妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前)   作:tom200

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ツケと清算~ことの顛末と不穏な足音

ハロウィンも終わって11月。恐怖の圧迫面接まで一週間を切りました。

それまでに袖の下を、とお兄様に隠れて、部屋でちくちくしているわけですが。

 

(お兄様、忙しすぎない?)

 

怒涛の横浜騒乱編が終わり、落ち着くと思っていたけれど後片付けがあるようで。

学校での論文コンペの後始末から、第三ラボでの一件でセキュリティ強化についてだったり、軍は・・・大人たちが忙しそうなので、お兄様はノータッチかと思いきや、今回の戦闘でムーバルスーツの改善点やらいろいろ思うところがあったらしく改善点などを洗い出していた。

コーヒーを差し入れに行くと、お礼より先にハグを要求されました。

ビッグイベントが終了したというのに疲れが全く取れないどころか、蓄積してやいませんかね?

どうしよう。このままではお兄様、四葉家訪問なんてしようものなら、ストレスで爆発しちゃうのではないかしら?

なにかストレス発散になるものを、と思うのだけど・・・そもそもお兄様のストレス発散法って何だろう?

ハグとか妹構い倒したり?私の体に良くない発散の仕方ですね。

後は体を動かす?それはお寺で先生と毎日のようにやっているわけだから、それ以上のものなんてないだろうし。

リラックスできるコーヒーブレイクは毎晩している。

あとは、ゆっくり入浴とか?でもお兄様烏の行水なんて入り方じゃなく、ちゃんと湯船であったまってるから、一般男性の平均は上回ってると思う。

うーん、リラックスできるアロマ?でもいつ出動があるかわからないのに、香りが付くものはちょっと良くないと思うわけで。

アニマルセラピーなんて、魔法師は動物に大抵逃げられるから撫でるどころじゃないね。

前世であれば猫カフェとか動物と触れ合う場が身近にあったけれど、実はこの世界、動物を飼うことはセレブのステータス。庶民がペットを持つなど到底できない、裕福なご家庭の象徴と化していた。

どうりで街中に野良猫も犬の散歩も見かけないわけである。

そもそも先も述べた通り動物系と魔法師の相性もあまりよろしくない。魔法を使っている状態の魔法師には特に近寄らない。本能が分かっているんだろう。隠ぺい系を使っているなら別だが。

深雪ちゃんの容姿で歌でも歌えば小鳥が近寄ってきそうなものなのにね。制御を完璧にできていない状態では姿すら見せてもらえない。残念。映像で我慢します。

・・・一瞬、イヌ耳つけて私が撫でられればワンチャン?とか頭を過ったけど、疲れてるのよ、私も。

何かストレスを無くす、良い方法ないかしら。

 

 

 

「え、ストレス発散法?運動以外で?」

「読書とかどうです?秋ですし」

「それなら食べることだってストレス発散だね。太るけど」

「やめて雫!怖いこと言わないで」

 

男子が昼食を取りに行っている間、女子に聞いたらこの答え。

ほのかちゃん、太るなんて心配いらないわ。きっとそのお肉別のところに吸収されるから。

 

「読書もいいわね。でも兄さんが読むのって専門書だから、休むことになるかしら?食べる、にしても食欲はそこまで強くないのよね」

 

知識欲ならかなり強い方だと思うお兄様だけど、食欲はそうでもないかもしれない。

お菓子を作っても自分で食べるより、私に食べさせる方が嬉しそうだ。甘いもの苦手ってわけではないんだけどね。

なら逆に辛いものいってみる?辛いのを食べてストレス発散する方法もあったし、お兄様辛いの苦手じゃなかった気がする。

 

「激辛料理に挑戦してみようかしら」

「それストレス発散じゃなくて罰ゲームなんじゃない?」

 

はっ!そうだ。つい前世の激辛ブームに引っ張られてしまったけど、あんな苦しんで食べさせるのは逆にストレスになっておかしくない。

徐々に慣らしていくことも考えたけど今は最短でできる方法が望ましい。

 

「同じ発汗するなら、薬膳なんてどうでしょう」

 

ありがとう美月ちゃん。いいアドバイス!薬膳だったら辛味で痛みを感じることも無い。

 

「発汗・・・」

 

でもほのかちゃんに変なスイッチが。赤くなって頬を押さえてます。

一体何を想像しているんでしょうね、この思春期ガールは。ちらちらこっちを見ない!妄想に私を巻き込まないでください。危険な香りがします。

 

「ほのか、だめよ。可愛い女の子がそんな隙だらけで。――私が食べちゃうわよ」

 

がたがたんっ、と周囲でとんでもない音がしますねこの食堂。床やテーブル汚れてませんか?

もちろん食べちゃうのはほのかちゃんのご飯ですよ?

だからそんなにお顔真っ赤にしないで。

確かに意識的にそんな雰囲気醸してみた。美少女を戸惑わせたくてちょっかい掛けたくなる時ってあるよね。

内輪だけのノリのつもりだったけど周囲にもばっちり聞かれてた。開けた場所だからね。しょうがない。

皆固唾をのんで見守っている気配が。期待されてる?女子高生の頬に触れるくらいならセーフかしら。

なんて、次のアクションどうしようと考えていたら――

 

「深雪、何をした」

 

おっと、お兄様ご帰還です。

そして私が何かしたと断定しておりますね。素晴らしい慧眼をお持ちのようで。

 

「ほのかが食べないので、私が食べてあげようか、と」

「み、みみみゆ、みゆき!」

 

はいはい、貴女の友達深雪はここですよ。落ち着いてくださいほのかちゃん。

 

「悪女な深雪も素敵」

「ありがとう雫」

 

雫ちゃんは私に優しい判定。すき。

 

「・・・なんか絨毯爆撃でもくらったんか?ってくらい酷い有様だな」

「あ~うん。食らったんでしょうね」

 

エリカちゃんが疲れたように返してます。その横で美月ちゃんは周囲と一緒に爆撃を受けて声も出ない状況ですね。

すまない。ちょっとしたお茶目だった。

すると私の横に黒い影。そしてす、と頬を撫でる手が。

 

「俺がいないところで悪の華を咲かせたのかい?悪い子だね」

 

ガッシャーン、と派手な音。確実に落とした人がいますね。

そして周囲で顔が見える人が誰一人としていなくなりました。

皆顔を覆うか、突っ伏すか、天を仰ぐか・・・そこでしゃがみこんでいるのは演劇部部長かな。

・・・そういう私もぷるぷる震えていますけどね。内心ガタガタ、だから相当抑え込めていると思う。誰か褒めて。

あと、お兄様。あまりそういうセリフ、外で言わない方がいいと思いますよ。

出来れば家でも止めてもらいたいけれど。いつだって心臓は不整脈起こしてます。

 

「・・・兄さん、いったいどんな本を読んでるの?そんなセリフ、普通出てこないわ」

「俺の読む本にそんなセリフが描かれる本はないが、深雪といると自然と出てくるんだよ」

 

私のせいにされた!

違うよ!絶対お兄様の素質の問題だよ!!

 

「すぐそうやって私のせいにする」

「それだけお前が魅力的だということだ」

 

もうやめて!ライフなんてとっくにゼロだから。

私も皆みたいに顔を覆いたい!突っ伏したい!!

そろそろ私のポーカーフェイスもひびが入りそう、というところでばあん、と大きな音と共に花音先輩が現れた!

 

「ここで風紀を乱す問題が発生したって聞いたんだけど!」

 

私と啓の大事な昼を邪魔したのは誰!?と顔に書いてありますね。

平然としているのはお兄様と、取り繕っている私のみ。

 

「あんたら、逮捕ね」

 

罪状は何でしょうね。兄妹べたべたしすぎ罪でしょうか。

 

「迷惑防止条例違反よ」

 

一般的な罪状でした。

この場は注意だけで済んだけど、次やったら許さないから!と花音先輩はぷりぷり怒って帰っていった。

 

「妹と話しているだけで迷惑防止条例違反とは?」

「達也は一般常識から身に付けよう」

「・・・私は反省しています」

「深雪って常識持っているように見えて時折やらかすよね」

 

・・・すみません、オタクの性分なんです。

 

「で、結局何話してたんだよ」

 

お昼ご飯再開しました。

周囲も何事もなかったかのように戻った。一部片づけしてる生徒もいるけど。

 

「えーと、なんだったっけ?」

「激辛料理?」

「ち、ちがうよ!発汗作用のある料理の」

「・・・つまり飯の話か?」

「ストレス発散について皆に話を聞いてたの」

 

皆そうだった!って顔してるね。脱線させたの私だけど。

 

「ストレス発散~?ああ、それで汗かく料理ってか?運動でいいんじゃね?」

「適度な運動なら十分なので、それ以外に何かあれば、と」

「それは俺の話か?」

 

まあ、気づくよね。そして話はお兄様についてになった。

 

「達也のストレス発散法・・・?」

「普通ならカラオケとか、どっかぶらつくとかあるけど、お前じゃそれもねぇか」

「カラオケは興味ないな。散策も移動で十分だ」

「インドア派か」

「別にそんなつもりはないが。今度深雪とツーリングの約束もしているし」

 

その発言にほのかちゃんが荒ぶったけど、雫ちゃんナイスアシストで抑え込んだ。素早い。

これ以上騒いだら食堂出禁になるかもしれないからね。

 

「お、バイク乗んのか」

 

男の子たちはいつの時代も乗り物が好きなのか、吉田くんも目を輝かせましたね。

そっちの話で盛り上がり始めた三人に、エリカちゃん達は男の子だねー、と笑った。

お昼休みは短くて、結局発散法のいいアイデアは浮かばずに終わった。

 

 

――

 

 

「ストレス発散法、ですか?私なら好きなものを眺めるとかかな」

 

中条会長にも聞いてみた。

好きなものを浮かべているのか斜め上を見てうっとりしてます。おそらくだけど、選挙で勝ち抜いた時の戦利品ですかね。

でも好きなもの、か。お兄様の好きなものって何だろう?

 

「私は音楽を聴くのをお勧めしようかしら?」

 

そしてたまたま遊びに・・・顔を出しに来てくれた七草先輩と、

 

「話を聞いてもらうってだけでも、結構ストレス発散になるぞ」

 

その電話のお相手絶対彼氏さんですね?な、渡辺先輩。

良いのですか受験勉強。息抜き?生徒会室なら余計な視線もなく邪魔が入らないですからね。お茶もありますし。

 

「でも達也くんがストレスをため込んでいるとはねー」

「九校戦辺りから兄は忙しくしていましたから」

「ぐっ・・・それを言われると痛いわね」

 

理解していただけました?お兄様をこの学校の勝利の為、利用してましたものね。

渡辺先輩は我関せずと横を向いて口笛吹いてますが、モノリスコード出ることになったのだって、先輩の怪我のせいですよ。

 

「確かに達也さん、忙しそうだった」

 

雫ちゃんの追撃、先輩は10度傾いた。

 

「論文コンペではいろんな騒動にも巻き込まれてましたもんね」

 

ほのかちゃんの攻撃、クリティカルヒット!先輩たちは頭を抱えた!

悪気のない責めが一番の攻撃だよね。

 

「なんで、今年に限ってこんなに事件が多いの!?4月だって!あんな事件、深雪さんたちがいなかったらとんでもないことになっていたかもしれないのよ?!」

「九校戦に至っては情報が伏せられていたが、あれは故意の事故、事件だったんだろ?」

 

取り押さえられた男の話は、大会が終わった直後から漏れていたからね。学生にいくら口止めしたからって不正現場にいた子たちが、いつまでもしゃべらないでいられるわけがない。

しかも狙われていた学校が優勝したのではケチもつけようもない。

 

「兄さんはどちらも、出る予定のない出来事でしたから」

 

九校戦に限って言えば、元より私の調整だけはするつもりだったけど、選手としての出場なんて以ての外だった。まあ、エンジニアとなるからには他のメンバーの調整くらいは頼まれたらするだろうけどね。お兄様調整自体好きだろうし。

 

「・・・高校に入学して環境が変わるのは、それだけでも十分ストレスになるから、カウンセラーが常駐しているのだけど」

 

カウンセラーの先生にはよくお会いしているみたいですけどね。目的?用途が違う。

 

「トラブルメーカーではないのだろうが、トラブルには巻き込まれ体質のようだな」

 

ついでにトラブルシューターを任されてしまいますからね、必然です。

こう考えると高校入ったことって、果たしてお兄様の体にとっていいのか考えてしまう。

体は壊さなくても心は疲れるから。心の疲れは体にも響く。いくら修復できるからって傷つけば疲労は蓄積する。

・・・どうしよう、本当に急務に思えてきた。お兄様のストレス改善。

 

「み、深雪?!そんな落ち込まないで!!」

「達也さん呼ぶ?」

「いえ、大丈夫よ」

 

こんなことでお兄様呼んでたら休まるものも休まらない。

 

「達也さんストレス溜まるとそんなに困ったことになる?」

 

溜めること自体よくないことだけど、と雫ちゃんが聞いてくるけども皆実感したよね?

 

「今日の昼、被害に遭ったでしょう?」

「へ?」

 

おや?心当たりがない??そんなバカな。

 

「言動おかしかったでしょう?いくら皆の前で気が抜けていたからって、食堂であんな発言するなんて兄さんらしくないわ。いつもより過激な発言だったでしょう?」

「か、過激って、達也くんお昼に何言ったのよ!?」

 

ほのかちゃんは思い出してはわわわ!となってしまい、先輩たちはつられて赤くなった。雫ちゃん?ああ~、て納得してたよ。

 

「食堂中の生徒が突っ伏して動けなくなるくらいの発言、とだけお伝えします」

 

破壊力抜群だった。皆死屍累々。そんなに大きな声でしゃべってるわけでも、食堂が静かだったわけでもないのにね。

でもお兄様にも困ったものだ。意識して態とやっているなら注意すれば抑えられるけど、無意識だもんなぁ。

無意識に甘い言葉をまき散らしては死体の山を築き上げる・・・災害かな?

・・・あ。

 

「・・・もし、今の兄さんと二人きりにでもなったら大変なことになるでしょうね」

「え・・・?」

「どういうこと?」

 

食いついたのはほのかちゃんと七草先輩。

わーい、フラグフラグー。

 

「おそらくですけど兄さんのあれ、無差別ですよ。誰彼構わず二人きりになってお話でもしたら、自然とそういうお話になるでしょうね」

 

多分二人きりで会話したら、あんなことやそんなこと言われると思う。

確か七草先輩はそんな場面有りましたよね。コンペの回で。

本当にあったかは知らないけれど・・・、うん。これはあったね。先輩顔真っ赤。

お兄様は順調にイベントを熟しているようです。流石。その場面を見ることができないのは残念だけど、無事イベントは発生しているようでなによりです。

・・・だけどどうも、私が知らない、原作にないイベントも発生してるっぽいんだよねぇ。

だって風紀委員じゃないから。本来そこで熟すべきイベントが別の場所で発生しているというか。

気になる。どうして私はエレメンタル・サイトを持っていないのか。マルチスコープでもいい。

・・・だめだ。お兄様にバレる気しかしない。というより、そういう目的で魔法使っちゃダメ、絶対。

 

 

――

 

 

そんな話をした翌々日、七草先輩より生徒会室へと招集命令を受ける。

中条会長、私物化されてますよ。注意しないとまた火種生まれますよ~。え?問題が重症化する前に何とかしないといけないって、いったい何がまず問題なんです??

中を見渡せば七草先輩、中条先輩のほかに渡辺先輩、ほのかちゃん、雫ちゃん、五十里・花音ペアがいた。

女性陣は顔を赤くしている。花音先輩は一人肩を怒らせて、が付くが。

 

「至急、達也くんのストレス解消の作戦を実行してください。ここにストレスへの対策法はリストアップしておきました」

 

まさかのこのご時世で貴重なペーパーでのリスト。上から下までびっしり書かれてますね。

書いたのは五十里先輩かな。書記はほのかちゃんのはずなんだけど・・・綺麗な字ですね。

ええっと何々?

 

「なんなのあの男は!ストレスだか何だか知らないけど迷惑極まりないわ!!」

 

え、もしやお兄様、お相手がいる方にまで手を・・・?

嫌な考えが頭を過ったが、五十里先輩が否定する。

 

「誤解無いように言っておくけど、花音が何かされたわけじゃないからね。花音は場の収拾に呼ばれてるだけだから」

 

・・・よかった。

っていうか、やっぱりそういったトラブルが起きましたか。

お兄様、別に所かまわず言うような人ではないのですがね、疲れているとぽろっと反射で出てしまうというか。

 

「自分から構いに行かなければ、被害はないと思っていたのですが」

 

その言葉に二人がさっと顔をそむけた。

二人は構いに行ったのですね?そして返り討ちにあった、と。自業自得でしかないね。

何言われたんだろう、耳まで赤くなってますね。ぷるぷるもしてるね。

 

「・・・それを知った人たちが、遊び半分で話しかけては撃沈させられてるのよ」

「聞き耳を立ててる人も倒れるっていうんだから、相当だな」

 

歩く災害よ!あの男は!!とキレ散らかす花音先輩。・・・もしかしてだけど、今回使われたんですかね快楽点。心なしか、涙目なんですけど。

・・・被害件数は思ったより多かったみたい。みんなチャレンジャーだね。

 

「ちなみに男子も被害に遭ってるわよ」

「え!?」

 

どういうこと?!お兄様にソッチの趣味はなかったはずだけど。

 

「直接口説かれることはないけれど、そのことを揶揄ったら、女の子の口説き方をレクチャーされて自信喪失、みたいな」

 

・・・・・・お兄様、何をやっているのです?

っていうかちょっとまって。口説いてるの!?一高ハーレム化計画でも始まってる?!

 

「この学校は治外法権で、一夫多妻制認めてられてましたっけ?」

「貴女まで壊れないで頂戴深雪さん!!貴女だけが頼りなの!」

 

おっと、思ってもみなかった状況にトリップして変なことを口走ってしまった。

いけないいけない。

どうやらお兄様の暴走が思っていたよりも酷いようだ。

風紀委員としても、学校の秩序を守る生徒会としても、どうにかしなければならない問題だと呼び出されたらしい。

ぺらり、とストレス軽減の方法を書かれている用紙を手に取った。

いくつか重複しているようだけど、・・・ううん、結構やっているものも多いな。

 

「片っ端から試して、少しでも減らしてほしいの。このままじゃこの学校は終わりよ」

 

そんなばかな。

お兄様が片っ端から女の子を口説いて逆上せさせ、男の子たちの心を折るくらいで学校って終わるの?

しかし元会長は真剣な顔だ。

ほのかちゃんどころか雫ちゃんでさえ頷いている、だと?!

・・・でもこれ一つ言わせてもらっていいかしら?

 

「私、生贄ですか?」

 

なんか、生徒会室貸し出すから、お昼は二人きりでここで食べてほしいとか書いてあるのですが。名目上は家のようにリラックスしてもらうため、とあるけど。隔離をお望みで?

 

「貴女しかいないの」

 

耐えられる人が、って言うけど残念!私だって耐えられるわけじゃないんだから。

これではまるで生贄の巫女になった気分だ。

生贄を奉げますので怒りを鎮めたまえ~、って?

ほのかちゃんもそれでいいの?視線を向ければ首をぶんぶん振られた。

・・・耐えられないんだって。頑張ろう?きっとそれを乗り越えたら恋が始まるかもしれないよ?その前に心臓が壊れちゃう?私も鋼鉄でできてなんかいないのだけど。耐性があるでしょ!って?・・・まあ、皆より多少は。でもほんとに多少だよ?

 

「ということで頼んだわよ。学校の平和は貴女にかかっているのだから」

 

あれ?勇者になった??

そんなわけで勇者なのか生贄の巫女なのか、私はお兄様を鎮めるため人々の期待を胸に生徒会室を出るのであった。

 

 

――

 

 

・・・なんて、ただ授業に出るだけなのだけど。

教室にほのかちゃん達と戻ると、何か違和感。ちらっと見ては逸らされる。

女子は顔を赤らめて、男子は気まずそうに。

一科生でもチャレンジした人いたのね。森崎くん、君もやられたのか。チャレンジャーだね。

とりあえずお兄様にお昼は二人きりで生徒会室で食べたい旨の連絡を。

エリカちゃん達にも今日は二人で食べると送れば感謝のメールが速攻で返ってきた。これはやったな、エリカちゃん。

 

(でもおかしいな。家でも登校中でも、お兄様そこまで変な行動してた?)

 

確かに、思い返せばこのところお疲れで、変な行動自体はあった。

コーヒー淹れてる横で一緒に並んで立っていたり、ソファで隣に座れば何の脈絡もなく髪に触れてきたり。

だけど皆が言うように口説いてきたりとか、恥ずかしくなるようなこと・・・は言うけど、そこまでおかしかったかと言われれば・・・あれ?

 

(もしかして私マヒしてない・・・?お兄様と距離感間違えてない??)

