妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前)   作:tom200

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師族会議編 中編

 

十文字家に訪問し終えたお兄様から帰宅の連絡が来て、その予定帰宅時刻に水波ちゃんと一緒に夕食を並べていると、お兄様が戻られた。

今日はハグが多いね。ただいまのハグ。…撫でられる腰。というかセーターを撫でられていきついたのがそこ、というだけなのだろうけど。手つきは怪しくないので緊張はそこまでしなかった。

…しないわけじゃないよ。背中撫でられるだけでも十分びっくりする。

 

「お疲れ様です、お兄様」

「うん。夕食の時にでも話そう」

 

まずは手を洗ってくる、と洗面所へ。

その間に戻るとベストタイミングでお味噌汁を机に並べる水波ちゃん。今日も完璧だね!

三人揃っていただきます、と食べ始めるのだけれど。

十文字家には七草先輩がいらっしゃったそう。

さっそく七草弘一が仕掛けてきたね。

十文字先輩も板挟みご苦労様です。…先輩心苦しかっただろうな。そういうだまし討ちみたいな作戦好まなそうだものね。

 

「前もってあの人からの情報が無ければ気にも留めず、そんなものだと流していただろうな」

 

叔母様の警告で、十文字先輩(その奥の七草弘一)の策略を見破ったらしい。

七草先輩本人は何も知らない様子だったらしく、警戒もしていなかったようだ。

 

「というより、七草先輩はあまり今回の事情自体を聞かされていないようだったな」

「それは、そうでしょうね。彼女は次期当主の立場ではありませんもの」

 

いくら身内と言えど、気軽に話せる内容でもない。けど…この時点で、七草先輩は元から嫁に出される前提だったのではないか、と推測できる。

だから家の中枢部分には関わらせない。そういった教育も施さない。

それは先輩の身を護る意味もあるのだろうが…よそ様の家の事情に口を挟む気は無いけどなんとももやもやする話だ。

四葉でもそういった話が全く無いわけでもないけれど、本人の資質を見極めて教育を施すから、実力があれば男女関係なく、嫁ぐことも理由にせず家に関わらせる。

うちはただでさえ人材が少ないから、その分きちんと教育が行き届く。身内に愛情深い四葉ですから、それはもう大事に育てる(ただしお兄様は例外。教育は施されたけども)。

そこが大きな違いかもね。

子供が大事だからこそしっかり教育を施す四葉と、子供が大事だから何も知らせずに守る七草。

 

「しばらく生徒会の業務は休むことになりそうだ」

「それくらい気になさらないで大丈夫ですよ。そちらを優先してくださいませ」

「すまないな」

 

明日からはまた学校が通常登校となる。

警察の発表の後、状況が変わったと判断。しばらくの間、登下校の時間帯はお巡りさんが巡回をしてくれて、警備員もいつも以上に警戒に当たってくれるらしい。

不安が無いわけではないが、いつまでも休校というわけにもいかない。まずは様子見、というところだろう。

お兄様たちと相談し、ほのかちゃん、泉美ちゃんとも連絡した結果、また全校集会を開くことにした。

 

「何もお前が謝罪する必要はないと思うが」

「そうは参りません。私の取った行動は他の生徒を巻き込むものでしたから」

 

石を投げられても仕方のないことをした。

生徒会長という立場でありながら自分勝手な行動を取った。

制服を纏っての言動は学校の名に影響する。わかっていながらも、私はあのような派手に目立つ行動を起こした。

その謝罪はすべきだと判断した。許されることでもないが、これはけじめだ。

 

「それで、お兄様は明日18時に魔法大学で待ち合わせとのことですが、そのままお食事も付き合われるのでしょうか」

「いや、そのつもりはない。これから毎日報告で会うんだ。一度食事をしたらそのまま連日付き合うことになるかもしれないからな。そこまで付き合うつもりはない」

 

ああ、うん。可能性としてはあり得る、のかな。毎日報告会をするのはそういう機会を七草先輩に与えるためだろうし。

 

「もし遅くなることがありましたらご連絡ください」

 

料理担当の水波ちゃんがちょっと強気に発言したのを受けて、お兄様は少し眉を顰めた。

 

「その予定は今のところ皆無だが、そうだな。その時があれば連絡しよう」

 

二人のやり取りを微笑ましく見つめながら、考えるのは七草先輩とのことだ。

 

(大学の正門で待ち合わせが18時。…目撃者は多いだろうな)

 

大学は高校と違いそれほど横の繋がりは強い印象はない。だが、彼女は大学でも有名人だ。魔法師としてだけでなく憧れのマドンナ的注目の的の存在。

そんな女性が男性と待ち合わせをして一緒に歩いていったなら、当然噂が立つだろう。

十文字先輩が一緒であればまた別だっただろうけれど。

…先輩もこんなことに加担させられて、さぞや心労が多いことだろう。

チョコレートなどの甘味の差し入れをした方がいいだろうか。あ、でも先輩にだけ渡したら七草先輩が面白おかしく誤解してくれそうな気配。二人に同じものを贈ろう。

 

「深雪、何を考えている?」

「十文字先輩と七草先輩にチョコレートでも贈ろうかと」

「…何がどうしてそういう発想に?…ああ、そういえば先輩からお礼の言葉を貰ったんだった」

 

手土産のことですね。

それを七草先輩に達也君の発想じゃないわね、と見破られたらしい。

まあ、こういうのは今の時代も女性の役割というイメージが強い。お兄様くらいの年の頃だったら母親が持たせたことだろう。

 

「十文字先輩の苦労が偲ばれると思いまして」

「…七草先輩にも、というのは彼女対策か」

 

お兄様も揶揄われる可能性に気付かれたみたい。彼女のことをよくご存じでしょうからね。

 

「お願いできますか?」

「任されよう」

 

だが、と言葉が続けられる。

 

「俺自身も労ってくれるか?」

「お兄様もチョコレートをご所望で?」

「それよりももっと甘いモノがいいな」

 

…わあ。視線の種類がガラッと変わった。

夕食時ですよ?水波ちゃんから警戒心バリバリのオーラが立ち上る。

 

「…コーヒーのお供は手作りさせていただきますね」

「期待しているよ」

 

うん、何か他の物も期待されているんだろうな…。水波ちゃんが胡乱な目でお兄様を見詰めていた。

 

 

――

 

 

次の日の朝、全校集会にほとんどの生徒が集まっていた。急な集会だったのに、一高の生徒は皆真面目だ。

集まってくれたことに感謝を述べて、マイクから離れて演台の前に出ると深々と頭を下げる。

息を飲む者、ざわつく者、とそれぞれ反応があったものの、ヤジが飛ぶことは無かった。

ゆっくりと頭を上げる。誰もがこちらを注視していた。

そして改めてマイクの前に戻って謝罪を。

自身の軽率な行動により、全校生徒を危険にさらしてしまったことを詫びた。

すると、女王は悪くない、とどこからともなく声が上がると、別の生徒からもそうだ!と賛同の声が上がる。

私からも失礼します、とマイクを通して声を上げたのは泉美ちゃんだった。

 

「会長の行動は『被害者』を守る最善の方法でした。会長のおかげで、彼らが操られていた真相が判明したのです。そして何より五体満足で家族の下へ帰れたのです!…会長がご立派に行動を起こされた結果です。誇りある行動だったと思います」

 

この発言にも賛同する声が多数上がった。味方してくれていることが、嬉しくて、眩しくて目を閉じた。

見放されてもおかしくなかったのに、温かく迎え入れてくれる。

でも、これだけは伝えなければならない。

 

「ありがとうございます。皆さんのお気持ち、とても嬉しく思います。――けれど残念ですが、魔法を知らない人から見れば、アレが恐ろしく映るのも事実です。その恐れを、私たちは非難してはいけません。それは分断を生みます。

理解を求めることも大事です。ですが、押し付けるようなことになっては、それは彼らにとって人間主義者と変わりありません。ニュースの報道も、少しずつ反応が変わってきています。魔法を恐れる報道もありますが、事件の真相について議論している今、世間に対し徒に刺激するようなことがあっては、落ち着き始めた魔法師へのヘイトを集めることに繋がります。

それを狙い、魔法師を狙う反魔法活動家が動くかもしれません。

再度皆さんにお願いしたいのは、もし、そういった人たちに関わりそうになったらすぐに逃げてください。誰かに助けを求めてください。絶対に直接対決するようなことは避けてください、ということです」

 

そうなった原因の一部である私が言っても説得力は無いはずだが、ぱち、ぱち、と拍手が鳴り始めたかと思うと大きな拍手になっていく。

皆の思いが一つになって形になったみたいだ。一体感がすごい。

スッと手を上げると拍手がぴたりと止まる。

 

「ありがとう」

 

再度感謝を伝えると、今度は割れんばかりの歓声に包まれた。

時間の無い中の集会だったので、もう授業が始まる時刻なのにおさまる様子がない。困っていると魅惑の低音ヴォイスがマイク越しに響き渡る。

 

「これにて全校集会は終了する。五分後の授業に遅れないよう速やかに移動するように」

 

……お兄様は先生でした?まるで教師による指示のよう。まだ最上級生でもないのに貫禄がある。

不満の声が上がってもよさそうなのに皆声を揃えて、「「「「「「はい!団長!!」」」」」」」って…団長?先生じゃなく?いつの間にかお兄様に新たな役職が加わった模様。

後でお兄様から、「俺も騎士団長に昇格したらしい」と教わった。…ああ、小説。護衛騎士だったのが様々な思惑により大抜擢されて、異例の若さで昇進したんでしたっけね。

…皆、ノリがいいことで。

 

「お前も女王をやれば彼らは喜んで付いていったと思うぞ」

「…こういう時くらいは真面目にさせてください」

 

こういうノリは嫌いじゃないけどね。ちゃんとけじめくらいは付けさせてください。

 

 

――

 

 

黒幕おじさんによる犯行声明は多くの謎があるということでおじさんの計画通り魔法師非難一色とはならなかったが、全く無いわけでもない。

魔法師同士の争いに一般市民が巻き込まれた、という考えは約9割が非魔法師の世の中では消えようがなかった。

魔法師のみが集う魔法科高校への風当たりが冷たく感じられる中の登校は、生徒たちにもストレスを蓄積させるものであった。

だから今朝の集会で発散するよう異様な盛り上がりになったのだろう。自分たちを奮起させるため、というのもあったのかもしれない。

私の魔法に対しても魔法の正当性に賛同する強い声が上がったのも、それが理由だろう。

だからこそ、水を差す発言は必要だった。いくら正しい理由が自分たちにあったとしても、頭に血が上っている状態では何を言っても火に油を注ぐようなものだ。

今は大人しく耐える時間だ、と。

だからかもしれない。

放課後の生徒会室にて原作と違った形で花音先輩と泉美ちゃんが言い争いを始めていた。

 

「――なら、先輩は、あのままパペットテロの被害者を野放しにして魔法師に傷つけと、そうおっしゃるのですか?!」

「別にそんなこと言ってないじゃない!十師族が勢ぞろいしていたんだからもっとスマートな解決方法があったんじゃないかって言ってるだけでしょ。わざわざ彼女が表に出なければ私たちがこそこそする必要は無かった、って」

 

少し席を外していた間に何が?

泉美ちゃんはお父さんに非があるような発言が許せなかった――のと、私が強力な魔法をカメラの前で使ってしまったことで発生した当校に対しての非難が許せなかったみたい。…お父様のみならず深雪先輩に何と失礼な、とご立腹のご様子。怒っていても美少女は可愛い。

でも花音先輩の不満もわかる。

日本魔法師の最強集団、十師族の当主が揃っていたのだ。しかも、テロがあるのでは、と警察と連携を取っていたというのに襲撃を受けたのは彼らの初動が遅すぎたのではないか、と疑念を抱くのも無理はない。

一般魔法師にとって十師族は雲の上の存在、と言っても過言ではない人たちだ。

そんなすごい人たちが集まっていてテロを彼らたちだけで鎮圧できなかった。この事実はそれなりに衝撃があったことだろう。

そんな中、一番目立つ活躍をしたように見えたのが一高所属の生徒である私だったから、十師族にだけ集中するはずの非難がこの学校にも殺到した。

警察の説明があって落ち着いたとはいえ、まだ電話が鳴っている状態。

花音先輩の不満は当然だった。

だから――

 

(この不満は泉美ちゃんではなく私が対応するべきだ)

 

そう中に割って入ろうと思ったのだけれど、先に動いたのは五十里先輩だった。

 

「花音」

 

ただ名前を呼んだだけ。それなのに花音先輩は肩をビクッと大げさに揺らした。

 

「啓…」

「あまり周囲に当たり散らすのは感心しないよ。元風紀委員長が風紀を乱すような真似をしては後輩に示しがつかない」

「う…それは、そうだけど」

「花音だってわかっているんだろう?あれはどう考えても最善の行動だったと。あの時彼女が動かなければきっと怪我人はもっと増えていただろうし、何より操られていた被害者はもっと無残な姿になっていた。

十師族の方たちの実力は確かにすごいけど、彼女のように傷つけずに無力化する魔法が使えたとは思えない」

 

この正論に花音先輩は黙り込んだ。

五十里先輩に頭を下げて感謝の意を伝えると、彼は首を振って司波会長のせいじゃないよ、とは断言した。

その言葉と強い眼差しは美少女のような容姿からは予想できない男らしさがあった。

 

「制服を着ていなければ、なんて後付けだ。着替えるような時間は無かった。アレは最短で最大の、最善策だったと、僕は思う。だけど、それで世間が納得しないことも、わかっている。…もどかしいよね。正しいことをしたのに理解を得られないのは」

 

それでいてはかなげに微笑むものだから脳内がバグりそうです。…真剣に語ってくれているのに煩悩まみれで申し訳ない。

 

「それに、花音はね、ちょっと拗ねてるだけなんだ。…一緒に出掛ける予定が潰れてしまったから」

「っ、啓!」

「それでそんなに不満そうなんだよね?」

 

…ああ~、それは、うん。本当に申し訳ない。学生の青春は短い。その貴重な一回の機会を奪ってしまったことは大変罪深いことだ。

 

「先輩、申し訳ございませんでした」

「ちょ、ほ、本気にしないでよ!そんなんじゃないんだから!…ちょっとイライラしてただけよ」

「そうなの?僕は残念だけど」

「!」

 

しゅぼっと真っ赤になる花音先輩に、ニコニコ顔の五十里先輩。…教会を敷地内に建てましょうかね。今すぐ結婚してほしい。

突然始まったラブラブカップルのいちゃつきに熱の冷めた泉美ちゃんはスッと下がってデスクに戻り、ほのかちゃんは真っ赤になってちらちら覗き見し、お兄様は知らん顔。水波ちゃんも以下略。…気になるのはピクシーかな?じっと見つめてますね。人間観察中?

無事解決して何よりです。…ただ一瞬、ほんの僅かだけお兄様からピリッとした空気が流れたことを私だけが感じた。

お兄様はこの後すぐに帰宅して着替えられてから防衛大学に向かわれる予定だから、その後二人きりになれたらフォローを入れよう。

そんなことを考えながら席に戻り、仕事を再開した。

 

 

――

 

 

お兄様が一足先に生徒会を後にしようとする際、今日は傘をお忘れにならないように、と伝えると「ありがとう」とすり、と頬を撫でられて生徒会室を後にした。…頭撫でるくらいでよかったんじゃないかな。水波ちゃんと泉美ちゃんがガタッ、と立ち上がる。

ほのかちゃんは項垂れていた。…すまん。許可証によりお兄様の触れ合いが増えてしまったことで、ほのかちゃんにはよりつらい現実が突き付けられている。

 

「いいの、アレは深雪のせいじゃなく、達也さんが私をけん制しているんだってわかってる」

 

…お兄様は直接ではないが、これ以上アタックされても応えられないことを暗に伝えているのだとほのかちゃん。

受け取り方は様々だけど、あながち間違っていないと思う。女の子の勘って怖いね。

 

「これは深雪と、っていうより達也さんとの戦いだから!深雪は気にしないで」

 

そしていつの間にか当事者のはずなのに蚊帳の外に。…私ではライバルに成れなかったらしい。でも恋する相手が恋敵って、すごい状況だね?

それから仕事を皆で片付け、下校時間内に帰れ(定期退勤でき)そうになる頃、ほのかちゃんから声がかけられる。

 

「そろそろ雫がこっちに来るって。一緒に帰る?」

「雫の車で帰るのね」

「一応、危ないかもしれないからっておじさんが」

 

流石雫ちゃんパパ。

泉美ちゃんもちら、ちらっとこちらを見ているのは七草も車の送迎があるからだね。一緒に帰ろうと誘いたいのか。

でもね。

 

「ありがとう。私は水波ちゃんと一緒に帰るわ」

 

狙われる危険性なら私がダントツだろうから。…狙ってくれれば今なら四葉の凄腕エージェントが、襲ってきた相手に何が起きたのかわからないほどのスピードで攫って行くだろうけど。一時的に黒幕おじさんの手駒がどう動くかの調査もかねて私を囮に動いてます。

でも、もし狙うのだとしてもしばらく派手な動きは無いだろうからいきなり狙ってくるとは思えない。

なので私たちは特別な送迎ではなく普段通りの下校をする予定。

そんなことは話さないけれど、何かあると察してくれたのかほのかちゃんはあっさり引き下がってくれた。

泉美ちゃんも、自分の家が十師族で狙われやすいことをわかっているので誘えないみたい。

気遣いありがとう。

泉美ちゃんを迎えに来た香澄ちゃんから、「これ、風紀委員からです。サインをお願いしたいって」と電子ペーパーを渡された。

泉美ちゃんが仕事は終わったのに、とぷんすか怒ったけれど、香澄ちゃんも頼まれて持ってきただけだからそんなに怒らないであげて。

先に二人を帰し、雫ちゃんもほのかちゃんのお迎えに。

貰った書類にさっと目を通し、サインをした書類を水波ちゃんが職員室に持っていってもらっている間、待っていようか?と声を掛けてくれたけどすぐ戻るだろうから、と二人に先に帰ってもらった。

いくら車での送迎があるとはいえ、あまり帰りが遅くなると危険が増すからね。

ばいばい、と見送って、生徒会室にはピクシーと二人きりになった。

いつものように髪を梳かさせてもらおうとセットを持って(デスクの中に入れてある)いそいそと近づいたら、深雪様、と声を掛けられた。

何かあったかと尋ねると、胸に手を当て異常があることを伝えてきた。

 

「異常?!いつから――いえ、大丈夫なの?どこか痛い?」

 

どうして今になってそんな重要な報告をするのだろう?お兄様が居た時ではいけなかったのだろうかと思いながらも、まず先に心配すべきは彼女の容態だ。

どんな様子なのかと尋ねれば、彼女はわかりません、と不思議な回答。

 

「…わからない?なら、症状はいつ頃から?」

 

これなら彼女も答えられるだろうと質問を変えると今度は即座に返ってきた。

2日前の、テロ事件が発生したニュースの報道を見つけた時、だそうだ。

彼女には学校の異変に警戒してもらっていた。

そして異変は昼前に起きた。急に学校の電話用回線にアクセスが集中したのだ。

彼女はそれが『気になり』、回線にアクセス、中の情報を『読み取った』のだそう。

もちろん、それはたとえ学内からであろうとも不正アクセスだ。だからその『痕跡も消した』上で彼女は『盗み聞き』をした。

内容は、当校生徒が魔法を行使し、人を襲っていることに対する抗議であった。

彼女はすぐさま仮説を立てた。

――生徒は今授業中であり、外にいるのは先ほど早退許可を取り学校を出ていった数人の生徒――その中でも一番に出ていったマスターであるお兄様と私が関わっているのではないか、と。

すぐさまニュースを検索したピクシーはそこで、例の画像を見つけた。

一高らしき制服を身に纏った少女が、魔法を行使する姿を。

その瞬間、彼女の中で言葉に表せない衝撃があったのだそう。

全ての動きが停止した――攻撃を受けたわけでも、エネルギーが切れたわけでもないのに、意識が外界からシャットアウトされた。

今まで経験したことのない状態に陥り、彼女は初めて『恐怖』を抱いた。

あの、マザーと言えるパラサイトを前にした時も抱いたことのない『恐怖』という、生命の抱く感情。

ほのかちゃんの想いをトレースすることによってマスターであるお兄様にお仕えしたいという願いを得、同時に副産物のように喜怒哀楽を得た彼女が、初めて抱いた恐怖という激しい感情に、彼女は大いに『戸惑った』。

だが、それよりも彼女は行動を起こさねば、と再度学校内のシステムに『潜り込む』。

通話回線をすべて「回線が混雑して繋がりにくくなっております」と勝手に自動音声に切り替えた。アクセスしてきた回線を特定し、全て控えた。

中には偽造したものもあったようだが、そんなもの、お兄様に鍛えられたハッキング能力により特定した。

それらも全て『痕跡を消した』上で実行し、更に『ネットの海に潜り』情報収集に努めた。

 

「ネットの海に潜ったって…」

 

その表現はあまりに人間染みていた。だが、だからこそ彼女が何をしたのかすぐに分かった。

彼女は3H――ピクシーの体を飛び出し、パラサイトの状態で電子の海に文字通り飛び込んだのだ。

 

「初めての試みでしたが、マスターに教わったプロセスで解除するより、『直に触れた』方が手間がかかりませんでした」

「………」

 

(…これ、とんでもないお話では…?)

 

「『覗き見た痕跡』も直接『触れて』上書きすれば、消えたので、見つかることは無いと、思われます」

 

――間違いなく、とんでもない話だ。その上彼女は事も無げに言ってのけた。

 

「USNA軍のメインサーバーに、直接アクセスしたのですが、USNAでは政府がミサイル盗難を利用し、日本で魔法師排斥運動を扇動。ヘイトを集めることで、自国の人間主義者の、活発化の抑制を図るため、テロを黙認し、USNAが関わる証明になる、首謀者抹殺の指令が、出ていると」

 

……大正解ですよピクシーちゃん。USNAトップの一番隠したい陰謀丸裸。

 

「一応確認するのだけれど、覗き見したことは本当に気付かれていないの?」

「探知システムは、通常プロセスにしか、反応しません」

 

つまり、人の手でハッキングされものだったなら発見もされるだろうけど、電子と化したパラサイトは魔法生命体でも有りながら電気信号の一つと捉えられ、怪しまれることなく厳重な対ハッキングシステムを潜り抜け、情報を読み取り、見つかることなく帰ってこれた、と。

痕跡と思われる足跡?のようなものも消してきてしまえば見つかることは無い、と。

……あの、フリズスキャルヴでさえ覗き見をすれば情報が他の人に渡ってしまうというのに、ピクシーはその痕跡さえも消せてしまうと言っているのだ。しかも、最もガードが固いはずのUSNAの深部とも言えるサーバーに侵入して、察知されずに戻ってきたのだと、そう言っているのだ。

内心激しく驚愕し、動揺しているが、深雪ちゃんの完璧な淑女の仮面は崩れ落ちることなく、ちょっと驚いた顔を保ちながらピクシーを見つめていた。

ピクシーはそれらの情報を得て、『怒り』を覚えた、らしい。

 

「深雪様が非難されているのは、大漢の生き残りの男による、日本魔法師への復讐の、テロ行為を止める為、魔法を行使したことが原因で、そのテロ行為は、USNAが日本魔法師にヘイトを集めることにあり、自国の反魔法師運動の減速化を図ったことで実行されたもの、であると分析しました」

 

ピクシーちゃん名探偵。真実一番乗りですよ。すごい。

3Hの感情表現に、悲しみはあっても、怒りは無いはずなのにね、無表情でも目の奥には怒りと思われる感情があるように見える。これは光の加減でそう見せているのだろう。うねっと触手が動き、光彩を魔法でコントロールしている。

光はほのかちゃんの得意魔法。3Hにはない機能だ。

 

「私は、深雪様を貶めた、この人間たちを――」

「ストップ。それ以上はだめよ、ピクシー」

 

その先を言わせてはならない。

ピクシーに、そんなことをさせてはいけない。

そんなことをしてしまったら、彼女は地球上にいられなくなってしまうから。

 

「ありがとう。私のことで色々と心配かけてしまったわね」

 

頭を撫でる。

うにょん、と触手が嬉しそうにうねった。

 

「ピクシーが手を下してしまったら、責任はお兄様が取ることになる。お兄様が貴方の所有者だから。たとえ痕跡が見えなくても、こっそりやったとしても、絶対見つからないとは限らない」

 

お兄様や、美月ちゃんのような特殊な目を持っている人がいないとも限らない。

見つかってしまった時、責任を取らされるのは所有者登録をしているお兄様だ。

電子の海、ネットの中ならともかく、現実世界でパラサイトが動いたとなれば、確実に痕跡が残る。

そう伝えると、今度はうにょり、と触手がしょんぼりする。うう、すっごい罪悪感…。でもちゃんと教育する時はしないとね。

 

「だから、協力するなら別の形でしてくれると嬉しいわ」

 

ぴょこっ、と触手が跳ねあがる。…うん、大変わかりやすい。ほのかちゃんみたい。お母さんそっくりだよ。可愛い。

 

「ただ…」

 

問題は、この新たにピクシーが身につけた『技術』をどうしたものか。

正直私の手には余るすごい能力だ。

おいそれと使っていいものでは無い気がする。

 

(ピクシーはお兄様のモノなのだから、お兄様にお伝えすべきなのだろうけれど、お兄様に伝えたらチートがさらにチートになってしまわれるのでは…?)

 

いや、お兄様がチートになる自体は困らないのだ。

何が困るって、それによってお兄様が他人と関わらず一人で何でも解決してしまうのではないか、ということを恐れているのだ。

 

(お兄様が忙しくてもこの程度で済んでいるのは、一人でできることに限界があるから)

 

特に情報収集はいつも人にお願いしていた。藤林さんとか、先生とか、四葉とか。適材適所。

なのにピクシーがもし、それを上回る情報を得られるとわかったら――お兄様に休む暇など無くなってしまう。

便利な手段を知ってしまえば、お兄様はどんなモノも利用する。

パラサイトがいつ裏切るかわからない、と警戒していたのも昔の話。最近ではピクシーのことを昔ほど警戒していない。

…家に連れて帰ることだけは頑なに拒否してますけどね。

それが初めの頃のように自宅に危険物を持ち込むのは、という理由ではないことは察している。

 

「…ねえ、ピクシー。貴方のその身につけた技術のことなのだけど、お兄様に黙っていることはできるかしら?」

「それは、何故です?」

 

ピクシーの目が鋭く光る。

ピクシーの願いはお兄様の役に立つこと。

それなのに役に立つだろう技術を黙っていろ、という私に不信を抱いただろうか。だけど、私としてもここは曲げられない。

知ってしまえばお兄様は休むことなく働いてしまうから、と理由を正直に答える。

するとどうだろう、ピクシーは目を閉じて――口元に笑みを浮かべて瞳を開き、不思議なことを口にする。

 

「――二人きりの秘密、ですね」

「え、ええ。そう、なるのかしら」

 

そう答えた瞬間だった。

 

(な、なんだなんだ?!急に触手がびったんびったん動き出した!)

 

これは、喜んでるってことでいいのかな?それも大喜び、みたい。なぜ?

 

「以前、マスターは、深雪様と二人きりの秘密を、欲し、得られたことを、喜んでおいででした」

 

……え、と。あれかな?お兄様に雫ちゃんとの秘密を持っていたことに嫉妬され、生徒会室で詰め寄られ、節度を保つように言われていたのにさっそく禁を破ってしまった、あの日。

ピクシーには見られていなかったはずだけれど、思い出しただけで羞恥心が甦る。

 

「私も、深雪様と、二人きりの秘密を、得ました」

 

それが、『嬉しい』と感じた、らしい。

……健気かな?はにかむ笑顔が可愛いね。でもとっても混乱しています。

そこに書類を届けてきた水波ちゃんが戻ってきた。

先生に掴まって遅くなったことを詫びていたけれど、大丈夫。全然待っていた気がしないから。

むしろもうちょっと整理をする時間が欲しかったくらい。

ピクシーと一方的に小指を絡め、約束よ、と指切りをして詳しい話はまた明日ね、とお別れ。

部屋を出る時まで、ピクシーはその絡めた指を不思議そうに見つめていた。

 

 

――

 

 

「雪が降る前に帰れてよかったわね」

「そうですね」

 

今日の予報は夜に雪が降るとあったから、帰宅時間に降られるのでは、と心配していたのだけど何とか間に合った。

でももう降りそうな空模様だったから時間の問題――というかお兄様が七草先輩と帰宅する時に降り始めるんだった。なら大丈夫か。

原作の物語は変えられてもきっと天気予報までは変えられないだろうから。

 

「郵便受けに入っていた手紙は一旦私の方で開封させていただきます」

「お願いね。少しでも怪しいと思うものがあったら今すぐ開封しないでお兄様を待ちましょう」

 

水波ちゃんも心得たもので、遮断障壁を張ってから四葉家特製チェッカーに通して不審物が混じってないかチェックしているのを頼もしく思いながら部屋に向かう。

さっと着替えて戻る頃にはリビングに精査を済ませた水波ちゃんが手紙を並べていた。

 

「今回怪しいと思われる手紙はありませんでした」

「ありがとう」

 

手紙を受け取り中身をチェック。

 

(…うん、まあそうなるよね)

 

ひとつ、急いで確認しなければならない案件が見つかった。

水波ちゃんに断って部屋へ。

そして制服から着替えて端末を操作しコールボタンを押す。

待つこと3コール。

 

「お電話くれて嬉しいわ、深雪さん」

「こちらこそ、お忙しいのに出てくださってありがとうございます、藤林さん」

「あら、響子お姉さんと呼んでくれてもいいのよ」

 

音声電話を掛けた相手は藤林さん。

以前、ホワイトデーの際お返しと共にお兄様には内緒ね?とナンバーをいただいていたのだ。

気軽に掛けて、と貰ったナンバーはきっといくつかあるプライベートナンバーの内の一つなのだろう。直感的にお兄様とは別のナンバーの気がする。ただの勘だけど。

 

「少々急ぎで確認すべき案件がございましたのでご連絡させていただきました」

「――伺いましょう」

 

私が四葉家次期当主として電話したことを察知した藤林さんは口調を改めた。

そう、今回連絡したのは協力関係となったはずの軍と警察の、不穏な動きの件だ。

 

「ちなみにこちらの電話が傍受される可能性は」

「もしされたらキャッチできるようになっています」

 

…てことは罠が仕掛けられている、と。多少聞かれる危険性はあるみたいだけれど、彼女はエレクトロン・ソーサリス。魔法と電子の組み合わせによりどんな相手も生半可な技術では盗聴もできない。…ただし、それがフリズスキャルヴにも効果的なのか――は考えたところで仕方ないね。

もう一つの端末を操作して、ちょっと実験を。

 

「(ピクシー、今現在私の家で使用している回線のデータを、痕跡を弄って読み取れないようにできるかしら?全部消すのではなく読めなくする形で)」

 

サスペンドモードになっていたらこのメールに気付かないかも、と思っていたのだが、ピクシーからの返信は一瞬だった。

 

「(95%可能かと思われます)」

 

…心強いね。ってことで実験を兼ねて藤林さん相手にやってみますか。

 

「直球でお訊ねします。軍部で、警察に情報を伝えずに古式魔法師と接触させる動きがありますか?」

「――理由をお伺いしてよろしいでしょうか?」

「我が四葉は昨年、大亜連合と古式魔法師に深い親交があることを突き止めました。その後も今後の愁いを断つためにも古式魔法師の組織に対し水面下で調査を進めていたのです。これは彼の地を守護されている九島老師(・・)の協力を得てのものです」

「…それは、存じませんでした」

「老師も足元を大亜連合に侵食されていたことを憂いておられましたので、利害が一致した結果です。京都、奈良は概ね把握できたかと。ですが、古式魔法師は何も京都方面だけに存在するわけでは無いのでまだ半ば、というところではありますが」

「…すでに京都と奈良を…」

「すみません、少々話がずれました。今回、主犯の男は大漢出身だという情報の下、似たような…彼の配下であった周と繋がりのあった者たちと、大漢と密接な繋がりがあると思われる古式魔法師を探し、監視を付けていたようです」

 

もちろん四葉だけでは手が足りないので、京都方面に関しては九の方々にその辺りはお任せしている。中には接触し、助けを求められ大亜連合から足抜け(・・・)させたりもしたそうだが、それは今回の件とは全く無関係なので触れないでおく。

その他方面、特に今回関係するだろう東海から関東にかけての間を四葉が担当することになっていた。

あちらほど古式魔法師が活発になっているわけでもないので、少しでも話題に上がったことのある家から調べていった。

その中には魔法協会で大漢と縁があるという『人形師』と呼ばれ、異端扱いを受けていた魔法師も含まれていた。

 

「ですので、軍が彼を張っていたことも、決定打に欠け、探り切れていないことも――」

 

知っているのだ、とほのめかすと藤林さんはそうでしたか、と降参とも取れる声を漏らした。

 

「今回は魔法協会含め、警察と軍が協力しての合同捜査を強いていたはずですが――残念に思いますが、軍にも事情があることは承知しています」

「…では、糾弾が目的ではない、と」

 

少し驚かれたような様子だけど、糾弾すると思われていたことにこっちがびっくりだ。きっとすでにこの連絡、風間さんにも筒抜けだと思うけど、十師族ってだけで敵対構図を思い浮かべるのはちょっと短絡的過ぎると思います。あちら特有の揺さぶりなのかな。もしくは言質は取ったぞ!みたいな。

安心してください。目的はむしろ貴方たちの為でもあるから。

 

「今そのようなことをして、なんの益がありましょう。――私が申したいのは忠告、そして相談です」

「忠告、ですか?」

「現段階、四葉ではそのマークしている男がほぼ高い確率で首謀者と共謀関係であると考えております」

「!それは、何か証拠があってのことですか?」

 

その理由は述べられない。原作知識がそう言ってる!なんて言えないし。四葉では勘!ってことで通してます。あと、この人形師さん、これまでの言動がちょっとね、アレなもので。疑っていいんじゃない?とマークしてもらってた。

 

「ですから忠告、なのです。そこへ何も知らされていない刑事を送り込んだとしましょう。――死体の人形が二つ、相手の手に渡るだけです」

「!!」

 

そう、二体だ。刑事は最低でも二人一組で捜査に当たるのが基本。もちろんいきなり二人に術を掛ければ疑いもかかる。

一度に手に入れるより、一人にまず術を掛け、一人目を探しに来たもう一人をこっそり招き入れ術を施すことで、周囲に不審に思われることなく両者ゲットできる寸法だ。巧妙な罠。

人形師として疑われても証拠が出てこないのはこの慎重かつ大胆さがあったからだろう。

 

「よってご相談があります」

「…伺います」

「刑事を送り込んだのは、そちらに精神や意識に干渉に対して、発見と解除ができる人材がいるとみてよろしいでしょうか?――いえ、いることを前提でお話させていただきます。もしいるのでしたらお訊ねしたいのです。――掛かったふりをして術師の目を誤魔化す術はあるか、と」

「……それは、囮捜査をするのではなく、スパイとして潜り込ませる、と?」

 

それができたらすごいことだけど、それだと刑事たちの演技力も必要となる。内部の情報が筒抜けになるのは魅力的だが、急ごしらえの作戦ではそこまで望めない。

というか囮捜査認めるんだ。刑事さん本人未承諾だけど。動揺してるのかな。

だけどその作戦では黒幕おじさんには届かない。

 

「もし、これで術師を捕えたとします。そうしたら首謀者はどちらに行くのでしょう?他に有力な協力者と思しき者がいないのであれば、居場所がはっきりして地元に根を張っている人の方がこちらとしては監視しやすくなります。術にかかっている強力な人形が居てもらった方が相手の油断も誘えるでしょう」

 

監視と言っても直接黒幕おじさんを見るわけにはいかない。彼には動物的直感というか、視線を感じる能力がある。

その件は藤林さんが以前お兄様に教えてくれたおかげで対策済みだ。対象を直接注目するのではなく、その周辺に視線を向ける――これが、案外有効だった。

 

「バレたら命が無い作戦ですね」

「囮のままでも十分その可能性は高かったかと」

「……それは…」

 

というより、藤林さんたち軍がこのまま泳がせていたら、千葉警部の相棒の稲垣警部補に術が掛けられて原作通りになるだろう。

すでに一度接触している。この時に何かモーションがあったかもしれない。

千葉警部の確認はしたのに、稲垣警部補にしなかったのは二人同時に掛けられるものだとの思い込みがあったのか。

こういうのは弱そうな方を人質にしておびき寄せ強い方もゲット、というのが物語の定石なんだけどね。

もしこれで術にかかったふりが――たとえスパイ行為ができるほど意識がはっきりしなくとも、最悪死に体に近い状態でも死なせずに回収が可能なのであれば利用できるのではないか、と提案したのだ。

 

(…エリカちゃんには決して聞かせることのできない作戦だ)

 

死ぬ危険と隣り合わせの――というよりほぼ死に掛けで利用されるだけの作戦。

もし、これで軍の方にそれだけの技量が無いのであればこの作戦は中止。警察には彼の詮索をやめてもらい、むしろ強力な人形を作らせないため近寄らない方向に仕向ける。

あそこにはまだジェネレーターがいるのだ。わざわざ物理最強クラスの人形を与える必要もない。

…だが、これで警察の、それも最強の人形が手元にあった方があちらは己の優位を確信して、大胆な作戦を実行したりして付け入る隙ができやすくなるのでは、と。あの男には時間が残されていないから、最強の手駒があればあの慎重な男も無理を通して出てくることも考えられる。

だからこそ、この作戦が破棄されずにこうして残り、提案することになってしまったのだ。

 

「…私だけではこの話の判断はつきません。上司に確認し、折り返しさせていただきます」

「お願いします」

 

電話を切る。

ふう、と大きいため息が漏れた。

友人の兄とその相棒を利用しようなど、なんて酷いことができるのか。

偶然――いや、必然か。

神の采配。

私はそれを、利用する。

 

(今の私の方が人形みたい)

 

人の心の無い、お人形さん。

これならよっぽどピクシーの方が人に近い。

丁度ピクシーのことを考えたところで端末がメールの着信を知らせる。

 

「(深雪様、成功しました)」

 

…あの、エレクトロン・ソーサリスさえ騙せてしまったのか。

彼女は電気・電波信号に干渉する発散系、収束系、振動系魔法の使い手であり、有線・無線を問わず、通信に介入する魔法を得意とする。その技能は現行の通信だけでなく、上書きされ消去された磁気・電子・光学記憶媒体のデータを再構築する特殊スキルまでお持ちのはずだが、その目を欺いてしまうとは…とんでもないネットの申し子を誕生させてしまったらしい。

人の手を介しての改竄したものとピクシーの行っているものは彼女には別物に映るのかもしれないね。

 

「(ありがとう、とても助かったわ)」

「(ですが、誤魔化すだけで、よろしかったのですか?)」

 

あら、自主的に質問もできるように。疑問を持つことは良いことだ。成長に繋がる。

 

「(すべての痕跡を消したら通話自体していないことになり、逆に疑問を持たれるわ。こういうのは何らかのトラブルを装って何かしらの影響で読めなくなる、といった方が誤魔化しが利くの)」

「(記憶します)」

 

純粋な子に悪いことを教えてしまった気分。でも、これくらいのフェイクは知っておかないと、彼女が疑わることになるかもしれないから。

ピクシーに再度お礼を言って、このあともう一度同じことをお願いした。

五分後にかかってきた内容は――接触前、精神にプロテクトを掛け、術の掛けられるタイミングで本人の意識は深い眠りについてもらい、肉体だけを操れる状態にするというもの。プロテクトは定期的に掛ける必要があるが、それは軍の方で何とかするのだとか。

残念だ。作戦は実行することが決定した。

 

「では警察と軍で連携を取ってください。この件に魔法協会と十師族は一切関知いたしません」

「…お心遣い、感謝します」

 

反十師族を掲げている組織とこれ以上の接触は避けないとね。彼らの地盤を揺らすようなことがあってはならない。

念のため魔法協会もこの件を知らぬ存ぜぬ、で通す。軍のどこの部署が動いているか勘繰られる自体よろしくないから。

だが、どの部署が動いているかは見なかったことにするが、作戦に携わる者たちにはある程度話を通しておく。でないと千葉警部たちと正面から遣り合うなんて非常事態に陥った時、何も知らずに殺し合いに発展したら大問題。それだけは避けたい事態。

詳しい内容は別にして、こういう作戦があるということは通達しておかないと。回線越しではなく紙や口伝でね!

