。

戸惑っている?何か訝しんでいるような・・・?

 

「お兄様・・・?」

「・・・深雪、お前はどこまで知っている?」

「!!」

 

しまった。先ほどの発言は曖昧過ぎて、私が全て知っていると取れるような発言に思えなくもない。

あまり死を連想する言葉を発するのは良くないか、と思って婉曲に言ったのが仇となった。

・・・いいや、まだ挽回できる。

 

「調整体、と言うからには何か目的があって造られた、ということでしょう。それでしたら私にはお役目があるはずです」

 

私の言葉にお兄様は私をじっくりと観察してから小さく息を漏らした。

 

「・・・お前の頭の回転の良さには驚かされる」

 

お兄様にとっては言いたくないことだったのだろう。自分のために造られた存在であるなどと言うことは。

お兄様自身ずっと妹のために生きてきたと思っていたらまさかの逆だったなんて、青天の霹靂でもあっただろうから。

 

「では訊ね方を変えましょう。私の寿命は短いでしょうか」

 

こんなことならさっさとストレートに聞けばよかった。

 

「それはない、そうだ。お前は四葉が粋を結集させて造った完全調整体で、俺より先に死ぬことはないらしい」

 

まあ、安全装置が先に壊れちゃ意味が無いからね。

改めて聞くと本当に四葉ってすごいね。できないことは他者とのコミュニケーションだけですか?

 

「それは、よろしゅうございました。お兄様とこの先も生きられるのですね」

 

調整体の悪いところと言えばそこくらいなので、安堵すればお兄様もこれ以上は言わなくて済むと安堵されて――無いですね。あれ?おかしい。思っていた反応と違う。

お兄様はむしろ苦しそうな表情を浮かべられている・・・?

 

「・・・お兄様?何か問題でも?」

「問題、ではないんだが・・・」

 

歯切れの悪い言い回しに言い知れぬ不安が過る。

一体お兄様が何に悩まれるというのか。

・・・あるね、悩むこと。そうだ。これが一番の問題であったではないか。

 

「もしや、婚約のことでしょうか」

 

婚約の二文字に、お兄様は眉を跳ねらせた。

 

「・・・深雪は、どう思う」

「そうですね。以前にも申しました通り、私個人としてまだ結婚について考える余裕がありません。いずれ四葉のために誰かが宛がわれる時が来るのだろうとは思っておりましたが、お兄様と婚約せよ、ということはまだ精査中なのでは、と愚考します」

「あの時も言っていたね。俺との婚約が一時的だと。なぜだ?」

「なぜって・・・。あまりに周囲に混乱を招くからです。私たちは魔法界でもそれなりに目立った存在になっています。九校戦での活躍は魔法師のほとんどが知る所でしょうし。青田買いを狙う企業や軍などもお兄様は目をかけられておりました。司波兄妹は黒羽姉弟ほどではないかもしれませんが、個々として目立つ存在ではありましたから調べればすぐにわかるはずです。その兄妹が実は従兄であり、婚約するとなればセンセーショナルな話題でしょう。更にこれが他の十師族であれば避けられたでしょうが疑惑疑念の多い四葉です。疑われること山のごとし、でしょうから。きっと横やりが入ることでしょう」

「横やり・・・婚約に口を挟むか」

「師族会議も近いことですから、何かしらアクションはあるでしょう。七草が動く可能性も大いに考えられますね」

「・・・叔母上にちょっかいを掛ける良いきっかけだな」

 

きっかけと書いて迷惑と読んでませんかお兄様。そして苦虫を潰したようなお顔。そんなに七草がお好きでない?まあ私も当主好きじゃないですけどね。

 

「俺との婚約は世間には受け入れがたい、か」

「だからこその一時的な策かと」

 

私の婚約者を精査する間の時間稼ぎ。

何かと問題があれば、婚約を下げても誰も文句は言わない。

だから、お兄様。私のことなど気にせず、むしろこれを起爆剤にして粉を掛けられハーレムのように女の子たちと関係を築いてくださってもいいのです。

必ず七草先輩は来るでしょう。親にも焚きつけられるだろうから。ただその場合ちょっと引き気味になるかもしれないけれど元々強く惹かれていたのですから、畳みかけ時です。

ほのかちゃんはこの機を逃したら後が無いですからね。ガンガン攻めて欲しい所存。妹として愛していたのでしょう?!と兄妹愛と恋愛は違うのだとお兄様に愛を教えてあげられるのは彼女が最適だ。

他にも十師族のみならず十八家も子女のいる家はアタックを掛けてくるかもしれない。

四葉ではあるお兄様だけれど、実力はあっても魔法力が無いことは調べればすぐにわかる。家の存続が危ぶまれているようなおうちの子であれば、うちでよければ、なんて恐ろしい四葉であろうとも力ある子女を送り家に入り込めば、と焚きつけられるかもしれない。

物語ではよくある展開だ。ジャンルは王宮ファンタジーか貴族モノか、少女小説ではよく見かけた。たいていそういうところのヒロインちゃんは努力家で、支えてくれる美少女と相場が決まっている。

お兄様の未来はきっと明るい、はず。

 

「お兄様、申し訳ございません」

「何がだ」

「お兄様にそのような役目が回されるなど、私の力不足です」

 

本当ならお兄様以外の候補が立つ予定だった。

叔母様の言ったように勝成さんはかなり有力だった。

提案したのはずっとずっと前なのに、叔母様はまるで最近思いついたとばかりにあの場で披露した。結婚の了承を取った時点でその意見が通るはずが無いとわかっていながら。

他にも文弥くん以外の年頃の男性にチェックを入れていたのに叔母様の目に適った人がいなかったのだろう。

結局白羽の矢が立ったのはお兄様だった。・・・違うか。叔母様は初めからお兄様一択だったから。

私は担がれたのだ。他にも方法があるのではと意見をし、それを賛成したように見せかけて、結局のところ泳がされただけでずっと掌の上だった。

だけど、全て叔母様の思う通りになんて――

 

「俺は構わない」

「・・・申し訳ありません」

 

お兄様を四葉から解放すると、お兄様を幸せにすると誓ったのに、抜け出すどころか体中に糸が絡みついている。でもまだ抜けられるはずだから。

私はまだ希望を捨ててはいない。

 

(お兄様がどなたか、良い人を見つけられたら――)

 

その時は必ず叔母様に逆らってでもお兄様を外に出す。そう、こぶしを握った時だった。

 

「深雪。叔母上が言っていた、お前の叶えたい望みとは何だ」

 

唐突な質問に、言葉に詰まった。

 

「そ、れは・・・以前お兄様にも申しましたでしょう。幸せになることです」

「お前はどうしたら幸せになる?」

 

私の幸せ、それは――お兄様が幸せなハッピーエンドを迎えられること。お兄様が自由に生きられること。好きなことをして好きなように生きられる世界。

それが私の描く最高の幸せ。

 

「私の望む世界が迎えられること、でしょうか」

「深雪の望む世界はどんな世界だ」

「・・・誰もが、笑っていられる世界、です」

 

嘘ではない。

この世界のヒーローとして生まれたお兄様は誰かが悲しむような事件に巻き込まれ、それを解決するために奔走しなければならない。

お兄様が幸せになるにはどうあっても世界がある程度平和にならなければならないのだ。

だからできるだけ摩擦を減らし、諸悪の根源たちを沈黙させ、争いのない世界を保たねばならない。

それができるのはダークヒーローである四葉の力が有ってこそ。そのために私はこの四葉に君臨する。

私には、力が必要だ。

 

 

「――なら何故、その“誰も”に深雪が含まれていない」

 

 

「え・・・?」

 

お兄様の視線がひたりとこちらを見据えて。

 

「ずっと、疑問だった。幸せになるためにと勉強も魔法も頑張っていたのを俺は見てきた。傷つきながらもよくここまで磨いてきたと感心する。誇らしいと思う。時には努力するお前があまりに眩しすぎて直視ができないと思ったほどだ。

