妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前)   作:tom200

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四葉継承編をお兄様視点にするとこうなる、というお話後編です。



四葉継承編 後編 達也ver.

温かなぬくもりに包まれ微睡みながら意識を浮上させると、女神も裸足で逃げ出すほどの美の化身たる、まだわずかに幼さが抜けきれない美少女が、その女性特有の柔らかい肢体を離さないとばかりに絡ませ、一部の隙も無いようにぴたりと密着させていた。

その事実だけでも目覚めたばかりの脳が沸騰しそうだというのに、自身も離さないとばかりに抱き寄せている腕と、逃さないとばかりに絡ませている足が無意識化でも欲望が表れてしまっているようで心地悪さを覚えるがそんなことはどうでもいい。

完全な九校戦の夜の再現だった。

あの時は互いに寝巻だったから問題ないが、今着ているのは・・・纏っているのは、何もなかったはずだが少々、というには肌色が多く見える寝乱れた浴衣と単衣。

好きだと自覚した後でのこの状態、欲情しない人間がいるなら見てみたい。

朝ということも手伝って自身が主張を始めるが、寝惚れられたのは一瞬で、この後の予定をしっかりと思い出したことにより鎮めること一択しか選択肢が選べないことが残念でならなかった。

いや、残念がることもできない。なぜなら告白こそしていても、肝心の深雪からの了承は得られていない身だ。

そんな現状でまさか寝込みを襲うことなどできようはずもない。・・・そもそも寝込みを襲おうという発想の時点でアウトだ。まだ頭が正常に働いていなかった。

このまま何事もなく順調にいけば、問題なく深雪は応えてくれる。こんなところで信用を無くすような真似はできない。

たとえ、状況が自分だけの意思でこんなことになっているわけでなくとも、昨夜のことがあったにもかかわらず、無意識に絡みついている深雪に現状を教えて混乱させるわけにはいかない。

今日はこれから隙を見せることのできない予定があるのだ。下手に動揺させるようなことがあってはならない。

それにいくらこんな美味しい状況であろうとも、焦りは禁物だ。警戒されて距離を作られてはたまらない。

ままならない現状を理解しつつもため息を漏らしそうになるのを堪え、まずは慎重に自分の手を外して、深雪の柔らかな体を、熱をゆっくりと離していく。

その柔らかさを直に掴んでは実感して体が熱くなるが意識を散らすよう今後の予定を考えながら外していった。

何度か目覚めてしまうのでは、と心配になる場面がありつつも眠る前の腕枕の状態に戻して一仕事を終えたとばかりに今度こそ大きく息を吐いた。

何度心が折れかけたことか。

もう、いっそこのまま食らってしまおうかと思うたびに、これまでの努力を台無しにする気かと思いとどまり、を繰り返した。

朝からものすごい疲労感だが、腕の中ですやすやと眠る深雪の寝顔を見るだけで無駄ではなかったのだと心が癒されていくようだ。

 

(しかし、これはなかなか問題だな)

 

以前の九校戦の時とは違い、意識したことで欲望を抑えることが難しくなっている。

兄が妹にそんなものを抱くなんて、と律せていたのが嘘みたいに触れるだけで、匂いを感じるだけで何度生唾を飲み込んだことか。

これは後でご褒美をもらわないと、等と考えてしまうくらいに頭が茹っていた。

そんなことを考えながら愛おしく妹の無防備な寝顔を眺めていると、長いまつげがピクリと震えた。

覚醒が近いようだ。

 

(目が覚めたらキスをさせてもらおう。きっと寝起きの深雪なら恥ずかしがりながらも許してくれるだろう)

 

簡単に想像がついた。

しっかりしているようでいて押しに弱い深雪のこと。目を閉じたら了承の合図、との昨夜の取り決めを使えばしょうがない、と大した抵抗もせずあきらめて受け入れるはずだ。

そして案の定、寝ぼけた深雪にキスを受け入れてもらいながらもう少し、と深く踏み込もうとしたが、さすがに深雪もその頃にはすっかり目を覚ましていて初日の出を拝みたいのだと懇願してきた。

その必死さもまた愛らしくて抱きしめてしまった。

拒絶されたと落ち込むことが無かったのは、深雪が真っ赤で潤んだ瞳のまま訴えていたから。その際ぎゅっと浴衣を掴まれて言われてしまえば嫌悪による拒絶だと勘違いする方が難しい。

深雪を抱き上げ、飛行デバイスを操作して屋根の上に。

寒さのあまり抱き着く深雪に役得だと思いながら深雪の端末を渡し、冷気を取り除いても貰う。相変わらず見惚れるほどの精密な操作だ。

初日の出に感動することはないが、照らされた深雪の眩しさは拝みたくなるほどに美しい。神々しさすら感じる。

一番に新年の挨拶を述べるより早くキスを強請ってしまったのは流石に図に乗りすぎだろうか。

だが、触れるだけで留めようとしたのに離れる際の深雪の切なげな表情にグッと心臓を掴まれる。

自身では気づけないのだとわかっていてもこれはなかなかクるのだが、ここでがっついて引かれるわけにもいかない。

それにしても恥ずかしがりながらも応えてくれる深雪の可愛さは天井知らず、だ。

順番が逆になったが新年の挨拶と共に抱負を述べる。

 

「今年の目標はお前に恋をしてもらうことだな。そのためにもどんどんアプローチをさせてもらおう」

 

恋をしてもらう、というより自覚してもらうが正確なところであるが、下手に混乱させるよりはいいだろう。

ついでに深雪に触れる口実も付け加えさせてもらう。もう、深雪に触れられない生活には耐えられないだろうから。

 

「・・・お手柔らかにお願いします」

 

努力はするつもりだが、恥じらいながら可愛くお願いされては逆効果だということに深雪は気づかない。

俺以外にしないよう後で注意しないといけないな。

 

 

――

 

 

それから部屋に戻り、最低限の身支度を整えると入ってくるのはいつもの倍の使用人たちだ。

深雪だけでなく俺までも着飾らなければならないのは辟易したが、今回の発表を考えればこうなることは予期できた。

だが、さすがに化粧までは受け入れられない。

慶春会に参加したことが無いのでわからないが、正装をした勝成さんや文弥なら見たことがある。彼らがこんな化粧を施されたのを見たことはない。

これもまた叔母上の御遊びか。拒否すれば簡単に引き下がったので、一応確認のようなものだったのかもしれない。

いつも以上にかかった支度を整え終わっても深雪の方はまだのようだった。

待つことしばし、深雪の気配が近寄ってきたので立ち上がって待つと、昨日のドレス姿とは種類の違うお姫様が現れた。

しかもこちらは肌の露出がとことんないというのに、ほっそりとした首筋から、紅を差された唇から、いつもより伏せられている瞼から覗く黒曜石もかくやの美しい瞳から、えも言われぬ色気が漂っていた。

昨日のマッサージの効果も発揮されたままなのかもしれない。使用人たちも完成した深雪の姿に目を奪われている。

その気持ちはよくわかった。あまりの完成された美しさに見惚れ、使用人たちもいるのに動くこともできずに見惚れた。

だが、それは深雪も同様なのか、俺が目に入ると伏せられていた瞼が持ち上がり、動かない代わりに頬を染めた。

俺なんて、着飾ったというより着させられた案山子のようなものだろうに。深雪の美的センスはやはり狂っているのかもしれない。だが、悪い気はしない。

深雪が、他に視線を向けないで俺にだけ見惚れてくれていることの奇跡。

使用人たちが静かに下がり、しばし二人きりの時間が与えられた。

互いにどちらともなく歩み寄り、化粧が落ちるからと顔には触れられはしないが、皺が寄らない程度に軽く抱きしめ合う。

この後多大なストレスを受ける事を予感して引き寄せられたということにしたけれど、二人して見惚れて何も考えないで引き寄せられたのだということはわかっていたが、それを素直に口にできるほど俺たちもまだ自分たちの感情を持て余していた。

・・・理性とは簡単に外れてしまうのだな。できる事ならこのまま誰にも見せずに閉じ込めておきたいが、それができないことくらい理解できる。

それから控室へ案内すると使用人が現れ、移動すれば文弥達がすでに準備を整えて待っていた。

勝成さんはいない。夕歌さん曰く、毎年ここで一緒になるとのことだったが。

大晦日の件で気まずいのか、彼の家の都合か。今来ていないということは今回ここに顔を見せることはないのだろう。

とりあえず文弥が化粧をしていないことにこっそりと安堵した。

亜夜子が回して和気あいあいとした空気が流れたが、夕歌さんと深雪はお澄ましのお嬢様モードのようで、先日打ち解けたあの姿ではなかった。この二人にはまだ打ち明けるつもりが無いということだろうか。

可愛いモノが大好きな深雪ならこれを機に近づくかと思ったのだが、まだ何かあるというのか。

なんとなくだが、夕歌さんと打ち解けられたのは何かが解決したから心を開いて見せたように思う。

だとすると、この姉弟にはまだ解決しなければならない課題があるということになる。

一体なんだろうな、と考えながら内々の新年の挨拶と衣装を褒めて談話していると、夕歌さんが謎のアドバイスをもらう。

その苦笑の合間に一瞬俺たちにしか見えない角度で浮かべられた悪だくみをしているような笑みが挟まれ、この人も四葉の人間だなと昨夜散々見た当主の顔が重なった。

あの時のような嫌な予感は働かなかったから問題はないと思うが。

この場の案内人は水波のようだった。

この大役を任せられているからずっと姿が見えなかったらしい。

案内をして戻ってきては徐々に疲労の色を濃くしていく水波に、何かがあるということはわかるが、一体何があればこれほど彼女が疲弊するというのか、と思っていたのだが。

最後に俺たちが入場する直前、人気が無い隙を見つけて水波からも気遣わし気に忠告をもらう。

その意味は入場してすぐに分かった。

伝統を守っている、といっても四葉としての歴史はたいして長くない。代々続く家ならまだしも、こんなパフォーマンスが受け継がれるとも思えないのだが、・・・武家屋敷がこのイメージを作ったのか、俺が知らない歴史でもあったのか。

とにかく腹筋に力を入れて噴出さないようにするのが精いっぱいだった。

よくもまあ、彼女たちは笑わずに耐えられるものだ。毎年参加していても慣れる気がしない。

残念なことに俺たちの入場は最後の方だったため他の人の耐える姿が見られなかったことが悔やまれる。

どうせなら年齢順であれば夕歌さんと勝成さんの分は参考に――いや、見たところで参考にできたかは微妙だが。

深雪は完璧に仮面を被っているようだが、わずかに動きが鈍い。必死に堪えているのだろうと思うと頭を撫でてやりたくなる。後でしっかり褒めてやろう。

案内される席は上座。当主のものと思われる席のすぐ隣だった。深雪に向けられる賛美の視線は当然ながら、俺に向けられるのは少数でもない驚愕、困惑、憎悪等の視線。

深雪の方に向けられる悪感情は視られない。なら問題はない。

それらの視線も当主の入場によって断ち切られる。

大勢の人前で緊張するような感情は持ち合わせていないし、深雪も非常に落ち着いていた。

昨夜に聞かされていたからこそだろうが、それにしても堂に入っている。流石深雪だ。

今日はたくさん褒めてやることができそうだな、と当主の挨拶を適当に聞き流していたのだが、勝成さんの婚約は問題なく受け入れられ、深雪の次期当主の発表に歓喜の声が上がったまでは良い雰囲気であったが、俺が当主の息子であり、次期当主の婚約者に指名されると場は騒然となった。

阿鼻叫喚一歩手前の雰囲気だが、それを愉しそうに見つめる『母上』の様子に徐々に混乱の熱は冷めていく。

罵詈雑言こそ飛ばなかったが、彼らの心境としては飛ばしたかっただろう。いくつか睨むような視線を受けるがそれはお門違いもいい所であるが(何せ決定したのは当主だ)、深雪を婚約者としている立場上甘んじて受ける他が無い。

兄妹でないなど否定したい事実であろうとも、深雪との婚約を棒に振ってまで拒絶するものではなかった。

真実は俺たちだけが知っていればいい。

しばし質疑応答の時間が与えられていたが、もう何年も前に練られている計画、穴など無いとばかりによどみなく答える当主の対応に分家たちはたじろいでいた。

ある程度の疑問に答えてから、今後の俺たちの生活にも触れるが、しばらく準備が整うまで今まで通り司波として今の家で過ごすというところまでは良かった。

が、この人に道徳を語られるとはと思った矢先に「魔法師は人手不足だから大歓迎」発言に、やっぱりこの人は狂ってるなと実感した。

同時に余計なお世話である上そんなことできるはずがないだろう、という反論と、だが言質は取ったぞ、のある種対極の考えが浮かび、こんな場だというのに頭を抱えたくなった。

 

(・・・深雪を待つんじゃなかったのか)

 

もちろん無理強いをするつもりなんか無いが、深雪が流されてくれるならそういうこともあり得るのではと期待もあるわけで。

 

(俺も人並だということだな)

 

男子特有の猥談談義に参加してもほとんど聞き役ではある(というか聞き流している)が、はっきり言って他人事のように思っていた。性欲が無いわけではない。だが、わざわざ妄想をして楽しむことなど無かった。

今思えば当然だな。深雪相手にそんな妄想をできるわけがないし、ほかの女性になど目を向けること自体無かったから。

それは、目の前でそういった場面(例えば二人きりの個室で煽られたり、制服の下に隠された体を見ることになったり、水着がずれてしまったり、というトラブル)があれば反応するのは健全な男として当たり前のことだが、俺が他の男子たちと違うのはその先を一人想像することが無いことだろう。

元々そんな余暇が無いこともそうだが、深雪が傍に居てそのような妄想に耽ること自体兄として自制がかかる上、無自覚にも深雪に恋をしているわけだから他の女性と、なんてそもそも思いつくことではなかった。

自覚して、更に昨夜深雪の裸体を知ってしまった今、もうほかの女性となど思い描くこともできなくなっただろう。

彼らの話していた猥談の妄想相手に深雪を置き換えてしまうくらいには頭が沸いていた。

 

「ふふ、深夜が抱けなかった孫を私が抱いてあげられるのね。楽しみだわ」

 

話が飛躍し会場の空気が硬くなったが、これは孫発言よりも当主の口にした名が問題だった。

母の名を記号のようにではなく親しみを込めて呼んだことに皆驚愕しているのがこの場からだとよく見えた。

叔母上の言葉は一種の符号になっていたのだろう。葉山さんが動き持ってきたのはプロジェクター。

そこに投影されたのは亡くなる前の母だった。

深雪が、目を奪われているのがわかる。この場での上映について考えているというよりも単純に見惚れているのだろう。相変わらずこの子は母の美貌に弱い。

映像から流れる言葉一つ一つに会場にどよめきが走るがそんなことはどうでもいい。深雪の目が潤みはじめ、涙を湛えていた。

誰もがモニターに集中しているので多少動いたところで構わないだろう。

念のため用意しておいたハンカチを懐から取り出して深雪の下ににじり寄ると、涙を流すタイミングでそれを押し当てた。

深雪の視線がこちらに向く。

潤う瞳がとても美味しそうに見えるのは、腹が空いているからでないことくらいは理解している。

新年早々煩悩に塗れていることを自覚しながらも表情は兄らしく、感涙している深雪を微笑ましく思うことにしよう。

俺が微笑みかけるだけで深雪がぽろりと大粒の涙をこぼすから、心が大きく騒いだが、表には出さないよう努めて涙をぬぐうことに専念した。

聞こえてくる母の言葉に何も思わないわけではない。

そんなことを思っていたのかという驚きもあったが、それを上回るだけ深雪が愛らしかったのだ。画面には映し出されているわけがないが、呆れた視線が向けられているような気がした。

母には事あるごとに牽制されていたが、当然叔母上の計画を知っていただろうからただの深雪の取り合いだけでなく、娘に近づく不埒者に対しての牽制でもあったのかもしれない。・・・当時、そんな不埒な真似などした覚えはないが。

映像はそう長くはなかった。

当たり前だ。あの頃の母にそんな長尺で話せるだけの体力はなく、一方的に話すだけの映像だ。

だがその短い時間であっても、彼女ら姉妹を知る大人たちには相当な衝撃だったのだろう。

映像を見ている者の中には放心状態の者もいた。

そこに当主からの復讐という言葉が無造作に投げかけられたものだから再び動揺が走る。

だがこの反応を見るからに、本当に俺が彼らに逆襲をすると思われていたのかと呆れも抱く。

強い衝動を奪っておいて、人の感情を無くしておいて何故自分たちが復讐されると思うのか。

恨みが全く無いかと聞かれれば興味が無いと答える。

彼らが今さら何を思おうがどうでもいい。幼い頃であればまた違っていただろうが、全てを諦め、唯一を手に入れた今、彼らから何かが欲しいなどと血迷ったことを思うことはない。

これで深雪に対して俺のことで悪感情が向くというのであれば話は別だが、それは無さそうだ。

しかし、叔母上の言う四葉らしい、愛情の深い女性という言葉に引っかかりを覚える。

四葉が愛情深い、とはいったいどこの誰が言い出したのか知らないが初めて聞いた。

だが、その一言で腑に落ちることもあった。

――だから、俺が嫌われたのか、と。

一族への愛情が深いからこそ、俺のような異分子を排除しようとしたのか。

知ったところで過去がどうなるわけでもないが、今後先読みする際に必要なキーワードにはなるだろう。

ついでとばかりに意図的に不出来として扱ってきた息子だが評価を改めるように、と公言したことで視線がこちらに集中するが、余計なことをと思ったのも一瞬、息子として表舞台で活躍しなければならない場面が近いのかと今後想定される世間の情勢を浮かべる。

・・・どうやら今年も平穏に過ごすことはできないらしい。

この発表が世間にされるだけで国内だけでも騒動がありそうだとは思ったが、それに乗じて海外も動き出すのか。

 

(深雪と幸せに暮らす生活を邪魔するというのなら、すべて排除するまで)

 

こちらを巻き込まずに勝手に外部でやっていてくれ、と思わなくもないが深雪が四葉家次期当主となった今そうも言っていられなくなった。

 

「どんな手を使っても、我らの四葉を守りましょう。力とは壊すためだけにあるのではないのです」

 

当主のこの言葉に、ただの新年の挨拶の締めくくりとして受け止めるのではなく気を引き締めた一同はやはり四葉と言うべきか。一般に流れている以上の情報を各々持っているのだろう。

これが師族会議等であれば同等のはずの家同士であろうとも腹の探り合いや情報の差が出て説明を要求されたりと時間の無駄が出るはずだ。

せめて軍を通してでも認識の共通化を図ればいいが、内部に簡単に敵が入り込んでいる現状では難しいのか。

敵云々以前に軍にも当然ながら派閥が存在するからな。上手く情報が行き渡るわけがない。

 

「深雪さん、先ほどまでの反応を見るに、貴女は深夜の遺言は視ていなかったの?深夜の映像をくれたのは貴女でしょう?横浜の騒動の後に」

 

しんと静まり返った会場に、叔母上の先ほどまでと違った弾んだ声が通った。

親しげにかけられる言葉に違和感を覚えるも、深雪は卒なく返す。

ごく普通のやり取りに聞こえるが、またも爆弾は投下された。

 

「ねえ。いつものように呼んでくださっていいのよ。わたくし達の仲でしょう?」

 

人を追い詰めることを悦びとするような人の悪い笑みだった。

こんな笑みを浮かべる人間はけして信用してはならないと言う見本のような笑みだ。

出来る事なら深雪の目を塞いでやりたいくらいなのだが――深雪と叔母上の仲とは・・・?

深雪はその視線を受けても、堂々とした――というより空気が和らぎ自然体のようになって応えた。

 

「いくら嬉しいからと、少々浮かれすぎではないのですか?――真夜姉さま」

 

・・・・・・・・・。

年甲斐もなく何を深雪に言わせているんだ?この人は。

関係と言っても叔母と姪だろう、と冷静に答える深雪だが、その会話は気心の知れた者同士のやり取りにしか見えなかった。

二人の間に自分の知らない関係性があるような気はしていたが、やはり昨日感じた違和感は間違っていなかったのか。

一体いつから深雪はこれほど当主と親しげに付き合っているのか。

俺の知らないところで何が起きているのか。

 

(・・・もっとリソースを深雪に割くか?)

 

・・・・・・いや、深雪にもプライバシーがあり、あまりプライベートにまで過干渉するのは・・・しかし、叔母上とのこの関係性は看過できるものではない。

 

「そして私の息子の嫁でもあるわ。つまり貴女も数年後には私の娘になるの」

 

この言葉にやはりそれが目的だったか、と改めてこの人を要注意人物と認定した。

俺を息子にし、婚約者として据えることで深雪を手に入れようとしていたのだ。

だが続く深雪の言葉に、考えさせられる。

義理の母と呼ぶのに当分先、とは――確かに高校では学生結婚は無理だろうが、大学在学中なら魔法師界であればそこまで早いということもない。

それなのに彼女のニュアンスではその更に先の数年後のように取れる。

結婚を先延ばしさせられる何かがあるのかと若干不安を感じていると、叔母上も何かを感じたのかこちらに顔を向けると、

 

「ちょっと達也、貴方まさかまだ告白できていないのではないでしょうね」

 

矛先がこちらに向けられた。

呆れの視線付きで。

大きなお世話だ!と言ってやりたかったが、そんな子供じみた発言をするほど子供でもないが、かといって大人な対応などできるわけもない。

 

「告白は昨晩のうちにしました。ここからはプライバシーもありますのでご容赦を」

 

せめてもの反抗として慇懃無礼に言ってのけた。

普通昨夜の状態で告白までこぎつけているだけでも相当スピーディーだと思うのだが。俺自身かなり焦ってもいた。

むしろ即お断りからの拒絶だってあり得ないわけではなかったのだ。深雪の優しさと流されやすさが勝敗を分けたと言っても過言ではないと思う。

もちろん、深雪の気持ちがこちらに傾いていると思えたからの行動でもあったのだが、それでも100%と断言できるほどの根拠はなかった。

しかし、うちの息子までヘタレでなくて、とはどこのことを言っているんだ?勝成さんは実行しているわけだから除外するとして・・・まさか他家の一条か?深雪の周辺を監視していたなら必ず目に付くだろうからな。

アレと比べられても勝負にならんだろう。

何せあいつは告白どころかまともに話すこともできないのだから。

まあ、深雪を前にして話せなくなる気持ちは分からなくもないが、それにしてもあれだけ注目を浴びて育った人間があれではな。

どうでもいいが。

会場は相変わらず落ち着きのない雰囲気ではあるが、深雪との会話で気が抜けたのか、ずっと緊張感が漂っていた空間が和らいだ。

当主の挨拶も終わったことで止まっていた時が動き出したように使用人を呼び飲み物、特にアルコールの注文が飛び交った。

一応目出度いことの発表後なので挨拶にこられる可能性があるかとは思っていたが、葉山さんからの挨拶には驚いた。

しかしこれも予定調和の一つだったということはこの後に続けられた言葉で理解した。

先ほどの叔母上の言葉にあった俺の実力の一端をこの場でお披露目してはどうか、との提案だった。

衆人環視の中でデモンストレーションをしろ、と。

叔母上がはしゃいで催促するがはっきり言って気が進まない。・・・いつも以上にそう思うのは深雪との関係を隠されていたこともあって蟠りがあるのかもしれない。

だが、続く深雪の、

 

「、達也さん・・・あの、私も拝見したいです」

 

恥じらいながらも周囲の視線を思い出し、兄と言えずに俺の名を呼び、いじらしくお願いする言葉に誰が否と言えようか。

抱きしめたいのを堪えるため固く目を閉じ邪念を払って精神を統一する。

深雪のお願いだ。どのみち俺に断る権利などないのだが、モチベーションは変わる。

申し訳なさそうにおねだりする深雪が見られただけでも気分がいいが、どうせなら叶える代わりに俺からもあとで何かを強請らせてもらおうか。

一応当主に断りを入れて、深雪の傍を離れる事にも彼女の手にそっと触れて許可を得てからその場を後にする。

常であれば嫌悪や蔑む視線が向けられるのだが、今向けられているのは品定めするような視線と、・・・これは畏怖、か?よくわからんな。

誰もが突然発表された当主の息子の存在に戸惑いを隠せないのだろう。

俺にしてみればその立場を得ることで、深雪との結婚に異を唱える者がいないのであればどんな立場だろうが肩書だろうが構わない。

一番恐れていたのは俺を差し置いて誰か婚約に立候補する可能性だ。今のところその流れは無さそうだが、気は抜けない。

ここで力を示すことも悪いことではないかと頭を切り替える。

これも深雪との結婚のためのプロセスの一つだと思えばたとえ面倒であろうとも苦ではない。

 

 

 

それから戻ってくるとすでにステージはセッティングされ、標的に向けて魔法を放つ。

多少修正の余地があるな、と使い勝手を確認して片付けをしていると周囲のざわめきの合間を縫って勝成さんが声を掛けてきた。

若干声に硬さがあったのはどうやらこれほどの魔法があって何故自分たちに使われなかったのかという問いがメインのようだが、考えても見てほしい。

俺は退けたいだけであって殲滅を考えていたわけじゃない。

そもそもこの魔法を使われたらどうなるかわかっていての問いだろうか?

分解が通じる相手に必要ないとだけ言えば、多少誤解を招いたか怒りがこみ上げたようだが、この場を乱すつもりはないのだと言わんばかりに呼吸を整え去っていった。

分解が通用する相手だからといって彼らにそれを使うことも殲滅同様できるはずがない。深雪の前でわざわざ再生を使わなければならない場面を何故作らねばならない?必要以上の心配は――と思ったところでわざと食らった攻撃で結局のところ深雪を心配させ、自傷とはいえ怪我をさせてしまったのだという事実を知ったのは昨夜のこと。

あのままキスをしなければ一生知ることはなかったと思うと、これからキスをするのに理由は事欠かないかもしれないなどと不埒なことがよぎる。

どうにも思考回路が兄からかけ離れてきてしまっている。

少し頭を冷やした方が良さそうだ、と考えつつ向かうのは深雪の下。

 

「お疲れさまでした、お・・・達也さん」

 

・・・なんだろうな、この可愛さは。

恥じらいながら名を呼ばれるだけで胸が苦しくなる。

この愛おしいと思う感情はいくらでも湧き上がるらしく際限がない。

抱きしめたいのを、差し出してくれるグラスを受け取り堪えつつ、はにかむ深雪を堪能する。

四葉の人間がこれだけいる中で気を緩めるなどできるはずも無く、当然顔も緩んでいないはずだが、挨拶にやってきた他所向きの顔をした夕歌さんからの胡乱気な視線がなんとも心地の悪い思いがした。

気にするつもりも無いが、少しばかり気を引き締めた方がよさそうだ。

文弥も挨拶に来てくれたが、亜夜子は体調を崩して休んでいるとのこと。今朝見た限りは普通のようだったが。

心配だな、と声を掛けると文弥は複雑な表情を見せたが、それが何を指しているのか俺には見当もつかない。

ある程度会話をしている間、深雪が落ち込んでいるような気がしてそちらの方が気にかかったがこれから挨拶回りもある。

視線を向ければ、大丈夫と微笑む深雪に休ませてやれないことを申し訳なく思うが、深雪は仮面を完璧にかぶってにこやかに挨拶をして回った。

 

 

――

 

 

今日はこのまま部屋に戻って、と思っていたが当主に呼び出され、不機嫌になる俺を深雪が慰めてくれるという場面があったが、すまない。深雪をちゃんと休ませてやりたいのに。

せめてこの話をすぐに終わらせて部屋でゆっくり休もう、と意気込んで呼ばれた部屋に向かった。

正装のままではない。呼び出しの後すぐに着替えさせられたのだ。

先ほどまでの恰好に比べれば比較的楽な姿(とはいえ品位は損なわない程度)で叔母上との三者面談にしか見えないささやかなお茶会とやらが始まった。

警戒心を隠しもしない俺と、それすらも楽しむように返す叔母、それを表面上は嫋やかに、心の中ではきっと困惑しているだろう深雪が微笑んで見守っていた。

この応酬に終止符を打ったのは叔母上。

 

「ああ、そうそう。水波ちゃんはせっかく地元に帰ってきたんだもの。一日くらいお休みがあっても良いでしょう」

 

この言葉に、深雪は目を輝かせて賛同するが、俺はさらに警戒心を高めた。

叔母上は決して深雪のような善人ではない。

水波の為に休暇を用意するとは思えない。吊り上がる口角を見て別の何かを企んでいることは明白だった。

 

「――叔母上、何をお考えです?」

 

このタイミングでガーディアンである水波を深雪の傍から外すという。

もちろん俺一人だろうと深雪を護衛することに問題はないが、このタイミングで俺と深雪を二人きりにする――昨夜のことといい、慶春会中の発言といいあからさますぎるのが逆に何かの罠に見えて怪しく思えてくる。

 

「あら、一体何を考えていると達也さんは思っているのかしら」

 

白々しい発言だ。この人はどうあっても俺を弄びたいのだ。そう思わせる笑みを湛えていた。

 

「なんて、冗談よ。そこまで干渉することもないわ。大晦日のプレゼントもただ喜ぶだろうとしただけだから」

「何の意図も無かったと?」

「今まで何もしてあげられなかった息子にプレゼントすることの何がおかしいのかしら」

 

何がおかしいって何もかもおかしいだろう。

何故よりによって息子への初めてのプレゼントが愛する妹の下着なのか。

婚約までさせておいて干渉していないというのも大いに間違いだ。

あんな布団まで用意して、散々磨き上げた深雪を送り込んでおいて・・・あのまま理性を無くして事に及んでいたらと思うとぞっとする。

(下手をしたら深雪に恐れられていた可能性があったんだぞ?)

 

「私のセンスも悪くなかったでしょう?」

 

その言葉に思いきり顔を顰めてしまったのも仕方ないだろう。・・・大変遺憾ではあるが、あの深雪の姿は理性を焼き切るほどの威力があった。今思い出しても興奮を抱けるほど魅力的な姿だった。

だが、それを素直に認められるかと問われれば、激しく拒絶したい。したいのだが、あのような下着があると存在は知っていてもあそこまで深雪の魅力を引き出す代物を、俺一人では見つけることはできなかっただろう。

悔しいが、この件に関しては敗北を認めざるを得ない。

叔母上のこちらを見透かした笑みが癪に障るが黙るしか選択肢が無かった。

屈服させたことに満足したのか、話が戻る。

本来慶春会は三が日丸々行われる。

予定通りであれば俺たちも最終日までの参加が予定されていたが、年末の騒動により周辺が騒がしいらしい。

この村に余所者が入ることはできないが、帰るにはここを出なければならないわけで。

 

「二日の夕方までには検問が解除される予定になっているからその隙に二人だけ先に帰った方が良いと思ったのよ」

 

交代するタイミングでもあるらしく一番警戒が薄くなるらしい。・・・逆にそんな中出たら怪しまれないか?と思わなくも無かったが、そもそも高校生が容疑者として疑われる自体可能性が低い。

魔法師であるかなどCADを隠してしまえば一般の非魔法師には見分けもつかない。

だが、なんとなく引っ掛かりを覚えた。

何故、水波も戻さないのか。

 

(・・・・・・・・・まさか)

 

「このような勝手が許されるのは今年だけだと思ってちょうだい」

 

続けられた言葉は、来年はフルで参加しろとのこと。

どのみち次期当主とその婚約者に据えられたのだ、それくらいの役目は果たさねばならないだろうことは覚悟していた。

それから、今年は師族会議で四年に一度の十師族の選別が行われる。バタバタするというからには入れ替えがあるのかもしれない。

九島のやらかしは一部にしか知られていない。七草の暗躍はもっと表立っていない。それでも追及されれば席を空けなければならないくらいの失態であるはずだ。

自分が知っているのはこのくらいだが、他の家でも何かあっただろうか。うちに、というか深雪に関係が無いのであれば興味の無い話だ。

しかし、ゆっくりできる時にはしておけ、ということのようだが。

 

(・・・昨日のようなこともある。今回もその企みの一つと考えるのはけして穿ちすぎではない、だろう)

 

余計なお世話だ、と言い返せるなら言い返したいが、残念ながらこれはまたとない好機。

使えるものは何でも使え。結果を出すことがすべて。

この家で学んだ教育の一つ。それは自身の考え方にも共通する思想でもあった。

これまた感謝をするのは癪だが、乗らない手はない。

 

(深雪は叔母上の計略に気付いていないようだな)

 

水波に一休暇を与えられることを喜んでいる。

帰宅命令が出た日は一月二日。その日を俗になんというかなど、ピンとくるのはそういう考えを持っている人間くらいだ。

その日に、深雪と自宅で二人きり。

ゆっくりできる時に、ということは、恐らく俺たちがこのような時間を取れることはしばらくない、ということなのだろう。

 

(すまないな、深雪)

 

待つ、といった傍から悠長にただ待っていられないらしい状況に、憐みを抱く。

できるだけ、優しくしよう。彼女の意向に沿う形で。それが、俺のできるせめてもの報いだろうから。

話すことは終わったらしく、そのあとは大した雑談も無く茶会は終了した。

 

 

――

 

 

風呂から戻ると、深雪はまだ戻ってきていなかった。

真っ先に確認したのは寝室。清潔に整えられているが、昨日と同じ型の布団だった。

この家の使用人はこれをどんな気持ちで用意させられているんだろうな。

だが、昨夜のような動揺はない。

すでに一度見ているというのも大きな要因ではあるが、何より自分の気持ちをすでに告げていて、受け止めてもらえて、拒絶されるでもなかったから心を落ち着けられるのだろう。

ただ深雪への恋心を自覚しただけで、深雪が俺から離れていこうとしていたあの状態でこの布団を見た昨夜は――本当に自分の考えが信じられないくらいのことまで考えていたからな。

だが、それは杞憂だった。話せば話すほど彼女の心はいつでも俺を想ってくれていて、むしろ煽るように恋をさせてほしいとまで言ってきた。

これでやる気にならない男はいないだろう。

しかも、本人に煽っている気は自覚のないことが恐ろしい。あの子は無意識に人を虜にする術を持っているようだ。

とりあえず今は襖を閉じておく。

朝以降初めて二人きりになる時間だ。しかも夜ともなれば深雪が緊張してしまうだろうから。

そういえば、九校戦にてあの子は出迎えられたのが嬉しい、と言っていたな。

まだ彼女の位置に動きが無いから戻るにはもう少し時間があるようだ。

あの人の言っていた一時的に検問を解除するらしい情報をこちらでも確認して待つとしよう。

明日の帰りも手配しておかなければ。

各チェックをしていると、深雪が戻ってきた。端末を閉じて扉が開く前に立ち上がりで迎えに行く。

少し表情に疲れが出ているだろうか。ここ二日で色々とありすぎたからな。

腕を広げて迎える態勢を作れば、深雪はぽす、と腕の中に納まった。

ちゃんと温まってきた体からは昨日とは違う花のような香りがする。

もっと鼻を近づけたくなるのを我慢していると、腕の中で強張ったことから昨日のことを思い出したのだろう。

いきなり妹としてだけでなく女性としても愛しているなんて兄に告白されれば緊張もするか。

意識してもらえることを喜びそうになるが、先に安心させてやる方が先だ。

落ち着かせるように背に腕を伸ばして撫でた。

 

「深雪。確かに俺たちは婚約者という関係が増えたが兄妹ではなくなったわけではないんだ。世間がなんと言おうと、戸籍が変わろうと俺たちが兄妹という事実は捻じ曲げることはできない。俺はお前を女性としても愛するけれど、妹として愛することもやめるつもりはないよ」

 

肩書が増え、自覚もしたことで自身の深雪を見る目が変わったのは事実。だが、それでも深雪が可愛い妹であることも変えようがない。

血の繋がりだけは、切れることは無い。

それは自分にとって何よりも大事な繋がり。

宥めてみるも、深雪の耳が真っ赤に染まったまま戻らない。

 

(ああ、困った。安心させてあげたいというのに)

 

俺の妹がこんなにも可愛い。

 

「可愛いね。・・・だが困ったな。妹として可愛がると言った口で、キスしてしまいたいと思ってしまう」

 

掛け値なしの本音だが、ここで妹を襲うわけにはいかない。

匂わせるように背筋を撫でるだけで体を震わせる深雪に、今すぐこのまま布団まで運びたくなるのを堪えて冗談だよ、と背中をポンポン叩く。

可愛い妹を困らせたいわけじゃない。ここは兄貴が我慢をしなければな。

今日くらい、優しく頼りになる兄でいてやりたい。

 

「少しずつ、慣らしていこうな」

「・・・・・・慣れる気がいたしません」

 

弱気なことを言うなんて珍しいが、深雪はこの手の触れ合いは以前から弱かった。

それが、俺が相手だからだと嬉しいのだが、との考えは打ち消して。

 

「大丈夫だ。深雪の学習能力が高いことは俺が一番よく知っているから」

 

それとこれは別問題だろうとわかっているが、このまま丸め込まれて落ち着いてくれるといいんだが。

いつまでもこのままで居るわけにもいかない。

座って話そうと促して座布団に座らせる。

すでに明日の車の手配をしたこと、周辺の警察の動きを報告すると胸を撫で下ろした。

 

「少し気が楽になりました」

 

そうだな。早くこの魔窟から離れ家に帰れることも理由だろう。

立場が大きく変わったことにより、車を手配する時も今までと態度が変わりすぐに話が通ったことに拍子抜けもした。

立場が違うだけでこんなにも変わるものか、と彼らの変わり身になんとも言えない気持ちにさせられたが、これからこういう場面が増えてくるのだろう。

数日前まで緊急時でも無視をされていたはずなのに、今では深々と頭を下げられるようになった。

どちらにも共通するのは顔が見えないことか。見たいわけでもないので構わないが。

 

「特にこの二日間がとても長く感じたよ」

「ふふ、そうですね」

 

たった一週間前のクリスマスが遠い昔のように感じられる。

深雪も思い返しているのか、笑いが零れるくらいには落ち着きを取り戻したようだ。

よかった。リラックスした笑みに緊張が完全に取れたのか。

 

「さて、もう寝ようか。・・・昨日は遅くなってしまったから、疲れているだろう。安心してくれ。今日は一緒に寝るだけだ」

 

もちろん、深雪が許してくれるならやぶさかじゃないが、と伝えるとパッと顔を赤らめる深雪が可愛らしい。

 

「お、お兄様!」

「冗談だ。昨日はすまなかったな。あまりに性急すぎた」

 

昨夜は本当に焦りすぎていた。

深雪が離れていこうとすることに焦り、婚約者に指名され、己の過去や完全調整体であること――深雪が自分の為に作られた存在だと知らされ、混乱しないでいられるわけがない。

ただ、妹として愛しているだけでなく恋をしているのだと自覚したことで、なんとしても深雪を逃がさない、俺から離れてなんていかせないという思いが強く、どうしても手に入れなければとかなり強引な手口で迫ってしまった。

深雪の意思を無視したつもりはない。

許可も無く、深雪に想いが無いのに触れるなど、それはただの強姦になってしまう。そんな真似ができるわけがない。

兄である自分に深雪を傷つけることなどできるはずがなかった。

 

(・・・だというのに、結果俺は嫌がる深雪に酷い仕打ちを)

 

怒りが我を忘れさせ、嫌がる深雪の制止も振り切って脱がせるなどあってはならないことだ。

だが、あの時の深雪は――と、考えかけたところで思考を切り替える。今は思い返している時ではない。

反省はすべきだが、それを生かさなければならない時が近い。余分なことなど考えずに、反省点だけ洗い出し、次に備えるべきだ。

 

「そ、それは・・・その・・・急なお話でしたから。お兄様も戸惑われたのでしょう」

 

・・・深雪は天使か何かかな、と思うと同時に自分の穢れた部分が浮き彫りにされたような気分だ。だが、怯んでもいられない。

 

「それはそうだが、据え膳だと思ったのも事実だ」

「お兄様!」

 

真っ赤な顔で怒ったような顔をする深雪もまた可愛いものだ。

だが、少しでも思いは伝えておかなければ。言葉にしないで伝わることは少ない。先も言ったが少しずつでも慣れてもらわないと深雪も困るだろう。

特に、明日は命運分かれる勝負の時だ。

出来る事ならもう少し日にちを空けてやりたいところだが、そうも言っていられそうにない。

ああ、それとこれは確認しておかないといけないな。

 

「今夜は叔母上から用意されたものでは無いね?」

「っ、ありません!」

 

