妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前)   作:tom200

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こちらは四葉継承編の番外編になります。
深雪成主では描かれなかったお兄様サイドのお話ですが、改めて注意書を。
二次創作ですので、イメージにそぐわない可能性がございます。
もし、よくないと思ったらそのまま閉じていただくか、本編までがシリーズだったと見なかったことにしていただくかしていただければと思います。

深雪と達也の立場が逆転して、四葉継承編になっていたらこんな流れになったのではないかな、と思って書きました。

よろしければ、どうぞお進みくださいませ。


四葉継承編 前編 達也ver.

 

兄弟愛とは、兄弟姉妹同士の深い愛情や絆を指す言葉であり、兄弟姉妹が互いに思いやりや支え合いを持ち、絆を築くことを表現している。

何度読んでもわからない。

なぜ、これが俺に当てはまらないのか。

 

(もしや深雪の方が支えすぎて、一方的に思われているのだろうか)

 

兄として情けないことにずっと彼女に支えられてきた。思いやっているつもりであっても俺の配慮が足らないことが多々あるのだろう。自身が気の利かない人間であることは理解している。

深雪がいつも笑ってくれているから勘違いしていたが、そうだな。俺は妹に甘えすぎていたのかもしれない。

 

(それを七草会長に指摘されたのは業腹だが)

 

周囲にはそのように見えていたということか。少し立ち返って自分たちの立場を客観的に観察してみた方が良いかもしれない。

論文コンペも終わり、自分の研究にも大分目途が立った。四葉からの任務も無い。

つい先日までの忙しさが嘘のように、時間に追われるようなタスクが何もなくなった。

今後はあのような事態にまで追いつめられるようなことにならないようにしなくては、とスケジュール管理を徹底しようとした矢先に大した予定がなくなってしまった。

だからこそ、こんなことも考えられるようになったのだが、・・・あの時の思考は本当にどうかしていた。

 

(トラウマの可能性があるからと、深雪にドレスを着せて、その上で自らの手で脱がせようとするなんて)

 

とんだ変態兄貴ではないか。

実行する前に正気に戻れてよかった。

一体どんな思考回路で『都合がいい』等という結論に至ったのか。

――そう、あの時の自分にはアレが妙案だと思っていたのだ。恐ろしいことに。

京都のホテルで服を脱がせろと言われた時には、俺は貴女の召使いではないと不快に思うと同時に、妹のでさえしていないのに、との考えが頭を過った。

深雪のも脱がせたこともないのに、と。

当然だが、ガーディアンにそのような業務は含まれていない。

水波が手伝うのはあくまで彼女がメイドとして傍に侍ったからだ。彼女が来た時にはまだガーディアン候補という立場で、兼業とはいえ家政婦の方がメイン業務のはずだった。

しかし、一年もたたず、彼女の忠誠心は跳ね上がり頼もしく思うほど成長した。まだ経験不足なところがあるが、そこは知識でカバーもできる。学ぶ意欲も十分にあるし、鍛えがいがありそうだ。

・・・と、話が逸れたが、俺は深雪のガーディアンであって身の回りの世話は護衛任務に含まれない。礼儀作法等は含まれる。仕える主の品位を下げるような真似は許されないからだ。

ただ、任務とは別に兄として妹の世話はしたいとは思う。

おはようからおやすみまでしてやりたいと思うのはおかしな話ではないだろう。あれだけ頑張り屋の妹だからな。

だが、そんな俺でもドレスを脱がせたい、というのは世話をしたいとは意味が違うことくらいはわかる。

 

(・・・恐らくだが、あの時に外れた箍のせいで思考がおかしくなっているんだろうな)

 

九校戦で気づかぬうちに疲労をため込んだことで深雪を抱きしめて眠るという奇行に走った、あの夜。

同じく疲労して体が冷えたことにより暖を取ろうと俺のベッドにもぐりこんできた深雪に、どれほど驚かされたか。

初めは意味が分からなかった。目を開けたら密着するようにくっついてすやすやと寝息を立てて眠る妹の姿に、一瞬ついにやってしまったのかとさえ思った。

俺にとっては世界一美しく可憐な妹でもあるが、彼女ももう高校生。いくら兄妹とはいえ外聞を気にしなければならない年頃の女の子だ。

部屋をトレードしたことを注意したのは己だというのに、この事態。

身体もだが、思考も硬直した。数秒は固まっていただろうか。次第にここが自分のベッドであり、どうやら深雪の方から潜り込んできたのだと状況を理解した。理解できた以上速やかに事態を解決しなければならないと、何事もなかったように元に戻すことに奮闘した。言葉通り、厳しい戦いだった。

寝る前にも深雪から寝相が悪いと母から言われたと言っていたが、俺自身過去に注意されたことを思い出し、これのことかと納得した。

見るだけでも女性らしい体つきになった妹に抱いてはならない欲が疼くのを感じるのに、直に触れてしまうとより一層理性が脆く崩れそうになった。純真無垢にすり寄る妹に欲を抱くなど、あまつさえ生理的反応とはいえ、妹相手に反応する体に言い訳などあるわけもなく、とてつもない罪悪感を抱いた。男という性が悪だと断じたくなるほどに。

本能とはいえ血の繋がった妹に抱いて良いものではない。

なら他の女性に抱くのはいいのかと聞かれれば、無差別に抱くのならば問題あるだろうが、そういうシチュエーションになれば反応を示すのは健全な反応と言えるだろう。

 

――実の兄妹で子を成す必要性など、そもそもないでしょうに――

 

今度は光宜の不調の真実を語った時の深雪の声が呼び起された。

ありえない、と断ずる固く、低い声。

怒りさえ滲ませていた声に冷水を浴びさせられたような心地がした。

自分も、その真実を視て分析した時抱いた感情でもあった。だから共感できるはずなのに、深雪が口にしたという事実にひどく動揺した自分がいた。自身の感情が大きく揺さぶられたこと――その感情の一つが恐怖だったことに。

その理由は未だにわかっていない。

このところ自身の行動に自信が持てないことが増えた。

その不安を吐露したことはないが、二人でいる時に不安になると、必ず深雪は何も言わずに寄り添ってくれる。

例えば、無意識に手を伸ばしかけて止まった時。

例えば、溢れた想いを言葉にしようとしたのにうまく音に出せなかった時。

例えば、――もっと、と欲が出そうになって、自制して動きを止めた時。

何も言わなくても、寄り添う彼女からは声が聞こえる様だった。

「お兄様はまた、心を育てられたのですね」と、そう言っているような笑みを浮かべられていて、俺はまた混乱するのだ。

果たしてこの成長は良いことなのか悪いことなのか。

深雪にとって悪いことばかりな気がして、離れた方が良いのではないかと思えて――そんなことはできないし許されることじゃないと、兄でありガーディアンとしての立場を理由に離れることはあり得ないと言い聞かせる。

 

(大切な妹の傍で彼女を守れる、それ以上望ましいことなど無いというのに)

 

恐らくだが、水波が派遣されてきたのはガーディアンとして早く一人前になり、彼女一人で深雪を守れるようにするためだろう。

以前から深雪の傍から俺を引き剥がしたい分家の意思は見て取れた。

常に傍に侍っていなくとも深雪を視られるのだから守ることは可能だ。

いつ引き離されてもおかしくない状態だったのをここまで引き延ばせたのは、深雪が魔法師以外からも狙われることが多かったことと、彼女自身が分家をうまく往なしていたからだろう。

兄の利用価値を示し、一般人を装うことには好都合で、自分にとっては空気のような存在だから気にもならない。

そう僅かに皮肉滲ませた笑みを浮かべて答えると、分家の連中はそれならいいがと引き下がる。

そのあとで、二人きりになると

 

「あの方々は何を吸って生きているのでしょうね?空気が無くては生きられないでしょうに」

 

くすくすと、おかしいですね、と微笑むのだ。自分にとってどれだけ兄が必要であるかと教えるように。

これだから、深雪の傍に居るのをやめられなかった。

本来であれば俺から言い出して、深雪を不快な思いから遠ざけることだってできたはずなのに。

深雪が、俺を求めてくれるから。

求められる人間であり続けようと、必要とされる人間であろうとした。

――深雪にとってかけがえのない、替えの利かないものになりたかった。

 

(もしかしてこの思考も、兄妹愛らしく思えない原因だろうか)

 

妹のために、と妹に必要とされたい、は確かに違うのかもしれない。

もう一つの理由に気付けたものの、こればかりはどうにもならない、と思った。

深雪に支えられすぎていることをどうにかしたいなら自身が行動を起こせばまだ何とかなるだろうが、水波という俺の代わりになる者がいて、自立しようと兄離れを始めようとする妹に焦りを覚えている自分に、ただ温かく見守るだけというのはできそうになかった。

だから今夜も――

 

「お兄様、コーヒーをお持ちしました」

「ありがとう」

 

手ぶらで構わないのに甲斐甲斐しくコーヒーを運んでくる妹を出迎える。

 

「良い香りだ」

「心を込めて挽いておりますもの」

 

確かにコーヒーの香りも良い。だが、俺にとって何よりもこうして横に並んで冗談めかして微笑んでいるお前から香る匂いがたまらない。

甘い香りに吸い寄せられそうになるのを、コーヒーの香りで誤魔化して自制を促す。

視線が鋭くならないようにも気を付けねばならない。

兄らしく。妹を愛しむように。

 

 

――

 

 

慶春会に参加せよ、との手紙が届いたのは試験勉強を始める前だった。

その時から、深雪の様子が徐々に変わっていく。

学校では明るく楽しそうに。

家では――

 

「お兄様、私は幸せ者です」

 

そう言って、自ら俺の胸にもたれて。

その表情はとても幸せそうでもあるのに、彼女の心が沈んでいくのが分かった。

本家から届いた手紙には具体的な内容など何も書かれていない。

それでも参加させるからには理由があることは明白。時期的にも次期当主を選出するものと思われた。

実力を考えれば深雪が選ばれる。

家柄も、当主の姪であり、血統としても一番近い存在だろう。

問題は次期当主に選ばれたことを内々だけでなく世間に公表するのか否かだが――深雪の様子を見るに、恐らく公表も同時なのかもしれない。

どうしてそれを彼女が知っているのかは知らない。見せてもらった手紙にも書かれていなかった。

いつもの勘か、それとも――

ともかく、今は落ち込む深雪を抱きしめて、

 

「大丈夫だ」

 

お前のことは必ず俺が守るから。

たとえ仲間たちが離れようとも、俺が――傍に居られなくとも、お前を守る。

 

(落ち込んでいる深雪を慰めているようでいて、実質俺はこの腕で抱きしめることで、来るかもしれない未来から目を背けてわずかな幸せに縋りたいのだろうな)

 

酷い兄貴だ。

妹の純真な気持ちを利用するなんて。

 

「ありがとうございます」

「お礼を言うのはこちらだよ、ありがとう深雪」

 

どうしてお兄様がお礼を言われるのです?なんてくすくす笑うが、俺にはお前がお礼を言う意味の方が心配になる。いつか、俺みたいな男に騙されやしないかと。

もしそうなったら俺はそいつを消してしまうかもしれない。

 

(・・・もしそんなことをしたら、深雪に嫌われてしまうだろうか)

 

それは嫌だな、と思いつつも深雪なら嫌わないでくれるかもしれない、なんて自身に都合の良い最低なことを考えていると、頭を撫でられた。

 

「なんだ?」

「なんとなく、でしょうか。お兄様がまたいろんなことを考えているような気がしましたので」

 

・・・本当に、勘の良い妹だ。

このほっそりとした白い手に、俺はどれだけ救われてきたことか。

 

「やっぱり、お礼を言うのは俺の方じゃないか」

 

わざわざ立ち上がり、深雪を抱きあげてその場でくるりと回ると、わざとらしく楽しそうな声できゃあ!と悲鳴を上げて抱きつく。

 

「もう、お兄様の中で私は一体いくつだと思われているのです?」

「いくつになっても俺の可愛い妹だよ」

 

むしろ幼い頃にこんなことなどしてあげられなかった。

仲が良くなった中学生時代でもこんなことをしたことはない。

今、高校生になってようやく、俺たちは兄妹として仲睦まじく暮らしている。

そしてそれも、もう少しで――

 

「お兄様ったら。夜も遅いのですからあまり考えすぎてはいけませんよ。たとえお兄様ほどの方であっても疲れている時ほどいい考えは浮かびにくいものです」

「わかったよ。今日はこの後すぐに寝るから」

 

俺の返答に満足したのか、満面の笑みを向けておやすみの挨拶をする。

 

(しかし、深雪の中で俺はどれだけすごい人間にされているのか)

 

俺ほどの、との言葉は冗談に聞こえない。彼女の中で築かれている兄の虚像はどれほど立派に造られているのか。

いつか現実を知って落ち込まないと良いが、彼女の期待にはできるだけ応えたい自分もいた。たとえそれが見せかけであっても。

できるなら彼女が片づけに行ってしまったカップも俺が代わりたかったが、今日はお疲れでしょうからと奪われてしまった。

本当によく見ている。見て、くれている。

それが嬉しくて、愛おしくて――だからこそ、苦しい。

まだ見ぬ未来がどうなるかなんてわからない。このまま傍に居られるのか、それとももうお役御免と引き離されてしまうのか。

 

(高校卒業までは、大丈夫なはずだ。深雪が一高に通う限り、水波だけでは補えない部分もあるだろう)

 

元々俺が入学できなかったとしても登下校は護衛として送り迎えはすることが決まっていた。

入学してからはトラブルが相次ぎ、生徒として水波が送りこまれたことで、校内も護衛が必要だと四葉も不安視していることだろうから現段階で俺を外すとは思えなかった。

特に七草が学校を巻き込んでちょっかいをかけてきたことに叔母上は相当お怒りだった。

よって、今すぐ護衛を外すこともないだろうし、今この状況で深雪を転校させれば七草から逃げたように思えることからそんなことはしないだろう。

だが、それもあと一年。その後、卒業後は恐らく何かしら理由をつけて引き離されるかもしれない。

 

(――そうなる前に、四葉を脱出するか)

 

計画は思わぬ形で完成形に近づきつつある。

ただ、その研究には莫大な資金もかかれば人材も必要となる。そもそも、国にも根回しが必要な大掛かりな研究だ。なんのネームバリューもない一高校生にはできないプロジェクトだ。

4月の恒星炉が良いプロモーションになったとはいえ、それだけではまだ足りない。

現段階では四葉の力を借りなければ難しい。

 

「・・・寝るか」

 

きっと深雪の言うように、今考えたところで良い案など浮かぶはずもない。

どうせ浮かべるなら、先ほど抱き上げた時の笑顔がいい。

思い浮かべるだけで口元が緩む。

今夜はいい夢が見られそうだ。

 

 

――

 

 

クリスマス。

今年も喫茶店を貸し切って仲間たちと騒がしい時を過ごす。

去年と違うのは水波がいることだろうか。彼女にとって周囲が先輩たちばかりで居心地が悪いはずだが、深雪の傍に居ることと天秤にかければ比重は見るまでもなく深雪に傾いていた。

深雪も彼女に気を配っているのでさほど息苦しさは感じないのだろう。

途中、深雪が気を緩ませて柔らかい笑みを浮かべたことで、深雪に耐性が付いてきたはずの彼らも顔を赤く染めたり目を逸らしたりしていた。

その笑みに擬音をつけるとしたら「ふにゃり」とでも言うのだろうか。

家でもそれほどお目にかかれない愛らしい笑みだった。抱きしめて、独り占めしたくなるような気を許している人にしか見せない可愛らしい笑みを惜しみなく振りまく深雪に、つい注意を促したくなるが、俺が言うよりも先にエリカが注意した。

深雪は今自身がどのような笑みを浮かべているのか理解していないのだろう、困り顔をしているが、それすらも可愛らしい・・・じゃなかった。どれだけ周囲を虜にするか自覚していない。

困った、けれど自慢の妹だ。

美月が興奮気味に家でもこうなのかと訊ねてくるが、その熱量に若干気圧される。一体何が彼女をここまで興奮させる要素があったのか。深雪が原因だとはわかっているが、それがどう作用してこうなっているのかまではわからない。

とりあえず、俺達でも滅多にお目にかかれないことを、水波を巻き込みながら答えておく。

いつもこんな顔をされていたら、きっと落ち着かない。

兄だからと言って妹に魅了されないわけがないのだから。

いつもなら気を付ける深雪も、テスト勉強も終わり、生徒会の大仕事も終えて仲間内でねぎらい合ううちに気を緩ませてしまったといったところか。

貸し切りにしておいて正解だった。

話は流れでこの一年の総括になっていた。

今年ももう一週間切ったからな。この流れもおかしなことではないだろう。

一高に入学してからというもの、何かしらの事件に巻き込まれることが多く、去年に引き続き今年も波乱ばかりだった。

リーナの襲来は特に印象深い。パラサイトやスターズなども厄介だが、彼女の存在は深雪の中で深く根付いた。パラサイトの存在も深雪にとって害悪でしかなかったはずなのに、ピクシーをペットのように可愛がる。

一度懐に入れてしまえば、深雪は途端に甘くなる。どちらも完全に気を許すことはできないが、それを証明する二人だった。

先輩たちが卒業したと思えば、またトラブルのように入ってくる新入生たち。特に七の付く名を持った者たちは本当に面倒ばかりを引き起こす。

七宝はどうにも惚れやすい性質らしく、深雪に初めこそちょっかいを掛けて気を引こうとしていたようだが甘やかしてくれる年上が好みのようで、自分より強い深雪には尊敬は抱けるもののそれ以上の感情は抱かなくなったようだ。

深雪は甘やかすのが上手いから危ないかと思ったが、変な男のプライドが邪魔したらしい。

だがこの男より厄介なのが七草双子の妹の方、泉美だ。

深雪を憧れのお姉さまとして慕いたいと口では言っているが、あれはただ慕うだけの者の熱量とは到底思えなかった。

深雪にもその熱量が伝わっているのか、自身でも気を付けているようだが、いつ本性を現して襲い掛かるか分かったものではない。なるべく生徒会室にいる時はけん制するようにしているが、俺がいない間は水波とピクシーと、時折入り浸っている雫が警戒している。

九校戦では九島家が狂った計画を引っ提げて軍と共謀して余計なことをしたせいで、こちらもとんでもないことになったが、・・・まあ、それは半分は言いがかりか。忙殺されたことで深雪にあんなことをしてしまっていたなんて。さらには追い詰めて泣かせるなど、兄として失格としか言いようがない。いくら謝罪しても許されないことだ。

その後も研究に任務にと予定を詰めすぎて深雪に迷惑をかけてしまった。どれもこれも深雪との時間を取るために、と性急に事を運んだのが悪かった。自分の能力を過大してしまっていた。自分なら問題ない、と。

結果、研究は何とか完成し、任務も無事に完了したが、精神的疲労は蓄積され深雪が止めるのも聞かずに彼女にドレス一式を贈り、着せて、さらに脱がせることで忌まわしい記憶を塗り替えようとさえしていた。

忌まわしい――何が悲しくて酔っ払いの女性の服を脱がせなければならなかったのか。夏に水着姿を見ていたので、制服で記憶していた体形とはまた違って見えたこと、女性らしい体つきと感触をしっかり記憶している自分の男としての浅ましさに嫌悪した。

別に潔癖というわけでもない。男なのだから女に欲情することは健全な反応であり、生理現象だと理解している。

むしろこう言った反応があるから自分は人間であると実感できるのだが、あの時はそれさえも不快で仕方がなかった。

その上、文句も言わず黙っていたにもかかわらず彼女はあろうことか深雪にそのことを臭わせた。

ふつふつと、ではない。ぐらぐらと怒りが腹の底で煮えたぎっていた。

別に深雪が何かをされたわけではない。それなのに怒りがこみ上げた。

深雪はそのことに、自身のことで怒ることができた兄の変化に気付き、怖がりつつもこれも成長だと変化を喜んでくれていたが、果たしてこの感情は育ってよかったのだろうか。

怒りとため込んだストレスが、おかしな計画を立て、深雪に似合うだろうドレスやワンピース、アクセサリー類を選んで――・・・最後まで実行されずに済んでよかったという思いと、深雪に迷惑をかけたこと、そしてしようとしたことへの罪悪感に苛まれた。

あれから約二月。流石に今は吹っ切れてはいるが、あれはしばらく引きずった。あれだけ近寄りたくて仕方がなかった深雪に自分から近づくことができなくなるほどに。

 

(本当に、たった一年だというのに事件が多すぎだ)

 

この高校生活の三年間は穏やかで平和な日々を過ごせるはずだった。少なくとも、深雪だけは、普通の学校生活を送れるはずだったのに。

やはり、先に大亜連合を地図上から無くしておくべきだったのではないかと――そうすればブランシュも、無頭龍も、横浜での襲撃も起きなかったのではないか。それによってUSNAが変な実験に手を出すことも、俺たちが目を付けられることもなかったのではないかと思ってしまう。

そう、沖縄の時に混乱に乗じてやってしまえばよかったのだ。戦争を仕掛けたのはあちらの大国だったことは明白で、こちらはただの中学生だった。怒りに任せて全壊でなくとも半壊くらいにしておけば――それも軍事施設だけを重点的に狙い撃てば高校生活の間くらい立て直すのに時間がかかり穏やかに過ごせたのではないだろうか、と夢想してしまう。

その分周辺国からも日本が警戒されてしまうだろうが、やられたからやり返しただけ。仕掛けてこなければこの国は外交によって和平を結ぶつもりだったことは各国にも伝わっていたはずだ。

――とは、さすがに楽観視しすぎか。軍事施設を落とせば各国の警戒度が上がって日本が孤立していた可能性もあった。即第4次戦争が起きてもおかしくはない。

結局、俺はいくら世界を破壊する力を有しているからと言っても何もできないのだ。

どんな力を持っていたとしても、たった三年間の平和も守れない。

適当に会話に参加していたものの、やはり深雪には気もそぞろだとバレていたようで、ジュースを受け取る際に大丈夫?とのぞき込まれる。

優しくて、兄貴思いのいい子だ。

そんな妹に、俺は何を返してあげられるというのか。

安心させるように頭を撫でるだけで、目を細めて享受してくれるこの何よりも大事な存在に、俺は何をしてあげられるだろう。

――彼女を幸せにしてあげたい。

幸せになりたいといったあの時の少女を、幸せにするのだと決めた。

そして事あるごとに幸せだと口にする彼女をもっともっと喜ばせてあげたい。

これからもずっと――

店内にはコーヒーの香りが充満した。

 

 

 

 

パーティーが終わるころ、ほのかから初詣の誘いがあった。

来年も誘われるだろうことは予期していたので慌てることはない。申し訳ないが断るしかできなった。

深雪が行きたそうにしていたが、それができないことは彼女が一番わかっていた。

そのささやかな願いすら叶えてあげられないことが残念でならなかった。

初めて、全員が揃っていけるはずの初詣。本当なら行きたくて仕方がなかっただろうに。

しょんぼりと落ち込む深雪に雫たちが仕方ないよと慰める。

本当に、深雪は愛されている。それがとても誇らしい。

その予定が終わったら遊びに行こうと誘ってくれるのは嬉しいが、どのような形で発表があるかわからないので断言はできなかった。

最寄りの駅に着いて、深雪は皆を呼び止めた。

そしてカバンから取り出したのは俺たちを除く人数分の白い封筒――手紙だった。

そんなものを用意していたことは知らなかったが、その手紙には別れの挨拶が綴られているのでは、と予想がついた。

爆弾付きの手紙、か。あまりに物騒なことを言うから窘めれば、ごめんなさい、と反省していないように笑って返していた。いたずらっ子が浮かべるような笑みに見えたことだろう。俺の目にもそうとしか見えないのだが――そうか、確実に遊びに行くことはないということだ。

一月二日に見てほしい、というのは発表直前に読んでほしいということなのか。公表するにしても元旦にはしないと思われた。だが三が日中にはあるのかもしれないと考えていたが、深雪の読みでは二日らしい。

楽しみね、と笑う彼女たちを深雪は今どんな気持ちで見送っているのだろう。

じゃあねー、来年もよろしくなー、と言う友人たちに、深雪は返す。

 

「よいお年を」

 

にっこりと微笑んで来年を約束することなく、別れた。

別れ際に、ほのかから名残惜しそうに見つめられるが、彼女には結局何も返してやれなかった。それでいいのだ、と言われてもそうか、と納得できたのは初めだけ。親しくなってこの子はこれでいいのだろうか、と心配になるくらいには深い付き合いとなった。

その気まずさに気付いたのか視線を向けられたが、俺の口をついたのは先ほどの手紙のことで。

 

「あの手紙には何が書いてあるんだ?俺には貰えないのかい?」

 

わかっている。あの手紙が俺には必要ないことくらい。それでも、深雪から手渡された彼らが羨ましく思えた。

 

「お兄様には直接年明けのご挨拶ができますでしょう?」

「残念だ」

 

くすくすと笑う深雪の肩を抱いた。

いつもなら、水波がいるところではこのようなことはしないようになっていたが、今はこの落ち込んでいる深雪を慰めることが先決だった。

水波もそれがわかっているのだろう。本当に、彼女は良い従者になった。深雪のことを第一に思う、主思いの守護者に。

 

「深雪姉様、帰ったら温かいココアでも淹れましょう」

「いいわね。マシュマロも浮かべてくれる?」

「ご希望通りに」

「ふふ、嬉しい」

 

可愛らしい彼女たちの会話に、心が温まる。

早く帰ろう。温かい我が家へ。

 

 

――

 

 

翌日、深雪たちを残してラボへ向かった。

FLTにわざわざ赴いて慶春会に向かわせたくないと、直接言いに来た黒羽貢の考えがわからない。

深雪が当主になることは認められるのに、時期が早すぎるから妨害工作をするとは――馬鹿馬鹿しい、としか言いようがない。

分家が俺を毛嫌いしていることは理解している。なぜそうなったか、どうしてそう思うかは興味もないので考えもしなかったが、こうして妨害工作に遭うというのなら知るべきだったのかもしれない。

慶春会までに本邸に辿り着けば理由を話すとの約束を取り付けたが、一体どんな風の吹き回しか。まさかと思うが辿り着けないなどと本気で思っているのだろうか。

深雪が出席すると決めたのだ。何が何でも間に合わせるのが俺の仕事だ。たとえ手の内を知っている彼らであろうともその妨害を跳ねのけて、無事深雪を送り届ける。

それは決定事項だった。遂行されて当然の任務。

実際に本邸に間に合ったとて彼が約束を守るかは五分五分と言ったところだが、それでもかまわない。

彼らに期待することなど初めから無いのだから。

 

 

 

帰宅する。

来客があったことは深雪を視ていたのでわかっていた。

だが、訊ねずとも深雪の方から今日あった出来事を語ってくれた。夕歌さんが一緒に慶春会まで行こうと誘ってきたのだという。

彼女のガーディアンが亡くなったということには多少興味を引かれたが、深雪が詳しい事情を知るわけもないので調べるにしても後回しだ。

彼女は深雪と同じ次期当主候補。一緒に向かう道中、事故に巻きもまれでもして難癖や言いがかりで深雪にケチが付くことも想定できる。

メリットは――妨害工作の証人くらいだろうか。あとは深雪の盾くらいにはなるか?彼女も立場としては深雪と同じだからな。

メリットとデメリットを比べてみて、リスクが高いように思う。断るべきだろう。

深雪も賛成なのかあっさり受諾。連絡を入れに行った。

 

 

――

 

 

妨害があると聞いて毎年と同じように前日に出るわけもなく。

到着できないことを前提に、露払いを目的として29日から出発した。どのような妨害があるかわからないが、辿り着けるならそれはそれ。もし辿り着けなくても相手の本気度を見る上でも下見くらいにはなるだろう。

そういうわけで出発したのだが、水波の動きが硬い。護衛としての経験の浅さが彼女の自信を揺らがせているのかもしれないが、以前襲撃された時の反応を見ればその場の対応は問題ないはずなのだが、これは前もって話したのが裏目に出たか?