その努力が実り、人を笑顔にさせてきたのをたくさん見た。俺や母さんのみならず、お前の周りはいつも笑顔で溢れ、お前自身も嬉しそうで、これが幸せなんだと、そう思っていた。

だが、いつも幸せだと言いながら、今のお前を見ているとどうにもお前の幸せは二の次にされている」

「そんな、ことは」

「ではなぜ幸せの象徴である結婚が、お前の中で描かれていない?確かにうちの両親を見ていれば結婚が幸せには思えないだろう。あんな親父であれば夢を抱けなくても仕方が無いのかもしれない。だが、それにしてもお前は自分の結婚ではなく四葉のためになる婚姻にしか興味が無いように思う」

 

・・・それは、確かに考えていなかった。

結婚に希望を持っていないわけではなく、自分の結婚はお兄様の結婚を決めた後だと思っていたから単純に描いていなかったのだ。

 

「お前の望みは何だ」

「お兄様、私は」

「“誰の”幸せを願っている」

「!!それはもちろん、私、です」

「嘘ではないな。それはわかっている。深雪は俺に嘘が吐けない」

 

それは、そう。私はお兄様には嘘を吐かない。誤魔化しや誤解を招くことはできても嘘だけは吐けなかった。お兄様を信じることと嘘を吐かないこと。これは私が自身に課したルール。破ってはならない誓い。

冗談だったりは抜きにして、ではあるけれど、深雪ちゃんだけは絶対にお兄様の味方でなくてはならない。

こくりと頷く。お兄様に嘘は吐かない。

私は私の幸せのために。そこに嘘はない。

 

「深雪の思い描く幸せの中には俺がいる、そうだな」

 

それはいつだったか、お兄様に語った私の幸せ。私の幸せの中心には必ずお兄様がいる。

心臓が痛い。お兄様はどんどん真実に近づいていく。心の底を暴いていく。

 

「・・・お兄様、もう、それ以上はどうか」

 

これ以上、もう暴かれては困る。お兄様は既に真相にたどり着いているのがわかっていたがそれでも、無駄とわかっていてなお抵抗せざるを得ない。

だって、これ以上暴かれたら、お兄様は――

 

「一つ、訂正させてくれ」

「え?」

「さっき俺は構わない、と言った」

「・・・はい、おっしゃいました。この婚約について構わない、と」

「実際は大いに構う」

 

(んん?・・・・・・お兄様、日本語が難しいです)

 

ちょっと置いてけぼりを喰らってます。先ほどまで名探偵お兄様が私の疑惑を暴こうとしていたはずなのに、途中脱線して婚約の話に戻ったと思ったら今度はお兄様、婚約に異議を申し立てたいってことでFA?

展開について行けなくて何度も瞬きをしてお兄様を見つめる。

お兄様は先ほどまで私を崖まで追い詰めていた空気を霧散させると、自嘲するように口元を歪めた。

 

「俺は情けない男だ。確証を得られないと動くこともできない」

「・・・それは、慎重で良いことなのではないでしょうか」

 

お兄様が情けないわけがない。何をもってお兄様が自身に対してそう言うのかが理解できなくて、先ほどまでの混乱をよそに前のめりになって様子を窺う。

下に落とされていた視線をゆっくりと私に合わせてくれたお兄様は、そうとも取れるか、と一旦固く目を閉じてから決意を固めたようにカッと目を開いた。

元々目力の強いお兄様が目に力を籠めると気迫まで伝わってくるようだ。気圧されそうになりながらも手と腹に力を込めて見つめ返す。

 

 

 

「今までの話を聞いてよくわかった。――俺はまだスタートラインにも立っていなかったのだと気付かされた」

 

「当たり前だな。お前には兄である俺が、なんて思うはずも無かった」

 

「俺自身、まだ信じられてもいないのだから無理もない」

 

「深雪」

 

改めて名を呼び、強い眼差しは私を貫いて。

 

 

 

「愛している。妹としてももちろんだが、一人の女性として、お前のことを――愛しているんだ」

 

 

 

 

妹としてだけでなく、女としても愛している、と――告白なさった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・どうしてこうなった??

 

 

――

 

 

頭の中が真っ白に漂白されたように思考が停止した。

それでも優秀な脳と体はお兄様の言葉を聞き逃すことはない。

 

「気づいたのは叔母上と話している時だった。と言うよりアレは気付かされたのだろうな。焚きつけられたとでも言うのか。だが、叔母上に言われたからじゃない。俺はずっと前からお前を愛していたんだ」

 

「兄妹愛だと思っていた。それしか残されていない俺にとって唯一愛することができるのがお前だったから。血の繋がった妹だから大事で、これからも一生繋がったままでいられるから愛しているのだと」

 

「何度も勘違いを正す機会はあったんだ。普通、兄は妹をあんなにべたべたと触らない。抱きしめても抱き足りないなんて思うわけがない。ましてやキスをしたい等、妹に抱く感情ではなかった」

 

「周囲にもあんなに醜く嫉妬していたのに、俺はそれを子供染みた独占欲だと思っていた」

 

「俺の大事な妹に近づくな、と。――妹であるならば、深雪の立場であればいずれ誰かと結婚することなんてわかっていたはずなのに。俺はお前を外敵から守るという名目で近寄るモノを遠ざけようとしていた。それだけでなく、お前にどう思っているかなど確認までしていたな」

 

 

並べられていく、お兄様の想いに、ようやく理解が追いついて咀嚼するのだけれど今度は飲み込むのが追いつかない。

けれど、お兄様が私を好いてくださっている、と伝えたいのだということは理解できた。

理解できたけど、混乱を極めるというもので。

 

「わ、たしは・・・あの、・・・お兄様と・・・そのような、えっと」

「うん」

「か、考えたことが無くて」

 

真っ赤になって俯く私に、お兄様から優しい声が掛けられる。

 

「だろうな」

 

それが当たり前だ、と掛けられる声に、落ち込んだ様子が一切ないのが気にかかった。

この状況はまるで深雪ちゃんの立場にお兄様が成り代わったようではないか。

告白をする側が入れ替わってしまっている。

だけどもし、原作の深雪ちゃんと逆転してしまったのだとしたら、お兄様は私の回答にそれとなくショックを受け、それでも愛を否定されなかったことに安堵する、という流れになるのではないのだろうか。

深雪ちゃんはそうして、お兄様から否定されることがなく安堵しながらお兄様の横で眠るのだ。

愛せるように努力する、というお兄様の言葉に希望を抱いて。もし愛されなかったとしても自分の愛を貫く覚悟をもって。

けれど、現状はどうだろう。このお兄様は深雪ちゃんのように取り乱しもしていなければ、拒絶されることが無いという自信まであるように見える。

 

「なあ、深雪」

「は、はい!」

「お前は俺をそんな対象として見たことが無いのだったね。当たり前だよ。普通兄に恋をすることなんてあり得ないのだから」

「・・・はい」

 

一般的にはそうだろう。兄妹は恋愛対象にならない。本能と環境が避けるように教える。

原作を知っている私にはこの体がそれを飛び越えられるものであることを知ってはいたのだけど、お兄様がその対象になかったのは――

 

(お兄様に兄妹という事実を乗り越えるほどの魅力が無いというわけではなく、お兄様相手に恋心を抱くなんて恐れ多いという心境なのですけれど)

 

何せ前世からのファンだ。幸せになってほしい、幸せにしてあげたいとは思えどその愛にリア恋が挟まれる余地など無かった。

 

「だが、お前は俺を愛してくれた。慈しんでくれた。それは間違いない」

「はい」

 

おっしゃる通り。私は自身の差し出せる限りありったけの愛情をお兄様に渡してきたつもりだ。

 

「俺も、そのつもりだった。妹としてお前を愛していたつもりになっていた」

 

自身もそのはずだった、と語るお兄様の表情には自嘲が浮かんでいて気配が徐々に変化していく。・・・雲行きが怪しくなってまいりましたね?

お兄様の醸される空気に怖気づく様に、座っているのに腰が引けて体が勝手に後方に下がろうとしていた。

 

「――試してみないか?」

「試す、ですか?」

「お前が俺を異性として意識できないか否か」

 

・・・・・・・・・それは初めから負け確定のゲームです?