良かった。また昨日のようなことになっていたら、今度は抑えが効くかもしれないが叔母上に抗議しに行くことになっていただろう。

多少破壊活動もするかもしれないが、こう言う時に再生は便利だ。壊した端から修復できるのだから。

先ほどより顔が赤いのは、彼女も昨夜の己の恰好と、その後の展開を思い出してしまったからか。

 

「すまない深雪」

「いえ・・・お兄様のせいだけではありませんから」

 

いつもなら俺のせいではない、と盲目的に許す深雪だが、今回ばかりはその対象にはならなかったらしい。当たり前だな。

罪悪感を抱きつつ、寝室に向かうと一組の布団に二つの枕が載っていた。配置は昨日とほぼ変わらない。

 

「・・・お兄様、腕は大丈夫だったのですか?」

 

この布団に対して深雪も昨日のような動揺はなかったみたいだ。昨日のような、というだけで全くないわけでもないようでまた頬を赤くしていたが。

それでも何とか平静を保とうとしているのだろう、質問が飛んできたが・・・腕?・・・今朝の腕枕のことか。

可愛い顔で可愛い質問をしてくれる。

 

(そんなつもりも無いだろうに誘惑されそうだ)

 

そもそも今の深雪は昨日と同様の白い単衣を身に纏っていて大変魅力的な姿だ。

下に着ているものは昨日のような危険物ではないようだが、そんなものが無くとも薄い衣は彼女の曲線美をぼやかすことなく表していた。何故冬にこのような着物を着せられているのか。

浴衣とは布地が違うのだろう、裸でもないのにシルエットが浮き彫りになることで想像力が掻き立てられ一層心が落ち着かないところに、こうして可愛い面も見せてくる。

今夜は何があっても手を出さないと決めているのに、その不安そうに揺れる瞳にも目を奪われて吸い寄せられそうになるのを何とか思いとどまり、深雪からの質問に痺れはあったが問題ないと答えた。

ここでなんともないから気にするな、と返すこともできたが深雪の表情を見る限り俺の回答は正解らしい。

口元が綻んだ。が、すぐにきゅっと結ばれる動きに遮るように口を挟む。

 

「言っておくがそれくらいのことで辞めるつもりはないぞ。デメリットが小さすぎる」

 

きっと深雪のことだ、俺の負担を考えて腕枕をしなくていいと言うつもりだったのだろう。

深雪を腕に抱いたまま眠れるのなら腕が壊れても構わない、とは流石に引かれるだろうから口にはしなかったが、正直これくらいの痺れは何ということも無い。

分解を使う分にはCADなど必要無く、思考操作型CADがあればそもそも手を使う必要も無い。別にこのために作ったわけではないが、こんな時に便利なツールを作ったものだ。

もし魔法が使えない状況になろうと、片腕が痺れたからと言ってもう一本あるのだから大抵は何とかなる。

欠損を想定した戦闘訓練は四葉でも軍でも熟してきた。

再生があるからと頼りきりになるのではなく、そう装う場面もあるだろうと実施してきたが、それがこのような場面でも役に立つとは。

何でも身に着けておくものだな、と考えている間に、深雪がどんどん羞恥に耐え切れず体を丸めていた。

 

「その・・・眠れる気がいたしません」

 

・・・ああ、駄目だ。

抑えろ、と思うのに体が動く。

 

「箍が一度外れると緩くなるというのは本当だな。今までも十分お前が可愛くて仕方が無かったが、抱きしめたい欲求を抑えられない」

 

座る深雪を抱き込んで、ポロリと口から思ったことがそのまま零れ落ちる。

 

「可愛い」

 

それだけのことなのに、ぎゅう、と目を瞑る深雪が更に愛おしくて力が籠ってしまう。

 

「お、お兄様っ」

 

慌てる深雪も可愛くて、腕に閉じ込めているのにまだ足りない。

恐ろしい。なんて制御しづらいモノなのだろうか。

 

「制御が難しい。元々深雪に対しては抑えが利き難いことはあったんだが」

 

そう、以前からそうだった。

妹であった時から深雪を可愛がりたくて仕方が無かった。

深雪はどうやら俺の衝動が怒りにばかり突き動かされると思っているようだがそれは誤解だ。

強い感情の動きは何も怒りだけではない。衝動的に触れたくなったり、抱きしめたくなることは何度もあった。

気を抜いた笑みを見せられては抱きしめて、はにかまれては撫でまわし、キスをする。

そこに頑張っている妹を労おうという気持ち以上のものがあったのだと、今さらになって気付いた。

 

「・・・お兄様はよくなさってましたよね?」

「あの時にはすでに妹としてだけではなかったのだろうな」

 

もっと昔から、妹のことを妹としてだけでは見ていなかったのか。

そう思うと純粋に兄と慕ってくれていたことに対して申し訳なく思えてきた。罪悪感がチクチクと刺さるようだ。

 

「もちろん褒めてやりたい、労ってやりたいというのは兄としてのものだと認識している。頑張っている妹を褒めるのは兄の大事な役目だから」

 

頑張っている妹を兄として支えるのは当たり前の行動だ。

 

「だが、それ以外は・・・違ったということになる」

 

きょとん、と状況が飲み込めず、目をまんまるにしている姿に思わず手が伸びる。

 

「もっと近づきたい、触れたいという欲求は、妹に向けるものでは無い。ましてや恥ずかしがる様が見たいと結構色々とお前を困らせた記憶がある。恥ずかしがる深雪は可愛いが、そこに気分が高揚してしまうのは妹に向けるにはよくない欲求だ」

 

そうだ。もっと早く気付くべきだった。自分の抱いていたこの感情は妹に向けるものでは無かった。

いくら美しく、可憐で、可愛くとも、相手は妹だ。その先を望む相手ではないはずなのに――もっといろんな深雪が見たいと困らせてしまった。

 

「でも、それはお兄様に苛めっ子気質があったということであって、それをその、勘違いなさっているとか・・・」

「苛めっ子・・・」

 

それは、随分可愛らしい言い方をしてもらっているが、要は嗜虐趣味があると言われているようなものだと思うのだが。

もちろん深雪をいじめて愉しむような趣味は無い・・・はずだが、困らせて可愛がるのはそこに含まれるのだろうか。

・・・この件は後でじっくり考えるとしよう。

 

「だとしてもそこに性的欲求が絡めばそれは勘違いで片付けられるものじゃない」

 

ここまではっきり言えば伝わるか、と直接的な言葉を使えばフリーズさせてしまった。

今まで兄妹でこんな話をする機会も無かった、というか普通はしないからな。

信頼してきた兄貴から性的に見られていた、なんて混乱するなという方が無理だ。

いくら昨日告白し、受け止めてもらい、恋することを許してもらえたと言っても、そのように面と向かって言われるとは思っていなかっただろうからな。

 

「大事な妹で、誰よりも愛おしい存在であっても、手を出すなんてことは許されることではない。その常識が、モラルが俺をぎりぎり引き留めてくれていた。だが、四葉の非常識がそれをうち破っていたのだと知ったことで、歯止めが利かなくなった。お前を、そういった意味でも愛していいのだと、禁域に踏み込んでしまった」

 

光宣の件で、深雪の言葉がずっしりと圧し掛かった理由はここにあった。

近親相姦など禁忌だと、ありえないと断ずる深雪は正しい。普通であれば忌避するものだ。

光宣の出生の秘密を知った時、自分でも彼を(結果が望んだものでは無かったにしても)造り出した九島家に怒りを覚えたはずなのに同じことを深雪に言われると、まるで自身が断罪されたような心地になったのは――深雪と深く繋がることを俺が心の底で望んでいたから。

兄妹だけでは飽き足らず、すべてを欲していたから。

だが、その絶望を知る前に、四葉の計略がその壁をぶち壊していた。

 

――子供を作っても遺伝子異常なんて起こらない――

 

一体、どんな遺伝子操作をすればそんなことができるのか。だが、俺たちの遺伝子がかけ離れていることは事実。

容姿に似たところが無かったのはこういうところも作用していたのだろう。

触れ合いが深くなっても嫌悪を抱くことも無く、更に欲するのも――本能が求めても問題無いと理解していたから。

 

「いつか手放さねばならないはずの妹を、手元に置いておけると、知ってしまったらもう手放すことなどできなくなった」

 

気が付けば自然と彼女の髪を持って口付けていた。

 

「ずっと、お前が欲しかった」

 

震える深雪の手を取って握りこむ。

 

「だから俺は待つよ。深雪がいつか俺を兄としてだけでなく、俺個人を見てくれるのを。もちろん待つだけじゃなく、努力もするつもりだ。覚悟していてくれ」

 

ありったけの想いを籠めて指先にキスを落す。

もう、これ以上はしないよう切り替えてその手を下ろした。

 

「・・・お兄様はずるいです」

「そうだな。俺自身、かなり卑怯だと思っている」

 

本当なら欲望をこんな簡単に切り捨てることなどできない。

装うにも限界があるだろう。だが、母の手術により精神の切り替え、思考の切り替えは造作もなく行えるようになっていた。

・・・それでも深雪に対してだけは、そう簡単なことではないのだが、ここは兄の意地として隠し通させてもらう。

重ねたままだった手を取られて頬に当てられる。

それだけで俺の鼓動は跳ねるというのに、深雪はそのことに気付かない。

誤魔化すようにもう寝よう、と誘うとわずかに頬を赤らめるのを見て体が勝手に動いた。

スッと体を抱き上げて寝室に向かう。

・・・恐らく逃がさない、という意味も含んでいるんだろうな。

どうにも思考より先に体が動いてしまう。

 

「あ、あの!歩けます」

「俺がしたいだけだから」

 

俺の我侭でしかない。今晩抱くことはできないとわかっているのに少しでも触れていたくてたまらないのだ。

襖を開けて視界に飛び込む布団を、遠い目になって見つめる深雪に思わず笑いがこみ上げそうになる。

 

「・・・こんなに広いのであれば一人一人離れて眠ることもできますよね」

 

そのとおり。問題なくできるだろう。両手を広げて寝たところで問題ないくらいの広さだからな。

そんなことはさせないが。

布団の上にそっと下ろして着替えに向かう。

その間布団に入って待っているよう言ったが、俺より先に入って待つことができなかったようだ。

しかし、布団のすぐ横で恥ずかしがりながら瞳を潤ませて見上げられると、精神統一しないとこのまま襲い掛かってしまいそうだ。

あまりにその画が浮かびすぎて苦笑が堪えきれなかった。

 

「俺も信用が無いな」

 

そんなことは無い、と否定してくれる深雪には悪いが、誰よりも信用ならないと自分が一番理解している。

 

(裏切る事態にはならないようにするが、結構ギリギリなんだぞ)

 

情けなくて言えないが。

 

「・・・お兄様も昨夜は動揺なさっていたではないですか」

「まあな。これに動揺しないのは意味を知らない子供だけだろう」

 

本当に、何を考えているのか。

婚約が決まった途端そんなことをするよう勧める『親』がいるものか。

 

「久しぶりに深雪の前で無様な混乱を見せたな」

 

あんな格好悪い姿を、醜態を見せてしまったことが悔やまれる。

そんな俺でも深雪はフォローを入れてくれる。優しくていい子だ。

だがその表情はどこか嬉しそうで、そのことを訊ねると、

 

「お兄様にとっては嫌な記憶でしょうが、私にとってお兄様は言い訳をしたくなるほど気にしていただけているということですから」

「当たり前だ。お前にどう思われるかは俺にとって最重要事項だ。お前の前ではいつだって『カッコ良くて素敵な兄』でいてやりたかったんだから」

 

むしろお前にだけしかどう見られるかなど気にする必要が無かった。

お前にとって良い兄でいられることが俺にとって大事なことで、それ以外にどう思われようが構わなかった。

それは概ね今も変わりないのだが――

 

「今は兄としてだけでなく男としてだがな」

 

兄であることは外せない。俺は男の前に兄だから。

深雪の唯一。そして俺の唯一の妹。この関係性だけは断ち切れない。

それを前提とした上で男としても見てもらいたい。

そう弱い耳に吹き込めば、深雪はさっと頬に朱を走らせる。

白い衣と相まってその赤が映える。

色づくと同時に香りまで甘く漂うようだ。

 

「ふっ、真っ赤だな。今日は息をしているか?」

 

すでに息が止まっているのはわかっていた。

はくはくと動く口からはわずかな吐息しか漏れていない。

弱い耳に意識した低い声、深雪の弱い所を同時に抑えるとどうなるか――確率はさほど高くないと思ったんだが呼吸が止まったな。

 

「なら、もう我慢しなくていいな」

 

人工呼吸ならキスにはならないだろう。

そう自分に都合の良いように理由を付けて深雪のそれに唇を重ねた。

以前からも呼吸を止める度、人工呼吸をするのも一つの手か、と思っていた時点で兄らしさなど無かったのだろう。

ゆっくりと息を吹き込んで。これを三回繰り返せば自主的に呼吸ができるようになっていたのだが、駄目だな。ここまで来たら一回くらい良いだろう、と舌を滑り込ませていた。

驚いた深雪が腰を引き、舌を引っ込めようとするが、逃すものか。

と、本気になりかけたところで意識をカット。これ以上は警戒を与えてしまう。

一巡するだけで引き上げる。

冷静に対処できているようでいて内心そんなことは無かった。

 

(・・・危なかった。このまま押し倒すところだった)

 

「お、おにい、さまっ」

「呼吸を長く止めることは体に良くないからな」

 

もっともらしいことを言って正当化を主張するが、涙目で睨まれる。

 

「何も、しないと、おっしゃったでは、ないですか」

 

俺もその予定だったんだがな。

うっかり箍が外れた。

緩みすぎだな。これはちゃんと元に戻せるんだろうか。

 

「まさか深雪が呼吸を止めるとは思わなかったんだ」

 

止める確率は高いとは思ったがな。止めなかったとしても真っ赤になった深雪の頭を撫でるかして労わろうと思っていた。

息を止めるかは賭けだった。

可能性があることを認めると、口を尖らせて横を向く。

 

「~~~もう!お兄様は意地悪です!」

「こんな意地悪な兄で婚約者の男は嫌か」

 

自分でも卑怯な質問をしていることはわかっている。

深雪は嘘でも冗談でも俺のことを嫌いとは言わないから。

でも、今日の拗ね方はいつもと違っていた。

肩に額をわざとぶつけてから首元に顔を埋めてきたのだ。

なんて、可愛い真似をするのか。

 

「本当、深雪は可愛くてたまらない」

 

しっかりと抱きしめてから、押し倒すことができないのならせめて、と引き倒し深雪の下敷きになるよう布団に倒れ込んで横に転がる。

 

「こうしていると寝るのがもったいなく思えてくる。ずっと、ずっとこのままお前を感じていたい」

 

腕の中に閉じ込めて、二人きりでいられたらどれだけ幸せだろうか。

 

「・・・ダメですよ。ちゃんと寝てくださいませ」

 

胸元に顔を埋められているので顔を見ることができないが、彼女の耳や首が赤いから恥ずかしがっているのだろう。

俺の激しい心音が聞こえてしまうのではないか、と思うが聞かれても今は何も困らないことに気付いてそのまま抱き込む。

 

「私は逃げませんから」

 

その言葉は唐突で、だけど俺の心を見透かしたような言葉だった。

抱え込む腕が震えていないのが奇跡にさえ思う。

 

「うん」

「私は、お兄様と共にありますから」

「・・・ああ」

 

なんで、こんなにも深雪は俺をわかってくれるのだろう。

一番、欲しいものをくれるのだろう。

ありがとう、と答えた言葉はみっともなく震えなかっただろうか。

腕の中で深雪の力が抜けていく。もう、夢の世界に旅立ったのだろう。

少しだけ強く抱きしめてから額にキスをして意識を落した。

 

 

――

 

 

温かくも柔らかい抱擁は、抜け出したくないと思う程心地いいのに、朝の生理現象に邪魔をされる。

抱きたいか抱きたくないかと聞かれればそれはもちろん抱きたいが、今そのタイミングでないことは明らか。

すぐに鎮静化を図るが、体をいったん外すのに何度かきわどい場面があった。昨日の再現である。

天国と地獄を行き来するような思いを味わいつつ、何とか絡まっていた体が正常な位置に戻す。

腕枕をした状態で包み込むように深雪の体を抱き寄せて、長い髪を撫で、心を落ち着かせた。

ちょっとやそっとのことでは起きないことはすでにわかっていたので、まだ目覚める気配のないうちに額に、瞼に蟀谷にとキスをして徐々に下に降りていく。

唇だけは避けるようにしていたるところに口付けて、ある程度埋め尽くしたところで髪の間から覗く形の良い耳が気になって髪を撫でつけるついでに触れてみると、今まで反応の無かった彼女が何か堪えるようにわずかに顔を顰めた。

いくら大胆に触れても目を覚まさない深雪にしては顕著な反応に、少しいたずら心が湧く。

ふにふにと感触を確かめるように触れると、衿の部分をきゅっと握ってきた。それにより胸元が少し開くが直すほどのことでもない。

今度は唇を寄せて触れるだけのキスをする。少し冷たい。咥えて熱を与えたらどうだろう、と通常では思いつかないようなことを考え付いた時点でまだ寝ぼけていたのか、頭が沸いていたのか。

唇で挟むと「んっ」と声が漏れると同時に握る手に力が籠った。

縁を上から耳たぶの方に食みながら移動すると手だけでなく腕にも、そして全身にもこわばりが広がっていくことに次第に興奮を覚えて、もう朝の生理現象とは呼べない反応に変わってきた。

これはまずいと耳を放し、再び宥めるように頭を撫でながら自身も落ち着かせる。

少し理性の箍が外れていたようだ。朝から一体何をしているのか。

深雪も徐々に体から力が抜けたようだが、しばらくもぞもぞと動いて最終的に胸元に顔を摺り寄せる形に落ち着いた。

・・・可愛い。無意識のうちに懐くような行動に、衝動に突き動かされそうになるが、これ以上は我慢だ。堪えなければならない。

それからしばらく頭を撫で続け、頭の中で昨日のデモンストレーションで使用した魔法の改良点を考えていると、胸元でもぞり、と新たな動きが。どうやら覚醒が近いらしい。

 

「う・・・おにいさま?」

「まだ早いから眠ってていいんだぞ」

 

のぞき込んで可愛い寝ぼけ眼の表情を眺める。

まだ開ききらない瞼の間からうっすらと覗く黒曜石の煌めきに目を奪われつつも、眉間にはわずかに谷間ができていて、薄く開いたままの緩んだ口元が誘うように映るが、誘っているのではなくただ無防備なだけなので自制する。

焦点の合っていない瞳が、徐々にピントを合わせて視線がかち合う。

するとパッと目が開き、頬に朱が差した。

 

「お、おはようございますお兄様」

 

なんとか挨拶はするものの、まだ状況が把握できていないのか、目が泳いでいた。

 

「おはよう深雪。まだ意識がはっきりとしていないようだな」

「はい・・・少し」

 

恥ずかしそうに縮こまる深雪がまた可愛らしく、つい頬が緩んでしまった。だが、仕方がないことだろう。こんなに可愛い妹の姿を見て顔の緩まない兄がいないわけがない。

 

「何時から起きていらしたのですか」

「そうだな。深雪が目覚める前、と言いたいところだがお前に嘘は吐けないからな。深雪が寒くなって俺に抱き着いてからだから一時間くらい前か」

 

実際は絡みつく様に抱きつかれて、それを無意識に抱き返し逃さないとばかりに絡ませ合った後、なのだが、まあそこまで詳しく言う必要はないだろう。

 

「時と場合によっては気づかないことも大事だと思うのですが、無知でいることの方が恐ろしいこともあるでしょうから。――お兄様、この前の姿勢はどのようなものだったのでしょうか」

 

一つ前なら解した後の腕枕の状態だが、深雪が訊きたいのはその前だろうが、それを口にしたが最後、深雪は一緒に寝てくれなくなるのではないだろうかと懸念が過る。

 

「勇気があることは良いことだが、それは今聞いてしまうと困ったことになるかもしれないぞ」

 

今は誤魔化しておくべきだろう。

だが、あの状況は無意識に俺を求めてくれている証拠と思えば、伝えても不利なことにはならないかもしれない。

 

「・・・・・・家に着いたら教えてもらえますか」

「賢明な判断だね」

 

家に着いたら、か。ひとつの切り札になるかもしれないな。手札は大いに越したことは無い。

そんなことを考えてじっと見つめていたら、深雪は更に顔を赤らめ瞳を潤ませ、慌てて顔を覆って隠した。

恥じらう深雪は何と可愛いのだろうか。

困ったな、と思いながら抱き寄せる。

 

「隠れていない耳と首筋が食べごろのように染まっているぞ。美味そうだ」

 

味見をさせてもらえないか、と思っていいかと訊ねたが、残念ながら断られてしまった。

良い判断だ。今YESと回答されたら味見どころでは済まなくなるところだ。

せめてキスだけでも、とお願いしたらゆっくりと覆っていた手を外して、目を瞑ってくれた。

我慢してとっておいた唇は柔らかく、夢のように幸せな心地にさせられる。

もっと先が欲しくなったが、これ以上は今深雪が耐えられそうにないし、今日もこの後すぐに予定がある。残念だが諦めるしかなかった。

 

 

――

 

 

いつもは深雪の挨拶回りに付いて周囲を警戒するだけだったが、当主の息子となり、次期当主の婚約者ともなれば後ろに控えることなどできようはずもなく、深雪の隣でそれらを交わしていかなければならなかった。

慣れていないが、緊張や焦燥とはほぼ無縁と言ってもいい自分には熟せないこともなかった。ある程度の礼儀や作法は叩き込まれている。深雪のガーディアンとして傍に居ても恥ずかしくないように覚えたことでもあったが、役に立ったな。

だが、挨拶する側も戸惑っているのが分かる。唐突に降って湧いた当主の息子だからな。しかも昨年までは使用人より下に見ていた相手だ。どう扱っていいモノかわからなくなるのも当然と言えた。

こちらとしてはそんなことどうでもいいが。

要は深雪と婚約できる立場で、それを認めて文句を言わなければそれでいい。そのためならこのような窮屈な状況も耐えられるというものだ。

深雪は相変わらず微笑みを湛えて、疲れなどみじんも感じさせないほど完璧な所作で会場を泳ぎ渡る。

見事だ、と感心せずにはいられない。

ある程度挨拶回りが終わる頃、深雪が体を震わせた。

今日の恰好は洋装で、華美なものでは無く、少し大人びた意匠だった。

そのためいつもより開いた胸元が寒そうだ。

 

「深雪、寒いのかい?少し休もうか」

 

少し抱き寄せると、やはり体が冷えている。せめて温かい飲み物でも、と思っていたところで新たなる来客が。夕歌さんだ。

 

「この二日で進展しすぎじゃない?どう見ても兄妹には見えないわよ、お二人さん」

 

明るく楽しそうな声には親しみが込められており、周囲に次期当主との蟠りなど一切ないと知らしめる好機と演出しているようにも見えるが、見せかけだけでなく深雪に対して好意的な感情が感じられた。

正確には好奇心のようなものだろうか、が向けられているように見える。

一瞬、彼女もエリカのようなタイプか?と過ったのだが、その思考はすぐに中断せざるを得なかった。

深雪が、彼女に見惚れているのだ。

・・・これはよくない兆候だ。

 

「深雪」

 

身を屈めて更に密着するよう腰を抱き寄せ、わざわざ耳元で声を掛けると、深雪はびくり、と身体を震わせ俯いた。

耳が赤くなっていることから俺の伝えたいことは分かったようだ。

あまり余所見をしてくれるな、と。

深雪が綺麗なモノや美しいモノ、そして可愛いモノに弱いということを忘れていた。夕歌さんも容姿に優れている上、昨日の正装とは違い、堅苦しさの抜けたドレス姿は深雪の心にヒットしたらしかった。

 

(恋とは恐ろしいものだな。自覚するとどんどん欲深くなっていく)

 

以前なら深雪はこういったモノが好きなのか、と思う程度だったのに何時の間に自分以外に惹かれるのを面白く思わなくなったのか。

 

「・・・ちょっと。人を出汁にいちゃつかないでくれない?」

 

そんなつもりはさらさらなかった。ただこちらは深雪を奪われないよう必死なだけだ。

 

「深雪が綺麗なモノに目が無いのはわかっているのですが、俺以外に意識を奪われるのは面白くないので」

「・・・達也さん、もしかしてそっちが素なの?」

 

そっちが、と言われても、今までどう思われていたのかが分からないが、本心なので素と言われればそうなのだろう。

 

「そのようです。自覚したのはこちらに来てからですが」

 

そう答えると彼女は驚いたように目を見開く。

自覚したのがここにきてからと答えたことがそんなに驚くことか。

 

「人目が無ければガンガン突っ込みたいところなんだけど、この場でそんなことできるはずもないから」

 

突っ込まれたところで大した返事はできるとも限らないのだが、確かに周囲からの注目は高い。ここで変な話はできないことは同意する。

夕歌さんは何処からともなく取り出した白い紙を深雪に手渡した。

彼女のプライベートナンバーの書かれた用紙らしい。お茶に誘うとのことだがそれだけで心に黒い感情が渦巻く。

深雪が隣で表情を輝かせているのが分かる。

たかがプライベートナンバーを教わっただけで、この喜びよう。彼女にとってプライベートナンバーはそれだけ価値のあるものなのか。

そういえば以前、藤林さんのを知っていると言った時も反応が大きかったか。

あの時は誤解を解くことばかりに意識が行っていて考えてもみなかったが、彼女にとってこれほど価値のあるものならば変に疑ってもおかしな話ではなかったのか。

深雪が嬉しそうにしている様子に、夕歌さんがこれくらいではしゃいで、としょうがない子ね、と口にしていないのに態度で分かるほど温かな視線を向け、苦笑しながら話を続けていた。

深雪が順調に受け入れられ、本人も嬉しそうなのだから素直に喜べばいいのに、兄でない部分の自分にはこれがとても面白くない光景でしかなくて。

 

「本音トークなんてできるわけないでしょう。でも、貴女ならすべての事情を知っているから遠慮せず話せるわ」

「それもそうですね。夕歌さんの女の子の秘密を聞いてみたいものです」

「良いわよ。代わりにあなたの秘密もいっぱい教えてもらうから」

 

楽しそうにくすくす笑い合う姿に、面白くない上疎外感まで覚え、まるで子供のように存在を忘れないで欲しいとちょっかいを掛けるのだが、深雪に動きを封じ込められてしまった。

だがそれだけでも深雪が自分の存在を忘れることなく触れてもらえたことで黒い渦が小さくなる。

 

「・・・達也さんはもちろん遠慮してね」

 

このやり取りを冷ややか愛で見ていた夕歌さんから女子会なのだから男は来るな、と忠告されるがそうはいかない。

 

「同席は諦めますが、隣接した場所に控えるくらいは認めてもらいますよ」

 

女子会の場に参加できないくらいは弁えているが、深雪から離れることは許容できない。

 

「・・・束縛は嫌われるわよ」

「深雪の立場を考えればお判りでしょう」

 

深雪は次期当主として注目をされる。今までのように静かに暮らすことは難しくなるだろうから警戒は今まで以上に引き上げねばならない。

しかし、束縛が嫌われる、とは。これは束縛ではなく護衛だ。変な勘繰りはしないでもらいたい。

そう彼女と視線をぶつけ合っていると、見知った気配が近寄ってきた。水波だ。

 

「白川夫人より、深雪様にお越し下さいとのご伝言が」

 

どうやら深雪のみの呼び出しらしい。

 

「私だけなのね。わかったわ。――達也さん」

 

表向き、深雪は俺を達也さん、と呼ぶ。そのことに体が反応することは無くなったがそれでも気分が良い。

もちろん兄と呼ばれることに不満はないが、呼び方一つ違うだけで違うものなのだな、と面白い発見だ。別の機会にいろいろと試してみたいものだが、深雪は付き合ってくれるだろうか。

するっと離れる手が寂しく思うが、引き留めることもできる場面ではない。呼ばれているのだから仕方ない、とこちらも手放す。

 

「夕歌さんも、じっくりお話はまた今度。楽しみにしております」

「ええ。たっぷりお話しましょう」

「達也さん、あちらで文弥さんたちもお話が終わりそうですよ。昨日もあまりお話ができなかったでしょうからお話に入ってはいかがでしょう。亜夜子さんも昨日は体調が悪かったようですし、代わりに様子をうかがってきて下さいませ」

 

つまり、後を追うな、ということか。

位置確認はするがあまり眼を向けすぎない方が良さそうだ。

水波に深雪のことを任せると、彼女はしっかりと頷いた。

水波の忠誠心は高い。たとえ分家の誰かがちょっかいを掛けたところで言いなりになることなく深雪を守るだろう。

白川夫人は絶対に四葉に不利になることをするような人ではない。深雪に害をなすことは無いはずだ。

 

「心配?」

「そうですね」

「あら、取り繕わないのね」

「したところで意味も無いでしょう」

 

深雪を姿が見えなくなるまで目視で見送ると、まだこの場に残っていた夕歌さんから声を掛けられる。

先ほどまでの刺々しい態度は見えない。彼女もまた深雪の前だからパフォーマンスをしていただけに過ぎなかったようだ。

深雪の周りにはどうもこういう人が集まりやすい。

 

「まあ、これから大変ね。四葉内はしばらく沈黙しているでしょうけど、世間はそうはいかない。数日後には学校も始まるもの」

 

指摘された懸念は自身が抱いていることと同じだった。

分家はこれでしばらくは動かなくなったはずだ。何せ当主の意向がこのように公表されてしまっては今さら俺たちに何かをすることは謀反となる。

彼らは別に四葉を分断させたいわけではないのだ。

今喫緊の問題は学校だろう。

深雪が何か画策しているようだったが、その内容をまだ教えられていない。恐らくこの正月ではっきりしたことが決まらないと話せなかったのだということはわかる。

まさかその内容がこんなこと――当主の息子として発表され、次期当主の深雪の婚約者になるとは思わなかったが、これは予測していた四葉の素性が明らかになることよりも輪をかけて騒がしくなるだろうと思われた。

兄妹が実は兄妹ではなく従兄妹同士で、しかも婚約者だなんて、センセーショナルな話題だ。

いくら魔法師協会から二十八家と一部有力な百家に通達が渡るだけといっても一般の魔法師に広がるのは時間の問題だ。それだけ俺たちの存在は無名の間にも目立っていた。

そうなった時、あれだけ慕われていた深雪は一体どんな風に見られてしまうのか。

ある程度覚悟はしているようだが、わかっているからといってあの子が傷つかないわけではない。

 

「そういう顔を見るとお兄ちゃんって思えるのにね」

「今は婚約者ですよ」

 

自身がどんな顔をしているかなんて見られないが、とりあえず訂正しておく。

訂正をするだけであって否定はしない。

たとえ世間的に従兄妹の扱いになろうとも、俺は兄をやめるつもりはない。やめられるわけもない。

 

「さっきのは見せつけたんじゃなく?」

「さっきの・・・ああ」

 

彼女が言っているのは密着していた時のことだ。

だが、アレを見せつける?

 

「そんなつもりはありませんでした」

 

あれはただ嫉妬しただけの行動であって、周囲に見せつけるようなものでは無いだろう。そう思うのに、夕歌さんは顔を顰めた。

 

「嘘でしょう?無意識?あれはどう見ても牽制でしょ」

 

学校では意識的に牽制するように動いた覚えはあるし、九校戦では恋人に成りすまして深雪に近寄ろうとする輩を減らそうとしていたが、ここは四葉。深雪に言い寄るような者はいない。その上昨日当主から婚約者の発表があったのだから牽制などする必要性も無い。

が、言われて気付いた。嫉妬をするということはその相手を妬ましいと思っているということであり、自分だけを見て欲しいとの欲求であり、だから夕歌さん相手に警戒して威嚇した、ということになる、のか?牽制は何も周囲にだけ向けられるものでは無い。・・・異性だけでなく同性相手にまで何をしているのか。

黙りこくっていると、夕歌さんはふぅん、と人を観察するように眺めた後、ねぇ、と口元を隠して身を寄せるとこっそり話しかけてきた。

 

「深雪さんは婚約を時間稼ぎみたいに言っていたけど」

「その必要は無くなりました」

 

きっぱりと否定すると彼女はすっと身を起こす。

 

「じゃあ達也さんで確定なんだ」

 

その認識で間違いないと頷きながらも、頭ではまだ婚約者と公表されただけで、確実に深雪を手に入れたわけではないことに一抹の不安が再燃する。

この婚約は当主の一存で決められた婚約とはいえ絶対ではない。このように周囲に通達されても確実に結婚できる保証はない、ただの口約束と何ら変わりない。書面があろうと現段階では白紙にできてしまう。

 

(なんの証も無い状態でただ婚約者という立場に甘んじていられるわけもない。やはり、深雪には悪いが――)

 

「四葉家次期当主に選ばれるだけの男でないと認めないのではなかったの?」

 

ニヤッと笑う口元に、この人も人を揶揄うのが好きらしい、とそういうことが好きな卒業した先輩の顔がちらついたが、どうということも無い。

 

「これからそれを証明するとします」

 

自分の有用性を認めさせることはさほど難しいことだとは思わなかった。

四葉に貢献するつもりなどなかった、元は四葉からの意味も含めた脱出計画であったが、深雪と一緒にいられるならばどこにいようと安息地だ。アレも立場を確立させるための意味もあったから功績を得るという面では十分利用できる。

 

「随分自信があるようね」

「自分なりの方法で四葉に貢献するつもりです」

「深雪さんと結婚するため?随分必死ね」

「当然でしょう。あの深雪に並び立つためです、形振りなんて構っていられませんよ」

 

使えるものなら何を使ってでも、どんな手を使ってでも深雪の傍に。

 

「まあ、あの美貌だもの。深雪さんを欲する人は多いでしょうね」

 

四葉次期当主というだけでも狙われる可能性は高い。だが、

 

「深雪の良さは外見や肩書だけではありませんから。できるだけ知られないうちに結婚にもっていきたいところです」

「・・・もしかして惚気られてる?」

「まさか。純然たる事実ですよ。あの子が優しくていい子なのも、努力家なのも、身内にはとことん甘くなることも――特に俺には一段と甘いことも」

「惚気てるんじゃない!」

「これくらい、彼女と付き合いのある人間なら誰もが知っていることです」

「でも、その中でも自分が一番知ってるとか言うんでしょ」

「それは当たり前というものです。俺はあの子の兄でしたから」

 

そしてこれからも兄でいるが。とは心の中で付け加えておく。

 

(そもそも従兄妹なのであれば兄と呼ばれてもおかしくはないから呼ばれても否定する必要も無いように思うが、それでは周囲に示しがつかないか。深雪には早く慣れてもらう必要がありそうだ)

 

連想するようにそんなことを考えていたら、夕歌さんが表情を歪ませていた。

 

「うわぁ・・・。その本性深雪さんは知ってるんでしょうね?」

「さて、どうなんでしょう」

 

というか本性、とは?