今度の電話は三分とかからず終了。三度ピクシーにお礼を言って、今日はこれでおしまいだからサスペンドモードに切り替えて大丈夫と伝える。

 

「(おやすみ、ピクシー)」

「(はい、おやすみなさいませ、深雪様)」

 

一連のやり取りが終わると立ち上がってお行儀悪くベッドの上に倒れ込む。

たった数分の電話でものすごい疲労を覚えた。

とりあえずこの情報は手紙に認め、取りに来てもらおう。ポストに入れておけば持って行ってもらえる。後で水波ちゃんにお願いしよう。

私はお兄様が傍におられない場合、たとえ数メートルでも外には出ないよう言われている。

念には念を、というヤツだ。お兄様に心配をかけない為でもある。

少しだけ目を閉じた。

何も見えなくなり、闇が広がる。

 

(ままならない、なあ…)

 

久しぶりの言葉を呟く。

以前のように見殺しにするつもりはない。先手は打った。

だが――五分五分、いや、出たとこ勝負?…どちらもさほど変わらないか。安全が全く保障されてない作戦に不安が押し寄せる。

もし、原作のようになってしまったら――

もし、途中でバレてしまったら――

もし、――もし予想だにしないアクシデントでお兄様と対決し、お兄様に危険が迫ったら――

 

(――いざとなったら、私が止める)

 

事象改変で書き換えてしまえば止まる可能性を見た。私の事象干渉力はトップクラス。たとえ制限された状態でもあの総隊長と張り合えるほど。

 

(――もし、できなかったとしても全て(・・)凍らせる。彼の死をお兄様に背負わせることなく、私が背負おう)

 

お兄様が傷つくことを、少しでも無くすことが私の使命。

起き上がり、身嗜みを整えて夕食の準備をしているだろう水波ちゃんの下へ向かう。

いい香りだ。温かみのある、美味しい香り。

 

「いい香りね。待ちきれなくて下りてきてしまったわ。何かお手伝いできることはあるかしら?」

「…では、この鍋の味付けをお願いしてもよろしいですか?」

 

手紙をちらりと見せたなら、水波ちゃんはスッと頭を下げて場所を譲ってくれた。

鍋の中身は肉じゃが、だね。任されましたとも。

それから戻ってきた水波ちゃんと二人で晩御飯を作った。

そしてリビングで葉山さんからのお電話を受けて、お兄様への伝言を預かる。

計画は順調通りに進んでいる。

あとはお兄様のお帰りを待つだけ。

水波ちゃんも今日はもう何もすることが無いようなので一緒にお勉強をすることに。

リビングで水波ちゃんの勉強を見ていると、お兄様が帰宅した。

お出迎えすると、肩に少し湿った後が。これは七草先輩と相合傘をされたということですね!

じっと見つめてしまったせいでお兄様が視線に気づき、少し気まずそう。

しまった。これじゃ浮気を見つけたみたいになってない?

 

「雪が降っていたのですね。気が付きませんでした」

「七草先輩が傘をお持ちじゃなかったから途中まで送ったんだ」

 

あら、正直者のお兄様。

 

「まあ、先輩はうっかりさんですね。今日は雪の予報でしたのに」

「出かけにバタバタして予報を見そびれたそうだ」

 

それは仕方ないですね、と腕を広げると一瞬躊躇った後、お兄様は急ぎハーフコートを脱いだ上でハグをした。

 

「…深雪、何かあったんじゃないか?」

 

耳元で囁かれた言葉に、否定することなく、食後にお話します、と伝えるとぎゅっと強く抱きしめられる。

 

「お兄様?」

「…捜索の進展は無かった」

 

声が固い。

思った成果が得られない状況ってそれだけで心が気落ちするものね。

 

「昨日の今日ですもの。まだ情報が集まらないのも無理は無いかと」

「だが、それでも今日くらい休むべきだった。――こんなにお前が苦しんでいる時に、傍にいられないことが、悔やまれてならない」

 

……そういえば、お兄様は私に関しては感情が読み取れるのでしたね。

さっきの躊躇いに浮気を疑われて気まずかったのかな、とか思っていて申し訳ありません。疑ったつもりも無いんだけど、構図的には完全にそれだったから。

 

「そのお気持ちだけでも十分です」

 

心からの言葉だったのだけど、お兄様はそれも不満だったようで頭をぐりぐりと肩口に擦り付けられた。

痛くはないが、くすぐったくもない。

 

「…では、後で甘えさせてくださいませ」

「絶対だぞ」

 

パッと顔を上げられて真正面から念押しをされました。

そんなに甘えてほしいですか。…どうしよう。何も考えてなかったのだけど。とりあえず棚に上げておきましょうかね。

 

「着替えてくる」

 

最後に抱え込むように抱きしめてから蟀谷にキスを落してお兄様は二階に向かわれていった。

先ほど頭を乗せられていた肩に手を置く。

昔のような遠慮が抜けて、想いを隠さないような触れ方に心が徐々に解かれていくかのよう。

与えられた熱は、じんわり染み入るような温かい熱だった。

 

 

――

 

 

夕食中はニュースを流し聞きしながら、お兄様から本日のミーティングという名の報告会について何を話したのか説明されたのだが、内容は先ほど聞いた通り。

 

「そもそもスタートラインが違いますからね」

 

七草先輩からはアメリカから海路を通って横須賀から上陸したと思われる情報があったくらいだけれど、それはすでに師族会議で話された内容とほぼ変わらない。叔母様に愚痴がてら聞かされました。

後で分かっても、ねぇ?と皮肉めいた表情も大変麗しかったですが心臓にも悪かったことを報告します。

私が向けられたわけじゃないけど美女に責められる様子はね、見るだけでもキュッとなっちゃう。前世で見た別の部署の人が怒られてるのを見てしまった時の気まずさというか。

そうだね。そもそも守護しているんだから侵入に気付けって言いたいんだよね。…叔母様もそれが難しいことは承知のはずだけど、これまで色々侵入許しちゃってると対策一つくらい立ててみろよ!と言いたくなるのもわかる。

がばがばだものね。

流れていたニュースはほぼ内容変わらず、と言ったところ。ただ、先の見えない不安は増えてきたのか、魔法師への不満が少し増えたような気もする。ネットでもそういった書き込みが増加傾向にあるというからそれが反映してきたのだろう。…あちらの国お得意の人海戦術戦法かな。人間主義者を利用してまずは世論に働きかけているのか。

不安を掻き立てられれば次第に自分たちの都合のいい様に不満のはけ口にして同調していくからね。群集心理の怖いところ。

少し消化に悪いような夕食が終わり、今日はコーヒーではなくハーブティーを用意した水波ちゃん。

カモミールの香りが心を和らげる。いいチョイスです。

三人ソファに落ち着いたところで、私の方からの報告を。

 

「四葉が警戒にあたっていた古式魔法師に、軍が警察を利用し接触しようという動きがあったようです。協力してではなく、隠れ蓑に使っての調査のようでして」

「何だってそんな回りくどい――もしや?」

 

お兄様がお気づきになられてしまった。察しが良いったら。

今回の件、軍にも協力を仰いでいることを公表している。なのにわざわざそれを隠して動く理由があるとすれば、協力できない訳ありの部署が動いているということ。

独立魔装大隊は反十師族派ですからね。十師族の関わる事件に率先して立ち入るわけにいかないから。

 

「私から藤林さん個人に連絡を取り、魔法協会と十師族を無関係とし、警察とだけ連携を取るようお伝えしました」

 

そこで警察官二人に特殊プロテクトを施し、術にかかったよう見せかけて、敵の油断を誘い、隙を突いて最終局面で戦力を奪う作戦を実行する予定になっていることを伝えた。

 

「…そんなにうまく事が運ぶのか?」

「軍の方では自信がお有りのようでしたが」

 

もちろん軍のことだから秘策は一つ二つじゃないのだろうけど。その手の内を明かすことは無い。秘策なんだから当然だね。

お兄様はなにやら思案顔で黙ってしまわれた。

しばらく沈黙が続いたが、破ったのは他にも報告があったから。

 

「それと並行して戦力を今のうちから削ぐために、お兄様には明朝鎌倉に行ってほしいと」

 

葉山さんからの電話は、鎌倉の西丘陵部に周公瑾が架空名義で購入した隠れ家があること、そこに首謀者が潜伏しているという情報だった。

実際の隠れ家の住所とは違う場所ではあるが、この通信を見つけた黒幕おじさんが逆に罠を仕掛けることを読んだ上での策略。

今のうちから少しでも強い手駒を減らしておきたいから。

現地調達するにしてもただの一般人を捕まえても大してできることは無い。

死体を操るにしても、その死体には生前の能力以上のことはできない。

原作では、千葉警部は生者を死者に変換する際生じる余剰分の生命エネルギーを魔法力に変換し、生来の彼の技とは違う魔法を放つことを可能にしていたが、それは魔法師の適性があるからできること。

使役される人間がただの一般人であればパペットテロのように爆弾を運ぶような単純な動きにしか使えない。

USNAとしては日本でもう少し黒幕おじさんに頑張ってもらってヘイトを稼いでもらうため、座間基地の過去の負の遺産――人体実験で作られた強化兵をこっそり黒幕おじさんに提供。ジェネレーターに使ってもらって彼の手駒にすることで、男の活動をサポートする。

昨年、慶春会に向かう途中お兄様に処分させたのと同じようなモノ。軍が持て余している、処分に困っている実験体たち。

だからこそ『紛失』したところで内々で騒ぎにはなっても『処分』される分には有難いもの。…こんなこと、水波ちゃんには教えられないけれど。

この手駒を少しずつ減らして、力を削いでいくことが、フェーズ2の計画。

これは黒幕の力を削ぐだけでなく、USNAも泳がせるためでもある。

手駒を減らさないで、警察官二人を差し出さなければいい――、そう提案したのだけれど、現在配下となっている部下も信用していない慎重派の黒幕は、別口から作る駒が無ければ身を潜めてしまう可能性があるかもしれないという。

自分の命が短かろうとも、日本を、四葉を貶めるためなら死ぬ間際まで足掻くつもりのため、自分の身を守れない状態で動く確率は低い、と分析班は判断した。

ただの人形の経歴も気にするほど神経質な男だからこそ万全を期したい、と。

――短期決戦を狙うには作戦変更はできない。

 

「鎌倉か。箱根から近いな」

「箱根でのテロの際にはどうやら小田原に潜伏していたようです」

「……相手の方が上手、なんだろうな」

 

お兄様の顔が渋くなったのは、七草と十文字が自分たちのおひざ元に潜伏されているのを全く気付いていないことへの不満か。

横須賀港から侵入されて、箱根、小田原、鎌倉と、全部神奈川ですからね。くまなく探せばワンチャン…というのは難しいか。

鬼門遁甲術はお兄様も今、術を破るために修業中。

その術に相対したことのない彼らに見抜け、という方が無理だ。

…なら四葉は?って?それは言っちゃいけないお約束ですよ。四葉の非常識を周囲に求めてはいけません。

 

「水波、その間は任せたぞ」

「はい」

 

お兄様の出立が早いということもあってお茶の時間も早々に切り上げられた。

各々寝る支度を整えて――ドアのノックに立ち上がり、予想通りお兄様を出迎える。

肩を抱かれてベッドに二人腰掛けて――

 

「それで、まだ言っていないことは何だい?」

 

お兄様に隠し事はできないね。気落ちしていた理由を問いただされる。

でも、このことを黙っていることはお兄様の不利に繋がるから。

 

「……私はエリカに顔向けができそうにありません」

「…やはり、仕掛けられたのは千葉警部か」

 

軍の上層部も酷なことをする、と呟いたのは、お兄様が藤林さんと千葉警部のやり取りをある程度知っているから。その間柄もただの利害関係に見えなかったのか。…千葉警部はあからさまだったからね。

あの事件の後エリカちゃん自身、あんな高嶺の花に憧れるだなんて身の程知らずよ!と愚痴ってたけど、これもまたこの世界のブラコンシスコン問題かな?二番目のお兄さんの時とはまたタイプが違う怒り方だから本当に呆れているのかちょっと見分けがつかない。本人に聞いたところで絶対違う!と否定されるから聞かないけど。ブラコン同盟でもエリカちゃんとはタイプが違うのです。

と、意識が脱線したね。つい、逃げ出したくなってしまう。

でも、この責任は私にあるから逃げることは許されない。

 

「藤林さんは、お辛かったと思います」

 

私が二人死体になるぞ、と脅した時彼女はわずかながら言葉を詰まらせていた。

 

「それはお前もだろう?」

 

……私には、辛いと嘆くことは、許されない。

この計画を止もせずこのまま進めようとしているのだから。

そう思うのに、お兄様に優しく抱きすくめられてしまうと目頭が熱くなってしまう。

 

「…優しくなさらないで」

「できない相談だ」

 

即答するお兄様に反論したいのに、口を開くとうまく息を吸えなかった。

 

「っ…」

 

泣いていいのは私ではない。なのに、どうして――

 

「以前にもあったね、こんなことが」

「甘やかしてくれるなと、そう言って泣いていた」

「俺には無理だ。泣いている深雪より優先するものがない」

「放っておけるはずがない」

 

抱き寄せて、胸に押し当て頭を撫でられる。

涙が、止まらなかった。

 

(そうだ。お兄様が大事な妹を放っておけるはずがない…)

 

心が、感情が伝わってしまっている。

でも、かといってすべてをお兄様に吐露することもできない。

これだけ想ってくださっているのに返せないことが申し訳なくて、情けなくて。

 

「――こんな回りくどいことをせずとも片はすぐ付くんだ」

 

俺があの男を視て、引き金を引けばいい、とお兄様が言う。

だが、それでは処分はできても解決には至らない。

死体だろうとなんだろうと犯人を特定し事件を解決したのだと形を残さねばならないのだ。

これが首謀者の姿だ、と証明しなければ事件解決と言い難い。

お兄様にもそれはわかっている。

 

「ごめんなさい。私の我侭で」

「お前の我侭なんかじゃない。…それはお前の優しさだ」

「傲慢で、強欲な女です」

 

優しいなんてありえない。

優しいのなら、初めからエリカちゃんのお兄さんを事件から遠ざけるべきだ。

エリカちゃんと藤林さんを泣かせないためにも、――お兄様に苦い思いをさせないためにも。

 

(欲張りすぎたのだ。あの男の思うようにさせない、と。これは原作のお兄様の復讐なのだ、と)

 

「なら、願え」

「…え?」

「お前の望むものを用意しよう。蓬莱の玉の枝でも、火鼠の皮衣でも。それでお前が傍にいてくれるなら」

「……私は月には帰りませんよ」

 

そんな無理難題を吹っ掛けて求婚を拒むお姫さまではない。

 

「では、何を望む?」

「……」

 

私の望むもの、――それはこれからお兄様が孤立しない未来。魔法師が窮地に追い込まれることなく、平和に共存できる世界。

 

「お兄様の、幸せを」

 

ずっと、望むものはそれ一つ。

 

「なら簡単だ。お前が俺を愛してくれればいい。それだけで俺は幸せになれる」

「…それだけでは、足りないのです。言ったでしょう?傲慢で強欲な私はお兄様が幸せに暮らせる世界も欲しているのです」

 

世界が変わらなければ、お兄様はいつまで経っても幸せになれない。いつまでも戦い続け、抗い続けなければならない。

私一人がお兄様を愛したところで、お兄様が幸せに暮らせるわけではない。

 

「………」

 

流石に図に乗りすぎただろうか。お兄様が黙り込んでしまった。

呆れられたかもしれない。

そう思うと急に心が冷えてくる。

 

「…それは、確かに難題だな」

「申し訳ございません。…忘れてください」

「いや、忘れないよ。お前の願いを叶えるのが、俺の重要課題だ」

 

身体を離される。

ぽろり、と零れ落ちた涙をお兄様の長い指が掬い上げた。

 

「だがな、深雪。これだけは否定させくれ。俺はお前ひとりに愛されればそれだけで幸せでいられるんだ。世界なんていらない。お前だけが居てくれさえすれば、それで十分なんだ。

お前の言うことはもちろん理解している。この世界で生きるのに、この世界の平和が乱れれば俺たちとて安全に暮らしていけない。魔法師を排除する運動が過激になれば、中世の魔女狩りがまかり通ってしまうかもしれない」

 

一旦言葉を切ったお兄様はぺろり、と涙の乗った指を舐め、そのまま頬に手を当てて上向きに固定され顔を覗き込まれる。

 

「約束しよう。お前の願いを叶えると」

「魔法師が、平穏に暮らせる社会の基礎をつくってみせると」

「共に、幸せに暮らせる世界を、お前に贈るよ。

 

――だから、俺の傍から離れないでくれ」

 

俺を、見ていてくれ、と目と目が触れ合いそうな距離で。

 

「……見ています。お兄様を、ずっと」

 

こんなことを許されていいのだろうか。

ずっと傍でお兄様を見る権利を、いただいてもいいのだろうか。

だが、この答えはお兄様を満足させるものだったようで、ふわり、と微笑まれた。

 

「良かった。断られるんじゃないかと冷や冷やした」

「……お兄様は嘘つきです」

 

そんな風には感じられなかった。

お兄様が少しずつ離れていき、顔の全体が見えるようになって身体の力が抜けていく。

 

(というより、この状況断れる人、いる?)

 

お兄様絶対確信犯。

少し恨めし気に見つめれば、お兄様はひょうひょうと答える。

 

「俺の舌は一枚しかないことはお前も知っているだろう?」

「……いつも翻弄されているのでわかりません!」

 

なんてことを至近距離で言われるのか!

慌ててそっぽを向いたけれど、それでお兄様が逃してくれるはずも無い。

 

「なら、今日はゆっくりしようか。丁度もう寝る時間だ」

「!!」

 

え、もう日付を超えた?!と時計を見れば確かにもうそんな時間で。

 

「お兄様の寝る時間が!」

 

明日はただでさえ学校前に鎌倉で一戦交えるという強行軍の予定なのに。

 

「うん、だから早く、ゆっくり確認しよう」

「い、異議ありです!それは矛盾しています!!」

 

だというのになぜお兄様はそんなに寝る直前にたっぷりフェロモンを溢れさせているのです?!

某弁護士ばりに矛盾を突き付けるけれど、お兄様は動じない。

 

「矛盾しないことを証明しよう」

 

………素早く口を封じられ、ゆっくりじっくり確認をした上で、お兄様はよく眠れそうだ、とすぐに自室に戻られていった。きっと早々に意識を落して強制睡眠するのだろう。

私も腰砕けになって動けないままベッドに横になって意識を失うように寝た。

 

 

――

 

 

何故三時間も寝ていないお兄様が溌剌とされていて、私がぐったりしているのでしょうね?

土曜日なので授業が午前中だけで済むことが有難かった。

水波ちゃんは心配してくれてありがとうね。貴女が心の清涼剤。

そして昨日のことでお礼を言いにピクシーの下へ。

 

「深雪様の、お役に立てたなら、何よりです」

 

にこっと、笑顔をいただきました。可愛い。癒される…。

だけど、

 

「首謀者の、位置情報が、USNAの衛星から、読み取れましたが、如何しましょう」

 

……どうしましょう?この有能な天然諜報員。

メールやデータを送っても改竄までできちゃうことは昨日判明した。

 

「…そうね、見失ったらお願いしようかしら」

 

まさか、彼女の手が宇宙にまで伸びるとは――いや、宇宙からの情報が下りてきたところを読み取っているのだろうけど。

便利すぎてどうしよう。困る。完全に私の手に余る。

とりあえずありがとう、と伝えて頭を撫でてお別れ。うにうに触手が可愛いね?(混乱)

授業に間に合うけれど急いで教室に向かうと、すぐに雫ちゃんに捕まった。

用事があって待っててくれたみたい。

明日お茶会にきませんか?って。招待状付き。本格派。

 

「お茶会なら振袖かしら。雫の振袖姿も素敵だったものね」

「あ、お茶はお茶でも茶道じゃなくて紅茶の方」

 

招待状に書いてある、とのこと。…あ、そうだよね。そんなシーンありました。でもまさか招待状貰うと思わなかった。

まじまじと見つめていたからだろう、年末の手紙をもらって私もお手紙渡したくなった、ですって。

お茶って言うと雫ちゃんの場合九校戦思い出しちゃうから、茶道のイメージなんだよね。あの振袖姿綺麗だったから。

ちゃんと招待状見てから訊ねればよかった。

 

「深雪、可愛い」

「…恥ずかしいわ」

 

勘違いしてしまった。うっかり間違えると淑女の仮面も外れるよね。

昨日の夜からずっと恥ずかしいまま。頬を冷まさないと。

だけどなかなか熱が下がらなくて、その様子が珍しかったのか帰る時まで雫ちゃんとぴったりくっついていたら、迎えに来たお兄様がスン、として雫ちゃんとバチバチ視線をぶつけ合っていた。

 

「あ、あの、お兄様、雫からお兄様にも預かっているのですが」

 

もう一通の招待状をお兄様にも渡すとさっと開封。その間お兄様の目は雫ちゃんから離れていない。え、見つめ愛⁇

ドキッとしたらお兄様の目がちらっとこちらに向かってからお手紙を一瞥して。

 

「深雪と一緒にお招きに与ります」

「ん、お待ちしております」

 

二人共丁寧なお返事なのに…ケンカ腰に感じるのは何故…?二人共無表情のせい?

とりあえず明日お兄様と雫ちゃんちに伺うことが決まった。

さて、何を着ていこうかしら。

 

 

――

 

 

お兄様とも相談して膝下丈のワンピースをチョイス。

ワンピースの色とお揃いのハンカチーフを胸ポケットに入れたお兄様はダークスーツ。

 

「カッコいいです、お兄様…」

「深雪も、とても綺麗だよ」

 

いつもの褒め合い、見つめ合いを水波ちゃんの時間です、のひと声で切り上げて車に乗り込む。

 

「…お兄様、お休みがずっと無い状態ですが」

「そうでもないよ。夜はしっかり休めている。昨夜の睡眠時間は短かったがお前に癒してもらえたからな」

 

今日は髪をまとめているので頭に触れられることは無く、肩を抱き寄せられる。

 

「……お兄様」

「大丈夫、崩さないよう気を付ける」

 

これ以上触らないよ、と言われるけれど、その視線の熱で化粧が崩れないか心配。

うぅ…これはストレスでこうなっているの?それとも…アプローチなの?

見分けがつかない。

 

(ストレスは溜まってきているはず、だと思うのだけど)

 

連日学校を終えてから先輩たちとのミーティングと四葉独自のこっそり暗躍&戦闘。

私が狙われることによる警戒も、過去一番の注目度のせいでお兄様の超感覚がフル稼働しているはずだ。

これまでお兄様はストレスが溜まると妹にちょっかいを掛けて困らせることで発散させて…いや、させては無い、のか?疲労のシグナルを出してきた。

だけど今は、困らせられることが日常になってきている。…お兄様にとっては異性として認識してもらうための努力なのだろうけれど。

おかげでどのような意図でこうなっているのかがわからなくなった。

 

「…お兄様、体調に異変や不調はございませんか?」

 

不安が瞳に出たのか、見つめると視線がわずかに逸らされた。やっぱり不調がお有りで?

それからしばし沈黙されたのち、いや、大丈夫だと肩をポンポン叩いて離れる。

…お兄様のこの態度、多分何かある、よね?

でも何でだろう、心の中のお母様が無視してよろしい、と野良犬を払うように手を振られている。…一体何故?

だけど私一人では結論が出ないので、お母様の助言?に従います。というか心の中のお母様、イマジナリーお母様だから私の心の中の声、なのかもしれないけど…私の記憶にないお母様が出てくるのがいつも不思議。妄想力の賜物?

 

「何かあるのでしたら言わなくてもかまいませんから、ちゃんと休んでくださいませ」

「そうだね。気を付けるとしよう」

 

到着した北山邸は相変わらずおっきいなぁ、と感心してしまうのだけど中に入ると今までと様相が違う。

いつも美術館みたいだな、と思う骨とう品や美術品の数々が、変わっているのだ。

いや、来るたびに変わっているのだけど、そういうのと種類が違う。明らかにグレードが上がっている。

細かいけれど、これぞ一流のおもてなし、なのだろう。

お兄様もちらり、と花瓶を見ていた。活けられている花ではなく花瓶、というところがポイント。

通された部屋に待っていたのは、もう少し飾り立てたらそのままパーティーに参加しても違和感のないほど洗練された姿の雫ちゃん。いえ、これは雫ちゃんというより雫お嬢様。纏っているワンピースが優雅さを出しているんじゃない。彼女の表情、所作、立ち姿だけでそう見せているのだ。

 

「ようこそお越しくださいました」

 

手を重ね、スッと頭を下げる動きの、なんと美しいことか。指先にまで神経をいきわたらせて一分の隙も無いお辞儀。

一朝一夕で身につくものでは無い。

彼女の努力がこうして身になっている。

対するお兄様も雫ちゃんに合わせて「お招きいただき、ありがとうございます」と、こちらは生粋の令息の持つ優雅さではないが、鍛え抜かれた肉体によるきっちりとした礼と落ち着いた態度が堂に入っていて礼儀に適っていた。

お兄様に少し遅れて礼を返し、一連の挨拶が終わるとメイドさんが現れ席に案内される。

ずっと同じ室内にいたんだけどね、気配を消してました。一流メイドにとって必須の技能。

そしてお茶の準備を整えて、メイドさんが下がると雫ちゃんが紅茶のお作法を披露する。

こちらは手馴れた、というよりも作法に則っている動きだ。

でも緊張はしない。

茶葉を蒸らす間を持たせるのも雫ちゃんのお役目。

 

「達也さん、コーヒーの方が良かったらすぐに用意させるよ」

 

いつものようなフランクさを出してきたけれど、用意させるよ、というところにお嬢様らしさが滲む。

お兄様は紅茶も好きだから大丈夫だ、と断って会話は途切れる。

普段からそんなに会話をする方ではないが、今日はいつになく空気が固い。

だが、無理に話を続けようと口を開くのは――いや。

 

「今日の雫のお召し物はとても素敵ね。以前のお花をあしらったドレスもよかったけれど、今日のワンピースはモチーフが無くてもあなた自身がお花のように見えるわ」

「…ありがとう。深雪も、そのショールのレースは雪の結晶?よく似合ってる」

「気付いてくれて嬉しいわ。こちらはお兄様が選んでくださったの」

「達也さんが?…それは、…いいセンスをお持ちですね」

 

…あれ、お嬢様モードが戻ってきた。だけどその表情は笑みを浮かべられているが、威圧感が滲んでいる。

対するお兄様はと言うと、

 

「そう言っていただけると自信が持てます」

 

卒なく返しているのだけど、なんだろう、表情は穏やかなのに背景にどやぁ、という文字が滲んで見える。

どちらも滲み出るもので殴り合ってる感じ。雫ちゃん、さっきまでの緊張感どこ行きました?これは緊張感取れてよかったね、と言っていいの?

そこへメイドさんが雫ちゃんに声を掛ける。ナイスタイミングですメイドさん!

空気がギスギスする前に、茶葉の蒸らす具合が丁度良く、雫ちゃんが紅茶を注ぐ。

カップがいきわたり、雫ちゃんに勧められて一口。…とても美味しい。

人は美味しいものをいただくと口元が自然に綻ぶものです。言葉にせずとも美味しい、と言うのを伝えながら頭を下げる。

あのシーン、原作で読んだ時に雫ちゃんの淹れた紅茶は美味しい、と心にメモしたものだが…あれ?

そこでハタと気付いた。

 

(…私、雫ちゃんにお茶を点ててもらったことないな…?)

 

確か原作では紅茶も美味しいがお抹茶も美味しいと評価していた記憶があるが、残念なことに私は味わったことが無い。

こんなところにも原作との違いがあったのか。

 

(うぅ…私は何処でミスを…?あったであろうイベントスチルを回収し忘れてしまったもやもやが…)

 

「深雪?…美味しくなかった?」

「いいえ、とても美味しいわ。…ただ、昨日お茶と聞いて茶道のことを考えていたせいなのか、雫の点ててくれるお抹茶とどちらが美味しいかしら?と頂いたことのないお茶のことを考えてしまったの」

 

些細な機微に気付いてくれたのを何もない、などと返すことができなくてイベントを逃した悔しさは隠してほぼ本音を口にする。

 

「なら、今度はそっちのお茶会しよ。女子限定で」

「まあ、素敵ね。エリカもお茶を嗜むそうだから皆でお茶を点て合いっ子しても面白そうね」

「それぞれ違った味が楽しめそう」

 

イベントは逃したみたいだけど代わりに別のイベントのフラグが立ったことで、一気に心が浮上するから現金なものだ。

 

「男は参加不可なのか?」

「だめ」

 

男子禁制らしい。

偶には女子会もいいね。このところそういうのはご無沙汰だったから。お兄様は不参加でも水波ちゃんは参加OKみたいなので、行っても良いよね?

とはいえ行くにしてもこの騒ぎが終わらないと難しいけれど。

そんな話で盛り上がっていると、本日のメインがやってきた。

雫ちゃんのお父様、潮さんである。

彼にはメイドさんが淹れた紅茶が用意され、一見和やかなお茶会が再開された。

だが、休日とはいえ今を時めく大会社の社長、時間を無駄にすることは無かった。

単刀直入に十師族はどう動くつもりなのか、の質問から現在起きている魔法師へのネガティブキャンペーンを抑えるため、メディアに働きかけてもいいかと相談を受けた。

お兄様は一つ一つ丁寧に、まずは自分の立場から説明をし、自分が四葉の一員として認められたのは年末のことであり、私たちは四葉を離れて育ったので十師族の内情に詳しくないこと。それを踏まえたうえで十師族が魔法協会を通し声明を発表、警察と協力をして犯人逮捕に尽力する旨を伝えたことで、その捜索にお兄様が加わったこと。その件で十師族がマスコミに働きかけているかについて知らないこと。…この後一応七草が政界を通じて働きかけるのだけど…うん、いらないんだよなぁ。叔母様に伝えて止めさせてもらう?…いや、勝手に空回りしてもらおう。

今回、意外だったのは原作ほど風当たりがきつくは無いのにこのイベントが発生したことだ。

もちろん魔法師へのネガティブキャンペーンは起きているし、現実風当たりも厳しくなっている。そうやって扇動する動きが徐々に広がってきたからね。…これが先読みの力、というヤツなのだろうか。流石ほとんど一代で大企業にまで上り詰めた人の嗅覚は違う、ということか。

 

「反魔法師運動は反社会運動の一形態です。魔法師が社会に対する不満のはけ口になっているにすぎません。北山さんはただでさえ不満分子の強敵になりやすい大富豪ですから、活動家に扇動の材料を与えるべきではないと考えます。あの手の輩は見境がありません。魔法師である奥様や雫さんだけでなく、航君まで彼らの害意に曝される危険性があります」

 

だから今は動かない方がいい、とアドバイス。

そのお兄様の言葉にしばしお茶を飲んであらゆる可能性を考えられているのだろう、ゆっくりと目を閉じて味わうふりをしてから呑み込んだ。

ただ、それでいいのかとの問いかけに、一高の生徒が被害を被ったらその時はご助力をお願いするかもしれませんと返した。

そこからのやり取りは、一学生と保護者のものでは無く、業種の違う社長たちの対談のように腹の探り合いのような応酬が続く。

内容とは別に、ダンディなおじ様とキレ者なお兄様の攻防カッコいいね。ドキドキしちゃう。

未然に被害を防ぐ方に動くのは得策ではない、というお兄様の言葉にはおじ様は鋭い視線を向けたけれど、実際下手に動けばただ無駄に煽るだけ。煽る言葉は一言で波紋のように広がっていく状況だから、動くにしても今ではないのだ。

おじ様にもそれが伝わったのか、その視線は泰然とした笑みに埋もれていった。

話したいことは終わったのだろう、おじ様は簡単な挨拶を述べ部屋を出ていった。

しばし落ちる沈黙。

雫ちゃんはちょっと気まずそう。気にしなくていいのに。むしろこんな会談の場を設けてもらい、私たちとしては有難いくらいだ。

予想外に動かれて混乱を招くことになったら大事だから。

 

「雫、呼んでくれてありがとう」

「…迷惑じゃなかった?」

「そんなことないわ。ね、お兄様」

「ああ。――いいお父さんだな」

「……うん」

 

まだ複雑だけど、父親が褒められたことが嬉しいと頬を綻ばせた。可愛い。

それからは緊張を無くしたティータイムを過ごす、のだけど――

 

「深雪、このお茶菓子どうぞ」

「ありがとう」

「こっちも好きだろう?」

「ええ。覚えていてくださったのですね」

「ならこれは好き?うちの料理人が作ってくれるこれは美味しいよ」

「…ん、本当。美味しいわ」

 

…二人は私を肥えさせるつもりかな?わんこそば状態。なぜか私が接待を受けている。

 

「達也さん、遠慮して。婚約者でもまだ『お兄様』なんだから」

「つまり恋人になれば独り占めしてもいいということか?」

「それはだめ」

 

会話に入らず美味しい紅茶をゆっくりじっくり味わっていたのだけど、ここでカチャリ、と雫ちゃんがカップを置いた。

 

「一応確認なんだけど」

 

唐突な前置きにスッと背筋を伸ばして雫ちゃんの言葉を待つ。

何か覚悟を決めた雫ちゃんは、お兄様を見据え、――爆弾を投げつけた。

 

「達也さんは第二夫人や愛人を持つ気は無いの?」

 

これをお兄様は速攻で打ち返す。

 

「ない。俺は深雪以外を愛せない。愛するつもりも無い」

 

結構な飛距離が出ましたね~。特大アーチのホームラン。幻覚の軌跡を追って遠くを見つめてしまう。

そんな現実逃避をしている間にも二人は普通に会話を続けていた。

 

「でも十師族や強い魔法師の家系にはよくある話なんでしょ?」

「それは余所の家の話だ。四葉でそのような話は聞いたことが無い」

「…そうなの?珍しいね」

「深雪も言っていただろう。四葉は愛情深い一族だと。俺はそんな風に思っていなかったが、今になって思えば四葉の家系で離婚しているのは政略的に結婚させられた者だけで、それ以外で正妻以外と子供を作ったケースは無かった」

 

…ああ、うん。その珍しい一例は我々の父親ですね?アレもアレで純愛を貫いているつもりだけど。現奥さんと子供も作っていないし。…あれって、つくってないのかつくらせてもらえないのか…。気付かなかったことに。この闇に触れて良いことなんて何もない。

四葉内で本妻以外を持った話は聞かない。

年末に叔母様が私の婚約の件で勝成さんに愛人にすれば?発言が出たけど当然だが彼は断っていた。愛人などの話自体は珍しくないが、四葉の中では言われてみれば聞かない話だ。

私もお兄様のハーレムを想像した際、ハーレムの中から一人選べばいい、と考えていた。いつの間にか四葉ナイズされてたんだね。

 

「じゃあ、万が一にもほのかに可能性は」

「俺が応えることは無い」

 

「出来ない」ではなく「無い」と断言したことで、雫ちゃんはそっか、と目を閉じた。

たとえどこかから圧力が掛かろうとも、四葉当主が命令したとしてもそれは有り得ないと、はっきり断ったことで本当に無理なのだと納得した雫ちゃんは、わかった、と答えた上で。

 

「じゃあ私が達也さんの第二夫人になって深雪とラブラブになるのは」

「させないぞ」

 

……そんなこと考えてたの雫ちゃん?

いや、違うよね。冗談で場を和ませようとしたんだよね。だからお兄様もそんな真剣にお応えせずとも――

 

「半分冗談」

 

もしもし雫ちゃん?まだ続けるの?

