妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前)   作:tom200

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夏休み~生徒会選挙編

『夏休み編』

 

 

「ただいま、そしておかえりなさい、お兄様」

「ただいま、そしておかえり深雪」

 

玄関を開ける前に入念に不審なところがないかチェックしたお兄様とドアを開け、しっかり閉まったのを確認してからハグをする。

長い、本当に長い日々でした。

10日間、よく戦い抜いたと思います。

 

「帰ってきたって感じだな」

 

ほう、と息を吐くお兄様に、私もと同意するように頭を擦り付ける。

大勢の中にいることに慣れていない私たちは、この二人しかいない家がどれほど安心するか、身に染みて実感した10日間となった。

 

「「お疲れ様」です」

 

労いの言葉が重なり合った偶然に、どちらからともなく、くすくすと笑いが起こる。

 

「本当に、疲れたな」

「まずは荷物を片付けて、それからお茶を入れましょう」

 

もうとっくに30秒は過ぎている。

すっと体を離そうとするが、どういうわけかお兄様が腕を緩めない。

とんとん、と腕を叩いてようやく少しだけ離れたお兄様の顔はちょっぴりさみしそうで。

どうしたんだろう、と仰ぎ見ると頬をそっと撫でられた。

 

「これからはお前を独占できるはずなのに、離したらまた誰かの元に行ってしまうのでは?なんて、な」

 

(あああっ・・・どうしてお兄様は、こうっ!!)

 

頑張って表情を引き締めようとするけれど顔色が変わるのは抑えることなどできなかった。

身悶えそうになる体はなんとか堪えたけれど、全身がむずむずする。

でもね、私が離れるようなことをおっしゃいますけどそれは違うと正させてもらう。

 

「お兄様の方こそ、これから予定がおありでしょう?」

 

そうなのだ。

世の中一般夏休みでもお兄様に休みなどない。

どこかへ行ってしまうという点では、お兄様の方が外出予定が詰まっている。

去年もその前も、ほぼ学生の夏休みなど過ごせていなかった。せいぜい学生らしい時間と言えば夏休みの宿題と、私と母を構う時間を取ってくれたくらいである。

それ以外は研究とFLTと軍で予定が埋まっていた。

そしてそれは今年も変わらずそうなる予定だった。

いや、今年はそれ以上か。飛行デバイスの発売で、九校戦効果もあって会社はてんやわんや。去年よりお忙しくなることは確実だった。その上軍の方はこのところ活発に動きのある大亜連合関連とそれに伴う訓練の実施。それに加えて雫ちゃんの家の別荘でバカンスまで予定に組み込むことになってしまった。

お忙しいのは重々承知なのだけど・・・正直ラブの特大フラグのあるバカンスなのでぜひ参加していただきたい。このラブイベントに対しお兄様が乗り気でないことはわかっているが、それでも人の心の深い所に触れる重要な場面だ。

だけどこれだけタイトなスケジュール・・・お兄様の為にはやっぱり断るべきだったのだろうか?

悩んでいるのが顔に出たのか、添えるだけの手が頬を撫でる。

 

「すまないな。お前を一人にさせてしまう」

「それは、いいのです。私はお兄様のお体だけが心配です」

 

落ち込んでいるのが一人になること、と勘違いされているようだったけどあえて訂正しなかった。

心配していることには変わりが無かったから。いくら最強のお兄様とはいえ体の傷は治っても疲労は取れるものじゃない。

意識を切り替え、気にしないことはできても疲労は溜まるものなのだ。

 

「優しい妹をもって、俺は幸せ者だな」

「私こそ、こんな素敵なお兄様がいて幸せですとも」

 

お互い見つめ合い、また抱きしめ合って今度こそ体を離した。

恥ずかしいけれど、これが我が家の慣例(ぎしき)です。

 

「いつまでも玄関にいるものではないな。入ろうか」

「はい」

 

 

――

 

 

ようやく玄関から家の中へ入り、我が家に帰ってきたのだと実感したのだった。

片付けといってもほとんどすることはない。

洗濯などはホテルのサービスもあったし(私とお兄様の分は私がやりましたがね)、改めて洗い直す必要も無い。魔法便利すぎてしょうもないことに使ってしまうのはきっと前世の貧乏性のせい。

流石に家での洗濯物は魔法を使わずにやるけれど。

服をしまい、鞄も片付けてキッチンへ。

今日の茶菓子はお土産として雫ちゃん達と買ったクッキーに。これならばコーヒーよりも紅茶かな、と戸棚に手を伸ばすと背後に気配。

片付け終わっただろう着替も済ませたお兄様が取ってくれました。取りたいものがよくわかりましたね。いくつもある茶葉から狙っていたものをピンポイントとは。以心伝心?おそらく視線で分かったのだろうけど、だとしてもすごい。

 

「ありがとうございます、お兄様」

「これくらい大したことじゃないよ」

 

それを自然にやってのけるお兄様は大したこと大ありです。

普通ここまでできる高校生男子はいません。いや、日本男性の中でも、かな。

見つめ合うことしばし。今日はお兄様が引っ付き虫ですか?いつもならリビングで座って待っててくれるのになぜか横に。

もちろん邪魔ではないけれど、どうしたんだろう?

疑問は残るがお兄様は穏やかに微笑んでいる。んー、疲労が溜まっているんだろうか。疲労が溜まるとお兄様はこういったおかしな行動を取ることがある。

理屈や合理的に動くお兄様の、ちょっと変わった行動。

これはある意味お兄様の甘えのように思えて、お兄様の好きなようにさせることにしている。

お兄様が甘えてくれるのは妹としてとても嬉しいことなので。

だから何も言わない。

お兄様も何も言わない。

カップを温め、ポットに茶葉を入れ、用意していた熱湯を注ぐと茶葉が踊る。

これを見るのが好きだった。

いつまでも見られる茶葉のダンスを、きっちり時間通りまで見守ってからカップに注いで、あとはお盆で運ぶだけとなったところでようやくお兄様が動いた。

 

「ありがとうございます」

 

どんなことでもお礼を言うのはちょっとうるさく思われるかもしれないが、お兄様は私の言動をうるさがることも無く少しだけ笑みを深めてお盆を運んでくれる。

エプロンを外して後に続いて向かい合って座ると、ようやく日常が戻ってきた。

齧ったクッキーは程よい甘さで紅茶の邪魔をしない。

お兄様には少し甘いかな、と思って見ればお兄様は気にならないのか、表情に変化は見られない。

 

「日程だが、ここの金曜から日曜の二泊三日なら取れそうだ」

「三日間も。よろしいのですか?」

「宿題を手伝ってあげるならそれくらい時間が必要だろう」

 

しまった。私が余計なことを言ったからお兄様が無理に日程を調整した疑惑!

 

「だがその前に、明後日の予定は何かあるかい?」

「え?ええ。その日でしたら一日空いております」

 

14日でしょ、と頭の中のスケジュール表を開くと、その日はお稽古事も無ければ四葉からの課題が届く日でもない。一日ぬいのお洋服を作るくらいしか予定は無かった。

 

「ならデートしよう」

 

んぐっ、と喉にクッキーが詰まるが私は深雪ちゃんだ、変な声など出していいはずがない。何とか堪えて飲み下す。

苦しさはあるので涙目になって表れてしまった。でもこれならセーフ、と前を向いたのだけど――瞬間下を向く羽目になった。

 

(な、なんて顔でこっち見てるのお兄様!!)

 

てっきり心配しているのかと思ったら、こちらの動揺を愉しむように見るお兄様で。でも残念ながら溢れるオーラから揶揄いではなく完全なるお色気モードだった。

直撃を食らって心臓が痛い。

激しい鼓動が脈打ってとてつもないスピードで血液を体中に送り込んでいる。

っていうかお兄様デートって、デートって言いました!?

 

(あ。まって。心臓さんスピードアップしないで!鼻の粘膜弱くないはずだけどこのままだと出ちゃう)

 

なにが、と言わない。

深雪ちゃんはそんなもの出さない。わかっているけどこれだけ興奮してしまうと、その可能性が過るわけで。

 

「・・・お兄様はすぐそうやって揶揄いになるのですから」

「揶揄ってなんていないさ」

 

苦し紛れに文句を言うが、この無敵のお色気モード状態では何も通用しない。

 

「アイスピラーズブレイク新人戦の優勝に加え、ミラージバットも優勝したんだ。ご褒美をあげなくてはね」

「・・・それでしたらモノリスコードを優勝したお兄様にも何かご褒美がなくては」

「だからこそのデートだよ。俺にとって深雪を連れて歩けるなんてこれほど名誉なことはない。最高のご褒美だ」

 

(だから待って。本当、どうやったらこのお兄様に勝てるというの!?)

 

お兄様はチートだから勝てるわけない?知ってるけど、わかってるけど!

褒美と言われてしまっては家でゆっくり休んでは?なんて提案できるわけもなく。

 

「私もお兄様と出かけられるだけで幸せです」

 

だから特別何か買ってもらう必要なんてないと抵抗を試みたのだけど。

 

「すまない、これも俺の我侭だな。お前を着飾りたいんだ」

 

・・・・・・それ絶対に妹に言うセリフじゃないと思うんだ。いいんだけどね、お兄様がしたいというのならそれを叶えるのが妹の役目。

我侭を叶えさせてくれること自体が私にとってはご褒美になる。

 

「お兄様の我侭は私に都合が良すぎます」

「なら一石二鳥でなによりだな」

 

少しでも反撃したいのにお兄様には全く効かない。なんて堅い防護力。

いつまでも拗ねるのも子供っぽいので了承すると、お兄様の今日一の笑顔をいただきました。破壊力は抜群だ。

 

「うん。可愛い深雪を見ていると元気が湧いてくるな」

 

そうですか。私は何かが吸い取られていく気がします。

 

「・・・お兄様、本当にお疲れさまでした」

 

九校戦、こんなになるまで大変だったのか。・・・大変だったな。直接何も言われていないけど無頭竜も潰してきただろうし。

思い起こせばお兄様が大変じゃなかったことなんて一つもなかった。

新しいデバイスも二つ作ったり、多人数のCAD調整、チューニングも手掛け、担当各人の作戦も立て、七草会長たちには揶揄われ、十文字先輩には十師族問題まで持ち掛けられて――これがたった10日の出来事だ。

普通ならこなせるわけもない。

あのカーディナルなジョージくんでもきっとそこまではしていない。

どう考えても過剰労働。

それを思えばこれくらいの恥ずかしさ、なんてことはない!

 

「お兄様こそ、私にしてほしいことはありますか?」

「ん?どうした?」

「ミラージバット決勝前、お兄様がおっしゃってくださいましたでしょう?あの時私は踊っていただきました。だから、その・・・もし私にできることであれば、と・・・」

 

最後の方は尻すぼみになってしまったのは、お兄様がだんだんと笑みを深くしていったからだ。・・・それもいかにも企んでます、と言わんばかりの笑みで。

せっかく勇気を出したけど、これは、出すタイミングを間違えたのでは?と気づいた時には遅かった。

 

「深雪にしてほしいこと、か。困ったな」

 

見たところ全然困った顔には見えませんね。

え?何させられるの私。

私も訊ねられた時は悩んだけど、お兄様のその悩みとは違う気がします。

困惑しているとくすっと笑われて長い足を組み替えながら安心するといい、と告げるように口を開く。

 

「なんて、そんなに身構えることはないよ。深雪に酷いことを俺ができるわけがないんだから」

 

それはそうなんでしょうけど、お兄様ならそのルールの目を掻い潜りそうなのよね・・・。九校戦の数々のルールの穴をついているのを見たからかな。余計にそんなことを勘ぐってしまう。

 

「それならデートの際に服を選ばせてくれないか?」

「それは、願ったりですが・・・それでよろしいのですか?」

「それが、いいんだ」

 

え、お兄様直々に服を選んでくれるの?むしろありがたいけど、いいんですか?これはお布施案件では??とオタクがひょっこり顔を出す。

お兄様は本当に欲がなさすぎる。

妹相手でこれなのだから、他の人になんて何も求められないのでは?と不安になるけれどお兄様がそれでいいと言うのなら私に異論はない。

お茶会はここまで。それからは各々の時間を過ごした。

 

 

――

 

 

そして夕食時、お兄様のリクエストの芋の煮っころがし(渋い)を摘まんだところで。

 

「海水浴に行くなら水着も必要だね。それも一緒に買いに行こうか」

 

ころん、と転がる芋。よかった器の中で。

お兄様の口から水着と聞くだけでもドキドキしてしまう。

服を選ぶのと水着とでは全く違うのにお兄様は何も思わないのだろうか。・・・思わないからこのように堂々と口にでいるのか。だとしても破壊力がすごかった。

 

「そのことなのですが、実はほのか達と買いに行こうという話になってまして」

「達、ということはエリカ達もか?」

「ええ。学校の近くのショッピングモールに行くことになりました」

「日にちは?」

「え、と・・・お兄様、あの、あまりご無理は」

 

まさかお兄様来るおつもりで?

ただでさえ予定がぎちぎちなのに、更に一日空けられるおつもりなのですか?

それに5人の女の子に一人の男子は周囲からの視線がいたたまれないのでは・・・?

特にエリカちゃんがいるのだから揶揄われないことなんてないはずなのに、と思うがお兄様はそれも覚悟してなのか若干表情が硬い。お兄様でも女子ばかりの状態で揶揄われるのは苦手の模様。普通だったら尻尾を巻いて逃げ出す状況だけどね。

もう一回言うけどあまりご無理はしない方がよいのではないでしょうかね?

そう滲ませて問えば、

 

「女子だけなんて危ないだろう。ただでさえ可愛いのだから、いくらエリカが威嚇しようとも怯むとは思えない」

 

あ~、確かに?でもそのせいでお兄様の貴重な時間が割かれるのも申し訳ないのだけど。

だけどお兄様は譲らない姿勢だ。

 

「あの、せめて西城くんたちにも声を掛けてはいかがでしょう?」

 

そうすれば多少はお兄様達の心労が分散されるのでは、と姑息なことを提案する。

達――そう、須らく水着売り場の男子はやっかみの対象だ。一人だ三人だは関係ないはず。

お兄様ばかり矢面に立たせるのは、との思いもあっての提案だが、お兄様は渋い顔だ。

 

「・・・深雪の水着姿を見せるのか?」

「あの、海水浴に行くのですから、それが早まるだけだと思うのですが」

 

もしもしお兄様?それは天秤に乗せるほど悩むことじゃないですよ。

 

「そもそも予定が空いているかもわかりませんし、とりあえずお声だけでもかけてみてはいかがでしょう?」

 

考えてみたら男子も水着必要だし、お兄様もこれを機に新調してもいいと思う。

あ、それを考えたらぜひお兄様にも参加してほしくなってきた。

 

「・・・そうだな。声を掛けておこうか」

 

お兄様の脳内でどのような計算がはじき出されたのかわからないが、とりあえず連絡することにしたらしい。

・・・うん、サトイモ美味しい。ほくほくにできたなぁ。

これ以上深く考えないようひたすらに口を動かした。

 

――

 

 

 

そして来るデートの日、お兄様は朝からフルスロットル――ご機嫌だった。

 

「いつも可愛いが、俺のために用意したのかと思うと、より一層可愛く思うな。このまま家を出たくなくなってしまいそうだ」

 

揶揄いモードであってほしかった。まだそちらなら文句も愚痴もぶつけられるというのに、残念ながらお色気モード全開だった。

 

(私の心臓は果たして持つのでしょうか?――お母様、どうか無事を祈っていてくださいませ)

 

思わず祈りを捧げるくらいには心配になる出だしであった。

 

「お兄様とのデートのために用意したのですから、出かけないと意味が無くなってしまいます」

 

顔が赤い。

お兄様の目がまともに見れない。

ちらりと見ても、目が合うと反らしてしまう。

 

(気合を入れすぎたかな・・・)

 

・・・とてつもなく居たたまれなくなるほど恥ずかしい。

 

「――やっぱり出るのをやめようか」

「え!?そんな」

「・・・冗談だよ。ただこんな可愛い深雪と外出して、はたして俺の心臓が持つかが不安になっただけだ」

 

それ私のセリフ!奪われた!!

お兄様はいつもと変わりない様子なのに何を言っているのか。

あ、いえもちろんいつもと違って夏らしい、それでいてすっきりとした印象の格好をしているので好青年度がいつもより高めです。

私の!お兄様が!!とってもかっこいい!!!

 

「もう、お兄様だって格好良くて、並び立つのは私だって緊張するのですから」

「――さて、残高はどれくらいあったか」

「!?お兄様?!何不吉な発言を?」

 

恰好を褒めただけでなぜお金の話に!?

それとも私の知らないザンダカの話ですかね?

 

「目についたものすべて買うくらいならできるから安心するといい」

「どこに安心できる要素があるのです?!もう、冗談もほどほどにしてくださいませ」

「・・・では行くか」

「お兄様、いらないですからね?手に持てる以上の買い物はしませんからね?」

 

どうも言質が取れない。

・・・不安なデートはこうして始まった。

 

 

――

 

 

ちょっと離れたところにあるファッションビルは、カジュアルからラグジュアリーなものまで幅広く揃う複合施設だが、夏休みということもあって特に若い客層で賑わっていた。

当然のことだが私が顔も隠さず、認識阻害の魔法も使わず歩けば視線が集まる。

人は惚け、立ち止まり、人流の渋滞も起こる。

ただ芸能人と反応が違うのは声が上がらないことだろうか。

きゃあきゃあと興奮した声も、あれって誰それだよな、の声もない。

ただ皆、魂が抜けたように視線を私に向けて動きを止めるのだ。

そして通り過ぎたころ、ようやく息を吹き返したように動き出す。

・・・素養があるからって魅力を磨きすぎたかな、と思う今日この頃。

原作の深雪ちゃんってここまで反応されたっけ?と不安を覚える。

この間の温泉事件でも思ったけど、反応が大げさすぎやしないだろうか。

深雪ちゃんは何処からどう見ても美少女だ。将来を約束されしパーフェクト美少女である。

どこをどういじくったのか、操作された遺伝子が作り出した完全左右対称の、お兄様に愛されるよう作られた美少女だが、それはいわば原石。素質を持って生まれただけ。

その後の努力がなければ美は作りかけのままになってしまう。

だから記憶の限り美の追求に力を注ぎ、体内から整えていった結果――その素材がとんでもない成長を遂げ、恐ろしいまでの美を生み出してしまった、ということになるのか。

・・・我ながらとんでもないことをしたかもしれないが、まあ、これもお兄様の為になるのかな。

可愛い妹って一般的に兄にとっては自慢になるんじゃないかって思うのだけど、お兄様にとってはどうなのか。

もしかしたら面倒とか迷惑だとか思われてたり、なんて。

 

「どうした?」

「え?」

「浮かない顔をしているから。何か考えていたんじゃないか?」

 

いつもよりお兄様の表情が豊かに見えるのは、私といるからだけではなく周囲を意識してのことだ。

いつもの表情のままでも私にはわかるけど他人からしてみれば真顔に近いからね。下手をすれば不機嫌に見える。

出歩くときは虫よけもかねて恋人のように振舞うことにしている。兄妹仲良くの状態であったとしても話しかけてくる者はいないのではないかと思わなくもないが、兄妹だとナンパ除けには利きづらくなる。

迷惑な話だが、釣り合いが取れてないと突っ込んでくる勘違い男がいないわけではない。

くだらないことで時間を割かれるくらいなら初めから予防線を張った方がいい。

このラブラブカップルバリアーはそのためにあるのだ。

羞恥心なんてものは、面倒くささの前には大した障害にもならない。

心配してのぞき込むお兄様に、言葉を選んで返す。

 

「ふと思ったの。私は貴方にとってその、自慢の・・・になれてるかなって」

 

恋人の振りをしているのだから妹とは言えないとぼかして言えば、正しく意図を読み取ってくれたお兄様が虚を突かれたような顔をしてから、握っていた手に力を込めて――

 

「その不安を抱くのは俺の方だよ。お前はいつだって俺の一番だ」

 

口元へ持っていくと手の甲にキスを――する振りだけで実際はリップ音だけなんだけど、だけなんだけどね!?あの!色気が!駄々洩れで!!

じゅっと顔が熱くなる。ただでさえ夏の日差しが暑いのに更に熱が上がってしまった。

 

「もし疑っているのなら、いくらでもお前の好きなところを上げようか」

「まって!」

 

そんなことをされたら買い物ができずに終わってしまう!

これはまずい、とただでさえ距離が近かったのを更にゼロにするほど体を寄せた。こうすれば顔は見えない。エッフェル塔が見たくなければ塔に登ればいい理論!我ながらナイス作戦である。

 

「疑っているわけじゃないの。ただ、貴方が好きな私でいるかが不安になって」

 

お兄様を疑うなんてとんでもない、と否定すればお兄様は今度は手をほどいて肩を抱き寄せる。

 

「それこそ不安に思うことなんて何もない。――誰とも比べることなんてない。お前がお前だから好きなんだ」

 

優しさの中に甘さの含まれたいい声が耳に吹き込むように告げられてぼん、と音が鳴る。

確実に今自分の顔が真っ赤になったのが分かった。頬が熱をもって熱い。

お兄様が影を作ってくれているおかげで正面の人でも半分くらいの人から顔が隠れている状況だけど、半分には見られてしまっているわけで。

二人の距離が近すぎることもあって余計赤くなっている。

しかしお兄様の顔を直に見えなくなったことで弊害も生まれた。

顔を見て固まる人間がいなくなったところにこの会話を耳にするとどうなるか――女性の反応は二分した。

一方はドラマのようなセリフに興奮し嬉しそうに悲鳴を上げる者。

もう一方は隣の彼氏にバンバン叩いて当たる者。

多分恥ずかしさからくるものだと思うのだけど、彼氏さんの方を見ると痛がるどころか唖然茫然。そんなセリフを恥ずかし気も無く言ってのける男に驚愕している。

だよねー。わかるぅー。

っていうか街中でカップルがいちゃつくと、舌打ちやら迷惑がられたりすると聞くけれど、全くそんなのが向けられていないですね。ここはもしや治安の素晴らしく良い街ですか?

 

「わかってくれたか?」

「・・・ええ」

 

わからされましたので、それ以上顔を近づけないで。それ以上はもう触れ合っちゃうから!

私の念が伝わったのか、お兄様はゆっくり戻っていった。

前を見ずに誰ともぶつからないってすごいよね。全く見てなかったよ。

でも気配を読む技の無駄遣いだと思います!

