妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前) 作:tom200
前回から大分期間が開いてからの続編になりますので、彼らの立ち位置を思い返すための幕間のお話です。
師族会議編に入る前のエリカたち友人サイドの現状と、妹成主の現状はこのような感じかな、と。
少し妹成主の方にシリアスが入りますが、仕様です。
エリカサイド
エリカとて、いくら物事に白黒はっきりつけたい性格と言っても、そこに切り込む勇気はなかった。
だが、
「ほのかの気持ちに区切りをつけてあげたい」
どうか、付き合ってください、と友人に頭を下げられて協力しないと断れるかと言われれば協力してあげたくもなるわけで。
「いいの?」
「本人もわかってる。だけどわかっていても心が割り切れるわけじゃない」
「だから、周囲から変えてくって?」
こくん、と頷く彼女は覚悟を決めていた。
大事な親友の為に。
「ほのかはずっと苦しんでた。達也さんは初めから深雪しか見ていなくて、だけど兄妹だからいつか離れなきゃいけない日が来る。そうなれば自分にもチャンスがあるかもしれない。二番目でもいいから愛してもらいたい、って――初めから深雪を超えられないってわかってた」
重度のシスコン、と揶揄えていたのは血の繋がった兄妹だと信じていたからできたこと。
彼の愛情の向け方に途中からこれは血のつながりが濃くてもヤバいのでは、と思う場面も多かったけど、それでも最終的に深雪が窘めれば達也も引き下がっていたので問題ないと思っていた。
いくら達也が異常と思えるほど深雪に執着していても、深雪が兄として見ていたからこの関係性が崩れることは無いと思っていたのだ。
深雪の理想を、達也には壊せない。そう高を括っていた。
それがまさか、兄妹ではなく従兄妹同士だったなんて。
正月早々何の冗談かと思いたかった。初め四葉の名が重すぎてそちらにばかり注目がいってしまったが、次いで婚約者に驚愕、そして従兄妹との関係性に背筋がヒヤリとした。
深雪は大丈夫だろうか。――無事だろうか、とエリカが真っ先に心配したのも無理はない。
兄妹だからまだ安心できた。
実の兄妹の壁は分厚い。いくら非常識の塊のような達也だって手を出したりしないだろう。
だが、違った。兄妹ではなく従兄妹で、従兄妹ならば法律上結婚ができる続柄。
絶対であるはずの前提が覆った。
(従兄妹であり、婚約者…?そんな彼に都合の良い展開ある?)
エリカは規格外のこの兄妹のことは気に入っていた。
特に妹の方は自分にしては珍しいタイプを好きになったものだと言いたくなるお嬢様タイプで、一生付き合うことなんてないと思っていた絵本から飛び出たような美しいお姫様だった。
誰かに守られて当たり前で、何も知らないで好き勝手する天然箱入りお嬢様なんて、頼まれたって関わりたくないタイプ。たとえ興味深い兄がいてもあまり近寄りたいタイプではない。
だけど第一印象で抱いた像はまやかしであった。彼女はそんないけ好かない連中とは違った。
カテゴリー自体はそう変わりはない。
(過保護な兄に常に守られる立場で、周囲の関心になんて見向きもしない。生まれながらにして品格を持っている、世間知らずのお嬢様)
それがエリカの抱いた深雪に対しての評価だった。
だというのに鼻につくことが無い…いや、初めは確かに鼻についたのだ。
自身の兄を蔑ろにしているところもそう思わせたし、二科生と関わりたく無さそうな壁が見えたから。お高く留まっている。そんな印象。
ただ、それが一月も経たない内に一変させる事件があった。
初対面の時に感じられた壁は作られた壁で、すぐにそれが崩れ落ちたのだ。
人は生まれや育ち、能力で周囲をランクづける。下の者は上を、上の者は下々を、勝手に精査し自分と比較し格付けをして線を引く。
特にこの学校では実力を一科生と二科生という明確なラインを引くことで目に見えて分けていた。
教員が少ないから、なんて内部事情など関係ない。優遇する生徒とそれ以外、で分かれていたのは事実だ。
エリカは二科生の中でも自身の実力を正しく理解できていたのでそれくらいの差別で卑屈になることは無い、そう思っていたがここまであからさまだと意識しなくても劣等感を刺激され反発したくもなる。
鬱屈を抱かせられるような生活にうんざりし始めていた時、正反対であるはずの彼女の抱えていたものを知る。
彼女はトップに居ながら誰よりもこの学校にこびり付いていた思想に不満を抱いていた。
そしてそれを周囲の目を欺いていたことをばらすことで見事ぶち壊してみせた。大好きな兄を守ろうと、彼女なりに動いた結果だった。
ぶち壊したと言っても二科生が一科生の魔法力には劣ることには変わりないし、授業の差が変わるようなことも無い。
ただ、生徒間の中では大きく変化をもたらした。
二科生であろうと、実力が無いわけではない。努力全てが無駄になるわけじゃない。己の武器を見つけて磨くことができる。一科生だろうと二科生だろうと努力することに変わりはないのだと。
考えれば当たり前だ。
魔法は簡単に取り扱えるものじゃない。現代武器のように引き金を引くだけで弾が出るような簡単なモノじゃないのだ。
深雪の起こした事件により一気に風向きが変わり、息がしやすくなった。
自分たちで引いていた越えられないと思っていた線を彼女は見事取っ払ってみせたのだ。
それから付き合っていくうちにアレが初めから仕組まれた計画であったことに気付き、彼女の強かさに感心することになり、――直接対決する機会に恵まれ試合をして改めてエリカは彼女が好きになった。
彼女がずっと幸せそうに笑う姿を望むくらい、大事な友人だ。
だからこそ、彼女の一番大事な関係が壊れたことが心配だった。
彼女がどれだけ、兄を大切に思い、慈しみ、愛情を向けていたことを知っている。
この件で、エリカは達也の心配などしなかった。むしろ彼は知っていたのではないかとさえ疑った。
彼女にあれだけ執着を見せていたのは、正しくけん制だったのではないか、と。
そしてこうして公式に公表されることになり、隠すことが無くなったことで喜んで婚約者の座にいるのではないかと思ったのだ。
だから一体どんな新学期になるのだろう、と心配と不安を抱えて登校してみれば、二人の距離は他人のように広く、視線を合わせるのも最低限。会話は温度の感じられない敬語で達也様呼び、らしい。
らしい、というのは姫・騎士ウォッチャーから流れてきた噂だ。彼らは、四葉は恐ろしいが、二人の様子があまりに違い過ぎて恐怖よりも心配が勝り、こっそりできる範囲で観察を続けていたようだ。
達也は変わりがないようだが一定の距離を保とうとしている――まるで入学したての頃に戻ったような空気感、いや、むしろそれより悪化していた。
おかげで誰もが近寄りがたく、四葉という名に拍車をかけて、彼女が孤立していった。
達也の周囲もぎこちなく、いくら彼自身の態度が以前とあまり変わらなくとも近寄りがたかったが深雪ほど距離が離れていないのはエリカたちの存在があったから。
だが、深雪はほのかたち含めた親しかった友人すら近づかせなかった。
孤立、という言い方は妥当ではないかもしれない。
深雪は信念をもって態度に表し周囲を遠ざけているようだった。
学校に、また不穏な空気が流れる日々。
ただ、入学式の時と違うのはエリカたちが、二人がどういう人物であるか知っているということ。
四葉の名は確かに恐ろしい。
はっきり言ってそれだけでこれまでの関係が崩れてもおかしくは無いくらいに。
今までが夢幻だったのではないかと疑ってしまうくらい、深雪の演技は完璧だった。
(だからこそ、達也くんが傍に居ないことの違和感が目立ったのだけど)
あの達也が。大切な深雪の孤立する姿をただ黙って傍観するはずが無いのだ。
だからエリカたちは自信を持って演技だと確信し、彼女たちの企む陰謀に正面からぶつかった。
彼女たちが推理した内容は大抵外れたが、結果としてすべてが良い様に転がっていった。
ただ一つ、自信があったのに大きく予想を外したのは、達也自身のこと。
まさか自身の恋心を自覚したのが大晦日の夜だとは誰も予想だにしていなかった。隠す気が合ったのかというくらい駄々洩れだったくせに、隠すどころか自覚もしてなかったとは。
その上、ここで落とされたのが特大の爆弾で。
「俺は今絶賛婚約者を口説き中なんだ。
達也曰く、深雪はまだ彼のことを兄と慕っていて、婚約者と形式上認めることはできてもまだ受け入れられていないのだという。
よって達也はこれから猛アタックして自分に振り向かせる気でいるのだと。
これが他の人であったなら勝手にやってくれ、となるのだが、彼女たちの心は一人を除いて揃っていた。
――深雪が危ない。
学校側から先んじて節度ある態度を心掛けるように忠告があったらしいが、今すでに彼の視線は甘く彼女に降り注ぐのを見て安全など誰が思えるか。
そして同時に、恋する乙女の恋心に終止符が打たれようとしていたことにも気付く。
いくら深雪が兄と慕っていると言っても、兄に甘い彼女のこと、流されて最終的に行きつくのは達也の手の内だ。
達也が彼女を逃がすはずが無いのだから。
だから雫が今動き出さないと、と思うのはおかしなタイミングでもないとエリカは思った。
今だから、動き出さないと、とも。
「失恋パーティーね。ってことは男子禁制?」
「…ううん、女子だけだとブレーキが無くなるかもしれないから」
「ああ、ヒートアップしてけしかけたり、殴り込みに行きそうだもんね」
巻き込まれる男子には申し訳ないけれど、女子だけでは不安だということで強制参加させることに。
場所は雫の家。
もし、彼女の感情が爆発してサイオンが乱れて魔法が発動してしまっても、私有地ということで問題になることは無い、との配慮だった。
「ちなみにほのかには内緒。サプライズで連れてくる」
「知ったら逃げ出しそうだものね」
暗に逃す気はないというところに雫の本気を感じた。
エリカは、これは気合を入れて挑まないと、と気を引き締め直して真剣な面持ちで参加を表明した。
勉強会でも訪れた家は何度見ても大きく、慣れないものだ、とエリカは全くそんな緊張を見せずに勝手知ったる家と言わんばかりの態度で入っていく。
今日は日和るところなんて見せられない。できるだけ自然体でいようと心掛けた結果だった。
美月は遠慮しがちに、幹比古はそんな彼女を気遣いつつ。レオは普段と何も変わらない様子で雫の後に付いていった。
今日の催し内容は外で話せない話をしようというのは表向き、実際は愚痴大会だ。
心の中の鬱憤を全部ぶちまけさせて少しでも心を軽くさせてあげたい、というのがメイン。
諦めろ、なんて説得初めから不可能なことくらい誰もが分かっていた。
着いた先はいつものテラス付きの部屋。机にはすでにホテルのビュッフェ並みの一口スイーツや軽食がずらりと並んでいた。