隠していた何かを見せているつもりも無いのだが、夕歌さんは表情もだが体ごと引き気味になった。

だが、深雪は俺以上に俺のことを良く知ってくれているから多分知ってくれているのではないだろうか。

それにもし彼女の知らない悪い部分が見えたとしても今さら見捨てるようなことができる子ではない。

 

「いいわ、その辺りは女子会で聞きだすとしましょう」

 

彼女の中ではすでに行われることは決定事項らしい。深雪も夕歌さんのことを気に入っているから喜んで参加するだろう。

 

「・・・達也さんも鉄面皮ってわけじゃないのね」

「不満はよく顔に出るようです」

「なんとなくだけど、深雪さんが苦労しそうね」

「それは深雪次第かと」

「ご愁傷様、と言ってあげるべきかしら」

「そこはおめでとうの方があの子は喜びますよ」

 

しれっと答えると白い目を向けられた。

こんな風に親戚と話す日が来るなんて思わなかったが、存外この空気が心地よく思えたところでこちらに近づく二人の気配が。

文弥と亜夜子だ。

 

 

――

 

 

軽く挨拶を交わすが、亜夜子はまだ調子が万全ではなさそうだ。それでも気丈に振舞っている姿が彼女らしい。

挨拶もそこそこに文弥が切り出した。

 

「お二人でお話とは珍しいですね。深雪さんは席を外されているんですか?」

「ちょっと呼ばれてな。夕歌さんが付き合ってくれているんだ」

「付き合って、というか今や時の人だもの。情報収集はしないとね」

「・・・情報収集とは、穏やかではありませんね」

「陰でこそこそ隠れてやるよりはいいんじゃない?達也さんも隠さず婚約者とのことを惚気てくるし」

「惚気話をしたつもりはありませんが」

「言葉だけじゃなく態度もそうだって言ってるの」

 

女である私にまで牽制してきたくせに、と言う夕歌さんにそれは失礼しました、と形だけの謝罪をすれば、ふん!と顔を背けられた。

どちらも本気ではなく軽口を叩き合う様子に文弥も亜夜子も驚きを隠せないようだ。

 

「・・・随分と、お二人は親しいのですね」

「「親しい?」」

 

思いがけない言葉に引っ掛かりを覚えると同じように引っかかった夕歌さんと言葉が被った。

 

「今後のことを思えば達也さんとも親しくあった方が良いのでしょうけど、親しいかと聞かれると――」

「しばらくは難しいでしょうね」

 

彼女が言い淀んだ言葉を引き継いで続ければ、彼女は嫌な顔せずそうでしょうね、と大きく頷いた。

その言葉と自分たちだけが分かり合っているような態度に双子はシンクロした動きで俺たちの顔を窺った。

今まで俺がこのように親しげに親戚と話している姿を見たことのない彼らにとって、この姿は非常に違和感を覚えたことだろう。

臆することは無いが遠慮もしない姿というのは彼らにも見せたことは無かった。

 

「しばらくは警戒させていただきますよ」

「勝手にして頂戴。その間深雪さんに慰めてもらうから」

「・・・それは卑怯ではないですか?」

「ふん。どうせその後たいして傷ついていないのに慰めてもらおうとする貴方に比べれば卑怯でも何でもない――ってやめてよ、その手があったかみたいな顔するの!私が塩を送っちゃったみたいじゃない」

「事実、俺はそこまでは考えておりませんでしたので。そうですね。そのようなことになったら深雪に慰めてもらうとしましょう」

「あーやだやだ!可愛い親戚が毒牙にかかるのを見ることになるなんて。もっと前から男の見る目を養わせるべきだったわ」

「俺にとっては幸運でしたね」

 

彼女がどのように『男を見る目』を教えるかは知らないが、良くも悪くも深雪の周囲には男性の見分け方など教えるような人間などいなかった。

本来そういった注意をするべき母親はその前に他界していた。

俺と婚約を画策する叔母上がそのようなことを教えるはずも無い。

そして自身で養う機会、深雪の周囲に寄ってくる男たちはことごとく排除してきた。

養うべき目が鍛えられることも無く育ってしまった彼女は、俺のようなひどい男を尊敬すべき兄だと信じている。

 

(・・・正直、大みそかの夜に嫌悪されてもおかしくないことをしたはずなんだが、深雪は未だこんな俺を慕ってくれている)

 

それは今朝方も布団の中で兄を呼びながら身を寄せたことからも、間違いはないと思われる。

俺たちのやり取りに目を白黒させていた文弥がちらりと自身の姉を見遣ってからあの、と恐る恐る口を挟む形で入ってきた。

 

「この度の発表――深雪さんとの婚約の方ですが、その、お祝いの言葉をお伝えしてもよろしいのでしょうか」

 

この言葉に俺は――

 

「もちろん」

 

是非この婚約を喜ばしいものとして認めてほしい、とにこやかに応えた。

脳裏によみがえるのは、叔母上の言葉。

深雪は早々に四葉の人間との婚約を考えていたようだった。その中に年の近い文弥も含まれていておかしくない。

可能性がまだ完全に立ち消えていない現在、少しでもその芽を摘み取っておく。

笑みを浮かべての即答が予想外だったのだろう、文弥は戸惑いを浮かべ、亜夜子は元より白い顔をさらに白くさせた。

 

「大丈夫か?無理をしているなら少し休んだ方がいいんじゃないか」

 

血の気を失って今にも倒れそうに見える亜夜子に声を掛ける。

なんなら手も差し伸べるのだが、いつもなら重ねられる手は取られることなく、彼女は力なく頭を振って断った。

 

「だ、大丈夫です」

「しかし、」

「いえ、本当に、大したことはございませんので」

 

そう言って微笑む顔にいつもの覇気はなく、どう見ても元気が無いように見えるのだが、無理に騒がれたくも無いのだろう。

大人しく手を引っ込める。

 

「えっと、改めまして達也兄さん、ご婚約おめでとうございます」

「ありがとう」

 

まだ婚約が決まっただけで確実に結婚ができると決まったわけではない。

いくら当主肝いりの計画であっても情勢が変われば簡単に解消される可能性は捨てきれない。

だが、それでも公的に発表されることに変わりはない。

後は、深雪の恋心を自分に向けさせ確実にさせればいい。幸いにもすでにこれ以上ないほど愛されている自覚はあった。

あとは――

 

(本来であれば、じっくりと外堀を埋めていきゆっくりと育んでいきたかったものだが)

 

そう悠長に構えられるほど、自分の心に余裕はないらしい。

そのことがこの一つ年下の、可愛い弟分によって気付かされた。

もちろん、この先あわただしくなるだろう事情に巻き込まれるらしい、という理由もある。

そんなことになれば二人の時間を確保することが難しくなるのだろうことは想像に難くない。

これまでも無自覚にストレスを溜め込み理性を失いかけたことは幾度もあった。

その時の行動を思い返せば俺がいかに深雪を異性として愛していたかが分かりそうなものだが、その件は今は置いておくとして。

あれ並みに忙しくなるというのであれば深雪との関係を進ませる余裕などないわけで、その状態でストレスを溜め込み理性の制御ができなくなれば、今度こそ深雪の意思を無視して襲い掛かってもおかしくはない。

自覚をしていない状態で脱がせようとまで考えていたのだ。自覚をしていたら何をしでかすか想像に難くないだろう。

そのことも心配に違いないが、文弥にその気――深雪と結婚する意思が無いとわかっていながらもこのように可能性があるというだけでこのように牽制をしていることの方が問題に思えた。

もしこれで学校が始まったら――半数が男である閉鎖空間に深雪を連れて行くことを想像するだけで傍から離れられる気がしない。

まだ、不安定な形だけの婚約者というだけでは、不安で仕方が無いのだ。

深雪が問題なのではない。深雪が婚約の決まった状態で男と二人きりになるような不信を抱かれる真似をするはずがない。

だからこれは――俺自身の心の問題。

 

(心とは、こんなにも厄介なものなのか)

 

頭で分かっていても、心がそれを不安視する。想像するだけで居ても立っても居られない。

 

(確固たる証が欲しい)

 

それはもしかしたら兄妹としてしか見られていない不安を払拭したいという理由もあるのかもしれない。

深雪にとって俺は兄でしかない。――それを、覆したい。

異性なのだと、刻み込みたい。

 

(最低だな。どんなに理由を付けようとも、ただの欲望じゃないか)

 

深雪を抱きたい。

結局のところ何かと理由を付けてはそこに行きつく。

そこからの会話は他愛のないもので、気楽な同年代の会話、という四葉邸にいるとは思えない会話を交わしながら深雪の戻りを待った。

しかし、なかなか戻らず、文弥たちは亜夜子の調子が悪いこともあって下がり、夕歌さんもまだ挨拶をしていない人がいた、と離れていき一人になった。

このまま壁になっていようとしたのだが、このタイミングを見計らったように当主の子息であり、次期当主の婚約者への挨拶を、と直接挨拶をかわすのも初めての親戚たちが次から次へと訪れた。

どうやら深雪がいなくなってから近寄りがたかったところに、歳の近い親戚たちとリラックスして会話をしていた様子を見て近寄る機会を見出したらしい。

探りをさりげなく入れてくる者も多く、また向けられる視線も今まで単純に見下すものばかりだったのが好奇の目に晒されることにより、辟易させられる場面もありいつになく疲労を感じたが顔に出すようなことは無い。

些細なことでも隙を見せれば命取りになる。

たかが会話だけであろうが、ここは四葉だ。武器が違うだけで戦場と変わらない。

自分には不得手なフィールドだが、深雪の隣に立つと決めた以上、逃げることなどできようはずもない。

そういえば、と挨拶が途切れた合間に周囲をうかがう。

 

(嫌悪の視線が向けられていない)

 

黒羽を筆頭に、俺の誕生を憎々しく思っているだろう分家当主クラスが軒並み席を外していることに気付いた。

もしかしたら深雪がいないことに関係しているのかもしれない。

深雪の下に向かうべきか、と思い意識を向ければ、どうやら彼女は用件が終わったのかこちらに向かっているようだった。

少しでも近い場所へ、と不自然に思われないようグラスを取って彼女の現れるだろう入り口付近に場所を移した。

予測通り現れた深雪は、葉山さんを伴っていた。

水波から白川夫人へ、そして葉山さんに変わったということは深雪を丁重に扱いながらも、周囲にも当主の傍仕えを侍らせていることで彼女の立場を改めて認識させる意味もあるのだろう。

周囲の視線が意味合いを変えた。

ただの好奇心だけでなく、次期当主への敬意。

彼女はまだ弱冠16歳でありながら気品と他を圧倒する美貌だけでなく、その佇まいと態度にも畏敬の念を抱かれているようだった。

その彼女が、まっすぐとこちらに向かってくる。

それだけで先ほどまで抱いていた疲労感が嘘のように霧散した気がした。

出来れば笑顔で迎えたいところではあったがここは四葉邸であり葉山さんのいる手前、そのような緩んだ顔を見せるなどできようはずもない。

ここまで連れてきてくれたことに頭を下げてから、深雪に向き直る。

 

「おかえり、深雪」

「お待たせいたしました、達也さん」

 

ただいま、ではない返答にそれもそうかと思いつつ、名前を呼ばれることに、名前などただの記号のはずなのに胸が騒いだ。

それは深雪が言い慣れないからその緊張が伝わって、だけではなく自身も聞き慣れていないからなのだろう。

先ほども思ったが、やはり深雪に付き合ってもらって早急に慣れないといけないな。

 

「葉山さんもありがとうございました」

「もうしばらく会をお楽しみくださいませ」

 

葉山さんの言葉に、予定通りしばらく後に警察の検問が薄くなるらしい。

彼に頭を下げられることにもまだ慣れないが、自然体を装って受け止め、見送った後に深雪の分の飲み物を渡して一息つくのだが、

 

「文弥くんたちとお話はできましたか」

 

姉の亜夜子の名より文弥の名を呼ぶことは別におかしなことではない。

無いはずなのに妙に引っかかる。

 

「ああ。彼女はまだ体調が良くないようだったがな」

 

それは心配ですね、と浮かない表情になってグラスの縁をなぞる。

普段はライバル然としているが、深雪にそのつもりはなく、彼女にとって亜夜子は可愛い親戚なのだ。

表情を曇らせてしまったことに罪悪感を抱くが、ふわりと香る臭いにすぐに意識が切り替わる。

 

「・・・たばこの香りがするね」

 

それも、ただの安いたばこの香りではない。先ほどの懸念が当たったようだ。

深雪の様子から亜夜子のこと以外で心が落ち込んだ様子もない。恐らく問題なく終わったのだろう。

深雪のことだから俺のように悪意を向けられるようなことは無かったはずだ。だが、駄目だった。

分家の、特に俺を目の敵にしている者は男ばかりだ。そんな連中に深雪が囲まれていたのかと思うと、苛立つ思いに蓋ができない。

先ほどの文弥の名を呼んだことも気に入らず、深雪が一旦下がって臭いを消しに行くと離れようとするのをエスコートする形で連れ添う。

一人でも大丈夫だというが、俺がもう深雪と離れることができなかった。

挨拶の責務も十分に果たした。少し抜けたところで問題はないはずだ。

むしろ若い婚約者同士が席を外すのだ。気を利かせるくらいはするだろう。

人気の無い、離れた場所でCADを取り出し繊細な操作を、息を吸うように簡単に熟す姿に改めて感服するとともに、臭いが落ちた瞬間に腕の中に閉じ込める。

慌てた深雪が兄と呼ぶので訂正すると、先ほどまでのお嬢様の仮面が剥がれ、俺のよく知る可愛らしい妹の顔になる。

そのことにひどく安堵して抱きしめる腕が強くなる。

 

「・・・お疲れなのですか、達也さん」

「そりゃあ、ね。悪意の視線に晒されるのは慣れているが、ずっとあのように探られる視線に晒されるといくら俺でも辟易する。それに、傍にお前もいないしな」

 

深雪がいればまた違っただろう。それは分散されるからとか、そういう理由ではない。深雪がいればそれだけで負担など後回しにできる。

 

「お前と一緒ならどんな場面でも気にすることなんて無いのに」

 

深雪を眺めていれば疲れなど吹っ飛ぶというものだ。

やはり手放せないな、と蟀谷にキスをすると、深雪は恥ずかしがって身じろぎをするが逃げはしなかった。

 

「・・・お兄様には羞恥というものが無いのですか」

「達也」

 

細かく訂正すると、腕の中で動かなくなった。

少ししつこすぎたか、と顔を窺うと頬に朱を走らせている。少しばかり尖った唇も、不満の色は見せるも嫌がっている様子は見えない。

だが、深雪は油断しているようだ。

 

「・・・達也さん」

 

なんて、潤んだ瞳で見上げられて、俺が冷静でいられると思っているのか。

 

「俺にだって羞恥くらいはある。だがそれよりもお前を堪能したいという欲が勝ってしまうだけで」

 

深雪には俺が超人のように思われているようだが生まれと育ちが普通でないだけで、一般的な男とそう大差はないはずだ。

ただ、そこに衝動が結びつかないだけでフィジカル的には普通の人間と変わりはない。

三大欲求は普通に存在するのだが、それをコントロールする術があるから勘違いが起きているのか。

とはいえそのうち二つほど深雪が絡むとノーコントロールになるのだが。

 

「ほら」

 

深雪の手を取って己の胸に押し当てる。これが一番手っ取り早い。

 

「分かるか」

「・・・確かに、鼓動が早いようですけれど」

 

分かってもらえたようなら何よりだ。

深雪に触れるだけで、触れてもらえるだけで鼓動は早まる。

それは喜びであり、期待であり――俺が唯一、一人にだけ向けて抱ける欲でもある。

 

「俺に触れるだけでそんなに赤くなってしまうのか」

 

こんなことで照れてしまう。

この仕草一つ可愛くて仕方がない。

このままこの腕の中に閉じ込められないだろうか。誰の人目にもつかないところに隠してしまいたいと思いながらも口では「深雪から触れることだってあっただろう?」と別のことを訊ねていた。

自分から触れるのとはまた別です、と小さな声で顔を胸に埋めてくるこの可愛い婚約者であり妹をどうしてくれようか。

 

「ああ、可愛い。困ったな。もうこのまま帰りたくなってきた」

 

そしてそのまま押し倒してしまいたい、とは流石に口には出さなかったが本心を述べると顔を耳まで真っ赤にして、グイっと体を押し返される。とはいえ深雪の力はさほど強くないので添えられているのと変わりはないが。

 

「も、もう!達也さ――達也様、戻りませんと」

 

ここでまさかの様付けに変わり、距離が空けられてしまったか、と内心焦る。

距離を詰めすぎただろうか。それとも兄としての信頼を失ったか?

 

「様って・・・俺はお前の婚約者というだけであって、立場で言ったらお前の下だぞ」

「ですが、現当主のご子息なのですからおかしくはないはずです」

 

取ってつけたような理由だが、普段お兄様、と呼んでいることから『さん』より『様』の方が彼女にとって呼びやすいらしいのだと推測できた。兄さん、と学校で呼ぶのももしかしたらまだ抵抗があるのかもしれない。

思い出すのはあの沖縄の出来事。あの日以来、深雪はお兄様と呼ぶようになった。

そんな高尚な呼び方をされるような人間ではないのに、まるでそれが一番しっくりくるというように嬉しそうに微笑みながら。

対して俺は多少の居心地の悪さを感じていた。

深雪は妹でありながら次期当主候補に選ばれ立場がずっと上で、俺なんかより優秀で、お姫様のように美しかったから。俺ごときが様を付けられて呼ばれるなどあってはならないことのように思えた。

だが、深雪が嬉しそうに呼ぶものだから否定もできなかった。

母のことをお母様と呼んでいるのだ、兄もそう呼ぶことは彼女にとっておかしなことでもなかったのだろう。

過去に戻ることができるならあの時に呼び名を変えさせたいと思うくらいには変えさせたかった時期もある。

が、深雪に呼んでもらえるのならなんだって構わないかと次第に落ち着いていった。

いずれこの呼び方も落ち着いていくのだろうか。

 

「ご子息ってなぁ。・・・やはりあの時呼び方を直すべきだったか」

「お兄様はお兄様です。それ以外には呼べません」

 

つん、と唇を尖らせてそっぽを向くのが可愛すぎて結局好きにさせてしまう。

こういうところがダメ兄貴なんだろうな。可愛さに負けてつい甘やかしてしまう。だが、それでいい。

 

「頑固だな。・・・そんなお前も愛おしいが」

 

愛おしくてたまらない、という想いの乗った声で耳元で囁くと、落ち着き始めた顔色がまた薄く染まりだす。

それを強く抱きしめて込み上げる笑いを堪えようとするが、駄目だな。深雪に関するとどうにも抑えが利かない。というより抑える気も無いのだろう。

 

「・・・達也様は変わられてしまいました」

 

抵抗空しくされるがままになって拗ねたような物言いになってしまったが、これは嫌がられての言葉ではないのだと、真っ赤な耳を覗かせて服を握られていることからも理解していた。

そうだな、ただの兄ではなくなった時点で大きな変化だっただろう。

自身でも大分変わったように思う。プログラムが書き替えられたように年明け前とはまるで思考が違う。

 

「変わった俺は嫌いかい?」

 

耳元で囁きながら髪を耳に掛けてのぞき込めば、深雪は顕著に体を震わせ皴になるほど服を握りしめて頬を赤く染め上げた。

 

「答えは聞かないでおいてあげよう」

 

直接彼女の口から聞きたくはあったが、その態度で嫌われていないことは明白だった。

これ以上追い詰めては逃げられてしまうかもしれない。ただ囲って追い詰めて逃がさないようにするのではなく、彼女の方からも歩み寄れるだけの余白が無ければならない。

恋をさせてほしい、それが彼女の願い。

愛されていることはわかっている。絆されやすく流されやすい深雪のことだから、ちょっと刺激を与えれば導くことはそう難しいことではないように思うのだが、この計画で一番気を付けなければならないのは俺自身だ。

流されやすい深雪だが、一定を超えるとパニックになって拒絶することもある。

心の赴くままに押し続けては逃げられる可能性がある。そこだけは気を付けないといけないポイントだが、そこが一番難しい。

この深雪の可愛さにどこまで耐えられるのか、理性がもつのか。

 

(もたさねば、ならないだろうが)

 

恋とは本当に厄介だ。自覚してしまえば制御が難しくなるなんて。

このままここで二人きりでいたら危険だな、と会場に戻ることに。

周囲に目があれば己を抑えられるだろう。・・・他人を頼るなんて情けない話に思えるが、制御できないうちはこうして周囲を利用してでも抑えなければ。信用を失ってからでは遅いのだから。

 

 

――

 

 

午後の宴会が始まり、立食形式で食事が並ぶ中、当主による挨拶と報告が始まった。

魔法師協会を通じて各所に四葉の次期当主の名と、自身の息子の認知、そして婚約のことも同時に公表したのが午前中。

すでに祝電が届けられ始めているそうだ。

祝電と言っても形式上のもので、この内容をただ喜ばしいと単純に考えるような家は何処もないだろう。

次期当主の発表だけならともかく、17年も息子の存在を隠していたともなれば何を企んでいるのかと疑心を抱かれるのも無理はない。

その上、兄妹として暮らしていた二人を婚約者として発表するなどゴシップになること請け合いだ。

特に身近な学校は荒れるだろう。

好奇の視線くらいなら構わないが、四葉であることも当然影響してくる。

ちらり、と深雪を見るが、彼女は完璧な淑女の顔をしていてその表情を読み解くことはできない。

この子が一人で何かを背負わなければいいが。

 

(年末に何か画策しているようだったが帰ったら教えてもらえる、はずだ)

 

もう賽は投げられたのだ。情報共有はしてもらえるだろう。だが、深雪がすべてを共有してくれるかはわからない。

今回、それを痛感した。

 

(叔母上との関係など、微塵も感じさせなかった)

 

きっとあの人の暴露が無ければ俺はずっと知らずにいただろう。

挨拶も終わり、各々会話をしながらグラスを傾けたり食事を楽しんだりし始め、その中に俺たちも紛れていく。

昨日深雪と挨拶を交わし損ねた人が訪れてくることはあったが如才なく深雪が応えながら人の間を泳いでいく姿に、深雪ならすぐに社交界の華となるだろうと確信する。

まだ学生だからこのような席に呼ばれる頻度は少ないだろうが、七草は娘たちを社交の場によく顔を出しているそうだ。

元々四葉はそこまで積極的に参加する方ではないが全くないわけではない。いずれ当主代理として参加することも出てくるだろう。

その際は婚約者としてエスコートできる立場のはずだ。

ガーディアンというだけでは傍に侍ることもできなかっただろうから、やはりこの立場は自分にとって手放せるものでは無いなと別方面からも実感した。

挨拶の合間に食事をつまみつつ、美味しいですね、と口元を自分にだけ見えるように綻ばせる深雪が可愛らしくて癒されながら時間を過ごしていると水波が給仕の手を休めてこちらにまっすぐやってきた。

 

「準備が整ったとのことでございます」

 

帰宅が許可された。

深雪に向けられた視線を辿れば叔母上が目を細めていて、深雪と共に一礼する。これだけで済んだのは、場を騒がせずに退席しろということだ。

不自然ではないように下がって客室に戻り、手伝いの使用人を断ってさっさと服を着替える。

深雪には水波が付いたようだが、女性と違い男の服はそこまでややこしくはない。

来た時と似たような服に着替え終えると端末を操作する。確かにそろそろ検問を無くし、警戒巡回に切り替える動きに入っている。

全てを引き上げるのではなく警邏は残るようだが、警戒レベルは下がる。怪しまれることも無く抜けられるだろう。

車の手配も問題なく、設備も以前のような穴の無い民間ではありえない防御力を持つ乗用車だ。

かといって今日は何かに襲われる予定は無いが、四葉次期当主と公表された直後ということもある。何もないとも限らないし、これくらい警戒するのは当然だった。

問題が無いことを自分の眼でもチェックして深雪の下に向かう。

着替えが済み準備が整ったところで、水波が荷物を運んで移動する。

当主子息となってから屋敷内の待遇がかなり変わった。それに水波も倣っているようで荷物を持たせてはもらえなかったが、最後の見送りの際、忠告を受けた。

 

「深雪様が傷つくようなことがあれば容赦は致しません」

 

やっと帰れると安堵する深雪と違い、水波にはこの後の展開が読めているようだった。

殺気にも似た視線を向けられるが、敬愛する主を断腸の思いで見送らねばならないのだ。しかも、主の大事なものを奪うだろう相手に託して。むしろこれくらいで済ませている水波はまだ己の分を弁えていると言えた。

ぴり付いた雰囲気に、深雪が目を開閉させるがまさかそれが自分を中心にこうなっているとは気付かない。自分に迫っている危機に彼女だけが気付いていなかった。

先ほど水波に注意されていたのに、なぜか見当違いな回答をしていたくらいだからな。

俺に襲われることを心配する水波に、周囲を警戒しないと、と気合を入れていた。

恐らく当主子息ということで狙われる可能性があることを想像したのだろうが、まったくもってそんなこと心配しなくていい。

襲われたとて返り討ちにすればいいだけだ。

 

(人のことを「自分を蔑ろにして」、と怒るわりに、深雪自身も危機管理が低い)

 

それとも兄であることに油断をしているのか。

今朝もあれだけ警戒していたのに、すぐに忘れてしまうらしい。いや、これまでの関係が彼女を安心させてしまうのか。

男として意識されていないことを悲しむべきなのだろうが、これほどまで兄を慕ってくれることにも喜んでしまう。

兄であり婚約者という立場もなかなかに両立が難しいモノなのかもしれない。

 

「さあ、帰ろう」

「はい、お兄様」

 

車に乗り込み、四葉本邸を後にする。

様々な思惑を煮詰めたような混沌の館から出られ、二人して安堵のため息が漏れたことに二人同時に苦笑した。

 

 

――

 

 

キャビネットに乗った後も、他愛ない話をするだけで触れ合うことも無かった。

外、ということもあったが、わざわざ乗り換えた人の多い駅付近から観察する視線が付いたからだ。

家までは付いてこなかったが、これが四葉の、という探りの視線であることは読み取るまでも無いことに思えたが念のため一通りは読んでおく。

コミューターを降りると深雪が空を見上げていた。

冬の空が特に好きなようで、昼も夜もよく見上げる姿を見かける。

今日のところは少し見上げるだけで満足したのか、戻した顔に少し照れが見えたのは一緒に空を見上げることも無く深雪に見惚れていたことに気付かれたからか。

キラキラと輝く深雪の目にはいつも視線を奪われる。どんな宝石も敵わない煌めきに魅了されない人はいないだろう。

荷物を抱えたままでは抱きしめることもままならない。

早足にならないように気を付けながら家に入った。

まずするのは何か仕掛けられていないかのチェックと付近に魔法の痕跡が無いかのチェック。

魔法だけでなく何かしらの機器などが仕掛けられていないか、警戒を怠らない。

家だけでなく周辺も視るが今のところ新たに増えたものはないようだ。

向けられる視線も無い。

四葉に対して生半可なことは仕掛けられないから動きが無いのか、それとも――俺たちを餌に四葉が仕掛けているのか。

どちらでも構わない。

 

「おかえりなさいませ、お兄様」

「ただいま深雪。深雪もおかえり」

「はい、ただいま戻りました」

 

いつものやり取りにほっとする。

 

(この時間を壊してしまうのももったいないが)

 

三十秒のハグを終えたところで少し踏み込んでみる。

 

「キスをしたいと思うのだが、いいだろうか」

 

ハグを終え、肩に手を置いたまま体を離した状態でしっかりと見つめ合って問えば、戸惑いながらも拒絶の色は見えず、しばし視線をさ迷わせた後、俯きながら小さく頷く。

俯いたのを拒んでいると勘違いすることもない。小刻みに震える手は緊張からで、赤く染まる耳は恥ずかしさによって。

逃げ出したいほど恥ずかしがっているのにこの場にとどまってくれている。

けして強引にならないように手を添えて顔を上げさせると、緊張していつもより引き締められた口元と、潤んだ瞳が兄としてではなく別のものとして受け入れようとしているように見えて、期待に鼓動が早まるが、焦りは禁物だ。

ゆっくりと顔を近づけて、震える瞼が閉じられるのをじっくり観察しながら単純に唇を重ねるだけのキスをする。

柔らかいのに弾力があって、深く踏み込んでもいないのに味を感じる気がするのは甘い香りが錯覚させるのか。

離れがたいがここはすぐに引きさがるべきだ。

名残惜しむように音を立てないように軽く吸って離れる。

 

「お兄様?」

 

見上げながら不安そうに瞳を揺らされ、込み上げる衝動を抑え込むためにも深雪を一瞬だけ強く抱きしめて解放する。

動揺する様子がその一瞬でも伝わるが、ここでも嫌悪は一切見られない。

 

「駄目だな・・・どんどん欲深くなっていく。お前に甘えすぎてしまうな」

 

もっと、と欲してしまいそうになる。

待つという気持ちに嘘はなかった。

愛してもらっていることに間違いはなく、つい先日まで兄でしかなかった相手を、遺伝子上問題が無いからと婚約者に宛がわれるなど困惑しないわけがない。気持ちを切り替えろという方が無理だ。

兄を愛することと、婚約者として愛することは全くの別物であるのだから。

俺のように以前から無自覚にも恋をして絶対に放すものかと執着していたなら、自分の下に転がってきたこの幸運を喜べただろうが。深雪が願っていたのは俺が外で幸せになること。

はっきり聞いたわけではないが、これまで得た情報を踏まえて考えれば輪郭が見えてくる。

彼女は俺を四葉の外に出し、人並みに幸せな生活を送れるようにすることを夢見ていたのではないか。

だが、あらゆる意味で欠陥であった俺は幸せを共に送りたい相手に、妹を選んでしまった。

彼女にとっては青天の霹靂だったはずだ。

ありえない選択を選んだ兄を、しかし彼女は拒むことはしなかった。見捨てることなく条件付きではあるが(しかも俺に有利な形で)手を差し伸べてくれた。

だからここは彼女のペースで待ってあげるべきだと、そう思っていたのだが。

 

(恋と自覚してから自制が難しい。こんなにも自分が独占欲の塊だとは思わなかった)

 

いつでも簡単に剥がれ落ちてしまう、名ばかりの婚約者という危うい状態のままでいられない。

もっと、深いつながりが欲しい。

 

(簡単に切っても切れない関係性が、証が欲しい)

 

深雪からはアプローチに対しての拒絶も無く、止められたとしても恥ずかしいから、というのが理由だ。

それに今も、本人に自覚は無いのだろうが離れてからの切なげに揺れる瞳は、都合の良い思い込みかもしれないが、もう少し踏み込んでもよかったのではないかと思わせるものに見えた。

 

(兄妹でこんなキスはしない)

 

なら、すでに異性として意識してもらえているのだと捉えることはおかしなことではないはずだ。

――そう、待つまでも無く、深雪も無自覚に俺のことを憎からず思ってくれているのではないかと。

 

(それはあまりに自分本位が過ぎるか)

 

浮かれすぎて先走っている自分の発想に少し冷静になるよう働きかけて、いつまでも玄関にいるものでは無いと荷ほどきを提案する。

 

「そう、ですね。あ、お夕食はどうしますか?」

「正直、ずっと何かしらつまんでいたからな。そんなに減った気はしないんだが、深雪はどうだ?」

 

緊張で喉を通らない、というような軟な精神を持ち合わせていないのであちらでは適当に周囲に溶け込みながらつまんでいた。挨拶回りの小休憩にちょうどよかったのだ。

深雪も同様であまり減ってはいないようだが、年末年始で乱れた食生活を戻すためにも少しでも腹に入れた方が良いと考えているようだった。

 

「それでしたら具沢山のお味噌汁だけ、というのもいいかもしれません。汁物ですからそこまで重くも無いですし、食べた気にもなります」

「それはいい。深雪の味噌汁なら何倍でも食べられそうだ」

「まあ、お兄様ったら」

 

深雪はくすくすとおかしそうに笑うが、リップサービスなんてつもりはない。

あちらでの食事がいくら一流の料理人の手によるものだろうと、俺が食べたいのはいつだって深雪の手料理だ。

いつもの空気を取り戻した安堵感からか、深雪は肩の力を抜いて荷物を運び出した。

俺が部屋まで持とうとしたがやんわり断られてしまい、今これ以上構うことは過干渉になるかもしれないと伸ばしかけた手を自身の荷物へと軌道を変えた。

自室に入り、一人になると溜めていた息を一気に吐き出す。

 

(・・・何をやっているんだ俺は)

 

昨年末、ここを出る前は深雪をどう守ってやれるか考えていたはずだ。

分家からの襲撃はもちろんだが、深雪のみならず自身まで会に出席することなど立場上ありえず、何か良からぬことが起きるはずだ、と相応の覚悟をしてこの部屋を後にしたというのに。

戻ってきて考えていることがどう深雪をベッドへ誘導するか、などと頭を悩ませているのだから呆れて物が言えない。

叔母上の策略に乗るのは非常に抵抗感があるが、今日を逃せば、恐らくチャンスは無いのだ。掌で転がされているとわかっていても目を瞑る他ない。

もしこれで、今日を何もせずに過ごしたとしよう。三日の夜には次の日師匠への挨拶に向かう予定があるので無理はさせられない。

そして四日になれば水波が戻ってくるわけで、そうなると深雪の気がそぞろになって触れ合うことにも躊躇するようになるのではないだろうか。水波を意識して抵抗される予感がする。

それ以降となればたとえ部屋で二人きりになろうとも、同じ家の中に水波がいる状態で深雪が逃げ道に利用しないとも限らない。

それに加えて年始でのあの忠告。恐らく早々に何かトラブルが起き、駆り出される可能性がある。

また忙しくなりストレスを溜め込んだ場合、深雪と二人きりになって欲を抑えきれなかったら――間違いなく深雪の都合を押しのけて襲うように抱くのだろう。

今までの経験上、箍が外れ、とんでもない行動を起こすことは目に見えている。

今まで同様、深雪が流されてくれる可能性はあるが、それではあまりにも情けなさすぎる。

それに――

 

(恐らく学校が始まれば深雪は落ち込むはずだ)

 

表向きいくら気丈に振舞っても、四葉という看板は彼女を苦しめる。

それほどまでに四葉の名は国内外に恐れられている存在なのだから。

 

(正直、友人たちの態度が豹変しようが俺にとって大事なのは深雪だ。彼女が変わらないでいる限り俺がどう思われようが構わない)

 

俺にとって深雪以外は所詮他人事なのだ。

四葉と恐れられようが、避けられようが、構わない。

だが、深雪は違う。

 

(あの子は優しい子だからな)

 

きっと、深く傷つくだろう。

何か作戦を立てているような風ではあったが、それでも何も思わないでいられる子ではない。

出来るだけ支えてあげられたら、と思うができれば兄としてだけではなく、婚約者としても支えられたらと思うわけで。

 

(・・・ダメだな。本当に欲望に際限がない)

 

傷ついたところに付け込もうなど最低な発想だ。

元々自分を好きになれないと思っていたが、今回のことで嫌悪すべき対象になりそうだ。

思考する間も手は動いていたため片づけは終わっていた。

洗濯物を持って行くか、と立ち上がり視界に入るベッドを見下ろす。

至って普通のシングルベッドだ。

 

(これでは狭いな)

 

くっついて眠るだけならこれでも十分なことは九校戦で実証済みだが、事を為すには窮屈に思う。

ゲストルームには倍のサイズのベッドがしまってある。

 

(常にHARが清掃をしているが念のためシーツなどを清潔なものに取り換えておくか)

 

出来るだけ音を立てずに部屋を出た。

 

 

――

 

 

部屋を整えた後、精神統一もかねて一度地下のラボでログを確認する。

家を空けている間、以前のようなハッキング等は無かったようだ。念のため警戒レベルをもう一段階引き上げておく。

その頃には深雪も荷解きが終わったのかキッチンに移動していた。

味噌汁だけを作るということだからそろそろ切りあげた方が良いかもしれない。

画面をオフにしてブラックアウトした画面に映る自分の表情がいつもより視線が鋭いように思う。

目元を揉み解してから立ち上がった。

 

 

 

地下から戻ると良い香りが漂っていた。

いつもの味噌汁とは違う香りのような気がするが、料理に関しては全く分からない。

深雪は日常あれだけ勉強をしているのに、いつ料理のスキルを磨く暇があったのか。彼女の努力に改めて感服しながら真っ直ぐキッチンに顔を出す。

 

「いい匂いだね」

「丁度いい所に。今出来上がったところです」

「それはよかった」

 

これが外であるなら出来立てになど興味はないが、深雪の作る料理となれば別だ。

盛り付けている料理が運ばれる前にカトラリーを並べる。

これくらいの手伝いでも深雪の感謝が貰えるなんて、どれほど贅沢な暮らしだろう。

これを幸せと呼ばずしてなんというのか。

二人していただきますと声を揃えて食べる食事の有難みを、改めて実感しながら味噌汁に手を付ける。文句なしに美味い。

いつもと違う風味のこの味噌は麦味噌だそうだ。

汁物というよりおかずだな。具材が多くてこれだけでご飯がいけそうだ、と思っていると深雪からご飯の用意がありますよ、と笑みを向けられ、あまりの用意の良さに良妻との二文字が浮かぶが、それはあまりに気が早すぎる。

 

「もらってもいいか?」

「ふふ、もちろんですとも」

 

にっこり微笑む深雪が美しくも可愛らしすぎて、自身の頬が緩むのが分かる。

だらしなく映っていないか心配になるが、深雪の笑みが深くなったので悪い印象は与えていないようだ。

こちらもどうぞ、と出される漬物もいい塩梅でご飯が進む。

腹は減っていなかったつもりだったのに結局二杯もご飯を平らげてしまったが、それをニコニコとして見ていた深雪はむしろ機嫌が上昇しているようだった。

その様子に安堵した。

もしかしたら一緒にいることでずっと緊張させっぱなしになってしまうかもしれないと危惧していたのだ。

だが、杞憂だったかと安心するには早すぎたらしい。

食後のコーヒーをリビングに運んでいつものように隣同士くっついて座ると思われたが、微妙に距離を空けられた。

 

(・・・流石に深雪も警戒するか)

 

ソファでは、今までも困る深雪にちょっかいを掛けていたことを思い出せばその反応も無理はない。日ごろの行いというヤツだ。

ここで無理に積極的に動いては徒に警戒心を煽ることになるだろう。

なるべく何でもないよう苦笑だけ浮かべてみるが、胸の前で固く拳を握りしめ、表情を強張らせたことから逆効果だったのかもしれない。

その反応には胸が苦しくなったのを隠すようにコーヒーに口を付けた。

まだ熱すぎて痛いほどだったが、今はこの痛みが丁度いい罰のように思えた。

この沈黙に包まれた空気を払拭するように語り出したのは、この先彼女の思い描く計画だった。

 

「孤高の女王、をやるのか?深雪が?」

 

孤立するのは目に見えているので、あえて自分から演出して人を寄せ付けないようにするつもりらしい。

確かに四葉というだけで何もせずとも生徒には恐れられるだろう。

クラスメイトも近寄りがたいと距離を保つことも予測される。

 

(だが、それをあえて自分から仕向ける?)

 

深雪がそういう行動を取る時――自分が傷つくのを承知の上で何かをする時は決まって誰かのために、であることは間違いない。

 

(この場合その誰かは、生徒の為、か)

 

慕っていた人物を悪評によって遠ざける。それは人の心理としては当たり前のことでもあるが、そのような行動をとる場合、罪悪感を刺激するものにもなり得る。

正義の在処、信じていた者の裏切り、周囲からの好奇の眼差し――。

こういった集団心理は軍で学ぶので、人の心の動きを推し量るのが難しい自分でもそういう心理状態があると分かるが、理解できるかと言われると別だ。自分に正義なんてものはないが――唯一絶対の指針が揺らぐことは無い。

そのことで生徒たちの心が病もうが俺にはどうでもいいが、深雪にとって彼ら生徒も守りたい対象なのだろう。

深雪の作戦を聞いて、その考えは確信に変わっていく。

 

「そこまでお前がする必要があるのかい?」

 

生徒たちの将来まで、深雪が背負うことは無い。

彼らは勝手に深雪に心酔し、面白おかしく学校生活を楽しんでいた。

そのことで世間から四葉に傾倒していたのではないかと疑心を抱かれ、避けられたり偏見を持たれたりしたところで深雪がフォローを入れなければならないことなど無い。

彼らの為に胸を痛めることなど必要ないと思うのだが、深雪は大丈夫と微笑むばかり。

深雪はただ元から孤立するならその流れを利用するだけ、と気丈に考えているようだが、果たしてそこまでする価値があるのか、俺には見いだせない。

深雪が、そこまで心を砕く必要性を感じない。

 

(・・・これも独占欲、なのか)

 

「水波はどうする」

 

水波が従兄妹という設定は嘘だとバレるのは確定で、今までの彼女の深雪に対する態度からも、護衛であったことは推測されるだろう。

いつも控えるように傍に居たのだから。

水波を自分直属ではなく本家から派遣された護衛ということにすれば、深雪に無理やり従兄妹として振り回された憐れな使用人に見えるのではないか、との設定らしいが、それは無理がある。

水波が深雪を慕い、支えてきた姿を周囲は見ている。それがただ仕事で言われただけであったと誰が納得するだろうか。

だがそうか。水波とも節度ある距離を取る気でいるのか。

 

「・・・そこまで考えて、俺には今まで通り皆と普段通りに過ごせと?婚約者になったというのに他人行儀に接しろと、そう言うのか?」

 

クリスマスに渡した手紙には、俺は四葉(とはっきり書いたわけではなく一族とぼかしたらしいが)の人間として扱われてこなかったので四葉の中でも認められていないといった内容が記されていたらしい。

そして深雪が俺によそよそしい態度を取ればそれが真実味を増し、仲間たちは俺を受け入れるのではないか、という筋書きらしいが。

なぜ、恋を自覚し婚約者という立場を得られたというのに横に立つことが許されないのか。

なぜ、兄妹でいる時よりも離れなければならないのか。

なぜ――

 

「四葉と分かって私を害そうとする生徒はおりませんでしょう。それに、恐らくですが学校からも忠告があるはずです。婚約者でありながら同居しているというのは学校側としても問題になるでしょうから、節度ある行動を求められるはずです」

「兄妹としてなら許されていても、婚約者になったからには節度を持て、か?」

 

納得のできる常識的な意見のはずなのに、脳裏には叔母上の非常識な発言と高笑いが浮かぶ。

 

「あの、家では普段通りで構わないのです。学校の間だけ、我慢を強いることになるでしょうが」

「当たり前だ。プライベートまで学校に指導されたくない」

 

そこまで干渉されてたまるか、とまるで自分の言い分が思春期特有の反発をしているように思えて口を閉ざす。

学校サイドの意見は考えれば当然の指導だ。いくら婚約者でも学校内では節度を持つようにというのはまったくもって常識的で、本来であれば同居も危険視されておかしくない。

兄妹、家族であれば問題はなくとも、従兄妹で婚約者。若い男女が共に屋根の下など、勘繰りをするなという方が無理だ。

未成年を正しく導くことは学校教育の一環であり、それを怠れば責任を負うことになる。彼らが厳重に注意するだけの理由があることは理解した。

いくら早婚が望まれる魔法師界とは言え、未成年者の妊娠はあまり喜ばれない。体に負担がかかることもそうだが、魔法師を人非道扱いする思想問題にも通じる。

ただでさえ四葉はそういった面――人体実験や倫理を無視したような研究の疑いを持たれているのでより厳しい目を向けられるかもしれない。

己の行動に対し気を付けねばならないことは分かったが、しかし、婚約者としての節度ある距離、とはどういう物か。

身近な婚約者同士で想像するのは五十里・花音両名だが、あちらは十分学校内でもくっついていたように思うのだが・・・、いや、親しい人間以外のいるところではそれなりに節度を持っていたか。

教師の目が無い生徒会室ではべったりくっついていたからその印象が強いが、九校戦に向かうバスで一緒になれないことをあれほど悔やんでいたことを思えば普段からそれなりに我慢をしていることになる。

学年が違うので普段どのように過ごしているのか知らないが、深雪の提案はそれ以上に距離を取るということ。

思い出すのは入学時の凛とした深雪の姿。

隣で見る深雪とは違う、冬の寒さを思わせる表情は美しい芸術のようで、その美しい姿に魅了されたものだ。

それでいて、家に戻ると誰も知らない無防備な愛らしい姿を見せるのだから、たまらない。

あの時は兄として心を許されていることに喜びを抱いたものだが、今思えばあのギャップに胸を鷲掴まれて興奮していたのだろう。

自分にしか見せない、というところも俺の心を満たす要因だった。

だが、喜ぶ半面心が痛んだ。深雪の苦しみが伝わってくるからだ。

深雪が悲しむと胸が軋む。

今回も、深雪は自分が計画したこととはいえ落ち込むだろう。

いや、前回よりも厳しいかもしれない。

親しかった人間から懐疑の視線や恐怖、警戒、悪感情も向けられるかもしれないのだ。

間接的に四葉のせいで迷惑を被ったことのある家が無いとも限らず、これを機に何かを吹聴することだって可能性として考えられる。

物理的に守ることは得意であっても、噂から守るのは不得手だった。そうなる前に何かしらの企みがあったら排除するつもりではあるが。

 

「・・・またお前ひとりが辛い思いをするのか」

「今度は上手くやってみせますとも」

 

微笑む深雪に強がっている様子は見られない。

 

「まかさあの時、すでにここまで想定していたとはな」

「慶春会に参加せよ、とお手紙を頂いた時には、四葉の次期当主として発表があるのだと思いましたので」

 

いっそのこと、本家にたどり着かない方がよかったのではないか、先延ばしにできたのではないかと後悔が過るが、深雪は首を振る。

 

「それは無理でしょう。それでは叔母様の不興を買ってしまうことになります」

「あの人なら気にしなさそうだがな」

 

今回が駄目ならば別の機会くらい用意できただろう。

あの人からはどうあっても俺たちを結婚させるつもりだという『熱意』を感じられたから。

・・・あの理屈はさっぱり理解できるものでは無かったが。

 

(ああ、そういえばこの問題もあったか)

 

 

――

 

 

