妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前)   作:tom200

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横浜騒乱編

 

新生徒会が発足して生活のリズムが一部変わった。

生徒会室でお昼を食べなくなったことが一番大きい変化だろうか。

中心になっていた前会長である七草先輩が生徒会室に来ることが無くなったからだ。元々中条会長も友達とクラスで食べる派で、渡辺先輩も、七草先輩が来なければそもそも生徒会役員でもないので来ることがない。

ある意味七草先輩の職権乱用で時折お兄様も呼ばれてお昼をご一緒していたのだ。

その先輩が退任されたとなれば生徒会室に集まる理由もなくなるわけで。

私たちは友達と食堂で食べるようになったのだが、今日はちょっと遅れるかもしれない。

授業中教員から資料を探してほしいと頼まれ、新しく役員になったほのかちゃんと、付き合いで付いてきてくれた雫ちゃんと三人で生徒会室に来ていた。

三人で分担して探そうと二人に一つずつお願いし、私は三つほど探し始めたのだが、二人はなかなか苦戦していた。

正解をそのまま教えるのも勉強になるが、もっと早く身に付けるには誘導して探させる方が将来的にはためになる。

時間よりも経験を優先して、ヒントを遠くからいくつか出しながら自力で探してもらう。

授業終了のチャイムが鳴ってすぐ、ようやくほのかちゃんがヒットしたようだ。

 

「お疲れ様ほのか。思いのほか早く見つかったわね。――あ、雫!その資料」

「これ?あ、本当だ」

 

資料も揃い、教員の元に届けて食堂へ急ぐ。

 

「皆もう待ってるよね」

「連絡はしておいたから先に食べ始めてくれているんじゃないかしら」

「私たちがもたもたしてたから・・・」

「そんなことないわ。私は4月から作業していたから慣れたけど、ほのかはまだ一週間。これで私と同じスピードで見つけられでもしたら、私のこれまでは何だったの?ってなってしまうじゃない」

 

少し大げさに肩をすくめると、雫ちゃんが噴出し、ほのかちゃんもつられて笑う。

 

「そっか」

「そうよ。それに生徒会役員でもない雫に先に見つけられた日には、私恥ずかしくて隠れちゃうわ」

「それは困る」

 

箸が転がれば笑う女子高生です、落ち込んでもすぐに笑顔になる。

まだまだ始まったばかりなのだからポジティブに行きましょう!と伝えて足早に食堂に行けば、すでに食べ始めているお兄様たちの姿を発見。

待つと言われたけど先に食べてもらった方が気が楽なので、そうしてもらったのだ。

 

「おまたせ」

「ご苦労様」

「先いただいてるわよー」

 

気にしないで、と笑って返してくれる優しい気遣い、すき。

だけどほのかちゃんはどういうわけか、お兄様の言葉の一つ一つに過敏に反応することが増えた。

今も気にしてないと言っているのに謝罪している。

・・・これって確かほのかちゃんの特殊な生まれに関係してるのよね。

どうしようもないことだけど、もう少し気をつけないとお兄様の手に余ってしまう。

今度さりげなく雫ちゃんに相談してみようか。

だけど残念ながら、これから忙しくなるので恋愛サポートは後回しになってしまうのだけど。

 

――新たなる転換点、横浜騒乱編が始まっているのだ。

 

 

――

 

 

 

これより一週間も前に話は遡る。

お兄様は論文コンペに参加することが決定した。

 

横浜騒乱戦――灼熱のハロウィンはこの物語の核となる事件。

 

この、世界を揺るがすきっかけとなる事件がなければ、お兄様が未知の魔法を大々的に使わなければ、世界中から追いかけ回されることも、身内から恐れられることも、仲間だった人たちと敵対することもなかった。異端として注目されることもなかった。

世界中のほとんどが敵に回ることなどなかったのだ。

この、たった一発の魔法がなければ。

原作で読んだ時はこれほどの騒動に発展するなどと思わなかった。

だから原作通りに事件を起こさせないためにはここを潰してしまうことが一番だとも思うのだけど、今後あらゆる可能性を考慮しても、あの魔法を放つことは不可避なことだとの結論に至る。

あのまま大亜連合の好きにはさせられなかったし、なんの報復もしていなければ抑止力もなく、奴らは性懲りもなく人の国を我が物顔で歩き回ったことだろうから。

・・・やっぱりあの国根絶やしにした方が早いんじゃないかな、いろいろ。

とはいえ本当にそれをしたら、最終的にこの地球上にいられなくなってしまうので却下なのだけど。

一応いくつか使わない方法をシミュレートしてみたけれど、どれもしっくりこない。そもそも思惑が絡み過ぎているのだ。

大亜連合本隊と、現地の助っ人同胞(?)は初めから見えているものも違ければ、目的そのものも違う。

そこに双方が調達した現地工作員たちの拙い妨害工作によって事態は混乱。

更にたまたま目についたレリックにも手を出しちゃったからカオス状態に。

・・・いくら作戦の一つに陽動が含まれているからとはいえ、人手があるからといくつも同時にやろうとするから纏まるものも纏まらないのだ。初めからぶれない目標を絞ってから来い。

だったら諸悪の根源を早々に潰した方が世のためでは?と思わなくもないのだけど、残念ながらこの高校生活で気づかされる、――思い知らされる原作強制力。

この力によって失ったラスボスの代わりに私の知らない第二、第三の知らない敵が出てきたら対処が難しい。

・・・本当、この強制力は厄介だ。

既にこの半年、お兄様は様々なことに巻き込まれてきた。変化はいろいろあるはずなのに、主軸は何も変わっていないのだ。

いくら軌道を逸らしてみようと試みても勝手に何かしらの要素が加わり元に戻されてしまう。

今回もそう。

本来であれば、九校戦で小早川先輩は落下したことで卒業と共にドロップアウト、魔法師としての道は途絶えることとなる。その調整を担当していた平河先輩も未然に防げなかった後悔から責任に押しつぶされて、論文コンペを辞退することでお兄様が参加することになるのだ。

だが実際、そもそも先輩の事件は起きておらず、当然平河先輩は辞退をする理由がなかったはず。

なのに先輩は辞退した。

理由は、自分ではお兄様ほどのサポート技術はなく、テーマにもついていくのに精いっぱい。サブとして不安があるとのこと。

準備は九校戦より前、6月の選考論文から始まっている。そこに一か月そこそこで実力未確定の一年生を途中参加させ、優勝を目指そうというのだから無茶もいい所だと思うのだけど、市原先輩と五十里先輩はお兄様の九校戦の活躍ぶりに勝機を見出していた。

そもそもいつ自身たちの論文テーマと、お兄様の研究テーマが同じことを知る機会があったのか。

やっぱり私の把握できていないミニクエスト発生してない?お兄様知らない間にフラグ回収しすぎじゃない??

避けようのない強制力に、私は逆らう術を持っていなかった。

事が起こるのはもう止めようがない。恐らくこのまま灼熱のハロウィンが起きてしまうことを止められない。だって、これが一番この物語の肝になる重要な切っ掛けなのだから。

ならば私ができることは――

 

「深雪、どうしたのぼうっとして」

「ちょっと考え事かしら。兄さんが論文コンペで忙しいなら、何か手伝えることあるかなって」

 

放課後、常連となった喫茶店でいつものメンバーでお茶をして、この場でお兄様が論文コンペに参加することを知って驚きつつ、話に花を咲かせていたところだった。

九日で論文を仕上げなければいけないというお兄様に、一同が驚きながらも応援するといういつもの流れになったのだが。

 

「確かに忙しいが、そうだな。深雪が傍にいてくれればそれだけで十分なんだが、美味しいコーヒーでもお願いしようか」

「それならいつものことじゃない」

 

他にないの?と聞いてもお兄様はただ微笑むばかりだ。

ほのかちゃんが、いつものことなんだ・・・と落ち込むのと雫ちゃんが慰めるまでがセットです。

すまない、流れ弾が変に飛んでしまった。

他のメンバー?無言でコーヒーを嗜んでますね。

予定調和です。

皆飲み終わったことでこの場は解散。

他愛ない話をしながら家に着いたのだが、今日はいつもと違っている箇所が。

家の前にはシティコミューターが止まっている。

 

(うふふふふふふふ)

 

思わず笑いがこみ上げる。

誰が来ているのか、何が目的だか知っている私には彼女なんて敵ではない。

別段彼女のことを憎んでいるわけではない。今では父を虫けらと思っているので、アレを愛しているなんて奇特な人だな、と思う程度。

ええ。母に対して憎しみがあることも知っているけど、母自身がなんとも思ってなかったからね。独り相撲乙です。

ただお兄様を蔑ろにしている時点で私が彼女に優しくする理由なんて一ミクロンも無いのだけど。これからお兄様に迷惑をかけることを思うと血が滾ってきます。

この後の展開に思わず武者震いが起き、気分はリングに上がる前のボクサーの境地に。

ええ、絶対に一撃を食らわせてみせますとも!

しゅっしゅと心のシャドーボクシングでアップする。

 

「・・・複雑だな」

「え?」

「戦おうとする深雪は美しいからな。正面から見たらきっと最高だと思うが、かといってそのために敵対するなんて考えられないし」

 

急によくわからないことを言い出すお兄様。

いきなり私が戦闘態勢を取ったのが悪かったのかもしれないけれど、だからといって思案する内容が・・・どういうことです?

とりあえず今はそのモードにおかえり願えませんでしょうか。滾った戦意がしぼんでいくのがわかります。

 

「今ならじっくり眺めていいか?」

 

全くもってよろしくないですね。

なぜいいと思うのです?

 

「中で待っているのはあの人だろう?物理的な危険はない。多少待たせても、先に連絡をもらったわけでもないから問題ない」

 

なあ、いいだろう?と頬に手を添えられ上を向かされるのだけど――色気がですね、溢れすぎじゃないですかねお兄様。

ここ外ですよ?出歩いている人はいないので見られてはいないのだけど、だからってそういうアレは駄目だと思うの。

 

「お、にい、さま」

 

止めたいのに声が出ない。

もしや魔眼お持ちでした?見つめられる視線と手のひらから熱が伝わり私の体も熱くなり動けなくなる。

自分の体がお兄様によって操られるような錯覚に体が支配されるよう。

だんだん頭が何も考えられなくなって――

 

「ダメだよ深雪。こんなところでそんな無防備になっては。外に出せなくなってしまう」

 

少し屈んだお兄様による耳元の囁きで体がびくんと跳ね、正気を取り戻す。

瞬間湯沸かし器ばりに熱せられて赤くなる顔と体。

あまりの羞恥に耐え切れず体が震えだした。

 

(このお兄様はR18として危険物指定しなければいけないと思う!おかしい。お色気担当は私じゃなかったの!?妖しい色香でお兄様を惑わそうとするんじゃないの?なぜ私がお兄様に惑わされそうになってるの!)

 

混乱している私を置いてけぼりにお兄様はすまない、とくすくす笑って抱きしめるけど何にも反省してない。だってお色気モードが解けていないもの。

ちょっと強めに胸をドンドン叩くけど、何の効果もなくお兄様は笑ったままだ。

 

(本当にこの色男モード?お色気モード?私に向けるの止めない!?向けるべきは落としたい女子でしょ!――・・・そういえばこの前恋愛興味ないって話したばかりだっけ)

 

だから対象がいなくて全部妹に向かうのか・・・。もしやこれもストレス発散法なのかな?お兄様なりの。

これまでのことを回想すると、確かにいろんな仕事に追われストレスが多かった九校戦でもお色気お兄様がちょくちょく顔を出していた。

その後の夏休みでも、海へ行った時は目の前で私が倒れるというストレスでおかしなことになっていたし・・・。

やっぱり九日で予定になかった論文を仕上げるってとっても大変よね。しかも安心できる家に帰ったと思ったら他人がいるわけだからストレスにもなるか。

原因を見つければなんてことはない。

お兄様は疲れたら色男モードになって幼気()な妹を誑かすことでストレス発散するという特殊なせいへ――技法を編み出したらしい。

私にとってははた迷惑だけど、これもお兄様のストレス軽減に一役買っているならば、まあ我慢できなくも、ない・・・?耐えられるかは別問題だけど。

 

「そろそろ入りましょうか」

「・・・はあ。仕方ないか」

 

玄関開けたらハグできないからここでやったのかと考えると、私の方が不倫相手で、家で待つあの人が正妻のような立ち位置では?とくだらないことが頭をよぎった。

 

「深雪?」

「いえ、毒にも薬にもならないことを考えておりました。参りましょう」

 

 

――

 

 

家に帰るのに参るとはおかしなものだが、気分は戦場に乗り込む意気込みなので。

ここでもたもたしていても何も解決しないですしね。

・・・気づいたけどこれ、すでに監視されてるんじゃなかった?メインは私たちじゃないにしてもターゲットの入った家の前でイチャイチャしていたら嫌でも目に入るだろう。

つまりさっきの様子を見られていた、と・・・?お兄様はそれに気づきつつもあんなことを??

・・・目的を見る為とか?相手の気力くらいは削げたんじゃないかな、うん。

内心ゴリゴリ精神を削られている間に、お兄様が念のため先に入って確認する。

地味なパンプスが揃って見えた。間違いなくあの人だ。

靴を脱いで上がったところで、人の気配がこちらに向かってくる。

削がれた気力がまだ見ぬ敵の気配に心が徐々に高揚し始め体に力が入るが、お兄様は落ち着かせようと肩を抱きよせてぽんぽん、と宥めるように軽く叩かれる。

至近距離でしばし見つめ合う二人を目撃させられた彼女の心境は、いったいどんなものなのだろう。

 

「――おかえりなさい。相変わらず仲が良いのね」

 

余裕を見せたいのか微笑んでいるけれど口の端、ぴくぴく引きつってますよ。

気っと勝ち誇って出迎えようとしていたのにね。出鼻をぽっきり挫かれましたか。

 

「こちらにおかえりになるのは久し振りですね、小百合さん」

 

冷たい眼差しに、冷却された声、と彼女に対しての対応は原作にあったけど正にそれ。先ほどまで私に向けられていたものとの落差に風邪を引きそうです。先ほどまであんなに熱々でしたのにね。

お兄様によるこの家書類上お前んちなのにな、の皮肉に彼女、小百合さんはビビっていた。

うーん、冷酷なお兄様、とっても素敵だよね。

自分に向けられていないことをいいことに、横から観察してしまう。冷徹なお兄様かっこいい。

でも正面からこれを受けるには、小百合さんは人生経験が豊富ではないらしい。これくらいで狼狽えてちゃ四葉本家でなんて生きていけないよ。まあそんなところに行ける立場じゃないけど。

 

「お久し振りですね、小百合さん。おかえりなさい」

 

家で出迎えるというのは初めてだが、一応形だけでも家主ですからね。

貴女とは格の違う、淑女教育の行き届いた完璧の微笑みでお返しして差し上げますとも。

 

「え、ええ。深雪さんの活躍は龍郎さんから窺ってるわ。大活躍だったみたいね」

「ありがとうございます。父の自慢になれているのでしたら幸いですわ。ああ、そういえばこの間会社でお会いした時、ちょっとお疲れのようでしたが、お仕事が忙しいのですか?父もですが、小百合さんもなんだかお疲れな顔をされてますのね、心配ですわ」

 

ほほほ、とお嬢様口調でにっこりと。

コレ、淑女教育中級で学ぶ皮肉である。

翻訳すると、夫の世話をちゃんとできてないんじゃないの?と自分の能力ちゃんと把握してる?できないなら大人しく引っ込んでれば?になるのだ。

大変だよね、淑女って。

彼女はどこまで翻訳できたか知らないが、ただの心配ではないことには気づいているようだ。

勘は鈍くなくても磨く術もないだろうから、うまく返せないし躱せない。

 

「し、心配してくれてありがとう。龍郎さんも私もちょうど繁忙期みたいなものだから、これを乗り越えたら落ち着けるから大丈夫よ」

 

社会を知らない箱入り娘対応ですね。とりあえず繁忙期って言っておけば大丈夫、みたいな?

馬鹿にされてるね。

まあこれ以上追い詰めても益はないのでつつきはしないけど。

 

「そういえばお茶も出さずにこんなところで立ち話をさせてしまってすみません。そうだ、お夕飯は食べていかれますか?よろしければ一緒にご用意いたしますよ」

 

ぶぶ漬けどうです?とは言わないけれど、にっこり笑えば小百合さんは引きつった笑顔でお断りされる。全く、美少女の笑みですよ?そんな反応されなくてもいいのにね。

 

「この後また会社に戻る予定なの」

「あら、随分とお忙しいのですね。お体に気を付けてくださいね」

 

うふふ、おほほと会話をしてこの場を去る前に一言。

 

「これは杞憂だと思うのですが、このままシティコミューターで帰られるのですよね?」

「?ええ、そうよ」

「以前は見えなかった事故の相が見えたので」

「事故の、そう・・・?」

「ちょっとした人相学、占いみたいなものです。お帰りにはぜひお気を付け下さい」

 

不吉な言葉を掛けられて喜べる人間はいませんからね。小百合さんも困惑顔です。

ちなみに人相占いなどできない。適当にそれっぽく言ったただの原作知識によるお告げです。現実になって蒼い顔にでもなってくれたらいいなというみみっちい嫌がらせです。これくらいは可愛いものでしょう?この先お兄様に命を助けてもらうのにお礼もしないことに対する嫌がらせをこれくらいで済ませるなんて、我ながら優しすぎると呆れてしまうほどだ。でも、やりすぎて怨恨を残すのもどうかと思うので。これくらいで許してやる、というヤツです。

それでは、とお兄様を見る。未だ冷めた顔で小百合さんを見てますね。この間もずっとプレッシャー与えてましたか。

 

「お兄様、私は一足先に着替えてご飯の支度をしてきます」

 

するとどうでしょう凍てつく波動を放っていたお兄様は、春の陽気を迎えられたかのように朗らかな笑みに。

 

「ああ。いつもの美味しいご飯を期待してるよ」

「あら、いつも以上に美味しくは期待してくださらないのですか?」

「最高の上があるなんて知らなかった。これ以上美味しくなられたら、深雪の料理以外は食べられなくなってしまうな」

「では手加減いたしませんと。外でのディナーも楽しみたいですからね」

「その時はぜひエスコートさせてくれ」

 

ええっと、会話がなかなか切れませんね。

ナチュラルにいちゃつきすぎて小百合さんドン引き。大丈夫ですか?こんなことで気力削られて。

これから貴女には重大ミッションが待ち構えているはずですが。

お兄様にとんでもないものを押し付けるという重大任務。

ホント、勝手よね。劣等生のレッテル貼っといて、利用するときは使い捨ての道具のように使おうとするんだから。

研究者ならレリックの扱いがどれほど難しいかわかっているはずなのに、自分にできない偉業を成し遂げるお兄様に変に嫉妬してこじらせて。

 

「小百合さん、なんのお構いもできなくて申し訳ありませんが、失礼させていただきます」

 

もう一度仕切りなおして今度こそこの場を後にする。

 

 

――

 

 

部屋に入って制服から着替えながら、さて今後の流れをどうしようかと考える。

この事件の発端の一つでもあるレリックはこの後お兄様の態度に腹を立てた彼女が一旦持ち帰ることになるのだが、その帰り道すぐに襲われた恐怖によってお兄様に押し付け預かることになる。

お兄様の研究にとって必要なパーツだ。

先日、飛行魔法の起動式を無償開放したことによって、各国の重力制御魔法に関するノウハウが集められたことで、核融合を維持する魔法を常駐させることを可能にする過程にまた一歩近づき、お兄様の夢が形になり始めていた。

更に夢を実現させるためにはこのレリックを手に入れることが必要であり、そのためには危険なことに巻き込まれなければならないのは重々承知。

危険を承知でも取らなければならない、お兄様にとって重要なキーストーン・・・。

たとえこの一時間後、お兄様が狙われ、修復せねばならぬほどの傷を負わされるとわかっていても、目を瞑るしかない。

 

(ムーバルスーツ程多機能とは言わないけど、ジャケットに今より一層上の防弾仕込むくらいならできるんじゃないかな?すべては防げないし、痛いだろうけど無いよりはマシじゃない?)

 

魔法に頼ることばかりで最先端技術に目を向けていなかった。とはいえお兄様が着用しているものも、もちろん機能が備わっているが、そこそこの武器にしか対応できていない。まあ、普通そこそこあれば十分なはずなのだけど。

そういえば、この間お兄様に付いていった銀行では、私が寝ている間に銀行強盗があったらしい。その時のセキュリティの一つに、銃弾をものともしない透明なカーテンがあったとか。

今からでは間に合わないけれど、今後もそういう場面は多い。これからでもそういった素材を仕込めば弾除けくらいにはなるのではないだろうか。

お兄様は正直そのあたり無頓着で、怪我したところで自己修復があるから気にしていない節がある。

ふと、昔読んだ小説に、合金を特殊加工した糸を編み上げスカーフにし、ナイフのような鋭い切れ味を持たせた防犯グッズとして使っている話を思い出した。

それ暗器じゃなくて防犯グッズと言い張る?と思ったけれどそこは大人の事情というヤツだ。言い方変えれば大抵の武器は防犯グッズになる。そういうことだ(たぶん違う)。

こういうのは千葉家の専売特許らしいけど、別アプローチで考えてみるのもまた一興。

さっそく机にスケッチブックを出して案だけは描いておく。左にアイデア、右にイラスト。ラフなので絵と呼ぶのも烏滸がましい出来だが、なんとなくのイメージなのでこんなもので十分だろう。

もし実現化したら、4月に使った時計型パノラマ録画機能付きカメラ等の機器を開発してもらった時にも出たけれど、今度こそ新規事業立ち上げまで話が行きそうだな、と予感がするけど今はその話は置いておくとして。

 

(どこまでこの話を先回りして大丈夫なのか。主軸を変えずに改変できるか。そこが焦点)

 

そうこうしていると時間はあっという間に過ぎたらしい、ダンダンと荒い足音に続いて玄関の開く音がした。

スケッチブックを閉じて、走らない程度に急いで玄関に向かえば、お兄様から声がかかる。

あ、ご飯の準備していないのはこの後出かけるのを知っていたから。

どうせなら出来立てを食べてもらいたいからね。下手に下りて顔を合わせて、なんてしたら話もうまく纏まらないだろうから。

 

「深雪」

 

玄関でお兄様はすでに制服の上着を脱ぎ始めていた。

これからすぐに追いかけるんだね。

 

「少し出て来る。しっかり戸締りをして留守番していてくれ」

 

しゅるっと外されるネクタイに、ちょっぴりドキッとしながら受け取ると、お兄様はふいに止まってするりと頬を撫でる。

 

「そんな可愛い顔をしないでくれ。出かけられなくなってしまう」

 

お兄様こそ、そんな顔と声で誘惑しないでください!手も!すぐ下ろす!!

お兄様は私のマタタビですか!?さっきからお兄様に触れられるたびに思考が鈍る。

 

「帰ってきたらお話聞かせてくださいね」

「もちろん」

 

時間もないのに用件など聞くのは迷惑だ。

コート掛けからブルゾンを手に取ると、お兄様の前に広げる。

それを羽織り、二輪用のブーツを履いてグローブとヘルメットを収納ボックスから取り出すと、装着しながら玄関を出ていった。

見送ってすぐ玄関に鍵をかけ、リビングへ。

 

(とりあえず大亜連合の動きがある横浜、横須賀の動きを四葉がどこまで把握しているか、だね)

 

先ほどまで考察していた話よりさらに前に戻した。

三年前からきな臭い動きをする大亜連合に注意すべきだと進言し、四葉は静かに動き出していた。それこそ信用していない軍と陰で協定を結んでまで。

おかげでブランシュの時や無頭竜の時も、ある程度動きを捕捉・情報共有できていた。ただ表立てない分、行動がとれないことが多々あったが、情報があるのとないのではこの先の見通しが全然違う。

四葉の情報収集能力はすごいが、圧倒的に人手が足りないのがネックだ。

軍に至っては大々的に大亜連合のみを重点的監視とは政治的観点からも簡単にはいかない。よってこっそり裏で動かなければならなくて、大人数で活動できない上に四葉ほどの優れた人材もいない。

だが、いざという時大義名分で動けるのは軍だ。

だからこそこの二つが秘密裏に結びついた。今後の危機感を覚えているからこそ手を組めた。

そしてその脅威は正に今この国に手を伸ばしていた。

 

(これからこの家には監視が付く上、ハッキングもされる。迂闊に回線も使えない)

 

とりあえず今ならば、まだ監視だけでハッキングは受けていないはずだ。

お出になるかは出たとこ勝負だったが、こっちの動きは把握されていたのかすぐに連絡が付いた。

直通の特殊回線を使用して、大亜連合の動きがどんな状況か教えてもらいつつ、これから活発に動き出しそうだと予測を話し、これから今日預かることになるだろうレリックのせいで狙われるため連絡不可になること。そして何より衣装の納品ができないことを伝えると叔母様は目をきらりと光らせて、本当あの国は余計なことしかしないわね、と手に持った扇子をパシリと手のひらに打ち付けていた。いいな、あの扇子。かっこいいよね。迫力がある。

レリックの話や大亜連合の話など現在の私が知るはずない話だが、タイミング予測というでっち上げ能力でカバーしております。原作知ってますは口が裂けても絶対に言えない。

 

「わかりました。これからしばらくこちらから連絡を取ることは避けましょう。FLTに関してはよくもそのような取引に応じたと相応の報復をしたいところだけれど」

「せめてお兄様が卒業されるまではお待ちいただければと」

 

あんな父親でも保護者としての隠れ蓑には必要なのです。あとお兄様の研究仲間をごっそり引き抜く施設も作ってからじゃないとね。

だめかしら?

だめですよ。というか小首を傾げる叔母様お美しいですね。キュート4割セクシー6割。お母様と比べるとセクシー度がお高めです。お洋服のせいかな?

お兄様と同じ問答をして、思いとどまるようお願いすると、叔母様は仕方ないわねぇ、と引いてくれた。

表立って繋がりのないはずの会社を潰したら関係性がばれる危険性もあると思うけど、理不尽に潰すというのも四葉だからありえるだろうと勘違いされる可能性も。四葉の印象はどうにも悪すぎる。

たとえ今波に乗っている会社だろうと、四葉の逆鱗に触れればプチっといかれる。それが真実のように思わせてしまう一族。もうね、どれだけ危険に思われてるの?流石に大した理由もなしに潰しはしないよ。

 

「ちなみにだけれど、貴女はどれが本命だと思う?」

「魔法協会関東支部、でしょう」

 

間髪入れずに答えた。

レリックでも、時期的に論文コンペでもなく、――ホンボシはそこにある。

 

「――そう。もし本当だとしたら大ごとになりそうね。それならば達也さんの出番があるのかしら」

「その際、私は彼の力を解放することに躊躇いません」

 

はっきりとそう述べると、画面の向こうの麗しい女性は先ほどの関東支部――副本部掌握・破壊計画でも動じなかった、湛えてられていた笑みを消した。

 

「どういうことかわかっていての発言、なのでしょうね」

「避けたい事態ですが、七草と十文字が動いたとて、食い止めるには足りないと思われます」

「そうね。まさか彼らも、魔法協会関東支部が狙われるなど予測もできないでしょうからね」

 

わたくしでも貴女の口から出なければ信じがたいわ、とのお言葉を頂戴した。かなり高評価をいただいているようだ。

だが当然四葉はこの後事実確認に動くだろう。何の確証も無く勘だけで動けるような組織ではない。

狙いがわかっていない状態で調べるよりは調べやすくはなるはずだから、多少時間短縮に役立てられることを祈る。

こんな突拍子もないとんでもない発言を、一蹴するでもなく聞き入れてくれる関係性になれたことはとても喜ばしいが、そのまま感情を表に出すことはできない。まだまだ油断のならないご当主様ですから。淑女はこれくらいの腹芸ができなければ務まりません。

 

「ありがとうございます」

「では深雪さん、あまり無茶はされないようにね?」

 

最後の釘刺しは何かを感づかれたか。

ふう、と大きなため息を吐いてから、気晴らしに料理に取り掛かる。

 

(あー、美女の表情抜け落ちた顔めっちゃ怖かったー!!)

 

内心ぷるぷる震えていた。よく淑女の仮面がもってくれたものである。

お兄様のお帰りはもう少しかかるだろうから、あまり消化に悪いものはやめた方がいいだろう。

大根おろしも添えたハンバーグがいいかもしれない。あれなら一応がっつりお肉だから食べ応えもある上に消化にもよい。

もう難しいことはこれ以上考えたくは無かったと脳内が拒否していたのかもしれない。お兄様に何を食べてもらおうかを考え、その工程を脳内で組み立てる。

真っ暗なモニターに背を向けて、すぐに準備にとりかかった。

 

 

――

 

 

作り終えて机に並べても、お兄様は帰ってこない。

料理には保温のため空気の幕を張っているので熱が逃げることはないから出来立ての状態を保てるので問題ないのだけど。

何かしていないと落ち着かなくて今度は明日の朝食の仕込みでもして待っていよう、と再度キッチンに立とうとしたところで兄様は帰ってきた。

玄関まで迎えに行って、

 

「おかえりなさいませ、お兄様。お風呂になさいますか?ご飯になさいますか?」

「深雪で頼む」

 

・・・お約束かな、と思って一応やってみたけどお兄様、そちらは選択肢に御座いません。

しかし悲しいかな、ツッコむより早く問答無用で抱きしめられてから、先に連絡してくる、と電話に向かわれた。

お兄様ってこんなお茶目だったかな。楽しくていいけどね。・・・代わりに心臓持たないけど。

さっと用件を済ませてきたお兄様はラフな服に着替える余裕もあったらしい。行動が早い。もしや藤林さんと電話をしながらお着替えに?映像電話ではないんだよね?ちょっとドキドキ。

 

「お疲れ様ですお兄様」

「おや?新婚さんごっこはもうお終いかい?」

「もうエプロンは外してしまいましたので」

「よく似合っていた。やっぱりあれを買ってよかったな」

 

今日の帰り道、美月ちゃんがエプロンを買うと言うので付いていったのだ。

だって、美月ちゃんがエプロン!どんなものを買うのか気になるでしょう!エリカちゃんは自分の分は買わないだろうけど興味が無いわけではないみたいだし、選ぶくらいは付き合ってくれるかもしれない。

ファンとしては見逃せないイベントに浮かれていた。

目的地に着いて色々見て回ってたのだけど、気が付けば私の横にはお兄様がエプロンを持って佇んでいた。

元々エプロンは何種類か持っていたので初めから私の分は買う予定になかったのだが、お兄様はスイッチが入ったのか乗り気になってしまい、この間のショッピングの再来のようにいろいろエプロンを当てられてしまう事態に。とはいえエプロンにサイズは関係ないから実際に着せ変える必要がなくて、この前に比べたら遥かに楽ちんでしたけど。

初めニヤニヤきゃっきゃして見ていた二人の表情が途中から引きつり、呆れに変わっていったのにお兄様は止まらない。お兄様は深雪ちゃんのことに妥協しないから。

だんだん耐え切れなくなって、最後にお兄様が手にしたものを掴んで無理やりこれがいいと終わらせたのだが、それがまさかの以前断念した新婚さん風エプロンだったのだ。

青ざめる私、笑うお兄様。かわいそうなものを見る二人の友人。

秋風が吹きぬけていった気がした。

そんなこんなで一応買ってもらったものだし、とさっそく身に付けて料理していたのだけど、玄関に迎えに行ったらもうそのシチュエーションにしか見えなくて。

オタクはその場のノリとテンションでやらかす生き物だから。

 

「もう!それの話はいいのです」

「とても可愛らしかったよ。疲れが吹き飛んだ」

「ならよろしゅうございました」

 

拗ねたように答えれば、揶揄ったわけじゃないんだがな、としょげた顔を見せるお兄様だけど騙されませんからね。ちゃんと口角上がってるの見逃しません。

夕食を食べ終わったお兄様はソファに腰を下ろしたので用意したコーヒーをそちらに持っていく。

 

「ありがとう。とりあえずどこから話そうか」

 

横に腰かけるように促され、自分のカップを持ったまま横に座った。

なぜコーヒーを机に置かず持ったままかって?自衛のためです察してください。今日はお兄様を過剰に摂取した気分なんです。これ以上のお触りは命に係わる。

お兄様は一呼吸おいて、語り始める。まずは自身の研究が次のフェーズに行ったこと、そこに飛んで火にいる夏の虫と言わんばかりに求めていた技術の詰まったレリックを彼女が持ってきたこと。そして、それを狙ったと思われるグループに襲撃されたこと。微かに薫っていた臭いに気づかないふりをして、私は撃たれただろう位置から視線を引き剥がした。

 

「最近ずっと錬金術系の文献を調べていると思っておりましたが、魔法式を一時的に保存する方法を探してらしたのですね。そして、偶然にもその謎を解くカギになるかもしれないレリックがこちらですか」

 

宝石箱を開け見せてもらったのは赤みがかった半透明の勾玉。

正真正銘、これがキーストーンだ。

 

「これが、お兄様の夢を現実にするかもしれないレリックなのですね」

 

ただのガラス石にしか見えないけれどこれにはとんでもない価値がある。

そう思うといっそうキラキラと輝いて見えた。

それを受けてお兄様は少し照れたように苦笑して口を開く。

 

「まだ夢物語だよ。でも、そうだな。ここまでお前を期待させたんだ。精一杯応えようと思う」

 

時折顔を出す年相応のお兄様に胸が騒いだ。

このお兄様の照れたような、はにかむような顔が好きだ。滅多に見ることはないけれど、今この時、彼は16歳の少年であると実感できる。

 

「できますとも、お兄様なら。この私が保証します」

「心強いよ」

 

そう言ってお兄様は手を伸ばすと、手の内にあったコーヒーカップをさらっと抜き取ってテーブルに置き、私の体を抱き寄せた。

・・・わあ。姑息な作戦気づかれてた。

微笑むお兄様は、けれど揶揄いモードでも色男モードでもなかった。

 

「予想した通りあの人は襲われた。そこいらの組織ではないだろう。コミューターを外部操作したんだ、やることが大胆過ぎる。手口が荒い。このレリックを狙っているだろうから、この周辺も騒がしくなるだろう」

「ではどこか、・・・研究所に預けに行くのですか?」

「それが妥当だろうな。・・・だが軍もこんな無茶な依頼をするとはな」

「ありえないことですものね、レリックの複製だなんて。飛行魔法を実現されたからこちらも、と期待したのでしょうか」

「だとしたらそれは楽観が過ぎると思うが。まあお陰で俺はこれに触れる機会を得られたわけか」

 

まずは分析を試みるか、とお兄様はすでに研究者の顔になっていた。

寄り添って座りながら、喫茶店でも言っていたことを思い出す。

私に、何ができるだろう。

お兄様はこれから論文コンペにレリック解析、そこに付随するトラブルに巻き込まれつつ魔法師の拠点を潰す計略も阻止しなければならなくなる。

その負担をどれだけ減らしてあげられるだろうか。そのために自分が何をできるだろうか。

ひと月しかない。それでも可能な限り足掻いてみよう。

 

 

――

 

 

生徒会の仕事は論文コンペ関係なしに日々増えては片付けてを繰り返す。

新しく加わったほのかちゃんは、どんどん新しいことを覚えては作業を熟そうと必死で、中条会長がそこまで肩ひじ張って頑張らなくても、と宥めてもあまり効果がなくがむしゃらに頑張っていた。

早く皆に追いつこうと必死なのだ。

だけど焦りはミスにもつながる。あまり急いては成せるものも成せなくなる。

案の定、急ぐあまり彼女は生徒会室にエラー音を響かせるようになった。

 

「ほのか。一旦休憩よ。そんなに貴女が一人張り切ってしまうと、中条会長も頑張らなくちゃ!って焦らせてしまうわ。会計の五十里先輩がいない分、頑張ろうって気合はわかるけどね」

 

お茶にしましょう、と皆にお茶を配るとほのかちゃんは、真っ赤になって中条先輩に謝り倒した。

うーん、そういうところがまた相手を委縮させてぎこちなくなってしまうのだけど、お兄様相手だけじゃなくここでもこうなっちゃうのは問題だなぁ。

 

「ねえほのか。何が心配なの?貴女は十分自分の仕事ができているわ」

「・・・でも、深雪は五十里先輩の分の業務も同時にやってるのに」

「それは前も言ったけど私は4月からやっているのよ?差が出るのは当然でしょう」

「それは!そう、だけど」

「それとも、私は仕事ができない方がいい?」

 

びくん、と体が跳ねる。

違うのだ、と慌てて首を振るけど、うん。乙女心って複雑だよね。

お兄様に褒めてもらいたくて一生懸命で、だけどそのお兄様の近くにいる女の子は、もっと手際よく作業してるから比べられるのも恥ずかしくて――だから早く追いつきたくて焦って空回りをしてしまう悪循環。

 

「大丈夫。昨日のほのかより今日のほのかの方が上手になっているから」

 

いつもお兄様にやってもらっているように頭を撫でる。

するとほのかちゃんはみるみる涙を浮かべて、ぽろぽろ泣き出してしまった。

相当ストレスだったんだね。追い込まれて苦しんで。

 

「頑張り屋さんねえ。いい子いい子」

 

抱きしめて、頭を撫でる。

肩がどんどん湿っていくけど気にせず撫でる。ひたすら撫でるし、何なら背中もぽんぽんしちゃう。

 

「ごめ、ごめんなさいっ。わ、わたし、はやく追いつかなきゃって」

「そうね。いつも頑張っていたわ」

「でも、でも深雪、一人で何でもできちゃうし」

「何でもはできないわ。だから分担するのよ」

 

ほのかちゃんにとって私は友人でもあるけれど恋のライバルだと意識されているから追いつこうと必死だったんだね。

だけど急激に成長しようとすれば無理がたたって綻びが出てきてしまう。呼吸をすることも忘れてしまえば苦しくて当然だ。

どこかで必ず息継ぎをしなければ。

 

「うう~ごめんねみゆきぃー」

「ちゃんと謝れて偉いわね。いい子」

 

うんうん、切羽詰まっていたね。苦しかったね。

でもね?えっとね、そんなにぎゅうって抱きしめられちゃうと、とんでもないボリュームによる弾力がね?