「ほのかさん、最近食欲も少なくなってましたもんね」
少しずつでも食べてもらおうと雫も必死なのだろう。
「つーかよ、俺ら、居るか?」
「居たたまれないのはわかるけど、居てくれた方がこっちとしては助かるわ」
「やけに素直じゃねーか」
「それだけナイーヴな案件ってことよ」
「…ますます僕には荷が重いと思うんだけど」
「ここにレオだけいたらおかしいでしょ」
「こ、こういうのはいつものメンバーで自然に、の方がきっと気が楽になるでしょうから」
美月の励ましに、及び腰の幹比古は居心地が悪くともなんとか腰を据える。
「慰めようとなんてしなくていい。ただ、ほのかの靄を晴らすのに手を貸して」
お願いします、と頭を下げる雫に、四人は顔を見合わせて。
「友達なんだから頭なんて下げないでいいわよ」
「そーそー。こっちとしても他人事じゃねぇんだからさ」
「そうですよ!ほのかさんがいつまでも落ち込んだままだと私たちも悲しいですから」
「北山だって、このままじゃ風紀委員の仕事に気が乗らないだろ」
「ミキってば素直じゃない」
「僕の名前は幹比古だ!」
いつもの流れに空気は一気に和んだ。
「じゃあ迎えに行ってくるからみんな先に食べて寛いでて」
そう言って出ていく雫を見送って、エリカはさっそく幹比古に声を掛けた。
「それで、用意してくれた?」
「魔法を使わなければ気休め程度の効力だけど」
「それで十分」
古式魔法師は古くから日本にいる呪を生業としている一族だ。
そこには魔法のみならず道具を用いた民間療法のようなものまで含まれていて、その中でも人の心を落ち着かせる術、心を開かせる術は様々あった。
中でも代表的なのは香だ。
エリカは事前に雫と打ち合わせをしたうえで、わざわざテラスのある部屋を用意してもらっていた。
テラスの外に不自然に香りすぎないよう、調節しながらセッティングする。
「私たちの緊張を解くのにもいいってものよ」
「エリカが緊張しているように見えないけど」
「失礼ね」
言いながらさっそく一口サイズのサンドイッチをつまんでいる姿には、指摘するよう緊張感は見られないが、それがわざとそう見せていることに仲間たちは気付いていた。
続いて彼らも食事やお茶に手を伸ばす。
「ま。腹が減っては戦はできぬってか」
「種類が多くて選ぶの迷っちゃいますね」
「どれも美味しいだろうから片っ端から行きたいけど、この量は多すぎよね」
幹比古は一人ため息を吐いてから、自分だけ何も選ばないのは不自然だ、とせめて形だけでもと選びに行った。
――
ほのかが雫の家に休日招かれるのは久しぶりだ。
いつもなら前日学校が終わってからそのままお泊りが多かったから、わざわざ休日に会おう、とはならなかったのだ。
だけど今朝になって急に用事が無いならお茶でもしようと誘いが来た。
何でも雫の父、潮が出張から帰ってきてお土産をもらったらしい。
彼はほのかのことも身内カウントをしているので彼女の分のお土産を買ってくるのだ。
あまり乗り気ではないが、好意を無下に断ることもできない。
ほのかはしぶしぶ準備をして雫の家に向かった。
(雫が、私を気遣ってくれているのはわかってる)
一人にさせたくないと思わせてしまっているのだろうことを良く知っていた。
ほのかにとって雫は無関心に見えても情に厚い、さりげない気遣いができるところも自慢の友人だった。
(最近、食事が喉を通らない)
自覚はあった。
できるだけ気付かせないよう明るく振舞って誤魔化していたけれど、親友は見逃してはくれなかった。
彼を見るのも辛いのに、見ないことはもっと辛くて――でも見ると苦しくなる、の悪循環。
彼女を見るのも辛かった。ほのかの持っていないものをすべて持っている彼女。――だけど大事な親友で…。
離れたくなかった。離れれば少しは心が休まるはずなのに、離れられない。
始業式が始まって、言葉が無くとも突き放されたように近寄れなかったあの一週間。胸が張り裂けそうだった。
複雑な思いが絡み合って、会いたいのに会いたくなくて、怖くて目を背けるのに、気が付けば彼女たちを目で追ってしまう。
(わかってた。初めから私の入る隙なんて無かったことくらい)
達也は自覚していなかった。
彼は本気で『妹』を愛していたつもりだった。
それだけではないと、そんな家族の愛し方ではないとほのかは早い段階で気付いていたのに、それでも恋い焦がれることを止められなかった。
恋はできないと言いながらも優しく接してもらえることに優越感を覚えて。
自らを高みへと導いてくれる彼に惹かれて。――これが己の一族特有の性質も絡んでいることをよく理解していた。
そういう両親を見てきたのだ。いつか自分にもそういった相手が現れる。それが、運命の相手だったらいいな、と年頃の女の子が夢を抱くもの無理はなかった。
そして、出会った。
彼のことは入学前、試験の時から気になっていた。なんて綺麗な魔法を使うんだろう、と。
だけど優秀だと思っていた彼は二科生だった。
勝手ながら裏切られた気持ちだった。
深雪の傍にふさわしくない、なんてただの言いがかりだ。放課後の衝突はこの時の不満を八つ当たりのようにぶつけたに過ぎない。
今思い出してもほのかにとっては羞恥に見舞われる黒歴史だ。
だが、そのあとは怒涛だった。彼は魔法力重視の社会に適合していないだけでとんでもない実力を有していた。
九校戦という大舞台、彼は一年生でしかも二科生にもかかわらずCADの調整を任されたのだ。
調整してもらって、作戦を立ててもらって、彼の表立たなかった実力を知れば知るほど――もう、駄目だった。惹かれるのを止められなかった。
その前から、深雪に対しての優しい言動に憧れを抱いていたのに、実力まであり、しかも自分の知らない魔法の使い方を教えられては彼を求めずにはいられなかった。
(知らずのうちに惹かれていたのだ。だからこれは間違いなく、恋だった)
ほのかは胸の前でぎゅっと手を結んだ。
ただ一族の、エレメンツとしての性質だけではなく、確かに恋をしていたのだと信じている。
――そう、恋を、していた。
(それはもう過去のこと、にしなくてはいけない。だって、彼はもう深雪を選んだ。そして、深雪もきっと――)
もう、これ以上彼に恋はできない。
この恋は終わったのだ、と。
あとは、この惹かれる性質を抑える方法を見つけなければ、と思うものの、その方法は思いつかない。
だから時間が欲しかった。
親友の雫に頼ることなく、自分で考えなければ。そう思っていた矢先の誘いだった。
足取りは重い。
でも、
「ほのか」
「雫」
(私、甘えすぎだよね)
周囲から自分がどう見られているかはわかっているつもりだ。
叶わない恋をしていたと、同情されていたことも知っている。
それでも折れずにいられるのは、雫が傍で支えていてくれたから。
居場所があるから。
出来る事ならこの問題は自分だけで解決したい。いつまでも彼女におんぶにだっこでいるなんて対等じゃないから。
「いらっしゃい」
「なんか、こういうの久しぶりだね」
玄関で迎えられるなんて久しぶりだ、とほのかが笑えば雫もほんのり口元を綻ばせた。
(うん、大丈夫)
自然に会話ができたことに勇気をもらいながらほのかは雫に続く。
「あれ?いつもの部屋じゃないの?」
「今日は天気がいいから」
案内される先には皆でテスト勉強した部屋がある。ほのかは嫌な予感を覚えた。
「ねえ、それなら外でもいいんじゃない?」
この家には素敵な庭とガゼボがある。そこでもいいのでは、と提案するが、すでに用意している、と言われてしまえばいくら親しくさせてもらっているとはいえ招かれた側はそれ以上言えない。
辿り着いた先はほのかの予感のしていた部屋で、開くとそこには――
「遅かったわねー」
「お先にいただいてます」
「よーっす」
「…こんにちは」
なんだよ幹比古こんにちは、って。仕方ないだろ?何にも思いつかなかったんだよ!と言い合う彼らに茶々を入れるエリカ、おろおろする美月の姿に、ほのかは雫を見つめた。
「サプライズ」
雫はぶい、と悪びれも無くVサインを披露する。唖然とするほのかの手を引っ張り中に入った。
もう手を振り払うタイミングも無く、ほのかは後に続いて席に着く。
見慣れた使用人が紅茶を注ぎ、下がっていくのを確認してからエリカが口を開いた。
「ミキ、結界」
「僕の名前は幹比古だ」
文句を言いながら幹比古は魔法を行使する。
この部屋の音が外部には漏れる心配は無くなった。
「け、結界って…」
「だって、これから話す内容が万が一外に漏れたら問題かもしれないじゃない」
私だって下手をして四葉に睨まれたくなんてないわよ、というエリカの言葉にビクッとほのかの肩が震えた。
「ほのか、黙って連れてきたことは謝る。でもこんな話学校でも外でもできないから」
「雫…」
その言葉は彼女を納得させるだけの威力があった。
四葉はアンタッチャブル。どこであろうとおいそれと簡単に口に出せる話題じゃない。
彼らにとってただの友人であっても、そのビッグネームは無視できるものじゃない。
そういう意味では雫の家は秘密の漏れない安心できる場所だった。
しかも幹比古の結界付きともなれば相当だろう。
「ってことで、愚痴大会はじめるわよー」
「「おー」」
「ぐ、愚痴大会!?」
一体どんな話をするのか、とほのかが身構えていたところでエリカの開会宣言の言葉に目を白黒させた。
「トップは私ね!――達也くんにグラサン掛けろって言いたい!なんなのあの目は!!食事前から胸焼けさせるんじゃないわよ!!」
叫ばれた言葉に、ほのかが目を白黒させているが、他のメンバーは愚痴を言うこと前提で集まっている。
大小違いはあれどほのかを除く全員が頷いていた。
「ずっと愛しいって目で見つめてますもんね。知らんぷりしようとする深雪さんが気の毒なくらい。平静を装ってますけど困ってますよね…」
「前とあんま変わんないっちゃ変わんないけどよー。自覚した分、前よりがっつり見てるもんなあ」
「正直達也のあんな姿見ることになるとは思わなかったよ」
「恋愛なんて一切興味ありません、って感じだったもんな」
「っていうか他人に興味ないって感じよね。冷めてるっていうか」
「入学当初は特にそんな感じでしたよね。当たり障りなくやり過ごすだけで必要最低限付き合わないように線を引いているような」
「笑顔も作り物って感じでさー」
「そうだった?」
「あ、そっか。雫たちは深雪の傍に居るからわかりづらいかも」
「初めのうちはあんなもんじゃねぇの?幹比古もあんな感じだったよな」
「ミキのあれは卑屈になってたからぎこちなくなってただけでしょ。だって昔はもっと――」
「エリカ!僕の名前は幹比古だ!あと、昔このとは言わないでくれ!反省してる」
どうやら幹比古には若気の至りでやらかした過去があるらしいが、今回は愚痴大会だ。それ以上突くことはしなかった。
「確かに男子の方の場合、西城くんのような方はレアケースですよね」