コーヒーを机の上に戻し、深雪のカップも取り上げて向かい合う。

戸惑う深雪だが、こちらの真剣な顔を見て背筋を伸ばした。

 

「いつからなんだ?」

「なにが、でしょうか」

「叔母上との関係だ」

 

深雪の関係は把握していると思っていた。

特に重要人物や親交の深い関係は見過ごしていないと自負していただけにあの衝撃は凄まじかった。

俺の知らない、深雪との関係に醜く嫉妬した。

そしてそれは隠していた深雪にさえ向きそうになったが、深雪に怒りをぶつけるのはおかしいと思い止まる。

だが、ぶつけなくとも溢れるものはあるのだろう、深雪の瞳が怯えるように揺らめいた。

 

「・・・真夜姉さまとお呼びするようになったのは中学生の時でした。きっかけは・・・なんだったでしょう。いつの間にか面白いわね、と気に入っていただけてそのような呼び名に至った形です」

 

叔母上は深雪を弄んで楽しんでいるのだろう。愉快犯なところがあることはこの年末年始でよくわかった。

しかし、そうか。中学の頃から、か。

全く気付かなかった。

俺がいる前で二人は当主と次期当主候補という関係性だったから。一般的な姪と叔母、よりも遠い関係。

だが、実際は軽口も叩けるような間柄で、在りし日の親子の会話のような気軽ささえ見えた。

家族として暮らしてもいないのに親しげな様子が気に入らなかった。

それが表に出てしまったのか、今度は瞳だけでなく体ごと小刻みに震えていた。

深雪を怖がらせたかったわけではないのに。

自分勝手な感情を発露させてしまったことを恥じて謝罪して一旦気持ちをリセットした。

 

(なんて、浅ましいのだろう)

 

深雪を通してしか発露しなかった感情が今、深雪に関してではあるが自分の抱いた感情が表に出ているこの状況。

そう、これは叔母上に対しての嫉妬に駆られた俺自身の感情。むき出しの、自分の感情だ。

あまりの醜さに項垂れそうになる。

 

「何か、ご不快にさせてしまうことがございましたでしょうか」

 

すぐさま俺の変化に気付いて心配そうに様子を窺う深雪は本当に俺と兄妹なのかと思う程慈悲深い。

だが、深雪に不快にされたことなどない。ありえるはずも無い。

そんな誤解は即刻解くべきだ。

たとえ自分の醜い心を晒すことになろうとも。

 

「いや、これは俺の問題だろう。――俺が、勝手に嫉妬しているだけだから」

 

深雪はその言葉がピンとこなかったのだろう。目を見開いて口元に手を当てる。薄っすらと空いた口を隠すためだろうが、無意識に出るこういう所作が、仕草が俺の心をくすぐっていることを深雪は気づいていない。

些細なことでもこんなにも反応するものだっただろうか。

知らなかった感情に、想いに名がつくと、それだけで意識していなかったところも気になってくることを知る。

 

「俺も自分に驚いている。人は恋と自覚すると途端に感情が揺れ動くんだな。以前から深雪には独占欲のようなものは感じていたんだが」

 

深雪の意識が他に向くたびに面白く思わないことは多々あった。

それは深雪が俺にとって唯一だったからこそ、抱いた思い。

俺には深雪しかいなかった。深雪しか愛せない。

母による手術によってそうされた。それ以外をすべて奪われた。

俺の世界は深雪を中心とした世界だけが残された。

だが、それで十分だった。

彼女のみいてくれればそれ以外、何もいらない。彼女が幸せであることで俺の平穏は保たれる。

それを遠くでも見守れたなら、俺の人生は救われる。そう信じていた。

 

(兄としてだけいられたらそれで満足――納得する人生だっただろう)

 

分不相応に恋心など抱かなければ、嫉妬など感じられなかっただろうに。

おこがましい、と蓋をしたか、もしくは気付くことさえ無かったかもしれない。

あの沖縄の事件が無く、あのままの関係であったならきっと俺は心を、感情を知ることは無かった。

深雪に対しても、失うことは恐れてもここまでの執着は抱かないのではないだろうか。

だが、愛されて、感情を育まれ、欲を抱くようになって思い知る。

 

(俺には深雪しかいない。深雪ほど愛せる人間は他にいない。――だが、深雪は違う)

 

俺にも好意的に思える友人ができ、彼らの為に労力を割くことくらい厭わないと思えるほどに気を許すことを覚えた。

他人に関心が持とうが、友人らしく振舞う程度だったのに彼らに何かあったら何かをしたい、と思うなど深雪以外にはありえなかった。

だが、当然だがそれでも深雪には敵わない。足元にも及ばない。

深雪とは次元が違うのだ。

 

(ああ、そうか)

 

天啓を受けたように唐突に理解した。

早く証が欲しい、と考えるようになった。

それは直接的な体の繋がりを持つことでモノにするという欲求による所有権を主張するためだけの証だと思っていた。

男の身勝手な欲求だと。

それも全く無い、というわけではないだろうが一番欲しいのは――深雪の唯一であるという証だ。

深雪は俺の為に生み出された完全調整体だという。

肉体と霊体を調整され、完璧な魔法力と美貌をもって誕生した。

しかしそれだけであり、俺を想うようにとの精神干渉は受けていない。そのような魔法の痕跡は視られない。

深雪の心には何の制限もされていなかった。

つまり、深雪には俺以外にも愛する者をつくれる。

俺以上に愛する相手を見つける可能性があるのだ。

それはすでに出会っているかもしれない。まだ出会っていなくともこれから先、出会ってしまうかもしれない。

 

(だからこそ深雪の心に刻まれたい、俺という存在を――唯一の男であると認めてほしいと)

 

俺が己の感情を読み解いている間に、深雪も状況を把握しようとしていた。

 

「心が、感情が揺れる、のですか・・・お兄様が」

 

驚くのも無理はない。

俺自身ありえないと思っていた。

深雪が心を育てると、感情は豊かになると導いてくれていたが、ずっと心は深雪以外には動かないものだとばかり思っていたから。

だが、年少の頃の暗示と、誰にも期待してはいけないと無意識に自衛が働いたことによる思い込みだった。

もちろん衝動は抱けない。感情の上限は決まっている。

それでも、自分の抱く感情が以前よりはっきりと動くのが分かった。

 

「・・・これもまた、お前が育ててくれた心になるのか」

 

胸の前で手を組み、感極まった深雪は静かに涙をこぼした。

悲しんでいるでも苦しんでいるでもなく、俺を想い、感動で涙しているのだと思ったら体が抱き寄せていた。

目元を己の肩に押し付けてシャツが涙を吸っていく。

 

「俺は今、酷いことを言ったんだぞ。俺が嫉妬するのはお前のせいだ、と。なのに嬉しくて泣くのか?」

「・・・わかっていてそのように聞くのは卑怯ですよ、お兄様」

 

卑怯でも何でもいい。深雪の口から聞きたかった。

そう懇願すると、握られた拳はシャツを握りしめるように動き、上げた顔からははらはらと零れ落ちる涙が別の場所に染みをつくる。

こんなに美しい泣き顔が世に存在するのか、と目を奪われる。

白い肌にうっすらと赤みが差し潤む瞳は闇夜に星を閉じ込めたように煌めき、生まれ落ちる雫は宝石のよう。

小さな桜色の唇が開く。

 

「どんなものだろうと、嬉しいに決まっているではないですか。お兄様自身が何かを望むようになることを、何故喜ばないと思うのです」

 

醜い嫉妬心であろうとも、自らの気持ちを発露させることもできなかったことを知っている深雪にとっては奇跡のように思えたのかもしれない。

ずっと、彼女がそのことを望んでいたことを知っている。俺が喜ぶたびに、苦しむたびに心を成長させたと喜んでいた彼女にとってもこの結果は驚くものだったのだろう。

感動によって興奮しているからか、彼女は心にしまっていた想いを口にした。

 

「恋は人を豊かにすると言います。私はずっとお兄様にその機会が巡ってくることを望んでおりました」

 

それは、彼女の願い。

大晦日の夜、深雪が俺の幸せを願っていることを知った。

ずっと献身的に支えてもらっていたことは気付いていたが、まさかその中に俺の恋を応援するものが含まれていることは気づかなかった。

ズキッと胸が痛むのは、その恋の相手に深雪が含まれていないからか。

 

(・・・まあ、当然と言えば当然か。深雪にとって俺は兄でしかなかったのだから)

 

兄妹で恋をするなど常識的に考えてありえないのだから。

しかしながら、彼女の発言で思い至ることがいくつかある。

誰かと二人きりになればどう思ったかを訊ねられたり、その相手を褒めたりはその一環だったのか。

悪いがそれは無駄な努力だったと言わざるを得ない。

もし深雪以外にも衝動を抱けることを仮定したとして、隣に深雪がいて他の女性に目が向くかと聞かれればそれは難しいというものだ。

妹は対象外?そんな常識がこの暴力的なまでの美の前で意味を成すのか。

外見の美しさだけじゃない。内面も負けないほど賢く、豊かで好感しか持てないのに。

それでいて――

 

「でもまさか、それが・・・私に向くとは夢にも思いませんでした」

 

恥ずかしそうに目を泳がせながら胸に顔を寄せる美少女になんとも言えない衝動が沸き起こるが、ゆっくりと目を閉じて精神を落ち着けてから口を開く。

衝動をぶつける前に、どうしても伝えなければならない。

 

「俺としてはお前に惚れない理由が無いんだがな」

「それは、どうして・・・」

 

どうしてもこうしても無い。

見返りも求めずあれだけ献身的に愛されて、すべてを肯定され、受け入れられてどうして愛さずにいられようか。

深雪にだけは想いに上限など無いのだ。

兄妹愛という言葉だけでは足りない。様々な想いが生まれた。

家族愛、敬愛、慈愛と様々な愛が深雪に向けられ、――自然と恋情にまでたどり着く。

 

「献身的に愛されて、たっぷりと愛情を貰って、返したいと思うことはおかしなことじゃないだろう?なのにお前はそれを自分ばかり貰いすぎだと遠慮する。しまいには自分ばかりに構うのは良くない、と俺から離れようとする。それにどれだけやきもきしたか。この俺が、恋とも知らずにいた俺が葛藤していたんだ。お前が離れてしまうのではないか、と。いずれ離れなければならないとわかっていたはずなのに、その思考を見ないふりをしてまで。

だがな、深雪。男は離れていこうとするものを追いかける習性がある。それを計算に入れなかったことがお前の敗因だ」

 

深雪が離れていく気だ、と気付いたあの夜、一番に思ったのは『逃さない』だった。

恋心を自覚するよりも早く頭に浮かんだ。

思考よりも早い考えは本能に基づくものだと言われている。

本能が、深雪を逃さないと、捕らえて離すなと訴えていた。

手を伸ばして頬を撫でる。腕の中で捕らえただけでは足りない。

――もっと離れられないように繋ぎ止めなくては。

 

「お、お兄様っ」

 

唇が触れるほど近づくと、悲鳴にも似た声が上がる。

だが、逃がさない。

 

「好きだ、深雪」

 

これは告白というより懇願だ。

 

「お前が愛情を浸透させるように好きだと言ってくれていたように、俺も浸透させるように言い続ける」

 

どうか、こう願うことを許して欲しい。

 

「――好きだ。早く、俺のところまで堕ちてくれ」

 

そしてどうか、共にいてくれ。

ずっと傍に。

 

(俺は卑怯な男だから、曖昧な状態でいられない。決定的と言えるだけの確証が欲しい)

 

弱い耳を責めれば、真っ赤に染まるのは興奮を抱いているからだろう?

顔のいたるところにキスをしてもぎゅっと固く眼を閉じるだけで背けることをしないのは、嫌がってはいないからだろう?

魔法を使って抵抗もできるのに、それもしないのは、拒絶する気が無いからで――

 

「お、兄様、コーヒーが冷めてしまいます・・・」

 

深雪なら一瞬で温め直せるのにおかしなことを言う。

揺れる瞳の中に、灯る熱があることを見逃さない。

この先に何が起こるか、知らないでこの反応はできないはずだ。

 

「コーヒーは冷めても飲めるが、深雪は熱に浮かされているうちでないと食べさせてもらえないだろう?」

 

本気を伝えるためにブラウスのボタンを外していけば、深雪はついに顔から火を噴くほど真っ赤に染まり慌てだす。

 

「お、お兄様、待って下さるはずじゃ・・・」

 

待ってやりたかった。待ってやれると思っていた。

だから申し訳なく思うが、現状そうもいっていられないのだ。

時間は有限だ。ある時に使わなければ機会を逃す。

 

「食べると言うのは語弊があるな。あの日の確認作業がまだだっただろう」

 

語弊がある、と言っても言葉のチョイスが悪いだけであってやること自体は変わりない。

それは深雪にもわかっているのだろう、ここで初めて腕の中から抜け出そうとするが、藻掻くたびに大きく開いた胸元から魅惑的な谷間が形を変えて誘惑してくる。

今すぐにでも手を差し込みたい欲求に駆られるが、その前にこの混乱時に畳みかけなければと深雪の顔に視線を戻す。

 

「今しかチャンスはない。確認作業は必要なことは深雪にもわかっているだろう?」

 

もちろんそんな必要は何処にもない。

だが当然のように言い切られたことで深雪も言葉が返せない。

 

「確かにお前の気持ちを待ってやりたい気持ちもある」

 

その言葉に視線がぶつかる。

 

「だがな、四葉での仕事が終わったら水波が帰ってくるだろう。そうなると、深雪。お前は水波と一つ屋根の下でそういった行為に及ぶことができるのか?」

「!!」

「深雪の気持ちはわかる。俺も水波と気まずくはなりたくないしな」

 

・・・すでに水波には察せられていて、警戒むき出しに忠告されたが深雪はそのことを知らない。

事に及ぶつもりだとバレていたのだろうな。かといって引き下がるつもりはない。

我慢ができずに深雪の鎖骨に手を伸ばす。なぞるだけで身を震わせる深雪の反応に興奮するのを押さえつける様深雪の体を抱き寄せた。

柔らかい感触と、甘い香りが一気に襲い掛かるが、まだだ。

堪えながら耳元で囁く。

 

「もう一度、一から検証しよう」

 

丹念に、余すところなく隅々まで調べあげよう。

深雪の瞳に映った自分の顔はひどく獰猛な獣に見えた。

憐れ、食べられることを確信した深雪は体を硬直させて身動きが取れなくなっていた。

 

 

――

 

 

入室時に付けた明かりも早々に落として深雪の為に常夜灯モードにした。

四葉では障子越しに月光が月に照らされ入る光があったが、遮光率の高いカーテン越しではほぼ暗闇状態だ。ベッドの縁に下ろされて座る深雪には何も見えなくて恐怖を煽ることになるだろうから。

しかし、それによって周囲を見回されるのは少々気まずかった。

前もって準備していたと気付かれた気がして落ち着かない。

 

「余裕があるようだね、余所見をするなんて」

 

同じように隣に腰掛け頬に手を当て、顔を自分に固定させて探られないようにと見つめれば、深雪の瞳がみるみる潤んでいく。

今にも泣きだしそうな様子に怖がらせてしまったか、とも思ったがそれにしては怯えというよりも戸惑っているような、そんな視線に見えた。

まずは落ち着かせるように目元を中心に口付けていく。

初めは身体を固くしていたが、直接唇に触れられないことで少しずつ受け入れられるように力が抜けていった。

押し当てるだけだったそれを徐々に音を立てて触れるとうっすらと上気する頬が目に入るが、肩に力が入ったのも少しの間だけで、俺のシャツを握りしめて羞恥に耐えている姿がなんともいじらしい。

 

(困ったな)

 

可愛い反応に今にも押し倒して圧し掛かりそうだ。

口付ける度に震える睫毛も、むずがるように肩を揺すったり眉間が寄るところも、どこからともなく香る彼女特有の甘い香りも、腕の中で徐々に熱を上げていく柔らかい体も何もかもが理性を蝕んでいく。

気が付けばまだ唇に触れてもいないというのに首筋と鎖骨に指を滑らせ魅惑の谷間に手を滑らそうとしていた。

特に視覚的にこの角度はまずい。

見下ろす先には、普段ならブラウスに隠されているところなのだが、先にボタンを外してしまったことで露わとなっており、下着のレースの縁取りに覆われた眩いばかりの白い双丘が身じろぎするたびに形を変えて誘惑されそうになる。

下着姿など見慣れている、などと簡単に割り切れるものでは無い。絶対触れてはならない状態で見る下着姿と、これからその先に進みこの手で触れることを前提に見る下着姿が同じであるわけがない。

 

(余裕があるようだね、なんてよくこの俺が言えたものだ)

 

表面上穏やかに笑っているつもりだが、内面は――殺気立っていた。

少しでも気を抜けば野獣になって襲い掛かりそうな本能を何度殺していることか。

殺してもなおすぐに復活を遂げる本能に、これがデーモン、とふざけた言葉が浮かんだ。

戦場で俺が恐れられ嫌われるわけだ。殺しても殺しても蘇っては襲い来る。厄介なことこの上ない敵だ。

 

(頼むからこのまましばらく眠っていろ。ここでまだお前を解放するわけにはいかないんだ)

 

まだベッドの上に座ったばかりだというのにこれを解放しようものなら深雪に嫌がられる未来しか見えない。

元々深雪に対してしか動かない衝動を抑える方法など知る由も無かった。抑えることなどした試しがほとんどなかったからだ。

初めて衝動が暴走した深雪を傷つけられたあの日、深雪が敵の殲滅など望んでいないことくらいわかっていた。

ただ、自分が許せなかったから怒りのままに動いた結果、桜井さんの死という別れを母と妹にさせてしまったことは今でも後悔している。彼女も、まさか最期を俺に看取られるなど思ってもいなかっただろう。

駆け出した時にその結末は予想していなかったが、もし予想できたとして止まれたか、と聞かれれば俺はきっと止まれなかった。

深雪を傷つけた原因を放置するなど、できるはずがない。

今でなら他にやりようもあるが、あの時は魔法も未熟で、敵の動きも読むことができず、露払いの応援を頼むことすら知らなかった。

すべて自分の未熟さが招いた結果だ。

だから知識を、力を求めた。もう、深雪を泣かせないために。大切なものを守れるように。

俺は、あの子の兄だから。

静まってきたところで気付かれないように息を吐きだしてからもう一度頬に手を添えた。

 

「さ、目を瞑って」

 

俺は婚約者でもあるけれど、この子の兄だから。

この子を傷つけるようなことはしない。怖がっているのなら優しく、安心させてあげるのが兄の役目だ。

ゆっくりと瞼を閉じる深雪に、いい子だね、と親指で頬を撫で、力加減を間違えないようにそっと唇を重ねる。

小さくてもしっかり弾力のある唇はその触感だけで美味しいとわかる甘美な果実だ。

思うままかぶり付きたいところだが、ここは慎重に。

はやる気持ちを抑えつつ、それでも離れがたくて惜しむように軽く吸って離れたのだが、それがいけなかった。

ほぅ、と深雪の口元から小さく漏れた吐息を唇に感じた瞬間、気が付けば口が開いて吐息すら余すことなく食べなければとかぶり付いていた。

急に深くなった口付けに驚いた深雪が俺の服をきつく握りしめるのを感じながらも唇は放さなかった。

あれだけ慎重に、と思っていたのに深くなってしまった口付けに、しかしがっつかずに丁寧にと意識して――いたはずだが、実際どうかはわからない。あまりの気持ちよさにいたるところに舌先を伸ばしていた。

普通に考えれば人の唾液が美味しいわけがない。

先ほどまで夕食を食べ、コーヒーを飲んだ後そのままここへきているのだ。

だからコーヒーが香るのも、彼女の舌に残る苦みも感じているのに、なぜそこに入ってもいないシロップを感じ、直に舐めているように舌先が痺れるほどの甘味を味わっているのか。

特段甘いモノに目が無いわけでもないのにこれは一滴残らず飲み干したい。そう思うこの欲望は果たして性欲なのか、食欲なのか。

深くなっていく交わりに呼吸も乱れ、わずかに空いた隙間からこれまた甘い音が漏れる。

 

「んっ・・・っあ、は・・・ぅん、む・・・ふ、うぅ・・・はぁっ、は・・・っ」

 

悩ましい声が漏れる度に腰にずしんと重りが載せられたようだ。

何度も思うがまだ序盤、キスだけでこれだ。

深雪の才能はこんなところまで優秀だなんて。

それともこれも四葉の技術の賜物だとでもいうのか。だとしたらその研究施設は即刻分解せねばならないだろう。

理不尽にも空想だけで怒りを覚えて少し乱暴に舌をかき回したせいか、深雪の喉からくぐもった音がする。

まるで溺れているかのように息苦しそうだ。鼻を押さえているわけでもないのにうまく吸えていない・・・?

そこで気付いた。

以前のように興奮しすぎて呼吸が止まってしまっているのか。

 

「ゆっくり呼吸をしなさい」

 

すぐに唇を解放して背中を撫でながら呼吸を促す。人工呼吸をしなかったのはまだ意識がありそうだったから。

その判断は間違っていなかったようで深雪は自力で息を吹き返し、呼吸できるようになった。

よかった、と安堵しつつ、深雪の許容量にも気を付けなければ。

 

(せめてさっきのように声を上げ続けてもらえれば止まったかが気付けそうなものだが)

 

いや、この場合声を出していれば呼吸も忘れないのではないだろうか。

呼吸が止まってしまうことに対して何か策は無いかと思案しながらもよくできました、と褒めるように口づけを落す。

とりあえず一点ばかりを責めすぎたな、と反省するように唇から頬へ、それから深雪の弱点のはずの耳にわざとらしく音を立ててキスをするとビクッと身体を縮こまらせたので、また落ち着けるように唇を遠ざけて指でそこに触れる。

つまんで軽く揉んだり、縁をなぞったり。耳たぶはひんやりとしていて柔らかくて気持ちがいい。口に含んだらどんな触感がするだろう、と思いながら再度顔を寄せて穴に向けて息を吹きかける。

 

「ひゃん!」

 

可愛らしい声に追い打ちを掛けたくなるのを少し止めて、

 

「やっぱり耳が弱かったんだな」

 

とあえて言葉にすると、ふるふると震えながらぎゅっと目を瞑るのがなんとも悪戯心をくすぐられる。

深雪の言う苛めっ子というのは合っていたということか。

流石は深雪だ。俺の知らない俺を理解してくれているとは。

指で触れるのもいいが、やはり口に含みたくなるのはすべて食べつくしたいという願望によるものなのだろうか。

口元を押さえて声を出さないようにしているのだろうが、弱点とはっきり分かった耳を口に含んでは舐めて順に縁を辿っていくと堪える声が漏れ出る。

その健気さがまた可愛くて仕方がない。

 

「深雪、ここには誰もいない。声を我慢しなくていいんだ」

 

だからその可愛い声を抑えることなく聞かせてほしいのだが、深雪が口を開くと声が漏れてしまうからとふるふると首を振って答える。

ふむ。

 

「我慢することは辛いだろう・・・?」

 

深雪が一番弱い低い声を弱点の耳元で囁くと小刻みに体を震わせていたのが大きく体が跳ねてしがみ付いてきた。

 

(ああ、なんて)

 

憐れで可哀想で――愛おしいのだろう。

追い詰めている元凶なのに助けてとばかりに縋りついてくる可愛い妹を安心させるように抱きしめておきながら、その耳にもう一度息を吹きかけて頭を撫でる。

今度は抱きしめていたから深雪の反応がはっきりと伝わった。

怒られる前に宥めるようにとんとん、と背中を叩いて落ち着かせる。

 

「声を聞かせてくれないか」

 

再度催促をするが残念なことに俺にも声を聞かせたくないらしい。

だが、その理由は彼女が照れ屋だからというわけでも無さそうだ。

思い浮かぶのは在りし日の親子の淑女教育の様子だ。

母はいつも淑女たるもの感情をあらわにすべきではないと教育していた。

いつでもどこでもどんな場合であっても、淑女は声を荒げる等の行為はしないのだと。

母・深夜は確かに淑女であった。彼女はプライベートでもあまり感情を表に出すことはしなかった。

深雪はその母を尊敬し、今も手本として実践しているのを知っている。

その意思は尊重してあげたいとも思う。だが――

 

(あけすけに本心を晒すのなら、堪えるのに必死な深雪も愛おしい。だが、乱れる深雪も見てみたい)

 

淑女の仮面を引き剥がしたい。感情の赴くままの、むき出しの深雪を知りたい。

 

「確かに声を上げることは恥ずかしいかもしれないが、こういった場面でははしたないことではないよ。むしろどう思っているのか伝える手段でもある。深雪を気持ちよくさせてあげたいから教えてくれると嬉しい」

 

よくもまあ、口が回るものだな。

しかも、深雪の弱いワードである「嬉しい」という言葉まで織り込んでいる、と他人事のように考えながら頬に手を当て深雪をじっと見る。

焦点は定まっているものの、ちょっとしたトランス状態のように意識がはっきりしていないようだ。

 

「うれしい、のですか」

 

ゆっくり反芻するように紡がれた言葉は幼さが見え、素直に訊き入れてしまっているのが分かる。

心配だ。こんなあっさり口車に乗るようでは、と思いながらもそうだよ、と甘く囁き頭を撫でる。

 

「深雪が喜んでくれるなら、俺は嬉しい。だから気持ちが良ければ反応を示してほしい」

 

刷り込むように言葉を重ねると、深雪はもう一度うれしい、と繰り返した。

意識はあるようだが、反応が薄い。

 

「もう一度キスをしていいか?」

 

この言葉に数瞬遅れながらも目を閉じた。偶然ではない。きちんと意思を持った行動だ。

同意を得たので唇を重ねる。何度口付けても足りない。もっと求めたくなる気持ち良さにさらに深く追い求める。

 

「んっ・・・はぁ、ん」

「声に出すのが難しいなら頷いてくれてかまわない。――気持ちがいいか?」

 

頼んだからと言ってすぐに反応が返ってくるとは思っていない。

深雪がこれまで身に沁み込ませてきた淑女としての在り方を変えられないだろう。

何度も口付けていると、どこに深雪が反応するかが分かってくる。

緩急をつける攻め方に変えて、時に擽るように、時に強めの刺激を与えて。

その度に体が反応してしまっていることに深雪は果たして気付いているだろうか。

 

「それとも嫌かい?」

 

遠慮がちに問えば、これにはすぐに答えが返ってきた。

分かっていたとはいえ横に首が振られたことに安堵しつつ。

 

「・・・っと」

「ん?」

「もっと、ほしい、です」

 

おずおずと顔を上げながらの答えは俺が欲していた以上のもので。

 

「お前の望みのままに」

 

 

 

(――オチたのは、深雪でなくて俺かもしれない)

 

 

――

 

 

深雪が陥落するよりも先にこちらの理性が引きちぎられるのが先になりそうな予感がする中、交わす口付けに酔いながらゆっくりと身体をベッドに横たえた。そのまま覆いかぶさって、さらに深く、強く舌を絡ませながら支えていた腕を外してブラウスのボタンを外していく。

冬でも室内は一定の温度を保っているから寒いということは無いだろうが、肌に空気に触れたことで体を震わせたのを抱きしめてからそのまま下着のホックも外す。

直接見られるのは恥ずかしいだろうからまだ覆いを外すことはしないが、こんなものは気休め程度だろう。

酸欠からか羞恥からか、はたまたその両方によってなのか、深雪の肌がうっすらと赤く染まっていく。

暗闇の中でもよく見える目のおかげでこんなわずかな光量であろうと色づくのを見逃さずにいられる。

・・・見られたくない深雪には悪いが、恥じらうように身を捩る姿がまた官能的で踏みとどまるのも一苦労だ。

愛おしくて、愛したくて――めちゃくちゃにしたくて仕方がない。

口付けはついに唇を離れ下へ下へと下りていく。

白い喉元に噛みつきたくなる衝動を、吸い付き痕を残すことで消化して、痕を付けるごとにそこを舐めてはその横に、下にと新たに跡を残してはまた舐めてを繰り返していたら想像した噛み痕以上に酷い有様になっていた。

断続的に聞こえる「んっ・・・」「は、ぁっ」と熱く息を漏らしつつ声を押し殺しながらも身もだえる反応に興奮してしまい消化どころか煽られ続けたことも原因か。

とはいえ深雪本人に煽っているつもりなんてないだろう。

彼女に自ら煽るような余裕なんて見当たらない。

滑らかな肌に指を滑らせるだけで体は痙攣するように震え、呼吸は浅く速い。体温が上がっていることで汗が滲み、火照る体を持て余し身を捩ろうとするが、足の間に足が差し込まれていることで身動きが取れず、掴んでいる手が時折力んでは俺のシャツに皴をつくるしかできずにいた。

瞳には今にも零れ落ちそうなほど水気が湛えられ、はくはくと動く唇は何度も吸い過ぎたことにより赤みが増し、厚みも増している上にてらてらと怪しい輝きを放っている。

どこを食べても美味そうだ、と喉を鳴らして己が唇を舐める様は極上の餌を前にした肉食獣のソレだった。

本能に従いかぶり付きむしゃぶりたいところだが、俺は人間であり、この子の兄であり、前回やらかしたことを反省し、可能な限り深雪の意思を尊重すると誓った身。

自分勝手にがっつくことなど許されるわけもない。

 

(彼女の口から「いや」「だめ」「まって」と言われたら止まる、許可なく肝心なところに触らない。常に深雪を喜ばせることを前提に)

 

待つと言ってすぐに手を出すことになったことに対するせめてもの償い、いや戒めだ。

つぅ、と指を体に這わせるだけでも刺激になるようで体に力が入っては体中の熱が上がり、しっとりと肌を濡らしていく。

深雪の体は非常に快感を拾うことが上手いらしい。

ただでさえ滑らかな肌の滑りが良くなり手が止まらなくなる。

だんだんと手は大胆に動くようになり、汗が溜まっている場所に行きついた。

柔らかく、薄い肌に包まれた白くて丸いその丘の麓には滴が溜まっていて、それを伸ばすように回りを縁取っていく。

申し訳程度に乗っかっている下着はできるだけそのままに手を添えては撫でるように滑らせるのだが、掌に感じる未知の柔らかい感触に抗いがたい引力を感じられて生唾を飲み込んだ。

蟀谷からも汗が流れる。

一瞬、この汗が深雪の上に垂れてしまうことで穢してしまうのではと汗を蒸発させようとしたが、しっとりと濡れた艶やかな赤い唇を見て今更か、と胸を撫でたまま唇を重ねたのは、その事実を誤魔化すためか。

自分を誤魔化そうとする意味など、読み解いた今無駄な行為だというのに、しないという選択肢が無かった。

ただ口付ける口実が欲しかったのだと気付いたのは気持ち良さにすべてを委ねそうになってからだった。

深雪の体がビクッと震えたことに慌てて手の軌道を変えた。

深雪の許可なく触れないという己に課した誓約を破りかけ敏感なそこに指が触れてしまったのだ。

乗っかっているだけの布と肉体の間に入り込んだ手がひと際繊細な箇所をかすめた瞬間の、口内のくぐもった声と引っ込められた舌、反り返り意図せず押し付けられた女体は柔らかくて理性が飛びかける。

離れた唇からはくり、と息を吸おうと動かしたタイミングだった。

無意識に浮いた腰に腕を回し、更に密着させたことで下着越しにこすれて甲高い声が上がった。

 

(衝動の制御など、なぜ、できるなどと思ったのだろう)

 

深雪以外に働くことが無いのだから鍛える機会すら少ないというのに。

そして今までそのほとんどが制御できていなかったくせに、一体何を驕っていたのか。

先ほどの口づけで分かった。

――自分はただ、口実が欲しかったのだ。

ひとつ回答を得ると妙に頭がすっきりした。

迷いがなくなった、ということか。

二人の間を仕切るように添えられただけの下着をずらす。

綺麗な白い乳房にちょこんと乗る桜色の粒がつん、と上向いている。ショートケーキのイチゴを連想させたが、ここにあるのはその最上級の傑作、至高の一品。

どんな極上の味か想像もつかない。

あまりの美しさに触れるのを躊躇う。躊躇うが引き寄せられることは止められない。

 

「美しいよ」

 

前を覆う物がすべて取り払われて羞恥と緊張に強張った表情さえ美しい。

 

「綺麗だ」

 

滲む汗がキラキラと光を与え白い肌を一層輝かせていた。

香水をつけていないのに芳しい香りは深雪自身の芳香だろう。

なぞっては体を震わせ、その度に強くなる香りと輝きでくらくらする。

深雪も徐々に追い詰められているのかちらりと視線を向ければ苦悶の表情を浮かべていた。

まだ言葉にならない堪える声に、少しずつ、ゆっくり慣れていこうな、と声を掛けるが果たして深雪に届いているか。

感じやすい体でここまで高められれば苦しかろう。

 

(結局俺の本性は最低で卑怯で――鬼畜なのだろう)

 

深雪の為と言いながら目標を達成させることしか頭にない。

選択肢を与えている風に見せて一つしか答えられないようにしているにすぎない。

待てと言われれば待つと言いながら、それを言わせる前に口を封じてしまう抜け道を考えていた時点で破綻している。

愛おしいと思うのに、一番大切にしたいと思っているのに――。

 

「も・・・おねがい・・・」

 

ついに決壊した。

ぽろぽろと、大粒の涙が零れ落ちるのを舌で掬い、口付けながら吸い上げて、想像以上の甘露に頬が緩む。

込み上げる歓喜が口角を吊り上げた。

 

「深雪、――愛してる」

 

 

 

今度こそできるだけ優しくしよう、と触れるだけの口づけを落しながら、――できるだけ、なんて逃げ道が初めからある時点でこれもまた破るのか、と冷めた思考が突き刺してくるが、興奮状態で痛みなど感じるはずも無く、もう一度愛してると囁いて抱き起しベッドの中央に移動しながら引っかかっただけのブラウスを脱がしにかかるのだった。

 

 

――

 

 

それから、俺は人生初めて陶酔状態で身動きが取れなくなるという経験をすることになった。

恐らくだが、これから深雪以外に誰かを抱くことになってもこれ以上のエクスタシーを得ることはできないだろう。

それほどまで強烈な記憶を刻み込まれた。

深雪にも相当無理をさせてしまった。

初めこそ優しく、とできるだけ丁寧に触れていたつもりだ。

深雪も緩く上り詰めていっていた。だが、湿って張り付いていたシャツを脱ぎ捨てたところで深雪の視線が一点に集中し、古傷を愛おしそうになぞられた途端、スイッチが入ってしまった。

いくらペースを抑えていても深雪の我慢ももう限界だったのだろう。

堪えきれない激情に動きは激しくなり、ついには嬌声を上げるようになって何度も繰り返し呼ばれた。

「お兄様、お兄様っ」と泣きながら縋られた時の背徳感は相当なもので何度呑まれそうになったことか。

途中から名を呼んでくれとお願いすると恥じらいながら恐る恐る「た、たつや、さま・・・」とのぞき込まれた時には意識が飛びかけた。

可愛すぎるのに妖艶さが同居する深雪を前に理性など保てるわけが無かった。

次々と見たことのない表情を浮かべる深雪に翻弄されながら突き動かされて、互いに熱に浮かされ貪り合ってどれくらいの時間が経ったか。

正確な体内時計を持っている自分が時間の感覚を狂わされたことに危機感を抱くが、それほどまでに深雪に溺れていたのかと思えば仕方のないことでもあると納得もした。

はぁ、はぁっ、とどちらともなく荒い吐息が漏れ、熱いのに密着する体を離すこともできずに汗を流しながら力なく抱き合って。

このまま、抱き合ったまま眠りたいという欲を、重い手を持ち上げ顔を覆って消し去ると、シーツごと深雪を持ち上げて浴室へ直行した。

シーツに包み込むでもなくただ添えただけなので裸のままの状態で移動したのと変わりのない格好になっていたが、直接触れないようにとしか頭に無かったのでそこまで気を回せなかった。

CADなど無くても魔法を行使できるが、慎重に慎重を重ねるべきだと保険の為にと持ってきた。

100%ミスなどありえないが、今夜は何一つ計画通りにいっていないことを考えるとそれぐらい不測の事態に備えるべきだと判断した。・・・正常な判断が出来ていなかったのだと、今ならわかる。

そして深雪の体内外からあらゆる体液を分解し、一呼吸を置いてから再生を掛ける。

――正直、どうなるか不安はあった。

怪我に対する痛みが何十倍にもなってフィードバックされることには慣れている。

濃縮した痛みを一瞬で受け止めるのだ。かなりの苦痛を伴うもので、何度受けても痛みが鈍るようなことは無いがそれでも、堪えるタイミングや逃がす呼吸法などは身に着いている。

ただし、このような――痛みだけではない場合、再生を使用したらどうなるか試したことが無い。

できることなら深雪の目を塞ぎたいところではあったが、両手がふさがったままだから仕方ない、と覚悟を決めた。・・・使い終わったCADを置けばよかっただけなのだが、本当に頭が働かない状況というのは判断力が鈍化するようで、そんな簡単なことにも気づけなかった。

引き金に指をかけて魔法を行使し――拍子抜けした。

確かにいたるところに痛みが来た。全身の引きつる痛みは力んだことによる筋肉痛のようなものだろう。首や胸の突き刺すような痛みはキスマークか。

喉にも痛みがあることから喉の涸れも回復できたのかもしれないが――来るかもしれないと警戒していた濃縮された快感も、処女膜を突き破った痛みも無かった。

快感については痛みではない感覚的なモノなのでフィードバックしなかったのだろう。処女膜に至っては、恐らく俺に女性器が無いから痛む箇所が無く修復だけして不発に終わったのかもしれない。

ただ、腰の痛みはかなりのものだった。相当負担がかかっていたのだろう。こんな細くて小さな体で俺を受け止めたのだ。負担がかかっていないわけが無かった。

隅々まで深雪の体を調べても異常は見当たらず、いたるところに付けてしまったキスマークも消えている。

こちらは消えてしまったことが惜しいと思ったが、残した鬱血痕を見た水波からの非難を思えば消した方が穏やかに過ごせるだろう。

問題ないことを一通り確認したら今度は洗浄だ。

持っていたCADを置き、お湯の温度を確かめてから深雪の体を清めるため洗い流す。

深雪が困るだろうからと一応視界に入らないよう腰にタオルを巻いたのだが、正面で向かい合いながらしなければよかったのだと後に気付くことになる。

分解をしたのだから汚れは落ちたも同然なのだが、これは気分の問題だ。

 

「お前は疲れているのだから、全て任せなさい」

 

以前から何となく気付いていたが、命令口調になると深雪はすんなり言うことを聞く。

それは年末叔母上が言っていた、深雪が俺の為に作られたからなのか、なんて非現実的な考えも過ったが、魔法なんて百年前には非現実的だったものが実在し、兄妹で子供を作っても問題ない肉体をつくっている時点でこれくらいできてしまうのかもしれない。

今後、要検証だな、と思いながらこくんと頷き体の力を抜いたのを確認してから動く。

たっぷりの泡を付けて深雪の肌に滑らせるのだが、再生はすべてをリセットする魔法ではない。体から痛みがなくなったからと言って、経験が消えるわけではないのだ。

初めは何ともなさそうだったが、次第に息が上がりだし、頬も上気して瞳も潤みだして、その瞳の奥には怪しい揺らめきが燻ぶっているのが見て取れた。

つい先ほどの熱が再燃してしまったのだとすぐに分かった。

洗う手だけでなく、俺の視線にも焦がされたのかもしれない。・・・俺だって、切り替えがうまくいかず先ほどまでの乱れた深雪の美しい様を思い出してはこの白い肌をそういう目で見てしまっていたのだから。

深雪の目は向けられていなかったが、腰のタオルはすでに肝心なところが隠れていなかった。

それでもこれ以上無理は、と体を洗い進めるのだが、深雪の声が次第に浴室に響くようになり、息遣いも荒くなって互いに我慢の限界が来た。

ぶつかる視線にはもうお互いを欲する色しか見えない。

この場面で堪える理由が見当たらなかった。

泡で濡れた深雪の体は滑りが良すぎて掴むのが難しくもどかしさと浴室の反響音が燃料となりすぐに燃え上がった。

・・・かろうじて俺ができたのは最後、中で果てなかったことくらいだ。

 

(理性とは何と脆いものだろう)

 

だが、もう一度破ってしまった処女膜については一度目のように痛みに苦しむということは無かったようだ。

こちらは慣れたというよりも一度快感を覚えたことによりそちらに意識がいったことで痛みを感じる余裕が無かったのだろう。痛みを感じることが無くていいことのように思うが、そのせいで止まるタイミングを失ったことも事実。果たして深雪にとってどちらが良かったのか。