流石に私だってわかる。

妹は幾ら素敵なお兄様だからといってあんなにドキドキしない。

もちろんキスしたいとか、だ、抱かれたいとかそんな大それたことは思ってもないけれど、異性として意識してないかと聞かれればそれは、まあ、しないわけはなく。

 

(だって、お兄様だよ!?前世云々ももちろんだけど、自分だけを大事にしてくれて、特別な女の子として扱われてときめかないでいられる?)

 

たとえ妹だろうと関係ない。あそこまでされて揺れないでいられるわけがない。

普通血が濃ければ本能的に忌避するのが自然だ。一緒に洗濯したくないという年頃の現象は本能として正しい。家族は恋愛対象外だと、身体が本能的に嫌煙し拒絶反応を起こすのだ。

起こす、はずなのだけど・・・お兄様に対してそのような拒絶を覚えたことは一度もない。

お兄様が近くに寄って胸に抱く思いは心臓が痛くなるほどのときめきだ。そう、ときめきを抱いている時点で私は――

 

「深雪が嫌がったなら止める。それを確認するために、お前に触れさせてもらいたい」

 

・・・そんなことされたら、今度こそ心肺停止してしまう。

拒まなければならない。そんなことしなくていいと、お兄様をお止めしたいのに口は縫い留められたように開かず、首を横に振りたくともピクリとも動かない。

体が石化したかのようにお兄様から視線をずらすこともできずに固まっていた。

お兄様はそんな私の異変にきっと気付いているはずなのに、彼の口を吐くのは衝撃を与える追撃で。

 

「このまま婚約をして、結婚となったら次に求められるのは子作りだ」

 

・・・・・・お兄様の口から聞くとインパクトが凄い。顔が熱を持ったのがすぐに分かった。

淑女教育などもうとっくに役に立っていない。叔母様との圧迫面談で使い切った。余力などもう残っていなかったのだ。

ここでようやくお兄様が苦笑する。これしきの事で赤くなるなんて、と思われているのかもしれない。

お兄様としたら、もしかしたら気を弛めるためのジョークだったのかもしれないけれど――、動揺するよ!無理だよ!!

あの、あのお兄様の口からこ、ここ子作りなんて!ほのかちゃんだったらとっくに意識を保てていない。

お兄様は苦笑で下がった眉をさらに下げて、申し訳なさそうに、けれど揺るがない瞳のまま真直ぐと私を見つめて言う。

 

「俺はもうお前を手放す気はない。お前の言う一時的な婚約でなんか終わらせない。お前と堂々と結婚できる権利なんてこの先あるわけがないからな。だが、だからと言って一方的に求めるつもりも無いんだ。できることならお前にも、俺を愛してもらいたい」

 

っ!!!・・・お兄様が殺しにかかってきた。

変な声が漏れなかったことが奇跡に思えた。

心の中のオタクが叫ぶ。愛してるよー!!とっくに落ちてるよー!!と。

でも黙って。その愛を受けるのは私なのだ。お、お兄様のあ、あ、愛を・・・受けられる?私が??

頭の中が混沌渦巻く中、お兄様が不意に立ち上がって近づいていることに動くこともできず見つめていたらあっという間に私は抱き上げられていた。

肩に腕を回されて、お尻を腕に支えられる形で。

見つめていたはずなのに何が起きたかさっぱりわからない。

え、いつの間に机を飛び越えられました?普通に横を回ってきた??自己加速でも使ったのではないかと言うほどの素早さ。

魔法を使われていないことはわかっているのに疑いたくなるほどの素早い動きに身も心も翻弄されっぱなしだ。

 

「お、お兄様?!」

「ここでは具合が悪いだろう」

 

そう言ってお兄様が向かわれたのはふすまの向こう。――あの一組しかない布団の上で。

 

「え」

 

そっと下ろされて。

わあ。意外とふかふかなお布団ですね。

 

「震えているね。俺が怖いか」

 

お兄様から怖いか?と問われて首を捻った。

お兄様が怖いわけではない。

この状況にひたすら混乱はしているけれど、恐怖を抱いていないのは未だ状況が理解できていないことと、この先の展開を考える余裕も無いから。

もしかしたら心の中でお兄様は絶対に私の嫌がることをしないと信じているからかもしれない。

また口が開かなくなって、代わりに首を横に振る。

お兄様はそれを責めるわけでもなくそうか、と頭を撫で、髪を梳き、背を撫でて落ち着かせようとしてくれた。

いつもの、お兄様の優しい手に、徐々に震えは止まっていく。

次第に強張っていた体も力が抜けてきた。

 

「深雪、嫌だったら抵抗をしてくれ」

 

そう言ってお兄様はもう一度頭から手を滑らせる。

 

「本当に磨き上げられてきたな。いつもより滑らかだ」

 

するり、と撫でるお兄様の表情は柔らかい笑みの中に真剣な眼差しが覗いていて、そこでふと気づいた。

お兄様からは揶揄うような雰囲気も、あの色気溢れるオーラも漂ってはいない。

いつもならこんな場面、そうなってもおかしくないのに。

今の言葉も、甘く語り掛けるというよりは確認作業をしているかのように結果を述べていた。

・・・本当にチェックすることだけを目的にここへ連れてきた、ということ?言動は怪しいけれど、雰囲気に妖しさはない。

ここは地下の調整室みたいに、この布団は計測台で、私が不快に思うか項目を一つ一つ確認するような――研究対象?

頬に触れ、上向きに角度を調整されてじっと見つめ合う。

 

「頬もいつもより温かく感じる。――うん、手先も温かい。全身の血の巡りが良くなっているのか」

 

気になったのか、胸の前でずっと握りしめていた右手を取られ両手で包み込むようにしてから握りこぶしを解かれた。

手の甲に添える左手と、手のひらを撫でるように触れる右手。くすぐったく動くその手が指の方に滑っていくと、軽く持ち上げるような手つきで止まり、いつもより冷えていないことを確認したと思ったらひっくり返されて指を絡めるように握られた。

その指の動き一つ一つにぞくぞくっと背筋に走る感覚がして身震いしてしまうが、お兄様は構わず右手を自身に引き寄せて。

 

「爪が輝いて見えたが、特にコーティングもされていないんだな。綺麗な桜色だ」

 

じっくりと指先を観察するお兄様は真剣な表情で、やっぱりそういった色が見えない。

恥ずかしがる私がおかしいということ、なのだろうか?

いやでも普段の測定の時だって恥ずかしい私だ。顔に出さないように必死なだけで。何年経っても慣れない。

ただの計測とわかっていてそれなんだから、この状況でも羞恥を覚えたって・・・そもそもこの状況ってどういう状況だ?

お兄様は何のために私の前でこんな真剣に確認をしているんだっけ。

確か異性として意識できるかの確認、だったと思う。

でもそれってどう確認するつもりなんだろう?