いや、深雪の護衛に付くならばこれくらいのことすぐに慣れてもらわねば困る。

しかし、こんな時にかける言葉など俺は知らない。同年代の女子の緊張を解す声掛けなど成功した試しなどほとんどないのだ。

ならば俺がどうこうするよりも自身で立ち直ってもらった方が早い。幸い、彼女の感情を揺り動かす手段を一つだけ知っていた。

 

「深雪、寒くは無いか。もう少しこちらに寄りなさい」

「あの、」

「寄りかかれば多少温かいだろう?」

キャビネットの中は空調が利いていてコートも着込んでいるのだから寒いわけはないことくらいわかっている。

空調は客が操作できるようになっているからもう少し温度を上げて暖かくしてコートを脱いでリラックスしてもらってもいいと思うのだが、一応いつ襲撃が来るかわからない状態だ。下手に脱いで荷物にするのもためらわれた。

しかし、抱き寄せて思うがこのコート一枚がとても分厚い壁のようだ。深雪の温度を感じられない。

 

「手も冷えているね」

少しでも温度を感じたくて、深雪の手に触れる。もともと冷え性の深雪の手は冷たく、可哀想なほど冷えていた。

こういう時自分の体温が高めでよかったと思う。深雪を温めてあげられる。

ただ握りこむだけではなくしっかり全体を温めてあげられたら、と指を絡ませ握っては離しを繰り返す。こうすると血行が良くなるらしい。

深雪の頬が徐々に赤く染まりだした。・・・掌だけでなく全身にまで効果が出るのか?だとしても反応が早すぎるような気もするが。

 

「お兄様、その・・・何かございましたか?」

 

うっすらと頬を上気させた深雪の目がちらりと窓の外に向いたので、どうやら襲撃に関して何かあったのかと思わせてしまったようだ。

敏い子だけれど、ずっと警戒をさせたままというのは良くないな。俺がいる時くらいは気を休ませてやりたいと思うのに、そうさせてあげられないこの環境が恨めしい。

今は監視の目もない。襲撃するにしても公共機関は狙わないだろうからしばらくは安全な旅のはずだ。少しくらい甘やかしてやりたい。ついでに俺も英気を養いたい。

 

「心配しなくても何もないよ。それとも何かなくては深雪とこうして触れ合ってはいけないか」

 

さらに身を寄せて覗いみれば、照れたように顔を赤く染める深雪に癒されつつ、ふとマフラーに隠された首元も染まっているのだろうかと気になって肩に乗せていた手を伸ばしかけたところで、

 

「!達也様、深雪様から離れてください!いくらご兄妹とは言えど距離が近すぎます!!」

 

水波が復活した。

緊張を使命が上回ったようだな。

大体達也様は――、とここぞとばかりに不満をぶつけられるが、交換日記の延長戦のような応酬のため機械的に口が回った。この関係にも慣れたものだ。

初めて水波が来たときは一体どうなることかと思ったが、まさか一年もたたずにここまで砕けた関係性になるとは思わなかった。仲間たちとは違う、また新たな身内として自分が受け入れる日が来るとは。

これも深雪のおかげなのだろう。深雪がいるから、このように面白いと思えることが増えている。

日々が、充実している。

これを幸せというのだろう。

この幸せが、危機にさらされるというのなら、全力で抗って見せようじゃないか。準備が整いつつある今、耐え忍ぶ時期はもう終わるのだ――。

 

 

 

目的地へと到着し、運転手と合流する。

水波はその運転手とそれなりに親しいのか当たり障りのない会話を交わしていた。

特に嫌味をぶつけられることもなく、荷物を積み上げる作業を早くしろとせかされるようなこともない、存在を無いものとして扱う態度だったのでむしろ気は楽なのだが、深雪にはそれも不快だったのか、少しばかり棘のある言葉で運転手を狼狽させていた。

俺のことで不快にさせてしまったことに募る罪悪感もあるのだが、俺のために怒ってくれたことに心が浮き立つ。

愛おしいという気持ちに上限はないのか、どんどん積み重なって重みを増していくのを感じた。

予定通り出発し、しばらく動きはなかったが民家等の建物が見えなくなる頃事態は動き出した。

深雪も落ち着いたもので、守られる側だというのにいつでも魔法が展開できるようスタンバイしている。

頼もしい限りだ。

水波の防壁も問題ない強度を保っていたのだが、敵が予想外の攻撃をしてきた。魔法一本で片をつける魔法師の戦い方ではない。

接近戦に持っていかれると水波では不利だと判断。

相克を引き起こして相手の魔法を阻害し、その間に接近戦を持ち込まれたら水波の魔法だけでは心許ない。

水波に魔法を解除させ飛来物を片付けると運転手に町へ戻るように指示を出したが、当然のように運転手は俺の言葉に耳を傾けようとしない。緊急時だということを理解できていないのか、自身のドライブテクニックとやらに自信があるのか。

どちらにしても無駄なタイムラグだ。深雪の身体が不愉快だとばかりに揺れた。

深雪が同じ言葉を掛ければ車は彼女の指示通り町に向かい動き出す。

 

「水波、深雪を頼む」

「はい!」

「深雪、駅前で落ち合おう」

 

つまりここで別れると伝えると、離れることを不安がるよりも俺のことが心配だとばかりに一心に見つめられる。

きっといろいろと言いたいことはあるだろうに、彼女はきゅっと口元を結んでから絞り出すように言った。

 

「ご武運を」

 

本当に、深雪は聞きわけが良すぎる。

それがありがたいのだけれど寂しいような気分にさせられて、なんとも自分勝手だなと自嘲した。

それぞれに確認してから軍から支給されている耐熱のサングラスを主に顔を隠す目的で装着し、窓を開ける。

Uターンをすると同時に窓の外に躍り出る直前、深雪の目が俺に釘付けであることにひどく高揚させられた。

 

(ああ、早く片を付けてあの子の元へ戻ろう)

 

必要以上に心配などかけたくもないから再生どころか傷も負わないようにしないと。

予定通り着地を決めて敵を屠ることに集中する。

できるだけ早く彼女の下へ帰るために。

 

 

 

一掃するのに多少手間取ったのは、彼らの特殊性にあった。

こんなものを持ち出すなんて、思っていたよりも本気で妨害しようとしているのか、と相手の本気度を修正する。

一応背景を吐かせるべきかと思ったのだが警察の到着が思ったより早い。・・・もしかしたらこれもまた妨害工作の一環か?警察に聴取でも受けようものなら痛くない腹を探られ拘束される恐れもあった。

この場から立ち去るほか無さそうだ。

深雪の居場所はわかっている。思ったより待たせてしまっているようだから急いで向かおう。

駅の待合室が見えてくる頃、中から飛び出してきたのが瞬時に深雪だと判明し駆けつけるスピードを上げた。

互いに距離が縮まると合わせたようにスピードを落として見つめ合う。

人気はない。ただ防犯のカメラはある。・・・深雪もそれに気づいてか、胸の前で手を固く結んで眉を下げながらも安心したと伝えるように健気に笑む姿にグッとくるのに抱きしめられないことが辛く思えた。

 

「すまない、待たせた」

 

だからせめて頭を撫でるのだけれどそれだけで深雪の笑みが深くなり、ああ、帰ってきたなと心が温かくなったところで、カメラには見えない角度で口元を緩めると手のひらに頭を擦りつけるような仕草をした。

 

(・・・一体俺をどうしたいんだ・・・)

 

あまりの可愛さに心臓が掴まれたが、ここに突っ立っているのもよろしくない。水波も待合室の入り口で待機していた。

これくらいなら問題ないだろうと肩を抱いて待合室へ戻り、水波を労い今後の予定を話す。

その間何度か水波に睨まれたが、せいぜい抱き寄せたり頭を撫でるくらいしかしていないのに、さすがに警戒しすぎではないか?

これも深雪への忠誠心の表れか。睨まれたところで痛くもかゆくもないので気にもならないが、これ以上触れると口も出しそうだとそれ以上の接触は控えた。

深雪が本家へ電話し、聞こえる声に小原執事かと察せられるくらいには張り切った声だった。漏れ聞こえる声だけで直立不動で話しているのが伝わってくるようだ。

だんだんと深雪の声が温度を下げていく。湛えられている微笑みは深くなり恐ろしいほど美しい。

 

(こう言っては何だが、怒りの感情で彩られる深雪の美しさはまた別の美しさがある)

 

当然幸せそうな笑みも全てを魅了する美しさがある。見る者も幸せにするような、心が蕩けそうになる笑み。

だが、この怒りを押し込めて浮かべられる笑みというのは彼女の闘争心も垣間見れて恐ろしくも美しく、目が離せなくなる笑みで、めったにお目にかかれるものではないが挑発的にも見える視線を宿すその表情が、たまらなく惹きつけられる。

そんなことを考えているなどおくびにも出さず、深雪からの質問に端末上で答える。

十時に迎えを、と指示をして音声電話は切れた。

 

 

 

帰宅するとご褒美だとばかりに深雪手ずからのコーヒーが。もちろん深雪にそんな意図はないだろうが、この時間から深雪のコーヒーが飲めるのは本当に久しぶりだ。

水波の味にも慣れてきたが、やはり深雪に淹れてもらうのが一番慣れ親しんだ味だ。美味い。

そして今日の襲撃者について推測を交えて語ると水波がショックを受け、それをこっそりと痛ましげに見つめる深雪に、この話題はまだ早かったかとも思うがここで誤魔化す方が危険だろう。敵を見誤ることは悪い結果を生むことになりかねない。

深雪がそれとなく話題を逸らしたことで空気の流れが変わった。

本当に、優しい子だ。

とりあえず深雪たちにはまだ分家からの妨害とは伝えていない。襲撃の忠告があったとだけしか伝えていないからだ。

だが、ここまで来てそれを隠し続けるのも無意味かもしれない。今日の襲撃実行犯を見てそう思った。

分家の誰かが、と言葉を濁しながら首謀者を臭わせておく。

結論として慶春会には妨害があろうが突破して出席しなければならないと語る深雪はとても落ち着いていた。

自身が分家から妨害を受けているなんて、落ち込んでおかしくない内容だというのに。

優しくて、強い子だ。

自慢の、俺の妹。

 

必ずこの子を幸せに――

 

 

――

 

 

内通者、または内部の情報が洩れている可能性があったので、揺さぶりをかけるつもりで30分早く変更した場所へ向かうと、すでに手配した車が止まっていた。

注意深く周辺の動きに警戒していたのだが、今度の敵は古式魔法師らしい。厄介だな。

彼らの術式は一人一人単純であっても複数組み合わさった時の威力は幹比古やこの前の京都で経験済みだ。相手の出方を待つよりさっさと片を付けた方がよさそうだ。

その時間稼ぎの意味もあるのか、後方に追い立てるようにヘリが向かってきた。そうなると前方に仕掛けてくるのが定石だ。目をやればまさにセオリーの通りトレーラーが突っ込んできた。

 

「ブレーキ!」

 

流石にこの緊急時、運転手も危機を感じたのか俺の声に反応して思い切りブレーキを踏んだ。

水波にシールドの指示を出し、今日もサポートに回ろうとする深雪に無茶はしないようにと視線を向け、三人で頷き合うと各々自分の仕事に集中した。

現代兵器を併用しての奇襲作戦は、しかし用意していた場所と異なったことも影響したのだろう。多少粗が目立ち、そこが隙となり魔法を完成させる前にいくつか消しては物理にものを言わせて襲い掛かる。

魔法師は大抵接近戦に弱い。古式魔法師はもちろんその弱点を克服すべく研鑽を積んでいるのだろうが、結局のところ術式がアップデートできていない現状、現代魔法師の発動より鈍く、一般の兵士相手なら問題ないだろうが、魔法技術を併用できる戦闘魔法師の前では遅すぎた。

サポートの魔方式の展開が早くとも、本隊の動きが伴っていなければお粗末と言えよう。

昨日の人造サイキックの方がまだ手ごたえがあった。

全員を昏倒させて戻ると、落ち込んでいる水波を慰める深雪の姿が。

・・・EMP爆弾を使用されたらしい。

おかげで車が動かなくなった。幸い携帯端末は四葉製だったため無事のようだが、まさか四葉から用意された車が対策していないとは思わなかったが。

だが、こんなところでいつまでも立ち往生していても仕方がない。深雪に車を呼ばせようとしたところで深雪の端末に連絡が入る。

初めからこうなることがわかっていたのではないかというタイミングで駆けつける彼女に疑念を抱くところだが、だからといって彼女が直接俺たちに何かを仕掛けるとは思えなかった。

もし何か嵌める予定なら初めからあのような誘いはしないだろうからな。まさかそのためだけに自身のガーディアンを殺すわけもない。

彼女の車に乗り込み、警察を遠ざけておくのも限界との言葉に周辺電波を傍受する。

これだけ早く警察が動くとなると、やはり昨日のあの警察の到着の早さも妨害の一つであったらしい。

深雪と夕歌さんの言葉の応酬に口を挟みつつ様子をうかがう。

 

「なんて、意地悪だったわね。――貴女を本家に行かせたくないのよ」

 

分家の思惑を彼女はどこまで知っているのか。それによっては深雪から追及があるかもしれないな、と音声ユニットと端末を片付けた。

 

 

 

 

今日はこれ以上先に進めない、と津久葉家の別荘で一泊することが決まり、じっくり話をすることとなった。

話すことは山ほどあったので困ることもない。

ただし、その間も深雪は淑女教育を生かした会話をしなければならないのが大変そうだった。

嫌味の応酬や、言葉の裏を探るような会話はさぞ疲れるのだろう。聞いているこちらにも大変さが伝わってくるようだ。

用件だけ話せばものの5分で終わる会話もその五倍も十倍も膨れ上がるのだから。

紅茶も運ばれ、ようやく本題に入ったが、話せる範囲なら本心を打ち明けるという割に、居合わせた理由についてははっきりと嘘を口にした。

早速話せない範囲だったということか、もともと話す気もなかったのか。

しかし、その後の彼女の話は嘘ではない情報が織り込まれているようだった。

次期当主の指名が行われるということ、それに対して分家が俺の立場が付随したまま深雪を次期当主にすることを不安視し、妨害工作に走ったということ。

だが、世間からだけでなく『世界』から隔離させたいとは。随分と大げさな表現だと他人事のように思う。

夕歌さんは深雪が次期当主になることに賛成で、もともと次期当主候補に名を残しているのはもし反対者が現れた時の対抗策として、とのことだった。

鵜呑みにできる話でもないのだが、深雪は納得したようだった。裏を読むのが得意な深雪がこの言葉を単純に鵜呑みにするはずがない。恐らく俺の知らない何かしらの情報を持っているのかもしれない。

しかし、その落ち着き払った態度から深雪も年齢を疑われるようになったか。

見た目はいくら美少女でも、同年代と比べれば大分落ち着いているか。思慮深く、高校生というにはこの堂々たる態度は大人びて見える。

いつまでも可愛らしいままの妹ではないのだと頭では理解できていても、俺にとってはいくら綺麗になろうと美しくなろうと、大人びようとも――

 

 

 

「兄を飼い殺しにするつもりだという分家を生かす理由ってあります?」

 

 

 

ヒヤリ、とした空気が通り抜けていった。

発言した深雪自身によってすぐに冗談だと付け加えられたけれど、その言葉には肝が冷えた。

深雪の、そう言った発言を初めて聞いた。粛清することも厭わないような、君臨者然とした発言に、知らない一面を見せられたような。

 

「そんなことをしてはただの独裁者になってしまうではないですか。四葉にまた悪い印象を植え付ける必要性はございませんよ。四葉は別に悪の組織でも何でもないのですから」

 

撤回するようににっこりと微笑む深雪に、夕歌さんは長いため息を漏らした。

それから水波が高く評価され、二年後には俺の代わりが務まると思われていることに無邪気に喜んで見せた後、ふぅ、とわざとらしくため息をついてみせてから、無駄な抵抗をする分家もご苦労なことだ、と呆れて見せた。

 

「私たちは確実に本家に到着しますもの」

「明日は何を仕掛けられるかわからないのにすごい自信ね」

「それはもちろん。私たちには頼りになるお兄様がいらっしゃいますもの」

 

先ほどまでも空気を一変させて、まるで隠していた宝物を見せびらかすようにいたずらっ子の笑みを浮かべる深雪の、なんと可愛らしいことか。

淑女の仮面を外した笑みを見せられて言われてしまえば、がぜんやる気も出るというものだ。

夕歌さんは見事深雪の演技に騙され兄妹不仲を信じていたらしく、彼女の淑女の仮面が剥がれ落ち表情が引きつっていた。

輝く笑みを浮かべる深雪が可愛らしい。ソファではないから抱きしめられないのが残念だ。・・・人の家ではするべきではないことはさすがの俺でも弁えているが。

今この場面で淑女も仮面を外したということは、深雪は夕歌さんを自陣へと取り込むつもりなのだろう。

夕歌さんの容姿も大変優れている部類に入る。深雪は綺麗なモノや美しいモノに弱い。ずっとこの時を狙っていたのだろうな。

 

「よかったな、深雪」

「ええ。これでお兄様とも水波ちゃんとも普通におしゃべりできますね」

 

そんな計画を思わせない深雪は、嬉しそうに微笑んで紅茶を一口。

深雪が嬉しそうなのが一番ではあるが。複雑だな。このまま夕歌さんも彼女の虜になるのかと思うと、味方が増えることは良いことだと思うのだが・・・これもまた幼稚な独占欲なのだろうか。時折胸に抱えるもやもやとしたモノを感じた。

 

「・・・随分大型の猫を被ってたのね」

「普段飼うことはできないので二、三十匹は乗っけていますね」

 

猫かぶりの話をしているが、深雪が猫を被っている・・・想像をするだけで可愛らしい。可愛らしいと思うのだが。

 

「深雪」

 

二人の会話に口を挟む。

 

「うちはペット禁止だからな」

 

普段飼うことはできない、の普段とはどういう意味か。動物は無理だとわかっているはずだが、ピクシーをペット枠として家へ連れて帰りたそうにしているのを知っているだけに、ここは注意しておかねばならない。

ただでさえ水波と暮らすようになって減った二人の時間が、ピクシーも来ようものならさらに減るのは目に見えている。いつかは引き取らねばならない時が来るかもしれないが、だとしても家はあり得ない。もしや常時結界を張っていないと大変な目に合うことを忘れているのではないだろうかというほど深雪からは警戒心が見当たらない。

水波がフォローを入れるが、深雪の望むものではなかったため深雪がさらにへこんでいた。

それを見た夕歌さんが半眼になって突っ込み、それに深雪がポンポンと返していく。

昔から仲の良かった親戚同士の気安いやり取りのようだが、二人がこのように長く会話をするのは初めてのことだ。

そして始まる、深雪の友好を深めたいとのお茶会後半戦。茶菓子はトランクの中から出てきた、深雪お手製のクッキーだ。

いつの間に仕込んだのだろうか。

こうなることを予期していたのかと言うほど準備が良い。

淑女たちによる仮面越しのティータイムは終了し、今では女子大生と女子高生による女子会になっていた。

特に一高の話となると盛り上がり、隠していても無駄だろうから、と深雪自身から一高の秘密である本のことをばらしていた。

一科と二科の壁がなくなったという話よりも大きな反応だった。聞いたこともない大きな笑い声。涙目で腹を抱えていた。・・・そこまで面白い話だろうか。俺にはわからないが、あの本の影響で深雪の傍に居ることが不自然にならないのはありがたい。普通の兄妹というだけでは傍に居るだけで変に注目されかねない。俺は気にしないが、深雪が居心地が悪くなるのは護衛としても兄としても見逃せない。

水波が遮音フィールドを展開していたから大きな声を出しても咎められるようなこともなかったのだが、あの使用人だったら様子見くらいしそうだったからな。

一気に仲の深まった二人は握手を交わす。

こうして、深雪の地盤は盤石なものになっていくのだろう。

次は黒羽姉弟だろうか。ずっと深雪は仲良くなりたそうにしていたからな。

それはとても喜ばしいことのはず。だというのに、先ほど同様不快感のようなものがたまる感覚。疲れでも出たというのだろうか。

 

 

――

 

 

食事も終え、案内されたゲストルームは深雪の部屋から離れたところだったが、彼女の隣には水波の部屋がある。こんなところまで襲撃は来ないだろうとは思うのだが、警戒するに越したことはない。

明日が妨害の本番となるだろう。

どちらをメインウェポンとするかと悩み、選び取るとドアの前に気配が。間違いなく深雪だ。

しかし、ここは一応他所の家。どこに目があるかなんてわからないし、仕掛けが無いとも限らない。

訊ねれば「深雪です」と聞き間違えようのない鈴を転がしたような声に、すぐに扉を開けた。

ほぼノータイムで開いたことで浮かぶ深雪の戸惑いの顔に、クスリと笑うと深雪も苦笑を浮かべていた。

片付け途中であったカバンが目に入ったのだろう、深雪は視線を逸らして部屋を観察している風を装っていたのでとりあえずベッドに座って待っててもらうことにする。

深雪はどうしてもベッドに座ることに抵抗があるらしく、恐る恐る浅めに腰かけていた。

いつまでも慣れることのない初々しい反応が可愛らしい。警戒する小動物のよう。

緩みそうになる口元を深雪から隠しながら広げた荷物を適当に詰めカバンを退かし、唯一の椅子に腰掛ける。

 

「それで、どうしたんだ?」

 

下手に揶揄うのも良くないだろうと訪れた要件を訊ねたのだけれど、思わぬ反撃に遭う。

 

「何も用が無くては来てはいけませんか?」

 

俺から顔を背けながら言っているのだからきっと彼女は自分の顔は見られていないとでも思っているのだろう。

だが、深雪には残念なことだろうがばっちりと視えていた。視えた情報をもとに構築した深雪を視ていた。

プイっと背けたられた顔も、拗ねていると言わんばかりに尖った唇も、言い終わった後に不安で揺れる瞳も、すべて視ていた。

あまりの可愛さに、自身の煩悩が沸き起こる。今すぐに隣に腰掛け抱きしめて、よく顔を見せてもらいたい。そんな欲が。

ここはうちではない、と言った傍からこれだ。特にストレスなんてため込んでいなかったと思うのだが、このような思考は良くない。痛む頭を押さえると、深雪が心配して声を掛けてくれるが心配してもらうことじゃない。

ただ、お前が可愛すぎて構いそうになるのをこらえているだけだ、と言えば、深雪は若干引いたような態度を見せ、頭が冷静さを取り戻す。

深雪が来た理由、それはすぐに見当が付いた。その予想通り、俺が妨害工作をしている分家の目的を知っているかと問いただすものだった。

肯定すると隠し事をしていたというのに、深雪は俺を責めることなく逆に心配をし、そのことが迷惑になっていないかと問われた。

 

(深雪が心配してくれることが迷惑?そんなわけがない)

 

深雪が俺のことを気にかけてくれるだけで、どれだけ救いになっていることか。

深雪は俺の光だ。生きる指針。深雪がいなければ、俺は生きる屍となっていたはずだ。

俺の方こそ黙っていて悪かったと謝罪すると、深雪は淡く微笑んでから、まっすぐと貫くような視線で言う。

 

「お兄様がそのように私を気遣ってくださるように、私もお兄様を思っているのです。そのことだけはお忘れにならないでくださいませ。――私は、お兄様の絶対的味方ですから」

 

――いつまでも、お兄様の味方ですから――

 

それは、何かを予感しての言葉だったのかもしれない。

いつもなら心強い言葉に聞こえるはずだ。深雪が味方をしてくれるなら、世界中が敵に回っても良いと思えるくらい勇気づけられる言葉のはずなのに。

 

(なぜ、こんなにも落ち着かない気持ちになるのだろう?)

 

感情が分からない。

深雪のことに関しても喜怒哀楽とはっきりしたものならわかりやすいが、それ以外の感情の機微などはわからない。他人のもさることながら、自身の感情だってわからない。

以前なら深雪にこれは何だと聞けただろうに、今訊ねることは憚られた。

というより、どう言葉にして聞けばいいのかわからなかった。

思考が落ち着かないところに、重ねられた言葉に息が止まる思いがした。

 

「お兄様に鳥かごなど似合いません。自由に羽ばたいてくださいませ。その時はもう近づいているのですから」

 

――鳥かご。

それは自由のない人間によく使われる比喩だとわかっている。

四葉に捕われ抜けられずにいる俺たちは確かに鳥かごや檻に囲われている状態に思えるだろう。

だが、その言葉は今の俺にとってはただの比喩に思えなかった。

何故、深雪の口から彼女と同じ言葉が出たのか。偶然なのか、それとも――深雪自身も感じているのだろうか?

 

(俺が、お前を閉じ込めていると、そう思って――)

 

いや、違う。今の言い方は俺の方が閉じ込められているという話だった。

深雪は、いつでも俺の身を案じてくれている。

だからこれもきっと、俺のことを思っての発言なのだろう。

 

「突然部屋に押しかけて妙なことを申しましたね。失礼しました」

「いや・・・。俺のためなのだろう?」

 

指摘をすれば、思ってもいなかったのか深雪の肩が震えた。

それくらい、俺にだってわかるさ。

深雪の反応にクスリと笑いが漏れた。しかし、少し自嘲が含まれていた笑みで不格好なものになったが、深雪に気付かれる前に口を開く。

 

「お前がそう言う時は、何時だって俺のためだった」

 

何時だって彼女の言葉が力を与えてくれた。

 

「明日もきっと一筋縄ではいかないでしょう。ですが、これくらいの障害を私たちが乗り越えられぬはずもありません」

 

そうでしょう、と微笑む深雪が眩しくて目を伏せてそうだね、と返す。

 

「俺の任務はお前を慶春会に参加させること。必ず無事送り届けるよ」

「はい。頼りにしております」

 

深雪に期待されたなら応えないわけにはいかないし、元よりそのつもりだ。

必ず無事に慶春会に参加させる。

それが深雪の望むことならば、俺はなんだって叶えよう。

このまま部屋でいつものように過ごしたいところだが、何度も言うがここはうちではない。

遅い時間と言うほどではないが、何時までも深雪を兄妹とはいえ異性の部屋に長居させるのはいただけない。何か企んで計画していると疑われても困るしな。

部屋に送り届ける間も、何かが引っかかっているようで気持ちの悪い思いがした。

何が引っかかるというのだろう。もやもやとして形にならないこの感情の整理がつかない。

無言で歩くことは珍しくもないのだが、人の機微に敏感な深雪はすぐに俺の違和感に気付いてしまう。

 

「あの、お兄様、先ほどはお兄様に負担を掛けるようなことを言ってしまいましたが、そんなに気負わなくても・・・」

「ん?ああ。道中のことは大した問題じゃないよ。もちろん警戒を怠ることなどないけれど」

「では、何をそんなに悩まれているのです?」

「・・・そうだね、俺もそれがよくわからないんだ」

 

誤魔化しは無駄だ。ただ不信感を与えるくらいなら素直に話した方が良い。

正直に話すと、驚きとともに嬉しそうに口を綻ばせるものだから、俺もこうして胸の内を吐露してしまうのだろうな。

深雪は本当に俺の扱いが上手い。

 

「お兄様でもわからないことがあるのですか?」

「深雪は、俺を何でも知っていると思っているようだが、俺が知っていることなんてほんのわずかだよ。むしろ人よりわからないことだらけだ」

 

無知を晒すなど格好悪い話だ。

だが、深雪はこんな俺でも笑わない。不安そうにするわけでもない。

彼女にとって俺が自身のことで悩むことは喜ばしいことらしい。まるで妹ではなく母親のような献身さだ。

そのようなことを望んだつもりはないが、深雪から与えられるそれらの愛情は心地の良いモノで、拒むなど考えられない。

やはり、妹にばかり甘えているな。これがあるから手放すことができず、俺が鳥かごで深雪を囲っているという風にみられる原因となるのか。

どうにかしなければ、と思うたびにちりり、と胸に痛みが走る。

連動するようにもやもやした感情もざわついた。

 

(・・・一体、なんだというんだ)

 

深雪のことばかりに動くと思われていた感情が、なぜこうも騒ぐのか。

だが、思考できるのはそこまで。気付くとあっという間に深雪の泊まる部屋の前だった。

これから叔母に連絡するという深雪に頼んだと伝えて扉がしっかり閉められたことを確認してから部屋に戻る。

監視するような視線が一つ。あまり上手くもない視線は素人同然だった。隠すつもりもない、という意思の表れかもしれないが。

何をするつもりもないので放置して部屋に戻る。

先ほどまで温かく感じていた部屋は冷えていた。季節や空調の関係ではない。単に深雪がいるかいないか、それだけで感じ方が変わる。それだけの話だ。

ベッドの上に仰向けになり、頭の下で手を組んで目を瞑る。

――深雪は言った。自由に羽ばたいて良いのだと。

もうその時は近づいているのだと、そう告げた。

深雪には、脱出計画の内容を打ち明けてはいなかった。成功するかもわからない段階で計画を話してぬか喜びさせることなどできなかったからだ。それに、計画が成功したところで四葉を抜け出すことができるか難しいところだ。できるだけ、平和的に争うことなく抜けられたらと思うのだが、今回の分家の動きを見るからに争いは避けられないものなのかもしれない。

 

(俺はどちらでもいいのだが、深雪は悲しむだろうか)

 

そう思うと二人で四葉から脱出する計画は、また練りなおさなければならなくなりそうだな、と考えたところで思考が一つの考えにたどり着き、瞬時に跳ね起きた。

激しく動悸が起こり呼吸も苦しくなる。

そんな中で頭は冷静に――というよりこれは血の気が引いている状態という奴なのではないだろうか。

 

(何故気が付かなかった?それとも目を逸らせていただけか!?ふざけるな!!)

 

冷静な脳とは裏腹に、心は激しく憤っていた。相手はもちろん俺自身。

 

深雪が、四葉から離れることはない。

次期当主になれば、もう逃れることなどできないのだから。

そもそも深雪は四葉から逃れたいと口にしたことがあったか?

記憶を振り返ってみても共に逃げよう、との俺の誘いに明確に賛同したことなど一度もない。

それは素敵なお考えですね。そうなったら何をしたいですか?とのらりくらりと躱されていたのだと今さらになって気づいた。

深雪は、初めから次期当主になるつもりだったのだ。

だというのに彼女は俺に、自由に羽ばたけと言う。つまり――

 

(深雪は初めから、俺と離れるつもりだった・・・?)