役得は役得だけど背徳感もあります。

顔を上げたら真っ赤な顔した中条会長。

え、見ているだけでも赤くなるの?そこまでいかがわしく見えちゃう??バックに百合の花がちりばめられてます?

そんなあわあわしないで大丈夫ですよ。見ちゃいけないものじゃないから。ただ慰めているだけだから!

そこへノック音と共に雫ちゃんが入室。

ようこそ混沌(?)の場へ~。

雫ちゃんのスペキャ顔可愛いね。

 

「・・・とりあえずほのか、場所代わって」

「ええ!?」

「やーだー。今深雪は私のなの~」

 

あらま。私のために争わないで~ですか?

 

「ほらほらほのか。そろそろ泣き止んで。可愛いお顔が台無しよ。雫もお疲れ様。ハグは順番こね」

 

最後のぽんぽんをするとほのかちゃんはゆっくり離れていった。うわあ、肩びっしょり。ささっと魔法で乾かしましょう。ついでによく冷えたタオルも作る。これくらい息を吸うくらい簡単だからね。

 

「ありがとう深雪」

「どういたしまして、っ、雫待てなかったの?しょうがないわね」

 

横からタックルのように抱きつかれました。

はい、ハグしましょうね~。私の友達たちが可愛い。

 

「深雪さん、手馴れてますねぇ」

「中条会長もいかがです?」

 

感心されたので誘ったら固まられた上、めちゃくちゃ首を振られました。

そこまで拒否しますか?ショックですよ。あとで隙を見て抱きつきにいこう。

ほのかちゃんも雫ちゃんも落ち着いて作業再開。仕事はまだまだありますからね。お兄様たちが来るまでは頑張りますよ。

雫ちゃんは生徒会役員ではないけれど、ほのかちゃんの手伝いを率先してやってくれる。

助かります。

日もすっかり暮れて、そろそろ作業も終わる頃、ノックと共にお兄様がやってきた。五十里先輩も一緒だ。その横には当然のように花音先輩もいる。

 

「ごめんね。仕事任せっぱなしで」

「こっちは大丈夫だから。五十里君たちはコンペに全力で挑んで!」

 

中条会長の返答に、先輩は恥じらう乙女のように可愛らしく微笑む。

うん。中性的っていうよりこれもう蠱惑的って言ってもいいんじゃないかな。免疫ない人ならそっち系の扉開いちゃうよ。

お兄様はこの先輩とずっと一緒で大丈夫だったんだろうか。惑わされてもおかしくない可愛さ。

 

「兄さん、お疲れ様」

「ああ、深雪たちもお疲れ様――ほのか、大丈夫か?」

「は、はははい!深雪のお陰で、もう大丈夫!」

 

うーん、全然説明になってないけど顔色はマシになったかな。

いくらタオルで冷やしても泣いたとわかる赤い目元に気付いたお兄様が声を掛けたけど、気づいてもらって情けないやら、でも嬉しいやらで舞い上がるほのかちゃん。それを横で抑える雫ちゃん。

よくわかってないが、私が何かをしたということだけは分かったお兄様はちらりとこちらを見るけれど、とりあえず微笑んで返しておく。

 

「会長、今日はもうおしまいにしますか?」

「そ、そーですね。もう帰りましょう!」

 

会長の号令の下、下校することになった。

五十里先輩は花音先輩と一緒に帰っていき、中条会長は素早く動いてもう遠くへ行ってしまった。

なんか、警戒されてます?小動物でも野生の勘が強いのか、チャンスを狙っていた行き場のない手が寂しい。

 

「じゃあ俺たちも帰るか」

「はい!」

 

元気に答えるほのかちゃんに微笑む私と雫ちゃん。

お兄様はもう慣れたのか、気にせず歩き出す。

生徒会室で起きた今日の出来事を、ほのかちゃんは話そうとしなかった。

恥ずかしかったんだろうな。

他愛ない雑談をして駅で別れた。

 

「それで、ほのかはどうしたんだ?」

「一生懸命頑張りすぎてちょっと破裂しちゃった感じでしょうか。でももう大丈夫です」

「深雪が慰めたのか。羨ましいな」

「なぜそこで羨ましがるのです?よかったと安心するところでしょう」

 

具体的にどう、とは話さなかったが、ここしばらくの彼女の張りつめた様子を見てなんとなく察知したのだろう。

お兄様は深く聞かないように話をそらした。

 

「深雪に頭を撫でてもらえるのは気持ちがいいからね」

「それくらい、いくらでもして差し上げますから」

「言ったな?」

 

そんな、言質取ったぞって顔しなくても。

頭撫でるくらいよくやりましたよね?

 

「今日もいっぱい頑張ったお兄様は偉いです」

 

とりあえず有言実行で撫でてみる。

お兄様もサラサラですよね。

私のに比べて芯がしっかりしてるような固さはあるけど。

でも背が高いからちょっと届きにくくて後頭部になってしまった。

するとお兄様が予告もなく私の体を抱き上げて、自身の頭を突き出してきた。

・・・そこまでして撫でられたかった?

周囲に人は見えないけどコレ監視されてるのよね?間違いなく見られてるのよね??・・・気にしてもしょうがないか。

家に帰るまでずっと撫で続けました。

 

そしてその日の夜、事態は動き出していた。

 

 

――

 

 

私が知ったのは次の日の朝。

 

「ハッキングを受けた。動き出したようだな」

「狙いはどちらでしょう」

 

レリックか、論文コンペか。

論文コンペも警護を付けるかと提案されるくらいには狙われる行事の一つ。

タイミングから言ってレリックの可能性が高いがはっきりはしない、とのこと。

とりあえず、学校でほかのメンバーが被害にあってないかを確認しようということになった。

 

(ということは今日、彼女も動く)

 

平河先輩が自らの意思で辞退したことを知らぬわけでもないだろうに、復讐心に飲まれて周囲が見えなくなってしまう彼女。

壬生先輩の時と同じで心の隙を突かれたのだろうが、あちらはセミプロ、こちらは超一流の術者が暗示をかけている。

彼女は二科生のヒーローであるお兄様に憧れていた。だがそのお兄様のせいで、大好きな姉が大舞台から降りる羽目になったと思い込んだ。関心が高ければ、その分裏切られたと思うのも無理のない心理。そこを利用された。

利用されただけのはずなのに彼女自身、動機があることを自覚していたことによりすべて自分の意志でやっていると思い込んでいるからこそ行動に迷いが無い。どんな危険があろうとも躊躇わない。恋する乙女は一直線、それが一転恨みに変わった時も同じだけ行動力を持つ。むしろ想いがあった分、憎しみは募って更なる行動力に変わったかもしれない。そこを利用されたのだ。

敵ながら上手いやり方だと思う。

彼女の暴走を止めるか――否、これも強制力が働いて第二第三の障害が現れるだけ、か。

恨みを買うことは無いはずだけど密かにお兄様に憧れ、嫉妬する人がいないとは限らないから。

 

「お兄様、お気をつけてくださいませ」

「そうだね。でもレリックの件だったら、深雪だって狙われる可能性があるんだから気を付けるんだよ」

 

はい、と答えて一緒に登校する。

途中合流するエリカちゃん達と他愛なく話し、別れて教室に向かいつつ、目を閉じた。

目には見える事以上に集中すれば多少感覚でもって捉えることができる。

サイオンの動きが微かに違う。何がどう、といえるほど形づくって見えないのは、相手の術が巧妙なのか、プシオンが影響しているのか。

大陸の魔法とは厄介なものだ。前世の原作アドバンテージと、様々なオタク知識を総動員しても現実にわかるのはこの程度。

 

(もっと、知覚のレベルも上げていかないと)

 

持っている深雪ちゃんスペックはとんでもなく高いのだ。これをさらに能力値を向上させることができれば有利になる。前世のゲーム脳が、私にレベルアップを図って力を得よと訴える。基礎能力値が高ければ高いほど能力が伸びやすいのだと前世で学習してますからね。え?それはゲームの話だろう、って?ゲームは人生の縮図ですよ。経験値を溜めればできることが増えていくのは現実でも変わらない。深雪ちゃんスペックはとにかくすごかった。鍛えれば鍛えるほど身に付く。それだけ深雪ちゃんには伸びしろがあった。

原作ではお兄様が一番だから出しゃばるつもりはない、と能力値を上げることは控えていた。・・・一人でも十分やっていけるだけの強さを持っていたらお兄様が離れていってしまうのでは、という恐れもあったのだろう。そんなことは無いのにね。お兄様はたとえ深雪ちゃんが最強になろうとも、自分が敵わない力を持っていようとも大切で守りたい妹には変わりないのだ。

私はそれを読者側として知っていたので遠慮なく能力向上を目指している。力を持つことはそれだけ救う手段が増えるということに繋がるから。

力と知識。この二つが合わさることで、今、この景色が見えている。

こんなサイオンの流れなど、見ようとしなければなんてことない風景だからね。

どこの魔法を構築するのに使われていて、どう作用しているかなど誤魔化すように使われたら特殊な眼でもない限り目を凝らしたところで、そうわかるものでもない。四葉の魔法師もよくそうやって誤魔化しているからね。そういう術があることを知っている。

そしてここにあるサイオンは四葉の隠ぺいに比べると少し雑なところがあるようだ。こうして注視しているとなんとなくだが違和が生じる。自然のようで異なる流れ。

その上同時に微かに感じ取れるざわめきのような感覚。

 

(すでに監視の目は送られている。でも私に向けられたものではない、と思う)

 

お兄様も感じているだろうか。はたまた標的が私ではないからそこまで重要視していないか。

私たちではなく彼女についている監視かもしれない。彼女はG組だからお兄様の教室に近い。

 

「お、おはよう司波さん!」

「おはよう」

 

――ともかく、私にできることを。

 

 

――

 

 

風紀委員長から不審者に襲撃されたとの情報が入ったのは、お兄様から買い出しに行ってくると連絡を受けた一時間後だった。

不審者を止めるため魔法を行使したこと、閃光弾や改造バイクを使用していたことで逃げられたこと。そしてその不審者は当校の制服を纏った女の子だということが報告された。

中条会長は驚きすぎて椅子から5㎝は飛び跳ねた・・・ように見えた。こんな時だけど、可愛い。

しかしながら襲撃者の顔は覚えておらず、本当にうちの生徒かはわからないということ。まあ、制服一枚でうちの生徒だ!なんて単純に判断はできないからね。むしろその判断ができるだけ冷静に物事の分別が付いているようで何よりだ。

 

「新歓の時の録画機能を持った端末は持ってなかったのですか?」

「・・・・・・学校外では使えないのよ」

 

多分本当だろうけど一瞬その可能性があったか、という顔は見逃さないですよ花音先輩。こんな時以外学校外でも使えるようにルール改正が必要だね。せめて学校区域くらいは生徒を守る為に地域に協力を仰ぐ必要がある。けど、これは後回しだ。

改造バイクに閃光弾とは穏やかじゃない。正直警察沙汰である。

でも先輩も会長も警察を介入させる気はないようだ。論文コンペでは毎年何かしらトラブルがあり、魔法科高校は特殊で一般の警察では手に負えないことはわかっている。

非魔法師に悪印象を与える恐れがあるトラブルは、できるだけ学生内で、という不文律でもあるように外部に頼らないのが暗黙の了解だった。魔法師のことは魔法師内で。・・・違法改造バイクと閃光弾は一般の警察も対応する物のような気がするけど魔法師が関わっている時点で不信感を抱かせるかもしれないからって、本当に世知辛いよね。マイノリティは生きづらい。

自分たちの身は自分たちで守らないといけないってことだね。なら、そのためにも動きましょう。

 

「会長。まだ可能性の域を出ませんが、4月のように外部からわが校の生徒が悪用されている可能性があります」

「ええ!?」

「なんですって!?」

 

・・・中条会長は相手を見てないから驚くのもわからなくはないけど、花音先輩は直に見たのでしょう?なぜ驚く??うちの生徒じゃないと信じたいのかな。

残念ですが事実は変わらないのでサクサク誘導するとしますか。

 

「まずは最悪のケースから考えましょう。もし一高の生徒であったならを前提に考えてみてください。改造バイクと閃光弾。どうやって一般の生徒が揃えられるのでしょうか?けして安いものではないと思うのですが」

「で、でも自力で作ったとか、よくニュースでも闇ルートで手に入れたとかやってるじゃない」

「あくまでも単体の犯行だと、花音先輩はお考えなのですね?」

「・・・違うって言うの?!」

 

単体であってほしいと思うのは自由ですけどね。その方がすぐ解決するし。さっきの冷静さ分析はもしやここに来る前二人の話をそのまま述べた感じです?二人なら道すがらそれくらい推理しそう。

 

「監視がばれて逃げるだけでそれらのアイテムを使うなんて、どれだけ用意周到なのでしょう。何を目的として五十里先輩と兄さんを狙ったのかわかりませんが、穏やかな装備ではありません」

「ちょっと待ってよ!二人を狙ったのだから狙いはコンペでしょう!?」

「コンペを狙うにしても何が目的か、ということです。論文を盗もうとしているのか。発表を妨害したいのか。個人的に恨みがあり失敗を目論んでいるのか。――彼女の様子はどんな感じでしたか?」

「ど、どんなって」

 

先輩は思い出そうと上を向く。

その間中条会長はメモを取っては頭を抱えていた。ほのかちゃんもおろおろしている。

 

「そうですね、例えば焦ってたり混乱していたり、冷静だったり、強い意志のある目をしていたり――」

「それだわ!」

 

いくつか例を挙げると花音先輩はパッとこちらを見た。

 

「冷静じゃなかった、焦っていたと思う。でも混乱はしてなくて――だけど強い目をしてたのは覚えてる。あれは憎しみのように見えたわ」

「・・・憎しみ、ですか」

 

その言葉に中条会長たちが体を震わせた。

私怨ってことはうちの生徒の可能性が強くなったことに花音先輩も気付いたのか顔色が悪くなった。

 

「ということは何か恨みがあって妨害を?」

「でもそれだったらやっぱり個人で動くんじゃない?」

「先輩にはその恨みは彼女自身の感情に見えた、ということですね?」

「え、ええ」

「洗脳されて利用されているようには見えなかった、と」

「――先ほどから深雪さんはその話に触れてますが、もしかしてそれは剣道部元部長や壬生さんみたいに操られてるってことですか!?もしそうなら、そんなの見分けがつくはずないですよ!」

 

会長の悲鳴のような声に、一同口をつぐんだ。

そう、洗脳はとても気づきにくい。たとえ身内でもおかしいなと思っても、その程度の違和感しか抱かない厄介さがある。

学内は4月の件があって、定期的にマインドコントロールを受けていないかチェックをするようになった。けれどそれも月に一度。その一度を受けた直後にコントロール下にあればチェックはすり抜ける。

一旦その話を棚に上げ、今の話を踏まえたうえでもう一度犯人を絞り込む。

 

「産業スパイでもおかしくはないですが、前例を見る限り、いささか乱暴な手口に思います。昨日は我が家にハッキングがあったと兄さんが言っていました。ですがただの産業スパイなら、個人宅へのハッキングなどリスクが高すぎると思いませんか?」

「それは・・・」

「確かに尋常じゃない、かもだけど」

「でもされたのは達也さんの家だけで、五十里先輩や市原先輩は何もなかったんですよね?」

「ええ、啓も先輩もそんなことは言ってなかったわ」

「な、なら達也さんが狙われているってことになるんじゃないですか?!彼なら九校戦でも活躍していましたし、何より凄腕エンジニアですし、なにか技術を狙われているとか――」

「恨まれているとか、ね。ないとは言い切れないんじゃない?」

「あ、ご、ごめん深雪・・・」

 

ほのかちゃんごめんねー。でもその流れが欲しかったのでグッジョブですよ。

 

「今後の動向に注意した方がよさそうですね」

「・・・私は啓たちの護衛に戻るわ」

「よろしくお願いします」

 

花音先輩が去って、私たち三人は顔を見合わせた。

 

「・・・深雪さん、またブランシュが関わっていたりとか」

「判断材料が足りませんが、それが原因で恨まれたのだとしたら私も標的のはずですし、論文コンペが狙われるにしても、そもそもどうして兄が参加していることを知っているのでしょう?」

「え?どういう・・・あ!そうか」

「そうです。兄さんはあくまで代打で参加することになったのです。まだ論文を提出していない現在、知っているのはわが校でも活動に注目している人間くらいです」

 

そうなのだ。論文コンペでお兄様を狙おうと考えることができるのは、最近代表が変わったと知る内部の人間しかいない。

六月から決まっていたのならまだしも、ついこの間出場が決まったばかりのお兄様に向けて改造バイクや閃光弾など前もって用意するなんてコネが無い限りできない。

 

「こ、これ明らかにその子一人じゃできないことなんじゃ」

「大ごとになる前になんとかできればいいのですが」

「み、深雪ぃ、不吉なこと言わないで」

 

残念だけど言わなくてもなるのよねー。だから皆で心構えしましょ。

 

「先生方には情報の共有しておいた方がよさそうですね」

 

今日は生徒会の仕事は、皆心ここにあらず状態で捗らずに帰ることになった。

ほのかちゃんは帰り道、必死にお兄様を心配していたけれど、お兄様は大丈夫だよと苦笑気味。

うーん、温度差があるなぁ。

駅でばいばいしてコミューターへ乗るとお兄様はため息を一つ。

 

「お疲れ様です」

「・・・すまないな。お前の前でため息を吐くなど」

「気になさらないでください。こうして飾らず自然体のお兄様を見せてもらう方が、私には嬉しいのです。かっこいいお兄様ももちろん好きですが、たまには弱った姿を見るのもまた、特別な気持ちになります」

 

高校へ進学する前に封印した好き、という言葉をまた使うようになってお兄様はご満悦のようだが、すぐに少し困ったような顔に変わる。

 

「あまり俺を甘やかしすぎない方がいい。図に乗ったら困るのはお前だろう?」

「・・・そこは、お兄様が加減をしてくれればよろしいでしょう」

 

図に乗るお兄様。たまに見られますね。そして大変困らせられます。

甘やかしすぎてるのかな?・・・お兄様相手だとどこまでが甘やかしになるのか線引きが難しい。

甘やかされずに育ったお兄様の甘やかされラインは低いのだ。

ちょっとしたことも、お兄様にはとてつもない甘やかしに感じるみたいで。

この匙加減、難しすぎない?お兄様もそろそろ甘やかされ耐性レベル上げてもいいと思うんだけど。

 

「加減か、難しいな。深雪は俺を喜ばせるのが上手いから」

「・・・お兄様こそ。そうやってすぐ喜ばしになる」

 

これずっと終わらない奴!

乗ったばかりだから家に着くまでまだあるよ。

ほら!お兄様の手が伸びてきた。

 

「心配だな。これくらいで赤くなるなんて。こんなところを他の男が見たら勘違いをさせてしまうよ」

 

頬を撫でながらとんでもないことを言う。

これくらいって、お兄様ご自身の威力をご存じない?その手つきで頬を撫でないでほしい。あと目ね。その甘い目こそ他の女性が見たらこの人私を落とす気だー!って勘違いするからね?ほのかちゃんなら一発で落ちる。

恥ずかしくなって目を閉じるんだけど、そうするとお兄様の手が頬から顎に流れて上向かされた。

 

「二人きりで目を閉じるなんて、深雪は危機管理が足りないね」

 

(んぐっ・・・、破壊力がひどい・・・。もう、なんていうか色気がね・・・どれだけストレス溜めたのお兄様)

 

心が白旗振ってます。これ以上の攻撃はやめてください。死んでしまいます。

 

「もう、戯れが過ぎますよ。お兄様」

 

目を開いて睨んで見せればお兄様は笑ってすまない、と手を離してくれた。

お色気モードも引っ込んだ。

助かった。今日も命拾いした。

家に着くとお兄様はいつもより力強くハグをする。

 

「油断した。あそこで取り逃がしたのは失敗だった」

「どうにも複数の事情が絡んでるようですね」

 

レリックと論文コンペ、そこに組織と個人が絡み合う。

まさかお兄様も色々が重なりあって、偶然一極集中するなんて思わなかっただろう。

生徒会で上がった話をすれば、お兄様は「恨み、ねえ」と零す。

 

「恨みを買ったとしてもどれだ?」

「コンペがつぶれてもいい恨みなら、やはりコンペに絡んだ人物でしょうか」

「辞退者による繰り上げ、か」

 

市原先輩たちが狙われず、お兄様がメンバーに加わった途端標的されたのならお兄様に向けられた恨みということになり、考えられる可能性で一番濃厚なのはそれになるよね。

 

「ですが、家をハッキングしている人の目的と思われるのが魔法理論に関する文書ファイルだとすると、明らかに学生ではないでしょう」

「家を狙うくらいなら校内で狙った方がはるかに楽だしな。やはりそちらはレリックか」

 

タイミングが重なり過ぎて嫌になる。

 

「もしも、ですがこれで生徒側がレリックの回収もしようとしたならば、またブランシュのように使われている可能性も出てきます」

「――大亜連合」

「可能性はゼロではないでしょうね」

「困ったな。今の状況で家から軍に連絡するわけにも――藤林さんにお願いしてみるか」

 

そこでようやくお兄様は私を離し、端末を取り出して操作しだした。

証拠は何もない状態。ただの可能性として伝えるだけに留めたそうだ。

 

「明日は論文と発表原稿とプレゼンデータを学校に提出する日だ。動くと思うか?」

「その日はこちら陣営が最も警戒する日でしょうから、危険を冒さず次の日以降になるのではないでしょうか」

「そうか」

 

ところで最近ハグをしたまま作戦会議をしている気がするのですが、これ何か効果あります?密着したところでいい考えなどでないと思う。

聞いてしまうとこれからずっとこの姿勢な気がしたのでお口チャックした。

こういう予感は外す外さない関係なしに本能に従いましょう。

安全第一。

 

 

――

 

 

次の日は朝からすごかった。

何が凄いって、サイオンの流れが不自然なのだ。プシオンの塊がちらほら見えるし、コレ完全に舐め切った監視だよ。隠す気が無い。

昨日までのこそこそした動きが嘘のよう。ここ数日ばれてないから大っぴらにやっても大丈夫とか思れた?

学校の防犯ってどうなってるの!?って思うかもだけど、一応校内には入ってきていない。防壁に弾かれてます。防御魔法はしっかり発動しているんだけど、侵入はできなくても監視ってできるからね。遠視は防ぐのが難しい。

ただの防御魔法は外部からの侵入しか弾かない。その穴を突かれたというところか。

 

 

その日は珍しく八人全員で帰ることになった。

っていうかお昼でも思ったけどエリカちゃんポニテ可愛いね。

ゆらゆら揺れるのがとってもキュート。私の目はさっきからずっと目の前のエリカちゃんの髪に釘付けです。

皆が論文コンペの話をしてるのは聞こえているけど、気になるものは気になる。

 

「・・・私も髪伸ばそうかな」

「雫、髪を伸ばすの?」

「だって、深雪気になるんでしょう?」

 

さっきからずっと見てる、と指摘されて恥ずかしくなる。

 

「なあに、これが気になるなんて。深雪は犬属性だと思ってたけど、猫でもあったのね」

「私ってそんなに犬っぽかったかしら?」

 

そんな風に見られてたの?と驚けば女子はうんうん頷き、男子は苦笑した。

お兄様はというと、私と同じで驚いてるね。考えたこともない、といった感じかな。

 

「深雪さん、達也さんの話をされる時とか、嬉しそうにしてる姿がその、」

「ワンコが喜んで尻尾を振ってるようにしか見えないのよ」

 

ぐっ・・・思い当たることしかない。

確かにお兄様が褒められたり、こっちから自慢してると興奮してしまってそういった傾向は無きにしも非ず、な気が。

 

「深雪がいぬ・・・」

 

お兄様ー。なんか不穏な空気を察知してるいのですが、いったい何をお考えで?

 

「でも今の姿は猫じゃらしに飛び掛からんとする猫ですよね」

「ほんと、うずうずしてた」

「目もキラキラしてたしね」

 

ううう・・・結構見られてたのね、恥ずかしい。

皆の視線が生暖かい。

 

「深雪はポニーテールしないの?」

「それは――」

「ダメだ」

 

ほのかちゃんからの質問に、しかし私が答えるより早くお兄様からの却下が入る。

皆ぽかんとしています。

逆にお兄様は厳しいお顔。

 

「兄さん的にアウトなんだって」

「深雪が外でポニーテールなんてして見ろ。死人が出るぞ」

 

だそうです。

・・・いや、わかるよ。ポニーテールって人の視線集めるし、深雪ちゃんのちらちら見える白い項なんて、そうと思っていなくても視界に入れば目を逸らせなくなるし、チラリズムのせいで性的に見えないわけがないからね。色気やばい。

でもね、この場合の死人って製造するのお兄様だよね。見た者は殺す的な。

流石に人間えっちい項見ただけなら死にはしないよ。拝むけど。

 

「・・・死屍累々なのは目に浮かぶな」

「達也が構えているのはサブマシンガンかな」

 

サブマシンガンなんて使わずいつものCADでも一斉掃射できますよ、お兄様なら。なんて無粋なことは言わない。

イメージです。あくまでもイメージ。

 

「それで海でも髪結わなかったんだ」

「私はどちらでもいいから」

 

お兄様が嫌がるならしませんよ。楽だけどね、ポニーテール。家では許されているのでたまにしている。

話題が尽きたところで次の話題に行けるのは、女子高生の特技じゃないだろうか。

エリカちゃんはまた前を向いて歩き出す。

 

「啓先輩が魔法使いじゃなくて錬金術師っぽいって話出た時、達也くんならなんだろうって美月が言ってたけどさ」

「ああ、あったなーそんな話。達也の場合魔法だけじゃなくて武闘派でもあるからなぁ」

「さっきの話聞いてアサシンとか意外にぴったりかも、とか」

 

思っちゃった、とエリカちゃん。サブマシンガンでは暗殺もへったくれもないと思うけど。

死人製造でイメージしました?

 

「あ、暗殺者ですか?!でもナイトなんですから聖騎士とか!」

「ナイトはナイトでも黒騎士だろ、達也の場合」

「暗黒騎士」

「もういっそのこと魔王とか」

「それは捻りがねーよ。どうせだったら魔王倒した後の、絶望的な強さ持った裏ラスボスじゃね?」

「ああ。今までの苦労を無にする圧倒的強さの」

 

皆意外にゲームの話できるね。

そして西城くんと吉田くんいい線いってるよ。お兄様敵に回ったら絶望しかないもの。

でも魔王か。

 

「兄さん、世界征服期待されてるみたいよ」

「深雪が望むならやってやれないこともないが」

 

・・・おっと、私の目の前に核弾頭のスイッチ置きます?押しませんよ私は。

 

「平和が一番なので」

「・・・よかったな。魔王の誕生が避けられたぞ」

 

ほんとにね。

お兄様ならやってやれないことないものね。その気がなくて何よりです。

何のかんのお話してたら、お兄様からお茶のお誘い。

そろそろうっとうしくなってきましたか。

こうして私たちは馴染みの喫茶「アイネブリーゼ」に入店。

それなりに繁盛しているこのお店は、運が良ければ八人机をくっつけて座れるのだが、あいにく今日はカウンターと机で別れることになった。

マスターも私たちとの付き合いに慣れたもので、お兄様に相変わらずモテモテだね、とジャブを一発。

対するお兄様もその髭剃ればマスターだってモテモテですよ、なんて。お兄様こう見えて結構社交的なんですよね。軽口での付き合いもお手の物。

マスターの顔は確かに髭が似合わない。だって可愛い系ですからね、どっちかっていうと。いや、綺麗寄りかも。だから男らしい髭を生やしているのかもしれないけど、うん。このミステリアスなちぐはぐさ、どの層にも美味しくいただけてとってもいいと思います。どの角度からも美味しいです。オタクの大好物。

見つめていたら、マスターからぱちんとウインクいただいちゃった!えっと、どう返そう?と思っていたら突然の目隠し。お兄様の手ですね。

 

「過保護だねぇ」

 

ちょっとしたジョークじゃないというマスターにお兄様は無言。おおう、さっきまでの社交的なお兄様がいなくなってしまった。

 

「兄さん、兄さん」

 

手を外してもらってお兄様に見えるようにウインク一つ。

 

「うまくできた?」

 

人生初ウインクです。

しかしお兄様はまた目隠ししてきた。

え、だめだった?うまくできたつもりだったけど練習必要?鏡がないからどんな出来だったかわからない。

 

「・・・マスター、人の妹に変なこと教えないでください。死人が出ます」

「あはは~。ごめん。反省するよ」

 

なぜマスター納得しました?謝罪は必要ないよ。一体何を反省するというの。

全員のコーヒー注文にマスターは応えてサイフォンにお湯を沸かしながら、雑談に付き合ってくれた。

マスターは魔法の素質こそ持っていないが、魔法師と関わり深い土地で仕事していることもあって、論文コンペも知っていた。

そして横浜にある実家の店の宣伝までちゃっかりしてみせるマスターは、茶目っ気もあって抜け目ない隙の無さ。素敵です。

でもそのお店、所謂知る人ぞ知る情報屋さんでしたよね。大人の社交場。

いつかお世話になることもあるのかしら。

なんて話していたらエリカちゃんがお花を摘みに、西城くんは電話をしに出ていった。吉田くんはお絵かきをはじめ、お兄様にやりすぎ注意を言い渡されていた。

 

(――ああ、ままならない)

 

ほのかちゃんと話しながら、私はコーヒーを飲み下すと同時に気持ちに蓋をする。

彼らの成長のための試練。これも必要な犠牲。敵がいかに凶悪な相手かを伝えるための一コマ。

知らない他人だ。気にしたところでどうにもならない。

ただテレビで流れるニュースのように他人事と聞き流せばいい。――流せればいいのに。

まだ早い黙とうを心の中で捧げる。

口に含んだコーヒーは、とても苦く感じた。

 

 

 

その後戻ってきたエリカちゃんは不機嫌で、すぐに帰ることになった。

USNAの非合法工作員に、最後の最後で出し抜かれたのだと。

勝てる自信があったから、相手が上手だったことが余計に悔しいのだろう。けれどその相手はこの後――もう、リベンジはできなくなる。

でも糧にはできる。きっとエリカちゃんも西城くんも強くなる。

帰宅してからの今日のハグは私からお願いした。少し長くなるハグを、お兄様は何も聞かずただただ抱きしめてくれた。

 

 

――

 

 

次の日の昼。やっぱりエリカちゃんはまだ何か悩んでいるようだった。

 

「まんまと逃げられたことを気にしてるんじゃないの。ただ・・・アイツの言ってた学校の中だからと安心するなってさ、まさか生徒に何かあるんじゃないか、って」

 

エリカちゃんは壬生先輩の友達だから、彼女のように利用されてる人間がいるんじゃないかと疑っているようだ。

そしてそれはお兄様も。

 

「ああいう後味の悪いのは御免被りたいけどな。だがまだ何かされたわけでもないのに探してとっ捕まえるなんてできないことはわかっているだろう?」

「それは、そうなんだけど」

 

何もできないもどかしさというのは精神的にくる。

もやもやと落ち着かない気持ちにさせる。だからこそ妙に焦っておかしくなる。――その気持ちが痛いくらいよく分かった。

午後の授業は、再来週の日曜に迫った論文コンペ準備のためフリーとなっていた。おかげで生徒のほとんどはお手伝いに駆り出され、校内を走り回ったり、とんてんかんてん工作機器を製作・動かしながら、準備に明け暮れていた。

美月ちゃんもクラブでお手伝いとして、食べ物配布だったりの手伝いに駆り出されたりと、文化部も忙しそうだった。

そんな中、私は一人こっそりと風紀委員室へやってきた。原作であればお兄様が片付けただろう部屋は、残念なことに誰も手付かず状態で、探すの大変かも、と危惧していたが目的の物はすんなり見つかった。他の貴重品もちらほらあったけどあんな雑に置いていていいのだろうか。今回は助かるが、流石に注意が必要だろう。CAD自体は安くはないのだ。管理が必要です。取り締まる側が誘惑を作っちゃいけません。

 

 

 

慌ただしく人が行き交う作業場に戻れば実験が始まるところで、装置の周りにはすでに人だかりができていた。

その中心で騒いでいる人間がいた。エリカちゃんだ。おかげで見つけやすくて助かった。近づくと西城くんや吉田くん、美月ちゃんもいる。でもちょっぴり他人の距離。悪目立ちしていて気まずいよね。それでも傍に居てくれる優しさよ。いい仲間たちです。

そこに、護衛役として立ち会っていた桐原先輩と壬生先輩が合流した。――今だ。

注目を浴びているところに近寄って桐原先輩に話しかけようとしたのだけれど、その前に壬生先輩が振り返った。

 

「何か用?」

「はい。桐原先輩は護衛ですよね。この前、花音先輩と話して、何かあった時のためにこれを、と思いまして」

 

差し出したのは録画録音機能の付いた端末。これを見た先輩たちの顔はちょっと歪んだ。

壬生先輩も桐原先輩もお世話になりましたものね。

 

「なんか起こるって、そう思ってんのか?」

「むしろ起こらない道理がないので。――ただ、勘なのですが、壬生先輩。こちらは先輩が使ってもらえますか?」

「え、わ、私?私護衛でも何でもないんだけど」

 

それはそう。ただ彼氏のそばにいただけだものね。何かあれば手伝うつもりでもあるのでしょうけど。

仲がよろしいようでなによりです。

 

「・・・ま、司波妹の勘ってやつを信じるか。使い方は?」

 

あっさりお願いを聞いてくれた桐原先輩が、壬生先輩につけてあげる姿にきゅんと来たのは私だけじゃなく、美月ちゃんもはわわ、となっていた。わかるよ!はわわ、だよね。

使い方を軽くレクチャーして、そろそろ実験は始まるから、始まったらすぐにスイッチを入れるように伝えた。

そろそろ周囲を怒らせそうなエリカちゃんを回収してその場を後にする。

しかし、エリカちゃんと対立していたこの人物が風紀委員の関本先輩か。なんというか神経質そうな、体格のわりに線の細い印象の先輩だ。風紀委員らしくない。渡辺先輩どういう基準で選んだんだろう?正義感強そうなところがよかったのかな?もしくは成績優秀者とか?一応論文コンペに選ばれかけたのだからそれなりに優秀なんだろう。どうでもいいけど。

実験は粛々と始まった。

だが内容を知らない生徒には、何をしているかよくわからないだろう。

エリカちゃんはひたすら電球?と疑問形だ。吉田くんはよく勉強しているのだろう、いろいろ質問してきたが、ごめんなさい。私もそこまでは詳しくないのです。軽い知識でしか返せない。力になれなくて申し訳ない。

実験は無事成功。歓声が沸き起こる。

イマイチ理解していないエリカちゃんには悪いけどこれ、ほんと難易度の高い技術なんですよ。なんせ持続的な事象改変力が必要になるもので。

光が消えた頃、上がった歓声が落ち着くと周囲の騒ぎも収まり、皆散り散りに戻っていった。

――そして事態は動く。

壬生先輩は走り、それに追随して桐原先輩エリカちゃん西城くんが続いた。

その先にはお下げ髪の少女。

そこまでを確認してから、生徒会室へと向かう。

私は、この後に起こる出来事について、花音先輩の意見とは異なり正当防衛だと思う。

仕掛け矢まで仕込み、神経ガスまで使う相手にどう手加減をしろというのか。しかも校内で一般生徒はCADを使えないとわかっている状態で、だ。

どう聞いても危険人物です。反撃して脳震盪にすることがなんだというのか。4対1が卑怯?生死がかかっていてそんなことを言う輩がどこにいる。

言えるのはその場におらず、結果だけを聞いた、現場の状況を理解していない者だけだ――。

・・・叩き上げ系の刑事ドラマあるあるだよね。

 

 

 

「・・・それで、大学付属の病院で預かるそうよ」

 

花音先輩は五十里先輩を連れて生徒会室へやってきた。

壬生先輩から預かったという録画記録端末を携えて。

で、確認のため上映したらあら不思議。どう見ても正当防衛ですね。死に物狂いの抵抗には対する側も、死に物狂いにならないと大変ですからね。

 

「罪と罰は同じ比重でなければならない。その通りですね」

 

先輩の言葉をそのままそっくりお返しする。

 

「で、でも致死に至るようなものでは――」

 

魔法師ってこの辺の感覚が狂ってるのかな?魔法攻撃でなければ死なないと思ってる?でもその割に4対1に対して言ってるからな・・・。たぶん自分基準になってるのかな?先輩だったらどうにかできる、と。

 

「先輩、お忘れですか?彼女一人の犯行だと、まさかお思いではないでしょう。彼女が情報を盗んで何になります?」

「!!あ・・・」

 

というより神経ガスは下手すると死にますからね?