 

 

――

 

 

息も絶え絶えにたどり着いたのは上層階のハイクラスの店だった。入り口を見てもわかったけれどお高いお店ですね。

ディスプレイも品の良い、時期物のサマードレスなどが飾られている。

奇しくもそれは七草会長のサマードレスを彷彿とさせた。

お嬢様の会長の場合既製品ではないかもしれないけれどね。だけどこのお店の品は生地といい同等か、それより少し下あたりか。

とにかくお高めのお店ですね。

・・・高校生なら躊躇するお店ですよ?なぜそんな堂々と入れるのです?前世大人の私でも躊躇・・・いえ、絶対に入れないお店です。外から眺めるので精いっぱい。

だけど深雪ちゃんなら似合うよ。間違いない。お兄様の審美眼に狂いはないのです。狂っているのは金銭感覚。

叔母様も狂ってるけどお兄様も・・・腐っても十師族だからしょうがないのか?一軒家に対してのお兄様の評価もちょっとおかしかった。それにお兄様自身稼ぎはえぐいですもんね。正確な数字は知らないけど、会社の売り上げは存じ上げております。近々臨時ボーナスが出てもおかしくない。またお兄様の貯蓄が増えていくね。納税番付とかあったら上位に食い込んでいそう。

 

「では見て回ろうか。気になったのがあったらもちろん言うんだよ」

 

遠慮なんかせずにね、とくぎを刺されたので腹を括る。

そうだ。邪念を払ってここはひとつ深雪ちゃんに似合う服を選ぶのだ。

・・・邪念(金額)を払って邪念(欲望)のままに服を選ぶって、どうなんだろう?

自然と私のペースに合わせて一緒に歩きながら見て回ると、普段着ないノースリーブや丈の短いものに目移りする。

夏は人を開放的にするというが、うん、私くらいの年齢ならこれくらいの冒険もありだろうけど・・・ちらりと横のお兄様を見る。果たしてお兄様はこんな肌の多く見える服をなんと思うだろうか。

原作ではこれくらいの肌を見せる服を家の中で好んで着ていたと思う。

それはお兄様に見てもらいたくて、気を引きたくてやっていたことであり、今の私にはあまり必要としないデザインだった。

だってお兄様でさえ目のやり場に困る服を家で着るのは、お兄様が休まらないだろうと思うわけで。・・・なんて理由をつけてみるけれど、ああいう服はその、着るのにも勇気がいるのだ。

深雪ちゃんはすごい。着こなせるだけの素材があっても、アレを着る勇気があるかは別問題だ。

私には、その勇気は・・・

 

(着飾った深雪ちゃんは絶対に可愛いし、下着を買った時よりはよっぽど健全だと思うのに何でこんなに二の足を踏みたくなるんだろう?)

 

答えは簡単。隣にお兄様がいるからだ。

そのことに気付いたのはとりあえずこの三着を試着しようか、とお兄様に試着室へと放り込まれ、服を身に着けた時だった。

一応誤解しないと思うけど、別にお兄様に乱暴に扱われたわけじゃない。ただ心情的にね?放り込まれた気分になったっていう。エスコートは素晴らしかったです。目にもとまらぬ、流れるように自然な動作でした。

 

(これ、確かに気になっていたドレス三着だけど、口に出してなかったのに)

 

お兄様心までお読みになるの?それはかなり困るけど洞察力が鋭い。わかってる。わかっているけどここまでピンポイントだとすごい通り越して怖い。

無難な大人しめのもの、可愛いけど冒険心を出したもの、その中間だけどその実一番えr、体のラインの一部が強調されるもの。

全て気になったものですね。

・・・これ、自分が着て確認してハイ終了、では済まされないよね。はい、わかってますとも。

女は度胸だ。店員さんに声を掛け、お兄様を呼んでもら――おうとしたのだけど、すぐ近くにいたらしい。

上から下まで吟味するように眺めるお兄様の視線は、調整してもらう時くらい真剣な眼差しだった。

思わず背筋が伸びてしまう。

 

「・・・いかがでしょう?」

 

思わず敬語になってしまったのは、別にその目が怖かったわけではない。

緊張が高まったのだ。

窺い見ればお兄様はひとつ頷いて「上品で似合っているが、もう少し華やかでもいい」という上級者なコメント。

否定が一切ない。すごい。こんな高校生いない。こわい。

テンパりすぎて思考が上手くまとまらない。

急いで二着目を試着する。

袖がないし、丈も頼りない短さだ。こんなので防御力が上がるのか!?と不安になる装備。

・・・私の混乱はすでに境地に達していた。

 

「お待たせいたしました。こちらはどうです?」

「うん、いいね。目が離せなくなりそうだよ」

 

サヨウデゴザイマスカ。

お兄様の視線と笑みの何と甘いことか。

防御力なんてなかった。何にも防げないよこの装備。それともお兄様の攻撃力が高いの?もしかして即死魔法使ってませんか?あれに防御なんて関係ないからね。

 

「もう一着あったね。そちらも着ておいで」

 

思考回路がうまく回らない私はお兄様の言うことを忠実に聞くマシンになっていた。

次の服を着て、ディスプレイで見た時との違和感に気付く。

 

(これ、予想以上にエロいわ)

 

あれです。魅了を付与された防具ですね。見た敵を行動不能にするものです。基本深雪ちゃんが標準装備している効果ですが、それをよりアップさせてくれるっていうね。

知ってます?それって危険物って言うんですよ?

 

「困ったな。俺でも理性を無くしてしまいそうだ」

 

私が沖縄で攻撃されて怒り狂った時でさえ理性を飛ばさなかったお兄様が何かをおっしゃっている。

お兄様はもしかしてこちらの攻撃を跳ね返す魔法でも使われてます?しかもそれが何倍にもなって返ってきてる感。

急いでカーテンを閉めた。

ヒットポイントが1でギリギリ残った。早く回復しなくては。そう思って着てきた服に戻ろうとしたところで店員さんから声がかかる。

恐る恐る開けば、次の試着を用意したとのこと。

・・・お兄様が?え、何着試着させる気です!?

いつの間にか瀕死の状態を維持したままひたすら攻撃を受けても息絶えることのない、ゾンビに転職?転生?させられたらしい。

キュート、エレガント、セクシー、フェミニン、ロリータetc。

凄いね深雪ちゃんほんとに何でもお似合いですよ。お兄様の語彙力がここぞとばかりに火を噴いております。

使いどころ間違ってますよ、と言いたいけれどオタクとしては賛同しかない。っていうか語彙力溶ける私の代弁をしてくださっている。実に的確。しかし極稀に「家から出せなくなるな」とか「閉じ込めたい」とか「見る者全ての目を潰さねばならなくなりそうだ」など物騒なワードを出すのはどうかと思いましたまる。

あとポーズを求められたときはどうしていいかわからなかったです。必死に思い出したのは前世のアイドルや推しのポーズ。・・・途中からおかしなことになっていたと思う。指ハートってこの時代伝わるのかしら?

でもやった時歓声みたいなものが上がっていたような・・・?観客動員してましたっけ?

ここはどこ?わたしはだれ?

 

「二番目と十七番目のドレスを。それから――キープしているワンピースを。このワンピースは着て帰るので着てきた服と商品を一緒に届けてもらえますか」

 

お兄様が大人買いの呪文を唱えると店員はテキパキ動き出した!

・・・私の混乱は試着室を出てもしばらく続いて戻らなかった。

 

 

――

 

 

「それにしても三着も・・・」

 

混乱状態がなんとか抜け、周囲の視線も感じられるようになってようやく再起動した私は、なんとか現実を受け入れた。

 

「どれも似合っていたからな。これでも絞った方なんだが」

 

一体何着買うつもりだったのか。お兄様は少し残念そう。

その気持ち(推しに似合う服を!)はよくわかりますが、金額が金額だけに素直に喜び辛い。

お兄様の好意だとわかっていても、稼ぎがあって彼にとって微々たるものだというのもわかっていても、だ。

前世の給料が飛ぶ。・・・課金は家賃までではないのか・・・?家がでかいからセーフ?家賃計算したことなかったけど、あの家でいったら確かに家賃までになるだろうけども!・・・だめだ。正常な判断が旅に行って帰ってこない。

 

「迷惑だったか?」

「そんなこと!・・・嬉しいの。この服も、とても気に入っていて。何も言ってないのにこれを買うと言ってくれたことが、とっても嬉しかった」

 

それは本当。

これ、と言ってスカートをちょん、と摘まむ。

気付いたら購入してもらっていたけれど、確かにこの服は着る前から気に入っていて、着た感触もよかったので購入をお願いしようと思っていたのだ。

しかし、残る二着は――

 

「ちょっと冒険したドレスだったけれど、ああいうのが好みなの?」

 

お兄様の好みなら把握しておくべきだと心のメモ帳を開きながら訊ねると、お兄様は少し考えて。

 

「ほら、この前九校戦の遠征に向かった時、会長がああいったドレスを着ていただろう」

 

おや?これはつまり?

 

(七草会長が着ていたのが可愛らしくて印象に残った、ということ?!)

 

思いがけない恋の予感に胸をときめかせたのだが。

 

「子供の時は見たけれど、大きくなってからああいった服を見なくなったと思ってね。懐かしくなったんだ」

 

懐かしくなったの言葉に、お兄様が何を指しているのかを察した。

・・・言われてみれば、私が最後にああいった服を着ていたのって中学一年の沖縄が最後だったような気がする。

あの時から徐々に落ち着いた服を選ぶようになっていったから。

嫌いじゃないんだけどね。深雪ちゃんにはよく似合うと思うのだけど、あの頃はまだ感情が割り切れてなかった部分もある。今ほどいろいろと吹っ切れていなかった。・・・今ははっちゃけすぎてる時もあるけどね。深雪ちゃん何でも似合うから。お人形遊び嫌いじゃないです。・・・される、じゃなければ、と今日知りましたが。服の着せ替えだけじゃなく感想攻撃がね・・・。

 

「だがあの頃とはだいぶ違う印象になってしまったね。それを纏ったらもう子ども扱いはできそうにない」

「・・・・・・手加減してね」

 

お兄様、知ってます?お兄様の殺し文句って本当に死人が出るレベルの致死量ですからね?

みねうちより一撃必殺が得意のお兄様。手加減覚えてください。

妹を甚振って楽しいですか?・・・お兄様は微笑んでいる。

それからもぶらぶらとウインドウショッピングを楽しみ、時折立ち止まっては店に入って購入しようとするお兄様を宥めては、また次の店を見て~、を繰り返していたらお昼になるところだった。

ファッションビルということもあり、女性に人気のある店ばかりが並び、チェーン店がちょこっとある程度で、男性客だけであれば入りがたいだろう店ばかり。だが私たちも見た目で言えば恋人に見えるだろうし、お兄様は私といるならどこでも気にしない、というので問題はない。

さて、今日はどういったところに入るのだろう、とワクワクしてお兄様を見た。

こういう店選びはお兄様が率先して選んでくれる。私が選ぶと、お兄様が食べたそうな店をセレクトしてしまうからだ。

あと防犯上ね。面倒に巻き込まれないような作りの店という基準で選ぶから、私よりもお兄様が選ぶ方がいいのだ。

そしてお兄様が選んだお店は、珍しく仕切りのほとんどないパスタハウスだった。

中を見れば女性客がほとんどで、これなら面倒な客に絡まれることもないだろうということだろう。経験上女性に絡まれることは滅多にないのだから。

けど――

 

(この展開、絡まれないわけがないのよね)

 

フラグだった。

そういえばと、ここでようやく思い至りましたよ。

これは番外編の話だ。ようやく原作だと気付きましたよ。

なぜドレスの下りで思い出さなかったのか、と思うだろうがあまりにラブラブっぷりが凄い巻だったので恥ずかしくて何度も読めていなかったのだ。雫ちゃんの別荘の話だって数回しか読んでいなかった。私には甘すぎたのだ。いや甘酸っぱくて好きなんですけどね。

お兄様とのお買い物デートのお話は本当、あのお兄様が甘い言葉を連発!?と読んでるだけで恥ずかしくなってしまって。あんな口説き文句ラノベでは早々見ない。純愛のドラマだって一話の中であのようなセリフの内二回出ればいい方じゃないだろうか。

とにかくお兄様の熱烈なお言葉に耐え切れずちらっとしか読めなかった。

だけれども思い出した今ならわかる。この後絡まれますね。

しかもちょっとバックに悪いお友達を持った男に。

 

(そんな小者、お兄様の手を煩わせるまでもない)

 

 

――

 

 

「ここにしようか」

「ええ」

 

にこやかにお兄様のエスコートを受けながら入店した。

するとここでも店が静まり返った。

お食事中お邪魔してごめんね。でも店員さんはお仕事しましょうね?

お兄様がいつもの(ランクの高い)店と比べて反応の違いに踵を返しかけた瞬間、店員は息を吹き返し接客をし始めた。

うーん、お店代えてもいいんですけど、原作で確か当たりの店って言ってたので食べてみたいんだよね。

お兄様をちらっと見て小さく頷けば、意図は伝わり入店することに。ありがとうお兄様。

席に案内されても視線はまとわりつくが、これが日常なので気にも留めない。仕方ないね、深雪ちゃんだから。諦めが肝心です。

お兄様も割り切っている。というより悪意ある視線と害のない視線をより分けているらしいけど。

そして椅子を引こうとするウェイターを断り、お兄様が代わりに引いてくれた。

普通の彼氏どころか、他の男性はやらないですよ。

日本じゃせいぜい意中の女性を射止めんとして張り切る人か、人気獲得のためホストがポーズとして振舞うくらいじゃないだろうか。

でも、女性としてはこの特別扱いというシチュエーションは憧れるものかもしれない。

これ見よがしではなく、スマートな動作はそれだけで見惚れるものがある。

お礼を込めて微笑めば、お兄様も笑みを浮かべて返してくれた。

その瞬間、この店の空気は一変する。

少し前までこの超絶美少女のお相手がこれなの?みたいな視線ががらりと変わった。

まるで規制線でも張られたかのように、品定めからこの二人の空間を邪魔してはならないという空気に変わったと共に、視線を観賞用に緩めたのだ。

決して外したわけではないところに好奇心が隠しきれていないね。

それでも邪魔をしようとしない空気があるだけマシである。

メニューを眺め、二人で分けっこ前提で別々のモノを注文し、落ち着いた頃、それはやってきた。

――綺麗な女性だ。

己の見せ方もよく知っている、風格もある姿は女性が憧れる女性の姿を具現化したかのよう。

もちろん女性だけでなく、男性もその美しさに目を奪われるだろう魅力を合わせ持っていた。

ここに私さえいなければ視線を独り占めできただろうに、タイミングが悪かったとしか言い様がない。

しかも私の席の近くを通ったことで客が「あれ、ひょっとして今の人って俳優の」と気づいてざわめくも、注目されるのは一瞬。すぐに話題は元に戻り、理想のカップルへ視線を戻していた。

これはプライドを傷つけられたと思ってもしょうがない。

嫉妬が隠された強い視線を向けられるも、しかしこれくらいなら痛くもかゆくもない。問題なのは――相席の男の方だ。

嘗め回す視線が気持ち悪い。

ある程度権力を持つ男特有の、この世の女はすべて思い通りにできるという思い上がりが滲んでいて腹立たしさを覚えた。

こんな男をお兄様が相手にすることなんてない。

改めて思いを強くすると、机の上でお兄様に手を伸ばし、それを重ねて、お兄様を見つめる。

お兄様しか目に入らないと言わんばかりの熱量で見つめれば、お兄様は優しい声でどうした?と訊ねた。

甘い問いかけに何でもないの、と返して重ねていた手を、今度は挟んでひっくり返して手のひらを合わせて、指を絡める。

唐突に始まる――カップルの意味のないいちゃつきである。

恋しい彼氏の気を引きたくてちょっかいを掛ける彼女を、愛おしいとばかりに見つめ好きなようにさせてあげて見守る彼氏の図。

店内中の女性陣が一斉に身悶えした。キュンキュンするよね!わかるよ!!でもね、それって見てる側だからであってやってる本人は今口から心臓を出さずに笑顔をキープしている状態です。ドッキドキですよ。お兄様もノリノリで見つめてくるものだからもうね、もうね!

互いに互いしか目に入らない状態。そこに、空気の読めない男はやってきた。

途端、周囲の女子たちによる無言の抗議という名の睨みつけが殺到したことに、男がたじろいだようだったが、それで引き返せるほど男は利口ではなかった。権力というのは時に人を愚かにする。その典型だった。

 

「僕はこういう者です」

 

見向きもしていないのに視界に割り込もうとする男は、二人の視界に割り入るよう名刺を差し出すが、私たちは顔色を変えることもなく無視――否、お兄様の目の色は若干変わっていたのだが、私が止めたのだ。関わらないで、と。

私を見ていて、と。

覚えてよかったモールス信号である。

手が触れ合っているのもよかった。おかげでちょっかいを出しあって遊んでいるようにしか見えなかっただろう。

目の前で繰り広げられるラブラブ攻撃に、それでも男は食い下がる。

 

「キミ、映画に興味ない?」

 

私の視線はお兄様に固定されたまま動かない。

 

「キミにぴったりの役があるんだ」

 

お兄様が茶目っ気を発揮して手をくすぐってきて、漏れる笑いにお兄様がいたずらが成功したように笑う。

やだ、一瞬演技を忘れて身悶えしそうになってしまった。お兄様のラブラブ彼氏役っぷりに内心驚愕です。この演技に気付かない貴方の目は節穴ですね。何の価値も無い。

 

「ねっ、名前を教えてもらえないかな?」

 

ああ。せっかくここまで見逃してあげていたというのに。――男は愚行を犯した。

お兄様の顔を遮るように前かがみになってこちらを窺ってきたのだ。

直後、上げられる非難の声とウェイターを呼ぶ声。

だけどその喧騒はすぐに消えることになる。

 

「申し訳ないのですが、お引き取り願えます?わたくし、今、とても楽しんでおりましたの」

 

先ほどまで浮かべていた笑みは抜け落ちて、精巧な人形の温度のないアルカイックスマイルが表れる。

それだけで春の陽気が一気に厳冬に早変わりだ。

何より感情を失った声は、凍てつく吹雪が襲ったかのように周囲を凍り付かせた。

悲鳴が起こらなかったのは、凍り付いて息すら吸えなかったからか。

こういう場面ではお嬢様言葉が力を発揮することを私はよく知っていた。

オタクは知っている。美少女からのお嬢様言葉で品よく話しかけられると人は委縮する。

毅然とした悪役令嬢は強くてかっこいいよね!――と、話が逸れた。

睨みもしない、不機嫌も表に出さない。

それでも不快感は伝わる。

恐らくこちらに伸ばそうとした男の手は、その前に凍り付いたように動きを止めていた。

――もちろんだが、こんなところで干渉力にモノを言わせたりしない。魔法など一切使っていない。

それでも彼らの動きを止めるくらいわけないだけの、美貌という名の武器を持っている。

 

「お声がけいただきありがとうございました。けれどわたくしこれでも忙しい身ですので、このような時間を持つこともなかなかできないのです。大事な有限の時間を、どうか好きに使わせていただけませんこと?」

 

少し覇気を収め、申し訳なさそうに眉を下げて『お願い』すれば、男は時が戻ったようにぎこちなく体を戻して「邪魔してすまなかったね」と下がっていった。

そして俳優を連れ立って店を後にした。

流石にこのアウェー感漂う場に居続けるだけの胆力は持ち合わせていなかったらしい。持たれても困るのだけど。

 

「・・・全く。俺の出番がないな」

 

お兄様がやれやれ、と首を振る。でもいいの。あんな男にお兄様が関わって面倒ごとを被るなんてあってはならないから。せっかくの、二人のデートなのだから。

 

「違うわ。私が貴方との時間を奪われたくなかっただけ。――私以外を見て欲しくなかったの」

 

その言葉に女性客たちからの声なき悲鳴が漏れる。

隠そうとしてくれてありがとう。全くもって隠せない視線がこっちに向けられているけれど。

しかし堪えた人たちも、残念ながら次の一撃でノックアウトされることになる。

お兄様は繫がったままの手を引いて口元に運んで、今度は指先にしっかりと唇を落としてキスをすると、

 

「今も昔も、そしてこれからも、お前以外を見ることなんてありえない。ここに誓うよ」

 

・・・もちろん私も余裕でノックアウトされました。

この後店ではコーヒーが飛ぶように売れ、騒動を止められなくて申し訳ない、とお店側から料金無料の上、頼んでもいなかったアイスケーキまでサービスしてもらった。

どれも美味しくて、顔をほころばせているところをずっと見つめられていたことに気付いた私は、二度目のノックアウトを受ける羽目になった。

 

「そんなに見つめられては恥ずかしいわ」

「あまりに美味しそうだから」

 

・・・それはケーキのことですよね?見つめられている私じゃないですよね??バカップルあるあるのセリフにありえない妄想が脳裏をよぎった。いえいえ!私たちは兄妹だから!カップル偽装していても兄妹ですからね。

ケーキよりも甘い視線に私は耐えられず、周囲の女性たちと共に撃沈した。

 

 

 

その後店を出ても、お兄様によってメンツを潰されていない男が悪いお友達を引き連れて襲ってくることもなく、――俳優の機嫌を取る方を優先したのかもしれない――午後もモールをぶらついて、「誓ったからには指輪でも買うか」というお兄様の謎理論にストップをかけたりするハプニングもあったが、それ以外特出したことも起こらず、楽しい休日デートを過ごした。

 

 

後日ニュースで、あるプロダクションの若手社長が事務所内の女性たちに無理やり手を出していたとかで逮捕されたらしいとの報道があった。

たった一行のそのニュースはすぐに他のニュースに紛れて消えた。

 

 

 

――

 

 

「あ、おっひさー!時間ぴったり」

 

待ち合わせ場所には既に皆が揃っていた。

今日は皆で水着を選んでランチする日。

女の子四人に対して男子二人は若干居心地が悪そうだったが、お兄様は平然と近づいて言葉を返す。

 

「ぴったりじゃないと皆に迷惑をかけるからな」

「ん?どゆこと?」

「深雪の周囲にサークルができる」

「「「「「「ああ~」」」」」」

 

納得いただけて何よりです。

さっそく周囲の視線を感じたのか、慌てて建物に入った。

 

「・・・深雪、外出して大丈夫なの?」

 

入ってすぐ、視線を集中させてしまう光景を初めて見た彼女たちは、改めて私の異常さに気付き心配してくれた。優しいね。

 

「兄さんがいるからね」

「それにしたってここまでとは」

「女性男性関係のない所が、よりすごいですよね」

「深雪の魅力に性別の壁はない」

「確かに・・・。温泉すごかったもんね」

「「温泉?」」

「その話はやめない?悲しくなる・・・」

 

ほのかちゃんの持ち出した話題は止めさせてもらう。

あれは私にとっては悲しい思い出。大浴場ボッチ事件である。

エリカちゃんは聞きたそうにしていたが、あの時の打ちひしがれていた私を思い出したのか、二人は曖昧に濁してくれた。

因みにこの時お兄様たち男子は、後方で何やら楽しそうに盛り上がっていた。主に話しているのは西城くんだけど。

 

(・・・よかった。温泉の話はお兄様に聞かれてない)

 

あまり聞かれたくない話なのでそっと胸を撫で下ろしていると、会話はもう明後日の方向に飛んでいた。

 

「九校戦もあったせいで今年は夏休み短いよね」

「わかる」

「来年もきっとこんな感じになるんだよね」

「来年はエリカが選手になってたりして」

「えー、ないない!」

「エリカちゃんの実力なら十分選ばれそうですけど」

「今年の種目はエリカには相性が悪かったけど、来年はマジックマーシャルアーツみたいに魔法と格闘両方が必要になる競技が増えそうじゃない?」

「どうして?」

「兄さんと一条さんの試合とか、――九島閣下のお話でも出たけど、このところの九校戦も大技が凄いみたいなのが主流だったけど工夫次第では結果が変わることもあるって証明されたでしょう?なら、大会内容も見直されるんじゃないかって。ただの勘だけど」

 

来年は確かに種目が総入れ替えになる。

それはこれから起こる大事件が原因だけど、多分元々一つくらいは今言った理由もあるんじゃないかなと思ったり。

 

「・・・なんか深雪が言うとありえそう」

「あの試合、すごかったもんね」

「でもあの試合っていえば、深雪どうなのよ?」

「え、何が?」

「一条くんよ。踊ってたじゃない後夜祭。連絡先くらい交換したんでしょ?」

「一条くん、深雪さんに一目惚れしてましたもんねぇ!」

「深雪と踊ってた時顔が赤かった」

「そ、それでどうなの深雪!夏休み連絡きた?!」

 

おおっと、女子の勢いが前のめり。

皆恋バナ好きですね。私も大好き。他人のならば。

というよりなんで交換してるの前提なの?