 

その予感が強くなり、もやもやとした不安となって俺に訴えかけていたというのか。

高校に上がってから、深雪が兄離れをしようとしていたのは気付いていた。

単に、年頃になったのかと思ったがそうではないのだと彼女自身言っていたではないか。

自立したいという深雪に、俺は妹を甘やかすのは兄の特権だから許してほしいと許しを請う口で、彼女から離れることを許さなかった。

それをずるずるとここまでやってきていた。

いつか深雪は誰かと家庭を持つことになる。それは初めからわかっていたことだ。いつかは来るのだと。

兄妹は、一生の繋がりはあるが一生共に暮らせるわけではない。

わかっていた、はずなのに。

そもそもこの計画を立てた当初は、四葉を出た後のことを想定して立てた計画だった。自立するためには社会的地位と経済力。

あとは深雪が利用されないよう、魔法師を戦争に駆り出されないための魔法師の軍事以外での活用法の確立。

・・・中学生の考えた、穴だらけの机上の空論だ。

当然穴があって不思議じゃない。年を重ね時代と環境の流れで計画も多少なりとも変更してきたつもりでも、目的を見失っていた。

――深雪を幸せにするために。

そのための計画で、そのために彼女に用意しようとした自由だった。

 

(・・・計画がすべて無駄だとは思わない。どのみち魔法師の軍事利用が薄まらない限り、十師族として四葉が矢面に立たされることには変わりない)

 

むしろ深雪が四葉として立つ時に、黒い噂のある状態より、社会貢献する部門がある方がプラスになるのではないか。

徐々に広がりつつある非魔法師と魔法師の間の問題を解決とまではいかないだろうが、少しでも緩和できるのであればどんな立場であっても深雪の助けとなるはずだが――

 

(深雪の幸せは、一体どんなものなのだろう)

 

今一度、確認をした方が良いかもしれない。

 

(深雪が俺から離れたがっているのではない。四葉から離れようとする俺を手助けしようとしているだけだ)

 

俺が深雪の幸せにつながると信じて離れようとしてきたのを、深雪は俺を自由にするために必要だと、そう解釈したのではないかというのは都合のいい考えだろうか。

わからないが、ともかくもう動き出している。その流れは止められない。

明日は必ず無事に深雪を四葉本邸に到着させることは決定事項だ。そうなれば深雪が次期当主に選ばれるのも必然。

深雪はそのことに前向きだったと思う。ならば彼女の幸せ計画には必要なことなのだろう。

そこまではいい。

当初の計画からは外れているが、深雪の望みが一番だ。彼女が次期当主となることが彼女の幸せのために必要だというのならそれを妨害するものの排除は俺の役目だ。

今のところ、俺のやることは変わらない。

落ち着きを取り戻し、もう一度横になる。先ほどのように目を瞑る気にはならなかった。

 

――私は、お兄様の味方ですから――

 

(俺の味方でいてくれるというのなら、お願いだ。どうか、俺をお前の傍に置いてくれ。俺を、必要としてほしい)

 

そのためなら俺は――なんだってする。

俺はお前のためにあるのだから。

 

 

――

 

 

できることなら想定外のことに備えて早めに出発したかったのだが、夕歌さんの希望により午後近くになった。

車は順調に進み、四葉の隠れ里に入るトンネルのある山へと近づくと、深雪が俺を呼ぶ。

ここが襲撃ポイントになると気づいていたのだろう。水波も緊張した面持ちで警戒をし始める。

夕歌さんがただ一人こんなところで?と不審がっているが四葉に迷惑が掛からない最後のポイントはここしかない。

油断を誘って奇襲をかける定石そのもの過ぎて意外性が無い。

真面目過ぎる人間か、はたまたこういった策略を立てる経験が浅いのか。

見知った気配に、そのどちらもが正解の可能性が浮上したが、それこそどちらでもいいことだった。

深雪に雪崩を溶かすように指示を出し、水波には半球シールドを張らせる。

これで安全は確保できた。

この間に襲撃する可能性もあるのだが、奇襲をかけた割に追撃が来ない。・・・警告のつもりか、なんとも中途半端で生ぬるい。

これでどう引き下がらせるつもりだったのか。まさかとは思うがまだこちらの戦力を把握していない?・・・まさかな。

深雪も戸惑った表情だ。こんなことで妨害になっていると思ってないのだろう。

待ち伏せだろう、と言えば、唯一この可能性を予期していなかった夕歌さんが声を張り上げて揺さぶりをかけるが、距離がある分まだ来られないのだろう。せめて一言あれば彼女が逆上して攻撃を仕掛けなかったかもしれないが、いきなり初手でマンドレイクとは。

人を直接仕留める魔法ではないが、お嬢さん風であっても四葉の人間。えげつない。

それとも彼女も相手が誰だかがわかっての攻撃だったのか。

四葉家次期当主候補、新発田勝成のガーディアンは楽師シリーズの調整体の姉弟だったことで音の対抗魔法によって防がれていた。

夕歌さんは彼らともそれなりに付き合いがあるらしい。その魔法の使い手も関係性も良くわかっての挑発を繰り出し、それに合わせるかのようにフォノンメーザーで地面を乾かしながら登場したのは予想通り新発田家長子の勝成さんとそのガーディアンの姉弟だった。

夕歌さんが食って掛かり、勝成さんが往なし、挑発を繰り返す夕歌さんに弟の奏太が噛みつくことで隙を作るが、慣れているのかそれを踏まえて狙ったのか繰り広げられる嫌みの応酬。これも妨害作戦の一種だろうか。時間の無駄だ。

深雪も呆れて眺めているように見えた。

さっさと片をつけるなら全部まとめて、と言いたいところだが、ここで勝成さんを攻撃することは得策とは言えないだろう。彼も次期当主候補。下手に夕歌さん同様いちゃもんを付けられても面倒だ。

遺恨も無くさっさと終わらせるにはガーディアン同士で白黒つけるのが手っ取り早い。

勝成さんがガーディアンと恋仲であるとは噂で聞いていたが、こうも堂々と認めるということは近いうち何か動きがあるのかもしれないな。どうでもいいが。

だがそのどうでもいいことも相手の人となりを知るには十分な情報で、表向き正々堂々を好むタイプのようだ。素直なガーディアンが慕っている影響だろうか。そう見せねばならない何かがあるのか知らないが、そこを利用させてもらおう。

真正面から通してほしいとお願いをすると、馬鹿にすることもなくそれはできないと真面目に反論するので代替案を提案する。

 

「聞こうか」

「言うまでもないことですが、四葉のガーディアンはマスター、ミストレスをあらゆる危難から護衛する魔法師です。俺は深雪のガーディアンとして深雪を危険な戦いの場に立たせたくない。それはそちらのお二人にとっても同じでしょう」

「もちろんです!」

 

年上のはずなのだが、彼女はあまりガーディアンとしての立場を理解していないのか?先ほど夕歌さんからも弟に向けて注意をされたと思うのだが。こちらもガーディアンだから良いと思ったのか。先ほどそちらの主は俺を同格に扱うと表面上だけでも言っていたと思うのだが。

だがおかげで話が早く済みそうなのでありがたく利用させてもらおう。

 

「あたしは勝成さんを、このような内輪もめで危険にさらしたくありません!」

「オレも想いは姉さんと同じだ」

「・・・おい、まさか」

 

まさか、だなんてそれこそまさかだと思うのだが。彼らも黒羽同様すでに実践経験を積んでいると思うのだが、なんとも平和ボケをしすぎではないだろうか。こんな誘導、ひっかけとも罠とも呼べないだろうに。

 

「俺たちはここを通りたい。貴方はここを通したくない。このにらみ合いの現況を打破するためには、闘争が不可避。ならば」

「待て」

「ガーディアン同士の決闘で決めませんか。こちらは俺一人。そちらは二人一緒で結構です」

「駄目だ!」「いいでしょう!」

 

かかった。

これで先に進めそうだ。勝成さんには悪いが、元はそちらの躾不足が要因と言えるのでこちらを恨まれてもお門違いである。

恨まれたところで痛くもかゆくもないのだが、深雪は気にするだろうか。

そんなことを考えていると、勝成さんが必死に決闘を止めようとしていた。

ガーディアンとマスターの関係性を見直した方が良いのではないか?手元に置いておきたいからとガーディアンにするのが悪いとは言わないが、ここで最年少の水波と比べても落ち着きが無い。忠誠心があるとはいえ、こうもキャンキャン吠えられては顰蹙を買うと思うのだが。

あとで彼らを反面教師として水波にも注意をすべきだろうか。そう思って後方を振り返ると水波は警戒しつつも鋭い視線を彼らに向けていた。俺が注意するまでもなく、彼らの在り方は水波にとってもありえないらしい。

どうでもいいが、さっさと話を――そう口を挟もうとした時だ。

 

「達也くんはそういうレベルとは次元が違うんだ!彼が初めて人を殺したのは六歳の時、人造魔法師実験の直後だ。彼は手に入れたばかりの力に戸惑うこともなく、三十歳の脂がのった戦闘魔法師を、事故でもなくふいうちでもなく、最初から殺し合いの条件で血の海に沈めた。たった六歳だぞ?まだ小学生にもなっていない歳だ」

 

後方で息をのむ音がした。・・・深雪のものではない。水波と、恐らく夕歌さんだろう。

知られることは構わない。身内であれば調べればわかることではあるし、彼は候補にまで選ばれている家の出だ。こうして妨害をさせるくらいには俺の危険度を知った上での襲撃――のはず、だと思ったんだがそれにしてはお粗末すぎないか?というのは分家全体に言えることか。今はそこは構わない。問題なのは、よりにもよってその事実を深雪の前で話したことだ。

深雪は、過去のこととはいえ何を思っただろうか。

 

(俺を恐れたり、しないだろうか)

 

昨夜の言葉が思い出される。

味方でいる、とのあの言葉。

深雪を信じていないわけではない。彼女の言葉に嘘偽りはない。それでも不安になることはある。こんな話を聞かされて不快に思われていないか、それが心配ではあるが後回しだ。

だとしても文句を言う権利くらいはもらうが。

 

「人のプライバシーをぺらぺらと喋らないでください」

 

それを受けて気まずそうに視線を逸らすとは、自身でも言っていたように四葉らしくない反応だ。魔法も四葉の特殊性を持っていないことからも彼にとってはコンプレックスなのかもしれない。

その主の気まずさを払拭するつもりなのか、俺の危険性を知った上で二人でなら倒せると豪語する。

決まったならさっさと終わらせたいものだ。

そう、思っていたのだが。

今まで静かに黙って聞いていた深雪が動いた。

淑女らしく微笑みを湛え、凛とした声で勝成さんの名をフルネームで呼んだ。

ただ名を呼んだだけ。それだけで空気がキンッと冷えたよう。友好的なものではない。非難をしているのだとわかるのに、声色は低くはない。この独特の空気だけでそう思わせた。

続けられた言葉は、非難と皮肉と忠告に彩られ、こんな場面でも指導をする深雪は面倒見がいいというか、お人好しというか。

今後の関係を踏まえてのことなのだろうが、慈悲深い。器の大きさが違う。

その上、俺の希望したとおりに事を運ぶことも忘れない。逃げ道を完全にふさいでいた。

もう、彼らに逃げ場はない。戦う以外の道はすべて深雪が封じた。

女の方が肝が据わるのが早いというのは本当だな。勝成さんが自分が相手をすると訴えるが、彼女はすでに覚悟を決めたようだ。

それでもまだ認められないとぐずぐずするのを、今度はため息をもって正面から深雪が苦言を呈した。

彼女にとっても彼らのマスターとガーディアンの関係がただの馴れ合いに見えて珍しく気が立っているようだった。

珍しい。彼女にとっては好ましい光景にも思えるのに。

だが、冷ややかに彼らを非難する深雪も美しい。これが見られただけでも彼らには感謝だな。

時間は押しているが、この後をさっさと片付ければいいだけだ。最短で終わらせるシミュレーションをして。

深雪の吐息に全員が肩を震わせたのは、威圧を受けたのだろう。

深雪は完全にこの場を言葉と空気だけで支配していた。

 

「やる気になったところに水を差すような真似をいたしましたね。失礼いたしました。皆さん、勘違いしているようですので誤解を解かせていただきますが、ガーディアン同士の試合と言っても命のやり取りをするわけではございません。戦闘不能か降参をするまでです。

実力が拮抗していれば危うく殺してしまうこともございますでしょうが、そんなことはあり得ませんので」

「なっ!?」

 

気色ばむが、挑発に弱すぎないだろうか。夕歌さんの時のように噛みつかなくなっただけマシになったのかもしれないが、程度が知れるな。

 

「そうですわね、お兄様」

 

それがお前の命令なら、俺は遂行してみせよう。

ちらりと向けられる視線と投げかけられる声にいつもの温かさはない。

だが、そんな彼女の態度に、逆に気分が高揚するのを押し隠して。

 

「お嬢様の望みのままに」

 

非の打ちどころのないよう意識して礼をして顔を上げると、ミストレスの仮面の奥で、僅かに深雪の気分が浮上したのか目がキラキラと輝いて見えた。

可愛い妹の願いを叶えるために、すぐにでも終わらせよう。

わかりやすい『弱点』も明かされていることだしな。

相手が納得のいくようにコテンパンに伸す手段も思いつき、勝成さんにも躍ってもらう算段も付いた。

一発食らうことにはなるだろうが、深雪の前だ。再生を使わない程度に、だな。

開戦の合図と同時に動いたが、軽い体は思ったより高く飛んだ。落下点に狂いはなかったので問題はない。その間にもう一方の相手をするのだが、あまり接近戦は得意ではないようだ。四葉では戦闘訓練もカリキュラムに組まれていたと思うのだが。

桜井さんも確かSPの経験を経てガーディアンとなっていたはずだし、水波も深雪の護身術には及ばないものの、魔法と併用すればなかなかの動きをするのだが、これでは単体では水波にも敵わないのではないだろうか。

このところの彼女の成長は目覚ましいものがある。守る主が強く、追いかける背が見えなくとも少しでも近づきたいという姿勢はいい。

適当に相手をして魔法をさばいていると、姉の方が復帰して援護に回り立て直す――ところで純然たる筋力のみで弟を沈めた。

魔法に対しては対抗策があったようだが、肉体が弱すぎないか?

激高することなくそれなりの精度で音響爆弾が仕掛けられるが、得意魔法なのだろうがその数ならば同時に処理できる。

戦闘を始めて思ったが、わざわざ声に出して驚愕する暇があったら、そんなところに余分な思考を使わず次の手を考えた方がより建設的ではないだろうか。口に出すことで分析をすることは自分もあるが、戦闘中は無駄に思う。

そして残る姉も魔法を使って移動はするが単純な体術で意識を落とす。戦闘で女だろうが子供だろうが、は関係ないが脆いかそうでないかは関係する。特に殺してはいけない任務の場合は面倒だ。

叩き落すこともできないので支えて道路に横たえたところで、発動する魔法の気配を察知。逆上しつつも正確に魔法をコントロールするのは一応四葉の使用人と言ったところか。キャンキャン噛みつくこの男にも秀でるところはあったようだ。

だが、それだけだ。精度はそこそこでも速度が俺を上回ることが無い。

――そろそろか。

仕掛けるならこのタイミングだろう、と宙に浮いたところで待ち構えていたかのようなタイミングで構築された圧縮空気がすぐ横で爆発した。展開スピードが速い。対抗魔法は間に合わず防御に徹するほかなかった。

思った以上に体が吹っ飛ぶ。骨などに響いてはいないが呼吸が止まるほどの威力があった。

続けざまにサイオンの動きが視えると同時に深雪の警告の声が届く。

心配させてしまったのだろう。今度は食らわずに済んだ。

介入をしたことに上げられた深雪の抗議の声も空しく、無視された形で勝成さんと対峙することになった。

魔法力でスピードにものを言わせた魔法が襲い掛かるが、スピードが追い付かないのならその魔法そのものに干渉してしまえばいい。

こういった対抗をされたことはなかったのだろう。次の手が思いつかないのか拮抗した状況が続いたが、勝成さんが参加したことによって時間稼ぎが成功し復活した弟の他に、もう一人参戦することが可能となってしまった。

封印されている状況とはいえ魔法を発動させた深雪に敵う者などいるはずもない。

勝成さんを援護するように立ちまわっていた弟の方を、今度こそ意識を刈り取り姉の傍に蹴り飛ばしたことで形勢は逆転、深雪のニブルヘイムで防戦一方になった勝成さんにはすでに勝ち目など在りはしなかった。

見下ろす二人の姉弟の様子をチェックすると、このまま放置をすれば後遺症が残るだろうくらいには重傷だった。

そうなるように攻撃した。

戦意喪失した勝成さんを放置して、魔法を解除した深雪がこちらに小走りで駆け寄ってきた。

誰にも見られていないからか、心配する表情を隠そうとしない深雪を抱きしめて安心させてやりたかったが、まだ今の状態でそれは許されない。

だが、安心させる笑みくらいは浮かべてもいいだろう。わずかに口角を上げれば、深雪には伝わり、安堵の笑みに変わる。

なぜ、今抱きしめることができないのだろうな。こんなに可愛らしい妹を労ってやることもできないとは。

深雪は勝成さんの介入を予測していただろうに、あとできっちりと追及することを示唆してこの場から立ち去ろうとした。

流石は深雪だ。俺の作戦を理解していたらしかった。・・・つまり、勝成さんの攻撃を受けることも予定に組み込んでいたことも読まれている可能性があるのだが、できればそこは気づかれないでいてほしいところだ。

 

「急がなければならないのでしょう?そうですね、お兄様」

「ええ。このまま放置すれば後遺症が残るでしょう」

 

後遺症が残る恐れのある重傷を負わせることで彼をここに置き去りにする。大事な人間を傍に置くということは時として足かせになり得ることを想定していなかったのが敗因か。・・・違うな。戦力の差を見誤ったことと、事前に対抗策を考えていなかったことが原因だろう。

勝成さんは治療のためこの場に残り、俺たちはトンネルを抜けて四葉の村へと入っていった。

ここまでくれば、妨害工作をすれば被害が大きくなることくらい理解しているだろうから安全地帯と言えた。

勝成さんの介入に不満を漏らす夕歌さんに対し、深雪は初めから想定できていたことだと返し驚かせていた。

目的を知っていればわかりそうなものだったがな。

彼らはどうにも身内に対して甘くなるところがあるようだ。襲うにしても襲われるにしても、敵対しているとは思えないほど警戒が足りない。そう思わざるを得なかった。

 

 

――

 

 

何事もなく本家に到着した。

時刻は三時を回っていたが、これなら少しは心を落ち着けて休める時間が取れるだろう。

あとはガーディアンとして深雪の傍に控えているだけで良い。

建物に入るまではそう思っていたのだが、どうにも様子がおかしい。

何がどう、とはわからないが夕歌さんと別れ、水波も使用人として仕事に駆り出されるというので別れたのだが、通された部屋も二間続きの和室で深雪と共に案内された。この部屋は初めてだ。

室内を眺めていると、唐突に深雪が小さく頭を振っていた。

 

「深雪、どうした?」

「!何でもございませんっ」

 

胸を押さえて落ち着こうとしている様子から、何かはあるのだろうが追及するのは憚られた。

ここは四葉家。敵地と呼んでも過言ではない。

たとえ、深雪がここを継ぐことになっていても、今はまだ今回のように邪魔をする輩が存在するのだから軽率な言動は避けるべきだ。

 

(・・・もしかして深雪はこの部屋に何かあることを知っているのかもしれないな)

 

俺にとっては初めて見る部屋だが、もしかしたら深雪はここに来たことがあるのかもしれない――が、だとしてもそんなに慌てる理由などあるだろうか?

ごく普通の和室に見えるのだが。

何時までも突っ立っているのもおかしいので、座卓へと向かう。

まるで旅館の一室のようだ。これで温泉や内風呂があれば正にそのものだが、ここにそんなものがあっても困る。四葉の本陣でリラックスなど到底不可能なのだから。

深雪もしばらくして落ち着きを取り戻したようでこちらに来て座布団に腰を下ろすのだが、深雪のこういうちょっとした所作に目を引かれる。

髪が乱れないよう耳にかけ、ワンピースの裾を押さえて膝を折り――流れるように腰を下ろす姿は品があるのに妙に艶めかしく映るのは少女から大人になりかけているからだろうか。

じっと見つめるのはやましい気持ちを抱えているように思えて視界には収まるが中心からは視線をずらした。

 

「お兄様、この三日間お疲れ様でした」

「深雪も、疲れただろう。お疲れ様」

 

ほっと一息ついたところで人の気配が。水波だ。

入室前だが、彼女の緊張感が伝わるようだ。何かあったか?

使用人としての完璧な所作で入室してきた水波は、四葉の使用人としての完璧な仮面を付けていた。

普段の深雪に甘い彼女の顔は鳴りを潜めている。

 

「達也様、深雪様」

 

――これは、何かがある。

そう思わせるには十分な出来事だった。

この四葉の邸で、深雪よりも俺の名が先に呼ばれ、深々と首を垂れている。

 

「水波、ここではその言い方をやめた方が良いのではないか?」

 

確認を込めて訊ねれば、彼女は使用人をまとめ上げる上司の名を上げた。

 

「白川夫人からのご伝言を預かっております」

 

この時点で、嫌な予感が一気に高まる。自身が予想もしていない出来事が待ち受けている、そんな悪い予感だ。

 

「達也様と深雪様は七時になりましたら奥の食堂へお越しください。奥様がお待ちです」

 

伝言をそのまま機械音声で再生したような声色だった。

つまりは呼び方も何もかも、白川夫人が指示したものということ。

序列に厳しい夫人が俺の名を先に呼ぶということはガーディアンではなく、当主の甥として呼ばれているということか?何のために?今までの呼び名もせいぜいが殿止まりだったのに。

しかも、

 

「奥の食堂で叔母様がお待ちになっている、と。そう仰ったのね」

 

奥の食堂とは。あそこは特殊な場所で、秘密の会合が行われるための部屋ではなかったか。

 

「その会食には俺も呼ばれているのか?」

 

わざわざあのような言い方をするということは、ガーディアンとして傍まで案内するだけとは思えない。

食堂に来るように、との言葉に参加まではないことを願うが、その願いが聞き届けられないことくらいわかっていた。

水波の肯定の言葉に、落胆とまではいかないが多少気落ちはする。

一体、何を企んでいる?

会食に参加するくらいなら食事抜きにされた方がどれほど楽なことだろう。

深雪が呼ばれるとしたら、明日の慶春会についての話だろう。

だとしたら深雪だけでなくほかの候補者も呼ばれる可能性が高い。文弥が呼ばれるなら亜夜子も呼ばれるだろうから、兄妹枠として俺も参加せよということか?

だとしても候補である深雪の先に名を呼ばれる理由にはならない。

ガーディアンという立場が無かったとしても、魔法力が劣っている時点で実力主義の四葉で長男というだけで俺の名前が先に呼ばれることなどないだろう。

何か俺に役目でも与えるつもりか。できることと言えば殺戮を含めた掃除くらいのものだが。・・・あちらの研究の件か?どれにせよ情報が足りない。

そういえば、到着したのだから約束を果たしてもらうか。夕食時までにどんな情報でも集めておく必要がある。

退室しようとする水波を呼び止めて黒羽貢への取次ぎを頼む。

忠告を受けた際に、無事到着出来たらご褒美をもらえるらしい、と冗談交じりで説明していたので深雪もその件だとすぐに分かったのだろう。

しかし詳しく聞かれると答えづらいものがあるので聞かないで貰えると助かるのだが。

その思いが通じたのか、深雪は一度口を開きかけたが言葉を飲み込んで曖昧に笑う。

この表情を見ると心が苦しくなる。深雪が、我慢をしているのがわかるから。俺を困らせたくないと下がったのだ。

正直引き下がってくれて助かるのだが、心の距離が離れたようで自分勝手とだと知りつつももっと、俺を求めてくれればいい、と、そう願ってしまう。

 

「深雪は物分かりが良すぎる。時折、全て見透かされているんじゃないかと思うよ」

 

もっと俺に対して我が儘になってもらいたい。されれば困るとわかっているのに言いたくなる自分がいた。

 

(この矛盾は何なんだろうな)

 

深雪は控えめに微笑んで。

 

「気になることがたくさんあるのは事実です」

 

けれどその声に諦めている、という負の感情は読み取れない。自身の願望がそう感じさせているのかと思ったが続けられる言葉がそれを肯定してくれた。

 

「お兄様がお話できることがあれば、教えてくださいませ」

 

話せることがあったらそこのところだけでも教えてほしい、と。笑みと同様、なんと控えめな言葉だろうか。

話次第ではすべて話してやりたいが、おそらくそれは不可能だ。これから聞く内容はきっと楽しい話にはならない。

心苦しい。この深雪の期待に応えられないことが、申し訳なく思う。

 

「今、ここが家であったなら、と思わずにいられないよ。お前を抱きしめて安心させることもできない」

 

四葉内部で油断などできない。あと最低でも四日は深雪を抱きしめることができないのかと思うと今から気が重くなってきた。

抱きしめて安心させたいだなんて、ただ自分が抱きしめて心を落ち着けたいだけなのに。本当、兄として妹に甘えすぎだな。

水波が入ってきて、とりあえずは約束を果たすつもりらしく、案内するという水波に続いて立ち上がる。

お気をつけて、と深雪が身を案じつつ一礼して見送りをしてくれることがどれほど嬉しいことか。

緩む頬を自覚しながら部屋を後にした。

 

 

――

 

 

人気のない廊下は空調が効いていても寒々しい。水波も俺も、無表情のまま廊下を歩いた。

さっさと終わればいいが、この間会った時もなかなか話を切り出さなかったことを思い出すと、今から憂鬱だ。

早く終わらせて少しでも長く深雪とゆっくりと過ごしたい。

通された部屋にはまだ誰もいなかった。

別の使用人がお茶を用意し下がっていく。

下の者より後に入りたい、というくだらないプライドによる演出か。面子というのも面倒だ。無駄な時間ばかり取られる。

しばらくして入室してきた様子はこの人にしては珍しい、少しばかり気の抜けたような雰囲気だった。

着いてしまったか、といったところだろうか。

妨害が成功すると思われていたことの方がおかしいほど生ぬるい妨害だったのは、この人が作戦に加わってないことも大きかったのかもしれない。この人ならばあれほど手ぬるい工作はしなかっただろう。

また使用人が入室し、お茶を出して退室。

しばらく本題に入らない時間が続いたのは、相当口にしたくもないことだったからか。

自然と開くのを待って、重い口を開いて語られた内容は――はっきり言って思っていた以上に馬鹿馬鹿しいモノだった。

 

(俺は夢物語でも聞かされたのだろうか)

 

精神干渉の魔法特化の一族ではあれど、何故強くあれと、守ってくれと願い、祈っただけで特殊な魔法が生まれたと信じられるのか。

自分たちの願いが化け物を生んだ?母の復讐心が作り出した?馬鹿も休み休み言え。そんなことで特殊な固有魔法を持って生まれてくるなら世界中が固有魔法を持った魔法師であふれている。

元々イレギュラーが生まれやすい四葉だから起きた、ただそれだけだろう。

それを自分たちの必死の願いが最悪の形となって誕生し、殺すかを討論し、実行しようとしたが当主に止められ断念した、と。

だが、生きているだけで己たちの罪を意識させられる存在に耐え切れなくなった、と。

・・・そんなくだらない思想によって俺は殺されかけ、疎まれ、蔑まれ、邪険にされ続けたらしいことは理解した。

さんざん人間扱いしないでおいて、自分たちが復讐されるのではないかなどと――それこそ人の心が、強い衝動が無ければできないことだろうに。

前当主の思惑は何となく理解はしたが、現当主の考えはわからない。ただ引き継いだにしては俺を自由にさせすぎだと分家たちはだいぶ苦言を呈したらしいが、彼女は気にもかけなかったらしい。

俺にとってもかなり都合がいい生活ではあった。だが、四葉である人間が俺の都合に合わせて好き勝手させるわけがない。あちらにもメリットが何かしらあるはずだが――

 

(それが、今回の慶春会で明らかになる――?)

 

俺のこの待遇の変化や、今夜の晩餐会の参加などに関してここで得られる情報は何もなかった。

すべてを話し終えた、と付き物が落ちたようにぐったりとしている男にもう用はない。

さっさと引き上げて愛しい妹の下へ帰ろう。

俺の態度に瞬間的に怒りを覚えたようだが、疲労感と解放感か、それらが怒りを上回り早く出ていけとばかりに追い出された。

文弥達には悪いことをしたな。この後彼らの元に戻るのだろうから、不機嫌にさせてしまったことに少しばかり申し訳なく思った。彼らにとっては良い父親なのだ。

案内が無くとも道は記憶しているので問題なく部屋にたどり着く。

道すがらずっと考えるのは部屋で待つ深雪のことだ。

一人にしてしまって寂しくはなかっただろうか。水波でも呼んで心穏やかに過ごしてくれてればいいが、恐らく彼女のこと。忙しいだろう水波を呼ぶことはできなかっただろうな。

部屋でずっと端末を操作しているようだったから暇つぶしに何かを持ってきていたのかもしれない。

声を掛けてから部屋に入ると、深雪の温かい笑みに迎え入れられる。

それだけでささくれ立っていた心が均されてしまうのだからすごい。

二、三言言葉を交わして腰を下ろす。

やはりハグができないのは痛いな、と思いながらもこれくらいなら問題にはならないだろう、と掌を差し出して。

 

「深雪、手を貸してもらえるか?」

「?はい」

 

言われるままに手を乗せてくれる深雪の素直さに、この手の温度にほっとする。

冷えている手を包むように残る手を重ねた。

これだけで深雪の役に立てている気分になる。

深雪の手はいつも冷えているから、温めてあげるのだと触れられる理由になる。

 

「――なんとも回りくどい話をされた」

「!!」

 

深雪は本当に俺が話すとは思っていなかったのだろう。

話すと言っても内容を言うつもりはない。あんなくだらないことを知れば、深雪の心が乱されることがわかっていた。

だが、向かう前のあの控えめでありながらも寂しそうな笑みに、何も応えないというのも気が引けた。

内容は話せないが、深雪の望む、格好悪い姿の一つでも見せようと思ったのだ。

案の定、俺の疲れた発言は深雪を驚かせるだけの威力があったようだ。

深雪からの強い視線を感じる。

思わず苦笑を浮かべそうになったが、何とか堪えて付き合いきれない話だったと愚痴をこぼす。

情けない姿だろうに、深雪はそれがよかったらしく胸を押さえるように手を当てて話を聞いてくれた。

 

「深雪に格好悪いところなんて見せたくなかったしな」

「・・・お兄様に、格好悪い所などございません」

「深雪には一体俺がどう見えているのか不思議だよ」

 

こんなに情けない姿をさらしているのに、頬を染めて見つめるなんて。

 

(深雪の趣味は変わっているのかもしれない)

 

こんな平凡な男を素敵だと褒める深雪はいつだって本気で言っているように見えて、もしかしたら彼女には普通とは違うものが見えているのかもしれない、なんて非常識なことまで考えてしまう。

だが、そのおかげで俺は深雪にこうして触れさせてもらえる。

その喜びをかみしめつつ、脳裏をよぎるのは、昨夜深雪に質問したいと思った言葉。

 

(深雪の幸せとは、一体どんなものだ?今の深雪は一体何を願っている?)