終わった後、すぐに再生を使おうとしたのだが、深雪に止められた。

 

「・・・痛みがまったく無くなってしまうのは、嫌です。・・・この痛みはお兄様が私にくださったもの。だから、刻み付けて置いておきたいのです」

 

・・・・・・・・・断言するが、俺を兄として愛しているだけならきっとそんなことは言わないはずだ。

今すぐにでも自覚してもらいたいところではあるが、俺はそうか、と返すだけで精いっぱいだった。

でないとこのままここでもう一度深雪を抱いて善がらせ、抱きつぶしてしまいそうだったから。

すぐに自分の体も洗い流し、備えて置いてあった未開封の予備の下着とパジャマを二人分取り出して着替えた後、深雪の体を再度抱き上げ自室に向かった。

ゲストルームには戻れないし、だからといって一人で寝るつもりも無かった。

 

「何もしない。だから安心して眠るといい」

 

そう言ってベッドに横たえ、その横に滑り込むように入って抱き寄せた。

また緊張するように体を強張らせる深雪に、大丈夫だ、と言い聞かせて髪を撫でつける。

 

「今日はもう眠りなさい。明日またゆっくり話そう」

 

おやすみ、と言えば、おやすみなさぃ、と小さな声で返して俺の胸に顔を埋めた。

可愛い反応に、今度はとん、とん、と背を叩いて寝かしつける。

寝つきの良い深雪だが、今夜ばかりはすぐに眠るということは無かった。

つい先ほどまで体を重ねていたのだ、それも仕方ないだろう。

だが、今度こそ何もするつもりはないので意識を落して先に目を閉じる。

これに安心して、深雪もすぐに眠ってくれればいいのだが。

結局30分ほどしてすぅすぅ、と寝息を立て始めた妹の安心した寝顔を見て、その額に口付けてもう一度おやすみと呟いてから完全に意識をシャットダウンした。

 

 

――

 

 

いつもより早い時間に目が覚めた。

それは腕の中で身じろぎした気配を感じたから。

深雪はあの後眠りに落ちてここまで起きることなく深く眠って腕の中に納まっていてくれたらしい。

 

(なんて愛おしいのだろう)

 

この温もりがたまらなく愛おしくて、ずっとここに閉じ込めておきたい。

 

――鳥籠の中で鳥を愛でているみたい――

 

ふいに呼び起された記憶に、腕に籠めそうになった力を抜く。

別に檻の中に閉じ込めておきたいわけではない。

深雪の自由を奪い、自分に縛り付けるというのは望んでいない。

深雪は自由であっていいのだ。

生き生きとした彼女を見るのは昔から好きなことだった。

昔と違うことと言えば、俺の下へ必ず帰ってきてくれるようになったことか。

どこかへ行っても必ず、俺の下に戻ってきてくれる。

 

(だから、大丈夫)

 

眠っている間、深雪は揺すっても起きないので遠慮なく乱れた髪を整えるように撫でる。

安心しきった寝顔は最近大人びてきた表情を昔に戻したようにあどけなく、可愛らしい。

可愛い、可愛い俺の妹。

そして、可愛い上に美しく、数時間前のようなすべての男を虜にする妖艶さも持ち合わせた婚約者がこの腕の中で眠ってくれているこの幸福をどう伝えたらいいだろうか。

自然と上がる口角に、きっと人に見せられない、だらしのない顔をしているのだろうと予想するが、今この時くらいは良いだろう。

見飽きることのない美貌をじっくりと眺めながら、シルクのような手触りの艶やかな黒髪を延々と撫でつけて過ごす朝。

泣きたくなるほどの幸福とは、こういうことを言うのかもしれない。

胸に溢れる様々な感情が行き場を失って体からも溢れ出しそうだ。

深雪の愛らしい寝顔がぼやけるのを、瞼を閉じてリセットしようとするのだが、一粒零れたところで収まらないらしく、何度か繰り返してようやく戻った。

魔法を使えばどうにかできただろうが、目の前で魔法を使われれば深雪も目覚めてしまうかもしれない。

大して流れなかったので赤くなることも無いだろう。

そのまま温もりを抱きしめ、撫でながら幸せに浸り続けた

流れ落ちた水分がほとんどシーツに吸い取られ、残る分も乾いた頃、腕の中に囚われている眠れるお姫様が瞼を震わせる。

焦点の結ばれていない瞳はまだ夢を追っているのかわずかに左右にさ迷う。

きゅっと握られた服に、探していたのは俺だろうか、と考えるのは流石に都合が良すぎるか。

だが、そんな夢見がちになるほど有頂天の為、調子に乗って口づけを落す。

もちろん、眠っている時より強く抱き寄せることも忘れない。

ぴたりとくっつき唇以外にキスをしていると、徐々に覚醒してきた深雪が驚きで目を見開き、頬に朱を走らせるが、視線は惑っても逃げ出す様子は見せなかった。

恥ずかしがってはいるし、びくびくと怯えてもいるようだが、今朝は何もするつもりはない。

・・・つもりはなかったが、こう、そんな可愛い反応をされると欲が刺激されてしまうな。

落ち着け、と深雪の髪を撫で、キスを落すことだけに専念する。

この落ち着けの言葉は深雪に対してではなく自分に対してだ。何かに集中すると意識を逸らすことができるのは以前と変わらない。

深雪の顔は小さいのですぐにマーキングが終わってしまいそうだ、と考えているうちに、深雪の顔色が赤から白へ、そして青く染まっていくのが面白くて声を掛けた。

 

「朝から百面相だな。赤くなったり青くなったり忙しそうだ」

「・・・・・・お兄様は機嫌がよろしいようですね」

 

恨めしそうな声に、ついに笑いが漏れる。

 

「もちろん。今は最高にいい気分だ」

 

こんな可愛い妹と幸せな朝を迎えられてどうして喜ばずにいられるか。

何もするわけではないが、ちょっとした悪戯くらいなら許されるだろうか、と背中に手を滑らせると昨夜の余韻も残っているのかただくすぐったいというだけではない反応を見せる。

 

「お、お兄様!」

 

焦る深雪の声に、俺もこの辺で止めておかないと、とポンポンと軽く叩く手に変える。

 

「そんなに怯えなくていい。お前の体が大事だからな。これ以上は控えるつもりだ」

 

俺には体の痛みは取り除くことはできても疲労感は残ったまま。取り除くことはできない。

それに、その後の風呂場でも無理をさせてしまったのだ。これ以上の負担などかけさせるわけにはいかない。

だが、俺は相当信用を失ったらしい。

深雪の警戒はすぐに解けなかった。

恨めし気な視線に苦笑してしまうのは、深雪が本気で嫌がっているわけではないからだ。

 

「そこまで警戒しなくていい、と言っても難しいだろうな。すまなかった。俺もだいぶ余裕のない真似をした」

 

揶揄うのをやめて真面目に謝罪する。

全面的に悪いのが自分だと十分自覚していた。

だが、深雪が気になったのはそこではなかった。

 

「・・・信じられません。お兄様に余裕がないだなんて」

「それは誤解だ。俺にそんな余裕はない。特にお前に関してだけは」

 

余裕なんて全くなかった。もしそう見えたのだとしたらそれは兄としての矜持が取り繕っていただけに過ぎない。

 

「深雪のことに関して余裕なんてあるわけがない。――お前が俺の傷跡をなぞる様に触れた時、血が沸騰するという慣用句が浮かんだほどだ」

 

深雪が俺の体に目を奪われることは以前にもあったが、まさかこのような場面でも繰り返されるとは思わなかった。

直前まで追い詰められて息も絶え絶えに乱れていたのに、傷跡が目に入った瞬間息を止め、手を伸ばしてきたのだ。

それも、見たことのない恍惚とした表情をして。

あれで自身のブレーキは壊れたといってもいい。

 

「こんな傷だらけであっても、厭うことなく触れてくれるお前が愛おしくてたまらなかった」

 

醜い傷を、深雪はためらいなく撫でる。

痛まないとわかっていても、その傷を癒そうとするように、何度も何度も。

 

「お兄様を厭うことなど、どうしてできましょうか。これはお兄様が努力した証です。生きることを諦めなかった、襲い来るモノに抗おうとした結果です。それをどうして、愛おしまずにいられるというのでしょうか」

 

改めて愛おしい、と語りかける瞳を潤ませながらパジャマ越しに手を添えられ、なぞるように動くその手をそっと掴む。

この、細い手にどれだけ癒されてきただろう。

 

 

「俺は、生まれながらにすべてを破壊できるだけの力を持って生まれた」

「生後すぐに魔法が解析され、世界を破壊する力を秘めているとの可能性が示された」

「過ぎる力は身を亡ぼす。そんなものを身内に抱えては四葉も同じ末路を辿ると危惧することはおかしなことではなかった」

「だからこそ徹底的に兵器として力を制御させようと、心を無くし暴発させないことで生かそうとした先代の決断は、存在自体を危惧していた連中にとっては疑念を抱くものだっただろう。どんな兵器でも暴発が全くないわけではないことを彼らはよく知っていたのだから」

「その疑念を払うためにも、彼らに身内殺しをさせないためにも俺は徹底的に扱かれた」

「――、ああ、すまない。お前に辛い思いをさせたいんじゃないんだ。俺のために悲しませて悪いと思う度に喜んでしまう俺を許してほしい。お前に想ってもらうだけで、救われるんだ」

「何が言いたかったかと言うと、これまでの俺の人生を客観的に見れば絶望を抱くほど過酷なモノと呼べただろう。だがな、俺はそれを逆転させるだけの強力な切り札があった」

 

「それが、お前だ、深雪」

 

 

語ったのは、年末聞かされた俺の生い立ちを自分なりに解釈したものだった。

途中、深雪の表情が悲しみに染まるのを、慰めるように頭を撫でながら伝えたい言葉を紡ぐ。

こうして想ってもらえることで、どれほど慰められたことか。

自分の能力が、危険視される理由はわかっているつもりだ。

世界を破壊する力、というのも納得する世界のバランスを揺るがす魔法を二つも持っているのだから。

分解の魔法は、物の解析に対する処理能力が高くなればなるほど、直接的に世界を滅ぼせる。

再生は直接的に破壊をもたらすわけではないが、ある種死を克服できる魔法とも言える。

そんなもの、存在するだけでパワーバランスは崩れるだろう。沖縄や横浜がいい例だ。もしあの時俺がいなければ被害は多く、日本は蹂躙されていた可能性が高い。

 

たった一人で世界をひっくり返せる力、そんな強大なものを持っているだけでなく使いこなす化け物を恐れるなという方が無理だ。

 

彼らの言う通り、この力は人の身に過ぎる力なのだろうが、そんなもの俺の知ったことではない。

あるものはある。それを有効に使う。ただそれだけのこと。

そう考えられるのは、人らしい感情を取り払われたからこそであり、普通の精神を持った人がこの力を揮うとなれば彼らの危惧していた通り暴発や暴走を起こしていただろうことは想像に難くない。

いくら特殊な訓練で精神をコントロールする術を身に付けさせたとしても、所詮人は完璧ではないのだから。

偶然の結果による副産物などではなく、母によるあの手術はこのためにあったのだと思えるようになったのは深雪のおかげだ。

家族として暮らすようになり、母の人となりに触れられるようになってその可能性に気付いた。

それは同時に母が衰弱した理由に思い至るきっかけにもなった。

 

(俺は桜井さんに続き、愛する母親も深雪から奪ってしまった)

 

その罪悪感で俯いているのを、深雪は俺が母の死を悼んでいるのだと慰めるように寄り添ってくれたが、それを否定せず、悲しみに暮れてもなおこうして寄り添おうとする深雪を抱き寄せた。

そして、母にこの唯一を残してくれたことに感謝した。

彼女がいるから、俺はただの兵器に徹することなく人でいられるのだと。

兵器として使われることに意義を感じるのではなく、人として頼られる――。

客観視して振り返ると、俺の人生は目を背けたくなる類いのものなのだろう。

絶望の中で生きている、そう見えるかもしれない。

 

 

だが、俺には深雪がいた。

 

 

「わ、たし・・・?」

 

抱き寄せていた体を起こし、触れるほどの至近距離で見つめ合ってから額をくっつけた。

知覚共有するでもなく、ただ合わせるだけのもの。なのに不思議と一体感がある。深雪と身体が混ざり合ったような、一つになったような感覚。

 

「そう、深雪が傍に居てくれるだけですべての意味が反転する。

この傷だらけで見苦しい体も、お前を守るために鍛えられたのだと誇れるものになる。

魔法力が劣っていても魔法にしがみつけたのは、お前の強大な魔法力をコントロールするために知識を欲した影響だ。それが無ければあのまま再生と分解に頼り切った戦闘に固執していたかもしれない。

お前しか愛することができないことに関して言えば、不幸でも何でもない。お前を愛することが許されたから俺はこんなにも幸せで満たされている。

世間で言う不幸とされる事柄すべてが意味を変え良い方向に転がされていく。

お前がいるというだけで、すべての意味が変わっていくんだ」

 

音もなく、そんな素振りも見せずにただ静かに流れる涙に視覚で捉えるより早く気づけたのは、この感覚によるものだろう。

額を離し、頬をなぞる様に涙を拭う。

 

「お前が、俺の不幸を書き換えてくれているんだ」

 

憐れまれる人生だったのは過去の話。

全てを逆転させる切り札はすでに切られた。

深雪の瞳に映っている自分が笑っている。その表情は作ったようには見えない。

当然だ。俺は今最高潮に幸せなのだから。

そう、心から思えるのだから。

涙が自然に零れ落ちるように、深雪の口からぽろっと言葉が零れた。

 

 

「――お兄様自身が、破壊されたのです」

 

 

破壊。

その言葉は忌むべき言葉のはずであった。

生まれ持ったすべてを破壊する力。

不幸の源――その、はずだったのに。

 

(深雪はそれさえ塗り替えてしまうのだな)

 

ああ、やはりそうだ、と納得した。

深雪という幸福のために、俺にはいくつもの試練が用意されていたのだ。

全てはこの幸福を手に入れる為。

そして俺の願いは叶い、こうして腕の中に納まってくれている。

幸不幸の天秤は大いに傾き、不幸が軽くなってしまった今、新たな試練が襲い来るかもしれない。

 

「そうか。不幸を破壊したのか。その発想は無かったな」

 

だが、構わないと思った。

 

「世界を滅ぼせるだけのお力があるのですもの。それくらい、お兄様には簡単でしょう」

「俺には世界を滅ぼすことの方が簡単に思うがな。そっちは俺一人でできても不幸を打ち砕くのはお前のサポートが無ければできないことだ」

 

俺だけでは世界を破壊するだけの力しかないだろうが、深雪がいるのなら立ちはだかる不幸もすべて破壊できる。

その確信が、今得られた。

深雪という幸せを守る為ならば、俺は何にでもなってやる。騎士だろうが魔王だろうが、ヒーローだろうが、なんだって構わない。

破壊神となって世に君臨にしたっていい。

 

「お兄様はもう、不幸ではありませんか」

「この状況で不幸だと思うことがどうしてできる?」

 

俺は不幸なんかじゃない。ましてや憐れまれるような存在じゃない。

 

「今や俺より幸福な男はこの世にいないだろうよ」

 

世界が羨むほどの幸運を手にしたのだから。

美酒を飲むように、深雪の涙を口で掬いあげて飲み、その流れのまま顔中に口付けていく。

 

「・・・よかった・・・」

 

その言葉のあと、とめどなくあふれる涙が手を濡らしていく。

 

「ほんとに、よかった・・・ッ!」

 

(この子は、本当に俺の幸せを望んでくれていたんだ。俺の、為だけにここまで)

 

ずっと後ろを振り返らず努力してきた姿を見てきた。

俺の見ていないところでも、懸命に何かに取り組んでいたのを知っている。

笑顔の下でどれほど歯を食いしばっていたのか。

ただの才能だけで今の彼女が作られたわけではない。

それが、今この瞬間――報われたのだと、万感の思いの篭った一言で伝わってきた。

 

(俺は、生きていていいんだ)

 

人として生きて、幸せになって良いのだと、肯定されたよう。

この子に求められるだけで十分だと思っていた。

この子の、助けになるのなら自分の生きる価値になる、それが存在意義だと。

 

(いいんだ)

 

抱き込んで、深雪の髪に顔を埋めて零れる涙を隠した。

嬉しさのあまり涙が流れることがあると深雪は言っていたが、本当だった。

そのことを彼女に伝えることはできないが、嬉しいと、喜んでいることは伝えたいと、痛くない程度に力を込めて抱きしめる。

遠くで、口にしないで伝わるなんて驕った考えだこと。と皮肉を込めた声が聞こえた気がした。

故人の声が聞こえるわけがない。かといってそんな言葉を過去に言われたことも無いから記憶の再生というわけではない。

だが、あの人がこの状況を見ていたならそんな言葉を言われそうだ、と感傷に浸りつつも気のせいだと割り切るが、想像だろうとあの人らしい言葉に口元が緩んだ。

 

 

――

 

 

涙は一筋のみだった為、痕が残ることも無く、流したこともバレることも無さそうだ。

心穏やかに落ち着いたことで再度深雪の涙を拭うことに専念する。

涙もろくなっていた深雪はしばらく涙を止めることができず、その滴を吸い取って味わうのだが、なぜ、これほど美味なのだろうな。

いくらでも飲んでいられる。

しかし、徐々に深雪も冷静になって状況を理解したのだろう。

じわじわと桃色に染まりだす。

ああ、なんて美味そうなんだろう。

 

「お、お兄様、もう――」

「朝露を啄む鳥の気分だ。これは美味すぎて一度に少量しか味わえなくても何度も欲してしまうな」

「もう、お止めくださいませ・・・。このままでは恥ずかしくて溶けてしまいそうです・・・」

「それは困るな。仕方ない」

 

本当は涙だけでなくすべてを食べつくしてしまいたいところだが、これ以上は深雪を困らせることは目に見えていた。

そろそろ引くべきところは引かなければ、と最後とばかりに唇を重ねてすぐに離れた。

 

「もうだいぶ朝も過ぎてしまったが、おはよう深雪」

「・・・・・・おはようございます」

 

真っ赤に染まり切った深雪からは離れがたかったが、ここは深雪の意思を尊重すべきだ。

まだ、彼女は『恋をしていない』のだから。

兄妹であり、婚約者の立場であることと弁えなければ。

・・・しかし、この婚約者というのはどこまで許されたものだろうな。後で調べる必要があるか。調べることや確認することが山積みだな。

 

「朝食はHARに任せてもいいな。今日はゆっくり休もう」

 

起きた時間は遅いわけではない。鍛錬の時間は過ぎたが、世間的にはまだ早朝といえる時間帯だった。

だが、俺はともかく深雪は本調子ではない。

寝た時間はさほどいつもと変わりなかったが、何せ無理をさせた覚えがしっかりとある。

・・・盛りのついた獣と言われても言い返すことのできない行いだった。

しっかりと反省はするし、無体をはたらくことは今後も無いと固く誓うが、深雪がのってくれる場合はその限りに無い、と注意書を残すくらいには次があることへの期待を捨てきれなかった。

と、話が逸れたが、ともかく深雪の体を思うならこれ以上負担を掛けさせたくはない。

そのためには、

 

「可愛いなぁ」

 

目を真ん丸にした深雪の可愛さに思わずキスしてしまうこの衝動を抑えなくては。

どうにも先ほどから深雪が可愛くて仕方がない。

いや、深雪は常に美しく、可憐で可愛らしいのだが、可愛がりたくて体が疼くのだ。

 

「、お兄様!」

 

真っ赤な顔で怒る深雪も可愛い。その少し尖った唇はキスをしても良いという合図だろうか。

違うのだろうな。わかっているのだが、それでもそんな誘惑が付きまとう。

 

「外れた箍も元に戻さないと。このままだと水波の前でもこんな調子になってしまう」

 

完全に箍が外れてしまっている。

このベッドの上にずっといるのもよくないのだろう。このまま押し倒したくて仕方がない。

いつものように抱きしめて頭を撫でて――ん?

 

「兄の距離感とはどんなものだったか・・・元々そんなに変わっていないんじゃないか?」

 

ふと過った。いつものように抱きしめて、ということはそもそも元から近すぎる距離は今と大差なかったのでは?と。

 

「流石にそれは有りません!!」

 

深雪が全力で否定するが、果たしてそうだろうか?

以前から抱きしめたいという欲求はあったし、さほど抑えてもいなかったように思う。頭を撫でるのもいつものことであったし――

 

「・・・深雪、恐らくだが」

「そんなことはございません!」

「逃避をすることも時には大事だと思うが」

「お兄様はちゃんとお兄様をしていらっしゃいました!」

「・・・兄は妹を可愛いからと言って密着して可愛がったりしない」

「他所は他所!ウチはウチです!!」

 

それは九校戦で一条と話した時に言った言葉だ。

俺たちの周りにいる兄弟は基本仲の良い兄弟ばかりで、距離を取るような間柄の兄弟というモノを見たことが無かった。

だから一条の言う兄妹らしくない、という言葉はなかなか理解しがたいものであったが、こうして恋だと自覚してから色眼鏡を外してみれば、確かにそうだ。

いくら仲が良くても顔をこんなに近づけて密着するのは余所で見たことが無い。

人目が無ければこのくらいはおかしくないだろう、と何故思えたのか。

深雪が自身の発言に、今までの触れ合いを肯定してしまったのではないかと焦って節度をもって過ごすべきだと提案されるが、

 

「叔母上は、節度を守れとは言っていなかったが?」

「叔母様の非常識は棚に上げておいてくださいませ」

 

深雪のこの言葉に噴出してしまった。

確かに、あれは非常識だった。

おかげで彼女の言うような爛れた生活は送ってなるものか、という気分にはなったが、水波もいるのだ。

いくら婚約者となったからといって今までと違う生活になるわけがない。

そもそも、まだ婚約者という立場であり結婚をしたわけではない。常識的に子作りは世間体も有り結婚後が推奨されている。

だが、これだけは言いたい。

 

「確かに非常識だな。まさか兄妹で婚約をすることになろうとは。――俺としてはありがたいことだが」

 

叔母上の考えは理解不能。

結局なぜ彼女が俺たちを婚約させたいか、まったくもって理解はしていない。何故世界を破壊することと並んで俺が最愛の深雪を守り切れるかが同じ天秤に乗るのか。

だが、その意味不明の考えが不可能とされた俺たちの結婚を、問題なくできることに繋がっているのであればそこまで気にすることでもない。

 

「・・・お兄様。吹っ切れましたか?」

「そうだな。俺の出生のあれこれや、四葉との因縁めいた妄執も原因が分かったことで不明な部分もほとんどなくなったからな。何より一番欲しかったものが手に入られることを思えばすべてのことが些事だ」

 

深雪との関係を受け入れられる立場を提供されたくらいの恩は返さねばならないだろう。深雪の不利益にならなければ手を貸すくらい構わない。元々四葉に与している現状だ。大して変わりないことではあるのだが。

深雪が四葉に庇護されているから。そして未成年の自分にまだ独立するだけの力が無いから従っている。

そこに大きな借りが一つできた。これはいつか返さねばならない。

だが、深雪という幸福を得た今、そんなものに躊躇うことでもない。

 

「お前が傍に居てくれるなら俺は無敵だ」

 

そっと抱きしめる。それだけで力が湧くようだ。

ふふ、と深雪が笑う。

今日初めての、緊張の取れた晴れやかな笑み。

 

「そうですね。二人揃えば私たちは無敵です」

 

きゅっと重ねられた手に胸が熱くなる。

朝食ができるまでこのまま――、そんな邪な考えを察知したのか、深雪は体を起こしてそういえば、と疑問を口にした。

曰く、九校戦で一体どのように困らせたのか、ということなのだが、深雪の方から抱きついて眠ってきたと言ったなら深雪はしばらく一緒には寝てくれなくなるかもしれない。

彼女は今も花も恥じらう乙女でもあるから。

直接言葉にはせず、試してみるか?と訊ねれば、賢明な彼女は首を振って知らなくていい、と答えた。

俺としてはもうしばらく知らずに無警戒のまま隣にいてくれることを願わずにはいられない。

 

 

――

 

 

深雪にゆっくりしていなさい、と彼女の部屋のベッドまで抱いて運んで部屋を後にするとキッチンまで下りてHARを操作し朝食の準備を。材料を並べる以上することも無く、昨日から今日にかけてのニュースをざっと見し、ある程度把握ができた頃には調理の工程が終わっていた。

これが一般家庭にHARが普及したことで当たり前となった朝食の準備風景だ。人の手などほとんどかからない。

皿に盛り付け、並べるところで深雪が姿を現した。

用意をさせてしまったことに対する申し訳なさを浮かべ、しずしずと入ってくる。

俺がしたことなんて大したことでもないのに大げさな、と思わなくもないが、深雪らしいと言えばらしい。

お礼を言われるほどの手間でもないんだが、と返しつつ一緒に食卓に着いた。

それまでの動きにおかしなところは見当たらないが、依然彼女がキラキラして見えるのは変わらない。

困ったな。自覚するとこれがずっと続くのだろうか。だとしたら何か別の対策を考えなくてはならないだろう。

 

「これからの予定だが」

 

ただ、いつまでも惚けてはいられない。

今こうしている間にも、世界は目まぐるしく動いている。

朝食を終え、深雪が淹れたコーヒーを飲んだところでこれからのことを話す。

明日の夕方には水波が戻ってくる。その前に一度師匠に筋を通すべきだとはっきりと言わないまでも深雪は何かを察知したのだろう。神妙に頷いた。

師匠は中立の立場だ。はっきりとうちが四葉であるという態度を示していなかったから目を瞑っていてくれていたが、こうして表沙汰になったからにはもう今までのような付き合いはできないだろう。

まだまだ教わりたいことはあったが、いつまでも甘えていい相手でもない。

破門(と言っても門下生でもないが)を覚悟していると言えば、寂しそうな笑みを浮かべて寄り添ってくれる。深雪の優しさに、自分もどうやら惜しい――寂しいと感じているらしいと慰められてから気付く。

師匠の寺までのコースも、その先の鍛錬もいいトレーニングになっていたのだが、今後は別の方法を考えねばならないだろう。

近いうち、この家を離れることは決定事項だった。

防犯上そうなることはわかっていたが、まだ引っ越し先については明かされなかった。

四葉が用意するのだからセキュリティは相当のものになるだろうが、退学や転校の予定は無いので学校に通える距離ではあるのだろう。

 

「それから、水波が帰ってきたら軍部にも挨拶に行かなければならないから、次の日を予定している」

 

軍に深雪を連れてはいけない。

水波が帰ってから挨拶に向かう予定だ。こちらも四葉と大々的に公表したことで支障があるかもしれない。

元々所属している部隊は軍部内での魔法師のあり方に不満を抱き十師族に対抗するために作られたようなセクションだ。

表立って名乗っていなかったことで目を瞑ってもらっていたとはいえ、こちらも黙って見過ごしてもらえるとは考えにくい。

改めて自分の立場というのは不安定な立ち位置だったのだなと思い知らされる。

唯一大して関係がなさそうなのが第三ラボだ。

あそこにいる研究員に四葉だからと立場を変える理由はない、はずだ。

ただ、俺が四葉と公表されたことで微妙になるのは俺というより重役である父の立場だと思うのだが――まあ、知ったことではないな。

こちらも一人で挨拶に向かうと言えば、少しだけ眉が下がった。

 

「バイクはまた今度だな」

 

バイクに乗る機会はそう無いから期待していたのか。

だが言い当てられると思ってなかったようで深雪は恥ずかしかったのだろう、俯いてしまった。

あまりにも可愛すぎやしないだろうか。

自然と口からこぼれる言葉にさらに深雪が身を縮こませてしまうが、それさえも可愛くて仕方がない。

 

「恋とは恐ろしいな。歯止めがこんなにも聞きづらいものだと思わなかった。人はよくこんなものを制御できているものだ」

 

俺にとって感情の制御というのは簡単な作業だった。

激情を抱くことがないのだから当たり前のことではあるのだが、これを思えば一条が深雪の前で固まるのはおかしな話でもなかったのか。

可愛い、恋しい、愛おしい。

それを抑え込むことがこれほど難しいことなのか。

 

(恋、か)

 

自身に抱かれている恋心に後ろめたさが多少なりともあった彼女は、常にこんな激情を抱いていたのだろうか。

一年の夏休み、同じだけの想いを返すことはできない、と告白と同時に断ったつもりだった。

早々に諦めてもらうための告白だったが、伝え方が悪かったのかなぜか彼女は振り向いてもらうために頑張る方向へと振り切れてしまった。

深雪の初めてできた親友でもあったので無碍にもできず、変わらずの対応をしていたのだが、こんなことなら徹底的に振り切った方が彼女の為だったのではないか。

はっきりと引導を渡すべきだったのではないかと情けなくこぼせば、深雪が自分の友人だから切り捨てることもできなかっただろうから責任は自分にあるという。

確かに彼女が深雪の友でなかったなら関わりを絶っていただろう。付きまとわれないように早々に縁を断ち切ったはずだ。

そうすれば彼女の苦しみをすぐに終わらせてあげられただろうに。

叶わない恋というのは苦く、辛いものだ。

まだ、婚約者と言われる前のわずかな時間だけでも味わったあの苦しみは、絶望の淵に立った心地だった。

 

「それに、彼女は覚悟をしていたはず。お兄様が靡いていなかった時点でその可能性が過らないわけがない。そのことに目を背け続けたのは彼女自身であり、わずかな可能性に縋ったのも彼女。お兄様が突き放さないことを計算に入れつつ距離を置かなかったのも彼女自身なのです。罪だとは思いませんが、責任は彼女にもあります」

 

容赦のない言葉だが、その通りだとも思った。

ほのかはそれだけの覚悟をもって行動を起こしていた。

彼女はただの恋に夢見る少女というだけではなかった。

隙を見つけては切り込んでいく――その様は戦士のそれと重なるものがあった。

同情はできる。今なら尊敬する気持ちすらある。でもその先は抱けない。抱けるだけの感情が無い。

後ろめたい、可哀想。そういう感想は抱けても、だからといって恋に転じることも無ければ情けで付き合うような真似ができるわけもない。

結局のところ初めに宣言した通り彼女に返せるものなど何も持っていないのだ。望むものを与えてあげられない。

そんなことを考えていたら、俯いた深雪がぽつりと呟く。

 

「・・・お兄様に責任などあってはならないのです」

 

その言葉にはつまらない、といったニュアンスが含まれていたように思えた。

 

「深雪・・・?」

「知りませんでした。・・・私、自分で思っていたより狭量だったみたい・・・」

 

後半の言葉は独り言のようだったが、胸が苦しくなった。

辛いのではない、歓喜で苦しいのだ。

それは初めて彼女が己に見せた嫉妬――なのだと思う。

断言できないのは、己の願望がそう見せている可能性が捨てきれないからだ。

そうであってほしい、と望んでしまう。

深雪に俺のものになってほしいと同時に俺のすべてが深雪のものだと伝えたい。

 

「学校ではお兄様もお辛い立場になるでしょうが、」

 

そういえば話していたのはこれから先のことだったと、軌道を修正されて思い出す。

だが、俺の立場など矢面に立つ気でいる深雪に比べればわずかなもののはずだ。

孤高の女王なんて、しなくともいいのに。

今からでも作戦を変更しないかと言ったところで深雪の意思は固い。というより彼女の計画上必要なことなのだろう。

すでにどっしりと構えている。

 

(深雪は優しすぎる)

 

その計画で自身が傷つくことをわかっていながら目的を達成させようとする。

入学したばかりの頃を思い出す。

あの時はただ、一科生と二科生のいざこざを治めるべくうった芝居だった。

彼女の計画上、居心地が悪くなることは分かっていたはずだがそれでも計画を遂行し日に日に疲弊し、落ち込んでいた。

――あの時流した涙はただの演技ではなかった。

強いストレスによって流れたものでもあった。

だからこそあれだけ胸が締め付けられたのだ。

結果として、一高生は自身たちのあり方を見直し、蟠りは解消する流れとなった。

深雪の行動は確かに、平穏な学校生活を送る上で最上の結果をもたらしたのだろう。

そして、今回も自ら孤立して見せることで周囲を傷つけないように立ち回り、何かしらの結果を出すつもりらしい。

四葉の名は恐怖の代名詞ともいえる。容易に触れられるものでは無い。

避けて通れないことは深雪もわかっていたはずだ。

友人たちとも、決別する恐れがあることも。

だからこそすべてを織り込んだ上でこの計画を立てた。

 

(わかっている。深雪が先を読み、状況を利用して最善の結果に運ぼうとしていることは)

 

だが、――何故婚約者として堂々と横に並び立てるはずだというのに、兄妹の時よりも距離を空けられて学校生活を送らねばならないのか。

孤高の、というからには深雪は恐らく近寄りがたい空気を漂わせるだろうから不用意に近づく男子生徒はいないだろう。

それでも彼女の隣に立ち俺の大事な人だと牽制できないのは、なんとも辛い所だ。

兄の時とは違う、婚約者としての牽制は意味合いが全然異なる。

いくら恐れられる四葉とはいえ、抑えることのできない、人を惹きつけて止まない美貌とカリスマ性。

むしろ四葉だからと寄ってくる不遜な輩も現れるかもしれない。

 

(深雪は自身を狭量と言ったが、俺の方がよっぽど狭量だな)

 

自嘲しながらも考えることは深雪に近寄ろうとする輩をどう対処するかというものだった。

どうやら自分は深雪がどう思うか以前に近寄ろうとすることにさえ警戒してしまうらしい。

恋心とは思った以上に厄介なものなのかもしれない、と思ったところで深雪の、

 

「もし私が辛そうでしたら、お兄様が慰めてくださいませ」

 

との言葉に、違うとわかっていても慰めるという言葉の意味を都合の良いように受け取りかけた。

・・・もちろん、深雪にそんな意図はない。

で、なければこのように恥じらいながらも頼りにしています、といった笑みは向けられないだろう。

いつか、そういった意味でも言われたいものだとの欲に蓋をして。

 

「そうだな。俺はお前のサポートに徹しよう」

 

しかし、慰めとして甘やかすくらいは許されるだろう。

お礼を言う深雪は、若干躊躇うように言葉を詰らせたようにも聞こえたが、了承は得た。存分に甘やかすことにしよう。

明日からの予定がある程度決まったところで、個々に分かれて時間を過ごすことを提案した。

本当であれば昨夜ようやく形だけでも結ばれたのだ。一秒たりとも離れず深雪を愛でていたい。

恐らく情緒が落ち着かない理由もそこにある。

だが、これからのことを考えれば早いうちに制御を覚えた方が良い。

それに、まだ深雪に恋の自覚はないのだ。あまり押しすぎて避けられるようになっては元も子もない。

深雪はあからさまではないがほっと安心したようにも見えた。

自分の判断は間違っていないようだと思う反面、残念に思う自分もいた。

心とはこれほどまでに思い通りにいかないものなのだな、と詮無いことを思いつつ昼は私が、と名乗りを上げるのを、自身が作るのではなくHARを使うように釘を刺してから許可した。

深雪にとって大した手間ではなくとも、料理は基本立ちっぱなしの作業。無理をさせた今の体ではさせてあげられない。

深雪も今日は休もう、と伝えたこともあってすんなりと納得し引いてくれた。

そこには自身の体の不調など考えてもいないようであったが、下手に考えてしまうと緊張しっぱなしになってしまうだろうからこれでいい。

カップを二人で流しへと持っていき後のことをHARに任せるところまで確認してそれぞれの作業に向かった。

地下に下りながら、深雪が自室に落ち着いたことを確認して視界を切り替える。

やることはいくらでもある。

視界だけでなく思考も切り替えて作業に没頭するとしよう。

 

(そう、思っていたんだがな)

 

まず着手しようとしたのは慶春会で披露させられた魔法式を含めたCADの調整、だったのだが、

 

(そういえば忘れていたな。深雪の願いがあったからあんな大勢の前で道化を引き受けたんだったか)

 

達也さん、と恥じらいながらもおねだりする深雪は大変可愛らしかった。

目の前のモニターに映る自分の顔が酷くにやけて見えて、誰にも見られていないというのに口元を手で覆う。

あの時のおねだりの報酬をもらっていないな、と後できっちり催促をする算段を付けながら手は自動に動いていた。

深雪を待っている間にある程度修正箇所を思い描いていたからこそだろうが、こういう時、分割して同時並行で物事を考えられる思考の便利さを実感する。

こういうところは器用にできるのに、他はてんで駄目だな、とまたも深雪を中心に物事を考える。

今日は何を考えても深雪からは離れられないらしい。

現在弄っている魔法、攻撃手段を考えるのもそもそも深雪の為であり、深雪をすべての脅威から守る為。

なのに今一番の、彼女にとっての脅威が自分になってしまっていることに情けなくも笑いがこみ上げる。

 

(ああ、ダメだ)

 

何を考えても全てが深雪に帰結してしまう。

頭がお花畑というのはこういうことを指すのだろうと考えても、花畑の中心に深雪が座っている絵が浮かび、自身の状況が相当狂っていることを改めて認識した。

こんな時、人はどうやって正常に戻るのだろうか。

とりあえず今まで通り意識を切り替えてはみるものの、先ほど同様他のことを考えても深雪に戻ってきてしまう。

横に置いても中心に戻ってきてしまい、ほとほと困っていても手は調整を終わらせていた。

恐らく問題はないはずだが、いつもより不安に思うのは集中しきれていなかったことに対してだろう。

今まで通りであったなら、師匠のところで試し打ちをさせてもらうのだが、それももう難しいか。

朝話した時の深雪の影を濃くした顔を思い出す。

あの子は師匠のことを慕っていたから、別れの可能性を感じ取り寂しい思いをさせてしまった。

これから、こういう別れがいくつかあるのだろう。

そう思うと苦しくもなるが、その分どうしたらその寂しさを埋めてあげられるだろうか、と考える。

バイクでかっ飛ばせば気分も晴れるかもしれないが、今後二人でツーリングをするのは難しい。

たとえ攻撃をされても守り切る自信はあるが、攻撃をされるということ自体が彼女の負担になる。

外で、が難しいとなると家の中だが、水波がいるところでは深雪も素直に甘えられないだろう。

なら二人きりになれる場所をと思うが、そもそも今の深雪が二人きりで緊張しないで済むだろうか。

緊張して、びくびくと怯える深雪を想像してみる。

可愛い。・・・そんな彼女と二人きりで手を出さずにいられる自信がまるで見当たらない。

自分はここまで危険な思考を持った人間だっただろうか。

以前なら怯える深雪を可愛いと思いながらも可哀そうに、と落ち着かせることに専念できていたはずなのに、今ではその可愛い深雪をいかにこの腕に収めるかと考えている。

俺は婚約者であると同時に兄であるはずなのに、どうにも兄の立場を押しのけて欲望ばかりが前面に出てきてしまう。

 

(どうにかして兄の感覚を取り戻さなければ)

 

浮かれすぎている自分に喝を入れなくては、と思うもその方法が浮かばない。いっそ水波の前にこのまま出て叱られるべきなのではないだろうか。

間に人が入ればいくら浮かれていても冷静になれるだろう、と考えるも、それはあまりに他力本願だ。

この問題は自分で解決しなければ、この先が思いやられる。

それ以前に水波が返ってくる前に師匠に合わねばならないのだ。

こんな腑抜け状態ではどんな隙を突かれるか分かったものでは無い。

――そうだ、隙など見せられるわけがない。

周囲は敵だらけと言っても過言ではないのだ。いつまでもこのように浮かれていてはガーディアンとしても支障が出る。

気合を入れ直す必要がある、とようやく正常な判断力が戻ってきたところで、深雪がこちらに向かう気配が。

昼の時間だ。

ダイニングに下りた時間を考えるともう準備が整ったのだろう。

今まで通り普通に深雪を出迎えて、そのまま昼に向かえばいい。――その、つもりではあったのだが。

気が付けばノックすら待てずにドアを開け深雪を腕の中に囲っていた。

腕の中で深雪が目を白黒させていることにも気づいたが、止まれなかった。

 

「来るのがわかってからじっと待つのがな」

 

おかしい。まだ3時間しか離れていない筈なのにこんなにも耐えられないものだろうか。

抱きしめて彼女の首に顔を埋めて息を吸う。甘く、良い香りに美味そうだ、とその首に舌を這わせた。

ああ、美味い、と考えたところでぐいぐいと深雪が腕を必死に押していることに気付いてはっとなった。

・・・嘘だろう?抱きしめてからの行動が無意識だった。

流石に己の行動にショックを受ける。これは、すぐにどうにかしなければならない案件だ。

 