先輩はようやく事の状況を理解したようで、顔面が蒼白になった。

 

「じゃ、じゃあ本当に彼女は洗脳されてということですか!?」

「で、でも洗脳ってわりに彼女は司波くんを憎んた発言を――」

「待って花音!彼女はこうも言ったよ『あの人だってそう言っていた』って。『あの人』ってことは誰かが彼女に入れ知恵をしたってことだよね」

 

どうしてあの時気付かなかったんだ、と後悔する五十里先輩に絶句する花音先輩。

中条会長はとんでもない事実に今にも倒れそうだ。ほのかちゃんは、今日のところはそんなに忙しくないのでお兄様たちの手伝いチームに回っていてここにはいない。

 

「非合法な電子機器を彼女に与え、彼女の復讐をバックアップする形で、情報を盗み取ろうとした黒幕がいるのです。しかももし、彼女の攻撃がエリカ達のように実力ある、実戦も熟せる人間以外に向けられていたらどうなっていたと思いますか?優秀な魔法師の卵をドロップアウトに追い込んだのかもしれないのですよ」

「そ、そんな・・・」

「生徒会長」

「は、はい!」

「今すぐ保険医の安宿先生を通じて病院へ連絡を」

「な、なんで!?」

 

え、あれ?周囲を見渡すと誰もピンと来てない?あ、五十里先輩はまさかって顔になった。

 

「非合法なハッキングツール、閃光弾や改造バイクに神経ガスなどの仕込み矢をバックアップするような人間が、任務を失敗した彼女に何もしないでいるとお思いですか?どう考えてもバックにいるのはよくない組織です。そのよくない組織がミスを犯した工作員をそのままにしますでしょうか?何か余計なことをばらすのではないかと、口封じに動くのが鉄則だと思います」

「・・・鉄則、かどうかはわからないけれど可能性はあるね」

「啓!?」

「そんなっ・・・」

「あ、あ、ありえない・・・だって、彼女は自分でやったって・・・」

 

私たちは軍事訓練を受けているわけではない。特殊な専門の高校に通っているだけの未成年なのだと、彼女たちの反応を見て思い出す。

国防を嘱望される面では他の高校とは違うけれど、それ以外は青春を謳歌する普通の高校生と変わらない。

だから花音先輩たちのような考えが普通なのかもしれない。

まさかたかが高校の一大イベントに後ろ暗い組織が絡むなんて想像もできるはずもない。

一人の女子高生が自分勝手な復讐のため危険な武器を持っていても、彼女の心を心配はできても、その背後に何らかの組織が、なんて疑うことなど酷な話だった。

そのことに今ようやく気付いた。でも、もう事は動き出している。

 

「兄さんを恨んだだけの犯行と思いたいのであればそれでも結構です。彼女の動機は確かにそれなのでしょう。ただ、その度合いが狂わされているのは、彼女自身の力ではないことは『あの人』、との発言の通りだと思いますよ」

 

愕然とする花音先輩を支える五十里先輩の憂い顔・・・こんな時だけどヤバいね。未亡人にまで見えてきた。恐ろしい男子高校生がいたものである。

 

「この話はここにいる私たちと、司波くんと市原先輩、教員の先生方、あと護衛の方々だけにしましょう」

「会長、」

「あまり大ごとにしては混乱を招くだけです。ただ彼女のことは、司波くんのお友達も関わってますし、動機までは話してもいいと思いますが、背後にいる人の話はまだ触れないように。市原先輩には私の方から伝えます」

「では兄さんには直接私が」

「お願いします」

 

この辺りが妥当か。

生徒会は今日のところはこれで解散となった。

 

 

――

 

 

いつもの帰りのメンバーがエリカちゃん西城くんと入れ替わりで、花音先輩と五十里先輩となって8人で帰る。

話は当然平河千秋の話だ。

八つ当たりの復讐だという話に憤りを感じる面々と、少し落ち込んでいる花音先輩。

 

「きっとお姉さんのことが大好きだったんでしょうね」

 

美月ちゃんは感受性も豊かなのか彼女に同情しているが、果たして本当にそうだろうか。根底はそうなのかもしれないけれど――

 

「深雪」

「!大丈夫」

 

心配した声だとすぐにわかったから大丈夫とだけ答えた。

いけない。今はまだ皆と帰っている途中だった。

心配そうに見つめるお兄様にひらひらと手を振って会話に戻る。

お兄様はいったん私のことを横に置き、自分の事情に巻き込む形になってすまない、と謝罪するけど、お兄様はどう考えてもただの巻き込まれた側だ。

しかも相手は彼女だけでもないし、とお兄様が言えば、吉田くんと五十里先輩ははっと、気づいたようだった。

犯人確保で安堵してたみたいだけど、彼女だけがこのコンペの妨害をしているわけではない。

周囲にサイオンの微かな揺らぎはありますからね。

そしてまた護衛をつけるべきかの話になるが、お兄様は再度断った。

単独の方が何かと動きやすいですしね。

ほのかちゃんがそわそわしてるけど、ほのかちゃんは守られる側だからね。じっとしてて。ヒロインだってこと自覚して。

駅で解散し、無言のままキャビネットで移動し、コミューターの中。

・・・この頃コミューターの中でのふれあいが多くないでしょうか、お兄様。

え、監視されてるんですよね?わかってるんですよね??

もしやそういうプレ・・・苛立ちを与える作戦です?

 

(いけないいけない。お兄様はそんなアレな趣味はお持ちなわけがない)

 

「俺がいるのに他の考え事かい?それは寂しいね」

 

なぜ膝の上に乗せられ、撫でられているのでしょうか。

というかいつの間に乗せられた?っていうくらい素早い動きでした。

 

「私の考えは、いつもお兄様のことばかりとわかっているでしょう?」

 

いつだって私の頭を悩ませるのはお兄様幸せ計画。つまりお兄様のことばかりなのだ。

私の言葉にお兄様は目をぱちくりと開閉させてから私の頭を抱え込むようにして引き寄せて、おでこにこつんと己のおでこを当てた。

 

「いったいどこでそんな言葉を覚えてくるんだい?」

 

どこ、と言われましても今ここで生まれましたが、とは言いづらい状況。

とりあえずお兄様の頭を撫でて誤魔化す。

 

「実験が上手くいって何よりでしたね」

「失敗はしないと思っていたが、うん、よかったよ」

 

頑張ったね、と撫でればお兄様は気持ちよさそうに目を細めた。

 

「深雪に褒められるのは気分がいい。これのために頑張ったとも言えるな」

「まあ。それならもっとしっかり褒めませんとね」

 

嬉しいことを言ってくれるお兄様にはこうだ!と今度はこちらから頭を胸に抱きよせて後頭部を撫でる。

 

「お兄様の頑張りを私は誰より見てきました。お兄様は着実に夢へと一歩ずつ進んでいます。大丈夫、必ずお兄様なら成し遂げます」

 

過度な期待の押し付けに感じるかもしれない。

でもお兄様は一つ一つピースを集めてきた。あと少しで形ができるはず。

 

「よくここまで頑張りました。お兄様はすごいです」

 

いつの間にか腰に回された腕が少しだけ巻き付く力が強くなった。

自然に見えるけれど、お兄様だって落ち込んでいるはずだ。心が沈んでいるのが伝わってくる。

実験自体は成功していても自分を狙った学生がいて、しかもそれが4月の時のように背後にいる人物に操られている可能性まで出てきたなんて。

自分のせいで、とまでは思わないまでもきっかけが自分にあったなど思いもよらなかったことだろうから。

 

「大好きよ、お兄様」

 

流石にこの距離で心音が聞こえてないことはないだろう。

照れるけれど、それでも、伝えたいから。

 

「好き」

 

頑張っているお兄様に、元気になってもらいたくて。

応援している者がいることを知っていて欲しくて。

ありったけの気持ちを込めて。

お兄様は小さく「ん」とだけ答えた。

そのまま静かに時間は過ぎて、もう家の近くだった。

 

「――このまま時が止まればいい」

 

この時間の終わりに呟かれた言葉に、私はクスリと笑って、

 

「動いているから愛し合えるんですよ、お兄様」

 

最後に頬を摘まんで両サイドに引っ張った。

あらやだ。これが十代の肌。男子って肌荒れするものじゃない?強い魔法師美形説はこんなところにも影響を?

 

「あにすうんあ」

 

なにするんだ、ですね。変換余裕でした。

 

「だってあのままだったら、私だけがお兄様に片思いしたままでしょう?」

 

そう言って手を離せばお兄様はきょとんとしてから一転、とても嬉しそうな笑みを浮かべて。

 

「片思いなものか。好きだよ深雪。俺だけの、妹」

 

コミューターから運ばれながら降りました。

というより家に着くまで足が地面に下りなかったのですが私は重病人でしたかね?

 

「もう、ハグは十分したではないですか」

「さっきのは抱っこ。これはハグ。別物だ」

 

玄関でももう一度ハグをしようとするので今日はもう十分なのでは?と伝えればそんな返答が。

屁理屈!

この後、部屋に着替えに行ったが、しばらくベッドの上でもだえ苦しんだ。明らかにお兄様の過剰摂取が原因です。

恥ずかしいことを言ったことと、返ってきた言葉の恥ずかしさに私の羞恥心バロメーターはとっくに悲鳴を上げていた。バタバタと足をばたつかせて発散させ、冷静さを取り戻してから着替える。

制服の皺は、便利な魔法でちょちょいと直して。

もう、魔法無しではいられないなと茹った頭を冷ましながら改めて実感した。

 

 

――

 

 

夕食を終えソファで二人並んでコーヒーを嗜んで。

 

「『あの人』、か」

「もし大亜連合なら病院に襲撃の恐れがあるでしょう」

 

使い捨て出来る組織というものはそういう物だから。

これがUSNAだと回収して・・・あれ?末路はそんなに変わらない?でも襲撃して抹殺、なんて派手なことはしない。

 

「通常の工作員であればそういうこともあるだろうが、彼女がそんな情報を持っていると?」

「さて、そのあたりは何とも。私もまだ彼女と会ったわけではないですから」

 

正式には彼女を使っていたのは周公瑾で、大亜連合側ではあるけれど客人というか、また別グループ扱いの人であり、学生を使っていると知った大亜連合の工作員が気を利かせて・・・というより生意気な美青年の鼻を明かせたくて、プライドの高いおじさんが消しにかかっただけなんだけどね。そっちの事情はどうでもいいです。

情報に関して言えば彼女は大した情報などもっていない。けれど一番重要な存在と関わっている。

 

(・・・彼女のことを思うと面白くない。腹がチクチクする)

 

「珍しいね、深雪がそういう顔をするのは」

 

お兄様は嗜めるわけでもなく、不思議そうに言った。

彼女がお兄様を攻撃――逆恨みして破滅させようとしたことは確かに許しがたいし、許すつもりもない。

でも私が何より彼女を許せないのは――。

 

「同じ妹として、彼女の行動は看過できません」

 

彼女の取った行動は、私には許しがたいものでしかなかった。

 

「お兄様にしようとしたことも許せないですけれど、自身の姉を傷つける彼女も許せないのです」

 

彼女は――お兄様のことで暴走しそうになる原作の深雪ちゃんと同じだ。

彼女の立場だったなら、抑えが利かなかったならこうなっていただろうというIFの私。

私が、なんの柵もなくて、今の通りお兄様が好きだったなら。そしてそのお兄様が、不当な判断により名誉ある大会を辞退することになったのだとしたら、私は感情に任せてすべてを凍り付かせていただろう。

学校も、大会も全て。許せない、とすべてを憎んで。全て絶対零度の世界に閉じ込める。

でも、そんなことお兄様が望むわけもなくて。喜ぶわけもなくて。しょうがないな、といつものように許してくれるはずもなくて。

 

「想像できたはずです。姉妹の悲しむ姿が」

 

やっぱり私にはわからないよ美月ちゃん。好きだからって、許せないからって行動を起こす衝動を、私は許すことができない。

それはしてはいけないことだと、私の心の奥深くに雁字搦めに縛り付けて封印した想いだから。理解してはならない。

してしまえばそれは――お兄様の不幸でしかない。バッドエンドにしかならないから。

 

(私が狂ってしまえばだれがお兄様を止められる?ストッパーがいなくなればお兄様は幽閉か、最悪処分される。叔母様だけではお兄様を守れない)

 

私というロックが正常に作動するから、お兄様は自由でいられるのだ。

 

(結局のところ、自分勝手に無責任に八つ当たりできる彼女がずるいと、羨ましいと思ってるのよね)

 

できることなら私だって、と。

 

(私は、こんなにも醜い)

 

「深雪は優しいね」

 

優しい言葉がかけられるけど、そうではないのだと、違う、と首を振る。

私ほど身勝手で我儘な人間はいない。

昨日だって今日だって、他人の不幸を見逃すようなひどい女なのだ。

けれどお兄様は優しいよと抱き寄せて。

 

「優しいいい子だよ。俺の自慢の妹だ」

 

お兄様の言葉に耐え切れなかった涙が一筋、頬を伝った。

 

 

――

 

 

達也視点

 

美しい宝石は彼女の頬を伝って服へと吸い込まれていった。

一瞬の、儚い宝石。

その軌跡を拭ってやると、深雪は俯いてしまった。

優しいと言ったことが、彼女を苦しめているのだろうとわかったが、嘘は言えなかった。

深雪は優しい。

俺ならば他人などどうでもいいから、――深雪以外どうでもいいから復讐に走るだろう。

深雪は傷つき心を痛めるかもしれないが、深雪を傷つける者に生きる価値はない。

深雪が止めるならその場は止まるかもしれないが、彼女が見ていないところでなら復讐を果たす。

彼女は聡明だから気づくだろうが、悲しむだろうが、彼女を傷つけるものをそのままになど俺にはできない。

ごめんな、と心の中で謝る。

こんな兄貴ですまない、と。

俺は深雪に甘えすぎている。

彼女が、どんな俺でも許してしまうから増長してしまうのだ。

時が止まれと思う。世界に俺と深雪だけになればいいと。

他に何もいらない。

けれど深雪は、――妹はそれを望まない。

その理由があまりにも愛おしすぎて、続く言葉が可愛らしすぎて。

一生深雪には敵わないのだろうと心の中で降参した。

 

「深雪、お前にとって悪い子であっても、俺にとってお前は最高の妹だ。可愛くて聡明な、優しいいい子だよ」

 

撫でて、抱きしめて。

 

「それではダメかい?」

 

耳元で囁けば、深雪は耳を真っ赤にして項垂れるように頭を押し付けてきた。

さらりと黒髪が左右に零れて項が露わになる。

うっすら血の気の通った、匂い立つ項から視線を逸らせない。

少し前に、深雪にポニーテールをしてみてはどうか、なんて話が出たがとんでもない。

精神を弄られ、兄妹愛しか残されていなかった俺が、本来妹に抱くことのない欲を感じているのだ。

俺でさえコレなのだ、他の人間がこの色香に耐えられるはずもない。

深雪がぎゅっと俺の服を掴んだことで、視線を外すことはできたが、自力では難しかっただろうなと頭の片隅で思った。

 

「今は、今だけは甘やかさないでください・・・」

 

小さな声で、小さく願う。

どうして今が駄目なのか。

なぜ甘やかしてはいけないのか。

――そもそも甘やかしてなんかない、ただ事実を述べただけなのに。

なんて、言わなかった。深雪が求めていないから。それだけはわかったから。

握る手に力が入っているからか、細い肩が震えている。

せめてそれだけでも止めてあげたいのに、深雪は拒んでいる。

こんなに傍にいるのに。慰めることも許されない。

これは、罰なのだろうかとさえ思えてきた。とてもじゃないが、腕の中で苦しむ妹に何もしてはならないというのは、どんな拷問より辛く堪えた。

数知れない拷問を受けた俺が言うのだから相当だ。

肉体的ならいくらでも、最悪気が遠のくくらいで済む。だが精神的な拷問というのはこんなにも辛いのか。胸が押しつぶされそうというのはこういう時に使うのだろう、胸が苦しかった。

――なぜこんな思いをしなければならない?

そもそもなぜ深雪がこんなにも苦しんでいる?

平河千秋が姉を思って俺を復讐するという、ふざけたことになったからか?

それを使ってレリックやら論文コンペやらをどうにかしたい連中が原因か?

それともまだ俺が知らない事実があるのか――?

 

(――気に入らない)

 

深雪の思考を占めているその存在が許しがたい。

正直どうでもいいと思っていた。

論文コンペも頼まれたから熟す、ただそれだけ。

レリックに関してはたまたま転がり込んできたが、解読した今、煩わしいものになりつつあった。

そして平河千秋の復讐など羽虫程度にも思っていなかった。

 

(それが、何故――)

 

もぞり、と腕の中で深雪が動く。

 

「ごめんなさい。お兄様には時間がないのに」

「深雪との時間はちゃんと取ってあるから。むしろこれが無いと俺は何もできなくなってしまうよ」

 

深雪は俺の原動力だから、と頬を持ち上げて――ああ、ようやく顔が見れた。

 

「それに論文はもう提出したんだ。家でできる作業なんて急ぎのものなんてもうないよ」

「・・・そ、うなのですか?でもレリックは」

「ほぼ終わったかな」

 

深雪は瞳を大きくしてまじまじとこちらを見ている。

確か興奮状態の猫はこんな感じで目を真ん丸にするんじゃなかったか、と連想したのはこの前彼らと話したことが影響しているのだろう。

 

「今の深雪は確かに猫のようだな」

「ねこ?・・・ああ、エリカ達の」

「普段は犬っぽいと言っていたが、そうだったかな?あまり深雪を動物に例えることが無かったから」

 

深雪は深雪でそれ以外になりえないから考えたこともなかったが、・・・犬?

犬を例えに使うと言えば忠犬だったり猟犬だったりのイメージが強いのだが、・・・愛玩犬というのもあったか。だが、

 

「それは深雪というより、中条先輩の方が似合うな」

 

何気なく言った言葉に、予想以上に深雪は水を得た魚のように生き生きとし出した。

 

「わかります!小型犬ですよね。足元にじゃれついて来たり、きゃんきゃん吠えてて微笑ましくなるあの可愛さ」

 

なぜだろう・・・見えなくもないな、深雪の腰あたりにふわふわ動く尻尾が。

 

「それに猫と言ったら、エリカの方が猫っぽいです!あの気まぐれな感じとか、取った獲物を自慢げに見せたり、甚振るところとか」

 

なんなら頭にも三角の耳が見えるな。

 

「ああ、でも雫も猫ちゃんでしょうか。こっちは長毛種の血統書付きで」

 

ねこちゃん・・・、『ちゃん』ときたか。

 

「ほのかはワンちゃんですよね!意外に日本固有種の柴犬とか?ああでも柴は我が強いから秋田犬かな。ふわふわ」

 

つられてかこちらもワンちゃんになっている。興奮状態で無意識なのだろう。狙ってないのが恐ろしい。

気付かぬ深雪はイメージでもしてるのか、手のひらで何かを持つ仕草をしている。

 

「深雪」

 

声を掛けるとぴたりと止まって次を待つ姿は確かに、犬っぽさを感じないこともない。

 

「お手」

「わん?」

 

右手を差し出すと迷いなく手を乗せてきたが、声は疑問形。

唐突だったというのに、間髪入れずに手を出したのは反射だったのか。

とりあえずよくできましたと頭を撫でると、嬉しそうに笑ってもう一度わん、と鳴いた。

 

「飼うなら首輪が必要だな」

「・・・ノった私が言うのもなんですが、思考が飛び過ぎじゃないですか?お兄様」

「やはり深雪には赤かな」

「首輪もリードもいりません!」

「それではお散歩に行けないじゃないか」

「お兄様!」

 

ちょっと調べてみるかと端末を取ろうとしたら先に奪い取られてしまった。

うちの子は賢いな。

 

「お兄様はお疲れです。もう期限ある作業がないのでしたら、ゆっくりお休みくださいませ」

「今の時間も休んでるようなものじゃないか」

「発言が怪しすぎます。その、・・・妹に首輪をつけるなんてお兄様は破廉恥です!」

 

・・・・・・

 

「すまなかった」

 

一瞬深雪の首元に赤いレザーの首輪を幻視してしまったことは黙っておこう。

深雪の言う通り破廉恥でしかなかった。今日は深雪の言う通りに早く休もう。

 

 

――

 

 

深雪視点

 

 

平河千秋が事件を起こした次の日、食堂にエリカちゃんと西城くんの姿がなかった。学校に来てないんだって。秘密の特訓中ですね。

というか最近学校は何処でもモーセのように道が開かれて歩きやすいですね。・・・この間の選挙以降、どうにも皆に分厚いフィルターがかかったように思える今日この頃。

・・・知らないうちに威圧してるとかそういうことじゃないよね?四葉オーラ出しちゃってるわけじゃないよね??

 

「兄さん、お待たせ」

「お待たせしました達也さん」

 

雫ちゃんはペコっと軽く頭を動かして。

席にはお兄様一人。と、そこへ先に取りに行っていた美月ちゃんと吉田くんが戻ってきた。

交代でお兄様も立ち上がり四人で行くのだけど、原作のようにお兄様を囲んでいくのも周囲の目が気になるし、邪魔になるからお兄様の横はほのかちゃんで、その後ろに雫ちゃんと私が並んでいる。

さて、今日は何を食べようかな?こういう時はあまり自分で作らないものを、と選ぼうとしたらお兄様が振り返って、深雪はこれか?とピンポイントで当てられた。流石お兄様。私のパターンを完全に把握していらっしゃる。

正解、と頷くと周囲からおおっ、とどよめきが。

うんうん、すごいよね。お兄様の洞察力と推理力は。最近もうこの反応も慣れたものですよ。

背後から聞こえた「いいネタだな」、は演劇部部長ですね。これをネタに何を書くのか。そろそろ読ませてほしい。同人誌の方でもいいから。

そしてテーブルに戻って揃って食べ始める。

話題はこの場に居ない二人の話に。

もちろん私は理由を知ってるし、お兄様もそれとなく気付いているのだろうにそっち系のお話に。

お兄様も意外とこういう話抵抗ないよね。

仲いい男女が二人して休んでるってなればまあ、妄想が捗らないわけもない。なんてったって皆思春期ですし。

お似合いのカップルでもあることだし、ね。

でも何よりその話題であわあわしている美月ちゃんと吉田くんも、初々しくていいよね。

大好物です。美味しい。

 

「深雪って酢豚好きだったんだ」

 

ほのかちゃんの発言に、自分がうっかりポロリしたことを悟ったけどそうなの、と誤魔化した。

お兄様からの視線を感じたけれど見ないふりです。

話をエリカちゃん達に戻すと、美月ちゃんは困り果て、吉田くんは彼らに限ってそんなことないと思うけど、と避けようとしたのだがお兄様がここぞとばかりに燃料を投下。

 

「そういえば昨日は二人で帰ってたな」

 

これは妄想も加速しますわー。スピードアップ。

お兄様もひどいことをなさる。

でも最終的に二人はきっと訓練でもしてるんだよー、とフォローで締めくくるのだから、何のかんのお兄様も二人のこと大事にしてるよね。

妹は楽しそうなお兄様の様子が何より嬉しいです。

 

 

 

その夜、お兄様からの大好物についての質問に追い詰められるのだけれど、向けていた視線の先が酢豚ではなく、美月ちゃん達だと気づいていたお兄様による意地悪だと判明。

わかってて聞くなんて・・・そんなに私を追い詰めて楽しいですかお兄様。

 

「お前の好物はすべて把握しておきたいからね」

 

・・・その閻魔帳に初々しいカップルが大好物って書かれるんです?それはちょっと勘弁してほしい。

そして夜が明けて日も昇らない頃、私たちは家を出た。

 

 

――

 

 

向かう先は八雲先生の寺。なんでも練武場を改装したとかで。・・・お寺の練武場とは?などと聞いてはいけない。忍びには秘密がいっぱいなのだ。

今日はわくわく射撃体験である。

深雪ちゃんの能力は基本力押しだ。点で攻撃より面で潰す。早いし楽だけどおおざっぱ。

繊細な魔法も使うけど、おおざっぱな力押しが一番強い。攻撃しようとする敵の主導権を奪い、抵抗する術を無くしたところに襲い掛かるとんでもない出力の魔法――絶望しかない。深雪様の通った後には草も生えない。

だが私はオタク。形から入り、理想を求める勤勉オタク。

魔法が使えるとわかったその日から、いろんなものを試しましたとも!

あんな魔法もこんな魔法も。世界は違えど使ってみたいと思うじゃないですか。

ただこの世界はまず基本魔法式ありき。どうしたら構築できるか考えるところから始めなければならないので、使ってみたくても想像したものを落とし込むのが大変なのだ。

・・・と、話が逸れた。

要はいろいろ試し、遠距離中距離近距離と、様々な魔法を身に着けたいと努力した結果、原作では磨いてこなかった射撃の腕前も、そこそこ位にまでなっていた。

射撃といったら、いつかやりたいワンホールショットを夢見ていろいろ考えましたとも!

カッコいいよね。相手と銃を構えたところで相手の銃口に弾を打ち込むわけだから。森崎くんちのクイックドローにプラス正確無比の射撃の腕前が無いと成立しない超一流の技!憧れる。

なんとしてもやりたいといろいろ頭を捻って考えて。相手の起動熱量を感知して、追跡機能を持たせて狙い撃てば撃ち落とせるんじゃない?とまで行き着いた。

結果、魔法処理速度に物を言わせたワンホールショットが出来上がった。

・・・いや、うん。理想の形とは違ったけれど、これはこれ。照準を合わせる時に固定じゃなく熱源(正しくは非魔法武器の熱源だけでなく、魔法発現熱量もなのだけど、この方がイメージしやすい)探知なので相手が移動しようが、追跡可能という反則的なワンホールショットが出来上がってしまったのだ。

わかりにくい?なら、もぐら叩きゲームのモグラの頭を出す起動音を感知した途端、ハンマーで頭が出るより早く叩き潰し、二度とモグラが穴からでなくなると想像してもらいたい。しかもハンマーは一個だけじゃなく最大16個同時展開できるとなれば、どれほど非道なことか伝わるだろうか。モグラが素直に出てくれば二秒で終わる。

――そう、私の最大照準数は16。十分すごいことではあると思うんだけどね。頑張って鍛えても、原作のこの壁は乗り越えられなかった。無念。これも強制力なんだろうか。はたまた上限が決まっていたのか。まだあきらめていないけどね。今後に期待。

さて、ではさっそく挑戦です。

髪を結ってCADを構え、しっかり足を踏みしめる。

気分は最高難易度のシューティングゲーム。ただし360度という前世では体験したことのない絶望的状況。しかし武器が変われば絶望度は変わる。私の目標は撃ち漏らした的の数に応じて向かってくる模擬弾をできる限り食らわないことと、時間制限まで立っていられること。

合図が鳴る。これは実地訓練ではなく反射を鍛えることに重点を置いた訓練。

意表を突く攻撃はあってもしょせんはプログラム。きちんと対処していけば――

 

(なんて甘っちょろい考えでした全方位こわいいいいい~~~!)

 

四方八方に現れる的を狙って照準を合わせるのだけど、的の数が多い。当然撃ち漏らす。

先ほど説明したワンホールショットのために構築した魔法は、相手の弾には反応するが、動きのない的には反応しないので使えない。

自力で目標に照準を合わせるしかない。処理スピードが速くても、サイオンの関係ない無機物の動きに反応できるほど、私の視野は広くない。狙う的をいくつも見落とし模擬弾が飛んできた。

そこでようやくワンホールショットの魔法を生かすことができるんだけど、こっちも数が多い!

撃ち漏らしを避けてブロックして、その間にも起動式を展開しての繰り返し。2機のCADを駆使して、相殺を起こさないタイミングで起動、または相乗効果で増幅させてからの攻撃展開と、忙しなく頭と体を働かせる。

何とか一歩リードしていたかに思えていた攻防が劣勢に立たされたのは、足を汗で滑らせるという初歩的ミスを犯したから。

ひゃあ、と情けない声を漏らしながら、内心涙目パニックでも体は必死に防御に徹していた。

負けてなるものかと食らいついて、何とか体勢を立て直したところで先生からの終了の合図。

体の緊張が一気に解けて、その場にへたり込んでしまった。

息は荒く、心臓も痛いぐらい激しく音を立て、体にどれだけ模擬弾を受けたかなんて、見る余裕もない。

 

「お疲れ様」

「あ、ありがとうございます、お兄様」

 

息も絶え絶えにお兄様からタオルを受け取――ろうとしたら、腕を掴まれ、体を引き上げられたかと思ったら腰を支えられ、至近距離から全身隈なくチェックされる。

 

「怪我はないようだね」

 

派手に何度か転びましたからね。大丈夫です、と答えると部屋の端まで連れていかれて、今度こそタオルを渡されると、お兄様はフロアの中心へ。お次はお兄様の番だ。

恐らく私のは通常モード。だけどお兄様にはきっとその上のモードで挑戦されるのだろう。

学ばせてもらおう、とタオルを首にかけてじっと集中する。

お兄様の手には愛機のCAD一機のみだった。

やはり、というべきか私の時とは違い、合図もなしに訓練は始まった。

動かぬ的の場合と違い、飛び出すボール状のターゲットに、しかしお兄様は、右手を突き出した射撃体勢を取ったまま的に向けることなくスイッチに触れるだけ。

それだけで12もの的が一瞬にして砂と化した。

続けて現れる的も、次々に分解魔法に撃ちぬかれては砂となる。その砂を避けるように動いては、またターゲットを撃ちぬいてくるりとターン。

まるで踊っているような動きに見惚れそうになるが、注目すべきはそこじゃない。

的の数が私と比べると、出るスピードも不規則さも格段に違うのがわかる。

それなのにお兄様は的確に撃破していく。そのスピードもものすごい速さで、終いには36もの的を一度に撃ちぬくという、とんでもない技量を見せつけた。

合図を出すまでもなく、すべての的を撃ちぬかれ、訓練は終了した。

お兄様の視線を追ってみたけれど、どのように的を認識しているのかわからなかった。

あれらをすべて正確に位置を把握し、座標を定義するなど神業としか言いようがないが、お兄様に少々呆れ気味に感心したと声を掛ける先生も、きっとこれくらいのこと息を吸うくらい簡単にこなすのだろう。

お兄様と先生の会話を聞きつつ、自分の反省点を上げながら、でもやっぱりお兄様はすごかったな、と目に焼き付いた神業を反芻する。

3か月前までお兄様は同時照準が24までだった。けれど今日はさらに増やして36・・・16から増えない私にはとても追いつけそうにない数字だ。

 

「しかし、深雪くんも成長したね」

「!あ、ありがとうございます。ですが私は撃ち漏らしが多すぎて・・・」

「いやいや。それをあれだけ撃ち落とせるようになるなんて、正直動かぬ的よりも難しいことだよ」

 

先生は優しい。お兄様の凄さに打ちひしがれないように声を掛けてくれるなんて、よく見てくれてるいい先生だ。

そこにお兄様まで参戦する。

 

「深雪はまだ自分がどれだけのことをやってのけてるか実感がないんでしょうね。これに関しては比べる相手が俺だから感覚がおかしくなってしまっているのでしょうが」

 

なんだなんだ?先生とお兄様がタッグを組んでお前がやっていることはすごいことなんだぞ?と持ち上げに来る。困った、内容はともかく褒めようとしてくれることは嬉しい。

 

「あ、あの・・・精進します」

 

恥ずかしくなってタオルで顔を覆うと、先生たちが小声で囁き合ってるのを見逃してしまった。

 

「本当、成長しすぎじゃない?あの可愛さ、無意識でしょう?」

「――師匠」

「ちょ、達也くんだって思ったくせにそんな物騒なもの向けようとしないでよ」

「俺は兄ですので」

「免罪符になると思ってるの?それ」

 

不穏な空気を感じタオルから顔を上げたらお兄様と先生は組み手をしていた。

訓練足りなかったのかな?あれだけ動いたのにお兄様も元気ですね。

 

 

――

 

 

お茶でも如何だい?と誘われて向かったのは、いつもの本堂の縁側ではなく庫裏で。

お兄様が少し姿勢を正したのを見習い私も正す。

話はレリックの件だった。

先生自ら入れて下さったお茶をいただきながら、手短に話された内容に、お兄様は事態は軽くないようだ、と認識を改めた。

お兄様にとっては、やることがちょっと派手だが、さほど警戒することでもない敵だと思っていた節がある。

初めこそ銃で撃たれたり、コミューターの不正操作など妨害があったが、軍に動いてもらっている上、仕掛けられているハッキングやクラッキング行為も今のところ防げる段階止まりで実害がない。

論文コンペが終わっても、まだあるようだったら本腰を入れるか程度にしか思っていなかったかもしれない。後回しに思うほど重視していないことだった。

だが、先生が手元に持っていない方がいい、とわざわざ忠告するということはかなりの厄介ごとだということ。特にお兄様が持つことに、より警戒すべきだと言っているようだった。

相手が誰かは言わなかったが、どうやら手ごわい相手だということは伝わった。

 

「そうだね・・・一つ忠告を。敵を前にしたら方位を見失わないように気を付けるんだよ」

 

これは先生の出せる最大のヒントだったのだろう。

奇門遁甲――オタクにとっては耳馴染みの技だけど、普通知らないですもんね。

ああでも彼らが使うのは鬼門遁甲、だったかな。魔法はイメージだから源流からアレンジして生まれた魔法なのだろうか。

 

「方位、ですか」

「おや、深雪くんは何か心当たりがありそうだね」

「・・・今回の件は大亜連合が関わっているようですので、そこに方位と言われると気を引き締めねば、と」

 

はっきりと敵と思われる名を言えば、先生は正解とも何も言わずに意味ありげに笑みを深めた。

先生は改めて、気を付けるんだよ、と学校へ送り出してくれた。

 

「USNAに大亜連合か・・・」

 

エリカちゃんが逃したと悔しがっていたフリーの工作員に、不気味に動き回る大亜連合。

この2つが揃って何もないと思えるほど、私たちは何も知らないわけではなかった。

とてつもない陰謀があるのでは、思わせるには十分な組み合わせ。そこに先生の注意までくれば、警戒レベルは否応なしに跳ね上がる。

 

「とりあえず今日は予定通り、このまま学校に行かなくてはな」

「はい、お兄様」

 

一旦家に帰り、制服に着替えて学校へ。

着々と論文コンペの準備は進んでいった。

――ついでに方々でラブコメの気配を察知したけど、私にはお兄様のような特殊な眼はないので、のぞき見ができないことが残念でならなかった。

 

 

――

 

 

日曜の朝も早かったが、目的地がFLTのためバイクです!