それにしても半分とは、ずいぶん多いね。

 

「9割本気の間違いだろう?」

「これでも北山の長女だから――7割」

 

…七割だって。何かの割引交渉の話かな?もう私は突っ込みません。紅茶美味しい。

それからは難しい話は抜きに、紅茶のお話だったりお菓子の話だったり、普段話さないような好きな花や好きな香りの話をしてお開きとなった。

 

 

――

 

 

予想以上に食べ過ぎてしまい、水波ちゃんに急いで今日の夕食の量を減らしてもらう連絡を。まだ作る時間じゃないけどこういうのは報連相が大事。作ってもらうなら気分良く作ってもらいたいから。

帰宅しても休めたのは一時間ほど。

お兄様は着替えてミーティングへ。見送りに玄関に向かったのだけど。

 

「報告する内容が無いんだ、あのままデートに行った方が有益だったな」

 

帰りの車の中でもそんな話が出た。もちろん予定があるでしょう、と少しだけ遠回りをして帰ってきたのだけど。

 

「ちなみになんと断るおつもりで?」

「婚約者とのディナーを過ごすので欠席します」

「…それは花音先輩たちにも悪いので」

 

先輩たちが怒るとは思わないけど(七草先輩はポーズで怒ってみせるかな?)印象は悪くなる。これはただの学生の集まりじゃなく家を代表してのことだから。

それに、私たちだけデートなんてしたらあの二人に悪いもの。いえ、あの二人だけじゃない。一高生徒には不便な思いをさせている。

外出を元から控えている受験生の先輩たちも不安になっていることだろう。

早く、愁いを晴らしてあげられればいいのだけど――。

 

「お前が気に病むことは無い。全ては首謀者が悪いのだから」

「そう、ですね」

 

それはそう。あの男が死を予感して最期に特攻なんて仕掛けようと思わなければ、こんな事態にはならなかった。だけどすぐに捕縛に動かないのは万全を期すためと言っても私たちの事情だ。

引き寄せられるままぽす、とお兄様の腕の中へ。

 

「やはり行くよりもこのまま深雪と過ごしたい」

「お二人から報告することがあるかもしれないではないですか」

「四葉が掴めない情報を持ってくるとは思えないがな」

 

こちらはすでに黒幕おじさんの居場所が判明してますからね。現在は少しでも力を削ぐため泳がせ中。

ついでに日本に散りばめられている大亜連合との繋がりも根絶するつもりなので、いろんなところに立ち寄ってもらいたいところ。

いろんなところから出る膿もこれを機に出し切らないと。

十文字は十文字で、七草も七草で頑張って情報集めてるんだろうけどね。常日頃の活動の差がこんなところに出る。

 

「…七草先輩からは、なにか相談をされているのですか?」

 

婚約について何か発展はあったのだろうかと間接的に問えば、じっと私の瞳を見つめてから。

 

「相談はされていないが、そうだな。あの人は親には反抗するようだが友人のアドバイスは聞いたんじゃないか?以前から人を揶揄うことを好んでいたが、その際距離が近くなったように感じた」

「距離が!」

 

それはつまり、相合傘から距離が縮まり、腕を組んだり手を繋いだり――

 

「最低限の触れ合い以外は避けている」

 

……まだ何も口にしていないのに目が鋭く、感情の乗らない声で否定された。

ちょっと、お怒りのオーラが。

 

「嫉妬するのは難しくても、面白くないと思ってくれればと思ったんだが――」

 

スッと細められる瞳に怒りの色は浮いてないけれど、ご不満です、と訴えられる。

 

(これは!違うんです!!ファンとしてお兄様が七草先輩となんやかんやあるってだけでご飯が美味しいっていうオタクのアレな思考であって、婚約者が粉を掛けられていることに喜んでいるわけではない…いや、お兄様から見れば一緒になるのか?!)

 

どうしよう。誤解を解きたいけどこれは説明しようがない。

 

「あ、あの!」

「いいんだ」

「え…?」

 

する、とストレートに戻った髪を撫でつけてから指を絡ませ後頭部を支えられる。

近寄る顔にはただならぬ色気が溢れ、当てられて身体が硬直した。

 

「俺の努力が足りないのだろう。もう少し、アプローチの仕方を変えていこう」

 

え、え?と戸惑っている間に背中に回った手つきが夜を思わせるように怪しく蠢き、後頭部を抑えられ逃げられない状態で迫られて――

 

「片を付けてたっぷりと時間を取れたら、俺に時間をくれ。その時には触れる許可も――」

 

欲しいな、と顔をずらして耳元に囁いてから体を離してくれたのだけれど、その声だけで体から力が抜けてしまった。

崩れ落ちそうになるのをお兄様が支えてそっと座らせてくれたのだけど、

 

「困ったな。この状態のお前を置いて行きたくない」

 

……真っ赤になって腰砕けになっている状態はどう見ても据え膳ですものね。

お兄様としては覚悟しておけよ、とおねだり(・・・・)するつもりがうっかりオトしかけてしまった、と。

 

「お兄様…」

「いや、無理だろう」

 

どうか捨て置いて行ってほしい、との思いは伝わったのにお兄様は私をガン見して離そうとしない。

でも、自分都合で先輩との予定をすっぽかすのはさっきも言ったが良くないので。

何とか力の入らない体を動かして首を伸ばす。

 

重ねた唇に力は無く、音も立てられない。

 

自分から初めてキスをした。キスと呼ぶには稚拙なモノではあったけれど、唇を重ねたことには違いない。

 

「これも大事なお仕事です」

 

所謂行ってらっしゃいのキス、のつもりだ。

今までそんなことをしたことは無かったが、お兄様にはこれも正しく伝わったらしい。お兄様の受信機は感度良好ですね。

 

「………深雪は酷いな」

 

煽っておいて仕事に行け、というのは確かに酷い所業だろう。

だが、私のせいで先輩たちを蔑ろにするのはだめだ。それはお兄様の為にはならない。

お兄様はまるで苦渋の決断を下すように辛い顔をしながらも出かけていった。

 

(……今でさえ厳しいアプローチが一体どんな風に変わってしまうのか…)

 

この件が解決するまで、を待たずしてすでに今夜から恐ろしい気がするのだが――うん、私は何も気づかなかった。今日は触れちゃいけないことにばかり触れそうになるね。

いいの。後のことなんて後の私に任せます。

とりあえずこの腰砕け状態を早く何とかして水波ちゃんに癒されたい。落ち着くまでひんやりした床に座って頭と心を冷やすことに専念した。

 

 

――

 

 

いつもと変わらぬ(・・・・・・・・)朝を迎え、黒幕おじさんのことで進展も無く、お兄様は先生の下へ修行に行った日常の朝。

だが、それは家までの話。

学校はなにやら浮足立った様子だった。

ちら、ちら、といつもとは違う好奇の視線が向けられる。

 

「何かあったのでしょうか?」

「だとしても、恐れているような事態では無さそうね」

 

…ついにきちゃったかー、と思いながらも不安そうな水波ちゃんに大丈夫、と声を掛け、お兄様を見る。

 

「トラブルが起きたようには見えないな」

 

お兄様も平然とされているけれど、耳には「団長に試練が」「ライバルにもならないんじゃないか」「そもそも女王の視界に入る?」など不思議な言葉が届く。

そこへ――

 

「伝令!でんれー!!わが校にお客様(・・・)が来校する!緘口令を敷く!一高の秘密は絶対に漏らすなー!」

 

伝令、伝令―!と男子生徒が駆け抜けていく。アレは――多分演劇部だね。発声ができてる。

 

「……深雪様」

「何というネタばれ」

「深雪?」

 

おっと失礼。つい口が滑った。

でもこれは予想外のネタバレが起きた。

 

「このタイミングでがわが校に来て、生徒がこのように浮足立つ状況とヒントを出されれば、自ずと誰が来るのか答えがわかると思いまして」

「わざわざ転校してくるとは思わなかったが、恐らく外れてないだろう」

 

あちらも本気ということか、と呟かれるけど、その本気は捜査に対して?それとも婚約に対してだろうか。

ただ、正確には転校ではなく一高で三高の授業を受ける、出向のようなものなのだけど、問題点はそこじゃない。

 

「賑やかになりそうですね」

 

誰が、とは言わない。多分エリカちゃんだけでなく、学校全体が野次馬になるだろう。

その考えはお兄様にも通じたみたい。

 

「…平穏な時間が遠のいていくな」

 

学校くらいいつも通り過ごしたかったというお兄様の願いは残念なことに叶いそうもない。

 

 

 

一条くんが、一高にやってきました。

 

 

――

 

 

というわけでお兄様たちと別れて教室に――向かう前に近くの空き教室で打ち合わせを少々。

話はどのようなスタンスで彼と接するか。

 

「婚約者が牽制するのはおかしなことではないはずだな?」

 

おっと、お兄様迎え撃つ気満々です?ストップ争い。

今は別のことで忙しいのに学校生活でまで争いを増やさないでください。というよりすでにそれはストップがかけられているでしょう?

 

「叔母様から事件が解決するまでは仲良くするように、とのことだったではありませんか」

「…」

 

お、お兄様がぷいっ、と(誇張表現)顔を背けられた!か、可愛いかな!?わかってても言いたかった?…急にときめかせないでほしい。胸が苦しくなる。

 

「…深雪様」

 

は!しまった。ついお兄様にキュンキュンして言葉を失ってしまった。

ありがとう。水波ちゃんのおかげで正気に戻ったよ。

 

「…お兄様にはとても不快な思いをさせてしまうでしょうが、」

「いや、深雪が悪いんじゃない。叔母上の決定には逆らえないからな」

 

それに、俺にも叔母上の言うことが的外れではないと思っている、と。ということはお兄様も一条君の精神状態が不安なんですね。

 

「一条は戦闘に対して勘も良く、反応速度も速い。実力があることは認めるが、熱しやすいところもあった。それでもコントロールはできると思うが、わざわざ不安要素を増やすことも無い。…お前が煽てて張り切らせでも問題だが、冷たくあしらって落ち込ませても面倒だ」

 

…不思議と想像つきますね。まあ、まだ高校生ですし、感情に振り回されてもおかしくない。九校戦で高校生たちの試合を見ているとそんな場面ばかりだ。

一条君はその中でもコントロールできている方だったけどね。お兄様とのあの一件は、危機感に体が反応しただけだから感情とはまた別問題。正しい反応でした。

 

「では以前と変わらず必要に応じて適度に接する、ということでよろしいでしょうか?」

「…それが無難だろう」

 

お兄様、無表情ながらとっても嫌そう。

 

「奴の前で兄呼びもぬか喜びさせるものに繋がりそうだが」

「そこはまだ発表から一月しか経っていないのです。言い慣れていない、ということで誤魔化せるのではないでしょうか。…他の生徒たちにもあまり混乱を招くようなことは避けるべきかと」

 

呼び方が兄のままではいらぬ誤解(婚約に納得していない、等)を招くのでは、と一時的に呼び名を変えるか提案されたけど、だからといって呼び方を変えるとそれはそれで一条君テンション下がりそう。

あと、生徒たちが確実にざわつく。今はただでさえいろんなことが起きているのにこれ以上複雑化するのは勘弁願いたい。

…それにわずかだけれど、お兄様の目が細まっていたのがなんとなく不穏な気がしまして。

 

(一時的と言いながらこのまま定着させられてお兄様呼びに戻れなくなりそう…)

 

いずれそういう時期が来るとわかってはいるのだけれど、今はまだもう少し時間をください。

事件が終わるまではわざとらしい婚約者アピールは避けた方がいいことについては、先も述べたがお兄様も承知なので、本気の提案ではなかったからあっさり下げた。

 

「あの、その場合私はいかがいたしましょう?深雪様に近づく場合、警戒を見せない方がよろしいのでしょうか?」

 

警戒することは外せないんだね。

ただ表立って警戒してしまうと牽制しているように取られるからそれもできない。

そう伝えると水波ちゃんもしょんぼり。ごめんね、お仕事させてあげられなくて。

何だろうね、一条くんに表面上優しく接する(予定)と、この二人への罪悪感ががが。

 

「気も無いのに優しく接する一条さんにもですけど、お兄様にも、それに水波ちゃんにも不快な思いをさせてしまうでしょうが、しばらくお付き合いください」

 

頭を下げるとお兄様は分かった、と頭を撫で、水波ちゃんは無言で頭を下げた。

それから細かなところの設定を決めてからそれぞれ教室に向かった。

 

 

――

 

 

優等生の揃うA組であっても他のクラスの生徒と変わらない。

どのクラスに彼が来るのかわからない筈なのに、彼らは何か期待をしているようだった。

どこから漏れたのか、いつの間にか百家くらいまでだった一条家の婚約申し込みの話が一般生徒にまで広まっていた。

親の、絶対言っちゃだめだよ、を守る子がいなかったのか、はたまたここにも情報収集能力の高い子がいるのか。

ちらちらと向かう視線はそれが原因のよう。

今朝の緘口令によってなのか、『女王陛下』と定着していた呼び名が『姫』になっていた。

…もちろんどちらも直接向けられることは無いよ。基本的には会長とか司波さん、司波先輩の方が表。…うん、表。いいの。悪口ではないから。皆楽しそうなので黙認って形で容認してます。

生徒会長たるもの、ある程度寛容でなければね。好きなようにして。

『姫』呼びはあまりされていないのでちょっと新鮮?二年生の九校戦まで『プリンセス』が多かったから。たまには『姫』で呼んでいるのも聞いたことあるけどね。プリンセスの略称扱い?だった。

お兄様の方は『ナイト』『騎士様』ではなく『団長』呼びのよう。そこはお姫様に合わせて騎士じゃないの?

そして姿もまだ見ていない一条くんなのだけどすでに呼び名が『王子』に決まったようだった。プリンスだからって安直じゃない?けどその王子の前にわざわざ『隣国の』が付くのは何で⁇

 

(――同じオタク視点の立場で推理してみよう)

 

現在小説は王女殿下から戴冠して女王となった。最新刊では幼馴染の護衛騎士は、あらゆる政治的思惑と本人の実力も有って、騎士団長にまで昇格した。

政治的な話は置いておき、恋愛模様の方は『女王陛下』→←『団長』の両片思いの展開が変わらず繰り広げられている。

まあ、焦れ焦れ両片思いでファンはやきもきさせられる展開がずっと続いていて、マンネリ化し始めていたところだ。近々大きな動きがあると期待されている。

現段階で『隣国の王子』がいるなんて記述はなかったけど、隣国には昔戦を繰り広げ、今は不可侵条約を締結させている大国があるという記述はあったから、その辺から着想を得たのかな。王道的展開によくあるもの。

それを踏まえて私たちの学校の現状を当てはめると、モデルとなっているお兄様と私が従兄妹同士で婚約者となり、妹であった私に告白をしたが、まだ兄妹が抜けきらないと返事待ち状態。

…うん、これだけでも十分生徒たちの娯楽になるわ。小説と展開こそ違えど、モダモダの焦れ焦れに見えるもの。

彼らにとって私たちは小説の元になっている二人であるから、ある種これは二次創作状態――もしも両片思いのあの二人が現代に居たらこうなっている、の展開に見える…ということだろうか。…とんだ逆転現象である。

皆さん、一応こっちが一次ですよ。大元こっち。

だけどすでに、前世で結ばれなかった二人が現実で『こう』なっている、というマンガ研の本があるとかなんとか。妄想の翼が広がることは良いことです、うん。

…で、そこへ婚約に横槍を入れるように婚約申し込みをしてきた一条君が一高に来る、と。

まあ、展開的に盛り上がるよね。現実でも妄想でも。

リアルに『女王陛下』の元に『王子(仮)』が婚約を申し込み、先に婚約発表をしていた『団長』は自国の人間。他国との利害関係もあり、女王の心は揺れ動く――みたいな?

まあ、十師族は国を統括しているわけでもないし貴族でもない。ただ、血族とかそういったことを考えると似たようなところがあって想像を掻き立てる。

これは、あれだね。

一条君の存在は、私たちの進展を期待する生徒たちにとってまさに鍋窯しょってやってきた状態。美味しい三角関係ってやつですね?

女王陛下が格下げになって姫に戻ったのは、王子が相手なら姫の方が釣り合いが取れるからとかかな?

プリンスとクイーンじゃ、ねぇ。イメージ的に盛り上がりにくい。

そこに騎士が、というのは立場的に張り合えそうにないから団長という肩書で呼んでいる、とか…?考えすぎかな。何でもかんでも設定や裏ネタを探ってしまう、オタクの悪い癖。

と、そんなことを考えていたら教頭先生が入ってきた――真っ赤な制服を纏った生徒を伴って。

ええ、一条君ですね。流石プリンス、オーラが違う。なんかキラキラしてるね。正統派王子様。

女子たちが一気に浮足立った。

うんうん、見目のいい男子は見るだけでも楽しいよね。しかも相手は一条家のプリンス。芸能人が転校してきたようなものだもの。

 

「皆さんご存じの通り一条君は三高の生徒ですが、この度お家の都合により一か月ほど東京で生活することになりました」

 

この家の都合、との言葉に一瞬空気が固まるが、一か月東京に、のところに期限付きで一高に滞在することを知る。

 

(この事件解決まで、ではなく一月間ってところがミソだよね)

 

一条家の当主は磊落なようでいて、こういう策略もやってのけるやり手のイケオジなのだ。

一条君もお父様を見習っているのだろうけど、彼一人でこれをやってのけるのはまだまだ難しそうだ。

今も、全体を見回すようにしてこちらをちら、と視界に収めてるのもね。直接視ないよう頑張っているのだろうけど注目され慣れているのでそういった偽装にも気づけます。まだまだ詰めが甘い。

気にしてません、気付いてませんよ~、のふりをして見られることもありますからね。プロの視線は判別突かないかもだけど、彼のはちょっとわかりやすかった。

ここまでの流れはほぼ原作通りだけれど、一つ違うと言えば入学してからクラスメイトが欠けたことはない。よって席が余っているからそこへ、という流れになるはずなのだが、クラス替えをした時点で席は一つ余っていた。

昨年のA組の人数そのままに席が残されている形でずっと空席が一つ余っている状態だったのだ。

これもご都合主義?それともただの偶然か。

考え事をしている間に八百坂教頭の説明は続いており、彼は転校ではなく一高に間借りして三高の授業を受けるということ、ただし実習や実験は無理なので一高と同じカリキュラムを受けること(ただし単位取得にはならないんだって。三高もなかなかに厳しい)仲良く切磋琢磨してね、と締めくくり、一条くんに挨拶を促す。

 

「第三高校の一条将輝です。この度は第一高校の皆様のご厚情により、一緒に学ばせていただくことになりました。一か月の短い期間ですが、よろしくお願いします」

 

高校生にしては固い挨拶だけど、好意的に受け入れられ温かい拍手が起こる。

原作の深雪ちゃんは彼のことを面倒だな、と内心ため息を漏らしていたけれど…確かに対応に困るよね。

叔母様からは事件解決までは仲良くね、と言われているけれど、どこまで仲良くすればいいの?クラスメイトレベル⁇

お兄様も言っていたけど盛り上げすぎても落ち込ませてもダメ、というのは案外加減が難しいように思う。彼はちょっと…感激屋さんのようでもあるから。

扱いに悩むなぁ、と思いながら周囲に合わせるように微笑みながら拍手を送る。

こうして約一月、取扱注意なクラスメイトが増えました。

 

 

――

 

 

「意外。てっきり深雪に付いてくるかと思ったのに…」

「いきなりそれじゃ、男子にも女子にも嫌われちゃうよ」

 

お昼、食堂に行ったらエリカちゃんが遠目で一条君を追って一言。

それに吉田君が流石に初日でそれは、と苦笑いで反論していた。

私は自然に下を向いて例のセリフを待つ。

 

「リーナは女の子だから深雪と一緒でもそれで当然という感じだったけど、一条さんは男子だもんね」

「それもそっか。初日から女の子のお尻追っかけまわしているようじゃ、プリンスのイメージガタ落ちだもんね」

「エリカちゃん、お尻って…」

 

来た!エリカちゃんと美月ちゃんのお尻談義。談義じゃないけどね。

魔法科の女の子って皆上品な子ばっかりだからあんまりこういう言葉自体使わないものね。恥ずかしがっている美月ちゃんに、じゃあおケツ、と揶揄うエリカちゃん。おケツの方がアウトだと思います。

…これって男子たちはどんな顔して聞いていたんだろうね?顔を上げようとしたのだけれど、雫ちゃんから声を掛けられる。

 

「ねえ、リーナってどんな子だった?」

 

あら?これってほのかちゃんが訊かれる話じゃなかったっけ?真っ直ぐ私が見られてます。

はてな?と思いながらも、リーナちゃん、リーナちゃんね。

 

「金髪で蒼い瞳の美しい、それでいて可愛らしい子だったわ」

 

思い出すだけでも心が弾む。美人なのに愛嬌があって、真面目で一生懸命で、だけどちょっぴりポンコツな、そんな可愛いクラスメイトでしたとも。思わず頬に手を添えて回想していたのだけれど、「深雪」とお兄様に呼ばれて現実に戻ると、お兄様から窘める視線が向けられている。

 

「お前が彼女を大切に思っていることは分かったから、その表情は控えなさい」

 

あら、珍しい命令口調、と思ったら視線が集中し、雑音がほとんど消えていた。…久々にかっさらってしまった模様。

 

(ああ~…一際目立つ熱い視線がありますね)

 

「…深雪はその子のことが好きなんだね」

「ええ。とてもいい子だったわ」

 

雫ちゃんの問いにそう答えた時だった。ほのかちゃんが慌てて会話に参入する。

 

「え、ええっと!それだけじゃなくて魔法も凄かったんだよ!深雪には敵わなかったけど、深雪の対戦相手が務まったんだから」

「…それは聞いた」

 

リーナちゃんの話は雫ちゃんが帰国してすぐしていたからね。

 

「あ、あとちょっと抜けたところがあって、そこが可愛いっていうか!」

「…ふーん」

 

どうしたのだろう。雫ちゃんが不機嫌に。

何かあったのかと雫ちゃんを見つめれば、

 

「どっちが好き?」

 

と。真剣な表情(無表情)で訊ねられる。

 

「…雫?」

「私とリーナって子。どっちが好き?」

 

………それはとても難問ですね。

究極の二択、じゃないの。答えるのが難しい難問。

 

「雫、その質問は意地悪だわ…雫は雫で、リーナはリーナで好きなのだから」

 

比べられない、と言えば雫ちゃんは少しだけ頬を膨らませて、「だって…」と唇を尖らせた。

……私の親友が可愛いんです。

思わずぎゅっと抱きしめたよね。あと、かわいい、って声が漏れてた。仕方ない。可愛いんだもの。

どうしよう、このままじゃお昼ご飯がいつまで経っても食べられない、と思っていたけれど。

 

「雫」

 

肩にお兄様の手がのった。

 

「お前が牽制すると事態がややこしくなるだろう」

「女子同士だから遠慮させるだけで済む」

「……」

 

…真剣に悩んだのに、まさかの一条君対策でした。もしかしなくても遠くで衝撃受けてる?

お兄様が牽制すると火に油を注ぐことになるけれど、女の子同士ならライバル…ではないよな?と混乱する程度?いや、するかな、混乱。

今後教室でも女の子同士仲良しだから、距離が近い時は遠慮してもらえるのでは、という作戦だったみたい。

ホッとしたようなちょっと落ち込むような…お兄様の隣でほのかちゃんがほっと安心したような息を吐いていたのが印象的。そういえばなんでほのかちゃんは慌ててたんだろう?

それから話題は一条君になった。

転校ではなく家の事情で、一高で三高の授業を受けるんだと説明すれば、当然気になるのはその事情とやらで。

生徒会を休む理由としてすでにお兄様が捜索隊に入っていることを事前に聞いていた面々はお兄様に視線を向け、お兄様は頷くことで返答した。

それだけで話は通じ、エリカちゃんなんてにんまり笑って。

 

「わざわざ遠いのにご苦労様だねー。他にも事情がありそうだけど」

 

ちらっと見られた。うん、まあ気付くよね。

でも、お兄様の機嫌が下がるのでその辺でストップ。

 

「そちらの問題も気になるけれど、生徒会としては反魔法師運動の方が見過ごせないわ」

 

話を逸らすためにも話題をすり替える。直接トラブルには発展していないけれど、数人の生徒たちから囲まれそうになったから逃げた、という相談はもう何件も届いている。

 

「風紀委員にも報告が上がっているよ。大通りではないところで彼らはたむろしてるみたいだね」

 

そして、生徒が油断してそうなところにわらわら押しかけようとして、妙な動きを察知した生徒が駅に向かってダッシュする。

 

「先日報告に上がってきたのは、駅のところに待ち構えて挟み撃ちにしようとした集団があったとか」

「え?!でもそれだと駅員さんに見つかりますよね」

「そう。だから彼らは注意を受けてそそくさと逃げていったみたいだ」

「…ばか?」

「彼らも計画通りに行かなくて焦っているのかもしれないね」

 

だから風紀委員としても、学外を警邏すべきか検討中だ、と吉田君。お仕事してますね。

だけどそうか。警戒しすぎると相手が無謀な行動に走ることもあるのか。これはこれで不穏な動きだ。

そろそろ本格的な衝突がありそう。

生徒たちに被害が行かないよう、再度生徒会からもメールをしよう。

そんな話で昼食は終わった。

 

 

――

 

 

授業が終わり、この後は生徒会でお仕事だ、と少し端末を操作してチェックをしている時だった。

しゅぴん!と深雪ちゃんアンテナが感知しました。

お兄様ですね。静かに立ち上がってできるだけ気配を控えめに扉の外へ。よかった。お出迎え成功。

真っ直ぐこちらに向かってくるお兄様の姿に頬が緩む。

学校で見るお兄様もとても素敵。エンブレムも流石に見慣れたけれど、日中は白いお兄様を、帰れば黒いお兄様を交互に堪能できるとね、全然見飽きることが無いというか。

つまり日常の制服姿であろうとカッコいいものはカッコいい。今日もお兄様は輝いていらっしゃるということ。

 

「こちらに来られるとは珍しいですね。もしかして一条さんにご用事ですか?」

 

興奮を抑え込みながら問いかけると、お兄様は…あら、眉を下げられてしまった。

せっかく来てくださったのに珍しい、なんて言ってしまったからだろうか。

ちょっとした枕詞のつもりだったのに、と弁明の為口を開こうとしたのだけれどお兄様の方が早かった。

 

「確かに今回はその用件もあるが、…許されるならいつでもこうして迎えにきたいくらいなんだぞ?」

 

…廊下が静まり返った後、黄色い悲鳴が上がった。お兄様語録がまた増えましたねぇ。

お兄様の寂しそうな声色ってそれだけで胸にクる。表情は他人にはわかりづらくとも、声の感情は隠せないから皆にも響いたのだ。

赤くなる前に遠目になってしまったことを許してほしい。現実逃避というヤツです。…逃げられないから顔が赤くなるんですけどね。

何事!?とクラスメイト達が廊下に顔を出し、私たちを見つけると「あ~」と納得したのち、何があったんだと顔を覆っている生徒たちに事情を訊いていた。

すまない。私の不用意発言のせいで。

お兄様としては放課後こうして迎えに来て生徒会まで一緒に行きたいし、なんなら昼食も迎えに行きたいくらいらしい。

抑えているのは私にも付き合いがあり、あまりべたべたするのも気疲れさせてしまうだろうから、という配慮により控えているのだとか。

いつもお気遣いありがとうございます。おかげさまで皆から「このリア充が!」などの視線を受けることなく、穏やかな学生生活が送れています。…うちの生徒がその視線を向けるかわからないけれど、毎日お迎えは公認カップルだとしても胸焼けするんじゃないかな。

 

「ご配慮、感謝します」

「そのかわり、家では遠慮しないからな」

 

…もしかしてだけれど、地下室から戻る時や部屋に戻る時のエスコートって遠慮していない結果だった?家の中でおかしいな?とは思っていたけどまさかの事実。

周囲がまたざわわ、と騒ぎだしたのでそろそろ動かないと。ギャラリーが増え始めてしまった。

お兄様も気付かれたのか、一条を呼んでくれるか?と用件を済ませようと動く。

 

「わかりました。呼んでまいります」

 

ちょっと大げさに承りました、といった感じで頭を下げるとお兄様は苦笑をして頼んだ、と送り出してくれた。

お兄様の顔にも声にも陰りは見えない。…心の内までわからないが、形だけでも笑ってもらえたならよかった。

教室に入ると、あれ?先ほどまでクラスの真ん中あたりにいたはずなのに、今は窓際で男子たちに囲まれてますね。その中心の一条君は戸惑った表情を浮かべている。

 

「何か廊下であったんじゃないのか?」

 

男子たちは、そんなことより、と一条君に色々聞きたいことがあると気を逸らしていた。

あ…そういう。

彼らには黄色い悲鳴が上がる理由がわかっていますからね。どうやら気を使わせてしまったらしい。

 

「あの、少しよろしいですか?」

 

クラスメイトだけならこんな言葉は掛けないのだけれど、一条君がいるからね。

声を掛けた瞬間の一条君の反応が顕著で、周囲の男子たちも「おいおい、大丈夫か?」という視線。さっきまで別の理由で焦りつつも、話掛けるきっかけができて嬉しい、といったような憧れの視線があったはずなんだけど、急に年相応な男子を見る視線に変わってしまった。…逆に親しみが生まれたと捉えるべきかな。

 

「、司波さん、何か御用ですか?」

「ええ。呼んできてほしいと頼まれまして」

 

そう言って入り口の方に振り向けば、ドアの外で陣取っているお兄様の姿が。…あれ?腕を組まれて悠然な面持ちで待ち構えていますけれど、なんだろう?門番として立ちふさがっているように見えますね?…威圧、じゃないんだけど、ここは簡単には通さないぞ?というような文字が見えそう。教室の外で待っているのだけれどね。

一応先導してお兄様の下へ。大した距離も無いので会話も無く到着。

 

「ありがとな」

 

一条君を連れてきたことに労いの言葉をいただきました。続いて一条君からも、お礼の言葉をいただいてから二人が対峙する。

話はミーティングのお誘い。

十文字先輩たちと情報交換をしているから来ないか、と。一条君はちょっと悩んだのち参加する旨を伝えた。

こういうのって十文字先輩からお誘いがあっておかしくないと思うのだけど、何故声が掛からなかったのだろう?十文字先輩の指揮下に入っているならば、東京に来ることも連絡してるんだよね?

その際に誘ってもよかったと思うのだけど、…もしかして本当にお兄様と七草先輩の為だけにセッティングされた会でした?七草先輩とお兄様の間にもう一人追加されることを嫌がる人がいた、とか?…深読みのしすぎかな。

お兄様が場所を教える為端末を操作し一条君とやり取りしているのだけど、一条君むっとしてますね。

 

「――一緒に行かれないのですか?」

 

お兄様の顔を覗きながら訊ねれば、驚いた一条君のお顔と不思議そう(妹視点)なお兄様のお顔が同時に向けられる。

 

「…その発想は無かった。が、一旦家に戻ってから待ち合わせをして、となれば手間になるんじゃないか?」

 

ちらり、と一条君に視線を向けるお兄様。

見られた一条君も戸惑いながら答えた。

 

「あ、ああ。そうだな。地図で場所は分かるから直接現地の方がありがたい」

 

お兄様には誰かと一緒に任務ということ自体珍しいから、その辺りすっぽ抜けている。同年代となんてもっと無いだろうし。黒羽姉弟とはあるだろうけど、彼らは任務の効率を重視できるから最短ルートで物事を考え、現地集合当たり前なのだ。

親切心が無いわけではない。手間になるんじゃないか?の言葉は自身に向けたものでは無く一条君に向けられているから。だからこそ彼は戸惑った、ということなのではないかな。

 

(お兄様は勝手に勘違いされるパッシブスキル持ちだから)

 

しかも好意的に取られることもあるが、ほとんどの場合嫌われることの方が多い。これも女難の相に匹敵する呪いだよね。

一番の呪いはラッキースケベの呪い。これは群を抜いているから。

と、話はこれでお終いのよう。

 

「では18時に現地で」

「わかった」

 

頷く一条君に、もう用は済んだと端末をしまい、視線はこちらに。微笑み付き(妹視点)ですね。

 

「深雪、行こうか」

「はい。では一条さん、失礼します」

「え、どちらに…?」

「私たち二人共生徒会役員ですので、生徒会室に」

「あ、ああ、そういう…。失礼しました。お仕事頑張ってください」

「ありがとうございます」

 

私が生徒会長であることは聞いていただろうけど、転校初日で他の生徒会メンバーを知る機会なんて無いものね。

うーん、背中に視線を感じますねぇ。

 

「…お兄様」

「だめか?」

 

ふいにお兄様の腕が動きそうになっている気配を察知しました。

エスコートしたくなりましたね?されること自体、恥ずかしいけれど嫌なわけではない。…だけど見せつけるようにするのは波風を立てることになりますので。

 

「…せめて、角を曲がるまでは」

「わかった」

 

視線が切れたらOKとの言葉に、しばしの間我慢をして下さることに納得してくれた。

 

(うーん、初日からこれかぁ…)

 

帰ったらできるだけお兄様を甘やかしてあげたいと思うけど…私の心臓もつだろうか?

曲がり角を曲がった先にも一応生徒たちの姿があったので節度ある接触だけで済んだが、お兄様の機嫌は良さそうなのでほっとした。

 

 

――

 

 

お兄様の帰宅にお出迎えに行くと、ご機嫌なお兄様に抱きしめられました。

このところはちょっと疲れたとばかりに脱力しながらハグすることが多かったのだけど、今日はがっちりめ。すりっと頬に頭が摺り寄せられる。

 

「ただいま」

「おかえりなさいませ。何か良いことがありましたか?」

「良いこと…うん。良いことだな。一条を誘ったのは正解だった」

 

一条君?

はて。確か今日は一条君を交えて現在の状況を説明するだけでミーティングが終わるんじゃなかっただろうか。

 

「アイツがこちらを構うことでちょっかいが減った」

 

…ああ…七草先輩も流石に一条君の前でちょっかいは掛け辛かったか。

あれは一高特有のノリのようなところがあるから、三高の一条君が混じることでやり辛くなったんだ。

お兄様にとってはそのことで気が楽になったらしい。…そんなにちょっかい掛けられることが負担になってました?

美女からのちょっかいですよ?と思うのは、私が他人事だからか。

ちょっと考えれば、乗るわけにいかないハニトラを仕掛けられているような状態が、負担にならないわけがなかった。

…これ、もし私と婚約していなかったとしても、四葉の人間が七草に構われること自体当主の不興を買いかねない問題だったから、お兄様としてはどのみち乗るわけにはいかないお誘いだったのでは?

お兄様が四葉にそこまで従順ではないから気にしない可能性もあるけど、積極的に行くかはまた別。当たり障りなく過ごしたいのであればこのケースでも厄介事扱いになりそう。

 

「お疲れ様でした」

 

今回はそれをずっと当主の命で適当に相手をして耐えていたのだから、それは大変なことだっただろう。

恐れながらも労いの気持ちを込めてそっと頭を撫でると、ハグの力が強まった。

無言で態度に示されると、甘えられている感じがしてきゅうぅ、と胸の奥が締め付けられる。

この可愛いお兄様に絆され、いつもより長い時間ハグをしていたのだけれど――

 

「…お兄様、それ以上はストップです」

 

あっさり撫でていた手を取られ、指を絡めて引き寄せながら埋まっていた頭を持ち上げ近づけてきた。

触れ合うまであと数センチ、というところでストップをかける。

…帰宅でするのはハグまでです。

 

「…唇以外なら?」

「……額でしたら」

 

…お兄様の懇願の瞳に負けましたよね。

でも頬にするとお兄様が唇ギリギリを狙ってくることがあるので距離の離れている額に。

お兄様はそれでも許可が下りたことに笑みを浮かべて、音を立てて額に押し当ててから離れていった。

 

「今日は随分甘やかしてもらえるな」

「…お兄様にはたくさん我慢をさせてしまいましたでしょう?」

 

叔母様の命だから仕方がないのだけれど、不満を抱かないわけがないものね。

髪の毛を指に絡ませ弄ぶ。

それだけじゃない、と視線を絡ませて。

 

「お前も、俺の為に気を使ってくれていたじゃないか」

 

その気遣いだけでも嬉しかった、と。

アレですね。できるだけ一条君の前でお兄様呼びをしなかったから。

事前の取り決めで、婚約者ではあるけれど、まだ兄呼びが抜けきらない状態をそのままにするとしていたのだが、わざわざお兄様、と一条君の前で呼びかけることもないのでは、と言葉を選んで会話していた。

…些細なことだったのに、気付いてくださったのか。

頬が赤らむのが止められず、少し俯く。

 

「…ふむ。一条が来るのも悪いことばかりではないんだな」

「…お兄様、任務がメインですよ」

「それは分かっているが、アイツの目的はそれだけではないだろう」

 

「深雪が恋慕われることは慣れているが、こうして婚約を申し込まれるのは別だったらしい」と、不満を抱いていたこと、だけどこうして私が気に掛けることが嬉しいのだ、とお気持ちを吐露した。

 

(私はまだ、この気持ちに応えることは…できない)

 

できることならその不安を払しょくするためこのまま抱きしめたい。妹としてならばそうしていた。

だが、気持ちがはっきりとしていない状態でのそれは、不誠実だ。

 

「事件が終わるまで、ですから」

「…そうだな。できるだけ早く彼らと連携し、首謀者を追い詰め、解決しよう」

 

一月も掛けないで終わらせてやる、と意気込むお兄様。

そうだね。このままの調子でいけば二週間と掛からず終わる…はずなんだけど。

 

「さ、いつまでも玄関にいるものでもないですね。夕食にいたしましょう」

「すまなかった。寒かっただろう」

「…お兄様と一緒で寒さを感じることなどありません」

 

ええ…心臓がね、元気に跳ねまわってくれますから。一人でならば耐えられない寒さでも、お兄様がいるとちょっと肌寒いかな、くらいになってしまう。真冬なんですけどねぇ。

そうか、とお兄様はもう一度ぎゅっと抱きしめてから、離れた。

 

 

――

 

 

ここ連日の遅い夕飯を終え、お兄様がお風呂に行っている間にお茶菓子を用意。

 

「ねえ、水波ちゃん。一年生の中でもやっぱり盛り上がっているの?」

「…皆達也様を応援されているようです」

 

水波ちゃんが唇を尖らせて不機嫌に。こうして二人きりになるとちょっとだけ素の表情を見せてくれるようになったことが嬉しい。

そう頬を緩ませたのが伝わったのか水波ちゃんはちょっと照れ臭そうだけれど、視線を逸らせながら回答してくれた。

一年生の間では大変盛り上がっているみたいだけど、そのことで香澄ちゃんが複雑そうなんだって。

お兄様の勝敗なんてどうでもいいけれど、その話になると双子の妹の機嫌が、ね。

 

「泉美さんは、達也様のこと自体お認めになりたくないご様子でした」

 

これに関しては水波ちゃんも複雑そう。

水波ちゃんもお兄様警戒組の一人だけれど、泉美ちゃんのそれとは理由が異なる。

彼女にとって泉美ちゃんも警戒対象なのだ。…女の子、なんだけどね。私を害そうともしていない筈なんだけど…まあ別の意味で身の危険があると思われているのだろうけども。

心配のし過ぎだと思うよ。あちらはあれでもご令嬢。むしろ叶わないとわかっているからこそフルスロットルで好意を寄せているだけだろうから。

一年生の様子を聞いて、なんだかなぁ、と思うけれど人間主義者に怯えすぎてない様子で少し安堵した。気を付けては欲しいけど怯えたままというのはストレスになるから。

 

「では、深雪様」

「ええ。今日もご苦労様。おやすみなさい」

 

水波ちゃんが下がっていく。今日のお仕事は終了。見送ってからそろそろかな、とコーヒーの準備を。

淹れ終わったところでお兄様が姿を現した。…きちんと髪も乾いてきているのにお風呂上りって水気を感じるよね…っていけない。見惚れちゃう。

エプロンを外すために視線を逸らしたのだけれど、その小さな変化も見逃してくださらないらしい。

真っ直ぐこちらに向かって外したばかりのエプロンを取り上げると、腰を抱き寄せいい香りだ、と。

 

(…それは淹れたてのコーヒーのお話ですよね?でも、お兄様のお顔はコーヒーでなく私に向いているような…)

 

ような、ではない。確実に私に向けられている。

ここは淑女教育の成果を見せるところ。

微笑んで、そうでしょう?と返し、トレーにコーヒーを乗せていくのだけれど、そのトレーも奪われてしまう。

 

「ありがとうございます」

「俺がしたいだけだから」

 

そう言ってソファーまで一緒に向かい、一緒に座る…ピッタリ寄り添うように。

重ねられた手はお兄様の腿に乗せられ、腰に腕が回った状態――逃さない、という形ですが私は何かしてしまったでしょうか?