「コイツはコミュお化けだもの」
「お前に言われたかねぇよ」
「二人とも十分にすごい」
「ま、うちはほら、舐められたらおしまいだから」
「…それってやっぱり達也さんもそうなんでしょうか」
ぽつりとつぶやいた美月の言葉に視線が集まった。
「想像ですけど、達也さんって四葉の直系なのに魔法力はないじゃないですか。高校も入学先が二科生ですし。実力があることを私たちは知っていますけど、一般から見たら劣等生に見られてしまう。だから幼少期の頃からあまりいい待遇ではなかったんじゃないかって」
その言葉にはっとなったのは数人で、なんとなくそんな気がしていたエリカや幹比古は視線を落とした。
名のある家というのは生まれた時から選別をされる。
それは彼らにとって身近なことだった。
持たざる者はその時点で見捨てられる世界。
その中でも十師族という家柄で、しかもその中でも実力トップで恐れられる四葉とくれば、彼の少ない魔法力がどう見られていたかなど容易に想像がつく。
「古傷がいっぱいあったのも、訓練の一環だったのかもね」
「そんな!」
「あんなひどい怪我を…」
彼女たちが思い出したのは一年の夏の雫の別荘での出来事。
達也の体に無数に刻まれた傷痕に恐怖を抱いた。
レオ達は実習の着替えで見る機会が多いのでそこまでショックは受けなかったが、それでも初めて目にした時には驚いたものだ。
「だがよ、アイツのアレは強がりだとかハッタリかますってんじゃなく無関心って感じだった」
レオはサンドイッチを放り込み、押し込んだ際にソースがついた親指をぺろりと舐め取った。
「――わかるわ」
入学式当時のことを思い出しながら話すレオに同調したのはエリカ。
「無関心…」
その言葉に傷ついた顔をしたのはほのかと美月。
雫の表情はいつもと変わらず感情が表に出ることは無かったが、瞳の光は翳ったように見えた。
「その辺りは仲良くなってから出会った僕にはわからないけど、レオの言うことはわかるよ。達也は他人との間に壁じゃなくて空洞のようなものを感じる」
壁とは拒絶、関わりたくないイメージを象徴とするが、達也に近寄りがたい空気が無いわけではないが、近づいてみると彼は案外自然に言葉を交わす。
だが、そこには親しみというよりも単に聞かれたから返しているだけに感じられる。
冷たい態度に見えないというだけであって、ただそれだけ。深く交流する気は一切見えない。
必要な分以上を求めることが無い。
無駄がない、効率的。人間関係であろうと達也は利害関係が無い限り広げるつもりがないのだ。
それを冷たいと感じなかったのは、彼の優しさを目にするからだろう。
妹に対する、あの柔らかく、甘い所を見ると、彼という人間を勘違いする。
「――皆も聞いたよね、達也さんは恋ができないって」
ほのかの言っているのが一年の夏休み、雫の別荘で過ごした日の、衝撃の告白の一つを指しているのだと皆に伝わっていた。
あの発言は彼らにそれなりの衝撃を与えていたから。
だが、あの時は誰も深く追求しなかった。魔法師とは深く追求すると闇を見ることになると知っていた。
そしてそれは的中していたの、と続く言葉に口を閉ざす。
「昔事故に遭って感情が欠けてしまったんだって。それが告白に対しての断りの言葉だった」
その事故が本当に事故だったのか。感情が欠けるなど――精神干渉に長けている四葉だ。達也が何かされたのではないかと勘繰ってしまうが、したところで彼らにわかるはずも無い。
だが四葉が最強と言われる所以の一つに人体改造の噂があった。
この話題に深く踏み込んではいけない。
その領域の話はいくら周囲に聞かれないとはいえ、おいそれと口に上らせる話ではなかった。
この話はほのかだけが知っている達也との『大事な秘密』だった。
恋はできない、とは皆の前で話していたが、感情が欠落しているなんてここにいるメンバー誰も知らないはずだ。
だから達也の言動に対してちょっと冷めた考え方をする、くらいに考えていただろう。
その証拠に、ほのかの発言に対し目を見開くも、すぐに誰もが納得とばかりに肩の力を抜いた。
なぜ、そんな大事だった秘密を明かしたか。
ほのかは気づいたのだ。その秘密が達也にとって、深雪の友人を如何に傷つけずやんわり断るか、というだけに使われた方便であったことに。
他人にわざわざ言うことではないが、それなりに親しく付き合う相手になら話してもかまわない程度の隠し事だったのだと。
だからと言って誰彼かまわず吹聴するつもりはないが、ここは達也を大事に想うメンバーしかおらず、なおかつ結界に守られた隔絶された空間だ。井戸に向かって大声で秘密を話すおとぎ話とは違う。
達也が冷たい人間だと誤解された時、それは違うとはっきりと否定できなかったのは、この秘密が浅ましいことに自分だけのものだと隠したから。
でももし、あの時隠していなければ彼らの仲がギスギスなんてすることも無かった。
達也なりに心配していたのだと伝えることができたはずなのに、卑怯にも自分勝手な理由で黙っていたことがほのかには苦しかった。
きっと、皆に話したことを達也に伝えたとして、達也は怒らないだろう。
それは単に関心がないわけではなく、元からいずればらしても問題がない話をしたからに他ならないのだと、ようやく気付けたとほのかは深く目を閉じて。
「同じだけのモノを返せないって断られたの。――私も驕ってたんだと思う。今は無理でもいつかはこの想いが届いて、返してもらえるんじゃないかって。
だって、深雪に対してはとても深い愛情が見えたから。同じだけは無理でも、頑張れば少しは想いを向けてもらえるんじゃないかって。
達也さんに優しくしてもらえて、自分は他と違う、邪険にされずに傍にいることを許されてる――そう勘違いしちゃった」
グラスを両手で握りしめて、ほのかはずっと抱いていた気持ちを吐き出した。
「わかってた。私が深雪の親友だから突き放せなかっただけだったこと」
わかっていたのだ、とか細い肩を震わせて、すべてを告白する。
自分が特別なんかじゃなかった。深雪の大事な友人だから手ひどく扱われなかっただけ。
達也にとって大事なのは深雪ただ一人だということを、ずっと彼を見続けていたほのかは早い段階で気付いていたのに見てみぬふりをしていた。
僅かな可能性に縋ったのだ。
「まさか、兄妹だと思っていたら従兄妹だったなんて、ありえないじゃない」
二人は兄妹だから、いずれ別れることになると、それぞれが別の家庭を持つものだと普通に思っていた。
その時にずっと思いを寄せていた人間を切り捨てることなんて、できないんじゃないかという打算もあった。
だが、前提が覆されたのだ。
兄妹だった彼らは実は兄妹ではなく従兄妹同士で、公表と同時に婚約者になるなんてそんな少女漫画みたいなご都合主義の展開が現実にあるなんて思ってもみなかった。
「信じたくなんて、なかったっ!!」
悲痛な叫びはしかし、キッと上げられた彼女の表情によって空気を変えた。
「だってそうでしょ?!あんなにイチャイチャラブラブして兄妹なんて!初めから従兄妹だって教えてくれれば恋なんてっ…しなかったって断言はできないけど!でももっと早い段階で諦められた、かもしれないじゃない?!」
「…ねえ、まさかあのジュースお酒入ってるんじゃ」
「ノンアルコールしか出してない。…でも」
「でも?」
「ほのかの前に置いてあるレーズンサンドにはラムレーズンが入ってるから香りだけで酔ったかも…?」
顔を引きつらせるエリカに、雫はメイドに水を持ってくるように指示を出す。
「ですよね。あれで兄妹だって言われても信じられないですよね!」
そのすっ飛んだ文句に乗っかったのは美月だった。
「もちろん兄妹でも全然いいんですけど、どう見ても兄妹の距離感には見えなかったですもんね」
「そうだよね!兄妹であんなに見つめ合ったり頭を撫でたり肩を抱いたり!」
「達也さんに隠す気があったことに驚きですよね。あれだけ見せつけるように隣を譲らないでいたのに」
「私なんて本人に直接聞いたんだよ?!異性として好きなんでしょって!」
「え!?ほのかさん攻めましたね!それでどんな返事が?」
「『妹』だって。ほんとに自覚してなかったんだよ!あんなに愛しそうに見つめておいて!!」
信じられる!?と憤るほのかに、美月は信じられないですよねぇ、と相槌を打つ。
絡み酒に寄り添う形の美月だが、本人は真面目に話に付き合っているようだ。
その様子に下手に慰めはいらなそうだと男子たちが顔を見合わせ肩の力を抜いた。
エリカは席を立ち二皿目を取りに行き、雫も水を入れたグラスを渡す流れでラムレーズンをフィナンシェにすり替え席に戻った。
「深雪も深雪よ!あれだけ達也さんに愛されてるのにどうしてお兄さんだから仕方ない、で納得しちゃうのよ!」
「しっかりしているようでいて危機感が欠如してますよね、達也さん限定ですけど」
「いくら深雪にとって達也さんが身内だったからって」
「確かに昔からあのように過ごしていたのだとしたらアレを普通と思ってもおかしくないことなのかもしれないですけど」
「で、でも学校に通ってたら自分たちが普通じゃないって気づくでしょ…?」
「それは――」
「それはどうかしら?」
今まで食べるばかりで会話に加わっていなかったエリカが口を挟む。
その頃には彼女たちの熱も落ち着いて、愚痴よりも二人の異常性についての話に変わっていた。
「エリカちゃん?」
「たぶんだけど、二人ともあれで抑えているつもりよ」
「「まさか!!」」
「アンタたちだって忘れたわけじゃないでしょ。一年の時の九校戦」
「「…あ!」」
エリカは恐らく自分だけが気付いているだろう、二人の
本人に直接聞いたわけでもない彼女の勘だ。だが、達也のあの余裕ぶりから外れてはいないだろうと彼女は確信していた。
だからといってそれをここで言うのは憚られ、一番イメージしやすい例を出した。
「あんな恋人の振りが即興でできるのよ?深雪は恥ずかしがってたけど、あれはどっちかって言うと知人に見られることが恥ずかしいって感じだったし、達也くんに関してはこれ見よがしに引っ付いて当然のように可愛がってたし。いくら護衛の意味があると言ったって兄妹であそこまでしないわよ」
最後の言葉は苦虫を嚙み潰したような顔になった。自身に置き換えてしまいありえない、と拒絶反応が出たらしかった。
「深雪も初めは寄り添うだけで十分じゃないかって訴えてたけど、達也さんがそれじゃ弱いだろうって。…あの時は何事にも手を抜かないんだなって感動してたんだけど」
あの頃にはもう惹かれ始めていたから盲目的だったとほのかは自嘲を含めた苦笑いを浮かべる。
達也は仕事に手を抜かない。任されたからには結果が出る様努めていた。
それがとても格好良く映ったんだ、とポツリ、ポツリとこぼしていく。
普通、高校生が冷静に他者を分析し、最適解を出して結果に繋げるなんて芸当はできることではない。