 

このところ互いが忙しすぎて触れ合う時間が減ったから、その分その時間を大切にしようという気持ちはあった。

そしてお兄様がお疲れなのはよく知っていたので、触れ合いの時間が増えたのも当然だな、と受け入れていた。

 

(・・・とりあえずそのことは圧迫面接を終えるまでは棚上げにしよう)

 

今しなければならない最優先事項はお兄様のストレス軽減だ。

ストレスがお兄様をおかしくしているのだから、それが解決すれば距離感だって元に戻る、はず。

問題は、どうやってそのストレスを無くせるか、である。

もう一度もらった紙を見る。

ここに書かれていることはどれも一般的な対処法。だけどいくつかやっていないものもある。

そんなことを考えていたらあっという間にお昼です。

もちろんしっかり勉強もしていましたよ。疎かにしたら皺寄せが来るからね。

そんな余計な時間は掛けられない。

端末を片付けて立ち上がると、周囲が全く動かない。あれ?皆お昼に行かないの?と思ったら皆の視線の先にはお兄様だ。

 

「兄さん、もしかして迎えに来てくれたの?」

「早く終わって、と言えればいいんだが。二人きりで食べられると思ったら気が逸ってしまってね」

 

待ってられなくて来ちゃったんだって。

そんな、初々しいカップルでも言わないような言葉に、周囲の女の子たちは声なき悲鳴を上げて顔を覆い、男子は足早に教室を後にする。

あーうん、これは何とかせねばならない。

表情は無表情に近いけど、私の目にはちょっと照れているお兄様に見えるので心臓がぎゅっと掴まれた。

私の心臓も危ない。

 

「なら早く行きましょう」

 

ごめんね、この危険物は私の方で回収しておくので皆はゆっくりお昼を楽しんでおくれ。

少しでも早歩きでこの場を離れよう、とお兄様の手を引けばちょっと目を見開いて、

 

「深雪に手を引かれるのは新鮮だ」

「いつもは兄さんが引いてくれるものね」

「そんなに急いでいるなら俺が運ぼうか?」

「そうしたら一緒に歩けないでしょう」

 

一緒に、を強調すればお兄様はそうか、と微笑む。

・・・流石に何度も校内を抱っこで運ばれたくないです。

こう見てるとお兄様、ご機嫌なんだけどね。この行動がストレスから来てるなんて思いもしないだろう。

到着して誰もいない生徒会室に入り、机に寄らずすぐに注文画面を開く。

 

「今日は何を注文しますか?」

「そうだな、深雪はどれがいい?」

 

うーん、近いですお兄様。何故背後から囲うようにパネルの端を両手で押さえてるんですか?身動きが取れないのですが。

これは壁ドン床ドンの亜種ですか?距離感バグってますね。

ときめきよりも逃げ場がない恐怖のドキドキ感。

でもそんなこと悟らせないよう淑女の仮面をばっちり被る。

・・・今のお兄様には一分の隙も見せられないから。

 

「魚にします」

「なら俺は精進にしようか」

 

あら珍しい。お肉じゃない。

言われた通り注文をして腕をぽんぽん叩く。すると改札機のように腕が下りて外れました。そのあと流れで一緒にお茶を用意しに。

 

「座ってお待ちいただいてもいいのですよ?」

「二人しかいないのだから一人だけ動くのもおかしいだろう。一緒にやった方が早い」

 

いえ、この場合二人の方が時間かかるのだけど・・・一緒にしたいのね。

困ったね。親鳥についてくるひよこみたい。可愛い。お兄様が可愛く見える。

 

「ではこちらを」

 

お兄様の分のコップを手渡して、二人して席に戻る。

ほどなくしてお弁当も届いたので食べ始めるのだけど。

 

「それで、深雪は何を頼まれたんだい?」

「お気づきでしたか」

 

急にここで二人で食べることの理由を察知されていた。

しかし、どう説明すればいいのか。

お兄様が無差別に口説くので周りが困ってます?思春期男子が、お兄様の手腕に自信喪失しています?

・・・本人にその気がないからなぁ。なんて言おうか。

 

「そんなに困りごとなのか?」

「困りごと、うぅん、どうなんでしょう。多分風邪みたいなものでしょうし」

「風邪?」

「流行病と言いますか。――昨日やたらと人に話しかけられませんでしたか?」

 

その質問に心当たりがあったお兄様は少し眉間に皺を寄せた。

 

「あったな。初めて話すような人もいた」

「どんな話をしたか覚えてます?」

「・・・覚えてはいるが、実のない話ばかりだったぞ。髪型を変えようかと思う、と聞かされてどうしろと?とは思ったが」

 

適当に返したそうだけど、その適当が問題なことにお兄様は気付かない。

 

「その返答が面白かったみたいですね。一種のゲームのようにお兄様の元へ押し寄せたようですよ」

「娯楽扱いされてたのか・・・。そんな面白みのある答えなんてした覚えないんだがな。さっきの答えも、今のままでも十分似合うと思うが、切っても似合うだろう、とどっちつかずの無難な答えだった」

 

それは確かに無難な答えですね。この質問って髪形だけでなく服やバッグでもあるけど女子は基本どっちかを選んでほしいわけじゃないから。

どちらか一方を選んでも納得しない質問に、見事的確最短の回答を導き出した形だ。

だけどそれを、今のお兄様語に変換すると、

 

――「今のままでも素敵だと思いますが、貴女なら短くても十分魅力的だと思いますよ」

 

くらい言ったのではないだろうか。・・・有り得る。

それは勘違いも起きるだろう。そして聞いていた男子たちが打ちひしがれるまでがセットだ。

 

「それでお疲れなのですね、お兄様」

「別に何があったわけでもないから深雪には話してなかったのだが、まさかお前にまでこの話が行くとはな」

「お兄様にはただの日常的なことだったかもしれませんが、校内では結構な騒ぎだそうですよ」

「日常的ではなく、些事だと思っただけなんだが」

 

お兄様、害がなければ気にしないからね。

でもストレスは感じないわけでもない。知らない人たちからよくわからない声掛けをされるわけだから。

そのまま無視してもいいのだけど、学校生活で波風を立てないために対応したんだろう。

だから一層ストレスが蓄積された、と。

 

「それで風紀委員と生徒会の皆さんからお願いされまして。お兄様を休ませてあげて欲しい、と」

「・・・?ちょっと意味が解らないんだが、どういうことだ?」

「責任を感じているみたいですよ。お兄様にいろいろ任せすぎて疲れているんじゃないかって。論文コンペもそうですが、九校戦には予定にない試合にまで選手として出場させましたからね」

「・・・九校戦に関しては、もう三か月も前の話だろうに」

「でもお疲れだろう、と。私もそう思います」

 

そう言い切ってお兄様に体を向き直る。

 

「そういうわけで生徒会をお休みするよう言われております。お兄様、放課後私とお家デートしませんか?」

 

 

――

 

 

兄妹でお家デート、とは?

お兄様も流石に驚きで目を丸くしてましたが、すぐに笑顔になって了承してくれました。

結構支離滅裂だったはずなんですが、なにも指摘されず。それが逆に怖い。

でもリストに書いてあることって家でできる簡単なこと、が主だったからいいかなって。

リラックスするんだからお家でするものが大半でした。

夏休みに誘われたデートの仕返し、じゃないけれど、いつか私からも言ってみようと思ってたからいいんですけどね。お兄様驚かすのは大成功!

そんなこんなで放課後。

生徒会のお仕事を休んで二人きりで帰宅。こんなの入学したばかりの時以来だ。

エリカちゃんたちは部活。ほのかちゃんは生徒会のお仕事。

・・・よくお兄様ラブなほのかちゃんが納得したな、と思うのだけど、それだけこの異常事態を早く何とかしたかったんだね。

いったいお兄様は何を言ったんですかね?

思い出しただけで真っ赤になって雫ちゃんに支えられてた。

恋する乙女には刺激が強すぎた模様。

そんなことでは日常生活耐えられないよ?学校では抑えられているけれど、お兄様は妹相手にも褒め殺しをしてきますから。

恋人になんてなった日には毎日あまぁい言葉を掛けられ続けるんじゃないかな。

ほのかちゃんもそうだけど七草先輩も耐性のレベル上げ頑張って!

 

「こうして二人だけで帰るのも久しぶりか」

「皆で帰るのが当たり前になっていたからね」

 

放課後、駅までの帰り道。

同じく下校途中の生徒たちからの視線を感じるけれど被弾するのが嫌ならば逃げてねー。

このお兄様は弾薬をまだたくさん抱え込んでますので。

 

「深雪を独り占めできるのはいいな」

「そんなこと言って。家ではいつも独り占めでしょう?」

「うん。それでも嬉しいのさ」

 

するりと私の髪を撫でつけ、ひと房持ち上げると口元へ運ぶ。

 

「今この瞬間のお前を独り占めできるのが俺だけなのだと、それが重要なんだ」

 

うんうん、こいつぁやべぇ。うっかり前世の語録が顔を出すレベル。

周囲?被弾して人っ子一人いなくなったよ。

一撃必殺。

そしてキャビネットからコミューターで二人きりになると、いつもより密着して座る。

 

「お兄様?」

「デートだろう?」

 

おっと、すでに始まってたのね。

正気に戻った時、この間のゾンビよりひどくなりそうだな、と思いながらも、その前に私が生きていられるかが心配になった。

握られた手は恋人つなぎだし、お兄様はいつにも増して輝いた笑顔だ。

ちょっと年相応というのか、ともすれば幼ささえ感じられて、先ほどから胸は高鳴りっぱなし。どうしよう。やっぱりお兄様より先に倒れそう。

 

「緊張しているね」

 

くすくすと、指に絡めた髪をくるんと巻き付けながら笑われているけれど、残念!お色気溢れるお兄様です。

揶揄いが、揶揄いモードがよかった!

 

「・・・近いんですもの」

「ハグをするよりは遠いよ」

 

それはそうなんだけど、それとこれとは別じゃないでしょうか。

 

「お兄様は誰にでもこのようなことをなさるのですか?」

「そんなわけがないだろう」

 

お前にだけだ、なんて軟派な男が言う常套句なんですけどね。

 

「そんなことを言って。学校では皆を困らせたのでしょう?」

 

するとお兄様は心外だ、とばかりに否定する。

 

「ありえない。愛を囁くのも、こうして触れるのもお前だけだ」

 

頬を撫で、二人きりだというのに耳元で直接吹き込むように囁く。

 

(・・・・・・・・・はっ。今魂がどっか行ってた)

 

危ない。戻れなくなるところだった。

夏のあの時のように失神するかと。

ちょっとお兄様、発言がどんどん夜のお店で疲れ切ったお姉さま方を癒す職業の方のようになってますよ。

私が寝ている時お仕事に行ってたりします?貢がれてません?私も貢がないと。お高いボトルを注文すればいいんでしたっけ?

 

「深雪?」

「・・・お兄様の発言は刺激が強すぎます」

 

混乱した頭で非難を込めて言えば、お兄様は少しだけ色気を引っ込めてくれた。少しだけど。

 

「すまない、舞い上がっているようだ。最近互いに忙しかったからな」

 

どう舞い上がったら妹相手に口説き文句を連射するというのか。

でもお兄様も自身の疲れを認識していたようだ。

 

「私はお兄様ほど忙しくはありませんよ」

「そうか?遅くまで部屋に明かりがついているだろう」

 

夜なべして服作ってましたからね。でももうほとんど出来上がったので、私が夜更かしすることはもうない。

 

「心配かけてごめんなさい。それはもう昨日でほとんど終わったので、今夜はぐっすり眠れると思います」

「そうなのかい?」

 

触れたままの手が、親指が目の下を撫でる。

隈は無いはずだけど、疲れているように見えていたのだろうか。

 

「ええ。私のことよりお兄様はどうなのです?先ほどの話では私よりも遅い時間に寝ているのでしょう?」

 

遅くまで明かりがついていることを知っているということはそれより遅い時間に眠られているということに他ならない。

その上私と同じくらいには起きているのだから、睡眠時間がより短いはず。

けれど日常でお兄様があくびをしているのを見たことがない。というより非日常でも見たことが無い。

・・・そもそもお兄様ってあくびするのかな。ちょっと見てみたい。

 

「・・・お兄様は、私の前でもあまり気を緩ませてはくれないのですよね」

「ん?どうした、突然」

「いえ、ふと気づいたのです。お兄様が私の前でだらけた格好をして見せたり、あくびをしたりと、気の抜けた姿を見たことがないなと」

 

いつもきっちりしているお兄様。

もしかしなくてもそれは、四葉での教育の影響かもしれないけれど。

 

「わがままかもしれないですけれど、お兄様のリラックスした姿を見てみたいです」

 

家でくらい、気を抜いてもらいたい。なんて、常に私を守ってくれているお兄様に言える立場ではないのだけど。

そうお兄様を見上げて言えば、お兄様はちょっと困った顔をしていた。

 

「・・・自分ではリラックスしているつもりなんだが」

「ですが、いつだって背筋は伸びてますし、常にかっこいいお兄様しか見たことがありません」

 

時折可愛いお兄様を見ることもあるけれど、そんなものは本当に稀だ。

 

「――それならきっと、俺は無意識に、深雪にはかっこいい兄を見せたいのだろうな」

「え・・・?」

「俺だってあくびくらいするさ。だが、言われて見れば、深雪の前でしたことはなかったかもしれないね」

 

お兄様も今気が付いた、らしい。

けど、その気持ちはわかる。私もお兄様の前では、部屋でしていることなんてできないからね。恥ずかしすぎて悶える姿とか、ぬいに着せる服を着せて愛でてる姿とか。・・・見せられるわけがない。

 

「お兄様は何をしていても、素敵なお兄様です。あくびを見たとして、気を許してくれているんだと、嬉しく思うこそすれ、かっこ悪いななんて思うことはございません」

 

ドンドン素のお兄様を見せていただきたい!そう熱望するけれど、お兄様は浮かない表情だ。

やっぱり難しいのかな。・・・あまり気が抜けすぎると支障が出たり、とか。

 

「・・・深雪を喜ばせてやりたいが、難しいな」

 

そうだよね。お兄様にはお兄様の立場があるもの。

そして私にだって、弁えなければならない立場がある。

 

「ご無理を言って申し訳ありません」

 

そう頭を下げようとしたのだけれど、頬に添えられていた手がするりと顎に回り、止められるどころか上向きにされてしまう。

途端に見えるお兄様の切なそうな顔に、胸が苦しい悲鳴を上げた。

 

「深雪が謝ることじゃない。俺のちっぽけなプライドのせいだから。・・・情けない姿ならこの前も晒してしまったからな」

「・・・ありましたか?そんなこと」

 

情けないお兄様なんて見た記憶がない。

目を開閉させてお兄様を見つめると、お兄様は観念したように口を開いた。

 

「ハロウィンの、帰宅直後に」

 

ああ~、あれか。あのお兄様が私を抱きかかえたまま寝ようとした、あの件ですね。

今でも思い出すと頭が痛くなるのか、顎から手が外れ、自身の頭を押さえている。

だけどあれって情けない姿?おかしな姿だと思うけど、私の想像する情けない姿ではない。

 

「その、覚えてはおりますが、あれは情けない姿なのですか?」

「・・・・・・藤林さんに嫉妬した、なんて情けないにもほどがあるだろう」

「・・・・・・はい?」

 

・・・え?どういうこと?お兄様が、嫉妬??

そしてお兄様は私の反応に、しまったなと苦い顔。

 

「・・・気づいてなかったのか。余計なことを言ったな」

「お兄様が、嫉妬を?しかもお相手が藤林さんなのですか?」

 

どうしよう。頭の中がぐるぐると未知の言葉が回ってます。

ちょっと頭を整理しましょう。

あの日、お兄様が帰ってきて、新妻風にお出迎えして、ハグをして。

甘い匂いがするというお兄様に、いつか藤林さんをお呼びした際のためのフルーツカッティングの練習をしていた、と伝えて――あ。

 

――「今日は俺と二人でハロウィンだろう?」

 

(つまりお兄様は、藤林さんのためにりんごを切っていたのが・・・面白くなかった?)

 

「子供っぽいだろう、母さんの時みたいで」

 

ああ、そうだ。なんとなく懐かしい気持ちになったのは昨年までのお兄様を彷彿とさせたからか。

お兄様はよく母に、お母様に嫉妬というか、お遊びでよく取り合いのような態度を取っていたものだ。間に私を挟むことでじゃれ合う二人独特のコミュニケーションの取り方だった。

 

「お母様と藤林さんでは、立場も何も違うでしょうに。お兄様が嫉妬することなど何もないでしょう?」

「そうでもないさ。深雪の憧れる、尊敬する大人の女性だろう」

 

う、好みがばれてる・・・。確かに弱いですね、大人の女性にも。

でも。

 

「お兄様だって私には尊敬の対象ですよ」

「――母さんのような美人にも弱い」

 

ううっ、なんか、ここぞとばかりに責められてる!?好きですけども!

 

「あと、可愛いものに目がない」

 

・・・かなりのウィークポイントです、はい。

 

「・・・いつか俺に目が向かなくなるんじゃないかって不安になる」

「それはないですよ、お兄様」

 

さっきから弱い所ばかり責められてるな、と思ったけどお兄様は気付いていないのか。お兄様は自身に向けられる感情に鈍いというか、自己肯定感はとびきり低いから。

一番の弱点を知られても困るのだけど・・・でも不安にさせたいわけではないから。私の羞恥心くらい、お兄様の為ならば我慢しようではないか。

後のことは考えない。今、お兄様の心を晴らさずにいることの方が問題だから。

 

「お兄様に目が向かなくなることなんて絶対にありえませんよ。

先ほども申しましたが、お兄様は尊敬してやまない存在です。お兄様の凄さは私が一番、知っているつもりです」

 

専門的な知識はないので、真に理解できてはいないけれど、誰よりも間近で見てきた。

どれほど逆境が向かってきても前に進む姿を見てきた。

尊敬しないわけがない。お兄様ほど頑張ってきた人を、敬愛しない理由がない。

 

「お母様のような美人に弱い、というのも正しいですが、その美しいお母様の表情を思い出す時、私はお兄様を見て思い出す時が多いのですよ。顔の造形は似ていないかもしれませんが、お二人のシンクロした表情をどれだけ見たと思います?特に、二人が仕方ない、と笑ってくれた時の顔は、瓜二つです」

 

とても好きな顔だった。愛されていると思える瞬間だった。

どんな馬鹿なことをしても、受け入れてくれる二人の許してくれる表情が、大好きだった。

 

「それに、私にはお兄様は十分美しいのです。この瞳も、いろんな色を映して変化する様は宝石のよう。冷たい輝きから陽だまりのように温かな輝きまで、私はいつも見惚れてしまいます。あと・・・以前にも申しましたが、お兄様の鍛え抜かれた肉体は芸術作品のようで・・・、はしたないですが、目が離せなくなってしまうのです」

 

(・・・流石に、かなり恥ずかしい告白だけど、これもお兄様の不安を払拭するため!――だけど思っていた以上に恥ずかしい!!)

 

特にあの夏を思い出すと、顔が熱くなる。

まさかお兄様の体に見蕩れてぶっ倒れるとかどこの変態です?恥ずか死ぬかと思った。

 

「そして可愛いものに目がないのは事実ですが、その・・・時折見せてくれるお兄様の可愛い姿に、私は胸が締め付けられるほどときめいています。いつも隠すのに必死なのですよ?お兄様の言うように、私はわかりやすいですから」

 

お兄様の年相応の表情なんて見た日にはもうね、キュンキュンして苦しいほどだった。たまに甘えてくれる時なんて、某動物王国の名物おじさんのように撫でまわしたくなるけれど、それをしたらいけないことくらいわかっています。

淑女は慎みを。――って、この告白って慎み全くもってないね。顔も赤いと思うし、感情を隠せてない。

途中から恥ずかしすぎてお兄様を全く見れてない。

・・・どうしよう、沈黙が・・・辛い。

今もなお繋がったままの手が汗ばんでる気がして離したいけれど、このタイミングで外したら拒んでるようにならない?

 

「・・・・・・とりあえず、俺は脱げばいいか?」

「やめてください死んでしまいます!!」

 

何がどうしてその結論に至ったのですお兄様!!

耐え切れなくて手を外して両手で顔を覆った。

 

「すまない。混乱した」

 

でしょうねぇ!お兄様が壊れたかと思った。

もしかしなくても私が最大のストレスを与えたのかと。

 

(うわあああ。心臓が、バクバクで、口から飛び出そうっ・・・)

 

想像したわけじゃない!そんなはしたないことしてないけど、お兄様の発言だけで胸が、苦しい!!

コミューターが止まった。家に着いたのだ。

・・・よりによってこのタイミングで?神様に恨まれてます?・・・恨まれることはしたな。でもこんな罰ってないと思うの・・・。

 

「あー、深雪?悪かった」

「・・・いいえ、お兄様は何も悪くありません」

 

お兄様の発言がトドメだったとはいえ、告白したのは自分だ。

それにお兄様はお疲れなのだ。思考が鈍っていて受け答えがおかしくともお兄様に非があるわけがない。

ゆっくり降りてお兄様と家に入る。

この状況でハグはなかったが、互いにただいまの挨拶だけはした。

 

「・・・それで、どうする?このまま続けるのか?」

「あ・・」

 

最後の爆弾ですっかり記憶が無くなっていたけど、そうだ。元々はお家デート、という名のリラクゼーションが目的だった。

 

「お兄様がよろしければ続けたいと思うのですが」

「そうか。なら着替え終わったらリビングでいいか?」

「はい」

 

 

――

 

 

部屋に戻って制服を脱ぎ、いの一番にベッドに飛び込んで、1バタバタ。

ここで少しでも発散しないとやばいので。

でも1バタバタで済ましたのは時間がないから。

急遽決まったお家デート。服はどうしよう?いつもの服でもいいのだけど、テーマがあるわけだし・・・。

この後予定としては映画を見て、音楽聞いて、お兄様の好きなものの話とかして。なのでいつもの服だとかっちりしすぎている気がするのだ。

時期は秋。肌寒いといってもセーターを着るにはまだ早く、でも肌を見せるような恰好は寒く映るだろう。

スポーティー?はお寺に向かう時の服装を連想させるから向かないし、オーバーサイズシャツ?・・・お兄様相手にそれはちょっと狙いすぎてはいないかな。というかそもそも持ってない。オーバーのトレーナーならあるけれど・・・これにする?