内心冷や汗を流しながらも、不思議そうにお兄様を見詰めると、お兄様は心配そうに私を見つめて。

 

「…深雪は…いや」

 

上手く言葉にできないのか、言うことを躊躇っているのか。珍しく口ごもる。

私はまた何かお兄様を不安にさせてしまっているらしい。

お兄様を幸せにしたい、と思っているのに自分の都合でお兄様へのお返事を先送りしたりと、何かと心当たりが多すぎて何を謝罪すべきかわからない。

心苦しいと思っていると、手をぎゅっと握られる。

 

「すまない。お前を不安にさせてしまったな」

「いいえ、私のことはいいのです。…お兄様こそ、何か心配事がお有りなのでしょう?」

 

原作では、お兄様は深雪ちゃんが思い悩んでいる理由を訊ねようとする場面。だが、私は思いつめることなく暗躍に奔走する毎日。心配をかけるにしても種類が違う。

促されて、言い淀みながらもぽつ、ぽつ、とお兄様は心の内を打ち明ける。

 

「…俺も、よくわからないんだ。何か漠然と深雪に対して思うことがあるんだが、それが何なのか、わからない」

 

…てっきり烏滸がましいことではあるが、嫉妬をされているのかと思っていた。

いくら一条君に靡かないと伝えているとはいえ、婚約者が懸想されている姿というのは面白くないのでは、と。原作の深雪ちゃんは正にそんな感じだったので。

お兄様が私に何を思い、何を感じているのだろうか?二人して首を傾げて、しばらく見つめ合って――ふいに同時に噴き出した。

 

「…ふふ」

「…なんだかな」

 

意味も無く頭をくっつけて、なんでしょうね、なんだろうな、と答えの出ない質問をし合い、今はこれで十分、と落ち着く。

 

「ゆっくりと探っていきましょう」

「…できれば早く見つけ出したいところだが」

「気になることが悪いこととは申しませんが、同時進行はあまりしてほしくありません」

 

お勧めしない、とは言わない。してほしくない。それが本音。

 

「そう言われたら、後に回すしかない、か」

「我侭を申して申し訳ございません」

「お前のそれは我侭ではないよ。俺の負担を減らしたいだけだろう?」

 

ありがとな、とお兄様は、追及はしばらくしないと目を瞑る選択をした。

しばらく無言のまま、いい雰囲気が流れていたところで、映像電話の呼び出し音が鳴り響く。

お兄様と顔を見合わせ、先に私が動きテーブルの下からワイヤレスのコンソールを取り出す。

モニターには叔母様のお名前。

目の良いお兄様にはこの距離でも十分見えたみたい。眉間に皴が。

だけどスッと立ち上がるとカメラの位置へ。繋ぐと叔母様の麗しいお姿が画面いっぱいに映る。

…叔母様ご機嫌ですねぇ。とっても楽しそう。

 

「ごめんなさいね、お取込み中だったかしら?」

「――ご用件をどうぞ」

 

そしてお兄様は何故そんなケンカ腰に?取り込み中を否定しないのです⁇

その答えに叔母様の目が愉悦に歪んだ。にやにや?にまにま?対するお兄様は更に機嫌が急降下。ここでバトルを始めないでください!目的は別にお有りでしょう!?

先日鎌倉のジェネレーターと戦うことになったのは、通信が傍受されていたからだった!と判明したことを黒幕おじさんに聞かせるためでしょう?こっちも進展しているんだ、と焦らせるための心理作戦。計画は順調に進んでいる。

叔母様は再度すぐに用件は済ますから、とお兄様を煽ってから、傍受の件を伝え、お兄様もその演技に乗っかる。

息ぴったりですね。

今後手紙でやり取りする話をして、これで終わり――と思いきや。

 

「そうそう、達也さん、十文字殿や七草家のお嬢さんとは上手くやれていますか?今日から一条家のご子息も加わったはずですけれど」

 

本日転校してきたことのみならず、ミーティングにも参加することを読まれていたとは。

…いや、偵察組からの情報かな。

それに対し、お兄様は無難にやっています、と返した、のだけれど。

 

「そう?そのわりに随分と七草家のお嬢さんと仲良くやっているようね?大学では噂になっているのだとか」

 

…んん?セリフが違いますね?大学で噂?ミーティング初日に大学で待ち合わせしたから、その時のことが噂になったのか。

 

「仲良く二人で一つの傘に入って帰っていったそうじゃない」

 

ああ、そっちもか。誰かに目撃されて噂が爆発的に広まったのね。

 

「余程親密そうに見えたのでしょうね。結婚秒読みなのでは?ですって。婚約もしていないのにねぇ」

「――その噂を流しているのは七草ですか?」

 

……お兄様から怒りのオーラが。声も地を這うような低ぅい声です。ゾクゾクしちゃう…恐怖で。

表情なんて怖くて見れない――と思わなくも無いけど、見たくなるのがファン心理。こっそりのぞいたら…無表情なのに瞳が苛烈な怒りを映している。お兄様、器用ですね。…ええ、現実逃避です。カッコいいけどとても恐ろしいお顔です。とっても格好いいけど。

 

「さあ?今は四葉も首謀者の件で手一杯ですから。今のところお相手が四葉の御曹司とはバレていないようよ?」

 

傘で隠れて男性の顔は見られていなかったようだから、と付け加えられたけれど、お兄様の表情は苦いものに変わった。

まあ、それも時間の問題だよね。待ち合わせの大学の門のところで顔は見られているはずだから。少し調べれば九校戦で見た顔、とばれるだろうし。そこから芋づる式に素性がばれるだろうね。

七草先輩が否定してくれていればいいけれど、渡辺先輩から唆されて、恋をしてみようと思っていた場合、はっきり否定しない可能性もある。

 

「達也さんがその気なら、一条家のようにこの話もお受けするべきだったかしら?」

「ありえませんのでお止めください」

 

冗談だとわかっていてもお兄様には許しがたい発言だったみたい。

でも、叔母様からすればその隙を与えたのはお兄様だ、と注意した――といったところかな。

 

「このミーティングを企画したのは十文字殿ではなく、娘を想い人とデートをさせてあげたい七草殿の策略のようですよ?」

「……その事情を踏まえた上で、七草と表面上ほどほどに仲良くしろ、と。――今後は十分に気を付けます」

 

叔母様の言いたいことを裏まで読み切ったお兄様の低音ヴォイスがお腹に響いて体がぶるりと震えた。

 

「では、頑張ってくださいね。期待しておりますよ」

「かしこまりました」

 

随分温度の無い「かしこまりました」ですね。これ以上お話することは無い、という空気がひしひしと。

叔母様は楽しんだからか、ご機嫌でおやすみの挨拶をして通話を切った。

おやすみなさい、と頭を下げていた私が恐る恐る顔を上げると、お兄様が悔しそうに歯噛みしていた。こんなに感情を露わにするお兄様も珍しい。

いくら私の前であっても自身のことで感情を表に出すことは今でもそうあることではない。

だが、今は自責の念を感じているようだった。

 

「…まさか、あそこからすでに罠だったとは」

 

お兄様の言うあそこ、とは大学での待ち合わせだろうか。それなら仕掛けた方は十文字先輩の方だと思いますけどね。自発的なのか、七草家当主からのリクエストなのかわからないけれど。

そしてもし、雪が降ることをわかっていたのに傘を持ってこなかったのでは?と疑っているのでしたら――おそらくそれは違う。

 

「七草先輩は、まだ恋の駆け引き以前の段階かと」

「……」

 

恐れながら、と進言する。

お兄様から視線だけが向けられるが、怯むことは無かった。

 

「すべて疑心暗鬼になってはだめです。疑うことが悪いのではありませんが、だからといって全てを拒絶しては傷つくのはお兄様です」

 

誰も彼もお兄様を騙そうとしているわけではない。十文字先輩はこの件にあまり乗り気ではないし、七草先輩は現状をどこまで理解されているかわからないが、お兄様を貶めようという意思だけは無いことは確かだ。

そして叔母様はと言えば――多分、単純に楽しんでるよね。あの人にとってはある種勝ちゲーだし。勝ち確でちょっとしたスパイスを味わっている状態。

唯一恨むべきは娘を自分の為に利用しようとしている七草くらいじゃないかしら。そのせいでお兄様にはいらぬ迷惑が掛かっている。

あの人、本当余計なことしかしないね。娘の為、というのが完全に嘘ではないのかもしれないけど、本命でないことはバレバレだから。娘の恋心(仮)を利用する何て絶許。

 

「…面倒になってきた。もういっそのこと――」

 

おおっと、自称暗躍大好きおじさんのことを考えて無言になっていたらお兄様に闇落ちフラグが立った!?大変危険!!

表情が抜け落ち、瞳も光を失っています。

ルートを修正しないと。

 

「――いっそのこと、全てなげうってあの山にでも篭りますか?」

 

…恐らくだけど、お兄様が今考えていたのは、いっそのこと全て消し去ってしまおうか――というバッドエンド、ではなく、協力関係など無視して首謀者を処分。事件解決だけしてミーティングも何もかも無くしてしまおう、ということではないかと思うわけで。

事件の間だけ仲良くしろ、という命でしたからね。

だけど、それをしてしまっては世間の見る目があまり変わらない。魔法師への当たりはさほど下がらないだろう。

それではここまで頑張ってきた意味がなくなってしまう。

クスリ、と笑ってお兄様の手を取って胸の前で包み込む。

手が、私より冷えていた。握りしめすぎて血の気が引いてしまっていたかな。

 

「のんびりと何もせず、ただぼぅ、と二人並んで。寒いのでしたら寒気を遠ざけましょう。雪が降ったならかまくらを作って中で過ごすのも素敵ですね。うんと体が冷えたなら、温泉に浸かって。ただ流れる雲を見上げて過ごす、なんて如何です?」

「……それは魅力的なお誘いだね」

 

お兄様の瞳に光が戻る。

 

「この世界が、深雪と二人きりであったならいいのにな」

「まあ。そんなことになったら私たちも喧嘩をするかもしれませんよ?」

 

この言葉にぱちぱち、と目を開閉させるお兄様。貴重なお姿ですね。可愛い。

 

「…俺たちが喧嘩をするのか?想像もつかないな」

「お兄様が私を甘やかしすぎて怒るんです。でも、それもお兄様が許してしまわれるから、私はまた怒って、少しの間口を利かなくなる――そんな光景が目に浮かぶようです」

「それは…あり得る、か」

「でしょう?」

 

会話を続けていくと、徐々にお兄様が表情を和らげていく。

そして、二人してくすくすと笑い、額を合わせる。

 

「すまない。また暴走した」

「自分の好きに動けない任務をさせられているのです。ストレスも溜まるというもの。お兄様のせいではございませんよ」

 

それに、これくらい暴走という程の事でもない。

事件を片付けるだけならば、四葉の総力を結集させれば二日と掛からず終わった。

だが、そうしなかったのは周とその師である男の蒔いた悪意の種をあぶり出し、除去するため。

そして十師族が警察と連携し、日本を共に守る姿勢を見せつける必要だった。

だからこそ策略を張り巡らせ、徐々に力を削ぎ、気付かれないよう追い詰めて逃げ道を一本に絞らせてきた。

 

「お兄様、ミーティングはこれから上手くやっていけるのでしょう?帰宅の際にそのようなお話をしていただいてましたもの」

「…だが、それは内輪の話だ。大学の噂まではどうにも――」

「それこそ、人の噂も七十五日、ですよ。もう大学には行かないのですから噂も自然と立ち消えるでしょう」

「そう、だろうか?」

 

というより原作通りの流れであれば、大学は襲撃されるので七十五日も噂は続かない。

それに、――噂は所詮大学内の話。

 

「その分、七草先輩には居心地の悪さが続くでしょうが――彼女なら上手く躱せるでしょう」

 

彼女の周囲で今までそのような誤解が全くなかったわけではないだろう。それは香澄ちゃんたちの言動が証明している。

彼女に揶揄われ熱を上げた男子は今までもいた。その度噂を聞きつけては、七草双子はその勘違いに目くじらを立てて、相手を値踏みし、隣に立つ資格なし!と『断罪』してきた。…この場合、男性たちの方が被害者のような気もしなくも無いんだけど、勝手に誑かされて熱を上げた勘違い野郎、って見えてたのかな。入学式でお兄様に襲い掛かったのもその影響だったはず。

そのように噂が立つたびに陰でその男たちを見定め、評価を下して蹴散らして。服部先輩は残念ながら彼女たちのお眼鏡にかなわなかったようで何かしら忠告のようなものをされたのだろう、怯えてたのが印象的。一体何をしたんだろう?

と、この流れが現実にあるのだから七草先輩周辺ではよくある話のはず。それで醜聞が広まっていないのだから七草の立ち回りが上手いんだろうね。

 

「社交に優れた七草ですし」

「…そうだな。あの人なら自分で何とかしそうだ」

 

というか、はっきり言えば先輩が蒔いた種でもあります。

学校なんかで待ち合わせしたらどうなるか、なんて予測できたでしょう。噂されてもいい、と思ったから場所を変えなかった。――先輩も、恋に興味を持った、ということなんだろうな。

 

(でも、渡辺先輩にも話したけれど――この恋は先が見えている)

 

…それとも、もしかしたら――

 

(お兄様が今している恋を間違いだと気付いたら、――変わる、のかもしれない)

 

大変でしたね、とため息を漏らすふりをして深呼吸をする。

心を揺らさぬように、表情を自然にするために。

 

「美味しいコーヒーが冷めてしまったね」

「では、美味しくなる魔法を掛けましょう」

 

わざとらしく指を振って陰でCADを操作して温度調節をして飲み頃の温度に。

そして――あれだよね、するよね。

 

「美味しくなぁれ、なんて…」

 

……途中で正気に戻った。ハートマークを作って呪文を唱えてからだから戻るには遅すぎたけど。

お兄様が固まってます。…居たたまれない。

 

「…悪ふざけが過ぎましたね」

 

新しく淹れなおしてきます、とカップを取ろうとしたら手首をやんわり掴まれた。

 

「その必要はないよ。…その美味しそうなコーヒーを俺にくれないか?」

「味は変わりありませんよ」

「そんなことは無い。俺にはとても美味しそうに見える」

 

それは温められて立ち上った湯気と香りのせいかと、との無粋なことは口にしなかった。

どうぞ、と改めて差し出す。

いつも以上に美味いと連呼するお兄様に、私は恥ずかしくて視線を合わせることができなかった。

 

 

――

 

 

次の日の朝、九重寺からお戻りになったお兄様の手には封筒が。

いつものポスティングではなく直接受け取ってきたお手紙。

もし首謀者の『目』に見つかった場合、動きがあるかもしれないと、わざとらしく手渡ししてみせているのだ。

これを数回繰り返すつもりだが、しかし彼の目はすべてを見通せるような便利な千里眼ではない。本人の能力だけで遠く離れたものを見ることはできないはずだ。

だが操っている他人の目を通して見る術はあるのかもしれない。周との連絡手段では恐らく声だけでなく映像も見えていたのではないかな?と思うので。監視の目を置いていて、この近くに潜ませているかもしれない。

もしそうならばすぐに見つけられると思うけどその確率自体、低いと考えられていた。

黒幕おじさんは慎重派気取りだから、そんな危険は冒さないのではないか、と。下手に自分の繋がりを置いたら逆探知されて見つかる可能性も出てくるから。

だからこの作戦はあんまり意味のない囮行動なんだけどね。もし見ていたら簡単に情報を渡さないぞ!というアピールになるかな、と。

どんな小さな作戦でも試してみる価値はある。…これ訓練の一環になってない?普段大っぴらに動けない四葉だから、これを機に普段できない訓練していない⁇

何事も訓練は大事だと思うけどね。避難訓練もしているとしていないでは動きが違うから。

リビングに落ち着いたお兄様が封筒から書類を出して速読するのだけれど――おおう、お怒りが滲んでおりますね。

 

「…軍は一度丸洗いが必要なのではないか?」

 

書類にはもし見られても問題ないように、軍に裏切り者がいる、という情報が書かれている。

あちら側(USNA)が作ったシナリオを知った上で、乗っかってみせている情報なのだが、――お兄様にとって軍の裏切りは最大の地雷。

丸洗いしたら汚れが落ちるんじゃないか、なんて可愛らしい言い方だけど内容は全くもって可愛らしくないのよね。

 

「この情報はまだ軍には伝わっていないようだ。俺に説明に向かうよう指示がある」

 

風間さんたちのところに行って、話を通してこい、ということの指示もあった。

四葉からも情報を渡せるのにわざわざお兄様を送り出す理由は――独立魔装部隊との今後の関係の為、なのだろう。お兄様の口から伝えるのと、四葉から伝えるのでは印象が違う。

お兄様は軍と四葉の懸け橋役で、軍のメンツも知った上で、勝手に動く前に事前連絡を入れる、と。このひと手間が大分印象を変えるはずだ。

 

「その足で座間基地から非合法に受注を受けている個人病院に隠れている首謀者を追い詰めてくる」

「…ジェネレーターを手に入れる手段を断つのですね」

 

ジェネレーター自体作るのは難しくないのかもしれないが、優れた魔法師の能力を持った人形を苦労なく手に入れることは難しい。

USNA軍が裏で手を引いているのも確認済みなのだが、これも泳がせる。――USNAとは対立するつもりはないが、かといってすべてを見過ごすつもりも無い。そういうことだ。

 

「…しばらくお前から離れるが」

「お兄様のお帰りをお待ちしております」

 

お兄様が伸ばしかける手を止めたのを拾い上げ、きゅっと握る。けれど、握り返される手の力は弱弱しい。

二月に入ってから何度かこのようなことが増えた。

朝晩の触れ合いを躊躇うことは無いのに、何か言いたいことがありそうな時にこのような傾向が見られるのだが、その先を言わせてあげることができない。

言われても、私に答えが無い。お兄様もそれがわかっているから何も言わない。

今はこれで十分だ、と言葉にしないで伝えるよう。

 

「朝食の準備ができたようだな」

 

行こうか、とリビングからダイニングへと移動する。

いつもは引っ張ってくれる力強い手も、ただ添えられるだけの力加減。

その手がすり抜けないよう重ねながら短い距離を歩いた。

 

 

――

 

 

一時限目の実習は、二人ペアとなって互いのタイム管理をし合う、リーナちゃんの時の対戦型ではない協力型の授業だった。

ちょっと興味あったんだけどね。一条君と試合をしたらどっちの干渉力が強いか、とか三高の生徒はどんな授業をしていて私たちでは考えつかないようなトリックを仕掛けてくるのか、とか。

今回のは制御力を高める実習。残念ながら力比べはできない。

わがA組は奇数で編成されている。…これまた強制力が働いたのかな。普通ペアを組む実習が必要なら初めから奇数になんてしないだろうに。…それとも私一人飛び抜けているから、ソロの予定でした?いじめかな⁇

とはいえ雫ちゃんもほのかちゃんもいるので一緒に組んでくれる友人はいるのだけど、彼らにもちゃんと拮抗した相手が必要なわけで、私とばかり組んでもいられない。クラスメイトと切磋琢磨することも必要。

私は一人自主練して、皆のラスボスとして記念に相手する役目に徹する。

…そう、記念の力試し。それが私のクラスでの役割。

おかげで一人一回は必ず相手をしてくれる。構ってもらえることは悪くないのだけど皆、「負けた―!」「やっぱり敵わないやー」「足元にも及ばねえ!」「流石女王!」と裏で盛り上がりーーなんだろうね、当たって砕けることが嬉しい様で…なんだか複雑です。

いいんだけどね、皆が楽しそうで。ちょっとだけ疎外感があるけれど。

そんな中でも雫ちゃんとほのかちゃんはまだ闘争心を失っていないのか、次はもっと工夫する、とかこっちなら深雪に勝てるかも、と別方向に技術を高めるとか向上心を見せてくれる。それが何よりも嬉しい。大好き二人共。

で、今日の実習で雫ちゃんが初めから私と組もうとしてくれるのだけれど、私の方から大丈夫、と微笑んでから一条君の元へ。

これでも生徒会長。三高のお客様をもてなさなくてはならない。

…彼の実力もこのクラスじゃ飛び抜けているだろうしね。釣り合いが取れるのが私くらいなものだ。

今回の実習は対戦しないから実力の差を考慮する必要も無いのだけれど、大きすぎる魔法力というのがどれだけ扱いにくいかを知っているだけに色々とアドバイスをすることができるだろう。

 

「一条さん、よろしければ一緒にペアを組んでいただけませんか?」

「え!は、はい!もちろん」

 

私から誘ったことに一条君は大いに慌てふためきそうになったのを自制心で堪え、少し動揺しただけに抑え込んだ。

うんうん、ちょっとは耐性付いたかな。

見ていた他の生徒たちがざわわっ、とざわめきだしたけれど、浮かれている一条君の耳には届いてないみたい。

そこ、「姫が接待を」「国賓だもんな…」とか言わない。合ってるけど。あ、違う、国賓じゃない。…感化されすぎてるね。

指導教員から実習内容を聞かされた一条君にさっそく手本を見せる。

とはいえあまりこの手の魔法制御は得意じゃない。

深雪ちゃんの得意は最大火力による魔法ブッパ。大きな力でねじ伏せるタイプなので大雑把にドッカンドッカンすれば大抵のことが片付く。

燃料切れ?知らないですね。中学の頃は容量がもっと増えるかも!とすっからかんギリギリまで使ったものだけど、高校に入ってからはやっていないから、現在どこまでできるかわからない。…わからないけどあの頃、誓約かかった状態でも海におっきな氷山一、二個作っても余裕があった。…この時点で原作崩壊していたかもしれないなんて、私は気づかない。気付かないったら気付かない。

ちなみにその氷山はお兄様が分解してくれました。明らかに不自然でしたからね。漂流させるわけにはいかなかった。

でもいくら分解するのが氷山だけで複雑な構造はしていないと言ってもあの大きさだ、お兄様にも負担がかかったようで「いい鍛錬になる」と言われたっけ。いつもお手間おかけします。

それからインフェルノを使えるようになり、アレンジを加えることで融かすことも覚え、お兄様の負担は減ったが時折定期的にやらないと腕が鈍るから、と氷山を残すようリクエストされた。お兄様も己を鍛えることにストイックだったから。

話が逸れたが、大味な魔法が得意なせいで細やかさに欠けていた私だったが、九重先生に指導してもらい、ワンホールショットなど精密な魔法も使えるようになって多少コントロールは上手くなったのではないかと自負しているのだけど、それでもほのかちゃんには敵わない。

まだまだ修行が必要です。

一条君に読み上げてもらったタイムはちょうど三十秒、ということだったけれど…コンマ数秒ズレている。

干渉力による色の発色はいい出来だけれど、白に戻さず次の色へと変色させる際、色が混ざって一瞬だけ黒に染まってしまうことが気になって、何とかグラデーションのようにできないか、とそちらの方に気を取られてしまったのだ。

一旦白に戻したり、余計なことを考えずに切り替えることを意識して色を変えればいいのだけど、つい。科学実験とか結構好きでした。

実はたった二色で黒にする方が難しいのだが、これは干渉する力が強すぎて原色が交じり合い、濃くなりすぎることが原因である。

 

(色を塗り替えるように干渉するのではなく、引いてから重ねた方が綺麗になるかな)

 

一人だけ実習の内容がずれているのだが、誰も指摘する者はいない。

指導教員はむしろ教えることなど何もない、とキラキラした目で見つめていたりするので私が悩んでいることに気付いていないのだ。というか、訊ねられても困るだろう。授業内容と異なるし、そもそも色の変化は重要視されていない。

一条君がすごいです!と褒めてくれるけれど、このように反省点が多いため複雑なところ。でもせっかく褒めてくれているんだから卒なく返事を返しておく。

そして一条君の番。カウントはいるか、の問いに最後の10カウントだけ頼まれる。

 

「合図をお願いします」

 

彼はすでに目の前の目標に集中していた。

色恋に現を抜かさないところは評価されるべきだろう。

 

「それでは三,二,一、はじめ!」

 

合図と同時に彼の周囲のサイオンが煌めく。白のボールが一瞬にして色鮮やかに彩られる。スピードもさることながらその精度が高い。

特に赤の発色が綺麗に見えるのは、彼のカラーだからだろうか。魔法はイメージの力も影響するものでもあるから、強い思い入れによってかもしれない。

一定のリズムで繰り返される制御魔法だが、初めてにしては大した誤差が出ないのは見事といえる。

普通は色を変えることに気を取られタイムがずれるのだけど、彼の切り替えは問題なく――、と思ったところでちょっとだけ乱れた。

でも誤差と呼べるほどの遅れ。次のターンでは帳尻を合わせるよう調整できている。

臨機応変な対応も落ち着いて実行できている。…うん、一発目でこれだけ優れた判断能力と魔法の正確さは高校生のレベルではないのだろう。

ただ才能に胡坐をかくのではなく、努力を積み重ねていった結果だ。

 

「終了です」

 

タイムは――

 

「余り、0.7秒。一条さん、初めてとは思えないタイムです」

 

やったことも無い魔法でこれだけのタイムが出るというのは手放しで褒めて良い記録だ。

だが、一条君は表情が硬い。

思ったタイムじゃなかったことが悔しいのか。一条君も完璧主義者?

少し離れたところで雫ちゃんが、「三十秒ジャスト。やるね、ほのか」と褒め、ほのかちゃんがこれは得意だもん!と胸を張っていた。可愛いかな。でもそれを聞いた一条君がさらに顔を引きつらせてしまっていた。

…あれかな。女の子に負けたことでプライドが刺激されちゃった?

下手に慰めるよりも次に続ける手助けをする方が大事だよね。

 

「一条さん、お付き合いします」

「えっ、あ、お、お願いしま、す…」

 

急に声を掛けたから動揺させてしまったかな。とりあえずこういうのは数を熟してなんぼでもあるから。どんどんやっていきましょう。

…ところで、誰です?姫が王子を振り回してる!演劇部に!!と端末操作していたのは。授業中ですよ。そういうのは後にしてください。

 

(…せめて頭に「練習」ってつければよかった、かな)

 

言ってからそういう意味にとられるのか、と気づいたけどもう遅い。何も気づいていないふりで授業に集中した。

おかげで黒ではなく一瞬だけグラデーションを描けるようになった。魔法、楽しい(現実逃避)。

一条君もカウント無しで合格ラインの一秒を切っていた。すごいですね、と褒めたらどもってしまったので、どの辺りまで褒めて良いのか難しい問題だ、と少し頭を悩ませた。

 

 

――

 

 

午前中の授業が終わり、お昼に向かうところでほのかちゃんが動く。

乙女の戦い、恋の駆け引きですね。…でもこのところほのかちゃんが戦っている相手は私ではなくお兄様のような気が…うん?ライバルがいなければそれが正しい対戦(恋愛)相手なのか?よくわからなくなってきた。

特に特筆するような悶着も無くあっさり一条君をお昼に誘って一緒に食堂へ。

そういえばこの二人は自己紹介をしていなかったのかとこの時になって気付いた。九校戦でも直接挨拶交わしたりしてなかったものね。京都はお留守番組だったし。

向かう途中ちら、ちら、と見られるけれど、間に雫ちゃんが入っているので距離は大して近くない。

 

「一時限目の実習、何してたの?」

 

実習なのだから課題に取り組んでました、なんて普通の答えを期待して無いね。

雫ちゃんは言葉が足りないけれど瞳は雄弁。わかってるんだから、と言われている気がして嬉しくなって笑みがこぼれてしまう。

 

「ふふ、実は色を変える際に単に変えるだけじゃなく、グラデーションで変化できないかしらと思って色々試してみたの」

 

楽しかったわ、と答えると、雫ちゃんが頬をツンツン突く。痛くは無いけど、無視はできないちょっかい。

ほのかちゃんも表情が引きつった。

 

「深雪…それとっても複雑で難しいヤツでしょ?相克起こさずに、でも相乗させるわけでもなく混ざり合うの?」

「いえ、混ぜてしまうと黒になるわ。だから干渉のギリギリを狙って徐々に浸透させるように広げていって、先に掛けていた魔法を段階的にコンマ何秒毎に定義して――って、そんなに引かないで。ちょっとしたお遊びじゃない」

「それ、お遊びの範疇越えてるから」

「あんな単純な魔法をそんな複雑化して条件定義してたの?!その上制御も、なんて…それでコンマ数秒しかズレないの?」

「課題の趣旨からずれてるわよね」

 

反省、とポーズを見せるのだけど、二人はそこじゃない、と首を振る。

一条君はと言うと――目がキラキラしているね。でも雫ちゃんとほのかちゃんとキャッキャしてるから入り込むタイミングが無いのかな。

 

「実習といえば一条さんも素晴らしい成果を出されていましたね」

「、ありがとうございます。ですが、あまり喜べるタイムではありませんでしたね」

 

あら、落ち込んでしまった。私たち三人のタイムには及ばなかったことで落ち込んでいるのか。

 

「そうでしょうか?一条さんは初めて参加されての結果ですもの。私たちとは違いますよ」

「深雪、男のプライドの問題だから」

「な!?そ、そんなんじゃ、」

「あら、そうなの?じゃあ話題を変えましょう。三高では実習はどのような授業をされるんです?」

 

雫ちゃんからのぶった切りにも見えるナイスパスで話題を変える。

雫ちゃんは空気が読めないわけじゃない。というかとても読むのが上手だ。場をコントロールして気まずさを払拭してくれた。

一条君も落ちつかせるように胸に手を当て一度深呼吸をして。

 

「そうですね、三高は実戦を想定したものが多く――」

 

壁の向こうの遮蔽物に魔法を当てる実習をしているそうな。

学校ごとに地域色が出るものだ。あちらは佐渡侵攻後、いつそういう事態が起きてもおかしくない、という認識が強いだろうから。

一高はそういった魔法はどちらかと言うと部活動で鍛えられているのかも。授業では基礎の制御を徹底的に学ぶ。リーナちゃんが居た時の実習も対戦形式ではあったけどメインは制御だった。

そんな話で盛り上がっているとあっという間に食堂だ。

道中はずっと視線がすごかったけど、ここでもものすごい注目を浴びる。一条君も注目され慣れているだろうけど、ここでの視線は種類が違うからか、わずかに戸惑った様子だった。

 

「一条さんは三高のエースでもあり、今一番の話題の方ですから」

 

後は今話題のテロ事件の解決の為関東に来ているのはすでに噂として広まっているのかもしれない。

一応生徒会としてぶしつけな視線を向けてしまいすみません、と謝罪すると、一条君は大丈夫です!と手を振って。

 

「気にしないでください。注目されるのは慣れてますから」

 

普通なら嫌味に取られてもおかしくないのだけど、一条君の場合それが当然だと思える。むしろ謙虚にすら見えるね。

そのまま視線を引き連れたままお兄様の待つ席へ。――瞬間、静まり返る食堂。

お兄様と一条君の視線がぶつかり合う。

 

「あれ?今日は一緒なんだ」

 

そんな中、空気を切って入ってくるのはエリカちゃん。

 

「…よろしいでしょうか?」

 

ほのかちゃんが、私から声を掛けて誘っちゃった、と話している間にお兄様に伺う。

ちらり、と一条君を見やりながら構わないよ、と即答したことに一条君の方が戸惑っていた。

…でも、考えてみてほしい。ここでお兄様が断ることってあると思う?いくら婚約者だからって断るのはあまり印象がよろしくないのではないだろうか。

そして注文の仕方は分かるだろう?とごく自然に話しかける様子に、周囲は徐々に雑音を取り戻し視線が外れていく。

昨日すでに男子生徒たちと一緒に体験しているだろうから問題ないと思うけど、私たちも取りに行くついでだ。

 

「では、一条さん、行きましょうか」

 

雫ちゃんたちも誘って皆で注文に。今日は何にしよう?

季節の日替わり定食は――ブリ大根?これは是非食べねば。一月のメニューはお肉よりお魚が豊富。

いつもより笑みがこぼれてしまうのを雫ちゃんがまたツンツン突いて注意してくれる。ごめんね、ついうっかり。

…だから一条君、そんなにぼう、と見惚れないで。食べ物に喜んでるのを見られるのはちょっと恥ずかしい。

席に戻ってくると、あら、エリカちゃんがにんまり。どこに座るかって?お兄様のお隣と正面の席が空いてますね。

これはあれかしら?リーナちゃんの時と同じにすべき⁇

ってことでお兄様の正面ど真ん前に一条君を。その隣に私が座り、お兄様の横にほのかちゃんが座った。雫ちゃん?私の隣に座る為吉田君を退かしてた。…吉田君も文句を言ってもいいと思うのだけど、雫ちゃんの視線で察し、自ら立ってた。…流石影の風紀委員長と呼ばれているだけの事は、ある?

わざわざ席を空けていたエリカちゃんもまさかこんな席順になるとは思わなかったようで、呆気に取られている。

お兄様もちょっとご不満そう?

 

「リーナの時にこのように座りましたので、同じようにしてみたのですが」

 

だめ?と皆を見ればそれぞれ溜息と顔を反らしたり、じっと見られたり。

 

「…結局また『リーナ』」

 

うっ…雫ちゃんからジト目をいただきました。そんなつもりは無かったのだけど…。

 

「違うのよ雫、私は別に」

「深雪の浮気者」

「!!そ、そんなっ、誤解よ」

「はいはい、そっちは二人で遊ばないの。一条君困ってんでしょ」

 

私は遊んでなかったのだけど、雫ちゃんからちらっといたずらっ子なお顔が覗きました。揶揄われたぁ…

 

「あ、あの、お二人は友人…」

 

一条君がしどろもどろになりながらこちらに質問を。

 

「ええ、親友ですよ」

「うん。親友。――まだ」

 

まだ!?と驚く一条君だけど、弄ばれてますね。雫ちゃんが楽しそうで何よりです。

ところで、向かいのお兄様が静かですね?

 

(…心なしか疑われているような…?冗談ですよね⁇)

 

とりあえずなんでもないですよー、と微笑んでからご飯を食べ始める。うん、大根に味が染みていて美味しい。

会話はエリカちゃんがいつものように回すのだけど、初っ端から飛ばしてます。

 

「一条君、捜査の方はどんな感じ?」

 

ぶっこむよね~。

まあお兄様に聞いても教えてもらえないからね。流石のエリカちゃんも四葉家のお兄様には聞きづらいみたい。

聞かなくて正解です。鍛え抜かれた彼女の直感は優れている。

お兄様からもきっと空気で伝えていたんだろうけど。

困っている一条君に手を差し伸べたのはお兄様でした。お優しいよね。

 

「エリカ、一条は東京に来たばかりだぞ。いくら飛びぬけて優秀な魔法師でも、一日で目に見える成果は上がらない」

 

というか、一条君来て二日目で事件進んでたらすごくない?だって土地勘も無く、一条家の配下の人たちが手伝ってくれると言っても勝手が違うし、情報量も違う。…見つかるとしたらそれはきっと巻き込まれて、などの主人公補正というか、ヒーローの吸引力だと思う。

それを期待してる?だとしたらプレッシャーだね。

 

「早く事件が解決してほしい気持ちはわからないでもないけれど、流石にそれは期待をかけ過ぎよ」

 

エリカちゃんに注意して、それから一旦箸を置いて一条君に向けて頭を下げる。

 

「一条さん、いきなり申し訳ございません」

「いえ、あの!別に謝っていただかなくても!」

 

一条君だなぁ。これぞ一条君って感じ。

女性慣れはしているはずなのに、深雪ちゃん相手には純情になってしまうところ。これもギャップなのかな。可愛いよね。微笑ましいというか。

しかし、距離がある。隣同士なのにね。

ってことでちょっと話掛けてみましょうか。

 

「それにしても一条さん、羨ましいです」

「はっ?あの、何がですか」

 

眩しい笑みはどぎまぎさせてしまうらしいから、とクラスメイトに向けるレベルの笑みを浮かべたつもりなのだけど、これもアウトです?…視線合わせる、が駄目なのかな。

一条君の動揺しないレベルが難しい。

 

「先ほど「飛びぬけて優秀」とまで仰られていましたでしょう?そこまで褒められることはそう多くは無いのですよ?」

 

私も良く褒めてもらいますけどね、飛びぬけて、なんて言われたことは無い。しかも褒められる時、大抵ちょっと驚かれながらだったり、引き気味というか、残念そうというかちょっとお疲れ気味に言われたりする。…私がやらかすからですね。知ってた。

だから純粋に手放しで褒められている一条君が羨ましいのは本当。

 

「――俺は深雪も十分褒めているつもりだが?」

 

…あれ?こんなセリフは無かったはずだが、とお兄様を見れば、じぃっと見つめられてますね。さっきもこんなことがあったね。今日はやたらと目を合わせる日です?