 

「連絡先の交換なんてしてないわよ。そもそも本当に一目惚れなんてあったの?皆言ってたけど話してても全くそんな風に感じなかったし」

 

全くっていうのは嘘です。

めっちゃ好みの容姿だったんだろうなってくらいには見つめられてました。でもねぇ、そこに恋が付くかはまた微妙じゃない?話したのあのちょっとの間だけだし。

 

「深雪本気で言ってる?」

「容姿については見られたのは分かるけど、他の人と反応一緒だったような気がするわ」

「・・・え、そういうこと?」

「つまり周りと同じ反応だから特別何かを感じなかった、と?」

「・・・これ深雪じゃなかったら鼻持ちならない話になると思うんだけど・・・」

「深雪さんクラスならむしろ当然という気がしますね」

 

何やら納得されたけどなんか思っていたのと違う気がする。

一条くんの反応って、一目惚れして緊張っていうより、女子慣れしてないのかな?っていうような緊張振りに思えたんだけど。皆にはどう見えてるんだろう?

私以外の皆がわかり合ってるのが羨ましい。ここでも疎外感。

 

「もしかして一条くんヘタレとか?」

「モテすぎて自分からいったことがないのかもしれませんね」

「深雪に気後れするのはしょうがないけど」

「そもそも達也さんに負けた時点でチャレンジ失敗」

「「「ああ~」」」

「何に納得してるの?兄さんとの勝負って関係ある?」

「あるある」

「大いに」

「むしろ最大の壁ですね」

「越えなければお付き合いは認めません、みたいな」

 

あ、ああ・・・そういう。

な、なんか一条くんごめんね。居もしないのに勝手に盛り上がってしまった。しかも、残念な感じにオチを付けて。

なんだろうね。彼には不憫が似合うというか・・・ってこれも失礼な話か。お詫びもかねてこの夏何かいいことがありますように祈ってます。

 

 

 

 

そんなことを話していたらあっという間に目当てのお店に到着。

うーん、女性物9割に男性物1割。水着売り場に酷い格差を感じる。

まだオープンしてそんなに時間が経っていないこともあって客はいなかった。貸し切り状態だ。

店員さんがこちらを見て固まるのはいつも通りなので気にしない。

 

「思ったより種類あるね」

「こっちは今年の流行みたいだけど、・・・今年って派手目なのが多い?」

「できれば体型があまり出ないものがあるといいんですけど」

「美月この間の服とかすっごく開放的だったじゃない」

「ふ、服と水着は違うじゃないですか!」

「・・・ほのか。攻めるならこっちのブース」

「ちょ、ちょっと刺激強いんじゃないかな!?もうちょっと大人しめで」

「そんなんじゃ印象に残らない」

「えーでもぉ」

 

いいですね。女子の華やかな会話は聞いているだけで若返る心地です。若いのですけど。

女の子たちがキャッキャと選んでる姿はそれだけでもう眼福だ。

さて私も選ぼうか、としたところで店員さんが近寄る気配・・・。商品おすすめとかあまり今のご時世無いはずなんだけど。そっと離れるべきかな、と踵を返そうとしたらすぐそばにお兄様が。

流石、すでに察知されてましたか。動きが早いですね!

 

「どういうモノがいいんだい?」

「えっと、あまり肌が多く見えないものにしようかと」

 

そうか、と言うとお兄様は店員とは逆の方向に案内してくれた。

連れがいることで店員も無理に追いかけては来なかった。

 

「このあたりか?」

「そうね」

 

そして着いたところは私が選ぶ予定でいた、体のラインを隠すようなフリルのついた水着売り場。

的確ですお兄様。

 

「兄さんは二人と選ばなくていいの?」

「と言うより男三人で水着を選んでもな。どうせならお前に選んでもらうか、お前のモノに合わせるかの方がいい」

 

・・・水着を合わせるとは?あ、差し色とかそういう??兄妹にペア感必要ですかね?

プライベートビーチなら見る人はここにいるメンバーだけだと思うのだけど。もしかして別の機会を想定されて?

まあお兄様がいいならそれでいいのだけどね。

 

「困ったな。深雪にはどれも似合うから選ぶのは難しい」

「・・・この間みたいに二十着も試着はいやよ?」

 

念のため釘を刺すとわかってると苦笑された。

 

「それに今回は皆で買いに来てるしな。時間が限られてる」

 

つまり二人きりであればこの間の再現になっていたわけですね。

皆と買いに来て正解だった。

 

「おーい、深雪は――って達也くん自分のは?」

「後回しだ。店員が深雪に目を付けたからな」

「え・・・マジ?」

「マジだ」

 

ボディーガード中です、と答えると非難の目があっという間に驚きに変わる。

ごめんね、こんなのばっかりで。

そして憐みの視線を向けられた。

 

「深雪アンタ、本当に大変ね」

「・・・心配してくれてありがとう」

 

それしか、返せなかった。

結局お兄様と水着を選ぶことになり、今年の流行も取り入れて大きな花柄の水着をチョイス。

でもなんで流行のモノを?と訊ねると、来年新しいのを買えるだろう?とすでに来年のことまで計画しているお兄様は流石だなと思いました。策士は日常も策を練っている。

そしてお兄様の水着はすぐに決まった。

 

「深雪―!もう試着した?」

「まだよ。皆は?」

「これから。皆で水着チェックしよ」

 

これは魅力的なお誘いだ。

横のお兄様もいっておいでと背を押してくれた。

今やその場で洗浄除菌滅菌できる時代。試着トラブルが起きにくいので水着も試着自由なお店もある。ここも一応その設備があるらしいのだけど、店員さんを見る限りあまり質が良いとは思えないんだよね。後で皆の分は私の方で何とかしましょ。

試着室を交互に使い、各々着替えて披露する。

トップバッターはエリカちゃん。派手な原色ながらシンプルなデザインが彼女のプロポーションの良さを引き立てていた。かわいい。

続いて雫ちゃんはフリル多めの少女デザインでありながら、本人の魅力のせいでちょっと怪しいおじさんたちを引き寄せる危険さがあった。ギャップが最高、すき。

美月ちゃんは水玉のセパレートタイプの水着でビキニほどの露出度はないものの、その・・・大きさのおかげも手伝って胸のあたりがですね、怪しからん状態に見えるわけでして。とってもグッドだと思います。えっちぃ。

そして最後はほのかちゃん。同じくセパレートながらワンショルダーにパレオとぐん、と大人っぽさのある組み合わせ。隠しているようで実は大胆!なデザインはそこに視線を集めますね。それにメリハリあるぼでぃー。たまらんです。

・・・心のおじさんにはお帰り願おう。友達を変な目で見るの、いくない。

とてもかわいかったです。幸せな時間。これをリゾート地で味わえる?お布施はいくらですか?

 

「深雪は、なんというか保守的なんだけど、その」

「ボディラインをぼかしている分、・・・すごいね」

「人間離れした美しさってこういうことを言うんですねぇ」

「可愛いよ、深雪」

「・・・ありがとう雫」

 

唯一雫ちゃんだけが純粋に褒めてくれました。

人外ですかそうですか。

後方にはお兄様たちが気まずそうに立っています。皆感想聞いてたもんね。吉田くんなんて真っ赤です。

私?聞かないよ。そんな時間をこの恰好のまま過ごしたら人垣形成しちゃうからね。ただでさえ今でもエリカちゃん達のおかげで人が止まっていたというのに。

あ、そろそろ本格的にまずそう。着替えないと。

人が動けなくなるほど人だかりができそうな気配に急いで試着室に戻り、着替えて念のためこっそりCADを起動してちょちょっとクリーンに。皆の分も纏めておいてもらっていたから全部一気にきれいきれいします。

戻ればお店は大盛況。この中の何人が買うかわからないけどね。さっきのあの子のデザインはどれ?とか。視線は商品とこちらを行ったり来たり。長居しすぎたかな。

 

「そろそろいい時間だし、ランチ行こっか」

 

エリカちゃんの号令により商品を購入した私たちはレストラン街に向かった。

 

 

――

 

 

賑やかなはずのレストラン街に訪れる静寂。どうもどうも。私が喧噪泥棒です。楽しい時間に邪魔してごめんね。

 

「ほんと、スゲーなお前の妹」

「自慢の妹だ」

「・・・達也、わかってて言ってるね?」

 

男子もわいわい楽しそうですね。

気を取り直してお店選び。

と言っても基準は簡単。八人で座れるところが希望だったので選択肢が絞られすぐに見つかった。

ファミリー向けの店なので種類も豊富。

男子も女子も満足できる品ぞろえだ。

メニューを選んで注文も店員ではなくタッチパネル方式なのも楽でいい。

選び終えてひと心地着いたところで話題は今日の出来事へ。

 

「改めてだけど、深雪の美貌って、いちいち外出もままならないわね」

「・・・視線、すごかった」

「九校戦の時もそうだったけど、外だとよりはっきりわかるね」

「だから達也の観察眼が優れてるのかってくらい反応早かったよな」

「ああ、売り場での出来事だね」

 

吉田くんあえて水着を抜いたな、とは茶化さない。

いいんです。これくらい慎みを持つべきなのですよエリカちゃん。

水着売り場でのというのはおそらく店員さんのことかな。どういう声掛けをする気だったのかわからないけれど、友達連れで来ているのに一人の時を狙ってくるあたり、あまりいい気はしない。

 

「だからはじめ、女子だけで買い物に行くと聞いたときは肝が冷えたな」

「あ~、水着買うくらいなら大丈夫かなって思ったんだけど」

「見通し甘すぎましたね」

「私たち、いつの間にかに深雪に慣れ過ぎてたんだね」

「初め傍に寄るのにも緊張したのに」

 

え、雫ちゃんでも?それは初耳。

ほのかちゃんはバリバリ緊張してたのは覚えてる。大抵の人がその反応するだから慣れてるけど。

 

「もう、いいじゃない私のことは。兄さんが守ってくれるから大丈夫ってことなんだから」

 

私の開き直り発言に一同唖然としたけど、すぐにお兄様を見て納得。そんなもんです。

 

「深雪の安全は俺が守るからな。お前は好きにしたらいい」

 

微笑むお兄様。コーヒーを追加注文する仲間たち。

慣れたね、皆。

そして食事が運ばれ、エリカちゃんと西城くんが中心となって盛り上がり、途中分け合いっこする私たちに無言のコーヒーアピールをされたりと(分け合いっこといってもお皿に互いの頼んだものを乗せあっただけなんだけど。雫ちゃんとは直接お皿に手を伸ばし合ったりしたし、こっちの方が親密じゃない?)賑やかな時間はあっという間に過ぎていった。

 

 

――

 

 

「んじゃ、今度会う時は海ね」

「楽しみ!」

「またね」

「気ぃつけて帰れよー」

 

次の約束をして解散するメンバーを見送ってまだ日が傾く前にお兄様と帰宅。

 

「楽しかったかい?」

「ええ、とっても」

 

初めての経験ばかりだった。

友達とお買い物に行くのも、皆で街中を歩くのも。とっても新鮮な出来事で、楽しい時間だった。

二人の外出もいいけれど、二人とは違う良さがあった。

 

「お兄様、お忙しい中時間を作ってくださってありがとうございました」

「深雪が気にすることじゃないよ。俺も十分楽しんだ」

 

お兄様にとっても今日は充実したお出かけだったみたいだ。

その言葉にほっとした。

 

「ところで深雪」

「はい、なんでしょうお兄様」

 

「温泉、とは何のことだ?」

 

・・・・・・ほっとしたところを突き落とされた。

 

「え、と?」

「ほのか達と話していただろう?」

 

聞かれていた!

何の反応も無かったから安心してたのに。

 

「それは、その」

「何か悲しい出来事があったのだろう?俺はそれが心配だ。深雪、いったい何があったんだい?」

「そんなに、その・・・アレな話ではなくてですね・・・」

 

どうしよう、うまく言葉が出てこない。

 

「焦ることはないよ。時間はたっぷりあるからね。お茶を飲みながらゆっくり話を聞こうか」

「そんな時間は――」

「深雪、時間はひねり出そうと思えば出るんだよ。だから心配はいらない」

 

それって身を削って出すものですよね?心配しかないのだけど。

冷汗が背中を流れる。

逃げ場がどんどん狭められていく。

 

「紅茶にするか?それともコーヒー?」

 

選択できるコマンドに逃げるがない。

楽しかったお買い物は恐怖の尋問と言う名のティータイムにより遠い記憶となり仕舞いこむことになった。

 

 

 

 

「・・・深雪を前に理性など持つわけもなかったか。しかし女風呂では俺が守るわけには」

 

特殊な事例ですのでそんな真剣に対策を練ろうとなさらないで!こんなことに貴重な時間を使わないで!

お兄様に懇願するように訴えて、ようやくお兄様は落ち着いた。

 

 

 

――

 

 

 

やってきました小笠原!ではなくここは葉山のマリーナです。

クルージングの旅をするんですって。粋ですね。

横ではエリカちゃんと雫ちゃんが船の話でお嬢様トークしてるけど、普通に家で所有している船の会話ができるってすごいね。

お兄様も船をしげしげ眺めてます。

・・・もしやおかしなところがないかチェックしてます?いや、ただの興味本位で観察しているんですよね?ここはこうなっているのか、みたいな独り言も聞こえてくる。

と、その独り言に返答があった。

船乗り(のイメージを具現化しました!な装いのダンディなおじ様)が現れた!

え、本当に50過ぎてます?見えない。エネルギッシュで現役真っただ中といった風貌だ。

あ、お話し中だったお兄様に視線だけでなく手招き付きで呼ばれました。駆け足にならない程度にささっと近づく。

 

「初めまして、司波深雪です。この度はお招きいただきありがとうございます」

 

すっと礼を取り挨拶すると、姿格好には似つかない洗練された動きで返された。

流石上流階級、成り上がりと言われていても動きが板についている。

けれど同時に茶目っ気もある人のようで。

 

「ご丁寧にありがとう、レディ。北山潮です。貴女のように美しいお嬢さんを迎えられるとは、この船にとっても当家のあばら家にとっても望外の栄誉と申せましょう」

 

如才ない女性への誉め言葉は流石の貫禄。

そしてコミカルに見える動きもこちらの緊張を解さんとする気遣いに、私も併せて大げさにスカートを持ち上げて膝を折って見せた。

こういうノリのいいおじ様大好き。流石雫ちゃんのお父様。わかってらっしゃる。

このやり取りを見ていた雫ちゃん達が父親を非難しているが、ほのかちゃんも意外と遠慮のない物言い。家族のように仲良くしてるのがよくわかる。

いい関係だ。

お兄様と二人で顔を見合わせて笑う。

もし、原作通りに事が進んでいたならば、彼女たちの親しげなやり取りが羨ましい光景に映ったかもしれないけど、今はただ微笑ましい。

そこにエリカちゃん達も巻き込んで、おじ様は不利な状況を打開しようとするも、大人社会のようにうまくいかないのか、旗色が悪いと判断するとそそくさと退場していった。

でも実際のところ、無い時間をひねり出してのこの挨拶だったのだろうな。車に乗り込んだ時にはすでに仕事の顔つきをしていた。

 

「雫のお父様はとても素敵な方ね」

「・・・あんなに鼻の下伸ばしてたのに?」

 

雫ちゃんはそっけなく言っているけどちょっと照れ臭そう。

無表情を見分けるのは得意ですからね。特に照れているのは見逃しません。可愛い。

予定時刻通り、船は出発した。

運転は万能メイドさんの黒沢さんだ。話を聞いただけでも興奮するよね。

ハウスキーパーさんだけど、つまりはメイドさん。しかも敏腕秘書さん風なのにメイド服。そして有能だなんて。この世界設定盛り過ぎ大好きですね。大好物ですとも。きっとこの方はバトルもできるんだろうな。ロマンがあり過ぎる。

さてさて、お姉さんを堪能している場合ではない。

この船旅は早くても約6時間かかる。

いくら珍しい海上であっても、多感な高校生が集まってずっと外を眺めるのも飽きる。

クルーザーでも揺れをほぼ感じないのは運転技術もあるのかもしれないが、やはり船の性能なのだろう。

この程度の揺れなら文字を追っても酔うことはないはずだ。

と、言うわけでさっそくこの小旅行の目的でもある宿題と勉強会をすることにした。

海では思いっきり遊びたいから早く片付けよう!とのこと。

後回しにしないところ皆偉いよね。

 

「――ならここは」

「そう、それで合ってるわ。よく復習できてるわね」

「ねぇ、ここの問題なんだけど」

「それはこっちの公式を使って――」

「あ!解けた」

「ん、計算ミスもない。正解よ。よくできました」

 

ちょっと方向性を示すだけですぐ答えを導き出せる彼女たち天才では?

できた!と顔を輝かせて答え合わせをする優秀な生徒たちに花丸満点あげちゃう。頭もなでなでしようねー。

 

「・・・なんか、あっち世界が違いすぎねぇか?」

「学校の先生が深雪さんなら生徒は皆勉強楽しかったでしょうね」

「うん、それはそうだけど、その・・・甘すぎないかい?」

「叱るだけが勉強ではないだろう。レオ、そこ違うぞ」

「あり?ほんとだ」

「もしかして深雪の勉強方法って達也くん直伝だったり?」

「いや。俺が深雪の勉強を見ていたのは中学のはじめくらいだけだったな。あとは同じ空間で勉強することはあっても、教え合うということはなかった」

 

宿題組の話に、懐かしい思い出がよみがえる。

小学生の時、教わることなんてなく、それどころかお兄様に近づくことなんてなかった。中学では記憶を取り戻してからは難しい所なんてなく、せいぜい知らない歴史ですね?くらいだったのだけど、兄妹のコミュニケーションとして最初に取り入れたのがお勉強会だった。

兄妹のスキンシップで一番に思い付いたのがそれくらいだったのだ。

お兄様は勉強が完璧で、4月に配られた教科書はその日のうちに読破し内容を理解していた。だからはじめは教わる体で机に並んでお勉強に付き合ってもらったのだけど、コミュニケーションがうまく取れるようになってからは、わざわざ教わることもないと、一緒に勉強するだけになっていった。お兄様の教え方?とってもわかりやすかったよ。

ただ、甘々だったかと言われるとそんなことはなかった。本当、普通の勉強会だった。

ならどうして私がこんな孫に甘々おばあちゃんになっているかと言えば、それは単純に私の性質である。

頑張っている子を褒めて何が悪い。私は褒めて伸ばすタイプです。

頑張ったか可愛い子には飴ちゃんあげようね。

 

「兄さんは解説がとても丁寧で分かりやすかったわね」

「深雪はすぐに何でも吸収してしまうから教えることがすぐに無くなってしまったな」

「でも魔法理論や構築は兄さんに教わらないとわからないところもあるのよ」

「そこが唯一兄ぶれるところだな」

「兄さんはいつだって兄さんじゃない。ダメなところなんて見せてくれないくせに」

「お前の前ではかっこいい兄貴でいたいのさ」

「もう――」

「はいはーい!兄妹で仲良しはその辺にして頂戴!私たちには残された時間が少ないの。邪魔しないで」

「お前たちが振ってきたことだろうに。まあいいが」

 

エリカちゃんからのストップがかかる。確かに思い出話しはお勉強の邪魔だね。反省。

ちょっとした小話を挟みつつ各々自分の課題を熟していく。

宿題組が終わる頃には、ほのかちゃん達は二学期の予習まで進んでいた。

 

「こんなに勉強進められたの初めて!」

「深雪、ぜひ家庭教師にならない?達也さんも家で雇うから一緒に暮らそう」

 

大好評だったようで何よりです。

っていうか雫ちゃんそれは・・・お兄様の専属許可取れました?

 

「雫、それは無理だと言っただろう」

「なら深雪だけでも」

「猶更却下だ」

 

お兄様が専属になれば魔法師としてどれほど楽か。わからないでもないけど、お兄様が専属になることは残念ながらないかなぁ。

あ、でも雫ちゃんと結婚すればワンチャン?この二人よく火花を散らすほど見つめ合ってるから仲はいいと思うんだけどね。ケンカップル嫌いじゃない。ライバル同士なんてラブの始まりしか見えない。オタクは小さな綻びからいろんなものに発展させていく生き物です。

 

「ちょ、ちょっと二人とも!」

 

あ、ごめんなさいほのかちゃん。貴女のことがあるから雫ちゃんは遠慮するね。間違いない。

水着売り場でも応援するような発言してたし。

今夜がおそらくその勝負の時。覗く気はないけれど・・・気になる!

 

 

――

 

 

やることがあれば6時間なんてあっという間だった。

ゆっくり接岸し、私たちは島へと上陸を果たした。

白い砂浜、照り付ける日差し、そしてそこに男女の高校生たち。この最高の布陣で物語が始まらないわけがなかった。

そうだな、惜しむらくはここがプライベートビーチで、ほかに客がいないということで起こるハプニング――例えばナンパとか喧嘩吹っ掛けられるとか――がないことが物足りないが、正直私がいる時点でそのトラブルは人死にが出るレベルの災害になるので、むしろなくて正解だろう。

着替えを済ませ浜に下りれば、すでに着替え終わっていたお兄様たちが手持無沙汰に柔軟をして待っていた。

声を掛ける前にこちらを見つけたお兄様たちが一瞬固まったのは、少女たちの水着姿に目を奪われたからでしょうね。

眩しいでしょう!私も周りが眩しい。まず先に鏡を見た時は目が潰れるかと思ったけどね。深雪ちゃんボディぱないっす。

 

「おっまたせー」

「おー待った待った」

「こういう時くらい待ってないぐらい言ったらどうなのよ。そんなんだからレオって呼ばれんのよ」

「おいそりゃどういう意味だ!?」

「そのまんまの意味よ」

 

さっそく始まりましたね、ケンカップル代表!