と、手に取ったところで、その下にあるものが目に入った。

 

(あ~、お兄様がいない時に着てるルームウェアねぇ。触り心地抜群で可愛いけど・・・これもある意味狙いすぎ??でも可愛さはこれがダントツなのよね)

 

ふわふわでもこもこ。どこか羊を思わせる可愛らしいルームウェアだ。短パンなのもいい。すらりと伸びた足がエロい。いかにも食べてと言わんばかりの・・・

いやいや、何を考えているんだ私は。入学前のアレの二の舞をするんじゃない。

鉄板のキャミソールの上にカーディガンで、下はロングのギャザースカート。これでいこう。

・・・危ない。私の趣味で、またお兄様の不興を買うところだった。

でも胸元のレースもアウト判定になったりする?いつもは重ね着するからここまで大胆に開けないのだけど、カーディガン羽織ってるしセーフ、よね。

時間もないし、と着替えてリビングへ。すでにお兄様はソファで端末を操作していた。

 

「お待たせしました」

「いや、待ってなど――」

 

恐らく「いない」、と続く予定だったのだろうが、お兄様は振り向いたまま止まってしまった。

正確には私の服装を見て、だと思う。視線的に。・・・やっぱりおかしかっただろうか。

 

「あ、の。着替えてきましょうか」

「そのままでいい」

 

しょうか、というより早く、お兄様はかぶせてきた。着替えなくていいそうです。

すっと立ち上がったお兄様は、端末をソファに放り投げ、私の前に立つとてっぺんからつま先まで見つめると、自身の顎に指を掛けた。

 

「しまったな。こんな事なら俺ももう少し気合を入れるべきだったか」

「いいえ、今日の目的はリラックスですので気合はちょっと。それにお兄様は十二分に素敵です」

「可愛いね。うん、どれも見たことのある服なのにコーディネートを変えるだけでこうも雰囲気が変わるのか」

 

流石お兄様。そこに気付きますか。

 

「肌寒くはないかい?」

 

首元がいつもに比べて開放的な格好ですからね。お兄様的に気になりましたか。ですがここはお家ですから。

 

「寒ければブランケットがありますから大丈夫です。その、お気に召していただけましたか?」

「可愛すぎる深雪を外に出さないで独り占めしていいのか。家でデートと聞いた時は何をするのかと思ったが、こんな楽しみがあったとは」

「わ、お兄様!」

 

長い腕が体に巻き付いたと思った途端、ふわりと抱き上げられ、くるりと回るとソファの上へそっと下ろされた。

隣に腰を下ろされ、頬を両の手で包み込まれる。

 

「うん、いいね。そのリップも自然でいい」

 

お色気モードリターンズ!もう帰ったはずじゃなかったの?!あの、頬が熱いです。

っていうかよく気づくね本当に。ナチュラルメイクまでしてしまうと気合が入りすぎにも見えてしまうかな、と淡い色のリップだけ引いたのに。ピンポイントで当てますか。

こちらが驚いていることに、笑みを深くするお兄様。こういう、追い詰めるところがSって言われるんですからね。

 

「それで、これだけでも俺は十分に楽しいんだが、何をすればいいんだ?」

「映画を見ようと思います。一つは私がセレクトしますので、もう一つはお兄様が選んでくださると」

 

そう言って端末を差し出しラインナップをお兄様に見せると・・・お兄様指の動き早いですね。それで選べてます?

 

「深雪はもう決めているのかい?」

「ドキュメンタリーです」

 

映画を見ると決めてからピックアップしていた。時代は変わっても、世界は変わってもその可愛さと人気は変わらない、猫ちゃんである。世界の猫ちゃんを、猫ちゃん専属カメラマンが自然体の姿を映すドキュメント。

お兄様犬派だったらどうしよう?犬の映画も大好きだけど、あちらは感動モノだったり悲しい結末だったりが多いので今回は除外したのだけど・・・その時はその時だね。

 

「ゆっくりお選びくださいませ。飲み物と軽食を用意しますので」

 

立ち上がって飲み物を。アイスコーヒーがいいかしら?それとも炭酸系というのもアリかな。ジンジャーシロップも作ってあるからジンジャエールなら作れる。ハニーレモンもあるからレモンスカッシュもありだ。

ポップコーンは用意が無いので作れないけど、フレンチフライみたいな油物の方が合うかも。

揚げ物はHARに任せてドリンクを用意。血流をよくするならジンジャエールかな。お兄様は辛口で、私の分はハニー多めで。

出来立てのいい香りに、つまみ食いしたい気持ちを我慢してお盆に乗せて運ぶと、お兄様はまだ画面とにらめっこしていた。

意外だ。大抵のことはスパッと決めてしまうのに。

 

「候補は絞れましたか?」

「こういったシチュエーションで見る定番はホラーか恋愛ものらしい」

「恋愛ものでお願いします!」

 

そうだった。お兄様は悩んでいたのではない。調べていたのだ。お家デートなんて未知のモノがどういうものなのかと。

そうだね、定番だよ。ホラーなんてカップルが引っ付くのにおあつらえ向きだもの。

暗い部屋で二人きりで見たら雰囲気倍増で、お兄様に終始しがみついてしまうこと間違いなし。よくない。そんなものを見ては休めないですよお兄様。

 

「深雪はホラーが苦手なのか」

「・・・大抵の女の子は苦手だと思います」

「困ったな。深雪がどんな反応をするのか見たくなってきた」

 

この!ドSお兄様!!そんなに恐れおののく姿が見たいですか!?

 

「冗談だ。今日の目的は深雪を怖がらせることではないからね。またの機会にしよう」

 

・・・あ、これ第二弾確定ですね?ホラー映画見る気満々だ・・・。ジャパニーズホラーは嫌だなぁ。あのねっとりした湿気ある恐怖って言うのかな?苦手なんだよ・・・。まだ洋画のびっくりさせる系の方がマシ、ではあるんだけど、あっちはあっちでお色気が入ってたりするからお兄様とみるのは気まずいような・・・。この時代のは違うのかな。

ということで恋愛モノを見ることになった。

ド定番ではあるけれど兄妹で見るものかな?感動系の王道ストーリーとあるのでハンカチタオルを準備。お兄様はいらないそうです。

カップルシートよろしく、密着するほど近い距離で座っているが、肩を抱かれたり、腰を引き寄せられていないので密着はしていない。

部屋の明かりをシアターモードの薄暗いものに落としていざ観賞。

物語は結婚間近の恋人たちが事故に遭い、スポーツ選手の彼を庇った彼女が頭を激しく打ち、重傷の上記憶を失うところから始まる。

幸せが一転、どん底にまで落ち、彼の成績も振るわず解雇寸前まで行くが、仲間たちから彼女の怪我を無駄にするなと諭され奮起。復活を果たし、彼女の病室へ行くが彼女は記憶が戻らず他人の距離。だが諦めきれない彼は、過去のことを一旦封印し、これから関係を築けばいいと一念発起。見事彼女を振り向かせ、新たな生活を始めた頃、ふと記憶を取り戻しハッピーエンドのエンドロール。

王道だ。これ以上ないテンプレだけど、テンプレに外れ無し。

思い出せなくてもいいけれど、やっぱり思い出してほしいもんね。

ほう、と息をついているとお兄様の手が頬に当てられ、目の下を撫でられる。

 

「もう濡れてませんよ」

「上映中に触れると邪魔になるから我慢したんだ」

 

だから今、触れるのだと。・・・拭うものありませんよ?っていうか泣いてるの、気づかれてたのね。

横から視線は感じなかったと思うのだけど、音かな。鼻は啜ってなかったはず。涙がそこに到達する前にタオルに吸い取ってもらったからね。気づいた瞬間なるべく速攻で抑えたからね!

 

「どうでしたか?」

「よかったんじゃないか」

 

うーん、付き合いで見た、って感じですね。特になにもってところかな。

お兄様元々、物語とかで感情が動きにくいですからね。

そう考えると映画鑑賞自体失敗?と思うかもしれないが、目的は映画を見る、じゃなくて仕事のこととか作業のこととかを考えない無為な時間を過ごすことなので。

部屋を明るくして、飲み物を一口。冷めたフレンチフライも美味しい。

 

「休憩挟みます?」

「このまま続けて一気に見てしまおう」

 

そういうことなので今度は部屋を明るくしたまま鑑賞。動物ものに没入感はいらないので。

そして始まった猫ちゃんの猫ちゃんによる自然体の生活風景。

 

(あああ~かわいい~。美しい。美人さん。あ、あくび。きゃわわ。うーん、人に撫でられてもつれない姿。たまらないね。ああでも、撫でてもいいのよっていう懐の深いにゃんこ様も尊い。すき。ここには好きしかない。かわいい。すき)

 

パラダイスだった。語彙力なんて猫を前にして残るはずがない。

途中ハラハラする場面があったりしたけれど、ここは猫を中心に回っている世界。人間も優しい。困った猫を手助けするなんて当たり前の世界だった。

よかったよー。川に落ちた子猫救出出来て。子猫は好奇心旺盛だし周りが見えてないからね。危ないことも平気でしてしまうから目を離しちゃいけないのですよ、母猫さん。気を付けて。

そしてエンドロール。やばい。泣く場面なんてないのに涙が。ただ子猫たちが草むらで戯れてるだけなのにね。尊いものを見ると涙って自然に流れちゃうものだから。

 

「可愛かったですね」

「ああ」

 

お兄様を見れば、おお!慈愛に満ちた笑みを湛えております。お兄様にもお分かりになりましたか、お猫様の尊さが。

 

「抱きしめていいか?」

 

本物は抱きしめられないですからね、私が代理でいいのかわからないけれど、精いっぱい務めさせていただきましょう。

 

「どうぞ」

 

そっと抱きすくめてから、頭を撫でられ、髪を撫でつけられる。

 

「ふふ、くすぐったいです」

「そうか」

 

もぞりと動く私に、お兄様は宥めるようにぽんぽんと背を叩く。

まるで映画の中の子猫と母猫のよう。

 

「子猫になった気分です」

「そうだな。目が離せないという意味では、俺にとっては子猫みたいなものかもしれないな」

「まあ。私はあそこまで好奇心旺盛ではないですよ」

「そうかな?いろんなものに目移りするところなんてそっくりだ」

「ならお兄様は母猫ですか?」

「俺が母猫なら常に首根っこを掴んで離さないだろうな」

 

過保護ですね。

 

「それじゃいつまでたっても成長できないですよ」

「いつまでも俺の元に居ればいい」

 

・・・ちょっと、離れましょうかねお兄様。耳元で囁かないでほしい。その低音ヴォイスは心臓に悪い。

さっきまでほのぼのな雰囲気だったのに、セリフと声で一変してしまった。

 

「もう、お兄様ったら」

 

冗談もそれくらいにしてほしい。と、ゆるい拘束から体を離し、水分補給のジンジャエールを。うん、甘い。下の方にハニーが固まってしまっていた。

 

「甘すぎたならこっちを飲むか?」

 

差し出したのは自分の分。せっかくの好意を拒否するのもあれなので、ちょっとだけいただく。ストローだから間接キスなどにはならない。自分の分のストローを差して飲ませてもらう。

すっきり。でもちょっと辛い。

 

「俺にはちょうどいいんだがな」

 

それは何よりです。お兄様のお口に合えば作った甲斐もあったというもの。

 

「少しはリラックスできました?」

「ああ。よく深雪が可愛いものは癒しと言うが、本当だな」

 

可愛かった、と反芻するお兄様。お兄様もお猫様の魅力を満喫できた模様。

 

「また今度一緒に見ようか」

「はい!」

 

よかった。お兄様のストレス軽減にアニマルは効く!これで今後の対策は立てやすいね。

猫だけじゃなく、今度は別の動物ものも見てみようか。

 

 

――

 

 

「次は好きな音楽を聴く、というリラックス法みたいですが、お兄様は好きな音楽とかございますか?」

「音楽はほとんど聞かないからな」

 

そうですよね。私もあまり現代の音楽を聴かないけれど、学校で話題になるものくらいはチェックしていた。女子の話題には必要ですからね。あとは教養でクラシックくらい。

 

「ああでも」

 

お兄様は腿に肘を置き、拳に顎を乗せる考える人のポーズから顔を上げて。

 

「深雪の鼻歌ならいくらでも聞いてられるな」

「それは・・・音楽としてどうでしょう?」

 

・・・気が抜けるとうっかり自然と出てきてしまうんだよね。あと機嫌がいい時とか。

でもそれを音楽というのはちょっと違うのでは?

 

「メロディがあるのだから音楽だろう。まあメロディが無くとも、お前の声はどんな名器にも劣らない楽器と言っても過言ではないからな」

 

過言も過言、とんでもない大過言ですお兄様。

いや・・・声優さんと思えば過言じゃない??透き通るような綺麗な声ですものね。うんうん、自分の声と思わなければ確かに素晴らしいお声ですけども。

先ほどからお兄様が仰ぐように下からこちらを見つめるから、ドッキドキで思考が纏まらない。もうちょっとその、期待する目を弛めていただけないものかしら。

 

「それで、聞かせてくれるのかい?」

「・・・鼻歌は歌おうと思って歌ったものではないですから」

 

その時々に出てしまうだけだから、何を歌っていたかも覚えていない。しかも前世の曲が多かったと思う。猶更歌うに歌えない。

 

「無理に聞き出すものではないからね。いいよ。無理に歌うことはない」

 

う・・・。こういう時、甘やかされているな、と実感する。

お兄様は自分の都合より私に合わせてくれるから。嬉しいけれど、我慢させてるようでいたたまれない。

 

(きょ、今日くらい、私が恥ずかしいのを我慢すればいいじゃない)

 

とても、とてつもなく恥ずかしいけれど。お兄様のリクエストを叶えなくて何がブラコンだ(?)。

やって見せようじゃないか、と気合を入れて立ち上がるとソファの背もたれ側に回ってお兄様の後ろに立つ。

何もしないで鼻歌を歌うなんてできないし、顔を見られるのは恥ずかしいので苦肉の策として。

 

「か、肩を揉んでたら自然に出た、体でお願いします・・・」

 

設定が無いと出来ない私を許してほしい。

肩を揉んだり、体に触れることはリラックス効果があるからね、一石二鳥だね!と誰が聞くわけでもないのに内心言い訳をして肩に触れる。

デスクワークをするお兄様だけど、運動、柔軟もきっちりしているので肩が凝って張っているということはない。

私の握力でも揉めるくらいのしなやかな筋肉。

 

「痛くないですか?」

「ん、もう少し強くてもいいくらいだ」

 

これくらい?それくらい。と求められたのはちょっと力を入れたくらいの強さで。

 

「気持ちいいよ」

 

本当かどうかわからないけれど、お兄様の声は優しくて、嬉しさも含んでいることも分かるから良しとする。

お兄様が喜んでくれている、それがすべてだ。

なんだかこれはお家デートなのかただの兄妹の休日なのかわからなくなってきた。

二人きりで家で映画を見る、なんて初めてではあったからいつもの休日とはまた違った過ごし方ではあるのだけど。

それにしてもさっきの映画はよかった。

見るだけで癒される可愛さ。お兄様さえ虜にする愛くるしさ。素晴らしく魅力の詰まったいい作品だった。

あ、それならさっきの映画のメインテーマのインスト曲とかいいかも。初聞きだけど耳に残るメロディだったのよね。

さっそくハミングしてみるとお兄様はすぐに気づいたらしい。

 

「さっきの映画、相当気に入ったんだな」

「ええ。とても可愛らしかったです。お兄様はいかがでした?」

「俺も気に入ったよ。だが外では見られないな」

 

あら、もしやお兄様相好が崩れるほどでしたか?それはちょっと興味ある。今度観ている間のお兄様もチェックしないと。

 

「映画館は暗いですよ?」

 

それに一般的な席ならば没入できるよう一人用の席になっていて、隣と距離がある。周囲の目など気にすることなく映画鑑賞ができるのだ。

 

「誰かに見られる危険はない方がいい」

 

危険・・・。まあお兄様のイメージが崩れる危険はあるのかな?むしろギャップがあっていいと思うのだけど。見てないからどうギャップがあるのかわからないが。次回チャレンジだね。

 

 

――

 

 

そのまましばらく肩もみを実行していると玄関にチャイムが。

注文したものが届いたらしい。

 

「美月たちに提案してもらったので、夕食を注文してみました」

 

如何に料理が好きと言っても薬膳には手を出したことはなかった。

材料も揃えるのが大変だし、何より時間がかかる。それならプロの料理を注文した方がいい。

このまま食べられる容器に入っているけれど、見た目が味気ない状態でお兄様に食べさせるなんてできないので器を用意。移し替えて盛り付ける。

 

「癖のある香りだな」

 

開けた途端部屋に香りが広がった。嫌な臭いではないけれど、確かに癖のある香りだ。

薬膳スープと鍋。思ったよりボリュームがある。

食卓に並ぶ普段食べない料理があるとそれだけで家じゃないみたいだ。滅多に使わない柄のランチョンマットも出しちゃおう。あと飲み物はジャスミン茶。淹れたてを瞬間冷却。魔法は本当に便利です。多めに作っておいて残りは冷蔵庫へ。

 

「「いただきます」」

 

レンゲで掬い、スープを口に含むと香りの割に癖はなく、飲みやすい。

野菜もお肉の身もほろほろで、噛む必要がないほどだ。

美味しい。一口、また一口と運んでからお兄様はどうだろう、と見れば淡々と口に運んでいる。んだけど・・・?何かいつもと違う。

 

「お口に合いませんか?」

「いや、そんなことはない。美味いと思うよ」

 

美味しい、という割にあまり嬉しそうな顔ではない、気がする。

じっとお兄様を見てしまったからか、お兄様はちょっと眉を下げて。

 

「美味いんだが、そうだな。深雪の味じゃないなと思うと、それだけで味の感じ方が変わるんだなと」

 

今更ながら気づいた、と複雑なお顔を浮かべられていた。

・・・・・・これはまさか、薬膳マスターになれと、そういうことです?

いえ、お兄様は決してそんなことを言っているわけじゃないことくらいわかるのだけど。ちょっと心がね、心臓がね。

落ち着かなくて。

これって要は美味しいけれど私の作ったものじゃないって理由で好みじゃないってこと、だよね?・・・それはなんて殺し文句なのだろうか。

 

「そのように煽てられては困ってしまいます」

「煽てなんかじゃないさ。美味いと思いこそすれ、喜びはあまり感じられないと実感した。体にはいいのかもしれないが、俺にとって深雪の料理が一番いい」

 

・・・薬膳の勉強組み込もうじゃないの。お兄様の為だもの。

頭がふわふわしてきた。体も熱い。これが薬膳の効果。

席を立って用意していた濡れタオルをお兄様へ手渡す。

見ればお兄様も額にうっすら汗を掻いていた。

乾いたタオルだと水分を吸収するだけで、体温を下げないので、汗を掻いた時は濡れタオル。これは熱中症対策の常識だけど、この場合も有効のはず。

うん、冷たいタオルが気持ちいい。

 

「食べるだけで結構汗を掻くものだな」

「体の芯から温まりますね」

 

上着を脱ぎたくなるほど熱くなってきたけれど、カーディガンを脱いでしまうとキャミソールになってしまう。

お兄様の前でそのような姿にはなれない。・・・ここは我慢だ。

ふうふう言いながら食べ進めてようやく半分に到達。程よい辛味が口を刺激し、ジャスミン茶を流し込めばすっきりする。これを繰り返していたのだけど、そろそろ体の火照りがピークに達しそうだ。拭っても汗が止まらない。

・・・メイクしてなくてよかった。

お兄様はどうだろうと、前を見れば、お兄様はいつの間にかシャツの袖を巻くっていた。

え、お兄様にしては珍しい!というより汗すごいですね。やだ、汗かきながら眉間に皺寄せて食べる姿が悩まし気に映って色気がヤバい。

 

(ちょっと待って!お兄様の黒いインナー判りづらいけど湿ってない?ちょっとコレえっちくない??)

 

あまりの姿に脳内が大混乱で内心がうるさいほど叫んでいる。

ちょっとどころじゃない。顔の周りの髪の毛が汗で湿って張り付いて。開いた首元なんて赤く色づいた肌に垂れる汗が幾筋も流れて・・・お兄様大変えっちぃです。アブないです。危険物です。

もしかしてこの薬膳ヤバいモノでも入っているの!?いや、そんなモノ販売できるわけがないでしょう。しかもここ有名店だし。

 

「深雪?」

「あっ、いえ何でもありません!」

 

速攻否定して俯いたけれど。

 

(あああ、もう何言ってるの!何かあったと自己申告してるようなものじゃない!)