二人揃ってライダースジャケット!お兄様とお揃いです。

遊びじゃないとわかっていてもまたツーリングができると心が弾む。

 

「いつかツーリング目的で出かけようか」

「!いいのですか?それは楽しみです。でも、あまりご無理は・・・」

 

夏休みの件もある。

お兄様にはやりたいこと、やるべきことがたくさんあるのに、あまり私に時間を割くのは――と恐縮すると、お兄様は無理じゃないよと返した。

 

「この論文コンペが終われば、そこまで忙しい予定は無い。飛行デバイスの方も、トラブルは聞かないから大丈夫だと思う。

それにね、深雪と出かけられることは俺にとってはそれだけで十分ご褒美なんだ。俺にご褒美をくれないか?」

 

そこまで言われては引き下がるしかない。

お兄様の願いなら叶えてあげたいと思うから。

 

「でしたらお弁当も作りましょう。外で食べるのもまた、いい気分転換にもなります」

「いいね、楽しみにしているよ」

 

そろそろ出発しよう、とバイクに跨るお兄様に続いて声を掛けてからシートに腰を下ろした。

バイクで走るのは楽しいのだが、この一瞬はどうしても緊張してしまう。

自然に、と心で念じながら腕を腰に回して体を密着させると、お兄様は静かにバイクを走らせた。

ほっ、と安心したのもつかの間、背後からの視線を微弱に感じる。

伊達に周囲から視線を浴びてはいない。人の視線には敏感にできている。ただ普段なら無視するが、今この状況で無視できるほど私も平和ボケはしていない。

サイドミラーには車もバイクも見当たらない。特に変わったものは映って見えないが、確かにちりちりと感じる気配がある。

 

「お兄様」

 

ヘルメットについているマイクに囁くと耳元にお兄様の声が返ってきた。

 

「少し先に店がある。そこまで泳がすぞ」

 

・・・うん、改めてお兄様の声が耳元からするって、それだけで凶器だなと思う今日この頃。

そんな場合じゃないっていうのにね。お兄様の低音は耳を伝って体を震わせる。恐ろしい凶器ですよ、本当。

恥ずかしさを誤魔化すように、お兄様の腰に強く抱きつく。

それが怯えているように思ったのか、お兄様は安心させるように柔らかな声で大丈夫、というけれどごめんなさい。その声がだいじょばないのです。

筋肉フェチではないけれど、声は結構弱いかもしれない。

敵に監視されているというのに、気の抜けた思考回路で申し訳ない。

都市部を抜けて、閑散としてきた道にポツンと休憩所のようにある飲食店に入っていく。

一般的なカフェのウェイトレスさんの制服に、今度はコスプレ系の衣装にも挑戦しようかと、ぬいの服を構想しつつ窓際の席に座った。

飲み物は適当に注文し、ウェイトレスがいなくなったタイミングで、両肘をテーブルについて手を組んで口元を隠しながら話す。

 

「あちらに連れて行きたくない。ここで処理する」

 

端的に話すお兄様の表情は、若干不機嫌そうに眉間に皺をよせていた。

尾行と監視に苛立っているのか。

口元を隠していることから、周囲に見られないようにしているなら私も、と上半身を乗り出してお兄様の耳元に手を添えて返す。

 

「気配はわかりましたが、正体は何でしょう」

「カラスだ」

 

知ってる。知ってはいるのだけど、方向はわかっても私には見えなかった。

がっつり振り向くわけにもいかなかったし、とは言い訳になってしまうのだけど。

見つけられなかったことにしょんぼりしていると、お兄様は慰めるように頭を撫でてくれた。

表情も柔らかくいつものお兄様だ。

見つめ合ってしばし、ウェイトレスさんの近づく気配に、ゆっくりと体を離す。

っていうかグラスを置くお姉さんの顔、赤いですね。・・・なんか、ごめんね?

そしてせっかくおいてもらったグラスを退かし、私の手を握って両肘をつき、また口元を窓辺から隠すようにしゃべる。

 

「座標はここ。わかるな?」

 

お兄様の手を伝って、サイオンの信号が情報となって送り込まれる。お兄様の伝えたいことがダイレクトに受け取るんだけど、その、滅多にないお兄様の上目遣いにね、頑張ってポーカーフェイス保つんだけど、多分耳だけでなく頬まで赤くなってる気がする。

とりあえずこくん、と頷く。

周囲からまるで学校の食堂と同じような反応がちらほら見受けられた。明らかに関係誤解されてますね。都合がいいのでお兄様も気にせず利用するみたいです。・・・少しは恥ずかしがりましょうよ、お兄様。

 

「この状況で俺の力は知られたくない。深雪、お前だけが頼りだ」

 

お兄様に頼られるのは嬉しく思った。心が浮足立つ。

けれど私にはこの後に続く言葉の方に――

 

「撃ち落とせ」

 

この短い命令に、撃ちぬかれた。

その強い眼差しに射抜かれた。

高揚する心をねじ伏せ、今はお兄様の命令に従う。気分はプロのスナイパー。

お兄様の指に自分の指を絡め、視線はずっとお兄様に向けた状態で、もう片方の空いた手に袖口からCADを滑らせ操作する。

外部にはただ美少女が、目の前の青年に見つめられて甘えているように見えただろう。

プロは仕事を周囲に気付かせること自体させない。

お兄様から送られた座標に、一瞬で放たれる魔法。私にはそれがヒットしたか確認することはできないが、目の前のお兄様の瞳がゆるりと何かを捉えていた。

 

「よくやった」

 

絡めていた指を取られ、口元に運ぶとリップ音を一つ。

夏休みにもやってたけど、お兄様それ気に入ったの?私がボンっと赤くなるの、そんなに気に入った??私を真っ赤にするのがそんなに面白いですか。

慌てて手を引っ込めて、お兄様が退かしたアイスティーに手を伸ばす。

お兄様は揶揄いすぎたか、と言わんばかりに苦笑を浮かべられて、前もってわかっていたようにグラスを手渡してくれた。

勢いよくストローに吸い付く。急いで冷やさないと、このままでは季節外れの熱中症で倒れてしまいそうだった。

周囲では、注文呼び出しボタンの音が連続で鳴っていた。

飲み終わり席を立つと、どのテーブルにもコーヒーがあったことに気付き、どこでも同じ反応だなと他人事のような感想を抱いた。

無糖のコーヒーはそんなに美味しいですか、そうですか。

 

 

――

 

 

それからまたバイクを走らせ、ラボに向かう。

もう尾行する気配は感じられない。

こういうところが本気で狙っているように見えず、気を抜きそうになる要因でもある。

実際レリックは奪えればいいな、レベルではあるので、そんな真剣に狙ってはいないのだろうけど。

時間があったからついでにといったところだろう。・・・本当に迷惑でしかない。

だけどあちらは人員だけは大量にいるのだ。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる方式をいくら投入しても余りある戦力がある。

・・・本当に国ごとじゅわっとやるのが一番手っ取り早いな、と思ってしまうのは私もストレスが溜まっているのだろうか。せっかく抱きついていることだし、これで少しはストレス発散できていると良いのだけど、とまたぎゅっと抱きつく。

 

「深雪?」

 

うわ、と。ヘルメットの存在忘れてた。

耳元で聞こえたお兄様の声に体を震わせてしまった。

突然動いたから何かあったと思われたかな?

 

「すみません。ただ、これで終わりなのかと思うと」

「そうだな。どうにもレリックを狙っているにしては中途半端だ」

「本気ではないということでしょうか」

「狙いは別にあると?」

「いえ、家にまでハッキングして小百合さんや、こうして私たちを追っているのです。レリックが狙いであることは間違いないと思うのです。ただ――ホンボシがこちらではない・・・優先順位がこちらの方が低い」

「本命の片手間、ということか」

「憶測ですが」

「いや、その可能性はあるだろう。そう考えると論文コンペ絡みの方もあまりにも手抜きだ。これも優先順位が低いとなると――本命はなんだ?」

 

答えは出ずにラボに着くと、そこは戦場さながらの騒ぎの最中だった。

牛山主任の指示が飛び、社員が動揺しながらも指示通り作業に取り掛かっていた。

お兄様はすぐにレリック絡みだと気づき、自分の存在で動きを止めようとした研究員たちに指示を飛ばし、作業に戻らせる。

しかしその騒動もすぐに終結した。ハッキングがピタッと止まったのだ。

タイミングといい、お兄様が来る時を狙ったのは間違いない。

しかしここから何か情報を奪うでもなく、ただの警告のような手口はこちらを舐めすぎだと思う。自分たちはすべて把握しているぞ、とプレッシャーを掛けてきているということだろうが、場をかく乱させるのが目的だとしても中途半端だ。

お兄様はすぐに牛山主任と打ち合わせに行き、私はそっと人の視線を遮れる死角に身を寄せた。

皆の邪魔になってしまうから、それは避けるべきだと判断してのことだった。

幸い待っている間、考えることはたくさんある。

そろそろ四葉からの報告が何かしらの形であるはず。

魔法士協会関東支部襲撃の確証は得るには時間的にも難しいだろうが、大亜連合が日本にかなりの数を送り込んでいることくらいはわかるはずだ。その動きを少しでも周知できれば、もう少し防衛は楽になる。

平河千秋の元に来る刺客については、原作通り渡辺先輩カップルに任せるつもりだ。一応病院側にも警戒するように生徒会を通して促したので応援はそれなりに期待・・・はできないか。そこまで楽観できる相手でもない。けれど花音先輩の方からも渡辺先輩には警戒するよう伝えられているはずだからそこに賭けるしかない。

あとは、もう一人の洗脳者、関本先輩だけど・・・これはお兄様が好きに使うだろうから、せいぜい呂の囮として活躍してもらいたい。お兄様を嵌めようとしたことは許しがたいので助けようなんて微塵も思わない。

それにこれから私には――危険とわかっていても成したいことがある。

拳を固く握りしめたところで、ふっと背後に忍び寄る気配を感じた。

 

 

――

 

 

「待たせたな」

「お話はもうお済ですか?」

 

お兄様のお迎えに、私は差し伸べられた手を取って、休憩所の椅子から立ち上がった。

今日は日曜日だが、論文コンペの前に休みなどと悠長なことを言っている暇はないようで、ラボからとんぼ返りでいったん帰宅し、制服に着替えてリビングに戻ったところでお兄様は電話をしていた。

ああ、平河先輩だね。

妹がなぜこんなことをしたのか困惑してるよね。優しい先輩を思い出しながら、でもその先輩が妹のデータハッキングするんだよなぁ、と思うと、結構強かな先輩の顔も見えてちょっと苦笑してしまう。

自分の手に負えないからお兄様に押し付けるあたり、この先輩はけして妹が思っているような弱い人ではないと思う。

でも彼女にとっては優しくて物静かで、気の弱いお姉ちゃんだったのかもしれない。

だけどそれは、きっと九校戦前までのお姉ちゃんだよ。私の知っている先輩は、小早川先輩をよくサポートして、メンタルも支えられる良きパートナーだった。小早川先輩からいい影響でも受けていたのかもしれない。あと、お兄様の調整講座も受けてたから、何かしら刺激を受けていた可能性もある。

身近にいると気づきにくい変化だったのかもしれない。お互いに。

お兄様は電話が切れるとすぐさま端末を操作していた。送られてきた情報をチェックしているのだろう。

その間私は窓の外を見る。空模様は曇り。降るか降らないか微妙な曇り具合だが、これから降ることは端末の天気予報でも確認済みだ。

 

「ん?傘が必要か?」

「みたいです」

 

二本用意するとお兄様が流れるように二本持った、と思ったら一本私の分は戻されてしまった。

 

「俺の傘は大きいからね」

 

つまり二人で一本ですか。一人一本使ってもいいと思うのだけど。

狙われている可能性のある今、その方が都合がいいことでもあるのかな?よくわからないけれど、お兄様に考えがあってのことだろう。

 

「先輩は何と?」

「情報提供だな。妹のログを渡された」

 

それを藤林さんに送ったそうだ。これで何かつかめればいいが、と言いながらもお兄様はあまり興味無さそうだった。

それとももう別のことを考えているのか。

学校前の駅に着いて歩き始めると予報通り雨がぽつりと降り始めた。

広げられた傘は確かに大きい。けれど二人並べば肩が出てしまうのでは、と思ったら肩に腕を回される。二人分の肩幅が一人と半分に。

・・・確かにこれなら濡れないね。

校舎に入って跳ねて濡れた個所だけ魔法で乾かした。

 

「この雨では野外作業は無理ですね」

「こればかりは仕方ないな。だけど俺は元々、ロボ研のガレージでデバッグ作業メインだから」

「それなら問題ないですね」

 

問題はありありなのですがね。これから。

どうも護衛担当さんが、お兄様を囮に罠を仕掛けるようなので余計な手出しは無用とのこと。一応本人に知らせないようにと釘は刺されつつ情報共有されました。

これ、原作だったら絶対無理なヤツ。深雪ちゃんがお兄様を囮になんてお兄様の意思を無視してOKを出すなんてありえない。ついでに花音先輩はちょっぴり怖い目に遭うこと間違いなしだ。

私はお兄様が全方位警戒なさっていることをわかった上で応援だけを。

 

「ではお兄様、頑張ってください」

「ああ、行ってくる」

 

お兄様には申し訳ないけれど、この方が手っ取り早いのは事実。現行犯逮捕なら逃げようがない。

ガレージに向かわれる姿を見送ってから生徒会室へ。今日は本気で取りかからねばならない。

明日に仕事を残すことなど、できないのだから。

それから一時間後、お兄様がロボ研のガレージで襲われ、ハッキングツールを使って起動式のデータを盗もうとする事件が発生したと報告が来た。

犯人の関本先輩は確保済みで、取調室に連れていかれたそうな。

これはもう未遂ではなく現行犯。立派な犯罪行為だ。たとえ狙われたお兄様が無傷でぴんぴんしていようとも使われた薬やハッキングツールが証拠だ。とりあえず関本先輩には一日3回足の小指をどこかしらにぶつけるよう祈っておく。呪いじゃない。祈りです。

中条会長は青い顔になりながらも気丈に対応し、教員たちと意見を交換していた。

彼がデータを破壊するならば、自分が選ばれなかった復讐として納得がいくが、盗むとなれば渡す相手がいなければ成立しない。背後に何らかの組織がいることで、平河千秋の周辺にも本格的な対策が立てられることになった。

ただ襲われることを警戒するのではなく、接触を試みる者がいるかもしれないという警戒だけど。先日の何かあるかもしれないという忠告より具体的だから多少マシになると思いたい。

・・・間に合えばいいが、この辺りは微妙だな。時間もない。

中断していた作業に戻り、自分の分を終え、五十里先輩の分も半ばまで進んだ頃に、その一報は入った。

平河千秋の病室に呂剛虎――大亜連合でも屈指の兵士、連合軍特殊工作部隊のエースが現れ交戦、退けたとの連絡だった。

予想をはるかに超えたビッグネームに、中条会長は付いていけずに、ついに椅子にへたり込んでしまった。慌ててほのかちゃんが支えに行くが双方顔色が悪い。

無理もない。一高校生が聞く名ではない。生徒会長といえど、恐らく他校ではそんな名前聞いたこともないだろう。当然関わるなんて論外だ。

彼女にとってはまだブランシュという組織の名前の方が可愛く思えただろう。そちらも元をたどると大亜連合絡みだが、知る由もないからね。

教員たちも流石にわが校だけで手に負える事態ではないと、各所に連絡を入れざるを得なかった。

大半の生徒には当然知らせるつもりはないが、役員以上にまで情報を制限しては、統率も取れない。ある程度の共有が必要だった。

その結果、この情報は学外ではあるが相談という形を通じて七草、十文字の家にも知らせが行くことになる。

――これで、流れは変えられただろうか。

特に十文字は軍との関わりが強いはずだ。七草との情報収集力と合わせれば目的に辿り着けそうだが、論文コンペまで残り一週間もない。

結局、今日はこのまま作業はできないと、お兄様含め帰宅指示が出た。

 

 

――

 

 

「随分と大物が来たな。呂剛虎とは。そんなに彼女は重要な任務を担っていたのか?」

「というより、少しでも関わった痕跡を消そうとしたのではないでしょうか?ラボでの出来事も、結局発信元は掴めなかったわけですから、身元を掴ませないために、と。八雲先生がおっしゃってたように、正体を隠すことには随分慎重に立ち回っているようですから」

 

今回あそこに渡辺先輩たちカップルが来ていなければ呂は姿も見せず任務を遂行できていただろう。痕跡など残さなかったはずだ。

 

「相当な手練れ、と言っていたが、呂はそんな言葉で片付く相手ではないと思うんだがな」

「駒は優秀でも指揮者が大したことがないと、そういうことでしょうか」

 

先生の場合、呂が相手でも相当な手練れ程度な表現しそうだけどね。先生最強説。

今日のコミューターはお兄様と向い合せ。珍しい。おかげでふれあいがない。ドキドキしないで集中しておしゃべりができる。

 

「ところでお兄様は睡眠ガスを受けられたのですよね?大丈夫ですか?」

 

もう治っていることはわかっていても、つい聞いてしまうのはお兄様の魔法を疑っているのではない。

 

「心配させたな。なんともないよ」

 

お兄様の魔法は特別ですが、体は特別ではないのですから心配位はさせてくださいね、と初めに言ったのはいつだったか。

いくら魔法があっても苦しくないわけがない、痛くないわけではないのだ。魔法で治る前は確かに傷を負っているのだから。

鍛えられた強靭な体だって関係ない。治ったって痛かったものは痛いのだ。

その分の心配はさせてほしい、と。

当時のお兄様はたぶん、私がしたいというのだからさせてあげようくらいの気持ちだったと思う。

今も、そういうところがないとは思わないけど、昔に比べたら素直に心配させられてくれるようになった。

くすぐったそうに少しだけ、口角を緩めるお兄様に心が温まった。

 

「お兄様はもう少し、自分のお体に頓着してください」

「そうだな。お前を心配させるのは心苦しいからな」

「そう言いながらも笑っているではありませんか。もっと真剣にご検討くださいませ」

「深雪にされるのなら嬉しいからね。心を配ってくれるのだろう?」

 

いつだったか、心配とは心を配るものだと語ったことがある。それを覚えていたのだろう。

お前から心を貰えるなら受けた痛みも癒される、なんて言うモノだからお兄様にも困ったものだ。

熱くなって手で顔に風を送るけど効果がない。

それをくすくすと笑いながら宥めるように抱きしめられて落ち着いたことで、お兄様は私に断りを入れてから端末を取り出し電話をかけ始めた。

相手は藤林さん。

家に帰ってからすぐに掛けたかっただろうに、心配する私を優先してくれていた模様。

邪魔しちゃ悪いと私はすぐに部屋に上がったけど、――藤林さんもいいよね。大人のお姉さんは好きですか?大好きですとも。

しかも彼女は時折お兄様を惑わすような発言で揺さぶりをかけたり、揶揄ったりもするけれど憎からず想ってくれていることはわかる。それが可愛い後輩扱いによるものかわからないけれど、お兄様の立場もよくわかってくれるし、フォローもしてくれる年上のお姉さんだ。私生活も仕事もサポートしてくれるならお兄様のパートナーとして最高では?

あまりお会いする機会がないから、お話したことも数える程度なのだけど、とっても優しくて憧れる大人の女性の一人だ。

妄想が捗りすぎたあまり今日の夕飯は、大人の女性を想像しすぎたのかちょっと彩り豊かに。カプレーゼにカットサイズのパンにエビやアボカドなどを乗せたオープンサンド、牛肉をとろとろに煮込んだシチューがテーブルを飾った。

 

「今日は随分と気合が入った料理だね」

「作りたい気分だったので」

 

シャンパンの代わりに雰囲気づくりの炭酸水をグラスに入れて、これで部屋の明かりを少し落とせばこじゃれたお店に見えなくないメニューだ。

 

「何かの記念日なのかと思ったよ」

「それでしたら、来週はハロウィンですね」

 

グラスを傾け差し出すお兄様にグラスを合わせて乾杯して一口。ノンアルだけど気分は上がる。

 

「今年も何か用意しているのかい?」

「そうですね、今年からはお母様がいないので悪戯相手もいないですし、どうしましょう?できるのであれば仮装やお菓子は用意したいですが」

 

この三年、我が家は私の趣味全開で季節のイベントごとを楽しんだ。主に楽しんでいたのは私だけど、母もなんだかんだと付き合い楽しんでくれていたと思う。お兄様も私がやりたいならば、と付き合ってくれていた。

特にハロウィンは思い出深い。

お兄様にも仮装してもらえる楽しいイベントでしたから、それはもう張り切ったものです。

だけど今年はお菓子をねだる相手がいない。このイベントも形骸化していくのだろうな、と思うとやっぱり寂しい。

 

「いいんじゃないか?深雪の好きなようにするといいよ。俺も変な仮装じゃない限りは付き合ってあげるから」

「毎年それをおっしゃいますが、私がお兄様に変な仮装をさせたことがありましたか?」

「深雪いわく、正統派だというが、そもそも何をもって正しいというのかわからない」

 

それはコスプレとかコスプレとかですかね。

今のところお兄様とお揃いのお化けや、魔女と魔法使い、スケルトンとゾンビくらいしかしませんでしたからね。

ゾンビメイクは母に不評でした。ちょっと怖かったらしい。二時間かけて本格的にやりましたから。あ、もちろん私だけですよ。お兄様にそんな長い時間拘束するなんてことできません。そういえばお兄様も顔を顰められていた。私に傷痕があることがアウトだったみたい。お遊びでも傷跡は禁止になった。

 

「流石に一週間ではたいしたものは用意できないですからね。ご安心ください」

 

今年はできないと思っていただけに、お兄様からの提案が嬉しかった。

母がいなくなったからイベント自体が無くなるかな、とも思っていた。

高校に入ってからお兄様は忙しくなる。

ただでさえ時間が足りないのに、家でのちょっとしたイベントなど付き合わせるのは気が引けた。もちろん学友とのイベントは別だけどね。私と二人きりに時間を割く機会は『お兄様幸せ計画』の為にも減らしていくべきだと思うわけで・・・だったのだけど、お兄様からお誘いいただいたのなら話は変わる。

少しだけ、お兄様の貴重なお時間頂きますね。

 

「深雪も生徒会に入ってから忙しくなったからな。――無理はしていないかい?」

「ええ。毎日が楽しいです」

 

お兄様のお陰で、私は毎日が幸せで、毎日楽しく暮らしている。

そう微笑めば、お兄様は俺もだよ、と微笑み返しをしてくれた。

 

 

――

 

 

慌ただしくも幸せな週末が終わり、月曜日。

今日は早めに学校へ向かう途中、エリカちゃん西城くんペアに遭遇。こんなところでばったり会うとは思わなかったんでしょうね。大変気まずそうです。

それもそう。二人揃って学校休んでたら何かあると噂される。思春期の男女が気まずさを覚えないわけないですからね。

二人は誤解もされたくないと必死だが、その様子はどう考えても怪しんでくださいというもので、特に自覚なしに爆弾を放り込んだ西城くんに、エリカちゃんは泣きそうだ。

 

「まあ・・・早起きは三文の徳だよな」

 

追い打ちはしない、というお兄様のお言葉だけど、なんというか、雑だよね。いや、適当にあしらっているって意味ではなくて、近しい人だからこその雑な扱い・・・それだけ心を許しているってことだよ、ね?

 

「エリカ達が怪我や病気がなくて安心したわ。連絡がなくてそれだけが気がかりだったから」

「う、それは、・・・ごめん」

 

連絡できなかった気持ちはわからないでもないけど、念のため送ったメールにも返信がなかったのは寂しい。

そう伝えればエリカちゃんは絞り出すように謝った。

 

「ん、許すわ。改めておはよう二人とも。おかえり」

「変な挨拶ね。おはよ、ただいま」

「おはよーさん。怪我で復帰したわけでもないのに学校でただいまってのも変な感じだな」

 

イマイチ決まらないけれど、これくらいがちょうどいい。

三人と別れて教室に向かえば誰もまだ登校していなかった。

今の内かな、と職員室へ交渉に。――許可はあっさりと貰えた。

 

 

 

 

平日の昼間、私は学校を抜け出し、病院へ来ていた。

名目は生徒会役員として平河千秋のお見舞いと、病院の警護体制の確認だ。

本日は面会謝絶となっているが、学校から病院にはすでに連絡がいっているはず。

因みに学校を出る前、ほのかちゃんにお兄様への伝言を運んでもらっている。古風な手紙という形で。

お兄様のことだから、私の位置も、姿も視えていることだろう。

だけど来られると困ってしまうので、そのまま学校にいてもらうよう手紙には書いておいた。

手紙のいい所は完全に一方通行で伝えられることだ。

止められることも怒られることもない。・・・帰ってからが怖いけど。

襲撃事件があったので、彼女の病室の両隣は念のため空室となった。襲撃を退けたとはいえ万が一を想定しての措置である。

警備も万全で4階だけでもエレベーター一基の前に二人、二機あるから計四人。階段には二人、屈強な警備員が立っている。

その他に巡回する警備員も。すべて魔法師の警備員だ。

厳重すぎるほどの警備員。これをどうやったら潜り抜けられるというのか、という程の過剰警護のようであった――が、そんな彼らの目にも、目の前を通過する花束を持った美青年を見ることはできない。

チェックさせてもらっているカメラ越しに見ている私にも当然見えていない。

ただ聞こえたのだ。彼女が部屋を開ける動作と声が。

前もって仕掛けてられていた、隣の部屋の壁越しに取り付けた集音器によって。これだけが唯一何者かが入室したことを捉えていた。

室内の盗聴器には警戒できても、隣接した部屋の集音のみに特化した小さな機器を警戒するなんて、恐らく経験ないことだろう。遮音の魔法は使っていても、その音をサイオンも動かさずに拾い集める魔法なんて聞いたこともないだろうし、そもそも魔法なんて使っていない。骨伝導の仕組みを応用した集音器ですからね。これがもし振動も遮断していたのなら防がれてしまっていた可能性もあるけれど、その場合もう一つ、すべての音が聞こえなくなる不自然さが入室の合図と判断するまで。本来聞こえるはずの彼女の生活音まで聞こえ無くなれば何かしらの力が働いたことになるからね。そっちはタイミングを計ることが難しかったから相手の油断に助けられた形だ。

だけど入室以降本人の声はどうやっても聞こえない。音は聞こえないが振動は感知できているのにその場所の特定もできない。ただモニターの波形がわずかに動くのみ。

彼の鬼門遁甲の術は方向感覚だけでなく機械でさえ騙せる技術なのだろう。対人だけではないのだ。精神干渉だけの魔法というわけではないことは分かった。

警備員の方々にはちょっと移動をお願いして、私もスタンバイする。

 

(大丈夫、私は女優)

 

扉の前に立っても彼女の声すら聞こえないのは、これも鬼門遁甲の術の影響なのか、別の魔法が作用しているのか。扉越しにサイオンの流れを感じようとしても、彼女周辺には見えるが、どういうわけか男性のいるであろう辺りには、何もなくただ自然に漂っているだけにしか感じられない。

そのことが不気味だった。背筋が薄ら寒かった。

だが、そんなもの――塗り替えてしまえば丸裸になる。

 

   「忘れる・・・忘れればいいの?」

   「わかった――」

 

(ここ。このタイミングだ)

 

コンコンコンコン。

高らかになるノック音。

 

「一年A組司波深雪です」

 

凛とした声は冷たさを含んで。

 

「わたくし、貴女を殴り飛ばしにまいりました。宣言は致しましたので歯を食いしばってお待ちくださいませね」

 

押し殺した感情があふれ出し干渉事変を起こして、足元から病室まで半径一メートルは霜が降りていた。

普通、魔法を使えば警報が鳴るはずなのに音がしないのは、彼のように誤魔化しているわけではなく起動式や魔法式など使っていないから。怒りの感情に呼応するように有り余るサイオンが反応し制御しないことで周囲に干渉しているだけのこと。

そして私は扉を開け放った。

 

 

――

 

 

この部屋の鍵は当然前もって許可を得て借りている。

中に入ると上体を起こしている平河千秋と――なるほどこれは確かに麗しく見える知的美青年、の男が一人花束を持ったまま、彼女のベッドの横に佇んでいた。

いや、直前まで座っていて予想もしていなかった乱入者に警戒して立ったのか。サイオンの動きが彼の移動を物語っている。

 

「あら、お客人がいらしたのですね。今現在、こちらは面会謝絶のはずですが、わたくしも人のことを言えませんので詮索は致しませんわ。ですが、下がっていらして。他人を巻き込む気などさらさらないのです」

 

荒れ狂うサイオンに、私の怒りが凄まじいことを彼女も、そして目の前の男も感じているのだろう。

当然だ。いくら私が微笑んで見せていても、この部屋の室温はすでに十度は下がっている。

 

「これは・・・、怒りを鎮めてはいただけませんかレディ。このままでは彼女の体調が悪化してしまいます」

「下がっていらしてミスター。貴方ほど素敵な殿方ならお判りでしょう?これから始まるのは女の闘い。そこに殿方がいては余計な火種を生むだけですわ」

「そちらの少女が傷つけられるとわかっていて、みすみす手を上げられるのを見逃すなど――」

 

突如始まる会話の応酬に顔を引きつらせながら呆然としている彼女は、聞こえているだろうにそちらの少女――、との言葉に何の反応も示さない。傷ついた顔もしない。好意を寄せていた相手に他人行儀に扱われ見向きもされていないことに何の反応も無いということは、すでに忘却は完了したということか。

そして男のこの発言はそれを確認するためであり、己の術が成功したと確信したのだろう、花束を抱えなおした。

あえて男をただの邪魔者扱いにするのは怒りで周りが見えていない演出。だからその花束にも、男自身にも警戒などしない。彼女にだけ用があるのだと見せつけるように白けた視線を向ける。

 

「これが最後の警告ですわミスター。平手打ちで我慢すると言っているのです。これ以上邪魔をするというのであれば、この部屋ごと凍結させてしまいますでしょうね。わたくしはどちらでも構いませんのよ?」

 

再度離れるように警告すれば、彼は足元が凍ることを避けるように下がった。そのことに、自分を窮地から救ってくれそうだった、見知らぬ(・・・・)男性が引いたことに絶望の表情を浮かべる彼女に、私は改めて向き直って。

 

「歯は食いしばりまして?」

 

にっこりと微笑んで、振り上げた手を怯える彼女の頬に向かって思い切りスイングさせた。

途端ぱあんっ、と派手にはじける音が響く。

魔法で包まれている私の手が痛むことはない。

反対に、彼女の頬は見る見るうちに赤く染まっていく。

しっかり歯を食いしばる時間を与えたからだろうか、声は漏れなかった。

叩かれた個所を手で押さえて、混乱しているだろうにこちらを睨みつけてくる彼女に、私は笑みを深くする。

 

「よかったわ。まだ人を睨みつける元気はありそうね」

「なんっ、なんなのよアンタ!いきなりこんなことして」

「私は名乗ったはずよ、司波深雪と」

「それが何だっていうの!?アイツの妹だから!?復讐にでも来たの?!」

「復讐で来ているのだったら、貴女の息の根なんて挨拶する前に止めているわ」

 

干渉力を更に範囲を拡大してみせれば、彼女は顔を青ざめさせた。手で覆い隠された部分は赤いままのはず。ちょっとその手を外して、赤と青を比較させて欲しいと思う私は、やっぱりシリアスは似合わないんだなと思った。

 

「じゃ、じゃあ何しに来たっていうのよ!」

「貴女を馬鹿にしに来たに決まっているでしょう」

「はあ!?」

 

今度は赤くなった。

彼女の激しい変化に血圧が心配になるけれど、元気そうで何より。感情の起伏があるということは心が疲弊していないってことだからね。

 

「貴女、自分がいったい何をしたかわかっているの?」

「アンタも壬生って先輩みたいに私を馬鹿にするの!?すべてわかってやってるわよ!

私が手を借りた相手がとんでもない組織であっても、アンタの兄に復讐できれば誰だってかまわなかった!

知らないおじさんからハッキングツールを持ち掛けられた時だって相手が何を求めてるかなんてどうでもよかった。ただアイツの顔が歪む、苦しむ様が見たかったのよ!利用されてようが関係ない。

へまをして捕まったんだもの。消されて当然だって思ったくらいよ。私はあんな女とは違う。自分の立場ぐらいわかってる!」

 

すごいね。記憶を忘却させるだけじゃなく都合よく改変までできる暗示。

でも背後のサイオンに動きは見られない。まだこの場に残って何か確認することがあるのかな?