 

しかしそのことを口に出すことができない。

この手を離すことになりそうで恐ろしかった。――あと少し、このままで居たかった。

そうこうしているとあっという間に時間は過ぎた。

 

「もう時間か」

「準備をしませんと」

 

入ってきた水波は深雪の仕度を手伝いに来たのだろう。

俺も荷物を持って襖で仕切られている部屋に移動する。

着飾るのには時間がかかるだろうから、端末を持っていくのも忘れない。

着替えはすぐに終わり、開いた端末にはここ二日のニュース記事。

この周辺(と言っても距離はかなりある)で立て続けに二件も奇妙な事件が起これば不審に思われてもおかしくないと思うのだが、別々の事件として片や若き軍人の暴走として、片やただの自動車事故として処理されている。

・・・このことを不審がるような書き込みは見当たらない。いや、『年末に連続で物騒だな』『何かの陰謀かもよ』『年末陰謀説総決算(笑)』などとのコメントはあるものの誰も本気にはしていなかった。

世の中の関心なんてこんなものなのかもしれない。もしくはどこかが印象操作をしているのか。

軍にとっても二日前の事件は闇に葬りたいだろうからな。マスコミに嗅ぎ付けられたら一大事だ。

しばらくチェックしていると深雪からの声がかかる。準備ができたらしい。

念のための声を掛けてから襖を開けると――そこには世にも美しいプリンセスが立っていた。ドレスはもちろんだが、何よりも美しいのはそれを纏った深雪本人。

 

「綺麗だ。――水波、ご苦労だった」

 

水波も、いつもであれば頬を染めて深雪に賛辞を贈るのにここの空気がそれを許さない。

水波が我慢しているのがわかっていて俺が好き勝手にしては示しがつかないし、何より深雪の印象も良くないだろう。

だが、気になることは聞いておかなければ。

 

「美しいが、寒くは無いか」

 

いくら空調が利いているとはいえ、年末。雪の山道を通ってきたことでもわかる通りこの地域は東京よりも寒いのに、二の腕の新雪を月に照らされたかのように眩しい素肌が覗いていた。

 

「この格好で外に出れば寒いでしょうが、室内だけですから」

 

それは我慢ができるという言葉と同義に聞こえた。

女性の、美しさのための忍耐力というのは頭が下がる。

頑張っている深雪を褒めてあげたかったが、綺麗にセットされた髪を見て手を下げざるを得なかった。

だが、長手袋に包まれた手を取ることくらいは許されるだろう。

 

「エスコートくらいはさせてくれ」

「よろしくお願いいたします」

 

手袋越しでも深雪と触れ合えるだけでも有難い。

これから向かう戦場に向けて、わずかでも英気を養いたい。

 

(ストレスをため込まないようにしないと。・・・これ以上深雪に迷惑をかけるわけにはいかない)

 

これまで幾度となくストレスをため込んでは深雪に迷惑をかけてきた。

特に論文コンペの際にはとんでもないことをさせるところだったことに自分でも恐怖を覚えた。あまりにもありえない思考だった。

あれからはまめに休憩を取るようになったり、根を詰めて仕事をしないよう調整をするようになったおかげであのような悲劇は起こっていない。

そもそもそんなに詰まるような仕事が無かったのだが。

かなり歩いたはずだが深雪と手を繋いでいるとあっという間だ。

奥の食堂と呼ばれる部屋に到着すると中には夕歌さん、文弥に亜夜子がすでに席についていた。机には俺たちの他にあと二人分の空席が。当主と勝成さんだろう。

 

(亜夜子がいるから俺も呼ばれた、ということではないだろうな)

 

亜夜子は俺と違って文弥と同席する機会があるらしい。ガーディアンという俺の立場と、諜報員としても優秀な亜夜子とでは当然待遇が違う。当主の血に近いからと言って優遇される、という甘い一族ではないのだ。

・・・だが、俺が今まで冷遇されていた理由はその立場だけではないことは先ほどの話で分かっている。

分家を嗜めることもできたはずの当主が、ただ傍観して許していたはずもない。何か思惑があるはずだ。

気を引き締めてかからなければ。

 

 

――

 

 

そして会食予定時刻ギリギリに勝成さんはやってきた。

案内した使用人は彼のガーディアンではない。完全に回復とはいかなかったのか、こういう席には連れてこられないのか。

表面上いつもと変わらないように思う。とはいえ他人の機微には疎いのでそう見せかけているだけなのかは知らないが。興味もない。遺恨があろうが些細なことだ。何せこちらには当主からの招待によって参加を余儀なくされている。

どんな理由があるにせよ、それを妨害しようとしたのだから責はそちらにある。

視線が合うこともなく待っているとほどなく主催者が現れた。全員が一斉に立ち上がる。

誰もが緊張を見せないように優雅に、けれど空気は誰一人油断をする者がいないのを物語るように緊迫感が張り詰めていた。

当主は余裕たっぷりに、夕歌さんや勝成さん成人組に酒を勧めるが断られていた。この状況下で飲むと言えたらきっとこの場にはいなかっただろう。

始まった食事会は見た目こそ歓談といった様相をしていた。

叔母上が話しかけ、それに一分の隙も無いように答えていく。時折文弥が動揺を見せるもそれを亜夜子が上手くカバーする。この流れが定着していた。

並べられた料理は恐らく超一流のものなのだろうが、これなら深雪の作ってくれる手掴みで食べるハンバーガーの方が何倍も美味い。

正月明けに戻ったらリクエストしてみようか。水波が来てからは一度も食べていなかった。あの味が恋しい。

自分の胃袋が深雪にがっちり掴まれているということがおかしくて笑いたくなった。幸せな苦悩だ。

一旦机の上が片付けられ、メイン料理が運ばれる前に本題を片付けるらしい。

明日の慶春会で次期当主を発表する、と。

まだ、誰に決まったと発表する前に文弥と夕歌さんから辞退の申し出があった。

文弥の場合、黒羽家が分家の策略に手を貸さず当主に叛意が無いことを主張する意味合いも込められているのだろう。家のため、父のために健気なことだ。

夕歌さんの場合、力で劣る分ここで恩を売って立場を守りたいということだったが、彼女の家の特殊性上そんな心配自体いらないはずだが、元々彼女は深雪を支持するつもりだったと言っていた。

だからこれは叔母上を喜ばせるパフォーマンスの一つなのかもしれない。狙い通りか、彼女の機嫌は上がったように見えた。

 

「家の実力は直接的な戦闘力だけで決まるものではないと思いますけれど・・・津久葉家の意向はわかりました。深雪さん、夕歌さんは貴女の贔屓が欲しいそうですよ」

 

叔母上の楽しそうな声に、深雪は如才なく答える。

 

「今の私は、四葉家の次期当主候補に過ぎませんので・・・。ただ、戦闘力だけが魔法師の価値で無いという叔母様のご意見には賛成です」

 

まだ決まっていないように答えるも、勝成さんも深雪を押しのけてまで当主になるつもりもないだろう。

思った通り、彼は皆の意見を支持する形で深雪が次期当主だと賛成の意を示した。

だがここで予想外だったのが、取引のつもりではないというが、次期当主候補から下がる交換条件と言わんばかりに自身の結婚を認めてほしいと頭を下げた。・・・まあ、こんなチャンスは巡っては来ないだろうがそれにしても思い切った作戦だな。

ガーディアンという身分差だけが問題ではない。彼女は二世代目と言っても調整体だ。しかも叔母上が言うには楽師シリーズは遺伝子も安定していないのだと。そんな状態で分家当主の妻が務まるか、そもそも子が生めるのかが不安視されるのも当然と思えた。

すでに父親にも同じことを言われたそうだが、それでも引き下がるつもりはないらしい。まあ、恋や愛は理屈じゃないらしいからな。

分家当主を黙らせるには一族の長から口添えをもらえるのが、一番効果があるだろう。

 

「今でも内縁関係にあるでしょう?」

 

それでも正妻として望むの?と。

この言葉に文弥の顔に朱が走る。だが反応を見せたのは彼だけで周りの誰も動揺した様子もなかった。深雪も、ただ微笑んで話に耳を傾けている。

心の内を晒さない完璧な仮面だった。

 

「そうねぇ、愛する者同士を引き裂くような真似をしたくないし」

 

愉しそうに、それでいてなぜか深雪に視線を向けながら、勿体ぶるような口ぶりで言う。

その視線に悪意は見られない。視られないが――なんだろうか、意味ありげな視線の意味するところが分からない。好奇心とも違う、憐みのような、それでいて含みがあるような・・・読み解くには複雑すぎた。ただ何か裏があるということは分かったのでその続きに注目する。

 

「調整体だからと言って早死にするとも限らないものね」

 

やはり、深雪に対して笑みを浮かべているように見える。

だが、調整体の不安定な遺伝子についてということは――深雪の傍に居る調整体は水波しかいない。水波と深雪の仲の良さを知っていて反応を見ようと・・・?そんなことをわざわざこの席で気にかける素振りなんか見せるだろうか。

 

「良いでしょう。本家の当主ともなれば結婚相手も自分の意思だけ、とはいかないけれど」

 

続けられた言葉と深くなる笑みに、こちらが本命か!と気づかされた。

次期当主となる深雪の結婚相手――。

すでに候補は上がっているということを暗に匂わせたということか。それで深雪の反応を確認しようとした、と。

だが、深雪はその言葉にも空気すら揺るがせなかった。完璧な淑女の仮面を保って。

 

「分家の当主なら、そこまで深く考えることは無いわ」

 

だろうな。分家はどうとでもなる。

それに勝成さんは今回のことで叔母上の命令には逆らえなくなった。良い手駒が勝手に手に落ちてきたくらいにしか思っていないだろう。勝成さんは四葉とは思えない特殊性のない普通に優れた魔法師。防衛省にも勤めていることもあって、使い勝手はそれなりにいいはずだ。

口添えすることを約束すると、勝成さんは深々と頭を下げ、こうして三人の候補者が辞退。深雪が一人残る形となった。

 

「深雪さん、貴女を次の当主とします」

 

叔母上の言葉に応え、立って一礼する深雪の所作は惚れ惚れするくらい美しいのに、今は見惚れる気になれなかった。

話が終わったということでようやくメイン料理が運ばれる。

次期当主の指名という一仕事を終えて緊張度は下がったように思うが、やはり表面上の歓談の様子は虚像に思えて画面越しに見ているようだ。現実味が無い。

だが、それでも深雪が次期当主に選ばれたことは現実だった。

 

(今後どう変わっていくのか、俺たちの生活にどう影響をするのか)

 

「よかったわ。こんなに簡単に決まってくれて」

 

グラスを傾けながら口角を吊り上げた叔母上は、でも、と続いた言葉に不満を口にすると思われ一同が警戒して注視した時だった。

その、爆弾が落とされたのは。

 

「残念だわ。勝成さんさえよろしければ、深雪さんの婚約者になってもらう予定だったのに。今からでもどうかしら。本妻に深雪さんに立ってもらって、愛人という形で彼女を愛せばいいわ」

 

口添えすると言った口で愛人にしろ、とは。

酔いでも回ったか、と言いたくなるいい加減な軽口に思えたが彼女が素面であることは誰もがわかっていた。

 

 

――

 

 

「な、にを・・・」

 

あれだけ堂々としていた勝成さんもさすがに動揺が隠し切れないようだ。

まさか彼が深雪の婚約者候補だったとは。以前文弥に関してはそうなるかもしれないと思ったことがあったが、年の離れた勝成さんも候補に挙がっていたとは思わなかった。それに、すでに内縁関係を築いている彼を深雪の婚約者に宛がおうとは。

そのことも腹立たしいが、愛人関係を続けたまま結婚をさせようとすることにも怒りを覚える。

それは初めから深雪が表向きは取り繕われたとしても蔑ろにされるということであり、身内にばれている分周囲から憐れまれる結婚になるということ。どう考えても幸せな結婚にはなりえない。

当主ともなれば、一族のための政略結婚も仕方がないことかもしれないが、そこから築ける関係が初めから無いというのはあんまりではないか。

ここに来る前に聞かされた、姉妹が恨み合っている、という話が脳裏に過った。もしやこれは母に向けられなかった恨みを娘である深雪にぶつけているということだろうか。

 

「パーティーに出る時やパートナーが必要な場合にはエスコートくらいしてもらうでしょうけど、それ以外は今まで通りの生活で構わないわ。当然子供を作ってはもらうけれど。それも提供だけしてくれればこちらでするから問題ないわよ」

 

対外的には良き夫を演じさせ、種だけは寄こせという。

 

「子を作った後は離婚して正式に自身の愛する女性と結婚して構わないわ。今時離婚を傷だという人もいないでしょうし。深雪さんもそれくらいで傷ついたりしないでしょう?」

 

その笑みに、視線に深雪に対しての悪意が感じられないのが信じられなかった。

自分の感覚が、深雪に対して向けられる視線の情報を読み取る機能が狂ったのかと疑うほど言動が一致していない。

周囲の人間の血の気が引く中、深雪だけは苦笑を浮かべていた。

まるで叔母上の考えがわかっているかのような、悪意が無いことを理解した上で仕方のない人、と言わんばかりの親しげな笑みだった。

 

(・・・どういうことだ?今の言葉はそんな反応を返すような場面だったか?)

 

深雪にとって愛のない結婚は身近にあった。

父親を毛嫌いしていたのは仕方がなく結婚させられたとはいえ母を蔑ろにし、死後法律を遵守した上で早々に再婚したからではなかったか。

だというのに、彼女は自身の愛のない結婚の話をされたはずなのに気にした様子もない。

ただ、細められた目が仕方のない叔母上、と窘めているような、そんな風にも見える。

夕歌さんが驚愕の視線を深雪に向けている。

こちらの考えはわかりやすい。叔母上との関係も隠されていたのか、と考えているようだが、叔母上と深雪にはさほど接点はなかったはずだ。自分の知るところではこんな親しげではなかった。

 

(――つまり、この二人には俺も知らないところで交流があったということか・・・?)

 

昨夜から自分の足元が不安定にぐらついているような、そんな錯覚を抱く。

今、深雪と二人きりであったなら、俺はみっともなく深雪を問い詰めていたかもしれない。

 

「自分は、そんな器用な男ではございませんので。それに、次期当主にはもっとふさわしい男がいるかと」

 

ようやく衝撃から立ち直ったのか、勝成さんが体よく逃れようと発言するが、余計なことを。他の男など言う必要などなかった。

 

「残念ねぇ。迅速に深雪さんの婚約者を選びたいのだけれど。きっと荒れるでしょうから」

 

これだけ自分から場を荒らしておいてよくそんな白々しく言えるものだ。

先ほどからどうにも文句が浮かび上がっては消していく作業に追われる。

こんな風に自分が感情的になることがあるのか、と言うほど浮かぶのは、現状に苛立ち面白くないと考えているからか。

沸々とした怒りが先ほどから文句へと形を変えているようだ。

せっかく深雪に育ててもらった感情がこのように悪いものとなって暴れそうになるたびに、慈しんで育ててくれた深雪に申し訳なく思ってしまう。

彼女はいつも俺の心を育てたいと寄り添ってくれた。彼女を唯一愛することのできる兄妹愛から派生させればいいのだ、と簡単なことのように口にして、親身になって手助けをしてくれた。

おかげで最期、弱りゆく母に寂しさを抱けるようになった。深雪の悲しさに寄り添うことができた。

友人ができ、彼らと共にいて居心地がいいと感じるようになった。以前なら周囲に溶け込めているか、くらいしか気にすることもなかったのに。

彼らのために何かしてみたいと思うようになった。

それを深雪はとても嬉しそうに見守ってくれて自分のことのように喜んだ。それが何よりも嬉しかった。

深雪と一緒に育んだようで、喜びを共有できる幸福感がたまらなかった。

高校に入ってから、自分の価値観が変わってきたのを実感できるようになり、以前よりも好き嫌いがはっきりとしてきた。

その変化も心の成長だと、深雪は嬉しそうだったが――果たしてこれは良いことだったのだろうか、と悩むところだ。

深雪が誰かと共にいるようになり、以前は微笑む深雪によかったな、と喜ぶ姿を見守れていたのに、時折それを面白くないと思う自分がいた。深雪が誰かを構うことが面白くない。誰かに視線が向くのがつまらない。――俺以外に興味を抱かなければいいのに。

すぐに打ち消してはまた蘇ってくる思考。切り替えても消そうとしても記憶から無くなることのない自分の記憶力が邪魔だと思った。

 

(心なんて育たなければ、俺は深雪だけを愛し、深雪だけの幸せを願い、自分のことで苦しむことなんてなかった)

 

つまらない人生にはなるだろう。けれど、幸福な最期は迎えられたかもしれない。深雪のためだけに生き、深雪のためだけに死ぬ。

それだけで十分だったのに、心が育つごとに生まれる欲望が俺をさらに幸福にし、絶望をもたらした。

 

「達也さんはどなたならいいと思う?」

 

(どなたなら?深雪の婚約者を何故俺に聞く?)

 

どうせ俺の意見など何の意味も成さない。ただの揶揄いのつもりなのだろうが無性に腹が立った。

まるで、お前には関係ないけれど、とあざ笑われている気分だ。

席に着いてから初めて話題を振られたと思ったらこれか、との思いもある。

くだらない茶番に付き合う気にならないが、ここで何も言わないというのはどうあっても悪手でしかない。

 

「兄としてなら深雪を幸せにしてくれる相手をと言うところでしょうが、四葉家次期当主に望まれるとなると自分にはわかりかねます」

 

どちらにしてもこちらに決定権のない話。何を言っても無駄だとはっきりとしない回答をしたのだが、それでも彼女の笑みは崩れない。何かを、企んでいる笑みと言われればそう見える。

一体何を言う気だ?と心の中で身構えていると、動いたのは深雪だった。

 

「よろしいでしょうか」

 

控えめに手を挙げて、やんわりと主張する。

叔母上が俺から深雪に視線をスライドさせて促すと、深雪は時間稼ぎを提案する。

自身の婚約の話だというのに、仮で婚約をしておいて、時間を稼いだらどうかと。

 

「それでは深雪さんにも傷が付かないかしら」

「それくらいのことで傷だと騒ぐようなお相手では四葉でいることは難しいでしょう」

「ふふ、それもそうね」

 

恐らく時間稼ぎが必要なくらいには深雪を求める家は多いだろう。

九校戦での活躍はもちろん、この美貌に四葉のブランド。魔法力はトップクラス。さらに人格も優れ、性格も器量も良いときた。誰だって欲しがる、理想の花嫁。せいぜい四葉の闇がネックか。だがそれに目を瞑っても余りある魅力だ。

だから選定の間その防波堤として誰かを見繕い、吟味をする時間を稼ぐということのようだ。

 

(深雪はすでに覚悟をしているというのか。次期当主ともなれば結婚相手も自由に選べないことを)

 

結局俺は何一つ彼女を幸せにすることができないのか。

食事なんてとっくに食べる気が失せていたが、残すことはマナー違反だ。

食事を作業と思うのはいつぶりだろうか。深雪と共に食事をするようになってからはほとんどなかった。

早くこんなところから出て、家でゆっくり深雪の作った味噌汁が飲みたい。

温かい家で、温かい食事を、温かい家族で囲んで食べる。そんないつも傍にあった幸せが、今は遥か遠くに感じた。

 

 

――

 

 

食事が終わり、ようやく部屋に――とはならなかった。

俺たち二人を残して他は退室を命じられた。

まだ何かあるというのか、等と正直に苛立ちを表に出さないが不満は抱く。

俺までここに連れてこられた理由はどうやらこの後が本番らしい。

 

(深雪の婚約の話だけでも十分な衝撃だったというのに、一体何があるというのか)

 

それぞれにそれぞれの好みに合った飲み物を用意されて、後半戦は始まった。

だが、まさか葉山さんまでも退室させるとは思わなかった。

叔母上にとって俺は一度正面からやり合った間柄だというのに。深雪がいるから俺が動かないと思っているということか。それとも警戒対象ではないという意思表示か。

何が起こっても対処ができる様シミュレートをいくつかして待ち構える。

 

「さて、あまり時間もないから要件を済ませましょうか」

 

カップを机に戻し、重心を前に傾けて微笑みを浮かべ、

 

「まず初めに、伝えておかねばならないことがあります」

 

強い意志を瞳に込めて、言い放った。

 

 

 

「達也さん、深雪さん、――あなた達は兄妹ではありません」

 

 

 

何を言っているかははっきりと聞こえた。が、理解するのに時間がかかった。

俺と、深雪が兄妹では、ない・・・?

何を言っているんだ、この人は。

そんなありえない話を、どんなつもりで言っているのか図りかねた。

どんな意図があってそんな虚言を吐いたのか。

何の考えがあればその設定が必要になる?

一つの仮説にどくん、と心臓が音を立てた。

ありえない、とすぐに打ち消すが、消しても消してもすぐにその可能性が浮上する。

有り得て良いはずがない。

そんなこと、許されるはずがない。

 

「深雪さんはとても落ち着いていらっしゃるのね」

 

・・・視えている深雪の情報にも一片の揺らぎが無かった。

頭が他のこと埋まろうとも彼女のことだけは常に見逃してなどいない。だからこそわかる。

確かに深雪は非常に落ち着いているように視えた。

 

「いいえ、とても衝撃的なお言葉に、どう反応していいのかがわからず困っているところです」

 

そうは言うが、彼女の淑女らしさが動揺などを感じさせない。完璧に覆い隠せていた。

だが、言葉の方は動揺しているようで、声が平坦で抑揚が感じられない。その場を取り繕って出した言葉のようだった。

自分のように、深雪には兄妹だという確証を得られる情報源はない。兄妹ではないと叔母上に言われたのでは不安に思うのもおかしくはない。

対する叔母上はリラックスした様子で俺たちの反応を愉しんでいた。

それがまた苛立ちを感じさせるが、今は深雪の憂いを晴らす方が先だ。

 

「叔母上、一体何の冗談です」

「冗談?冗談ではないわ。だって達也さん、――あなたは私の息子だもの」

 

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・

深雪と兄妹ではないと言ったり、今度は自分が母親だと言ったり、この人はこんな虚言癖があったのか。

すべてが嘘だとわかっているだけにその言葉の真意を探ろうとするが、自身の都合の良いことばかりが浮かんでうまく思考がまとまらない。

こんなこと、初めてだ。

怒りよりも困惑が上回った。

 

「どういうことです?お兄様が叔母様の子というのは」

 

深雪も信じがたい、と質問を投げかける。叔母上の前だというのに兄と呼んでいないことから彼女も仮面で表情は隠せていても動揺しているのが窺えた。

それから語られたのは、自身の卵子をベースに母、深夜を代理母として俺が誕生した、というシナリオ。

かなり無理がある設定だが、四葉であればありえなくもない、そう世間は思うかもしれないがそれで誤魔化されるわけにもいかない。真実を知る俺が騙されることなどないのだから。

この話にはどう考えてもただの嘘というだけでは説明のつかない裏があった。

 

「・・・後ほど、詳しく教えていただけませんか」

 

深雪の前で話す必要を感じない。横浜の件で呼び出された時のように一対一を希望すると、その要望はすんなり通った。

 

「そうね。いきなり納得しろと言っても難しいでしょうし、この後、親子水入らずでお話ししましょう」

 

何が親子水入らずか。

冗談としてもあり得なさ過ぎて受け入れがたいが、今文句を言っても話が進まない。

その嘘の目的を聞かねばならない。

一拍待ったのち、それは明かされる。

 

 

 

「四葉家次期当主、深雪さんの婚約者は達也さんよ」

 

 

 

――俺を、深雪の婚約者に据えるためだけの、嘘。

これもガーディアンとしての任務だとでも言うのだろうか。

 

(欲しくとも手に入れられないものをちらつかせて、無理やり手に持たせておきながら、最終的にすべてを奪おうと、そういうつもりなのか)

 

だとしたら、どれだけ俺は憎まれているのだろうか。

これほどまで有効で残酷な復讐を俺は知らない。

 

 

この時になって初めて、気付いた。

俺は、深雪を――手に入れたいと願うほど欲していたという事実に、気付いてしまった。

深い深い絶望の底を、覗いてしまった。

イメージとしては、ここに、お前は今から入るのだと、背にナイフを突き立てられてその淵に立たされている。そんな状況が浮かんだ。

 

 

――

 

 

「明日の次期当主指名と同時に婚約者も発表します。ですので達也さんにも、深雪さんの婚約者として明日のお披露目に出席してもらいますからそのつもりで」

 

俺が相手であれば、深雪を守ることに問題はないし、繋ぎとしても実際は兄妹なのだから相手との遺恨もない。婚約破棄をしたとしても時間稼ぎだとばらせば深雪に傷など残らない。そう、何の問題も――

 

「叔母様、それはお兄様が一時的に私の婚約者となり盾となるということでしょうか」

 

深雪の指摘にわずかにも体を揺らしてしまったことが痛恨の極みだった。

彼女は絶対に気付いただろう。後でその理由など聞かれても返せるわけが無い。

深雪の一時的、という言葉に傷ついたなんて、言えるはずもなかった。お前の盾になるのは構わない。守ることができることは俺の誉れだ。だが、初めから叶う筈が無いと自分でもわかっているはずなのに、いざ深雪に指摘されてしまうと実態など無いはずの心に痛みが走る。

この傷は、自動修復の対象外だ。

 

「なあに、深雪さん。もしかして他にどなたか想われている方でもいるのかしら」

 

まるで達也と結婚したくないみたいね、とすでに息子だからと意識的に呼び方まで変えて愉しげに笑う声が、さほど大きくもないはずなのに頭に響いて聞こえた。

他人の言葉に傷などつかない自分の心に揺さぶりをかけられる。

深雪を見そうになるのをこらえて耳に集中する。

 

「想う方など、そのような方はおりませんが私とお兄さ――失礼しました。・・・達也様と私が結婚することは現実的ではございません。兄妹でないにしろ血が近すぎます。叔母様と母は双子ですから普通の姉妹以上に血も濃いでしょう。一時的な候補として据えているのだと考えるのが妥当です」

 

――深雪の言うことはいつだって正しい。

以前にも、光宜の時にも言っていた。

「実の兄妹で子を成す必要性など、そもそもないでしょうに」と、怒りを滲ませて。

あの時、深雪の言葉に言い知れぬ何かを抱いたが、それが恐怖であったのだと今ならわかる。

直接そうだと言われたわけでもない。彼女にそんな意図はなかったはずだ。

だが、はっきりと俺たちの間ではありえないことだと断ずる内容でもあった。

当たり前だ。劣性遺伝子を生みやすい血の近い兄妹間で子を作るなど常識的にあり得ない。そもそも兄妹で結婚など、法律で禁じられている上に、人は本能で忌避するはずだ。――普通であれば。

 

(俺はこんなところも欠陥品だったのか)

 

忌避するどころかのめり込む様に愛してしまっていた。

ここまでずっと気が付かなかったくせに、理解するのは一瞬だった。

ただの兄妹愛だけではない。それ以上に彼女を女性として愛しているのだと、こんな時になって初めて自覚した。

深雪が一時俺から離れようとしていたのはまさか、俺よりも先にこの想いに気付いて危機感を覚えたからでは、とまで考えるが、もしそうであれば本気で避けられたはずだ。

彼女に俺に命令ができる立場にある。本気で嫌がれば・・・

 

(――だが、深雪は優しいからはっきりとした拒絶ができなかっただけではないか?)

 

いろんな考えが浮かんでは消えていく間にも二人の会話は続いていた。

 

「そうね。深雪さんが言うことは正しいわ――普通なら、ね」

 

普通なら。

その一言をやたらと強調するのが耳に障る。

劣等生だと、欠陥品だと言われ続けた人生だ。今さら普通ではないと言われようと慣れた言葉のはずだというのに。

 

「どのみち時間稼ぎが必要なのは深雪さんもわかるでしょう?すでに十師族の内、二家から『司波深雪』にそういった意味での調査が入っているのだから」

 

一つは一条か、とすぐに思い至るがもう一つ・・・七草ではないだろうから、そうすると十文字家か?あの後本当に先輩が申し込むべきか調べた可能性がある。一瞬九島の可能性もよぎった。光宜が深雪に懐いていたから家族が気をまわしてと思ったが、あそこは事情を知る老師がいる。深雪が四葉だと知っているはずだから司波には調査がいかない。

他は接点が無いし、婚約していない年頃の男子はそういない。五輪家は七草家長女と話が上がっていたはずだが、正式に婚約が決まったなどの話は聞かないけれど切れたという話も聞かないので可能性は低い。

これで深雪が四葉家次期当主と発表がされれば正式に申し込みが来てもおかしくない。

あの四葉だろうと、むしろ抑え込める可能性があるのならと婚姻を迫る可能性だってある。

四葉は今、十師族でも実力が頭一つ抜きんでている。足並みを揃えたい、足を引っ張り引きずりおろしたい者たちにとっては格好の獲物に思えるだろう。

 

「一時的にも何でも、明日は深雪さんの次期当主の件と婚約者の件の発表は覆らないわ」

 

深雪が次期当主として発表されることは予測できていたが、まさかそこで俺が当主の息子として深雪の婚約者になることは予想だにできなかった。というよりできるはずがない。すべてが嘘で、出鱈目だからだ。

一体どんなつもりで、と睨みたい気持ちを抑えて叔母上を見れば、何故か深雪に対し温かみのあるような視線を向けている・・・?

初めて見る視線だ。しかしそれはいつか見た母の眼差しにも似ていた。

 

「ねえ、深雪さん。私はあなたがこれまでどれだけ努力してきたか、知っているつもりよ。“幸せ”のためにここまで頑張ってこられたのだものね。私も応援しているの。あなたの望む幸せが叶うことを」

 

――なぜ、知っている?兄の俺でも知らないことを、何故遠く離れて暮らすこの人が知っているというのか。

まさか深雪が直接言ったというのだろうか、と見れば、彼女は完ぺきだったはずの仮面がはがれかけているのか瞳が揺らいでいた。

動揺している・・・?つまり、知られていることを、深雪も知らなかったのだろうか。

それとも別の要因か。

 

「さあ、明日はあなたの望みが叶う第一歩よ。めいっぱい磨かれていらっしゃい。せっかくの晴れ舞台だものね」

「・・・はい、叔母様。お心遣い、感謝いたします」

 

その言葉には、先ほどまでの覇気は感じられない。

明らかに望みが叶うと喜ぶ姿には見えなかった。

いつもならこっそりと目を合わせてくれるのに、それすらない。・・・兄ではないという言葉を信じ、戸惑っているのか。

様子のおかしい深雪に付いて行ってやりたかったが、叔母上が葉山さんを呼び、使用人に案内させてと声を掛ければすぐに来た使用人に連れられて深雪は行ってしまった。

真意を聞かなければ。退室する深雪を姿が見えなくなるまで見送って、俺たちも場所を移動するらしい。

面倒だからここで構わないのだが、ここでへそを曲げられて真相を語られなくなっても困る。従順な姿勢を見せた方が得策か、と反論もせず付いていった。

 

 

――

 

 

到着したのは当主の書斎部屋。

ざっと部屋を確認して、葉山さんに勧められるままソファに腰を下ろす。

このような待遇も初めてだ。先ほども部屋を出る前に深く一礼をされたりとすでに一部の使用人、執事には俺の明日の発表の内容を知らせているらしい。

ここで発表を無しにしろと要求したところで無駄だということだ。

大人しく雑談に付き合い、この部屋が完全なプライベートスペースらしく、HARもスタンドアローンで動かしている、完全なオフライン環境だということを知る。

葉山さんからも達也様、と様付けで呼ばれ座りが悪いが、もうこれは決定事項なのだと思い知らされるようだ。

どれだけ人の人生を振り回せば気が済むのだろうか。そんな不満を押し殺し、無難に目の前のコーヒーの話題に花を咲かせた。葉山さんの淹れたコーヒーは深雪が淹れた物よりも美味しいのだろうということは分かった。

ただ、好みで言えば慣れた深雪の味が恋しいと思った。

アイドリングトークはこんなものだろう。

あちらも本題に入るきっかけを待っていたようで、互いの視線が交差する。

どこから話すべきか、と悩むほど話すことがあるらしいが、まずは嘘について問いたださなければ何も始まらない。

何故深雪が妹でないなどと嘘をついたのか追及すると、嘘がばれると思っていなかったのか白を切ろうとしたので、はっきりと確証ある事実を突き付けた。

 

「俺は物質の構造と構成要素を認識し、任意の構成段階に分解することができる異能力者だ。物質の構成要素を認識するということは、それが何を素にしているのかを認識するということでもあります」

「あなたの情報遡及は24時間が限度だったと思うけど」

 

ああ、そこで認識がずれて騙せると踏んだのか。

構成要素に関する情報は時間的な遡及は必要ないと言えば、叔母上からはしまったという焦りの表情が、葉山さんからは単純な感嘆があった。

彼女はあっさりと俺の素となった卵子が叔母ではなく母のものであり、深雪と同じものであることを認めた。

だが、そのあとが問題だった。

 

「あなたと深雪が実の兄妹ではないというのも、完全な誤りではないのよ」

 

この期に及んで一体何を言うつもりだ、と続きを待った。

 

 

 

「だって、深雪さんは調整体だから」

 

 

 

――今日、何度目だろうか。呼吸が止まり、言葉を咀嚼するのに時間を要した。

深雪が、調整体・・・?