 

誤魔化そうと下を向いてスープを飲み切る。あとは鍋だけだけど、この鍋が一番ヤバい。一口食べるごとに汗が流れる。ジャスミン茶を、と思ったらもうグラスにない。

おかわりは作っているけれど冷蔵庫の中だ。すぐ飲むのだから出しておけばよかった。

後悔しながら「飲み物取ってきますね」と立ち上がる。同時に汗が背中を伝って気持ち悪いけど、お兄様の手前拭うわけにもいかず。

でも濡れタオルを持ちながらキッチンに向かって、見えないように顔と首と鎖骨辺りまで拭う。

カーディガン脱ぎたい。もしくは袖を巻くりたいけどお兄様の前でその、肌を見せるのはね、よくないかなと思うわけで。

やっぱりここは我慢だな、と冷蔵庫の風を浴びながらゆっくりお茶入りボトルを取り出す。風が気持ちいい。

あ、エアコン。送風にすればいいのでは?今更ながらに気付き、スイッチを入れる。

・・・涼しい。なんで思いつかなかったんだろう。

 

「俺もおかわり貰っていいかい?」

「もちろん」

 

お兄様もグラスが空だ。さっきまで3分の1はあったのに。我慢してたのかもしれない。申し訳ない。

グラスに注いで、自分の分も入れて、一口。落ち着いた。

では続きを、と耳に髪を掛けてもう一度鍋の攻略に取り掛かる。

だいぶ冷めて食べやすいはずなのに、体が熱くなる。薬膳、恐るべしだ。美味しいんだけどね。

汗が目に入り、拭うけれどすでに入ってしまったから痛い。目が潤んでしまった。

あと少し、と手を止めず食べ進めば鍋の底がようやく見えてきた。ゴールは近い。

改めてレンゲから手を離し、汗を拭ってラストスパート、と整えていると視界に入るお兄様の器はすでに空。食べ終えていた。

もう少し視点を上げればタオルで顔を覆っている。汗すごかったもんね。運動した後みたいになってる。

見えてないなら、ちょっとはしたないけれど、とキャミソールのレースの部分を摘まんでぱたぱた風を送る。

効果はさほどないけどね。気分です。

最後だ、とレンゲを口に運ぶこと3回。完食です。

思わず息が漏れました。きっと熱い吐息だったことだろう。

 

「ごちそうさまでした・・・」

 

達成感が凄い。

 

「ごちそうさま。――深雪」

「はい」

「先にお風呂に入ってきなさい。そのままでは体を冷やしてしまう」

 

これは問答無用の命令口調。お兄様は、と聞く隙も与えてもらえなかった。

大人しく従います。

 

「湯船にしっかりつかるように」

 

シャワーでざっと済まそうとしたのがばれました。

でもそうするとお兄様の体が冷え切ってしまうような、と思うけど私の意見は聞いてもらえなさそう。

無駄に問答せずお風呂に直行します。その方が早くお兄様が入れますもんね。

 

「ではお先にお湯いただきます」

 

汗を拭いながらお兄様に一礼して足早にお風呂に向かった。

 

 

――

 

 

達也視点

 

 

 

良薬も取り過ぎれば毒となる。

すぎるは何事にも体に良くないというが、本当だったと実感する一日だった。

 

 

――

 

 

深雪からの『お家デート』の誘いは青天の霹靂だった。

生徒会も何を考えているのだか。俺に休暇を、とお目付け役を生徒会の仕事を休ませてまで深雪に押し付けたようだが、深雪の分の仕事はちゃんと片付けてもらえているんだろうか。

もしこんなことで次の日深雪の仕事が増えるようなことがあれば、抗議しに行かねばなるまい。

いや、こんなことを中条先輩が指示するとは思えない。これは前任者も絡んでいるはずだ。

辞めてからも深雪に迷惑を掛けるとは。昨日も変に絡んできていたが、話の途中で真っ赤になってどこかに行ってしまった。怒らせたから深雪を巻き込んだのだとしたらそれは俺にも責任があるのかもしれないが、一体何を話していたんだったか。そんなに変わった会話だった覚えも無いのだが。

・・・しかし深雪の口からデートの誘いが飛び出すとは思わなかった。だが、

 

(『お家デート』とはなんだ?)

 

外でのデートならショッピングやらやることもあるが、家で何をするというのか。よくわからないが深雪には考えがあるらしい。

やる気に満ちた深雪の邪魔はしてはいけないと、言う通りにしようと決めたはいいが、コミューターの中での会話には困った。

情けない姿を見せて欲しい、なんて。無理な話だ。深雪の前ではいつでもしっかりした兄貴でいたいのに。

求められること自体は嬉しいが、その願いを叶えることは難しい。

叶えてやれないと言っても許してくれる深雪に俺はいつも甘えっぱなしだなと思う。

本当に俺は深雪の言うカッコいい兄でいられているだろうか?

夏休みのデートの際、深雪に良い妹でいられているか心配だと言われたが、それこそ俺のセリフだ。

深雪ほどできた妹などいないだろう。

気立てがよく、自分のことは二の次に、いつでも俺や母のことを思って気を配り。

自分に厳しく成績は優秀。習い事も熟し、自分磨きにも余念がないので美しさは天井知らずだ。

もっと自分を甘やかしたとて彼女の素晴らしさは損なわれないと思うのに、一切の妥協をしない。

俺がもっとちゃんとしていれば、深雪は甘えてくれたのではないか――。なんて、考えても仕方のないIFが過る。

例えば俺が、四葉特有の魔法を有していれば。

四葉の直系として相応しいだけの魔法力があれば、――一条将輝のような正統派の次期当主であったなら、深雪は違っていたのだろうか。

 

(くだらない)

 

このIFになんの未来など無いというのに。九校戦でアイツと対峙してから妙にこびりついて離れない思考。

俺でなければもっと、幸せに暮らせたのでは、なんて。

俺が兄でなければ、深雪が苦労することなんて何もなかったのではなんてIFは考えるだけ無駄だというのに。

だがいらぬ苦労をさせているのに、深雪はいつでも俺を受け入れてくれる。

妹として兄を慕ってくれている。

つい先日なんてひどく情けない姿を見せたというのに、一切気にしていなかった。というより気づいていなかったみたいだが。

情けない告白したというのに彼女はそんな俺を――嫉妬し、不安だという俺を、尊敬していると言ってくれる。

正直、その後続けられた言葉はイマイチ消化しきれていないのだが、美しいと、可愛いと言ってくれた。

 

(・・・深雪の感覚はちょっと人とは異なるのかもしれないな。感性が変わっている、というか)

 

身内になると特に甘くなる、ということか。

他の誰かに言われれば馬鹿にしているのか、と思うのに、深雪に言われると不思議と悪い気はしない。

それは俺の唯一残った感情が彼女をそう思わせているのか、深雪だからそう思うのか――。

 

(どちらでもいい。俺が、深雪ならいいのだと、思っているのだから)

 

そのあと俺が言った余計な一言で深雪が顔を覆ってしまう出来事があったが、すまない。俺も混乱していた。

深雪が喜ぶのなら脱ぐか、なんて発想どう考えてもおかしいだろう。

とりあえず家デートはこのまま続行らしい。

顔を赤くしている深雪は大変可愛らしいが、この状態ではハグはしない方がいいのだろう。

少し寂しいが今抱きしめると離し難くなりそうな気もしたので後に回すことにした。

家デートと言われても何をすればいいのかわからないので、着替えてリビング集合かと問えば肯定が返ってきた。

着替えを早く終わらせて家デートとは何か調べてみるか、と部屋に戻っていつも通り適当に服を着替えてリビングに向かう。当然深雪はまだいない。今のうちに、と端末で開いてみると――

 

(映画鑑賞、ゲームをする、本を読む・・・、本を読むならたまにしているが。二人で料理?それも時々手伝わせてもらうからクリアか?模様替え?・・・引っ越したばかりだが、ふむ。気分を変えるにはいい、と)

 

なかなか興味深い、と読んでいるが、下の方へ行くと兄妹でもできないことが増えてくる。

 

(二人だけのファッションショーか。深雪は何を着ても似合うからな。もっといろんな服を贈るか?・・・今からでは間に合わんな。次は――ソファやベッドでいちゃ・・・これはない。次、一緒にお風呂、も無しだ。マッサージをし合う?――ああ、そもそも恋人同士のプランのデートだった)

 

健全なカップルならまあ最終目的はソレになるのは当然か。

前に七草先輩たちもそんな話を深雪に聞かせていた。

あの時は深雪の前でなんて話をするんだと抗議したが、そのあとに続く深雪の冷ややかな発言には若干戸惑ったものだ。

深雪は箱入りのはずなのになぜそういった知識が入る余地があった?複数で、だなんて。本人も後で「はしたない発言でした」と申し訳なさそうに謝られたが、俺としてはその発想はどこから来たのかを知りたかった。・・・聞けるわけがないが。

この家デートも、深雪はどこまで知っているのだろうか。

そんなことを考えていたら、足音が近づいてくる。

検索していた記録ごと消して、別のページを開く。意味もない行動だが、調べていたと思われることが恥ずかしかったとでもいうのだろうか、妙に心が焦った。

「お待たせしました」と現れた深雪にいつも通り返そうとして――言葉を失った。

いつもの深雪は家でもほとんど肌を見せない、品のある、隙のない服を着ていた。

夏場でさえ、首元までしっかり覆うような服が多かった。

けれど今目の前にいるのは、開放的な胸元にレースをあしらったキャミソール、その上に緩めのカーディガン。ギャザーのスカートはいつもより長めだが、裾が揃っていないため動くたびにちらつく白い足に目が引き寄せられる。

どれも見たことのある服であるのにこの組み合わせになると見違えるほど雰囲気が変わる。所謂ラフな恰好、気負っていない風に見えた。

力を抜いた、という風にも捉えられる。

 

(そういえば、家デートにはコレ!とファッションについての記事もあったな。確かカジュアルなものがいいと)

 

確かに、カジュアルだ。品そのものは無くなっていないが、距離を近く感じるというのだろうか。いつもの楚々としている服とは違う魅力がある。

それに、淡い色のリップが本来の素材の良さを引き立たせる。

自然体。相手を緊張させないための恰好なのか。・・・が、先ほど読んだ記事のせいかこういうのが隙というのか、と余計なことまで考えて頭を振って変な思考を振り払う。

失敗した。デートと言うからにはもう少し己の恰好にも意識を向けるべきだったか。そう思ったのに深雪はそのままで十分だと言う。

リラックスするのが目的なのだから今のまま、いつものままでいいのだと。

しかしそれではせっかく雰囲気を作ってくれた深雪に報いていないような気になるのだが。

そんなことを考えて深雪に見蕩れていたからだろうか、彼女は自分の恰好が気になったのか自身の恰好を見直すが、彼女が不安に感じることはない。不安になる箇所なんて一つもない可愛さだ。

だがその晒された首元はいくら家の中でも寒いのではと訊ねれば、ブランケットがあると答えが。

 

(まあ家だしな。・・・いいのか。こんなに可愛い妹を独占していいなんて、外でのデートとは別の喜びがあるな)

 

人の目に晒されることもなく、警戒する必要も無く好きなだけ妹を愛でられるのか。なんとも贅沢な時間だな。

そう気づいたら、彼女の体を抱き上げてソファに座らせ顔をしっかりと眺めていた。化粧をしても美しいが、素のままの彼女も十二分に美しい。うっすら色づく頬や唇、キラキラと輝く瞳から目が離せない。

 

(ああ、可愛い)

 

褒めると予想もしていなかったと言わんばかり驚く表情の後、照れて目を泳がせる瞬間が好きだ。

深雪が褒められるなんて当たり前のはずなのに、新鮮な反応を見せてくれる。

すぐに隠されてしまうが、彼女の素が見られる瞬間でもある。俺相手に取り繕われているわけでは無いのだろうが、深雪は恥ずかしがり屋だから照れる姿を見せることも恥ずかしいのだろう。

だからつい意地悪をしてしまうのだが。

これは悪い癖だな。頻度は気を付けないと。

 

 

――

 

 

さっそく定番の映画を一人一本選んで観ようとなったが、さて、どんなものが深雪は観たいだろうか。

ずらっと並ぶ一覧に目を通すが何がいいかなどわからない。

困ったな、と思ったところで深雪が立ち上がる。映画を見るのだからと飲み物を用意するようだ。基本映画は100分を超える作品が多いからな。

その間に、と家デートの定番映画を検索。ヒットしたのは大ヒット作と恋愛モノ、そしてホラーだそうだ。

大ヒット作、か。これが無難だろうが、魔法師にとってこれ系には当たりはずれがあると聞いたことがある。

知っている理論を当てはめて観てしまうため純粋に楽しめないことがあるそうだ。大半の人間に取って魔法師はまだ未知の存在。魔法は現実に存在しているのに想像で描かれることの方が多い。

どこに集中できなくなるような仕掛けがあるかわからない。なら残る二つか?

別にどれを見ても構わないと思っていたので、ジャンルを決めてもらおうと飲み物と軽食を用意し戻ってきた彼女に質問すれば、即答が返った。

ホラーが苦手だったのか。

大抵の女子は苦手だというが、そういうものか。

正直魔法なんて超常現象はオカルトに分類されるから気にならないかと思っていたのだが。

深雪の表情がその言葉を口にするだけで曇る。・・・そんなに嫌なのか。ちょっと興味があるがまたの機会だな。

今日優先させるのは休むこと。ホラーでは休めないだろうからな。

しかし、兄妹で恋愛モノを見るはどうなんだろう。デートだから気にすることはないのか?気まずくなるようなシーンがあるものは困るので感動、純愛というものをセレクト。人気の話題作らしく、評価も高い。

深雪も初めてらしいが、感動の文字を見ると少し席を外して戻ってきた。ハンカチタオルだ。準備がいい。

俺の分も持ってきてくれたようだが、断った。俺が使うことはないからな。

今やどこの家にもついている照明のモード変更で部屋の明かりを落として上映開始。

――幸せ絶頂だった彼らを様々な困難が立ちふさがり、すべてを失うところで奇跡の復活を果たし、新たな幸せを得る。

安定の王道ストーリーというヤツなのだろう。

深雪は感受性が高く、すぐ物語に入り込んで結構序盤から涙ぐんでいた。

暗かろうが、隣だろうが俺が深雪から目を離すわけもない。だが直に見るのは深雪も困るだろうからなるべく気配を消して、ソファに深く座って斜め後ろから僅かな光に照らされる彼女の顔を観察する。

もう一つの眼は映像として視認することはできないが、情報を読み取り知覚することでどういった状況か理解できる。

特に深雪に関して情報は多く、脳内で補完して視ることも可能なわけで、目で見るのと大差なく把握することが可能となっていた。

あまり自分のことで泣かない子ではあったが、深雪の涙を流すところは何度見ても美しい。感情よりも先にその美に囚われる。

彼女が涙を流す時、零すという表現が似合う泣き方というのか、まず顔が歪むことがない。苦しそうに、辛そうに涙を流すのではなく。溢れた感情ごと零れ落ちるのだ。

今もそう。つぅ、と頬を伝う涙はどれほど悲しみを湛えているのか。すぐに拭われてしまうけれど、今俺が拭ってしまっては映画に集中していないことがばれてしまうし、何より没入している深雪の邪魔はよくない。

深雪の目を潤ませるシーンを見ても、ヒロインが荒れている彼氏に心を痛めている――覚えていないことを苦しいと感じている場面ようだが、深雪にはそれがとても悲しいことに思えているのか。

本当に優しい子だ。こんなにいろんなものに感情移入してしまうなんて。

可愛らしい。喜ぶ顔も、不安な顔も。感動して涙をこぼす顔も。全てが愛おしい。

彼女の表情だけで良い映画だっただろうことがわかる。・・・内容は、まあこんなモノだろう。特に思うことはない。めでたしめでたし、でよかったんじゃないか。

エンドロールも終わったことだし部屋を明るくしてみれば、深雪の頬に涙の痕はない。それが少し残念で未練がましく頬を撫でてしまう。

擽ったそうにはにかむ深雪に先ほどの悲しさなど見当たらない。

可愛らしい反応に嬉しいような、けれど涙を拭えなかったことが残念のような。

複雑だが深雪自身が悲しんでいるわけではないのだからいいかと心を落ち着かせて。

俺のために淹れられたジンジャエールを飲む。刺激ある辛口でポテトに合った。

 

(深雪にはこの辛口は苦手だろうな)

 

きっと自分の分には、はちみつを垂らしているのだろう。ストローを離す口元が緩んでいる。いつもより多めに入れているのかもしれないな。

 

 

 

そして二本目を見始めたのだが、これが可愛すぎた。

何がって、画面に映し出された猫――を愛でる深雪が、だ。

さっきの映画でも表情は豊かだったように思ったが、アレがどれほど控えめだったかがわかる。

今の深雪の表情は緩み切っていた。

雫や母を見る時以上の気の抜けた笑み。目はキラキラと輝き、手で押さえていても隠しきれていない、緩み切った口元。そこから小さく吐息が漏れて聞こえる。明るいので横目で見ても頬が色づいているのがよくわかった。

気を引き締めて、手を固く握りしめていないと深雪に手が伸びそうだった。

深雪も手を開いたり閉じたりしたりしていたから、恐らく撫でたいのだろうな。俺も同じ気持ちだ。対象が違うだけで。

100分を切る映像だが見ごたえは先ほどの映画の比ではない。

途中、子猫が川に落っこちたところなんて息をのんでハラハラとして落ち着きがなく、手を胸の前に組んで見守っていた姿に、抱きしめることを堪えるのがこれほど辛いことなのかと知った。

すぐに子猫は救われたのでそう長い時間ではなかったが、映画が終わると同時に深雪を抱きしめさせてもらう。とんでもない安心感と、幸福感に満たされる。

頭を撫で、その流れで髪を滑る。滑らかな感触と温かさ。

頬に触れ、顎の下にまで指を滑らせれば、

 

「ふふ、くすぐったいです」

 

身じろぎをする深雪に体だけでなく心も擽られるような気分で、心音に合わせて背を叩けばくすくすと笑う。

 

「子猫になった気分です」

 

深雪が子猫、か。先ほどの好奇心で川に落ちてしまう子猫を思い出し、確かに深雪に似ているかもしれないと思い至る。

好奇心が旺盛で、いろんなものに興味を持って手を出しては、周りから可愛がられて。

 

「そうだな。目が離せないという意味では、俺にとっては子猫みたいなものかもしれないな」

「まあ。私はあそこまで好奇心旺盛ではないですよ」

「そうかな?いろんなものに目移りするところなんてそっくりだ」

「ならお兄様は母猫ですか?」

 

俺が母猫?保護者か。確かに心情ならばあの母猫と同じかもしれないが、俺だったなら、映画のように可愛い子猫から一時たりとも目が離せるはずもない。

 

「俺が母猫なら常に首根っこを掴んで離さないだろうな」

 

常に傍に置かなくては不安できっと息もできない。――深雪の魔法、ステンノウィスパーを使っている時のような不安に苛まれるはずだ。存在を感じられても視ることが許されないあの時間が、どれほどの地獄の時間か。普通の視点しか持っていない人間にはとうてい理解できないだろう。

目を離した隙に失われるかもしれない恐怖――。できることなら二度と味わいたくはない。

そうなるくらいならずっと、それこそ本当に掴んで離さないくらいのことはするかもしれない。

 

「それではいつまでたっても成長できないですよ」

「いつまでも俺の元に居ればいい」

 

(いつまでも傍に――。ずっと一緒に居られればいい)

 

無理なことはわかっている。

深雪はいずれ四葉の次期当主となり、血統を残すために誰かと結婚をし、子を作らねばならない。

――それでもいい。彼女を傍で守れるのであれば、どの立場だって構わない。

 

深雪は俺の、唯一だから。

 

 

「もう、お兄様ったら」

 

俯く深雪の髪から覗く耳は桜貝のように色づいていて、恥ずかしがっているようだった。

いつまでも兄の庇護の下では恥ずかしいということだろうか。

そっと体を突き放される。

深雪ももう思春期ということか。無理に拘束しては嫌われてしまうかもしれないと思うと、腕の力はすっと抜けた。

ほっとした様子の深雪に少し寂しさを覚えながら、しかし深雪も成長したんだなと思うと感慨深い。・・・かなり寂しいが。

自身のジンジャエールに口付けてひと心地付こうとしたのだろうが、深雪の表情に少しの翳り。

よく見ればストローの先には澱みが見える。はちみつが下に溜まってしまっていたのだろう、予想外の甘さにびっくりしたというところか。

可愛らしい。俺の子猫の失敗した姿に頬が緩むのを感じた。

あれでは掻き混ぜたところで比率が甘すぎるのかもしれない、と俺の分を差し出すと、深雪は素直に受け取って自分のストローを差して飲む。

が、最後に辛味が到達したのかさっきよりも我慢する顔になった。

 

「俺には丁度いいんだがな」

 

深雪の口にはまだ早かったか、とつい子供扱いしそうになるが、単に好みの味ではないのだろう。

いい加減子ども扱いにも気を付けないと、いつかエリカが言ったみたいにウザがられる時が来そうだ。気をつけねば。

 

 

――

 

 

「少しはリラックスできましたか?」

「ああ。よく深雪が可愛いものは癒しと言うが、本当だな」

 

可愛かった。深雪の可愛さに上限はないのか。天元突破だ。

まだ俺の知らない魅力があったとは、深雪のポテンシャルの高さに驚かされる。本当に興味が尽きない。いくらでも見ていられる。

波打っていた心も穏やかになる、疲れ切って何も感じなくなっていた心が喜ぶ、――これが癒しの力か。

 

「また今度一緒に見ようか」

 

今回だけの一度きりになどさせない、と何度でもあの深雪を愛でていたいという欲を押し隠して訊ねれば、深雪の答えは是。

確約できたことにほっとする。

卑怯でずるい兄貴ですまない、と心の中で詫びるが、もう片方では俺のエレメンタルサイトはこのためにあったのかも知れない、なんて考えているから始末に負えない。

深雪にバレないように、深雪を觀察するためにこの眼を使うなど、その価値を知る人間からすれば無駄遣いかもしれないが、これほど有用で、平和的で、幸福な使い方を俺は知らない。

 

「次は好きな音楽を聴く、というリラックス法みたいですが、お兄様は好きな音楽とかございますか?」

「音楽はほとんど聞かないからな」

 

事実、音楽を掛けて作業などしたこともなければ、巷で流行っているという音楽も情報として聞くこともあるが興味もなかった。

深雪がお稽古事で奏でる音楽ならば――と考えて一つだけ思い当たることがあった。

深雪の鼻歌だ。時折無意識に歌っているようで、それを聞くのが楽しみだった。

何の曲なのかも知らない。歌詞もないただのハミング。時にアップテンポの、時にスローテンポの音楽は俺の心を弾ませた。

淑女教育に厳しかった母も注意ができないでいたな、と記憶も甦る。

しかし深雪には鼻歌は音楽として微妙らしい。アレも立派な音楽だと思うのだが。

許されるなら音源として残したいくらいだ。

 

「メロディがあるのだから音楽だろう。まあメロディが無くとも、お前の声はどんな名器にも劣らない楽器と言っても過言ではないからな」

 

半ば本気で伝えれば、深雪は目を泳がせて俯いてしまう。さらりと流れた黒髪から覗く耳がピンクに染まっていることから照れているのが見て取れる。

俺と違って優秀な深雪はどこでも褒められるのだから慣れているだろうに、俺の一言でこのように照れる姿がまた愛らしい。

抱きしめたくなる衝動を抑えるもの大変だな、と他人事に思いながらリクエストに応えてもらえるか訊ねれば。

 