 

「ほら、わかっていない。だから貴女は馬鹿だというのよ」

「知ったかぶりしないで!アンタなんかに何がわかるってのよ!!」

 

激しい感情をぶつけるように睨みつけ荒ぶる彼女とは対照的に冷ややかな視線で睥睨する。

 

「貴女、何のためにこんなことしたのか覚えてないの?」

「何のためって・・・もしかして勘違いしてない?私は別に姉さんのために復讐したんじゃない。きっかけにはなったけど、元々アンタの兄が気に食わなかったのよ!実力隠して二科生になって、ヒーローのようにアンタを救った話だって、絶対盛ってるんだと思ってた。同じ二科生でそんな奴いるわけないと思った。でもテストの成績や九校戦で活躍を見て本当にすごい人なんだって!だけどそんなすごい実力を見た姉さんは日に日に悩んでいった。名誉であるはずの論文コンペを辞退して譲ったのよ、あの男に!姉さんはずっとずっと頑張ってきたのに!アイツの、アンタの兄のせいで!!」

 

己の発言が支離滅裂なことを自覚できていないほど、彼女は激しい感情をぶつけた。

きっと、そうでもしないと己を守れなかった。全ての責任をお兄様のせいにしなければ彼女の心は行き場を失っていたのだろう。

 

「自分のための復讐だったと」

「そうよ」

「司波達也が困ればいいと」

「いっつもすました顔して、何でもできるアイツが許せなかったのよ!」

「なら姉が貴女のしたことを苦に感じても、あなたは何も思わない」

「姉に嫌われるくらい覚悟の上よっ!」

 

確かに、その覚悟はあったのだろう。復讐をすると誓った時点で彼女は姉のせいにするつもりなどなかった。切っ掛けではあっても、そこからは先はすべて自分で行動したのだと。

だけどね、そんなもの――すべて貴女の空回り。

 

「――なぜその程度で済むと思ったの?」

 

「・・・・・・は、なに?」

「貴女の姉が犯罪に走ることも、貴女の復讐の内だったのかしら?」

「・・・っどういうことよ?!」

「貴女にとって、これはお姉さんの復讐ではないのでしょう?きっかけの一つではあるけれど。自慢だったお姉さんが辞退したこと自体も貴女は許せなかった。お姉さんにも苦しんでもらいたい。――そういうことだったのね」

 

冷ややかな目で見下ろせば、彼女は凍ったように固まった。

いや、理解が追いつかないだけだろう。

優しくて気弱な姉と、犯罪に走るという言葉が結びつかないのだ。

 

「よかったわね。兄が訴えれば貴女のお姉さんには札が付くわ。当然学校も退学になるでしょうね。あれだけ優秀な成績を修められ、未来も有望だったはず。

可哀そうなお姉様。愛する妹のために手を汚したのに、その妹にまで憎まれていただなんて」

「姉さんを憎んでなんかっ!それに姉さんが犯罪!?ありえない!」

「否定されても事実は事実。でも、貴女はお姉さんのことなどなんとも思っていないから、自分勝手な復讐をしたのでしょう?でなければ優しいお姉さんが傷つくとわかっていてできるはずないものね」

「っ!!」

「覚悟の上だったのでしょう?嫌われるなんて、見当違いな覚悟だったみたいだけど」

 

あざ笑うように口角を上げれば、彼女はすぐさま反発しようと息を吸うが、凍てつく空気を思い切り吸えば呼吸は苦しくなるというのに。悪役ムーヴで笑って見せる。

げほ、ごほと咳込む彼女に手など差し伸べない。

そんな女たちの喧嘩の結末を見届けて背後でわずかにサイオンが動く。――男はここに残る理由がなくなったようだ。

相変わらず音も気配も何も感じない。そこに何かがいることなんて覚えていられないほど存在感がなかった。

このフィールドを私の空間にしていたからこそ、わずかにでも認知ができた。

それしかできなかった。

・・・もし、彼の目的が忘却ではなく処分であったなら、私ごと消されていたかもしれない可能性に、今更になって身を震わせた。

 

 

――

 

 

「違う!わたしは!!」

 

ようやくしゃべれるようになった彼女は咳込んだ際に出た、生理的な涙を浮かべながら拒絶する。

 

「私はただアイツが憎くて!姉さんは関係なくて!」

「でも貴女に優しかったお姉さんが、貴女が傷ついていることに悲しまないとでも思ったの?賢いお姉さんが貴女を追い詰めた一端が自分にあることに気付かないと思ったの?

――貴女が起こした行動に傷つかないとでも思った?」

「思ってないわよ!だから嫌われる覚悟ならあった!!だけど、だけど何?私のせいで姉さんが・・・はんざいを・・・?そんなはず、ない!姉さんは、誰よりも優しいあの姉さんが、」

「歯を、食いしばりなさい」

 

振り上げた手を見て彼女は身を固くした。

避けようとはせずぎゅっと目を瞑って。

人間、一度学ぶと短い命令でも反応できる。

ぱあん、とまた音が響いた。

また魔法で包まれた私の手は、痛くもなんともない。

けれど今度は叩かれた彼女も目を開閉させて驚くばかり。

 

「目は覚めたかしら?」

「な、に・・・したの?」

「目覚ましビンタよ」

「え」

「目覚ましビンタ」

 

この世界のゲームにはないのよね、目覚ましビンタ。

驚きのあまり頭が真っ白になっているなら都合がいい。ここで一気に畳みかけましょう。種明かしを兼ねて。

 

「まず初めに、お姉さんが捕まることはないわ。兄さんは通報なんてしないもの。

貴女のお姉さんがやったのは、貴女が悪い組織とつながっていたログをハッキングして、拾ったデータを兄さんに託したの。貴方を助ける力になろうと、ね。でも一人ではできないから兄さんを巻き込む形で。

貴女のお姉さんは賢いわ。そしてとても強かだった」

 

思い出すだけでも微笑ましくなる先輩の優しさに笑みがこぼれる。

それを唖然と見つめる彼女は今、必死に頭を回転させているのだろう。時折目が揺れる。

 

「落ちこぼれとされる二科生の星だと勝手に期待して憧れて、それなのに自分の大切なモノを傷つけられた――それが貴女にとって裏切りに感じられたみたいだけど、私は答辞で言ったでしょう?一科生も二科生も関係ないって。実力ある人は二科生にもいるって。誰も聞いてくれなかったけど。

新歓の事件も言ったから、噂でも広がってたし、それなら貴女だって聞いたでしょうに」

「・・・そんな言葉、信じられなかったわよ」

「でも、実際目にして本当だと知った。二科生でも優秀な人がいるって。

かっこよかったでしょ、九校戦の兄さん。憧れるのもわかる。普通あんな逆転劇できないもの」

「・・・姉さんが、帰ってきてから、エンジニアとしてもすごかったって言ってて。・・・だけどそれから、ずっと悩んでて」

「お姉さんは真面目な人ね。誠実で、きちんと周囲を見る目を持ってる」

「・・・わかってた。姉さんが彼を認めたんだって。だけど私は認められなかった。ずるいって。だって、姉さんの三年間の努力を同い年の、しかも同じ二科生の子が奪ったんだって思ったら――」

「理不尽に思えるわね。ぽっと出の男の子が、大事な姉さんの舞台を奪ったと感じるのも無理ないわ」

「でも、姉さん自身が決めたことだってこともわかってた」

「それでも、お姉さんの悔しさが痛いくらいわかったのも、貴女だった」

 

大きな目から雫が落ちる。

ずっと溜まったままで流せなかったのだろう、ぼろぼろと、とめどなく落ちていく。

 

「悔しくないわけ、ないじゃない!ずっと、ずっと前から頑張って、6月の選考会だって夜遅くまで頑張ってたのに、」

「その選考にさえ参加してない一年生が選ばれるなんて贔屓にしか思えないものね」

「・・・貴女、さっきから誰の味方なの?」

「私は誰の味方でもないわ。ただ貴女に文句を言いに来ただけ。あと、そうね。目を覚ましてあげたかったの」

 

そう言ってポケットからハンカチを取り出して程よく冷やしてから彼女の頬に押し当てた。

 

「貴女が無事でよかった」

「・・・え・・・?」

「あのままだったら貴女、すべての罪を着せられたただのピエロになってしまうところだったから」

 

落ち着いた彼女なら、もう大丈夫だろう。

そして私は話せる範囲で、彼女に事情を説明することにした。

本当は話すつもりなんてなかったのだけど、この子なら大丈夫だと思えた。

この子も本当は、お姉さんが大好きな優しい子だったから。

 

「さっきの男、覚えてる?」

「さっきの・・・?あ、周さん・・・?あれ、わたし・・・」

 

うんうん、混乱しているね。

いろんな記憶が混在して整理が追い付かないのだろう。

そんな彼女にハンカチを外してからもう一度ぺちっと頬を叩く。見せかけだけの魔法も何も掛けていない、ただの手の平を押し当てて。

 

「貴女は気付かないうちにコントロールされていたの。今もね、彼のことを思い出せないように暗示を掛けられたところだった。本当なら思い出すことはなかったはずよ。一度漂白されてしまえば本来二度と戻らない」

 

恐らくそういった類の魔法だったと思う。お兄様がいれば何か視えたかもしれないけれど、私にはそんなことはできない。

だから――精神が漂白される指示を出す脳の指令自体を揺さぶった。

振動系初歩魔法を手に宿して。猫だましを挟むことで意識を真っ白にして。

ただ干渉力は強かったみたいで一時的に意識を改変され、彼女はハッキングツールについてしか思い出せることが無くなっていた。その前の、彼女にとって優しく手を差し伸べてくれた男のことなど、きれいさっぱり忘れていたのだ。

だけど2発目。これが揺り返しを起こさせて、切れたはずの記憶の枝が繋がった。

正直賭けだったんだけどね。思い出さなければそれまで、と思っていた。まさか本当に物理的な衝撃で戻るなんて。

ここに来た一番の理由は、私に鬼門遁甲の術が破れるかを見たかった、それだけだ。

そのついでに、脳を刺激したら暗示を破ることは可能か、という実験をしたに過ぎない。

仮説が正しいか実験をしてみただけ。とはいってもこんなことが偶然できましたってだけで可能性があるってことしか示せない実験だけどね。一例しかないから比較もできないから。

ああでも彼女を単純にひっぱたきたかったのも目的の一つかな。同じ妹として許せなかったので。これはお兄様がいない今しかチャンスはないとも思ってた。

・・・視られている可能性はあるけれど、そこはそれ。気づかないふりをする。

 

「本当はそこまで兄さんを憎んでもなかった。お姉さんのことも残念だけど、お姉さんが納得してるのを貴女はちゃんとわかってた。面白くはなかっただろうけど、だからってそれで兄さんを傷つけようなんて思えなかったはずよ。――あなた一人なら」

 

ただこの子は、操りやすそうな駒として目を付けられ、感情を増幅させられ、利用されたに過ぎない。

 

「今、兄さんのこと、そこまで考えてないでしょう?」

 

もう憎いとは思っていないはずだ。人生をめちゃくちゃにしたいなど考えてもいない。

呆然としながらも頷く彼女に、私はそっと抱きしめた。

びくり、と体を震わせたけど、抵抗はなかった。

 

「知らずに操られているってとっても怖いことね。しかも貴女の意識ははっきりと自分のモノだって認識していたから、余計に」

 

彼女はすべて自分の意志でやったと、壬生先輩にも啖呵を切っていた。すべては私が理解した上でやったことであり責任は自分が持つのだと。

でもそれは思い込まされていただけ。自分に酔った状態を維持させて鼓舞していたのだ。

だから彼女は、いつもならできないような勇気をもって行動を起こせた。

一歩間違えば死ぬような危険な行動も、ビビっても押さえつけられた。

だが今の彼女は違う。目を覚ました今の彼女は小さく震え、涙をこぼす。

自分のしたことに気付き、何をさせられたのか理解し、何を傷つけたのか認識した。

 

「・・・わかってて騙されたつもりだった。だってあんな綺麗な人が、私のために時間を作って話を聞いてくれるはずないって・・・」

「それはわからないわ。世の中広いのよ。美しくて見返りも求めない優しい人だっているかもしれない。それに、貴女可愛いんだからそういう目的で狙われたっておかしくないんじゃない?」

「嫌味なの?貴女みたいに完璧な美少女に可愛いなんて言われて信じると思う?」

「客観的に見て、純真で素直そうな可愛い子と、見る者全てを見蕩れさせる完璧な美少女だったら手が届きそうな可愛い子に手を差し出すのはおかしなことじゃないわ」

「・・・・・・あんたっていい性格してるのね。知らなかったわ。あんたたち兄妹揃って詐欺師じゃない」

「勝手に周囲が勘違いなさるみたいね」

 

特に私はこんな見た目でシリアスブレイカー。・・・この本性は見せられないけれど。結構愉快犯ではある。

 

「貴女は惚れっぽいのね。兄さんに惚れたと思ったら、次はさっきの男性、周さんでしたっけ?」

「ちょ、違うわよ!!アイツのことなんてっ」

「いいのいいの。気になって気を引きたくてちょっかいかけちゃっただけだものね」

「だからそんなんじゃないってば!いい加減離して!」

「よしよし。好きな人にいたずらして気を引こうなんて可愛い子ね~」

「やーめーてー!」

 

ごめんね?愉快犯なものでして。

全力で揶揄ったらぐったり疲れて動かなくなってしまった。

情緒ジェットコースターの後にいじり倒したらまあこうなるよね。楽しかったです。

それから漂わせていたサイオンを解除して警備員に連絡。

見知らぬ男性が入室していたと報告すると信じられない様子だった。当然彼本人はカメラにも映っていない。

けれどカメラに映る私たちの動きが第三者を感じさせるものであることと、平河千秋本人からの証言もあり、信ぴょう性が出たことで彼女は本格的にマインドコントロール治療を受けることになった。

ただし、男の正体は『見たこともない』という体で話したので忘却が失敗したことを知る人間は限らせてもらった。

でないとまた狙われるからね。

安住先生も駆けつけ面倒を見てもらえることになり、本人も安心した表情を浮かべていた。知っている人がいると安心するから。

 

「じゃあね、千秋。お大事に」

「・・・、今度来るときは見舞いの品くらい持ってきなさいよ、み、深雪」

 

素直じゃないお友達ができました。

 

 

――

 

 

学校に戻ってまいりました。

事情聴取やら手続きやらがあったので予定がずれて夕方になってしまった。

生徒会室に着いたらほのかちゃんからお手紙が。

いつからほのかちゃんは郵便屋さんになったんです?お手紙食べてない??

開けばお兄様からで、放課後七草先輩と渡辺先輩と一緒に八王子の鑑別所に行くことになったそうです。

最後の一文に強めの筆圧で大人しく待っているように、ですって。

 

「・・・あぶったら首を洗っておきなさいとか浮き出ないかしら?」

「なんか物騒な言葉が聞こえたけど、何て書いてあったの!?」

 

あら、ほのかちゃんお手紙に興味津々です?お兄様の直筆だものね。

でも大丈夫、大したこと書いてないから。

ぺらっと見せる。

 

「生徒会長、勝手をして申し訳ありませんでした」

「そんな!頭を上げてください!私への相談がなかったことは残念ですが、結果として平河さんに被害が及ばなかったことは貴女のお陰なんですから」

 

そう、教員には相談していたけれど、中条会長には全く知らせていなかった。知らせたらたぶんお兄様に連絡いっちゃう気がしたので。

 

「そう言っていただけると気が楽になります。どうしても私ひとりで行きたかったので」

「その、どうして達也さんに知られたくなかったの?」

「だって、お見舞いと称して引っ叩きに行きたかっただけなので」

「「ええっ!?」」

 

あら、シンクロ。驚いた顔もそっくりですよ。可愛い。

あー、生徒会室に帰ってきたなぁ、と安心する。

 

「ちなみに引っ叩いたらお友達になりました」

「「ええー!?」」

 

うんうん、可愛い反応に癒されます。

 

「・・・どういうことなのかさっぱり。光井さんわかる?」

「わたしもさっぱり。・・・もしかして平河さん深雪に叩かれて目覚めちゃった、とか」

「ええ!?そ、そんな///」

「人のお友達の性癖を勝手に歪めないでくださいませ」

 

ほのかちゃんステイ。

すぐそっち方向に行くの良くないですよ。教育的指導。デコピンだけど。

 

「いたい・・・」

「もう、ふざけたこと言ってないでお仕事しましょ。会長もですよ」

「はぁい」

 

よいお返事。

いい子には頭なでなでしてあげましょう。

 

「私、年上なんだけど」

 

おっと、失礼しました。

 

 

 

 

とまあお仕事頑張ってたんですけどね。またも着信を知らせる音に不吉なものを感じて、中条会長はびくぅっと体を震わせた。

このところ良い連絡ないですものね。

でも相手は七草先輩。出ないわけにもいかない。

電話口の会長はひたすら驚きの声しか挙げていなかった。ええ?!と、はい・・・しか聞いていない。

会話それで成立するんだね。

そして電話が終わると、中条会長は涙目になりながら語った。

前に千秋ちゃんを襲った男が関本先輩の元に現れ、お兄様たちが交戦、見事取り押さえたらしい。

皆さん大活躍ですね。その人、大亜連合でも名の通った兵士なのに高校生がたった三人がかりで捕まえるって・・・異常ですからね?

これお兄様も事情聴取や何やらがあってここに帰ってこれるのかな?と思っていたけど、そこは七草のお力ですぐに帰れるらしい。

やっぱり権力ってすごいな。ぱわー。

ってことで帰ってきました。無傷のご様子。何よりです。

 

「おかえり兄さん。お疲れ様」

「深雪も。大変だったみたいだね?」

 

生徒会室でお出迎えしたら、笑顔で不穏な空気を背負ったお兄様。逃げられるなら今すぐ逃げたい。

中条会長は花音先輩と共に渡辺先輩たちに詳しい事情を、とそそくさと離れていった。危機察知能力高いですね。

ほのかちゃんはおろおろとお兄様と私の顔を交互に見ていたけど、雫ちゃんに回収されていってしまった。危険だから離れた方がいいって聞こえたけど、私も回収してほしかった・・・。

 

「一人で乗り込むなんて危ないじゃないか。俺じゃ頼りなかったかい?」

「兄さんは今忙しいでしょう?ただの安全確認だもの、一人でも問題ないと思ったの」

「男だったそうだね?何もおかしなことはなかった?」

「気配を全く感知できなかったわ。目で見ただけだったら、きっと最後まで認識できなかった」

 

お兄様の目が細くなる。

お兄様眼力があるから鋭さが増すと威圧感が増しますね。

もしかしなくても同時に体調チェックされてます。ご心配かけて申し訳ない。

 

「ごめんね」

「無事でよかった」

 

抱きしめられて、とりあえずこの場はこれで収まった。けど学校であまりこういった行動はとったことがなかったので、遠くから見守っていたほのかちゃんからは羨ましいオーラが。あと中条会長、指の隙間から可愛いお目目が覗いてますよ。

呂が傷を負って逮捕されたこともあって、事件は解決といった空気が流れるけれど、皆さん、何も解決はしてないですよー。それはただの実行犯で指示役は別に居るんですから。でも目の前の脅威が去ったらもうお終いって気分になるよね。わかる。

おかげで最近のピリピリしていたムードから一安心の空気に変わった生徒会室は、今日はこの辺で、と早めの解散になった。

もちろん論文コンペまでは警戒は怠らないが、と花音先輩は帰り道五十里先輩にぴったりくっついて帰っていった。

 

 

――

 

 

「それで男は何者だ?」

 

夕食も済んでいつものコーヒータイム。

ソファに腰を下ろしたお兄様がさっそく切り出した。

続いて私もその横に腰かけて、コーヒーを一口飲んでから答える。

 

「千秋は大した情報を持ってませんでした。ただ姉が悩んでいる姿が辛くて夜の街へ逃げた際、声を掛けられたのだと。暗い想いを肯定され心が救われた、その相手が周と名乗った男だったそうです」

 

千秋と彼女を呼んだことにお兄様はピクリと眉を動かしたが、口にしたのは男の名だった。

 

「周、か」

「随分見目の良い方でした。目立つ容姿でありながら誰の目にも止まらない術のある、油断ならない相手です」

「――そんな相手を深雪はどう見破った?」

「見破ってなどおりません。私はただ、四葉から機器をお借りして彼女の部屋を盗聴し、タイミングを見計らって突入したにすぎません。そして感情制御ができないふりをして、干渉力に物を言わせてその場を掌握し、サイオンの変化に注視していただけです」

「四葉といつ接触を・・・、この間のラボか」

「はい。その時にお願いしました。彼女を狙うことは予期してましたので」

 

こう言うと出来る人みたいだけど、ずるしてるだけなのでちょっと申し訳なくなる。けれどこのスタイルで貫くしかない。

 

「そしてこれが、その時受け取った情報です」

 

と端末を取り出して開いて見せる。

本当、四葉の情報収集能力ってすげー、って思うよ。

流石に周の情報は載ってないけど、呂剛虎もその上司の陳祥山も、日本に潜伏していることに気付いているんだから。

その呂も捕まったけど、その他大勢の大亜連合の特殊部隊が次々と集結しつつあることまで掴んでいる。

――ただ事で済むはずがないと、この時点で十分に察せる戦力だ。

 

「まさか論文コンペに合わせて奇襲をかけてくるとはな。相当な被害が出るぞ、これは」

「七草家と十文字家はどこまで追えたでしょうか?」

「今日の様子を見る限り、この情報を得ているとは思い辛いが」

 

知っていればもっと緊張感があったはずだとお兄様は分析する。

だがこの情報を見る限りこれだけの人数だ。警戒しているなら何かありそうなことくらいは――

 

「軍の中でも意見が分かれているのかもな。情報源もはっきり四葉とは言えないだろうし」

「・・・・・・こんな時くらい派閥争いしている場合ではないと思うのですが、これも仕方のないことなのでしょうか」

 

つまり、軍内部でも話が出ているものの、まだ噂レベル。誰も本気で取り合わない、と。

ほんっと、くだらない。派閥が絡んで幼稚なことで揉めてるから下に皺寄せが来るんだよね。困った大人たちだ。

 

「だが、この情報はすぐにでも共有すべきだ。藤林さんに渡しても?」

「もちろんです。早いことに越したことはないでしょう」

 

まだレリックの件で家の回線を自由に使えない。

直接風間さんとは連絡が取れないので、藤林さん経由で伝えられた情報に、独立魔装大隊は大忙しになってしまった。

申し訳ない。でも頼れる人たちがあまりにもいないもので。

敵に悟られてはいけないので大っぴらに動き回ることもできず、準備には余計時間がかかるが、これは戦争の足掛かりとなる奇襲作戦だ。慎重に慎重を重ねねばならない。

 

「論文コンペどころではなくなってきたな」

「ですが中止などにしたら怪しまれます」

 

カモフラージュとして論文コンペは、本命を隠すいい隠れ蓑なのだろう。

 

「せめて警戒度を上げ、もしもの際の避難経路を各校へ通達する・・・のも危険ですね。どこのルートかわかってしまいます」

 

既に一高生徒が事件に巻き込まれ、大亜連合の特殊工作員に襲撃されたことは通達が行っている。それでどれほど警戒しているかはわからないが、それなりに対策くらいはされていると思いたい。

 

「ある程度情報としてあってもいいんじゃないか?ルートなんて襲撃する側なら当然把握しているだろうが、どの道を使うかはわからないだろうからな。工作をしている可能性も無くはないが、あそこは魔法師協会のお膝元だ。大掛かりな工作はできないだろうし、会場もチェックが入る。実際出たとこ勝負になるだろう」

 

ならこれは一高からの注意喚起として、生徒会を通じて主催者側に用意してもらおう。

これだけ狙われた一高だもの。聞き入れてもらえるだろう。

 

「せめて不審船が見つかったり、不法入国者が見つかった時点で動いてくれていればな」

 

それを言っちゃあお終いです、お兄様。

少人数をコツコツ送り込まれれば気づきにくくもある。中華街で匿われたら治外法権もどきだ。何か事件でもない限り乗り込むなど不可能。どうしようもない。

 

「小さな事件で大きな作戦を隠すなど、なかなか考えられる作戦ではないですものね」

 

敵を褒めるわけではないが、単純でも効果がある作戦だ。

横浜も横須賀も当然だが、いくら魔法協会支部があると言っても魔法師以外も暮らしている。というより住民のほとんどは非魔法師だ。その彼らが巻き込まれたら、また魔法師との対立構造の溝が深まってしまう。

警察はほとんど市民を避難させることで手一杯。軍が敵対するにも人数が足らない。

大規模で攻め入られたからといって、全国から優秀な魔法師を一極集中なんてさせたりしたら他の守りも手薄になってしまう。

関東は関東で何とかしなくてはならないのだ。

・・・お兄様、きっと過剰労働よね。情報や準備は原作よりできると言っても、元から動かせる人数が限られているし。

 

「全く。高校に入ってから事件ばかりだな」

 

ホントにね。お兄様は主人公だから避けて通れない。

 

「お疲れ様ですお兄様」

 

私にはそれしか言えない。神からの愛の試練です。サポートしますからぜひ幸せになってください。

ラノベでバッドエンドはありえないのですから、どんな困難が待っていても、お兄様なら乗り越えられますとも。

 

「ところでお仕置きがまだだったね」

「え・・・?」

 

お兄様の口から不穏な発言。

 

「勝手に学校を抜け出して――深雪は悪い子だ」

「ああああの!それには深い事情がありまして!」

 

頬を撫でる手つきがいつもよりなぞる様に触れられて、ですね・・・顔も近づいてきて・・・、内心どころか表面に出るほどパニックです。

抑えて!お兄様その怖いオーラを抑えてください!!

 

「悪い子には罰を与えないと」

 

耳元で重低音。いいお声なんですけどね!?震えあがるほどですけどこれが歓喜なのか恐怖なのかそれすらわからない。

 

「二度とこんなことを起こす気にならないくらいじっくり教えてあげよう」

 

――どれだけ深雪が悪いことをしたか、ね。

 

その言葉の後の記憶はない。――ないったら、ない。

 

 

――

 

 

論文コンペ二日前、夕食も入浴も終えてリラックスしていたところで、お兄様の端末が鳴る。

最近、お兄様は忙しすぎて食べたら部屋に籠っていたが、ようやく落ち着いてきたということで今夜はリビングでくつろいでいたのだが。

お兄様にまだ休息は取らせないということか。横目で見ながらすっとキッチンへ移動する。

ディスプレイには藤林さんの名が一瞬見えた。

ハッキングも止まったので、何かあったのだろうと話していたのが昨日だった。つまりスパイたちを一網打尽にできたのだろう。

聞こえる内容もそれを伝えるものだった。だが残念なことに指示役の陳は取り逃がしたそうだ。これも周が動いていたというのだろうか。それとも自身の鬼門遁甲か。

どちらにしても注意を促していた上で逃げられているのだから、本気で逃走されてしまえば彼らでも発見は難しいのだろう。

そしてレリックが狙われることになった理由は軍からの情報が漏れたそう。というか経理の数字を敵が把握し、異常を見つけるって・・・そんな細かいところまでチェックされているとはね。

でもそこからは人海戦術で手あたり次第片っ端から調べまくったっていうのが流石大国。

 

「目的がもし本当に魔法士協会関東支部ならば、相当な武装をしてくるはず。でもそんな大物まで入ってきてるとはまだ情報が来てないの。一応海はチェックしているのだけど、今のところヒットはなしね。明らかに外国人――それも東洋系がかなり増えていることは確認できていても、まだ奇襲に疑念を持っている人間がいて警戒レベルを上げるのも限界があるから」

 

まあそうね。そもそもコンペの日に動くと判断できるような情報はないし、ただ外国人が増えた頃にあるイベントごとがたまたまそれだった、というだけ。狙われたとしてもいち高校生の論文大会だ。企業のそれとはレベルが違う。

だが呂が動いていた。大亜連合特殊工作部隊の隊長が来ている時点で何かがあるとは疑っているようだが、その警戒すべき呂は捕まった。そのことで大規模な作戦は中断するのではないかと考えるのも無理からぬことだ。

そのような消極的な判断に藤林さんは苛立っているようだったが、気を取り直して論文コンペに応援に行くから、とお兄様を応援して電話が終わった。

端末を少し乱暴に放り投げて、ソファに深く座りなおすお兄様。

そこに飲みやすい温度に冷ましたノンカフェインの紅茶と、可愛らしい金平糖を乗せてテーブルに並べて、隣に腰を下ろした。

何を言うわけでもなく寄り添って、自分も紅茶を飲みながら、金平糖を一つ摘まむ。ライトにかざすと緑色が淡く輝いた。

星のような輝きに満足して口に放り込めば、その甘さに頬が緩むのがわかる。

我ながら夢見る乙女のようなことを、と思うけど星を食べたような気分がして、前世からのお気に入りの食べ方だった。

一つ、また一つと口に運んでいると、横からもぞりと動く気配。

けれど、タイミングがちょうどライトにかざしたところだったので反応が遅れた。

水色の、綺麗な金平糖を摘まんだ手首を掴まれて、金平糖が落ちないように強く摘まむことに気を取られ、手首に近づく黒い影に気付かなかった。

ぱくり。・・・指を食べられた。

 

「お、にいさま!」

 

厳密には指に挟まれた金平糖を食べたら、指も一緒に食まれて舐めとられた、のだけど。

 

「ん、甘い」

「砂糖菓子ですもの。・・・人のモノを取るなんて、悪い人」

 

どっきどきですよ。指に、感触が!くちびる、柔らか、っていうか舐め――だめだ。頭がまとまらない。

それでも何とか言葉を平然と返せているのはブラボーとしか言えない。

偉いよ私、すごいよ私。淑女教育は今日も生かされている。

 

(お母様本当にありがとう)

 

「悪い兄貴は嫌いかい?」

「・・・意地悪なお兄様も素敵よ」

 

嫌いなんて冗談でも言えない私に、なんて質問をするんでしょうね。

そしてそのお色気モード引っ込めてくれませんか?特に今お兄様はお風呂上りなんだから、そんなに身を寄せないで。気恥ずかしい。

 

「束の間の休息さえ許されないのかと思ったよ」

 

電話のことですね。

お疲れ様です。その束の間の休息に、傍に居させてもらえるなんて嬉しい限りです。

これでお色気モードでなければ、肩に寄りかかって頭を撫でてもらえるのに不用意に近づけない。これ以上距離を縮めるのは危険だ。

 

「このところのお兄様は働きすぎていましたからね」

 

困ったな。頭を撫でてあげたくなるけれどそれも難しい。

ニコニコ微笑みながらどうしようかなと思案していたら、お兄様が唐突にこちらに向けて口をぱかっと開けた。

んん?綺麗なお口ですね。・・・もしや。

 

「もうひと粒ですか?」

 

ぱちりと瞬き。

・・・放り投げてもいいかな?お兄様なら上手にキャッチできると思うの。

だめだよなぁ、と思いながら白い金平糖を一つ。

 

「これで最後ですからね」

 

そう言って口に運んでふにっと唇が触れては離れた。

まるで指先に口づけられたかのようで指先から熱くなる。

けれどそんな素振りは見せない。

 

「ありがとう。元気が出た」

「それはようございました」

 

私は逆に何かが吸い取られた心地です。

こんなことでお兄様が元気になったのならいいのだけどね。

 

「あと二日、ですね」

「深雪は、・・・安全なところでは待っていてくれないんだろう?」

「お兄様のそば以外で安全なところなどありませんよ。それに、身を守るのは得意になりました」

 

あれから三年。私も成長した。

人を守れるくらいには強くなったつもりだ。共闘だって、できるくらい腕は磨いてきたつもりだけれど、良くも悪くもそんな経験は今までなかった。

 

「もう、あの時のようなことはありません」

 

だけどお兄様にとってあの時のことはトラウマで。

眉間に皺をよせたお兄様に抱きしめられた。

 

「お前が願えばお前だけを守れる」

「ならお願いよ、お兄様」

 

抱き込まれたまま、私は願う。

どこよりも安全な腕の中で。

 

「私の大切なものを守るのに力を貸して」

「お前の、大切なもの」

「幸せな日常を」

 

皆で笑って過ごせる幸せな日々を。

私だけじゃない、お兄様だけでもない。皆で笑える幸せな日々を守ってと願う。

 

「・・・ひどいお願いをする私は嫌い?」

 

私ひとりを守りたいというお兄様に、皆守ってとお願いするなんて、お兄様にとっては酷い願いだ。

そして拒絶されないとわかっていて尋ねる私も、ひどい妹。

お兄様が抱きしめる腕の力を弱めて二人顔を合わせる。

お兄様は少し悲しそうに、口元に笑みを浮かべながら答えた。

 

「そんなお前だから愛さずにはいられないんだ」

「わがままでごめんね、お兄様」

「お前のわがままを叶えることが俺の喜びだから」

 

だから謝らないでいい、ともう一度抱きしめられる。

早く終わればいい。

幸せな日常を取り戻すのだ。

 

 

――

 

 

全国高校魔法学論文コンペティション開催日当日。

時間通り到着した私たちを出迎えてくれたのは花音・五十里先輩ペアとエリカちゃんと西城くんペア。

どうもエリカちゃんと花音先輩は反りが合わないようだ。壬生先輩の時のように仲良くなれないのは相性の問題なのかしら。

 

「おはようございます。エリカ達も随分早かったのね。美月たちはまだ来てないのでしょう?」

「んー、なんか早く目が覚めちゃってね」

 

ううん、リベンジマッチじゃないけど、戦いの気配があるから特訓の成果を見せたくてうずうずしているところかな。

好戦的なエリカちゃんもかっこかわいくて良し。

反対に花音先輩はエリカちゃんが何かしでかすのではないかと、警戒心をむき出しにしている。向けるべきはこちらではなくあちらですよー。

 

「先輩、エリカ達はこれまで兄さんが頑張ってきたのを、傍で見てきた友人です。応援を張り切ってしまうのもしょうがないことかと思います。先輩も五十里先輩が頑張っているのを見ていたら、応援に熱が入るでしょう?」

 

ね、と言えばこちらまで胡散臭そうな目を向けられてしまったけれど、何か言うつもりはないようだ。

 

「でも、ここにいるより客席で応援していた方が、全体が見渡せていいと思うわ」

「そうだな。もし何かまた事件が起きたようなら、その時は事態収拾に協力してくれ」

「!そうね。お友達だもの。もしその時が来たら手伝ってあげるわ」

 

お兄様の言葉の意図を読み取ったエリカちゃんは西城くんを引き連れて意気揚々と『いい席』を探しに行った。

この場は五十里先輩たちが担当するとあって、私たちは控室へ移動することになった。

そこで備え付けのお茶を入れて一息ついたところで来客が。

藤林さんだ!一応プライベートとなっているのでスーツ姿。大人の女性って感じのお姉さまの魅力にくらくらです。

実際にお会いするのは久しぶりだ。見つめていると隣のお兄様から背中を見られた。背中というより、腰?何かあったかな。

久しぶりー、と互いに挨拶を交わしていると話題は九校戦へ。

 

「あの時皆でお茶してたのよ。深雪さんも誘ったらって言ったんだけど」

「深雪が行っては目立ってしまいますし、何より深雪は藤林さんが憧れのようですから、取られてしまうのではないかと心配になってしまうんですよ」

 

う・・・ばれてる。っていうか取られるって何?私も皆さんとも、藤林さん個人ともお茶したいですよ。

 

「あら、心の狭いお兄ちゃんね。お茶するくらいいいじゃない」

「深雪に関しては譲る気はないですから」

「お兄様?私も藤林さんとお茶してみたいのですが」

 

綺麗なお姉さんとお茶できるんですか?お布施はいくらでしょう??なオタクです、お茶できるチャンスがあるならぜひ欲しい。

お兄様は渋いお顔。

そして勝ち誇った笑みを浮かべる藤林さん。この構図写真に残したいくらい素敵なんですけど。残せない?網膜に焼き付けるしかないね。

 

「束縛しすぎると嫌われちゃうわよ」

「・・・・・・俺も傍にいてもよければ」

 

わあい。お兄様の許可が出た。

でもなんでそんな絞り出すように・・・。いくら藤林さんにメロメロでもお兄様のことは片時も忘れる事なんてないのに。取られることなんてないのに少しの可能性も許せない?完璧主義なお兄様だからしょうがないのか。

 

「さて、お兄さんの許可も下りたことだし、今度時間ができたら一緒に行きましょう!もし外が難しければ手土産もってお宅に訪問するわ。いつも美味しいお茶を入れてくれるって、達也くんから自慢されてて気になってたのよ」

「もちろんです!お兄様、いいですよね?」

「構わないよ」

 

やったー。美女とティータイム権利ゲット!とっておきの紅茶用意して、ケーキスタンドも久しぶりに出して――と頭に浮かべていると、お兄様たちは別の話に移行していた。

 

「こちらに来て大丈夫だったんですか?」

「こういう時に肩書がたくさんあると便利ね。貴方達が九校戦で目立ってくれたおかげで、どの肩書でも貴女たちに会いに来る理由になる」

「それは技術士官としてだけではなく、藤林家としても、ですか」

「ええ。だから達也くんも『藤林少尉』でも『藤林さん』でも『藤林のお姉さま』でも呼んで大丈夫よ」

「いえ、お姉さまという呼び方はなかったかと思いますが」

 

え、公式でお姉さまと呼んでいいのですか?