とびぬけた技術力と知識と判断力は子供ばかりの学校生活の中で、彼を一段と大人に見せていた。そこも惹かれたポイントだ。
ほのかにとって達也は憧れの男性像に近かった。
特に、深雪と話している時の達也はほのかの目には輝いて見えていた。
他の誰にも向けることのない特別優しげな眼差しがいつか自分に向けられたなら、どれほど素敵なことだろう。
自分の知らない実力を引き出してもらえたことで、自分の知らない自分を見つけてもらえたのだと、嬉しくて。いつも雫の二番手で肝心なところで実力を発揮できないでいた自分を高みに連れて行ってくれる人だと思ったら、急速に惹かれ恋に落ちていた。
達也はあの時雫の他にも女子の担当をしていた。その中でもほのかには他の女子よりも寄り添って指導してくれていたこともその要因の一つだろう。
勘違いを起こすには十分だった。
「確かに、レオ達と比べたら達也くんは大人に見えたでしょうよ。達也くんに思春期っぽい所なんて見えなかったもの」
「どういう意味だよって突っ込みたいけどよ、達也に思春期、なんて想像もつかねぇもんな」
「うん。似合わない」
「でも、それも四葉の人間で、コンペの時みたいな任務を以前から請け負ってたら子供らしくなくなるのも無理ないのかな」
幹比古の言葉に、どうかな、と否を唱えたのは意外にも雫だった。
「さっきほのかも言ってたけど、事故で感情が欠けてるなら落ち着いて見えるのも納得がいく」
「ああ、偶に薄情な反応するな、って思うけど薄いってだけでちゃんと考えてくれてたりするんだよな」
レオが思い出しているのはパラサイト事件が起きた時の達也の行動だ。
当時エリカはこっちについてくれてもいいのに!と憤りを覚えていたようだが、レオはあの時意外と自分は彼の友人として認められていたらしい、と感動すら抱いていた。
男友達の中で一番仲が良いことは客観的に見てもわかっていたし、九校戦で共闘したことで仲間意識も強くなった。
横浜での事件で達也が軍所属とわかり、あの冷静で的確な分析能力や指示は軍隊で培ったのかと納得した。
軍は個人ではなく集団行動が主だ。そういうところで過ごしていたから集団の中でも浮くことなく周囲に合わせることができるのか、と。
そう、合わせることができるだけ。
その場で適当に当たり障りなくコミュニケーションを築け、周囲に違和感を持たれないくらいには距離を詰めることができるが踏み込むことはしない。レオにとってそれは心地いい距離感だった。
――達也は、己に関心が無い。
夜中、街の中をふらついて人を観察していくうちに人を見る目を養ってきたからこそ達也の違和感に気付いた。
人は居場所を見つけて安心する生き物だ。
それは集団生活するうえで必要な生き抜く手段の一つであり、本能でもある。
だからクラスでグループを作り仲間づくりをする。別に深い関係になる必要はない。ただ、それなりに話が合って、お互い干渉しないでいられたらそれで十分だな、と思っていたレオにとって達也は格好の相手だった。
お互い干渉しない、というのは案外難しいものだ。仲間になるにはある程度互いを知っておきたいと思うのは自然の流れだ。
魔法師になる人間は大抵この辺はドライであるが(どこの家庭も複雑な事情を抱えていることが多い)、それでもある程度親しくなると秘密を共有するように探り合いが始まる。もしくは勝手にランク付けをしていく。
そういった人間関係が煩わしかった。
入学してすぐ達也が普通でないことを見抜いた。
コイツは何かあるんだろうな、と直感が伝えてきたが、避けようと思わなかったのは彼の持つ独特の空気が自身に干渉しないものだと思ったから。
それから妹があの総代だとわかり、明らかに避けられているような言動を取られているのに傷ついた様子もなく可愛いとすら言い切る達也に、変わってるな、くらいに受け止めていたのだが。
(あれは変わってるを通り越して異常だった)
新歓中の事件を経て、妹のあの態度が兄を守る為だったことが知れ渡り、一科生と二科生の間にあった問題が解消する兆しを見せると学校一有名な兄妹は寄り添いながら登校するようになり、一科生と二科生の関係を見直す象徴的存在として注目されるようになる。
その寄り添う姿に初めこそ仲が良い兄妹だったんだな、と感心できたが、自身も兄弟を持つ身。すぐに異常に気付いた。
達也の視線は己の知る家族への親愛の情には見えなかったのだ。
ただ愛おしむだけではない、そこには執着が見て取れた。
妹からも親愛の視線が向けられているのは分かったが、それとは種類が違ったから余計に達也の向けるモノが目立った。
これはひょっとすると…と妹から距離を取る。そして俺は無害だと達也にそれとなくアピールすると達也からの自身を見る視線が変化したことで確信した。
どうやら達也は無自覚ながら妹にとんでもない執着を抱いているらしい。それが恋か愛かなど関係ないとレオは悟った。
彼女こそが彼の逆鱗だ。ここに注意していれば達也は無害である。
早めに見極められたのは僥倖と言えた。
それさえ弁えていれば達也は文句なしにレオにとっていい友人だった。
いや、最高に刺激的で面白く、それでいて頼りになる友人だ。放浪の悪癖は無くならないが頻度は減った。適度にトラブルに巻き込んでくれることで鬱屈する心を吹っ飛ばしてくれる。
平凡な日常が嫌いなわけではないが己に流れている血の影響で時折どうしようもなく衝動に駆られそうになる時がある。自我を失うかもしれない恐怖と隣り合わせというストレスは感じないようにしていても溜まっていくもの。
それを忘れさせてくれるようなトラブルに巻き込んでくれる達也は、本人は迷惑だろうがレオにとってはありがたい存在だった。
それになにより、彼ら兄妹の存在は面白かった。
「あんだけ仲が良いのに見事にすれ違ってたよなぁ」
二人寄り添って仲睦まじい兄妹であったが、兄は完全無欠に何者からも妹を守ろうとし、妹も妹で二科生である兄を守る為に生徒たちの意識改革までしてみせ、環境を整えて風通しを良くすることで見事兄を悪意の視線から守ってみせた。
形は違えど互いが互いを守り合い、支え合っているようでいて、片や虫を寄せ付けない鉄壁ガードを見せ、片や見た目と違って気安く付き合いやすいとアピールする。
残念ながら妹のアピールは兄の一方的な片思いが見え見えの為、微笑ましく見られていたが。
「深雪さん、本当に気づいていないようでしたものね」
「というか、気付く訳ないでしょ。兄だったんだから」
辛辣に吐き捨てたエリカは大口を開けてケーキを頬張った。
「問題は達也さんの方」
「問題、ですか?」
雫の言葉に、美月はピンときていなかったようだが、何人かはああ、と声を漏らした。
「妹だって達也さんも信じてた。それでもあれだけ無自覚に深雪のことを愛していたのに、実は従妹で婚約者だってなったら暴走したっておかしくない」
うんうん、と頷く二人と、「ぼ、暴走!?」顔を真っ赤にする三人。
特にエリカは(きっと早々に暴走したわよ)と確信を持っていたが口にはしない代わりに眉間のしわを深くした。
「学校では校長に注意されてそれなりの距離を保っているけど、最近生徒たちに不穏な動きがある」
「え、そんな報告受けてないよ!」
「今初めて言った」
「そういうのは風紀委員の報告会で言ってくれ」
「まだ現場を押さえたわけじゃない」
噂を耳にしただけ、との雫の言葉に一体何の話かと皆耳を傾ける。
「…達也さんの恋を応援するため、いちゃつき解禁の署名運動が起きてるって」
「「「はあ!?」」」
「し、雫!それどういうこと?!」
「どうもこうも、私が聞いたのはそれだけ」
「…北山、北山さん。今からでも風紀委員長を代わってくれないか」
「やだ」
「頼むよ!」
「絶対いや」
幹比古が雫へ必死に嘆願するもなしのつぶてで雫は取り合わない。
それをよそに残るメンバーは深刻な顔つきになっていた。
「ちょっと、それって一大事じゃない」
「俺らコーヒー中毒にされそうだな」
「い、今だって達也さん、直接触れてないだけで甘い視線を向けてるのに、こ、これ以上見せつけられなきゃいけないの?!」
涙目のほのかに同情的な視線が集中する。
本人も失恋確定なのは理解している。けれどだからといって恋心が急に消えるわけじゃない。
初めから敵わないと誰もがわかっていてもこれは同情せずにはいられなかった。
「っていうかさ、なぁんか面白くないのよね」
「エリカちゃん?」
「まるで深雪は自分のものだってアピールされてるみたいで」
「されてるっていうか全身全霊を掛けてしてるだろ、アイツ」
「それが腹立つってのよ。ただ婚約者って立場を得ただけであって、まだ彼氏にもなってないのに独占しようだなんておこがましいのよ!」
ズビシ!と指を突き付けて啖呵を切るエリカに、そういえば、と一同ははっとなった。
「そういやまだ付き合ってないんだったか」
「でも、深雪さんが達也から逃れられるかと言ったら恐らく…」
「…無理、でしょうね」
「達也さんが逃がすわけがないよ…」
だって、達也さんだものと恋を振り切れない乙女の言葉に全員が深く頷いた。
達也だから、の言葉には強い説得力があった。
「だけどまだ深雪は達也さんに恋をしていない」
感情のこもらない声と表情でも、雫が覚悟をもってその言葉を口にしたことにエリカは大きく頷いて賛同する。
「そう、深雪には時間が必要なのよ。それを達也くんはこの混乱に乗じて畳みかけようとしてる。――そんなこと、許せると思う?」
「許せるって、お前どの立場の人間だよ」
「もちろん深雪の友人としての立場よ。お友達が危険な目に遭うのが目に見えてるのに何もしないでただ見ていろって言うの?」
「なら、どうするの?」
雫の強い眼差しを受けたエリカはにやりと笑って。
「達也くんの妨害をするのよ」
「…お前、日ごろの鬱憤ぶつけるつもりか」
「あったり前でしょ!腹が立つのよ、あの余裕の顔!いつもは大して表情に出さないくせに、こんな時ばっかり腹立つ顔して。深雪を我が物顔で独占なんてさせるもんですか。深雪は私たちの友人でもあるんだから」
ふん、と鼻を鳴らし胸を張るエリカの宣言にレオは苦笑し、美月は困ったような笑みを、幹比古は視線を斜め上に頬を掻き、ほのかが遠くを見つめる中、雫はまたもその通りと頷いてこぶしを握り締めていた。
「深雪が戸惑っている隙を突いて篭絡しようとしてる。だけど深雪にだってもっと考える時間が必要」
「そうそう。だからこれは深雪の為の時間稼ぎ。私怨だけじゃないわ」
「私怨は認めるんだな」
「そりゃあ、ね。だって、こっちはやれ四葉だ、次期当主だ、兄妹じゃなかっただ、婚約者だ、って一気に畳みかけられて大混乱したってのに一人だけ幸せ勝ち取ってんのよ?邪魔してやりたくなるでしょ!」
「完全な私怨だ…」
あまりの潔さに幹比古は呆れたように呟いたが口元は少しばかり緩んでいた。
美月もくすり、と笑い、レオはやれやれと頭を振るが、その彼の表情も笑っていた。
元E組は達也に対して遠慮がない。