というか、お兄様を異性として意識?してなかったらそもそも赤面なんてしないと思う。

私がお兄様について考えていなかったのは結婚相手として考えてこなかったということだけ。

だって、原作では深雪ちゃんがお兄様をそういった対象としても愛してしまっていたから、献身的な愛を捧げられてお兄様は揺れ動いて――妹をそういう対象として愛していくのだ。

だけど原作でも自覚する前のお兄様は妹を異性として意識しないよう、しそうになるたびに自制を掛けて愛する妹を大事に慈しんでいたのだから、お兄様自身にもその素質は持ち合わせていたということになる。

そうならなかったのは偏に彼の中の常識が引き留めていたに過ぎない。

兄と妹が結ばれることなどあってはならないはずだ、と。

感情をある程度コントロールしたり、理性で心を切り離して考えられるお兄様にとって、いくら愛情を掛けられる対象が妹しかいなかったからと言っても妹からの告白が無ければ、お兄様が妹を女性として愛することなどまずありえなかったはずなのだ。

たとえ相手が自分のために用意された完全調整体で、兄妹であろうと問題なく子を成せると言われようとも、それなら問題ないな、とはならないのである。

なぜならそうなってしまっては四葉の思惑に乗せられるということでもあり、四葉からいつでも離れられるよう準備していたお兄様にとって不都合でしかないわけだから。

 

――そうだ、お兄様にとってこの婚約自体不都合であったはずなのに。

 

「・・・深雪、何を考えている?」

 

お兄様は鈍感だけど、妹のこうした些細な気落ちにすぐ気づいてくれる。

それが嬉しいと思う反面、だからこそ申し訳なくも思う。

 

「この婚約は、お兄様を四葉に縛り付けるものです。自立しようとなさるお兄様を、引き留めようとする楔」

「・・・・・・」

 

お兄様の視線が私の顔から繋がれた手に戻る。

 

「お兄様が、愛してくださるとおっしゃってくださったこと、とても嬉しく思います。ですがこのまま叔母様の策略にお兄様が乗ることは無いのです」

「・・・策略、か」

「先ほどお兄様はおっしゃいました。叔母様と話して認識をした、と。それは叔母様からの誘導があったということ。叔母様に精神干渉の適正は無いはずですが、魔法だけが勘違いを引き起こす要因ではないことは七宝君の件でも証明されたはずです」

 

彼は非魔法師の誘導により私たちを誤解し、警戒していた。魔法などなくても人は惑わされるのだ。

人心掌握に長けている叔母様なら特に、そういった手練手管は豊富だろう。

 

「深雪は、俺が騙されていると」

「お兄様の愛を疑うことはありません」

 

騙されているとは思っていない。お兄様は確かに私を愛してくださっている。それは間違いないのだ。

 

「ならばなぜ」

「血が繋がっている相手でも、肉欲を覚えることはあることです。その後嫌厭するか常識的に無いと判断するか、どちらにせよその先を躊躇い無かったことにする。――お兄様も今までそうしてきたはずです」

 

特に深雪ちゃんは一目見ただけでも人を魅了する魔性の美少女。

そしてお兄様は激しい感情の動き、衝動が壊死していても七草先輩たちに健全な反応をしていないわけではない。ただ理性をコントロールしているだけに過ぎない。

感情の枷が無い私に対して彼女たち以上に動くことは何もおかしなことではない。

 

「俺の想いはあくまで兄妹愛の延長である、と」

 

呟くお兄様の声と表情から感情が消えた。

でも、それに返す答えを私は見つけられずにいた。

そもそも愛というものに名をつけること自体難しい。

家族愛、兄妹愛、友愛、恋愛etc.。

愛にも種類がたくさんあるが、愛し方にも種類がある。

直接的なモノから間接的なモノまで表現もそれぞれ。

とにかく愛というのは幅広く曖昧で境界線を引けないものだ。

今世ではお兄様を中心に狭い世界の範囲で愛を注いでいたので、愛を語るには材料が足りないだろうと前世を思い返してみる。

とは言っても前世で大した恋も愛も経験のない私が浮かべられるのは推し活くらいで。

オタクの愛は千変万化。推しによって変わる。

時に恋だったり友愛だったり、母性愛だったり敬愛だったり。そこに萌えが加わるとさらに複雑化が増し、様々な愛が複雑に絡み合ったりもする。

この愛が一体どんな種類の愛なのか明確に言葉にするのは難しい。

だが、この愛が現実と違う点が一点。

そのキャラに対して愛してるー!と叫べるけれど、素直になれるのは実体が無いからだ。キャラだからこそ愛を叫べる。

返ってくることなど初めから期待などしていないが、否定されることも無いからこそ大胆になれるのだ。

アイドルを推している人たちとは次元に違いはあるけれど、偶像を崇拝していることになるのだから似通ったところはあると思う。

2次元でも2.5次元でも現実にありえない、という壁があるから熱狂ができる。一方的な愛だから押し付けられる。そこに非現実という分厚く高い壁があるから。

見返りは本人に求めない。せいぜいグッズ化して貢がせてほしい、と思うくらい。

彼らを養っている一部に自分がいると思うだけで幸せ。

推しよ、健やかであれ。

滑稽に思えるかもしれないが、これだって十分愛のカタチ。

勘違いだろうと、誤魔化しだろうと愛は愛。

そもそも現実の恋だって勘違いから生まれたりするじゃないか。

吊り橋効果なんて正にその代表だ。

そこからどう愛を育むかであり、それで一緒になりたいと思うから結婚をする。

私たちは兄妹であったから一緒になりたいと思う前から一緒になるのが自然だった。

それがたとえ中学のあの日からだとしても、家族愛として、兄妹愛として愛し愛され、ここまで来た。

だが、兄妹はいずれ生活を分ける時が来る。

特に私の立場は次期当主。四葉の為に婚約者が据えられることは決定事項だった。

お兄様もそのことは承知していたはずだ。先ほどもそのような発言があったし、原作でも深雪ちゃんの相手に関して想像する場面があった。そしてお兄様自身も彼女が結婚するならひっそりどこか離れた地で見守るつもりだとあったはずだ。

私の計画ではひっそりではなく、お兄様も愛する人と結婚をして幸せに暮らしてもらうつもりでいたから、別れて暮らすのは当たり前だと思っていた。

 

そう、覚悟していたはずなのに、何時からだろう。お兄様が傍に居ない景色が浮かばなくなったのは。

 

(兄妹なら、この先もずっと繋がりはあるけれど一緒に暮らすなんて、ありえないのでしょう・・・?)

 

深雪である私が、お兄様に恋情を抱かなければ――告白をしなければ、私たちの関係は兄妹のはずでしょう・・・?

 

 

「なら、それも含めて確かめ合おうか」

 

 

――

 

 

お兄様の視線が鋭く光る。

繋がれたままの指は離れることを許さないとばかりに強く絡められ、もう片方の手が頬に添えられ――額に口付けを落とされた。

誓約の封印を解く時のように、儀式めいた口付けを。

 

「俺の愛が、妹へのものか、深雪も確かめてくれ」

「確かめる・・・のですか?」

 

どうやって、と言うよりも早く、お兄様はまた顔を近づけて今度は蟀谷に、続けて頬に、と音を立てて立て続けに口付けていく。

ここまで来てようやくお兄様が何をする気なのか朧げに理解し始めて触れられた箇所を起点に火が付いたように体中が熱くなる。

 

「お、お兄様、」

「俺はお前が俺を異性と認識できないかを確かめ、お前は俺の抱いているこの気持ちが妹に対するモノなのかを確認してくれればいい」

 

ただそれだけのことだ、と言われるけれど、それだけ、との言葉が似合わない重大なミッションを課せられている。

耳に入る音が、触れる熱が羞恥を煽って、心を落ち着かせる隙を与えてくれない。

顔で触れられていないのは唯一その箇所のみ。

その他はすべて隙間なく口づけられたお兄様は一旦顔を離して、じっと見つめられた。

その視線には、先ほどまでの観察する温度のない瞳ではなく、炎が揺らめいていた。

 

「深雪」

 

名を呼ばれただけなのに何を望まれているかがわかる。

 

「嫌だったら抵抗しなさい」

 

その言葉の裏で受け入れてくれ、と乞い願われている。

射抜くほど強くなる瞳はこれから行われることは決定事項だと告げていた。

避けられない。

逃げられない。

再び寄せられる顔に、必然のように目を閉じた。

唇に重ねられたそれは、互いの弾力を確認するようにだけ触れてすぐに離れていく。

心臓が激しく警鐘を鳴らすように音を鳴らしている。

身体が、急激に酸素を失ったように痺れていて動けない。

ただ、抵抗しようという気は全く起きなかった。

薄っすら目を開くとお兄様と視線が絡み合う。そのまま吸い寄せられるように唇を重ねた。今度は温度をしっかりと感じられた。柔らかく、温かい感触が熱を残していく。

続けて角度を変えて、啄むように離れて。

その次は上唇を食むように挟まれ名残惜しむように吸われて立てられる音に心臓が圧迫されていく。それを三回繰り返された。

回数を重ねるごとに胸に宿る火が、揺らめいては大きくなる。お兄様の瞳の炎と呼応するかのように。

くらくらと眩暈にも似た感覚。

 