 

「・・・深雪が遺伝子操作をされているというのですが?しかし、そんな兆候は」

「でも、事実よ。深雪さんに調整体の歪さ、不安定さが視られないのは、彼女が『完全調整体』とでも言うべき四葉の最高傑作だからよ」

 

口からは何故、と言葉が漏れ出ていた。

そのことを咎められることもなく、質問と捉えられ返答があった。

 

「深雪さんが作られた理由?それは貴方の為よ、達也さん」

 

呼び方が安定しないな、とくだらない言葉が頭を過る。

それは空白になった頭の中で唯一浮かんだ言葉だったが実にどうでもいいモノだった。どうでもいいものくらいしか浮かべられなかった。

 

(深雪が、俺のために作られた?)

 

酷い衝撃を受けると人は何も考えられなくなるらしい。

これほどの衝撃を、言葉だけで与えられたのは初めてだ。

感情が付いてこない。怒りも、喜びも、何も浮かばない。

それは昔に戻ったような感覚だった。あの、何も感情を抱けなくなり、言葉がただの文字としてしか認識できなくなった実験の後、空虚になった状態もこんな感じだった。

 

「貴方の力は、万が一にも暴発させてはならないものだった。いざというときは力尽くで、命懸けで止めなければならないものだった。姉さんなら、多分可能だったでしょう。姉さんの精神構造干渉は、相手の無意識領域に干渉して『ゲート』を一時的に閉ざすだけの力があった。でも姉さんは確実に、貴方よりも先に寿命を迎える。だから常に貴方の傍にいて、貴方を止め得る魔法師として深雪が作られた」

 

深雪が・・・俺のための・・・俺を、止めるために・・・?

 

(それは、なんて――)

 

「深雪は、貴方を止める為に作り出された調整体魔法師よ」

「深雪が、俺の為に?俺が、深雪の為でなく?」

 

世界がひっくり返るというのはこういうことだろうか。

まだ頭が正常に機能しなかった。

 

「そうよ。深雪さんは、貴方の為だけに生まれた女の子なの」

 

俺の為だけの、女の子。

その言葉がぐわん、と頭の中で響く。

そこから語られたのは深雪が調整体だと知っている数人の名と、深雪よりも自分の方が血のつながりは濃いということ。

確かに深雪の肉体が自身と同じ生殖細胞を構成要素としているが、それだけで説明がつかない要素が混ざっていたのも事実だった。

深雪の肉体に有害な作用をもたらす要因ではなかったため、それらのファクターを自然な変異の産物と考えていた。

だが、それらが調整によってもたらされたものだと考えれば、自分と深雪の間にある「構成要素」の大きな差異も、より合理的に解釈できる。

 

「深雪は、知っているのですか」

 

自分が調整体であることを、自身が俺の為に作られたという事実を――

 

「それなんだけどねぇ」

 

ここで叔母上が初めて悩ましげな顔になった。

 

「知らせてはいないわ。さっきも言ったけど知ってる人は限られているし、その誰もが深雪さんに言うようなことはない。だけど、――達也さんは去年の秋にこちらに来た時、深雪さんが持ってきた手土産が何だったか知っていて?」

「母からの映像記録だったかと」

「一度も見られた形跡が無かったから中身を確認はしていなかったのはわかっているわ。――そう。あの記録は私へのメッセージが含まれていたの。互いの蟠りも消え失せるほどの内容だったのだけれど、それは今はどうでもいいわね。

記録の中で姉さんがどれだけあなた達を大切に思っているかが語られる部分があったのだけど、深雪さんのことで気になることがある、とも言っていたのよ」

「それは、一体なんです?母は、一体深雪の何に違和感を持ったと?」

「彼女が自分が何者であるか知っているのかもしれない、と」

「!!」

「当然姉さんは伝えるわけがない。姉さんはむしろ貴方と深雪さんをできるだけ離して無関心でいてもらおうとしていたから。そうすることで貴方を停止させられないように、深雪さんが感情的になって貴方を止めたりしないように淑女教育も徹底させた。あの、事件が起きるまで姉さんはずっとそうやって貴方の為に余生を過ごすつもりだった。だけど、あの事件が大きく貴方たちの関係性を変えた。

――深雪さんが変わったのもあの事件がきっかけだったわね。あの子にも何かしら直感が働いたのかもしれない。だからって、直感で自分が貴方の為に作られた調整体だなんてわかるわけはないはずだけど」

 

一旦言葉を切ってから紅茶を一口含んで、話を再開させた。

 

「姉さん曰く、あの子は生まれ変わったのだと言っていたけれど、それくらい様子が変わったのは達也さん、貴方もそう思ったはずよ」

 

それは、そうだ。俺もあの時は再生を失敗したのか問われその可能性を疑ったくらい、あの子は変わった。

俺に都合の良いと思えるほどの変貌を遂げていたから。

以前から、遠くで見るだけで幸せだったのに、近くで手を取ってくれるようになって戸惑ったのを今でも鮮明に思い出せる。

『幸せになりたいの』。

そう笑う彼女は俺に、母に、幸せ齎してくれた。

あの日から、手に届かない星は、太陽の輝きをもって俺を照らして、温かな熱を分けてくれるようになった。

 

「私たちもすぐに気づいた。箱入りで自分の意見など言えなかったあの子がここへ直談判に来たのだからおかしいと思うのも当然よね。もっと教育を受けさせてほしい、だなんて」

「・・・それはいつのことです?」

 

あれ以降深雪が一人で行動できたはずがない。一人で本邸に乗り込んだなど視えなかった。俺が気付かないはずが――

 

「あの事件の直後、彼女の体の検診をね。調整体に何かあったらまずいから。貴方の再生が何かの作用を引き起こさないとも限らなかった。わずかな可能性があるならチェックしなければならなかったの」

 

心当たりがあった。深雪に再生を使った後精密検査をするべきだと、その時一緒に来ていたが、立場上中に入ることは許されなかった。

 

「おかしなもので、あの時は姉さんの淑女教育しか受けていなかったはずの箱入りのお嬢さんが突然、私に対して興味をそそるプレゼンをしてきたのよ。次期当主になるには必要な技能がたくさんあるから勉強させてほしいってね。他の候補の子たちは家で教育を受けられるけれど、深雪さんは立場上家でそういった教育は受けられない。だからこちらに近いところに引っ越してもらって教育が受けられるように場を整えたの」

 

そこまでするとは思わなかったようだけれどね、と当時を思い出してか口角を吊り上げていた。

俺の知らないところで深雪が行動を起こしたことによって生活環境ががらりと変えられたらしい。

習い事が増えていったのは深雪のリクエストだったのか。

 

「かなり無茶なスケジュールだったはずだけれど、彼女は順調に熟していったわ。そしてどんどん吸収していった。私も常に見ていたわけではなかったけれど、相当無理をしていたことは報告書からでもわかるほどだった。だから聞いたのよ。どうしてそんなに無茶なことをするのかって。そんなに次期当主が魅力的とは思わなかったし、彼女もそれを目標にしているのではなく単に通過点だと思っていたようだったから。

そうしたら、願いを叶えるために力が必要なのだと言っていたわ。その願いについては教えてもらえなかったけれど、――注意深く見ていてもそれだけでは気づけないでしょう。同じ想いを持っていた私だから気付けた。ただそれだけのこと」

 

深雪と叔母上が同じ想いを・・・?深雪は幸せを願っていたはずだ。だが、この叔母上にその願いがあるかと言われると違う気がする。彼女の生き方は幸せになりたいというものより享楽的に生きたいと言った方がしっくりくる。

 

「貴方が私の息子だと言うのもあながち嘘ではないの。体を構成しているのは姉だけど、中身を作ったのは私。貴方の魔法は私が望んだ、世界に復讐する力だから。――だから、姉は私を恨んだ。勝手に自分の息子を作り替えられたと。信じる信じないは貴方の勝手だけれど、私たち姉妹はそれを信じた。おかげで姉妹の間の溝はさらに深くなったのだけれど、私は後悔をしなかったし、姉も生まれたからには愛そうと努力していた。――もう少し、興味を抱いたらどうなの?」

 

急に話が飛び、深雪の話から母たち姉妹の話に変わったことでどうでもいいと思ったのが顔に出ていたらしい。・・・表情に出すつもりはなかったのだが。

不満げに文句を言われる。

 

「まあ、貴方が深雪さんにしか興味が無いのはわかっていたことだけれど、母に向かってそれは無いんじゃない?」

「申し訳ございませんが、事実上俺の母は司波深夜です」

 

深雪と兄妹であること、母が深夜であることは先ほど認めたばかりだろうに。

無駄な脱線が多い、と不満を滲ませて口にすると表情は一転、にんまりと笑う。

 

「だけど、戸籍はすでに私の息子よ。――そうでなければ深雪さんと婚約はさせないわ」

「・・・・・・」

 

俺が黙ると、母だと名乗る女は口角をさらに吊り上げた。まるで絵本に描かれている悪い魔女のようだ。

 

「私にとってずっと貴方は愛する息子だった。私の願いを叶えてくれるはずの、大切な一人息子。

私に理不尽な絶望を与えた世界に復讐をする力を有して生まれた、私の希望。

だけれど力が育つまでに、勝手に望む力ではない物を持って生まれた貴方に失望し、恐怖した叔父様たちや貢さんたちに殺されてしまう可能性があった。

深雪が生まれるまでは前当主の英作叔父様の言葉で何とか踏みとどまっていたけれど、何時恐怖にのまれて殺そうとするか予断を許さない状態だった。それくらいあの人たちは追い詰められていたのね。随分夢見がちな人たちだとも思ったけれど。彼らが願ったところで姉さんの胎にあの人たちの願いが宿るわけがないのに。

そして深雪が生まれ、達也さんを止める魔法を持っていたことで、いざという時抑えられる可能性が見出され一旦は落ち着くのだけど、また再燃して、と面倒でね。

感情的に力を暴走させてはならないと人造魔法師実験が行われた。演算領域なんて副産物。本命は貴方の感情を抑えることにあった。

強い感情だけを奪ったけれど、それで安心しない分家の為に感情はほとんど奪ったことにして、貴方にもそう暗示をかけた。

魔法ではなく純粋な暗示をね。まだ幼かった貴方は感情が消し去られたことを信じた。感情が無くなっていたことも事実で、小さな子供の感情は大抵強い感情が動くからそれが無くなっていれば疑うこともなかったのでしょう。

唯一残されたのは兄妹愛だけ。それさえも消してしまえば深夜が寿命を削ることもなかったのだけど――母として、貴方に愛を残してあげたかったのでしょうね。自分を犠牲にしてでも。

姉さんはそんなことは一言も言わなかったけれど。あの、優しい姉の考えだもの」

 

魔女は長く語り優しく微笑むと、再度紅茶に口付けた。

しかし――深雪以外のすべての感情が消されたものだと思い込んでいた、と。強くない感情は元から残っていたのか。そういえば強い衝動だけ、と言われたことがあっても感情自体が無いものだと、心が無いものだと思っていた。まさか、自分が暗示にかかっていたとは。

急な暗示の解除は理解が追い付かず狂うことがある。年月をかけて深雪によってゆっくりと暗示を外され、認識できるようにしてくれていたということか。

 

「今、深雪さんのことを考えていたでしょう」

「・・・・・・」

 

大当てられて無言を貫くと、これ見よがしにため息を吐いた。

 

「想定外だったわ。貴方がそこまで深雪さんにのめりこむなんて。唯一残された強い感情は兄妹愛のみだというのにね」

「・・・兄妹愛ですよ。これが兄妹愛でなければなんだというのです」

 

 

――

 

 

いつかの七草先輩に言えなかった言葉をぶつける。

すると叔母上は吹き出して笑った。

 

「あら、そうなの?だったら、この情報は貴方にとっていらない話なのかしら」

 

せっかく用意したのに無駄になるのかしらね、ともったいぶるところは悪い魔女そのもののようだった。

しかしこちらがだんまりを決めて口を閉ざしていると、肩を竦めて口を開いた。

 

「まったく、揶揄い甲斐が無いわねぇ。でも、貴方を驚かせたいから教えてあげるわ。

 

貴方と深雪さんの遺伝子がそこまで近くないことは達也さんもわかると思うのだけど、さらに深雪さんは四葉の技術の粋を結集した『完全調整体』なの。遺伝子工学技術だけでなく、精神干渉系魔法によって霊体の調整も万全。あの子は調整体の持つすべての欠陥を克服し、人間以上に人間として完成された四葉の最高傑作。

 

――故に、貴方と結婚し、子供を作ったとしても遺伝子異常なんて起こらない。あの子の遺伝子に異常をもたらす因子はない。――九島家の失敗作のようにはならない。

言ったでしょう?あの子は貴方の為だけに作られた女の子なの」

 

だから、兄妹愛だけしか抱くことができないなんて思わず、その先を望んでいいのよと魔女は嫣然と微笑んだ。

こちらは何もしゃべってはいないというのに、急激にのどがカラカラに渇いた気がしてコーヒーを口に含むが、美味かったはずのコーヒーの味も香りも感じられない。飲んだはずなのに喉も潤った気がしなかった。

 

「・・・深雪との婚約は、一時的なのではないのですか」

「あの子はそうしたいみたいだけれどね。それが幸せにつながると盲信しているのよ」

「しあわせ・・・」

 

深雪の幸せとは、なんだ?

昨夜からずっと答えが見つからない問題だった。

 

「あの子も盲目だけれど、達也さんはそろそろ見えてくるのではなくて?あの子が、何のために一生懸命なのか。今の貴方なら気付けるはずよ」

 

今の俺なら、とは。どういうことだろうか。

以前になくて今あるもの――?

 

「ああ、とっておきの情報をもう一つ、貴方にあげるわ。晩餐会で言ったあの勝成さんとの婚約話。アレを提案したのは深雪さんよ」

「・・・・・・は?」

「ふふ、貴方にそんな顔ができるだなんて、ね」

 

母として嬉しいわ、と笑う叔母の声が遠く聞こえた。

 

(あの、婚約を深雪が望んでいた、と?あんな、どう考えても幸せになれない婚約を?)

 

しかしそんな顔、とは。今の俺は一体どんな顔をしているのか。

とりあえず深雪には見せられない顔をしているのだけは分かった。

 

「どこで知られたかわからないけれど、私が貴方と深雪さんをくっつけようとしたことを察知したのでしょうね」

「・・・いきなり聞きたいことを増やさないでください」

 

頭がパンクしそうだ。

明日には、俺が当主の息子として発表されること、

同時に次期当主として発表される深雪と婚約すること、

兄妹であることは事実だというのに四葉の技術の結晶で深雪が完全調整体であり、

俺との間に子を成しても問題が無いよう調整されていること、

俺の為にだけ作られた妹であり完全調整体だから――結婚できるということ。

 

深雪は何も知らないはずだが、

自分が何者か気付いている可能性があり、

ずっと何かを目標に自らを磨いてきたこと、

その通過点が次期当主という立場であり、

婚約者に相手がいるとわかっている勝成を候補に選んだこと、

それが彼女の幸せにつながると盲信しているらしいこと、

そしてさらに追加されたのが、初めからこの叔母は俺と深雪をくっつける――結婚させるつもりだったこと。

 

(それを察知したからと言って何故勝成さんとの婚約につながる・・・?)

 

羅列してみても情報処理が追い付かない。

 

「目的は何です?叔母上が俺に、深雪と結婚させたい理由は一体何ですか」

「目的というか、きっかけは復讐よ。まず最初に願ったのはさっきも言ったようにこの理不尽で残酷な世界に報復してもらうこと。それが貴方に宿った力。その力で世界を滅ぼした時、私の復讐心は満たされる。もし滅ぼさなくても貴方が世界の悪意から深雪さんを守り通すことができたならば、私の復讐心は別の意味で満たされる。――人の運命を傲慢に踏みにじる世界が、一人の人間に屈服するということだから」

 

叔母上の言っていることは理解不能だが淡々と語っていることで、それがもうすでに熱が冷めた過去のものになっているとわかる。

しかし、気になるのは世界の悪意から深雪を守る、ということ。

その悪意とは四葉に生まれたことと俺の持つ世界を滅ぼす力によって向けられる悪意ということなのだろうか。

語る目が遠くを見つめていたことから、何かを投影しているようであったが、もしかしたら過去の自分を思い描いているのか。

しかし、ふう、とため息を漏らすと先ほどまで人をからかうのが生きがいのような魔女の顔をしていたのに、今度は少女のように目を輝かせて笑う。まるで別人のような顔だった。

 

「今はね、純粋に応援しているのよ。復讐心はなくなったわけじゃない。今でもこの胸にくすぶり続ける。こんな世界滅んでしまえってね。だけど――ファンになってしまったの」

 

頬に手を当てうっとりとその人物を思い浮かべているのか夢うつつの表情で。

 

「一途で一生懸命に努力するその姿に興味を引かれたわ。この子は一体何をそんなに必死になっているのかしら、と。私と対峙する時はいつも姉さんから教わった淑女然としているのに、姉さんや貴方といる時の表情はいつも楽しそうで輝いていた。不幸な生まれをし、絶望の中で生きるはずの彼女が、ずっと幸せそうに笑っているのよ。不思議で仕方がなかった。次から次へと新しいことに手を延ばしてはすべてを吸収して、次のステップに邁進する姿はこんな私でも憧れたわ。中学生の子供相手にね。

同時に、この子は何でこんなに生き急いでいるのかと気になった。だから聞いたの。どうしてそんなに必死になっているのかって。そうしたら、幸せになりたいのです、って微笑まれたわ。あれだけいつも幸せそうに笑っている少女が、まだ幸せになりたいのだと思ったら今度は憎たらしくなった。愛情の裏返しは憎しみなんて陳腐な言葉だと思ったけれど本当にその通りだと思ったわ。憎たらしくなって意地悪をして。なのにそれを糧にして成長しちゃうんだもの。本当憎たらしいったら」

 

憎いと言いながら笑う。

理解しがたい心理状況だが黙って聞く。

誰の話をしているのかは瞭然だったから。

黙って耳を傾けることに徹した。

 

「人は醜いわ。憎いと思うと粗を探したくなる。恋をする時と一緒でこの人は何を考えているのかしらとすべてを調べたくなる。この子の幸せを壊すには目的を知らなければ、なんて。――睨まないで頂戴。壊すことは初めから考えてはいないわ。ただそれを盾に利用できるかもとは思ったくらいなものよ。

でも、できなかった。

彼女の目的が、まさか自分を犠牲にしてまで叶えたいものだと知ってしまったから。姉さんとおんなじ。

愚かな子よ。本当に。愛おしくなるくらい間抜けで、まっすぐな子。本物の箱入りのように何も知らないわけでもないのに、どうしてこんなにひねくれずにまっすぐ立っていられるのか不思議で仕方が無いくらい。

目的がずっとぶれずにあって、達成するためにわき目も振らずにここまで突き進んできたのよ、あの子は。

あそこまで突き抜けられてしまうと応援したくなってしまうんだわ」

「・・・随分抽象的ですね」

「回りくどい、と言ったらどう?」

 

わざとしていたのかと視線を強めるとふ、と笑われて瞬間的にいらっとした。

感情の発露とはこんなに簡単なことだっただろうか。

 

「こちらとしても想定外だった。貴方を四葉の外に出さないための深雪さんだったのに、達也さんを外に逃がそうと必死なんだもの。深雪さんが四葉に残るなら達也さんだって残るのが目に見えてわかるのにね。あの子ったらそれがわからないのよ。だから間抜けだと思うのだけど・・・

――あら、どうしてわかるのかって顔かしら。だとしたら母親をあまり馬鹿にしないで頂戴。貴方が深雪を手放せないほど愛していることくらいわかるわ」

 

・・・俺がそれを自覚したのはつい先ほど、食堂での衝撃の告白時だったのだが。

何時、どこで、どのような場面を見てそう思ったのか気にはなったがそんなことを訊ねようものなら嬉々として弄ばれるのが予測できたので口を閉ざす。

 

「私もね、今では愛する息子の恋を応援してあげたいと思っているのよ。深雪さんが娘になってくれるのを楽しみにしているの。だけどこのままだと、深雪さんに逃げられちゃいそうだから心配になって」

 

逃げる?深雪が。何から逃げるというのか。

さっきも俺を四葉から逃がそうとしていたという話だったが。

 

「貴方に誰かを宛がうつもりだってこと」

「・・・それは、どういう・・・」

 

俺に、誰かを宛がう意味が理解できない。

というより話の流れが飛んで理解が追い付かない。

 

「深雪さんの次に考えそうなことを想像しなさい。ここを出る前に何と言っていたか。あの子はこの婚約を一時的のものだとして他の婚約者選定をしようとするわ。――自分のではなく、貴方のを、ね」

「俺の?」

 

なぜ、深雪がそんなことを?

 

「だって、達也さんは四葉の直系として公表されれば今までアプローチの無かったところから声がかかるでしょう。もちろん深雪さんにも来るでしょうけれど」

「婚約発表も同時に公表されるというのに?」

「深雪さんが言っていた血の濃さを理由に邪魔をしてくる家もあるでしょうから」

 

・・・邪魔、か。

柵ばかりの十師族。特に秘密主義の四葉だからこそその槍玉に上げられるのだろう。

それを深雪はあの話を聞いた時点でその先の想定ができていたということか。

気づけないでいたことが情けない上に、俺の婚約相手の選定まで考えていると思うと苦いものが口いっぱいに広がるような不快感を覚えた。

 

「達也」

「チャンスは恐らく今しかないわよ」

「深雪さんがまだどう動こうか迷っている今なら、付け入る隙がある」

 

童話では、魔女のささやきに耳を傾けるなと忠告を受けるも皆引っかかるのは、その言葉が魅力的過ぎるからか。罠だとわかっていても信じたくなる。

しかも、今回の場合、魔女との目的が一致している。

 

「愛する息子には愛のある結婚をしてもらいたいのよ。そのお相手が深雪さんなら文句が無いどころか最高の結果をもたらすわ」

 

初めから仕組まれていたと告白された時は不快だと思ったはずなのに、その後すぐにその計画に感謝することになり釈然としないものを感じるが、利用しない手はないわけで。

 

「覚悟は決まった様ね。あ、そうそう。達也さんにとっておきのプレゼントを用意したの」

「プレゼント、ですか」

「ええ。後で部屋に届くはずよ。ちゃんとリボンを付けたからすぐにわかるはずだわ。ちゃあんと受け取ってね?」

 

その笑みに嫌な予感がしたが、もうすでに届くように手配されているのだろうから反論は無意味。

詮索したところで言わないだろう。

届いてからのお楽しみだと言外に言われていることくらいは分かった。

だが、その楽しみは俺の為ではなく彼女自身の楽しみであることも予想がついた。

 

「初めての息子への贈り物ですもの。きっと、気に入ってもらえるわ」

 

うふふ、と笑って紅茶を飲んだことから、もうこの話はこれで終わりのようだった。

すでに時刻は十時を回っていた。

深雪がここを出てから結構時間が経っていたようだ。

・・・もしかしたらあのだらだらと話していたのはこの時間を稼ぐ意味合いがあったということか?

 

(深雪の場所はずっと変わっていない)

 

だからこそ、俺には位置情報しか視ることはできないのだが。

風呂にしては長すぎるように思うが、明日の為に、ということは入浴後にホームエステでも受けているのかもしれない。

四葉が深雪を害することはしない。

特に次期当主と決まった今、分家の邪魔も深雪自身に向けられる確率は初めから低く、本邸で何かを仕掛けられることは真っ向から四葉への反逆となる。

叔母上から案内もつけずに戻れるか、と訊ねられたのは、この部屋には葉山さん以外の使用人すら寄せ付けるつもりが無いということなのだろう。別段目隠しをしてここに連れてこられたわけでもない。道順は頭に入っていたので問題なかった。

 

 

――

 

 

風呂への案内は人を向けると言われていたので、部屋に戻って準備をしていれば終わるタイミングで人の気配が扉の向こうに。

いつもとの待遇の違いに違和感はあるが、案内に従い入浴し、誰にも会わずに部屋に戻る。

部屋に誰かが入った形跡はあるものの、深雪はまだ戻ってきてはいないようだった。

そのことに少しばかり安堵した。

考える時間が圧倒的に足りないこの状況に普段は感じることのない焦燥感に捕われて思考がうまくまとまらない。

というより、この先のプランも立っていない。

これからまず兄妹ではないという言葉を真に受けただろう深雪に、説明をしなければならない。

俺たちが血のつながった兄妹であること。

ただ、深雪が、調整体であることも。

――そして、明日から婚約者となる俺たち兄妹に実質結婚できない理由が無いことも。

 

(無い、わけではない。ただ、兄妹を理由に結婚ができないという柵だけが取り払われていることを伝える)

 

彼女はそれをどう思うだろうか。

あれだけ光宜のことで怒りを覚えていた彼女のことだ。兄妹での結婚なんて抵抗や嫌悪があるかもしれない。

いくら調整体だからと兄妹であっても子供を作れる、なんて非常識だ。深雪にそんなことが受け入れられるかもわからない。

そもそも――

 

(俺が深雪に対し恋愛感情を抱いていることを受け入れられるか・・・?)

 

兄妹仲は非常に良好で、周囲からも異常だと言われるほどに仲が良かった。

深雪は触れられることを嫌がることはなく、時折恥ずかしがってはいるものの、避けることもなければ触れないでと言われることもなかった。

抱きしめてもキスをしても拒絶されることはなく、真っ赤になりながらも許してくれた。

時にやりすぎて意識を失ってしまうこともあったか。

・・・今思えばあの時からすでに自分の理性が働いていなかったのだろうな。

妹を失神するほど愛でるなど、兄としてあり得ないだろう。

 

(だが、兄でなければなんだったら有り得るか――理性を失ったケダモノの所業なのでは・・・?)

 

恋人でもない異性を欲望の赴くままに追い詰めるなんて。

 

(・・・よくこれで深雪に今まで避けられなかったな)

 

深雪は兄に寛容すぎではないのか?

エリカがもし自分の妹だった場合を想像してみた。――すぐに斬りかかられた。そして睨まれ、触るな!と警戒される。

いくら慕っていても年頃の妹の反応は似たようなものになるのではないだろうか。確か一条も妹に毛嫌いされているんだったか。それが普通とも言っていたな。

 

(・・・もしかして俺の為に作られたというからには、遺伝子操作で――いや、感情までは操れないはずだ)

 

唯一を慕うように作られたのでは?なんて、さすがにあり得ない。

だが、深雪の献身はただの兄に向けられるものとは思えなかった。

何時だって深雪は、俺の為に尽くしてくれていた。自分がそうしたいから、と笑ってくれた。

深雪には、ちゃんと自分の意思がある。それは間違いない。

だが、そうなるとますますわからなくなる。

 

(深雪の幸せはどこにある?叔母は言っていた。自分を犠牲にして叶えようとしている、と。それはどう考えても自分の幸せを思っての行動ではない。――深雪は誰かの幸せを願っている)

 

ずしっ、と加重魔法がかけられたように体と心が重くなった。

深雪が、誰かの幸せを願っていると思うだけでその誰かに右手を向けそうになる。

酷く、醜い嫉妬だった。

 

(いったい誰だ?深雪の心をずっと奪っているのは)

 

母かとも思ったが、故人を喜ばせたいと思うことはおかしくないが、だからと言ってあそこまで自身を追いこむように鍛え続けるだろうか。

魔法も知識も体術も美貌も。

彼女が手を抜いているところを見たことが無い。

それらの努力がたった一人の為だけに向けられているというのかと思うと、また嫉妬の炎が燃え上がるが、周囲に深雪が尽くしている相手が浮かんでは消えていく。

四葉の為なんてことはあり得ない。一瞬勝成さんがよぎったが、離婚をしてもいいと考えていたりすることから違うように思う。では文弥はどうだ?候補に名は上がるだろう。彼の為に重責になるだろう当主の座を掴み取った可能性はあるが――文弥を可愛いと思っているようだがそれ以上の感情は見えなかったが・・・。

高校のメンバーではないはずだ。彼女は中学の時にその目標を決めているはずなのだから。その時に知りあっている人物で幸せを願う――儚く散っていった桜井さんの為に自身が幸せになるんだ、と努力する可能性もあるのか・・・?

 

(いや、それなら母の横に写真を飾っていてもおかしくない)

 

大切なのは間違いないが、母同様違う気がする。

となると――

 

(以前の俺なら気付けないが、今の俺なら気付ける相手――?)

 

深雪がいつも一生懸命になる相手なんて――そんな相手を俺が見逃すだろうか。

何か重大なことを見落としている。そんな気がするのだが――頭がうまく働かない。

何時までも扉の前で突っ立って何をしていたのか。せめて座って考えようと座卓に向かったのだが、そこで視界に入ったのは一組の布団。部屋を出る時までにはなかったのだから、使用人が用意したのだろうことはわかっているが――明らかに一人用ではない布団一組に枕が二つ並べられている。

これが意図することなど一つしか思い至らない。

それは想像力が貧相なのではない。この布団がそういった用途のものだからだ。

叔母上――真夜の最後の笑みが思い出される。あの顔はこれを用意していたからか。

使用人が勝手に敷くわけがない。これはあの人が全部用意させたのだ――!