対するA組二人はと言うと――
「深雪には心と向き合う時間が必要。達也さんの好きにはさせない」
雫は静かに闘志を燃やし、ほのかは――
「――達也さんの恋が叶うまで、アタックしようと思う。でも、それは諦めないって意味じゃなくて、最後まで出し切って良い思い出にするため。それで、あわよくば達也さんを困らせて、深雪も慌ててくれて、…二人が向き合うきっかけになったら私の恋が無駄じゃなかったって思えるから」
「ほのか…」
恋の終わりの期間を宣言した。
決意した表情は彼女を大人びてみせた。少女が女性へと変わっていく片鱗を目の当たりにしたのだと、友人たちは各々の想いを抱いてそれを見つめた。
「さ、食べよ!話してたらだんだんお腹空いてきちゃった」
「そうね、まだケーキ全種類制覇してないし」
「よーく、そんな甘いもんばっか食えるよな」
「今日はいつもより食べるわよ。なんたっていつもの甘ったるい二人がいないんだもの」
今日は胸やけを起こさずお腹いっぱいケーキが食べられるわ!と拳を握るエリカに確かに、と笑いが起こった。
それからしばらく美味しい料理に舌鼓を打ちながら、気が緩んだメンバーは改めてここにいない友人の愚痴で盛り上がり、最後はコーヒーで締めた。
「魔王達也から深雪姫を守るのよ!」
「「「「「おー!」」」」」
「っくしゅ」
「まあ、お兄様、風邪ですか?」
「いや、…ああ、でも寒いのかもしれない。温めさせてくれないか?」
「え?!も、もうお兄様ったら。寒いのでしたら魔法で温めて差し上げます」
「魔法よりもっと手軽な方法があるだろう?」
「お、お兄様!」
「照れる深雪も可愛いね」
「か、揶揄わないでくださいませ!寒いのでしたら温かい飲み物をご用意してまいります!」
淑女らしさを残しつつも焦って部屋を出ていく深雪に、達也は伸ばしかけた手を下ろした。
ここで焦って逃げられては元も子もない。焦らずじっくり攻めていこう、と己に言い聞かせて。
「それにしてもくしゃみ、か」
いつぶりだろうか。風邪とは無縁の生活をしているので滅多にすることは無いが、偶にはくしゃみもする。
(くしゃみは人の噂に上った時にもするというが)
魔法界で話題の存在であることは自覚しているので、どこで噂になっていてもおかしくはない。
また面倒ごとが起きないといいが、と思いつつもどうあっても騒動がやってくるだろうと予測できた。
だがまさか、それが身内からだとはこの時の達也は思いもしていなかった。
「ああでも、妨害するにしてもそれとなくよ、それとなく」
「どうして?」
「だって、あの達也くんよ?あからさまに妨害なんてしたらその後で深雪に慰めてもらおうと甘えたりするかもしれないじゃない」
「…甘える達也なんて想像もつかないけど」
「――それくらいのこと、達也さんならやるよ。深雪を手に入れるチャンスを逃すはずない」
「諦めろ幹比古。俺たちができるのは何も知らんふりだけだ」
「…エリカたちの邪魔だけはしないようにするよ」
「ってことで、それとなく妨害しながら深雪姫を守るのよ!」
「「「「「おー!」」」」」
こうして新たな結束を誓い、杯を掲げたのだった。
――
深雪サイド
深雪は自室に戻ってからふぅ、と深い溜息を吐いた。
(今日も、何とか誤魔化せた…)
いつまでもドアに寄っかかってもいられない、とよろよろと今にも躓きそうな重い足取りでよろめきながら歩く。
普段けして見せられない隙だらけの姿だが、ここは誰も見ていない彼女の部屋。
気力もほとんど使い果たした状態の為、許してください深雪様、と心の中で自分が成り代わってしまった原作の深雪に許しを請いながらぽすん、とベッドに沈んだ。
新年を迎え、もう一週間――いや、今の深雪にとってはまだ一週間と言いたいところだ。
あの、激動の年末年始を越え、予想をはるかに超える結果をもたらした日々。遠く感じる出来事だが、あれからまだ一週間しか経っていないのだ。
彼女の知る、原作知識からかけ離れた、想像すらしなかった、ありえない筈の
(あれだけのことがあって、どうして平静でいられるというの…)
実の兄であり、婚約者となった達也と一線を越えてからまだ5日。
表向き、元の兄妹でしかなかった頃のように穏やかに過ごしているように見せているが、彼女の内心はそんな穏やかなものでは無かった。
緊張していないように見せるのは至難の業だが、これまでに淑女教育で培ってきた余裕を見せる技でその場を誤魔化してやり過ごしていた。
達也は初めこそ元の感覚を掴めずに暴走気味であったが、一度感覚を取り戻してしまえば切り替えることができたようで、深雪の前ではほぼ普段通りに戻っていた。
それは恐らく彼の特殊能力がものを言った結果だろうが、その変わり身の早さに深雪はわずかだが恨めしさを抱く。
あれだけの濃密な触れ合いを、肌を重ねておいて意識しないでいろというのは無理がある。
待つ、といった割に大きな罠を仕掛けてくれたものだ。
(…確かにアプローチはすると言っていた)
だけど、だからと言って確認と称して体の相性を先に調べるのは如何なものか、と深雪は頭を抱えた。
実の兄妹であるから濃い血を避けるため生理的に受け付けない恐れがあった。それはわかる。
将来的なことを思えば結婚が決まってから無理でした、になる前にはっきりさせておいた方が、長く続くかもしれない結婚生活の為に確かめること自体が悪いとは言えない。それはわからなくもないのだけど。
(そもそもその仮定は、お兄様用に作られた完全調整体の私には無意味なものだったのでは、とも思うわけで)
一体四葉の技術力がどれほどのものなのかはわからない。
だが、過去に当主と精鋭たちを失い、戦力を削がれてもなお十師族に名を連ね、二十年後には十師族からも恐れられるほどのずば抜けた戦力を有するようになった一族が、『完全』と銘打つ最高傑作を生みだした――それが司波深雪だ。
まだ学生の身でありながら最高の魔法力と巧みなコントロール力を持ち合わせる魔法師にして、完璧な健康体を維持、それに加えて将来を約束された美貌を持つ彼女は、司波達也の為に作られた特別製の女の子。
達也という、神によって地上に産み落とされた再生と破壊を司る最終兵器に後付けされた制御装置。
兄妹として造り出しておきながら、禁忌を犯させる気でいた現当主の策は狂気に満ちていると言わざるを得ない。
全てを破壊したいという衝動がそうさせたのか、どんな障害も乗り越えて結ばれる絶対的な愛を求めたせいなのか。
初めからそうであるようにと、彼女の狂気により完成させた最高傑作である深雪の体が、達也の遺伝子を受け入れられないわけがないのだ。
もしかしたらただ受け入れるだけではなく、達也のフェロモンに惹かれるように作られている可能性だってある。
そもそも深雪が達也を愛せるように作られていなければ、計画は成り立たない。それが遺伝子操作で兄妹であろうと忌避しない、というだけで進められるのかどうか。
当主・真夜から直接妹の誕生の過程について聞かされた達也が、その可能性に気付いていないとは深雪には思えなかったが、直接触れることで確証が欲しかったのかもしれない、と考えると納得もできた。
(遺伝子が離れているからといっても、実の兄妹として生まれ、途中からとはいえ兄妹として暮らし、育ったのだ)
相性ばかりは遺伝子を視るだけではわからないことだろうから。
しかし、こうして御託を並べて無理やり納得しようとしても、それでも深雪は卑怯だ、とベッドの上で丸まる。
自らの身を護るように。
「はぁ…」
悩まし気なため息を漏らしながら唇をなぞる。
そこはつい先ほど、溶けてしまいそうになるほど熱い熱を分け与えられた箇所でもあった。
寝る前のわずかな時間を二人で過ごし、別れ際に新たな習慣としておやすみのキスをするようになった。
直前まで兄妹として過ごすのに、一日の最後には婚約者として別れる。
このギャップに戸惑い、深雪は日常を取り戻そうする努力が毎回リセットされる気分を味わっていた。
(そのまま何事も無く別れられたならきっと数日で元の兄妹に戻れるのに――思い込めるのに)
忘れさせはしない、という達也の強い意志を感じ唇だけでなく頬も熱くなる。
深雪とて、この触れ合いが嫌なわけではないのだ。
はっきり言ってしまえばその先を求められたとて、強く拒めず流されるままに身を委ねるだろうことも予測できた。
だがそれは、その先の快楽を知ってしまったことによる欲求や、愛する達也を拒絶したくないという気持ちによるもので、彼女自身の恋心からくるものなのかがわからない。
その考えが彼女の心を固くし、兄の気持ちを素直に受け入れられない理由の一つだった。
(お兄様を愛している、それは間違いない。もうただの原作キャラへの愛だけでなく、現実のお兄様として受け入れて暮らしてきたのだから)
司波達也は彼女にとって前世から愛する最強キャラクターで、ラノベ主人公らしく不憫で不幸な生い立ちという背景を背負いながらも強敵、難敵たちをほとんどたった一人で立ち向かい、蹴散らす強さを誇る『ヒーロー』…一般的な英雄像とは違うかもしれないが、そんな彼を前世では応援していた。
ある休日には、お兄様かっこいー!と劇場版のDVDを見るたびにテレビの前でペンライトを振るくらいにはお兄様愛に狂っていた。誕生日にケーキは当たり前だった。
だから深雪として生まれ変わったからには彼を幸せにするのが自分の使命だと解釈し、そのために突き進んできた。
そうしていくうちに原作との違いも生じ、達也との関係性も知識にあるものと乖離していったことで、改めて達也という人物を見るようになる。
物語で観られない側面をたくさん見たことにより形作られていく彼は、彼女にとっても未知のもので大変興味深いものだった。
そして、知っていくうちにさらに好きになっていった。
無条件で愛されることに原作の深雪が不安を抱き、愛を確かめるような言動をとることがあったが、今の彼女にとって大事であったのは兄に愛されることではなく兄を愛し、幸せに導くこと。
この二つの違いは原作との大きな乖離を齎す、はずだった。
妹からの告白が無い限り、兄の想いが兄妹の枠を超えることなど考えることも無く、自分に対しての愛は兄妹愛から変わらないものだと思っていた。
――兄妹愛のみが許された達也にとって、妹への恋情など深雪から何か仕掛けない限りありえないと信じていた。
だからこそ深雪は恋のように相手に求める愛ではなく、慈しむように無償の愛を注ぐことで、愛されることの喜びを知ってもらい、他者にも愛情を向けられるように仕向けていた。
達也が、人に関心を持ち、好意を寄せられることは原作知識で知っていたから。
一番に実行したのは母との親子愛を実感できるようにすること。
いきなり高校入学したから恋愛しろというのは普通一般でも難しい。特に達也は深雪以外に愛情を抱けないと思っているために、余計そのハードルは高すぎた。