「・・・鼻歌は歌おうと思って歌ったものではないですから」

 

残念だがやんわりと断られた。

確かに、集中している時や気分が高揚している時に出ているのだから、突然頼まれても難しいのかもしれない。

 

「無理に聞き出すものではないからね。いいよ。無理に歌うことはない」

 

ただ、今度そういう機会に恵まれたら止めないでそのまま聞かせてほしい。

そう願って深雪を見つめれば、深雪はぎゅっと固く目を閉じてから立ち上がった。

何か始まるらしい、と考える姿勢のままだった体を起こして待っていると、背後に立たれた。

そして、なんとも不思議な注文を受ける。

 

「か、肩を揉んでたら自然に出た、体でお願いします・・・」

 

失礼します、と肩に触れる手はほんのり温かく、親指を支点に力を込めて揉み始めた。

あの、白く繊細な動きをする指に触れられているのだと思うと、こんなことをしなくていいと止めたくなるが、それをしてしまえば深雪が悲しむ。

深雪がしたいのであればさせてあげるのが一番だ、と言い聞かせなければ、体から力を抜くことさえできない。なんて不甲斐無い体だ。

 

「痛くないですか?」

「ん、もう少し強くてもいいくらいだ」

 

深雪の指に負担など掛けさせたくないが、深雪は注文に応える方が喜ぶ。

どちらを優先させるか悩みどころではあるが、今回は後者を選んだ。

ぐっ、と先ほどより強めの力で肩を刺激される。

 

「気持ちいいよ」

 

実際いい塩梅だ。

深雪に身を委ねていると、頭上から天上の歌が聞こえ始めた。

リラクゼーションとしてこれほど素晴らしいものはないだろう。

だが珍しい。このメロディは知っている――、先ほどの猫の映画だ。

余程気に入ったらしい。しばらくこのメロディが家に響くのかと思うと、今日のことを幾度となく思い出すことになるだろうな、と今から楽しみにさえ思えた。

 

「さっきの映画、相当気に入ったんだな」

「ええ。とても可愛らしかったです。お兄様はいかがでした?」

「俺も気に入ったよ。だが外では見られないな」

 

あれほど可愛らしい深雪を、誰かが見るかもしれない可能性があるところでなんて、危険すぎる。

たとえ映画館の中が暗かろうが席がここより離れていようが、周囲から見えづらくなっていようが関係ない。

特殊な目を持った奴がいないとも限らない。それに――いや、これは俺のわがままだな。

 

(他人にあんな可愛らしい深雪を見せたくない、なんて)

 

「誰かに見られる危険はない方がいい」

 

もっともらしいことを言っても本心は兄のわがままだなんて、深雪は思いもしないだろうな。

だが、もし本当にこの映画を外で見たならば、映画が終わった後も深雪はきっとしばらく笑みが戻らず、あのふわふわとした幸せ空気を漂わせるだろうから、大変な事態になることは避けられないことは想像に難くない。

失神者だけで済めばいいが、最悪悪質なストーカーが生まれてもおかしくはない。

それほどの魅力があった。

だから先ほどの言葉に嘘はないのだ、と誰に聞かせるでもなく弁解していると訪問を知らせるチャイムが鳴った。

心当たりが無かったので深雪を振り返れば、深雪は手を合わせて。

 

「美月たちに提案してもらったので、夕食を注文してみました」

 

そう言えば、昼にそのような話をしていたな。ぼんやりと思い出す。

はっきりとしない、という時点で自分が疲れていたのだろうなと、今なら理解できた。

ここ数日、深雪以外のことではっきり覚えていることはない。どうでもいいカテゴリに分類されたのだろう。

思い返しても特に特筆する出来事もなかった。

・・・が、記憶がはっきりしてきた中で、七草先輩やほのかに余計なことを言ったらしい、とは思い出せた。

ほのかはともかく、先輩は聞きなれたお世辞だろうになぜ、ああも動揺していたのか。顔を赤らめてみせてまで。

とりあえず怒らせたかもしれないというのは杞憂のようだった。

ほのかに至っては失神寸前だったな。ふらふらになっていたから送ろうとしたが拒否された。

まあ、謝罪や訂正が必要なほどでもないだろう。・・・ほじくり返しても面倒そうだ、というのが実際のところだが。

どうにも自分には、疲れていると適当なことを言ってその場をしのごうとする癖があるらしい。

ここまで疲れ切るということ自体初めてに近かったので、他人との距離感を掴め損ねていた。

 

(疲れ切っている状態で、同年代の他人に絡まれることなんて無かったからな)

 

反省せねば、と考えていると嗅ぎなれない匂いが掠めた。

 

「癖のある香りだな」

 

届いたものをそのまま出さず、器に盛りつけている深雪の方から漂ってくる独特の香りは、食欲を刺激する、というより鼻自体を刺激する香りだ。美味しそう、とはまだ思えないが、これがどうリラックスに繋がるのか。

また未知の経験ができるのかもしれない。

そんな期待に胸を膨らませつつ、深雪の行動を見つめていた。

 

 

 

これがまさか、苦行のはじまりになるとはこの時の俺は気付いていなかった。

 

 

――

 

 

見覚えのないランチョンマットの上に並べられた食事は、煮込み料理とスープ。そして添えられるのは深雪が淹れたアイスジャスミンティーらしい。

これまた初見だ。こんな茶葉うちにあっただろうか?と訊ねれば前に試供品でもらったのだとか。

 

「「いただきます」」

 

まずレンゲで掬ったのは、鶏肉と煮溶けた野菜。

相当煮込んでいるのだろう。すぐに形が崩れる。口に運んで二、三回噛んだだけで飲み込めてしまうほど柔らかい。

俺の分だけご飯が添えられているのは、これでは食べた気がしないだろうと考えられてのことか。

その通りだったのでそのままご飯を掻き込む。

味は悪くない。同じ液体タイプのコンバットレーションと比べればはるかに美味い。

・・・比べるものを間違えた。学校の食堂で出てくる一般的な食事とは違い、手間がかかっているのだろうとわかるし、使われている調味料も俺の知らないものがいくつも使われているのだろうが、どちらが好きかと聞かれたらシンプルな学食の方が安心する味だ。

これだけ香辛料が含まれていれば何か混ぜ込まれても気づく自信が無い。とはいえ毒ならオートで修復が作動するから話は別だが。

 

「お口に合いませんか?」

「いや、そんなことはない。美味いと思うよ」

 

しまったな。元々表情に出ることはないが、深雪が俺の機微に気づかぬわけがなかった。

それを申し訳なく思う反面、嬉しく思ってしまうのは、兄として妹に甘えすぎているなと反省せねばならぬ点だというのに。

これも十分情けないことだと思うのだが、深雪は本当にこんな俺を見たいというのか。

だが、深雪の言葉――口に合わないか、との質問に思い当たることがあった。

 

「・・・美味いんだが、そうだな。深雪の味じゃないなと思うと、それだけで味の感じ方が変わるんだなと」

 

深雪も凝った食事を作ることもある。前日から仕込んで、と手間のかかる料理を深雪は楽しそうに作る。

もちろんそういった料理も美味しいが、食堂で出るメニューを作ることもあり、そちらも美味しい。

手間がかかっている分前者と答えたいところだが、俺にとってはどちらも甲乙つかない美味しい料理だ。

プロの料理は当然美味いし、深雪の料理より美味い料理なんていくらでもあるだろうが、俺にとって美味しい料理とは、食べたいと思うのは深雪の作った料理になっていた。

 

(この三年で俺も随分わがままになったものだ)

 

食えるものなら何でもよかった。栄養以外に求めるものなど無いとさえ思っていた。

食事が冷めていようが、火が通り過ぎてカチカチになっていようが、食って血肉になるのならなんだって構わなかったはずなのに。

贅沢な舌になったものだ。深雪の食事なんて、あと何年も食べられるかわからないというのに――。 

 

「そのように煽てられては困ります」

 

深雪が手を止めて俯き加減で、囁くような小さな声をこぼすが聞き逃すわけがない。

頬が薄紅色に染まっているのは食事による発汗作用のせいなのか、それとも俺の言葉で色づいたのか。後者ならいいのに、とは望み過ぎか。

 

「煽てなんかじゃないさ。美味いと思いこそすれ、喜びはあまり感じられないと実感した。体にはいいのかもしれないが、俺にとって深雪の料理が一番いい」

 

思うままに口にすると、深雪は恐縮ですとばかりに縮こまってしまった。

この世に深雪の手料理を食べたい人間なんて星の数ほどいるのに、その唯一の権利を与えられている俺はどれほどの幸運を手にしているのだろう。

深雪はもっと自分の価値を知らなければだめだな。

身内の言葉だから信じられないのだろうか。それとも、

 

(深雪がしてくれたように、染込むように毎日伝えたら信じてくれるだろうか?)

 

愚かだった俺は三年前、深雪の変化に付いていけず、彼女の言葉の裏にある言葉を探ろうとした。

彼女が俺を好きだという理由が分からない。

尊敬する意味が分からない。

急に受け入れられた真意がわからない。

――彼女の言葉の裏には何かしらの意図があるはずだ。

たとえ最も大事な深雪の言葉でも、正面から受け止められぬほど当時の俺は人間不信であった。というより信じる信じない以前に、言葉とは表面の裏に何かを隠すためにあるものだと認識していた。

それは純粋な子供であってもそう。真っ直ぐな言葉には願望が付き物だった。それいいね、と褒める言葉はそれが欲しい、と暗に伝えてくるように。

だが、深雪の言葉に――愛を伝える言葉には押し付けるものが無かった。

心と体に沁み込ませるよう伝えられる愛情を受け入れられるようになったのは、かなり早かったように思う。

嬉しかった。自分を無条件で受け入れられることがこれほどに嬉しいことなのかと感動した。

そして同時に深雪の言葉を疑ってしまったことに深く反省したものだ。

別に深雪に反省してほしいわけではないが、深雪は知るべきなのだ。彼女のもたらしてくれるものがいかに貴く、素晴らしいものなのか。価値を認識すべきだ。

美味しいという言葉で足りないならば、もっと、他の形で――。

 

(それこそ、愛情を伝えようと抱きしめてくれたように、美味しいと伝える方法を――・・・)

 

・・・一旦思考をリセットした方がいいかもしれない。また意識レベルが低下してきたようだ。変な考えが頭を巡るのを目を閉じて霧散させる。

薬膳とはなかなか厄介な食べ物らしい。汗も額だけでなく体中から滲んでいる。

どのスパイスがどう反応したのかわからないが、確かにコレは凄い。普通に運動するより汗が出ていた。

魔法で発散させることも考えたが、元々汗を掻かせるために食べているのだと思い出し、発動しかけた魔法を霧散させる。

そのタイミングで深雪は立ち上がり、キッチンから用意していたらしいタオルを手渡された。ひんやりしているのは深雪の魔法によるもの。ありがたい。

 

「食べるだけで結構汗を掻くものだな」

「体の芯から温まりますね」

 

これがどうストレス発散に繋がるのかわからないが、デトックス効果というヤツだろうか?体の中にある老廃物を出して体の内から綺麗にするのだったか。

尋常じゃない汗は顔だけではない。拭っても噴き出る汗は首からも流れ落ち、腕にもじんわり掻いてきた。

流石に深雪の前でシャツを脱ぐのは抵抗があったので袖を巻くり、首はタオルで軽く拭うが、拭う端からまた汗が流れてこれはもうさっさと食べ終わった方がいい、といつもなら深雪のペースに合わせて食べるのだが、今日は先に食べ終わらせよう。そう口を動かすことに集中した。

ドリンクも飲まず進めて残りは三分の一。

しかし、体が熱い。深雪は大丈夫なのだろうか、と目を向けて――即閉じた、つもりだが。

一瞬しか見えていなかったはずなのに、網膜に焼き付いた画がいつまでも消えない。

――熱に浮かされたように潤んだ瞳、上気した頬、額に光る汗の玉が流れ落ちる様。ほぅ、とレンゲを口に運ぶ前に漏れる吐息と共に赤い舌がちらりと覗いて――。

 

(絶世の美貌を持つ妹の食事風景だ。それ以外に何を思うというのか)

 

動揺することなど何もない。

鈍る思考を切り替えることで無理やりクリアにして、食事を再開する。視界には自分の糧となる食事のみ。

とにかく食事を終わらせなければ。

汗が噴き出す。顔には髪がへばりついて気持ち悪いが払う余裕もない。

あと少しだ、という時になって目の前からの視線に気づいた。

深雪から向けられている視線に気づくのが遅れるなんて失態だ。

何気なさを装って名を呼べば、彼女は少し動揺したようだか何でもない、と答えた。

明らかに何かある様子であったが、再開される食事に、さっと自分も視線を戻す。

汗を拭っていても白い肌に張り付いている黒髪が、彼女も相当この薬膳の効果が出ているらしいと窺わせていた。

こんなに熱いのに深雪は上着を脱ぐどころか、袖もまくらず大丈夫なのだろうか?

魔法で涼しくしている?いや、そんな様子は見られない。

そんな中、深雪が飲み物を取ってくる、と席を立った。

やはり熱かったのだろう。なみなみ注がれていたグラスは空で、机の上からタオルが無くなっているのでこっそり拭いに行くのだろうと推測できた。いくら俯いているとはいえ、俺の前でもできなかったのか。そんな慎ましさも深雪の良さだが、我慢はあまりしてほしくない、というのは俺のわがままか。

そこではた、と気づく。

 

(深雪の言う、情けない姿を見せて欲しい、とはこういうことか)

 

自分の前ではどんな姿でも見せて欲しい、と。

・・・だが、何度でも思うがやはり情けない姿は見せられない。見せたくない。

嫉妬しているだなんて子供っぽいと言ったが、あれは母親相手ならそれで通用するだろうが、他人に対する嫉妬ではまるで意味が違う。

深雪には守るべき保護者がいないのだから、兄である自分が守らなければならない。

更にいえば自分は守護者だ。いかなる外敵からも守ることが任務。そして深雪はいずれ誰かと結婚する身だ。

世の風潮が自由恋愛推奨であろうが、四葉には関係がない。叔母の、当主の決定こそ全て。

だから深雪に一定の距離以上近づきそうな相手をけん制するのは仕事の内に入るのだが、そこに己の感情など絡む必要などないのに――どうにも感情が先行する。

エリカもそういう気持ちなのだろうか。彼女も、兄の彼女に嫉妬して――。

だが、俺にはあそこまで敵意むき出しに立ち向かうことなどできない。

もし、深雪が望んで交際している相手がいたとして(想像するだけで気分が落ち着かなくなるが)、自分にはあそこまで食って掛かることなどできるはずもない。

なぜなら深雪の幸せを壊すことなど、俺にできるはずがないのだから。

千葉修次は渡辺先輩と親密だった。それを邪魔するエリカを疎ましく思っているようではなかったが、困惑はしている様子だった。

もし深雪なら、自分の兄が交際相手の男を非難などしたら、困るどころか傷つくかもしれない。

深雪を傷つけることなど、俺にはできない――。

締め切っていたはずの部屋に涼しい風が通り過ぎた。

深雪がエアコンを作動させたらしい。つい、魔法に頼ることばかり考えていた。

やはり頭が回っていなかったようだ。こんなことに気付かなかったとは。

残っていたジャスミン茶を一気に飲み干す。

体の中に溜まっていた悪いものが汗と共に流れていくように噴出した。

 

「俺もおかわり貰っていいかい?」

「もちろん」

 

空になったグラスを差し出せば、自分の分よりも先に注がれる琥珀色の液体。

せっかく注いでもらったが、深雪より先に口付けるのも気が引けて、彼女が飲むのを確認してからのどを潤す。

冷えた液体がのどを通り抜けていく感覚に、自身の熱も下がった気がした。

残る二口を食べて完食し、長く思えた戦いを終えた気がして気が抜けたのか。またしても正面を向いて――今度はタオルで目元を覆った。

髪を耳に掛けて背中に流しているので、首筋から鎖骨までがむき出しになっていた。

白い肌は汗でしっとりと濡れていて、頬は薄紅に染まり、目元は先ほどよりも潤んで今にも雫をこぼしそうな上、赤みを帯びている。汗が目に入ったのだろうか。

――わかっている。これはただの食事風景だ。何度も確認せずともわかっているのに余計な思考が過り胸をざわつかせた。

目元をタオルで覆ったところで俺の眼は防がれることはない。今この時も俯瞰して情報を視て、数ある情報をもとに構築した深雪を視ている。

器を覗き、残り僅かなことを確認。いくら体が熱くて涼しい風が気持ちよくても、このまま風を浴び続ければ体を冷やしてしまうだろうから、深雪には片づけよりも先に風呂に行ってもらおう。

遠慮するかもしれないが、これは決定事項だ。異論は認められない。

風呂、と考え連想するように浮かんだのは家デートの記事だが、すぐにその考えは消去した。

いくら仲のいい兄妹でもこの年にもなれば一緒に風呂に入るなどありえない。そもそも一緒に入ったことなどないのに何を考えているのか。

ありえない、妙なことを考えた罰なのか、地獄への誘惑なのか。深雪は俺が見えていないと思って胸元のレースの部分を摘まんで広げると、あろうことか前後させて扇ぎだした。

ちらりと覗く、より一層白い肌と丸みを帯びた形が、――情報を下に作り出した虚像だというのに――見え隠れする。

――・・・反省は後だ。

鼻が薬膳で麻痺していてよかった、などと嘆かわしいことまで考えた己の思考に更に気分は落ち込むが、何とか踏みとどまる。

ふう、と長めの溜息を漏らした深雪の表情は晴れやかで、達成感に満ちていた。

タオルを外し、肉眼で深雪を見れば、先ほどまでの気だるげな雰囲気など欠片も残っていない、純真な笑みを浮かべていることに安堵して、深雪に続いて手を合わせた。

 

「ごちそうさま。――深雪」

「はい」

「先にお風呂に入ってきなさい。そのままでは体を冷やしてしまう」

 

そう伝えれば深雪に意図は伝わったようで、想像した通り自分を優先させてしまったことに少し申し訳なさげの表情で頷いた。

この様子では追加で伝えねばならないようだ。

 

「湯船にしっかりつかるように」

 

釘を刺せば、やはりシャワーでさっと済ませるつもりだったらしい。少しだけ肩をすくませてから、食器に手をつけ片付けてから風呂に向かおうとするので、片付けもこちらでするからと強めにいえば、彼女は今度こそ頭を下げて、

 

「ではお先にお湯いただきます」

 

 

――

 

 

リビングから出ていく姿を見送る。

視界から深雪がいなくなり、風呂場に向かうのを眼で確認してから視界を遮断した。知覚しているので居場所はわかる。眼を離したわけではなく、感覚的にチャンネルを切り替えたのだ。

汗を分解して、どっと体から力が抜けて、だらしなく背もたれに凭れ掛かった。

片付けると言ったのだから食器を運ぶくらいはしなければと思うのだが、すぐに立ち上がれるほどの気力はなかった。

ぐらぐらと揺さぶられる理性だけならまだ耐えられた。意識を切り替えれば、切り捨てれば自分の行動を阻害する本能などどうとでもなるのだから。

だが――ここ数日の自分の行動が鮮明になっていくにつれ、自分がとんでもないことをしていたという認識が強くなっていった。

特に食堂や深雪と二人きりの生徒会室のやり取り、コミューターの中など。

どうりで深雪が先輩たちの指示とはいえ、家デートに誘うなどとおかしな行動を起こすわけだ。そんなよくわからない作戦だろうと縋りたくもなる。

さぞや戸惑ったことだろう。うろたえないようにしていたが、今ならわかる。

正直この間のハロウィンで起こした行動よりもまずいのではないだろうか。

触れ合い自体は学校という人目の多い場所ということもあって、セーブがきちんと利いていたように思う。

せいぜい少し過度なスキンシップ程度で済んだ、という範疇におさまっていると思いたい。

だが、発言はどう聞いてもアウトだろう。だいぶ独占欲の強い台詞もあった。

 

(なんだ、妹相手に愛を囁くのはお前だけ、とは)

 

疲労していたからといって妹に言って良い言葉といけない言葉があるだろう。

この数日のやり取り――深雪とのやり取りだけは覚えていたはずなのに、なぜおかしいと気付かなかったのか。正常な判断力が低下していた。

ストレスの溜め過ぎに対して『再生』は機能しない。思考がこれほど鈍っていても肉体に損傷が無ければ働かないとは。

この魔法には欠点があることも知っていたが、今回ほど欠陥だと感じたことはない。

どうやって深雪に謝ろう?ただ謝罪するだけで許されることではないように思うが、今の俺が何か考えてもいい案が浮かぶとは思えない。

深雪自身に決めてもらった方がいいだろう。

 

(しかし、疲労したからといって深雪に迷惑をかけてしまうなど・・・)

 

頭が痛い。

自己管理ができないなど、兄失格どころかガーディアン失格と言われてもおかしくない。

いや、兄失格というのなら他にもあった。こちらは疲労云々で許されるような問題ではない。

健全な男子なら体が反応するのは正常なことだ。だが、それを身内に、しかも大事な妹になると話は変わる。

妹相手に、俺は一体何を、と自分を殴れるなら殴りたい。

いくら深雪が類を見ない美少女であり、目を奪われても仕方のない美貌であったとしても、『眼』を離すことはできないが、視ないことはできたはずだ。

感情を切り離せたくせに視界を切り替えなかったことに弁明の余地は限りなくない。

ここは家で、狙われている気配もない。――今この時のように、精度を抑えて感知するだけに留めることはできたはずだというのに。

自己嫌悪が止まらない。このままではいけないと重い体を動かして、食器を片付け始める。せめてこれくらいはしなければ、深雪に申し開きが立たない。

いつもより丁寧に机も拭いて、エアコンも止めた。

後は――、と手持ち無沙汰にしていると風呂から上がった深雪が、先ほどとは違う服で現れた。

いつもの恰好だ。どうやらデートは終わったということらしい。

助かった――。これ以上何かまだあったとしたら、また自己嫌悪が悪化するところだった。

 