「ずっと、触れたかった」

 

唇の前で囁くように呟かれ、その熱い吐息さえキスと勘違いしそうになる。

ほう、と口から息が漏れた。

お兄様の手が後頭部へと回される。髪を梳くように撫でられてること二回。その手は支えるように止まる。

 

「嫌だったら我慢することはない。ちゃんと、止まってあげるから」

 

お兄様の思いやりを感じる。けれど何故だろう、同時に背筋がざわざわとした。

お兄様の服を握る。その手を、肩を支えていた手で握りしめられて――目を伏せた。

重ねられる唇は先ほどまでと比べ物にならないほど深く、質量を持って重ねられた。

閉じた唇を、湿り気を帯びたモノにノックされて、理性が絶対に開くな!と警告の声を上げる。

再度ノックをされて、身体がむずむずと疼く。

そして割れ目をひとなぞりされてぞくりと背を震わせたと同時に唇が声を出そうと反射的に固く閉じた扉を開いてしまった。

その隙を突いてするりと侵入する熱い舌が暴れ回る――こともなく、ゆっくりと歯列をなぞり、そこを潜り抜けて上あごを撫でるように動く。

未知のことに恐ろしくて引っ込んでいる舌に触れることなく、ゆっくりと私の口内に馴染むように動く舌だけれど、一点に触れると動きを止めた。

二、三往復するように撫でた後、お兄様の舌は私の口内からすんなりと抜けていった。

 

「ん・・・」

 

最後に唇を軽く舐められて鼻を抜けて声が漏れた。その羞恥に頬が熱くなるのだけれど、お兄様はそこに触れることもなく。

 

「これは、どうした?」

 

これ、と外側の頬を押さえられ、何を指しているのかわからないふりも許されなかった。

乱れた呼吸を整えて、潤む瞳でお兄様を見上げる。私の口内にある傷は、お兄様から欲情の色を消し去る力があったらしい。

 

「・・・その・・・」

「隠さないで、教えてくれないか」

 

傷、と言っても血も出ていないちょっとした噛み痕だ。

だけど、その状況を説明するのには躊躇われた。アレは誰が悪いわけではない。私の感情のコントロールが上手くできなかったことによって抑えるために傷つけて正気を保った痕だから。

 

「深雪」

 

お兄様に再び声を掛けられ、応えぬわけにもいかず、しぶしぶ口を開く。

 

「お兄様、これは自分でしたことです」

「分かっている。もし他人の仕業だったなら俺はその時点でソイツを消している」

 

瞳孔がちょっぴり開いている。危険な兆候だ。隠している場合じゃなかった。

 

「申し訳ございません。自分の感情を抑えきれず、ここなら人に見えないだろうと」

 

口内を見せることなんて無いから安心していたら、こんな展開が待っていたなんて。

 

「深雪が感情を――?一体何にそんなに揺さぶられた」

「お兄様が、勝成さんの攻撃を受けた時です」

「!あの時か・・・」

 

お兄様も思い当たったようで鋭かった気配が鎮まった。

あの時を思い出すだけで肝が冷える。

お兄様は自分の身体に頓着しない戦い方をするけれど、私がいる時はできるだけ怪我を負わないよう立ち回ってくれる。私を心配させないために。

私が傍に居なくともいつもそうしてくれればいいのだけれど、効率の良さを考えると相手の隙を作りやすいんだそうで、これは治りそうもないお兄様の悪い癖だった。

だが、今回は早く事を済ませる為、お兄様はあえて大きな隙を勝成さんの前で作った。その結果があの攻撃だ。

 

「すまなかった」

「いいえ、お兄様は何も悪くありません」

 

敵だって、勝成さんだって必死だった。四葉でも上位の実力を持ち、日本でも上から数えた方が早いくらい実力のある魔法師からの不意打ちを喰らうことはおかしなことじゃない。

勝成さんは誘われたことなど疑ってもいないだろう。

そしてお兄様もそうは見せないために食らってみせた。――とはお兄様に確認したわけではない。私の勝手な推理だけれどそう考えるとお兄様の行動に納得がいく。

納得はいくが、受け入れられるかはまた別の話。

 

「・・・深雪は、恐ろしくなかったか?」

 

恐ろしい、とは。お兄様が怪我をするのは畏れて当然だと思うのだけど――違う。お兄様が今問われているのは、あの時バラされたお兄様の過去のことだ。

お兄様の瞳が不安に揺らいでいた。

 

「恐ろしくなどございません。ただ、悲しくは思います」

「・・・」

「お兄様が、そのようなことをさせられている間、私は何も知らずにお兄様を慰めるどころか傍にも居られなかったことが、申し訳なく思います」

 

重ねられたままの手に己の手を重ね、握る。

過去には戻れない。お兄様が一人ぼっちの時に、私は寄り添うこともなくただ周囲の人から蝶よ花よと褒めそやかされて育てられていた。

お兄様が一人苦しんでいる時にのうのうと。

術後、兄という存在を認識し始めたのもこの頃のはずだけれど、会いに行こうとして、周囲に止められてしまえば興味も失せて会いにもいかなかった。

関心が無かったのではない。周囲の言われるがままに生活していたからそうした方が良いのだろうと自分の意思をしまい込んだのだ。

 

「お前が知る必要は無かった」

「知らぬことが良いこととは限りません」

 

お兄様は何事も知らないより知っていた方が対処ができると思っておいでなのに、私に対しては過保護を発揮してしまう。自分だけが知っていればいい、後は何とかするから、と。

いつまでもそれではダメなのだ。私はいつまでもお兄様の庇護下にいるつもりは――、あれ?お兄様と婚約して、更には結婚となるとお兄様の庇護下のままなのだろうか。

 

「深雪?」

「・・・ええっと、お兄様。もし、その、このまま?婚約をして、け、結婚をすることになったら、なのですけれど」

「俺はそのつもりだしそれを阻むものがあるなら全力で抵抗するが」

 

わぁ。お兄様が全力で?じゃあ誰も阻むなんてできっこないじゃないですか。って、そうじゃない。すぐ脱線しちゃうな。

 

「私は、お兄様といつか対等に立てる日を夢見ていました。そのために努力もしてきたつもりです。守られるだけの存在から、互いを守り合えるような、そんな関係性になれればと」

「俺が、お前を守るのではいけないか?」

「それでは何時まで経ってもお兄様に寄りかかったままになってしまいます。寄りかかるのではなく支え合える関係になりたかったのです」

「・・・それは、難しいな」

 

申し訳なさそうに眉を下げる。

 

「俺にとってお前は掌中の珠だ。俺の大事な宝物なんだ。だから誰かに奪われそうになったり傷ついたりすることが許せない。――お前が大切なんだ」

 

苦しそうに絞り出される言葉に胸が軋むように苦しくなるが、それは私だって同じこと。

 

「お兄様。私だってお兄様が大切なのです。お兄様が傷つくと苦しくなります。お兄様が何も思わなくても私はその痛みに寄り添いたいのです」

「その思いだけで十分だ。それだけで俺はいつだって救われている」

「それだけじゃ足りないのです!」

 

衝動のまま、お兄様の胸に頭を身体ごと押し付ける。

 

「お兄様が私のためにしてくださっているように、私もお兄様の為に尽くしたいのです」

 

お兄様が幸せになるために、私にできることを。

 

(それが、私の願い)

 

お兄様の腕が、私を包み込む。優しく、傷つけないようにと。

その温かさが嬉しいのに、向けられる優しさに距離を感じてしまう。

そっと優しく包まれているのはあらゆる危険から遠ざけたいという気持ちに思えるから。

こんなに、傍に居るのに。

 

「私は、頼りないですか?」

「そんなことはない。お前は強くなったよ。俺なんかより、よっぽど強くなった」

 

それは言いすぎだ。お兄様の背中が見えるくらいには近づいていたいと思うけれど、私はまだそこまで実戦を積んでは――

 