冷静に見られるわけもなかった。

そこに横たわる姿を夢想してしまうくらいに。

それがいけなかった。

思考がそちらに奪われていたことによって背後に近づく気配に気づかなかった。

振り返らずともわかる、深雪だ。

こんなに接近していたのに気づかなかったなんて、とんでもない失態だ。

しかも、こんな現場を見られるなんて。

俺が何を見ていたかなんて、もう少し覗けば見えてしまう。

そして深雪は今も俺の方に近づく足を止めていない。

 

「俺が来たときにはすでにこうだった――」

 

何か弁明を、と口を開いて振り向いたのだが、最後まで言い切ることはできなかった。

美を極めると人は発光するらしい。あまりの眩さに目を逸らさないと、と思うのに視界から外すことを拒否している。

いや、実際に人間が発光することはないのだから外す必要性は全くもってないのだが、自分が見ているモノが信じられなかった。

深雪であることは間違いない。だが、――身に着けているのは肌が透けて見えているのではないかと言うほど薄い単衣だけ。華美なドレスでも着物でもない。

だからこそこの輝きは深雪自身のものから発せられているのだということだ。

 

(ああ・・・こういうことなのか)

 

深雪がよく許容量を超えて呼吸を止めることがあり不思議に思っていたが、これは確かに呼吸が止まるほどの事案だ。

精神干渉を受けているのかと言うほど、思考は鈍り、体も動かない。俺は深雪に魔法をかけられているのだろうかと疑いたくなるが、魔法の痕跡は視られないのでそれはない。ただ純粋に深雪そのものに魅了されたのだ。

深雪が目の前で動いているのにそれを視線で追うことはできても、それ以外に何も考えられない。

ただ、動いたことでかすかに香る香りがいつもの深雪と違うことだけは分かった。

思考力とはここまで低下するのか。

見惚れるというのは恐ろしいな。思考も視線も呼吸さえも奪われてしまうのだから。

だが嗅覚が働いたたことで意識が少しずつ戻ってきた。

とりあえず必要なのは酸素だ。深呼吸をして体の自由を取り戻す。

 

「お兄様・・・」

「すまない。あまりの美しさに魅入ってしまった。随分と磨き上げられたようだね。いつものままでも十分美しいが、まだその上があったなんて、驚いた」

「・・・・・・ありがとうございます」

 

深雪の輝きが治まったわけではないが、目が少しずつ慣れてきたとでも言うのだろうか。それでもとんでもなく美しいのだが、羽織っている白い衣が霞むほどの輝く肌は、血行が良くなっているのか薄い桃色に染まっていてみずみずしさもある。しかしながら、冬の夜にはどう見ても寒そうな恰好だ。薄い生地は体のラインを隠す気もないのか曲線をなぞるだけであって艶めかしさが際立ち刺激が強い。今すぐに何か上にかけてあげたいのだが、上気した頬と、ほう、と漏れる吐息から寒いどころか少し熱を帯びた気だるげな様子に、相当マッサージで体を温められてきたのだろうことが分かった。

だが、潤んだ瞳と少し体を内側に丸めるような姿はあまり直視してはいけないという気持ちにさせられる。

それに、深雪がそわそわと目を泳がせ出したことから俺の背後の布団に気付いたようだった。

そっと襖を閉じる。

意識していると思われようとも、深雪が落ち着けないのであれば閉じた方が良いだろう。

話すことがたくさんある。とりあえず座るように促せば視界からあの布団が消えたことでほっと安心したようで言われるまま座布団の上に腰を下ろした。

本日二度目のしぐさだが、今度は視線をずらして焦点を当てないようにした。

ただでさえ普通のワンピースであれほど艶めかしく座った深雪だ。あの時でさえ直視できなかったというのに、今の恰好でされて凝視しないでいる自信が無かった。

フォーカスを当てなくても十分に美しい所作なのだが纏う色香が心を惑わす。

順番も無視して好きだと叫んで押し倒してしまいそうなのを理性の鎖で縛り付け、呼吸を整えた。

しかし、どう口にしたものか。話すことが多すぎた。それも、ただの説明ではない。自分たちの関係性を揺るがす内容を、だ。

深雪の心境はどうなのだろう。

叔母上から兄妹ではないと聞かされ、兄だと思っていた人間と婚約者にさせられ――拒絶、の様子は見られないが落ち着きが無いようには見える。動揺していることを隠そうと取り繕おうとしているような、そんな気配がした。

それが可哀想に思えて、まずは安堵させるべきだ、と口にする言葉を決めた。

 

「結論から言う。俺たちは間違いなく兄妹だ」

 

ゆるぎない事実。

俺たちの関係を繋ぐ大事な要素。

深雪のことを女性として愛しているのだと自覚していても、兄妹である繋がりを厭うことなどない。むしろ血の繋がりは俺にとってこれ以上ない強固な繋がりと言えた。

ただの恋人、婚約者などという、絶たれれば繋がらない関係ではなく、一生縛り付けるものだから。縁を切ろうが家族を作ろうが決して揺るがない関係。

この発言に、深雪は肩を上下させ胸を撫でおろして安堵の表情を浮かべた。

彼女もまた兄妹であることに安心するのだと思うと嬉しく思う。ただ、そうなると不安なのは――深雪が婚約者という関係を、将来は結婚するのだと受け入れられるか、である。

 

「ただ、叔母上には俺たちを婚約させることができる根拠をお持ちだった。深雪、心して聞きなさい」

 

深雪の反応が怖い、と感じるのは初めてだ。

俺が、深雪に恐怖する時が来るなんて。――拒絶されることを恐れるなんて。

昔はそれが当たり前だったのに。嫌がられても大事な妹を守れるなら、そう思っていたのに。

俺の心は成長と共に弱くなる。

 

「お願いします」

 

逆に深雪はどんどん強くなる。

置いていかれないよう必死に取り繕う自分が滑稽だが、それでも縋り付きたくなる理由がある。

 

(俺は深雪が――欲しい)

 

だから、どんな卑怯な手を使っても、見っとも無く足掻いてでも――

 

 

――

 

 

「お前は、調整体、らしい」

 

俺の為だけに作られた、女の子、とは流石に言えなかったが、遺伝子操作により素は同じであろうとも遺伝子がかけ離れているため兄妹で子を成しても問題が無いのだという叔母の言葉を伝えた。

それを彼女は一体どう受け止めるのか。つぶさに観察する。

見る、観る、視る――。

表立った乱れは視られない。呼吸も、瞳孔も、発汗も、体温の上下も何の変化もない。

ただ、静かに口を開いた。

 

「私は、お役目を果たせますでしょうか」

 

お役目――お役目?

問われた言葉が予想外すぎて頭を巡らせるが、深雪の言うお役目とは何だろうか。

俺を生かすために作られ、結婚をするように望まれるからには、・・・子供を作る、子孫を残すこと、か?

だが叔母上の様子からは四葉の存続を願うようには見えなかった。世界の破滅を望まれていたからな。その発想はあまりに俺に都合が良すぎるか。

もしそうだとしても、深雪がこんなにあっさり恥ずかし気もなく言葉にできるとも思えない。

・・・やはり深雪は俺の知らない何かを知っているのだろうか。

 

「お兄様・・・?」

 

しまったな。顔に出したつもりはないが、深雪は聡い。

ここは観念して素直に言葉にした方が良いだろう。

 

「・・・深雪、お前はどこまで知っている?」

「!!」

 

調整体と告げた時よりも、こちらの方に反応を見せた。びくり、と小さく肩が揺れる。

だが、隠し事をしているというより、何かを間違えた、というような後悔?のようなものが感じられた。

視線をさまよわせた後、おずおずと口を開く。

 

「調整体、と言うからには何か目的があって造られた、ということでしょう。それでしたら私にはお役目があるはずです」

 

調整体を造るからには目的が存在する。

それは護りを中心にアプローチした魔法師を造り出すためか。

サポートをメインに造られるか、最強の魔法師を造ろうとするか。

たった一人を生かすためだけに、造られるか。

・・・深雪の頭の回転の良さ、勘の良さには驚かされるばかりだ。

それをそのまま口にすると、深雪は苦笑を浮かべて。

 

「では訊ね方を変えましょう。私の寿命は短いでしょうか」

 

その言葉に、俺は言葉どころか配慮も足らなかったのだと気づかされた。

そうだ、まだ説明が途中であった。深雪が、調整体だと言っても一般的な調整体とは違い、常識を覆す完全調整体である、という肝心要を話していなかったのだ。

 

「それは無い、そうだ。お前は四葉が粋を結集させて造った完全調整体で、俺より先に死ぬことはないらしい」

 

調整体の寿命は短い。二代、三代と続けばまた変わってくる可能性があるが、深雪は一代目。だが、ただの調整体ではなく、どのようにやったのか霊体にまで手をかけて完璧に造られた存在らしい。

俺のストッパーを兼ねているというのなら、同じかそれ以上でなければ成立しない。先に儚くなるということになれば完璧とは言えないだろう。

 

「それは、よろしゅうございました。お兄様とこの先も生きられるのですね」

 

心底安堵した、と言わんばかりの気の緩んだ笑みを浮かべられ、嬉しさ半分複雑な気持ちを抱いた。

深雪の言う、俺とこの先、というのは兄妹として、ということなのだろう。彼女にとって俺との婚約は一時的なものであり、叔母上曰く、これから俺の結婚相手の選定をするつもりだというのだから。

 

(何故、そんなことをしようというのか)

 

深雪から聞いたわけはない。だが、叔母上の言葉を聞いて思い当たる節が無いとは言えなかった。

深雪は、俺の傍に特定の女子がいる時、目を輝かせていることがあった。そのたびによくわからない複雑な感情を抱いていたものだが、自覚した今ならそれがなんだか分かった。

俺は、深雪に嫉妬して欲しかったのだ。面白くないと、そう思って欲しかった。そして俺はお前のものだと伝えたかった。

俺を、自分のモノとして必要として欲しかった。

自分のを後回しにしてこちらの婚約者を選定するということは、

 

(深雪の幸せに、俺は必要ないということなのだろうか)

 

ずき、と胸が痛んだ。

思うだけでこの威力。深雪に直接言われたりしたら、俺は死んでしまうのかもしれない。

だが、そうだ。深雪は言っていたではないか。

共に幸せになりましょう、と。

恐らく深雪にとって俺が誰かと結婚することは幸せなのだ。それは厄介払いとか、別の家族を築くから距離が取れる、というわけではないはずだ。

 

(まず悪い方から打ち消していこうとする癖は何とかした方が良いかもしれないな。想像だけでダメージがすごい・・・)

 

深雪から距離を取られると離れたいと思われているのではと考えるだけで心に痛みが走る。

だが、だとしたら先ほどの共に生きられるという言葉が成り立たない。

彼女は共に歩めるのだと喜んでいた。

 

――あの子が、何のために一生懸命なのか。

 

叔母上の言葉が甦る。

自分の幸せを犠牲にしてまで叶えたい願いがあり、たった一人の幸せのために一生懸命に努力している。

 

(その相手がもし、自分であったならどれほど幸福なことだろうか――だが、婚約者を選定される時点で、深雪の幸福には・・・ん?)

 

「・・・お兄様?何か問題でも?」

「問題、ではないんだが・・・」

 

今、何かが引っかかった。

だが、それが何だったか今の思考を羅列しても導き出せない。

 

「もしや、婚約のことでしょうか」

 

そうだ、婚約。そのことを考えて引っかかったはずだ。

 

「・・・深雪は、どう思う?」

 

深雪は、何故、自分の婚約を蔑ろにしてまで、俺の婚約者を選定するんだ?・・・いや、まだそうとは決まったわけではないが。

婚約について一体何を考えている。

 

「そうですね。以前にも申しました通り、私個人としてまだ結婚について考える余裕がありません。いずれ四葉のために誰かが宛がわれる時が来るのだろうとは思っておりましたが、お兄様と婚約せよ、ということはまだ精査中なのでは、と愚考します」

「あの時も言っていたね。俺との婚約が一時的だと。なぜだ?」

「なぜって・・・。あまりに周囲に混乱を招くからです。私たちは魔法界でもそれなりに目立った存在になっています。九校戦での活躍は魔法師のほとんどが知る所でしょうし。青田買いを狙う企業や軍などもお兄様は目をつけられておりました。私たち兄妹は黒羽姉弟ほどではないかもしれませんが、調べればすぐにわかるはずです。その兄妹が実はいとこ同士であり、いきなり婚約すると発表をすればセンセーショナルな話題となるでしょう。更にこれが他の十師族であれば避けられたでしょうが疑惑疑念の多い四葉です。疑われること山のごとし、でしょうから。きっと横やりが入ることでしょう」

「横やり・・・婚約に口を挟むか」

「師族会議も近いことですから、何かしらアクションはあるでしょう。七草が動く可能性も大いに考えられますね」

 

叔母上との話でも出ていたな。

可能性があるなら一条と十文字、それから何かと突っかかってくる七草、か。

 

「・・・叔母上にちょっかいを掛ける良いきっかけだな」

 

七草は、本当に余計なことばかりをする。

先輩たちに策略等の意図がなかろうとも、俺にとっては鬼門だ。災厄を運んでくる。叔母上が撒く餌に簡単に飛びつく余裕があるのなら地盤を固めたらどうだ?計画が穴だらけだから手駒を失ったんだろうに。

しかし、深雪個人が結婚について考える余裕が無い――時間稼ぎだと考える理由はなんだ?先ほど兄妹であろうとも結婚ができる理由を述べたのに。

 

「俺との結婚は世間には受け入れがたい、か」

「だからこその一時的な策かと」

 

叔母上が言っていたな。

世界の害意から深雪を守る、とは深雪と俺の結婚は世間が許さないということなのだろうか。それが復讐心を満足させるというのは理解しがたいが。

深雪もそれをわかっているから、幸せになれないと思っている・・・?

 

(・・・仮定として、深雪は自分の幸せを考えていない。なら、この場合幸せになれないのは誰だ?)

 

「お兄様、申し訳ございません」

 

唐突に、深雪が頭を下げた。

さらりと流れる髪は、絹のような光沢が見えて触れたくなる。

きっとひんやりとしていてとても肌触りの良い心地がすることだろう。

顔を上げて髪を耳にかけるが、黒を背景にしたその可愛らしいピンク色の花びらのような耳に口づけたくてたまらない。

――自覚とは恐ろしい。どんどんと欲が溢れ、以前は形を成さなかった望みがはっきりと見えてくる。

 

「何がだ」

 

それを押し隠して平然としていられるのは、兄としての矜持か、ガーディアンとしての立場か。

とにかく聡い深雪にばれていないことが救いだ。というより、深雪にとって予想外だから考えもしないのだろう。

兄なのだ。

同じ両親から生まれた兄妹なのだ。

いくら四葉の非常識で子が作れるとなっても、本来であれば好きになるのも許されない。

俺たちは血を分けた兄妹なのだから。

俺は、そんな好きになってはいけない人を好きになってしまっていた。

結婚ができるなんて知らなかった時からずっと――自分だけのものにしたかった。自覚なく、愛してしまっていたのだ。取り返しのつかないほどに。

 

「お兄様にそのような役目が回されるなど、私の力不足です」

 

申し訳なさそうに頭を下げるが、深雪の力不足なんかではない。

初めから、それこそ生まれる前から仕組まれていたのだ。

そうであるように、と。でなければ、わざわざ結婚しても問題ないようになんて作る必要はなかったのだ。ただ、長く一緒に生きられる、それだけでよかったのに。

だが、やはりそうだ。

深雪は、自身の婚約者候補に俺以外を選ぼうとしていた。・・・まあ、当然と言えば当然か。深雪にとって俺は兄妹なのだから。

それが、非常に面白くない。

役目だと、そんな風に言われるのも。

――俺は、自分の意思で、お前の婚約者となりたい。

お前が俺のものであると、世に知らしめたい。

 

「俺は構わない」

 

この現状に不満などない。お前とこのまま結婚ができるというのなら、将来を約束できているというのなら。

一時的なんて無理だ。破棄などするものか。どんな手を使ってでも――そこまで考えて自嘲しそうになるのを堪えた。

 

(・・・俺は、ひどい兄貴だ。お前が望んでいないのに、お前を幸せにしてやりたいと言いながら意見を無視して婚約者であろうとしている)

 

自覚はしても伸ばす手を引っ込められない。手にできるというのなら、そのチャンスを手放してやれない。

俺は、俺の望みの為に――俺の、望み。

 

(俺の望みは深雪の幸せだったはずなのに、なんて浅ましいのだろうな。いつの間にか自分の幸せばかりを望むようになっていたのか)

 

深雪はずっと誰かの幸せのために生きていると聞いた時、自分と同じ想いを誰かに、なんて思っていたのに。

――深雪の幸せとはなんだ?

昨夜抱いたこの疑問。

あの時は何故その疑問に辿り着いたんだったか。

そうだ。自由に羽ばたいて良いと、俺と別れることを示唆するような言葉を聞いたからだ。

深雪が、俺の絶対的味方だと宣言をして、不安を覚えて。

そもそも深雪は、何故あの夜俺の部屋にやってきた?

分家の思惑を確認するためで、俺を心配してだった。

 

(そう、――俺の為・・・)

 

急に押し掛けたことを謝る深雪に、俺は言ったはずだ。俺の為だろう、と。言葉では否定されたが、俺は確信していた

深雪はいつだって俺を心配し、俺を喜ばせてくれた。いつだって幸せを分けてくれた。

 

どくん、と心臓が音を立てた。

 

俺の為に。

 

(違う)

 

深雪は、俺が深雪を好きなことを知らない。

 

(ありえない)

 

俺を四葉から解き放とうとしている。

 

(そんな、都合の良いこと)

 

自分と婚約、結婚をしたら、逃げることができなくなる。

 

(やめろ!考えるな!!)

 

全部、俺の幸せのために、深雪は――

 

「深雪。叔母上が言っていた、お前の叶えたい望みとは何だ」

 

深雪が息をのむ。

 

「そ、れは・・・以前お兄様にも申しましたでしょう。幸せになることです」

「お前はどうしたら幸せになる?」

 

視線が揺らいだのは一瞬。すぐに仮面の下に隠される。

隠さなければならないということ。

 

「私の望む世界が迎えられること、でしょうか」

「深雪の望む世界はどんな世界だ」

「・・・誰もが、笑っていられる世界、です」

 

随分と、大きく出たものだ。

そうだな。俺が幸せにならない――深雪と共に生きられなくなれば、俺は世界を壊してしまうかもしれない。

そういった意味では世界を守っていることになる。

 

 

 

「――なら何故、その”誰も”に深雪が含まれていない」

 

 

 

「え・・・?」

 

 

 

不自然に、深雪の表情が止まった。

 

「ずっと、疑問だった。幸せになるためにと勉強も魔法も頑張っていたのを俺は見てきた。傷つきながらもよくここまで磨いてきたと感心する。誇らしいと思う。時には努力するお前があまりに眩しすぎて直視が敵わないと思ったほどだ。

その努力が実り、人を笑顔にさせてきたのをたくさん見た。俺や母さんのみならず、お前の周りはいつも笑顔で溢れ、お前自身も嬉しそうで、これが幸せなんだと、そう思っていた。

だが、いつも幸せだと言いながら、今のお前を見ているとどうにもお前の幸せが二の次にされている」

 

畳みかけるように言うと、深雪は呆然としてそんなことは、と否定をしようとするが、もう止まれなかった。

 

「ではなぜ本来幸せの象徴である結婚が、お前の中で描かれていない?確かにうちの両親を見ていれば結婚が幸せには思えないだろう。あんな親父であれば夢を抱けなくても仕方がないのかもしれない。だが、それにしてもお前は自分の結婚ではなく四葉の為になる結婚にしか興味が無いように思う」

 

沈黙は、肯定を示していた。

深雪は、自分の結婚など二の次だった。つまり、婚約が一時的だと言っているのは――俺の為。

 

「お前の望みは何だ」

「お兄様、私は」

「“誰の”幸せを願っている」

「!!それはもちろん、私、です」

「嘘ではないな。それはわかっている。深雪は俺に嘘が吐けない」

 

深雪は俺に嘘が吐けない。いつだって、――誤解を招いたり隠し事はすることはあるけれど、嘘だけは吐かない。

記憶をひっくり返してみても、無かった。

それはきっと俺に言った、絶対的に味方だということをずっと守ってきたから。

 

「深雪の思い描く幸せの中には俺がいる、そうだな」

 

いつかの言葉を突き付ければ、深雪は怯えたような瞳になり小さく首を振る。

 

「・・・お兄様、もう、それ以上はどうか」

 

(ああ、なんてことだ)

 

こんなことが、あっていいのだろうか。

こんな、俺に都合の良いことが、あるというのか。

だが、もうそうとしか思えない。深雪の一つ一つの反応がそれを示している。

 

「一つ、訂正させてくれ」

「え?」

「さっき俺は構わない、と言った」

「・・・はい、おっしゃいました。この婚約について構わない、と」

「実際は大いに構う」

 

気が逸りすぎて言葉がうまく伝わらなかった。

小首をかしげる深雪が可愛い。

 

(おかしいな。少し前まで絶望を抱くほど沈んでいたはずなのに、たった一つの真実を見つけるだけで心に余裕が生まれるのか)

 

もう我慢する気はなかった。

口元に自嘲の笑みを浮かべる。

 

「俺は情けない男だ。確証を得られないと動くこともできない」

「・・・それは、慎重で良いことなのではないでしょうか」

 

深雪はいつだって俺の良い所を探そうとしてくれるな。そんな健気なところも好きだ。

自身が困っていたのに、心配そうにこちらをのぞき込んでくれる、優しい深雪が好きだ。

今まで何度も伝えてきたつもりでも、これから伝えるのは意味が変わってくる。

ただの兄妹として伝えていた好意では、恋になるはずがない。

 

 

――

 

 

「今までの話を聞いてよく分かった。――俺はまだスタートラインにも立っていなかったのだと気付かされた」

 

昨日まで俺たちは普通の兄妹として暮らしてきた。

 

「当たり前だな。お前には兄である俺が、なんて思うはずも無かった」

 

ずっとこれからも兄妹として一緒に生きていくのだと、思っていた。

 

「俺自身、まだ信じられてもいないのだから無理もない」

 

まさかこんな、恋を自覚して絶望するのではなく、希望が見えることがあるなんて。

 

「深雪」

 

俺の最愛の名を呼ぶ。

名前を呼ぶだけで愛しい、との思いが溢れるようだ。

だが、思うだけでは伝わらない。

言葉にしなくては、思いは届かないから。

 

 

 

 

「愛している。妹としてももちろんだが、一人の女性として、お前のことを――愛しているんだ」

 

 

 

 

唐突な告白は深雪に届いたようだったが、いくら優秀な深雪であっても理解するには時間がかかるようだった。

それはそうだ。

こんなこと、簡単に受け止めきれるわけがない。

だけど、この想いを止めることはもうできない。

唯一のブレーキであった深雪の幸せが、俺に向けられていると気付いたら、もう止まれるわけもなかった。

 

「気づいたのは叔母上と話している時だった。と言うよりアレは気付かされたのだろうな。焚きつけられたとでも言うのか。だが、叔母上に言われたからじゃない。俺はずっと前からお前を愛していたんだ」

 

具体的にいつからか、なんてわからない。だが独占欲だけは一丁前に中学に上がる前にはあったと思う。

深雪は俺にとって唯一の光だったから。こんな綺麗な女の子が、俺の妹であると、それが俺を支えていた。

だからずっと遠くで見守るだけでも良いと言いながらも、繋がりを持っていることが誇らしくもあった。

苦しくても孤独であっても耐えられた。

深雪がいてくれたから。

 

「兄妹愛だと思っていた。それしか残されていない俺にとって唯一愛することができるのがお前だったから。血の繋がった妹だから大事で、これからも一生繋がったままでいられるから愛しているのだと」

 

残されていないと思い込んでいた。

俺には多少なりとも感情があって、暗示によって抑え込まれていただけ。

激しい感情が抱けないだけで好意を寄せることもできたはずなのに、軽い暗示だけで必要性を感じなくなっていた。恐らく、俺としても楽だったのだろう。何も抱けないのなら割り切ればいい。持たなければいい。その方が楽だ、と。

だが、深雪に感情を解放されてきて改めて気づいたのは、いらないと思っていたものが、あきらめていたものだったということ。

期待して裏切られることが恐ろしかったのだ。奪われてきた人生だったから、今さら何に期待できるというのか、と初めから持たないことを選んだ気でいたが、それは選んだのではない。あきらめていたのだ。

どうせ、俺には何も残らないのだと。

高校生活を送り始める頃には、根気よく感情の育成・解放をしてくれた深雪によって表面上だけでない付き合いができるようになっていた。

特に個性ある仲間たちとの付き合いは、今まで以上に興味深い連中であったこともあって親しみを覚え、気が許せる間柄にもなった。

事件が増え、巻き込まれるようになった時、信頼できる人たちに頼ることができるようになっていた。ただの利用、とは違う。この人たちならやってくれるだろう、と期待できるようになっていた。特に大隊の方たちには協定範囲内とはいえ、よく俺の我儘に付き合ってくれたものだ。持ちつ持たれつというにはその後の処理が大変だっただろうに。

友愛と信頼関係。

これがもし、暗示が無い状態で構築できていたと前提した上で――それでも思う。

他に感情が向けられたとしても、お前以上に好きになれる人間などいるわけがない。

この想いは確かに兄妹愛から生まれたものなのだろう。

それが、突然変異を起こしたのはいつだったか。

恐らく、入学前の――深雪が女性なのだと認識した、あの地下室が一番の転機だったと思う。

深雪の、少し背伸びをしたような下着姿を目にして、しかしそれがよく似合ってもいて、もう大人の女性になるのだと気付かされたあの日。

あれから深雪相手に対して動悸がすることが増えた。

もっと触れていたいと思うようになった。

 

「何度も勘違いを正す機会はあったんだ。普通、兄は妹をあんなにべたべたと触らない。抱きしめても抱き足りないなんて思うわけがない。ましてやキスをしたい等、妹に抱く感情ではなかった」

 

あの頃は何も考えていなかった。

深雪を褒めてあげなければ、労ってやらなければ、と何かと理由をつけていた。

そうしてやるのが当たり前だから、と。

だが、どう考えても抱きしめたりキスをしたりは幼い頃からの慣習ならいざ知らず、高校生になって新たにすることではない。

 

「周囲にもあんなに醜く嫉妬していたのに、俺はそれを子供染みた独占欲だと思っていた」

 

初めは桐原先輩。レオや幹比古にも向けたことがあった。

近づき、深雪に認識された男はおしなべて精査した。

深雪に害をなすつもりがあるか、好意を寄せる可能性があるか。

幸い三人は好意を寄せる相手が他にいる様だったので問題はないなどと勝手に判別していた。

・・・桐原先輩を近づけさせないようにしたのは、深雪が初めて容姿に対して感想を述べた相手だったから。

完全な嫉妬だ。子供染みた独占欲?それならばこんなにドロドロとしないだろう。

 

「俺の大事な妹に近づくな、と。――妹であるならば、深雪の立場であればいずれ誰かと結婚することなんてわかっていたはずなのに。俺はお前を外敵から守るという名目で近寄るモノを遠ざけようとしていた。それだけでなく、お前にどう思っているかなど確認までしていたな」

 

俺には兄という立場だけでなくガーディアンという役目もあった。何者からも守護するという役目が。

四葉家次期当主候補の深雪に変な虫など近づかせないだけでなく、深雪本人にもそんな思いを抱いていないか確認するなんて。明らかに立場を弁えていない言動だった。

何故疑問に思わなかったのか。

恐らく無意識でも認めたくなかったのだ。

けして結ばれないとわかっていたから、気付きたくなかった。

実妹であることは誰よりも俺が一番知っていたのだから。

 

「わ、たしは・・・あの、・・・お兄様と・・・そのような、えっと」

「うん」

「か、考えたことが無くて」

 

ああ、真っ赤になって俯く深雪の何と可愛らしいことだろうか。愛おしい。仕草一つでも心が掴まれる。

 

「だろうな」

 

深雪が、俺に女性として愛されているだなんて気付くはずがない。

俺自身が気付いていないということもあるが、あれだけ必死に俺の幸せのために奔走していた深雪が、兄妹愛が逸脱していたなんてわかるはずがない。

彼女も兄妹としておかしいと気付いていたようだけれど、それでも俺の好きなようにさせてくれたことで感覚が狂っていったのだろう。

慣らされていった深雪も深雪だが、それで調子に乗った俺も俺だ。

振り返れば、兄妹というよりも恋人のような触れ合いばかりだった。

触れれば頬を染め、はにかむ姿を愛らしいと抱きしめ――。

 

「なあ、深雪」

「は、はい!」

 

深雪の声がひっくり返る。

思考が鈍るくらいには混乱しているのだろう。

 

(悪いな、深雪)

 

出来ることなら深雪が自覚するまで待ってあげたかった。

だが、お前がまだ一時的な婚約の案を出す可能性があるのならば――俺はその可能性を、全力を以て潰させてもらう。

 

「お前は俺をそんな対象としてみたことが無いのだったね。当たり前だよ。普通兄に恋をすることなんてあり得ないのだから」

「・・・はい」

 

俺が欠陥品だったばっかりに、兄妹と知りつつも想いを止められない。

 

「だが、お前は俺を愛してくれた。慈しんでくれた。それは間違いない」

「はい」

 

今度の返事は早かった。そこに考える余地もない、と言うほど早い返答。

その反応は嬉しいが、お前のそれは兄妹愛が主だったはずだ。

ただ、そこに羞恥が入るのは、照れる、恥ずかしい要素があるということであり、それが年齢による羞恥だけではないと俺は確信している。

 

(確信しているが――もし、俺の勘違いだったとしてもいい)

 

愛が、間違いなわけではないのだから。

それが恋からなる愛か家族に向けられた愛か。その差だけ。愛には変わりない。

 

「俺も、そのつもりだった。妹としてお前を愛しているつもりになっていた」

 

たった数時間前まで、本気でそのつもりでいたのだ。

それが今では狩人のように獲物を捕らえんと罠を仕掛け、身を低くして銃を構えている――その愛を得ようと、これまでにない緊張感をもって。

そんな妄想じみたことを考える自分がおかしくて口元が歪んでしまい、深雪が戸惑いを見せる。

けれど、逃げない。現状が理解できていないのか、まだ俺を安全だと思いたいのか。

 

「――試してみないか?」

「試す、ですか?」

「お前が俺を異性として意識できないか否か」

 

正直、叔母上の策に嵌っているようでいい気はしない。

食堂で出た次期当主の婚約者の話は俺を煽るため。自覚を促すためだったのか俺にはわからない。

その後三人になって話した深雪の婚約者の指名後に、わざと想い人がいるのでは、と訊ねたのも深雪の為ではないのだと叔母上の目的を知った今ならわかる。

その後深雪を見送った後の。二人での会話で初めから結婚させる気でいたこと。

俺を四葉に縛り付けることが目的であったが深雪のファンになったと。胡散臭いことこの上ないが、あの人が深雪のことを語る目は、母にも似た感情が見えた。すぐに隠したが、それが余計に演技とは見えなかった。