「お兄様もすぐに入ってきてくださいませ。お湯も張りなおしたのですぐ入れますよ」

「ありがとう――深雪」

「はい?」

 

湯上りだからか、深雪からはえもいわれぬ芳しい香りがした。

麻痺していた鼻の機能が戻ったらしい。持っていかれそうになる思考を逃がさぬように、感情を切り替える。

 

「その、すまなかった。迷惑をかけた」

 

頭を下げると深雪は少し目を見張って、優しく微笑みかけた。

 

「お兄様はお疲れだったのです。私の方こそ、お兄様の変調に気付かなくてごめんなさい」

 

――罪悪感が重くのしかかった気がした。

 

「深雪のせいじゃない。自己管理がなっていなかったんだ。あの程度で疲労するなんて」

「あの程度、だなんておっしゃらないで。お兄様はとても頑張られていたではないですか。労いこそすれ、力不足なんてありえないのですから」

 

深雪は聖母か何かだっただろうか。後光も射して見えるから菩薩かもしれない。

手を合わせて拝みたくなるほどの清らかさ。俺の汚れを浄化するように輝いて見える。

 

「ほら、お兄様も湯船につかって体を癒してきてください。いくら魔法で汗は飛ばせても、体はしっかり疲れているのですから」

 

後ろに回って背中を押され、一歩二歩と前に出る。大した力は無くとも人体を動かす術を知っている深雪だからできること。

 

「分かったよ。――深雪」

 

振り返り、深雪を見下ろす。

 

「何か詫びをしたいから、考えておいてくれ」

「詫び、ですか?失礼ですが、その・・・私が詫びられる理由に心当たりがないのですが」

「迷惑をかけただろう?俺の気が収まらないんだ」

 

本当の理由はそれだけではないが深雪に言えるわけがない。ただ俺が勝手に贖罪を求めているだけなのだから。

深雪は目を白黒させているが、俺は考えておいてくれ、と言い残してこの場を去った。

言い逃げとも言う。

なんと格好悪い兄貴だろうか。深雪に呆れられていないか心配になるほどだ。

また思考が悪い方へ流れ出す。これだけいろいろとしてもらったというのに、新たにストレスを溜めるなどあっていいはずもない。さっさと風呂に浸かって気分を転換させようと洗面所で服を脱ぐ――のだが、鏡に映る姿で記憶が蘇る。夏の思い出と、今日のコミューターの一言が連鎖した。

 

「・・・・・・いくら疲れていたからといって、あれはない・・・」

 

深雪が喜ぶならあの場で制服を脱ごうだなんて・・・発言だけで十分にアウトだが、あの時もし深雪が頷いていたら躊躇うことなく脱いでいた。そんなこと貞淑な彼女に限って万が一にもありえないのだが。

思わず洗面台に手をついた。

あの時の深雪は真っ赤になって即拒絶していた。同時に酷く慌てふためいて――可哀そうなことをした。

・・・だめだ。今日はどんなことでも負に繋がってしまう。

何も考えずに風呂に入ろう。

そして扉を開けて――すぐに後悔した。

いつもなら間隔を空けて入るので気が付かなかった残り香が、ふわりと鼻を掠めて俺の体の自由が奪われる。

髪の毛一本残っていないきれいに掃除された風呂場に、いつも感じない甘い香り――恐らく深雪の使っているシャンプー類だ――が微かに残っていた。

本日何度目かの意識遮断に危機感を抱きつつ、心を無に機械的に体を動かすことに専念した。

 

 

――

 

 

風呂を上がると、深雪はソファの上で思案顔のままで、俺が戻ってきたことに気付いていない様子だった。

気配も消さず、音も聞こえているはずだが気付かないなんて珍しい。

余程何か真剣に、とまで考えて風呂に入る前のことを思い出す。

 

「深雪」

「!お兄様。もう出られて――、ってあら、もうこんな時間でした?」

 

時間の経過を確認して慌てる深雪に、これまでずっと考え事をしていたのだとわかる。そしてその考え事は、

 

「もしかしてずっと考えていたのか」

「・・・以前にも申しましたが、お兄様にお願いしたいことを考えるのは大変難しいのです」

 

やはり、俺の発言のせいらしい。

前回ねだられたのはダンスだった。不得意なものだったのでつい難色を示してしまったが、深雪の望みを叶えることに躊躇した自分を恥じたものだ。

練習をしてこなかったのは機会がないと思っていたからだが、今思えば怠慢でしかない。深雪の傍にいるのならば全て完璧に熟せるべきだ。

あの場に一条がいたことが救いだった。十文字先輩でもよかったが、体格的にも参考になるのはあちらの方だった。

それからほのか達に付き合う形でステップを練習させてもらい、その間も一条の動きをトレースできるよう見学させてもらった。

その甲斐あってなんとか形になり、深雪にも喜んでもらえた。叶えてやれてよかった。九校戦の良い思い出だ。

だから今回も、深雪が望むならどんな難題でも、時間を貰ってでも取り組もうと思っていたのだが。

 

「そんなに難しいことかい?」

「だって、お兄様はいつでも私を大事にしてくださるから、お願いする前に私の願いは叶ってしまうんです」

 

少しだけ尖らせた唇に目を奪われないよう視線を合わせつつ、可愛い妹の発言に頬が緩むのを止められなかった。

 

「そう言って貰えると兄冥利に尽きるな」

「・・・もう、そんなお兄様だから困っていますのに」

 

頬を染めてそっぽを向く妹の、なんと可愛いらしいことか。

すぐにでも横に座って頭を撫でてやりたいが、目的を忘れてはいけない。これはただお願い事を聞くだけではない、詫びなのだ。己が行動を反省せねばならない。

 

「・・・私の前で気を抜いてくださいとお願いすれば、お兄様のだらけた姿を見ることは可能ですか?」

「・・・・・・・・・、例えばどんな姿が見たいんだ?」

 

今日の深雪はやたらとそのことが気になるようだ。

深雪の前で気を抜く・・・、それはなんて苦行だろうか。

前に、飛行魔法を完成させた時、深雪からの労いに身を委ねてしまったことがある。

あれほどの幸福を味わうことがあるだろうか、というほど幸せなひと時ではだったが、あの後ひどく羞恥に見舞われたものだ。

気持ちよかった、心地よかった。心も体も温まるような、幸せがそこにはあった。だが、あのような甘えた姿を深雪に見せてしまうなど・・・。穴があったら入りたいとはこういう状況を指すのだと知った。

しかし、これが罰だというのなら、甘んじて受けるべきなのか・・・?

 

「えっと、そうですね。あくびするところも見てみたいですが、ソファに凭れ掛かって休まれるところも見てみたいですし、横になっているところも――ってこれは全然だらけた姿でもないですね」

 

頬を上気させて指遊びをしながらいろいろ案を上げていくが、彼女にとって上がった候補はどれも普通であれば日常見られる光景のものであって、だらけた姿とは言い難いらしいが・・・深雪の前で、それをやれと言うのか?というより俺に望むものがそんなものでいいのか?

いや、要求自体俺にとってかなりの難題ではあるのだが。

 

「転寝ですとか・・・いっそのこと服装だけでもだらけさせてみる、とか・・・?」

「服をだらけさせる?どんなだ?」

 

着るだけでいいのなら自分が何かするわけでもないだろう。だらしのない恰好というのはあまり見せたくはないのだが、他のモノに比べれば何かさせられないだけまだマシに思えた。

深雪も思い付きで話している段階なので、思案顔でぽつぽつと呟きをこぼすように話を続ける。

 

「だらけたファッションで言えば、ルーズファッションがありますが、お兄様にはちょっと・・・そもそもそういった洋服はウチにはありませんし・・・」

 

そもそも俺の服にそこまでバリエーションはない。礼服やTPOに合わせた服なら一通り揃っているが、私服で言えば深雪が見繕ってくれた服を含めても、似たようなものが多い。

レオ辺りなら崩れたファッションも着こなしていそうだが、やはり俺には似合う気もしない。

 

「あ・・・」

 

深雪はどうも思い当たることがあったらしいが、何故口元を抑えて視線をさまよわせているんだ?

 

「何か思い当たったのかい?」

 

びくん、と大げさに肩を震わせる深雪に、心の奥が疼くがシャットアウトだ。今は深雪に専念する。

深雪はちらり、とこちらを見て逸らし、頬を染めた。

・・・早まったかもしれない。俺は一体何をさせられるというのか。

 

「いえ・・・そもそもお風呂を出て着替えたばかりなのですから、これからまた着替えていただくわけには」

「それくらい、大した労力でもないよ」

 

まだ悩んでいる深雪に、俺は覚悟を決めた。

深雪の頬に触れ、視線を合わせる。

薄く開かれた唇が吐息を漏らすより早く。

 

「さあ、望みを言ってごらん」

 

 

――

 

 

深雪視点

 

 

私今日死ぬのかな?

動悸が止まらないよ。心臓壊れそうです。でも今心臓が止まったらお兄様の腕の中で逝けるのかしら?だとしたら幸せなのでは??と血迷った考えが過るけど、死にませんよ。お兄様幸せにするまでは死ねないからね。

だけどね、

 

「それで、どれを着ればいい?」

 

今、お兄様の私室のクローゼット前に居ます。

思ったより服が多いけど似通った服ばかり。今度お兄様のお洋服買いに行きたいですね。選ばせてもらえるなら選びたい。さっきはルーズファッション似合わないと思ったけれど、Bボーイ系案外いけたりしそう。ちょっと見てみたい。

・・・と、そうじゃなかった。

なぜかお兄様から詫びをしたいと申し出られ、いろいろ考えた結果、だらけた格好が見たいということになった。

しかしお兄様は抵抗があるらしく(ちょっと横になってくれればいいだけだったんだけど)、だったらと妥協案で服をだらけさせることを提案させてもらった。お兄様は虚を突かれたようだが最終的にOKを出してくれた。

お兄様はいつでもかっちりした服だったり、前を開けていても清潔感ある恰好なので、だらしのないという印象にならない。

それはお兄様の姿勢だったり、身に付いている品がそうさせているのだろう。

この部屋の中もそうだ。

こうしてお兄様の私室に入るなんて、片手で数えるくらいしかないのだけど、突然お邪魔したのにベッドに乱れもない。机も整頓されて綺麗なものだ。

これが高校生男子の部屋だというのか?信じがたい。きちんとしすぎている。・・・というのは偏見かな。

男子高校生の部屋にはいる機会なんて無かったからわからない。ドラマや本の知識です。

観察しているのがばれないうちに、クローゼットに視線を戻して、目的の服を選ぶ。

手に取ったのは黒のスーツと、グレイのシャツ、そしてダークレッドのネクタイ。

 

「これでいいのか?」

 

拍子抜け、といったところだろうけどお兄様、いったい何を想像されてたんです?

というよりスーツってだけで結構私にはご褒美なんですけれどもね。それを崩していいなんて、私やっぱりこれからとんでもない不幸に見舞われるのでは?計算が狂ったり、予想外の事件が舞い込んだり。

・・・フラグがサイレントで乱立しまくっている気がする。

でもまだ見ぬ不安要素より、目の前のご褒美です。あ、違った。お詫び?です。

 

「着替えていただけますでしょうか?」

「分かった。着替えたらリビングでいいか?」

「ではお待ちしてます」

 

リビングに戻って、さて待っている間どうしよう?ソファを整えて、いつものようにコーヒーを用意しようか。

・・・今日は一日濃かった。

ガリガリ豆を削りながら今日のことを振り返る。

映画を見たのが随分前のようだが、たった二時間前のことだ。信じられない。ちょこっとだけ猫ちゃん観て元気を補充しておこうかな。

 

(しかし、お兄様がお詫びを申し出るとは思わなかった)

 

確かに困らされたけれど、本人に困らせるという意図は無かったのだ。それなのにお詫びとは。

何も思いつかなくて、とっさに今日話していただらけた姿が見たい、という話を引っ張り出してしまったけれど、お兄様が自然にだらけた格好なんて、ちょっと考えれば無理な話で。

でも引っ込みがつかなくて仕方なく、着崩れたところがみたい、だなんて――言葉だけ聞くとめっちゃ破廉恥だね。

そんな意図はないよ?!本当!浮かんだシーンはそんなアレな姿じゃなくてくたびれた社会人だもの。一杯ひっかける前のリラックスした格好だもの。

もしアレな姿をしてもらえるというのなら着物を着てもらいたい!・・・ダメだ。ちょっと私もおかしなことになってる。

しっかりしなくちゃ。あれだ。猫ちゃんを、猫ちゃんは世界を救う可愛さだから煩悩だって払えるはず。

手元に注意しつつお湯をゆっくり注ぎながら、冒頭の草むらを掛けっこするシーンだけ、と決めて再生する。

猫が風に揺れる草にじゃれつくだけで、なんでこんなに可愛いのか。愛い。

可愛い。可愛いがすぎる。

 

「酷いな、俺がいないところで観るなんて」

 

ひぃ!お兄様の低音ヴォイスが耳元に!!

声は抑えたけど体が跳ねるのは止められなかった。

いつの間に。お兄様は忍術使いの弟子ですから気配消すのも朝飯前ですか。でも妹相手には止めていただきたい。妹は貴女の敵にはなりませんよ!

 

「ごめんなさ――」

 

 

――

 

息が止まった。多分一瞬心臓も一緒に止まったと思う。

――ヤバい。何がヤバいって・・・お兄様のスーツ姿なんてそれだけでカッコいいというのに、なぜお風呂に入った後なのに髪型までしっかりセットされてるのです?サイドまでしっかり上がって耳まではっきり見える。

え、ヤダ。カッコよすぎる。どうしよう、無理。素敵。

お兄様が少し首を傾ける。無表情だけれど、カッコいいのに可愛さもプラスしてくるなんて、私をどうする気なの!?

どうすればいいの?どこにお布施を払えば??お兄様に直払い?受け取ってもらえ無さそう。というかお兄様キラキラしてない?私のお兄様かっこよすぎない??

 

「とりあえず呼吸しようか」

 

手を伸ばされ、頬を撫でられてまだ呼吸が止まっていたことを知る。

呼吸ってどうするんでしたっけ?

 

「吸って」

 

下あごを撫でられて口を開く。

 

「吐いて」

 

視線が重なり合って、短い指示に従いゆっくりと息を吐く。

 

「ん、上手」

 

・・・ごめんなさい。最後の一言でまた息が止まりかけました。

あと褒める時に微笑むのも心臓を止める要因です。気を付けてほしい。

お兄様、私は何かいけないことをしましたか?なぜこんな甘やかな責め苦を受ける羽目に?新手の拷問ですか?私は何を話せばいいのか。今なら何でもペロッとしゃべってしまいそう。なんと甘い罠。これが世に聞く甘い罠!

でも何とか頭に酸素が回って状況がちゃんと見えるようになった。

コーヒーはいつの間にかに淹れ終わっていて、モニターにはすでに街中の猫ちゃんが映っていた。もう冒頭から五分以上経ったらしい。いつの間に。

 

「・・・お兄様、素敵です」

「ありがとう」

 

何とかひねり出した言葉がお兄様への賛辞だったのは及第点だと思う。

誰か褒めてほしいけど、イマジナリーお母様は半眼です。なぜ?想像なのに、どうしてこのイマジナリーお母様は私の想像と違う反応を示すのだろう?

 

「コーヒーはリビングに持っていくよ」

「お願いします。何か摘まみますか?」

「いや、今日はもういいかな」

 

私ももうお腹いっぱいです。胸ももういっぱいいっぱい。何も入る気がしない。

お兄様が運んでくれたので手持無沙汰でお兄様の後についていく。

しかし、後ろ姿だけでもなんとかっこいいことか。

これだけスーツの似合う高校生いる?着こなしが完璧。滲み出る出来る男感。あるよね、背中見るだけでこの人頼りになりそうとか。

困った。カッコイイ。原作の深雪ちゃんもここまでときめいてただろうか?お兄様かっこいいは言っていたと思うけど、お兄様のコスプ――じゃなく、制服萌えじゃなく・・・なんて言えばいいんだ?いつもと違う姿とかにもときめいてたりしてたかな?

もし違ったら申し訳ない。中身が私なもので。服の変化やちょっとした仕草にも大変弱いのだ。

 

「映画は消していいか?」

 

あ。忘れてた。お兄様に目が行ってうっかり。消してもらった。

 

「なんだかこの格好でソファに座るのも変な感じだ。それで、ここからどうすればいい?」

 

もうこのままでいいような気もするけれど、私がリクエストしたことだ。きっちりとした恰好を崩してもらおう。

――まずはジャケットを脱いでもらって、

 

「脱げばいいのか?」

 

脱いだ服をソファの背にかけて。

――ベストも前を開けて、

 

「ボタンを外せばいいんだな」

 

長い指が一つ一つ丁寧にボタンを外して、前を開いて。

――・・・ネクタイを・・・弛めてもらって。

 

「第一ボタン、と第二も開けるか」

 

人差し指をひっかけて左右に引っ張って弛めた後、お願いするよりも先にボタンを外して首元が開放的に。

――・・・・・・、最後に、髪をね、

 

「・・・あの、せっかくセットしてもらったのですが、」

「こんな感じか?」

 

くしゃ、と髪をかき上げて崩すお兄様に、私は今にも崩れ落ちそうです。

なんでそんなに色気が溢れるのか。お兄様16歳ですよね?

お兄様はこちらの反応を見て苦笑しているけれど、今は本当にやめてほしい。ただの追い打ちにしかならない。

大人っぽい雰囲気に色男モードをプラスしないでいただきたい。

口元をきゅっと力を入れておかないと、変な声が漏れそうだ。

特にネクタイを弛めるところがね、ヤバかった。シャツもボタン外しているのもお色気ポイントが高い。普段見えない鎖骨がちらリズムですよ。怪しからんです。目が開けられない!

これ、だらけた格好かな?私注文間違えたんじゃない??だって、注文と違うもの。

私が注文したのは気の抜けたお兄様。疲れ切った社会人みたいな格好のはずなのに、ここにいるのはお色気満載――夜の帝王のようなお兄様なんだもの。

 

「確かに、これならだらけた格好だな」

 

違うよ。想定していただらけた姿じゃない。

なんでこんなに違うの?もっとくたびれたような空気漂ってもいいのに、お兄様から漂うのはお色気フェロモンだ。ものが違いすぎる。

 

「・・・お兄様、申し訳ありません」

 

私の想像力不足でした。

顔を覆って謝罪する。

 

「何が違う?」

 

お兄様は何も悪くないんです。でも何もかもが違うんです。

こんなえっちくなるなんて思わなかった・・・。真直ぐお兄様が見れない。

 

「深雪?どうして顔を隠してるんだい?」

 

それはお兄様がえっちくて見れないからです。言えないけど。首を横に振る。

 

「こっちにおいで」

 

無理です。近くで息を吸っただけで倒れそう。

 

「深雪」

 

・・・ううう・・・お兄様に逆らえない・・・。

すすす、とお兄様の傍による。でも顔は覆ったまま。だって恥ずかしい。

ちらりと見えたお兄様がヤバいんですもの。

 

「深雪」

 

やめて、そんな甘さをたっぷり含んだ良い声で呼ばないでほしい。なんでも言うことを聞いてしまいそうになる。

お兄様、たまに自分の魅力分かってて言ってますよね?私がお兄様に弱いことわかってて言ってる時ある。絶対わかってる。

とんとん、とソファを叩く音がする。

 

「深雪」

 

隣に座れということです、よね?今度こそ呼吸どころか心臓の活動止まらない?

 

「俺が抱きかかえるのと、隣に座るのどちらが」

 

良いかと質問が終わるより早く隣に腰を下ろす。

今抱きかかえられたりしたら夏の再来、意識が飛ぶ。

やっぱり私にお兄様の耐性なんてなかった。もしくは過剰に摂取しすぎたのだ。

 

「・・・よくわからないが、深雪は今恥ずかしがっている状態、ということでいいのか?」

 

お兄様による優しい尋問、じゃないね、探求心からの質問が始まった。

こくん、と頷く。

 

「着崩しているのだから、だらしなく思えるんだが、深雪の思っていたものと違うんだな?」

 

こくん、と頷く。

 

「それは俺のこの恰好がどこかおかしいのか?」

 

・・・これは、どうだろう。お兄様の恰好云々じゃなくて見ている私が恥ずかしいだけだから・・・左右に振る。

 

「見たくないほど見苦しい?」

 

これには激しく横に振らせていただきます。見苦しくなんてないです。ただえっちいだけなんです!あれです、グラビア雑誌の袋とじ見てる感じ!一人しかいない部屋なのにこっそり覗き見るようにしてしまうあの感じ!いえ、私見たことないんですけどね。想像です。気分です気分。

 

「見たくても見られない?」

 

・・・頷きづらい。でもそういうことなんですよねぇっ!欲には逆らえない・・・小さく頷く。

 

「・・・それは、夏のあの時みたいなことか?」

 

ズバリ聞いてきますねお兄様!もう私のライフはとっくにゼロ通り越してマイナスです。オーバーキルだ。

頷くこともできずに体を縮める。

 

「深雪、ちゃんと答えないと俺の都合のいいように解釈してしまうよ」

 

この内容のどこにお兄様の都合のいい解釈がありますかね?

 

「深雪」

「ぁ、」

 

耳元にお兄様が声を吹き込む。きっと耳は真っ赤になった。だって熱いもの。燃えるように熱いもの!

防ぎたいけど顔を覆うのとどちらか選ぶなら顔を選ぶしかない。なぜ、私の腕は四本無いのかっ!