 

「藤林のお姉さま?」

「深雪さんからなら響子お姉さまも捨てがたいわね」

「響子お姉さま!今度のティータイム、精いっぱい腕を振るいますね」

 

慈愛に満ちた微笑みいただきましたよ。やったね。ご褒美いっぱい。

 

「・・・人の妹を誑かさないでいただけますか?」

「深雪さんって時折人懐っこいワンちゃんになるわね。可愛くて連れ帰りたくなるわ」

「させませんからね」

「癒しが欲しくなる時もあるの」

「貸し出しは受け付けておりませんので」

 

おっと、お兄様目つきが鋭くなってしまいました。そろそろおふざけもここまでにしましょう。

つんつんお兄様をつついてにっこり笑うと、お兄様は大きなため息を吐いて本題に入った。

藤林さんが来た理由は二点。お兄様が設計したムーバルスーツが完成し、それが今日こちらに届くということ。

もう一点、こちらが本題だった。わざわざデータカードで渡されたそれは周囲を警戒するほどのモノで。

 

「間違いであってほしかったんだけどね」

 

そう言って藤林さんは客席で応援してるわ、と部屋を出ていった。

さっそくデータを確認すると、軍で確認が取れた外国の国家機関関与の確証ともとれる証拠が入手できたというもの。

つまり防衛本部が動く許可が下りたということだ。

ギリギリ間に合った、と取るべきか遅い、と怒るべきか。

これならば今すぐではないにしろ、昼頃には十師族並びに百家にも通達が行くことだろう。

時刻は八時四十五分、五十里先輩が花音先輩と共に控室にやってきた。

見張り番の交代だ。

それなら客席のエリカちゃん達のところに行こうか、と向かう途中、若い男性の声に止められた。

 

「司波さん!」

 

CV松岡氏ですね。確実にメインキャラです。

振り返ると一条くんとB組の十三束くんだ。

 

「一条さん」

 

とりあえずお兄様に視線が向いていないので、私に声を掛けてるんだろうと呼び返すと硬直されてしまった。

・・・どうすればいい?お兄様をちらりと見ると、お兄様の視線は彼の警備の腕章。

十三束くんとお揃いだ。

うーん、話しかければ解凍するかな。

 

「お久しぶりですね」

「え、ええ。後夜祭のダンスパーティー以来です」

 

そんなに緊張する?というかさせてるのか。隣の十三束くんまで緊張してるし。

とりあえず緊張解すために微笑んどく?

 

「会場の見回りお疲れ様です。一条さんが目を光らせて下さっているならば、私たちも一層安心できます。よろしくお願いしますね」

 

特にこれから大荒れだからね。ぜひ一条くんには頑張ってもらいたい。そんな気持ちも込めて言えば一条くんは鯱張って。

 

「はいっ!必ずやご期待に沿えるよう全力を尽くします!」

 

おおう、応援団ばりの声量ですね。気合十分?今からこんなのじゃ疲れない?

隣からお兄様のやりすぎだという視線を感じました。

だって、これから大変なことになるから、頑張ってもらえたらと応援しただけなのに。

 

「十三束くんも頑張ってください」

「あ、ありがとうございます」

 

話しかけられると思ってなかったのかな?でもお家のお仕事手伝って接客業してるからかお返事スムーズ。

一条くんは彼から少しでも何かを得られるといいね。

二人と別れてまたお兄様と歩き出す。

 

「十三束のこと知っていたのか?」

「隣のクラスですし、エイミィが彼と仲がいいんですよ」

 

未来の可愛いカップルはチェックさせていただいてます。

お兄様は風紀委員じゃないのに、いったいどこで接点が?と思ったら十三束家の『レンジ・ゼロ』は有名とのこと。そういえばそうでしたね。

そんな話をしていたらエリカちゃんと合流。

西城くんは一緒じゃないのかと訊ねたお兄様に、エリカちゃんはご立腹だ。ごめんね私もセット扱いしてました。さっきも一緒にいたから。

状況が悪いのか、お兄様がクラスの皆は?と訊ねる。なんでもE組は皆ノリがよくて応援行くぞー!となっているらしい。仲いいクラスだね。クラスメイトの応援に集まるなんて青春だ。他の皆はまだ来てないが、美月ちゃん達は来ているらしく、エリカちゃんがにんまりと二人の座っている方に視線を向けていた。自分が揶揄われるのは嫌だけど、人のことは全力で揶揄いたい。そんなエリカちゃんも大好きですよ。

因みに演劇部部長も来るんだって。なんでエリカちゃんがそんなこと知ってるの?そしてどんなネタでも拾う姿勢、着々と創作系オタクの道を進んでますね。いいことだと思います。

 

 

――

 

 

しばらく他校の研究を聞きながら、周囲を確認するも特に異常はまだない。

また交代の時間になったので客席から移動する途中、小さな声が耳をかすめた。

振り返ると、そこには安宿先生と共に壁際に立っている千秋ちゃんの姿。さっき名前を呼んだのは千秋ちゃんだったんだ。

 

「千秋!もう外出て大丈夫なの?体調は悪くない?」

「・・・もう平気」

「そう、よかったわ。安宿先生もこんにちは」

「ええ、こんにちは」

 

千秋ちゃんは素直に顔が見れないお年頃なのか、ちらちらとこちらを見ては顔を背けるツンデレ少女だった。

警戒心の強い小動物みたいで可愛い。ちーちゃんって呼びたい。

 

「よくなったからって無理しちゃダメよ」

「わかってるわよ」

「興味深い発表だからって熱中しすぎてもダメだからね」

「もう、わかったってば」

「あらあら二人は仲良しなのね~」

「ええ。友人です」

「!!」

 

あらま。先生の陰に隠れちゃった。やり過ぎたかな。先生はふふふ、と笑っている。

お兄様は、うん。何の感情も読み取れない顔になってる。なんで?

 

「では先生、私たちはこれから交代に向かうところなので」

「発表、楽しみにしてるわね、司波くん」

「はい」

 

軽くお辞儀をして二人と別れて今度こそ控室へ。

花音先輩になんかあったの?と聞かれたけど、はて?何かあったかなとお兄様を見ると、お兄様は何もありませんと無表情。これは何かあったと思われてもおかしくないね。

交代して先輩たちがいなくなって二人きり。

 

「私、何かしてしまいましたか?」

 

私たちが無言で過ごすことはよくあることだ。会話がなくても心地よい穏やかな空間は好きだ。

けれど今流れていた無言は少し居心地が悪い。これから起こることへの警戒心かとも思ったが、なんというかお兄様の関心がこちらに向いている気がするのに、見ないようにしているような・・・うん、よくわからないけれどそんな感じ。

さっきも感情を隠したような顔をしていたし、何か私がおかしなことをして、そのことを注意しようか考えているのか。

黙っていることもできたけど、改善すべきことがあるなら早めに修正をするべきだ。放置して拗らせて後で仲直りするなんて時間がもったいない。

思い切って質問すると、お兄様はゆっくりと視線を合わせた。

無表情だけど眉は下がっている、多分一ミリくらい。

 

「深雪は何も悪くないよ。これは俺の問題だ」

「その問題は、私たちで解決するものではないのですか?」

 

この質問は予想外だったらしく、目を見開くお兄様。

一人で問題解決できるなら、お兄様はさほど悩まないのでは?と考えたのは経験則だ。お兄様はそもそも他に関心が薄い。はっきり言えば私が絡むことでなければ基本放置か即決だ。

しないとなれば私絡み。そう自意識過剰になるくらいにはまだ、お兄様の主軸は私だった。

そして今回も正解のようである。

 

「解決、は難しいだろうな。・・・単に俺が寂しくなっただけだから」

「お兄様が?私がお兄様を寂しくさせたのですか?」

 

おっとこれは大問題だ。そしてどう考えても私が解決せねばならない問題では??

驚くとお兄様は苦笑して情けないなと零した。

 

「互いに高校に入って人との付き合いが変わっただろう?昔に比べて交友関係が広がった」

「そうですね。以前では考えられなかったことがたくさんありました」

 

以前は家族とそれ以外だった世界に、友人ができたことで随分世界が広がったように思う。

お兄様も昔より振り回されることが多くなったけど、その分楽しそうに過ごすことも増えた。

感情は更に豊かになった。人との関わりがお兄様の新たな扉を開いてくれた。

私にとってこの変化はとても喜ばしいのだけど、お兄様には違うのだろうか?

 

「お兄様は困ってますか?」

「困ってる・・・戸惑ってる、かな。ずっと深雪のそばにいることが当たり前で、深雪のことは全部知っている気になっていたのかもしれない。・・・俺の知らない交友関係があってもおかしくなんてないのに」

 

ああ、そういうこと――ようやく合点がいった。

つまり、あれだ。え?アレでいいのかな?

親友だと思ってた子に知らない友達がいたことがショック、みたいな。

 

「そういえば千秋のこと、事件概要は話しましたけど、名前を呼び合う仲になったとは説明しませんでしたねぇ」

「・・・かなり腹を立てているように見えていたから、どうして仲良くなったのか信じられなかった」

 

確かに。千秋ちゃんの行動は許せるものじゃなかったからね。お兄様への八つ当たりも、妹としての心構えも。

 

「そうですね。私自身友達になるとは思ってもみませんでした」

 

エリカちゃんと壬生先輩じゃないけれど、殴って友情が芽生えることってあるんだね。

 

「それから、一条や十三束のことも」

「十三束くんのことなら先も申しました通り、エイミィと仲良しですから自然と見る機会は増えますね。・・・ですが一条さん、は特に心当たりがないのですが?」

「熱心に応援しているように見えたが」

「ああ、これから大変なことになるでしょう?クリムゾンプリンスとして活躍なさるでしょうから応援を」

「・・・そうか」

 

あらあら。ちょっと面白くなさそうな口ぶりです。拗ねてる?珍しく可愛いお兄様が顔を出した。

昔母を褒めた時のような顔だ。

 

「一条さんを応援できるのはあの場だけですが、お兄様へは常に応援しているのですよ。それでは足りませんか?」

 

お兄様は常に巻き込まれていきますからね。いつでも妹は傍で応援していますとも。

そう言えばお兄様は少し考えるような顔をして、――にやり、と笑った。

 

「足りないから補充してくれ」

 

――揶揄いモードだから助かった。これが色男モードだったら死んでた。

お兄様の近くに立って座ったままのお兄様の両肩に手を置いて覆いかぶさる。

長い髪がカーテンのようにお兄様を囲み、まるで閉じ込めた気分だ。

 

「お兄様、行かないで、無茶はしないで、傷ついてほしくないの。これが私の本心。

だけど強くて格好良くて、皆を守って悪い敵なんてやっつけちゃう、そんなお兄様も見たいのも本心。

応援してるわ、私のヒーロー。頑張って。絶対戻ってきて」

 

行ってなんて欲しくない。行ってしまえばお兄様が世界の中心人物になってしまう。渦中に巻き込まれてしまう。

でも、それでも折れることなく立ち向かう姿は格好良いのも知っている。お兄様はどんな相手にも負けない――最後には必ず勝つ。

なんてったって、彼はヒーロー。主人公なのだから。

頑張っている人に頑張ってというのは、と思わなくもないけれど、お兄様はそれがよかったみたいだ。

 

「ヒーローなんて柄ではないが、深雪のためのヒーローなら喜んで引き受けるよ。ありがとう」

 

脇に手を差し入れられ持ち上げられると腿の上に座らされた。

抱っこ好きですねお兄様。

でもタイミングが悪かった。

ノック音と共に入ってきたのは七草先輩と渡辺先輩、そして市原先輩だ。

 

「早く来ちゃ――って!また兄妹でそんないちゃついて!!もう、ここは公共の場です!破廉恥禁止!!」

 

・・・破廉恥って言われた・・・。

子供抱っこだと思うんだけど破廉恥に見える?・・・私の見た目が子供じゃないからかー。

先輩たちの前でこの格好は恥ずかしいので、お兄様の巻き付いている腕をぽんぽんする。・・・ぽんぽん。あれ?外れない?

 

「兄さん?」

「・・・・・・わかった」

 

シートベルトが外れました。

 

「失礼しました先輩方」

 

すすす、とお兄様の後ろに下がってすまし顔。

先輩方の視線が突き刺さるけど、私っていうよりお兄様にですね。すぐに離さなかったことが要因でしょうか。

 

「予定を繰り上げて早く来たということは、何かあったということでしょうか?」

 

お兄様も何事もなかったかのように話し始めました。

三人とも呆れた視線になったけれど、触れることなくそれぞれ適当な椅子に腰を下ろした。

話は先ほどまで尋問してきたという関本先輩の話だった。

真新しい話はほとんど出なかったそうだけど、マインドコントロールされた形跡があったという。そして、

 

「これは家からの情報だけど、関本君の背後の組織と関連あるかわからないけれど、どうもこの周辺できな臭いことが起こる可能性があるって」

「今日かはわからんが、ここに来る途中街を見て外国人が多くてな。信ぴょう性が高い」

「十文字君のところも情報が行っていると思うから、午後からは防弾チョッキ着用で警備に当たるかも」

「主催本部からも避難経路に関する案内のついたパンフレットが配られましたね」

 

パンフレットは入場者全員に配られた今日のプログラムだ。

毎年用意されているが、全員に配られるものではなかったので、違和感を持った人もいただろう。そしてそこにはいつも記載のない避難経路。

何かがあると気付く者もいるはずだ。

 

「あーちゃんには更に警戒するように後で伝えるわ。何事もないのが一番なんだけど」

「警戒自体が無駄になることはないでしょう」

 

話がまとまったのか、市原先輩は原稿を読み出し、七草先輩たちは市原先輩の護衛係をかって出ているので、そのままここで待機するらしい。

お兄様も気にせずモニターに映る発表を見て過ごして一時間。昼休憩となりお弁当タイム。

仕出し弁当は結構豪華。飾り切りされたニンジンのモミジが秋らしい。

今度フルーツカッティングでも始めようかしら。

リンゴの白鳥とか作ってみたい。

 

「・・・深雪さんは何を目指しているの?」

 

あらま。また口に?

 

「できたら面白そうじゃないですか」

 

見た目にも楽しいし、デザートの幅も広がりそう。

いつか来る藤林さんとのお茶会で披露したら素敵じゃない?・・・なんだろう。気分はフルーツ盛り合わせを注文してあげるお客さんの気分。高いお酒は用意できないからちょうどいいね。

お姉さんをナンバーワンにするためなら頑張っちゃおうかしら。

 

「飾り切りか。お煮しめも年々豪華になっているな」

「できることが増えてきて楽しくなっていっちゃうのよね」

「お料理もするとは聞いてたけど、おせちまで作ってるなんて。すごいわね」

「流石におせちまでは。一月に煮物を作る時にそれっぽくするだけで」

 

正月は親族の集まりにも顔を出しているのでね。あちらに行けばおせちは用意されていて、自分で作ったことはない。

だけどあまりにもプロ過ぎて家庭レベルのものが食べたくなる。あそこにあるのは美味しいものであって、あったかいものではない。

 

「練習するなら加減をしてくれよ」

「リンゴならジャムにもできるし、ドライフルーツにもできるから」

 

脳内ですでに計画は立ててます。大丈夫、コーヒーの時のようにはならないから。

 

「おかしいわね。べたべたくっついてないのに甘いわ」

「ここまでくると恋人ではなく夫婦だな」

「コーヒーが欲しければついでに入れますよ」

 

市原先輩はすでに自身のコーヒーを用意していた。早い。

二人の先輩は即手を上げてコーヒーを求めた。ううん、そんなにおかしな会話でもないと思うんだけど。

これがダメなら二人で会話しない方がいいかもしれない。反省点。

 

 

 

食べ終わったら休憩して。残り二時間になる頃五十里先輩たちが合流。準備に取り掛かる。

その時小さなノック音と共に小さな中条会長が入ってきた。

各校生徒会長は審査員の仕事がある。時間的に本来今も審査員席にいるはずなのだが、前の学校が早く終わったとのことで、顔を出してくれたようだ。いくら巻きで終わっても次の発表の時間は変わらないから。

可愛い。癒されますね。生徒会長のお仕事もちゃんと熟してます。

来年は私も審査員をやることになるだろうから発表も見るけれど会長にも注目させてもらってました。

ちまちま書いてたり小さく頷いていたりと大変可愛らしかった。参考になってるかは・・・姿勢は勉強させてもらったから大丈夫。問題ない。

時間になったので会長は戻っていき、お兄様たちはまた作業に戻る。

あっという間に時は過ぎ、ついにお兄様たちの番になった。

舞台にまで付いていくわけにもいかないので、私は関係者席に向かうが、客席を通るので目立たないように動いているつもりだけど悲しいかな、注目を浴びているのがわかった。深雪ちゃんにこっそりなんてできるわけが無いのです。

発表との合間の休憩時間だったので、発表の邪魔にならずに済んだけど、発表中だったら、もしかしたら妨害工作と思われたかもしれない。いや、逆に皆舞台に集中するから私が見られることはないか?・・・怖くて実験なんてできないけど。

時間ギリギリで関係者席にたどり着き、すぐに照明が暗くなる。

凛と立つ市原先輩はいつもよりも美しく見えた。凛々しい顔立ちに自信満ちた声色、背筋はピンとして堂々としている。

――陰に徹する必要なんてないくらい、彼女は見せ方を熟知していた。

発表が進むにつれ、会場のボルテージも上がる。特に市原先輩の、

 

「今回私たちは、限定された空間内における見かけ上のクーロン力を十万分の一に低下させる魔法式の開発に成功しました」

 

この言葉に会場はどよめいた。

五十里先輩はそのタイミングでデモ機を操作、市原先輩の説明と共に魔法はプラズマ化、クーロン力の制御、重力制御、冷却、エネルギー回収、そしてプラズマ化へと循環し、何十回とループする魔法を安定的に発動する。

 

「現時点では、この実験機を動かし続ける為に高ランクの魔法師が必要ですが、エネルギー回収と設置型魔法による代替で、いずれは点火に魔法師を必要とするだけの重力制御魔法式核融合炉が実現できると確信しています」

 

夢物語だった、技術的に不可能とされてきた理論が、新技術『ループ・キャスト』によって実現したことに会場全体が惜しみない称賛を送った。

飛行魔法の時もそうだったが、また泣きそうになった。

お兄様の理想とする形が皆に認められる姿に感動する。

誰もお兄様に目を止めていない。皆市原先輩と魔法を発動した五十里先輩に集中していたけれど、間違いなくあの魔法式に関して言えばお兄様発案のモノだ。

誇らしい。ほとんどの人は気付いていないけど、私にとってこの称賛はお兄様に向けられたも同然のモノだった。

会場はまだ興奮から冷めやらない。

だが――水を差されてはどんな熱も一瞬にして黙らされるのだ。

轟音と振動が、会場を揺るがす。

誰もが何が起きたのかわからなかった。

 

(人員を増やしても、食い止められなかったのね)

 

だけど、すべてを運命通りに進めるつもりはない。

決意を込めた拳を胸に、私は改めて覚悟を決めた。

 

 

――

 

 

「深雪!」

 

誰もが動揺し動けない中、お兄様の声が響いた。

 

「、兄さん!」

 

危うくお兄様と言いそうになるのを抑えて声のする方へ返せば、お兄様は跳んで駆けつけてくれた。

息を吸うように魔法を行使する姿はこんな場面でも見惚れてしまう。当然顔には出さないけれど。

落ち着いている私の様子に、お兄様は冷静に状況を説明する。

 

「正面出入口でグレネードが爆発したのだろう」

 

音と衝撃で場所と獲物がわかるって相当すごいことをさらっと言えてしまうお兄様ヤバいね、かっこよすぎない?

と惚けるのはほどほどにして。

魔法師の戦いは、別に魔法だけで行わなければならないなんてルールはないわけで。

現在でも戦争は大抵魔法以外の武器がメインだ。近接中距離で言えば魔法よりも銃の引き金引くほうが大抵早いしね。

それに誰でも使えるのだから、そっちの武器の方が主流なのは当然とも言えよう。

一般に流通しているような武器ならば魔法で防げるが、魔法がすべてを解決するようなことがあれば世界バランスは狂うと、魔法に対抗する物理的武器が開発されるのも当然の流れだ。

金はかかるが大国であればそのくらいの備えは余裕だろう。

つまり、――荒々しい足音と共に銃を構えた集団が、魔法師の警備員に守られているはずの会場に雪崩れ込んできたということは、魔法だけで対処ができない武器を持ち込んでいるということで。

お兄様は恐怖よりもしかめっ面だ。入り口の対策不足で防げなかったことへの憤りを感じているらしかった。

たぶんだけど、あちらは陽動作戦かカモフラージュかで、少数精鋭では防げなかった敵が潜り込んだのかと。数だけは多いというのもあるけれど向こうは作戦を立ててやってきているのだから。

もちろんお兄様のご不満はごもっとも。こちらサイドは警戒を促していただけに対応が遅れていると、対策がなってないと非難をしたくもなる気持ちもわかる。

風間さんたちのチームとは別の軍がメインに動いていたから、初動の遅さの粗が目立つ、とか考えているのかもしれない。情報提供している分独立魔装大隊が入り込む余地を作ったことによって素早い協力体制ができるはずだけど。

縦社会だ、派閥だ、なんて拘らないで国防の為だけに動けたならばお兄様の希望通り、入り口で防ぐことができたかもしれない。なんて、今さらこんなイフを考えたところでどうにもならない。現実にはすでにここまで侵入されてしまっているのだから。

三高が果敢にも舞台上からCADを起動して魔法を放とうとしたが、やはり発動速度はトリガーを引くより遅くて、銃弾がステージ上に突き刺さる。ただの銃じゃないことはその弾痕でもわかる通り。ハイパワーライフルだ。この威力、十文字家などの防御力に長けた人でもいない限り防ぎようがない。

 

「大人しくしろっ!」

 

包囲する男たちの人数は思ったより多くない。やはり警戒は無駄ではなく表の魔法師たちの活躍はしっかりあったようだ。

持っている武器は凶悪でも、十五人。目視できるこの人数なら――

 

「デバイスを外して床に置け!」

 

銃を相手に無謀な選択をしない判断ができただけ、三高の生徒は状況が理解できているらしい。

構えていたデバイスを下ろす姿を見ていた男たちが次に目をやるのは観客席周辺で、――私のいる関係者席というのは大抵扉の近く、通路の近くだ。

だから真っ先に目が向くもの仕方ないことだった。

 

「オマエもだ!」

 

銃を向けられ威圧する声に、けれど当然だがお兄様がビビるわけがない。そして私もお兄様が傍にいてビビることはない。

デバイスを外すことなく立っている兄妹は目立つわけで、視線が一気に集中した。

 

「早くしろっ!」

 

苛立つ男の声は実に耳障りだ。

思わず顔をしかめてしまい、男の視線がこちらに向いた。すると男は怯えたと勘違いしたのか下卑た笑みを浮かべたが、間にお兄様が入ったことで一変、銃に怯まず庇おうとする姿に苛立ちが倍増したように舌打ちする。

お兄様は一切表情を変えることなく相手を観察していた。

こんな状況下だ、その冷静な眼差しが異常なものに思えたのだろう。あまりの落ち着きぶりに畏怖したのかもしれない。

 

「おい、待て!」

 

リーダーだろうか、引き金に指を掛けた男を制止しようと声を上げたが間に合わず、男は引き金を引き――銃身が爆発した。

 

「っがあ!!」

 

悲鳴が上がる。

銃の破片が刺さった男は無様に転がり呻いていた。

騒然となった空間を治めたのは、やはりリーダーと目される男。銃を上に向けて発砲、またも会場を黙らせた。

もし非魔法師であれば真っ先に暴発を疑っただろうが、彼らは、いや、彼自身が目のいい魔法師なのだろう。

魔法を行使した私に銃口を向けた。

私が放った魔法はワンホールショット。発砲する熱量を感知し、不可視の弾を撃ち込む魔法。

銃口を向けるだけで発砲しなかったのは、床に転がり呻き声を上げる男の二の舞は避けたのだろう。瞬時にその判断ができるだけ実戦経験のあるリーダーのようだ。

だが私に銃口が向いたことでお兄様の気配が変わる。

 

(あ、これあかんやつ)

 

内なる似非関西人の呟きをこぼしつつ、内心慌てて別の魔法を操作する。私の狙う相手はこちらに銃口を向けていることによってお兄様が殺気を向けるリーダー――のみならず、銃を持った男たち。

全員を対象に凍火(フリーズフレイム)を発動。

ここが全体を見渡せるホールでよかった。これなら障害物がないから自前の目だけで照準がわかる。

魔法が行使された直後、飛び出たお兄様の速攻の突撃に、リーダーの男はターゲットを変えお兄様に向けて今度こそ引き金を引くが、雷管に熱量が届かない銃など欠陥品だ。弾は出ない。使えないとわかった瞬間、素早く武器を捨てコンバットナイフに持ち替えられた動きは流石訓練を積んだ兵士なのだろうが、お兄様の方が早かった。

手刀一閃。

血しぶきが舞う。

ナイフを持ったまま切断された腕は宙を舞い、上がる悲鳴は拳を腹に突き刺すことで黙らせた。

一瞬だった。

派手に血が飛んだことで敵も唖然として動けない。

その中唯一動けるお兄様は、振り返ることなく後方に跳び、私を背に庇う形に戻った。

 

 

――

 

 

漂う血臭に、お兄様が正面から相当な量の血を浴びたことが窺える。

さて困った。今すぐお兄様の血を落としてあげたいのに誰も動かない。この状況下でお兄様が敵に背を向けられる?・・・お願いすれば向けられる、か。

 

「兄さん、こっち向いて」

 

声を掛けたら、あら素直。

お兄様はくるりと反転。血がべっとりですね。お顔にもかかってますよ。

CADを操作してお兄様の体と服に付着した汚れを落とす。はい、綺麗になりました。

 

「取り押さえろっ!」

 

いつの間にか舞台袖で待機していた警備部隊が魔法を放ち、敵を無力化。・・・彼らの動きに気付いていたからお兄様はこちらに振り返ったのか。

とりあえずこの場は一旦終結した。

固まって動けなくなっていた人たちも動けるようになり、お兄様の周りにはサークルのように離れる人たちもいたが、エリカちゃん達をはじめ仲間たちが駆け寄ってくる。

 

「達也くん!」

「達也!」

 

彼らの表情は忌避でも恐怖でもなく、身を案ずるもので。

お兄様も彼らの無事を喜ぶ声を掛けた。

 

「達也さん!どこにも怪我はないですか!?」

「深雪が武器を抑えたからってよく突っ込んでいったよね」

「見てるこっちが冷や冷やしたよ」

「互いに怪我無くよかったな」

「深雪も、あの場で冷静に動けるなんて。すごかった」

「ありがとう」

 

いい仲間だな、と眺めていたら雫ちゃんにあの場で動けたことを褒められ、ちょっと嬉しい。

でもこの場は敵がいなくなったといっても安全ではない。

 

「さっきウチから連絡があった。想定外に大事みたいね。どうする?」

 

エリカちゃんはご実家から連絡が来たらしい。

どういった連絡かはわからないが、彼女の体から闘気が迸っていることからもわかる通りやる気に満ちている。

お兄様に指示をあおる辺り、彼女はお兄様をリーダーと定めたようだ。あの中で冷静に動ける人間はそういない。皆も同じようにお兄様を見つめていた。

――生き残るために。

彼らは学生の中でも一番にこの危機的状況を現実だと飲み込んだ。

 

「逃げ出すにしても、追い返すにしてもまずは正面入り口を片付けないとな」

 

エリカちゃんだけでなく西城くんも、それどころか美月ちゃんまでやる気だ。

一種の興奮状態が起きていた。ほのかちゃんは若干怯えているけど、そんなほのかちゃんも雫ちゃんもCADをしっかり握っていた。

エリカちゃんと吉田くん以外はたぶん対人の経験なんてないだろうに、気丈なことだ。

守られていて、安全なところにいてほしいと思わなくもないけど、いつかは避けて通れないというならばお兄様と一緒の今経験した方がいい。

お兄様先導で正面入り口に向かおうとしたところでストップがかかる。

 

「待って、チョッと待って司波達也!」

「いったい何の用だ、吉祥寺真紅郎」

 

声だけで分かるようになりました?随分親しくなりましたね。その向ける声には愛想のかけらもないですけど。

この忙しい時になんだ、って思いますもんね。

 

「今のは『分子ディバイダ―』じゃないのか!?」

 

うん・・・今聞くことかな、それ。きっと未知の状況に混乱してるんだろうね。

お兄様が口を開きかける前に、というより吉祥寺くんがしゃべっている最中に口を挟む。

 

「だったとして、今この状況下で尋問をしてどうなります?この争いが終わりますか?」

 

予想より冷たい声はきっと断罪しているように聞こえたことだろう。良く聞こえれていれば、この状況下で冷静に努めようとしていると取ってもらえるかもしれないけど。

 

「っ!!・・・失礼しました」

「こちらこそ、会話を遮るような真似をして申し訳ありませんでした」

 

会話というより一方的な文句だったけどね。

お兄様は舞台袖の七草先輩を見つけ、更にそこへ向かう中条会長にも声を掛けた。

 

「この場を早く離れることをお勧めします。最終目的が何であれ、彼らは外国人の魔法師でした。優れた魔法技能を持つ生徒の殺傷または拉致も目的の一つでしょうから」

 

その忠告は当然周囲にも聞かれ、ざわめきが浸透していくが、お兄様は忠告はしたとばかりに振り返らず、私たちを引き連れて出ていった。

 

 

――

 

 

直後に激しい爆撃音と揺れが起こった。

ひっ、怯えた声は美月ちゃんとほのかちゃん。そっと寄り添うように雫ちゃんと吉田くんが動く。本当、いい仲間たちだこと。

正面入り口に着くとそこは戦場真っただ中。ライフルの弾が飛び交い、魔法で応戦している最中だった。

だがどう見ても現状、魔法師の警備員の方が不利だった。

数で圧されていることもあるが、相手の武器がただのゲリラ兵が持つ者ではなくハイパワーライフル、対魔法武器であることも原因か。むしろ良くここまで防いでいる。

危険な区域に近づいたのでお兄様の後ろにぴったりくっつく形で移動すると、お兄様がぴたりと止まり扉の裏に身を隠す。

当然私も続いたけれど、その後ろのエリカちゃん達はそのまま突破しようとし、お兄様が西城くんの襟首を引っ付構えてエリカちゃんにストップをかける。

 

「止まれ!対魔法師用の高速弾だ!」

 

首の閉まる音と西城くんの顔色を見た吉田くんが容赦ないな、と顔を顰めつつ感心すると雫ちゃんも命拾いしたね、と冷静。この状況に怯えてなくて何よりですよ。

こういう時ペースを乱されずいつも通りでいられるのは今後の動きを左右する。

 

「深雪、銃を黙らせてくれ」

 

お兄様からの短い命令。

皆が驚く中、周囲を見渡し数が多いことを確認してからお兄様を見て。

 

「手を」

 

それだけで十分だった。

お兄様の伸ばした手に自身の手を重ね、指を絡める。

戦場には似つかわしくない動作に、皆からの動揺も伝わるが振り返っている余裕はない。

手から伝わるサイオンの信号は敵の座標を正確に伝え、私はCADを二度連射した。

二度目の振動減速系概念拡張魔法、凍火(フリーズフレイム)。

その発動を確認すると同時にお兄様は隠れていた扉から飛び出して、魔法を宿した両の手の手刀で人体を切り裂いた。

一閃の後噴き出る血に、味方よりも敵の動揺の方が見て取れる。

どう見ても武器も持たない素手の男子高校生に仲間が切り裂かれるという信じられない光景だけでも十分ショッキングではあったが、先ほどまで自分たちを優位にしていた魔法師を圧倒していた対魔法武器がうんともすんとも言わずいくら引き金を引いても弾が出ないとなれば混乱もする。

ただ彼らは絶望をただ待つよりも応戦しようとコンバットナイフを出すあたり切り替えが早かった。こちらもある程度実戦経験のある兵だったのだろう。

それでもだ。いかに反応ができても仲間が次々と訳も分からぬ攻撃に倒れ、血にまみれていく姿というのは戦意を鈍らせ、失わせるには実に効果的だった。

体勢を立て直すためか、逃げようとする敵に反応したのは警備員ではなく、エリカちゃん。

彼女は自己加速の魔法で敵に迫ると頸動脈を斬りつけた。ここで敵を屠らねばならないのだと彼女は知っていた。

戦場にて人の命を奪うことに躊躇っていては、明日の我が身が危ないことを。

吉田くんもそこに参戦しカマイタチを放って敵を斬り斃していく。

銃器がなくなれば警備員達も動きやすくなる。ようやく攻勢に出られる、と彼らはエリカちゃんたちに続いて勢いを取り戻し果敢に敵を倒していった。

これなら彼らで十分だろうと戻ってきたお兄様とエリカちゃんの血を落とし、ようやくひと心地つく。

だがいきなりの交戦だ。荒事に慣れていないだろうほのかちゃんや雫ちゃん、美月ちゃんを見れば――特にほのかちゃんと美月ちゃんは今にも倒れそうな顔色だった。

 

「すまない。ほのか達には少し刺激が強かったかな」

 

お兄様の言葉に、ほのかちゃんは気丈に頷いて「いえ、大丈夫です」と答えてみせた。

恋心ってすごいね。人を強くさせてくれる。

 

「雫も大丈夫?」

「・・・うん」

 

雫ちゃんは普段と変わりなさそうにしているけれど、顔が強張って見える。

若い女の子たちが見るものじゃない。そう言いたいけれどこの非常時、どこにも安全なところはない。避難させてあげられないことが辛い。

 

「美月も、無理しすぎないで」

 

背を撫でると細かく震えている。ぎこちなく笑ってくれたけど内心かなりきついはずだ。

お兄様が気を使って普段通りの口調でエリカちゃんに得物の話を聞いて、雰囲気を平常に戻そうとする。

エリカちゃんは心得たものでいつも以上に口調を砕いて説明してくれた。

見た目ではわからなかったギミックに、皆手品を見たように引き付けられていた。

こんな殺伐とした状況だし、内容も武器についてではあったが軽口をたたき合うことで、徐々に日常に近づいた気がした。

 

「それで、これからどうすんだ?」

 

落ち着いた頃を見計らって西城くんは切り出した。

そう、これからどうするか。

 

「情報が欲しいな」

 

その一言に反応したのは雫ちゃんだった。

指して曰く、あそこの新しくできたビルのVIP会議室を利用してはどうか、と。

 

「あそこは閣僚級の政治家や経済団体トップレベルの会合に使われる部屋だから、大抵の情報にアクセスできるはず」

 

そしてそのアクセスコードも暗証キーも知ってるっていう雫ちゃん凄すぎない?私のお友達が凄いんです。

本人はお父様の溺愛が恥ずかしいみたいだけど、おかげで情報が手に入るのだ。恥じることなんてないよ。家族愛が深くて私は嬉しくなるよ。

さっそく向かったVIP会議室。ほんとVIP使用の重厚感ある格式高そうなお部屋です。

一般人は絶対に入れない場所だ。

雫ちゃんは父親に教わったことを思い出しながら操作し、そしてモニターに受信した警察のマップデータを見て、一同愕然とした。

海側地域が真っ赤に染まっていた。そこから内陸に向けて現在進行形でまた一つ、と赤くなる。

ものすごい勢いで侵攻しているのがわかる。

海側は警戒していたはずだったが、相手の方が上手だったらしい。

それとも警備に邪魔でも入ったか。軍でも警察でも上層部や政治家といった上の連中が余計な手出し口出しをすることもある。

今回の件でそういった輩には重い処分を下してもらいたいものだけど、そんなことはこちらの関知するところでは無い。

 

「何これ!」

「酷ぇなこりゃあ」

「こんなに大勢・・・一体どうやって」

 

あまりの非常事態に危機感を募らせる。

お兄様も顔を顰めている。そっと手を伸ばしてお兄様の手に触れると、少しだけ握り返してするりと離れた。

 

「改めて言わなくても分かっているだろうが状況はかなり悪い。この辺りでぐずぐずしていたら国防軍の到着より早く敵に捕捉されてしまうだろう。だからといって簡単に脱出できそうにない。少なくとも陸路は無理だろうな。何より交通機関が動いていない」

 

安全を確保するにはどうすべきか話し合うが海はだめ、シェルターは現実的だが建物が爆破されれば元も子もないと一刀両断。なら地下通路を使えばとの案もお兄様がストップをかけ、エリカちゃんも地下はまずいか、と思い当たったところでもう一つ、お兄様が脱出とは別の提案を持ちかける。

デモ機を処理したい、と。敵の目的の一つを確実に潰したいのだと。

全員否はなかった。

 

 

――

 

 

そうと決まれば行動は早い。最短ルートで会場に戻り、ステージ裏の通路へ向かう途中で十文字先輩、桐原先輩ともう一人は風紀委員の沢木先輩だね、と鉢合った。

 

「他の者も一緒か。お前たちは先に避難したのではなかったのか?」

「デモ機のデータが盗まれないよう処分しに戻りました。彼女らはバラバラに動くより良いと思いまして」

「皆すでに地下通路に避難したぞ」

 

その言葉にエリカちゃんが反応してお兄様を見る。さっき話したばかりだからその危険性を危惧したのだろう。

 

「なんだ?地下通路はまずいのか?」

「地下通路は直通ではないので他のグループと鉢合わせる可能性があります。場合によっては」

「遭遇戦の可能性もあるということか!?」

 

地下通路って耐震だのはいいけれど閉鎖的で道幅も狭い。正面から敵が来た場合逃げ隠れはまず難しい。

 

「服部、沢木、すぐに中条の後を追え」

「ハッ」

「分かりました」

 

素早く身をひるがえす先輩たちを見送った十文字先輩は、お兄様に向き直ると少し非難めいた色を交えた顔をして。

 

「司波、お前は智謀のわりにフットワークが軽すぎるようだな」

 

含まれた言葉の意味を理解したお兄様は返答せず。十文字先輩も期待していなかったとばかりに急ぐぞ、と先導した。

目的地はすぐそばだったのでものの数分で着いたのだが、そこには先客がいた。

五十里先輩市原先輩含め護衛の方々、と関係者。

デモ機の消去と、お兄様と同じことを考えてのことだった。

 

「七草たちは?」

「リンちゃん達が頑張ってるのに、私たちだけ避難もできないわ」

 

その考えはご立派ですが、お家としてはどうなんでしょう?七草先輩って十師族の割に結構自由だよね。

もしかして状況についてまだ連絡が来てないなんてことないよね?