水着同士なのに自然に会話できるなんて、二人のコミュ力は半端ない。

そして吉田くんは肌が白いから赤くなるとすぐにわかっちゃいますね。

天然娘の美月ちゃんが心配して傍に行ったけど、明らかなる逆効果!だけど瀕死になりながらも水着姿を褒めたのは紳士だと思うよ。美月ちゃんにも効果抜群だね!

二人して茹で上がりのタコさんになって座ってしまいました。

ほのかちゃんは果敢にもお兄様アタック!勢い余ったのでちょっとお兄様がのけぞっている。珍しい姿勢だ。

 

「青空と砂浜があると、より魅力的に映るわね。可愛いわよ、雫」

「深雪も。いつもは綺麗が勝ってるけど今日は可愛い」

「ありがとう」

 

はぁ、可愛い。語彙力なんて初めからなかった。

どうしてお兄様と血が繋がっているのにこういうところは似ないのか。

もっと言語力身に付けないと。・・・違うか。知識量はあるのです。だけどこういう時になってしまうと溶けてなくなってしまうの。だってオタクだもの。

さて、そろそろ皆のところにでも、と思ったら西城くんと吉田くんが海に入っていくところだった。

 

「遠泳に行くんだって」

 

あら。元気が有り余っていることで。

吉田くんはこの場に居辛かったからだろうけど、まあ魔法師も体が資本ですからね。鍛えることは悪くない。

 

「達也くんはいかないの?」

 

パラソルの下で腰を下ろしていたお兄様に、エリカちゃんがちょっかいを掛けに行った。

あの姿勢で屈めばまあ、いわゆるグラビアポーズよね。世の男性が見たらお兄様に呪いの念をぶつけそう。

流石男所帯で育ったエリカちゃん。わかっててやってる。

そこに参戦するはほのかちゃんだ。こっちはたぶんエリカちゃんもライバル?と焦っての行動であって、そうした意図は無さそう・・・いや、微妙にしなを作ったな。女子高生でも女は女ですか。いいよいいよー。

そこに何も考えていない天然娘美月ちゃんも参戦だー。すごいね、重力と質量を感じます。あ、エリカちゃんがちょっと気づいて体を起こした。

この猛攻に耐え切れなかったのか、お兄様はついに立ち上がる。

 

「そうだな、俺も泳ぐか」

 

お兄様が羽織っているのはそのまま着て泳げるパーカーだ。

その目的で買ったものなので脱ごうともしない。

 

「達也さん、脱がないの?」

 

でもまあ疑問に思うよね。こんな暑いんだから。しかもこれから泳ぐって時にパーカーを脱がないのは不自然だ。

 

「まあこんな美少女たちの前で脱ぐのは恥ずかしいって?」

 

挑発的なエリカちゃんに、お兄様は反応に困っていた。

断る言葉はいくらでもあるだろうけど、ごめんなさい。この機会を私は利用する。

 

「兄さんは、私のためにパーカーを脱がないの」

「深雪」

「私が気にしちゃうから。でもね、私のことは大丈夫だから。私ももう、狼狽えたりしないから」

 

空気を邪魔しちゃうかな、と思わなくもないけどお兄様のことを知ってもらう機会でもあるから。

お兄様はちょっとだけ制止する声を出したけど、そもそもお兄様も着たままだと暑いだろうしね。周りが気にするから脱がない方がいいっていう理由なら、彼女たちは確かに怖がるかもしれないけれど、お兄様を知らないわけじゃない。怖がるとしてもそれは一瞬だ。

・・・でもだからといって、優しいお兄様が傷つかないわけじゃないのだけれど。

 

(私は自分勝手だな)

 

自分の価値観を周囲に押し付けて、自分の思い通りにしようとしている。

お兄様は私をじっと見つめて、ため息を小さくついてからジッパーを下ろしてパーカーを脱いだ。

そして現れるのは彫刻のように鍛え抜かれた実用性しかない筋肉と、明らかに尋常でない無数の傷跡。

皆が息を飲むのがわかった。でも悲鳴が上がらなかっただけ彼女たちはすごい。

そしておそらく私の言った言葉を都合よく解釈してくれたはずだ。

 

(この傷の数々は過去、私を守るために付いたのだと)

 

それならば拷問のような跡も意味を変える。

家の事情など誰も問うことはない。

しかし――久しぶりに見るお兄様の上半身に、さっきはあんなことを言ったけど内心は狼狽えている。狼狽えまくっている。

・・・相変わらず芸術作品ですねーお兄様。うん、昔見た時より洗練されたボディにおなりになられて。

傷跡に思うところがないわけではない。もちろん胸は軋むように痛むけど、その反面――マッチョだ、マッチョやばい。彫刻家がこぞって作る不必要な筋肉をそぎ落としたこの姿こそ、真の芸術だと私は思う。すまん。オタクは情緒が簡単に分裂するし、狂ったように対象を崇めてしまうのだ。

もちろんお兄様の悲惨な過去を知っている身としては、傷跡一つ一つが憎らしく、苦しくもなる。

傷は男の勲章と言うが、お兄様のこれはそういうものじゃない。拷問と言う名の修練と、鍛錬によって形成されたものだ。

お兄様にとってこれらの傷痕がいいもののはずはない。

だからこうして晒す行為など考えられなかっただろうけど。

だけどね、この肉体美を褒めずにいられるだろうか?いや無い。むしろそれだけの血の滲む努力をした体をなぜ崇めずにいられようか。

かっこいい。すき。

このときめきは止めようがなかった。

 

「深雪、深雪」

「え、なに、雫?」

「漏れてるよ」

「何が?」

 

ちょっとトリップしていたのを雫ちゃんが肩を叩いて目を覚ましてくれた、んだけど・・・。

周囲を見回すと皆がこちらを見ていた。

え、と?

あれ?この場面って皆お兄様の体の傷を見て驚愕する場面よね?なぜ私が見られているの?

はて、と正面のお兄様に視線を戻す。

相変わらずパーカーがオフした状態は美しい彫刻で、引き寄せられるのを何とか引きはがして顔を見れば――え?なんでそんな驚いた表情で固まってるの?

 

「深雪もしかして筋肉フェチ?」

「・・・・・・え!?そっ、なんでそんな?!」

「深雪ぃ、アンタ口に出してたわよ~」

 

突然の雫ちゃんの発言に動揺していたら、いつの間にかエリカちゃんがニヤニヤしてこちらに近寄ってきた。

怖い!何!?私何かやらかしたの?口に出してたって――え、まさか・・・

 

「あ、の・・・まさか私・・・」

 

せめて、と思って美月ちゃんを向く。

美月ちゃん天然だけど嘘はつかないし、揶揄ったりもしない。

急に自分に視線を向けられてびくっとする美月ちゃんだけど、どうしてか頬は赤いですね。日差しに当たりすぎたかな?

 

「あ、あの、・・・かっこいい、って言ってました・・・」

 

怯えながらも答える美月ちゃんは可愛いのだけど、・・・嘘でしょう?

 

(・・・・・・そんな。とんでもない自爆を私が・・・?)

 

思考が動き出さない。

直前私は何を考えていた?

確かお兄様の体の傷のことと、

 

「あと好きって言ってたわね~。深雪ちゃんったらブ・ラ・コ・ン!」

 

・・・・・・・・・終わった。

エリカちゃんが全力で揶揄いに来ているのは、おそらく直前の空気の悪さを払拭するためだね?

うん、大丈夫だ。頭は再稼働を始めた。

っていうかお兄ちゃんの恋人に文句言うエリカちゃんにブラコンと呼ばれるの?私も呼び返していい?

だけど悲しいかな、頭は動けど口どころか表情も体も動かせません。機能が停止しています。

むしろ脳と心臓が動いているだけ奇跡だね。

おーいとエリカちゃんが目の前で手を振ってるけど、ごめんね動けないの。

ちょっとこれまずいんじゃない?と雫ちゃんがおでこに手を当てる。きもちいね。あと柔らかい。ご褒美です?

もしかして熱中症じゃ!?って美月ちゃん、まだ浜に出てそんなに経ってないですよ?さっきまでジュース飲んでたでしょ。

あれ?ほのかちゃんは?と思ったらなんかあらぬ方向を見て固まってますね。ん?よく見ると口が動いてるけど・・・私の名前とお兄様の名前以外読み取れないですね。

もうちょっと目を細めればよく見えるかしら、と考えていれば急に暗くなった。雲が出てお日様が隠されたのかなと視線を上げれば――お兄様ですね。

 

(あ、だめだ。これは――)

 

処理能力に負荷がかかりました。シャットアウトを開始します。

脳内に昔懐かし容量パンパンのパソコン画面のポップが思い出された。

それが最後の記憶だ。

 

 

 

 

――

 

 

達也視点

 

その場に頽れそうになる深雪を掬い上げるように持ち上げる。

触れ合う素肌同士の感覚に違う思考に飛ばされそうになるのを抑え込み、ビーチパラソルの下にパーカーを敷いて下ろした。

呼吸が正常か、脈に異常はないか確認するが特に乱れはない。

それに熱中症の症状ではないようだ。流れる汗はさらさらとしているし。体自体は火照っていない。

ただ頭だけが熱い。

まさか風邪でも引いていたのだろうか?いや、そんな兆候があれば見落とすわけがない。

魔法も落ち着いていて暴走の疑いもない。

瞼を上げても瞳孔は正常だ。

後は――

 

「もしかしてその状態って・・・知恵熱?」

「知恵熱?」

「いやあ、ほら、ここまで来るのに勉強漬けだったってのもあるし、何より直前に話していた時も内容が内容だったから、いろいろ考えてもしかしてショートしちゃったのかな、なんて」

 

エリカはだとしたら悪いことをした、と反省しているのかばつが悪そうだ。

 

「達也さん、救急セットとおしぼり」

「ありがとう雫。とりあえず深雪の体に異常はない。これならちょっと休めばすぐに良くなると思う」

 

医者ではないが深雪の体のことならば誰よりもわかっている。

彼女の体に不調はない。隈なく視たから間違いはない。

その言葉に安心したのか、皆安堵の表情を浮かべていた。

 

「すまないな。俺たちはここで休むから皆は遊んできてくれ」

「でも」

「深雪が起きたら合流するから」

 

そう言えば、雫はわかった、と皆に向き直って海へと誘っていく。

雫も気になるだろうが、彼女は女主人として招いたゲストの対応もこなさなければと思っているのだろう。

どんな状況でも全体を回そうとすることができるのは家の教育の賜物か。

今朝挨拶をした『北方潮』という傑物の令嬢なんだなと改めて実感した。

皆の姿が小さくなったところで視線を深雪に戻す。

意識はずっと深雪を向いていたが、視線ごと向けるのは彼女たちに悪いだろうと考え、意識的にやったことだった。

深雪はうっすらと汗は掻いているものの、特に苦しそうということもなく、ただ意識を失っていた。

水の入った桶からおしぼりを取り出して程よく水気を取り除いて拭ってやる。

エリカの言葉通りであれば、直前の会話に脳がショートして知恵熱を出したのではないかとのことだ。

つまり直前の会話――忘れることのない自分の記憶力を遡ってみる。もしかしたら、過去の子の傷のことで・・・、と思い当たることを考えてみるも、印象に残った言葉が脳内にリフレインして先に進まない。

 

(深雪が筋肉フェチ?・・・聞いたことがない)

 

だが、確かに俺の耳にも深雪の可憐な唇から漏れ聞こえた音が届いてはいた。

意味を理解するのに非常に(自分的にはかなり)時間を要したが。

 

――「かっこいい。すき」

 

昔を思い出す。

深雪はよく母の前で失言をやらかしては母を困らせていた。

――そう、あれは今思い返せば困惑していたのだと思う。

深雪は母を可愛い、と評する。

俺にはよくわからないが、深雪的にそう思うポイントがあるらしい。

ピーマンが苦手という母を、可愛いと頬を染めて見つめる姿に当時はわけもわからず、だが言われた母を羨ましいと思った覚えがある。

無意識にぽろっと口から出る彼女の言葉は心からの言葉で、それを向けられていた母が、羨ましかった。

彼女の本心だとわかったから。

深雪は人を困らせることもさることながら、喜ばせる天才でもあった。

彼女の好意を向けられるたび心が喜びに満ちた。

 

(そのおかげで俺はどれほど満たされたかわからない)

 

人に期待しなくなったのはいつからだろう。

諦めるようになったのは、傷つかないように見なくなったのはいつのことだったか。手術をする前だから片手で数えられるほどの年齢だったはずだ。

その頃にはもう信じられるものが技術や力などになっていた。

心がないと言われても不快にも思わなくなり無感動になって久しい頃、彼女は唐突に変わった。

彼女は好きだと、口にするようになった。

お兄様、と俺を呼んだ時より衝撃を受けた。

お兄様、好きよ、と温かい体温を分け与えながら俺に浸透させていった。

染み込ませるように、愛を感じられるように――希望を与えるように。

そしてその希望はきちんと形になった。

いつしか母の言葉を、感情を、受け入れられるようになった。

どんな言葉も指示にしか聞こえず、向けられる感情は嫌悪だったはずなのに。

いつの間にか母の言葉に温度を感じられるようになった。

大きな変化だった。とんでもなく、世界がひっくり返るほどの大きな変化。

それをもたらしたのは唯一己の中に残った大切な妹で――更に愛しく思った。

その妹が幸せになりたいと言う。

すぐに彼女の願いは俺の目標となった。

――この妹を幸せにする。

幸せになりたいという彼女の願いを叶えることが俺の命題だ。

それは誓いだった。命を懸けた誓約。

その思いに揺らぎはない。変わることはないのだが、このところの変化に動揺していないわけではなかった。

高校に入る前くらいから、深雪は好きと言う言葉をあまり使わなくなった。

 

(――違うな。俺に向けて滅多に言わなくなった、が正しい)

 

もちろん嫌われたなどとは思っていない。彼女の心がこちらに向いていることは疑うことなどない。

だが彼女ももう15だ、年齢的にもそういうことを口にするのは恥ずかしくなったのかもしれない。

歳を重ねるごとに美しくなる彼女も思春期と呼ばれる年齢となり、恥じらう姿をよく見かけるようになった。

可愛らしく頬を染める姿はいつも俺を惑わせる。思考を奪い去ろうとする。

理性を働かせてなんとか兄の威厳を保っているが、兄でなければ耐えられないだろう。

日に日に成長は留まることなく、どんどん美しくなっていく。この色香に惑わされないようにするのにどれだけ苦慮しているか彼女は知らない。

と、話が逸れた。

つまり深雪にも思春期がやってきて、恥ずかしくて素直に言えなくなったのでは、と思っていたのだ。はたまた思い込もうとしていたのか。

だが九校戦で彼女は久しぶりにポロリと零したのだ。雫に対して、可愛い、好きだと。

それを聞いたのは偶然だった。

女子たちに囲まれて居心地が悪くなり、早く昼を食べて引き上げ、待ち合わせの時間までまだあるが、深雪の気配をたどれば合流など容易い。

そう思って彼女の元に向かったのだが――そこで目撃したのだ。

衝撃だった。

おかげで目的地までどうやって行ったのか覚えがないほどに。

その場から逃げ出していた。

なぜそんな行動を取ったのかわからない。ただ、頭が真っ白になった。

 

(俺は言って貰えてないのに)

 

心情はそんなものだったと思う。今思えば愚かしいばかりだが。

深雪にとって雫やほのかは初めてできた友達だ。

彼女が大切に想い、好意を伝えることなどおかしいことじゃない。

だが――、わかっているのだが、どうしても割り切れない思いがあった。

何とか平静を保って話を合わせていたが、手を繋いで現れたのを見ただけでも心がざわついた。

だから正直ほのかにCADの調整を頼まれた時は助かったと思った。集中できることがあれば意識を外せる。

そうでもしないと外せないなんて、俺としてはありえないことだった。

次の日、二人きりになった時の己の行動に不安があったが、深雪の晴れ舞台で失態を犯すことはせずに済んだ。

頭を撫でても、ハグをしても、いつも通り。

ただ雫が振り袖姿になって現れた時それは再び訪れた。

――またも彼女を褒めたたえる言葉を口から零す深雪に唖然とした。

違う、正確にはそのあとの「好き」、と言った深雪の視線が、自分を向いていないことに酷くショックを受けていた。

雫から心配しなくてもいいと言われたが、心配?いったい何を心配するのかわからなかった。

その後の深雪のピラーズの『演技』を見て、雫の心配に思い至った。

俺は深雪が遠くへ行ってしまうことを不安に思ったのではないか。自分の手から離れてしまうことを恐れたのではないか、と。

 

達也さん、と名を呼ばれ心臓が音を立てた時、その裏で密かに怪物が産声を上げていたのをこの時の俺は全く気づいていなかった。

 

 

――

 

 

意識を失ったままの深雪の唇をなぞる。

柔らかく、しっとりと濡れているのは先ほど少しでも水分を取らせようと濡らした布を口元にあてて飲ませたからだろう。

 

――かっこいい。すき。

 

初めて言われた。

どちらも言葉自体は言われたことはある。笑顔で言われることもあれば、照れながら言われたことだってあった。

だが無意識に彼女がその言葉を口にしたのならば意味合いが変わってくる。

深雪が漏らしたのならば、心にあふれて抑えきれなかった言葉だから。

胸がぎゅっと抑え込まれた心地がした。

その瞬間酸素が行き渡らず脳が思考を止めた。

だがその瞬間は目に焼き付いている。

深雪は俺を見て、正確には俺の体を見て言ったのだ。

瞳が熱に浮かされた状態で、頬を紅色に染めて、胸の前で手を組んで。

脱ぐ前に彼女が言っていた。俺の体を見てももう狼狽えないと。

それは昔、俺がびしょぬれになって慌てた深雪に服を脱がされた時のことを言っているのだと気付いた。あの時彼女はひどく狼狽えていた。その後体を強張らせ、傷跡に気付いて涙を浮かべて触れていたのを覚えている。――よく、覚えている。

古傷を撫で、理由も知らない筈なのに悲しんで。傷を怖がってもおかしく無かったのに、彼女はただその時の痛みに思いを馳せ、涙をこぼした。

深雪を悲しませたことが申し訳ないと思う反面、俺のことでこんなに悲しんでくれていることが、嬉しかった。心配されることが、これほど喜びに感じるのかと心が記憶してしまった瞬間でもあったが、それは置いておくとして。

今回傷を晒すことに、俺は周囲の反応よりも深雪の反応が気になっていた。

他の女子には悪いが、あまり見たいものではないだろう。見るだけでもトラウマに思う人もいるくらいの傷痕だと軍の先輩たちから教わった。ただの傷痕、過去の痕跡を今の痛みに感じるんだそうだ。初めてこの傷に触れた深雪もそうだったのだろう。だが、あの子はこの痕を忌むものだと思わず、厭うことなく触れてくれた。その反応は普通ではないのだと改めて認識した。むやみに人に見せるものではない、とできるだけ隠していたのだが。

だが深雪が見せろ、と言っていることは分かった。何を思ってか知らないが、何か考えがあるのだろうことはわかったので言われた通り脱いだのだが――

思い出すだけで体が燃えるように熱を帯びた錯覚が起こる。

あの時、周囲に人がいなければ何をしたかわからない。

深雪が傷つけられた時並みに理性が引きちぎられそうになった。

こみ上げたのか歓喜か、狂喜か。

 

(俺は深雪に愛されている)

 

その事実に、気が狂いそうになる。

 

「・・・に、さま」

「!深雪!!」

 

湧き上がる衝動を抑え込んでいたら深雪の唇が俺を呼んだ。

ゆっくりと上がる瞼に詰めていた息が漏れた。

 

「よかった。目が覚めたか」

 

声が上ずっている気がしたが、俺のことなどはどうでもいい。

深雪はゆっくりと瞬きを繰り返してここは、と口を動かした。

目覚めたばかりで記憶があやふやなのだろう。

 

「ここは雫の別荘だ。海水浴に来てすぐお前は倒れたんだよ」

「え!?」

 

慌てて上体を起こそうとする深雪に、先に行動を読んでいた俺は肩を抑え込んで動きを封じる。

深雪の肌は俺より冷たかった。

頭は熱くても、体は冷えている。明らかに熱中症ではない症状だ。

 

「いきなり起きてはだめだよ。気を失っていたのだから」

「あ・・・、ごめんなさい。私」

「怒ってはない。でも皆心配してたから、もう少し落ち着いたら皆のところへ行こう。ほら、あそこに見えるかい?」

 

視界を遮る腕を傾けて視線を向けた方向には、エリカたちが浜で遊んでいる姿があった。

その光景に安堵したのか体から力が抜けたのが、触れたままの肩から伝わる。

 

「欲しいものはあるか?飲み物やタオルもあるぞ」

「・・・いいえ。それよりも、その」

「ん?どうした?」

 

本当は深雪の言いたいことはわかっていた。

どこからどう見ても俺が深雪を押し倒しているようにしか見えないのだから。

だがあえて気づかないふりをする。

口ごもる深雪の目元も頬も赤く染まる。つい先ほどまで失神していて血の気すら引いていたというのに。

――ああ、可愛い。

 

「あ、の。そろそろその、無理に起きたりしないので抑え込まなくても」

 

大丈夫なので離れて、と言いたいのだろうとわかっていても、手のひらに吸い付いた深雪の素肌から離れ難かった。

だが、深雪からのお願いなら叶えなくてはならない。

 

「わかった。無茶はだめだからな」

「あ、ありがとうございます。・・・それと、・・・お兄様、パーカーは、どうしました?」

「ああ、お前の体を直に置くのは躊躇われてね。お前の下にあるよ」

「!!」

 

ああ、更に赤くなったね。リンゴのように思えて齧りたくなる。

離れてようやく俺の姿の全体が見えたのだろう。

狼狽えないと言ったのに、どう見ても今の深雪は狼狽えている。

あ、とかう、とか言葉にならない音しか出なくなってしまった唇を塞いだら治るだろうか?と常識では考えられない言葉が頭に浮かぶ。そんなことは口にはしないが、代わりに別のことを口にする。

 

「深雪は怖くないんだね、この体が」

 

すると動揺は一変。固まったかと思うと強い意志を瞳に宿した、一番好きな目だ。

 

「怖くなんてあるはずがございません。一生懸命努力した体の、生きようとした体のどこが怖いというのです!」

 

(愛おしい)

 

この五文字を口に出すことはできない。

けれど胸を支配するのはこの言葉だ。だからすり替える。もう一つ用意していた言葉に。

 

「ありがとう」

 

偽りのないもう一つの言葉に。

 

「それだけで俺は救われるんだ」

 

頬を撫でる。できるなら抱きしめたいけれど今はだめだ。

この状態でそんなことをしたらどうなるかがわからない。

 

「深雪が妹でよかった」

 

 

 

怪物が腹の底で唸り声をあげたのを聞かなかったふりをした。

 

 

――

 

 

深雪視点

 

 

はい死んだー。死にましたー。

自爆もいいとこですよ。なんです?お兄様にうっかり筋肉最高かっこいい好きなんて頭の悪い発言をするなんて信じられない。

ようやく体を起こせるようになって背中に敷いていたというお兄様のパーカーで顔を隠しながら蹲る。

 

「深雪さん?大丈夫だから」

 

くすくす笑うお兄様が慰めようとしてくれるけど何一つだいじょばない。

これぞ世に聞くいっそ殺せというヤツか。一思いにやってほしい。

墓穴はここに掘ればいいですか?