 

「その言葉の後には「自覚しなさい」、と付くことが多いではないですか」

 

褒めてはいただけるんだけどね、その後に大抵その言葉が付いてくる。

その言葉に周囲から「あ~」と納得の声が。…深雪ちゃんがチートなことは分かってるんだけどね。お兄様っていう高い壁があると自分が小さく見えちゃうんだよね。

 

「深雪、それは…達也くんが正しいわ」

「深雪はもっと自覚すべき。さっきの話もそう」

 

雫ちゃんの言葉にほのかちゃんが全力で頷いて、お兄様に真相を訊ねられた。

一限目の話をすると、皆の目がね…残念なものを見るような――

 

「司波さんは好奇心と向上心に溢れているということでしょう!」

 

あ、違った。一人だけ反応が違いました。もしや貴方も全肯定botです⁇お兄様も基本妹肯定botでしたけど、諫める時は諫めてくれる。

 

「ありがとうございます、一条さん」

「い、いえ、お礼を言われるほどでは…」

 

うん、とりあえず一条君は乙女だね?真っ赤になって視線をさ迷わせてしまった。心なしか背中も丸く見えますね。これで手をもじもじしてたら完全に乙女でした。ほのかちゃんそっくり。

そのほのかちゃんはといえば、彼女は彼女の戦いが始まっていた。

 

「達也さんはやっぱり一条さんのことを認められているんですね!」

「良いですね。男の人同士ライバルって感じで」

 

美月ちゃんに同意。ライバルって関係素敵よね。お目目キラキラしちゃう。

それを視界に収めながらお兄様は複雑そう。

 

「ライバルといっても、魔法力は一条の方がずっと上だけどな」

 

お兄様にとってそれが事実なのは分かるのですけどね。魔法力=実力というのが植え付けられた世間共通の思想だから。

それから、今の実習はお兄様の得意分野でしょう、とほのかちゃんが褒めそやすけれど、お兄様にはイマイチ響かない様子。

お兄様だって私と同じ、「もっと自覚すべき」だよね。

美月ちゃんもお兄様のタイムの凄さを熱弁して盛り上がる。

 

(おお、ほのかちゃんたら大胆にもそんなくっつくくらい身を寄せちゃって!…お兄様はそれに対して少し身を引いてそのまま何事も無く食事を続けちゃうのかー)

 

温度差がある。でもほのかちゃんはめげない。ガッツがあるね。

そちらも気になるのだけど、まずはお隣のお客様を慰めることの方を優先しないと。

お兄様の方を遠目に見つめながら。

 

「魔法力がない分、精密な操作は得意分野ですから。比べますと残念ながら私も足元にも及びません。なかったからこそ磨かれてきた技術。…ないものねだりで終わらなかった結果ですね」

「え…ないものねだり、ですか?」

 

一条君にはピンときていない様子。

きっと一条君にはお兄様に欠けているところなんて見えていないのだろう。彼は二科で入ってきたお兄様を知らない。先入観なく、正しい目で判断しているから。

正当な評価で見てくれることが、ちょっと嬉しくて口元が少し緩む。

 

「一条さんも私も魔法力が強いですから、威力のコントロールを身に付けることを覚えますでしょう?ですが、元から魔法力が少ないとコントロール以前に構築に時間を取られてしまう。一条さんも経験がないのではないですか?私もその状態がどんなものかを知りません。どのような工夫が必要なのか、わかりません。

でも、そこで出だしが違うのだから同じことはできない、と諦めるのではなく、工夫を凝らして技の精度を高めれば完成形は違っても、同じだけの結果をもたらすところまで上り詰めることができる――私たちを上回る精密なコントロールを身に付けられたのです」

 

持っている人間と持っていない人間。世の中不平等ではあるが、どちらも一流になるには努力が必要だ。鍛え方は異なれど、鍛錬することで技へと昇華することができる。

 

「私も大体時間通りに収めることはできるんですけど、途中でどうしても長くなったり短くなったりするんですよ」

 

ちょっと真剣に語りすぎたかも、と最後は冗談めかして己の至らないところを伝えた。

魔法力があればあるほど構築スピードも干渉力も高いけど、その分行き過ぎないようコントロールは必要となる。CAD等補助があってもゲームのように勝手に一定MP消費されて、とまではいかないのだ。

これで慰めになるのかわからないけれど、と一条君を見れば、うん、慰めにはなったんじゃないかな?なんか食いしばって感激してますね。一体何に耐えているのか。叫びそうなの?

ほのかちゃんは私が一条君を構っている隙にお兄様にコツを聞いていた。

このまま動きのない一条君を放置していいのだろうか考えあぐねていたら、ツンツンと服を引っ張られた。

 

「食べないと時間ヤバいよ」

「ありがとう雫」

 

雫ちゃんのからあげ美味しそうね。え、交換してくれるの?ブリの半欠けと大根半欠け?OKOK、交渉成立だね。あーん、するの?ご褒美かな?何のかわからないけれど。はい、あーん。…可愛い。

私もいいの?じゃあ…あーん、と髪を耳に掛け、口を開いたところでお兄様からの低いお声がかかる。

 

「深雪」

「なんでしょう?」

「……お前たちにこそ節度が必要ではないか?」

 

雫ちゃんと顔を見合わせて。

 

「「親友だもん」ですから」

 

節度が必要なのは不純異性交遊と呼ばれる類いでしょう?友情には関係ないお話です。

お兄様は納得いかないお顔。ほのかちゃんは…ん?お顔が引きつってますね。貴女たちも似たような感じではなかった?原作では一緒にお風呂入ってたよね⁇

美月ちゃんもお顔真っ赤。エリカちゃん吉田君西城くんといえば、しばらくコーヒー飲まずに済みそうだったのに、と。コーヒーお嫌いでした?

あ、一条君忘れてた、と思ったらなんだか固まってました。…お昼ほとんど食べてないけど大丈夫?

一条君が正気に戻るまで3分かかった。

…うーん、やっぱり精神攻撃弱いかも。あまり揺さぶらないようにしないと。

 

 

――

 

 

お兄様が土浦で軍内部の現状を説明し、座間に向かった頃。私たちも準備を始めていた。

明後日がバレンタインなのだけど、明日もし何かがあってバタバタしたら困るからね。今の内から作り始めることにしたのだ。

まずは去年も作った友チョコ。今年は日持ち腹持ちにいいブラウニーにする。濃厚なチョコレートの物と、あっさりさっぱりナッツ入り、の二種類。男性陣はきっと他にチョコレートを貰うだろうから、くどくない物の方がいいだろう、と。

水波ちゃんにも手伝ってもらってレッツクッキング。

あ、そうだった。

 

「日記と一緒に光宣君にも贈りましょう。一人ずつ作る?それとも」

「ぜひ深雪様と共作でお願いします!」

 

…恥ずかしさの方が勝ったね。うんうん、でもいい傾向です。作るなんて烏滸がましい!じゃなく私とならばなんとか…って。

ということで光宣君にも作ることに。手のひらサイズのチョコタルトにしよう。これなら冷凍で送っても自然解凍で食べられるし、冷凍によって味が変わることも無い。焼いてあるから日持ちもする。バレンタイン当日に体調を崩して食べられなくても別の日でも問題ない。

部屋いっぱいにチョコレートの香りが広がる。…お兄様が帰ってくる前までには片付けて空気も入れ替えないとね。

まぜまぜこねこね。

 

「ちなみに水波ちゃんはお友達にチョコを渡すの?」

「…山岳部の先輩から手伝ってほしいと声を掛けられています。女子一同は部の伝統でチョコを渡すことになっているそうで」

 

クラブ活動は生徒会に入ってからは退部しているが、チョコ作りを手伝ってほしいと頼まれているらしい。料理クラブにも在籍していたから戦力として頼られたのね。

それにしても友チョコ文化って本当に廃れていたみたい。

あれから気になって調べて見たけど、バレンタイン文化は細々と続き無くならなかったものの、本命以外に渡す余裕がなく、一時期義理自体消えかけたらしい。

だが、チョコレート会社が頑張ってそこまでは戻したそうだけれど、そもそもカカオが百年前ほどの半分も収穫できていない。一時期は収穫率が二割を下回るほどだったとか。気候の変動の影響らしい。

というのが私たちが生まれる前の話。現在は戦争も落ち着き、文化が発展。様々な機械化も進み、食もある程度戻りつつある。

南国ではこれが一番の収入源だからね。これとスパイス系はどれも高価買取されている。

と、世の流通の話は置いておくとして。

 

「達也様の分以外にもご用意されると聞いた時には、大丈夫なのかと思っておりましたが」

「お兄様はそこまで狭量ではないわよ」

「……」

 

あらぁ。それはどうだろう、とお顔に書かれてますね。まあ、もし本命を別に渡すのだとしたらその限りではないだろうけど。

 

「お兄様にはちゃんと特別なモノをご用意するから」

 

安心して、と言ったのだけど、それもどうなの?ってことかな、その疑惑のお目目は。

本当、目で語る人が多いったら。どんどんスキルが上がっていく。

 

 

 

今日は先に夕食を食べて、帰りが遅いようなら先に休んでいるように言われていた。

だから食事もお風呂も全て終わらせて、リビングで水波ちゃんとお勉強をしていた時だった。

 

「――お兄様が戻られたわ」

 

珍しく帰宅の連絡が無かったのは、文弥くんたちと途中まで一緒だったからだろうか。

兎も角立ち上がって、お出迎えの準備を。

 

「おかえりなさいませ、お兄様」

「ああ」

 

お兄様は普段通りに見える。でも、その声はいつもとほんのわずかにずれがあった。

それに、この匂いは――

ハグをして。お兄様の左腕に鼻を寄せる。

 

「…深雪には誤魔化せないな」

「……お兄様が無茶をしたわけではないのだと、わかっております」

 

お兄様が腕を犠牲に何か仕掛けたりしたのであれば、お兄様からそう報告があるだろうし、無かったとしても誤魔化そうとする。

その些細な差を見分けられる深雪ちゃんスペックよ…。

 

(女の勘、だけじゃないのだろうね。匂いとか視線の動きとか。深雪ちゃん、お兄様に関してはそういったサインを見逃さないから)

 

この傷は、お兄様が切り捨てて構わないと判断した傷ではない。不意打ちを避けられなかった傷だ。

 

「ありがとうな」

 

お礼を言われることじゃない。お兄様を心配するのは妹として当然だ。

痛かっただろうに、お兄様はこうして再生できることで痛みを過去のものにしてしまう。傷が残らないことは良いことだけど、それでも痛みがあった事実は消えない筈なのに。

だから、私がその分労わる。痛かったね、辛かったね、頑張ったね――と。

 

「ふっ、くすぐったいな」

「まあ。痛みは我慢されますのに、これは我慢してくださらないのですか?」

「いいや。深雪が与えてくれるなら我慢しよう」

 

痛みでも苦しみでも、このくすぐったさも深雪がくれるものならば耐えてみせる、との宣言に、顔を赤くしないように集中しつつ撫でた最後にぽん、と左腕を叩く。

 

「もう、お兄様ったら。――お疲れ様でございました」

「ん」

 

お兄様の胸に体を預け、ぎゅっと抱きしめられる。

それから少し食べるということなのでダイニングへ。お兄様にはその間手洗いと着替えに行ってもらう。

 

「水波ちゃん、お兄様が少し食べられるようだから私が用意するわ。水波ちゃんはお茶をお願い」

「かしこまりました」

 

ということで消化にいいおうどんさんにしよう。体も温まるしね。

あとおにぎりも一応用意しておこうかな。もし食べきれなければ明日に回そう。

そう思っていたのだけれど、お兄様ぺろりといきましたね。少しとは。

 

「アレは、うどんにも入っていた、」

「揚げ玉ですね。おにぎりに合いますでしょう?」

「ああ、美味かった」

 

揚げ玉を混ぜ込んだおにぎりがお口に合ったようで何より。

今夜はコーヒーではなくお茶で。

リビングに移って今日の顛末を。

首謀者をここで捕えられると都合の悪いUSNAが介入し、首謀者はまんまと逃げ果せたらしい。

…しかし、そのためにこんなところで最新兵器投入するかね?逆に最新だから身元がばれようがないって⁇

文弥くんたちを苦しめた報いをどう受けてもらおうか。

何よりお兄様を傷つけたのだから、あれだよね。万死に値するよね!でも簡単に死なせて苦しみを終わらせるなんて慈悲でしかないものね?

 

(せいぜいたっぷり利用させてもらいましょう――全てが終わった後にね)

 

「しかし、軍の過去の過ちに対する配慮ももういいだろう」

 

お兄様のこの発言が何を指しているかわかったのだろう、水波ちゃんの表情が暗い。彼女にとって形は違えどそうあるように作られた、という点では親近感はあるだろうから。

だけどその彼らがこのように人権を無視したように使われることには、彼女も腹立たしく思っているのだろう。こぶしを握っている。

 

「――一度、うちで預かる話を打診してみましょうか」

「え…」

 

顔を上げる水波ちゃんに視線を向けずに。

 

 

「廃棄したいというのなら、私がもらいます」

 

 

ちょっと前から考えていた。

誰かに利用されて迷惑を掛けられるくらいなら、その前にどうにかしてしまえばいいじゃないか、と。

ただ、彼らは今まで家で雇ってきた人たちとは種類が違う。

彼らは何の罪も無くただ軍の実験体にされ、使い道が無いと判断されると、人体実験の証拠など表沙汰にされては困ると一生外に出されず閉じ込められている。生み出した軍を恨むのか、実験をする原因になった十師族を憎むのか。

だがすべてに憎悪したところで、彼らは檻に閉じ込められた動物と同じ。経過観察をされながら、ただ死ぬまで飼殺される。

それなら、もっと早く決着をつけた方が彼らの為にもいいのではないか、と思うわけで。

 

(――せめて自分の意思で、残りの人生を選択してほしい)

 

十師族を恨むなら十師族として立ち向かおう。苦しませずに、一瞬で死を与えよう。

もし、世界を恨むなら、この世界をひっくり返すために復讐の手伝いができるかもしれない。

もう、争いをしたくないというのなら、戦いから遠ざける暮らしを提供することはできるのではないかと――

 

「――それは危険だ。あれらは十師族を恨んでいる」

「ええ。それは重々承知しております。ですが、」

 

言い募ろうとしたところでお兄様から再度ストップがかかる。

 

「今は、事件解決のことに集中しよう」

 

その通りだ。これは今話すべき議題ではなかった。

 

「…そうですね。失礼しました。この件を片付けませんと。また他のことを抱え込んで、ストレスを溜め込むようなことになっては大事です」

 

最後に冗談で笑ってみせると、お兄様も乗っかって。

 

「そうだな。またお前に迷惑をかけてしまうかもしれないぞ」

「それは困ります。適度にストレスは発散しませんと」

 

…お兄様、ストレス掛かると私を困らせていることをはっきりと自覚されましたね。

 

「俺はどちらでもいいがな」

 

……そして開き直られたのです?本当に勘弁してくださいませ。

水波ちゃんはお兄様のストレスが大変なことになる、とは知らない。彼女自身が巻き込まれたことは無いから。

でも知らない筈なんだけど、何かがあることは伝わっちゃったのでお兄様が睨まれてます。申し訳ない。話題のチョイスミス。

 

「大丈夫よ、水波ちゃん。お兄様にストレスを溜めないようにすればいいのだから」

「…明日からはストレス軽減にいい食材を用意します」

 

水波ちゃん、このままだと管理栄養士の資格とか取れそうだねぇ。頑張って。いずれ四葉にも資格で給金上がるシステムを導入するから。

本日の仕事はお終いということで水波ちゃんは下がっていった。

 

 

――

 

 

二人きり、になったところでお兄様の隣に座り直す。

 

「久しぶりだね。深雪から来てくれるのは」

 

最近では確かに珍しい。でも、今日は――今日は朝から色々あったから。

 

「一日、お疲れ様でした」

「…ああ、そうだね。今日は流石に疲れたよ」

 

早朝、トラウマを刺激する情報を与えられ、学校に通ったら一応恋敵を交えて昼食。その後任務に行って、その先で激しい戦闘を繰り広げ、しかも逃げられるふりをしなければならないというストレスが溜まる仕事を熟して帰ってきた。

ハグをすることでストレスが下がるというけれど、これだけ溜まることばかりがあったならハグだけで消化も追いつかない。

 

「その、…少し横になりませんか?私でよろしければ枕代わりにでも…」

 

恥ずかしいけれど、少しでもお兄様の癒しになれば、と提案するとお兄様は少し困った顔に。

 

「その申し出はとても嬉しいが、今深雪に触れてしまうとね」

 

……うぅ…お兄様から色気がにじみ出てきた。今まで使えていた手段が使えなくなると、一体どうすれば――?

何かされたわけでもないのにすでに困った様子の私に苦笑されて、

 

「だから、深雪から触れてもらおうか」

「…え…?」

 

そう言うとお兄様は私の胸のあたりに頭を突き出した。

 

「今日も頑張った、と褒めてくれないか?」

 

それだけでいいのか、との疑問は飲み込んだ。

そろり、とお兄様の頭に手を置いて動かしていく。

 

「…今日は大変なお役目、ご苦労様でした。随分と痛い目も見させられたようで。これでまた、首謀者に恨み言が増えましたね」

 

ただでさえ、黒幕気取りのあの男には恨みがあった。

前世ではお兄様を窮地に追いやる原因を作った男であり、現在進行形で四葉を追い詰めるためだけに魔法師全体へ圧力がかかるよう仕向けている。

自分の死期を悟ったからこそ、すべてをめちゃくちゃにし、その発端が自身であることに愉悦に浸りながら去っていくつもりだったのか。

本当、はた迷惑なおじさんである。あとを濁さず飛び立つ鳥を見習っていただきたい。

直接お兄様に痛手を負わせたのはUSNAだろうとも、その理由が首謀者を逃がすためというなら責任はおじさんにもあるということで。

 

「…俺の為に怒ってくれることは嬉しいが、そろそろこちらに向いてくれないか?」

 

お兄様の手が撫でていた手を捕らえた。

…ちゃんと手が動いていたのに、何故下を向いていたお兄様が考え事をしていたと気付かれたのか。もちろん心も篭めて丁寧に撫でていたつもりなのに。

 

「お前が恨む必要なんてない。心を煩わせる必要なんてないんだ」

 

ゆっくりと上がった顔は気遣わし気でありながら、不満も匂わせるもので。

 

「こんなことならやはり早く決着をつけるべきだったな」

「…お兄様ったら」

 

自分以外に感情を向けることが面白くない、と冗談めかして言われるのを苦笑して返しながら、掴まれた手を振り払うことはしなかった。

泳がせて一網打尽にするなんてまどろっこしいことをしなければ――首謀者を早い段階で暗殺しちゃえば事件はこれ以上起きないだろうけど、それでは世界を覆いかけている闇を払うことはできない。

悪意の種がばら蒔かれていたのはずっとずっと前。あの男の暗躍は私たちが生まれる前から地道に行われていた。

いずれそれらは黒幕おじさんが寿命を迎えていなくなったとしても、魔法師全体を追い詰める動きを起こしていただろう。

屈められたまま見つめ合っているお兄様の頬に、空いているもう片方の手を添える。

…うーん、すべすべお肌ですね。ニキビ一つない。思春期男子にあるまじきお肌。

 

「お兄様にはたくさん我慢をしていただいておりますが、それももう終盤です。追い詰められたネズミに噛まれないよう入念に準備をしませんと」

 

絶対に失敗できない一発勝負だから。

綱渡りのように、一歩踏み外せば危険な道筋をずっと慎重に進んできた。それもあと三分の一、いや、四分の一かな?ラストスパート。

ここから山場が最低三つある。…多いな、山場。

でも、これを乗り越えれば警察や軍、魔法師の信用は回復、国の防衛ラインとして認められ、魔法師排斥運動は鳴りを潜めるはずだ。

 

(これで、お兄様が必要以上に傷つけられることは無い――原作のような孤立なんて、させない)

 

お兄様にこれ以上の不幸などいらないのだ、と気合を入れるのだが――お兄様がまた、不安そうに瞳を揺らしていた。

何か言いたげな様子なのに、口を開くこともできない、そんな様子だ。

 

(お兄様は今、何を思い、何を伝えたいのか)

 

わからない。だけど、なんとなく寂しそうな気がして胸が痛む。

頬から手を滑らせて、首、肩、傷ついた腕に触れ、最後に心臓に手を置いた。

 

「我慢なさらないで、と言えない私を――許さないで」

 

お許しください、なんてどうして言えようか。

この前も優しくしてくれるな、と言ったばかりだけれど、全てを許されてしまうのは困るのだ。

原作で深雪ちゃんはお兄様の全てを包み込むように受け入れていた。

だが、それはお兄様に自分を律する力があったから問題なかった。

自分で引き締めるところは締められていたから、深雪ちゃんに許されていても傲慢になることなどなかった。

だけど私は違う。

お兄様にすべて許されてしまったら、ならいいか、とつけあがり考えを放棄してしまう。

今までにも何度かそういう場面はあった。それが問題になっていなかったのはまだそこまでの局面を迎えていなかったから。ちょっとくらい、がまだまかり通る規模の小さな決断だったからできたこと。

 

(――それに今回の件、私は許されてはいけない)

 

お兄様を幸せにしたいと言いながら辛いことを押し付けてしまっている現状。

本来なら事を起こさせる前にあの男を消し去ってしまえば多くの後始末が残るが、決定的なテロは起きなかったかもしれない。

だが、私は強制力を恐れた。未知の第二、第三の黒幕の出現が怖かった。

だから、最小限の傷だけで済ませ、最大限の功績を得ようと考えた。

 

――お兄様が傷つけられることを知りながら、送り出した。

 

もちろん四葉謹製の防御スーツが黒羽から渡ったはずだが、それでも腕に損傷を負った。千切れそうになるほどの衝撃までには至らなかったかもしれないが、たくさん血が流れたのは間違いない。再生されようとも、この鼻は誤魔化せない。

握られていた手をぎゅっと握られ、抱き寄せられた。

 

「深雪は時折無理難題を言うね」

「申し訳ございません」

「謝ることは無い。俺はそれを嫌だとは思わないから」

 

無理難題を押し付けられているというのに、お兄様の声は明るい。

 

「我侭も、同じくらい言ってくれればいいのに、と思わなくもないが」

「…これは十分我侭でしょう?」

 

周囲を顧みず、自分勝手な言動をしたのだから十分我侭だと思うのだけど、お兄様にはこれが我侭に思えないのだろうか。

すると背に当てられていた大きな手がするりするりと上に上がって項を這うように滑らせてから頬を捉え、至近距離で見つめ合う。

 

「お前がそう言う時は、俺の為だと学習済みだ」

 

だから、いいんだ。

そう言ってすべて呑み込むように瞳を閉じて額をくっつけた。

 

「キスを、していいか?」

 

何も言わずに重ねることもできるのに、優しく問いかける。

口で応えもせずに服を掴み、瞳を閉じるだけの私はずるい。

卑怯だと思うのに、ありがとう、と感謝を述べてからそっと触れるキスを落され、泣きそうなほど胸が苦しくなった。

 

 

――

 

 

さて、そんなこんなでバレンタイン当日の朝を迎えた。

お兄様に例年通りに九重寺に連れて行ってもらい、先生と弟子の方々にチョコレート菓子を渡して「これからもお兄様をよろしく」と伝え、いつにない荷物を持って登校――するにはひと悶着あった。

「深雪様、私が持ちます」「いいや、俺が持とう」論争である。

自分が配るチョコぐらい私に持たせてもらいたい。

結局水波ちゃんが持つことに落ち着いてしまったことは大変遺憾だが、水波ちゃんが嬉しそうなので仕方ない、と引き下がるしかなかった。お兄様?持たせてもらえないから手が寂しいと仰るので僭越ながら手を繋がせていただいている。仕方ないよね。水波ちゃんの視線が痛いけど、仕方がないのです。…校門までですからね。

登校すると水波ちゃんと校舎入り口でお別れし、お兄様と一緒にE組へ。今日は珍しく誰とも合流しなかった。

昨年と違い、ほのかちゃんも待ち構えていなかった。

E組に向かう道中とっても注目されながら歩く。隣のお兄様と、私の持っている手提げを交互に見てはひそひそと楽しそうね。

 

「皆お前のことが気になっているようだな」

「まあ。視線を独り占めしているわけでもありませんよ」

 

私だけでなく、手ぶらのお兄様にも注目してるから。

そんなことを話ながら到着したE組には、まだ美月ちゃんの姿は見えないが――いた。

お兄様に軽く頭を下げ離れることを伝え、いそいそと向かう。

 

「千秋、おはよう」

「…来たわね」

 

あら、まるでここであったが百年目?みたいに半眼で見つめられてしまった。でもね、こっちはニッコリ笑顔ですよ。

貴女が素直になれない女の子であることはよく存じておりますので。

 

「ハッピーバレンタイン。これからもいいお友達でいてくれると嬉しいわ」

「ふん!いいお友達、ね。今年に入ってあんまり話に来なかったじゃない」

「あら、寂しい思いをさせてしまったかしら」

「さっ?!寂しくなんて無かったわよ!清々したって言いたかったの!」

「薄情じゃなくて?」

「…アンタが忙しそうにしてたのは知ってるわよ」

「今年も前半は忙しいでしょうけど、会長職を退いたら余裕ができると思うの」

「ふん!だといいわね」

「その時にはお相手してね?」

「…手が空いてたらかまってやってあげてもいいわ」

「ありがとう」

 

……私の友人がツンデレで今日も可愛い。

しかも、

 

「これは、私が買ったけど食べ損ねたクッキーよ。アンタにあげる」

 

べ、別にアンタの為に買ったわけじゃないんだから!と真っ赤になって手を突き出してクッキーをくれた。

私の友人が可愛いんです…。

 

「有難く頂戴するわ」

 

その包装紙に包まれたクッキーを大事に受け取ってお礼を言うと、顔を背けてしまった。

お返しまで用意してくれるなんて優しい…。ニコニコしていたら、いつまでいるのよ!と怒られたのでお兄様のところに戻った。

 

「お返し頂いちゃいました」

「よかったな」

「はい」

 

緩む頬を抑えきれずに報告すると、お兄様も微笑ましそうに笑みを返してくれた。

そしてその視線が入り口に向いたので振り返ると美月ちゃんだ。

私同様袋を提げている。ばっちり目が合いました。

 

「おはよう、美月」

「おはよう」

「おはようございます、達也さん、深雪さん」

 

「「ハッピーバレンタイン」」

 

二人同時にチョコを取り出し笑い合う。

 

「ふふ、今年はちゃんとお渡しできました」

「去年もあの後貰ったじゃない」

「当日に渡すことに意義があります!ですよね」

「そうね。私もそう思うわ」

 

イベントはその日に思い切り楽しむこと。彼女はよくそのことを理解している。

 

「これからエリカたちにも渡しに行こうと思うのだけど」

「私もご一緒して良いですか?」

 

もちろん、と移動すると自然とお兄様もついてきた。

 

「お兄様?」

「気にするな」

 

…ううん、気になるけれど気にしないよう頑張ります。

美月ちゃんがふふふっと笑ったけれど気にしないったら気にしないのです。

無事チョコレートをエリカちゃんと西城くんに渡して、後は――

 

「吉田君には直接渡すのは難しそうだから、美月お願いしてもいい?」

 

美月ちゃんは吉田君にも渡すだろうから、とお願いすると美月ちゃんは不思議そうに首を傾げた。

 

「お隣のクラスですよね?」

「お隣だから、デショ」

 

エリカちゃんがにんまり笑顔を意味ありげにお兄様に向けつつ。

 

「A組の彼氏には用意していないんでしょ?」

「私は友人分しか持ってきていないの。…それで変に期待させることは良くないでしょう?」

 

わざわざお兄様を煽るような発言は控えてください。今は何ともない風ですけど、帰って大変な目に遭わされるのは私なのだ。

一条君にはチョコを用意していない。それはすでにお兄様には聞かれる前に報告済みだ。こういうのは早めに自供しておかないとね。…渡さないのに自供とは?悪いことするわけじゃないのだけどね。早いうちに伝えておかないとお兄様にいらぬ不安を与えてしまうかもしれないから。

美月ちゃんもわかったのか、チョコを預かってくれた。よろしくね。

 

「ではお兄様」

 

私はこれで失礼します、と下がろうとしたのだけれど途中まで送ると言われてしまった。

A組まで付いてきてわざわざ一条君を煽る真似はしないという意味で途中までと言ったのだろうけど…周囲のお兄様を見る視線が生暖かい。

そのまま肩を抱かれて教室を後にする。

エリカちゃんの、「ちゃんと授業に間に合う前に戻りなよー」の掛け声の楽しそうなこと。

小悪魔の尻尾が揺れ動いていたことでしょうね。

 

「…お兄様?」

「今日の深雪は無防備に見えるから牽制しておかないと気が気じゃないんだ」

 

……すみません、イベントに浮かれすぎてしまって。

すれ違う生徒たちの視線が辛い。ついに!?とかいや、これはバレンタインの魔法だ!とか。…魔法師に通っている君らが魔法だ、というのは何とも不思議な感じがするよ。さては君、演劇部か漫研の生徒だね?

 

「お兄様、そろそろ」

「…あまり羽目を外しすぎないようにな」

「はい」

 

するっと頬を撫でられスマートにターンをして戻っていかれた。

ほんの一瞬しか触れられていない頬が熱くて手を当てて冷ますのだけど、なかなか冷めてくれない。

 

「深雪?」

 

廊下で冷ましていたら教室から雫ちゃんが。ほのかちゃんも一緒にやってきた。

 

「いつまでも教室来ないから心配した」

「おはよう雫、ほのか。ちょっとE組とF組に寄ってきたの」

 

いつもくる時間に私の姿が無いから気にしてくれたみたい。嬉しいね。

私が廊下にいたことを他のクラスメイトが目撃してたから知らせてくれたのかな。

 

「ハッピーバレンタイン。二人共、受け取ってくれる?」

「…これが、バレンタインチョコ」

「雫は去年直接この日には貰えなかったもんね」

 

雫ちゃんがお目目キラキラしながらチョコを受け取ってくれた。ほのかちゃんは苦笑してる。

 

「もう教室に入らないと予鈴が鳴ってしまうわね。入りましょう」

 

お礼を言う二人に、これからもよろしくね、と伝えて一緒に教室に入っていった。

 

 

――

 

 

午前中の授業が終わり、各々席を立つ中、端末を操作し情報をざっとチェック。…あれ?思ってもいないところに怪しい動き?…この件は一応様子見で。

と、そうこうしているうちに一条君の席に女の子たちが突撃していた。青春してるねー!

学校のアイドルにチョコ渡すとか、記念になるよね。それにしても皆度胸がある。

対する一条君はと言えば、豆鉄砲でもあたりました?きょとん顔ですね。

現状思った以上に成果が出ず焦っている状態――お兄様から首謀者と交戦した情報を聞いたら焦っても仕方がないのか。

それは彼のフィールドではないのだから勝手が違って得られる情報が限られるのも当然なのだけど、同じ条件の四葉――お兄様が情報を一番得ていることに焦りを覚えるのも無理もない話だ。

日中はこうして学校にも通わなければならず、家の者の情報を待っているしかできない。行動派の彼には座して待つ、は苦手だろうからより辛いだろう。

でも毎年貰っているはずなのにぴんとこないくらい焦燥してしまっているの?それは困った状態だ。

かといってこの状態で話しかけてもアドバイスなんてしても聞き入れてもらえるかどうか…。

とりあえず、お昼に行こう。移動しないと話もできない。

 

「一条さん、大丈夫ですか?」

「!あ、はい…いえ、何が何だか。これは一体…?」

 

赤くなったり青くなったり忙しそうな顔色ですね。

それをさらに青くする発言を雫ちゃんから。

 

「今日はバレンタイン」

 

ギシッと音が聞こえそうなくらいカッチカチに固まりましたね。

雫ちゃん石化の魔法掛けました?とりあえず追い打ちは掛けないようにバレンタインに関しては言葉を掛けない。

 

「とりあえずお昼に行きませんか?」

 

ほのかちゃんが声を掛ける前に誘ってみた。いつもほのかちゃんが誘っていたのだけど、どうにも彼の焦燥感が普通じゃない。…バレンタインで焦ってるだけじゃない、はず。

一条君はあたふた慌てたものの、私の誘いは断れなかったようで俯きながら小さな声で…はぃ、と答えていた。乙女かな。

そこへこそっとクラスメイトの男子が紙袋を渡して肩をポン、と叩いて去っていった。…彼はどうして紙袋を持ってきていたのだろう?なかなかこの時代紙袋は貴重だよ?一条君は即可愛らしいラッピングの箱を詰め、机の横に掛けてお待たせしました、と気持ちを切り替え四人で食堂に移動する間に話をしてみることに。

今ならバレンタインというイベントで心に隙ができただろうから。

 

「一条さん、捜索する際にしてはいけないことをご存じですか?」

「…してはいけない、ですか?」

 

彼にとって欲しいアドバイスはすべきこと、だろうとは思うけど、こういうのは逆を考えても良いと思う。

そんなものが本当にあるかは知らないが、でもオタクは知っていることがある。――それは、フラグを立てないということ。

フラグをそれっぽく語れば妙に説得力が出ることも知っている。

 

「睡眠時間を削っての捜索は効率が下がる一方です。集中力が低下している時も同様ですね。捜索には冷静な判断力が求められますから。

次にやみくもに捜索することが悪いとは言いません。犬も歩けば棒に当たると言いますでしょう?災難や幸運があちらからやってくることもあるかと思います。ですが、土地勘も無い状態で敵対することになればどれだけ強い方でも不利になることがあります。一条さんほど強くとも、人気の多いところに誘い込まれるだけで魔法も封じられてしまいます。…今、魔法師の魔法が恐れられている状態で、派手な魔法を人前で使うのは憚られるでしょうから」

「!あれは、司波さんの判断は――」

 

私が魔法ブッパした映像が流れたせいで魔法師への恐怖を煽りましたから、と言外に言えば、正当化してくれる言葉を言い募ろうとしてくれるけど、ストップ。今はその話じゃないからね。

 

「そう言っていただけると心強いです。ありがとうございます」

 

一旦は受け止めてから、しかし、と続ける。

 

「客観的に判断すれば、アレは反魔法師運動を活発化させるだけの影響力がありました。三高では人間主義者の活動はありませんでしたか?」

「…ウチは魔法師が防衛に力を注いでいることを知っている人が多いので。ですが、学校に抗議の電話があったことは事実です」

 

ああ、地元の人たちは魔法師に守護されていることを認識している人が多いから、他地域からの反対運動が少しある、くらいなのか。

一条並びに配下の家の地道な努力が魔法師たちを守ってくれているんだね。

 

「話がずれてしまいましたが、首謀者の潜伏先だった場所というのがいくつか報告に上がってきているはずです。警察もしらみつぶしにローラー作戦を実行して、それらしき場所を特定しているのだと窺いました。その情報をもとに、この地域を守護している十文字家と七草家の力で分析すればある程度地域が絞られるのではないでしょうか。潜伏先の可能性がある場所を選別してもらい、分担して捜索というのも一つの手でしょう。せっかく協力しているのですから、手分けして探した方が効率的――とは、流石に差し出がましい素人の浅知恵ですが」

「い、いえ!参考になります!」

 

…うん、流石にそれがお世辞だということは分かるよ。これくらいすぐ考えつくことだもの。

それに、その方法では敵を炙り出すことができない。普通の魔法師相手なら、この方法で十分なんだけどね。貴方たちの役割はなりふり構わず目的のために協力し、活動しているのを周囲に見せること。各方面にアピールは必要だから。

何が言いたいかと言うと、簡単に言えば一条君のメンタルケアだ。目的に向けてがむしゃらに走り続けてもいつまで経っても霧の中では鬱憤はあっという間に溜まる。

だから、方向性を示す。

まず睡眠不足の状態でフラフラしていては見つかるものも見つからない。ついでに敵に隙を突かれることもある。これは危険フラグその一。

それから、やみくもに探して見つかるのは主人公の特権です。一条君も主人公クラスだから横浜で敵と邂逅できてたけど、中華街は潜伏場所としては分かりやすい場所だった。紛れちゃえばわからないし。

でも今回の黒幕おじさんは一般人巻き込み方の、ずるがしこい迷惑系首謀者だ。魔法師の関係ない民家や、病院などに紛れ込んでいた。

あちらは一般人を巻き込めば魔法師を叩く材料にできるからね。そういう理由でこちらは逆に一般人を巻き込めない。追い詰められるのは追いかけている魔法師の方、というわけでこれもフラグ。

そして何より、自分たちの力でやってのける!と単独プレーはやられ役の定番です。いわば呪い。皆で協力して分担するならまだしも、連絡共有もせず突っ走ると単独撃破の憂き目に遭う。定番フラグだ。

一条君が必要とされるのは準備が整ってからの追い詰め要員としての能力。

この事件での単独捜索はただやられるだけでは済まされず、人形にされる確率の方が高いのだ。魔法力が高いとはいえ、不意打ちされてはいかな一条君であろうとも太刀打ちできない可能性がある。

一般人を人質に取られたりしたら一瞬でも身動き取れないんじゃないかな?その一瞬が致命傷になる、とかね。

フラグ怖い、の話をしていたらあっという間に食堂に到着。

表向き真面目な話をしていたこともあって周囲に視線が向いていなかっただろうけど、ここでは流石に浮ついた空気を見逃せないようで、一条君は教室を出る前のことを思い出したのか頭を抱えてしまったけど、気にしませんよ。

先にご飯を取りに行き、お決まりの席へ。

 

「あ、来た来た」

 

あらぁ。エリカちゃんったらにんまり笑顔。何か企んでいることが丸わかりですよ。

 

「エリカ、止しなよ」

「何よ、良いじゃん。ミキは他人のこと、羨む必要ないでしょ」

 

幼馴染コンビが揉めてますが、エリカちゃんには敵わない。しょうがないね。

そして吉田君はお目当ての女の子からチョコを貰ったんだから人を羨むことは無い、と。ふふふ~、よかったね吉田君。

ニコニコしそうになるのを手で押さえる。一条君がいるから淑女の仮面が完全に剥がれることは無いと思うのだけど、念のため。

それをお兄様にちらりと見られたけど、これも気にしませんよ。…ですからそっと腿に手を置かないでください。何もまだしてません!