 

「司波くんは控室に残っている機器の方を頼めるかな」

「可能なら他校の分も壊してちょうだい」

「こっちが終わったら控室を手伝うから、そこで今後の方針を決めよう」

 

先輩たちからの要望に、お兄様は頷いて私だけを連れて控室へ。

彼女たちも壊すだけなら手伝おうか?と言ってくれたがお兄様がやった方が早い。

そんな事情は知らないからちょっと疑問に思われたけど、お兄様の指示に従ってステージ裏で待機してくれるようだ。

皆すっかりお兄様の指示に従うようになりました。いいチームワークだと思います。

 

「深雪」

「はい」

 

作業をしながら呼ぶ。

 

「思ったより状況は悪い」

「はい」

「おそらくこの後俺は招集される」

 

お兄様の顔に苦みが滲む。

お兄様は離れていても私の守護ができるけれど、それでも傍で守れないことは彼にとって苦痛、トラウマを呼び起こすもののようだった。

あれから三年。それでもお兄様には昨日のことのように鮮明に記憶が残っている。

 

「以前にも申しましたでしょう?あの時のようなことにはなりません」

「心配なんだ」

 

最後の一つを分解して、お兄様はようやく顔を合わせてくれた。

辛そうな顔に、そっと手を添える。

 

「ありがとうございます。私もいつだってお兄様を心配しておりますよ」

「俺とお前では違うよ」

 

自分には修復がある。再生の魔法が展開されるからとお兄様は言うのだろうけれど、私にとってそれは安心には繋がらないから。

 

「愛する家族が傷つくことへの心配に、違いなど在りはしません」

 

お兄様はいつだって私を優先してしまうけれど、私だってお兄様のことが最優先で、事情はいろいろ絡み合うが、互いを心配し想い合う気持ちに差はないはずだ。

 

「必ずお兄様は私の元に戻ってきます。だから私も無事でいなければならない。そのために私は抗ってみせます」

 

お兄様が必ず私の元へ戻ってきてくれるというのなら、なにがなんでも生き延びてみせると宣言すると、お兄様は表情を柔らかくして頬の手に己の手を重ねた。

 

「必ず戻るよ、お前の元に」

「約束ですよ」

「ああ」

 

重ねた手を握りしめ、約束するとお兄様は立ち上がった。つられて立てば、ノックと共に先輩たちが。

どうやらあちらも終わったらしい。

お兄様がすべて終わったというと花音先輩が驚いて何をしたのか聞くが、婚約者である五十里先輩が嗜める。魔法を聞くのはマナーがよろしくないですよ。

そして渡辺先輩を筆頭に今後のことを話し始める。七草先輩がようやく敵の真の目的が魔法協会にあるのではないかと触れるが、だとしても私たち学生には避難することの方が優先だと考えるのは自然だった。

避難船は到着予定があるがキャパシティはそこまでないことは明白。シェルターへ避難に向かっていた中条会長たちはお兄様の予測が的中し、敵と交戦したらしいが退けたと連絡あったそうだ。

とりあえずこの場で待機し続けることは生存確率を限りなく低くさせることは確かなので、十文字先輩は報告と市原先輩の護衛として戻ってきていた桐原先輩を連れて、他に逃げ遅れがいないか確認しに。

残りは彼らが戻り次第、シェルターの方向へ向かうことになったのだが――

 

「達也くん!?」

 

お兄様がCADを構え、七草先輩が悲鳴のように声を上げた。

しまった!お兄様に必要以上に魔法を使わせないようにとしていたはずなのに、見落としていた。

デモ機があるのだからこの会場自体が攻撃対象として狙われるとわかっていたのに、お兄様に警戒してもらうことを忘れるなんて!

 

(私では知覚できなくてもお兄様に見ていてもらえば、私の魔法で処理できたはずなのに!)

 

後悔してももう遅い。

壁に向かって構えていたCADを操作し魔法が放たれる。

雲散霧消を発動しただろうお兄様を、本来であれば誰も見ることなく不審に思うだけだったのに――ここにはマルチスコープで多角的に視界を持っている七草先輩がいた。

 

「・・・今の、なに?」

 

何をしたのかわからぬまでも、何かして突っ込んでくるはずだった攻撃がお兄様によって無力化されたということはわかるわけで。

けれど先輩のその疑問はすぐに別の恐怖に塗り替えられた。お兄様がもう一度構えたことで、敵が再度攻撃を仕掛けてきたことがわかる。

続く攻撃も、普通では迎撃できない攻撃なのだろう。見えている七草先輩の顔色は青ざめたまま。

敵は先ほどの奇襲が防がれたことで、デモ機のデータ回収を諦め殲滅する方を選んだらしい。随分思い切りがいい。そこまで論文コンペの技術の搾取は重要な任務ではなかったのだろう。

そしてお兄様は立て続けに魔法を行使――せず腕を下ろした。

――頼もしい援軍が到着したのだ。

直撃を免れないはずの攻撃が無力化されたのだと、七草先輩の顔が物語っていた。

 

 

――

 

 

「お待たせ」

 

実戦用の軍服を身に纏った藤林さんが、七草先輩に笑顔を向けて入室する。

その後ろには同じく軍服の風間さん――風間少佐が続く。

少し遅れて十文字先輩たちも合流、控室の密集度は一気に高くなった。

誰もが困惑する中、風間少佐はお兄様の前で手を後ろ手に組んで立つ。

 

「特尉、情報統制は一時的に解除されています」

 

藤林さんこと藤林少尉がその隣に立って声を掛けると、お兄様は周囲に合わせていた困惑の表情を消して姿勢を正し、目の前の男に敬礼で応じる。

その姿は堂に入ったもので、この場で真似ているだけではないことがわかる。

皆が動揺する気配が広がるが、彼らは構わなかった。

 

「国防陸軍少佐、風間玄信です。訳あって所属についてはご勘弁願いたい」

 

渋いいい声を響かせて告げられた言葉に対応できたのは、同じく低くいい声をお持ちの十文字先輩だ。

 

「貴官があの風間少佐でいらっしゃいましたか。師族会議十文字家代表代理、十文字克人です」

「藤林、現在の状況をご説明して差し上げろ」

 

軍はすでに保土谷駐留部隊が侵攻軍と交戦中、鶴見と藤沢には各一個大隊が急行中とのこと。そして肝心の魔法協会関東支部は独自に義勇軍を編成し自衛行動に入っているそうだ。

既に攻撃がいっているという時点で後手に回り過ぎている気がするが、原作よりも情報があった分しっかり守っていてもらいたい。・・・それでも強制力が働いて侵入は防げないかもしれないが。

 

「さて、特尉」

 

風間少佐がお兄様に向き直る。

先にお兄様が予測した通りに、出動命令が下された。

お兄様は平然と、けれど周囲の皆には緊張が走る。同じ学生、友人が戦場へ行かされると聞いて、平静でいられるわけがない。

いくら強いといっても、戦いに慣れていそうな姿を見ても、それでも納得ができるかというと別問題。特にほのかちゃんは信じられない、と口元を手で覆っている。

渡辺先輩と七草先輩が口を開きかけるが先手を取ったのは風間少佐だ。

 

「国防軍は皆さんに対し、特尉の地位について守秘義務を要求する。本件は国家機密保護法に基づく措置であるとご理解されたい」

 

目力が強い。女子高生はひとたまりもないね。私も正面だったらビビっていたかもしれない。

こう言われては私たちではどうしようもない。追求など許されないし、これ以上情報が開示されることなどない。

緊張する空気が流れている中だというのにお兄様は、真田大尉からムーバルスーツの話をされてちょっとそわっとしたの、見逃してませんからね。

なんでしょうね、真田大尉とお兄様の関係って悪友みたいでいいよね。

 

「すまない、聞いての通りだ。皆は先輩たちと一緒に避難してくれ」

「特尉、皆さんには私と私の隊がお供します」

 

この状況下で人員を割いてまで送ってくれるなんて待遇がよすぎる。お兄様に便宜を図ってくれてるのだ。お兄様の憂いを晴らすため、――つまり私だね。

こういう場面に直面すると、やっぱり自分はお荷物だな、と思ってしまう。表には出さないけど。

 

「少尉、よろしくお願いします」

「特尉も頑張ってくださいね」

 

藤林少尉に一礼して、風間少佐について出ていこうとするお兄様に誰も何も言えない中、私は一歩前に出る。

 

「兄さん、少し待って」

 

本当なら必要はない。

マテリアルバーストを使用するための余力は残らないかもしれないが、戦力としては十分にお兄様の力は足りている。

ならどうして引き留めたのか。――なぜ、解放するか。

 

(こんな時でしか、できないことだから)

 

お兄様の枷を全て外せるタイミングなんて、滅多に来ないチャンスだ。こんな時だけでも自由に、存分に力を発揮して好きに動いてほしかった。

なにより、お兄様を封印していることで不安定になっている私の魔力制御を解放しなければ、お兄様の心配は尽きないだろう。そんな足手まといになるのはごめんだった。

過信なんてしない。こんな状況、不安定な力だけで自衛できるなどと楽観視していなかった。

それにこの転換期を、原作の大きな流れを変えないと決めた時点で、私は開き直っていた。大亜連合をどうせやるなら徹底的に潰すべきだ。報復する気も起きなくするくらいに。

 

(といってもあれだけの大国、大敗させたところでおちついたらすぐ次の刺客が送られてくるだけだけどね)

 

それでも抑止力にはなる。あちらの武器をいくつも潰せば体制を立て直すための準備期間は必要になるのだ。三年前のように。

お兄様は私の覚悟を見たのか、風間少佐に軽く頭を下げ、少佐の先行を見てから私の元へ。

二人の間に二歩も距離はなく、頬に手を伸ばせばお兄様は一歩足を引いて跪いた。

屈むだけでも十分なのに、とは思わない。

これは一種の儀式だ。

契約の下、行われる儀式。

頬に触れたまま降りた手を支えに身を屈める。

至近距離で視線が絡み合う。

 

(・・・ここって目を閉じてなかった?)

 

はてな、と思ったけれど元々原作と違う道も通っている。こんなこともあるか、と額に唇を寄せた。

・・・言っておくが心臓は今にも爆発しそうである。

お兄様から顔を近づけられることはあるが、私から寄せることはそんなに多くない。しかもこんな衆人環視の前でやるなんて、たとえ目的があることだとしても羞恥が身を焦がすよう。

少し前の会場外の敵を黙らせるために魔法を使う際、お兄様の手に指を絡めた時だって恥ずかしかったのに。

顔には出さなかったけどね!本当淑女教育万歳。

煩悩ってどんな時でも無くならないんだな。その分余計な緊張感(変に力むとか集中力が途切れるとか)はないからいいのだけど。

これは口付けのようで似て非なるもの。ただスタンプのように押し当てるだけでいい。それだけの作業。

詭弁で誤魔化しでしかない。

どう見ても傅く騎士に口付けを送る姫の図だ。演劇部部長がいたならば狂喜乱舞だっただろう。

アニメを見た時私も興奮した。十回は見た。最高のシーンだ。ミスは許されない。

・・・この状況でどうミスるというのだろうね。鼻の頭にしちゃうとか?

ちょっと気が抜けたおかげで力も抜けた。

お兄様の瞳が閉じられ、それを合図に額に口付ける。

お兄様が更に首を垂れ、目を見開いた時、その変化は起こった。

凄まじいほどの光の粒子による洪水とでもいうのだろうか。嵐のようにサイオンが吹き荒れた。その源流にはゆっくり立ち上がったお兄様。

解放され、体から光が迸り本人が発光していて神々しさすらある。

だが圧倒的な光というのは威圧にも感じられ、なるほど光の覇王とはよく言ったものだと感心した。

周囲があまりの光の奔流によろめくように一歩二歩後退した。物理的な風も何も起こっていない。だが魔法師にとってこれほどの光景は慄くな、という方が無理だ。

徐々に発光は収まっても膨大なサイオンはお兄様の周りに渦巻いている。

お兄様はいったい何を思っているだろうか。久しぶりに解放された力は、持て余すことなく馴染んでいるだろうか。

お兄様は何も言わない。

時間はない。

今この時、余分なことを話す時間などないのだ。

スカートの裾を持ち、淑女の礼をもってお兄様を見送る。

 

「ご存分に」

 

お兄様のお好きなように、自由に動いてくれることを願って。

 

「征ってくる」

 

そうしてお兄様は出陣していった。

 

 

――

 

 

皆言いたいことはあったのを我慢したのは、藤林少尉がいたからだと思う。

守秘義務がどこまでかなんて誰にも分らず、何をどう質問していいことかなどわからなかっただろうから。

おかげで私は質問攻めに遭わなくて済んだのだけど、視線はちらちら感じるよね。

ありがとう藤林さん。こういうことも考慮して一緒に移動を申し出てくれたのか。

もし本当にティータイムが実現したら最高級の紅茶でもてなします。

 

「真由美さん、残念ですけど全員は乗れません」

 

オフロード車両二台に藤林含め八人の分隊であったが、流石少数精鋭の風間少佐の部隊だ。面構えが違う――じゃなくて、手練れである雰囲気を纏っていた。

元々私たちは徒歩で移動するつもりだったので、と断る七草先輩と藤林少佐が今後の動向を話し合う。

現状を確認し、どこに避難するかを情報と照らし合わせて、元々予定していた駅のシェルターに移動することに決まった。

だがそこに待ったをかける重厚な声、十文字先輩だ。

十師族として、代表代理として魔法士協会の義勇軍に加わるという。

高校生でありながらこの責任感と胆力はすごい。

その覚悟を藤林少尉は学生と侮ることなく、きちんと受け取って車一台と部下をつけて送り出した。

――十師族の覚悟。ここにいる七草先輩も、もちろん立場を理解して先導してくれている。

私はまだ未払いの有名税。まるでお兄様が私の分まで肩代わりして払ってもらっているような気分になった。

そんなことを考えながら到着した駅は見るも無残になっていた。

広場は陥没し、我が物顔で大きな金属の塊が闊歩している。

 

「直立戦車・・・いったい何処から?」

 

こんな大物を隠して運ぶには無理があるから、驚くのも無理はない。

しかし実物大きいね。でもデザインがダサい。ずんぐりむっくりで可愛くない。

好きな人は好きかもしれないが私には趣味ではなかった。よって――

 

「真由美さんも深雪さんも流石ね。手を出す暇もなかったわ」

 

おっと七草先輩も気に入りませんでした?可愛くないですもんね。

直立戦車は穴ぼこだらけの氷漬けになっていた。

だけどこうして狙われていることからここのシェルターも救援が来るまで安全とは言い難い。吉田くんが確認したところ生き埋めになっている人はいないということだが、崩落しそうなところで待機も難しい。

中に避難しようとしていた人たちも、ちらほら出てきてしまっている。

ならば、と七草先輩は自分の家の輸送ヘリを呼ぶのでここで敵を迎撃しながら待機すると言い出した。

十師族の責任だそう。でもそれを言い出すと、自分は百家だからとか後輩が残るならと、結局全員が残ることになった。一部は好戦的で戦う気満々だし、戦う力を持つというのも考え物だね。

――高校生だ。たかが十年とちょっとしか生きていないのに人を守り、戦い、名に恥じず行動を起こそうとする。

頼もしいと取るか、不憫に思うか。

藤林少尉は前者だった。部下を残そうと話していたら、タイミングを合わせたように助っ人が。

エリカちゃんのお兄ちゃん登場である。

うん。いいね。真面目で不真面目、だらしなく見えても芯はしっかりしてる長男タイプ。恐ろしく設定もりもり。

しかもシスコンな上、女性に?美人に?藤林さんに弱い。それ以上もう要素は乗らないんじゃないのってくらいのてんこ盛り。

別の雑誌だったら主役張ってた。

普段ちゃらんぽらんだけど、決める時は決める男は好きですか?嫌う理由が見当たりませんね大好きです(一息)。

 

「軍の仕事は外敵を排除することであり、市民の保護は警察の仕事です」

 

だから貴女は本隊と合流してくれという、THEお兄ちゃんな千葉警部。

そうだ。うちのお兄様に足りないのはこのお兄ちゃん力かもしれない。足りない、というと語弊があるけれど。

親しみある、妹に煙たがられるけど、ちょっかいかけずにいられない、離れたところから見守る系のちょっと困ったお兄ちゃん。

・・・うん?うちのお兄様もちょっと困るな。煙たがったりはしないけど。

 

(・・・ああでも肝心要の困る種類が違う、か?)

 

変なことで頭を悩ませていれば話はまとまっていて、ほのかちゃんの魔法で侵攻軍の俯瞰映像が見られるようになったことで、作戦が立てやすくなった。

ほのかちゃん凄い!光の魔法って利便性がいいね。

何よりも繊細な技術が必要な魔法を、今この必要な時に使えるっていうのがどれほどすごいことか。恐縮しているほのかちゃんに伝えたい。ほのかちゃんは凄いよ、もっと自信を持って。

とりあえず戦車の撤去作業と、避難していた市民への説明。操縦者の尋問と、周囲を警戒するチームに分かれることに。

 

「これだけ分散されているということは、敵の目的の一つに人質誘拐を目論んでいるかもしれませんね。こちらには狙われてもおかしくない人も幾人かいますし」

 

とは市原先輩の名推理。流石です。ちらりと見たのは七草先輩と雫ちゃん。五十里先輩や花音先輩の家も有名か。

警戒心持っていきましょうね。

 

 

――

 

 

それから五十里先輩と花音先輩や、桐原壬生ペアだったり千葉兄妹だったりのラブを感じながらも、警戒を怠らずに待っていると吉田くんの精霊レーダーに引っかかるものが。

わあ!さらに可愛げのなくなった、動きの気持ち悪い直立戦車が現れた。

可愛くないものはとっとと凍らせちゃおうね~、と問答無用で凍らせる。

お兄様の封印に使っていた力が解放されたからだろう、化粧のノリならぬ魔法のノリがいい。今なら余裕でここら一帯の敵を屠れるだろうが、現在皆で協力して倒している最中だ。自重すべきだろう。

成長の妨げはよくないからね。

相手の足を止め、銃火器を黙らせる。これだけでも十分手助けになるだろう。

動き出す彼らを見守りながら、頭の中にあるのはこの後の流れ。

この後私たちは足止めを喰らい、駅のシェルターでは七草先輩の存在に気付いた敵による、市原先輩人質作戦が実行される。原作知識なんてないはずなのに、先輩の名推理には脱帽だね。

予測されていた事態。当然阻まれるのだが、問題はそのあとだ。

ゲリラとはそもそも人の油断を誘っての奇襲作戦のこと。誘拐作戦もそうだが、渡辺先輩たちが敵の殲滅をし全員脱力、安心しきったところの隙を突いて、この後桐原先輩と五十里先輩は重傷、重体となる。

 

これはお兄様の力がどれほど異常なものか、お兄様がどれほどの代償を支払ってその魔法を行使するかを共有する場面でもある。

 

だが――

 

(果たしてそれを知る意味はあるのか、と考えると、知らなくても問題はないと思う)

 

軍として戦っているだけで十分じゃないか。16歳で大人たちに交じって敵を最前線で殲滅するなんて、それだけで十分畏怖の対象だ。

血飛沫をまき散らしながら敵を屠る姿、戦況を読み、敵に飛び込む胆力。どれをとってもただの高校生ではない。

なのに彼らは優しいからお兄様が戦っている姿を見ても一緒に戦ってくれる。ただ守られるんじゃない、心配もしてくれている。

だから――いいじゃないか。このままで。

 

(私はこの運命を捻じ曲げたい)

 

お兄様が皆の前で神のごとき力を揮うことなく、自分たちだけで解決させる。――お兄様にこれ以上痛みを感じさせないためにも。

新たに現れる直立戦車を凍らせて、銃火器を黙らせて、エリカちゃん達の見事な魔法剣に見惚れながら指針を定めた。

ある程度敵を屠って敵が近くにいないことを確認してから、綺麗に残骸が残った、西城くんの攻撃した直立戦車の前に集まる。

 

「機械的なコントロールだけで動いていたわけじゃないと思うんだ」

「つまり、何らかの術を併用していたということですか?」

「ええ、そうです」

 

ところで吉田くん、なんで私だけ敬語なんだろう?

私が先に敬語使ったからか。ついうっかり。でもそれにしては緊張されてない?ほのかちゃん達にはそんな風に緊張してなかったと思うんだけど、・・・威圧、出てます?

変なことを心配しながらも、いろいろ考察は進み、最終的に、

 

「たぶん剪紙成兵術の応用だ」

「陰陽道系の、人型使役の術ですか?元は道家の術だとか」

 

吉田くんは感心してくれたみたいだけど、大亜連合関連の魔法は一通り勉強したからね。そのうちの一つにあった。傀儡系の術がたくさんあるよね。本当、覚えきれないくらいありました。

それから術式から見ても大亜連合の手の者だと思われるという結論が出たところで、確証を得るため美月ちゃんと合流することに。

本当美月ちゃんは大活躍だね。そして唐突に始まる吉田くんとのラブストーリー。エリカちゃん冷やかす視線を向けているけれど、あまり揶揄っちゃダメよ。私はぐっと我慢しつつ。

 

「もちろん吉田くんだけじゃなく私たちも精一杯カバーするから」

 

揶揄いも時と場合を弁えないとね。

美月ちゃんが来てからも敵はやってくる。私たちのところだけじゃなく、花音先輩たちのところにも行っているはずだ。

干渉力に物を言わせて凍り付かせる。

確かあの直立戦車にはブースターとか言う、無頭竜が独占して作っていた技術の結晶が搭載されていて、どんな魔法も太刀打ちできないが売りだったはずだけど残念だったね。私の魔法の前にはそれさえも意味を無くしてしまう。

攻撃のできない敵は怖くない。エリカちゃん達の技量は凄く頑丈な金属も切り裂き押しつぶす。あっという間に敵のとてつもない額のかかった最強兵器は沈んだ。

 

「美月、先輩たちの様子はわかる?」

「えっと、・・・場所は変わってないです。交戦中かと」

 

やっぱり。すでに敵は次の目的に動いている。私たちを足止めしてでも人質を取れれば黙らせることができると、そう思われているのだ。

普通一般生徒ならそうだとしても、七草先輩もそう思われるって――随分日本最高の魔法師、十師族を舐めてくれるよね。それとも女子高生だから甘く思われてるのかな。

それともそう思わせてしまう材料が彼らにあるのか。・・・十師族だったら日常生活から監視対象になっててもおかしくはないのか。

どこもかしこもウチみたいに高校までは出自を隠すべきなのではないかな。

四葉の事件があったのだからそれくらい警戒してもいいと思うのに、あえて晒してるのはなんでなんだろう?これも十師族の責務?皆の盾となれと??いや、どちらかと言えば権威を示しているのか。すごい次代が育っているぞと。

 

「どしたの深雪?今更考えこんじゃって」

「・・・足止めをされてる気がして。直接敵がわざわざ私たちを狙う理由なんてないでしょう」

「それは、私たちが邪魔だから倒して、・・・はないか。これだけ壊されてるんだもの」

「つまり彼らの目的が変わった・・・?」

 

真相にたどり着きそうになった時、美月ちゃんが顔を上げ、吉田くんの精霊が反応を示した。

新たな敵の襲来にCADを全員が構えた。考える時間を与えないつもりらしい。間違いなく足止めだね。

直立戦車も装甲車も破壊し、小さな落雷の乱舞が歩兵を打ち倒したところで七草先輩から連絡が入った。

市民の救助とは別のヘリで私たちも回収してくれるらしい。

敵の兵器も無尽蔵に出てくるわけもない。あんな大物兵器もそろそろ打ち止めのようだ。

敵も近くにいないので、一息ついた彼女たちは気を抜いておしゃべりに興じはじめた。

エリカちゃんのこの切り替えは凄い。美月ちゃんの顔色も戻るし、男の子たちの闘気もするすると消えていく。

一種の才能だね。

そこへ小さなローター音が。

ヘリコプターの気配を感じるものの、普通の肉眼で目視ができない。

しかし目を凝らせば空に不自然なサイオンの動き。美月ちゃんにはもっとはっきり見えているのだろうな。

着信を告げた端末を耳に当てると場所が狭いので降りられない、ロープを掴んで上がってくれとのこと。

まるでスパイ映画のエージェントの気分。こんな時だけど胸が騒いだ。

そして五本のロープが降りてきた。同時に五人上がれるってすごいよね。魔法ってすごい。そしてこのロープも陽炎のように揺らいでいる。光学迷彩がロープにも?!ほのかちゃん、芸が細かい!褒めてあげたいけどヘリの中についてから気づく。彼女はコントロールでいっぱいいっぱいだった。褒めるのはお預けだね。

向かうは渡辺先輩たちの戦場。悪あがきのように景気よくドッカンドッカンやっているようだ。

千葉警部の姿は見えないが、彼はこんなところで倒れるような人ではない。

猛攻を掛けているゲリラ兵に向けて、見えないヘリから七草会長からドライアイスの弾丸が強襲する。

ものの五分で制圧、というところで私はエリカちゃんの肩を叩いてにっこり笑って手を振ると――

 

 

ロープを下ろす側のドアを開けてノーロープバンジーを決行した。

 

 

――

 

 

――「え!?深雪?!」

――「深雪さん?!」

 

背後から聞こえる悲鳴のような声に返すことなく私はCADを――触れることなく重力を操作し降り立つ。

意識するだけで魔法が行使できる。制御こそ難しいものの、それだけのサイオンが今の私には満ちていた。

突然降ってきた私に渡辺先輩たちは驚いていたが、構わず私は右手をかざす。

敵はこの時すでに動き出していたのを空から目視できたから。

空に向かって銃を撃っていた第一陣は七草先輩に打ち取られている。その第二陣、周囲が片付いたと安堵して警戒を解こうとするところだった渡辺先輩たちを奇襲せんと動く男たちが私に気付くまでに時間がかかったのは幸いだった。

まあ空中であろうが魔法は行使できるし、この魔法に限って言えば細かい制御も必要ない。息を吸うようにできる最も体に馴染んでいる魔法――系統外・精神干渉魔法「コキュートス」。

肉体は凍り付くことはない。ただ精神だけが凍り付く魔法。

見た目だけなら生きている。だが死ぬことが許されていないだけであって二度と彼らが目を覚ますことはない。

――精神が凍り、肉体に死を命じることもできず、その精神も死を認識することができない。

殺戮と呼ぶにはあまりにも静かだ。だから勘違いしそうになるが、彼らは二度と動くことはない。

これが死でないというならなんだというのか。私は一瞬にして彼らの命の活動を止めた。そのことは確かだ。

私が何をしたかわからなかっただろう、地上の先輩たちは周囲を見て自分たちが狙われていたことだけは気付いた。

転がった男たちが構えていたものを見たのだ。銃を、ナイフを。

気を抜きかけた自分たち。それを空から降りてきた下級生に救われたのだと彼らが理解するには、私の魔法は静かで規格外すぎてなかなか結び付かなかったことだろう。

見て調べただけではわからない戦闘員たちの死。肉体は死んでいないのだから気づきようもないのだけど。

かといって説明するわけにもいかない。コキュートスを理解されては私が何者かと特定される恐れもある。

本当は別の魔法がよかったのだけど、七草先輩の魔法の最中にすでに動き出していたと思わなかったのだ。

間に合わせるには最も得意な魔法を使うしかなかった。

忌避されても仕方ない。この魔法を恐れる気持ちはよくわかる。

最も綺麗に人の生を止める魔法。畏怖しない方がおかしい。

戸惑って動けない先輩方に、控えめに微笑んでヘリコプターの到着を――と思っていたのだが、離れた個所にもう一人、こちらを狙っているのを感知した。

視線を向けないように、だが照準を合わせるためにさりげなく周囲を見渡すふりをして見えない角度でCADを持つ。

今度はワンホールショット。銃器だったらこちらでも十分対応可能だ。照準を合わせなくても打てなくはないが、合わせた方が発動は早い。

タイミングを見計らっている男の銃身が固定され、いつ撃たれてもおかしくない状態。私もいつでも返せるように指を滑らせて――

 

「司波さん、助けてくれて――」

 

呪縛から解かれたのか、花音先輩が動き、つられて五十里先輩も渡辺先輩も動き出してしまった。

 

(しまった!敵にばかり気を取られて先輩たちに意識を向けてなかった!)