あの人は当初の目的とは逆に俺を利用して深雪を手に入れようとしているのかもしれない。

そしてこの布団である。あからさますぎるだろう。

普通ならこんな計略に乗らない。

この布団に何か仕掛けられている可能性だって疑うべきだ。

そういえば、プレゼントが届けられるということだが、まさかこの布団のことか?だとしたら大分下世話が過ぎる。

・・・いや、違うか。これにリボンなどかけられていない。それらしいものも見当たらない。

やはり、何か仕掛けられているのか?眼で確認するが何の変哲の無い布団に見える。

布団の成分としては、何にも。ただ、この布団を普通とは言えなかった。

目的は一つしかない。婚約者と指名しておきながら仲良く横に並んで寝なさい、ということはないだろう。

つまり――何か企み・・・その先の発展を望んでいる、もしくは関係をこじらせようとしている、等考えられるのだが、あの人の考えなどわかるわけがない。

元々わかりにくい人ではあったが、二人で話してみてより一層分からなくなった。

だが、その謎にこだわってチャンスを逃がすほど愚かでもない。

深雪が何か案を思いつく前に。――俺たちの婚約を阻む案を用意する前に、俺は自分の想いを伝え、この関係を確固たるものにしなければならない。

だからこその、既成事実が必要だ。

といっても何も最後までするつもりはない。

ここは四葉の本拠地。いくら絶好のチャンスだと言っても我を忘れて事に及ぶなどできるはずも無い。

この屋敷には恐らく俺の眼でも気づけない監視方法がある可能性が高い。

誰であっても深雪のあられもない姿を見られるのは許せそうになかった。

だが、ここで既成事実を残せたら、婚約が揺るがないものになる。

最後までしなくとも、それらしい証拠を残せれば使用人をだますことくらいはできるかもしれない。

だから、

 

「深雪が嫌がったなら止める。それを確認するために、お前に触れさせてもらいたい」

 

流石の深雪もこの提案には言葉も無くしていた。

それはそうだろうな。こんな非常識な発言を鵜呑みにできるわけがない。

完全に固まっていた。思考のみならず体も動かない様子だ。

 

「このまま婚約をして、結婚となったら次に求められるのは子作りだ」

 

当主はどうかわからないが、一族は次期当主の子供を望むだろう。それがたとえ、蔑み嫌っていた俺が相手であろうとも。四葉の一族を増やすことは彼らにとっても喜ばしいことなのだ。ただ、俺が気に入らないだけで。

ここで深雪が嫌悪感でも滲ませたなら俺は大人しく引き下がっただろう。

だが、深雪の反応は――頬に朱を走らせて目を泳がせるというもの。

 

(仕方のない子だ。そんな反応を返してしまうなんて。あれほど悪い男には気を付けろと言ったのに)

 

もう、逃してあげられない。

視線を絡め、捉える。

 

「俺はもうお前を手放す気はない。お前の言う一時的の婚約で終わらせない。お前と結婚できる権利なんてこの先あるわけがないからな。だが、だからと言って一方的に求めるつもりも無いんだ。できることならお前にも、俺を愛してもらいたい」

 

はっきり言えば婚約続行に関して言えば勝率はかなり高かった。

以前から不思議と、深雪は俺の命令に従順だった。

兄だから、信頼しているから。はっきりとした理由などわからない。まさか遺伝子操作でそんなことはできないだろうし、精神干渉系の魔法だったりで縛られている可能性もあるのかもしれない。生まれた直後に植え付けられて人格形成をされていたとしたら俺に調べることは不可能だ。

命令をすれば、深雪は従うだろう。

だが、そんなことはしたくなかった。

あの日のことを今でも鮮明に覚えている。二人で幸せになりたいと、初めて約束をした。もっと幸せになろう、と。深雪も、母さんも一緒にと。

だから命令ではなく、本人の意思で選んでもらいたい。

ただし、あまり時間も無いのできっかけはこちらで用意させてもらうが。

 

(深雪も言っていた。この婚約には横やりが入る、と。ならば躊躇している時間はない)

 

時間は有限。しかも明日は慶春会。早く就寝させてあげなければならない。

混乱している深雪は俺が立ち上がったことにも目が向かないほど思考の海に沈んでいた。

以前から集中すると周囲が見えなくなることがあったが、こんな時になんとも無防備なことだ。・・・だからこうして悪い男に良いようにされてしまうんだ、と俺以外であれば忠告をするんだが。

実際、俺だからこそここまで警戒心が働かないのだろうがな。

深雪の護身術は相当の腕前だ。ただ、それが俺にだけ発動しないだけで。

それを良いことにこうして人さらいのように深雪を抱き上げる。

 

「お、お兄様?!」

「ここでは具合が悪いだろう」

 

いくら情緒が無いと言われる俺でも座布団の上で、なんてことがまずいことくらいわかる。

 

「え」

 

呆けていても深雪のバランス感覚は優れていて俺の腕一本に支えられていても慌てることなく収まった。

空いた片手で襖を開ければ、衝撃を受けた時と変わらぬ状態で部屋の中央で布団が鎮座していた。

そっと布団の中央に下ろすと、深雪の身体が微かに震えているのが伝わってくる。

 

「震えているね。俺が怖いか」

 

じっと深雪を見つめる。

怯えの表情は見えないように思う。どちらかというと戸惑っているような。混乱して震えているのか。

本人も首を振って否定をするが、その姿は憐れに思えるほど。ただでさえ薄い単衣がさらに彼女を儚くさせていた。

あれだけ色づいていた肌も、時間の経過とともに落ち着いたようだ。抱きしめると少し温度が低い。いくら室内温度が保たれていると言ってもこの薄着だ。もう少し早く気づいてあげるべきだった。

せめて震えだけでもどうにかしてやりたくて、頭を撫で、時折指を絡ませてすべらかな感触を楽しみつつ、あやす様に背中を撫でると徐々に震えは治まって、深雪はいつものように体を預けるのだけれど、本当にこの子は警戒心をどこに落としてしまったのかとこんな時でも心配がよぎる。

だが、俺相手に無防備になってしまう、そんなところも愛おしい。

 

「深雪、嫌だったら抵抗をしてくれ」

 

 

――

 

 

宣言をしてから、まずは小さな頭をなぞる様に髪に触れた。

その感触を褒めながら今度は頬へ。

いつもより掌が吸い付くような柔肌に、一体どんな施術をしたらこうなるのか若干興味がわいた。が、・・・だめだな。覚えたところでマッサージだけで済ませられる気がしない。下ごしらえをしたうえで食べようとする自分が容易に想像できた。

まずは怖がらせないように触れるだけ、と思いながら意識していつものように触れるのだが、深雪に触れているだけで鼓動は激しく鳴り、興奮を覚え始めているのを自覚する。

考えてみれば恋と意識してから触れるのは初めてだった。その上、今の深雪はいつにも増して強烈なまでの色香を纏っている。これで意識するなという方が無理だ。

深雪も緊張しているのか、瞳が揺れている。

不思議だが、こんな時でも深雪が不安だったり落ち込んでいる姿を見るとどうにかしてやりたいという気持ちが強くなるらしい。これはきっとこの子の兄としての矜持なのだろう。

たとえ世間からは兄妹ではないと認識されようとも、そのように振舞うことを強要されようとも、妹である事実は捻じ曲げられない。女性として愛している今でもそれは変わらない。変えられない。

俺にとって最愛の妹であり、最愛の女性。普通であれば両立しないはずだが、奇跡、というより四葉(叔母)の陰謀だな。それによって両者が成り立っている。このことに関して言えば叔母上に感謝してもいい。

落ち着かせるように抱き寄せて背を叩き、冷めた体に熱を与える。

閉じられた瞳がまだ揺れているかわからないが、背を撫で、髪を撫で、頭を撫で。

ゆっくりと体を離すころには落ち着きを取り戻していた。

頬に手を当て上向きにして、瞳が合う。

綺麗な黒曜石が光を受けてきらめいている。美しい輝きに吸い込まれそうになるが、今はそこに顔を寄せるのではなく、深雪の警戒心を解いてく方が先決だった。

 

「頬もいつもより温かく感じる。――うん、手先も温かい。全体の血の巡りが良くなっているのか」

 

冷めた、と言ったが熱を与えればすぐに血の巡りが良くなり温かさを取り戻していた。

その早さはいつもより早い。確実に施術の効果が見て取れた。

 

「爪が輝いて見えたが、特にコーティングされていないんだな。綺麗な桜色だ」

 

無遠慮に触るのではなくこれ以上なく丁寧に触れることを心掛けながら手を取りまじまじと見つめる。

宝石を見たところで綺麗なのだろう、とは思っても感想を抱くというよりも分類を分ける感覚に近い。人には美しく見えるのだろう、と一般的な感覚としてこう思うのが妥当だろう、と。

だが、この手に収まる桜色のつややかな宝石はとても美しく、その先に続く白く滑らかな肌触りの手もいつまでも撫でていたい。細かくチェックしているようにひっくり返したり、指先を絡めてみたりと意味も無いのに触れる。

出来ることならこの指先一本一本に口づけを落とし、味わいたいが、触れているだけで頬を赤らめ目を泳がせている深雪にそれ以上踏み込むのは危険だと判断。

努めて平静を装いながら手の甲を撫でる。

さて、次はどうしよう。どこから手を付けるべきか。

手を握ったら次は――キスをしてもいいだろうか。

今顔を上げたら欲が見えてしまう気がして手から視線を上げられない。

次の行動を決め、欲を押さえつけないと、深雪を怯えさせてしまう。慎重にいかねば。

しかし、こう言っては何だが、深雪の反応は悪くないと思う。

指の間に指を滑らせてみると身じろぎをした深雪はわずかに何かに耐えるような表情になった。そこに嫌悪の色は見えず、手も引かれることが無かった。

くすぐったかったのか、はたまた――少しは感じてくれたのだろうか。

ダメだな。ずっと自分の都合の良い解釈ばかりしようとする。少し前までは最悪の事態ばかり想定していたのに。

深雪には、期待してしまう自分がいた。

深雪なら、どんな俺でも受け入れてくれる。そんな期待が。

兄に触れられるだけで、あそこまで恥ずかしがったりするだろうか。

好意が向けられていることは間違いない。だが、兄妹であるというのなら安心して身をゆだねるのではないか?

俺の視線に堪え切れず目を逸らしたり、過度の触れ合いに真っ赤になったり。あの時は微笑ましい、可愛らしい、とあまり深く考えていなかったが、あれらの反応は身内に対する反応ではないのではないか。

思い起こせば母に対して深雪は、頬は染めているものの緊張を見せるようなことなどなかった。安心して身をゆだねていた。むしろ深雪自らすり寄っているような場面が多かったと思う。・・・過去を羨むのは無意味だ。今そこに意識を向けるべきじゃない。

あの当時は俺から深雪に触れるなんて、恐れ多くてできなかった。身分が、というより俺のような穢れた者がこんなに綺麗な深雪に触れてもいいのかという戸惑いがあったのだ。だが、そんな俺を気にする風もなく大丈夫だと寄り添い、抱きしめ、小さな手で撫でてくれた。

それが、どれだけ嬉しかったことか。どれほど救いになったことか。

深雪を守るためにもっと力が欲しい、と思い始めたのもこの深雪に報いたいと思ったからだ。

それだけで十分だったはずなのに、人間というのは欲深い。もっと、もっとと求め、ついには自分だけのものにしようとするのだから。

あのまま兵器のままで居られたら、こんな欲など抱かないでいただろうが、兵器のままで居たら深雪はきっと悲しんだ。

今でも痛みを無視して行動すると涙を浮かべる深雪のことだ。つい最短処理を考え、自分を無視した特攻を考えてしまうのは、早く深雪の元に戻りたいからなのだが、そんなことを言ったらきっと深雪に叱られてしまうのだろう。

それはそれで見てみたいと思うのは、兄としてではない、男としての俺の欲。

兄は、妹を故意に悲しませたりしないものだ。

改めて自分がひどい男だと自嘲していると、繋がったままの深雪が何やら思いつめたような気配に変わっていた。

一体何を考えた?何か不安に思わせるようなことをしただろうか、と思ったがそもそもこの確認自体深雪にとっては不安要素に溢れたものだった。内心焦りつつ、兄として深雪の憂いは何かを問いかける。

 

「・・・深雪、何を考えている?」

 

こんな言葉しか掛けられない自分の言葉足らずが嫌になるが、深雪は申し訳なさそうに眉を下げ、告白する。

 

「この婚約は、お兄様を四葉に縛り付けるものです。自立しようとなさるお兄様を、引き留めようとする楔」

 

――。

深雪は、本当に俺の為に、俺の幸せのためにずっと考えてきてくれていたのだろう。

でなければ自身の身が危ぶまれているこのような場面でそのような発想に至らない。

四葉にいれば俺が使いつぶされる。表に出られないで一生閉じ込められたまま生活を余儀なくされる。

そのことを憂いて――。

だが、言わせてほしい。

 

(それが、一体なんだというのだ)

 

深雪が傍に居てくれる。ここに縛られるだけで深雪と共にいられるというのなら構わなかった。

 

「お兄様が、愛して下さるとおっしゃってくださったこと、とても嬉しく思います。ですがこのまま叔母様の策略に乗ることはないのです」

「・・・策略、か」

 

・・・恐らく、というか確実に深雪が思い描く策略とは異なると思うのだが。

あの人の現在の目的は俺とお前を番わせることで深雪を娘として手に入れようと画策していることだぞ。

 

「先ほどお兄様はおっしゃいました。叔母様と話して認識をした、と。それは叔母様からの誘導があったということ。叔母様に精神干渉の適性は無いはずですが、魔法だけが勘違いを引き起こす要因ではないことは七宝君の件でも証明されたはずです」

 

誘導があったか無いかで聞かれれば、確かにあったはあっただろう。

最終的にこんな布団まで用意されて御膳立てされているのだから。

しかし、この勘違いは解かないといけないな。

 

「深雪は、俺が騙されていると」

 

俺が深雪を愛しているのを叔母上の誘導で兄妹愛を恋愛だと錯覚させられていると言うのであれば、それは否定させてもらう。気付いたのは二人きりの時ではなかったし、そもそも記憶を辿れば兄妹愛と信じていた言動は自覚した今、ほとんどが兄妹としてとは言えない代物ばかりだ。

深雪だって、おかしいと思っていたはずなのに、・・・もしや深雪にとって兄妹とはあれほどのことしても当然と認識しているのだろうか。

だとしたら、俺は責任を取って説明をしなければならない。

 

「お兄様の愛を疑うことはありません」

「ならばなぜ」

「血がつながっている相手でも、肉欲を覚えることはあるのです」

 

肉欲、との直接的な言葉にドキリとした。

俺が覚えるのは当然だが、もしや深雪自身抱いたことがあるのかと問いただしたいが、口を挟む空気ではなかった。

 

「その後嫌厭するか常識的に無いと判断するか、どちらにせよその先を躊躇い、無かったことにする。――お兄様も今までそうしてきたはずです」

 

そうだな。常識的にこの先を望むのはおかしい、と手を引いたことなら何度もある。

この先に進みたいと、過る前に思考を切り替え気付かぬようにしていた。

でなければ、もしそうしていなければ俺は深雪の傍にはいられないと無意識に避けていたのだろうと推測できた。

兄妹で恋愛感情など深雪が望んでいないことは明白で、しかも彼女は次期当主候補で最も有力者だった。そんな彼女の輝かしい未来に、兄である俺が懸想をしたところで気づかれたら嫌悪される恐れだってあったかもしれない。気付かれなくても愛する深雪の隣に立つ男に嫉妬を向けずにいられるか自信も無い。感情を殺すことは慣れていても、常に沸き立つ状況というのは経験したこともないし、もしも、深雪が幸せそうにその男に笑いかけていたのだとしたら――近くにいると守るどころではなくなりそうだ。

自分から遠く離れて彼女を守護し続けていたかもしれない。

ずっと自覚をしていなかったから、知らないでいられたから兄妹として過ごしてくれた。耐えられていた。

 

「あくまで兄妹愛の延長である、と」

 

もしこれがただの行き過ぎた兄妹愛であったなら、きっと傍に居続けられた。兄だからとの矜持がそれを支えてくれたことだろう。

しかし兄であっても男であることを自覚し、妹だけれど恋愛対象だと認識をしてしまった今、暴れだしそうな感情を抑えるだけで精いっぱいで取り繕うこともできない。

 

「なら、それも含めて確かめ合おうか」

 

この想いが、すでに兄妹の範疇に収まらないと理解していた。

兄妹であったなら、今すぐこの場で押し倒し、すべてを暴き、食らいたいなどと思うはずがないからだ。

だから初めからこれから行う行為は深雪に俺を男として認識してもらい、俺が婚約者として望んでいることを理解してもらい、その上でれっきとした正当な婚約者だと認めてもらう。それを目的としていた。

だから焦ってはいけない。

出来るだけ優しく、押しつけがましくせず、触れることに嫌悪が無く、触れられることに悦びを感じてもらえるように――。

繋がっている手をさらにきつく結び、そっと頬に手を添えた。

出来るだけ怯えさせないように、まずは安心させるように。

何の魔法も込められていないキスを、額に落として。

 

「俺の愛が、妹へのものか、深雪も確かめてくれ」

「確かめる・・・のですか?」

 

俺だけでなく、お前も、と返す代わりに続けざまにこめかみに、頬にとわざとらしく音を立てて口付けていけば徐々に白い肌が色づき始める。

 

「お、お兄様、」

「俺はお前が俺を異性として認識できないかを確かめ、お前は俺の抱いているこの気持ちが妹へ対するものなのかを確認してくれればいい。それだけのことだ」

 

言って口づけを再開する。

唇以外の顔中いたるところに口付けていくのだが、ただ深雪の羞恥を徐々に煽れれば、と触覚だけでなく聴覚にまで刺激を与えようとした行為なのに、困ったことにこちらの気分まで煽られている。触れるたびに愛しさが募って次第に言葉にできない想いを乗せてひたすらキスを落とした。

好きだと、愛しているのだと、口にしてしまいそうになるのを深雪の眉間に、眦に、鼻にと押し付けることで封じた。

今愛を囁かれれば、深雪から拒絶までとは言わないが止められる気がした。

まだ、その段階には早い。

だが、それもそろそろ限界に近かった。

 

(触れたい――、そこに触れさせてもらいたい)

 

「深雪」

 

一旦顔を離して深雪を見つめる。

熟れた果実のように赤く染まった深雪は、瞳を潤ませていて悩まし気に眉を寄せていた。

彼女の瞳に情欲は見て取れない。けれど恐怖や嫌悪が映っているようには見られない。――拒絶の色は、ない。

 

 

――

 

 

「嫌だったら抵抗しなさい」

 

ここで初めて命令を下した。

嫌ならば、抵抗するように。

今ならば引き返してあげられる。そう思ったから。

抵抗はしないでほしいと願いつつ、顔を再度近づけていく。

身体は押しのけられることもなく――深雪はゆっくりと目を閉じた。

つばを飲み込むのを我慢して、触れるだけに専念する。

触れるだけで、すぐに離れる。深雪の反応を確認してから次の行動を、そう考えていたのに。

唇の皮膚は薄くて、鋭敏な触覚を持っている。

その感覚をもって触れた唇の柔らかさが、いとも簡単に理性の糸を弛ませた。

一瞬で離してあげられたのは、前もって行動を決め、反射で動くようになっていたから。

深雪が瞼を上げ、視線が絡み合う。

無意識に吸い寄せられるように唇を重ねていた。今度は少しだけ踏み込んで。

それから立て続けに角度を変えつつ口付けてその感触に溺れそうになり、さらに踏み込みそうになるのを抑え込んで深雪の反応を確認する。

瞳が潤み、赤みが差している。

その瞳のしっとりとした黒色に、ぞくりとした。吊り上がりそうになる口角を誤魔化そうと口を開くのだが。

 

「ずっと、触れたかった」

 

明らかに欲をにじませた声だった。

怖がられてしまうか、と思われたが、深雪の口が薄く開いてほう、とため息を吹きかけられたらもう駄目だった。

止まれない。

 

「嫌だったら我慢することはない。ちゃんと、止まってあげるから」

 

口ではこんなことを言っていたが、もう止まれる気がしなかった。

俺は深雪をだまそうとしている。

罪悪感が湧くが、それさえも今は興奮材料にしかならなかった。

深雪も不安を覚えたのか、俺の服を握りしめる。その手に己の手を重ね、少しでも不安を誤魔化してあげようとする。和らげようとする、ではない。誤魔化そうとしているのだというところが己らしく思える。

素直でいい子の深雪はすっかり騙され瞳を閉じた。

 

(ああ・・・なんて愛しいのだろう)

 

憐れで可愛い俺の妹。

こんな男に騙されて、これから純潔を奪われるのだ――。

唇を重ね、さらに深く踏み込んでいく。

流石にすんなりと開きはしなかったが、固く閉ざされた隙間をねっとりとなぞれば体を震わせ、隙間が生まれた。

ここで恐怖を抱かせるようにむさぼるわけにもいかない、と慎重に舌を動かしていく。

自分以外の体温を感じるというのはそれだけで高揚する。

大胆に動かしたくなるのを抑えつつ外側から攻めるか、と鼻息が荒くならないように動かしていると、滑らかな内頬にわずかながらの凹凸を感じた。

先ほどから体を震わせている深雪だが、そこに触れた時の反応は違っていた。

二、三度往復させると、やはりかすかに血の味がするような。傷はふさがっているようだがなぜこんなところに傷を作るようなことがあったのか。

舌を引き抜こうとしたが、このまま抜けば混ざり合った唾液が繋がったまま垂れそうだったので唇を舐めて切ろうとしたのだが、深雪の鼻にかかった吐息が漏れて下半身に熱が集中しそうになり、意識を切り離す。

深雪としてもそんな声を漏らすつもりはなかったのだろう。羞恥で瞳を揺らしているのがさらに刺激を促すのだが、確認が先だ。

傷ついた側の頬に手を添えて、この内側はどうしたのかと訊ねれば、先ほどとは違う理由で瞳を揺らしていた。

言い淀むような何かがあったというのか。

 

「隠さないで、教えてくれないか」

 

口の中が傷つくような何か。深雪が攻撃を受けるようなことは当然見えていない。

これが横向きに寝ていて付いた跡だというのなら問題ないように思うが、血の味がしたということはただの跡ではなく傷になっているということ。

食事に何か混入して?いや、彼女の食事にそのような物は混ざっていなかった。

自分で噛みしめて作ったという線が濃厚なのだが、叔母上の前でそのような顔が歪むかもしれない堪え方をするだろうか。

一体いつ、そんなに強く噛んだというのか。

 

「深雪」

 

教えてくれ、と強く願えば深雪はゆっくりと口を開いた。

 

「お兄様、これは自分でしたことです」

「わかっている。もし他人の仕業だったなら俺はその時点でソイツを消している」

 

もし他の人間が、どうやってかわからないが深雪の口内に傷をつける・・・だめだ。どこに付けたところでキレる自信があるのに誰にもやすやすと触れることのできない口内に傷を作ったとなれば殺さない選択肢が無い。深雪が止めようと止まってあげられる気がしなかった。

どう息の根を止めてやろうか。できるだけ苦しむ方法が良い。

 

「申し訳ございません。自分の感情を抑えきれず、ここなら人に見えないだろうと」

 

謝罪は俺が受けるべきものではないと思うが、それにしてもこの話ぶり、恐らく初めてのことではなかったのだろう。

気付けなかった今までを悔やむが、口内を傷ついていることを俺が気付いてやるにはこうして触れ合わない限りは不可能だ。

しかし、深雪が感情をそんなに揺さぶられるなど。そう疑問を口にすると返ってきたのはある意味原因が自分だということだった。

 

「お兄様が、勝成さんの攻撃を受けた時です」

「!あの時か・・・」

 

わざとにしてはかなり派手に受けたからな。

深雪には衝撃的なシーンだっただろう。

俺のせいで、深雪が傷ついた。直接的な理由でなくとも、それは間違いなく俺が原因の傷だった。

 

「すまなかった」

「いいえ、お兄様は何も悪くありません」

 

そうは言うが、本来なら受ける必要もないモノだった。

初めから圧倒的に制圧するよう分解を使って打ち倒していればそもそも5分とかからず終わっていた。

今後の関係を考えずさっさと終わらせてしまえばよかったのだ。

そうすれば――あんな話を深雪に聞かせることなどなかった。

あんな、自分にとってはくだらない過去の話でも、深雪には知られたくなかった。

それはともすれば恐怖。深雪に嫌われてしまうのでは、という怯え。

 

「・・・深雪は、恐ろしくなかったか?」

 

あの時、確かに夕歌さんと水波からの視線は感じた。

異常だとでも思われただろう。普通は力を得たからと、制御ができるようになったからといって子供が成人男性を殺すなどありえない話だ。

しかも、手加減など一切ない。あの時対峙した男は俺を殺せれば自由が手に入るはずだったのだから。油断はあっただろう。こんな子供を殺すなど赤子の手を捻るのと変わらない。あの時の俺はほんの小さなガキだった。

その小さなガキが、何のためらいもなく人を殺す。淡々と、感情を見せることもなく。

それがどれだけ気味の悪い光景だったか。周りの大人の反応でも分かった。

だから――恐れた。

他の誰にどう思われようとかまわない。だが、深雪にだけは――そんな目で見られることはないとわかっていても知られるだけで怖かった。

じっと深雪を見つめれば、逸らされることなく受け止められて。

 

「恐ろしくなどございません。ただ、悲しくは思います」

 

恐ろしくない、の言葉が本当か瞳の揺らぎを見るが、そこに偽りやごまかしの様子は一切見られない。

 

「お兄様が、そのようなことをさせられている間、私は何も知らずにお兄様を慰めるどころか傍にも居られなかったことが、申し訳なく思います」

 

信じられずに疑う視線を向けられていたというのに、深雪は臆することなくただ悲しいと、寄り添うことができなくて悪かったと悔恨の念を滲ませる。

俺が初めて人を殺した当時、深雪の傍に行くことは許されなかった。俺のような不安要素を次期当主候補に近づけるなどさせるわけも無かった。

兄妹だと認識できても家族だとは認識できなかったあの頃。

遠目で見た深雪はお人形さんのように可愛らしく、健やかに育てられているのを見ては、彼女の為にこの厳しい訓練に耐えられているのだと支えにしていた。

ずっと、心の支えだった。大切な妹だった。あのまま関係は冷めきったままであろうとも俺はずっと深雪を守護して生きていけた。

優しく手を握られて、心が温かくなる半面、苦いものが広がった。

 

「お前が知る必要はなかった」

 

過去のことで優しいこの子が苦しむことは想像できた。嫌う、なんてありえないと知りつつも幻影に怯えるのは幼少期の記憶が強く残っていたからだが、深雪ならこのことを知れば傷つくことがわかっていた。だから教えるつもりなど無かったのに。

 

「知らぬことが良いこととは限りません」

 

・・・ああ、深雪はもう、何も知らない子供ではない。

成長し、自分の目で物事を判別できるだけの見識を持っていた。

もう目隠しをしてあげられないのだということに気落ちする思いだが、それでも彼女は前を向く。とても眩しく思えた。

だがそれが、一瞬にして陰る。

 

「深雪?」

 

一体何を考えた?と名前を呼べば先ほどまでの凛とした空気が嘘のように視線が泳ぐ。

 

「・・・ええっと、お兄様。もし、その、このまま?婚約をして、け、結婚をすることになったら、なのですけれど」

「俺はそのつもりだしそれを阻むものがあるなら全力で抵抗するが」

 

その相手が深雪だとしても手加減するつもりはない。どんな手段を用いようとも必ずその権利を勝ち取る。

とりあえず強く主張すると若干引かれたが、宣言を覆すつもりも無い。

そ、そうですか、とおろおろする深雪も可愛らしいな。嫌だ、と否定するのではなくちゃんと受け止めてくれるところもまた愛らしい。

困ったな。どうあっても深雪が可愛い。

 

「私は、お兄様といつか対等に立てる日を夢見ていました。そのために努力もしてきたつもりです。守られるだけの存在から、互いを守り合えるような、そんな関係性になれればと」

「俺が、お前を守るのではいけないか?」

「それではいつまでたってもお兄様に寄りかかったままになってしまいます。寄りかかるのではなく支え合える関係になりたいのです」

「・・・それは、難しいな」

 

唇とつんと尖らせて不満だと前面に表す深雪に抱きしめてその唇に触れたいのをぐっと我慢して返す。

 

「俺にとってお前は掌中の珠だ。俺の大事な宝物なんだ。だから誰かに奪われそうになったり傷ついたりすることが許せない。――お前が大切なんだ」

 

深雪に守られるよりもすべてから守りたい。

 

「お兄様。私だってお兄様が大切なのです。お兄様が傷つくと苦しくなります。お兄様が何も思わなくても私はその痛みに寄り添いたいのです」

「その思いだけで十分だ。それだけで俺はいつだって救われている」

 

実際深雪は俺の支えだった。ずっと、そしてこれからもそれは変わらない。

 

「それだけじゃ足りないのです!」

 

怒るように声を強めて言った深雪はその華奢な体を俺に押し付ける。

 

「お兄様が私のためにしてくださっているように、私もお兄様の為に尽くしたいのです」

 

その言葉が、どれほど俺を喜ばせているか。深雪はやはり自分を知らなさすぎる。自分の影響力がどれほどあるか、わかっていない。

力が入りすぎないように抱きしめる。できるだけ真綿にくるむように、優しく。俺の想いにつぶされないように、これ以上ないほどの力加減で。

 

「私は、頼りないですか?」

「そんなことはない。お前は強くなったよ。俺なんかより、よっぽど強くなった」

 

本当に、深雪は強くなった。魔法も体術もそうだが、何よりも心が。彼女を中心に世界は変わっていくような、そんな求心力をもって。

 

「叔母上に言っていたじゃないか。実力は戦闘力で決まるものじゃない。話術を含めた処世術だって、サポート力だって深雪は群を抜いて高い。俺にはできない数々を、お前は一人でこなしてみせる。俺の手なんて、必要とされなくなりそうだ。だが、お前が傍に置いてくれるから俺は今もお前のガーディアンでいられる」

「・・・私が手放したら、お兄様は離れていかれるのですか?」

「昨日までの俺ならば、解任されても陰ながらお前を守っていただろう」

 

水波がきて、解任される可能性は高まっていた。もともといつか来るだろうと思っていたのだが。いつかは受け入れなければならないことだと理解していた。深雪の為なら納得もできた。――昨日までならば、本気で引けると思っていたのだ。いつか深雪の傍から離れる日が来ると。