だからまずは手近なところで、親子愛を認識できるようになってもらうことが第一関門だった。
達也は本人の自覚は無いようだが、初めから母への好感度は高かったように思う。美しいひと、優れたひと、と好印象を持っていたことも大きい要因だったのだろう。
まだ心を改造されていなかった幼い頃から突き放されていたにもかかわらず、憎しみや恨みを持っていなかった。
それは深雪が母に好意的ということもあったのかもしれない。
か細い可能性の糸。それに縋れたのは、母が兄を愛していることを確信していたから。
薄れた感情の中でも、常に達也を気にかけていたことに気付けたからだ。
その目論見は当たっていて、強引に関わらせたら二人は軽口を叩ける間柄にまでなった。
一年も経てば、昔から一緒に暮らして過ごしていたかのようにどこからどう見ても仲の良い親子になっていた――とは深雪の談で、実際のところ年齢差を感じさせない遠慮のないやり取りは、敬語さえなければ姉弟のようでもあったのだが、その姿を第三者が見ることは無く、これが彼ら親子の在り方として認識された。
こうして、原作ではなかった母との良好な関係を築けたことで、新たな道が開けたと確信した。
(お兄様は人を愛せる)
衝動こそ抱けないかもしれないが、それでも友好の『好き』以外にも抱ける可能性が生まれた。
愛は人を豊かにする。
兄妹愛だけでなく、親子愛を得た達也なら、別の道を歩める。
感情を奪われ、衝動を抱くことが無くなった達也でも、愛は抱ける――。
その可能性にかけ、深雪は次の計画に移ることにした。
兄の交友関係を広げること。そのために兄離れをすること。
中学時代の内ではまだ難しかった。
なぜなら中学校までは一般の子供たちの中で学校生活を送っていたからだ。護衛の意味でも傍を離れられないが、魔法師でない人との恋は彼ら兄妹には選択できるものでは無かった。
魔法師の専門は高校からしかない。
十師族の立場で一般の、魔法師ではない人との恋愛はどうあっても成立しない、させないことは目に見えて明らかだ。
四葉から徹底的に隠されて、司波として一般家庭の出として暮らしていた深雪たちに同年代の魔法師との交流はない。
唯一可能性があるとして、達也が表向きアルバイトをしていたFLTくらいか。
そこでは魔法師しか使うことのないCADやその他商品を作っていたので多少テスターたちとの交流もあっただろうが、その程度。
外の交流として軍部もあるが、達也が所属していたのは十師族に危機感を持っている派閥の部隊。軍・四葉両面から見ても深く付き合うにはリスクが大きすぎた。
恋愛に理屈はいらない、とは言うが、達也の場合、なまじ割り切れてしまう能力があるせいで良いと思う前に除外されてしまう。
だが、それも高校に上がれば状況は変わる。――深く、長く付き合える交友関係が築ける未来を知っている。
明かされるだろう四葉の名は周囲を遠ざけることにもなるが、逆に近づけさせる家もあるかもしれない。
妹と二人だけだった世界を抜け出し、もっと広い世界へ。
その道筋を作るための妹離れ計画だった。
家族を大事にするイメージはプラスに働いても、シスコンに映ればマイナスになる。完全に距離を置く必要性は無いものの、それなりに独立した立場を見せることはその計画上必要なことだった。
だからお兄様、と原作のまま慕う行動は避ける必要があり、ただの高校デビューという理由では兄も納得しづらいだろうと一科生と二科生の蟠りを利用し演技をするという体でおかしくない流れを作った。
作戦は成功。予想よりも一科生と二科生の壁があっさり取り壊され、深雪にとってこれ以上ない結果となった。
ただし、そこに演劇部部長によって二人をイメージした作品が作られ、学内に浸透、一科生の姫と二科生の騎士、禁断の愛の物語として語り継がれるようになるとは予想だにしていなかったが。
そしてそれがのちに、彼女の計画を狂わせる布石になるなど誰一人として予見できるはずも無く、歯車は動き出していく。
原作通り仲良くなった友人たち。
原作よりも被害が出ずに終息したブランシュ事件。
原作と違う動きをしたことで達也が原作に無い執着を深雪に見せたけれど、彼女はそれをトラウマだもの、と目を曇らせ真実を覗こうとしなかった。
もしこの時に少しでも疑問を抱き、異変に気付いていたならば――今とはまた別の未来になっていたかもしれない。
原作のように進んでも、原作とは違う点がいくつか生じて小さく未来が変わっていることに気付いても、兄の自分に対する執着が変化している現実に気付きながらも、それでも兄が妹に兄妹愛以外が向くことはあり得ないと盲目的に信じていたのは、彼女の心の中で『そういうもの』だと思い込んでいたことと、兄にとって兄妹である繋がりこそ切っても切れない絆であり、唯一裏切ることのできない関係であったから。
たとえ疎遠になろうとも、血の繋がりはなかったことにはできない。絶対的なモノ。
彼が唯一心を大きく揺さぶられる、己を人たらしめる唯一の存在。
原作を知っていたからこそ、彼女は兄の愛を疑うことも無かった。
彼が献身的に妹を愛していることを知っていたから。彼なりに愛そうと努力し、妹の為にと考え行動していた事実を前世で分かっていたから疑う余地などなかったのだ。
結果としてそれが揺らぐことのない信頼となり、兄妹の絆を固くした。
二人の距離を原作よりも縮める要因ともなった。
盲目的に目標に突っ走っていたため彼女は気づかなかったが、そのような小さな変化こそが達也の心を掴んで離さなかったのだ。
だからこそ起きた、逆転現象。
それにより原作ではありえなかった告白劇となり、――その後の二人の関係が大きく変化した。
(まさかお兄様側から告白をされるなんて)
ありえなかった。
(お兄様にとって何者からも守りたい大事な『妹』)
何にも代えがたい、彼の唯一。
兄妹愛こそ彼に残された衝動を抱ける強い想い。
だからこそ何よりその関係を壊すことを躊躇うはずだった。
兄妹であることに固執するはず、だ。
常識という枷と、この関係を失わないために、無意識に異性から除外するようにしていたはずなのに。
なのに彼は――仲の良い兄妹という関係を断ち切ることになるかもしれない恐れのある告白をした。
失うことを何より恐れているはずの兄からの告白に深雪は違う、と反射的に否定しそうになる。
(違う、こんなはずでは――)
達也の恋の相手の選択肢が、妹のはずがない。
妹が望まぬ限り、その選択肢は出ない筈だ。
そして彼女は初めて疑った。目の前にいるのは誰だ、と。
兄であったはずだ。司波達也であるはずだ。それは間違いない。
それなのにどうして司波達也ではありえない選択肢が発生している?
(なぜ、)
(どこで、)
(何を、間違えた――?)
深雪にとって兄からの告白は何かの間違いにしか思えなかった。
そう考えた瞬間、彼女は足元が崩れる心地がした。
(今、私…とんでもないことを…)
兄の言葉を疑うなど、司波深雪としてのアイデンティティを失うようなものだ。
鈍る思考を回転させ、一言一言拾い上げれば、確かに兄、達也の言葉だと信じられる。
(妹としても愛している――つまりお兄様は兄妹という関係を失いたくないと…、だけどその上で、異性としても、その…愛している、と)
原作を思い返せば、確かにそのような描写はある。妹の色香に翻弄されそうになるのを、兄だからと動揺を見せないようにしていた。
その原作を知っていたので深雪は彼の前で必要以上に肌を露出するような服装は避けてきた。
本来であれば触れ合いも、高校からは一定の距離を保とうとしたものの、達也に寂しいと言われてしまえばもう少し、相手ができるまではとずるずると引っ張ってしまっていたことは彼女としても痛恨の極みだ。
寂しがらせてしまうかもしれないことはわかっていても離れるつもりでいたのだが、まさか達也の方からまだ離れないで欲しいと口にされるとは深雪も計算外だった。
達也なら深雪の成長を、意思を尊重するものだと思っていたから。
そして深雪はここでも勘違いをする。お兄様はお優しいから、妹の寂しいという気持ちを汲んだお兄様が自分の願いという形で無理に離れることは無いと伝えているのではないか、と解釈し、その思いを無下にできず最終的に兄の言うとおりにしてしまった。
自分の甘えを兄がまるで自分都合のように言うことで肯定してくれていたのではないか、と。
(そうだったとしても、私は突き放すべきだったのに)
兄の願いなら妹が叶えなければと流されていたことが
告白されて気付く己の行いに罪悪感を抱く前に畳みかけるように兄から如何に好きかを説かれ、その後の言動に羞恥と混乱の渦に落とされてしまい、そのことを考えられるようになったのは家に帰宅し、一人になって冷静になってからだった。
深雪の罪悪は主に二つ。
これまでずっとその場の一時の感情に流されたこと。これは兄の幸せを思えばきちんと断るべきだった。
兄の想いを無下にするのは、と心苦しく思うことに引いてしまっていたが、その先を思えば離れるべきだったのだ。
そうすれば兄が勘違いを起こすことなどなかった。
(――そう、勘違い)
兄に抱くもう一つの罪悪感――それは植え付けられた感情による思い込みが発生しているのではという疑念。
妹を唯一愛するように仕向けられ、妹しか愛せないと思い込まされていた心。
そこに当主の狂った計画を明かされ、妹の婚約者にされ――いくら他に衝動を抱けない兄であろうとある種自暴自棄の結論に至ってもおかしくないという答えに行きついた。
(だからお兄様はあのようなおかしな行動をとられた、んじゃないかと思うんだけど)
告白のみならず、服の下の肌にも触れられたあの夜――。
あの時は最後どころか序盤で離してもらえたけれど、あのような性急な行動は彼らしくなかった。
キレていた、暴走していたと言われればそうなってもおかしくない状況であったと思う。
生まれ落ちたその瞬間から殺意を向けられてきた経緯、大切な妹が完全調整体であり、婚約者として初めから『用意』されていた事実は彼の心にどれほどの衝撃を与えたことか。
そこで、あれだけ磨き上げられた深雪が登場しては、いかな達也であろうともぐらりと理性が揺れても無理もない。
そして今まで積み上げてしまっていた執着が、恋という勘違いを犯させたのではないかと思ったのだ。
(改造されたからこそ起きてしまった間違い――)
達也だけではない。
それは深雪にも思い当たることがあった。
普段触れられないところに、意思を持って触れられた時、浮かんだのは恐怖でも嫌悪でもなく――喜びであり、その先を求めるものであった。
混乱した。
誰にも触れられたことのないところに触れられたにもかかわらず、感じてしまった体に。
快感を知らぬはずの体が、その先を欲したことに。
兄に向けられた欲を、受け入れたいと思った心に。
(お兄様の為に作られた完全調整体。それは兄を愛するように作られていた…?)