 

このままでは弾道に花音先輩たちが入ってしまう。これではワンホールショットでは無理だ。

魔法を破棄して結局コキュートスで仕留めようと手をかざしたタイミングで、五十里先輩が振り返った。

立ち止まって、しまった。

もしかしたら察知したのかもしれない。だが場所が悪すぎた。

先輩の体が衝撃でぶれる。

何が起きたのかわからなかったに違いない。驚いた表情の後に苦痛を浮かべて。

だが悲鳴が上がるよりも早く、先輩の倒れた先にいた銃を撃った男が一瞬陽炎となって消えた。

 

「、兄さんっ!!」

 

反射だった。

あの陽炎を生んだのは間違いなくお兄様だ。私がお兄様の魔法を見間違えるわけがない。

駆けだして五十里先輩の、お兄様が着地するだろう近くに寄って。

黒づくめの見たこともないスーツでも、バイザー越しでも間違えるはずがない。

花音先輩が叫んでいるが、私はお兄様の腕にすがりついて。

 

「お願い!」

 

降り立ったお兄様は左腰にある銀色のCADを抜いて五十里先輩に向けて引き金を引く。

腕から伝わるのは痛みに耐える緊張した強張り。

一瞬だ。ボウっと先輩の体が霞んだように見えたが、次の瞬間その体に流れた血も空いた穴も消えていた。

そしてお兄様はCADを腰に戻すと無言で抱き寄せられた。

耳元に唇を寄せ、囁くたびに耳をかすめる唇が「よくやった」と吹き込まれる。

ここまでたった5秒もかからず、二歩ほど下がってお兄様は飛び立って行った。

誰もが何が起こったのかわからない。

そんな顔をしていた。

それからどれくらい時間が経ったのだろう。

誰も何も言わない、動かない。

そんな中、背後からとん、と足音が。

気配は消していなかったので敵ではないことはわかっていた。

大太刀を担いだエリカちゃんだった。

 

「お疲れ。すごかったね、あの魔法」

 

自然に話しかけられた言葉に、けれど私の心は後悔に塗れてうまく笑えた自信が無かった。

 

「・・・そうね。すごかった」

「ん?達也くんもだけど私が言ってるのは深雪の魔法。あんな風に敵だけ狙い撃ちにするなんてすごいじゃない。流石深雪ね」

 

そこには純粋な称賛があり、私の魔法に対する忌避は見えなかった。

だから私も今度は安心して笑えて。

 

「――ありがとう」

 

エリカちゃんはやっぱりすごいな、と感心してしまった。

 

 

――

 

 

ヘリの中は異様な空気が流れていた。

原因は私たち兄妹だ。

お兄様がいない今、私しか説明する者はいない。エリカちゃんのお陰で少しだけ浮上した心を強く持って、私から口を開いた。

 

「まずは五十里先輩、申し訳ありませんでした。あの時私は狙われていることが分かった上で、相手の攻撃を待ってしまいました。そんなことをせず敵を屠ればよかったのに――判断を誤りました。申し訳ありません」

「謝らないでよ!それを言うなら気付かず動いたのが悪かったんだ。むしろ、その・・・」

 

五十里先輩は撃たれたはずの腹部に触れる。

言い淀む五十里先輩に、代わりに花音先輩が吠えた。

 

「司波くんのあの魔法は何なの!?啓を助けてくれたことは感謝するけど、でもあんな魔法っ、啓は大丈夫なの!?もし治療魔法ならまた魔法をかけてもらわないと――」

 

先輩の動揺は当然だ。愛する者が目の前で倒れ、それが死へと直結する攻撃であったことを理解してしまった花音先輩にとって、その傷が消え、いつも通り動けているなんて現状を飲み込めるわけがない。恐慌状態に陥らぬわけがない。

落ち着かせるため、できるだけ感情を込めないように、私は口を開いた。

 

「あれは、あの魔法は治癒魔法ではありません。治癒魔法は何度も何度もかけることで偽りの情報で世界をだまし定着させることで治す魔法。ですが、兄さんの魔法は違います」

「どういうことだ?治癒魔法じゃない?では五十里はなぜ治った?」

「摩利、魔法の詮索はマナー違反よ!」

 

詰問のような渡辺先輩の問いに、七草先輩が叫ぶように止めに入る。常に冷静であろうとする二人の先輩も動揺が隠しきれていなかった。

確かにマナー違反だ。でも、今ここで隠したところで遺恨しか残らない。それは――お兄様の幸せには繋がらない。

そんな力すら使わせずに終われたらよかったのに――己を過信しすぎた。これでは何のために力を解放したのか。結局お兄様を心配させる事態になってしまったことに自責の念にかられる。

 

(この流れは変えられたはずの未来だったのに)

 

だが、戻ることなどできない。

 

「ありがとうございます。七草先輩。ですが、構いません。気になるのは当然だと思います。皆さんに打ち明けるだけなら、兄さんも許してくれるでしょう」

 

言外に他言無用で秘密を守れと含めば先輩方はすぐに返ってきた。

 

「他言はしない」

「誰にも言わないわ」

 

他のメンバーも全員が誓約の言葉を返してくれた。

さらに七草先輩の場合、

 

「今から聞くことの一切を秘密とします。それは名倉さんも同様です」

 

と締めくくった。

この口約束が守られることを、私はそこまで期待していない。あくまで七草先輩は護衛対象であって雇い主ではないのだ。

知られた時点で隠しても無駄だ。だけど他のメンバーに関しては、この口約束が守られるのだろうなと思えるくらいには彼らを信頼していた。

そして語ったのはお兄様の世界で唯一だろう魔法、『再生』のこと。

エイドスの復元力すら凌駕する遡行定着能力。怪我をしたという現象を、怪我をしていないで過ぎた時間に定着させるとんでもない上書き能力。

誰もがぽかんとなってしまうとんでもない能力だ。

その中で吉田くんが言葉を返せたのは、お兄様を少しでも理解しようとしてくれているからか。

 

「じゃあ達也は、どんな傷でも一度で治してしまう、ということですか?信じられません。いくら達也でもそんな・・・」

「一度で、ではありませんよ。吉田くん。――一瞬で、です。それに対象は生物だけではありません。人体だろうと機械だろうと、兄さんは一瞬にして復元が可能です」

 

今度こそ固まってしまった吉田くんに、微笑んで、次いで目を閉じて続けた。

 

「この魔法のせいで兄さんは他の魔法が自由に使えません。魔法領域を神のごとき魔法が占有してしまっているせいで、他の魔法を使う余裕がないのです」

「だから・・・達也くんはあんなにアンバランスなのね」

「ああ、それほど高度な魔法が待機していては他の魔法が阻害されても不思議じゃない・・・」

 

どうやら納得してくれたようだった。

お兄様を受け入れる言葉に安堵しつつ、同時に罪悪感もわく。

 

「でもそれってすごいじゃない!24時間以内であればどんな傷でもなかったことになるのでしょう?」

「そうだね。災害現場でも野戦病院でもその需要は計り知れない。何千、何万もの人を救うことができる」

 

ああ・・・そうなのだ。誰もがお兄様の価値を理解する。夢の魔法だと期待する。

 

「そうよ!他の魔法が使えないなんて些細なことじゃない。そんなすごい魔法があるんですもの。なぜ秘密にするの?だって大勢の命を救うことができるのよ。命を奪うことで得た名声じゃなくて命を救うことで得た名声なんて、本物のヒーローじゃん!」

 

その言葉は、魔法師にとって夢の言葉。これから兵士として人の命を奪うことになるかもしれない自身には得られない、夢のような称号のように思えたことだろう。羨ましい、と思っても不思議じゃない。

そんな彼女を、彼女たちを私はこれから地獄に堕とすのか。

 

「そうですね・・・。ありとあらゆる負傷を無かったことにする。そんな魔法が、なんの代償もなく使えるとお思いですか?」

 

思うだろう。古式魔法でもない限り何かを犠牲に魔法を使うという禁忌の技術はほとんどない。

ごめんなさい。こんな空気にしてしまって。

ごめんなさい。知れば傷つくだろうことを私は伝えねばならない。

知らずに彼らが頼らないように。

 

(自分は頼ったくせに)

 

苦痛が伴うことを知ってもらわなきゃならない。

 

(知っていて、苦痛を味わわせたのは私)

 

どれほどの痛みを伴うか言葉でどれほど伝わるか、わからないし、体験したことのない私にだってわかっていない。

 

(後悔したところで痛みを代わってあげることもできなければ、分かち合うこともできないのだから)

 

痛みを請け負うのはいつもお兄様だけ。

 

――なんて、ひどい代償だろう。私が受けられるなら喜んでこの身に受けるのに。私の油断が招いたことで痛みを受けるのはお兄様だなんて。

 

「――兄さんは他人の傷を治す度、そのような代償を支払っているのです」

 

私の説明でどれだけ伝わったかわからない。けれど皆表情を暗くしていた。緊張で、恐怖で引きつらせていた。

だから言わなかった。それでもまだ、他人を治せというのか、と口にしなかった。

言えた義理じゃないことは誰よりも自分が一番わかっていた。

 

 

――

 

 

「あっ?!」

 

重苦しい空気にしてしまったヘリの中、突然美月ちゃんが声を上げた。

 

「美月、どうしたの?」

 

なるべく柔らかく、優しく声を掛ける。

美月ちゃんも口を開きやすきなったのか、慌てたようにしゃべった。

 

「えっと、ベイヒルズタワーの辺りで、野獣のようなオーラが見えた気がして・・・」

 

その言葉に反応したのは吉田くん。すぐさま呪符を掲げて集中すると、「敵襲?!」と驚愕の声を上げた。

 

「確かなの?!」

「義勇軍が押し返してるんじゃなかった?」

「さっきと同じ状況です。奇襲作戦なんでしょう。恐ろしい呪力を感じます、協会が危ない!」

 

その言葉の通り、ヘリの緊急回線に通信が入る。

奇襲により、一気に形勢は逆転、このままでは長くはもたないという訴えだった。

七草先輩はこのまま協会に向かうと決め、回線を別のところに繋げた。十文字先輩だ。

 

「七草、どうした?」

「このままヘリで私たちが協会へ向かうわ。十文字君は敵部隊の迎撃に専念して」

 

この時七草先輩に十文字先輩がどこにいて何をしているか、わかっていなかったはずだ。

けれど彼女は彼が戦場に立っていることを疑っていなかった。彼ならばそうしているという信頼感が見えた。

・・・ここもくっついてもおかしくないと思うんだけど、十師族の責任感が目を濁らせたのか、イレギュラーなお兄様が入ったことで七草先輩が揺らいじゃったのか・・・、と。罪作りなお兄様のことを考えている場合じゃなかった。

 

「頼む」

「任せて」

 

戦闘ヘリは輸送用に比べて機動力が高い。

急行すると、状況はかなり不利な様子らしい。

少数精鋭の部隊がかける奇襲とはこれほどまで形成を逆転させるのか。

まあそうか。お兄様一人投入されたら終わるものね。それと一緒かと妙な納得をしてしまった。

そして美月ちゃんの言う野獣のオーラの正体がわかる。

 

「呂剛虎!?」

 

捕らえられていたはずの屈強な戦士が猛威を振るっていた。

エリカちゃんもその名を知っていたようで舌なめずりしそうな興奮状態。つられて西城くんもへえ、と好戦的。

あらあらまあまあ。本当に気が合うお二人さんだね。でもなんだろう、合いすぎて恋人夫婦というより血の繋がりよりも濃い戦友のような間柄になりそうな・・・?そういうカップルいてもいいと思うけど、その前に互いに意識しないと男女を超えた友情止まりになりそう。男女の友情をそのまま実現させそうな勢い。

 

(意識は、してそうなんだけどな。日常編に期待だ)

 

そんなことを考えつつCADを取り出して、ぱぱっと一撃必殺でもお見舞いして終わらそうとしたのだが七草先輩からストップが。

 

「深雪さんストーップ!協会員の魔法まで塗りつぶしちゃうつもり?!」

 

だってその方が早くない?誰も傷つけずに終われるよ。敵味方関係なく凍らせて、あとで味方を溶かせばいいじゃない。コキュートスじゃなければ解凍可能だし。

だけど悲しいかな。そんなことできるはずないというより、撃ち漏らしたら貴女の責任になっちゃう、という心配からくるストップであれば手を引かないわけにはいかなかった。

 

「深雪さんは支部のフロアを守って。責任を押し付けるようで嫌だけど、最後の砦を任せたいの」

 

七草先輩のこの苦し紛れの作戦(私が干渉力に物を言わせて味方まで混乱させないようにとの配慮による遠ざけ)が功を奏すのだから、世の中うまく回ってます。

そして美月ちゃんと共に最奥へ押し込められる作戦みたい。普通に考えれば安全地帯のはずだからね、そこが。

桐原先輩たちは私たちの護衛に、と。桐原先輩は壬生先輩にこれ以上戦闘をさせたくないのか引き受けてくれた。

・・・結婚式呼んでくれるかな。ここに教会建てない分ぜひご祝儀たんまりお渡ししたい。

戦闘する気満々な人たちは全員呂剛虎狙いで計画を立て、今度はこちらからの奇襲作戦だ、と闘志を燃やしていた。

 

 

 

ヘリが着地し、皆と別れて協会へ。

普通こんなにすんなり入れるはずはないのだけど七草パワーすごいです。

目を見張る美少女が肝心要の場所を守るから通してほしい、と連絡しただけで私たちは止められることなく進めています。

目を見張る美少女がまさか、かの威光を示す印籠扱いでノー審査で通るとは。まあその言葉の前には九校戦で活躍した、がつくから魔法師なら私のことをチェックしていてもおかしくはないのだけど。

 

「美月、これを」

「これは、なんですか?」

「盗聴器よ」

「盗聴器!?」

 

私が渡したのは小型の盗聴器。どこぞのシール型、とはいかないけれど機械には見えない、可愛いどこにでもあるようなイヤリングに見える。つまりどこかに落ちていても不自然じゃないもの。

 

「もし怪しい気配があったらこれを二回、叩いてちょうだい」

「まさか!?ここに敵が来るんですか?!」

「な、ならそんなもの使わずに応戦した方が」

 

美月ちゃんと壬生先輩が驚いているけれど、桐原先輩は壬生先輩を止めて難しい顔つきで黙って続きを促した。

 

「平河千秋さんが病室で襲われた時、誰もその侵入に気付きませんでした。それと同じことがここで起きないなんて理由がない。――違いますか?」

「・・・そういうこと、か」

 

ここは最深部。敵に最も落されたくない場所だ。

桐原先輩はドアを睨みつけながら苦虫を潰したように言う。

極限状態が続いて先輩も疲れているだろうに、頭の回転速いですね。

 

「ドアはひとつ。――彼らはすでに何度も侵入を成功させていますから、そこ以外から入ってくることはないでしょう。よっぽど自分たちの秘術に自信がおありのようでしたから。ですが、方向がわかれば姿が見えなくとも私なら」

「凍らせることができる、ってか。だが一人で来るか?護衛くらいつけそうだが」

「その時は美月、叩く回数を二人なら三回、三人なら四回と叩いてちょうだい。凍らせる範囲を広げるから」

 

あえて範囲と言ったのは、相手を目視して照準を合わせなくても凍らせられると伝えるためだ。

 

「範囲ってことは、俺らは少し離れた方がいいんだな?」

 

よくお分かりで。話が早くて助かります。

ということで三人には離れた場所で待機してもらって、私は一人気配を消して待つ。

八雲先生、気配の消し方・・・というより私の場合自然に溶け込む方法の方が正しいのだけど、教えて下さってありがとうございます。今度菓子折り持ってきます。

 

 コンコン。

 

耳に装着していた受信機に二回。変動はなく一人ということ。姿はやはり見えない。ドアが開く。警報が鳴り響くが人の集まる気配もない。何かしているのか、はたまた来る余裕がないのか――私には関係ないのだけれど。

瞬時に私を中心とした白い靄が立ち込め不自然に揺らぐ箇所が一つ。

――捉えた。

動きを封じ拘束すれば今度こそ男の姿がはっきりと現れた。――陳だ。

 

「はじめまして、でよろしかったかしら?」

「司波深雪っ・・・」

「私をご存じとは、ここ最近兄の周辺に付きまとっていたのは、あなた方ということですね」

「なぜここにいる・・・?私の術が効かなかったのか?」

 

方位を操る魔法、人々の認識を誘導する秘術。方位に特化した精神干渉魔法、それが『鬼』門遁甲。

 

「方位に気をつけなさいと、警告をいただいてましたので」

 

だったら来る方向を絞り、干渉力で絡み取れば問題ない。念のため360度範囲を広げてはおいたけどね。もう絶対に油断なんてしない。

来るタイミングさえわかればより一層簡単なことだった。

そもそも精神干渉魔法は、魔法力が相手より弱かった場合効かなくなる。

完全に力を解放している私の魔法力は、まだ成長途中でありながら世界でもトップクラスだ。たかが工作部隊の一隊長より下なわけがない。

 

「ところで一つ、お伺いしたかったのですが」

 

憔悴したおじさんを前に、私はにっこり微笑みかけて、どうしても気になっていたことを訊ねた。

 

「私たちを監視していた際、コーヒーを欲したことありました?」

 

虚を突かれたおじさんは、魔法抵抗力に隙でもできたのか、凍り付いて動かなくなっていた。

残念だ。あんな通常より甘々な場面を見させられた人は、一体コーヒー何倍飲めば中和されるのか聞きたかったのに。

かくして私が戦闘に関わるのはここまで。すべてが終了した。

 

 

――

 

 

普通、これだけのことがあれば家に帰ることはできないと思うのだが、軍の配慮か、はたまた掃討戦で忙しくそこまで手が回らないのか、全員帰宅許可が下り、七草先輩のヘリで学校まで送り届けてもらい、各々帰宅した。

お兄様のいない帰路というのは初めてで、なんだかとても新鮮だった。

この広い家に私ひとり。

二人でさえ広すぎるのに、と思いながら服を着替えてリビングに下りる。

先ほどお兄様からの電話で今日は戻れないと連絡があった。

音声のみの通信だがこちらを思いやるような声に、より一層の寂しさが込みあげるのをひた隠して労いの言葉を返した。

音声のみだったから表情を取り繕うこともないのに、笑みを浮かべてしまったのは体に染みついてしまっていたのだろう。

でも困ることでもないな、パッシブスキルでよかったじゃないか。

珍しくココアを入れてひと心地着いたところでまたも電話が。

想像通りの相手に髪を整え服装もチェックしてから通話回線を開いた。

 

「ご無事のようでなによりね。安心したわ」

「ご心配おかけしました、叔母様」

 

すい、と頭を下げれば叔母様はいつものようにお姉さまよ、と訂正することもなく微笑んでいた。

 

「ごめんなさいね。貴女の予測通りだったのに、随分と後手に回ってしまって」

「叔母様が謝ることなどございません。むしろ全く動かないと思われていた軍や警察の動きが早く助かった場面もあったかと。情報提供ありがとうございました」

「役に立てたのならよかったのだけど。それで、達也さんは今どちらに?」

「事後処理のため、まだ帰宅しておりません」

「まあ、深雪さんを一人にするなんて」

「御心配には及びませんわ。兄の力は常に私を守護しておりますので」

「そうねぇ。貴女が鎖を解き放ったところで達也さんから誓約を破棄することはできないものね」

 

あえてそう口にするということは、解き放ったことで問題が起こる、と叔母様も予測できているということ。

既に幕僚会議の決定を聞いているのだ。

 

「おっしゃる通りですわ叔母様。兄はどこへ行こうとも、自分の一存でガーディアンの務めを放棄することはありません」

 

お兄様が自力で逃げ出すことはできない。私がいる限り、四葉から抜けることはない。たとえお兄様の心が四葉になくとも、私が四葉である限り完全に離れることはない――私より優先すべき存在がない限り。

 

「それを聞いて安心しました。そうそう、今度の日曜日にでも二人そろって屋敷にいらっしゃいな。久しぶりに貴方達に直接会いたいわ」

「恐縮です。兄が戻りましたらそのように申し伝えます」

「楽しみにしているわ。じゃあ、おやすみなさい深雪さん」

「おやすみなさい、叔母様」

 

圧迫面接を直に、か。

こうやって画面越しでもきついのに、直接となればこの十倍は圧力がある。

『真夜姉さま』の時だって、いつ当主モードに切り替わるかとドキドキするのに。特にこの間お話した時――お兄様の力の解放を臭わせた時だってまずいな、と思っていたのに。

このところちょっと調子に乗り過ぎたかな。

お兄様の前では絶対できないことだけど今は許されるはず、とソファの背もたれにぐったりもたれかかった。

もう、何も考えたくなかった。

ずっと頭がシリアスモードで心の疲労がひどいのだ。何度皆の存在に助けられたことか。

戦場でラブを見つけてはテンションを保つなんて、そんなことを必死でしているのは私だけだ。

そんなことでもしないと心が持たない。

あれは心を保つための一種の防衛本能。オタクの現実逃避術、妄想だ。

これができているから、私は狂わずに済んでいるといっても過言ではない。

原作の深雪ちゃんにはプレッシャーから逃れる術も、ストレスを発散する術もほとんどなかった。だから行き場のないそれらをお兄様にぶつけることもしばしばだった。

変にモーションを掛ける、お兄様の気を引こうとする行動にも原因はあったのだ。

だけど今日の出来事はいくらやり過ごそうとしても追いつかない。

発散する端からどんどんのしかかってくるストレスに、心が悲鳴を上げていた。

 

(確かに深雪ちゃんの言うとおりだよ・・・。こんな夜にはお兄様に傍にいてほしかった)

 

甘えでしかないけれど、体も心もお兄様を求めていた。

戦争なのだと頭でわかっていても、人の命の重みがずしりとのしかかった。

殺さずに済むならば、と考えたせいで五十里先輩が撃たれ、結果再生する必要のなく終わる予定だったのにお兄様に魔法を行使させてしまった。

殺さず捕えたところで、たいして重要な人物でもなく、ただの捕虜にしかならないだろうに・・・また判断を誤った。あの、沖縄の時のように。

お兄様は怒っていた。元々コンペ会場で銃を向けられた時点で、彼らを処分することは決まっていたけれど、私を悲しませたことで更に火に油を注いだのも事実。

明日のマテリアルバーストには私怨が含まれる。――その罪を私も背負おう。お兄様にだけは背負わせてはならない。

元々決まった流れであっても、原作だからしょうがないと切り捨てられないのは、この世界に馴染んだ証拠だろうか。

 

(以前までなら多少のことは原作だものね、と流せていたのに)

 

無責任だったな、と思うようになった。

七草先輩の、十文字先輩の覚悟を見たからだろうか。

 

(いつもだったら、どうしてあの二人くっつかないかなー、と考えられたのに)

 

ままならない。

目を閉じる。瞼の裏には――暗闇しか映らなかった。

 

 

 

 

あのまま転寝してたら本気寝してしまったらしい。ソファに丸まって寝ていた。

寒かったのか、近くにあったクッションを抱きしめていた。

時刻は午前二時。丑三つ時だ。一番起きたくない時間。

 

(ああ、今日はもうハロウィンだ)

 

良い霊と悪い霊が妖精たちと混じって現世に来る日。

海外のお盆とされる日。

母は帰ってくるだろうか、なんて。ここは日本。帰ってくるとしてもお盆でいい。

会えるならどんな理由でも会いたいけれど、あのゾンビメイクで怖がっていた母のこと。怖いお化けと一緒に帰ってくるのは可哀想だ。

そう言えば、お兄様が仮装に付き合ってくれると言っていた。

対馬に行くことを知っていたので無理だろうな、と思っていたけれど、考えてみたら今日帰って来るんだよね。

一応用意はしてある。

どこにそんな時間が?と思われるかもしれないが、着る機会はなくとも用意してしまうのはオタクの性。

というよりこれもストレス発散だったんだな、と今なら思う。

できたといっても今までのように凝ったものではない。

服は元々うちにあるものだし、作ったアクセサリはそれらしく見えるかな、というレベル。

それでも触り心地は妥協しない。そこだけは譲れなかった。

疲れて帰ってくるお兄様を無理に付き合わせるつもりはないけれど、作ったからには後日でいいので、身に着けてほしい気持ちもある。

 

(ま、だめならぬい用に作って着てもらうだけだけど)

 

料理も今回はカボチャ型のクッキーだけと至ってシンプル。かぼちゃとかぶを使った料理も今回はスルー。

徐々にこういったイベントごとも私と二人ではなく仲間内で、そしてゆくゆくは恋人やその先の家族と楽しんでもらえればと思う。

 

「ふわ・・・」

 

中途半端に寝たとはいえ、眠気はまだまだある。

部屋に戻って寝よう、とカップをHARに任せて部屋に戻り、服を着替えてベッドの中へ。

すぐに睡魔は私を夢の国へと誘ってくれた。

 

 

――

 

 

気が付いたら夕方になっていた。

オタクによくある現象である。

今日は朝からキッチンで作業をしていた。

藤林さんとのお茶会のためにフルーツカッティングを習得せねばと頼んだリンゴが届いたのだ。

早速やってみると飾りきりとはまた勝手が違うことが分かった。

目標はスワンだが、木の葉やお花といろいろ種類があるらしい。

失敗してもジャムでもドライフルーツでも加工はできる。

ドンドンいってみよー!とリンゴを手に取って図案とにらめっこし始めた――ら、こんな時間ですよ。

あれ?お昼またスムージー?リンゴも摘まんでたけど、同じ食感だと飽きるので魔法でちょちょっとドライチップスにしたり凍らせてすりおろしてみたりと、新しい食べ方も開拓したりしていたから食べてはいたけど、もうこんな時間になっていた。

恐ろしい時間泥棒。

お兄様から帰ると連絡が来たのが三時間前だからそろそろ帰ってくる頃だろう、と片づけを始めたところで玄関の開いた音。お兄様だ。

ぱたぱたと走って出迎える。

 

「おかえりなさいお兄様。ご飯になさいます?それともお風呂?」

 

二番煎じというなかれ。このエプロン着ると言わなきゃいけない気になるんだ。

今日も新妻風エプロンです。白でフリルなんて時代遅れになってもいいのにね。エプロンに流行なんてないのかしら。

 

「ただいま深雪。その選択肢にもう一つ追加はできないのかい?」

 

そう言って両手を広げるお兄様。

・・・仕方ないですね。

 

「それともハグですか?」

「及第点だな」

 

それともわ・た・し(はぁと)なんて言いませんよ。選ばれては困るのが目に見えているので。

ぎゅっと抱きしめられて、一日ぶりのお兄様だな、と体を委ねるように力を抜けば、背中から腰にかけて腕を回し安定させてハグを続行。

お兄様の頭が肩に乗り、首筋がくすぐったい。

 

「お疲れ様でしたお兄様」

「深雪こそ、昨日はごめんな。傍にいてやれなくて」

 

ドキッとした。お兄様は気付いていたのか。

 

「肌がいつもより冷たい気がする。寝不足なんじゃないか?」

 

頬を撫でるお兄様の手は温かい。けど、いつもと違うだろうか?

 

「お兄様の体がいつもより熱い可能性は」

「俺が深雪の体調を見誤るわけがないよ」

 

ないかー。でも視られてるようには思えなかったのだけど、まさか本当に肌感で?ハグと頬に触れただけでわかるものなの??

 

「実はちょっと」

 

気まずげに正直に告白すると、お兄様は私を抱えて家の中へ。いつの間に靴を脱いだんだろう?そんな振動感じなかったのだけど、お兄様器用だからな。じゃなくて。何で抱えられて移動??

 

「お兄様だってお疲れでしょう」

 

対馬からどうやって帰ってきたのか知らないけれど、任務を遂行した上強行で帰ってきているのだ。

昨日の今日だし、疲れていないわけがないのに。ご飯やお風呂と言ったけれど、それより少しでも休んでもらいたい。というかまずは下ろしましょう?

でもお兄様は放してくれない。

 

「そうだな。だから一緒に休もう」

 

んん?

 

「甘いにおいがするな。これは・・・りんごか?」

「え、ああはい。さっきまで切ったりジャムを作ったり」

「・・・藤林さんか」

 

よく覚えてますねお兄様。

ちょっぴりご不満そうなお声と眉の寄せられたお顔。

 

「今日は俺と二人でハロウィンだろう?」

「・・・ですが、」

 

お兄様、もしやそのために早く帰ってきてくれたのだろうか。

だとしたら嬉しい、嬉しいのだけれど・・・どうしよう?私に構うよりも休んだ方がいいと思うのに。

 

「疲れならこれから取れる」

 

すたすたとたどり着いたのはソファで。

一度下ろされて抱きかかえなおされ――お姫様抱っこされたままお兄様が座られて・・・その上に、オン。

え?

 

「硬くて眠れないかな?」

 

私にお兄様をベッドにして寝ろと?

っていうか硬くて寝れないんじゃなくて、姿勢でもなくて、お兄様に抱き込まれたまま眠れる妹なんています??

せめてソファで二人寄り添って、とかならまだわかる。

膝枕だって、恥ずかしいけどお兄様が望むなら耐える覚悟があるのに。

 

「下ろしましょうよ、お兄様」

「俺のことは気にするな」

「・・・・・・お疲れなんですよ、お兄様」

 

だめだ。お兄様疲れすぎて壊れてる。

 

「横になるのはお兄様の方ですよ。私は隣にいますから」

「それではお前が休めない」

 

お兄様の腕の中で休めるかな。気を失うだけな気がする。なお疲れは取れない模様。

 

「なら一時間互いの部屋で休みましょう。それが一番休めます」

「隣に深雪は?」

「隣の部屋におりますから」

 

私も頭が回ってない疑いがある。休もう。二人して自室で一時間。

 

「ベッドまで運んで頂戴お兄様」

 

それまで抱き上げられてるの、我慢するから。

 

「それが深雪の願いなら」

 

部屋の前まで運んでもらって。本当にベッドまで運ぶと言ってきかないお兄様を宥めすかし、自室へと促して。

ばたん、と扉の閉まる音を聞いてからベッドに倒れこんだ。エプロンは気合で外し、目を閉じる。

すぐに意識は途切れた。

 

 

 

――

 

 

きっかり一時間で目を覚ませたのは、単純にタイマー機能が作動したから。

部屋を出て、お兄様の部屋をノックする。

 

「お兄様、約束の一時間ですよ。起きてくださいませ」

 

本当は寝られるだけ寝かせてあげたいが、ここで声を掛けなければお兄様は落ち込む?拗ねる?だろうから。

ベッドまで運ばせなかったのも、あとで思い出すとお兄様が頭を抱えそうだったので。

そしてお兄様はのろのろとした動きで出てきた。仮装してないけどゾンビです?

 

「・・・すまない深雪。どうかしていた」

「改めておかえりなさい、お兄様」

 

おかえり正常な判断。

あまりの疲労っぷりに旅行に行っちゃってたのかな。大変だったもんね。

予想だにしない依頼がいろんな方面から同時期にやってきて、小さなものから大きなものまでトラブルが押し寄せ、最終的に戦争おっぱじめそうだからちょっとそこまでぶっ潰しに行って。

これが約二月で起きるわけですよ。濃密ですね。これは疲れる。

高跳びだってしたくなるだろう。何はともあれ帰ってきてくれて嬉しいよ。

 

「ご飯は食べられそうですか?」

「ああ・・・」

 

・・・まだ受け入れられないのですね。

背中が丸いです。本落ち込み。初めて見る姿です。

・・・こういう姿って母性本能くすぐられるよね。お兄様が可愛い。許されるならぎゅっと抱きしめて撫でまわしたい可愛さ。しないけどね。深雪ちゃんはお兄様にそんなことしません。

ご飯でも食べて気力を回復してください。

ということで。

 

「これは、俺のために?」

 

テーブルに並べられた食事を見てお兄様は少し目を見開いた。

食事はハロウィン仕様ではなく、お兄様が特に好きだといってくれる和食。

ほっこり温まる具沢山の味噌汁に、肉じゃが、小松菜と油揚げのお浸し、だし巻き卵には胃に優しい大根おろしもついて、ご飯は疲労回復に良い鮭としめじの炊き込みご飯。

秋の味覚もしっかり感じてください。

 

「食後のコーヒーにハロウィン用のクッキーを添えますので」

 

少しだけお付き合いください、とお願いすればようやくお兄様の顔に笑顔が浮かぶ。

 

「いただきます」

 

いつもより礼儀正しく挨拶して食べ始めると、さっきまでの落ち込んだお兄様はきれいさっぱりいなくなっていた。

綺麗な所作で食べるけどペースが速い。綺麗なのにモリモリ食べてる。

 

「ご飯と肉じゃがはおかわりがありますよ」

 

その一言でペースが上がった。

いっぱいお食べ、と心の中の母ちゃんな私が言う。

こんなに食べてもらえると嬉しいよね。

気持ちのいい食べっぷりに私もつられてご飯が進んだ。・・・秋だからね、運動増やすから大丈夫。

お釜もお鍋も綺麗になくなり、お兄様もお腹も私の心も大満足。

 

「美味かった」

「お粗末様でした」

 

こういうところやっぱりお兄様は素敵よね。ちゃんと美味しかったと感想をくれる。作り甲斐があるというものだ。

いつ婿に行っても喜ばれますよ、お兄様。

食器を率先して片してくれるところも高評価です。

その間に私はコーヒー豆を挽く。がりがり、がりがり。

さて、この後どうしようとシンキングタイム。

一応ハロウィン用の仮装、というのも烏滸がましいアクセサリ――アイテムは用意しすぐ取り出せるようそばにある。

流石に着替えてもらうのは諦めた。せっかくここまでリラックスしたお兄様に面倒を掛けるのもどうかと思ったので。

単品でもいけるけど、そうすると仮装というよりコスプレ感が――

 

「それで深雪、仮装はいいのかい?」

 

お腹がいっぱいになってノリもよくなりましたかお兄様。

ありがとうございます。

そうですよね、こういうのはノリですよね。

 

「こちらに」

「・・・これは」

 

袋から取り出したのは、灰色と茶色のふさふさ――耳としっぽのセット。

そう、私が用意したのはオオカミと犬のアニマル変身セットだ。

コンセプトもちゃんとあった。お兄様には礼服を着てもらい首元にフリルをつけてオオカミ公爵に。

私はドレスを着てイヌ令嬢になる予定だった。

なぜ公爵と令嬢なのかとか、なぜオオカミで揃えなかったとかは、その時のインスピレーションだ。

ただの狼男もいいんだけどね。狼男だと半身裸か毛むくじゃらかで悩んじゃうから。どっちも好き。でも無理。お兄様の上半身裸に耐えられる気はしないし、毛むくじゃらは用意できなくはないが見た目が暑苦しくお兄様に悪い気がした。なら服を着せちゃえ、となり、うちにある服で似合うのは、と考えた結果がそれだった。

 

「尻尾のベルトは腰のあたりに。耳はカチューシャですので装着した後、髪で隠していただければ完璧です」

 

目の前で実演してみせる。

茶色と白の柴犬耳にくるんと上向きのふわふわ尻尾。手触りは抜群です。その場でくるっと回って見せた。

反応は・・・おおう、お兄様固まってますね。イロモノ過ぎましたか。

 

「わん」

 

反応がないので一鳴きしてみる。

ぱちり、とお兄様が瞬き一つ。

 

「わんわん」

 

ぱちぱち。

・・・ちょっとお兄様もしやふざけてます?

 

「・・・・・・・・・可愛すぎやしないか?」

 

アッ、違う。本気で戸惑ってただけですね。失礼しました。

まあ深雪ちゃんがイヌ耳つけて白いフリルのエプロンでいたらまあ愛でますよね。

 

「ですのでお兄様のはオオカミ仕様です」

 

お兄様を可愛いわんこにするのもやぶさかではないが、高校生男子が可愛いに手を出すのは辛いと思ったので。

もしノリがよければ交換も可能だからつけてもらえるならつけてほしい。見たい。可愛いお兄様もぜひ見たい。

とりあえずどうぞ、とお兄様に変身セットを渡す。

 

「素材から違うのか」

 

灰色狼ですからね。そちらはふわふわではなくふさふさです。毛の太さが違うのでちょっと固め。でも滑らかな毛並み。尻尾はストレート。

――うむ。私はいい仕事をした。お兄様オオカミ耳似合うね。ちょっとワイルドに見えなくも、ない。困った顔のせいで可愛さが増しているが。

 

「ありがとうございます」

 

こんなことに付き合ってくれるお兄様は世界一優しいお兄様です。感謝しかない。

 

「コーヒーはどっちに運ぶ?」

 

ああ、いつものソファでは尻尾が潰れちゃいますからね。ご配慮ありがとうございます。

ということでテーブル席に。

向かい合ってコーヒーをお供にかぼちゃのクッキーを齧る。

話題は去年までとは違う、高校生活について。

 

「始業式からここまで濃密でしたね」

「というより九校戦辺りからずっと落ち着かなかった気がするな」

 

言われてみれば。入学式の騒動の後は結構余裕があったけど、九校戦付近からずっと忙しかった。

夏休みもお兄様に休みなんてなかったし。

 

「でもしばらく行事はもうないですし、学校は落ち着いた生活が送れそうですね」

 

落ち着いた、は無理だろうけど、にぎやかで楽しく充実した学校生活は送れるのではないかな。束の間の休息的な・・・あ、そうだ大事なことを忘れてた。

 

「昨夜叔母様から連絡をいただきまして、来週日曜二人揃って屋敷に来るようにと」

 

いけない、学校だけじゃなくこっちもあったのでした。

するとお兄様は難しい顔に。でもオオカミ耳付いてるからちょっと台無し感。ごめんなさい。

 

「昨夜、か。今日のことを知っていた、と思った方がいいな」

 

今日のこと、つまり対馬で大亜連合の軍事施設を出港予定だった大艦隊ごと駆逐してきたことですね。

ニュースでも流れていたが、何が起きたのかまだ調査中とのことだ。

 

「お兄様」

「大丈夫だ深雪。何があっても問題ない」

 

俺が守るから、と。

この時おそらくお兄様の頭の中では四葉と対立してでも、との思いがあったのかもしれない。

でもね、私はその対立もさせたくない。そんなことしなくても穏便に四葉から出られるようにしてみせるから。

だからもう少しだけ待ってほしい。

 

「今度お会いする際、アレを持っていこうかと思うのですが」

「アレ?」

「お盆もハロウィンも迎えましたので、お母様からの贈り物をお渡ししてもいいかと思いまして」

 

さっぱりわからないというお兄様にヒントを出せば、アレに思い当たったものの微妙な顔だ。

お兄様にはそもそも理解が及ばない代物だし、逆に火に油を注ぐものに見えなくもないだろうから。

 

「贈り物・・・果たし状の間違いじゃないのか?」

「言いえて妙ですね」

 

くすくすと笑う私に不可解だと言わんばかりの表情を浮かべられるお兄様。

私も結果がどうなるかわからない。実際その内容を知らないのだ。

母が、最期に残した叔母様宛の贈り物。

喜ぶか怒り狂うか出たとこ勝負ではあるけれど、勝算は高いと踏んでいる。

 

「いいんじゃないか?お前が託されたものだ。深雪の好きにするといい」

「ありがとうございます」

 

来週までにすることがまた一つ増えた。

まだまだゆっくり休むことはできないらしい。

けれど今日だけは、今この時はお兄様との時間をゆっくり過ごしたい。

 

「お兄様、ハッピーハロウィン」

「ハッピーハロウィン、深雪」

 

この後クッキーにりんごジャムを添えると、お兄様が無表情になる珍事があったが、味は良かったとのこと。

今度は紅茶と合わせたいですね。しばらくその機会は来ない?この大亜連合の後片付けで忙しい?

ティータイムはしばらくお預けの模様。

また大亜連合に対する恨み言が増えた夜だった。

 

 

 





次は番外編を上げた後オリジナルの話と四葉本邸にお邪魔するお話の予定です。

感想、お気に入り登録、評価等いただき感謝申し上げます。
文字数に関しまして、原作につき可能な限り一本で纏めようと思っております。
これだけ長くなってしまっておりますので15万文字超えたら分ける予定ですが、それまでは一つに纏めるつもりです。ご了承ください。
文章の矛盾についてはすみません、できるだけ訂正しているつもりですが、見逃しているものもあるかと思います。
もしくはその後心情が変化していたり、周囲にはそう見えているなどの勘違いもあったりします。その辺はなんとなくのニュアンスで読んで流していただけると助かります。

ここまでお読みいただきありがとうございました!
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