自覚した今ではもう手放すなど不可能だった。今だって触れ合っているのに物足りないと感じるほどなのに。

抱きしめる腕を強めて密着させる。服越しに温度を感じられるようになって、次いで頬に手を当て上向きにさせて。

深雪が目を伏せるより早く唇を重ねた。フライング気味だったからか、無防備な唇を割って舌を侵入させた。

真っ先に傷をなめたのは、これが俺の為に作られたと思ったら愛おしくなったから。我ながら現金なものだ。

そして、先ほどは触れないで置いた彼女の舌を探り当て、表面をほんの少しだけ舌先で撫でる。

鋭敏な舌でざらりとした表面を感じ取るとくすぐるようになぞっていく。

 

「んんっ・・・」

 

そのくすぐったさに身をよじる深雪から漏れる、堪えようとする声に、ゾクゾクと背が粟立った。

深雪も同じモノを感じているのか、震える背を宥めるように撫でてやりながら、次第に深く舌を絡めていく。

ただそれだけの行為なのにその刺激にだんだんと官能が高められていき、より強い刺激を追い求めて舌を動かした。

昂ると深雪の都合を置いてけぼりに、ただその快楽を求めてしまう。

角度を変えてさらに求め貪ると、深雪の身体から力が抜け、時折ビクンと跳ね、くぐもった声が漏れ聞こえるたびに下半身に熱が集中するのが分かったが、今度こそもう止まれなかった。

確認をする?そんなもの、もう答えはわかりきっていた。

初めから俺は深雪を妹でありながら異性であると認めていたし、深雪も今の顔を見れば、勘違いだとは思えない色香を溢れさせ、その瞳には先ほどまでなかったはずの情欲が見て取れた。

深雪もしっかりとこのキスで感じているのだと思うとさらに興奮が増した。

ぐったりとして、息も絶え絶えの姿に一旦離してやりながら、朦朧としているだろう深雪に畳みかける。

 

「どのような意図があろうとも、お前と結婚できるチャンスに恵まれ、手に入れられると知って手放せるほど、俺は善人じゃない」

「・・・ぜんにんじゃない、なんて・・・まるでお兄様が悪い人、みたいではないですか」

 

苦しいだろうに、こんなことをされてまで俺をかばおうとするなんて。

苦笑を漏らして反論する。

 

「同意を得られてないのに手を出している時点で俺は悪人だろう?」

 

その言葉を、数回瞬きをしたのち自分がされたことを理解した深雪は、口を閉ざした。

自分でも非道なことをしている自覚はある。だから謝れと言われればいくらでも謝るのだが、後悔はかけらもしていない。

この後も、するつもりはない。

 

「まだ確認途中だったね。もう少し先に進もうか」

「・・・・・・え・・・?」

 

正面からキスをするには距離が離れすぎていた。

抱き上げて自分の足の上に座らせてしまえば、顔も近くなりキスがしやすくなる。

 

「キスは拒まれなかったということはここまでは嫌じゃなかったということだろう?」

 

指の背で頬を撫で、そのまま滑らせてあごの裏をくすぐるように指をスライドさせると密着しているから小刻みに震えているのがよりダイレクトに伝わってきた。

紅潮する頬、ぴくぴくと痙攣するように動く眦にどうやら深雪は敏感に反応しやすいようだ。

漏れる吐息の熱さが彼女の興奮を物語る。

 

「っふ、・・・おに、さまっ」

 

身を捩るたびに重みが変わりバランスを取ってやるとその動きにも感じてしまうのか掴む指先が震えていた。

顎裏をくすぐり終えてから首筋に指を這わせながら口づけを落としていく。唇だけでなく、頬に、顎にと音を立てるたびに深雪の身体が身悶えするのがたまらなくて、わざとらしく耳の近くで音を立ててそのたびに深雪の身体が大きく跳ねる。

 

「大丈夫か」

「怖くないか」

「嫌じゃないか」

 

ちゅ、と口付けて、体が震えるたびに確認をすると、真っ赤な顔で首を振ったり、頷いたりと、声はほとんど聞かれないが意志は返ってくる。

漏れ聞こえるのは熱い吐息と我慢する声。

身体の熱さから、深雪の体も昂りを感じているのはわかる。

背中や腰に這わせた手を動かせばびくりと震え、

 

「まっ・・・て、ぇ」

 

涙をためて請われる声は大変色っぽく、腰にクる。

 

「だ、め・・・っ」

 

身体をしならせて快楽を逃がそうとする健気な姿もたまらない。

だが、ここで焦りは禁物だ。

待て、と言われれば待ってやり。駄目と言われれば何が駄目だったかと訊ねる。

訊ねたところで深雪は答えられないので、

 

「性急すぎたな」

「もう少しゆっくり進もうか」

 

と、止めることなく一度引き下がってまた前進する、ということを繰り返した。

もうキスは顔面を飛び出し、首にまで降りてきた。

明日のこともあるし、念のため跡は付けるのを我慢して、唇だけで触れていく。

出来ることなら舐めたりもしたいところだが、確認作業だと言った手前あまり踏み込みすぎるのは危険かと、キスだけにとどめた。

正直、とんでもない理性だと思う。

これだけ匂い立ち色気を放つ女を前にがっつくことなく抑え込めているのは精神をコントロールできる術があるからこそのことだが、それでもギリギリだった。

もしこれが他の女性相手であれば俺は完璧に自分の衝動を意志だけで抑え込めた。

だが、深雪に対しては感情の制限もない。ただ兄としての意地が理性の手綱を握っていた。

 

「はぁ・・・は、・・・」

 

悩ましいため息に、その手綱を今にも手放したくなるのだが、妹との約束を破るつもりか、とその言葉がかろうじて引き留めていた。

その吐息を奪うように口付けて、深雪の苦しげな表情に、次に進んだ方が良いかもしれない、と優しく髪を梳いてやりながら唇の弾力を味わってから離す。

少ししつこすぎただろうか。熱を持ち始め腫れ始めている。もうここから離れなければ明日に響く。

名残惜しいが次に進もう。

深雪にも進んでいいか尋ねると、ぼう、とした状態のまま小さく頷いた。

待ってやりたい気持ちもなくも無かったが、ここに戻ってきた時刻を考えるとあまり時間が無い。

 

(明日の慶春会の為にも早く休ませてやらないといけないからな)

 

首から鎖骨をなぞり、びくびくと震える深雪を堪能しながら手をそのすぐ下へと滑らせ、そこへ乗せてすぐだった。

 

 

――

 

 

「お、お待ちくださいませお兄様!」

 

意識を飛ばしかけて夢現の状態だった深雪がはっきりと覚醒して制止をかけた。

突然の制止に手が止まり、まじまじと深雪を見つめる。

あれだけ赤く染まっていた顔は今も赤みは残るものの、目元や頬はうっすらと程度にまで色を戻した。

カッと見開かれた目には溜まっていた涙も引っ込んでしまっていた。

一体、何があったいうのだ?

 

「何だ」

「あ、あの、・・・いったん時間をいただけませんか?」

「何故」

 

ここまで来て深雪が逃げようとしている意味が分からない。

俺は何かをやってしまっただろうか?キスまでは問題なかった。直前まで深雪は快楽を耐えるように必死に体を丸めたり反らしたり捩ったりしていたのだから、感じていないわけでもなかったはずだ。駄目や待て、は言われても嫌とは言われていない。深雪からも拒絶されるような気配はなかった。

だが、胸に触れた瞬間、深雪は拒絶を示した。時間が欲しいと、距離を置きたがった。

――何故だ?

 

「すぐ戻ります」

「理由は?」

 

この先に進むことは構わないようだ。そのことには安堵しないわけでもないが、何がしたいのかわからない。俺は今、何を理由に拒まれている?

深雪はなかなか口を割りたくないようだが、視線を受け、観念したのか俯いて真っ赤な耳をさらしつつ小さく震えながら答えた。

 

――下着を、着替えたいのですっ、と。

 

俺の眼は別に透視ができるわけではない。武器が仕込まれていれば気付くこともできただろうが、服を透かして裸を見るような魔法の目ではない。よっていくら眺めてもその下に何を身に着けているのかなどはわからない。

正直この単衣は下着姿よりも艶めかしく映っていた。

深雪の裸を見たことはない。だが、それに近い下着姿なら毎週見続けている。アレだって、高校に入ってからは正視するのは難しい。だが、妹の体に欲情するわけにはいかないと、精神をコントロールして落ち着きを見せていたのだが、それが悪かったのかもしれない。深雪は自分の魅力に気づいていないような言動を取るようになった。

もちろん、周囲の視線には気付いているから他人に対しての警戒心は失われていない。だが、俺に対しては時に酷く大胆な行動もしてみせた。兄だから大丈夫、と思っているのか。こちらはいつだってギリギリだというのに。

そして今も、下着の上に羽織っているだろうこの単衣姿にはいつも以上に興奮を隠せないのは、清楚を纏っているのにけしからん体のラインが浮き彫りになっていてそれがより一層想像力を掻き立てられているから。

背を撫でた時も、腰に腕を回した時も大した厚みを感じなかったのだが、下着だとしたら相当薄いものを身に着けているのか。

ここまで見せるのを拒む下着というものに興味が出た。

・・・薄いと言うからには、

 

「・・・着替えたい、ということは身に着けているということだな」

「ひゃんっ!」

 

手を添えた個所もそれらしいものを感じなかったな、と確認するように親指を乳房の下に滑り込ませて上下を挟み込むように手を折り曲げる。

甲高く上がる深雪の声に、このまま揉みしだきなるのを堪えて指に意識を手中させるが、ふむ。

 

「だが今触れた感じだとワイヤーも無く、重なった布の感覚も無かった」

 

普通一般の下着なら厚みがあるが、今触れた感触にそれは感じられない。

つまり深雪は、普通ではない下着を身につけさせられているということだ。

さらに俯いて拒む姿勢を見せるが、容赦なく手をかけて。

 

「脱がせるぞ」

「お、お待ちください!」

 

非常に嫌な予感がした。

深雪が慌てて袂を押さえて帯も押さえるようにするが、そんなもので俺は防げない。

こんなことで使うとは深雪も思っていないだろうが、緊急事態だ。

 

「お兄様!?」

 

分解魔法に驚きの声を上げる深雪は再生で帯が戻ったことに気付く前に固まってしまい、あっさりと袂の主導権を俺に奪われ、はっと彼女が気づいた時には両サイドに開いていた。

 

「まっ――」

「これは――」

 

黒と紫の、深雪が纏ったことのない色合いの、薄い布地の下着と呼ぶにはあまりにも官能的過ぎる代物だった。

ぐらりと理性が揺さぶられ、焼き切れそうになるほど、今すぐしゃぶりつきたくなるような男の欲を刺激する危険なモノだったが、その中心にあるものにガツンの頭を殴られた気分だった。

 

「・・・りぼん・・・」

 

リボンが胸の下から三つ、綺麗に結ばれていた。

 

――達也さんにとっておきのプレゼントを用意したの。後で部屋に届くはずよ。ちゃんとリボンを付けたからすぐにわかるはずだわ。ちゃあんと受け取ってね?

 

脳内で再生される声に、沸々と沸き上がるのは肉欲よりもはるかに強い怒りの感情だった。

 

「深雪」

「な、んでしょう」

 

深雪が怯えている。

俺の怒りに震えている。

それを申し訳なくも思うが抑えが利かない。

 

「これを用意したのは叔母上だな?」

 

疑問形で尋ねていたが断言に近かった。

リボンを掛けたプレゼント、間違いようが無かった。

俺が喉から手が出るほど欲しているモノ――一番欲しいモノだった。

 

「はい、そのように伺っております」

 

だろうな。間違いなかった。

だからこそ耐えられなかった。

深雪がその下着を纏っていることが。

俺の腕の中に納まっている深雪が、ずっとリボンがかけられたままでいることが。

まるで叔母上の用意したプレゼントであり、まだ手に入れられていないのだと嘲られているようで、耐えがたい屈辱に思えた。

生まれた時から俺のものであるはずの深雪を、ずっと叔母が彼女の所有権を持っていたのだと知らしめられているようで。

まだ俺の手に渡っていないと、叔母のモノだと言われているようで。

このカラーも叔母を示す色に思えて。

似合っていることも、その姿に欲情させられてしまったことも――すべてが気に入らない。

 

「脱がすぞ」

 

忌々しい下着を、リボンを解いてはがしていく。

サテンのリボンはするりと解くと、抑えられていた胸が寄せられていたのが解放された反動で揺れて元の位置に戻るのを目で追いながらも肩からひもを下ろしてするりと体から滑り落ちた。

次に目が向いたのはその落ちた先。そこにも黒紫の糸が繊細に編み込まれた下着、ショーツがあった。相当生地が薄いのか刺繍部分以外は肌が透けて見えた。

ここにも両サイドのリボンを見つけて舌打ちしたいのを歯を食いしばって我慢する。

 

「倒すぞ」

 

このまま脱がせるにしても、俺の上に乗ったままでは抜き取れない。

ゆっくりと深雪の体を横たえて、扇情的な姿を堪能することもできないほど怒りに目を曇らせていた俺はひもを引いてショーツとして役目を果たさなくなったそれを腰に手を添えて浮かせた体から一気に引き抜いた――のだが。

 

その薄い布から、粘液が糸を引いていた。

繋がっている先には深雪の裸体。

 

それがどういったものであり、何故付着しているのかを知らないほど無知でもなかった。

 

二人の間に長い、そして重い沈黙が落ちた。

欲は怒りで塗りつぶされるが、怒りは驚愕によって白紙にされるらしい。

そして真っ白になった頭で思ったことと言えば、

 

(キスだけで、これほどまで感じてくれていたのか)

 

煩悩の塊だった。

 

「・・・・・・すまない」

 

深雪が羞恥で顔を染め、俺から逃げるように横向きになって顔を覆った。微かに涙目だったのも見えた気がした

背を丸め、足を折り曲げ丸まっているようだが、一糸纏わぬその姿は彼女の感情をそのまま表す様に薄紅色に染まっていくのが見て取れた。

そんな姿に欲望と直結している下半身は熱を集め、今度こそ固くなったが、これはあまりにも最低だと己を戒める。

出来るだけ痛みが残るように分解を使って鎮めながら、深雪に謝罪する。

きっと今の深雪には届かなくても、何度詫びても許されるべきことでないことくらいわかった。

食いしばりながらすまない、悪かったと詫び、冷静になり始めると、何時まで深雪をこんな格好で放置しているのかと己を叱咤した。

着物をそっとかけてやりながら、改めて謝罪する。

 

「すまなかった。嫌がったら止めると言ったのに、俺は止まってやれなかった」

 

それまでとは違う、強い拒絶だったというのに、怒りに身を任せ、判断を誤った

それから言い訳じみた言葉を口走りながら、深雪が単衣を纏い始めたタイミングで帯を差し出すと驚かれた。

深雪はあの時驚きすぎて再生に気付けなかったもんな。

恐らく、ついさっき使った分解も気付かなかっただろう。冷や汗が出るほどの痛みを残した自動修復にも気づいていなかったはずだ。血も何も出ないようにしたし、サイオンの動きも最小にした。通常の深雪なら気付いただろうが、あのように羞恥で混乱していた状態では気づけないはずだ。

深雪が単衣の下に何も身に着けていないで座りなおしたことに気付いたが、痛みに集中して意識を散らす。

申し訳ないと思っていてもなお欲を抱いてしまう己の不甲斐なさも含めて深く頭を下げて謝罪する。

深雪から何故あのような行動をとったのかと尋ねられ、誠意をもってすべて白状した。

叔母上のプレゼントの下りと、俺が行動を起こしてしまった経緯を。

 

「深雪は欲しいが叔母上にプレゼントされたと思うとそのことが許せなかった」

「・・・それは、どうしてです?」

「プレゼント、と言うことはお前が一時的にも叔母上のモノだったということになる。それが嫌だった」

 

深雪が誰かのものであることなど想像するだけで耐えがたかった。

 

「それに、叔母上の用意した下着を身につけさせられていることも気に入らなかった」

 

しかも、叔母上のカラーでまとめられた下着など、より一層怒りがこみ上げた。

 

「・・・もしこれが、私の選んだものだったとしたらいかがです?」

 

その質問には虚を突かれ、怒りが霧散する。

深雪が、あの下着を自分で選び、身に着けたのだとしたら――?

下着姿を思い出す。

上から着るのではなくシャツのように羽織ってボタンの代わりにリボンで止めるタイプと言えばいいのだろうか。

こう言った下着には詳しくないのでわからないが、胸の下あたりで締められるリボンによって寄せられる谷間は美しい曲線を描いていて、ノースリーブのむき出しの肩に、脇までざっくりと空いている部分から覗く横にはみ出ている丸みを帯びた胸のラインもまた扇情的であった。リボンとリボンの隙間からちらりと覗く肌も指を差し込みたくなる魅力があって、リボンをきつめに縛ることで浮かび上がる括れと腰のラインもまた目を奪われる。

ショーツに至っては刺繍部分こそ糸が図柄を描いているので隠れているが、布が薄く、全体的に上と同じで透けていた。

そう、上も透ける素材の布が大半で、縁取るフリルが重なることで重要な部分が隠されている、そんな刺激的な下着だった。

これを、深雪が自ら選び、俺の為に着用してくれていたのだとしたら――

 

「深雪が用意してくれた据え膳なら喜んでいただくよ」

 

ただし、深雪の希望に沿ったセックスはできないだろうが。

 

(確実に理性を失うからな)

 

あの下着を身に着けた恥じらう深雪を前にして野生を思い出さない雄はいない。

想像するだけでも危険だ。

今は痛みがあるから目に見えてわかることはないだろうが――と、思ったのだが深雪の視線が泳いでいるな。頬も赤い。

・・・何かやらかしたか?

 

(いかんな。深雪を怯えさせたいわけではない。ここは一旦兄として、深雪を落ち着かせよう)

 

深雪の身体を抱きしめて、もう何もしないと欲を封印して触れる。

 

「結局俺はお前を傷つけた」

 

あれだけ傷つけるつもりはないと思っていたのに、まさか怒りに囚われて嫌がる深雪に無体を働くことになろうとは。

 

「ええ、傷つきました」

「!!・・・すまない」

 

わかっていたことだが、言葉にされると刺さるものだ。このまま抱きついてしまいたいが、それでは反省にはならない。

そして続けられた言葉に俺はさらに打ちのめされることになる。

 

「でも、お兄様に責任を取ってもらうつもりもありません」

 

その宣言は、俺を拒絶する言葉に聞こえて、体が硬直した。

一呼吸おいて、何とか言葉を絞り出す。

 

「責任を、取らせてはくれないのかい?」

「それではお兄様の都合の良いようになってしまうではないですか」

 

・・・それは、確かにそうか。

こういう場合責任を取るというのは男性が女性の一生をもらい受けるときの常套句だ。背負う、だなんて言っていても結局のところ手に入れることと何ら変わらない。

深雪が少しだけ押しのけて俺から体を離した。

しばし見つめ合う。

 

「お兄様はおっしゃいました。私に愛してもらいたい、と」

「ああ。兄としてだけでなく、男としても愛してもらいたい」

 

そこには恥も外聞もない、嘘偽りなく思いの丈を伝えた。

すると、深雪はにこりと微笑む。

純真無垢な笑みにも見えるのに、子供とは思わせない強い意志があった。

 

 

 

「でしたら、私に恋をさせてくださいませ」

 

 

――

 

 

――息が、止まるかと思った。

深雪の冷えた手が俺の頬を挟んで、視線が交わる。

 

「今度はお兄様が私に心を、恋を教えてください」

 

それは、あまりにも――

 

「・・・結局俺に都合の良いようになっているじゃないか」

 

俺が深雪に恋を教える?そんなことできるかどうかが問題じゃない。

彼女が言っているのは、俺がアタックしてもいいという許可をくれる、ということだ。

それなのに、深雪はくすくすと笑いながら。

 

「さて、それはどうでしょう」

 

惑わせるようなことを言いながら俺の胸に凭れ掛かる。

とんだ小悪魔もいたものだ。いや、深雪に小悪魔なんて言葉は似合わないな。深雪に似合う言葉は何だろう。

考えながら腕の中に閉じ込めて強く抱きしめる。

もう、離さないというのを言外に伝えるために。

 

「かぐや姫のような無理難題だろうと、必ずクリアしてみせる」

「・・・随分と自信がおありのようですね」

 

なんて深雪は言うけれど、深雪が俺を愛してくれている自信はあっても、恋をしてくれるかには自信はない。

恋と愛はまた別物だから。

 

「自信なんかないさ。だた、お前を手に入れられるなら俺はどんな無茶でもやり遂げる。そう宣言したんだ」

 

出来ることなら今すぐにチャレンジしたい。

だが、ここで焦ったところで、今の深雪はきっと動かない。

深雪がぶるりと身を震わせて俯きながら耳を赤く染めているのを見て、案外このままでもいけるのでは、と心が揺らぐが、おそらく自分の恰好に気づいたのだろうな。

その薄い衣の下には何も身に着けていないという事実に。

・・・俺も今は忘れるべきだ。

 

「今日はもう遅い。明日に備えて、寝るとしよう」

 

明らかに不自然な言葉であったが、深雪も同じくたどたどしく答える。

 

「そう、ですね。では布団を」

 

深雪の視線が扉に向かったことで布団を通常のものと交換させようとしているのが分かった。だが、それは悪いが止めさせてもらう。

名前を呼んで止めると、きょとん、と俺を見上げる。

ああ、可愛い。

そんなお前を困らせる俺を、どうか許してほしい。

 

「このまま一緒に寝よう。それ以上のことはしない」

「・・・・・・お兄様、それは」

「大丈夫だ。九校戦ですでに実証済みだ」

 

チャレンジはしないが少しでも深雪から離れたくなかった。

叔母上がまだ何かを企んでいるのでは、という思いもあるが、思いを自覚した今深雪を離せる気がしなかった。

明日はまた大変なことに巻き込まれることは想像に難くない。ハグの前借りが欲しかったというのもある。

 

「もちろん、お前が許してくれればそれ以上だって構わない」

 

冗談めかして言えば、深雪はぼん!顔を赤らめて力強く否を叫んだ。

残念だが今日のところは大人しく引き下がろう。

深雪の身体を離して立ち上がる。

寝巻が用意されているのは知っていた。着替えてくると伝えつつ、そうだ、と振り返る。

 

「深雪も、今のうちに別の下着を身に着けると良い」

「!!そ、そうですね」

 

わざわざ別の下着と言ったのに、深雪には変な違和感を抱かれずに済んだようだ。

俺も、存外嫉妬深い。いや、元から結構嫉妬は深かったが、人の用意した下着を身に着けていることにまで嫉妬にかられるとは思わなかった。

さっと浴衣に着替えて戻ると深雪はまだ戻らないので枕元に置いたCADと、首から下げたままのCADを触れて確認してからゆっくりと右手を上げてくしゃりと部屋の隅にまとめられていた下着に照準を合わせて分解する。

初めこそ、下着に決定的ととれる証拠をつけて使用人に持っていかせればそれで既成事実は作れるのではと考えていたのだが、そんなものでも深雪のモノが他人の目に触れるのかと思うとそれだけで許しがたく思えてきれいさっぱり痕跡を消した。

布団に残る、少し垂れた部分も当然のように跡形もなく消し去った。

むしろ、この方が俺らしいのかもしれない。

深雪の跡をひとかけらも残したくない。俺だけのものにしたい。誰にも見せたくない。

自分の考えに自嘲を浮かべながら下着を畳んで隅に置いて、布団に戻る。

・・・ふむ。

 

(このまま待っているのもいいが、どうせなら深雪を驚かせてみるか)

 

そして待っていると、お待たせしました、と入ってきた深雪が目を見開いて固まった。

良い反応だ。くすりと笑って手招きすると、しずしずと近づいて傍に腰を下ろす。

 

「し、失礼します」

 

緊張しながら布団に入ってくる深雪に胸を高鳴らせていることは気づかれていないのだろうな、と自身の表情筋の硬さを有難く思いながら微笑ましいと見えるように口角を上げながら見守った。

動き出しそうな体を抑えるのに苦労したが、ここでオオカミになって深雪を怖がらせたらすべて振出しに戻ると思えば我慢できた。

が、男として動けないのであれば、兄として動けばいい。

 

「取って食わないから、もう少し寄りなさい。それでは寒いだろう」

 

恐々と緊張しながら身を寄せる深雪の腰を抱き寄せて、密着させる。

せっかく一緒の布団に寝ているのに離れて眠るのでは意味がない。

 

「きゃっ」

 

可愛らしい慌てる声と同時に深雪の身体が重なるように半分乗っかる形に収まった。

柔らかな肢体とぬくもりが気持ちいい。

これなら、俺の心音も聞かれてしまうだろうが構わなかった。

 

「うん、これくらいだったかな」

「な、何がです?」

「九校戦でお前が俺で暖を取っていた時はこれくらい密着していた」

「そんなっ?!」

 

深雪は驚愕の声を上げるが、実際はこんなものどころじゃなかった。

絡み合う体にどれほど兄としての矜持が揺らいだことか。しかし、そう思うとあれだな。

 

「よかったな」

「よかった?とは」

「あの時俺がもしお前への想いに気付いていたら何もせずにいられなかっただろう」

「!!」

 

もしあの時俺が深雪への想いを自覚していたらと思うと、眠る深雪に何もしないでいられた自信はない。

むしろ深雪から来たのだからいいだろう、くらい開き直って撫でまわすくらいはしただろう。

・・・そこまで行っていたら、もう引き返すことなどできなかっただろうな。たとえ兄妹であろうとも、深雪が調整体でなかろうとも――それこそ深雪が嫌がろうとも手に入れようとしただろう。

それでは深雪が幸せになれないとわかっていても、自分の欲望を抑えきれなかったに違いない。

今は深雪の幸せを願えるから、互いの幸せが自分たちの幸せと気付いたから余裕が生まれて待ってあげられるようになったのだが。

 

「確認は途中になってしまったが、深雪にとって俺は変わらず兄のままなのだろう?」

 

念のため、現状を確認すると深雪は少し考えこんでから答えた。

 

「分かりません」

「わからない?」

「・・・お兄様はお兄様です。それは今までも、これからも変わらない。お兄様にとって私がずっと妹であるように不変の真実です。

ですが、変わらず、というのは恐らく違います。お兄様からお気持ちを聞いて、私は自分の心がわからなくなりました」

 

・・・深雪は深雪なりにこの短時間でいろいろと考えてくれていたらしい。

俺の場合、先に自覚したから早かった。受け入れられたが、深雪には自覚すべきものが無かった。深雪にとって俺は兄であり、血縁者であり、憧れはあったとしても異性ではなかった。そう易々と受け入れられるわけがない。

 

「お兄様を愛しております。そこは間違いがありません。ただ、その愛の種類と訊ねられるとわからない、としか言いようがないのです。・・・恋ではないと、否定することも」

 

できないと言う深雪が、愛おしさがこみ上げる。

逃げ出さずに考えてくれていることが嬉しかった。

 

「そうか。全くの脈無しではないんだな」

「・・・わかりません」

 

正直に答えてくれているのだとわかると、曖昧な答えでも受け入れられるものなのだな。

だが、この曖昧な答えがどちらかに傾いている「わからない」かは、誤魔化そうとしている深雪には悪いがわかりやすかった。

だからこそ、――考える時間を与えられる。

 

「分かった」

「お兄様?」

「待つよ。お前が俺に恋をしてくれることを。何も今ある感情から焦って探し出すことはない。これから育んだって良いんだ。そして必ず結婚をするまでに恋をしてもらえるよう、待っているだけでなく努力するとしよう」

 

時間は、あまり与えられないかもしれない。この婚約には物言いがつくという。

叔母上も想定していた。あの人が意見を曲げることはないと思うが、あれでも立場のある人間だ。ある程度の意見は聞き入れなければ一族の存続にまで影響を及ぼす可能性があるとなれば、一考くらいするかもしれない。

少しでも隙を作らないためには両想いで誰も入ることができない状態に持ち込むのがベストだ。そうなればいくら血の濃さを主張しようとも、貴重な魔法師の存続の危機と騒ごうとも世論が黙っていない。

こういう時、敵対国や敵対組織が頑張って操作してくれるだろうからな。

 

「電気を消してもお前の赤い顔はよく見える。こんな体に生まれたことも、お前の傍に居るだけで全て良かったことになる――ありがとう」

 

今日は色々とありすぎた。こんな状態でも眠気が襲う。

肉体は問題なくとも精神が疲労しているのだ。これではまたストレスをため込み深雪に迷惑をかけてしまう恐れがあった。

ただでさえ気が滅入る四葉のイベントだ。絶対に迷惑はかけられない。というよりこんな時くらい俺が支えてやらなければ。

そう、思うのに。

 

「・・・お兄様が生まれてくださったことに感謝を。お兄様がいてくださるから、私は生きられるのです」

 

しがみ付くように腕に力を込められた。全く苦しくないが、心臓は苦しいくらいに騒いだ。

そして続けられた言葉に、ふっ、と体の力が抜けた。

深雪はいつだって俺を支えてくれる。息がしやすいように、空気を変えてくれる。

 

(欲しい。もっと、もっとお前が――)

 

回した腕で強く引き寄せてさらに密着させる。

深雪ももう限界だったのだろう。温かくなり眠気に襲われて徐々に抱きつく力は弱まるが、重みが増した。

もう、夢の世界に旅立っただろうか。

除夜の鐘が遠くで鳴っていた。

きっと108つ聞いたところで俺の煩悩が消えることはない。こうして腕の中で抱いているだけでいくらでも浮かんできてしまうのだから。

そのうちの一つを、額に口付けて満足させて目を閉じ、意識を落す。

 

新しい年が始まる。

何かが大きく変わる一年になるだろう。

それでも、こうして腕の中に深雪がいてくれるのであれば、どんな困難も乗り越えられる。

 

 

(愛するお前の為ならば魔王にでも救世主にでもなってやる。だからどうか――)

 

 

 





お兄様サイドいかがでしたでしょうか。
大分本編の深雪成主側と話が違う、と思うのですが。
というより大分原作とかけ離れたお兄様になってますね。欲望?煩悩?がすごい。
でも深雪ちゃんと逆転なんだからこれくらいになっていただかないと、とはっちゃけてもらいました。
シリアスに見えるようでいて実際言っていることややっていることは深雪成主好きすぎて独占欲と嫉妬で友人仲間以外に興味が無く、自分たちが良ければいいか、と割り切って小さな世界で幸せに暮らすことしか考えていません。究極深雪成主と二人幸せであれば他がどうなってもかまわない――これは原作にもありますが、それをさらに濃縮しちゃった感じになりました。なので一歩間違えるとお兄様病んじゃいそう。深雪成主頑張って!(←
我慢すると言いながら、全然我慢できていませんよね。進む気満々(笑)
叔母様の用意した下着はかなり好みだった模様です。


後編へ続く…?

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