オタクはしょっちゅう後悔がリセットされるので同じ過ちを繰り返しやすい。本当に困る。

 

「しばらくエリカからは揶揄われるかもしれんが、その時は背中でも何でも貸してやるから」

 

あああその問題もあった!エリカちゃんニヤニヤしてたもんね。絶対揶揄われる。

でもその時には秘儀ブラコン返しが待っているからね!大丈夫、今度こそ決めてみせるから。

 

「・・・・・・お兄様は、その、聞いて、しまわれたのですよね?」

 

ちらり、とパーカーから顔を覗かせて訊ねればいい笑顔。はい。間違いなく聞いてますね。

ガバッとパーカーを被りなおす。

ううう、日陰にいるはずなのに全身が熱い。もう、もう!私のおバカ。

 

「嬉しかったよ。深雪が全然怯えないどころか、褒めてくれたこと」

 

お兄様が!追い打ちを!!かけてくる!!!

喜んでもらえたなら嬉しいし、お兄様に怯えるなんてありえない。でもね、でもね!不可抗力だったんです。その誉め言葉は!!

 

「久しぶりに好きって言ってくれたね」

 

その言葉に今度は別の意味でドキッとする。

べたべたしすぎには気を付けようと、少しずつ減らしていこうとしていたのだけど、もしやお兄様気にしてらした?

だとしたら申し訳ない。こちらの勝手な都合で増やしては減らすのだからひどい行為だ。

 

「それは、その・・・もちろんお兄様を好きでないわけじゃないのですが、」

「その言葉が聞けて安心したよ。疑ったわけじゃないけど寂しくはあったからね」

 

パーカーを下げればお兄様のしょんぼりした眉が!

 

「っごめんなさいお兄様!もう子供ではないからあまり言いすぎるのは、と」

「そうだね。深雪はもうこんなに大きくなったのに、俺もいつまでも子ども扱いをしてしまった」

「お兄様・・・」

 

確かにお兄様はとっても甘やかしてくれていた。

・・・ただあれって子ども扱いだったかなと思うものも多々あるような気がひしひしと・・・。

でもハグやら頭を撫でるのは確かに子ども扱いよね。

これなら頓挫しかけた普通の兄妹の距離感取り戻そう計画がうまくいくのでは?ふれあいを徐々に減らしていこう作戦!確か当初は考えていたのに九校戦やらが忙しくて全然実行できていなかった。お兄様からの発案なのだから、今度こそきっと上手くいく――

 

「いつまでも可愛い妹には変わりはないから、可愛がることは許してくれよ?」

 

・・・。

それは、嬉しいのですが・・・つまり?

お兄様が徐々に前に倒れてくる。そしてパーカー越しに抱きしめられた!

!背中に回される腕がむき出しだからいつもと感じが違う!

おおおお兄様!?

 

「心配した。目の前で倒れられるとそれだけで心臓が止まるかと思ったよ」

 

耳元で吐息交じりに囁かれる。

頭ではすぐに謝らなきゃ、と思うのに体が硬直して動かない。

背に回された手がするりと背を撫でる。

胸の前ではパーカーを握りしめている腕があるので密着はしてないのだけど、猛烈に恥ずかしい!

 

「あ、あの、お兄様っ!」

「俺もお前が好きだよ、深雪。もし恥ずかしいなら慣れるまでいくらでも付き合うから。だから今後一切無しなんて寂しいことは言わないでくれ」

 

ま、まって!それだと作戦が!計画が!!

 

「頭を撫でるのも抱きしめるのも子供だからじゃない。深雪だからするんだ。お前が頑張ったら労いたい、それは大きくなってもおかしくはないだろう?」

 

いえいえ十分おかしいですよお兄様!正気に戻って!もしや熱中症!?頭が働いてないのでは?抱きしめられたままの体も熱いし!どれくらい時間が経ったかわからないけど、ずっと傍にいたのなら、何も心配で喉を通らなくて水分を飲んでなくてもおかしくない。

 

「それくらいは許してくれないか?」

 

それ許しちゃったら計画台無しなんだよねぇ・・・っ!でもお兄様からのお願いを、私がどうやって突っぱねられるというのか。

 

「・・・お兄様はずるいです。私が断れないってわかってるんでしょう?」

「そんなことはない。いつだって決定権は深雪にある」

 

・・・・・・本当にお兄様はずるい。そんな寂しそうな笑みで言わないでほしい。

何でも許すしかなくなってしまうじゃないか。

 

「それはお兄様の幸せに関係する?」

「大いに」

 

なら、しょうがない。

 

「お兄様の幸せの為なら、妹の私が叶えないわけにいかないじゃないですか」

「ありがとう。優しい妹をもって俺は果報者だな」

「もう、すぐ調子のいいことを言うんですから」

「お前が煽ててくれるのだから木にだって登ってやるさ」

 

どの木がいい?と私の顔を覗こうとするお兄様のおでこをよく母にされたようにぺちん、と叩く。

 

「その前に離してくださいませ。お兄様には熱中症の疑いがございます」

「そんなことはないと思うが」

「おかしなことばかり言って。きっと水分が足らないのです」

 

わざとらしく首を横に反らすと、お兄様はようやく体を離してくれた。

・・・熱かった。真夏に浜辺で抱き合うものじゃないね。夜だったらまだ涼しいかもしれないけど、日中はやるもんじゃない。

 

「お兄様のせいで汗をかきました」

「なら海で泳ごうか。皆が待ってる」

 

そう言って立ち上がったお兄様が手を伸ばしてくれて、しっかりつかんで立ち上がる。

立ち眩みもなく、熱もない。

 

「お兄様一応、念のため、誤解が無いようにお伝えしますが」

 

そうだ。これだけは伝えねばなるまい。

 

「私は別に筋肉フェチではありませんからね!ただお兄様の実用的な筋肉が、肉体美が素晴らしかったからかっこいいと申しました。・・・勘違いなさらないでください」

「それは、・・・うん。安心したよ」

 

私は別に筋肉なら何でもいいわけではないのだ。

そこだけは誤解無きように!

 

 

――

 

 

はい、と言うことでですね。

揶揄われるよりも先に心配の大合唱をいただきました。

心配させてごめんね。

そしてエリカちゃん。私は先に釘を刺すことにしたよ。

 

「私とエリカはブラコン友達ね?」

 

肩に手を掛けて耳元で囁いてやりましたとも。

エリカちゃん絶句です。

直後耳をぱあん、と勢いよく抑えましたけど音凄いよ。鼓膜破れなかった?

 

「あ、あ、アンタねぇ!自分のこともっと危険物だって把握しなさいよ!」

「・・・キケンブツ・・・」

 

真っ赤な顔したエリカちゃんに怒られました。

私危険物なんだって。

背筋がぞわってしたって、私幽霊か何か?そしてブラコンには一切触れられてない件について。

とりあえず藪突けば蛇って気づきました?よきよき。

 

「全くもう。揶揄うのも命懸けだわ」

 

・・・そんなに?

エリカちゃんの大げさな反応に首を傾げながら浜辺に到着。

原作ではここで水のかけ合いキャッキャからのジェット水流でお兄様を狙い撃つゲームが始まるのだけど、私がさっきまで倒れていたこともあって、ボートでゆらゆらに変更です。

いいよね。波に揺られてる感じも楽しい。というか、恐ろしい水流でお兄様を狙い打つって・・・当たらないと思っているからできた遊びなんだろうけどはたから見るとただのいじめ行為では?せめて水鉄砲レベルにすれば可愛いお遊びだっただろうに。

美月ちゃんは酔うかも、と言うことでパラソルに戻っちゃいました。私も行こうかと思ったのだけど、そうすると多分お兄様もついてきちゃうので、ほのかちゃんの大作戦が始まらなくなってしまう。それではイベントが発生しなくなってしまう。

かといってその大作戦、成功しても可哀そうなことになるのだけど、そこはまあ、ね。得られるものがあればいいじゃないってことで。

お兄様はちょっと離れた沖でぷかぷか浮いている。アレも楽しそうね。

しかしこんな小型のボートがどうして転覆なんてするんだろう?波も穏やかなのに。

魔法か何か?と思ってたんだけど、ちょっと場所を移動しようものならバランスが悪くなった。

体幹鍛える用のボートでしょうか?ってくらい揺れる。そんなものがあるなんて知らないけれど。

 

「なかなかバランスとるの難しいわね」

「それはエリカが態と揺らすからでしょ」

「そう言う割に深雪はバランス良いのね」

「体幹トレーニングは昔からやってるから」

 

ちょっとやそっとのバランスでは体を崩したりはしませんとも。

エリカちゃんもバランス感覚いいね。運動神経抜群の剣の達人だ。いつかその剣を振り回すところが見てみたいけど、意外とエリカちゃんと行動すること少ないのよね。

現にまだ使っているところに遭遇したこともない。というより原作でもそんなシーン覚えが無いんだよね。森崎くんたちの一件はカウントに入るかな。・・・まあどっちにしても争いごと自体無いに越したことはないんだけどね。

単なるファン心です。

なあんて話しながら、いつの間にかどこまでバランス耐えられるかゲームが始まっていました。エリカちゃんずるい。

雫ちゃん達はボートの縁に掴まって水の中へ――ってこれ逆じゃない?もしや私がさっきまで倒れてたから水中は危険扱いされてるのかな。休んでたから疲れてはないのだけど。

 

「うわっ!」

「きゃっ!」

 

その時だ。波が起きてバランスを崩させ、一方に偏っていた私たちに耐え切れずボートが転覆した!

原作と違くない?!私とエリカちゃん宙に放り出されたんですけど!海でよかった、と体を反転させて衝撃を抑える姿勢で入水。息も吸ってから落っこちたのでパニックにならずに済んだけど、ほのかちゃん達は――いた!まずい、パニクってる。一度浮上して確認するとすでにボートに掴まったエリカちゃん発見。

下を指差しほのかが、と言ってもう一度潜りなおす。雫ちゃんは・・・大丈夫だボートに影が見える。ひらひらしてるシルエットは間違いない。なら沈んでいるのはほのかちゃんだけということになる。追いかけようと姿勢を変えたところで上から人が潜ってきた。お兄様だ。

お兄様は自分が行くから上がれと合図してきたので言うとおりに浮上する。

お兄様が来たならもう安心だ。ボートはいつの間にか正常位置に戻っていた。エリカちゃんも雫ちゃんもボートに掴まっている状態で、今にもエリカちゃんがボートの上に戻ろうとしているところだった。

次いで雫ちゃんも上がるところでお兄様が浮上。しかし――ほのかちゃんが水面に顔が上がってもパニックだ。それもそう。彼女は今海面の下で大事件が発生しているはずなのだから。

一瞬、天使と悪魔が脳内で見るか見ないか戦争を勃発させたけど、だめだめ。見ようとなんてしたらただの変態です。

・・・でも手を貸そうとして見えちゃったならそれは事故よね天使様?

・・・だめだ。私は正常な判断が下せなくなっている。せめてお兄様の邪魔にならないように、自分の身は自分でどうにかしよう。

 

――そして悲しき事件はほのかちゃんの悲鳴で幕を下ろした。・・・お兄様、お疲れ様です。ラッキースケベの方も無事ミッションコンプリートです。泣いているほのかちゃんには悪いけど、――ありがとうございます。いいものを見させていただきました。合掌。

そしてやや強引であるがお兄様に一日言うことを聞いてもらう権利をゲット。うんうん。恋する乙女の前に常識なんてルールはないからね。どんどん突き進んでくださいませ。誰も止める者はおりませんので。

途中、お兄様から助けを求める視線を受けた気がしたけれど、ごめんなさい。私も罪を償わなければならないので、ほのかちゃんの言うことはぜったーい側に付かせていただきます。

 

 

――

 

 

この騒動に疲れた私たちはバルコニーでお茶をすることに。

その時になってようやく西城くんたちが遠泳から戻ってきた。

相当泳いだんだね。お疲れ様です。吉田くん、酸素入りますか?魔法で集めますよ。

 

「あれ?達也と・・・光井は?」

「あっち」

 

吉田くんがメンバーが足りないことに気付いて訊ねると、エリカちゃんがそっけなく指して教える。

海ではなかなか珍しい手漕ぎボートで二人はデート中だ。

だけどエリカちゃんの態度・・・もしやエリカちゃんも面白くない、とか?あらどうしましょう。こんなところにもフラグが。

しかしそんな空気を感じる余裕は遠泳に疲れている吉田くんにはない。

 

「へぇ、意外だけど・・・いい雰囲気じゃないか」

 

お。案外話せる口です?

そうだよね、いい雰囲気だよね。

美月ちゃんも微笑ましそうに観賞しているし、雫ちゃんなんて完全保護者目線で見守っている。

 

「どうなってんだ、ありゃ?」

 

西城くんは経緯が気になってるの?でもエリカちゃんが疲れたようにイロイロあったのよ、と返答。気にはなったようだけどツッコむことなく、目の前に運ばれてきたフルーツやお菓子に目を奪われている。

うーん、すごいね西城くん。

目の前の色っぽいお姉さんのセクシーな格好よりおやつに目が行くの?私は黒沢さんのむき出しの肩とおみ足、そして白のエプロンの虜です。私たちにはまだ出せない、大人びた雰囲気、最高。

 

「・・・深雪は気にならないの?」

 

おっと、ブラコン同盟からのご指名が。今気にしてたのは黒沢さんの魅力です、なんて冗談でも言えませんね。

 

「え?ああ、兄さんのこと?気にならないっていったら嘘になるけど、兄さんだって年頃だから」

「・・・年頃って、同い年でしょうが」

「そうだけど。うーん、でもそうね、兄さんよりもほのかの方が気になるかしら。――恋する乙女って可愛いわよね」

「わかります!ほのかさんとっても可愛らしいですよね」

 

美月ちゃんもそう思う?可愛いよね。

しかしこの答えではエリカちゃんは納得しない。

同じブラコンとしての違いに戸惑われてる?うーん。

 

「確かに友達と兄さんが、っていうのは複雑な思いになるのかしら?」

 

ただねぇ。私にとっては予定調和なもので、あまり複雑とは思わない。ほのかちゃんがお兄様を好き!これは決まっていたことだから。

そういうモノだと思っているから、むしろお兄様の恋愛フラグがちゃんと立って安心しているくらいだ。

 

「深雪は無理してない?」

 

今度は雫ちゃんだ。ずっと黙って見守っていたけどこっちの話は聞こえていたらしい。

だけど無理、とは。

 

「どうして?」

「・・・ないなら、いいの」

「そう?」

「ん」

 

雫ちゃんがいいなら、いいのかな?なんだか納得はいって無さそうだけど。

時折二人を遠目で眺めながら乾いたのどを潤した。

 

 

それからまたちょっと遊んでそろそろ夜に差し掛かる頃。

バーベキューコンロを囲んで皆でわいわい楽しむ。

今世初のバーベキューに私のテンションはいつもよりも高かった。

串から直にお肉にかぶりつく!もちろん深雪ちゃんの口は大きく開かないのでちょびっとずつではあるのだけど、美味しい!

 

「お肉、好き?」

「お肉と言うよりこういうスタイルで食べるの初めてで、この空気そのものが楽しいの」

 

雫ちゃんも野菜の串をかじりながら二人並んで食べる。

 

「あと、こうして友達とおしゃべりしながら野外で食べるなんてしたことなかったから新鮮で」

「そう」

 

にこにこと二人して笑っていると、エリカちゃんが割って入ってきた。

 

「なあに?バーベキュー初めてなの?なら雫、アレは用意されてるんでしょうね?」

 

アレ?

 

「モチ」

 

もち?

 

サムズアップして分かり合う二人。え、何々?バーベキューの定番??

 

「でも意外ですね。深雪さんならお友達から誘われることも多いでしょう?」

 

参加しなかったんですか、とは美月ちゃん。

純粋に気になったんでしょうね。エリカちゃんがちょっと気まずそうに身じろぎしたし、向かいのほのかちゃんにお世話焼かれて食べているお兄様も、こちらに視線を向けてきたけど、そんなに心配しなくていいよ。

 

「高校に入ってからなの、こうしてお友達と出かけるの。私、よく狙われるから自衛手段のない一般の子たちを巻き込むわけにもいかなくて。魔法科高校は皆魔法師だから、ある程度自衛ができる人ばかりでしょう?それに学校のセキュリティもばっちりだし。って、もちろん皆だから被害に遭っても大丈夫ってわけじゃなくて――」

「わかったわかった。わかってるから大丈夫。深雪がそんなこと思う子じゃないってことくらい皆わかってるから」

「おー。それにもし巻き込まれても実戦に勝る訓練はねぇからな!」

 

エリカちゃんは空気を払拭するように明るく笑い飛ばし、俺は大歓迎!と西城くんは豪快にお肉にかぶりつきながら笑って答えた。

皆も笑っている。

 

(・・・本当に恵まれてるよねぇ)

 

涙は出ないけど、代わりに笑みは零れる。

 

「ありがとう」

「どーいたしまして」

「・・・どうしてエリカが偉そうに答えるんだ」

「そんなちっちゃいこと気にしてるからミキなのよ」

「僕の名前は幹比古だ!ってそれどういう意味だよ」

「そのままの意味よ」

「・・・どっかで聞いたやり取りだなー」

 

そうだね西城くん。海水浴に来て早々の挨拶がそれだったね。

今日の出来事なのにもうかなり前の出来事のように感じる。それだけ今日が充実しているのだろう。

最後の〆はみんな大好き焼きマシュマロでした。

醍醐味だね!美味しい。幸せの甘い味がした。

 

 

――

 

 

食べ終わってもまだまだ夜は長い。

皆でカードゲームやボードゲームを遊び倒し、のどが渇いたから飲み物でも、と立ち上がった時事態は動き出す。

 

「深雪、よければ風に当たりにいかない?」

「いいわね」

 

お散歩のお誘いに一もなく二もなく頷いた。

お兄様がそれに気づいて動こうとしたが、ほのかちゃんに話しかけられて身動きができない隙に、私たちは部屋を後にする。

 

「ごめん」

 

唐突な雫ちゃんの謝罪は、恐らく――

 

「ほのかのこと?」

 

こくんと頷く雫ちゃん。

本当、友達想いのいい子たちだ。

別荘を出て、波打ち際まできた。

波は穏やかで、風も昼間と違ってそよ風程度。心地よい風に少し目を閉じて波音に耳を傾けた。

月明かりも十分で街頭など無くても明るかった。

これならロケーションもばっちりだ。

 

「それもだけど、達也さんを奪う形になってるから」

「奪う、かあ」

 

奪う、と言うのは私のモノと思われていない限りでない言葉だ。

 

「これから突拍子のないことを言うけど、聞いてくれる?」

「・・・うん」

 

雫ちゃんが神妙に頷いたのを確認してから私は月を見上げて語る。

本当は、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。

 

「兄さんには誰よりも自由になって幸せになってほしい。これは私がずっと願っていることなの。

どうしてそんなことを、なんて思うかもしれないけど、今の私には答えられないことが多すぎて説明できない。

私たち兄妹は複雑で、あまりにも多くの思惑や柵が絡みついているから」

「・・・もしかしてだけど、血が繋がってない?」

 

そこは心配になるよね。

お兄様と私はそもそも容姿は似てないし、魔法だって血縁関係者は似るのが一般的なのに得意魔法が違う上、私たちは一科生と二科生だ。

 

「気にしないで。よく似てないってことは言われているから。

血は繋がってるわよ。少なくとも書類上は間違いないし、何より母がそう言っていたから」

 

私たちは正真正銘の兄妹である。お兄様が言っているのだから間違いない。ただ、私の在り方が異常なだけ。

 

「そっか」

「逆に聞きづらいことを質問させてしまったみたいでごめんなさいね」

「ううん。こっちこそ踏み込んだことを聞いた、ごめん」

 

二人して頭を下げ合ってちょっと笑って。

ふわり、とそよ風が髪を揺らした。

 

「私が三年前に死んでるって言ったらどう思う?」

「・・・幽霊?」

「ふふ、違うわ。ちゃんと生身」

 

そう笑って言うと、雫ちゃんの手を取った。私の方が若干温度が低い。

 

「命が消える瞬間っていうの?徐々に失われていくのを私は感じた。死んでいくはずだったところを、死の淵から兄さんが――お兄様が救ってくださったの」

 

意識して変えた口調に、雫ちゃんは黙って目を見開いた。

 

「本当はね、いつもそう呼んでる。皆には内緒よ。

――お兄様に救われた時、今度は私が救う番だって思った。お兄様を唯一自由にできるのは私だから。

だから雫が私からお兄様を奪ってるなんて謝らないで。縛り付けている私が言うのもなんだけど、ね」

「縛り付けるって・・・」

「ごめんなさい。これ以上は言えない」

 

先ほどより強い風が吹く。

この空気を流そうとしてくれたのかもしれない、なんて妄想するくらいには、センチな気分になっているらしい。

 

「今頃ほのかはお兄様に告白できたかしら?」

「嬉しいの?」

「というより好奇心?ワクワクしちゃう。許されるならデバガメしたい」

「・・・それはほのかも達也さんも可哀想だからやめてあげて」

 

ほのかちゃんは分かるけど、お兄様も?気恥ずかしくて気まずくなっちゃうかな。

 

「深雪って本当に達也さんのことお兄さんとして好きなんだね」

 

そうよ、と返すつもりだったけどわざわざ言うこともない、と笑顔で返した。

お兄様たちがいるのはあちらの方向だろうか。

私の行動のせいで展開は変わってしまったりしてないだろうか?それが気がかりだった。

 

「体が冷えてきた。戻ろう」

「雫、綺麗なものを見せてくれてありがとう」

「ん。どういたしまして」

 

月夜に照らされた海はきらきらと、美しかった。

 

 

――

 

 

次の日。

熱い砂浜に熱々のカップルが!

ほのかちゃんが吹っ切れたようにお兄様にラブラブアタックしております!

いいですね。お兄様もたじたじになってる。けど突き放さないところが優しいよね。

 

「これは成功したとしか思えないんだけど」

「朝の話だとお二人はお付き合いしていないと宣言してましたよね?」

 

エリカちゃんと美月ちゃんが首を捻って目の前の光景を見つめていた。

そうなのだ。この二人朝にとんでもない発言で私たちの度肝を抜いてくれた。

 

「実は昨日、告白したけどお付き合いできないって断られました!」

 

まずこの時点でワン度肝は抜かれた。

 

「だけど達也さんに恋人出来るまでアタックする権利を得ました!」

 

ここでツー度肝抜かれて。

 

「・・・俺は恋ができないと断ったんだがな」

 

この呟きにスリー度肝引っこ抜かれたよね。

お兄様随分とオープン!言っちゃいますか、皆の前でそれ!