「叔母上に言っていたじゃないか。実力は戦闘力で決まるものじゃない。話術を含めた処世術だって、サポート力だって深雪は群を抜いて高い。俺にはできない数々を、お前は一人でこなしてみせる。俺の手なんて、必要とされなくなりそうだ。だが、お前が傍に置いてくれるから俺は今もお前のガーディアンでいられる」

「・・・私が手放したら、お兄様は離れていかれるのですか?」

「昨日までの俺ならば、解任されても陰ながらお前を守っていただろう」

 

そう言ってお兄様は強く私を抱きしめてから私の頬に手を当てて、顔を上げさせる。

すっと消えたはずの炎が大きく揺らめいていた。

言葉もなく重ねられる口付けは強引さを感じられるもので、油断していた唇を割って厚い舌が一直線に私の内頬をなぞって傷の程度を改めて確認した後、先ほどは一切触れなかった舌をちょん、と触れてから表面を擽られた。

 

「んんっ・・・」

 

くすぐったいような、それでいて弱点を見つけらてしまったことに体が震える。

それを宥めるように背を撫でる手に意識が行きそうになったところで今度は絡め取るように舌が巻き付いた。

そこからはもう、どうなったのかわからない。お兄様の舌に翻弄され呼吸が苦しくなって、訴えるようにお兄様に縋りつくのに何度も角度を変えては攻め続けた。

遠くで鼻で息をしなさい、と聞こえた気がするが、上手くできていないのか溺れたように息ができない。

次第に体から力は抜けていき、握っていた手は触れるのが精いっぱいになっていた。

やっと解放された口から激しい運動をした時のように息を吸っては吐いてを繰り返す。頭がふわふわと熱に浮かされて何も考えられなかった。

 

「どのような意図があろうとも、お前と結婚できるチャンスに恵まれ、手に入れられると知って手放せるほど、俺は善人じゃない」

「・・・ぜんにんじゃない、なんて・・・まるでお兄様が悪い人、みたいではないですか」

 

息も絶え絶えに言えば困ったように微笑まれて。

 

「同意を得られてないのに手を出している時点で俺は悪人だろう?」

 

・・・・・・そうでした。なし崩しにキスをしてしまっているけれど、私はまだお兄様の想いに答えていない。

 

「まだ確認途中だったね。もう少し先に進もうか」

「・・・・・・え・・・?」

 

お兄様は自身を悪人だと断じてから開き直ったように私を抱えなおした。

いつの間にか私のお尻の下はお布団ではなくお兄様の太ももに変わっていた。

 

「キスは拒まれなかったということはここまでは嫌じゃなかったということだろう?」

 

そう頬と撫でられ、滑り落ちて顎の裏を擽られる。

お兄様とのキスで敏感になっている身体は少し擽られただけで見悶えるほど感度か良くなっていた。

 

「っ、・・・おに、さまっ」

 

顎裏から指を滑らせて首元へ。その間お兄様の唇が私の顔面に降り注ぐ。ちゅ、ちゅっと音を立てられるたび体が震え、指が何処かをなぞる度ぞくぞくとした何かが背すじを駆け抜けていく。

 

(~~~流石にコレは異常じゃないだろうか?!)

 

何かが、なんて正体はわかっている。認めたくはないけれど、深雪ちゃんの身体はお兄様から受ける刺激をしっかりと感じとっていた。

キスをされてからスイッチが入ったように体が欲情している。

些細な触れ合いさえ気持ち良すぎて目の前のお兄様を欲している。

何とか反応を堪えようとしているけれど、先ほどからほとんど失敗に終わっていて、びくびくと体の震えが止められない。

声を上げそうになるのは何とか堪えているけれどそれもいつまで持つかわからない。

唇を啄んでからの口吸いの流れにもう理性のひもが切れそうになるのを、何度も止められているのは私の努力――ではない。

新しいことを試す度にお兄様が嫌じゃなかったか?と確認してくるのだ。

お兄様にされて嫌なことなんて何一つない。むしろこれに限って言えばもっと、と口走りそうになる。

 

「まっ・・・て、ぇ」

 

待てと言えばお兄様は止まり、

 

「だ、め・・・っ」

 

駄目だと言えば何がダメだったかを訊ねる。

そのまま強引に進めてくれればいいのに、お兄様は私の速度に合わせると言わんばかりに立ち止まってくれるのだけど、はっきり言う。

 

(お兄様はやっぱりSだ!)

 

スパルタじゃない方のSだった。

因みにここまで私はまだキスまでしかしていない。・・・それだけでどれだけ足踏みをしているのか。

先に進むと言いながら一向に進む様子はない。

 

「はぁ・・・は、・・・」

 

息が整うのを、お兄様は待ってくれているけれど、表情は穏やかな笑みなのにその目は獲物を捕らえた肉食獣になっていた。

首にちゅ、と口付けされるけれど、痕が付くようなことはされていない。痛みが全くない。

お兄様も明日の予定が頭に入っているのだ。理性がきちんと利いている。

・・・こんな状況だというのにお兄様の精神ってどうなってるの・・・。

 

「深雪、次に進んでいいか?」

 

ようやくキスから解放されるらしい。

とろとろに溶かされてしまった思考ではやっとこの甘い責め苦が終わるのだとしか頭に無くて頷いてしまったけれど、お兄様の手が首よりも下におりてきて、胸に触れたところではっとなった。

 

「お、お待ちくださいませお兄様!」

 

初めてはっきりとお兄様にストップをかけた。お兄様の手がぴたりと止まる――胸の上で。・・・下ろしてくれてもいいのだけれど、添えられた手は動かない。

 

「何だ」

「あ、あの、・・・一旦、時間を頂けませんか?」

「何故」

 

ひぃぃ!お兄様の声が、表情が感情を無くしている。

これは怒っているのではなく抑えているんだ、とわかるけれどそれでも怖い。

でも私にも事情があるのです!

 

「すぐ戻ります」

「理由は?」

 

・・・言わなきゃ、この問答は終わらない!でも・・・言えるわけが、

 

「深雪」

 

う・・・逃げられない。お兄様の目が逃がさないと言っている。

 

「・・・下着を、」

 

ぼそぼそと、小さな声でもお兄様は聞き逃さない。

 

「下着を?」

 

逃げ場はない。

真っ赤になって俯いて、ぎゅっと目を瞑って告白する。

 

「着替えたいのですっ」

 

お兄様としては、何を言っているのだ、という状態だろう。

でも、これは、この下の姿はお兄様に見られたくない。自分で選んだわけでもないのにこんな・・・きわどいどころかド本命なエロエロのランジェリーを着ている姿を見られたくはない!

お兄様はしばらく沈黙を続けていたが、突然胸に添えていた手を挟むように動かした。むにっと。

 

「ひゃんっ!」

 

痛くは無かったけれど唐突の行動にあられもない声が漏れてしまって慌てて口を押えるが出てしまったものは戻らない。

羞恥に見悶えそうになる体を抑えてぷるぷる震えているしかできなかった。

 

「・・・着替えたい、と言うことは身に付けているということだな」

 

お兄様の言葉に答えることもできないのに、お兄様はそのまま言葉を続ける。

 

「だが今触れた感じだとワイヤーもなく、重なった布の感覚も無かった」

 

ううう・・・お兄様が既に回答に近づいてくる。じわりじわりと追い詰められて、更に頭を下げて俯く。

 

「脱がせるぞ」

「お、お待ちください!」

 

どうかそれだけはご勘弁を!顔を上げるとお兄様は表情を消したままに、けれど瞳には欲とは違う炎が宿っていた。

私が何かをされたのだと、理解されたのだ。

 

(まずい!どうすれば!?)

 

衿を抑え、帯を解かれないようガードするけれど、お兄様の前では無意味だった。

お兄様の右手が無情にも帯を分解された。

え!?分解された!!