容姿は整った方が良いだろう、と弄られたらしいことは知っていたが、それだけではなかったのだろうか。
疑いたくなるほど深雪の体は従順に兄を受け入れようとしていたことに不安を抱いた。
達也のことを深雪は愛している。
そこに一切の偽りはない。
だが、それはあくまで兄妹として、家族としてだ。
カッコいい、とも、時には色気にくらくらする時もあった。魅力的に感じたことは数知れない。
頭を撫でたい、抱きしめてあげたいと手を伸ばすことはあってもその先は考えたことも無く、額や頬へのキスはぎりぎり許容することはできても、唇が重なり合うなど以ての外だった。
(兄妹だもの)
兄妹なのだ、深雪の中では。
ファンだったのだ、前世の記憶でも。
画面越しで、決して触れることなど敵わない存在。
触れられても、兄妹以上になることは無いと思い込んでいた。
(兄妹、なのに…)
丸めた体をさらに強く抱きしめた。
あれ以来、どうやらこの体は兄を求めてしまっているのではないかと思えてならない。
兄を拒もうという気が起きないのだ。
普通なら拒絶できるはずだ。恐怖で逃げ出したくなるはずだ。
なのに、離れようという気さえ起きない。
(わからない…)
兄の気持ちも、自分の気持ちもわからない、と深雪は固く目を瞑る。
自身は精神干渉を受けていない筈だと思うのに疑ってしまう。
そして、精神構造干渉を受けた兄の想いも、疑いそうになる。
――この愛は、残されたのではなく植え付けられたものなのではないかと。
(…違うって、否定できない…)
真実に触れるのが怖かった。
――
(なーんて、ナーバスになったところで朝は来るのよね)
自分に似合わないシリアスな展開で自分の境遇に酔ってみたものの、次の日になればあれだけ重く感じられたものは無くなっていた。
無くなっていた、というか今すぐ結論の出ないことにグダグダ悩む時間は無い、と棚上げしただけなのだが。
お兄様の想いはわからない。
好意を寄せられていることは十分に伝わっている。異性として見られていることも、その、あの様に触れられれば冗談ではないことは流石にわかる。
だが、こちらを待つ、と言ってくれている間にもしかしたら目が覚めることもあるかもしれない。
恋の期限はもって3年らしい。そこで冷めるか愛へと成るか。
逆に私の思いが恋へと変わるのか――。
どう転がるかなんてまだわからない。
もし、原作の流れに沿うならば、妹の告白を受けて卒業するまでお兄様は恋を受け入れることは無かったから、その頃になるのだろうか。
お兄様に誰かが告白をして、兄としてしか慕っていないだろうと指摘され、自分の方が好きなのにと非難され、想いを自覚する――。
(……でも、現実でのお兄様と原作の深雪ちゃんは同じ展開じゃなかった)
告白をされても一線を引いたお兄様と、拒めなかった私ではルートが違う気がするのだ。
深雪ちゃんは告白を拒絶されず受け入れてもらえたことで落ち着いて、お兄様を待つ覚悟をした。
以前のような焦りは見せず、ただお兄様の心に寄り添うようになっていく。
(お兄様も同じように待つ、とは言ってくださった)
だが、実際はどうだろう。
待つと言った直後に念のための確認だ、と…最後まで致してしまった。原作だって恋人関係となり大学生になってもそんな描写、描かれていなかったのに。
原作クラッシュもいいところである。
ありえない展開。何がどうしてそうなった?!と頭を抱えたし、それは今でも一日一回抱えている。
おかげで全然この先が読めない。
お兄様の幸せがどこに向かっているのか、さっぱりわからなくなった。
好きな人と一緒になって幸せになってもらいたい。そのお手伝いをしたい。
そう思っていたのにその相手が自分で、その手伝いなんてできようはずも無く、完全手詰まりだ。
(…お前が受け入れればいいんじゃね?って?…簡単に受け入れられるわけがないじゃない)
これがただのいち学生で、兄妹でなかったら話は早かった。
わからなければ付き合っちゃえばいいんじゃね?で済む。それで相性が良くて、これからも付き合っていけるなら交際を続ければいい。
だが、こっちはただの学生でもなければ兄妹なのだ。簡単にくっつくことも別れることもできない。
お互いじっくり考える時間が必要だ。
幸い、私たちにはまだ時間がある。
これから婚約に対して横槍は入るし、師族会議にて十師族襲撃を皮切りに各地で事件が起きるのだ。
魔法師界は大いに揺れ、平和が遠のく。
……できるだけその被害を最小に抑えるべく動いてはいるけれど、そのためにはあわただしくなることは必至で。
裏で動く私もだが、軍にも所属し四葉の駒でもあるお兄様がこの緊急時に駆り出されないはずも無い。
激動の高校生活後半戦は始まったばかりだ。
階段を下りて、顔を洗って、キッチンに立って――
「おはよう、深雪」
「おはようございます、お兄様」
ハグをして、流れるように唇をかすめ取られて頬を染める私をもう一度抱きしめて。
「まだ慣れないか」
くすり、と笑う声が耳に吹き込まれて離れていくお兄様に、「慣れるわけがありません…」とそっぽを向いて顔を隠すしかできない。
それがとても悔しい。
恥ずかしさを上回る悔しさがあるのは、お兄様がそう仕向けているから。少しでも私の負担を軽くしようと冗談めかしてくれているのだけれど、そもそもそのように触れさえしなければこんな思いを抱かなくて済むのだけどね。
ドリンクを渡し、飲み干したお兄様を玄関まで見送って、いつものルーティーンに戻る。
柔軟をして、庭の手入れをし、起きてきた水波ちゃんにいくつか頼みごとをして花を活け、写真立ての前に立つ。
「(お母様、私はまだ、どうしていいかがわかりません。お兄様の幸せがどこにあるのか…私は何をしてあげられるのか)」
気持ちの整理も含めて母に相談すると、答えは返ってこないが心が落ち着いていく。目を閉じれば母の顔が浮かんで――浮かんでいるのだけど、なぜそのように憐れむ視線を向けられるのです?記憶の中にそのような思い出はない筈なのにはっきりと思い描けるのはどうしてなのだろうか。お花気に入りませんでした?
それから今日の予定を話して一日いい日でありますように、と締めくくる頃にはいい香りが漂い始めた。
水波ちゃんと一緒にキッチンに立ってお弁当を作る。しばらく食堂が使えないので弁当を持参しているのだ。
少し余る程度に二人分。
余った分は水波ちゃんの朝食にちょっと添える形で。料理は勉強中だというけれど、十分に美味しいと思うのにね。向上心があることは良いことだってことで。
「あら、もうお戻りのようだわ」
アンテナにビビッとね。まだチャイムは鳴っていないのだけど直感的に。…これ、微弱なサイオンを感じているとかそういうことかな?サイオンだけだと誰かと特定は難しいと思うのだけど…嗅覚?お兄様に関しては異様に鋭さを発揮する。
深く考えないようにしよう。
箸を置いて、一旦エプロンを外して玄関へ。
纏めていた髪を下ろしたところで扉が開く。
「おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
ハグをして、今度は頬にキスを落されてからすぐ離れたのは、外の空気で冷えた身体では私の体を冷やしてしまう、ということのようだ。…そういうところは『兄』を見せるから戸惑ってしまう。
どちらが本当のお兄様なのか。否――きっと、そのどちらもお兄様なのだ。
「お風呂の準備はできております」
「ありがとう」
以前と変わらないやり取りに安堵しつつ、お風呂に向かうお兄様と別れてキッチンに戻る。
おかずをお弁当に詰めて、完成させてから一旦制服に着替えに。
ダイニングに戻る頃には机に朝食が並んでいて、シャワーを浴び終え身支度を整えたお兄様が揃って皆で朝食を。
「あの…」
珍しく水波ちゃんから食事中に話題を振る。
「本日光宣様から日記が返ってくると思うのですが、今回のことはどのようにお伝えするのでしょうか」
あ~、それね。
年末年始は書くのが難しいと思ったのでその間は光宣君の手元に持っていてもらったのだけど新学期が始まったらこちらに回ってくることになっていた。
「それなんだが、光宣にとっては何も変わらないから問題ないんじゃないか?」
何も変わらない?どういうことかと首をかしげるとお兄様はあっさりと。
「俺たちは変わらずあの子の両親であり、実際に夫婦になることになった、だけだろう。四葉であることは光宣には隠していなかったしな」
……うん、そうか。そうですね。だけど――
(お兄様の中では夫婦になることは決定事項なのか。…待つ、と言ってくれてたよね?待つ、だから『待つ』が終われば結婚ってことか…)
水波ちゃんがお兄様を睨みつけています。まだ私がお兄様の気持ちに応えていないことは水波ちゃんにも話したからね。
実の兄妹、ということは言っていない。それは四葉の闇ですのでね。教えられない。
お兄様の言うことは一部を除き納得した。
光宣君との親子設定を変える必要はこちらとしては無い。光宣君が嫌がるならこの縁はこれまでだろうけど、新年のメール(一応誰が見るのかわからないので当たり障りのない内容ではあったが)を見る限り、その心配はなさそうだった。
四葉であることも、出会い上隠せるはずも無く、むしろ周囲に隠してもらう側だったので問題になることが無い。
「婚約者となった事実と、兄妹だと思って暮らしていたこと、まだ戸惑っていることは正直に話しても問題ありませんよね?」
「それに俺は降って湧いた幸運に喜んでいる、と書き足せばいいんだな?」
…お兄様…、ちょっと揶揄うのが楽しくなってますね?水波ちゃんの表情がどんどん険しいものになっていく。
「お兄様?」
窘める声を出せば、引いてくれるので助かっているのだけどこの調子がずっと続くのはあまりよろしくないような?