 

「なので全力でアピールしようと思います!」

 

スルーしたほのかちゃんは応援よろしくとばかりに宣言した。

 

「で、するの?応援」

 

しばらく眺めていたエリカちゃんだったが、そろそろ見るのが辛くなったのか、飽きたのかわからないけどこちらにパスを投げてきた。

応援とは恋する乙女ほのかちゃんへの応援ですね。

 

「んー、応援はしないわね」

「え!?どうしてです?」

 

美月ちゃんにとっても驚かれた。

そうだね。昨日も見守る態勢だからそう見られるのも無理はないのだけど。

 

「だって応援したら中立じゃなくなっちゃうじゃない」

「え、じゃあ達也くんの味方もしないの?」

 

お兄様の味方って・・・何をしたら味方になるのかな。

別にお兄様断りはしたけど拒否はしてないし。

 

「もう子供じゃないんだから、恋愛は本人たちの自由でしょう?恋する女の子を見るのは好きだけど、応援もしたくなるけれど、こういうのって近い人間が何かしようとすると拗れる典型じゃない」

「・・・たしかに」

「深雪が入ったら拗れるわね」

 

納得いただけたようで何よりです。

 

「さ、私たちも遊びましょ。私あれにチャレンジしたいの。砂に埋めてもらうアレ!」

「ド定番だけど地味に辛いヤツ」

「あれって罰ゲームなのかと思ってましたけど」

 

お兄様がいたら多分させてもらえないだろうから。

リクエストしたら皆ノリノリで埋めてくれました。

でもおっぱいはつけてくれなかった。まあ女の子にはつけないか、アレ。

そんなこんなで二泊三日はあっという間に過ぎ、宿題も勉強も無事に終わって最高の夏休みを過ごした。

 

 

 

のだけど。

 

「・・・お兄様?」

「おにーさまー」

「お兄様そろそろ」

「あとごふん」

 

わあ珍しい。お兄様のひらがな表記。

玄関開けたらお兄様が引っ付き虫になりました。ストレスと疲労が溜まったのか、はたまたこの休暇後の皺寄せの仕事の為のハグの前借りか。

でも五分って。もうすでに経ってますよー。

 

 

――

 

 

夏休みも残すところあと二日と迫った頃。私は一人、届いたモノを胸に抱いてくるくる踊っていた。

 

 

突然失礼しました。

あまりの嬉しさにちょっと、ね。舞い上がってしまいました。

お兄様は外出して今日は遅くなるとのこと。つまり一人でしかもオフ!やることはひとつ――そう、ぬいのお洋服作製!なんだけど、今まで一人で楽しんでいただけなので、急いで作る必要も無くちまちま手縫いで作業していた。

だけど気付いたのだ。文明の利器を使えばもっと作業は効率化できるのではないか、と。

・・・気づくのがどう考えても遅いよね。でもね、ミシンって骨とう品みたいなもので、学生がおいそれと手を出すのもな、って感じだったんですよ。個人用なんて今や使う人なんてほとんどいない。なぜならもっと優れた機能のミシンを貸してくれるお店があるからだ。店舗に行って型紙からオートで選んだ生地と糸でぱぱっと作ってくれるのだから皆それを利用する。つまり家でちまちま裁縫をするのは珍しいのだ。多分それを使えばこんな服も一瞬でできてしまうのだろうけど、この趣味全開のモノをいくら個室だからと言っても人様に見られる可能性があるような場所で縫えるわけがない。というか、こんな小さなお洋服縫っているなんて変に思われるに決まっている。

なので地道に家でこそこそ縫っていたのだけど、これが今や一人の趣味ではなくなってしまった。お仕事になってしまったのです。

そしてここにスポンサーの叔母様からのお手当があるのです。・・・たんまりと。

これをいつ使うのか?今でしょ!九校戦の衣装の納期が迫っています!!・・・とまあ、こんな流れがありまして。その納期も自分で設定しただけなんだけどね。催促なんて来てません。一応一か月くらい見積もってもらっているので間に合っていたのだ。

だけど今回は何と言っても種類が多い。

スポーツウェアにスタッフジャンパー、ミラージバットとピラーズブレイクの衣装にお兄様一科生バージョン。最後の以外は二着必要なのだ。・・・やることが、多い。

今まで何をしていたんだと思われるかもしれないだろうが、生地選びと小物の準備で手一杯でした。

素材は拘りだすと終わりが見えないものなのです。

そして今日!お兄様のいない今!待望のミシンが届き、これから作業に入る。

今日は絶対部屋から出ません。もしお兄様が早く帰られてミシンを使っているところを万が一見られでもしたらと思うとぞっとする。

けして見られてはいけません。鶴になってしまいます。

飲み物と軽食を持ち込んで準備は万端!

 

「うふふ~、楽しみ~」

 

百年経てばミシンも軽くなるが、性能はほとんど変わりがない。おかげで一から使い方をマスターせずに済むのはありがたい。

どれから縫っていこうかな?楽しみ。

なんて気楽な気分だったのは最初だけ。

 

「わあああ!楽しい!楽!!こんなに早く進むの?すごい!!」

 

テンションが爆上がりしました。

手が止まらない!楽しい!!

いつもちまちまちくちくやっていたけれどミシンはすごい。流石百年経ってもほぼ変わらない便利道具!素晴らしい。

気が付けばあっという間に頼まれていた分も、自分の分も終わっていた。

あれ?ご飯って食べたっけ?お腹すら空いていなかった。と時計を見ればもう夕食時だ。まずい。お昼スムージーだけで済ませてしまった。深雪ちゃんの美は一日にしてならず!ご飯を食べてお風呂に入ってしっかり柔軟しなくては。

一応机の上を全て片付けてから一人夕食を食べにリビングへ。今日は一人なのでHAR任せです。

 

(九校戦の服は一通り作ったから満足だけど、次は何作ろうかな)

 

現実にある服を着せ替えるのも楽しいが、たまにはファンタジーにもチャレンジしたい。

 

(八雲先生とお揃いの作務衣とかもいいけど、ナイトって呼ばれてるんだから騎士風衣装も捨てがたい。そしたら深雪ちゃんにはプリンセス衣装?どんなプリンセスドレスがいいかしら)

 

ご飯が食べ終わってもお風呂の中でも想像は膨らむばかりだ。

 

(夏休みは明日までだし、ちょっぴり夜更かししちゃおうかな)

 

お兄様からのお電話では何時に帰宅するかはわからないとのことだけれど、ちょっとくらいは許してくれるだろう。

まずはデザインを決めないと、とスケッチブックを取り出して形を決めるところから始めた。

そしてミシンのターン。

もしかしたら私はミシンを使うと人格が変わるタイプなのだろうか。そんなの聞いたことがないけれど。とにかくテンションが上がる上がる。

たたたた、とかすかに聞こえる音と振動は百年前とは違うけど、これはこれでいい。

煩くない分、作業に集中しやすい。

おかげで形はほぼできた。あとは装飾だ。おおざっぱはミシンでできても、細かい作業はやはり手縫いでないとできない。

ミシンをしまって針箱を――と手を伸ばしたところで部屋をノックする音が。

この家でノックをする人は一人しかいない。

まさか、と時間を見れば午前二時を回っていた!

 

「――深雪、起きているのかい?」

 

小さな声なのは寝ているかもしれないから起こさないようにという気遣いか。

どんな時でも部屋の中は覗かないでいてくれるお兄様。ありがとうございます。

机の上に何もないことを確認してからドアを開ける。

お兄様は帰ってきたばかりなのか、服は外着のままだった。

 

「おかえりなさいお兄様。ごめんなさい。熱中しててお出迎えもせず」

「ただいま深雪。それはいいんだ。だけどこんな遅くまで起きていたのが心配でね」

 

電気がつけっぱなしだったので気にしてくれたようだ。

 

「明日はゆっくりする予定だから、たまには夜更かしもいいけれど、」

「・・・こんな遅くまでするつもりはなかったのですが、時を忘れてしまったようです」

 

恥ずかしい。時間を忘れるほど熱中していたことが。せめてタイマーでもかけておけばよかった。

 

「珍しいね。深雪がそんなに熱中するだなんて。何をしていたか気になるところだけど、今日のところはもう遅い」

「はい。私ももう寝ようと思います。お兄様も夜遅くまでお疲れ様です」

「うん、おやすみ」

「おやすみなさい」

 

・・・・・・もう、寝よう。明日はお兄様とゆったりまったり過ごす予定なのだ。寝不足で予定を狂わせるなんてよくない。

 

 

――

 

 

達也視点

 

いつもと同じ時間に深雪は起きてきた。

朝食の支度をし、二人揃って食べる。

今日は師匠のところには行かないのでゆっくりと和食の朝食だ。味噌汁が美味い。

 

「まだ寝ていてもよかったんだぞ」

「いつも通り目が覚めましたので。それに、一度リズムを崩してしまいますと戻すのは大変なんです」

 

そういうモノなのか。

不規則に慣れ過ぎているためその感覚は分からなかった。

深雪は昨日の夜更かしを恥じているのか、俯き加減だったが顔色自体は悪くなさそうだった。

 

「俺には言えないいつもの趣味か?」

 

ちょっと意地悪かな、という質問に深雪は肩と視線を揺らす。

この嘘のつけない反応がとても可愛らしい。今日も妹は花も恥じらう可愛さだった。

 

「・・・つい、はかどってしまって」

 

そしてはにかんで頬を染めるのもとても可愛いのだが、はかどる、とはいったいどんなことをしているのか。

深雪はこの趣味に関しては頑なに口を閉ざす。

恥ずかしくて言えないそうだ。

気にならないわけでもないが、この彼女の趣味は彼女にとって精神安定剤のようなものなのか、部屋から出てくる彼女は大抵ご機嫌だ。

余程楽しい趣味なのだろう。

いつか話してくれればいいが。

 

「今日はゆっくり過ごすつもりだから、いつでも眠くなったら寝てもいいからな」

「せっかくお兄様とずっといられるのに寝てしまったらもったいないですから」

 

それに、今は眠くありません、と可愛いことを言って笑う深雪に思わず笑みがこぼれる。

こんな日常がこの三年続いている。

――なんて、幸せな日々だろう。

 

「せっかくだからゲストルームの部屋を開放してコーヒーでも飲もうか」

「あそこなら雰囲気もあっていいですね」

 

そうと決まれば、と食べ終わった食器を片付けて準備に取り掛かる。

とはいえそんなに大掛かりでもない。すでに使われないベッドや家具はなく、ただの空き部屋に机とチェアを用意して、窓を全開にするくらいだ。

小さい庭に面しているのでちょっとしたオープンテラスのように見えなくもない。

使われていない部屋でもHARの掃除範囲なので塵一つない。

窓を開ければまだ暑い風が流れてくるが、これも夏ならではのもの。こういう四季を体験できるイベントごとを好む深雪にとっては不快に感じる風も楽しむポイントの一つだ。

こんなものか、とセッティングを終えリビングに戻れば焼き菓子の香ばしさとコーヒーの香ばしさに出迎えらえられる。

朝食は食べたばかりでも、これならいくらでも入るだろう。いい香りだ。

 

「お兄様ちょうどいい所に。ちょっとお手伝いしていただけますか?」

 

近づくと今作ったばかりの混じり気のない透明な氷とアイスピック。

深雪はたまにこうして小さな頼みごとをする。

一緒に何かを作るという作業が、とても大切なことなのだと教えるように。

そしてそれがどれほど価値のあるものかを俺はもう知っている。

 

「できたよ」

「ありがとうございます」

 

この笑顔がどれほどかけがえのないものか。

 

(手放したくないと思えるほどに)

 

深雪はさっそく氷を入れたグラスにコーヒーを注いで魔法を行使する。

それはこんな片手間でやるようなものではない高等技術なのだが――たかがコーヒーの香りを逃がさないためだけに空気の幕を張ることに使うなど、ありえないほど複雑なものなのだが――彼女には息を吸うくらい簡単なことのように自然と使いこなしていた。

深雪はグラスの乗ったお盆を、俺は焼き菓子の詰まったバスケットや皿をもって共にリビングを後にした。

 

 

何を話すわけでもなく、隣で並んで座りコーヒーを飲み、クッキーを摘まむ贅沢な時間。

時折クッキーを摘まむタイミングが一緒になって笑い合ったり、食べさせてあげようとして困らせては、恥じらいながらも口を開ける深雪を愛で、この空間を満喫する。

昨日までの忙しさは、すべてこの時間のためにあったのではないかとさえ思う幸福なひと時。

そういえば――言い忘れていたな。俺としたことが、やはり疲れが出たのだろうか。

 

「着てくれたんだな、よく似合ってる」

「・・・ありがとうございます」

 

顔を赤く染める深雪に思わず手が伸びた。

赤く染まっても肌は熱くはなっておらず、冷たくて、それでいて滑らかでいつまでも触っていたい。

白い腕が眩しい水玉模様のサマードレス。

この前ご褒美と称して贈ったものだ。

実によく似合っているが、その姿ではにかまれると無性に抱きしめたくなる。

 

「お、兄様、これではコーヒーが飲めません」

「代わりにもう一枚クッキーはどうだ?」

 

触れたままの手はそのままに、もう一方の手で一枚クッキーを差し出せば、

 

「さっきいただきましたでしょう?」

「こっちはチョコチップだろう。さっきのとは味が違うよ――ほら、口を開けて」

 

可愛らしい抵抗に、少しばかり強引に唇に押し当てれば、素直に口を開く。

小さな口に挟みこまれるクッキーは一度には食べきれないので齧っては離れていく。

これを数度繰り返してようやくクッキーが無くなると、今度こそ、と深雪が頬に触れたままの手を無言で叩いた。

離してやるとさっそくコーヒーのグラスに口付けて、勢いよく飲む。

その白いのどが動くたびに、胸にこみあげるものがあり、目が離せなくなる。視線に敏感な深雪だが、俺の視線には警戒心が薄い。

今までの実績と兄としての安心感がそうさせるのだろうが、心配になる。・・・心配したところで、兄である俺が深雪に何かするわけでもないのだが。

そういえば、と水着売り場でのエリカたちと話していたことが甦る。

一条とは連絡先も交換しておらず、付き合いがないと言っていたか。

てっきりあれだけ深雪に見惚れていたのだ、連絡先くらいは渡していたのかと思っていたが、予想以上にプリンスは奥手らしい。

それともそこに頭が回らないほどダンスに浮かれていたのか。

 

(――珍しく深雪に見劣りしない男だった)

 

ダンスを自分から誘えない姿は情けないと感じなくもなかったが、堂々と深雪をリードする姿は様になっていた。

一条家の御曹司。次期当主。深雪と同じ立場の男。

婚約者となるにはハードルがあるものの、可能性はゼロではない。

深雪は興味がなさそうだったが、何があるかはわからないのが恋、というものらしい。ほのかから告白された時に言われた言葉だ。

以前からほのかから向けられた好意は気付いていた。

なぜそうなったかはさっぱりわからないが、俺に付き合ってほしいと正面から告白するのは勇気の要ったことなのだろう。震えながら言う姿に好感を持った。

だが、それだけだ。エリカや雫と変わらない想いしか向けられない。

そうはっきりと答えたのだが、そこで言われたのがさっきの言葉、

 

「何があるかはわからないのが恋ですから」

 

だった。

もしかしたら好きになるかもしれない。

他に好きな人ができなければ、その間好きでいられる私は有利になれるかもしれない、なんて恐らく本気ではないのだろう。諦めるにも時間が必要、と俺は解釈した。

だから好きにさせた。

断っては、せっかく友達ができたと喜ぶ深雪に悲しい思いをさせるかもしれない。それはさせたくなかった。

 

――「達也さんって深雪のことが好きなんだと思ってました。妹としてではなく女の子として」――

 

そんなわけがない。

深雪が妹であることは、誰よりも俺が知っているのだから。

何より彼女の兄であるからこそ俺は傍に居ることができるのだ。

 

「――さま、お兄様?お疲れですか?」

「いいや、あまりに幸せな時間過ぎて浸っていた」

「ふふ、そうですね」

「深雪も幸せかい?」

「もちろんです」

 

ぼうっとし過ぎたらしい。

横に深雪がいるのになんという失態だろう。

心配までさせてしまうだなんて、と思う反面彼女が俺を思ってくれているだけで幸せに思う。

 

「さて、もう銀行も開いた頃だし、そろそろ行こうか」

 

空になったグラスとバスケットを持ち、深雪は皿を持ってリビングへと戻る。

片付けはあっという間に終わり、外出用に日差し除けの上着を羽織る深雪を待って家を出た。

 

 

――

 

 

残暑厳しい暑さだが、深雪は気にした風もなく俺の右腕に腕を絡めて歩く。

外ではこうでもしないと面倒ごとが起きやすいことは学習済みだ。

視線の吸引力は落ちつくことなく年々増してさえいるが、こうしてくっついて深雪が楽しそうにしていれば、誰も何も言えない。

邪魔をしてはいけないとさえ思って道を譲られることもある。

そういう気遣いができる人間ばかりであれば深雪もいらぬ苦労をせずにいられるのに、と思わなくもないがこればかりはどうしようもできない。

銀行に入ると機械音のみが聞こえる時間が3秒。店員はよく動いた方だと思う。用件を聞かれてIDの更新だと伝えればスムーズに案内された。

銀行は今や金銭を引き下ろす場所ではなくなっており、ここにいる人間の大半は俺と同じ理由か、特別な取引かくらいしか用途が浮かばない。ほとんどの要件がオンラインで済むからだ。

ソファに腰かけると、横からかすかに呼吸の乱れ音、あくびだ。珍しい。やはり昨日の夜更かしがたたったのだろう。

 

「眠いなら少し眠ってもいいぞ。恐らく待ち時間はそれなりにかかるからな」

 

更新自体そう時間はかからないが、人を待つのには時間がかかるものだ。

いつも通りであれば恐らく15分は待ち時間がかかるだろう。なら一時的睡眠にはちょうどいい時間だ。

 

「でも」

「ひざは貸してやれないが、肩くらいなら問題ないよ」

 

流石に周囲の目のある場所で膝枕はしてやれないが、肩に凭れて寝るくらいなら、そんなに見咎められることもないだろう。

遠慮することはない、と伝えれば、深雪はためらったものの、眠気には勝てないのか「では少しだけ」と肩、というより腕に凭れた。

瞳を閉じたことで眩い美貌も落ち着き、周囲の人間もようやく視線を楽に外せるようになった。

綺麗な顔立ちなのは隠しようもないが、目が閉じられ、感情が見えなくなると人形のよう。

周囲からは美術品でも眺めるようなため息が漏れた。

それまでは落ち着いてなど見られなかったのだろうな。

空調が効きすぎているわけではないが、外から入れば涼しく感じる室内は風が満遍なく届いているので眠る深雪には少し肌寒く感じるかもしれない、と肩を抱き寄せて密着させると口元が緩んだのが見えた。

正解のようだ、とこちらも口元を緩ませたところで、妙な気配が近づくのを察知した。

信じられないことに、絶滅するだろうと思われていた銀行強盗が現れたのだ。

・・・なぜ成功率が限りなくゼロの犯罪なんかに手を出すんだ?

別の目的があるのかとさえ疑いたくなるが、気配を見る限りどう見ても素人だ。複雑な工程ができるとは思えない。

しかも眼を向ければ誰もCADを持っていない。非魔法師で、素人同然の動きからも大した犯罪者には見えない。武器は銃器とナイフだが、その銃は改造銃。・・・流れ弾や暴発を注意だな。

まだ犯罪者と思われる集団は肉眼では捉えられない。今のうちに深雪を見られないように顔を胸の方に引き寄せておく。

少し姿勢が苦しくはなるだろうが、片方の耳は胸に当て、もう片方の耳を手で塞ぐ振りをして、魔法をかけて遮音状態にした。

こんなくだらないことで目を覚ますことがないように。

肩に寄せるだけでも注目されていたのに、胸に抱き込むようにすれば更なる周囲からの注目が集まったが、それもすぐになくなる。

今時ドラマでもありえないニットの目出し帽に薄汚れたジャンパーと、クラシカル・・・レトロな格好に周囲の反応は恐怖よりも唖然の方が勝っていた。

四人の男たちが周囲に威嚇するよう銃を構えたり、窓口係員に対して喚き散らす必死な姿に、現実を認識し始めた客たちがようやく怯え始めていたが、声を出さなかったため犯人たちを必要に刺激しなかったのはよかった。

怒号にも似た声というのは人の恐怖を煽るものだが、今の俺にとっては深雪の眠りを妨げようと騒いでいるようにしか見えない。寝息に乱れはないので聞こえてはいないだろうが、気配で気づく恐れもある。

彼女の心音に合わせて背を叩く。少しむずがるように体を捩るが、すぐに体勢を整えると、おさまりがよくなったのか、また体の力を抜いた。こんな状態でも俺の腕の中だからと眠る妹の姿に愛おしくなるが、流石の俺もこの状況で笑うわけにもいかない。

あまり演技は得意ではないし、怯えるなんてこと自体ないので、周囲の顔をまねてそれらしい表情を作っておく。

しかしあまりこういった施設の防犯装置を見る機会はないのでなかなかに興味深い。

透明なシールドが天井から降りてきて窓口を覆う。

ボストンバックが押しつぶされて変形したことに気付いた犯人が慌ててシールドに発砲するが、着弾しても跳ね返りもしない。粘性の強い素材でできているらしい。跳弾にも配慮しているとは安全性はかなり高い。

ナイフも刃を通さないだろう。つまり犯人たちは攻撃手段を奪われ、窓口から金銭を要求する任務を失敗したということになるのだが、最後の手段とばかりにこちらを見た。人質を取れば交渉ができるとでも踏んだのだろう。

しかし、他にも客はいるはずなのに、犯人たちの視線はこちらに集中する。もちろん視線の先には深雪だ。

顔は見えていなくても、見事なまでに美しく流れる黒髪だけで人の視線を引き付ける。どんなに隠そうとしても深雪の存在を無視するのは無理なのだ。

目出し帽から唯一覗く目が歪むのが見えた。その目の色は好色を孕んだモノだ。ターゲットとして深雪に狙いを定めたのか。こんな危機的状況でも男たちに深雪が魅力的に映ったのだろうが、気に食わんな。

 

(――人目がなければ俺がヤるんだが)

 

だが天井裏での動きもわかっている。もう犯人たちに逃げ場はない。

深雪を狙っただけでこいつらの息の根を止めたくなるんだが、こんな奴らにかまけて深雪との時間を減らすこと自体がもったいない。天秤は思ったよりも大きく傾いた。

スピード解決と言っていいだろう。上から降ってきた警備員によって男たちは押しつぶされ御用となった。

深雪の眠りが妨げられなくてよかったということにしよう。

耳から手を離し、顔を覗けばもうじき覚醒するのか瞼が震えた。

 

「ん・・・」

「おはよう、Sleeping beauty。よく眠れたかな」

「・・・なにかありましたか?」

 

寝ぼけ眼で目を擦りながらゆっくり上体を起こしながら、何か異変を感じ取ったのだろう。

けれど深雪に聞かせるほどでもない。

顔にかかっている髪を耳にかけてやりながら。

 

「ちょっとした出し物がな。まあ気にすることじゃない」

 

そう言って頭を撫でれば腑には落ちてないようだが、誤魔化されてくれるらしい。

その後支配人が直々に来て、この一年の手数料を無料にしてくれるというサービスを受けて手続きをする。浮いたお金で(といっても微々たるものだが)ケーキを買って帰り、またティータイムをまったり過ごした。

 

明日からはまた騒がしい学校生活が始まる。

 

 

――

 

 

『生徒会選挙編』

 

 

 

なんというか、あけすけな女子トークって男子がいる場合、するのは避けるべきではないかな?