 

「お兄様!?」

 

まさか魔法を使ってまで脱がしにかかるとは思わなかった。あまりの驚きに放心した隙に手をそっと外され衿に手を掛けられる。

 

「まっ――」

「これは――」

 

帯のない着物はあっさりと開かれ、肩までむき出しになりはらりと滑り落ちていく。

お兄様を止めるために伸ばされた手がそのままになっていたので体を隠すものなど何もなかった。

 

(いつかのほのかちゃんのように悲鳴を上げられれば良かったのに・・・)

 

残念ながら、私の体に染みついた淑女教育がかろうじて機能してそのようなことはしてはならないと引き留める。

お兄様に見られているという現実が受け止めきれなくてぎゅっと目を瞑る。

 

「・・・りぼん・・・」

 

お兄様の口からこぼれた単語に、リボンがどうしたのだろう、とうっすらと目を開けると、お兄様はこんなエロエロの下着を見せられても無表情で私の胸から下を見つめていた。

視線を辿って確認すれば、確かにリボンですね。リボン三連が私のくびれのラインを強調している。ありがとうございます。とってもエロいです。

 

「深雪」

 

お兄様の低い声が私の名を呼ぶ。

まるで地獄から響くような低音だ。一体どうしたのだろうか。茹った頭が一瞬にして氷点下にまで下がった気がした。

 

「な、んでしょう」

「これを用意したのは叔母上だな?」

 

質問しているようだけれど、それは断定しているも同然の言葉に思えた。

 

「はい、そのように伺っております」

 

その答えにお兄様は固く目を瞑って大きく息を吐きだすと、カッと目を見開いて。

 

「脱がすぞ」

 

へ?

宣言するとともにお兄様は手早くベビードールを脱がしにかかった。センタースリットタイプなのでおリボン解けば簡単に脱げる仕様になっております。あっという間に黒と紫の魅惑の布ははぎ取られ、生まれたままの姿――になるにはまだ下がありましたね。

 

「倒すぞ」

 

何を?と疑問を抱くより早くお兄様は私の身体をゆっくりと布団に横たえた。そしてひもを引っ張って下もするりと・・・って下は待っ――!

 

一瞬にして青ざめた私が口を開くより早く、無情にも引き抜かれた下着は粘度の高い糸を引いて離れていく。

 

それが示すことがわからないほど、お兄様も知識がないわけではないだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

沈黙が流れる。

 

「・・・・・・すまない」

 

・・・うう・・・羞恥心で死ねないかなぁ。というか死にそうです。心が瀕死状態。

お兄様に背を向けるように寝転がって顔を覆って体を丸める。白い肌が真っ赤に染まっていたのがちらりと見えたがもう私には構う余裕も無かった。

 

「酷いです・・・」

「っす、すまない!」

「・・・うう、貝になりたい・・・」

 

このまま閉じこもってしまいたい。

お兄様が謝罪を繰り返すが、ほとんどが耳を素通りしていた。

お兄様にも、何らかの事情があったのだろう。急いで脱がさねばならぬ理由が。・・・もしかしたら本当にコレは呪いの下着で、午前零時までに脱がさないととんでもないことになるとかあったのかもしれない。

だとしても、これは・・・心のダメージが大きすぎた。

お兄様だってまさか、キスだけでその・・・こんなことになっているとは思わなかっただろうから。四葉の完全調整体、感度が良すぎる・・・。本当、恐ろしいものをおつくりになりましたね。

はしたない姿を見せてしまったことに全身火傷を負うんじゃないかと言うほど羞恥で身を焦がす。

お兄様がようやく謝罪の沼から抜け出して、私の着物を掛けてくれた。裸のままだったのが憐れだったのだろう。

 

「すまなかった。嫌がったら止めると言ったのに、俺は止まってやれなかった」

 

そういえば、そんなこともおっしゃってましたね。

途中からそういうプレイなんだと思ってましたよ。だって止まる度お兄様の目がね、獲物をいたぶるそれに見えてましたから。

 

「深雪がその・・・、叔母上の用意した下着を身に付けていることが耐えられなかったんだ」

「・・・理由がおありだったのですね」

 

少しずつではあるが羞恥心から思考が解放され始め、お兄様の言葉に耳を傾けられるようになった。

顔を覆っていた手を外し、掛けられた着物に袖を通す。

前を合わせてゆっくりと体を起こすと、タイミングよくお兄様から帯を差し出された。あの、分解されたはずの帯だ。

 

「すぐに元に戻していた」

 

とのこと。分解の魔法にばかり気を取られていて気付かなかった。

下着が無いことが心許なかったけれど、元々身に付けていた下着があれだ。

無いのとあるのとではどちらがいいかと問われれば、無い方がまだ安心できた。・・・あれはやっぱり呪いの装備です。

お兄様は今一度深く頭を下げで謝罪した。

だけどまだ、それを受け止めるには必要なことがある。

 

「お兄様、いったいなぜ、あのような暴挙に出られたのです?」

「実は――」

 

お兄様が重い口を開く。

原因はやはり、叔母様だった。

私がいなくなり、書斎で叔母様と話した帰り際、叔母様から言われたのだと。

 

 

 「そうそう、達也さんにとっておきのプレゼントを用意したの」

 「プレゼント、ですか」

 「ええ。あとで部屋に届くはずよ。ちゃんとリボンをつけたからすぐにわかるはずだわ。ちゃあんと受け取ってね?」

 

 

叔母様の言葉と浮かべられた笑みに何か仕掛けられていると読んだお兄様だったけれど、受け取り拒否の権利などない。

一体何が届けられるのかと訝しみながら部屋で待機していたのだが、戻ってきた私を見てそのことがすっぽり頭から抜け落ちていたのだそう。

お兄様にしては珍しい。

 

「・・・仕方が無いだろう。あの時はあまりのお前の色香に中てられていたんだ」

 

・・・左様でございますか。それ以上の言葉が見つからない。

とにかくお兄様はプレゼントの存在を忘れていたそうだが、着物の下を見て目に入ったリボンに、すぐに叔母様の顔が浮かんだらしい。

 

(・・・まさかプレゼントはわ・た・し(はぁと)をさせられていたのか・・・)

 

「深雪は欲しいが叔母上にプレゼントされたと思うとそのことが許せなかった」

「・・・それは、どうしてです?」

「プレゼント、と言うことはお前が一時的にも叔母上のモノだったということになる。それが嫌だった」

 

・・・・・・あら、まあ。

思わぬ独占欲の塊のような発言にきゅん、と胸が高鳴った。現金なものだ。

 

「それに、叔母上の用意した下着を身につけさせられていることも気に入らなかった」

「・・・もしこれが、私の選んだものだったとしたらいかがです?」

 

ちょっとした好奇心で訊ねると、お兄様は少し目を見開いて、口角を吊り上げられた。

 

「深雪が用意してくれた据え膳なら喜んでいただくよ」

 

ぶわり、と今まで抑えられていただろう色気が押し寄せる。

・・・お兄様、ずっとこれを隠されていたの?理性で色気って抑えられるんだという新事実。

じゃあ今まで時折漏れていたのは無意識だったから・・・?妹を恋愛対象としていないから抑えることもしていなかったのだろうか。

完全に落ち着きを取り戻した私の身体を引き寄せて抱きしめた。

既に先ほどの雰囲気は綺麗さっぱり無くなっていていつものお兄様に戻っていた。安心する、お兄様の腕の中。

相変わらず鼓動は早まるのだけれど、お兄様から伝わってくる。もう何もしない、と。

 

「結局俺はお前を傷つけた」

 

すまない、と謝られるけれど、結局のところ犯人は愉快犯の叔母様だ。

けれど、お兄様が悪くないとも言えない。

だから――

 

「ええ、傷つきました」

「!!・・・すまない」

「でも、お兄様に責任を取ってもらうつもりもありません」

 

思ってもみなかっただろうこの言葉にお兄様は体を硬直させた。

 

「責任を、取らせてはくれないのかい?」

「それではお兄様の都合の良いようになってしまうではないですか」

 

私は簡単に許すつもりはないのです、とお兄様の身体から少し体を起こしてお兄様と見つめ合う。

 

「お兄様はおっしゃいました。私に愛してもらいたい、と」

「ああ。兄としてだけでなく、男としても、愛してもらいたい」

 

素直に愛を乞う姿に、すでに陥落している心を隠して。

 