「・・・すまん」

 

とりあえず謝罪の言葉を口にするが、茫然自失、というのだろうか。頭が痛い。

まさか感情が高ぶらなくても衝動というのは起きるのか。

 

「恐らく人がいれば大丈夫だと思うんだが」

 

気が緩む、というより人気が無いからというのが大きな要因なのかもしれない。先ほども水波がいれば、と考えたのもそういうところがあったからだろう。

だが、さっきも思ったが、それでは他力本願過ぎる。何の解決にもなっていない。

 

「・・・必ず制御するからもう少し時間をくれ」

 

情けない申し出に、深雪は困ったように眉を下げながらも微笑んで一息入れようと手を伸ばしてくれた。

白い手は俺が触れたら穢れてしまうのではと躊躇いそうになるが、この手の温かさを知っていて手を取らないという選択肢も浮かばずいつものように手を伸ばすのだが、

 

「指を絡ませずにそのままで。まずは距離感を取り戻しましょう」

 

・・・手を取るだけのつもりだったのだが。深雪の指摘が無ければそうなっていただろう。

深雪の目が、遠くを見ていることに呆れられたのかもしれないと背筋が凍る思いがして、改めて気を引き締めなければと深雪の後に続いた。

深雪に嫌われる、頼られなくなると考えるだけで身が竦む。

おかげで何を食べても味がせず、午後も作業に没頭した。

あっという間に時間が過ぎて夕食の時刻。

朝昼は交互に準備したので夜は一緒に、と一緒にメニューを考えてHARに工程を任せて座って待つ。

こんなことは一緒に暮らし始めた頃以来だ。

あの時はすべて深雪を優先してメニューを決めていたら注意をされたんだったか。

俺にとっては食事のメニューなど、食べることは作業と同じだったためなんだっていいモノだったので、深雪が好きなものを選んだ方が良いと思っていただけだったのだが、深雪は一緒に選びたいのだと頬を膨らませていた。

それがとても可愛らしくて、自主的に頭を撫でたのもあの時が初めてだったか、と思い出す。

それまでは深雪に望まれるままに恐る恐る撫でていたのだが、徐々に慣れていくと自らの意思で深雪を撫でるようになった。

あの時は純粋な兄妹愛であったはずだ。

全てのはじまりはそこだった。

それがいつから恋い焦がれるようになっていたのだろう。

いつから、妹以上の感情が芽生えたのかわからない。そもそも愛おしいという気持ちにそんな境界線があるのだろうか。

自覚をしなければ今でも妹への愛だと言い張っていた。

・・・体を求めても、それでもただの生理現象からくる欲求だと言い張る自分が想像できた。

叶わない恋に気付くことを拒絶していたのかもしれない。

なんだかこうして待つのも懐かしいですね、との深雪の言葉に彼女も昔の感傷に浸っていたらしい。

そうだな、と言葉少なに会話を交わすもそれが気まずくもない。

意識する前のいつもの空気が流れていた。

懐かしむ、という方法も心を落ち着けるものなのかもしれない。

夕食も和やかに進み、水波が来る前の頃の生活を再現するように交互に風呂に入ってから新学期に向けての予習復習をしようとなったのだが、風呂場に入って心頭滅却と水を浴びる羽目になる。

まだ、昨日のことなのだ。

生々しい感触が残り、この場での出来事を思い出さずにいられるわけが無かった。

せっかく以前の空気を取り戻したというのに、と思う反面仕方のないことだと割り切る。

自分がどこにでもいる普通の男なのだと思うと恥ずかしくもくすぐったい気持ちになった。

普通の人間が抱くだろう葛藤を味わっている。

深雪だけが、俺をただの一人の男にしてくれる。

 

(ああ・・・たまらない)

 

こんな理屈も何も通じない面倒な思考を持て余し、悩ましいと葛藤している人間臭い自分がおかしくて仕方が無かった。

もう、手放せない。

手放したら最後、俺は人ではなくなるだろう。

正しく彼女は俺の唯一の制御装置だ。

そして彼女を愛し世界から守り切る、もしくは守ることができなければ世界は破滅するという叔母上の願いはどちらに転んでも叶ってしまうらしい。

それが面白くないと不満を抱かずにはいられなかったが、その彼女の狂った妄執がこの縁を結んだというのも事実。

いずれは敵対する可能性があったがその線は大分薄くなった。・・・かといって完全に無いと言い切れないのは彼女が深雪を気に入った様子を見せていたからだ。

とはいえ直接事を構えるようなものでは無い。面影が似ているせいか、母のように妨害をしてくるかもしれない、というそんな可能性だ。その時は当主だろうと容赦なく対抗させてもらう。

もう、深雪のことで遠慮などしない。

彼女が俺の為に作られたというのならその事実を盾にしてそのように対応するまで。

もちろん、深雪をそんな風に扱うつもりなど一切ない。彼女の意思が一番であり、尊重するのは今まで通り変わらない。

変わらないが、そこに自身の意思も伝えさせてもらう。

方針が決まると気持ちに整理が付いた。

 

 

――

 

 

「研究の方は順調ですか」

 

適当に勉強道具を広げ、解く作業をして一時間。丁度いいタイミングで深雪からのお茶の誘いがあり、リビングへと向かった。

いい香りが漂っていてすでに準備は整っていた。

ソファに腰を下ろすが、自然と半人分の距離が空いていた。そこに深雪の兄妹の距離感を!というメッセージが込められているようでふ、と笑いを漏らしてしまったが、深雪は不自然に見えないように視線を逸らすだけで何も言わなかった。

 

「研究というより誤差の調整だな。まだ確認はできていないが問題なく調整できたはずだ」

 

深雪はどうだと訊ねると、彼女も有意義な時間を過ごせたらしい。

ずっと部屋に籠っていたようだからいつもの趣味を楽しんでいたのかもしれない。

口元が緩んでいるからリフレッシュできたのだろう。

この一週間、警戒からか彼女の空気が張り詰めていたからな。

それがこのようにリラックスしている。

 

「それはよかった」

 

安堵して手を伸ばしかけたのだが、そこで手が止まる。

頭を撫でるのは兄妹として許容範囲のはず、だが・・・どう撫でるんだったか。

深雪が頭を撫でるくらい大丈夫だと少し屈んで差し出すが、撫でたら最後、どこまでも撫でまわしそうで意識を集中させて恐々と小さな頭を撫でる。

 

「ふふ、初めて撫でてもらった時を思い出しますね」

 

ぎこちない手つきに笑う深雪が可愛い。だが、そのまま頬に手を滑らせ顎を上げるような真似はせず、徐々に手から力を抜いてさらさらとした感触を楽しむように頭を撫でる。

 

「俺なんかがこんな綺麗な女の子の頭を撫でてもいいのだろうかと戸惑ったな」

 

懐かしい。そんなに昔のことでもないのに遠い過去のことのよう。

だが、その思いは今も無いわけではない。

深雪の美しさは年々更新されていく。妹というだけで撫でさせてもらえる特権を、俺はいつまで許されるだろうかと思っていた。

 

「お兄様だから。撫でて欲しかったのですよ。俺なんか、等と言わないでください」

 

わざとらしく不機嫌です、という表情を作る深雪にそうか、と苦笑をして手を離す。

深雪は本当に俺を舞い上がらせるのが上手い。

うっかりそのままキスをしたくなったのを誤魔化すため慌てて手放したなど気付かれていないはずだ。

 

「俺が触れることで深雪が傷つくことが怖かったんだ」

 

初めて撫でたあの日、俺はたくさんの人の命を奪っていた。

そんな手で、深雪に触れることが恐ろしくもあった。もちろん深雪を傷つけるつもりはない。だが、それでも右手を使わなかったのは、そのことが頭を過ったからで。

 

「私を簡単に傷つけられると思わないでください。これでも結構強くなったのですから」

 

だが、そんな不安もこうして深雪は吹き飛ばしてくれる。

 

「結構どころか、他を寄せ付けない強さを身に付けたがな。それでも心配なんだよ――俺はお前の兄貴なんだから」

 

深雪は確かに強くなった。

彼女が本気になれば戦う前に勝負は終わる。

見る者全てを凍り付かせる(停止させる)彼女の魔法は視点を彼女に向けた時点で何もできずに意識を刈り取られる。

遠隔で狙いを付けた場合、下手をすれば見つかることも無くそのまま一生置物と化す。

まあ、深雪の魔法が発動すればその縁を辿れば見つけられるだろうが。

それでも、そんな強さを持っていても俺にとっては何よりも大事な存在で、可愛い妹なのだ。

 

(いくらこの世のものとも思えない美貌と最強の魔法を持っていて、誰もが手を出せない高みにいようとも、俺には守るべき可愛い妹であることに変わりない)

 

「すまない。感覚を取り戻すのに手間取った」

 

ようやく、妹に向ける距離感を取り戻した。

もう大丈夫だ、と告げると深雪は何とも形容しがたい表情で曖昧に微笑んでいた。

・・・まあ、戸惑うか。

彼女にとってはいきなり安全圏だった兄が己を脅かすオオカミになり、そしてまた兄に戻るというのだから。

今もこのまま触れたいという気持ちが失われたわけではない。抱きしめてその髪に顔を埋めて堪能したいが、深雪の意思を尊重するくらいの余裕はできた。

 

「それはよろしゅうございました。これで水波ちゃんを驚かせるようなことにはならないですね」

「驚かすというか、怒られる、のような気がするが」

「怒る、ですか?水波ちゃんが?」

 

深雪は怒る水波にぴんときていないようだが、水波が昨日のことを知ったらキレるだろうな、と予想できた。

あれは強引な手だったから余計に。

水波に怯えるようなことは無いが、深雪と引き離されてはたまらない。

彼女の前では不用意な行動は避けるべきだろう。

その後も、とりとめのない会話をし、だんだんと縮まる距離に、深雪は気づいていないようだがそれだけ安心感を与えられているのだと思えば伸ばしかける手も撫でるだけで済ませることができた。

手元のカップの中身が無くなるとこの会もお開きとなる。

 

「カップは俺が片しておこう」

 

深雪のカップもトレイに乗せて立ち上がると、深雪から今日はすべてをHARに任せるのでは、と疑問が投げかけられるがそうもいっていられない事情がある。

 

「俺が送り狼になったら困るだろう」

「!!」

 

いくら兄妹の距離感を取り戻したからと言って、欲が無くならないわけではないのだ。

今の状態で一緒に部屋の前まで戻って何もしないでいられるかの自信はなかった。

これに関してはもう少し時間が必要のようだ。

深雪はびくり、と大きく体を震わせ、そういうことでしたら、とおやすみの挨拶をして別れた。

カップを洗い終え、定位置に戻す。

大した手間でもないのに大仕事を終えた如く大きくため息を吐いてしばし天を仰いだ後、自室に戻る。

出来るだけ足音を立てずに戻るが、部屋に戻ったことは知らせるべきだろうとわざとらしく音を立てた。

この薄壁の向こうに深雪がいる。

簡単に素手だけで破れるだろう壁だが、こんな物でもしっかりと防波堤の役割をしていた。

寝巻に着替える為脱いで、己の古傷に触れる。

そこに触れた白い手を思い出すだけで体の熱が上がるようだ。

一旦意識を断ち切って着替えを済ませベッドに横になる。

――今朝までここに深雪が眠っていた。

その残り香や温もりなどないというのに彼女が眠っていた場所に触れるのも躊躇われた。

もしかしたらあれは自分の妄想で現実ではないのでは、なんて自分らしくないことまで考える始末。

だが、絶対記憶を持つ自分でもこうなのだから、深雪も現実だったという認識が薄れていくのではないだろうか。

 

(それは嫌だ)

 

もうなかったことにはできない。

深雪を抱いたという事実を過去のこととして終わらせたくはない。

かといってまたすぐにチャンスが巡ってくるとも思えない。

 

(・・・せめてキスくらいは許してもらえないだろうか)

 

頬や額なら以前から許可をもらっていた。

挨拶としてならば、受け入れて・・・とまで考えて。

 

(果たして俺は、キスをして止まれるのだろうか?)

 

今日も散々触れるだけでも苦悩したというのに。

・・・明日は挨拶に向かう前に走りに行くか。

欲求不満には体を動かし解消する方法があるとあった。

別に欲求不満なわけではなく、初めてのことに持て余している、というのが正しいと思うのだが、そんなものは些細な違いか。

どうにもまだ浮かれ気分が抜けきれていないようだった。

こんな時はさっさと寝るに限る。

意識を落して眠りに入った。

 

 

――

 

 

いつもの時間に起き、ダイニングに向かうと深雪がドリンクを用意しているところだった。

まだ運動に行くことを伝えていなかったはずだが、彼女もいつも通りに目を覚ましたのだろうが、それにしてもタイミングがいい。

有難くいただく――前に。

 

「過度な触れ合いは避けるべきだろうが、おはようとおやすみのキスくらいはいいのではないだろうか」

 

そう提案するときょとん、とした後今までのようなものではなく?と確認されたのを頷いて肯定すると視線をさ迷わせ躊躇いながらも小さく頷いた。

グラスを机の上に置いて距離を縮め抱きしめると緊張で体を強張らせつつも目を瞑る深雪に、見えないことを良いことに口角を吊り上げて頬に手を添え、音を立てないよう触れるだけのつもりでその小さな唇に己のものを重ねる。

できることならこのまま家を出ずこの先に進みたいという葛藤を抑え込み、触れるだけに留めて離れる。

覚悟をしていたところに触れるだけで済んだことで、深雪は拍子抜けしたようにこっそり体から力を抜いてからすました顔をして、

 

「何事も修行ですよ、お兄様」

 

なんてことを言う。

自制することはもっともポピュラーな修行だ。

だが、深雪を前に自制、か。なんてつらい修行だろうか。

 

「最も厳しい修行になりそうだ」

 

苦笑をしてみせたものの、内心冗談でもなかった。

今だとて抑え込むのが大変だというのに。

 

「耐えるのは慣れていると思ったんだがな」

「ふふ、忍耐強いお兄様でさえ厳しいのですか」

 

肩を落として見せると慰めるように少し腕の力を強めて抱きしめた後離れていく深雪は何処か楽しそうで、それだけですべて許したくなる可愛さがあった。

頑張ってくださいませね、と応援されれば期待に応えねばならないだろう。

ドリンクを一気に呷って走りに行く。

無心になるには運動が一番だ。できるだけ負荷がかかるように坂の多い道を選んで走った。

 

 

 

 

残念なことに汗だくになろうともなかなか煩悩とは消えないもので、何度も柔らかかった感触を思い出しては速度を上げることを繰り返していたら全力疾走になっていた。

明らかにペースが乱れている。情けないが予定を早めに切り上げた方が良さそうだ。

それから周辺を視まわすが、大した変化はない様だった。

いくつか確認した中には四葉の仕掛けたものと思われるモノや通行人を装った魔法師とすれ違ったが何か仕掛ける様子は見えなかった。

古式魔法のように遠視するようなものはなく、まだ様子見にも慎重な姿勢が見られた。

ある程度のチェックを済ませて家に帰ると、エプロンを身に着けた深雪が出迎えてくれた。

ハグをする流れてキスをしそうになったのを頬にずらす。

これは以前からしていることだからダメか?と訴えるように視線を向ければ、その必死さがおかしかったのか深雪が噴出した。そして了承を得たので額にもキスさせてもらった。

こうして少しずつ許してもらえる範囲を増やして行けたなら、彼女の警戒も解けていくかもしれない・・・なんて邪な考えはすぐに打ち消す。

疼く手を留め、ゆっくりと離れると、シャワーを勧められた。

今朝は白米を用意した、という深雪に期待していると笑いかけてその場を離れる。

 

(流石に昨日の今日で深雪の目に期待が見えるというのは気のせいだろう)

 

期待しすぎだ、と自分を戒めて初めから冷水を浴びる。

冬の冷水は体に堪えるが、これくらいでなければ修行にはならない。

ウチではそんな修行を教えた覚えはないよ、という師匠の声が聞こえる様だった。

 

 

 

午後になり、挨拶に向かうための服に着替えて玄関で深雪を待っていたのだが、着飾って現れた深雪に目を奪われてしまった。

振り袖姿は艶やかで、いつもより色の強めの口紅が目を引いた。

帯の締まった細腰を抱き寄せたい。その赤く染まった唇を奪いたい。

煩悩なんていくら滅却しようとも湧いて出てきた。

 

「・・・お兄様、素敵です・・・」

「美しいな。出かけないでこのまま共に過ごしたいほどに」

 

出来ないとわかっていてもそう願わずにはいられない。

しばらくお互いに見惚れていたが、いくらしっかり着込んでいても今は寒さ厳しい時期。

いつまでもこうして呆けている場合ではない、と視線を断ち切ったタイミングが深雪と重なり、同時に噴き出す。

 

「私たちは似た者兄妹ですね」

「世の中には似たもの夫婦という言葉もあるらしいぞ」

「それは・・・まだ夫婦ではございませんので」

「そうだったな。そもそも婚約者というだけであって、今は深雪に恋をしてもらうためにアプローチの許可をもらったばかりだった」

 

まだ深雪からの返事はもらっていない。

それでも焦れることが無いのは、彼女と繋がりを持てたことと、奥底に眠っている彼女の想いに触れたから。

だから待っていられる。

もちろんただ待つだけではなく攻めることも忘れない。

そう伝えると、深雪は頬を染めつつそっと目を伏せ、

 

「もうしばらくお待ちください。私も心の準備をしております」

 

と返してくれた。

これは実質肯定の返事と捉えられるのだが追求はしない。

 

「待つと言って手を出したのは俺だ。今度は絶対に待つから」

 

深雪に恋を自覚してもらうまで、今度こそ待つ。

それはきっとそう遠くないと確信しているからこその約束。

 

「さ、もう行こう。――手を」

 

差し出すと、そっと重ねられる手はひんやりと冷えていた。

いつもの深雪の体温より少し冷えているのは長い間ここで立っていたからか。

車に移動したらまずはこの手を温めよう。

握る口実を考えてからエスコートした。

 

 

――

 

 

九重寺に着いたが、案内された部屋は待合の部屋だった。

何でも急な来客があったらしい。しかも、師匠が丁重に迎えねばならないような御仁のようだ。

ここは一度この場を離れた方が良い予感がするのだが、よく手合わせをしている高弟の引き留め方が尋常ではない。

もしやここで足止めをするよう頼まれているのか、とますます離れた方が良いと勘が働くのだが、深雪がお茶に手を付けていた。

この場に居ることを選択したようだ。

深雪が残るというのならばその意思に従おう。

帰らないでいることに胸を撫で下ろす高弟はまた呼びに来る、と下がっていった。

二人きりになると深雪はじっとこちらに視線を向けてきた。

 

「深雪の目は相変わらずおしゃべりだね。そんなにこの恰好が気になるかい」

「も、申し訳ございません!」

「いいよ、俺もその分深雪の艶やかな恰好を堪能させてもらっているからね」

 

俺なんかに見惚れてくれるという深雪は本当に趣味が悪いのでは、と思ってしまうがそのおかげでこのように見てもらえるのだからそれも悪いことではないように思う。

深雪を見つめているだけで時間などあっという間に過ぎていき、師匠の客がようやく帰る頃らしいと呼びに来た。

僧坊から本堂へ向かう庭、すれ違った相手が師匠の客人だと直感で確信したのは異様な気配を感じたからだ。向かってくる方向からもそうであることは確実だが、そんな情報が霞むほどその人物は得体の知れなさがあった。

視線を向けられ、その際に違和感も覚えたが、こちらも無遠慮に見るわけにもいかないと、黙ってその場を後にした。

師匠はいつもと変わらず飄々として見えた。

一切何を考えているかわからず、悟らせるようなことも無い。先ほどの来客のことも、俺たちに対しても、何も変わった様子はない。

新年の挨拶をし終えたところで、当然のように魔法師協会を通して一部に公開された情報を手に入れていた。

形上驚いてみせたが、師匠なら当然とも思えた。

四葉であることは調べられてもまさか俺たちが従兄妹同士で婚約者という展開は読めなかっただろう。

というより読まれていたとしたらそれはもう未来視か何かだ。通常に調べたのでは誰にもわかるまい。

すごいスピードで魔法師界に噂が広まっているよ、と楽しそうに話す師匠は本当に意地が悪い。

まあ、それも悪いことだけではないか。

深雪が次期当主と広まれば注目が酷く集まるだろうが、その婚約者が既にいるとわかれば余計な手出しをする輩は湧きにくいはずだ。

――ちょっかいを掛けてきそうな家が無きにしも非ず、ではあるが。

その他大勢で無いだけでも幾分マシだろう。

 

「それに、もうすぐ師族会議もある。今年は四年に一度の選定もあることだし」

 

やはり、噂の広がりが早いのはそのことも影響しているのか。

叔母上の話では何か仕掛けられる可能性を示唆されていたが、各方位警戒を強めた方が良さそうだ。

 

「それにしても君と深雪君が兄妹ではなく従兄妹同士で、婚約とはね」

 

すっかり騙された、とにやついた顔がいつにも増して憎らしい。

まるで真実を知っていると言わんばかりの訳知り顔だ。だが、知られたところで現実は変わらない。深雪との婚約は覆させない。

 

「それで、どこまでが本当なんだい?」

 

なんて揺さぶりをかけてくる。それをしれっとそう聞いているとだけ返し、多少応酬があったものの師匠はふぅん、とすべて受け流した。

これは追及ではなく一種の通過儀礼のようなものだったのだろう。詮索する意図が全く見えなかった。

しかし、次に続けられた言葉にはすぐに返すことができなかった。

 

「それで、達也くんは想いを成就させたわけだ。まだ婚約ではあるけれど」

 

よかったね、と軽い口調でおめでとうと祝いの言葉までつけられたが、一瞬何を言われているのかわからなかった。

 

「・・・どういう意味です?」

「どうって、何が?」

「その、俺の想いと言うのは」

「まさかとは思うけど、バレてないとでも思っていたのかい?あんなあからさまだったのに?」

 

師匠の様子に揶揄う色は見られない。

本気でそう訊ねている。

 

「むしろ隠す気あったの?」

 

と怪訝そうに続けられた言葉に、何も言えなくなる。

婚約できてよかったね、おめでとうと祝われる理由が、俺の想いの成就に繋がる理由はただ一つだとわかったが認めたくないという気持ちが先行した。

自覚もしていないのに隠すもなにもあったものでもないでしょう、と自然に返せるなら返したかった。

というよりも、そんなにあからさまだっただろうか?

そんなに――深雪に想いを寄せていたと目に見えてわかるほどだっただろうか。

 

「先生はお気づきだったのですか?」

「まあ、深雪くんは気付いてなさそうだと思っていたけれど、まさか達也くんが・・・ねぇ。あんなに牽制してたじゃないか」

「あれは、兄として当然のことです」

 

寄り付く虫を排除していただけ――そのはずだったのに。

 

「普通兄は嫉妬を向けないよ」

「・・・しっと・・・」

 

たとえ師匠であろうとも、遊びでちょっかいを掛けてきているのだとわかっていても牽制をしていた覚えはある。

 

(だが、あれが嫉妬による行動だった・・・?)

 

そんなつもりはなかったが、面白く思わなかったのは事実。

 

「それも自覚していなかったのかい?本当に?」

 

うっそだぁ!と年甲斐もなく大げさに驚いてみせたりとはしゃいだ様子の師匠に己の視線が冷めていくのがわかったが、文句を言う気力も無かった。

そんなわけないでしょ、あれだけやっておいて?いくら妹が大事だからって兄はあんなに独占欲を主張しないよ?と畳みかける言葉に返せる言葉を持ち合わせておらず、じっと耐えた。

そんなに独占欲丸出しだっただろうか?そんなつもりは一切なかったが、こうしてバレバレだったというからにはそうとしか見えなかったというわけで。

 

(いや、あの頃はちゃんと兄妹として、兄として妹と接していたはずだ)

 

特に対外的には、それなりに節度をもって触れあってきたつもりだ。

・・・そのはずだったのだが。

師匠は信じられない!と腹を抱えて散々笑った後、何気ない日常の会話を織り交ぜながら周囲にどのような変化があったかを教えてくれた。

この街は師匠の縄張り。そこに侵入する魔法師は逐一彼に報告される。

そして彼らにとって目を瞑っていられない悪さをしようものなら、忍ぶ者たちによって闇に葬られる。

だからこそ、安全とも言えた。中立ではあるが、彼らの縄張りを踏み荒らそうものなら彼らはきっちりと片を付ける。そういう場所だから。

ひとしきり話した後、車まで見送りに来た師匠は最後に一言、

 

「明日から少し厳しく指導してあげるからそのつもりで」

 

と言ってひらひらと手を振った。

あっけらかんと、これからも変わりなく付き合ってくれるとの言葉を最後に投げかけてくる。すべて見透かされている気分だが、悪い気はしなかった。

頭を下げている間、深雪が身を震わせながら礼を言いながら涙ぐんでいた。

車に乗り込んで、しばらく走ったところで堪えきれなくなり、はらはらと零れ落ちていく深雪の涙を指で拭う。

できることなら直に舐め取りたいところであったが、先ほど師匠に散々笑われたこともあり外での距離感に気を付けるべきだと戒める。

しかし、振り袖姿も相まって、静かに涙を流す深雪は儚げで美しい。なんとも言い難い色香が漂っていた。

これに手を出してはならないとは、かなりの忍耐が必要に思えたが、今朝言われたばかりだろう。これも修行だ。

指に付いた甘露を舐めるだけに留めた。

 

 

――

 

 

夕方、深雪待望の水波が帰宅した。

深雪の勢いに押されてたたらを踏んだ水波だったが何とか踏ん張り持ちこたえていた。

あんなに喜んでのハグは俺もほとんどされたことが無いが、思っているより心が凪いで見つめられた。

なんだか言いたげな視線を向けられはしたが、特に何も言われることも無く、今日までは休みなのだから働いてはだめよ、と夕飯は深雪が作ることに。

風呂後のケアもさせないと意気込む深雪に、しぶしぶ肩を落として従う姿勢を見せていた。

あれから四葉での会は例年以上の賑わいがあったそうだ。

目出度い、と新発田家の婚約について喜ぶ声もあったとのこと。

俺たちの関係についてはタブーのように口に上ることは無かったそうだが、深雪が次期当主だということは概ね好意的に受け入れられ、主にその件での喜びの声が多かったとか。

俺たちのことに関しては反発の声が上がらなかっただけ十分だろう。

まあ、それも表立っての話だろうが。

久しぶりの深雪の料理に舌鼓を打ちながら家族三人の夕食は賑やかに終わった。

 

 

 

 

就寝直前、深雪の部屋を訪ねる。

こういうルールは初めが肝心だ。

 

「どうか、なさったのですか?とりあえずここではなんですから中へ」

 

と促す深雪は水波が戻ってきたこともあってか警戒心が薄くなったようだ。

 

「寝る前の挨拶に来たんだ」

 

それだけ伝えると、今朝の話を思い出したのだろう。用件が何か分かったようで頬を赤らめ視線を斜め下に向けながらそうですか、と小さな声で答えた。

 

「部屋に入ったら、歯止めが利かなかった時、お前が逃げられないだろう」

 

おやすみのキスだけで止めるつもりではあるが、万が一ということもある。

・・・水波が家にいるからとはいえ、深雪に触れて止まれるかは、五分五分といったところか。

すでにパジャマの上にカーディガンを羽織っている姿に手を伸ばしそうだ。

これ以上前に進むわけにはいかない、と扉の外で待てば、深雪が遠慮がちに近寄り胸に手を添え寄り添う形になったところを、腕を回して囲い込む。

そしてできるだけ優しく重ねた唇は引力でもあるように離れがたく、ただ合わせるだけで離れるつもりだったのに角度を変えて啄んでから離れた。

 

「・・・おやすみ、深雪」

 

鋼の理性が働いてそれだけで済ませられたことはさっそく修行の成果が出ているように思えた。

 

「おやすみなさいませ、お兄様」

 

ゆっくりと閉じられる間も触れられない代わりに深雪と視線を絡め合う。

ぱたん、と閉じられた扉をしばらく未練がましく見つめてから、自室に戻った。

熱の点った唇を撫でるが、その熱はなかなかおさまらなかった。

 

 

――

 

 

次の日、深雪に見送られて国防軍の基地に向かう。

約束の時刻十分前に到着し、藤林さんと軽く話してから風間中佐(・・)の待つ部屋に案内される。

今までの溜まりに溜まった実績が評価され、独立魔装大隊の隊員が隊長含め数人昇進を果たしたとのことだ。

横浜事変からの立て続けの功績が無視できる段階を超えたのだとか。軍部内の勢力争いは管轄外なので情報だけ入れておく。

給料が上がったことなどに触れジョークを交えながら新年の挨拶と昇進祝いを述べる。その間に藤林中尉がお茶を淹れ終え、風間中佐の視線を受けて退室して二人きりになる。

会話の傍受対策がされていることを確認した上で真っ先に確認したのは今後の編成の有無だ。

建前では家は関係ない、としている軍だが四葉ともなれば対応が変わってもおかしくない。自分の所属している部署が部署だけによりその可能性があった。

しかしそれは杞憂であり、自分に対しての方針が現状維持であることに多少驚きつつも、秘匿性の高い魔法の件もある。下手に動かすにも自身の能力自体に問題があるか、と納得もした。

元々四葉であることは一部に開示されていたので、発表後の対策は前もって用意されていたのだろう。

お互いの立場を確認し、自身は四葉の人間としての立場であることも明言したので、いずれここに居場所は無くなる可能性が高いだろう。いつになるかはわからないが、今はこの現状維持である状況が有難かった。

軍所属であることで正規に動けることもある。特に今は深雪が公になったことで何が起こるかわからない現状。手札が減るのは良くない。

これからは四葉のバックアップが受けられるようになるだろうが、まだ接触もしていない状況で安心などできない。

軍の方でも国内外の動きが不安定で、近々動きがあることをキャッチしているようだ。この情報は、参謀本部ではなく佐伯閣下からの、との言葉に政治がらみや遠慮のない純粋な分析結果によるもので、慶春会での当主の挨拶もあって、事が起こる確率がグンと跳ね上がった。当たってほしくはないがこれだけ情報が揃えば無視できる話でもない。

聞きたい話は十分聞けたので改めて四葉は独立魔装大隊と利害が対立するものでは無く、国防の責務を果たすつもりである旨を伝えた。

達也、と階級ではなく名を呼ばれ今後の活躍に期待していると風間中佐個人としての言葉に、師匠の時のように頭を下げたのだが――続けられる言葉に、またも絶句を強いられた。

 

「まあ、よかったんじゃないか。お前の望みが叶った形になったわけだから」

 

唐突な言葉に反応ができなかった。

望みが叶うが一体何を指しているのかと訝しむと、風間さんは婚約者の件だ、とはっきりと口にした。

 

「・・・・・・どういう意味です?」

 

まさか、と昨日のことが頭を過る。

そしてその予感は当たっていた。

 

「どうって。――お前、まさかバレていないとでも思っていたのか?あんなにあからさまだったのに?」

 

その驚きぶりは似ても似つかないはずなのに師弟そっくりに見えた。

 

「達也・・・、お前そのことについて感情を隠す気があったのか?」

「・・・隠すも何も、自分は・・・いえ」

「もしや無自覚であれ、か・・・?」

 

師匠よりも気まずくなったのは、風間中佐が冗談抜きで本気で驚いているからだ。

師匠の場合、揶揄いが含まれていたから苛立ちや反発心があったが、こちらはむしろ心配そうですらあった。

言葉にされないが、お前、そんなので大丈夫か?と言われているような居たたまれなさが襲った。

まあ、なんだ。とりあえずおめでとう、という言葉で締めくくられて、一応お礼の言葉を返したがすっきりしないまま部屋を後にした。

その後真田さんたちにも挨拶をするつもりだったのだが、真田さんと柳さんは手が離せない状況らしく、彼らの状況を調べてくれた藤林さんに誘われるままに士官用のカフェに来た。

そこでも婚約を祝われ、自分もそういう年だからって家族がうるさいのよー、と愚痴をこぼす彼女は憂鬱そうな表情を浮かべていた。

こちらもデリケートな話だったが彼女自身から振られた話なので聞き役に徹する。

だが、

 

「あーあ。これで達也くんがフリーなら、婚約してもらうのもアリかと思ったんだけど」

 

いつもの揶揄いかと思いきや、彼女はこちらに一切視線を向けず不満だとばかりに頬を膨らませてカップを傾けていた。

 

「わざわざ俺なんて選ばなくても――」

 

軍にだってフリーの男はいる。年齢も俺より近い人間がいるだろうに、と思ったところで俺だけしか持っていないものを狙っているのでは、と過り顎を引いて訊ねた。

 

「もしや、深雪ですか」

「せっかく深雪さんを本物の妹にするチャンスだったのにー」

 

ビンゴだった。

 

「残念ですがそれは未来永劫無くなりました」

 

まさか、と鎌を掛けたらこの人も深雪狙いだった。まあ、それも本気ではないだろうがここはバッサリと断らせてもらう。

酷い、と非難されるが、酷いもへったくれも無い。これ以上ライバルが増えてたまるか、の心境だった。

 

「なぁんて、冗談よ、冗談」

「深雪は俺の婚約者です」

 

冗談にしては質の悪い。

そして未来永劫俺だけの妹だ、と心の中で付け加えておく。

 

「――達也くんも、ようやく自分の欲しいものを手に入れられたんだ」

 

藤林さんの視線が僻むでも羨むでもなく優しさに満ちていて、開きかけていた口を閉ざした。

初めからそれを確認するためにあんな冗談を言ったらしい。

 

「おめでとう」

「ありがとうございます」

 

祝いの言葉に改めて感謝を述べて頭を下げる。

自分は恵まれている。特に深雪と兄妹として暮らせるようになってからできた繋がりはすべて得難い良縁ばかりだ。

それがこの先も続くかはわからない。

唐突に切れることもあるだろう。それでも、良い人たちに巡り合えたことは違いない。

 

 

 

 

ただいま、と深雪をハグして頬と額に口付けて、疲労感をリセットしようとするが、驚いた風間さんの顔がちらついた。

食後、深雪とのコーヒーを飲みながらも、そのことが離れない。

 

「・・・どうかなさったのですか?」

 

軍で何か言われたのかと心配してくれた深雪に、風間さんとの話を伝えると、はい?と聞き返した。

そうだな。俺も同じ気持ちだった。

 

「・・・俺はそんなに態度に出ていたか?」

「・・・さあ。そもそも私は気付いてもおりませんでしたので、なんとも・・・」

「そうだったな」

 

深雪にもわかるわけが無かった。

格好悪い姿になるが、今はもう取り繕う気力すらなかった。

ソファに身を預けて力を抜いた。

深雪が慰めるように寄り添って手を握ってくれたことに嬉しく思いながら、水波の眼が光っていなければこのままキスでもできただろうに残念だ、と項垂れた。

 

 

――

 

 

始業式の前日の夜、学校から呼び出しのメールが来た。

早めに登校し、校長室へ。

四葉による戸籍改竄の件での事情聴取が主であったが、俺たちは何も関与していない。

百山校長もそれは理解しているのだろう。深く追及されることは無かった。されたところで俺たちにはどうしようもないとわかっているとも言える。

最後に節度を持った行動を求められたのだが、これまでは兄妹だから許されていた、とはどういう意味か。

記憶を遡っても学内で咎められるような行動を取ったつもりはないのだが。

まさか教員たちも物語と現実を混同しているのか?