 

「この恰好は深雪の好きな恰好かい?」

 

大好物です、なんて言えない。言えるわけがない。えっちいお兄様は好きですか?大好きですよ!!(キレ気味)

 

「教えてくれないとわからないだろう?」

 

嘘だ。このお兄様はすでに確信している!でなければこんな、ソファの重心が傾くほど身を寄せるわけがない。

整髪料の香りかな、いつもと違ういい匂いがする!危険、キケンなお兄様だ。

 

「もうお許しください、お兄様・・・」

 

小さな声で震えながら返す。

情けないが完全降伏しかない。どうしてこうなった・・・。

私はただお兄様のストレスを軽減させるため、リラックス方法をいろいろと試していたはずなのに。

・・・そういえばお兄様にとっての軽減方法に妹を構い倒すというものがあったね。私の体に悪い発散法。

 

「許しを請うのは俺だったと思うんだが」

「・・・だって、お兄様が途中でいじわるなさるから・・・」

「ごめんな。あまりに可愛い反応をするものだから、調子に乗ってしまった」

 

慰めるように頭をぽんぽんされる。

お色気モードが縮小した気配に、ちらりと横を見て。お兄様は先ほど浮かべていた苦笑と違う苦笑になっていた。

しょうがないな、という甘やかすような苦笑だ。よかった。お兄様が帰ってきてくれた。

相変わらず気崩しは格好良く、だらしなさなど欠片もないが、先ほどまでの妖しさは鳴りを潜めている。

夜の帝王は去ったのだ!

 

「可愛いと言えば何をしても許されるなんて思わないでくださいませ」

「本音だからなぁ、こればかりは」

 

お兄様はもう手出しはしないよ、とばかりに離れるとコーヒーを飲み始めた。いつもより深めに座って。

それが恰好と相まってカッコいい。見惚れそうになるのを、コーヒーを飲んで誤魔化そうとするが、お兄様の観察眼は元に戻ったのか、私のちょっとした変化も見逃さない。くすり、と笑っていた。

・・・なんだろう、盛大に弱みを握られた気分。

 

「深雪が喜んでくれたならよかった」

「・・・やっぱりどんな姿のお兄様も素敵です」

 

せめてもの抵抗、ではないけれど何も言えないのは悔しかったので、苦し紛れにお兄様に体を寄せて本心を呟けば、タイミングが悪かったのか、コーヒーが気管に入ったようで二回噎せ込んだ。慌てて体を起こす。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「・・・問題ない。ありがとう深雪」

 

整髪料はそれほど強くなかったのか、さらり、と崩した髪が耳にかかる。

徐々にいつものお兄様の姿に戻ってきたようで、安心した。

 

「今のお兄様もとびきり素敵ですけれど、いつものお兄様の安心感には代えがたいものがありますね。私には刺激が強すぎました」

「・・・そうだね。いつもの姿が安心する、には俺も同意だ。刺激的なのは稀にだから良いのかもな」

 

おっと、お兄様も話せるクチですね。同志を得たようで嬉しいです。

 

「ところで、本来の目的は達成できたと思いますか?」

「ああ、疲れは取れたよ。いい休暇を過ごせた」

「ならよかったです」

「だが、溜め込むのが良くないということは実感したよ。もう二度と、こんなことは無いようにしないと」

「そうですね。これからは小まめに発散していきましょう」

 

お兄様のストレスが爆発すると危険だということは重々承知した。もう二度とこんな悲劇を繰り返さない。

その為にもお兄様の体調管理はしっかり気を付けておかなければ。

 

「すまなかったな、深雪」

「いいえ。お兄様のお役に立てたならなによりです」

 

 

――

 

 

こうして、お兄様の暴走は静まり、平和の戻った学校では元生徒会長を始め、いろんな人に拝まれた。

まるで宗教の祖になった気分。

 

「深雪さんに新たな称号がついたそうよ」

 

鎮魂の巫女だそうだ。・・・九校戦の巫女服の影響かな。

 

「達也くんは一高の災厄が封印されている生贄なんですって」

 

なんと、お兄様自身が生贄扱いになっていた。

災厄をまき散らす魔王じゃなくて封じられている人間なんですね。

 

「・・・演劇部の部長さんが好きそうな設定ですね」

「深雪さん、よくわかったわね。鋭意制作中だそうよ」

 

・・・前回が西洋ファンタジーだったから、今度は和風テイストなのかな。生贄文化は西洋よりも東洋文化なイメージ。部長忙しくなりそうですね。

 

「よくわかりませんが、深雪を公的に傍に置いておけるということですか?」

「・・・勝手に公的にしないで頂戴」

 

七草先輩から、まだ鎮まってないのでは?との視線を受けますが、大丈夫ですよ七草先輩。

 

「冗談はわかりやすい表情でしてね、兄さん」

「言質が取れたかと思ったんだがな」

 

にやりと口角を上げるお兄様の体調は万全です。

 

「・・・冗談?ほんとに??深雪さんちょっとマインドコントロール受けてないか検査してみない?」

 

お兄様は尻尾を隠すのが上手いので、揶揄われていることに気付きにくいのが難点。

卒業までに見分けられるようになるといいですね、先輩。

 

 

――

 

 

『ことの顛末と不穏な足音』

 

 

 

さてさて、やってまいりました恐怖の面接会場です。

キャビネットに揺られ、とある駅で降り、用意されている車に乗り込んで。――これで目隠しでもされていたらどこの秘密結社かって感じだよね。

純和風の大豪邸、歴史ドラマでよく見る武家屋敷です。

これで十師族の中では小さいっていうのだから、彼らの感覚は狂っているね。十分大きいよ。豪邸だよ。立派過ぎる。

前世であれば完全気後れしてUターンしてた。

今だってUターンしたい気持ちはあるけれど理由が違う。これからあるであろう、圧迫面接をバックレたいだけ。

この家にも見慣れたものですよ。あれです。母の実家に帰省する感じ。・・・ちょっと見栄張りました。そんな気楽なものじゃない。

迎え入れられ、中に入れば日本家屋だった外観からは想像できない洋風の造りに、この二面性が四葉だなあ、と妙な共通点に感心してしまう。

恐怖の権化みたいな家なのに、愛情深いってすごい二面性だよね。

ギャップが凄い。温度差で凍死するレベル。風邪じゃすまない。

車に乗り込んでからすでにお兄様はガーディアンモード。

口を開かず無表情で任務にあたっています。お仕事しているお兄様かっこいいね。

妹は邪魔しません。私も見習ってお嬢様モード頑張ります。

案内されて通された部屋で腰を下ろすのは私だけ。お兄様は横にピタリと立っている。

ここにお兄様とこうした形で来るのは三年ぶり。

前回を思い出すと胃が痛くなるが、今では・・・うん、まあ耐性付いたよね。多少は。

ほら、社長室も毎日掃除しに行けば勝手知ったる、になるらしいから。

面会も非公式含めれば何度もお会いしているわけだからね、そこまで怖がることはない、はずだ。

 

「おや」

 

お兄様の声に意識を浮上させて視線の先を追えば、二対のお人形さんのように可愛らしい一つ年下の姉弟の姿が窓の外に。

 

「黒羽の姉弟だ」

 

お兄様の表情が微かに緩む。お兄様はあの二人から慕われてますからね。お兄様にとっても可愛い親戚なのだろう。

ちなみに私と彼らの関係は原作とほぼ変わらない。お兄様を近寄らせたくない彼らの父親をどうにかしない限り、不用意に近づけばお兄様への風当たりが強くなることは目に見えていたので、私から近づくことは避けたのだ。

私が近づけば二人はお兄様に近寄るチャンス!と駆け寄ってしまうからね。しょうがない。知ってしまうとお兄様の魅力には抗えないから。

可愛い二人と仲良くなれなかったことは残念だけど、ここで何かを改変してもお兄様に利はない。元々カンストしている好感度をどうこうすることなどないのだ。

・・・だけど、亜夜子ちゃんはお兄様のことが好きなのよね、異性として。

結婚相手としても、四葉に置きたい叔母様からしたら十分に候補になると思うのだけど、その辺りどうなんだろう。

来年からは高校生になるんだし、これからチャンスがあれば、お兄様に近づける手助けをしてあげた方がいいのかしら。

亜夜子ちゃんも一途で可愛いのよね。彼女ならお兄様の立場も分かるだろうし、すでに四葉の闇も請け負い始めている。お兄様と一緒に裏から四葉を支えることができるなら、叔母様としても四葉全体としても不利にはならないはずだ。

 

(亜夜子ちゃんルートが一番荒波も立たずに、スマートにお兄様の居場所を確保できる、安定した未来なのよね。四葉からは出られないけれど。でも黒羽は表の姿もあるわけだから離れられる時間もあるはず。そこに四葉は絡まないのだから)

 

彼女ならお兄様の嫌がることは強要しないだろうし、叔母様の次の当主が私なら二人に不利な任務はさせないように配慮できると思う。そのためにも早いところ四葉の掌握頑張らねば。

表立って生きることは、そこまでできないかもしれないけれど、波乱に巻き込まれることは無くなる。

せいぜいの障害としたら彼女の父親くらいだろう。彼のお兄様嫌いは恐らく骨の髄まで浸透している。

だというのに最愛の娘が、その大嫌いな相手を好いてしまうのだから叔父様も運がない。

 

「ちょうど帰るところのようだ」

「ご挨拶できず残念ですね」

 

二人のお兄様への敬愛は四葉の柵をものともしない。もし彼らがここにお兄様がいると知っていれば、滅多にない機会を逃すことなく挨拶くらいは来るだろう。

それをしないのだから、彼らは知らないのだ。今日私たちがここに訪れていることを。

 

「気になるかい?」

 

これは、どういう意味の気になるだろう?四葉の次期当主候補として文弥くんが、ということなのか、はたまた別の理由か。

 

「年の近い親戚ですから」

 

仲良くありたいですね、と当たり障りのない発言に、お兄様はそうだね、と返した。

本音を言えば、かなり気になる。二人は、三年前以前のお兄様を知っていて、慕ってくれている二人だから。私が近づけなかった頃のお兄様を知っている唯一の二人だから。

勝手なことだとわかっていても羨ましく思う。いつか、二人に聞けば教えてくれるだろうか。

 

「深雪?」

「どうしましたか?お兄様」

「いや・・・」

 

物欲しそうに二人の後姿を見たことに、お兄様は気付いてしまわれただろうか。

ゆっくりと彼らから視線をそらして部屋を見回す。豪華だけれど品を損なわない芸術作品の数々がバランスよく配置されている。絵画から花瓶、ランプ等々。・・・淑女教育によって得た知識のお陰でどれも触れない品だとよくわかる。

私はソファと出入口以外近寄らないことを誓います。壊すどころか汚すことも許されない部屋。広すぎて自ら近寄らない限り触れることがないとわかっていても落ち着かない。

圧迫面接はすでに始まっていた。

今更ここの空気に飲まれるほどヤワなつもりはないけれど、気持ちのいいものではない。

こういった心理戦を理解し、己を律し、飲まれないどころか飲み下して場を制す。――それくらい熟せるようにならねばならない。

これも修行、と目を瞑ってこれからのことをシミュレーションしようとしたところでノックが。

木の扉だからよく響く。

 

コンコンコンコン。

 

私のどうぞ、との呼び声に開く扉から、時代錯誤な、まるで文明開化直後のような着物にエプロンという、絵に描いたお女中さんが、お客様を連れてやってきた。

この部屋が洋風だから余計に彼女の装いが際立ってしまうが、元は日本建築の建物。こちらの方がきっと本来にあっているはず。

すっと立ち上がって兄に続いて一礼する。

お客人、風間少佐にとって私はお兄様の妹であり、四葉家次期当主候補筆頭ではない。出しゃばらない程度に挨拶をし、少佐に続いて席に着く。

 

「久しいな、達也。先週会ったばかりだが」

 

矛盾した挨拶だけど、きっとそれだけ彼にとってこの一週間は忙しい日々だったのだろう。

敵を撃退してハイお終い、なんてそんな単純で終わるわけがない。

後始末ももちろんだが、現在の対策や見直し、すべてのチェックを行っての今日のはず。

顔色は、疲労していておかしくないはずだが、そんな様子を微塵も見せない。カッコイイ。これがプロフェッショナル。これが痺れる憧れる、ですね。しびあこです。

 

「少佐は、・・・叔母に呼ばれたのですか」

「そうだ。貴官が同席するとは聞いていなかったが」

 

それは完全に四葉の不手際。申し訳ないと謝罪させていただく。

風間少佐は気にしていないけれど、こういうのはマナーですから。

この場に四葉サイドの人間の目が無いとあって風間少佐とお兄様は世間話、というには些か物騒な話を織り交ぜつつ、この一週間の出来事について話を擦り合わせていた。

だが意外なことに、なのか理由があってなのか、風間少佐も不明な部分があると言葉を濁す場面があった。

隊のトップといえど中間管理職。知らぬこともあれば言えぬこともあるのだろう。お兄様は追及などせず引き際を弁えていた。

 

「それにしても聞きしに勝る秘密主義だな」

 

そして話は変わって四葉家のこと。この土地のこと、・・・今のお兄様をつくり上げた環境のこと。

 

「分かりますか」

「俺を誰だと思っている」

 

セリフだけ聞けばただの自信家だが、彼には豪語できるだけの実績と経験がある。

お兄様は苦笑して一礼をもって詫び、風間少佐はそれを鷹揚に頷いて許した。

二人の会話は先ほどよりも物騒且つ後ろ暗い四葉の因習の話にまで行っているが、二人の間に悪い空気はない。

淡々とした会話でも温度があるように感じるのは、二人の間に互いを思いやる情があるからか。

この二人の方がよっぽど親子のようではないか。

 

(あ、この二人がお酒を酌み交わしている姿が見えた!成人したら父と息子がやってほしい儀式の一つよね。・・・この時代アルコール摂取の規制がゆるゆるなので、成人を待たずにアルコール飲むのだけど)

 

ちなみに私もお酒の味を知っている。・・・そこまで強くないのであまり嗜まないようにお兄様には注意を受けた。

前世も元々強くなかったし、チューハイ一缶でそれなりに満足を得られる体質だったことは節約にもなっていたと思う。おかげで掛けたいところにお金を掛けられた楽しい人生でしたとも。

好きだけどね、お酒も、飲み会の雰囲気も。深雪ちゃんとなった今、もうそういった場所には縁はないだろうけど。

 

 

――

 

 

コンコンコンコン。

 

またしてもノック音。

お兄様たちの会話もキリがいい。

入室許可を出せば――見覚えのある若い執事が。私たちと同年代の、これから頭角を現しそうな有能執事予定の少年だ。

年若くとも四葉の執事。洗練された動きで一礼すると、当主が今迎えている客の用事が長引いているので、もうしばらくこちらで待っていていただきたいとの旨だった。

どの道、私たちにはここで待っている以外の選択肢はないのだ。

風間少佐も心得ているとばかりに返答し、私は目礼だけ返すのだが。

 

「深雪様、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」

 

奥様からは許可をいただいております、と続く言葉に否を唱えられるわけもなく。

用件にも心当たりがあったので、迷いなく立ち上がり、お兄様に向き直る。

 

「お兄様はお待ちくださいませ。叔母様が来たらすぐに迎えをお願いします」

 

風間少佐がいるからお兄様に冷たく当たらなくていいのは嬉しいね。少年執事くんは面白くなかっただろうけど、ゲストがいることはわかっているからか、何の反応も示さない。

お兄様もここで待たされることに不満をおくびにも出さず了承した。

風間少佐にも中座を詫びて部屋を出る。

 

 

 

向かうは大広間とは比べ物にならない一室、小ぢんまりとした洋間。ちょっとした打ち合わせにはもってこいの部屋だ。

 

「あまり時間はございませんので、詳細はまた後日お時間をいただければ、と」

 

前置きをそこそこに。

今時珍しい紙の資料を手渡され、ぺらぺらと捲っていく。

端末が主流の時代でも、情報を見るだけなら紙の方が楽だったりする。個人差もあるだろうけど、私は特に。

彼も心得たもので余分な言葉は言わず、空気と化して邪魔をしない。教育が行き届いてます。いい子。

 

「――思ったよりも悪感情が少ないようですね」

「横浜で巻き込まれた一般市民の中に、こちらに書きこんだ者がいたことで信憑性が高くなったのかと」

 

私が今チェックしているのは、この時代にもしぶとく生き残っている電子掲示板、スレッドを立てて匿名で好き勝手書きこめる、所謂ちゃんねる系である。

魔法師にはあまり馴染みのないウェブサイトだ。アングラ系だしね。一般からあぶれた人たちが世の不満や鬱憤を書きこむようなサイトを、そもそも一般人すら目にする機会はない。

元々ここに書きこんでいたのは魔法師に良いイメージを持っていない者が大半だった。人間扱いをしない過激発言が飛び交っていた。

だが彼らが本心で言っているのではなく、ただのうっぷん晴らしで言っているだけだったので、そこを利用させてもらった。――そう、草の根運動はこういう地下からやっている。芽吹いた時の爆発力があるからね。

もちろんここ一つだけではない。いろんなサイトで意識改革は始まっているのだ。

もう三年。この地道な活動をしているが、おかげさまで、

 

「・・・ここの人たちを一般人というには無理がありそうですけれど」

 

実は諜報活動でもしてます?というくらい裏の事情がまことしやかに流れてます。なんでここに横須賀に大亜連合の不審船が侵入した原因が○○議員で、いつからか羽振りがいいとかそんな細かな情報が?日本の危機を訴える声もちょくちょく上がっているね。

・・・ちょっと前まで都市伝説的だった扱いの情報が、今じゃ限りなく真実に近い情報が流れるサイトにランクアップしている。ログを見る限りこれ、うちの工作じゃなさそう。

 

「もしや私たちだけでなく、誰かほかにもこのサイトを利用しようとしている人間がいますか?」

「調査したところ、どうやら上部に睨まれたジャーナリストが、握りつぶされた情報を公開する場になっているようです」

 

あらぁ・・・。それはなんて好都合。

ニュースで流れる情報よりも正確でより深い内容だ。軍の内情は流石に流れていないけれど、警察の動きがどのようなものか結構詳しく流れている。その場にたまたま居合わせた警察の迅速な対応があったから、一部の被害は食い止められたとの推測もあった。非難する声もあったけど、このネタのお陰で多少緩和している。

なにより気になる一文が。

 

『制服を着た魔法師の女の子が、震えながら魔法で俺たちを守るために戦ってくれていた。俺の妹と変わらないくらいの女の子が、だ。・・・魔法使えるなんてずるいって思ってたけど、力があったって、武器があったって怖いもんは怖いよな。そんな簡単なこと気づかなかった』

 

叩く言葉が流れるのはちゃんねるの様式美なのだが、一、二言だけで同情の声の方が膨らんでいた。

 

「これはうちの仕込みではないのですね」

「保護されたうちの一人と確認が取れてます」

 

むしろそのあとの、冷めたようなコメントがうちの子の仕込みのよう。あまり加熱させるとこのサイトが変な方向に進むからね。基本的にここはバランスよく、両方が利用できる板であってほしいから。

他のサイトもパラパラ。似たような流れだが、今回反魔法師の発言に力が無いのは、不満を向ける先が日本の政治家や襲ってきた国に向いているからか。

正常な、健全な方向に流れている。変な誘導は無さそう。

一つ二つ、反魔法師思想の強いサイトもあるが、ここも叩く内容が不正をしただろう政治家たちをやり玉に挙げている。

この後の流れが気になるところだが一週間後だとこんなモノだろう。

 

「このままこの議員のように、例えば今度はジャーナリストを擁するマスコミ関係を探れば、芋づる式にいろいろ見つかるかもしれませんね」

 

例えば、USNAの皮を被った反魔法師活動に勤しむ工作員とか。

 

「――ではそのように」

「お願いします。あと、こちらはチームの皆に渡しておいていただけます?音声メッセージで悪いのだけど」

 

本当は一人一人手紙でも書いて労おうと思っていたのだけど、たとえ十数名の少数精鋭チームであっても嵩張るから諦めざるを得なかった。お兄様に何か聞かれたら困るので。

――お兄様に秘密の暗躍チーム。叔母様に相談して作らせてもらった。人材は――先ほどお兄様たちがお話していた四葉の闇、淘汰されかけた人やドロップアウトした人をピックアップ。後がない人間は必死になる。おかげでたった三年で、彼らは技術を身に着け、魔法力を必要としない分野に溶け込み、魔法のように人を操ることにやりがいを見出し、よく働いてくれるようになった。まだ新設されて三年のプロジェクトチームにそこまでの実績はないが、徐々に影響力を持ち始めている。

魔法師からは見えない情報を見つけるのに、彼らの目は役に立つと葉山さんからのお墨付きが出たことも大きい。

 

「直接伝えられればいいのだけれど」

「そのお気持ちだけで彼らは十分報われるでしょう」

 

四葉の執事は気分を良くさせる技術を磨いているのに、どうして青木さんはあんなだったのだろうね。

この人だってドロップアウトするような人間を擁護するタイプではなく冷めた目で見下すタイプなのにそんな素振りを一切見せない。

よく教育が行き届いてるよ、本当に。

 

「貴方も、代わりにまとめてくれて助かってます。ありがとうございます」

「――もったいないお言葉です」

 

・・・そして顔がいい。ここで働く人間は基本顔がいい。

目立たぬように控えているから見逃しそうになるけれど、少数精鋭の四葉だから彼らも当然魔法力も強い。だから顔がいいのか、それとも・・・当主の趣味か。

綺麗系な顔だよね。好きですよ。ゆくゆくはぜひ葉山さんみたいに有能執事さんになっていただきたい。

 

 

――

 

 

そろそろ戻らないと叔母様たちを待たせることになるかもしれないので、少し足早に大広間に戻る。

中に入ると、まだお兄様と風間少佐のみ。よかった、間に合った。

一礼する少年執事を見送ってまた三人の時間になるのだけど、・・・お兄様、何かありました?空気が、ちょっとね?横顔に視線を感じるのですが。

でも時間もないだろうし、風間少佐もいるから何か聞いてくるということはないのかな。

 