あ、席はお兄様の隣に戻りました。向かいに一条君です。お兄様から正面は向いていていいが、近い方が安心する、とのことだったので。アレは初日だけのサービスであり定位置に戻った、といった感じ。

ほのかちゃんはその後一条君を誘った手前隣の席で、お兄様とは向かい合わせに。今日誘ったのは私なのだけどね、お兄様の視線が訴えておりましたので自然とこちらに。

 

「一条君、チョコは何個貰った?」

 

エリカちゃんの直球の質問に一条君は瞼がぴくぴく引きつっていた。

んー、原作では浮気を疑われるような気持ちらしいけど、もし彼氏が他の女子からチョコを貰っていたとして、彼女が怒るかどうかは半々だと思うけど、どうなんだろう?

私はお兄様が貰ったのを見るとウキウキする!お兄様がおモテになっていることは喜ばしいことだと思っているから。…それってやっぱりお兄様には微妙なことなのかな。…今度訊いてみようか。

好きな女の子の前で他の女の子にアプローチされてると気まずくなるというのなら…お兄様がほのかちゃんにアタックされてるのも気まずいのかもしれない。

 

(…男性の気持ちをあまりに考えていなかったかもしれない)

 

まだ心の中で彼らをキャラクターとして見過ぎていたのかも。反省、と思っているとお兄様が一条君のフォローに入りつつ、ぽんぽん、と腿を叩かれた。…気落ちしたのに気づかれた様だ。気にしてもらえたことが嬉しくて口元が緩みそうなのを、ご飯を食べて誤魔化す。

だけど、あれ?なんか聞いたことのないお話してない?

 

「三高と一高じゃあノリが違うだろう」

「え、ああ。そうだな」

 

一高と三高との違い?大変興味深い。

 

「三高の女子生徒は華やかな子が多かったですよね」

 

とりあえず合わせて合いの手を入れてみる。

一高にはいない女の子たちが多かった。特に愛梨ちゃんとか存在感からしてキラキラしてた。迫力ある美人さん。ご友人方もキャラが濃かったよね。

 

「深雪は九校戦の時仲良くなったんだったか」

「ええ、お話する機会がありまして」

 

九校戦の後の懇親会でお菓子を分け合った仲です。照れる愛梨ちゃんも可愛かった~。

と頬に手を当て回想していたら、なでり、と膝のあたりを撫でられる。

 

「すみません、つい楽しかった思い出に浸ってしまいました」

 

うん、一条君がポーっとしちゃいましたね。周囲も静まり返ってしまいました。ごめんなさい。お口チャック。ご飯美味しい。

そうこうしてる間に話は戻され。

 

「それで、何個貰った?あたしは二桁いってる方に賭けてるんだけど」

「賭け?」

「おっと」

「そんな賭けが良く成立したな。エリカ、誰と賭けているんだ?」

「それは言えませーん」

 

エリカちゃん可愛いわねぇ。でも、つい先日の件もありますので聞き逃せませんよ?

 

「――賭けをしているの、エリカ?」

 

にっこり微笑むとエリカちゃんの表情が引きつった。

先日も取り締まったばかりですからね?まだ賭け事をするような生徒がおりましたか?

 

「あ~、深雪さん、生徒会が動く前に自治委員が動きますから」

 

あら、吉田君そういうフォローが入りましたか。

でもリーナちゃんを邪な欲望で追い掛け回している時も、この間の呼び方の賭けの時も彼らは動いてませんでしたよね?一体自治委員はいつ活動を⁇

吉田君が「僕が話を付けておきますから!」って焦ってますけど、そんなに圧感じてます?一条君はそんな私にキラキラした視線を向けられてますけど感覚は大丈夫です⁇

なんか、一条君はフィルターが分厚いタイプと見た。恋に恋してなんでもキラキラして見えちゃう、みたいな。ほのかちゃんもそういう時期あったよね。

エリカちゃんがあはは~、と冷や汗を垂らしつつも、それでも一条君に個数を訊ねた。

そうまでして知りたかった?しつこすぎたのか、一条君はちょっとむっとしちゃったけど、隣のほのかちゃんや雫ちゃんからのチクリが。

まあ、目の前で渡されてましたからね。

エリカちゃんは二桁台に賭けているそうなので午後に期待しているみたいだけど、一体何を賭けての勝負なんだろう。こうやって公言するわけだから金銭では無いはず。学生らしくお掃除当番とか、お片付け交代権とか?

 

「七個ねぇ。まだ転校してきたばかりだってのに、大したもんだ」

 

話を変えたかった一条君が口を開く前に西城くんが感心して大きく頷いている。

そうだよね、来たばかりで七個は多いと思う。見た目と実績の勝利か。

中身では西城くんも負けてないと思うのだけどね。

一条君は律義に転校じゃない、と訂正してから西城くんの貰ったチョコの数を訊ねる。

男子同士だからか気安い口調がいいね。A組でもそういう会話を聞くことはあるけど、私には絶対向けられない。というか想像つかないよね。深雪ちゃんにため口を使う一条君って。

もし結婚しても難しそう。自身の妹に向ける態度とは違うんだろうね。

 

「そういう西城はどうなんだ?」

「俺か?朝一個貰ったっきりだな」

 

朝の私の友チョコだね。え、あれ?F組に付き合ってくれた時エリカちゃんに渡してるのは見ていたけど…西城くんには渡してなかった…?

つまり西城くんが一つしかもらっていないってことは…え?そういうこと⁇そういうことなの!?…へぇ、そうだったんだぁ。

 

(と、いけないいけない。また頬が緩んじゃう)

 

気を引き締め直して、と。

西城くんはもっと貰っていてもおかしくないと思うんだけどなぁ。不思議だ。もしやエリカちゃんと公認カップル過ぎて遠慮されてる?吉田君の件もあるし、来年は二人に渡さない方がいいのかも。

 

「ま、うちの部は伝統で女子から貰えることになってっから」

「水波ちゃんも参加する、と張り切っていたわ」

 

家庭科室を借りて手作りするんだって。水波ちゃんが料理クラブということもあって繋ぎを取って両部一緒に作ることになったんだそう。手作りの方が一応安上がりだからという理由らしい。

…浮いた予算でチョコを買って女子たちは女子たちで楽しむのだとか。抜け目ないね。ちゃっかりしてる。

 

「そりゃあ楽しみだ」

「よかったじゃない、義理でも手作りチョコ二つだなんて、レオの割に贅沢ね」

「なんだよ俺の割にってのは」

 

あらあら、痴話喧嘩ですか?吉田君がやれやれ、と仲裁に入りました。仲のよろしいことで。

一条君の周りではこういうやり男女の気心知れた取りは見ないのかな。慌ててるみたいだけど、これは彼らなりのコミュニケーションだから。

 

「一条、気にするな。喧嘩するほど仲が良いというヤツだ」

「違うわよ!」「違(ちげ)え!」

「ほらな」

 

二人共息ぴったり。一条君は拍子抜けしたみたい。

今日はいつもより賑やかなお昼を過ごした。

 

 

――

 

 

生徒会室にはほのかちゃんと水波ちゃんの姿は無かった。水波ちゃんは今日のことがあるので昨日のうちに仕事を片付けていたけど、ほのかちゃんは――今頃お兄様のところだろうね。

 

「泉美ちゃん、これ、香澄ちゃんが来てからでもいいかと思ったのだけど」

 

二人に、とブラウニーの入った小さな紙袋を二人分渡す。一緒くたにはしないよ。ちゃんとそれぞれわかるように目印のリボンを付けて分けてました。

 

「……え…も、もしかして、これ」

「ハッピーバレンタイン。お世話になった人に配っているの」

 

どういう仕組みなのかな。一瞬彼女の頭の上のリボンがぴょこっと跳ねました。可愛いね?

そしてお顔がどんどん真っ赤になっていくけど聞いてます?他にも配っているの。だから普通に受け取ってほしい。

 

「う、う、嬉しいです!ありがとうございます!家宝にします!!」

「ちゃんと食べてね?味の感想待っているわ」

 

家宝って…大事に保存されても困る。腐っちゃうよ。食べ物なんだから。

泉美ちゃんはぶつぶつと、自分の分は大事に取っておいて香澄ちゃんから一口貰おうかと言ってるけれど、自分の分だけ食べて頂戴。

 

「ピクシーも。貴女にはたくさん助けてもらったわね。食べ物はあげられないから」

 

ちょっと触るわね、と断りを入れてから髪に触れる。

うん、ピクシーはお母さんの影響か、黄色いお花が似合うね。

 

「これは」

「ハッピーバレンタイン。黄色いデイジーにはありのままの貴女が素敵、という花ことばがあるの」

 

少し早咲きのを摘み取って、レジンで固めて形を魔法でちょちょいと整えて、ヘアクリップにしてみた。

…まだ開花まで10日はかかりそうだったんだけどね。そこは数日前から魔法で、ね。

 

「ありのまま、ですか?」

「まだ難しいかしら。でも、私は貴女が好きよ。今の貴女が好き。たくさん学んで、たくさん吸収して、貴女の願いのままに過ごしてね」

 

これからもお兄様の為に尽くしてね、とお願いもしつつ。

ピクシーはしばし悩んだのち、わかりました、と頭を下げた――んだけど、喜んでもらえたらしい。触手がうねうねびったん。とっても元気。よかった。喜んでもらえたこともだけど、結界を強化しておいて。

それをちょっぴり悔しそうに見つめる泉美ちゃん。…可愛いお顔が台無し――にならないのが美形のいいところよね。ちょっと怖いけど綺麗なお顔です。

 

「泉美ちゃん、今日はまだほのかが来ていないから役員は二人きりだけれど始めましょうか」

「!はい!!」

 

うんうん、二人きりって言葉で浮上してくれた模様。持ち直してくれて何よりです。ピクシーいますけどね。生徒会役員は二人。嘘は言ってない。

それからしばらく二人きりで作業して、ほのかちゃんが遅れて合流。すっきりしたお顔ですね。お兄様にお渡しできましたか。

それから水波ちゃんも合流して今日のお仕事も無事放課後内で終了。残業は無しです。やったね。

雫ちゃんと香澄ちゃんも揃って一緒に戸締り。

校門まで一緒に帰宅。泉美ちゃんはしぶしぶ香澄ちゃんと自家用車に。雫ちゃんもほのかちゃんと。

私たちは駅まで歩くよ。様子見も兼ねているし、水波ちゃんが居れば大抵防げる。

四葉の人間を表立って動かす方が目立ってしまうというのもある。…あまり手の内を明かしたくないんだよね。

お兄様の眼もあるから守護はばっちりですし。でも一応私たちでできるところは私たちですることは伝えてある。

お兄様が遠く離れていても敵を消滅させられることは知っているけれど、それも切り札ですから。四葉としても知られたくはないし、一応軍の機密事項でもある。大っぴらにはしないようにと私の方からもお願いしている。

今日のところも無事問題なく帰宅できそうだ。

 

 

――

 

 

玄関に到着し、ほっと一息。水波ちゃんがポストに戻って郵便物を確認してから戻ってきた。

中に危険物が無いかチェックしている間に着替えてからリビングへ。

報告書を受け取ってパラパラっと見るのだけれど――四葉の情報網ってパネェ。

 

「…敵もまさか、自分たちが利用しているホテルが四葉系列だとは思わなかったんでしょうね」

 

あれだ。以前古式魔法師が泊まっていたおんぼろビジネスホテルに、彼ら人間主義者の一部が滞在していることが判明したのだ。

地方から集まってきたのかな。ご苦労なことだね。原作では推定500人近く集まっていたとのことだったから、手近なところだけでは数が集めきれなかったのだろう。

報道の仕方が変わってきたことで魔法に不安を覚えた人も増えた。反魔法意識は高まる部分もあったが、人間主義者が増えたかと言えば、カルト臭が強いとあって黒幕おじさんが期待したようには増えなかったみたいだ。

それでもこのイベントは決行されるらしい。あれかな?ちょうどバレンタインで浮かれた学生の心を突き落とす的な?落差があった方が絶望を感じやすいから。

そこまで考えて日にちを設定していたのだとすると、日本学生のバレンタイン事情まで把握した上での嫌がらせってことになるけど…黒幕おじさんってば陰湿ね。

朝十一時からの魔法大学でのデモ。

デモの割に一般人に呼びかけもせず当日ゲリラ的に行うとは。強襲目的だから学生や警察に気取られたくなかったのだろうけど。

だが残念。その参加者が地方から出てきて宿泊したそのホテルには壁に耳あり障子にメアリー。丸っと四葉に筒抜けです。

 

「叔母様に連絡を」

「ですが、傍受されてしまうのでは?」

「傍受ができるのは通話の内容だけのはずよ」

 

映像を受信するにはデータ容量が重すぎる。内容を知りたいだけであれば音声だけで十分だし、フリズスキャルヴは暗号を解いてデータを渡すこともできるとあった。定期的に変わる四葉式暗号が解かれたのは膨大な情報を瞬時に処理するその技術によるもの。そのデータ解析の材料になったものの中には音声電話でのやり取りに含まれる隠語等も含まれていたのではないだろうか。つまり電子を通してやり取りをした声も、文書化され分析する能力があるのではないか、という疑いが。

だが、もしそうだとしてもそれは音声や文字の送受信のモノのみに限られた話だろう。例えばホワイトボードで書きながら会話をしていれば、それが『盗み聞き』されることは無い。――光宣君の時のやり取りでも実証済みだ。

ということで先に端末で伝えたいことを入力。

それからヴィジホンを繋いでもらった。

 

「ごきげんよう、深雪さん」

「叔母様も、ご機嫌麗しく」

「ええ。貴女の顔が見られて嬉しいわ。でも、達也さんはまだ帰られていないのね」

「今頃はミーティングに参加されている頃でしょう」

「そうだったわね」

 

それから他愛ない話をし、学校での様子、現在わかっていること、不安に思っていることなど、傍受されても問題ない会話を繰り広げながら端末にそちらにもすでに渡ったであろう情報を貰ったこと、今後の対策についてどうするつもりかと尋ねる。

四葉ではこれを警察に伝え、逆手にとって上手く立ち回るよう勧めたらしい。

なんでも第一高校周辺に防犯カメラが増えたことを参考に大学周辺も一時的に設置してはどうかと提案し、今大急ぎで設置しているらしい。

…彼らの行動を逐一撮影し、悪材料を見つけて世間に判断を仰ぐつもりらしい。

警察も警備員も事前に来ることがわかっていれば、デモ隊を傷つけずに捕縛することもそう難しい話ではない。

ついでに、以前から魔法大学の在り様を疑問視している反魔法師側の議員も招待し、この機関が国から委託された研究を多く取り扱っていることで国防上、部外者の立ち入りを厳重に制限されていることを理解してもらったうえで、たまたま(・・・・)移動中にデモ隊に強襲される予定になっているとか。…それは楽しい計画ですね。

議員の方にはぜひ顛末をメディアで語っていただきたいものです。

自分が襲われて、これだけ民衆が不満を抱いているのです、と伝える勇気があるか知らないが、したところでデモ活動が卑劣な行動に映ればその発言も犯罪者を擁護していると疑念を向けられるようになる。どう転んでも議員に旨味はない。こちらは散々迷惑を掛けられているので、せいぜい道化として躍ってほしい。横浜・横須賀に侵入させやすくする法案通したこと、これから是非非難されて欲しいものだ。

 

「ああ、そうそう。今日はバレンタインでしょう?達也には渡したのかしら?」

「これからお渡しする予定です」

 

…叔母様、笑っているお口が手で隠せてないですよ。

 

「そうなの?なら邪魔しちゃ悪いわね」

 

詳細はまた後日、と美しいかんばせに書いてあるようですが、詳しくなんて話しませんから。

 

「では、良い夜を過ごしてね」

 

…叔母様ぁ…。どうしてそっちに振り切れてしまったのです?これってあれでしょう?グッナイ!じゃないんでしょう?

少し早いですが、お休みなさいませ、と気付かぬふりで返した私は悪くない。

私はgoodnightで捉えました!ということで。

ブラックアウトした画面にため息を漏らす。

 

「…お疲れ様でございました」

「水波ちゃんもありがとう。傍に控えていてくれて心強かったわ」

 

この件は原作で警察の対応があまりよろしくなく、魔法を使いデモ隊に怪我を負わせたりするシーンを切り取られることで、反魔法師組織を調子づかせ、世論の風向きがさらに強くさせてしまうのだ。

その可能性を限りなくつぶすため対策を、と思ったのだけど、すでに四葉はこの可能性を危惧し積極的に動いていたみたい。

事前に作った反魔法運動が起きた際に注意すべきことを記載した対策マニュアルが役に立ったようでなにより。

ただ、七草を通して警察に、ではなく九島経由だって。七草に完全に一人相撲させるつもりですね。

あの人きっと原作通り上野議員に工作を依頼しているだろうから。肩透かしさせようという魂胆だね。もしくは恩の売り損。

…叔母様、七草の横槍に対して思った以上にお怒りでした?ま、当主がどうなろうと構わないのだけど。

 

「まあ、お兄様だわ。今日は少し早く終わったのね」

 

深雪ちゃんセンサーによりお兄様の帰宅を感知。水波ちゃんは急いでお夕食の準備をします、とキッチンへ向かっていった。

玄関で出迎えると、お兄様は原作通り手ぶらだった。…ちょっと期待したのだけどね、七草先輩のチョコレート。

 

「…何かあったのか?」

 

ただいまの挨拶の前にお兄様にじっくりと見られて、格好が普段着でないからには何かあったと判断されたらしい。見事な推察。

 

「先ほど叔母様と連絡を取っておりました」

 

内容は夕食後にでも、と言えばお兄様はそうか、と靴とコートを脱いで片付けるとハグを。

 

「今年はチョコレートの香りがしませんね」

「……七草の長女として、自分の行動の意味を弁えているのだろう」

 

昨年のことを揶揄うように訊ねれば、苦い思い出も蘇ったのか声が低くなった。そうでした。お兄様には甘い思い出ではなく苦い思い出として残ってしまったのでしたね。

だけど、

 

(そうなの、かな?ミーティングは全員十師族の子息ばかりなのだから平等に渡してしまえば本命にも難なく渡せただろうに)

 

なぜ、今年は渡さなかったのだろう。

 

(去年もそういう理由で服部先輩とお兄様両方にプレゼントしただろうに、ね)

 

むしろ、今回は本命に思ってしまったからこそ、渡すのを躊躇ったのではないだろうか?とも考えてしまうわけで。

ちょっと考えがまとまらずもやもやしていると、お兄様の抱きしめる力が強まった。

 

「ハグの最中に俺以外のことを考えるなんて、酷いんじゃないか?」

「…まあ。七草先輩の案件はお兄様絡みでしょう?」

 

これも立派にお兄様のことを考えてですよ、と伝えれば、言葉の代わりにさらに強く抱きしめられた。うぅん、納得できないってことだろうね。

 

「おかえりなさいませ。今日もお疲れ様でした」

「うん、ただいま」

 

とりあえず拘束は解けたようでホッとする。

その後はいつものように一旦着替えに部屋に戻られ、私もダイニングへ。

三人揃って夕食を食べ、いつものお茶を。

そこで届いた情報と叔母様との電話のやり取りの情報共有を。…もちろん最後のジョークは抜いてね。

 

「…首謀者の思惑がこれで潰えるか?」

「これだけの人数のデモ隊が突入するわけですから世間は騒ぐでしょうが、怪我人が出ず鎮圧することになれば」

 

魔法師を敵視するよう世論を喚起する――それが黒幕おじさんの目論見だった。

だが、このまま予測通りに事が進めば不発に終わる。多少の騒ぎは起きても、警察は職務を全うしたと主張し、世間も過剰だとは思わないだろう。むしろ暴徒化した反魔法師運動を掲げるデモ隊に不信感を抱くかもしれない。

だって、魔法で交戦しない魔法師に対し武器を振り回して襲い掛かるわけだからね。

いくら魔法師が怖いと言っても魔法を使って反撃もしていない魔法師に暴力をふるうのが正しい光景には映らない。

 

「ちなみに大学の門には大きくテロ警戒の為巡回強化中、等の文言を張るそうです」

「警戒中だから警察が多くても、用意周到に武装していてもおかしなことではないか」

 

失敗がこの後も続けば、三回目には作戦を変えてくるだろう。原作通り――魔法は恐ろしいものなのだと印象付ける自爆(ただし本人未承諾の)攻撃を仕掛けてくる可能性は十分にある。

が、まずは大学でのデモ隊との衝突で、世間がどう反応するか、だね。

お兄様からは今日のミーティングもあまり成果が無いようだった、との報告。

…十文字家と七草家は一体何をどのように調べているのだろうね?

防衛に力を入れてきた十文字家は分が悪いにしても数の七草なのでしょう?警察同様ローラー作戦しているのではないの?一度潜伏していた箱根や鎌倉、座間にはいないと思い込んでる?

いや、一般魔法師には見破れない巧妙な隠れ方をしている、と考えた方がいいか。鬼門遁甲を普通の魔法師が見破れるものでは無い。…なら、最初から探すのって無理じゃね?というのは無しで。黒幕だって四六時中鬼門遁甲を使っているわけではない。『視点』を変えれば四葉のように監視はできるのだ。

とりあえず対策は立っているということで私たちは静観することに。

この情報は今から十文字家に伝えるほどでもない。すでに警察は動いている。下手に十師族が知っているとなれば痛くない腹を疑われることもあるだろう。あえて知らせない方がいいこともある、ということだ。

 

「そろそろ決着の時、だな」

「ええ。気を引き締めてまいりましょう」

 

三人頷き合ってから、ヴィジホンの着信を知らせる音が響いた。

水波ちゃんがスッと立ち上がってコンソールに向かうと――あら。

 

「…光宣様からです」

 

水波ちゃんが必死に表情に出さないようにしているけれど、残念、緊張が見えますねぇ。可愛い。

 

「水波ちゃんもこちらにいらっしゃい」

「……はい」

 

三人並んで映像電話を繋ぐ。

すると画面いっぱいに美少年の眩い笑みが。尻尾をぶんぶん振っているのが見えますね。

 

「こんばんは!」

「元気そうだな、光宣」

 

はい、こんばんは。元気にご挨拶できてうちの息子はいい子です。

お兄様はちょっと苦笑気味。

いつもより高いテンションが、用件をすべて物語っている様。

 

「お母さん、水波さん!今日届きました!ありがとうございます」

 

そう両手で持ち上げて見せてくれたのは、私たちが作ったチョコタルトですね。

水波ちゃんと示し合わせたとおりに視線を合わせてから、

 

「「ハッピーバレンタイン」、です」

 

あら、水波ちゃんったら、言い切ったら私の背中に隠れてしまった。でも頑張りました。後でよしよししてあげよう。

 

「こういうの、貰ったことが無いので嬉しかったです」

「…初めて?光宣が、か?」

 

お兄様が意外とばかりに声を上げました。同意だけどね。光宣君なら冗談抜きにトラック何台分ってやつでしょう、と思ったのだけど。

光宣君はそんなことありません、と眉を下げて。

 

「食べ物は一切。体が弱いと思われていたようで」

 

お花とか手紙等物は貰ったことはあるのですが、と。

あ~。私たちは光宣君に食物アレルギーが無いことは知ってましたから。流石にジャンキーなモノを食べさせるのは躊躇うけど、普通の食事だったら問題ない認識だった。

そして光宣君はお兄様にキラキラお目目を向けて、

 

「それで、お父さんはどんなものを貰ったんです?」

 

…主語が無くとも私からの、って言うのがわかりますね。

 

「実はまだ貰っていないんだ」

 

お兄様の言葉に光宣くんは驚愕と共に焦ってしまった。

 

「え、そ、そうなのですか?それは、えっと…すみません」

「いいや、謝ることは無いさ」

 

逆にお兄様は余裕の笑みで返された。…まあ、私が用意していないとは一ミリも思っていないのでしょうから当然ですね。正解です。

その態度に光宣君はちらっと私を見てから安堵した。

それからちょっとした雑談をして電話は終わった。

首謀者捜索の話?そんな無粋なことを親子の会話ですることじゃない。すでにこの件は九島家にも伝わっているだろうしね。

 

「さて、では深雪、俺は先に部屋で待ってる」

「…はい」

 

……こんな予定ではなかったのだけど、仕方ないね。

水波ちゃんが心配そうに私を見上げてくるけれど、大丈夫。きっと。多分…。

お兄様は自室に戻り、私は水波ちゃんを「よく言えたわね」、と頑張ったことを褒め、なでなでしてからキッチンへ。

準備は万全。後は予定通り作るだけ。

すう、と息を吸いこんで集中し――胸に手を当てた。

 

 

――

 

 

達也視点

 

何も不安に思うことは無い、それは分かっている。

わかっている、のだが、不思議なもので理解はしても心が落ち着かなかった。

深雪がイベント好きなことはよく知っている。人と楽しいことを共有したいタイプであることも、それでいて俺だけを特別扱いしてくれることも、わかっている。

 

(だから焦ることなんて無いと、わかっているのにな)

 

ベッドに腰掛けて項垂れる。

この不安は深雪に対して、ではない。

今日一日の己の狭量さに対して、にだった。

 

(深雪が笑っていることは嬉しいことだ)

 

それなのに、その笑みが自分以外に向けられていることが面白くない。

平河千秋に向けられる笑みも、

美月と笑い合う姿も、

エリカとレオに手渡しできたことを喜ぶ様子も、

渡したことで喜んでもらえた、とふわふわ笑う深雪が、遠くに飛んで行ってしまいそうで。

自分が居なくても、彼女が笑えることが――嫌だと思った。

彼女が笑っていられるだけで幸せだったはずなのに。

前日には深雪の方から一条には渡さないことを宣言された。

 

「私が渡すのはお世話になった友人にこれからも私たちのことをよろしく、とお願いするためですから」

 

だから、一条には渡さないのだ、と。

…正直、深雪なら義理として渡す可能性があるのではないかと思っていた。

だが、こうしてはっきりと明言してくれたのは俺の不安を読み取ってのことなのだと思うと、より嬉しかった。

まだ恋だと自覚していない深雪だが、それでもこうして俺の心を慮ってくれる。それが、嬉しくてたまらなかった。

だから俺も、と他のチョコを受け取るつもりはない、と断言したかったのだが、これもまた先手を打たれた。

 

「お兄様はたくさんチョコレートを貰ってきてくださいませね。私のことで遠慮しようなんて思わないでください」

「…何故だ?」

「チョコは外交です」

 

これからも仲良くしてね、という気持ちを断ることはありません、と。

義理は確かにそうだろう。エイミィたちが今年もくれるというのならお返し含め『外交』も吝かではない。

だが、

 

「ほのかのことでしたら、そうですね。お兄様のお気持ちをお伝えしたうえで、それでも渡したい、ということでしたら、それは一種の儀式みたいなものでしょうから受け取って問題ないかと思われます」

「儀式?」

 

しかし尋ねても深雪は目を閉じてそれ以上のことは教えてくれなかった。

断ることは簡単だ。だが、それをして仲間たちの仲が変わってギスギスするのは――心地が悪い。

 

「…わかった」

 

前もって深雪が話していてくれたことで気が楽になった。無駄に考える必要が無くなったからだろう。

深雪が良いというのなら貰おう。

そして当日は話の通り、女子からいくつかチョコレートを貰い、ほのかからも断りを入れたにも関わらずそれでも受け取ってほしいと請われ、受け取ることとなった。

よく、わからない。ほのかが一体何をしたいのか。――この行動が正しかったのか。

深雪は儀式と言っていたが、チョコを渡すことで何か変わるのだろうか。

以前渡辺先輩が言っていた、男にはわからない何か、というものなのかもしれない。

これ以上深く考えることはやめた。

それは考えてもわからないから、ということもあるが深雪が来たからだ。

控えめなノックが響く。

ゆっくりと立ち上がりドアを開けると、お盆を持った深雪が微笑みを浮かべて待っていた。そのトレーの上にはマグカップが一つ乗っていた。

 

(深雪を見ると、今まで考えていたことがどうでもよくなるな)

 

どうぞ、とドアを開いて招き入れると、失礼します、といつもの風を装って入ってくる。

いつものようであるのに、どことなく緊張しているような深雪に、こちらの期待度も高まった。

机の前に座っていてほしいとの要望に応え、大人しく着席すると、机の上にマグカップを置く。

普通なら香りがするだろうが、深雪の魔法のかかっているそれはまだ密閉された状態で香りも湯気も封じられていた。

 

(…それにしても恐ろしい代物だな。一体いくつの魔法が重ねられている?)

 

現在の深雪は俺の力を封じるためかなり力が制限されているはずなのに、実に繊細なコントロールで一分の狂いも無く、二重…いや三重の魔法がこの小さなマグカップに構築されていた。

そして小さなスプーンを取り出し、

 

「これが最後の仕上げです」

 

3,2,1との掛け声とともにくるり、とスプーンを魔法の杖のように振りかざし、コン、と縁に当てるとパッと蓋の役目を果たしていた魔法が解除される。

途端温かい湯気を伴ってチョコレートの香りが広がっていった。

 

「ホットチョコレートか」

「甘さは控えめに作りました」

 

一口口に含めば、確かに甘さはほとんど感じられない。

だが、苦みもさほど強くも無く、それでいてしっかりとチョコレートの風味の感じられる不思議な味だった。

これなら最後まで飲み切れるだろう。

 

「美味い」

「…お口に合ってよかったです」

 

トレーを胸の前に抱きしめて安堵する姿はとても可愛らしい。

深雪が手ずから淹れてくれたものが美味しくないわけがないのに。だが、自分のこの一言が彼女の口元を綻ばせることができるのならいくらでも伝えよう。

 

「ではお兄様、ハッピーバレンタイン。ゆっくりお召し上がりください」

「…飲み終わるまで、ここにいてくれないのかい?」

 

早々に深雪がタイミングを計って去ろうとしていたことは察していた。

何か理由がありそうなことも、このカップに秘められた魔法に関係しているだろうことも。

 

「あの、実は帰ってすぐ叔母様と連絡を取ったため予習をしていないのです」

 

優秀な彼女なら予習は朝でも十分に間に合うはずだ。いつもの深雪なら後回しにしていたはずなのに。

それだけこの場に居られない、この場からから逃れたい理由が、今の彼女にはあるということ。

 

「深雪」

 

妹思いの兄貴でいてあげられなくてすまない、と心の中で謝りながらこいこい、と手招く。

躊躇する深雪を再度呼ぶと、ぎゅっとトレーを抱きしめてゆっくりと近づいてくる。

逃げ出してもいいのに、それを選択せずに近づいてくれることに悦を感じながら少し調子に乗って己の太腿を叩いたが、今度は硬直してから首をぶんぶん振られた。

流石に膝には乗ってもらえないらしい。望みすぎたか。

 

「去年のチョコにも意味があったが、今年のコレにも意味があるのだろう?」

 

深雪の贈り物にはどんな小さなものでも心が込められている。些細なモノでも意味があるのだ。

例えば花の刺繍も、ただの綺麗な模様だけではない。花言葉を選んで想いと共に縫い込められているのだと気付いたのは、学校で使っていたタオルの刺繍を見た幹比古の一言があったから。

それから過去に貰ったものを遡ってみると、それは確かに、自分に向けられたメッセージが込められていたように思う。いや、深雪のことだからきっとそうなのだ。

それまで気が付かなかったことは不覚だが、おかげで深雪の深い愛情に気が付くことができた。

だからこのホットチョコレートにも深雪の想いが込められているはずだ。

それが知りたかった。

深雪は固く目を瞑って体を緊張させていたが、一つ大きく深呼吸をさせて自分のコントロールを取り戻す。

胸の前でトレーを抱きしめている様が、彼女の唯一のガードのように見えた。

 

「…ホットチョコレートにしたのは、まだ私の心が固まっていなかったので…」

 

形の無いチョコレートを渡したかったのだと。

揺れ動いている心を表現したらしかった。

魔法を解いた後添えられたスプーンでカップの中をかき回すと、眼で捉えていた小さな魔法が存在を露わにした。

カップの底には加重魔法と減速魔法が相克を起こさないよう絶妙に掛けられたチョコレートが沈められていた。

それも、掬い上げてみれば雪の結晶の形をしている。

――これは、情緒が欠けている自身にもわかる気がした。

 

(……どうして、深雪は…)

 

許されるならば今彼女の前で盛大にため息を吐きたいところだ。

そして参った、と両手を上げて降参だと伝えたい。

固まっていない心の中の奥底に、小さく形になり始めているかけらが5つ。

深雪にもわかるように掬い上げてみせると、彼女は堪えきれないと顔を真っ赤にして先ほどより固く目を閉じて口元までトレーで隠されてしまった。

 

「…甘い」

 

そのかけらにかじりつけば、甘い、甘いチョコレートだった。

魔法は口元に運ぶ前には解かれていた。それが少し惜しく思えたが、もし解けていなければ食べることは叶わなかったかもしれない。

 

「気付かなかったら後悔するところだったよ」

「……その時は、その時です」

 

きっと深雪は部屋を出るタイミングで魔法を解除するつもりだったのだろう。そして、底に溜まっていたチョコレートは気付かぬうちに溶けて、底に甘いチョコレートだけが溜まっただけになっていたかもしれない。

それはそれで甘さが隠されていたことを喜んでいただろうが、それが雪の結晶の形をしていて、固まった思いが少しづつ彼女の心に積もり始めているのだという隠された意図には気付けなかった。

 

「来年には固形のチョコレートが食べられるかな」

「わ、わかりません!」

 

プイっと横を向いてしまった深雪が愛らしくて、どうしようもなく愛おしくて、

 

「きゃっ」

「ありがとう。今年もこうしてチョコレートを貰えて嬉しい」

 

トレーが邪魔だがそれごと深雪を抱きしめた。

できることならばこのまま放さずキスをしてベッドに連れて行きたいところではあるが、ここはとどまるべきなのだろう。

何とか欲を抑え込み、引き際を弁える。

 

「来年のチョコレートも楽しみだ」

「…お兄様ったら。先ほど今年の分をお渡ししたばかりですのに」

 

単純に喜びを見せたことで安心したのだろう、くすくすと腕の中で笑う深雪が可愛らしい。

…今はこれで十分だ。

 

「そうだな。今はじっくり味わうとしよう。引き留めて悪かったね」

「いえ…私の方こそ、ありがとうございます」

 

そのお礼が、まだ返事をしていないことを黙認しているからか、それとも別の理由かわからない。

だが、これも黙って受け取ろう。

 

「少し早いですが、おやすみなさいませお兄様。ちゃんと、歯磨きはしないとだめですよ?」

「ああ。おやすみ」

 

腕を離すとするりと抜け出た深雪がくるんと回り、にっこり微笑んでお辞儀をしてから部屋を出ていった。

相変わらず兄の心をかき乱すことが上手な妹だ。

一つ一つの言動が俺の心を翻弄する。

きっと今この瞬間にも押し倒したい欲が腹の底で暴れまわっていることなど、あの子は気づきもしていないだろう。

それでいい、と思った。

あの子にはここまでの激情を抱いていることをまだ隠しておきたかった。

すでに一度約束を破った身だ。

もう同じ失態は繰り返さない。

 

(深雪の気持ちを優先する)

 

いつまでも自分の部屋で突っ立っているのもおかしいので座り直し、マグカップに口付ける。

ほんのりだった甘さが、底に近づくごとに甘さを増していく。

このカップ一つが彼女の未来を表しているかのようで、そうであればいい、と期待せずにいられなかった。

 

 

――

 

 

 

深雪視点

 

 

食堂のディスプレイでは速報としてつい一時間前、魔法大学で起きた事件が流れていた。

兄弟が大学に通っている生徒もいるので端末で連絡を取っている者や、心配そうに画面を見つめている生徒の姿もあった。

映像はデモ隊が大学に押し入りかけ、金属でできたプラカードを振りかざし、警備員たちに襲い掛かる姿が流されていた。

だが、それを食らったのは衝撃吸収に優れた防具の上であり、そのまま警備員はプラカードを奪い取り、無力化。現行犯を抑え込んでいた。

この間、魔法は一切使っていない。他に暴れまわる襲撃犯に、捕獲ネット弾を放ちまとめて捕え、鎮圧されている様子が映し出されていた。

魔法師には魔法師の、非魔法師には非魔法師用の備えがしっかりとされている様子がよくわかる映像でもあった。

警備員だけでなく警察も鎮圧に参加し、催涙スプレーをまき散らそうとするデモ隊員には昔ながらのトリモチ弾が使われ、ネットをざわつかせていたが、これまた非暴力的な取り締まりだったことから、警察や警備員の対応に非難はほとんど向けられなかった。

 

「しっかし、あいつら遂にやっちまったな」

「でも、妙じゃないか?門のところにわざわざ特別巡回中とあるのにそんなところを襲おうだなんて」

「しかも、反魔法師側の議員が視察に来た日を狙う?」

 

これじゃ反魔法師側の議員も庇ってくれないんじゃない?とエリカちゃん。

その通りだね。ニュースでも流れていたけどあの議員、SPに守られ這う這うの体で逃げ出してたもの。この様子だとデモ隊に対し、彼らの意思は理解できるものだが暴力に訴え出るのは良くない、くらいの抗議はするんじゃない?