深雪は生徒会長でもある。生徒の模範として節度を持った行動を取るのは当然だ、と二人揃って頭を下げて退室した。

 

「・・・深雪」

「大丈夫です、お兄様――私は四葉家次期当主、司波深雪なのですから」

 

いつかの再現のよう。

後半のセリフは四葉でも見られるお嬢様の凛とした姿。そして温度の無い声色はそれだけで周囲を委縮させるだろう。

何をするかわかっている俺には頑張って母の物真似をしている可愛い妹の姿にしか見えないが。

 

(今日も俺の妹で婚約者は可愛いな)

 

できることならこの場で抱きしめて撫でたいところではあるが、つい先ほど学校内では節度を持った行動を心掛けると態度で示したばかりだ。

 

「それでは達也様、私はこれで失礼します」

 

その言葉には薄っぺらい敬意しか見えない。表面上だけ取り繕っているような、そんな態度だ。

他人よりも遠い距離に感じる。

だが、そんな態度を取られようとも、ツン、とした深雪も可愛らしい、としか思わないのだから恋愛脳というのは知能を下げるは事実のようだ。痘痕も靨とでも言うのか。

何をしてもされても愛おしい気持ちに変わりはなかった。

深雪を最後まで見送ってから自身の教室に向かう。

まだ早い時間だというのに、一番乗りではなかった。

挨拶はするが、怯えたように返され、逃げるように教室を後にした生徒もいた。

気にせず席に座る。

 

「うーす」

「オハヨー達也くん」

 

隣のクラスのエリカとレオが窓越しに挨拶をしてきた。

ごく自然ないつもと変わらない対応にこちらも変わらず返す。

だが、美月はいつもと変わらずとはいかなかったようだ。びくびくと怯えられた。

これは少し申し訳なさがあったが、四葉の名は今更返還もできないし、したところで意味もない。

クラスの空気は戸惑いや怯えがあるようだったが、最終的に当たらず騒がず見てみぬふりに落ち着いたようだ。

必要最低限の会話だけをして、授業は進んでいく。

昼になったが、この様子ではいつものように食堂で、とはいかないだろう。

人の来ないところ、と考え真っ先に浮かび向かった生徒会室だが、深雪はおらず、それどころかほのかと雫がいるようだ。

彼女たちも注目されただろうから避難してきたのだろう。

意識を内に向けることで深雪の居場所はすぐに分かった。

目の前の扉の中に入ることも無く踵を返して深雪の下へと向かう。

そこは確実にほかの生徒が寄り付かない場所――気温一桁の寒空の広がる屋上だった。

水波は一緒ではないらしい。

深雪が演じる孤高の女王には使用人も傍に寄せ付けないつもりのようだ。

深雪の座るベンチにまっすぐ進むと深雪が立ち上がって一礼する。

こんなところまで演技しなくてもいいだろうに。

 

「流石にこんなところに来る人間はいないよ」

 

視線を向けられている気配もない。

そう教えれば深雪はふわっといつもの笑みに戻った。

 

「・・・正直、こちらには来られないのではないかと思っておりました」

 

エリカたちと食べるものだと思っていたとのことだが、確かに彼女とレオだけならばその可能性もあっただろうが、美月や今日はまだ姿を見ていない幹比古は難しそうだ。

孤高の女王を演じる深雪は初めから一人で食べる予定だったらしい。

そんなことなら俺も誘って欲しかったが、学校側から節度を持てと言われたらこのように二人きりというのは良くない状況なのか。

だが、端から人目に付かなければ問題にもならない。

昼食はどうするのかと思ったが準備の良い深雪は二人分の弁当を用意していた。

小さいほうは深雪の分、そして大きいのは俺の為に用意されていたらしい。

準備していたのに言わなかったのは初めからこうなる可能性を考えていたが、この結果になってほしくないという願いがあったからか。

言えなかった深雪の何といじらしいことか。心が痛くなる。

だが、それ以上に――

 

「ありがとう。美味そうだ。いただきます」

「どうぞ、お召し上がりくださいませ」

 

弁当を掲げてにっこりと微笑む深雪があまりにも健気で可愛くて、弁当箱を見ずに深雪を見ながら美味そうだと言ってしまった時は若干焦ったのだが、深雪に不審がられることが無くてホッとしている。

深雪の魔法のおかげで寒さなど感じることも無く、渡された弁当もほのかに温かい。

容器は温めずに中身だけが温めているようだ。相変わらず器用な魔法の使い方に惚れ惚れする。

まさか真冬の屋上で弁当を食べることになるとは思わなかったが、どう考えても注目されながら気まずく定食を食べるより、邪魔をされることなく最愛の人と二人きりで手作り弁当が食べられる現状の方が良いに決まっている。

思ってもみなかった幸運をかみしめていると、隣の深雪が静かに俯きながら頬を染めているではないか。

彼女もこの状況を喜んでいるのだろうか、と声を掛けると、見られた!とばかりに目を見開いて動揺する。

一つ一つの仕草が可愛い過ぎる。俺が深雪を見ないはずないのに。

 

「!いいえ、あの・・・」

「赤くなった理由を知りたいな」

 

言いながらじりじりと身を寄せていくと、仰け反るように上体が離れていく。

磁石のようで面白いが、深雪の反発力の方が弱くこのままではくっつきそうだ。

 

「お、お兄様、ここは学校です!」

「だから触れないよう我慢しているだろう?」

 

もしここが学校ではなく家のソファなら膝の上に乗せ存分にその赤い顔を覗き込んで愛でていたことだろう。

しかし、この距離感も嫌いではない。

深雪の困った顔も焦る様子も可愛くてたまらない。

完熟したように顔を赤らめた深雪がとても美味しそうだが、彼女が言うようにここは学校だ。

愛でるだけで我慢とは、修業とは何と厳しいモノか。

そんなことを考えていると、ようやく決心がついたのか震える唇が開く。

 

「お兄様のように、素敵な方のお嫁さんになれるのかと思ったら、その・・・こんなに幸せになっていいのかと・・・」

 

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

俺の息の根を止められるのは深雪しかいないと改めて実感するな。

今、まさに息を吐くことすらできずにいた。

顔を赤らめてお嫁さん、と言うだけで、この破壊力。深雪が人に触れることも無く倒す光景が目に浮かぶようだ。

俯き組んだ手の上に額を乗せ、ゆっくりと細い息を吐いていく。

深雪が恥ずかしい告白をさせられたことにより身を震わせ顔を覆っている。恥じらう姿がとても可愛いと思うのだが指先ひとつ動かすことができなかった。

今動いてしまえば、人気が無くとも学校の屋上という開放的な場所で何をしでかすかわからない。

それほどの衝動に襲われていた。

抑え込むことに必死で身動きすら取れない。

滑稽な姿を最愛に晒していることになるが、それでも襲い掛かるよりマシだ。

 

「お兄様・・・?」

 

あまりに動きのない俺を心配したのだろうが、すまない。

 

「今、俺は修行中だから待ってくれ」

 

己を抑え込むのに集中しなければならないほどの状況に陥っているなど深雪は夢にも思っていないだろう。

だから、

 

「あの、先ほどお兄様が仰っていました。こんなところに人は来ないのであれば、その・・・少しくらいよろしいのではないでしょうか?」

 

だからこそそんな、美味しそうなご馳走をどうぞ召し上がってくださいとばかりに差し出すようなことが言えるのだ。

俺が内心涎をたらして我慢しているなど、気付くことも無く。

 

「――深雪、自分の体を大切にしなさい」

 

こんなところでGOサインを出さないでくれ。

ここが家であったなら即ベッドの上に向かうだろうが、二回目をいきなり野外で、などあまりに深雪が可哀想だ・・・いや違う!そもそも深雪にそんな気はないのだ、待つと言った身で早々に破るのは許されることではない。

しかも人目が無いとはいえここは学校の敷地内。いくら気温一桁台の屋上とはいえ人が来ない確率は皆無ではない。

 

(恐ろしいな。煩悩とは消しても消しても湧いてくる・・・)

 

護衛としてあり得ない発想が先に立ってしまうなど、頭も痛くなってくる。

おろそかになどしていないが、思考がこれでは先が思いやられる。

兄との切り替えがなかなかうまくできなかった数日前と重なった。

結局あれはどのようにして兄であることを思い出せたんだったか。

欲望を引っ込ませるこの修行は自身の愚かさを認識させられるダメージを受けながらとなりそうで、精神力を鍛える修行にもなるかもしれない。

目の端では深雪が俺の邪魔をしないよう弁当を食べ始めていた。こちらに気を使わせないよう自然体を装ってくれているのだろう。有難い。

ようやく長い息を吐き終わり、落ち着いてきたところで顔を上げると、すでに彼女の弁当は三分の一が終わるくらいまで無くなっていた。

昼時間もそう長いわけではない。せっかく深雪と二人きりなのに、まさか修行で時間を使うとは。

もったいないことをした、と改めて深雪の作ってくれた弁当に向き直り、いただきます、と手を合わせてから食べ始める。

用意されているなんて思ってもいなかった深雪の弁当を一口食べると、これは水波ではなく深雪が作ったものだとわかった。

美味い。文句なしに美味い。己の胃が喜ぶ味だ。

性欲は食欲によって騙すことができるとあったが、確かにそうなのかもしれない。腹にモノが入ると落ち着いてくるというのがわかる。

特に美味い物を食べると満たされていく心地がして、荒ぶる心が穏やかになっていくようだ。

 

「やっぱり深雪の弁当は美味いな」

「ありがとうございます」

 

しみじみと思った言葉が声に出ていた。

嬉しそうにはにかむ深雪が可愛いが、弁当を放り投げるほどの衝動は抑えられた。

やっぱりお腹が空いていたから抑えが利かなかったのか。

 

「だが、ずっとこうして寒空の中食べるというのもな」

「そうですか?これもなかなか乙なものですよ」

 

今後はどうするか、と話せるだけの余裕が生まれ、いくら深雪が寒さを避けてくれているといっても手間だろうし、どこか人気の無い室内の方が良いのではないか、と提案したのだが、深雪はこの場所を気に入ったようだ。

 

「お兄様がお嫌なのでしたら、他の場所を探しましょう」

「・・・いいや。人が通るかもしれない教室よりも、こちらの方が気は休まるかもしれないな」

 

考えてみれば寒さがデメリットなだけでこれほど好条件の場所もない。

自然の人除けもできていて、誰もこんなところにいるとも思わない。

煩わしい視線が向けられることも無く、目的も無く人が近寄ることも無い。のびのびと二人きりでいられる。

解放的なのに密室のようだ。

そう思うとここ以上の場所など見当たらない。深雪の魔法頼りになるが、深雪にとってもこの解放感はいいストレス発散にもなるはずだ。

しばらくはここが癒しの場所になりそうだ。

弁当を食べ終えると、教室での様子や仲間たちの態度について話をした。

深雪はある程度予測通りだった、と語るが親しかったクラスメイト達とよそよそしくなることに落ち込まないわけもない。

学校では肩を抱いて慰めることもできない。帰ったら怯えられない程度に甘やかそう、と決めて拳を握る。

 

「エリカ達は、変わりなかったのですね」

「ああ。あれは凄いな」

 

彼らの反応は予想外だが彼ららしいとも言えた。

レオはともかくエリカは四葉がどれほど恐れられるものか聞かされているだろうにそれがどうした、とばかりに堂々と話しかけてきた。

無関心とは違う、そんなものに私は屈しない、という気概を感じた。

その様子が目に浮かんだのだろう。

深雪の表情が優しい笑みに彩られた。

困った顔も好きだが、やはり笑った顔がいい。

 

「・・・すぐに気が緩んでしまうな。いや、お前が美しい上に優しすぎることが原因か・・・」

 

気が付けば体が引き寄せられるように傾いていた。腕のいつの間にかに後ろに回りかけている。

抱き寄せようとしていたらしい。

回しかけた手で目元を覆い、隠すことで冷静さを取り戻す。

深雪に見抜かれて苦笑しているのが伝わってきて、少し情けない気持ちになったが、これもまた修行か。精進に努めるとしよう。

 

 

――

 

 

放課後、初日から通常通り生徒会の仕事は始まる。

役員が全員揃って形式上挨拶をするが、深雪の冷ややかな態度にぎこちない空気が漂う。

あの深雪に傾倒していた泉美も戸惑っているようだが、これはこれで素敵では、との漏れ出た声に警戒は高めておく。

後でピクシーに忠告をしておこう。

仕事は元々分担されているので各々指示されることなくすぐに作業に入った。

時折集中しきれないほのかからの視線を感じたが、反応することも無く淡々と作業を続ける。

途中、ピクシーからお茶が配られ休憩の指示があったが、指示を出した肝心の深雪は顔を上げることも無く作業を続けていたので、いつも賑やかだった休憩時間も静まり返っていた。

端末に深雪からピクシーへ、相手にできないことを謝りたいのだが直接彼女にメールをしていいかと連絡がきたが、元から忠告をする予定だったのでまとめてこちらで送っておく旨を伝えた。

静かに作業をしていたおかげか本日分は終了、早めの解散となった。

泉美が深雪に話しかけに行ったが素気無くあしらわれて撃沈。落胆して俯く。

深雪は心を一切見せることなく水波を呼ぶと部屋を後にした。

俺に声はかからないがその後に付いていく。そのことに周囲の動揺が伝わってきた。

彼女が一瞥もくれずに歩く姿勢は確かに孤高の女王と呼ぶにふさわしい姿に思えた。

しかし、それもキャビネットまでだった。

コミューターに乗り込むと、深雪は眉を下げ水波に迷惑をかけていると真っ先に謝罪した。

水波はクラスでの様子を話し、避けられるようなことは無かったが、まるでマスコミのように質問攻めに遭ったところ、香澄に助けられたのだと説明した。

そのことにほっと胸を撫で下ろしながらも、申し訳ないとその表情には書かれていた。

それを重ねて言葉にしないのは、彼女がこの計画をこのまま実行し続けるということ。

それがわかっているので水波も余計な言葉は口にせず、無言で主に寄り添った。

 

 

 

 

夕食前に本日のことについて報告するため深雪と共に四葉本邸に連絡を取った。

当主と話をするのに普段服というわけにもいかず、お互いおかしくない格好に着替えたが、深雪は今までとは違い以前よりも大人びた印象のワンピースを身に着けていた。

横から見るほっそりとした腰からのラインがなんとも扇情的だ。すぐにでもその細腰を支えるために手を伸ばしたいが、それはこの要件を終わらせてからだと端末を操作した。

動画電話の画面に映るはいつもと変わらぬ、でもない。いつもよりも楽しそうな雰囲気を漂わせた叔母上だった。

赤く引かれた紅が目に付くのはそのように演出してのことなのだろう。

吊り上がるさまが赤い三日月を逆さにしたようだ。禍々しい。

 

「そちらから連絡してくれて丁度よかったわ」

 

つまり用事があるのはこちらだけではないということだ。

先に譲ろうとしたが、先手を打たれたので今朝校長の百山に呼び出された内容を伝えると、面白がっているような声で「厳重な抗議、ねぇ」と呟いたが、報告をしたことへの労いと何もしなくていいとだけ伝えてこの話を終わらせた。

どのみち俺たちには何もしようが無いのだからこうなることはわかっていたので、無言で頭を下げるだけで済ませた。

そして叔母上からの用件だが――これもある意味予想した通りとなった。

 

「魔法師協会を通じて公表した貴方達の婚約に対して、一条家より異議の申し立てがありました」

 

にんまり、とした笑みがなんとも憎らしい。

そして深雪の言ったとおりに入った横やりが一条だという事実にもいら立ちが募る。

深雪はそのことに取り乱すことも無く、やはりそうなりましたか、とばかりに目を伏せ吐息を漏らす。

 

「まあ、深雪さんもこの婚約の話が出た時にすでに予測されていたものね。驚くことでもなかったかしら」

 

驚かせたかったのに、残念だわ。

そう言いながら頬に手を添えて、でもそうだったわねと目を細めて続けられる言葉と仕草は正に人を甚振る魔女のよう。

 

「深雪さんはこの婚約を一時的な時間稼ぎだと言ってましたものね」

「過去のことです」

 

それ以上は広げさせない、と口を挟めばすっと視線がこちらに向けられた。

こちらもその視線に負けないよう視線を強めて返す。

 

「そうなの?」

「はい。その件につきましては深雪とじっくり話し合いましたので、このまま婚約は結婚するまで継続します」

 

じっくり話し合ったのは言葉にしてではないが、その前に深雪から恋をさせてほしいとの言葉を貰っていた。この婚約中にということだからそれはつまり結婚するまでを期限としていると解釈した。

深雪は相変わらず淑女の笑みを浮かべているが、わずかに目元に赤みが差している。

・・・もうこの話をすぐにでも終わらせたいところだが、肝心なことを聞いていない。

 

「それで、一条家からの異議申し立てはどのようなものなのです?」

「血が近すぎるというのが一条家の言い分ね。魔法師の才能は国家の財産であり、遺伝子異常で次世代に継承されないようなことがあってはならないそうよ」

 

そんなものが建前なのは叔母上の様子でもよくわかった。

 

「血の濃さに対する遺伝子異常を口実に、一体何を言ってきたんです?」

「話が早くて助かるわ。――あちらのご長男との婚約を申し込まれたの」

 

一条将輝という男は直情型のようでいて、実際考えなしに速攻で行動に移すような男では無い。

もっと言ってしまえば一緒にダンスを踊っておいて連絡先も交換できないヘタ・・・奥手な男だ。彼がそんな大それたことを提案できるはずがない。

これは大人たちの思惑の絡んで付けられた物言いだ。

 

「それで、お断りになるんですよね?」

 

この婚約自体貴女が仕組んだことだろう、と訴えたが、彼女は俺の態度を可笑しい、とばかりに笑いを堪えて体を震わせるのみ。

答えは残念ながら希望通りにはいかないことは彼女の様子で分かった。

 

「しばらく断らないわ」

 

案の定の返答に予想していたということもあったため沸々と湧く怒りは深呼吸ひとつで治まったが、己のことでもこうして怒れることは心が成長したということなのだろう。現状嬉しくもなんともない変化だが。

 

「・・・それではこちらの立場が悪くなりませんか?」

 

深雪の言葉に、確かにこのままではあちら側が非常識な行動をとったとはいえ返答をしないというのは礼儀を欠いたことになると思うのだが、答えは変わらない。

 

「いつまでも放置するものではありません。だからあなた達もこの件はあまり気にしないで。今まで通り二人で仲良くしていて頂戴」

 

何か利用するつもりなのか、にんまりとした笑みにそんなことで深雪を巻き込むな、とも思うが今の立場でこれ以上口を出せない。

深雪も同じなのか、叔母様・・・、と呟いたのを叔母上はわざわざ言い直させる。

律義に返さなくていいのに、この反応があの人を喜ばせているのだろう。

だが、深雪をいい様に転がしている姿を見るのは面白くないと思ったのが顔に出ていたのか、目があった叔母上は口角を吊り上げてみせた。

いつまでも放置しない、とは今度一同が会することになる師族会議の交渉のカードにでもするつもりなのか。

俺たちに今まで通り仲良く、と指示を出すからには仲の良さもアピールする必要がある、と。

 

「分かりました」

 

(言われなくとも深雪と仲良くするさ)

 

今は深雪の計画で周囲に見せつけるようなことはできないが、これにより師族会議までには仲の良さをアピールせざるを得なくなった。

計画上どのくらいかかるかわからなかったがこうして期限が設けられた。

まあ、深雪の様子から短期決戦だろうと思っていたが。

これ以上、彼女を喜ばせるようなことになるのは業腹だったので了承の旨を伝えてさっさと通信を切る。

 

「お兄様、大丈夫ですか?」

「――ああ、問題ない」

 

ため息を漏らした俺を心配して顔を覗き込む。

緊張したわけでもない。ただ、本当に横やりが入り、今はどうにもできないという現状に不満を抱いたというだけだ。

どんな問題、難題がこようとも俺が消し去ってみせる。全て処理するから。

声には出さなかったが深雪には伝わったらしい。顔が多少強張った。

だがそれも一瞬、温かな熱が腕に触れる。

 

「お兄様が離さない限り、私は傍におりますから。一時的に離れることになろうとも、必ずお兄様のお傍に」

「・・・離すわけがない。絶対に」

 

俺たちの婚約することであらゆる面に不都合が生じるのだろうが知ったことか。

決して許せるものでは無かった。

本来であれば俺たちは実の兄妹であり、彼らの主張は正論でしかない。だが、四葉の非常識がそれを捻じ曲げ可能にした。

遺伝子が離れている以上、子を作っても一般的なリスクしかないはずだ。

そもそも、魔法師を道具にしたくないと言っている口で魔法師の才能は国家の財産?継承できない恐れがある?四葉の力が弱まるならば彼らにとって均衡がとれるのだから都合がいいのではないのだろうか。

この話の本質は、思っているよりも複雑なのか。

もしこれが単純な話であったならさっさとあの人は断ったはずだ。

世界に復讐をするために俺たちを結ばせようとした人が、たかが一人の青年の想いに応えようとするなんてありえないのだから。

 

(・・・これも深雪を守ることに繋がる、ということか?これが試練だと?)

 

確かにこの話は俺というより深雪が矢面に立たされている。

優秀な魔法師の女性を誰と結ばせるか、魔法師界の為にどうすべきかという話でもある。

それも気にくわない。深雪の感情を無視して、好き勝手都合を押し付けようとすることも許しがたい。

何より、

 

(まだ俺から奪おうとするのか)

 

手放して守れるものがあるというのなら、俺は自分の持つ大抵のものを手放しても構わない。

だが、たとえ他の何かを失っても深雪だけは、無理だ。

彼女は俺の生き甲斐、命そのもの。己の命を危険に晒そうとも守りたい存在だ。

だから俺から手を離すわけがない。

むしろ離れないように雁字搦めにしたいくらいだというのに。もしくは誰の邪魔も入らないところに――

 

「もう、お兄様?あまりありえない妄想はなさらないで。現実の私はここですよ」

 

思考の海に沈んでいると、くいっと引っ張られて浮上させられた。

それも、なんとも可愛らしい仕草付きで。

いくら大人びた恰好をしていても、そのように頬を膨らませ上目遣いに見つめられてしまうと可愛らしさの方に傾く。

その可愛らしい表情を愛でながら彼女の言葉を反芻する。

そうだ。

今彼女はこうして俺の隣にいる。

奪われることを考えるよりも、ここにある幸福を守ることを考える方が大事だ。

だが、その前に。

 

「本当か?しっかり触れないとわからないな」

 

すり減ったものを補充しなければ。

 

「・・・少しだけですよ」

 

許可が下りたのでキッチンで動き回り水波に見えない位置に移動して、少しだけだという深雪に努力するとだけ返して口付けを交わした。

少しだけ、というから深くは踏み込まないよう踏みとどまるが、触れあうだけでも気持ちがいい。

結局真っ赤な顔の深雪からストップがかけられた。少しだけの度を超えてしまったらしい。匙加減が難しいな。

深雪のおかげで苛立ちもむかつきも消え失せた。これで多少冷静に対処を考えられるだろう。

そう思っていたのだが、思い返すだけでも腹が立つモノで、その夜から深雪への夜の挨拶で歯止めが利きづらくなる。

奪われたくない、という気持ちがどうにも先行してしまうらしい。

口では学校生活で負担を感じている深雪を労う言葉を紡いでいるが、深雪を甘やかしてやっているというよりもそれを口実に俺が甘えてしまっていた。

いつまでも甘えっぱなしでは格好が付かない。次の日の夜には、水波を下がらせたリビングで深雪だけを甘やかすことだけに専念した。

 

「・・・辛くは無いか」

 

と決まった質問を皮切りに今日はどんなことがあったか、どんな成果があったか、どう動きそうかを聞き、頑張ったな、無理をするな。お前が心配だよ、と抱きしめ、頭を、頬を、時には背を撫で、冷えた体を温める。

深雪は初め、自分が計画したことですもの、と強気の態度を見せるも、その心が沈んでいるのを隠していて。

それから甘やかしを受け、普段通り恥じらいつつも受け止めてくれるようになるのだが、まだまだ心は疲弊しているようだった。

早くこんなことが終わればいい。

そう思うのに、こうして深雪が身を預けてくれるこの時間が長く続けばいいと思ってしまう。

仲間たちと馴れ合わず、俺にだけに寄り添ってくれるこの状況に酔いしれていた。

すり、と胸に頬を寄せる深雪がたまらなく愛おしい。

いっそこのまま、俺だけの深雪でいてくれたなら――

 

「お兄様?」

「ん?なんだい?」

「・・・なんとなく、お兄様が寂しそうな気がして」

 

そう言って俺の頬に手を伸ばし、顔と一緒に心までも覗き込まれるように見つめられる。

 

「お前と共にて寂しいことなどないさ」

 

これ以上ないほど満ち足りているのに、おかしなことを言う。

こうして気にかけてもらえることだって嬉しいものだ。

 

「申し訳ございません」

「深雪が謝ることじゃない。形は違えどいつかこうなることはわかっていたことだ」

 

四葉とわかれば周囲が離れていくことは想定内だった。

好奇の視線に晒されるのも、嫌悪を向けられようとも、四葉である時点で避けられるものでは無い。

九校戦、四葉と確定していないのに噂があるだけで黒羽姉弟は注目されていた。

噂だけであの状態だったのだ。公式に発表となればより強い反応が返ってくることは想像に難くなかった。

ただし、まさかそこに憐みが含まれることは想定外だった。

憐み、同情。

これらを向けられるとは思わなかった。

聞き耳を立てたつもりではないが、元々聞こえの良い耳が拾ったところでは、どうやら深雪の態度の豹変が影響しているらしかった。

深雪の態度が兄妹であった時よりも余所余所しくなったことに対してのようだが、そのことに付いて随分と憶測が飛び交っていた。

実の兄妹だと思っていたのに違ったことでショックを受けた深雪に避けられている、だとか、元から兄妹ではないことはわかった上で学校で仲の良い兄妹を演じさせられていたことに怒っている、等など。

まあ、ゴシップなんてそんなものだろう。

俺に向けられているものはどうでもいいことだ。

深雪に対しては恐怖、怯え、疑念などが多い。ごく一部に崇拝、というのがあるが、それはまた別問題だ。

急に態度を変えたことも周囲を戸惑ませている要因だが、真意を探ろうと慎重に観察している生徒が多かった。

入学した頃の深雪を知っている生徒の中には、今回も何か我慢しているのでは、と心配している者さえいた。

今まで深雪が、慕われてきた証拠だろうな。

そう思うと誇らくもある。

 

「お前は頑張っているよ」

 

抱き込んで、頭を撫でる。

今夜もしっかり手入れをされた髪は手触りが良く、いつまでも触れていたい。

しかしながらこれ以上を望むのは、今の深雪を困らせることになる。

今はこうして安心して身を預けてくれていることだけでも満足しようではないか。

 

(――このまま、俺に依存してくれたらいい)

 

そうすれば深雪は俺から離れていけなくなるだろうに。

 

「俺はこうしてお前を慰めることしかできないが」

「何をおっしゃいます。しか、などではありません。十分助けられております」

「そうか」

「そうですとも」

 

腕の中で安心してくすくすと笑う深雪をさらに強く抱きしめて、笑い合う。

早く堕ちて欲しい、とも思うが、こうした時間も愛おしい。

 

「さ、今日はもう休もう」

 

そして今夜も部屋の前まで送り、キスをする。

薄っすらと深雪の瞳に映る色を確認して別れるのだが、徐々にグラデーションが濃くなっていることにその日が近づいてくるのを感じ、高揚感を覚える。

待ち遠しいと期待する。

以前、九校戦でモノリスコードに参加した際、深雪はワクワクしているかと問うた。

あの時はそんな気がする、程度だったが、今は非常にワクワクしている。

 

(ああ、楽しみだ)

 

明日はどんな反応を見せてくれるだろう。

次の日が楽しみだなんて、まるで子供のようなことを思っている自分がおかしかった。

 

 

 

そういった生活が続き、ついには深雪の体調にも変化が表れるようになる。

 

「・・・少しやつれたな。水波からも言われたんじゃないか」

「水波ちゃんも優しくて。私にはもったいないくらい」

 

話をすり替えようとしているのか水波を褒めるが、それで誤魔化されてやれる範疇ではない。

美しさに翳りはない。むしろアンニュイな雰囲気が心をざわつかせるのだが、それは今は置いておく。

 

「お前が頑張るというなら応援する。・・・だから、辛くなったら隠さないで欲しい。俺は、お前の味方だからな」

 

あの日の、深雪の言葉を引用する。

絶対に俺の味方でいてくれると言ってくれたあの言葉を。

だから大丈夫だよ、と包み込むよう抱き込んで、背を撫でる。

 

「・・・ありがとうございます、お兄様」

「礼なんていらない。したくてしていることなんだから」

「それでも私が救われているのですから、受け取ってくださいませ」

「そうか。なら、遠慮なく」

 

常になく強く抱きしめると、苦しいだろうに拒絶されることは無かった。

すぐに放したが、抱きしめた際の「うっ・・・」、と漏れた声が妙に耳を離れない。

だが、目の前の深雪の笑みに安堵が見て取れて、これでよかったのだと納得させた。

儚くも美しい深雪もまた大変魅力的であったが、こんな不健康な状態は早く終わらせてやりたい。

幸せそうなあの笑みが彼女の魅力を最も引き立てる。

 

(二人きりの世界も捨てがたいが)

 

どうやら自分の世界は深雪の言う通り、わずかながらも広がったのだろう。

仲間たちの笑みに囲まれた深雪の笑顔が懐かしいと思った。

 

 

――

 

 

それは、予感というものだったのかもしれない。

翌日、三人で登校すると校舎に向かう途中に立ちふさがる六人の姿があった。

中央のエリカが不敵に笑いながら挨拶してきた。

魔法の気配は何もなく、古式魔法の自然に溶け込むようなサイオンの動きも見当たらない。

警戒は怠らないが、彼らが攻撃を仕掛けてくる可能性は限りなくゼロに近い。

深雪を守る立ち位置から声を掛ける。

 

「おはようエリカ、皆も。勢ぞろいでどうしたんだ」

「ちょーっとね、文句の一つでも言わないと、てね」

「待ち構えてまでか?」

「こうでもしないとお二人揃ってお目に掛かれないから。そこにいる生徒会長サマには特に、ね」

 

それはそうだろうな。

深雪は徹底的に関わりを避けてきた。

俺個人であれば簡単に捕まえられただろうが、二人揃ってとなると昼休みくらいだが、彼らも注目されていたので動くに動けなかったのだろう。

しかし、こうして前に現れたということは、時節が来た、ということか。

名指しをされた深雪が冷ややかな態度で睥睨してみせるとほのかと美月が肩を震わせたが、エリカはどこ吹く風といった様子で構えていた。

 

「――なんでしょう。あまり時間もございませんので手短にお願いしたいのですけれど」

 

凍てつく声にははっきりと拒絶が見て取れたが、これで怯むようではここに立っていないだろう。

できることなら正面からこの深雪を見たいものだが、この位置ならばカメラに映っているだろうか。後でピクシーに確認しよう。

エリカと深雪が対峙している間、登校中の生徒が集まってきた。

皆、好奇心を隠し切れないようで立ち去る者はいない。

 

「よぉくも騙してくれたじゃない」

 

切り込み隊長による一閃は、避けられることも無く見切られた。

淡々と彼女たちの追撃を予測済みだとばかりに弾いていく。

四葉であることを隠していたのだから騙したことにはなるのだろうが、そんなことをエリカは気にしていなかったはずだ。もちろん表面上は、だが。

それをわざわざ口にして、何のつもりだろうか。

幹比古は俺に向けて強い視線を向けてきたが、そこに悪感情が含まれているように思えない。

何か別のことを訴えるための言動か。

糾弾の形を取ってはいるが、どうにもちぐはぐだ。

これは一種のパフォーマンス、深雪と同じことを彼女たちもしているということなのではないだろうか。

打ち合わせなしの即興劇、というヤツだ。

立会い直後、深雪が期待に目を輝かせたのを俺は見逃がしはしなかった。

ヒートアップする彼女らの攻防に周囲の観衆が一斉に息を飲んで見守りながら、この劇に魅入っていた。先に登校していた生徒たちも校内からもパラパラと出てきては見逃せないと観衆の円に加わる。

全校生徒がここに集結しようとしていた。

 

「四葉ということを黙っていた、その件に関しましては家の事情です。謝罪することはできませんが、そのためにあなた方一般の方々を利用したことにつきましては、手紙にも記した通り、申し訳なく思います。ですが、四葉と知られたからにはもうこの関係を続けることは無意味でしょう」

「む、無意味って、そんな言い方!」

「ほのか」

 

脚本はない。演技の部分などほんの僅かだとほのかたちの態度が示していた。

彼女は本気で今の言葉に憤りを覚えている。

それを止めた雫も何も思っていないわけではないようで、それ以上は言ってほしくないと視線を強めて無言で訴えていた。

 

「騙していたという用件がその件に関してだとしたら、これ以上話すことはございません。失礼いたします」

 

これ以上の問答は無駄だ、とバッサリ切り捨てこのまま決裂かと思われたところで、エリカのドスの利いた声が深雪を引き留める。

 

「――そんなことどうだっていいのよ」

 

おふざけの消えた雰囲気に緊張感が一気に高まった。

主役たちを食い入るように見つめてごくり、と唾を飲み込む音がそこかしこから聞こえた。

 

「私たちが騙されたって言いたかったのは四葉ってことを隠していたことじゃない。アンタたちが兄妹じゃないって、そっちの方よ」

 

(確かに、エリカは何を騙したかなんて一言も言っていなかったな)

 

幹比古たちの誘導によっててっきりそのこととばかり思いこんでいたが、そちらのことだったか。

虚を突かれた、といった様子で深雪の動きが止まった。

深雪が動けないなら、俺が動くべきだろう。

 

「エリカ、それに関しては俺たちも先日聞かされるまでは知らなかった事実だ」

 

しかし、この言葉は思いのほか威力を持っていたらしい。

 

「え!?知らなかったの?!」

 

知らなかったというか、そんな事実は実際ないのだが、戸籍上代わったのは事実。

 

「何をそんなに驚くのかわからないが、俺たちはずっと正真正銘兄妹として暮らしてきた」

 

そしてそれに関してはこれからも変わらない。ただそこに婚約者という関係が上乗せされるだけだ。

まあ、それが「だけ」、というほど軽いものでもないのだが嘘は言っていない。

悪びれる必要も無く堂々と答えれば、何故か彼ら一同驚愕の表情を浮かべていた。

そんなに驚くことか?

 

「じゃあ、何?あれは本当に兄妹だと思って・・・?」

「・・・嘘でしょう?」

 

どう見ても仲の良い兄妹だっただろう。エリカたちだって変な、と付けつつも認めていただろうに。

そこで水波が何かを思いついたらしく、深雪に促されて仮説を説明する。

曰く、

 

「その、達也様方お二人の学校での様子は元々兄妹と呼ぶには仲が睦まじく、度を越えているように見えたのは、実は兄妹ではなく元から婚約者として将来を約束された関係であったからではないかと疑われているのではないか、と」

 

というものだったのだが、それを疑われたとしてなんだというのか。

兄妹ではなく従兄妹同士と知った上で婚約者として生活をしていたとして、それがどうして騙されたと憤ることに繋がるのか。――唯一考えられるのはほのかの気持ちを弄んだ、という件だが彼女からそれに対しての恨みを感じないのはおかしいと思われた。

 

「ほぼそんなところね。違うのは二人が付き合っているとまでは考えてなかった、という点と――深雪は知らなかったんじゃないかってこと」

 

纏めると俺だけが従兄妹であると知り、婚約者になる可能性を深雪は知らなかったということになるのか?

 

「それはほぼ違っているということになるんじゃないか」

 

水波の推理は外れていると思うのだが、何故ほぼ同じになる?

だが、そこはどうでもいいと切り捨てられた。

 

「肝心なのは達也くんが兄妹だって言ってたくせに深雪にベタ惚れで周囲にけん制しまくっていたじゃない?初めこそ兄妹なんて嘘でしょ、って思うくらいべったべたで胸焼けするようないちゃつきっぷりで。なのに達也くんは兄妹だって言い張るし、深雪に至っては仕方がない兄だって受け入れてるし。ぶっちゃけ達也くんだけだったらそんなウソ信じなかったわよ。あんな兄貴居てたまるか!って。

で、実際兄妹じゃなかったって聞かされたときの私たちの気持ちわかる?それ見たことか!ってね」

 

エリカは感情を爆発させたように文句を上げたが、嘘だと言われても兄妹であることは事実だし、深雪の婚約者の話がされるまで自覚すらしていなかったというのになぜこうも一方的に詰られなければならないのか。

 

「・・・いや、それ見たことかも何も、俺は深雪の兄貴として接していたつもりだが」

「いーや!あれは兄貴じゃない!!」

「具体的に何がそんなに兄貴としてダメだと言うんだ?」

 

この言葉に、爆発を超えた大噴火が待っていた。

 

「兄貴ってのはそもそも妹を愛おしくて仕方ない!なんて愛でたりしないのよ!!」

「・・・ブラコンだから仕方ないと言っていたじゃないか」

 

言いながらも、確かに兄貴は妹を異性として見ることは無いかとも思ったが、仕方がないだろう。

何せ妹が絶世の美少女だ。勘違いを起こしてもおかしくない、妹であっても見惚れないわけがない美貌を持っていたのだから。

この愛が兄妹愛だけでないなど、自覚できるわけがないとの言い訳は今言ったところでどうにもならないだろうから内に秘めておく。

 

「あれは漫画の世界だから許されるのよ!現実にあってたまるもんですか!!」

 

エリカにとってブラコンという言葉は地雷でもあったらしく、足を踏み鳴らして抗議するが、現実に無いと言われてもな。そもそも一体何に許されないというのか。

だが、ここで静観していた深雪が動いた。

 

「千葉さんのおっしゃる騙された、という発言ですが、達也様は本当にご存じありませんでした。言いがかりはお止めくださいませ」

 

ここで初めて、彼らの前で呼び方を変えていたことが明かされ、眉を顰める者、目を丸くする者と反応が分かれた。

そこから俺たちの表向きの立場、魔法力も無い当主の息子と優秀な次期当主の婚約者同士、という関係性を深雪が臭わせ、またも空気が硬くなりだしたところで、今度はレオと幹比古がぶち破る。

 

「ぶっちゃけると、俺らは疑ってたんだわ。あんまりにも達也に都合のいいように動いているからよ」

「・・・秋の京都でのあれらは四葉での仕事だったんじゃないか?僕たちは達也に利用された。違うかい?」

 

どうやら彼らは俺がずっと以前から深雪に懸想して手に入れる為計画を立て、難易度の高い任務を成功させた功績として婚約者の座を無理やり手に入れた、という筋書きを考えているらしかった。

・・・あれしきの任務で深雪を手に入れられるというのなら、どれほど楽なことか。

言うほど簡単な任務ではなかったが、だとしてもそんなもので深雪を手に入れられるわけがない。

 

「だったとしても俺のような下っ端の人間が願ったところで到底手が届かない高嶺の花だぞ」

「ま、その辺は想像よ。当主の息子なんだから融通も利いたんじゃないの?」

「強引だな」

「そもそも達也が下っ端って言うのが信じられないんだがな。実力主義なら達也はトップクラスだろ」

 

四葉ってのはそんなにすげぇ奴らばっかなのか?との言葉に、謙遜なしで言えば他家に比べて実力は群を抜いているが、単純な殺し合いであれば俺一人の圧勝だろう。

純粋な能力のみで俺と対戦で勝てるとしたら深雪くらいなものだ。

 

「達也くんはご実家では異端扱いで、当主の息子だってのに四葉として認められてないとかあったけど」

 

手紙の内容は聞かされていたが、中身を見たわけではない。そんな風に書かれていたのか。

だが当主の息子とは書かれていなかったはずなので、エリカが勝手に組み合わせたのだろうが、間違ってはいない。

俺は四葉直系の生まれでありながら、生まれたことを親族から疎まれ、魔法力が無いと蔑まれ、ガーディアンという低い身分を与えられていたのだから。

 

「それが何か?おかしなことではないでしょう。この世は魔法力で判断される。二科生でも入学がギリギリの魔法力しかないのであれば如何な当主の息子だろうと四葉は実力主義の一族。魔法の使えない魔法師に価値はありません」

 

深雪の言葉は入学当初のこの学校で一科生と二科生をブルームとウィードで分けていた頃の思想と変わらないよう聞こえただろう。

実力とは魔法力がものを言う。イレギュラーはそこに含まれない。

ほのかが反発して騒ぐが、彼女とて入学した時は無意識にそう思っていたはずなのに。いや、むしろだからか。

周囲もほのかに賛同するよう頷いている。深雪の起こした改革はうまい具合にしっかり根付いていた。

 

「続き、と言われましても四葉ではそれが全て。他家がどのようかは存じませんが、我が一族は達也様に対し、いくらその他が優れていようとも受け入れがたい、というのが現状ですので」

「ふぅん、実力主義ってわりに脳みそ固いんだ」

 

深雪の言葉を不快に感じる人間からの不信の視線を感じるが、深雪自身が魔法力の無いものを見下しているわけではなく、一般にどう思われるかということを述べているだけなのだが、それも話が進めばわかることだろう。

 

「じゃあよ、ならなんで次期当主の深雪さんと、落ちこぼれの達也が結婚するっことになるんだ?さっきも立場がどうのって言ってたけどよ」

「レオ、それはウチの事情に突っ込み過ぎじゃないか?」

 

核心を突くのは相変わらずか。だが、これ以上踏み込んでも応えられるものは何もない。

 

「ウチのったって、今の話じゃ達也は四葉に認められてないんだろ?それだったら達也が次期当主の婚約者っておかしくねぇか?」

「当主の血縁関係を切り捨てられないだけだろう。一番近いのが俺で、次点が深雪だからな」

 

とは言ってみるものの、そんな理由であればどれほどよかったか。

世界への復讐の為、なんて誰が理解できるというのか。納得できる者なんてこの世界にいるのかどうか。

 

 

 

――

 

 

「そういうことで、もうよろしいかしら?」

 

これ以上は付き合いきれない、と深雪が話を切り上げた時だった。

今まで大して動きを見せなかった雫が前に出た。

婚約の理由を聞きたい、とのことだが話せば事態はややこしくなるのは明白。

 

「家庭の事情だ」

「つまり、無理やり婚約させられたってこと?」

 

強制的ではあったな。それも、生まれた時からすでに計画されていたという。この計画の為だけに一体どれだけの労力と資金がかかったのか知らないが、途方もない計画だ。

 

「当主のご判断ですので」

「四葉の決定に、ケチをつけたところで得などないと思うが」

 

これ以上この件に触れてほしくはなかった。

彼らにまで邪魔をされることは無いとどこかで思っていたのだが、それが甘い考えだったというのなら俺は彼らを――

 

 

「――恋が、損得で簡単に割り切れると思わないでください!」

 

 

思考を断ち切ったのはほのかの悲鳴にも似た悲痛な叫びだった。

周囲の視線が彼女に向かう。俺でさえ気づく彼女の恋心は生徒間でも有名であった。

だからこの数日間、彼女に向けられた視線は誰よりも居心地の悪いものだっただろう。

その不満ごと一気に爆発したような声だった。

だが、深雪はそれをほのかの事情とバッサリと切り捨て、更に俺にこの場に残ってけじめを付けろと言って水波を伴い去ろうとするが、ほのかは俺にではなく深雪に食って掛かる。

 

「深雪!私には貴女に聞かなきゃならないことがある!貴女は達也さんのことどう思っているの!?」

 

この問いかけに深雪は次期当主の司波深雪の顔をして答えた。

 

「将来結婚するお相手。――これでよろしいかしら」

「よ、よくない!それは結果でしょ。どう思っているかを訊きたいの!」

「具体的に好きか嫌いか、はっきり言って」

 

まるで望んではいないように聞こえる言葉に傷ついてもいいはずなのだが、ぞくり、と身体が震えて高揚しそうになるのは何だろうな。

雫からの援護射撃もあり引き留めることには成功した。

深雪は気分を害するも突き放すのは言葉だけ。

 

「それこそプライベートなことなのでお答えする謂れは無いと思うのですが?」

「じゃあ、ずるい言い方をする。ずっと騙されて利用されてきたんだから、それくらい教えて」

 

雫の踏み込んだ言葉に、深雪の心が揺れたのを感じた。

一体何を思ったのか、それは俺にはわからない。だがなんとなく喜んだように感じられた。

深雪にとって雫は特別な友人のようだった。だからだろうか。彼女の言葉に揺れ動いた事実が面白くない。

 

「お慕いしております――これで解決かしら」

「それは、お兄さんとしてじゃないの?」

 

その言葉は俺の心にあった棘を深く押し込んだ。

深雪にとって俺はまだ、兄でしかないのかもしれない、と。

好かれていることはわかる。愛されていることも十分理解している。

日々彼女に俺を求める色が宿りだしていることがわかっても、まだ言葉を貰ってはいない。

 

「――達也様は従兄であり、婚約者です」

 

温度の無い声が、先ほどまでは平気であったのに心を乱す。

 

「でも深雪はずっと兄だと思ってた。・・・深雪も、達也さんも知らなかったんでしょ」

 

誰よりも兄妹であることがわかっていて婚約できるなんて未来を知るわけがない。

 

「確かに、俺たちは兄妹として育った過去は変えられない」

 

そして兄妹という事実は不変、生涯繋がったままだ。

 