「達也、落ち着いたらどうだ?」

「俺は落ち着いていますが」

 

少佐にはお兄様が落ち着きないように見えるらしい。残念ながら私には考えが纏まっていなさそう?くらいしかわからない。ちょっと悔しい。

そしてお兄様の何でもないような回答だけど、感情がちらっと覗いている。・・・本当、風間少佐のことを信頼しているのね。

 

「お二人はまるで親子のようですよね」

 

ポロリと零した言葉に二人は虚を突かれたような顔をしてこちらを見つめている。

そっくりですよ、お二人とも。

そもそも驚きの表情にそんなにバリエーションは無いけど、その驚き具合?度合が一緒。

母の時とは違う、お兄様はこの人を見ていろいろと学んだのだろう、と思われる動きだ。

 

「失礼しました。ですが、いつかお二人がお酒を酌み交わす姿とか想像ができてしまって」

「――・・・それはまた、理想の親子像ですな」

 

夢見がちなことを言って呆れられるかも、と思ったけれど案外少佐もお好きです?ちょっと口元が緩んだ。

お兄様はまだイメージができていないのか、はたまた風間少佐を父呼ばわりしたことに戸惑っているのか。困惑気味だ。

だが、そんな空気もお兄様が体ごとを扉に向けたことで切り替わる。

 

ラスボス様のご登場だ。

 

先に葉山さんが入り、ゆったりと叔母様が入室する。

二人が入るだけで空気が一気に塗り替えられた。

立って迎えた背筋は意識せずともピンと伸び、視線は失礼がないよう伏し目がちで、直接合わせることはしない。

首を垂れなかったのが不思議なほどの威圧感。

そんなプレッシャーが目の前の女性から発せられていた。

座るよう指示されるのは風間少佐と私だけ。お兄様には声もかけられない。

葉山さんも同様。叔母様と少佐、私にだけ紅茶を配り、そっと控えた。

叔母様は約束の時間を過ぎてしまったことへの謝罪を述べた後、すぐに本題へと入った。

――一週間前の横浜での事件において国際魔法士協会の動向、そして今後のこと。

軍港を消滅させた爆発が憲章に抵触する『放射能汚染兵器』によるものではないと断定。よって懲罰動議は棄却されたこと。

そしてこの爆発によって十三使徒の一人、劉雲徳が戦死したことで、大亜連合は大打撃を被ったこと。

世界のバランスが崩れたこと。

そして日本がこれを機に、大亜連合にこれ以上ちょっかいを掛けさせないため、我が国唯一の戦略級魔法師、五輪澪さんを出動させたとの機密情報を開示した。

風間少佐も知らなかった情報が満載らしく、対等であったように見えた表情がみるみる硬くなっていた。

お会いしたことはないけれど、澪さんの体調は長期に船に乗れるほど体力は無いはずだ。写真で拝見したけど、儚い美女だった。

幼く見えるのに美女、と評するのは表情に翳が濃く見えたから。年も二十歳を回ったくらいなのに、まだまだ瑞々しい年齢だというのに。

大きすぎる力というのは人間には過ぎたものだというのか。

だとしたらお兄様は――

 

「三年前からの因縁は、これで決着がつくでしょう」

 

叔母様の言葉で沈んでいた思考が一気に浮上した。いけない。ここで気を抜いては。

そして叔母様は言う。お兄様が戦略級魔法を使ったと怪しまれることの危機感を。あの一件で、世界はアンノウンの魔法師の存在に気付いたのだ。

一人の戦略級魔法師が斃れ、見知らぬ、全く情報のない戦略級魔法師が現れる。この情報に危機感を覚えない国はいない。

確実に探られることは避けられない。

だから叔母様は忠告という形でお兄様にしばらく接触を禁ずると、今後しばらく対大亜連合の戦いにお兄様を参加させないようにと『お願い』した。

そして風間少佐も、その要求を吞む。

お兄様の力を抑止力に利用した彼らは呑み込むしかなかった。

 

 

――

 

 

「そうそう深雪さん。新しいプロジェクトの件だけど、今なら経理担当の青木さんがいるからお話してきたらどうかしら。葉山さん」

 

風間少佐がお帰りになり、一息ついた頃、叔母様が葉山さんを呼ぶ。

二人で秘密のお話をするので追い出されるのですね。承知しました。

お兄様の視線が向きますが、目を合わせて微笑みかけて席を立ち、叔母様へ一礼して葉山さんに続いて部屋を後にした。

 

 

 

葉山さんは穏やかな笑みを湛え、音もたてずに案内する。

私の目には好々爺に見えようとも、この人は正式な四葉の人間ではない。

優秀な人材を各方面から登用している四葉家ではあるが、この人だけは種類が違う。彼は派遣されてここで仕えているに過ぎない。

要は監視係だ。原作を知っているので情があることはわかっているが、それでも油断していい相手ではない。

四葉が勝手をしないよう、注視する。時には諫め、助言し、――もし範疇を超えるようなことがあれば、彼は四葉を処分する役割も担っている、のかもしれない相手なのだから。

油断はならない相手とわかっていても、老執事――実力は右に出るものはいない、暗躍だってお手の者の執事長、――なんてロマンでしかない。

そして表向き仕えているのはあの女帝の真夜様だ。絵になる。最高。

命を握られているかもしれないのに何を暢気に、と思うかもしれないけど許してほしい。

こうでも思っていないと余計なことを考えてのまれてしまうから。

オタク思考は精神安定剤。いい薬です。・・・副作用もあるのが玉に瑕だけど。

 

「こちらです」

「ありがとうございます、葉山さん。貴方にこのようなお仕事をさせて申し訳ありません」

 

本当、申し訳ない。叔母様を案内するのと次期当主候補では重みも何も違う。だというのに葉山さんはそんなこと気にしなくていいと告げて、青木さんに一言声を掛けてから部屋を出ていった。

すぐにお兄様たちのいる応接間に戻るのだろう。

だけど、くれぐれも深雪様に失礼のないように、と言われた青木さんがたぶるしてます。・・・どんな教育されたんでしょうね。

 

「お久しぶりですね、青木さん。新プロジェクトについてとのことと窺ったのですが」

 

あまり時間もないだろうし、サクサク行きますよ。冷たいかもしれないけれど、ぷるぷる怯えているおじさんに興味はないのです。

いくら本物の執事ではなく、分担業務上の呼び名であってもその名を冠しているのだからそれなりに弁えればよかったのに。

余計なことを言ってしまうからそういうことになるのですよ。いい勉強になったでしょう。

 

「、こちらの資料をご参照くださいませ」

 

前置きはいらない、と言外に言ったのが伝わったようで端末を渡される。

だいぶ空気が読めるようになりましたね。いいことです。

新プロジェクト、それは千秋ちゃんの件で使った集音器や、以前作ってもらった時計型録画装置等、魔法に頼らないスパイ道具の作成や、特殊な金属を編み上げて作るハンカチやスカーフにしか見えないひみつ道具の構想などを実現させるためのプロジェクトである。

一般販売をするかは不明。今のところ予定は無いが、需要は確実にある。魔法のようで魔法ではない技術を魔法師が使ったらどうなるか――確実に隙を作ることができる。魔法師も非魔法師も警戒する未知の技術。

サイオンの反応が無くとも魔法と疑わずにいられない不思議アイテム。・・・なんて。構想の段階であって、本当に作れるかなんてわからないのだけど。

何でも以前捕えた『ちょっと悪さをした』魔法士さんの中に手先の器用な人がいたようで、洗の、ごほん。・・・説得をして手伝ってくれることになったらしい。

元々自作、改造した暗器を使ったりしていたそうな。・・・忍者かな?奇術師かな?なんともお誂え向きな人材ですね。それを好きに使っていいのですか?なんてタイミングが素敵ですこと。

資金はどれくらい出してもらえるか青木さんと折衝し、思ったよりも出してもらえるらしいことが判明。

あの、周相手に太刀打ちできたこともポイントが高かったらしい。・・・この時点で周がどんな危険人物か注視しているんです??原作無視もいい所ですね。どんどんやっちゃいましょう。

仕事の話になると青木さんも饒舌になる。仕事のできる男でした。これなら確かに鼻高エリート思考になってもおかしくないのか。お兄様への冒涜は許さないけど。

 

「ありがとうございます、青木さん。これならすぐにでもプロジェクトが始動できそうです」

「・・・深雪お嬢様のお役に立てたのなら幸いです」

「これからも頼りにさせていただきますね」

 

そうにっこり笑ったら泣かれた。

好意のないおじさんの泣き顔・・・別に興味ないな。うん。そっとしておこう。

さて、お兄様の方の叔母様との圧迫面接は終わった頃かしら、と思っていたらノック音。――この音はお兄様!

すぐさまどうぞと声を掛ければお兄様のお迎えでした。

ありがとう。むさくるしい泣き顔おじさんと一緒で困っていたところです。

お兄様は一瞬青木さんの顔を見て固まったが、すぐに視界から外していた。お兄様も見たくなかったのですね。

お兄様に案内されて先ほどとは別の応接室へと向かう。まだお家に帰っていいとは言われていないのでここに残されているのはわかるけど、まだ何かあったかな。。

葉山さんから、私を迎えに行ってからこの部屋に向かうよう指示があったそう。

ところでお兄様、全て修復できているからと安心しているでしょうが、私の鼻は誤魔化せませんからね?・・・深雪ちゃんのこの、『情報は五感の触覚や嗅覚でわかっちゃう能力』は本当にすごい。

主にお兄様にしか発動してないのだけど。それ以外もしょっちゅう反応してたら気がおかしくなるので、普段お兄様といる時は大抵シャットアウトすることにしています。

でもこの家のように警戒をしなければならないような場所では当然解除するよね。何があるかわからない。

おかげでいつも以上にビンビンセンサーが反応しています。お兄様が血を流したらしいという事実に。

部屋について、座るように促されるけれど、周囲の気配がないことを確認してから、お兄様の目の前に立つ。

 

「どうした?」

「・・・お兄様、おいたをしましたね?」

 

お兄様は無言。目も泳いでない。けれど私は誤魔化されません。まばたきの動きが一瞬不自然でしたよ。

 

「・・・その言い方はどうかと思うが、すまん」

 

叔母様とドンパチしましたね、の方がよかったと?どちらでもよかったですが。

お兄様も叔母様もどちらも戯れ程度の応酬で。本気ではなかったけれど、お兄様にとっては意思表明のようなものをしてきたつもりなのだろう。三年前の自分ではない、と。

叔母様と対決なんて、しなくて済むのが一番なんですけどね。お兄様が自力で自由を得られるのはまだ未確定だから、自分の立ち位置をはっきりさせたかったのかもしれないけれど、葉山さんを警戒させてしまうには十分だったはず。

叔母様は原作通り、四葉家次期当主の私を婚約者としてお兄様を縛り付けるのか、はたまた別の案があるのかわからないけれど。

 

(まだあと一年ある。この時間を有効に使って、お兄様にはぜひ幸せを掴み取ってもらいたい)

 

もし一年で達成が無理でも仮の婚約者として時間を稼いで、誰か別の愛を掴み取ってくれてもいい。そうしてくれれば、後は私が全面バックアップをするから。お兄様の望むように、補佐するから。

だからどうか、――幸せに。

 

「今回は正面から仕掛けられたでしょうから、お兄様でも回避できなかったのでしょう?怒ってなんてないですよ。けれど痛かったでしょうから心配はします」

 

そう言って痛かったですね、と食らったであろう腕やわき腹、腿に触れていく。

お兄様は身じろぎもしないで、くすぐったいだろうに耐えていた。

 

「今は痛くなくとも、痛みは確かにあったのです。そのことを忘れてはいけませんよ」

 

ひどい扱いを受けているのだから忘れなくていいのだ。痛みを無かったことになんてしなくていい。

自分のために怒れないというのなら、代わりに私が怒るから。悲しむから。

 

「ごめんな、心配かけて」

 

私が悲しむことに、しょんぼりするお兄様。可愛いけど、頭を撫でてあげたくなるけど我慢だ。

ここはまだ四葉本拠地。抱きしめることも、撫でることも、ここでは許されない行為。

 

「ありがとう、深雪」

 

ーー微笑むお兄様を撫でさせても、抱きしめさせてもくれない四葉から早く離れたいですねぇ!

どうして撫でちゃいけないの?兄妹なんだからそれくらいいいでしょう?!

 

(誰よ、お兄様を欠陥品だって魔法師として偽物だって言ってるやつ!!今ならコキュっと逝かせてあげるから)

 

不満をため息に変えて席に着く。

そろそろ何かアクションがあるだろう、と待つことしばし、ノックと共に一人の少女がやってきた。

初対面であっても私は彼女を知っている――水波ちゃんだ。

穂波さんの、遺伝子上姪に当たる。

穂波さんを幼くしたらこんな感じになるだろう、と言うほどそっくりな容姿にお兄様がわずかに反応したのがわかる。

私?知っていたもの。反応なんて――、と思っていたけれど、頭でわかっていても動揺はするらしい。

目が彼女から離れなかった。

 

「如何なさいましたか?」

 

穂波さんとは違う声にほっとした。

彼女はクローンではない。

けれど、自然でもない――私と似て非なる、調整体。

 

「知っている方にそっくりだから驚いたの。お名前を窺ってもいいかしら?」

「わたくしは桜井水波と申します」

 

お兄様からやはり、という気配。そして私だから気づける程度のわずかな怒気。

それに気づかぬふりをして。

 

「そう、縁者の方なのね。知っているかもしれないけれど、母のガーディアンが桜井穂波さんだったの。とても素敵な、私にとっては姉のような存在で、憧れの女性だったわ」

 

その言葉に、水波ちゃんは茶菓子を置く手を一瞬止めた。

ガーディアンを主人が褒める、労うなんて思ってもなかったのかもしれない。ましてやそれを憧れの女性だと評するなんて、彼女の常識ではありえない発言だろう。

 

「皆には内緒にしてね。きっと知られたらミストレスとして相応しくない思想だと思われてしまうから。貴女だから話したの。胸の内にしまっておいてもらえるかしら」

「・・・はい。深雪様のおっしゃる通りに」

 

すい、と頭を下げる水波ちゃんとの距離はまだ遠い。

自身がガーディアン候補ということは知っているだろうけど、まだ決定していないのか、それとも試験中なのか。

叔母様の中では確定だからこの場に呼んだんだろうけど。

お茶を並べ終え、任務を終えた彼女は、中学生と思えない洗練された動きで部屋を出ていった。

 

「・・・驚きましたね」

「そうだな」

 

お兄様の声は固い。

・・・勝手な想像だけれど、お兄様の初恋は、自覚することはないけれど穂波さんなんじゃないかな、と前世で勝手に推測していた。

彼女だけが、お兄様を心配してくれていた。同情だったかもしれないけれど、そこには確かに情はあった。

他人なんてどうでもよかった、あの頃のお兄様の心に残り続けることのできた彼女は、きっとお兄様にとって大事な人だったはずだ。

それを利用されたと思えば、お兄様が腹を立てるのも無理からぬことだ。今のお兄様にはもうわずかとは言わせない、感情があるのだから。

 

 

――

 

 

葉山さんを連れていないで入室した叔母様は、お兄様にも座るよう促した。

プライベートということらしい。

 

「先ほど、母のガーディアンにそっくりな少女に会いました」

「ああ、水波ちゃんね」

 

あっさりと叔母様は水波ちゃんの素性を語ると、今後私のガーディアンにする予定だと説明した。

するっと七草の双子ちゃんと比べて遜色ないと語る辺り、七草の内情しっかり押さえてますよね。好意的だから、とは思わないけども。

ガーディアンを同性にしたい気持ちはわかりますよ。女同士でしか守れない場所がある。

・・・もう温泉であんな悲しい想いはしたくないから。水波ちゃんなら一緒に入ってくれるって信じてるから。

って、そこじゃなかったね。

ここがプライベート空間なのだと叔母様が認識されているのなら、と私も遠慮せず動くことにする。

お兄様にずっと預かってもらっていたバッグから小包を取り出した。

 

「こちらは叔母様に」

「あら、なあに?」

「ちょっとしたプレゼントです」

 

いつも納品している包装紙なので、叔母様にはモノが何か伝わったはず。

だけどお兄様の前なのでその名称は言えない。それもわかって叔母様は笑みを深くした。

 

「そう、それは楽しみね。後で見させてもらうわ」

「時間のある時に、ぜひゆっくりとお楽しみいただければと思います」

 

にっこりと微笑む私と、悠然と微笑む叔母様。

なのにどうしてこんなに空気が冷え込んでいるように感じるのでしょうね?

・・・私が含みを持たせたからですね、はい。

流石淑女検定特級をお持ちの叔母様です。敏感に察知しますか。ただのぬいの洋服でないと見抜かれた。

まあ、箱のサイズが違いますからね。勘付かれてもおかしくはない。

お兄様は警戒しなくて大丈夫ですよ。ここで先ほどの二の舞、全面戦争なんて起きませんからね。

その後、特に変わった会話もなく、お茶と他愛ない会話を楽しんで、(寒くなってきたから温かい服をちゃんと着るのよ、は冬用の服の催促ですね。わかってますとも。コートとマフラーもお付けします)ようやく面接は終了。

四葉邸からの脱出に成功した。

 

 

 

 

キャビネットに乗って五分、ようやく体から力が抜ける。

 

「お疲れ様、深雪」

「お兄様もお疲れ様です」

 

互いに労い合い、苦笑する。

息苦しかった。あそこは風間少佐の言うように死の臭いが充満している。

慣れていても、意識せずにいられるようになっていても、あの空間を脱した直後に感じる違和感が思い起こさせる。

――あそこは尋常でない場所なのだと。

 

「思ったより早く終わったな。帰りはどこかに寄るかい?」

「それもいいですが、今日は真直ぐお家へ帰りませんか?」

 

寄り道ももちろんいいけれど、お兄様のお洋服選びたいっていう目標もできたしね。近いうちにお願いしたい。

だけど今日は、それよりも真直ぐ家に帰りたい。

 

「お兄様とゆっくり過ごしたいです」

「・・・そうか。そうだな。二人きりでゆっくりしようか」

 

手を繋いで、寄りかかるように寄り添って。

 

「三年前とはいろいろと変わりましたね」

 

あの頃はこれほどの距離で座るなど、まだできなかった。

 

「この半年でも随分変わった気がするよ」

「お兄様もそう思いました?」

「ああ。集団生活によっていろいろと気づかされた」

 

繋がった手が強く握られる。痛くはないけど力強さは感じる。

ちらりと視線を向ければ、お兄様と目が合った。

 

「深雪の可愛さは周囲と比べるものではないが、尋常ではなかったことを改めて認識したりもしたな」

「・・・それは身贔屓というものですよ、お兄様」

「そんなわけがない」

 

否定が早い。光の速さ。

 

「お前の兄でいるということがどれほど恵まれていることか」

 

そして眩しいものを見るような笑みを浮かべていた。

 

「私も同じです。お兄様が傍にいてくれるから、私は――」

 

続きはお兄様に頬を撫でられ紡ぐことができなかった。

甘い眼差しに射抜かれて、心臓が痛い。

お兄様の瞳には、私はどんな顔を映しているのか心配になる。おかしな顔をしていないだろうか。

 

「まだ兄離れなんてしないでくれよ。お前が傍にいないと落ち着かなくなってしまう」

 

あら、まあ。お兄様こそ私を置いていろんなところを飛び回っているというのに。

思ってもみないお兄様の発言に、先ほどまで煩いくらいだった心の中がすっと落ち着いた。

 

「それはまた、見当違いな心配事ですね。お兄様が私を置いていかれるのでしょう?」

 

九校戦での数日間、寂しくなかったと言えば嘘になる。

お兄様はいつも人に頼られ、囲まれていた。誇らしいと同時に寂しさも込みあげた。

コンペティションもそう。私が手助けできることではないので遠くから見つめることばかりで。

いずれお兄様も誰かと恋をして、私から離れていくのだろうと思っていても、今はまだその時じゃないから、とつい自分を甘やかしてお兄様の傍に侍ってしまう。

だけれどもいつかは、お兄様は――自由になって私の許を離れていく。私はそれに耐えられるだろうか?

お兄様の為だけにつくられ、存在する私に。

 

(――耐えねばならない。お兄様の自由を維持するために)

 

それくらいできなくて何がお兄様の妹ですか、と心に喝を入れる。

 

「お兄様が妹離れしない限り、無いと思われますけどね」

「だと良いがな。だがその場合、一生になってしまうかもしれないぞ」

 

それは無いでしょう。お兄様の周りにどれだけチャンスがごろごろ転がっているとお思いで?

ちゃんとチャンスをモノにしてくださいね。妹はいつだってお兄様の幸せを祈ってます。

 

「だとしたら、二人仲良く生きていきましょうね」

 

そんな未来はきっと来ないけれど、今この時だけは甘い夢を見るのは許されるだろうから。

 

 

 




と、いうわけで前半が距離感がおかしくなった二人の修正のお話で、後半が修正後のお話となります。
お兄様は疲労していたからおかしくなっていたようです。妹も同様でしたね。疲労は思考を鈍らせますから。・・・だからって箍を外していいわけじゃないんですけどね。
皆さまも疲労にはお気を付けください。

途中わかりにくいかもしれませんが、独自解釈としてお兄様の眼は直で映像として認識できないけれど、ある程度情報を入れると補完できて脳内で映像化できるということにしております。

前作誤字報告してくださった方ありがとうございました!誤字脱字は本当に多いので・・・読みづらくて申し訳ありません。

ハーメルン初心者なのでまだ機能を使いこなせておらず、今日になってようやくつけられた評価一覧という機能を発見しました。
評価いただきありがとうございます。一言コメントも読ませていただきました。
こちらに関しましては活動報告の方で気になるところを返せたらと思います。
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