お兄様が大変居心地悪そうです。

 

「先輩方、妹の教育上よろしくないので、そのような会話をなさるなら我々は別のところに移動しますが?」

 

あ、違った。

居心地も当然悪かっただろうけど、私に聞かせたくない方が勝ったらしい。もしかしたらただの口実かもしれないけれどその割にね、表情がね。

はっきりしているのは夏休みを経て、お兄様の過保護がレベルアップしました、ということ。・・・なんで?何かあったかなと考えるも思い当たることがない。

ガールズトークは時に勉強になるから聞いておくのも大事なんですけどね。

・・・こういった話は前世とは擦り合わせようがないし。

でも結構生々しいね。知った先輩たちの口から聞くと余計に。渡辺先輩は彼氏の話だからいいけどその他は、ねぇ。

誰がどうとは言わないけれど、モテるって大変ですね。

これもしかしてお兄様に聞かせて女の子も大変なのよアピールなのか、はたまた早く手を出せアピールなのか・・・は流石に無いか。ううん、大変だね。

 

「過保護にするのもいいが、こういうのは知っておかないと彼女の場合対処が大変だろう」

 

もっともらしく言ってますが、渡辺先輩の目は揶揄いに満ちている。

悪い先輩の顔だ。

七草会長もお揃いで、親友同士仲良しですね。

 

「お兄ちゃんとしては知りたくないお話かな」

 

まあ妹の性事情を聴きたい兄というのは世の中存在しないと思う。

特にシスコンであれば余計に嫌がるのではないだろうか。

なのでブラコンである私も援護射撃をば。

 

「先輩方、私ひとりでしたらいいでしょうが、男性がいるところで話す話題ではないことは確かでしょう?それとも、もしかしてこの場で享楽に耽るおつもりでしたか?一人の男性に対して、とはなかなかなご趣味だと思いますが、先輩方は仲がよろしいのですね」

 

にっこり微笑めば先輩たちは固まった。

深雪ちゃんがこう言った話に突っ込んでくるとは思わないだろうからね。

お兄様から鋭い視線が飛んできますが私は引きませんよ。お兄様を揶揄おうとしたのですから、相応の報いは受けてもらいませんと。

 

「後輩を揶揄うのも、相手を見てからの方がよかったようですね」

 

ため息をつくのは市原先輩。

話にはほとんど加わってはいないものの、会話に参加していたのに、自分は注意する側へ回ることで切り捨てましたね。変わり身が早い。かっこいい。

中条先輩はずっとわたわたして顔を赤らめていたので、どっちかっていうと被害者のようだけど、実は結構へーと感心して聞いてもいたから同罪なんですがね。可愛いので許しちゃうよね。

 

「先輩方もこれから受験ですものね。ストレスも溜まるでしょうが、揶揄うにしても慎みはあった方がいいと思いますよ。兄さんだからこの程度で済んでいますが、他の男性で逆上でもされたら問題ですから」

 

いくら強い先輩方であっても学校でそういったトラブルに巻き込まれるなんて、噂でも広がったら良くないからね。だからこの話はここでお終い、と諭せば先輩たちは反省したように頭を下げて、この話を終わらせた。

これでいい?とお兄様を見れば若干不服そうだけど治めてくれたようだ。

 

「受験、もだけどその前に引退があるわね」

「そういえば会長選挙は今月でしたね」

 

今月、という割に焦りがない理由を市原先輩が説明する。

要はほぼ出来レースなんだそう。

新入生総代を務めた人間がやった方が、トラブルもなく皆が認めてもくれるだけの成績、実績もあるからケチもつきにくい。

だからすぐに決まると思っていた――ようだけど、見通し甘すぎませんかね?

総代が中条先輩なことわかってましたよね?彼女の性格を知っていて楽観視していたのは、服部先輩の可能性もあったからかな。

せめて九校戦の祝勝会で意思の確認をしていればよかったのに、とは後の祭りか。

案の定中条先輩は生徒会長になる気はないようだ。

そして話は飛んで来年の九校戦は選手として中条先輩も出なくてはならないことを告げられ、先輩は泣きそうになっていた。

 

「中条先輩にとって生徒会長は七草会長のように素晴らしい人なんですね」

「え・・・ああ、そうですね。やっぱり会長というからにはしっかりした人の方がいいと思います。だから服部くんがやってくれた方が皆も納得すると思いますし」

 

うん。理想があるなら自分なんか、って考えるのもおかしいことじゃない。

今これ以上私が何か言うのは、ただの追い打ちになるだろう。

 

「そういうものなのですか」

 

まだよくわからない、と不思議そうに見る私に中条先輩はニコニコ先輩の顔をして見守っていた。

 

 

――

 

 

お兄様は風紀委員ではない。

だけどお兄様はどうあってもこの世界の主人公なのだな、と思うのは騒動の渦中にどうしても巻き込まれてしまうということだ。

 

「服部先輩は部活連の会頭になるそうだ」

 

話を聞くと桐原先輩と花音先輩が口論しているところに出くわし、仲裁したところ、学内ニュースで一番ホットな話ということで立ち話が始まり、服部先輩から直接聞いたのだと桐原先輩が噂話にネタを放り込んできたらしい。

なんというか本当に面倒見いいですよね、桐原先輩。そして先輩たちの立ち話に参加させられるお兄様って・・・。

そしてもう一つ気になることといえば――お兄様は今朝、八雲先生に教わったんですかね?『快楽点』。喘がしちゃったんですか?花音先輩。確か原作では二人の争いを穏便に止めるためにツボを突いたと記憶していますが。聞けないけど。

 

「ではお二人の立候補者が消えた、ということですか」

「このまま何事もなく終わるということは」

「ないのでしょうね」

 

お兄様も嫌な予感を覚えたのだろう。

顔を見合わせて二人してため息を吐いて。

 

「幸せが出て行ってしまいましたね」

「ならすぐに補充しないとな」

 

補充というよりこれはたぶん前借りになるのだろうな。ハグをしつつ頭を働かせる。

さて、私はどうしようか。本編通りに事が進むことのほうが都合がいいのは事実。

七草会長との特大恋愛フラグはここが分岐点ですからね。あまり逃したくないイベントではあるのだけど、そのためには私だったり、お兄様だったりが候補者に祀り上げられそうになったりするわけで・・・。だけど原作と決定的に違う点がある。

お兄様は二科生どころか一科生にも嫌われてはいないのだ。

九月の登校から、皆お兄様に気さくに話しかけるようになった。九校戦が影響していることは間違いない。

今まで私や会長からの贔屓だとか思惑が、とか言っている人たちは多少なりともいたのだが、あの試合を見て見方を変えた者だったり、運動部の部活内で話題になって実力は本物であると太鼓判を押す者が現れたことで、マイナスイメージがほぼ消え失せたのだ。

凄いね九校戦。

そしてどうして原作はこんなにうまく事が運ばなかったのか?・・・たぶん私が過剰に反応したり、褒めたたえるのが女の子たちばっかりだったから反感しか買わなかったんだろうな。

ハーレムではやっかみしか売ってないからね。

どう動いたものか、とあまり本腰入れて考えられないのは、原作の流れを変更することにメリットを感じないからだ。

私やお兄様のような一年生が生徒会長になるなんて、生徒会長としての一番の旨味とされる絶大な権力と将来の知名度、貢献度を得られる人が一枠減るということになる。恨まれるとまではいかないまでも、面白く思われない可能性も出てくる。

中条先輩にとってその一枠が必要かはわからないけれど、持っているのといないのでは将来的に影響に大きな差があるはずだ。

 

(――つまり下手に動かず流れに身を任せての静観がベスト、か)

 

違う点があろうとも原作強制力が働くはずだ。

結局何もせず、という結論に至った。

 

 

 

お昼に生徒会室ではなく、食堂でみんなと食べていると、ここでも話題は生徒会選挙だ。

どうやらさっそく生徒会が改革の旗頭的に二科生を生徒会長に選出するのでは?と噂が流れているようだ。

お兄様のことですね。

お兄様はすでにその話を聞いていたのか、ちょっとうんざり気味だ。お疲れ様です。

クラスの皆は賛成ムードなのだそう。でもお兄様は当然乗り気ではないのでちょっぴり不機嫌だ。

ほのかちゃんは応援します!と張り切ってるけどよく見て。本人嫌がってるから。

 

「兄さんは皆の期待の星になってしまったのね」

「・・・勘弁してくれ」

 

参っているお兄様というのも珍しい。本当に高校に通うと珍しい、見たことのないお兄様に出会える。それが嬉しいのだけど、お兄様にとっては不幸なのかしら?

 

「深雪?」

 

笑っているのを見咎めたのか、低い声で名前を呼ばれるけれど、頬は戻らない。

 

「ごめんね。打ちひしがれる兄さんも素敵よ」

「・・・複雑だ」

 

あらま。素敵と言われて喜びたいけど、打ちひしがれてることにそう評されるのは納得がいかない、と。

困った。笑いが止まりません。

このままじゃご飯が食べられない、と困っていると一人の見覚えのある生徒が近づいてきた。

直接かかわってはいないのだけど、ある種私たち兄妹の影響で有名になった人――演劇部の部長さんだ。

 

「司波兄妹に話があるんだが、いいかな?」

「あれ?演劇部の部長さん、だよね」

 

エリカちゃんが真っ先に気付いたけれどお兄様はピンと来てないようだ。

 

「ああ、あのプリンセスとナイトの!」

 

美月ちゃんの声にようやく思い至ったようだ。

 

「あーあれかー」

 

そんなのあったなー、とは西城くんで、吉田くんは見に行ってないけど噂だから知ってる程度だそう。

因みにほのかちゃんと雫ちゃんは見に行ったらしい。

演劇内容としても面白かったんだって。

第二弾まであるとは聞いていたけれど私も見たことはないので噂どまりだ。

 

「その、演劇部部長がどのような御用でしょうか」

「すまない。ここでは少し話しづらいことなんだ。放課後でいいから少し時間をもらえないかな」

「俺は大丈夫ですが――深雪は?」

「私も少し遅れても問題はないかと」

「なら演劇部の部室とは別の準備室があるんだけど知っているかな?――ここ、この部屋で待っているから来て欲しい」

 

どうやら内密の話らしい。

お兄様と顔を見合わせて、頷き合うとお兄様が了承を伝えた。

去っていく先輩をしばらく見つめながらなんだろうね?と話してお昼は終わった。

 

 

――

 

あっという間に放課後。

お兄様と待ち合わせて部屋に行くと、先輩は私たちの姿を見て立ち上がると勢い良く頭を下げた。

 

「まずは君たちに謝罪させてほしい」

 

思い当たることのなかった私はお兄様を見たのだけど、お兄様は何かを察していたのか、険しい顔で見下ろしていた。

 

「――頭を上げてください先輩。まずは説明をお願いします」

「そう、だね。まずは二人とも座ってくれ」

 

椅子は全部で6脚あった。お兄様が引いてくれた椅子に腰かけ、お兄様もその隣に腰かけるのを静かに見ていた先輩は、大きく息を吸い込んで自身も座ってから話し始めた。

 

「俺は元々あまり創作が得意でなくて、うちの部の伝統で新歓は部長の創作でショートを作ることになっていたんだが俺の手に余っていてな。だから部員に頼んで去年のモノをやろうとしていた。部員たちは納得はしていたがあまり乗り気でなくてな。もしかしたら新入部員数が定数割れする恐れもあった。

――そんな時だ、君たちを見たのは。

衝撃だった。雷が落ちると表現されるがあれは本当なんだな。それほどのスパークが頭に起こったんだ」

 

滔々と語り始める先輩に、私は思った。

 

(先輩、創作苦手じゃないよ。その表現力持ってそれはないよ)

 

確実に創作できるオタクです。ようこそこちら側の世界へ。

要約すると、先輩は四月の騒動でインスピレーションを受けて台本を書きあげることができ、それが評判となり続く作品も調子がよく人気が出たのだとか。そこで更に自信をつけた先輩はこの作品を製本、この夏某所のイベント会場にて販売したらしい。

どう聞いても同人即売会ですね。百年経っても廃れない文化、素晴らしき煩悩。

一次創作は初めての場合そこまで売れることはない。先輩は特に告知もしなかったようなのでほどほど売れたらしいのだが――そこで事件は起きた。

まさかの買ってくれた少数の人の中に出版社の人間がいて、その本に目を付けたのだとか。

今の時代にこの類の小説は珍しい着眼点だ、と。今時代はこれを求めずにはいられないだろう、と熱烈なオファーに先輩は――疑心を抱いたらしい。こんな旨い話があるはずがない、と。

危機感がちゃんとあって安心しましたよ先輩。

だが出版社も本物で、本人もちゃんとその会社に勤めていて、何より日本でも有数の出版社が詐欺まがいのことをするかと慎重に慎重を重ねて確認していった結果、どうやら本当に出版を熱望してくれていることが分かった。

そうなると問題が一つある。

いくら創作物であってもこれが私たちを題材にして生まれた作品だということ。しかも今まで許可を取らずにやっていたこと。

それらをきちんとしなければと思った先輩は、こうして場を設けたのだそう。

 

「・・・お話は分かりました」

「勝手なことを言っていることは承知の上だ。もちろんこの話は君たちの許可がなければ俺は出すつもりはない」

 

さてどうしたものか。

本を読んでいないので肖像権がどこまでのものかわからない。

が、たとえわからないように書かれたとしても一高生徒なら気付くし、それを表立って言ってしまうことは避けようがない。

私個人としてならぜひ出版していいよと手放しに応援したいところだが――あ。

 

「先輩、出版社の方の名刺って見せていただいてもよろしいですか?」

「え?ああ、それならこれだ」

 

差し出された一枚の名刺。

そこには――有名出版社と担当者の名前。どこにでもある普通の名刺にしか見えない。

お兄様ものぞき込んで思案顔。

 

「このお話、いったん持ち帰っても?」

「あ、ああ。すぐに答えは出ないだろうからこちらはいくらでも待つよ」

 

ありがとうございます、と言って立ち上がる。

同時に立ち上がったはずなのにお兄様はすでにドアの横にいて開いて先に出た。そのあとに続いて出ようとするが、先輩の目は不安に揺れ――ではなくキラキラと素敵なものを見たように輝いていた。

 

「君たちは自然に姫と騎士として暮らしているんだね」

 

オタク、感動するとすぐ感想口にしちゃう。お兄様の目が厳しくなってるので気を付けて。

まだ許可を出してないのに次回作練るのはちょっと早いです。

気持ちはわかりますけどね。きっとすぐ創作活動しちゃうんだろうね。オタク溜まったものを放出しないと爆発しちゃうから。

部室を後にして私は生徒会室へ、そのあとお兄様は図書館へと向かわれた。

 

 

――

 

 

さて、と。恐らく間違いなければ――だけど。

 

(・・・どういうわけか、四葉が動いている)

 

あの名前には見覚えがあった。

四葉の抱える工作員の名だ。主に情報操作に回る諜報グループの一人。出版社に勤めていたとは知らなかったが恐らく間違いない。

お兄様はご存じだろうか?おそらくだけど四葉との関係には気付いたかもしれない。

 

「そういえば達也くんが立候補するんじゃないかって噂聞いた?」

 

七草会長が楽しいとばかりに弾んだ声で尋ねる。

お兄様のネタは先輩にとってのいい娯楽のようですね。

 

「ええ。私も相談されましたが、二年の間にも広がっているみたいですね」

 

あら、市原先輩は後輩から慕われてますね。頼りたくなる素敵な先輩だものね。・・・クールビューティーだから会長より親しみは無いように思うけど、信頼性がね?ってことかしら。

 

「一年の間でも、特に二科生の間では有名のようですね。期待されているようで兄さんが困ってました」

「あら困ってたの?そのまま立候補してくれればまた一高の歴史が変わって伝説になれるのに」

 

そんな伝説お兄様は嫌がるでしょうね。

市原先輩も同じ考えなのか半目になって会長を見つめていた。

 

「深雪さんが応援したら確実に当選するわよ」

 

私に水を向けてきたけれど、無理ですよ。

 

「兄さんが生徒会長になりたいのであれば応援もやぶさかではありませんが、そんなことしては勉強の時間が取られてしまいますので、ないでしょうね」

「勉強って、あれだけ頭いいのにまだ知識を詰め込もうというの?!」

「そちらを応援しているので生徒会は諦めてください」

 

きっぱり言うと七草会長はべたっと机に倒れてしまった。

そして市原先輩の檄が飛び、中条先輩がびくっと体を震わせて――いないのでした。

ここ数日、中条先輩は生徒会室に来なくなっていた。

立候補を勧められるのが嫌なのだろう。

服部先輩には正当な理由があるが、中条先輩はできないと思い込んでいるだけだから余計来づらいのだろう。

 

「七草会長は中条先輩になってもらいたいのですよね?」

「それは、もちろんなってくれたらこんないいことはないわ。彼女にはいろいろ目を掛けてきたから」

 

つまり最初から次期生徒会長として育成していたのだ。

ならやはり彼女が生徒会長になるのが筋なのだろう。

帰宅時間、お兄様が迎えに来てひと悶着あったのだが、七草会長がバッサリ断られただけなので何事もなかったように帰宅した。

 

 

 

私はすぐさま専用回線で叔母様にメールをしたためた。

お兄様も知らない特別回線だ。この家でどうやってお兄様に知られずに?なんてわかるはずもない。四葉、隠匿は得意中の得意なのだ。

数日のうちに連絡が来ればいいかなと送ったメールに、まるで予期していたかのように返事が届いたのは、夕食の準備に向かう直前だった。

・・・もしやカメラでも仕掛けられてはいないだろうか?

あまりのタイミングで疑いたくなるが恐らく、多分、それはない、と思う。・・・なんでこんなにはっきり断言できないんでしょうね?四葉って不思議。

さて、返信ですが――ああ、やっぱりそういう?いざという時の手の回しようが本当にすごいですね。

 

「出版しても問題ないとのことです」

「もう本家から連絡が来たのか?」

 

夕飯を囲みながら切り出せば、お兄様は少し驚いた声を上げた。

そうだよね。本家って忙しくて連絡なんてそんな簡単に取れるわけないのにね。

 

「すでに手は回しているそうなので、権利を誰も奪えないようになっているそうですよ」

「つまり何かに利用されそうになったり、俺たちの名が表に出ることはない、と?だが一高生徒はどう対応するんだ?口を閉ざすのは無理がある」

「それについても、出るとしても司波なので。それに恐らくなのですが、もし四葉とばれた場合の予防線に使うのでは、と」

「・・・予防線、になるのか?」

 

お兄様は疑念を抱いているようだが意外にこういったイメージ戦略って地味に効いてくるのよね。

 

「実際一高ではお兄様の心象操作に多大な影響を与えてますからね」

「そんなものか」

 

理解しづらい心理戦にお兄様は首を捻るが、こればっかりは理屈での説明は難しい。

とりあえず明日先輩にOKを出すということに決まった。

 

 

――

 

 

そんなこんなであれから一週間、学校内では前代未聞の一年生の二科生が生徒会長になるのではと話題になっていた。

流石に一年生はないだろう、というのが大半の意見だが、なったらすげーな、と他人事で楽観視する者もいた。

そこまで否定的なものはなかったが当然面白くないという輩は一定数居るわけで。

お兄様もうんざりして噂の原因を突き止めようとしたが、4月の一件を知る教諭方に賛成派が多いことも手伝ってこの噂の信ぴょう性を高めてしまったらしい。・・・故意に噂を広めている人もいるみたいだけど。

そしてこの日、七草会長がお兄様の教室へ訪れたことで事態は一変する。

 

「中条先輩を説得する。ついてきてくれるか?」

 

お兄様からお誘いを受けました。

もちろん、とお兄様に連れられて上級生の教室へ。

噂の影響で思いっきり視線を浴びたけど、それくらいで怯む私たちじゃない。

中条先輩は青い顔をしながらお兄様に連行され、説得という名の脅迫を受けているようにしか見えないね。

お兄様の迫力のせいだけではなく、中条先輩の怯えっぷりがそう見せるだけなんだけど、すごい。小動物いじめてる気分だ。

そんな中、お兄様は特大のえさを、馬の前にニンジンを吊るしだした。

FLTの飛行デバイスのモニター用試供品だ。

見事な釣り上げ。中条先輩のやる気は一気にマックスまで上がり切った。

だけどね、これだけは勘違いしてほしくないから。

 

「中条先輩が生徒会長になることを、私はおかしいとは思いません。

だって先輩はいつだって和を重んじて、争いにならないようにと働きかける優しい先輩ですから。

七草会長を間近で見てきた先輩は気後れしているのかもしれませんが、会長と同じことを求められているわけじゃないんです。

中条先輩らしい会長であることを皆期待しています」

「・・・私、らしい?」

「中条先輩だからこそ、できる会長の形です。それはもちろん服部先輩にもできないこと。どうか、自分なんてと言わないでください。先輩を慕う一人の生徒としてお願いします」

 

頭を下げると先輩は慌てふためくけど、最後にはわかった、と言ってくれた。

 

「そこまで言って貰ったのにいつまでもうじうじしちゃダメよね。ありがとう、私、頑張る!」

 

気合を入れる先輩の目にはデバイスだけではない何かが映っていた――と思いたい。

 

 

 

「中条先輩のこと、そんなに慕っていたのか」

 

帰り道、お兄様のつぶやきがこちらです。

 

「中条先輩あんな可愛らしい見た目からは想像つきにくいかもしれませんが、仕事の処理能力が高いんですよね。それでいて癒し系なんですから、一緒に働きたい上司ランキングのトップに食い込むのではないかと」

「・・・ああ、そんなランキング聞いたことがあったな」

 

何でもランキングにする文化も廃れていなかった。

日本人百年をガラパゴスしてた説。

 

 

――

 

 

準備は順調に進み、選挙も迫る頃、お兄様はやっぱりというか、渡辺先輩からの極秘任務を受けていた。

風紀委員じゃないのに何でそんなに接点が生まれるのですかね?お兄様放課後は図書室に籠っているはずだから校内をぶらついていないはずなのに。

もしかして私が感知してないだけで、フラグ乱立してました?ミニクエスト攻略中です??