「でしたら、私に恋をさせてくださいませ」

 

お兄様の頬を両の手で包み込み、視線をしっかりと合わせて。

 

「今度はお兄様が私に心を、恋を教えてください」

「・・・結局俺に都合の良いようになっているじゃないか」

「さて、それはどうでしょう」

 

くすくすと笑ってお兄様の胸に凭れ掛かれば強めに抱きしめられた。

はっきり言えばこの展開は全くの予想外で、未だ頭は混乱している。

何パターンも想定した。

婚約者になる可能性だって考えなかったわけじゃない。

だけどまさか、お兄様に前向きに望まれることは想定外だった。

何度も言うが、深雪ちゃんが――私が望まなければ二人が結びつくことなんてあり得ないと思っていたから。

考える時間が必要だった。

・・・その時間稼ぎに恋をさせろ、だなんて傲慢なセリフのはずなのに、何故かお兄様はやる気に満ちている様子で。

 

「かぐや姫のような無理難題だろうと、必ずクリアしてみせる」

「・・・随分と自信がおありのようですね」

 

傲慢な態度を見せて冷静さを取り戻させようとしたのに、逆に火をつけてしまったようだ。

・・・そうだった。お兄様は無理難題に取り組むときが一番楽しそうだった。

 

(でも、無理難題かと問われると・・・もうすでに解決されそうなのだけど)

 

「自信なんかないさ。だが、お前を手に入れられるなら俺はどんな無茶でもやり遂げる。そう宣言したんだ」

 

困ったね。この件に関してお兄様がこんなに好戦的になる思わなかった。ギラリと目が光っています。

今にも喰われそうだね、と言いたいところだったけれど自分の恰好がシャレになっていないことを思い出した。

つい先ほどもとんでもない姿を見られたばかりである。

込み上げてくる羞恥でまたも顔が赤く染まった。

お兄様もすぐにそのことに気付いたのだろう、ぽんぽん、と背中を宥めるように叩いてから、

 

「今日はもう遅い。明日に備えて、寝るとしよう」

「そう、ですね。ではお布団を」

「深雪」

 

誰かに頼んでもう一式用意してもらおうと言う言葉を遮られ、お兄様は真剣な表情で言った。

 

「このまま一緒に寝よう。それ以上のことはしない」

「・・・・・・お兄様、それは」

「大丈夫だ。九校戦ですでに実証済みだ」

 

・・・そういえば既に一度、というか数度?一緒に寝ていたんでしたね。お兄様的には。

ですが私にとっては初めてみたいなものなのですけれど。

母が亡くなった時でさえお兄様と一緒に寝たことはない。手を繋いでずっと傍にはいてくださいましたけどね。

 

「もちろん、お前が許してくれればそれ以上だって構わない」

「許しません!」

「それは残念だ」

 

大して残念そうに聞こえない楽しそうな声で言うと、立ち上がって寝間着に着替えると浴衣を取りに行った。が、その前に振り返って。

 

「深雪も、今のうちに別の下着を身に付けると良い」

「!!そ、そうですね」

 

慌てて立ち上がって持ってきた荷物から予定していた下着を取り出し身に付ける。

・・・やっぱり下着って身に付けると安心感あるのが普通だよね。下着を身に付け寝衣を整えてから寝室に戻ると、布団をめくられた状態でお兄様が横たわっていた。腕枕は必須ですか、そうですか。

 

「し、失礼します」

 

おずおずと布団に潜り込み、お兄様の身体に身を寄せる。

 

「取って食ったりないから、もう少し寄りなさい。それでは寒いだろう」

 

遠慮をするなというけれど、しないわけがない。でも言われたからには、とできる限り近づいたところでお兄様の腕が腰を抱き寄せた。

 

「きゃっ」

 

勢い余って半身がお兄様に覆いかぶさるように重なり合い、密着していた。

 

「うん、これくらいだったかな」

「な、何がです?」

「九校戦でお前が俺で暖を取っていた時はこれくらい密着していた」

「そんなっ?!」

 

嘘でしょう?こ、こここんな密着していたというの!?どれだけお兄様に迷惑をかけたのか。こんなに密着されたらお兄様だって眠りを妨げられて当然だ。

 

「よかったな」

「よかった?とは」

 

混乱する私に、お兄様はよかったなと声を掛けられるけど一体全体どこに安心する要素がありました?

 

「あの時俺がもしお前への想いに気付いていたら何もせずにいられなかっただろう」

「!!」

 

なんてことを言うんですかお兄様!

しかも遠い目をしてあの時のことを回想しているようですが、今、現状を思い出して?!私半身乗っかったままです。密着してるの!離して?

抜け出そうと身を捩るけれど腰に回された腕は金属で固定されているように動かない。

 

「確認は途中になってしまったが、深雪にとって俺は変わらず兄のままなのだろう?」

 

この密着は兄だから大丈夫だろう?とのことですか?だいじょばないから抜け出そうとしているのに。

そしてあの恐ろしい検証はそのままうやむやになるかと思われたが、お兄様は整理したいようだった。

お兄様からの問いに、しかし私は少し悩む。そして出した答えは――。

 

「分かりません」

「わからない?」

「・・・お兄様はお兄様です。それは今までも、これからも変わらない。お兄様にとって私がずっと妹であるように不変の真実です。

ですが、変わらず、というのは恐らく違います。お兄様からお気持ちを聞いて、私は自分の心がわからなくなりました」

 

私は前世からお兄様を好きだった。キャラとして愛していた。

それがどういうわけか知らぬうちに生まれ変わり、お兄様の最愛の妹としてお兄様の傍で暮らすようになり、あの沖縄の事件でお兄様に命を救っていただいた。

そこからはっきりと自分の立場を自覚し、お兄様が現実にいるのだと実感し、ここからお兄様を幸せにするのだと生きてきた。

それはもちろんお兄様に救っていただいた命のための恩返しという思いもあった。

今まで兄を蔑ろにし、辛く当たっていた分のお詫びもあった。

けれど一番にあったのは大好きなお兄様を幸せにしたいという気持ち。それは一ファンとしてか、妹としてかもう定かではない。

お兄様と過ごした日々も併せてお兄様を愛してきた。

そこにはいろんな愛が入り混じって、この愛が何かと答えるのは難しいけれど、大きな愛なことは確かで。

だからこそ導き出せる答えは――

 

「お兄様を愛しております。そこは間違いがありません。ただ、その愛の種類を訊ねられるとわからない、としか言いようがないのです。・・・恋ではないと、否定することも」

 

できないのだ、と言うとお兄様は口元を綻ばせた。

 

「そうか。全くの脈無しではないんだな」

「・・・わかりません」

 

多分、脈無しどころか大有りだと思うのだけれどそれを不用意に口に出すことはできない。

私たちの今後の未来の為にも。

 

「分かった」

「お兄様?」

「待つよ。お前が俺に恋をしてくれることを。何も今ある感情から焦って探し出すことはない。これから育んだって良いんだ。そして必ず結婚をするまでに恋をしてもらえるよう、待っているだけでなく努力するとしよう」

 

お兄様の瞳が、声が、空気が甘く感じられてさらに顔に熱が集まる。

くすりと、笑う声が至近距離から耳に届いた。

 

「電気を消してもお前の赤い顔はよく見える。こんな体に生まれたことも、お前の傍に居るだけで全て良かったことになる――ありがとう」

 

お兄様の言葉はなんて事の無いように紡がれたけれど、今日お兄様は自身の出生の秘密を知ったのだ。その上で、そんなことを言う。

ぎゅうっとお兄様にしがみつくように寄り添って。

 

「・・・お兄様が生まれてくださったことに感謝を。お兄様がいてくださるから、私は生きられるのです」

 

お兄様の為に造られたから、私はこの世に生まれることができた。そのことに、感謝を。

布団の中で二人身を寄せ合って目を瞑る。

遠くで鳴る除夜の鐘の音を聞いて、遠のく意識の中、額に何かが触れたけれど確認することもできず眠りに誘われていった。

 

 

 

 




次、完結です。
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