反魔法師団体からの支持を受けて当選したような議員だからそう簡単に鞍替えはしないだろうけど、だからといって暴力行為を肯定はできない。そこまでの擁護が世間に認められないことくらい、野党議員も分かっている。

今回のデモ行為はあまりに主張に乏しく暴力に訴える姿が鮮明に映り、怪我人もほとんど出さずにデモ隊を鎮圧させ退かせた警察の手腕を褒めたたえるものが増えそうだ。

映像の中では「横暴だ!」「我々は正当な主張をしているだけだ!」と叫んでいるが、だったら手に持っているプラカードや投石用の石、野球用バットはなんなのか。それらを先に振り回しておいて暴力に訴えるなんて!は世間一般に通用しない。

 

「…あちらも余裕なくなってきていて、特攻をかけて同志を募ろうとしたのかもしれないわね」

「それって、どういうことです?」

 

美月ちゃんからの質問に、憶測だけど、と前置きをしてから。

 

「箱根でのテロを発端に、反魔法師組織――今回は人間主義者ね、彼らはチャンスを見出した。魔法師の強大な力を見せつけられた今なら不安を煽り、仲間を増やせるのではないか、と。

だから魔法師を育成する機関にちょっかいを掛けて、魔法師はこれだけ恐ろしいのだと、簡単に非魔法師に魔法をぶつけてくる危険な化け物なのだと見せつけたかった。

画面に映っていたデモ隊の数が全部ではないでしょうけど、これだけのことを仕掛けようとしたのだもの、かなりの数がいたはずよ」

「そうだな、映っていたのは200人程度だったが、全体ではその倍以上、500人はいっていたかもしれないな」

 

お兄様がざっと累計を算出。恐らくそれくらいの規模でしょうね。

逮捕者は50人を超えたらしい。原作の倍。うちの捕獲ネットがお役に立った模様。ちなみにアレはスイッチを入れると微弱の電気も流れるので暴れる犯人も大人しくなる優れもの。そろそろ販売予定だと言っていたけど、これが良い宣伝になったみたい。生産追いつくかしら。

 

「でも、今回のデモ行為に対して魔法は使われなかった。彼らの目論見は外れたでしょうね」

「…これで大人しくなってくれればいいんだがな」

 

お兄様の言葉はそうなればいい、じゃなくそうはならないんだろうな、の意味合いが強く聞こえたが、あえて明るくそうですねと応えるにとどめた。

 

「おい、ありゃ、オメエの兄貴じゃねぇか?」

「あんなんでも一応刑事だからね…。魔法師絡みの案件だし、暴徒対策に駆り出されることだってあるでしょ」

 

その会話を聞きながら画面に映る千葉警部を見つめる。

今はまだ術にかかった様子はない。…だが、表情に陰りがあるように見えるのは気にしすぎだろうか?

画面には映っていなかったが現場には稲垣警部補もいたはずで、すでに彼は術にかかっている。今回も魔法を行使するところを警備員に扮した軍人が対応することで防いでいたはずだ。

軍からの報告によれば一応術式によって衰弱状態で意識も朦朧としているものの、生命は守られている状態なのだとか。だが、危険な状況には変わりない。操ろうと思えば操れる状態。

この後彼が利用され、千葉警部も罠にかかるよう見せかけることで相手の油断を誘う計画だ。本人も納得してこの計画に参加しているというが――

 

(どうか、無事で…)

 

祈ることしかできないことが歯がゆかった。

 

「ん?なあに、深雪。もしかしてウチの兄貴みたいなのがタイプだったり?」

 

余りにじっと見つめすぎてしまったからか、エリカちゃんに揶揄われた。

そして同時に二つの視線が突き刺さる。

 

「普段はさえない人が、いざって時に煌めくってヒーローみたいじゃない」

「ひーろぉ?あれが?冗談でしょ」

「でもそういうのって昔流行りましたよね」

「あったあった」

 

前世でもたくさんいましたね、無気力系だったり、ちゃらんぽらんだったりするのに、いざ決める時は決める主人公。そう言うキャラは大抵女性人気が高かった。

 

「深雪、ギャップに弱い?」

 

……その自覚はありますね。雫ちゃんの視線まで鋭くなってしまった。

 

「普段はしっかりしているのにちょっと抜けてるところがあったりするとときめかない?」

 

私だけじゃないでしょう?と賛同者を募ると、美月ちゃんがわかります!と大きく頷いてくれた。同志!

エリカちゃんもわからなくもないわねぇ、と答えたのだけど、どうしてこちらを半眼で見つめるのです?

雫ちゃんも無表情でこちらを見て頷いてるし、ほのかちゃんも「あ~」って。…もしや後ろに何かある?

 

「深雪は抜けている、というより無防備になる瞬間があるな」

 

身内しかいないからと気を抜きすぎる時がある、と指摘され、それも可愛いが、と仕方ない子だねと苦笑されたことで皆の視線の意味を知る。…い、居たたまれない。

 

(別にそんな自意識過剰な発言をしたつもりはないのだけど…)

 

「触ったらイエローカード」

「…これは撫でるだろう」

「だめ」

 

頭の上で雫ちゃんとお兄様の争いが勃発している気配を感じつつ、それを止めることもできない。

エリカちゃんが煽り、吉田君が止めようとして飛び火し、西城くんが取成す。ほのかちゃんはその隙にお兄様もギャップに弱いのかを聞いてあまり意識したことは無かった、と答えになっているのかわからない回答を。

それから一緒に食べているはずの一条君からは、無言で視線をね、とっても感じるけれど…これ、シャイなのか微妙だよね。無言でも主張が強い気がする。

 

「一条、見過ぎだ」

「なっ、あ…すみません!」

 

これってどう答えるのが正解だろうね。とりあえず顔を上げて苦笑を返しておく。

 

「これからまた騒がしくなるのかしらね」

「まったく、いい迷惑だぜ」

 

何かをしたわけでもないのに魔法師というだけで風当たりが強くなる現状に対し、このような思いを抱くのも当然だ。

テレビ画面では弁護士のコメンテーターが、言論の自由について言及する場面もあったが、それでも今回のデモ活動は単なる暴動であり、正しい活動とは思えない、と持論を展開していた。

…世論の流れが変わっている。

これは黒幕おじさんにとって想定外だろう。

 

(どこかで予想外の動きがあるかもしれない)

 

少し警戒を強めておこう。

 

 

――

 

 

「…取材、ですか?」

 

このタイミングでフリーの記者から一高に取材の申し込みがあった。

あの、某掲示板で確かな取材力で正しい情報を投稿していた記者であり、今回の件で各所動き回っていたらしい、あのフリージャーナリスト。

無事五体満足でお会いできるようでよかった。護衛たちにボーナス弾まないと。

 

(…これは、もしかしなくても大きな追い風が吹きそうな予感)

 

名目上は現在魔法科高校へ通う生徒たちの実情と現場の警護体形、学校側の対策についてだが、わざわざ第一高校に来たということは、あのテロで大規模魔法を使用した私への取材も兼ねているだろう。

 

「取材は月曜日に受けようと思うんだが、どうだろうか」

 

この取材は学校側にもメリットがある。だから多少リスクは覚悟で受けたいと。

私は生徒会長としても、四葉の人間としても、そしてこの騒動の発端となったテロの舞台に立った者としても参加する旨を伝えた。

 

 

 

この夜、各局のメディアは昼の事件をそれぞれの特色を見せながら報道していた。

あれはデモと呼べるようなものでは無く暴動である、と報道する局もあれば、魔法師批判で有名な議員による、デモ行為への擁護発言――魔法は危険な武器であり、それを恐れる人の心は真っ当と言える、といった主張を繰り返していたが、彼らが言いそうな不当逮捕だ、との言葉も出なかったのが印象的だった。

まあね、庇うにしても彼らの暴力の方が目立って見えたから。この局ではできるだけそういったシーンは流さないようにしていたけれど、それでも反魔法師側とはいえ、その主張が通らないことは読めたのだろう。

中には我が国の警察がこの暴動を前もって予期していたからこれだけスマートに鎮圧できたのではないか、との意見もあったが、ただの憶測で終わった。

この件ではまだ警察は逮捕者と事実確認中という発表をしただけで詳しい事件内容は語っていない。

とはいえ、道具を振り回し暴れるという、見ればわかる公務執行妨害の現行犯だ。世間の目は犯人たち(・・・・)への冷めたものが多かった。

ああ、七宝君がお願いしただろう女優さんのお父様のメディア会社は上野議員を迎え、ここぞとばかりに大学を厳重に守っている正当性ある理由を述べ、警察の行動を讃えた。

何せほぼ無血で事件を解決したのだ。これでもし魔法で反撃したならば、それは正当防衛を唱えるにしても苦しかったかもしれない。正しさばかりがまかり通る世界じゃないのだ。

ただの誰でも使用できる武器とは違い、魔法というのは素質がなければそもそも使えない、限られた人間しか使えない武器。

非魔法師に魔法を使って取り押さえるなんてことをしては、始末書で済む問題ではない。

鉄パイプを振り回す犯人に銃を威嚇射撃するよりも責任は重い。

ネットの反応は人間主義者の呆気ない逮捕劇に冷めた発言が向けられていた。

ただの抗議活動として主張をするわけでもなく、はじめから暴力に訴えようとしているのは金属製のプラカードなどを事前に用意していたことからも明白で、更には一般人に紛れ込んで警察官に襲い掛かる暴徒もいたという情報も流れた。

それはテレビでは放送されていなかったはずで、警察でもそんな情報を出しては無いかったはずだが、もしかしたら現地にいた人間が話したのかもしれない。

 

(これは、思っているより焦燥を煽る形になったかもしれない)

 

テレビ局の半数は今回、魔法大学が襲われたことに対し被害者として同情的な報道をしていた。

それはこの場で魔法が行使されず、暴徒たちを捕らえていたからと思われる。

警察の初動が素早く、好意的に取られたことも要因だ。

正しく振るわれる正義と、一方的な暴力的行動に出るデモ隊ではどちらに分があるか。

それでも魔法は恐ろしい武器にもなる、との意見は大抵のテレビ局でもコメンテーターが口にしていた。何でもかんでも一方の意見だけに流されるようではテレビ局などというものは運営できない。平等性を謳うためには反論も用意する。

だが、それにしても今回の反論の声は小さかった局が多かった。

ただ、一局を除いて。

この局は以前から、それこそ魔法師が表に出始めてから魔法がどれだけ恐ろしいものであり、魔法師の事件を取り上げては魔法師を野放しにしていいのか、という論争を展開してきた古き良きオールドメディア時代の流れを受け継いでいる老舗局である。時代遅れと謗られようがその姿勢を貫いてきた。

長年取材してきたデータと築き上げたコミュニティが彼らの武器だ。それにより、このネット社会でもどこよりも早く、魔法師の事件を取り上げては、危険を訴えてきた。

だから時代に合っていないと言われていても、その事件の信ぴょう性で根強く残っているのだ。

あと、日本は伝統ご長寿番組をこよなく愛する性質があることも要因かな。このテレビ局には大御所が長くMCを務めている国民的番組があるから。

と、まあその話は置いておくにしても、この局だけが猛反発、後は世界各国の人間主義者の活動についての報道に切り替わっていて、日本の魔法師に対する反感の声はさして上がらなかった。

この結果に黒幕おじさんはさぞや焦りを覚えただろう。

魔法師は内部分裂するどころか協力し合い、反十師族の構図も今は逆に大人しい。

このままでは彼の復讐は成し遂げられない。

フリズスキャルヴが原作通り使えなくなったかはわからないが、使用できたとして大した問題は無い。読まれて困る情報などうちから流れることは無いのだから。

これで国外逃亡をするために強いボディーガードを求め、人形師、近江の元を訪れ、稲垣警部補を使って千葉警部を――

 

(…大丈夫だ。大丈夫な、はずだ)

 

軍は近江円磨から刻印を打たれた稲垣警部補を保護できていると報告があった。

だが、今度の相手は近江ではなく、さらに熟練者と思われる黒幕おじさんだ。

本当に守れるか――、いや、ここは信じるしかない。

高いポテンシャルを持つ素体を手に入れたから、黒幕おじさんは大きな動きに出られるのだから。

大丈夫、ともう一度言い聞かせてからぱん、と頬を叩く。

もうそろそろお兄様がミーティングから戻られる時間だ。

気持ちを切り替えないと。

 

 

――

 

 

2月16日土曜日。

あのデモ隊は先発隊だったようで、東京ではプラカードを掲げ歩いて抗議を訴える真っ当な反魔法師団体の活動が行われていた。

しかし、規模は小さく、彼ら自身に覇気がないように見える、と掲示板でリアルタイム中継している者もいた。

そう、まだこれはネットニュースにもなっていない。それほど注目度が低い話題に成り下がっていた。

昨夜から今朝に掛けの報道を見る限り、悪いのは反魔法師団体側ではないかという見方が強まっていたからね。

こんな時だからこそ日本を守る為、我々は声を上げる!と頑張っている様子を通行人たちは冷ややかに見ているそうだ。

警察も一応警戒しているようだが、今日のところは大人しいデモ行進について歩いているだけに留まっているとのこと。

今日は土曜日なので午前中の授業が終わるとお兄様は生徒会室に私を送り届けた後、下校して捜索(という名の巣穴潰し)に向かわれた。…生徒会室までの送迎なんて無かったのだけど、少しでも傍にいられる理由が欲しかったんだって。

一条君はそれをギリィッして見つめているんだそう。視線は感じてたけど美少年の表情を歪ませているのはちょっといただけない気が…。ま、その彼もその後すぐ学校を出て捜索に当たっているはずだ。

生徒会では今繁忙期に突入し、卒業準備に追われている。

だからか、泉美ちゃんがこの場にいないお兄様にぶちぶちと文句を言っているが、咎めるほどの物でもなく、ほのかちゃんも仕方ないよ、と苦笑気味。

まだ時間に余裕はあるけれど、こういうのは早めに準備し終わらせたいところ。

今の内から手配をじゃんじゃん進めていきましょう!と作業を初めて一時間もしない頃にその凶報は入った。

ピクシーがモニターを動かし、速報として流れたニュースを映し出す。

映像は映らなかったが、テロップには二高の生徒が反魔法主義者と衝突、怪我人が出たとの情報が。ただしこれ以上の詳しい情報は無かった。

すぐさま教員に状況を訊ねると、学校同士で連絡を取り合い確認中とのことだった。

生徒には速やかに集団で下校する旨が通達され、校門に生徒たちがぞろぞろ向かって帰宅する様子がうかがえた。

巡回しているお巡りさんに連絡を取ったら今のところ周辺に怪しい人は見られないとのこと。駅までの道の警護お願いします。

そして、第二報は教員経由で二高からもたらされた。

 

「襲われた女子生徒は無事、けれど犯人サイドに酷い怪我を負った者が一名、他は確認中…あまりいい状況とは言えないようですね」

 

残念ながらこの事件は忠告程度では避けられなかったらしい。

この頃には風紀委員長の吉田君と雫ちゃん、それから香澄ちゃんも集まっていた。

 

「生徒会からも二高へ連絡を取ってみましょう。水波ちゃん」

「はい、音声会議の回線で連絡を入れます」

「お願いね」

 

そんな話をしている時だ。生徒会室の扉が入室資格を持つ人間によって開けられたのは。

 

「お兄様」

「達也さん?!」

 

ほのかちゃんが驚きの声を上げる。

今日はもう戻ってこないと思っただろうからね。

 

「二高の事件を聞いて戻ってきた」

「現在一高は全校生徒に帰宅指示が出たところです。残っているのは生徒会役員と風紀委員の一部。一高周辺で不審者の目撃等なないとのことです」

 

一高の現状を伝えるとお兄様は頷いてからあちらの詳しい状況は、と尋ねられた。

先ほど仕入れた情報をそのまま伝えると、少し険しい表情に変わる。お兄様も最悪の事態を思い描いたのだろう。

 

「会長、回線が繋がりました」

 

ここは生徒会室なので水波ちゃんが律義に会長と呼ぶ。おかげでこちらも気を緩ませずに済む。有難い配慮だ。

頷いてからマイクに話しかける。

 

「第一高校生徒会長、司波深雪です。第二高校さん、聞こえますか?」

 

あちらに誰がいるかはわからないので、大雑把に声を掛ければ聞き慣れた、それでいて聞き惚れたくなる声がスピーカーから流れた。

 

「第二高校生徒会副会長、九島光宣です。音声はクリアに聞こえています」

 

今日はお仕事モードなのね。声にいつもの甘さは無い。それに…ちょっと気落ちしてる?とりあえず京都で一緒だった吉田君もいる。話し方を崩して話しかける。

 

「光宣君、貴方が二高の副会長になっていたのね」

「はい、副会長みたいなものですが。ところで深雪さん、テレビ回線に切り替えませんか?」

 

知っていたけれどね、皆に聞かせるように情報を共有しながら水波ちゃんに目配せをし、切り替えてもらう。

大型スクリーンに光宣君の美貌が映ると、息を飲む音が聞かれた。

そこに異性の壁などない。性別を超越した美しさには声も出ないものだ。

 

(うんうん、うちの子の美人さん度は世界一!)

 

母として鼻が高いです。

その光宣君は私の隣にお兄様がいることに驚いたみたい。ちょっと目を見開いてガン見してますね。

捜索隊に参加してるはずだものね。何故学校に、と思われても仕方ない。

でもそのことを口には出さない。余計な詮索をしない、よくできた子です。

 

「早速ですけど、九島副会長。御校の生徒が暴行され掛かったという事件の経緯を教えていただけませんでしょうか」

「はい、司波会長」

 

落ち着いたトーンで説明された内容は、これより一時間前、一年女子生徒が学校から駅へ向かう途中、二十代と思われる男性6人に囲まれたところから始まる。

男たちは『人間主義』の教義を説いてきたのだそう。

「奇跡は神にのみ許された御業であり、神が定めた自然の摂理を神ならざるモノが捻じ曲げるのは悪魔の所業である。人は、人に許された力でのみ生きなければならない」というあれである。

本当、神も悪魔も人の都合で勝手に使われて大変だね。

この世界の神はそんなもの望んでませんよ。最終的にお兄様が幸せを掴み取る世界なんだから――とは私の願望か。まだ原作完結してなかったものね。高校生編が終わって次のシリーズがいくつも始まっていた。スピンオフも多く、サイドストーリーも充実していた。

神様の頭は一体どこまでお考えなのか。計り知れないが、きっとお兄様はどんな敵にも負けない強さで試練を乗り越え、最後には笑っていることだろう。期待してますよ、先生(神様)!

 

(とは言ってもこの世界はすでに神様の道筋から外れているのでその恩恵は与れないだろうが、お兄様は私の手で幸せにしてみせるので!)

 

ついつい神様について考えてしまったが、今はそこに注目するべきではなかった。

 

「その生徒は気丈に「どいてください」と何度も叫びましたが男たちは包囲を解きませんでした」

 

そこで女子生徒が携帯端末の防犯ブザーを鳴らそうとしたところで、男たちは阻止しようと掴みかかり、もみ合いになったところを他の生徒が発見。助けに駆け付けたのは男子生徒四人。

女子生徒を助けようと乱入しようとするが、成人男性の、それも明らかに武道経験者を思わせる体格、そしてまさにその通りの動きに彼らは逆にぼこぼこに伸されてしまったらしい。

二年生が殴り倒され意識を失った姿を見た女子生徒が魔法を行使、人間主義者の男たちを無力化した、とのことだった。

 

「怪我の具合はどうなのです?」

「二年生が鼻骨骨折、鼓膜破裂、肋骨亀裂骨折、多数箇所に内出血、内臓にもダメージを受けているようでかなりの重傷です。一年男子は鎖骨骨折が一名、脳震盪が一名。こちらは後頭部を激しく打たれていますので精密検査を受けさせています。もう一人の男子と女子は目立った外傷はありません」

 

これだけでも十分被害が大きかったと窺えるが、光宣君の表情が晴れないのには理由がある。

 

「相手は?」

「使用した魔法は「スパーク」と「プレス」。スパークの影響で不整脈が出ている者が一人、一人が転んだ際に頭を強打し、口の中を切っています。歯も一本、折れ掛かっているそうです。こちらはプレスで抑え込んだ際の打ち身と擦り傷です」

「犯人側が酷い怪我を負ったと聞いたのですが、二高生の方が重傷なのではありませんか?」

 

この指摘に光宣君は苦笑いを浮かべた。うん、美少年の笑みはどんな類いであっても麗しいね。

 

「魔法を受けた直後の不整脈が酷かったみたいで……。今は元々高血圧で不整脈が出やすい方だったとわかっているんですが、検査するまで電撃傷がどの程度か不明だったために『酷い怪我』という話になったんだと思います」

 

…これもあちら側の狙いだったのかな。

どうにも二高の生徒はスパークを使うことが多い傾向があるみたい。光宣君も使ってたしね。学校ごとに魔法の特色が出る。一高はあまりそういった偏りは無いけど、憧れの先輩の魔法が使いたい、という傾向はどの学校でも見られる。

 

「それなら、その一年生が過剰防衛を問われる心配はなさそうですね」

「今、会長ともう一人の副会長が先生と一緒に警察へ行っています。その辺りは会長たちが帰ってこなければ確実なことは分かりませんが、恐らく問題ないでしょう」

「そうですか。では会長さんがお戻りになったら結果だけでも教えていただけませんか。メールで結構ですので」

 

そう伝えたら光宣君の瞳が若干揺らいだ。

電話じゃだめなの?という噴出しと共にお耳が垂れた幻影が見えた気がしたが、それも一瞬。今は生徒会役員としての立場を思い出したのだろう。

 

「わかりました。僕の方から、メールでお知らせします」

「お願いします、九島副会長」

「はい、確かに。では司波会長――いえ、深雪さん。失礼します」

 

あらあら、ちょっと寂しかったのか、切る際にはせめて役職を外したかったのかな。

 

「ええ。光宣君、ごきげんよう」

 

名前を呼ぶとぶんぶん尻尾が揺れてました。

口元にも笑みが浮かんだのでこちらは大変。ざわっと空気が揺らぎました。

お兄様は何ともないんだけどね、なんか意味深な間柄に見えましたか?こんなもんじゃないですよ、家で会話している時は。水波ちゃんが淡々とスクリーンやコンソールのお片付けをしてました。ありがとね。

その途中、「あっ」と水波ちゃんが声を上げた。

どうしたのかと見つめると、別件ですが九島副会長よりメールが届きました、とのこと。

見れば、せっかくもらった忠告を活かせず申し訳ありませんでした、との謝罪文が。

このこともあって落ち込んでたのか。直接言葉にすることは背後の生徒会役員にも責任を負わせることになるから個人として謝罪したのかな。

光宣君のせいじゃないのに、と苦笑すると、またざわわ、と空気が動く。…何やら楽しそうなことを考えてそうだね。

 

「わざわざ一高からの忠告を活かすことができなかったことへのお詫びが送られてきたのよ。副生徒会長とはいえ一年生の彼に責任は無いのに。――悪いのは暴力沙汰を起こそうとした反魔法主義の人たちだわ」

 

そして、それを裏で操っている黒幕おじさんだ。

怒りを面に出さないようにしていたけれど、お兄様は気付かれたのか肩に手を置かれて宥められる。

すっと、気持ちを切り替えてお兄様の手に添えるように手を置き大丈夫、と微笑みかけて再度生徒会長としての仮面を付ける。

それだけで皆の気も引き締まった。

 

「今回の件、恐らく過剰防衛とは判断されないかと思われますが、罪にならずとも問題にはなるかと思われます」

「どの程度危険にさらされれば、のボーダーラインは明確な基準を定めるのは難しいだろう。最悪の場合、実際に被害を受けなければ魔法による抵抗は許されないと言い出す裁判官が出てくるかもしれない」

 

というより、その議題はこの百年何度も行われてきた。だからこそ、こうして魔法師たちは厳重に法によって抑圧されてきた。限られた条件でしか魔法を行使してはならない、と。

 

「司波先輩、それは余りにも無茶苦茶ではありませんか?もしそんな理屈がまかり通るなら、結局魔法師には自己防衛の権利が無いという結論になってしまいます」

 

泉美ちゃんの反論もわかる。だが、魔法師とはマイノリティな存在。多数決の上で圧倒的不利な立場にある。

 

「魔法以外の手段で自衛すればいいというかもしれない」

 

雫ちゃんの意見に、泉美ちゃんは何も返せなかった。

そう、魔法には魔法を、素手には素手を。…なんて、襲われた時にそんな悠長なことを言ってられないだろうに。

それとも魔法師たるものそれに備えて皆武術を身に付けろって?そんなことをしたらしたで文句を言うのだろうね。子供を軍人に育てる気か!?とかなんとか。何をしたって魔法師の優位を許さないという運動は必ず起こる。

 

「とりあえずこのことは生徒たちにも連絡しましょう。そして再度、注意を促しましょう。駅に近ければ駅へ駆け込む。学校に近ければ学校へ。とにかく囲まれないことだわ。彼らも警察がいるところでは騒ぎを起こさないでしょうし」

 

現段階できることはこれくらいだ。――あとは、月曜日にどう動くか。

 

「さ、皆も今日は早く上がりましょう」

 

今日は生徒会も店じまいです。早く帰宅して家族を安心させてあげてください。

 

 

――

 

 

帰宅までお兄様は一緒だったが、その後ミーティングの為外出していった。お忙しいったら。

それから情報をいくつかチェック。

二高の話はデモ行進に比べて関心度がはるかに高く、議論も交わされていた。

ここぞとばかりに反魔法主義が息を吹き返し、魔法が如何に危険なモノかを訴えていた。

だが、生徒たちの怪我の状況も明かされると、これだけの怪我を負うような暴力を揮う男たちに危機感を覚えて魔法を行使することは果たして悪いことなのかという意見が出る。

こうなると膠着状態だ。結論の出ない水かけ論が展開されて有耶無耶に終わった。

ネットも似たような流れだが、数は多くとも皆張り付けたように同じことを繰り返しているのでコメントの力が弱く見えるようだ。

まあね、いくら魔法が怖いといっても未成年を男たちが囲んでぼこぼこにしたなんて、どう考えてもそっちの方が悪い。

何か仕掛けられたわけでもなく一方的に因縁をつけて襲っているわけだから。

 

(できることなら、この暴行事件は回避したかったところだったのだけど)

 

そのために一高の制服を着て派手に立ち回ったというに、流石にすべて順調にとはいかない。

これは強制力なんかじゃない。黒幕おじさんの焦りを読み切れず人間主義者を煽らせてしまった結果ともいえる。

京都周辺は元々反魔法意識が高く、その上大亜連合らが侵食していた土地。火種は作りやすかったことだろう。

この件を扇動したのが直接黒幕おじさんとは限らず、手駒と言える近江やら他朋友と呼ばれるあちらの国縁の者たちかもしれないけど、首謀者はどっちにしろおじさんだから。責任はきちんととってもらおう。

 

(ただの海の藻屑になんてさせない)

 

すでに黒幕おじさんが首謀者である証拠はわずかにだが上がってきている。魔法というあやふやな証拠ではない。そんなもの、いくら訴えたところで魔法師にしかわからない。それではだめなのだ。世間を納得させること、それが今回の任務の一番の肝だから。

だからこそ、警察組織を交えて捜査を行っている。

軍も、協力してもらっている。

 

(黒幕おじさんが見当はずれな復讐を掲げているなら、こちらは前世からの復讐を誓っている)

 

こんな男のせいで、お兄様が今後苦しむようなことがあってはならない。

 

(だからこそ、その苦しみはここで絶つ。今はそのために多少犠牲を払ってでも前に進まなければならない)

 

この先のことを予測しながら予定を組み立てていると、端末からメールの着信の知らせが入った。相手は、光宣君だ。

口元が緩むのが分かった。

そろそろお兄様も戻られる頃だろう。水波ちゃんのいるダイニングへ向かわないと。

私の第二ラウンドが、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

「実際に被害が出ているから、今回は正当防衛を認める、か」

 

微妙だよね。

あれだけ怪我を負わされたのだから認められて当たり前だと思うんだけど、「今回は」とつく辺り、風当たりは私が認識しているより多いのかもしれない。ネット記事やテレビにより世論もそっちに流れてたんだけどな。

それとも法曹界の重鎮にも政治家同様援助受けてる人います?あちらも政治家先生と繋がりもあるからその流れを汲んでのこともあるのかもしれない。

後は、法が曖昧過ぎる点もある。

これまで魔法師が公権力の道具として使われてきた歴史的経緯があるからね。現行の法が曖昧な文言で作られている。

社会的秩序の維持と災害防止のため、なるべく魔法を自由に使えるようにしたいという行政府の思惑が背景にあって、こういう曖昧な規定になっているのだ。

だって、津波が迫っているのに手続きしないと魔法使えません!じゃ何も守れないもの。

使える物は使って秩序と国を守りましょう、というのは大雑把すぎるけど大体そんな感じだ。

それでもかなり厳しく制限はされてるけどね。だからこそ、今回のような事案が起きた。

三人ともしばし沈黙が流れたが、この問題は四葉だけで解決するものでもない。

丸っと大人たちに丸投げしよう、という話で落ち着いた。

 

「いよいよ一高(うち)が狙われる可能性が高まりましたね」

「…二高は様子見で、本命は一高か」

「報告がありました。逮捕者の中にエガリテのリストバンドをしている者がいたと。エガリテ、ブランシュは表向き根絶されたとありましたが、形態を変えて生き残っていた――人間主義者に交じって。彼らの背後には今回の首謀者がおります。そして首謀者の一番の狙いは――」

 

四葉には何とかして一泡吹かせたいだろうからね。それに私個人もあの男のテロ計画を妨げた原因でもある。

 

「あちらが表立って四葉だからと襲ってくる可能性自体は低いかもしれません。狙いはあくまで魔法師ですから。四葉だからとあからさまに狙えば、そこから足が付く可能性も考慮するでしょうから」

 

そこで一旦言葉を切って、スッと姿勢を伸ばして。表情も淑女の笑みを浮かべ――宣言する。

 

「私が相手をします」

「それは駄目だ」「危険です!」

 

二人が猛反発の姿勢を示した。

まあ、そうなるだろうとわかっていたけれど、だがこれが一番被害が少なく手っ取り早い。

 

「お兄様には予定通り巣穴を一つ潰してきてもらいます。相手の逃走経路を一つに絞るために必要な工作です。そして水波ちゃん、貴女にはもし対立する場面になった際は一時的に離れてもらいます――足手まといになりますから。貴女まで庇いながらは難しいでしょうし、私も集中ができません」

 

この言葉に水波ちゃんはこぶしを握り締め俯き、お兄様は表情を消してじっとこちらを見つめていた。

足手まといなんて言わずに、集中するため他の人を守ってほしいと言うこともできた。でも、それだと水波ちゃんは引き下がらなかっただろう。

 

「お兄様には潰して来たらすぐに戻ってきてもらいます。――かなり無茶なことをお願いしますが、」

「深雪を護衛してから潰しに行くのでは駄目なのか?」

「一高への襲撃がすぐに来るとも限りませんでしょう?それに首謀者に隠れ家潰しが察せられたら困るのです。事が起こる前が最善です」

 

これであちらに追い込んでいることが察知でもされて先に巣穴に潜られ姿をくらませたり、何らかの補給をされたら困るのだ。

本来なら任務を終えたら戻って来い、なんて付け加えない方がいい。でも、お兄様の心情を思えばそれがギリギリラインと思われた。妥協してもらえるギリギリのライン。

 

「……」

「それに、今日聞いた限りの人間主義者たちなら、私一人で一捻り(・・・)であることはお兄様もお判りでしょう?」

「だが、今回と同じ戦力ではないのだろう?」

 

まあそうなるだろうね。こちらが本命なのだから。どんな手を使ってでもこちらの不利な状況を造り出すだろう。

 

「エガリテがいるのでしたらアンティナイトを使用する可能性があります。彼らは一高襲撃するために準備していましたから、貴重な石であっても彼らには用意する伝手があるはずです。私でしたら難なく耐えられますが――水波ちゃん、貴女には堪えることはできても、影響を無視することは無理ね?」

 

水波ちゃんは悔しそうに俯いて小さく頷いた。

水波ちゃんだけでなく大抵の魔法師には難しいはずだ。キャストジャミングを食らった状態では想子感受性の高い者にとっては立っているのも苦しい状態に陥る。

そうでなくても魔法を使っている状態では妨害の影響をもろに受ける。

常駐型の魔法を得意とする水波ちゃんにとっては最悪の妨害アイテムであった。

お兄様も懸念していたけれど、四葉の人間だと公表されてしまっている現在、私が非魔法師に魔法を使うことは立場上よろしくない。たとえ相手に知られていなかったとしても、調べればすぐにわかることではある。

それをニュースに取り上げられようモノなら二高の騒ぎどころではなくなる。

だが、私には秘策があった。

だからこその案だったのだが、二人の空気は澱んだままだ。

主を危険に晒すなんてガーディアンとして許しがたいことなのだろう。

でも、これは呑んでもらわないと困るので、条件を追加する。

 

「もし、私が傷を負ったのならお兄様は構わず好きになさってください」

「…それは絶対に傷つけられないという自信がある、ということだね」

 

100%なんて無責任なことは言えないけれど、切り抜けられるよう動くつもりだ。

でももし万が一、私が傷つけられるようなことがあって、現場に間に合ってしまった時の為に釘は刺しておかないと。

 

「私が魔法を使わなくてもお兄様が使っては意味がなくなってしまうことをお忘れなく」

 

いくら好き勝手動いていいと許可しても、魔法を使ってこない相手にこれをやったら水の泡だから。

お兄様だって四葉の直系の子息だと公表されたのだから、私だけでなくお兄様も魔法は制限される。というかお兄様の場合元々制限されているんだけどね。

…まあ、お兄様ならフィジカル能力も十分高いので魔法を使わずノックアウトなんて簡単だろう。原作のあのお怒りシーン大好きでした。

見られないことは残念だけど、お兄様をキレさせることも事情聴取される必要もないと思うので。

私が折れないというのが分かったのだろう。お兄様が目に見えて落胆を見せた。

それに対し、譲ってもらったことに申し訳なさも感じつつ、甘やかされているな、とも感じるわけで頬が緩んだのがわかる。

 

(きっと、お兄様のことだから俺がすべて守ればいい、と結論に至ったのだろうけど)

 

お兄様に苦労を掛けてしまうけれどそれも今しばらくの辛抱だ。

ここさえ、この師族会議編を黒幕おじさんの好き勝手させないで終わらせることができれば、この先のお兄様の苦労は大分緩和されるはずなのだ。

…完全に、と言えないのはお兄様が主人公の世界であり、たとえ敷いたレールを外れたとしても神様に掛けられた呪いは健在のはずだから。

今までも風紀委員でないのに何かしらのイベントが発生していたようなのでね。きっとお兄様はトラブルの女神に愛されるはずだ。

 

「お兄様にも水波ちゃんにも心労を掛けることでしょうが、私のすることを見守っていてください」

 

今回の件、二人には辛い任務となる。

それだけ大事にしてもらっていることは重々承知しているから、しっかりと頭を下げてお願いし、二人はしぶしぶ了承してくれた。

 

「ですが、危険と判断しましたら私も前に出ます」

 

…水波ちゃん、結構過保護だからすぐ危険って判断されそう。以前お庭の剪定作業中薔薇の棘でさえ危険!ってあわあわされた思い出。

圧倒的に制圧した方が良さそう?…事前に余裕ないように見せる演技をすることは伝えておこう。実際余裕ない時は笑みを浮かべますからね。ピンチな時ほどふてぶてしく笑うものなのですよ!オタク、よく知ってる!

 

「こちらも即片付けて戻るから、それまで無茶をしないでくれ」

 

…できればお兄様には間に合ってほしくないのだけど。

距離的にかなり遠いはずだからどれだけ飛ばしても下校時刻には間に合わない筈なんだけどね。なんだろう…これは盛大にフラグが立った予感…?

 

「あまり無理をしてスピード違反で捕まった、なんてことはだめですよ」

「そんなへまはしない」

 

ちゃんと検知されないところを走るさ、じゃありませんよお兄様。こんなことで藤林さんのお力に頼るとかダメですからね。あちらはあちらで忙しいのですから。

それからもう少し作戦会議をして夜は更けていった。

 

 

 

日曜、千葉寿和がターゲットの屋敷から出てこないという報告が上がった。

 

 

――

 

 

月曜は朝からお兄様の様子が違っていた。

言葉には出さずに、けれど本当は離れたくないのだと言わんばかりに、触れるだけのキスなのに名残惜しそうに離れていったり、ハグをする際も力が強く、手を握っては指を絡ませ等々無言の主張があったが、そのたびにこちらは罪悪感を覚えながら申し訳ないと眉を下げて微笑むだけしか返せない。

水波ちゃんもいつもならお兄様へ注意をするのだけれど、今日はお兄様側なのか私が折れるように祈っている節が見えた。

…うん、折れませんよ。どんな攻撃をされても屈しませんからね。

だからそのような捨てられた子犬のような瞳で見つめないでくださいませ!決心が揺らいでしまいます!!

とまあ、朝からこんな攻防がありつつ、あっという間に放課後。

お兄様は大っ変!これまた名残惜しそうに任務に向かわれたのが印象的。

行く時も後ろ髪引かれるように振り返ったのち、さっさと任務を終わらせるためにダッシュで帰宅していった。

…生徒たちが何事か、と振り返っていたけど気にも留めずに風のように走り去っていきました。

一応魔法は使ってないので身体能力のみなんだけどとんでもないスピード。スポーツ選手も真っ青な速さ。

運動部がキラキラした目で見てますが、お兄様は部活動に参加しませんよ。

と見送ってから、先週できなかった卒業式の準備をしましょうかね。

役員が揃ってから新たに作業を分担し、作業開始。生徒会役員とはいえ今は物騒ですからね、学校側から残業は禁止のお達しが。無理も無いね。

だからこそ効率的に行きますよ。

 

 

 

水波ちゃんと泉美ちゃんを連れて行く予定の時刻よりも作業を早く終わらせたので、少し準備があると席を外してピクシーの元へ。

あ、そういえば記者の人だけど、学校の話を校長と教頭から聞いて、教頭に学校の防犯システムの話を聞きながら校内を回り、時間があれば生徒会にも話を聞きに来るんだって。

これを聞いた時、「時間的に押して生徒会は取材させないかも」って思ったよね。四葉と七草という十師族の子供たちに変なことを取材されたら困る、と配慮されたかな。

 

「ピクシー、一時間おきにターゲットの居場所をこっそり確認することは可能?もし逆探知される可能性や、見ていることがばれそうになるのならこの話は無かったことにしてもらいたいのだけど」

「問題ありません」

「断言できる根拠は?」

「すでに定期的に、潜り込んで、おりますが、発見どころか、覗かれたことを、検知されて、いません」

 

…おおっとピクシーちゃん⁇なにやら知らないところで危険なお遊びしてました?