「深雪はそれでいいの?」

 

それは深雪を案ずる言葉。

深雪はしばし黙った後、単刀直入に彼らの目的を訊ね、その真意を知る。

 

「深雪、アンタ達也くんに騙されて婚約させられてんじゃないかってこと」

「・・・・・・・・・意味が、分からないのですけれど」

 

大丈夫なの?と心配だと声を掛けられ、予想外の返答を食らった深雪は戸惑っているようだ。

だが、続けられた言葉に、年末の食事会が過る。

 

「ずっと達也くんが誰と恋をするのか楽しそうに見守っていたアンタのことだもの。どうせその相手が自分になるだなんて思っても無かったんでしょ」

 

――そんなことを思っていたなど知らなかった。

年末の晩餐会でも勝成さんとの婚約を考えていたこともそうだが、深雪がいかに俺の幸せを願って四葉から出すためだったとしても、深雪にとって対象外と言われているようで気分は良くない。

普通に考えて兄は恋愛対象外であることくらいわかっている上に、そもそも俺の願いを知らず、俺自身も自覚していなかったのだから仕方のないことなのだろうが。

・・・その辺りあとでしっかり話し合う必要がありそうだな。

 

「深雪が、達也さんのことを大事に思っていたことは知ってる。いつだってお兄さんのことを第一に考えてたのも。・・・私はずっと見てたから」

 

わざわざ兄と言い直す雫の発言も引っかりを覚えるが、何よりもずっと見ていたとの言葉の方が重要に思えた。

深雪にとっても特別な親友のように、雫もほのかとはまたベクトルの違う友情を抱いていたようだ。・・・それは本当にただの友情だろうかと疑いたくなるのだが。

 

「その見ていたものは虚像だった、と理解されたらいかがです?」

 

今までが演技だったのだと突き放すように言う深雪だが、これに対し即座に否定とその理由をそれぞれ述べられていた。

 

「「「「「「それは無理」だ」です」よ」だよ」」

「深雪さん、いつもあんなに楽しそうだったじゃないですか。幸せだって、言って、笑っていたじゃないですか」

「あんな嬉しそうにされて嘘でしたー、なんて、信じられるわけないでしょ」

「たとえ深雪さんが演技してたんだとしても、達也はそんなに器用なやつじゃねぇよ」

「興味の無いことには取り繕うことさえしない達也が、深雪さんのことになると表情が豊かになるのは皆が知ってることだから」

「達也さんが深雪を大事にしていたように、深雪も大事にしていたの、ずっと見てきた。苦しかったけど、親友と好きな人が幸せそうだったから、嫌って言えなかった」

 

誰もが確信をもってありえないと断ずる。

しかし、根拠に俺を上げられるのは複雑だが俺にそんな器用さが無いのは事実だ。

 

「――だけど、深雪の言うことも嘘じゃないんだよね」

 

この言葉に、今まで堪えていた深雪がピクリと反応した。

 

「深雪はこんな時でも嘘をついてない。誠実であろうと真実だけをしゃべる。・・・そんなところも好きだから、秘密にしてたけど、約束を破るよ。

 

 

――お兄様、なんでしょ。深雪はあの日、教えてくれた。いつもそう呼んでるって」

 

あの日、がいつのことを指しているのかを知らないが、兄さんと呼ぶことを徹底していた深雪にとってそれは秘密の告白に他ならない。

そんな秘密の約束を交わすほどの間柄だったことに、こんな時だとわかっていても雫が羨ましく思う。

 

俺は兄であって、父親代わりになることはできても、

イレギュラーで婚約者となり、いずれ恋人に成れたとしても、

――けして友にはなれない。

 

俺にとって深雪は庇護する対象であり、対等に並び立つことは無いのだ。

重大な秘密を打ち明ける特別な関係。

そんなもの、初めから共有しているのだからわざわざ打ち明けられることではないとわかっていても、それでも雫に羨望を、そして嫉妬心を抱いてしまう。

 

「あの時は言葉の意味がさっぱり分からなかった。でも、深雪が達也さんのために頑張っていることだけは伝わってた。だから今回の通達の内容を聞いて、真っ先に深雪が言いたかったのはこのことだったんだって繋がった。

――ねえ、教えて。深雪の努力は報われた?達也さんは救われたの?」

 

その秘密を打ち明けられたのがいつのことで、何を話したのかわからない。

最近の話ではないのだろうことは分かる。

そんなに前から雫と――と考えたのを切り替えて今導き出すべきことはそんな頃から深雪は布石を打っていたということ。

雫の口が堅いことを見込んで秘密の保持者に選んでいた、と。

 

(見ていなくても伝わってくる。深雪の心の揺らぎが)

 

自身の計画が思い通りにいっていないから答えに詰まっているのか。はたまた彼女にとってまだ俺は救われていないことになっているのか。

深雪にははっきり言わないと伝わらないのだろう。

 

「――雫が深雪から何を聞いたかは知らないが、俺はとっくに救われている」

 

息を詰めた深雪と視線が合った。

先ほどよりも大きく反応してもらえたことが些細なことだが嬉しい。

 

「深雪が努力をしてくれたから、俺を気にかけてくれていたから、俺は今十分すぎるほど幸せだ。これ以上望むことなどない最良の結果だ」

 

とっくの昔に救われている。

深雪がいてくれたからこそ俺は生きてこられ、深雪が寄り添ってくれたから満ち足りていた。

そしてこれからもずっと一緒にいられる未来が開いた。

現段階でこれ以上幸せなことがあるだろうか。

 

「・・・そりゃあ、達也にとったら最良の結果だろうさ」

「最愛の妹が実は兄妹じゃなくて従兄妹で、その上自分の出自上婚約を許される立場だった、なんて出来過ぎでしょ」

「夏の同人誌の内容そのままではないですか」

「シナリオをそのまま使ったんじゃないだろうね」

 

深雪と見つめ合い、このままキスくらいできるのではと手を伸ばそうとする前に邪魔が入った。

だが、なるほど。ようやく合点がいった。

彼らが何を危惧し、糾弾しに来たのかを。

彼らは深雪が四葉の思惑に嵌められて思ってもいなかった婚約をさせられ担ぎ上げられているのではないか、と心配していたのだ。

そしてそこに元から恋心を抱いていた俺が便乗しているのではないかという疑いをかけて。

 

(すごいな。思い描かれているものに違いはあるだろうが大枠は合っている)

 

ただ、そこに俺たちがそこまで不満を抱いていないというだけ。

深雪の描いたシナリオは崩れたが、一番の目標達成には一気に近づいたのだから。

 

(実質目標などとっくに達成され俺はずっと幸せだった)

 

そこに一生添い遂げる約束を、大手を振って交わすことができるようになったことが追加されたことで、次の目標まであと数年で達成できる予定だ。

 

(どんな困難が待ち受けようが、必ず守り通して見せる)

 

だからまずは、この状況を治めよう。

深雪の守りたいものもすべて、守ろう。

 

「皆がやたらと深雪から聞き出そうとしていたのは、深雪を心配して、ということだな」

 

俺には深雪のように演技はできない。だが、話の誘導くらいはできる。

 

「つまり皆はこう言いたいわけだ。深雪が俺に騙されて本人の意思に関係なく無理やり婚約を結ばされているんじゃないか、と。俺が裏で秋の件で褒賞として深雪との婚約を勝ち取ったのではないか、と。それを当主の命だということで仕方なく、従っているふりをしている。そういうことだろう?」

「達也くんの普段の策略っぷりを見てるとそれくらいやりそうってね」

 

俺の策略くらいで深雪と婚約できるならどれほど楽な一族だろうか。

だが、そう思わせておくことで四葉を侮ってもらえるなら黙っておくか。

恐怖が油断で薄まることは、以前深雪と見たホラー映画で学んだ。あの時の深雪は一つ一つの演出に怯えて可愛らしかった。

 

「・・・無理やりも何も、何度も言いますが達也様との婚約は四葉家当主の意向です」

 

次期当主の婚約に本人の意思が尊重されるというのは珍しいのではないだろうか。大抵家の意向が絡むはずだ、と深雪は考えているのだろうが、今話しているのはそこではない。

どう伝えたらいいんだろうな、と悩む間はなかった。

 

「あのね、深雪。落ち着いて聞きなさい。達也くんはね、重度のシスコンだと思い込んでいたようだけれど、ずーっと、深雪のことが好きだったのよ」

 

俺が如何に深雪を好きで、深雪の意思を無視してでも策略を仕掛けそうなくらい執着していると見られていた、と。そういうことだろう。

流石に俺も三回目ともなれば分析もできるというもの。

どうやら自覚していなかっただけで周知の事実だったようだ。

エリカの指摘に、深雪は言葉を失い固まってしまっている。

先ほどまでの冷え切った空気も和らぎ、いつもの雰囲気が戻ってきた。

 

「やっぱり、分かってなかった」

「結構あからさまでしたよね」

「隠す気なかったよなー」

「俺たちは兄妹だぞ、ってどの口が言ってるのかと思ってたよ」

「・・・私は、その言葉だけに縋ってたんだけど、どう見ても達也さん、深雪のことしか見てなかったから・・・」

「深雪にはいくら注意しても兄さんだから、で流された」

「・・・まさかここでもそう思われていたとはな」

 

師匠でさえはっきりと言わなかったことを彼らは遠慮なしに暴露した。

見透かされていたことを二回も正面切って言われれば近しい彼らにも、と可能性は考えていたが、だからといって具体的に指摘されて冷静でいられない。

そんなにあからさまだっただろうか、と複雑な心境だ。

 

「・・・達也様?」

 

深雪が心配そうにのぞき込む。今この場で俺の心配してくれるのは深雪だけだ。

 

「一応ここでも弁明させてもらうが、俺が深雪に対しての想いを認識したのは年明けの数時間前だ」

 

この言葉にエリカたちは沈黙し、鳥の声が聞こえるほど静かな時間が流れた。

ここにはほぼ全校生徒が揃っているのに衣擦れの音さえ聞こえない。

いい天気だな、と空を見上げると、絶叫が響き現実に引き戻された。

全員が信じられないような顔をしているが、心境はこちらも同じだ。信じたくなかった。そんなに俺の気持ちとやらはバレバレだったのだろうか。

 

「俺は隠すも何も自覚さえしていなかった」

 

もう一度静寂が訪れたが、今度は先ほどより短かった。

はあああ!?との叫び声が上がるが、周囲の生徒たちのどよめきもあって一度目よりも小さく聞こえた。

 

「嘘だろう!?」

「自覚、してなかったって、あれだけ独占欲をむき出しにしていたじゃないか!!」

「仕方ないだろう。俺たちは兄妹として育ったんだ。兄が妹を、なんて普通じゃないだろう」

「「達也が普通を語るな!!」」

 

レオと幹比古が非難の視線で訴えてくるが、正論を言ったら怒られた。

人は正論をぶつけられると逆ギレをするというが、それか?何か違う気がする。

 

「え?嘘ですよね、本当に自覚なかったんですか?」

「じゃあ、どうやって婚約にこぎつけたって言うのよ」

「何度も言っているが、当主の意向だ」

「・・・息子の恋を叶えてあげたいって親心?」

「そんな甘いことを考える家だと思うか?」

 

四葉が子供の恋を叶えるためだけに戸籍改竄まで協力すると思うか?

そんな家、どこを探してもないだろう。

 

「・・・・・・じゃあなんだってそんな達也くんに有利なご都合主義が起こってんのよ」

「そんなこと聞ける立場でもないから知りようもない」

 

全てが仕組まれた通り、のはずがない。

いくらあの人の計画通り遺伝子操作ができたとしても、戸籍が改竄できても俺たちの感情までがあの人の思い通りになっているなど、あり得ない。

特に、俺の感情については母深夜の魔法の影響により他の干渉を受け付けるはずがないのだから。

唯一残された兄妹愛が変異することなども本来ありえなかったはずなのだ。

それしか残されていなかったはずで、それ以上になるなどありえないことだった。

 

「深雪、大丈夫・・・?」

 

雫の指摘に全員はっとなって深雪を見るが、もう、彼女の仮面は剥がれ落ちているところだった。

 

「なにが、なにやら・・・。皆さんは、私たちに聞きたいことがおありだったのではないですか?」

「ええ、そうよ。でも聞きたいことっていうか、正確には文句ね。――深雪をだまくらかして手に入れてゴールしようとしてるんじゃないわよね!って達也くんに」

「・・・私を、糾弾するつもりでは・・・?」

 

深雪の計画では自身を糾弾させて、と入学時の二番煎じを演じる予定だったのだろう。

だが、その目論見は大いにはずれだったようだ。

 

「なんでよ。そもそも深雪を糾弾なんてする必要ないもの」

「どうしてです?私はあなたたちを騙していたのですよ?文句の一つや二つくらいは覚悟していたのですが」

 

全く。深雪は本当に優しすぎる。

人はこれを甘いというのだろうが、そこが彼女の愛おしい所だ。

そしてエリカは深雪の考えていることなど見破っていたこと、婚約した事情は深く知ったらまずそうだから聞かないと言い、深雪もそれがいいと肯定した。

こういうところの危機察知能力の高さは一級だと感心する。

 

「四葉四葉って。いい?私たちの友人は司波達也と司波深雪であって、四葉の次期当主や当主の子息なんかじゃないの」

「肩書を無視できる年齢はもう過ぎましたでしょう?」

「年齢?知ったこっちゃないわね。私はしたいようにするわ。利用できるものは何でも利用するし、都合の良いように見ない振りもする」

「そんな勝手が許されない世界だと知っていて、そのような戯言を?」

「もし災難が降りかかるなら自分で払うまで。私はそうしてきたし、これからもそうするつもり。――だから、いいのよ」

 

そう言って、エリカは一歩、また一歩と深雪に近づいた。

背後で水波が動きかけたが、それを制す。

 

「アンタが急に四葉家次期当主らしく振舞ってるのだって、ウチの生徒を守るためでしょ、四葉に怯えて可哀想な一般生徒ってことにしておけば無駄に四葉を恐れている周囲に同情を向けられて四葉関係者のように見られないようにするため。

前の状態じゃ、慕っているように見えて四葉の傘下に入ろうとしているように見えるから周囲から異端視されることを危惧したんでしょうけど」

「想像力が豊かですこと。妄想も大概になさったらいかが?それは勝手な思い込みというものです」

 

再度被り直した仮面は罅だらけで脆かった。

 

「演技だって根拠を教えましょーか?――達也くんよ」

「・・・・・・どういうことです?」

「だって達也くんが、深雪が傷ついてるのを守ろうとしないなんておかしいもの」

「私は、傷ついてなんか――」

 

深雪がここで初めて嘘を吐こうとして言葉を詰まらせた。

いや、認めたくないのだ。俺にだって傷ついたなんて言わなかった。――大丈夫、計画通りだ、と頑なに傷を見せようとはしなかった。

ただ、疲弊していたことは隠さないでいてくれたので素直に甘えてくれただけ心を許してくれていたのだが、悲しみだけは見せてもらえなかった。

傷ついたと認めれば、こうして立っていられなかったのかもしれない。

 

「深雪が達也くんを避けることはできても、達也くんが深雪を無視することなんてできない。ましてや、深雪が孤立していることを静観しているなんて、まるで入学したての時のように、深雪が一人で奮闘しているのを応援しているって考えるのが自然じゃない」

 

違いない。

俺に深雪を無視することなどできるはずも無い。

それから美月、雫、ほのかも参加して深雪を包囲していく。

なぜ、クリスマスに手紙を渡したか。

なぜ、四葉と発表されて態度を変えたのか。

四葉の影響下でないことの証明まで小さな逃げ道も潰していく。

 

「四葉は恐ろしいわ。私たちはその世代じゃないから実際に怖さを知っているわけじゃないけど、親の世代がビビってるのは知ってるし、警戒しているのも知ってる。何をしでかすかわからない、って。アンタッチャブルなんて呼んで。魔法師と国を守る十師族に名を連ねていながらその両方から恐れられている、なんてどう考えても異常だもの。

だけどね、司波深雪を知っている私たちにあなたを恐れる理由は無いの」

「貴方達が見ていたものが虚像であっても、ですか」

 

先ほど否定されたことを忘れたわけではないのだろうが、もう気力が尽きたのだろう。

エリカの間合いが深雪を捉えた。

 

 

――

 

 

「いくらガワだけ取り繕ったって、中身が好きだって言ってんのよ」

 

 

 

その剣は、鮮やかな軌跡を描き仮面を真っ二つに斬り落とす。

 

「いくら言葉で武装していても、深雪さんは優しい人です」

「見た目とのギャップに時々びっくりすることがあるけどそこも良い」

「四葉が恐ろしいのは変わりない。でも、深雪も達也くんも私たちにとってはかけがえのない友人なのよ。勝手に奪おうとしないでよね」

 

追撃は彼女の心の武装まで剥がしていった。

エリカの手が深雪に届き、頭をくしゃりと撫でると大粒の涙がぽろん、と頬を伝うことなく零れ落ちた。

溜め込んだ量が多かったのだろう。

その後、静かに流れる涙が頬を伝っていく。

 

「まったく、泣き顔まで完璧ってどういうことよ。この絶世の美少女!」

「全然悪口になってねーぞ」

「しょうがないでしょ、悪いところが完璧すぎることなんだから」

 

ニカッと笑うエリカが新年の挨拶をし、レオが妙なところに引っかかってツッコんではエリカに怒られ、美月が真正面で言葉を受け取り慌てるのを幹比古がフォローを入れて、落ち込んだほのかを雫が支えて――もう、いつもの調子の仲間たちの姿がそこにあった。

 

「――き」

 

いつもの気の抜けた会話を目の前で繰り広げるのを、眩しそうに見つめる深雪がうっすらと口を開いたかと思うと押しとどめていた感情が漏れ出た。

言うつもりはなかったのだろう、それは本当に小さな一言で誰もが聞き取れなかったようだが、聞き逃すことは無い。

 

(終幕したというのならもういいな)

 

深雪の肩を抱き、涙を拭ってやりながら深雪に魔法を掛けてやる。

 

「大丈夫、言ってごらん」

 

その言葉は彼女に息を吹き込み、滑らかに動かす。

涙を流したばかりの瞳は再び潤いを湛え、睫毛が動くたびに小さな雫を飛ばして煌めく。

上気した頬は白い肌によく映え、小さな唇は弧を描いて。

 

「みんな、だいすき」

 

全世界を魅了する笑みと素直な気持ちを乗せた透明な声で告白をした。

 

「「「「「「知ってる」」」」」」

 

観衆が惚けてしまっている中、彼らが至近距離で見惚れていたのは一瞬、気合をもって立ち直ると堂々と言葉を返した。

 

「よかったな」

 

深雪の喜びが伝わってきて、自身の頬が緩んでいるのが分かる。

これまで張っていた気が緩んだのか、身体の力が抜けて寄り添うように身を預ける深雪と視線を絡ませていると、エリカがつかつかと深雪の下へ近寄って小声で耳打ちした。

 

「次からはちゃんと事前に舞台に招待しなさいよね」

 

深雪の計画は思った以上に彼女にばれていたようだ。

そのことに深雪は悪だくみをしていると言わんばかりの表情で返すが、エリカも受けて立つ、と似た笑みで返す。

 

「一年の時にお兄ちゃん、なんて演出入れるくらいだものね」

「効果的だったでしょう?」

「本当、あくどいことを思いつく女王様ね。でも、善を振りかざす統治者より私は好きよ」

「私も、演出だって分かっていてもこうして舞台に上がってきてくれるエリカが好き」

「あら。なら私たち、両思いね」

 

心が通じ合った会話が微笑ましく思えたのだが、最後の言葉は聞き捨てならなかった。

顔が触れそうなほど近かった二人の距離を引き剥がす。

 

「ちょっと、達也くん。無粋が過ぎるんじゃない?」

 

無粋だろうが空気を読まないだろうがなんと言われて構わないが、この場を譲るわけにはいかない。

 

「エリカは俺のライバル、ということで良いんだな?」

「「はい?」」

 

エリカだけでなく、深雪も疑問の声を上げるが、これは宣言しておかねばなるまい。

 

 

「俺は今絶賛婚約者を口説き中なんだ。皆の知っているとおり(・・・・・・・・・・)俺は深雪に片思い中でな。深雪の許可を得てアタック中なんだ」

 

 

まだ、ただの形だけの婚約者であることを告げると全員絶句したのち騒ぎだした。

一番に動いたのは予想外だがほのかだった。

深雪を奪い取られる。

取られる前に行動を起こせなくはなかったが、今は流れに身を任せることにした。

 

「それで、どういうこと、達也さん」

 

雫から睨まれるが、そのままだ。

 

「俺は年末、深雪に恋をしている自覚を持ったが、さっき皆が心配していたように深雪にとって俺はただの兄貴でしかなかった。だから恋をしてもらえるよう誠意努力中なんだよ」

 

だから、どうか邪魔をしてくれるな。

丁度ここにはほとんどの生徒が揃っている。これは学校全体に向けた宣戦布告でもあり、牽制だった。

 

「そりゃあ・・・」

「ヤバいわね・・・」

 

流石直感の鋭い二人が真っ先に危機感を覚えたようだった。

 

「一応学校では禁止になっている」

「禁止って深雪さんから?」

「いや、学校側からだな。節度を保て、と」

「「「「「ああ」」」」」

 

これも伝えておかないと勘違いをする輩が出るかもしれないのでこの場で公表しておく。

節度を保つことで兄妹の時より関係が悪くなったと勘違いされ、アタックする奴が湧かないとも限らない。

できることなら四六時中傍で牽制したいものだが、それでは深雪も困るだろうからやらないが。

俺にだってそれくらいの常識も良識もある。

 

「それは賢明な判断だわ」

「学校で風紀の乱れはいかんよな」

「北山、北山さん、今からでも委員長代わらないか?代わってください」

「やだ」

 

風紀委員長である幹比古が雫に座を譲ろうとするが素気無く断られていた。

 

「だって、さっきもナチュラルに肩抱いてた」

 

・・・待て。肩を抱くのも節度のない行動になるのか?

五十里先輩は、抱きつかれていたりしたはずだが。

 

「お兄様、ダメですよ。節度は守りませんと」

「泣いた深雪をそのままにするわけにはいかなかったんだ」

 

帰ったらどこまでが許されるか再度確認が必要だな、と考えながら従順に頭を下げておく。

 

「仕方が無いですね」

 

優しく諭すように注意する深雪も可愛いな。

深雪にならいくら注意されても全く不快になることはないだろう。

甘すぎ、とエリカから忠告されるがそうかしら?と小首を傾げる。

 

「なんか、敬語でお兄様って聞き慣れないかもって思ったけどすごいしっくりくるな」

「本当、これが自然ってくらい」

「俺にはどちらでも構わないんだがな。もちろん、お兄ちゃん呼びもまたやってもらいたいものだが」

「達也様、調子に乗りすぎです。深雪様からお離れ下さい」

 

深雪の腰を引き寄せようとしたら今度は水波が物理的に叩き落としてきた。

水波はその立ち位置に立つつもりか。

しばし視線をぶつけ合うが、引く気はないようだ。

 

「ありがとう水波ちゃん」

「・・・私も、水波と呼び捨てで構わないのですよ」

 

そしてちゃっかり要望を入れるが、それはおそらく叶わないだろう。

四葉家次期当主としてならそうなるだろうが、学校や友人の前などの内々では深雪にとって可愛い妹分であることは変わりないからな。

しかし、ここで俺が引き下がりでもしたら学校で水波にずっとブロックされ続けるということか?

 

「水波」

「達也様は節度をお守りください」

 

節度のマニュアルでもあるのだろうか。水波のは相当チェックが厳しそうだ。

 

「なんつーか、さ。四葉ってそんなに怖いモンなのか?」

「口酸っぱく気をつけろって教わったんだけどね」

「僕なんて名前を聞いただけで震えるくらいには怖い存在だったはず、だったんだけど」

 

なんて話に、さっそく深雪の計画の効果が表れ始めたようだ。

緊張が和らぎ、年末のような明るさを取り戻したところで予鈴が鳴り、全校生徒がここにいる状態にパニックが起こるのではと思われたが、幹比古が動くより早く深雪が振動系魔法で自身に注目させると的確に指示を出していく。

動揺していた生徒たちだったが、深雪に向けての不信感などもう見えなかった。

 

『はい、女王陛下!』

 

一高はどうやら本当に一国家となったらしい。

女王の指示に従い順に校舎に入っていくのを見送っているとエリカから声がかかる。

 

「達也くん、深雪」

 

同時に振り替えると笑みを深くして、

 

「これからも、よろしくね!」

 

――ああ、本当に恵まれている。

彼女だけでなく、皆笑みを浮かべて待ってくれている。

深雪と一瞬視線を合わせて返答した。

 

「ああ、よろしく」

「よろしくね、エリカ」

 

 

――

 

 

こうして、深雪主演による孤高の女王編は終わりを迎えた。

その日から昼食も皆で共にし、普通に授業を受け、放課後には各々クラブ活動や委員会の仕事に精を出す。

日常が戻ってきた。

泉美は深雪が笑みを取り戻したことに歓喜し、纏わりつくのをピクシーと水波にブロックされるというトラブルはあったがそれ以外は通常運転に戻った。

だが、しばらく駅まで一緒に下校する難しいと断った。

朝の登校時は複数の生徒がいるが、下校は時間もバラバラで生徒会役員はクラブ活動も終わった後に帰宅することが多い。

直接的に狙ってくるとは思わないが、学校が始まって一週間経っても視線はまだ多い。学内ならともかく学外での付き合いはしばらく控えた方が良いだろう。

現在、生徒会室の人間は深雪と自分のみ。水波は教室に忘れ物をしたと取りに戻っていた。

窓の外、下校する生徒たちを見つめている深雪に寄り添うように立つ。

 

「深雪の望んだとおりになったか?」

「はい。十分すぎる結果です」

 

嬉しそうに微笑む深雪を抱き寄せようとして、ふと思い出す。

 

「節度の定義が厳しすぎやしないか?」

 

肩を組むのも対象になるのかと不満を口にすると、くすくすおかしそうに笑った深雪の方から身を寄せられて腕に頭と肩が触れた。

 

「手を繋ぐくらいなら問題ないでしょうが、腕を組むのは如何なのでしょうね」

「それもダメなのか?」

 

流石にそれは冗談だろう、と訴えればどうでしょう、と楽しそうに笑う。

空元気ではない、自然な笑みに言葉とは裏腹に口元緩んだ。

 

「ですが、皆が優しすぎて少し心苦しくもあります」

 

窓に映る表情には笑みはそのままに、申し訳なさそうに眉だけが下がっていた。

嬉しいけれど複雑、といったところか。

 

「皆が優しいのは深雪が優しいからだろう」

 

そう言うと深雪の顔が直接こちらを見上げた。視線が絡み合う。

その美しいかんばせに引き寄せられそうになるのを堪えて自身の見解を答える。

 

「深雪が優しいから、その優しさに報いようとする。そういうことじゃないのか」

「・・・そう、だと嬉しいですね」

 

照れながら、擽ったそうに頬を緩ませる深雪が可愛すぎて我慢が利かずに結局抱き寄せてしまった。

 

「お兄様」

「まだ修行が足りないんだ」

 

咎める声に、すまない、と謝りながらも離さなかった。

まだ修行を初めて十日も経っていない。少しくらいは大目に見て欲しい。

 

「もう、お兄様ったら」

 

そう言って許してくれる寛大な深雪に感謝だな。もう少し力を込めて密着してから一つ気になっていたことを訊ねた。

 

「そういえば、随分と深いところまで話していたんだな」

 

何のことだろう、と見つめ返す愛らしさにこのまま愛でていたい気持ちもあるが、問いたださねばならない。

 

「雫とのことだ。俺にも隠していたことを雫には話していたんだな」

「あ、あれは!」

 

雫は知っていた。

深雪が何を願い、俺の為に何かしようとしていたことを。俺を救おうとしていたことを彼女はずっと前から深雪から聞いていたという。

 

「あれは、その・・・」

 

口ごもり、言い淀んで俯く深雪の頬に手を添え強制的に上を向かせた。

揺れる瞳がとても憐れで、そうさせているのは自分だというのに胸が締め付けられるようだ。

 

「二人きりの秘密だったのだろう。どんな状況でそうなったかは分からないが――とても羨ましいと思った」

 

そしてずるいと嫉妬した。

 

「子供じみた独占欲と思ってくれていい。深雪のすべてを知りたいと、俺が知らない深雪を他の誰かが知っていると思うと面白くないんだ」

 

今回の雫もそうだが、叔母上との関係も。

恐らくまだ知らぬ深雪の姿があるだろう。

好きな相手のすべてを知りたいなんて、傲慢な考えだ。自分だって見せていない部分があるというのにすべてを曝け出せ、だなんて。

だが、この正直な告白は深雪の心に届いたようで、顔が徐々に赤みを帯びてきた。

 

「俺も、二人きりの秘密が欲しい」

「お兄様と?それは一体・・・きゃっ」

 

深雪の体を抱き込んで窓の横の壁に回り込む。これで外からは見えなくなった。

元々視線など向けられてもいなかったが、隠れてこっそり、というのが秘密にとっては重要な要素だろう。

 

「学校内では節度を保たなければならないが、今、ここには二人しかいない」

 

ようやく俺が何をしたいか理解した深雪は今度こそ真っ赤に染まり上がったが、腕の中で小さな抵抗をする。

 

「でも、あの!ここにはピクシーが」

「ピクシー、サスペンドモードに移行しろ。すぐに起こすから再起動できるように待機だ」

「はい、マスター」

「お兄様!」

「これで本当に二人きりだ」

 

ピクシーが座った音で、観念したのか俺のジャケットを握りしめ、少しだけですからねと呟く。

 

「努力しよう」

 

 

 

その後ピクシーが起きた時には深雪がぐったりしていたのですぐにスキャンが始まり、そこに水波が合流し現状を一瞬で把握したのか一方的に責められたが、今日くらい浮かれてもいいだろう。

深雪の頭を悩ませる案件が一つ片付き、笑顔が戻ったのだから。

 

 

――

 

 

次の日の昼、深雪は豪華な昼食を用意し、その重箱を俺が運ぶことでこの一週間のことをチャラにしてあげる、と罰(運ぶだけの俺には罰とも呼べないようなものであるが)を与えられた。

真冬の屋上でシートを広げて弁当を囲む。

まるでピクニックだが、そう思えるのは深雪が冷気を遠ざけ春の温かさの気温を保っているからだ。

この複雑な魔法式を息を吸うように簡単だと言わんばかりに片手間でやってのけ、平然と微笑んで取り皿を配っている深雪に皆引き気味であったが、深雪だから仕方がない、と諦めて腰を落ち着けていた。

 

「深雪、嬉しいのはわかるが」

 

昨日もそうだが、こうしてまたみんなで食事できることが嬉しくてたまらないのだろう。

終始ニコニコと微笑む深雪が可愛らしいが、少々浮かれすぎだ。美月が直視できないと目を逸らし、レオでさえ頬を掻いて困っていた。

注意をするが、深雪も人目が無いことで抑えが利かないようだ。

 

「お兄様。皆で食べるときくらいはお許しください。私も久しぶりでテンションが上がっているのです」

「俺と二人の時より嬉しそうだな」

「もう、あまり意地悪なことをおっしゃらないでくださいませ。――お兄様は何か食べたいものはございますか?」

「深雪の作ったもの全て」

「あら、でしたら全部一つずつになってしまいますよ」

 

深雪の作ったものならば多少無理してでもすべて食べたい。

そう言えば、照れて頬を染めながらも嬉しそうに皿に盛りつけてくれた。

皿の上にのせられるよりも盛り付けているお前が美味しそうだ、とは流石に控えたが。

 

「・・・おいエリカ、邪魔するんじゃなかったのかよ」

「これ、邪魔しても無駄死にしそうじゃない」

「馬に蹴られそうですね」

「エリカ、頼むよ。手を出しそうになったら叩き落としてくれ」

「風紀の乱れを正すのはミキの仕事でしょ」

「僕の名前は幹比古だ!」

 

外野が騒がしいが、修行中のこの身にはありがたい。

他人の目があれば抑えが利くからな。

深雪が勧めたことでようやく食事に手を付け、美味いと絶賛の声が上がる。

そうだろう。深雪の料理は美味しいからな。

 

「あ~、この深雪を見ると戻ってきたって感じね~」

「あの四葉のご令嬢モードも素敵だったけど、やっぱりこっちがいい」

「ありがとう雫」

 

雫の言葉にも照れる深雪のはにかむ笑顔が可愛らしい。今は嫉妬よりもよかったなと思えるのは婚約者というより兄として隣にいるからだろう。

この切り替えが可能になったのは昨日の夜からだ。まだ完全ではないし、これからも完全なコントロールというのは無理だろう。深雪のことに関しての衝動が無くなることは無いのだから。

だが、こうして兄であることを強く意識することで深雪の喜びを自分の幸せと感じられる。

 

「ねえ、いつも四葉ではあんな感じなの?」

 

ほのかの質問は、あの時の澄ました深雪の態度についてだった。

一朝一夕の演技とは思えなかったということのようだ。

 

「え?あそこまで高慢ちきではないけれど、表情はアレをずっとキープしている感じかしら」

「疲れない?」

「疲れるわよ。でもそもそも私たちは四葉から隔離されて暮らしていたから日常でもなかったの」

 

穏やかでない言葉に一瞬動きを止めたが、深雪が何でもないように語っていることから戸惑う視線が飛び交う。

この辺は昨日のうちにどこまで話すか決めておいたので、問題ない。 

四葉は謎の一族とされているが、完全秘匿されているのは技術の部分であり、事情については探ればすぐにわかることだ。

隠し立てするほどのことでもないと判断した。

下手に調べて目を付けられるよりいい、ということもある。

深雪は昨日の答え合わせを含めた、四葉であることを公表したからこそ語れる事情を掻い摘んで説明しだした。

 

「別に発表したのだから隠すようなことでもないし、皆も察しがついているだろうけど、四葉と知られたら襲われる危険があったから隠れていたのよ。四葉はいろんなところから恨みを買っているというのももちろんあるんだけど、――四葉が一つの国を滅ぼしたって言うのは知ってるのよね?」

「そりゃあ、まあ」

「そんなに昔の歴史じゃないしね、その国名が変わったのも」

「その国が滅んだ理由は私怨ということになっているけれど、実際はうちの一族の人間が攫われたのよ。それも子供が生める年齢になったばかりの女の子を、ね」

 

それがどういうことに繋がるか、高校生ともなれば想像は易い。それぞれ表情は青ざめ、引きつり、眉を顰める。

 

「一族は国に訴えたけれど、たった一人の女の子のために戦争の火種になりそうなことをできないと突っぱねられた。でもその一族は愛情深い一族でね、その子一人のために命懸けで救出に向かったの。多くの犠牲が出たわ。当たり前ね。一国に対したった数十名で対抗したのだから。

犠牲は払ったけど救出はできた。だけど国はこのことを危険視した。一国を落とした実力を恐れて。私情だけで動いた彼らに罰を与えなければ国の示しがつかない、決して英雄になんてしてはならない。そのほかにもいろんな思惑があったのでしょうね。この過去は人の口に上らないよう緘口令が敷かれた。とはいっても魔法で禁止されたわけでもなければ署名させられたわけでもない、ただの口約束だから知ってる人は知っているお話なのだけど。吉田君が言ったように、まだそんなに古い出来事でもないから当時を知っている人も当事者も現役だしね」

 

深雪はできるだけ明るい口調を心掛けて語ったが、内容の重さは変わらなかったようだ。

皆箸を置いて視線を下げたので、これ幸いと重箱に箸を伸ばす。

信じられない、という視線を感じなくもないが、せっかく深雪が温めてくれた弁当が冷めるだろう。

深雪も時間が無いからどんどん食べないと、と再度勧めて全員再稼働を始めるが箸の進みが遅い。

 

「何が言いたかったかというと、そういった誘拐事件があったからうちの方針として女子は特に厳重に守りましょうってことになっているの。とはいえ全員ではないのよ。うちは人員がそんなにいないから」

「・・・深雪、軽くしゃべってるつもりだろうけど」

「ヘビーすぎるわ。何なのよ。そんなの警戒して当然じゃない」

 

つまり、深雪が素性を隠して護衛を付けて生活をしているのは、過去にあった悲惨な事件を繰り返さないための策であったということ。

正直、この四葉の対応が非難される理由はないと思っている。

国が守ってくれないなら自分たちで、と警戒することはむしろ正当防衛と言えるだろう。

エリカたちもそう思ってくれたのか、同情的な視線を向けられたのでおかしな発想でもなかったということだ。

 

「確かに親が耳タコになるくらい一人で帰るときは気を付けるように言うわけだわ」

「お前がか?」

 

雉も鳴かずば撃たれまいに、と思うがレオなりに空気を入れ替えてくれた、と思っておこう。

 

「それにしても、その話を聞くと四葉ってそんな恐ろしいって感じに聞こえないな」

「・・・いや、レオ。流石にそれは楽観視しすぎだよ。たった数十人で国を亡ぼす切っ掛けを作ったんだよ。十分恐れるべき・・・、とごめん」

「幹比古が謝ることじゃないさ。実際強すぎる力って言うのは恐怖をもたらす。十師族のバランスも崩れてるしな」

 

幹比古の言うことは正しい。

国家を無視して動く組織など、危険視されて当然だ。そこに、いかな理由があろうとも。

 

「愛情深い一族、のわりに達也さん冷遇されたの?」

「愛情が深すぎてこそ、だけれどそのお話はトップシークレットだから」

 

ほのかの質問は、深雪が口元に指を立ててストップをかけた。

俺の事情についてはほとんど話せない内容ばかりだからな。

四葉に生まれながらにして異端児として扱われ、一族の忌み嫌われ者として扱われてきた過去など、話す必要も無い。

だが、一つだけ四葉に生まれたことを思わせるものを自分も持ち合わせていたらしいことに気付いた。

 

「まあ、そう言う意味では俺も四葉なんだろうな」

「お兄様?」

 

不思議そうな顔を向ける深雪をじっと見つめ、

 

「深雪が妹であろうともこんなに愛していたわけだから」

 

言葉の意味を理解し朱を走らせたことに手を伸ばしたところで雫に手を叩き落とされた。

 

「風紀、執行」

 

避けることも止めることもできたが、どんな反応が返るか様子見として受けてみたのだが・・・思った以上に深雪が雫の対応に感激している風に見える。

大げさすぎやしないか?それに、八つ当たりにも感じられた。

どうやら深雪に恋をしてもらうまでここのライバル関係は変わらないらしい。

しばしにらみ合っていると、その空気を和らげるため、デザートも作ってきたの、と最後の重箱を開く。

そこには三色団子が綺麗に並べられていた。

 

「三色団子には魔除けや邪気払いの意味もあるから」

 

との深雪の言葉に、エリカがたくさん食べろと突き出してきて、一人一本までだと注意され、残念と大げさに肩を落として笑いを誘っていた。

その中心で深雪が笑っている。

この光景に自然と笑みが浮かび、この幸せを噛みしめる。

 

(深雪が笑っていられるこの世界を守ろう)

 

どんな困難が待ち受けていても、災厄が降りかかろうとも――深雪を守り抜く。

 

「お兄様、お願いします」

 

空になった重箱を片付け、申し訳なさそうに差し出す深雪に、構わないよ、と受け取る。

 

「深雪の願いを叶えることが俺の喜びだ」

「もう、お兄様ったら」

 

くすくすと笑う深雪を、空いた手で撫でていると「おーい、置いてくわよー」とエリカの声がかかる。

急ぎましょう、と深雪から手を掴まれてドアを開けて待つ仲間たちの下へと並んで駆け出した。

なんて事のないこの日常の風景の一コマだが、俺は心に深く刻み込んだ。

 

 

 




長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。

成主サイドとの差がかなり激しかったかと思います。
筆者はこれを書いている間、こんなにお兄様をギャグキャラにして大丈夫だろうか…?と不安に思いながら書いておりました。
でも原作の深雪と逆転して、更にお兄様要素を考えるとお兄様なら継承編で手を出しているだろうな、と一話を書いている時点で妄想しこのオチが決定していました。
深雪はかなり早い段階から恋だと自覚していましたが、兄であろうとする達也は自覚することは無いのでは、と先に執着が来て、そこから想いに気付くことに。
なのでところどころ監禁エンドが見え隠れしていました。
大事なものはしまっちゃう系お兄様。書いている間そちらに引っ張られて危うい場面がありましたが、何とか成主サイドと同じ方向に行けたので安心しました。

これにてこのシリーズは完結です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
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