私の心臓にもだけど、何より水波ちゃんのお顔がね。怒ったお顔も可愛いのだけど、穏やかなお顔もとっても好きなのでね。
ある程度すり合わせて、朝食を終えて学校へ。
学校の最寄り駅から視線がすごい。
注目の的だね!…なんて心の中だけでもはしゃぐ。
演技中の為顔が無表情になりましたからね、心だけでもふざけてないと心も冷えてしまうので。
ごめんね。皆が怖がる表情の下でこんなことを考えているとはだれも思わないだろう。
お兄様との距離が空く。その間に水波ちゃんがぴったりと護衛につく。
これが、今の登校風景。
どれほどこの状況が続くのかはまだ不明だが、今度は誰がきっかけになってくれるかな。――予定では手紙を送ったエリカちゃんたちなんだけど。
生徒会は私が会長になったから無理だろうし、前会長の中条先輩が出てくることも恐らくない。
風紀委員は風紀を乱した覚えはないけれど、学校全体が異様な雰囲気だからそれを糺すのは生徒会か風紀委員のお仕事と言えば出てくる可能性はあるのかも。
だとしても風紀委員長が吉田君なので動きづらいだろう。
(はてさて、これからどう出てくるか)
鬼が出るか蛇が出るか。計画は立っていても出たとこ勝負でもある。人の心をすべて読み切れるわけではないから。
どうこようとも、お兄様の不利になるようなことにはならないよう動くのみ。
全てはお兄様の幸せのために――
新章に突入したお兄様の
と、始まった高校生活後半戦の初戦――エリカちゃんたちとの一戦で一高生徒の四葉への恐怖による腫物扱いのような空気は霧散した。
四葉は恐ろしいままだが、司波兄妹は――いや、兄妹ではなく従兄妹であり婚約者同士となったわけだが――本人たちも動揺している様子から彼らも何も知らなかったのだ、とむしろ『二人を取り巻く環境』に同情的になった。
それから、お兄様が私へ告白したこと、私はまだ兄ではないことに混乱していて返事ができない、ということも広まったことでこの恋模様がどうなるのか一丸となって見守ることにしたようだ。
(…そんなのまでは計画してなかった…)
まさか一高にこんな結束力があったとは。
確実にあの悪魔の書が原因なのは間違いない。
まあね、学校という閉鎖空間で学校の有名人同士がくっつくかどうかなんて、学校中が注目してもおかしくない話題ではあるけれど、それにしても皆人の恋路を楽しみすぎでは?
…とっても居たたまれない状況。
でもね、まだ救いがあるのは校長先生に呼び出されて受けた注意のおかげでお兄様からの接触が少ないこと。
完全になくなったわけではない。頭を撫でたり肩に手を置いたりは判定セーフらしい。
手を繋いだり腕を組むなどの行為はアウトみたい。…誰がどこでジャッジしてるんだろう?
周囲は違反してくれていいんだよ、という空気があったりするけれど、生徒会長が規律を乱すような真似はしませんとも!
「しっかしまぁ、あれだな。見事に元に戻ったな」
食堂での昼食。
皆揃って以前のように食べてます。
周囲の視線?思えば以前からこんなものでしたよ。そんなに大差ない。
まあ、中には家から言われて四葉の次期を見定めてこい、とか観察してこいとか言われている家もあるのだろう。そういうのは逐一お兄様チェックが入ってます。後で家に帰ったら共有される。
こういう情報は共有が大事です。
「周囲の視線がうざったいけどね」
「でも、以前とそんなに変わってないような気も…」
「そう言いつつ、美月は達也君と深雪のことをチラチラ見てるじゃない」
「それはっ!」
うん、否定できないよね。美月ちゃんは私たちのファン第一号を自負されてますので。
「…私にも視線が向けられてるけど、同情されるものは減った気がするよ」
そう言うのはほのかちゃん。
相変わらずお兄様の隣に座る度胸は流石だと思う。
彼女には先日、生徒会室で宣言された。
「私、諦めない。――深雪が達也さんを好きになるまで振り向かせるためどんどんアタックするんだから!」
それに対して、私は――すぐに言葉を返せなかった。
情けないことに、返す言葉が見当たらなかったのだ。
原作ではお兄様を振り向かせる側、好きになってもらえるのを待つ側だったからライバル宣言ができた。
しかし、私はそうじゃない。
お兄様をお待たせしている側なのだ。
「…ほのかには酷いことをしていると思っているわ。私はまだ、お兄様への気持ちがわからないの」
「うん」
「それなのに、婚約者だなんて、お兄様にもだけれどほのかにも嫌な思いをさせてる」
「そうだね」
(ああ…なんて、強いんだろう)
ほのかちゃんは決して心の弱いヒロインじゃない。か弱いだけの乙女じゃなく強かでもあり、芯がしっかりしている。
彼女はすでにしっかりと前を向いている。
だから私も真剣に返さなければならない。
「お兄様を愛してるの。でもそれは家族として、唯一の兄としてずっと、愛してきたの」
「うん」
「それがいきなり兄じゃないと言われて、婚約者になったと言われても…そうですか、なんてまだ呑み込めない」
「わかるよ」
私も同じ、とほのかちゃんはまっすぐと私の目を見て言い切った。
「達也さんと深雪が兄妹じゃなかった、なんて信じられなかった。信じたくなかった。兄妹だからいつかは私にチャンスが巡ってくるかもって、ずっと期待していたのに、その前提が崩されたんだもの。しかもお家公認で婚約者になるなんて――できすぎだよ」
本当にね。原作を知っていても叔母様のとんでもシナリオには驚かされる。
「初めは達也さんが誰かに恋をしたら諦めようと思った。でも達也さんが片思いをしていることを知ってもまだ諦められそうにないの」
「…そう」
「だから、延長戦」
びし、と指を突き付けられた。
「達也さんの恋が成就するまでアタックし続ける。だって、これで深雪が振ってくれたら、もしかしたらチャンスが巡ってくるかもしれないでしょう?」
「傷心のお兄様を癒してあげるのね」
「心の隙間に入り込んで、射止めちゃうんだから」
「勝手に振られる前提の話をしないでくれないか」
ほのかちゃんと二人、視線をぶつけ合い、良い感じに話が纏まりかけたところでお兄様からのストップが。
ええ、お兄様のいる前でお話していましたとも。原作のようにね。
生徒会室で雫ちゃんとピクシーに見守られながら。
…ここにピクシーはいなかったはずなんだけど。
縁起でもない、とお兄様はちょっぴり複雑そう。
ほのかちゃんの諦めない宣言にお兄様は何を思っただろう。
改めて私の言葉を聞いて、どう思ったのか。…聞けないけど。
この宣戦布告があって、ほのかちゃんは吹っ切れたのか元の位置に戻っていった。
以前のような形に戻ったことで、彼女に同情的な視線は向けられなくなった。
報われないだろうに、等という声も聞こえなくなったのは、彼女が健気に恋にしがみついているのではなく前向きに恋をしている様子に、誰も非難することができなくなったことが大きいだろう。
女子生徒の中には憧れている声も上がっているそう。by水波ちゃんからの一年生情報。
「これで私、成績でも落としたモノなら皆から非難が向くんでしょうね」
「え、何で――ああ、七草会長の時のアレ?」
頭の回転の速いエリカちゃんはすぐに気付いた。
あれは一年の時の生徒会選挙の時、私のやらかしで場を騒然とさせたあの演説のお話。
「恋にうつつを抜かして成績を下げると非難されるという話だったか」
なら俺も気を付けないとな、とお兄様が言うけれど、成績落すってことお兄様にできるのだろうか?
皆ありえないだろ、って目で発言者を見つめてますね。
「そう言う深雪も落とさないでしょ」
「生徒会長ですもの。皆の模範であり続けられるよう頑張るわ」
今成績を落そうものならもれなく生徒会長だけではなく四葉としての評価も落とすことになるからね。気が抜けない。うっかり名前書き忘れたりして0点を取るなんてことになったりしたら目も当てられない。
「なら、夜も一緒に勉強しようか」
口元に笑みを浮かべて放たれた言葉に、食堂中から悲鳴が上がる。
…お兄様、節度お忘れです?
「勉強を一緒にすると話しただけだろう?」
わかっているくせにそうやって揶揄う。
ほのかちゃんは自分が言われたわけでもないのにお顔真っ赤になってぶんぶん頭を振って、そういうの良くないと思います!と元気よく叫び、雫ちゃんからはお手製のイエローカードが掲げられた。三枚揃うとお仕置き――じゃなくてペナルティとして雫ちゃんが私の隣でべったりするんだって。
私役得過ぎない?そしてお兄様もそれを不満そうに見つめるけれど、お兄様はご自身の言動が原因だということを忘れないでほしい。
「僕がコーヒーを持ってくるよ」
「俺も手伝うわ」
男子二人がそそくさと逃げていきました。いってらー、というエリカちゃんの目は半分死んでますね。
美月ちゃん?嬉しそうにきゃあきゃあしてるよ。ファンは目の前のファンサに大喜び。一番近い観客席で見られたわけだからね。嬉しいよね。私も第三者だったならそっちにいけたのに。
「お兄様、あまり言動を控えられないのでしたら、私にも考えがございますよ」
「深雪自身が罰を与えてくれるのかい?」
「…家でのおやつタイムは水波ちゃんと二人で食べます」
「悪かった。言動には気を付ける」
光の速さで謝るお兄様。いつかのデジャヴが過ります。
直前の余裕は何処に行ったんでしょうね。どんな罰をお望みだったのか。聞かないけど。
「おー、いないうちに達也がヤラレた感じか?」
「デコピン程度の攻撃で瀕死の重傷よ」
コーヒー貰うわ、とトレイから直に取ったエリカちゃんはすぐさま一口。
その様子に吉田君は聞かない方が良さそうだ、と皆にコーヒーを配ってから自身も早々に口を付けていた。
「なんだったか。雉も鳴かずば撃たれまい?てやつか?」
「アンタにしては冴えてんじゃない。正解よ」
こうして雑談が戻り、何事も無かったかのようにお昼休みを過ごす。
これが今の私たちの日常。
四葉として恐れられるでもなく、
兄妹であった頃のことを変に勘繰られることも無く、
奇異な視線を向けられることも無い。
多少のずれはあってもここまでほぼ計画通り。
もうすぐ、また新たな転換期を迎えることになる。
ここからが正念場だ。
如何でしたでしょうか?
余り他のメンバーにスポットを当てて書いたことが無いので、少し不安ですが。
この次から師族会議編に突入します。
いきなりオリジナル展開から入る上に、今後は原作の流れはそのままにルートを変えていきます。
妹成主は果たしてお兄様を幸せにできるのか?
温かく見守っていただけたらと思います。