自分がどこまでできるか試していたのかな。ほのかちゃんもお兄様のお役に立ちたい、とかライバル()に並ばないと、と熱心に自分の得意分野を伸ばすことに余念がなかったから。

いや、それよりも驚くは固有名を言ってないのにターゲットであの黒幕おじさんのことだとわかったことがすごいのか?心を読まれたとかそんなのではなくこれまでの会話や文脈で理解したということよね?理解力までアップデートされてない⁇

 

「エシェロンⅢの、処理能力プログラムを、解析しました」

 

人を解析するのにプログラムを読んだ方が人間観察するより早く済んだらしい。

やり方を学んでから人を見たらある程度分かるようになったって。…この数日の成長が目覚ましいったらない。

とりあえずこの成長ぶりを褒めておく。

がんばったねー、えらいねー、となでなでしたらうねうね触手が元気に。可愛いね。もっと褒めちゃう。

 

「データは、深雪様の端末に、送りますか?」

「…そうね、必要になったら送ってもらうかもしれない。もし、追えなくなったり異常があったら――そうね、学校に忘れ物がある、とかメールを送って頂戴」

 

念の為のお兄様対策。見られても困らないようにしておいたほうがいい。

 

「深雪様、私でしたら、痕跡も残らず、通信することが、できます」

 

それは前回見せてもらったね。

ただ、これはもしもの時の為の措置だから。ピクシーがこんなことができるようになったからこそ思いついた、黒幕おじさんを万が一にも逃さない対策。

何も無ければそれに越したことは無い。だが、もし何か不測の事態が発生した場合、ピクシーの能力を誰にもバレることなく情報のやり取りが必要で、それを家でこっそりできてしまうとお兄様に怪しまれる可能性が出てくる。

四葉の情報部からと偽るにしても、紙の書類でやり取りしてるのにモノが無いと不審に思われるかもしれない。

 

「痕跡があればピクシーに会いにくる理由になるわ」

「……かしこまりました。メールで、お知らせします」

「ふふ、ありがとう」

 

得た情報はオフラインで見られるようメモリに入れてもらう指示をして、お願いね、と撫でていると泉美ちゃんから「ずるいです!」との声が上がった。

ええっと、泉美ちゃんも撫でればいいの?

 

「もう作業が終わったの?お疲れ様、泉美ちゃん」

「はい!頑張りました」

 

だから褒めてください、と頭を差し出してきたのでとりあえずなでなでするけど、末っ子の可愛らしいところが十分に発揮されてますね。甘え上手。

原作の時の恐れ多い!でも好き!!みたいな感じではないね。こう…隙あらば!みたいな強い意志を感じる。

 

「あら、水波ちゃんも終わったのね。じゃあ行きましょうか」

 

この後は一年生たちを連れて引き出物の手配に駅近くのお店まで。

来年は彼女たちが担当するでしょうからね。お勉強を兼ねてお使いです。

で、お店に向かう道中泉美ちゃんから質問を受けたのだけど、

 

「あ、あの!深雪先輩は光宣君とは親しいのですか!?」

 

どうやら昨日の会話の様子が気になっていたみたい。

 

「そうね、仲良くさせてもらっているわ。光宣君は可愛らしい上に、お兄様を慕っているようだったから初めから好印象で」

「…司波先輩を、ですか?」

「九校戦での活躍で注目していたみたい。二年の時には選手として出なかったことを残念がっていたけれど、お兄様が手掛けた選手が好成績を残していたのを見つけて憧れていたみたいで。話が盛り上がったわ」

 

ちなみにまだ憧れのトーラスシルバーがお兄様だということは明かしていない。

お兄様から時機を見て事前に明かすつもりであることを伝えられていたので、原作のようにあのような形で明かすことにはならなそう。恐らく、光宣君用に何か作ってから渡してネタ晴らしするつもりみたいで、お兄様も楽しみにしているようだった。

そのいつかが今からとても楽しみだ。光宣君、驚くだろうなぁ。

そんなことを考えていたせいか頬が緩みすぎ、水波ちゃんから注意を受けた。…すみません、通行の邪魔をしてしまいましたね。周囲の人が動きを止めてしまった。うっかり。気が緩みすぎてるね。この後のこともあるというのに。

 

「あ、あの!も、もしや光宣君に特別な想いを抱かれていたりなんてっ!」

 

そしてこっちにもとんでもない誤解をさせてしまったみたい。

 

「泉美ちゃん、落ち着いて。私はこれでも婚約者がいるのよ?」

 

どう答えたものかと思う困った質問だ。特別は特別だよ。可愛い息子なので。でもそんなこと更なる混乱を招くのが目に見えているし、かといって友人と答えるのも何か違う。

とりあえず恋愛ではないことを伝えようとお兄様のことを出してみたのだけど、これは逆効果だったみたいで。

 

「りゃ、略奪愛!?」

「…妄想力が豊かねぇ」

 

どういう発想でそうなったのかな。私と光宣君が仲良しなお話前提?これは誰が奪い奪われた話になるのだろう。

 

「とりあえず恋愛ではないから落ち着いて」

 

はじめからこう言えばよかった。失敗。

そうこうしていたらお店にあっという間に到着。

さて、これからは先輩としてカッコいいところを見せないと。

前世で培ったプレゼン力と伝達力で交渉といきましょう!

 

 

――

 

 

「とっても参考になりました!深雪先輩の雄姿、しかとこの目に焼き付けましたとも!」

 

いつもながらにオーバーな誉め言葉に、「大げさよ、でもありがとう」と返して三人仲良く学校へ戻ることに。

このまま帰ることもできるのだけど生徒会室に鞄を置いているからね。女子には何かと荷物があるのです。

泉美ちゃんが私を褒め、謙遜し、それに水波ちゃんがそっとそんなことございません、とエンドレス煽てタイムが続いてどうしたものかしら、と思っていた丁度その時、男の怒号が聞こえた。

待てよっ、とか、逃げるな!と複数の男たちの声。

顔を見合わせて走り出す。

今まで囲まれそうになったのは路地裏と聞いていたけれど、聞こえてきたのは大通りで、学校が見える場所。もう形振り構わなくなったのだろう。

逃げている生徒は忠告通り、学校へ逃げ込もうとしているようだった。

あと少し、というところで「捕まえたぞ!」との声に私たちは更にスピードを上げる。

二高の六人の倍、いや、三倍はいるだろうか。かなり大人数で取り囲んでいるようだ。

あと少しで門が見える絶妙に届かない位置。

カッとなって飛び出す泉美ちゃんを止める前に、集団を見据えながら水波ちゃんに口早に指示を出す。

 

「水波、ここからは名前を出さないように。隙を作るから彼女と生徒を連れて門の内側で警戒なさい。できるだけ門の近くまで引きつける。警備員には警察に知らせるよう連絡。非魔法師相手に魔法は禁止よ。それは警備員にも共有」

「ですが!あの人数では――」

「私を誰だと思っているの?私は、お兄様の」

 

妹なのよ、と言いたいが、水波ちゃんには従兄妹だということになっているものね。

 

「婚約者として並び立つ者よ」

 

これは命令だ、と念を押せば、彼女はかしこまりました、と言いたいことをすべて呑み込んだ。

お目目が納得いってないようだけどね。昨日の足手まとい、という言葉が効いているみたい。ごめんね。

 

「貴方たち、何をしているんですか!」

 

泉美ちゃんの凛とした声が響いた。

それにまた甚振る相手が増えた、とばかりに下卑た笑みを浮かべる男たちだが、泉美ちゃんを見ておい、と一人が声を上げた。

 

「あれ、七草家の」

 

泉美ちゃんに気付いた模様。

七草家はオープンだからね、未成年であろうとパーティーにも出席しているので面割れしている。だから常にボディーガードを付けているんだろうけど、今回学校行事関係だからか傍にいないようだ。これ怠慢っていわない?非常時だよ?

これでいいのか七草家、なんて気にしている場合では無いね。

私たちも追いついて、視線がこちらに向かう。

そして、うん。こんな時でも見惚れられる深雪ちゃんのパーフェクト美少女っぷりがすごいね。臨戦態勢の男たちが棒立ちになった。

泉美ちゃんも、こっち見てはにゃ~ん、じゃないんですよ。

見惚れていた男たちだが、目的を思い出したのか、気を持ち直し「一高の生徒会長だ!」と周囲に解説する男の声に色めき立つ。

うん、四葉はまだ一般に知られてないってことかな。こっちは簡単に調べられないようになっているから。

予想外だったのは、私が箱根のテロ事件に関与している話が出なかったこと。ネットでは一時晒されたのだけどね。この時代はすぐに消去されるけど、それでも九校戦のあの子では?みたいな話は広がっていたのに。そこまで調べてなかったのか。

でも彼らにとっては飛んで火にいる夏の虫だったみたい。今は絶賛冬なのにね。罠にかけられているのはそっちなのだけれど、気付けるはずもない。

男たちは囲っていた女子生徒を放置してわらわらこちらに移動してきた。ただの一般生徒より名のある生徒の方が彼らの計画にもってこいなのだろう。

囲われる前に泉美ちゃんが、

 

「何ですか、貴方たちは?!」

 

って。香澄ちゃんの陰に隠れがちだけど泉美ちゃんもなかなかに気が強い。

男たちはそれに答えることなく。

 

「罪深き邪法の使い手、その首魁の娘よ!」

 

うーん、あれだ。ブランシュの支部長だったという男もそうだけど、やたらと芝居がかった動きをする人がリーダーになりやすいのかな。こっちも自尊心が高そうだ。

 

「悔い改めよ!」

 

両手を広げて声高らかに宣言し、それに続けて男たちも「悔い改めよ!」と唱和する。…ここは学芸会の発表会かな?お金を払う気にもならない。――やるのなら私のように徹底的にやらないと、同じ舞台には上がれませんよ。なんて、上がらせるつもりも無いけれど。

 

「何ですって!?」

「落ち着きなさい、副会長」

「!!」

 

とりあえず泉美ちゃんはそのカッとなりやすい性格をちょっと抑えましょうね。

引き留めると、男たちはにやにやと自分たちの優位を疑わないような態度でゆっくり囲い込もうと動き出す。舞台俳優気取りかな。下にバミリでもあります?

 

「奇跡は神にのみ許された御業であり、神が定めた自然の摂理を神ならざる者が捻じ曲げるのは悪魔の所業である!」

 

それは自己紹介と取ってもよろしいのよね。それを唱えるのは人間主義者しかいないのだから。

ま、そんなわかり切ったことは良いか。

 

「わたくしはこの第一高校の生徒会長です。お話があるのでしたら伺いましょう。道を開けていただけますか?」

 

悠然と微笑みかけると、男たちはまさかこのような反応が返ってくるとは思わなかったのだろう、ぼう、と見惚れていた。その隙に水波ちゃんにハンドサイン、彼女が泉美ちゃんの手を取って走り出す。

まだ完全に囲まれる前だったので隙間があったのだ。そのまま恐怖で逃げることも敵わず動けなかった女子生徒の元まで走り、その手も取って門へと走っていくのを男たちも黙って見ていない。

 

「あ、待て!」

「彼女たちはまだ一年生、話を聞くなら上級生のわたくしにお願いします」

 

魔法など一切使わずとも、司波深雪という女の子は完璧な美少女。その声は天上の調べと評されるほど聞き惚れる美しさがある。少し懇願するように話しかければ男たちの足止めをすることくらい訳ないのだ。

門へ走っていくのを追いかけるべきかまだ迷っている男たちに、更に首を傾げて駄目でしょうかとダメ押し。

さらりと流れる黒髪と、切なげに揺れる瞳にけしてただの少女の物とは思えない色気もあって、男たちは完全に視線を奪われた。

ごくり、と生唾を飲み込む音もしたが、そちらは完全に無視をする。

水波ちゃんたちが無事門にたどり着いたのを確認してから、私はゆっくりと歩き出す。

 

「、どこへ行く気だ!?」

「ああ、失礼しました。ここでは皆様が不安でしょうから移動をしようと思ったのです」

「不安…?」

 

正常に頭が動き出したのだろう、相手の目が次第に鋭いモノに戻っていく。

 

「先ほどの文言、皆さまは人間主義を掲げている同志の方々なのでしょう?皆様からしたらわたくしのような魔法師は神の御業を盗人猛々しく使う悪の使い。で、あるならば、いつ魔法を使われるかわからない状態でお話は難しいでしょうから、魔法式が発動したら警報ブザーが鳴るエリアでお話した方が安心でしょう」

「そ、そんなことを言って俺たちを騙すつもりか!この邪法の使い手が!!」

「魔法科高校には、魔法師にとって貴重な資料もありますので、このような警報装置が設置されているのです」

 

街中にも同じものがありますでしょう?と言えば、男たちは顔を見合わせて顔を歪ませた。もちろん魔法を使わせる前提なのだから彼ら自身感知センサーを持っているだろうけど、個人で持つタイプより精度はこちらの方が上だ。

わざわざ窮地に立とうとする美少女を嬲る算段でも付いたのかな。わかりやすいね。ブランシュの人たちと変わりないレベル。

だけど、違うのは武器かな。一応この人たちの手にはあの時あったような銃火器は無い。魔法大学を教訓に武器らしいものは持ち込まないようにしていたのかな。それともエガリテなどの過激派とは違う人間主義者としての抗議、ということにしたいのか。

センサーが鳴る位置、つまり校門側に立ち塞がるように、男たちが群がった。

話をするのに女の子を集団で囲まないと話ができないなんて、どれだけ小心者なんだろうね。

 

「貴方が、皆様のリーダーでいらっしゃいますか?」

 

囲まれて、表情を強張らせつつも、毅然と対応してみせる健気な生徒会長を演じ中。

今のところ刃物とか武器は見えないからね。指輪をしている人は見つけたけれど。

さっき朗々と語っていたふんぞり返っている男に問いかければ、にやり、と笑って見せるのだけど…うん、どうしてこんなに道化師くさいんだろうね。

 

「魔法師などと名乗っているが、お前たちは邪法使い、悪魔の力を使っている!邪法は滅ぶべし!」

「「「「「「滅ぶべし!」」」」」」

「悔い改めよ!」

「「「「「「悔い改めよ!」」」」」」

 

四方八方から大声出されるってそれだけでストレス。恐怖を煽りつつ威圧しているんだろうけど、ごめんね、叔母様の静寂の中落ちるふぅん、とかへぇ?の方が恐ろしいし威圧感半端ない。

でも、ここは怯えておかないとね。

 

「…生まれ持ってしまった力を無くすことはできません。わたくしたちは力を正しく使うため学校に通っているのです。人の役に立てるため、魔法を使うのです。それは悪いことになるのでしょうか」

「奇跡は神にのみ許された御業であり、神が定めた自然の摂理を神ならざる者が捻じ曲げるのは悪魔の所業である!」

 

おっと、アドリブは利かないの?文言が繰り返される。

というか単に話を聞く気が無いんだろうね。

 

「話し合いで解決できないのでしょうか?」

「邪法の使い手に耳を貸すことなどない!」

 

話し合いなんて初めからできる耳を持ってないって。ま、そうだろうけど。

男はおもむろに手を上げて、

 

「邪法の徒に罰を与えよ!」

 

一気に振り下ろす。すると両サイドにいる二人ずつの男、計四人がこちらに向けて手をかざす。

その手の中指には真鍮色の指輪が光っていた。

 

「まさか、アンティナイト!?」

 

驚愕の声を上げ、怯えた表情を浮かべる姿に、男の顔に愉悦が浮かぶ。

 

「天罰!」

 

それが合図だったのか、彼らの手からキャストジャミングのノイズが放たれる!

 

(…一人の少女に4つは流石に多いでしょうよ!一つでさえ吐き気を催すレベルなのに)

 

胸を押さえて身を屈める姿に、男たちが「見よ!罰が下ったのだ!」と歓喜の声を上げている中で、さてどうしたものか、と次の計画にどう移るかを考える。

このノイズ、感受性が強いと効きが激しいんだけど、感度を下げてしまえばただの雑音レベル。

私は日々感度の調節をしているのでほとんど下げてしまえばこの程度大した問題にはならないのだ。

ええ、頑張りましたとも。原作でも深雪ちゃんは抵抗力が強いから大した影響は無かったようだけどね。不快!ってくらいで。でも今の私はせいぜい不快だなぁ、くらい。煩わしいとも感じない。梅雨のじめじめさを不快に感じるレベル?

だから思考が妨げられないのだけど。

 

「…、あ、アンティナイトを使うには…っ、サイオンが必要に、なります」

「!」

 

苦しみ、息も絶え絶えに顔を上げながら訴える声に、一部男たちが動揺した。

彼らは知っているのだ。

それをこのように使うことの矛盾を。

 

「魔法師になれるレベルに達していなくとも、魔法を使える人は――」

「黙れ!この悪魔が!」

 

そうなんだよね。キャストジャミングするためにはアンティナイトにサイオンを注がなきゃいけない。

サイオンという情報素子は何処にでもあるし、生きとし生けるものの身体にはサイオンが巡っている。

アンティナイトという道具は魔法師でない人間でも、魔法師に対抗することができる最強の武器。魔法を使えない人間でもほぼ確実に魔法の発動を妨害することができる先史文明の遺物とされている――が、石があるからと誰でもすぐに使えるものでは無い。いくら練習をしても全く使えない人間もいる。

使えるようになったとしても使用回数が限られる。なぜならアンティナイトを使うためにはサイオンが必要になるから。

恐らく一、二回しか使えない人が、魔法に適性の無い非魔法師に分類される、彼らの言う『人間』なんだろう。

だが、この四人は同時にキャストジャミングを仕掛けた。休憩を挟まずかけ続けることができる、サイオンを集める術を知っている――魔法師に成り切れなかった、二科生にもなれなかった、わずかに使える人たち。

九割は非魔法師の世界といっても、その非魔法師の中にはこういう人たちも含まれている。

この頭に血の上ったリーダーの男も、そうなのかもしれない。

魔法師に手の届かなかった、なりたくてもなれなかった、人。だからこそ、魔法を憎み、魔法を使う魔法師を憎んだ。

自分の持てなかったものを持っている者が憎くて――堕ちた。

中央で苦しむように体を屈める私に向けてリーダーが再度手を振り下ろしたのを見て、周りの男たちは前に出て手を伸ばしてきた。

彼らの目的はただの暴力ではなく、魔法を使わせること。

そしてそれで傷けられたことを大声で叫び、魔法師はすぐに魔法を使い、人を攻撃する危険なヤツらなんだと訴えるために攻撃をする。

揮われる拳は女子だとか関係なしに手加減なく傷つける目的で向けられたもの――本当、水波ちゃんが居なくてよかったよ。

 

ぱんっ――ど……

くいっ――「ぅおっ?!」「ぐぅっ!」

 

「は…?」

 

男が二人、ほぼ同時に折り重なるように地面に転がった。

なお、拳を向けられた私はふらふらと体調悪そうにしながらも立っている。

暴力に屈し這いつくばるはずの少女が立っていることにリーダーの男が理解できないとばかりに音を漏らした。

 

「な、なにをした!?魔法を使ったな?!」

 

そう男は吠えるが、警報ブザーは鳴らない。当然彼らの所持しているセンサーも動かない。

この警報ブザーは一般的に流通しているモノであり、彼らもこれを違法に改造できないことを知っているのか、ばっと警報器を見たが何の反応も示さないのを見ると顔をこわばらせていた。

そして私に向く視線はまるで、奇妙なものを見るようなものへと変化した。

さっきまで悪魔だ邪法の使い手だと言っていたのに、今度は化け物扱いだろうか。上等だ。

 

「ブザーが鳴っていないのです…魔法でないことは、お判りでしょう…。わたくしは、魔法を使われた場合に限り、魔法を使います…」

「そんなはずはない!何か特殊な魔法を使っているんだろう!」

 

とんだ言いがかりだ――と言いたいところだが、四葉には――四葉だけでもなく暗躍を得意とする者は、このブザーを誤魔化す魔法があったりするので一概に否定できない。まあ、今は使ってないのだから言ってもいいんだけど。

男は魔法を使われたと決めつけ天誅!と号令をかけた。その声に男たちが動き出す。

体格のいい、何が武道をしているだろう男たちが二人、動きからボクサーだろうか、ステップを踏みながら拳を突き出されるのを手を添えて軌道を逸らすと、腕を絡めるようにしてえいやっと力をそのまま利用してくるっと回して、もう一人向かってきていたこっちは…空手家かな?威力のありそうな突きの真ん前に送り出す。

ちょっとしたダンスのような動きになったけど、これがピタゴラ的にタイミング良くジャストミート。大の男が悶絶するような拳、こんなか弱い女の子に向けたら骨折どころじゃすまないんじゃないかな?

その怯んだところにもう一人突っ込んできた人を――今度は柔道家かな?掴みかかろうとされたのでその手を肘の外側から弾いて逆一本背負いのように腕を捻ると、危機感を抱いた男が慌てて腕を引こうとしたのを利用し、パッと腕を離してもう片方の無防備になった腕を以て正常な一本背負いの形に持っていき、最後に腕を離して突き飛ばすと空手家の男にぶつかり昏倒。

手を離すタイミング結構難しいんだよね。でも、相手が逆に投げられ慣れてる人だからこそできたこと。すぐに体を離して受け身を取ろうとするから隙が生まれやすい。

 

「はぁ…はぁ…っ」

 

いけないいけない。まだキャストジャミング向けられてた。

 

「……合気道、なのか!?」

 

ああ、うん。ようやく気付きました?

気付いたらしい男はリーダーではないが、この人も何らかの格闘術をやっているんだろうね。間合いを取られた。

 

「な、なんだって魔法師が格闘武術なんかっ…」

「…個人的な、理由です…」

 

息が上がりながらもなんとか答える。

 

「…魔法師関係なく、幼い頃から誘拐されそうになってきましたから…」

 

だから、護身術を身に付けたのだと。

男たちからはすぐ納得の空気が流れた。まあね、この容姿だから犯罪者に狙われるのもわからないでもない、と思われたかな。正解。変質者は何処にでも湧く。そして他人事のようだけど、貴方たちも現状そうだからね?

 

「っ、だが弱っている!今の内だ!」

 

倒れていた男たちも、ただ倒しただけだからね。味方の技を食らった人は動けないみたいだけど、私に転がされただけの人はすぐに立ち上がれる。

すでに一度食らっているから大丈夫だと思っているんだろうけど、私の護身術が合気道だけなんて言った覚えは、無い。

呼吸法を変えて立ち方も半身の構えにする。

カウンター技に特化したカンフー、截拳道。

流水のように攻撃を受け流し、点と呼ばれる弱点を突く。打撃はどうあってもこの体では弱いからね。所謂ツボを穿って痛みを与えていくのが私のできる打撃だ。

そして投げ。今度は地面に着く前に受け身を取れないよう体を崩す。そうすると地面に叩き付けられた時に体から空気が抜けるほどの衝撃を与えられる。

関節技は――手首を決めてから逆方向に捻るとね、ちょっとの力で大の大人でも悲鳴が上がるんですよ。痛いよね。このまま人間ボーリングで攻撃してくる人の妨害お願いしますね。

と、こんな感じて立ち回ったらあっという間に立っているのは5人だけになった。ジャミング班とリーダーだ。

さて、どう出てきます?一応こちらは息も絶え絶えで胸を押さえてふらふらしている美少女一人ですよ?

ジャミング班がリーダーの顔を窺っている。

流石にリーダーの男もこの状況は想定外過ぎたらしい。頭を掻きむしってから懐に手を伸ばし――銃を取り出した。

 

「このアマぁ!計画をめちゃくちゃにしやがって!」

 

あら、もうクライマックスです?確か原作ではスタンウィップや警棒なんか出てきませんでしたっけ?

お兄様と違い、女子生徒一人だと出すまでも無いと油断してたからそれらが出てこなかったんだろうと思うけどね。

地面に転がっていた男たちもその姿に驚愕している。

ジャミング班なんて、うそだろ?!という表情でリーダーから距離を取った。銃のような違法武器を出すなんて思わなかったらしい。

それでもこっちにアンティナイト向けたままだからちゃんと自分の仕事は忘れてないのは偉いと思うけど、そろそろエネルギー切れになるんじゃないかな。アンティナイトもサイオンの供給が無いと切れるから。すでに何度か掛け直してたからもう使えないかもね。

さて、リーダーさん。それは殺意を以て振りかざした武器ですか?それとも脅し目的で?

 

「会長!」

 

水波ちゃんの声が聞こえるけど動かなくて大丈夫だよー、とハンドサイン。

ごめんね、そっちは緊迫した(というより多分、この場において私だけだね、緊迫してないの)状況のようだけどまだこの先に何か仕掛けられる可能性を知っているだけに、まだそこまでの緊張感は無い。

――たかが銃。それも対魔法師用のものでは無い、手のひらサイズの武器だ。威力で言うならリーナちゃんの指で弾かれたボタンの方があるだろう。

 

「…魔法は人を破滅させる。その面があることを否定はしません」

 

私は姿勢を正してリーダーの男と向き合った。

動揺する男を見据えて、言葉を紡ぐ。

 

「魔法師の中でも、力に呑まれておかしくなった者、力を失って狂った者、時代に翻弄された者――環境で魔法を憎まざるを得なくなった者がいます…」

 

今は魔法とだけ言ったけど、『力』に翻弄されて人生を狂わされる人はどの世界にも居る。

それは金の力だったり、権力だったり、…学力だってそう。何か差が生じるものはどんなものでも人を狂わす。

 

「人間主義者の方は「魔法師は人ではない」と定義するそうですが、人だからこそ、藻掻き苦しむのです。他の動物に苦悩などありません」

「…まれ」

「魔法師も人間主義者の方々と変わらない人間です。ただそこに魔法という手段が一つ多い『だけ』で」

「黙れぇ!!」

 

ダァンッ…

 

軽い挑発に乗り逆上した男から放たれた弾丸は、私の顔を狙ったものであり、多少手元がぶれたことで狙いが少しずれていたけど狙うタイミングと位置が分かれば避けられないことは無い。

やっててよかったコ〇ン予習。ありがとうヒロイン!貴女がライフルを避ける術を教えてくれたから無事避けられました。

ちょっと髪の毛が何本か落ちたけど、うん、これくらいはセーフ…でしょ…………あれれぇ?おかしいですね、お兄様の怒りが伝わる距離にある…?ものすごいスピードで近づいてきている気配を察知。

 

(……嘘でしょう?この時間ならまだここには来れない筈じゃ…)

 

否定したくとも深雪ちゃんセンサーは間違えない。

お兄様接近中です。しかも――かなりお怒りで。離れているのに怒りが伝わってくる。

そんな悪寒を感じながらも身体は動き、二発目も避けつつリーダーに接近。銃身を掴んで引き倒し、横に回り込んで倒れ込む重さに逆らうように膝を腹に打ち付ける。

「ぐはぁっ」ともろに食らった男の背を押し込むように組み手を振り下ろし地面に叩きつけてから、その手の甲を踏みつけて銃を手放させたところで蹴飛ばす。もう意識は無いと思うけど念のため。

あわよくばこれで手の甲にあるであろう刻印を乱せればと強く踏みつけたのだけど、だめだったっぽい!

ジャミングによるノイズが無くなったタイミングで感度を引き上げると、男の手にプシオンの揺らぎが発生した。

意識を失うことがトリガーだったのか。

ジャミングができなくなった男たちが、指揮官も失いどうすべきか狼狽えて棒立ちになっているのを見つけて、彼らも巻き込もう!と瞬時に画策、「逃げて!」と彼らに向かって叫んだ。

状況が呑み込めない彼らを放置し、今度は水波ちゃんたちへ指示を飛ばす。

 

「書記は対魔法の障壁を!他の皆はその後ろに下がって!!人間主義者の人たちも早く校門へ!」

 

水波ちゃんはすぐに障壁を構築、泉美ちゃんはわけもわからないが、私の言うことは絶対!とでも思ったのか水波ちゃんの斜め後ろに一年女子生徒と共に下がって見守る体制に。水波ちゃんが警備員さんも下がってください、と声を掛けたことで、彼らも下がって待機していた。

水波ちゃんが警備員さんに、警察と教員への連絡を任せているはず。そろそろ重装備をした警察も駆けつける頃だろうが、それよりも先にお兄様の方が着きそうな――というかもうすぐそこまで来てますねー!

 

「深雪!」

 

そう声が掛かった直後だった。

男が不自然な動きで立ち上がり、虚ろな顔で両手を持ち上げた。その手には禍々しい紫炎の玉が一つずつ浮かんでいた。

 

「ま、ほう…?」

 

ジャミング隊の一人が唖然と呟くが、放心してる場合じゃないから!

 

「お兄様、お願いします!」

 

後は任せた!とばかりに声を上げ、急いで動けないでいる人間主義者の元へ。

警戒音が鳴り響く中で展開するのは対パラサイト用のオリジナル結界と減速魔法の多重展開。この大きさを作るのは初めてだけど、大丈夫、私ならやれる!女は度胸!!

お兄様の手から術式解体――想子の奔流が放たれ紫の炎が消えた――のだが、

 

「何っ!?」

 

お兄様の驚きの声が上がる。

またすぐに生み出された紫の火の玉が男の手の上に浮いていた。

 

「魔法、だよ、な?」

「そんな、リーダーが、…邪教徒!?」

 

うわあ!と逃げ出そうとするけれど四方八方逃げないで!危ないから!

 

「逃げるなら校門へ!あそこが今一番安全なところです!一時的に避難してください。立ち上がれない人をどうか、運んであげてください!その間何とか防いでみせますから」

 

あちらへ、と振り向きざまに校門を指す。

すぐに正面に戻って集中し直すと、後ろで戸惑っている様子がうかがえたけど、何でもいいから言うとおりにしてほしい。

その間に傀儡となった男の掌の炎は弾け、無数の炎の弾丸となって飛び散った。上下左右いたるところに放たれたそれはコントロールなんて気にしない無差別攻撃。

見た目からして禍々しいそれはただの炎ではなく、壁やガラスにぶつかっても焦げ目もつかず、街路樹の枝に当たったことで火が付くのかとの予想に反して、黒ずんで急速に枯れて朽ちたように折れ曲がっていた。

どう見ても異常な変化だ。

無差別に放たれているのでこちらにも飛来してきたそれは、減速魔法により動きを止め干渉力に圧し負け立ち消えた。…対パラサイト用の結界で何か剥がれていったように揺らいで見えたんだけど、あれが精霊かな?それとも精霊の力の素か。美月ちゃんが居れば何か分かったんだろうけど、残念。私にプシオンはほとんど見えないので。

背後で息を飲む男たち。まだいたのね。早く逃げてくれていいのだけど。

 

「少しずつ、歩いてでいいので後退してください。できるのなら走って逃げて。その間なら何とか持ちこたえられます」

「……なんで、」

「どうして彼がこんなことになっているかはわかりません」

 

リーダーがこんなことになっているのは間違いなく悪い魔法師に利用されてるからだけど、彼自身に復讐心が全くなかったわけではないことはなんとなく察した。だから、この状態も協力を全くしてないのかまでは分からない。

そう思って応えたのだけど、男は違う、と呟く。

 

「俺たちは、お前をっ」

 

ああ、そっちか。主語が無いからわかりづらい。彼らはリーダーがどうして魔法を、ということじゃなく、なぜ自分たちを守り、逃がそうとするのかが問いたかったらしい。

 

「襲われましたね。でも、だからといって貴方たちに死んでほしいとまで思いません。この魔法は初めて見ますが大変危険なモノです。目の前で傷つくとわかっていて、それを無視できなかった。ただそれだけです」

「……」

「助けたいという想いに、理屈はいらないんですよ」

 

今日はやけにコ〇ン君の予習が役に立つ日だね。まあちょっとアレンジさせてもらいましたけど。

 

「さ、走って!」

 

今度こそ背後の人たちが動き出し、校門に向かって走り出した。後は結界無しに減速魔法で炎を打ち落としていきますかね。

落下するだけで変則的な動きをしないなら打ち落とすのは九重寺で練習しました!…勝率低かったですけど。

だが、その心配はもう無くなったらしい。

お兄様の解析が済んだのだ。

術式解体で一度放出する前の炎を吹き消してから分解魔法で手の甲を撃ち抜く。と言っても直接穴を開けたわけではなく刻印を描いていた顔料を消したのだろうが。

手に纏っていたプシオンの揺らぎが見えなくなった。これで、すべて終わったのだ――と、この時私は油断していた。

武装した警察が到着し、全員動くな、と言ったところでリーダーの男が倒れ込み、警察の人たちも慌てたみたいだけど、お兄様も私も動かずいい子で待機。ここで下手に動くと印象悪くなるから。

しかし、状況説明は原作よりきっとすぐに終わるはず。ここにはたくさんの防犯カメラと検知・感知に優れたカメラと多種多様なカメラが仕掛けられているからね。

それに目撃者も多い。人間主義者も大人しく門のところで待機している。逃げる気力は残っていないようだ。

 

(しかも、八百坂教頭の横にいるのは取材に来ていたジャーナリスト。教頭が焦っているのは遠ざけることに失敗したからか。でも彼の様子にわが校の生徒が不利になるようなことは無さそうだけどね)

 

あ、でもお兄様の分解使っちゃったのは――あれくらいならカメラも反応しないよのね。

一応目撃者の目も誤魔化せるように私のサイオンが周辺を覆うようにしていたし、空気中にも氷の粒を配置していたからまずセンサーは反応しない。微小なサイオンは紛れたことだろう。誤魔化しにもいろいろあるんですよ。

そんな風に安堵していたからお兄様の行動を止めることを忘れていた。

 

「厄介な相手だ…」

 

深雪ちゃんの耳は良い。特に、お兄様の声はどんな些細なモノでも聞き逃さない。

だからこそ、失敗に気付いた。

 

(しまった…お兄様が因果を辿られて眼を向けられてしまった!)

 

近江が殺された、のだと思う。傍にいた黒幕おじさんによって。

お兄様の探知に気付いて、その経路に繋がる男の命を絶つことで物理的に切ったのだ。

これは、少しまずい。というか――

 

(周もそうだったけど、彼らが本気で鬼門遁甲で姿をくらましたらいくら四葉の偵察部隊でも追えないよね…)

 

私の知らない魔法の使い手が居ても、恐らく逃げられる。

 

(だって、お兄様の眼でも、九島家含めた古式魔法師も、見つけられなかったのだから)

 

術の破り方を知っている九重先生や、その周辺の人たちであれば見つけられるだろうが、現段階ではまだ手を貸してもらえない。

 

(ピクシーを頼ればワンチャン…は、頼れないか…)

 

情報を入手することならできるだろう。彼女はUSNA軍が見逃さない限り追跡可能だから。

だが、問題は――その情報源を明かせないこと。

これから警察に行き、そのまま自宅に戻り、そこからミーティングに付いていって、また自宅へ――その間ずっとお兄様と一緒なのだ。

 

(……詰んだ、かも)

 

いやまだわからないし!まだ巻き返せるかもしれないし!と心の中で鼓舞するけれど、脳裏に神の高笑いが聞こえてくるかのよう。

ちなみに私の神の声はお兄様と同じ中村氏が担当しているから不快になることは無い。無い、のだけど…

 

(…せっかく回避できるはずだったのに…)

 

悔しい…無念である。

まだ敗北と決まったわけではない、と抵抗する心とは裏腹に、淑女の仮面の下ではすでに悲壮感が漂っていた。

 

 

 

この後警察署にて事情聴取を取るのだけれど、その前にとお願いして校門へ。

水波ちゃんたちと合流。人間主義者の人たちは大人しく警察に連れて行かれたのでここにいるのは警備員と泉美ちゃん、それから被害に遭った一年生の女の子だ。泉美ちゃんのクラスメイトらしい。

教頭は一旦お客様を連れて中に戻っていったようだ。校長への報告もあるだろうしね。

女子生徒を労うと、真っ赤になって「へ、…会長素敵でした!格好良かったです!!」と。うん。怖がって無さそうで安心しました。

 

「お美しい上にあれほどお強いなんて…深雪様、私と結婚して下さ」

「泉美さん、会長から離れてください」

「水波ちゃん、もう名前を読んで大丈夫よ。泉美ちゃんも冗談はほどほどにね?」

 

水波ちゃんもだけど後ろのお兄様も怖いので。落ち着こうね。

それから敬称が先輩から様になってますよ。せめてお姉様呼びではなかったの?

泉美ちゃんは一旦下がってくれたんだけど…どうしました?急にお兄様を睨みつけて。

 

「司波先輩」

「なんだ?」

「…先輩と結婚すれば深雪先輩とは永遠の姉妹に成れますよね?」

「俺は深雪以外と婚姻を結ぶつもりも無いし愛人もお断りだ」

 

……わあ。まさかの泉美ちゃんからの結婚の申し出?この間からお兄様への結婚の申し込みが相次ぎますね。モテモテです?

 

「お兄様、ハーレムを築かれるので?」

「この場合築くのは俺のハーレムではなくお前の、だろうな。そして築かんし、築かせんぞ」

 

ちょっと混乱しました。お兄様の座った目を見てすぐに正常に戻りましたけど。

いやだって、思いもよらないところから、雫ちゃんも泉美ちゃんもお兄様の花嫁に立候補されたから。…っていうか七草どうなってます?末娘が立候補してますよ?父親は許しているのです⁇絶対許してないでしょう。

とまあふざけたお話をしたのはそれまで。

すぐに私たちは事情聴取に向かうから泉美ちゃんは学校側に説明をしてほしい旨を伝える。

すると、私もお手伝いします!と被害者の女子生徒が。泉美ちゃんも一人じゃないことにほっとしたみたい。

それに門のところのカメラもあるから説明は難しくないでしょう。警備員もいたしね。

それでは後のことを任せましたよ、とお願いしてから私たちは警察の用意してくれた車に乗り込んだ。

 

 

 

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