というわけで会長誘って帰宅中。

いやあ、お兄様ったら臆面もなく皆の前で七草会長のこと美少女っていうモノだから驚いてたよね。

会長しっかりと撃ちぬかれてましたよ。

でもそれをおくびにも出さないようにして、護衛でも頼まれたんでしょ、なんて憎まれ口をたたく会長。うーん、つんつん頑張ってますね。

そして話は会長の一人帰宅の理由について。

想像通り、周りを巻き込まないためでした。

 

「私のボディーガードはこの先の駅で待ち合わせてるの。連れ立って歩くのってなんだかお嬢様って言ってるみたいでちょっと恥ずかしくて」

 

一応自衛はできるしね、と見せられたCADは待機モードですぐさま対応できるようになっていた。

 

「だから駅まで、ということですか。――ですが、どうしてそれを俺たちに?」

 

渡辺先輩も知らないことを私たちに教えたことに疑問をぶつけるお兄様に先輩は笑って答えた。

 

「達也くんと深雪さん、二人と一緒に帰りたかったから、かな」

「私も、ですか?」

 

ついそう出てしまうのは、お邪魔虫じゃないかなという思いがあったから。

 

「去年の秋に生徒会長になって、最初の半年もそれなりに充実してたけど、この半年は私にとっては本当に充実した時間だったから」

 

どれほどの意味が込められていたのだろう。

半年を振り返った会長の顔はとても、本心から充実していたといわんばかりで――

お兄様に眼差しを向けて、

 

「そして、それはきっと、二人のお陰だと思うから」

 

とても美しい笑みを浮かべられて言った。

たった二つしか違わないのに大人を感じさせる年上の笑み。

 

「・・・過大評価だと思いますが」

 

お兄様のささやかな反論に、しかし会長はお見通しと言わんばかりに噴出して。

 

「最近分かってきたけど、達也くんって照れ屋さんよね」

 

(わああああ!すっごい!!私今ラブコメ世界を目の前で!)

 

スチルが見えました。BGMもキラキラしたものに変わった気さえします。フレームはピンク色!

胸が大いに高鳴っております。大興奮。

七草会長は堪えきれないとばかりに、けれどお嬢様の品を欠くことなくコロコロと笑う。

 

「そ、そーいうところは年相応なのかな?時々年齢を十歳くらい誤魔化してるんじゃないのかって感じることもあったんだけど」

 

ここで飛び切りの笑顔で言うのだ。

 

「・・・あーちゃんも、はんぞーくんもとってもいい子たちだけど、貴方たち兄妹はきっと私の高校時代一番の思い出になる素敵な後輩だから」

 

・・・これはオチますわぁ。久しぶり、素の私。落っことされたね。沼に。

これが大抵の我侭も許せちゃう美少女の笑み。恐ろしい威力です。

イイもの見せていただきました。と心の中で拝みつつ。

やっぱりお兄様にはこういったラブコメ要素は外せないね。お兄様を照れさせることのできる先輩は貴重。大事にしていきたい。

そして駅に到着してお嬢様をお迎えに来たのは、これまた設定もりもり老執事風のイケオジでした。服の上からでもわかるしっかりした体格は今でもバリバリ現役だとわかる。気配こそは静かなのがまたそっちのお仕事も担当されてます?と疑いたくなる佇まいだ。好きです。

更に数字落ちを臭わせるところも過去が闇深そうで美味しさ二倍。お兄様を悩ませる存在ではあるけれど、オタクは軽率にキャラをもぐもぐ美味しく食べようとします。

帰り道、お兄様はやはりそちらに思考を奪われているようだった。

邪魔しても悪いので私も静かに並んで歩く。

玄関に入るまで無言だったお兄様が手を掴んできた。

はて、なんだろう?とお兄様の顔を見るとお兄様も不思議そうな顔。

 

「お兄様?どうされました?」

「・・・いや」

 

もしや無意識?いろいろ考えることがあってストレスにでもなっているのだろうか。

とりあえずハグします?とばかりに空いた手を広げると、お兄様にはすぐに通じて掴んだ手を引き寄せる形で抱きしめられた。

 

「おかえりなさい、お兄様。今日もお疲れさまでした」

「深雪も、付き合わせて悪かったね」

「私も会長と帰れてよかったです」

「そうか・・・」

 

ううん?そんなに名倉さんの存在ってお兄様をぴりつかせる話題だったかな。

十師族と数字落ち。優等生と劣等生。この差別も根深い。だからだろうか。

 

(もしかしてお兄様は七草会長を心配している、とか)

 

恋愛脳がそちらにまで手を伸ばしてくるが、恐らく違うだろう。

 

「心配事ですか?――七草会長が無事帰れているか」

「それは心配ないよ」

「では、護衛の方が気になりますか?」

「・・・深雪には敵わないな」

 

ぎゅっと抱きしめられて少し苦しいが、そんな素振りは見せずにお兄様の背に、繋がっていない方の腕を回す。

 

「俺が気にするようなことではないと思うがな」

 

ぽつぽつと語るお兄様に相槌を入れてようやく思い当たる。

――どんな意図があってわざわざ十師族直系の娘に、欠陥品扱いを受ける数字落ちをボディーガードとして傍に置くのか。

お兄様はこのことを気にされていたのか。

闇は深く、複雑に絡み合っていて下手に手を触れることができない。

その夜は早く寝た。

お兄様は起きているかもしれないけれど、一人で考えたい夜もある。

いつも私に時間を割いているのだから余分に気を使わせることなどあってはならない。

因みに会長との下校中、奇襲が来ることはなかった。

厳密にはきたんだけど、私が目線を合わせて微笑むだけで腰が引けていなくなっちゃったんだよね。不思議―!

 

 

――

 

 

選挙当日。

今日の授業は午後、丸々これでつぶれる。

司会進行役を仰せつかっているので、誰よりも早く入って準備に取り掛かる。お兄様はこの場にはまだいない。風紀委員はすでに来ているけれどお兄様は風紀委員ではないからね。今日は一般席だ。

・・・こんなこと言うの失礼かもしれないけど、お兄様に一般席、なんだか似合わない。いつものメンバーと一緒だといいね。

選挙についてはおそらく大したトラブルもないだろう。中条先輩に不服を抱いている生徒は少ないから。

だが生徒総会は違う。

一科生優遇の象徴的だった生徒会役員の一科生のみの選出制度を撤廃し、二科生にも権利を与えるというのは根強い選民意識の残っている、中途半端にプライドの高い生徒には許しがたいことではあるのだ。

生徒たちも集まってきて、七草会長による最後の生徒総会は暗雲立ち込める中始まった。

七草会長は堂々と舞台に立ち、自ら掲げていた公約を成そうと声高らかに。

 

「・・・以上の理由をもって、私は生徒会役員の選任資格に関する制限の撤廃を提案します」

 

カリスマ性のある姿だと思う。自信に満ちて、正しいことに導かんとする姿勢は後に続きたくなる気持ちにさせる。

けれど強すぎる光というのは、必然的に深い闇も生み出すもの――。

質問席に三年生の女子生徒が立った。

表情は暗く、声も小さい。けれどその声には抑えきれない感情が込められていた。

建前は正論だが、言っていることは贔屓にしている二科生生徒を役員に指名したいだけだろう、と。

私利私欲のために権力を振りかざすな、と。

不満、妬み、嫉妬。

そうなのだ。私が七草会長より中条先輩を推す理由はここにある。

彼女は争いを生みやすいのだ。

家のことももちろんだが、その美貌と一部男子に対しての態度は、あまり褒められたものではない。

もしそれが平等なものであり、他の生徒にも向けられていたならまだよかったのだが、限られた人間にのみ向けられたその姿が美形や優秀な者を侍らせて奔放に振舞っているように映り、結果反感を煽っていた。

だが七草会長とて真正面から言われることに慣れているのか、冷静に対処している。

自らに悪い所などないのだといわんばかりに。

 

「私は院政を敷こうなど思っても居ませんよ」

 

おどけて言うことで会場からは笑いが起こるが、これも相手を煽ることになるのではないのだろうか。

余裕ぶりをアピールしたいのだろうが、衆人を味方につけて意見を押しつぶそうとするどこに誠意が見えるというのか。

会長に意見できる隙がお兄様の件しかないことで、この会場がマスコミの囲み取材かと思わせるゴシップ塗れた空間と化している。今頃お兄様はエリカちゃん達に突かれているだろうか?だとしたら可哀想なお兄様。

次第に会長も頭に血が上ってしまったのか、選民思想を非難してしまう。避けてきた否定ともとれる発言をしてしまう。

会場は概ね拍手で包まれたが、――これは明らかなる会長の落ち度だ。導火線に火をつけた。

 

「会長は結局あの二科生の一年生を依怙贔屓したいだけじゃない!知ってるのよ!昨日の帰り、そいつと駅まで一緒だったでしょう!」

 

感情論は時に理論をも崩すことがある。理屈じゃない、人は信じたいモノを信じるのだ。

面白そうなことがあれば、そちらが真実になることもある。

――そして、予想外の切り口にとうとう会長は動揺し、顔を赤くした。

一体何を思い出してこの場面でそんな顔をしたのかはわからない。けれどそのおかげで反乱軍は勢いを増してヒートアップする――前に私はマイクにスイッチを入れた。

 

「皆さん、お静かに願います。そしてしばしお時間をいただければと思います」

 

司会者特権です。有効に使わせていただきましょう。

 

「これまでの質疑応答の内容は二点。

一つは二科生は実力がないのに一科生を押しのけてまで生徒会役員になれるはずがないというのが一点。

もう一点は一人の生徒を優遇するため会長の私欲で撤廃しようとしたのではないかという疑念。

――一つ目につきましては、九校戦を見た方であれば納得された方もいらっしゃるでしょう。

新人戦のモノリスコードは『運営側の事故』により、急遽代役として二科生の生徒のみで編成されたチームで挑むしかありませんでした。即席のチームです。たとえ練習していた一科生であっても絶対的不利の状況で、一高の奇跡と呼ばれる快進撃が起こりました。決勝での試合はおそらく大会史上最も熱い戦いとも言われています。実戦力は二科生の中にも一科生に引けを取らない生徒がいることは疑いようもありません。

そして成績についても私は新入生総代ではありますが、多くの人の知るところでしょうが、筆記試験は未だ一位の二科生に追いつけません。

このことからも二科生だから実力がないという、今までの常識を覆すには十分な結果が残っています。

私たちはこの事実から目を背けることはできません。

公正な立場を鑑みても、二科生だから生徒会役員にできないという制度は見直すべきであると判断いたしました。

そしてもう一つ、一人の生徒に対する贔屓、とのことですが」

 

視線を向けなくてもお兄様に視線が向いてるのがわかる。

・・・本当不憫の星に生まれましたね、お兄様。追い打ち掛けるような発言を許してね?

 

「それは恋愛感情があり、振り向いてほしいがために権力を与えようとしているということでしょうか?

またはお付き合いしている男子に内申点を与えるため、将来のことを見据えて箔を付けるために、役員職を据えようとしていると思われているのでしょうか?」

 

「(ちょ、ちょっと!何を言ってるの深雪さん!!)」

 

マイクの入っていない七草会長の声が聞こえますが無視です無視。

会場もざわついているけど無視して質問者を見つめます。

彼女は突然の質問に戸惑っているようだが、どちらの方がインパクトがあるか、信じたいかと考えれば答えは自ずと出るわけで。

 

「箔を付けるために、でしょう!」

「では問います。生徒会長はいつから恋愛禁止になりましたか?」

「え!それ、は・・・」

「別に一高は生徒会長の、というより生徒全般恋愛禁止などという制度も、暗黙の了解などもありません。

先輩は学校の顔たる生徒会長には恋人を作ることは、許されるべきではないとお考えですか?

確かに恋にかまけて学業や生徒会業務が滞るというのであれば、そう思われるのも仕方ないかもしれません。

もしそれが理由なのだとしたら、七草会長の仕事ぶりは近くで拝見していましたが、恋にかまけて手を疎かになる、という場面に出くわしたこともございませんでしたので、そのような心配は無用だと思います。

その彼氏とされる男子生徒が能力もなく、生徒会役員に相応しくない学力、実力の持ち主であり、素行が著しく悪いのならば非難されるかもしれませんが、皆さんの視線を見る限り、その生徒の方は実力不足とは言い難い仕事ぶりを九校戦で発揮されてました。

そのうえで、箔を付けようというのであれば――それはとてもロマンチックなことではありませんか。身分差のある男女が様々な困難を乗り越えて結ばれる、・・・とは流石に夢見がちな冗談ですが、やはり問題はないように思います」

 

そう締めくくると会場は静まり返った。

わあい、皆を絶句させちゃった(はぁと)。

横を見れば生徒会長が顔を真っ赤にさせて口をパクパクさせてますね。餌を待ってる池の鯉のようです。

 

「――質問は終わりのようですので、質問者は席へお戻りください」

 

あ、服部先輩が復帰した。

マイクの主導権は先輩に取られてしまったのでお辞儀をしてマイクを切る。

すまし顔に視線が集中しますが気にしませんよ私は。――お兄様の視線にだって負ける気はありません。・・・帰ったら怖そうだなぁ、なんて今は考えない。

だがお花畑回答の影響により会場はまだ放心状態。

反対派の妨害って七草会長アンチが主だったみたいだからね。会長がしゃべらなければ燃料切れになるのは分かってました。便乗男子は・・・恐らく会長に袖にされたり、振り回されたりした被害者・・・というほどじゃないだろうけど、そういう人たちじゃない?彼らもこの状況で騒ぐ元気はないみたい。茫然としてるね。

そんな混乱治まらぬ中質問も上がるはずもなく、続いて始まった選挙は落ち着いたものだった。

中条先輩ファンがはやし立てる場面はあったけど、原作にあった下世話な言葉がかけられることはない。

すでに私が問題点を潰したからだ。

おかげで会場はファンミーティング会場のように温かな空気に包まれ、中条先輩のステージは終わった。

 

「・・・・・・深雪さん、ちょっとお話があるのだけど」

「七草会長お疲れさまでした」

「ええ、ありがとう。だけどね?」

「夢見がちな冗談だと申しました」

 

にっこり微笑めば大きなため息を吐いて。

 

「本当、一番の思い出だわ貴女たち兄妹は」

 

こうして七草会長最後の生徒総会と生徒会長選挙の演説は無事終了した。

 

 

――

 

 

「深雪も恋愛話に興味を持つ年頃なのはよくわかったけれど、兄貴としてはこんなに複雑なことはない」

「・・・複雑、ですか」

 

玄関に入って靴を脱ぐ暇もなくお兄様に両肩を掴まれた。

複雑だという割に表情は不服色が強いですね。ご不満そう。

この話題そんなに広がりようがないと思うのだけど、あまり触れること自体よくない気がする。

 

「私としては生徒会長に祀り上げられることがなくて一安心しております」

「・・・知ってたのか」

 

お兄様から振られたことはないけどね。

お兄様が候補に挙がった時点で私も、という声はあったのだ。

そして私の方がまだ正統派だろう、と生徒会が担ぎ上げるのも時間の問題だなと思ったのだが、やはり会長から直々にお兄様へその打診はいっていたようだ。

 

「お兄様が止めて下さったのですね」

「この先深雪が生徒会長になることは決まっていることだが、何も一年も前から重責を背負わされるのは、ね」

「ありがとうございます」

 

肩を掴まれたまま頭を下げるのは難しく、微笑みで返した。

 

「・・・深雪は・・・・・・」

 

言い淀むお兄様。うまくまとまっていないのか悩んでいるみたい。

こんなお兄様もなかなか見られないのでまじまじ見たいところだけれど。

 

「コーヒーでも飲みながらお話しませんか?」

「・・・いや、そこまでして話すことでもないのだが」

 

うーん、お兄様が何に悩んでいるかわからないけれど、恋愛に絡むこと?

 

「恋愛話は嫌いじゃないですが、私自身興味があるかといわれるとあまり興味はないので、そういった意味では年相応ではなく子供なのかもしれませんね」

「・・・そうか」

「あとは・・・お兄様が恋をするのであれば応援したいと思いますが、興味がないのであればそこはそれ。今まで通り過ごせばいいのだと思います」

「今まで通り、か」

 

いつだって選ぶのはお兄様なのだ。恋をするのもされるのも、しないこともお兄様の選択。

高校生活くらいそうであってもいいじゃないと思う私です。

 

「・・・それにしては随分七草先輩との話を楽しそうに話していたね?」

「それに関しては――やっぱりコーヒーを飲みながらお話しませんか?恐らくですが、お兄様は誤解しています」

「誤解?」

 

 

 

というわけで場所を変えて一息吐いて。

 

「――つまり会長のアンチを黙らせる策だったと」

「女子というのは、恋愛利用は否定できても恋愛自体は否定できないですからね。その上きちんとやることやっていれば恋愛賛成派になります」

「・・・なるほど。わからん」

 

でしょうねぇ。

自分の恋愛のために私欲で権力行使は許せないけど、恋をしていることに非難はしない。そして仕事と恋愛を両立させる人は尊敬される。女の子にとって恋とはそれほど重要な判断基準の一つなのだ。

フィーリングで感じ取るものだから理屈で考える人には難しいだろう。

 

「もしかしてお兄様、その件で揶揄われましたか?」

「まあ、エリカのアレはもう挨拶みたいなものだがな」

 

エリカちゃんなら全力で揶揄ってくれたでしょうね。

でもお兄様も慣れたものでそんなに疲れてない。どんな話をしていたかわからないけれど、E組は皆仲がよろしいようでなにより。

 

「誰も元会長と付き合ってるとは思ってもいなかったしな」

「あら。お兄様と会長のロマンス、アリだと思ったのですが」

 

口元に手を当てて笑えば正面からはジト目が。

やっぱりこういうネタで揶揄われるのは面白くないですか。

でもおかしいな、原作ならもう少し疑う人間いたと思うのに。七草会長は指摘されて顔を赤らめてたし、あの反応って想像力掻き立てないかな?

首を傾げていたらお兄様はそういえば、とコーヒーを一口含んでカップを下ろし――にやりと笑う。

・・・まあっ!今すぐ裸足で逃げたくなる素敵な笑みですねお兄様。

 

「俺にはお前がいるから七草先輩の出番はないそうだ」

 

んん?私がいるから出番がない?

それはお兄様の隣は私がいるから空きがないということ?

いえいえ、隣と言っても兄妹ですよ。彼女とは違うでしょう。

 

「・・・私たちそもそも学校でそんなに一緒にいないと思うのですが」

「それこそ4月の影響が大きいのだろうな」

 

ああ・・・プリンセスとナイト・・・。

二人きりでいることはほとんどないのだけどまだセット感があるのか。

通学や下校も今や二人きりじゃなく皆と一緒なのに。

 

「兄妹愛が一番の障害になってます?」

「いいんじゃないか?俺たちは今恋愛に興味がないのだから」

 

現在ほのかちゃんから猛アタック受けてる人が何か言ってる。

興味全く持てないですか?邪険に扱っているようには見えないのですが。

でも。

 

「・・・興味がないならしょうがないですね」

「だろう?俺の興味はお前に向いているからね」

 

とろりと甘い眼差し。甘い。甘すぎますお兄様。コーヒー飲んでも取れない甘さ。

カップで顔を隠していますが、見えてますね。恥ずかしい。

そんなに見つめないでほしい。穴が開いてしまう。

 

「可愛いな」

「・・・揶揄わないでくださいませ」

「揶揄うなんてとんでもない。いつでも本音だよ」

 

テーブル挟んでこの威力。これがソファでくっついてたら死んでたと思う。

お兄様は本当に気を付けてほしい。オタクは軽率に死ぬ。

 

「おにーちゃん、はずかしー言葉禁止ぃー」

 

せめてとカップを掲げて視線を物理で遮って小さな反抗を。

すると一拍空いてからがたん、とお兄様が立ち上がる。

いきなりどうした、とカップから覗き込むように見上げれば、ニッコリ笑顔。

 

「深雪、ソファでじっくり話し合おうか。深雪の言う恥ずかしい言葉とやらを教えてもらわないと」

「え・・・いや、その・・・」

「深雪を困らせたくないからね。ぜひ教えてくれ」

 

死期を早めてしまった・・・。

口は禍の元とはよく言ったものだ。

このまま立ち上がらなければ、なんて考えは甘い。立ち上がらなければ持ち運ばれるだけです。ばっちり学習済み。

お兄様エスコート必要ないですよ。俺がしたい?したいと言われればしょうがないですね・・・。

とんでもない辱めを受けたなんて記憶はしまっちゃおうね。

 

 

 

 

選挙結果の発表日、中条先輩は中条会長となり、七草会長は無事会長職を退いた。

 

「・・・なんでしょうか、この一高のプリンセスを女王に、とは?」

「スノープリンセスをスノークイーンにというのもありますね」

「ナイトを傍仕えに、というものもありますね」

「なんで会長に任命権のある役員まで投票を?」

 

投票数が一番多かったのは・・・私だった。

そして中条会長に次いで三番目にお兄様。・・・お兄様舞台にも上がってないのですけど。

それだけ二科生への期待値が高かったのかもしれない。

でもなんで私?しかも会長に、ではなく女王とは??皆創作物に影響され過ぎじゃない?まだ本出版されてないのに何で?校内全体に浸透しすぎじゃない?

 

「司波さんの堂々と丸め込む姿を見た生徒たちが、貴女の王政に期待したのでしょうね」

 

王政って・・・一高は王国だった・・・?

市原先輩の口から訂正の言葉がないのですが、あれ?ここは本当に国でした??

 

「兄さん~」

 

情けない声でお兄様に泣きつけばお兄様は慰めるように頭に手を乗せて。

 

「大丈夫だ。一年もあれば地盤は固められる。来年には誰もお前に逆らう政敵など現れることはない。全ては次期女王の御心のままに」

「・・・その設定気に入ったの?」

 

恐怖政治でも敷くつもりですかお兄様。異分子は今から鎮圧って?恐ろしい。

来年入学してくる新入生、発言や態度に気を付けないと粛清されちゃうぞ!

 

 

 




九校戦の後日談から夏休みのお話と生徒会選挙までのお話でした。
夏は人を開放的にさせてしまう、ということで。

感想、評価、お気に入り登録等ありがとうございます!
励みになります。
お読みいただきありがとうございました!

次回ですが、横浜の前にシリーズを新たに分けて番外編をのせていきたいと思います。
ほぼ本編から外れた話が多いですが本編に絡む内容もあったりしますのでその時はタイトルのところにわかりやすく表示しておきますのでよろしければ是非。
こちらは短い小話ばかりですのでお気軽にお読みいただければ。
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