妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします!(修正前)   作:tom200

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来訪者編 中編

 

 

先生たちはどこからどのように情報を得ているのですかね?

音もなく車が到着した場所は、ナビで確認なんてしてなかったように見えるのに、ここが目的地で間違いないらしい。

ちょっと離れたところから鋭いプレッシャーとぶつかり合う物音が。

戦闘の空気ってこうして肌で伝わってくるのでわかりやすくて助かるね。

ありがとう、深雪ちゃんのパーフェクトボディとその能力にはいつも助けられています。

集中してその先を窺うように意識を持ってみれば、ぱちぱちと静電気みたいなものと温かな火を僅かに感じる。リーナちゃんの得意魔法かな。

流れてくるサイオンがどんな魔法を使用したのか教えてくれた。

聞こえてくる複数の人の声に、リーナちゃんの魔法が使用されてから時間が経っているはずなのにこれだけ情報が残っているなんて、やっぱりすごい威力だ。

今の私は中程度にしか精度は上げてないのに、集中したとはいえ僅かにでも感じられるなんて。

見える距離まで来ると、ちょうどお兄様が偽物の警官の恰好をした男を一人地面に沈めたところだった。

冷徹に相手を躊躇なく蹴り飛ばすお兄様かっこいい!

こんな場面だっていうのにどうして煩悩って消えないんだろうね。結構な音がしました。

そのまま攻撃を食らった顔面が陥没しててもおかしくないくらいなのに、そんな悲惨な場面を目撃しても思うところがお兄様かっこいいだなんて。私の脳はお花畑だね。

ある意味幸せなのでこのまま修正せずに行こうと思う。

倫理観?そんなもの大事に持ち続けてたらこの世界で生き抜くのは大変ですよ。

身内に甘く、敵には厳しく。

だから――目の前で互いに銃とCADを向け合う二人と、そのお兄様と取り囲む偽警官三人の姿に、お兄様がまだ話を聞きたそうだけれど抑えきれなかった。

この、胸の内に宿った激情を。

 

「・・・さようなら、タツヤ」

「そんなことさせないわよ、リーナ!」

 

リーナちゃんが反射で飛び出した私に視線を向けると同タイミングで、男たちがお兄様に襲い掛かる。

けれどリーナちゃんがいなければあの程度の敵にお兄様が手間取ることなどない。

リーナちゃんがこちらに左手を向け起動式を展開するのを、男達を打ち倒しながらもお兄様が見逃すはずもなく、敵に背を向けてでも術式解散できっちり打ち砕く。

お兄様がリーナちゃんを抑えてくれるのなら、お兄様の背を守るのは私の役目。

今にも襲い掛からんとする男の前に冷気の壁を構築する。

急に出現した氷の壁に慌てて急停止する男を、声も出させることなく昏倒させる先生。その姿、正に忍び寄る者。かっこいい。瞬殺です。

 

「いやぁ、達也くん、危ないところだったね」

「白々しいですよ、師匠。隠れて出番を待っていたくせに」

 

・・・この会話、めっちゃときめかない?互いが互いに分かり合ってるところがグッド。

そしてごめんなさい先生。もうちょっと後に出たかっただろうに。

お兄様ももう少し話を聞きだしたそうだったのに己を抑えきれず申し訳ないです。

リーナちゃん、驚いた顔も可愛いね。

CAD向けたままで悪いけれど、お兄様も右手を向けたままだし、先生だってお兄様に顔を向けていてもリーナちゃんをしっかり視界に収めてますね。怖い布陣だ。逃げられない。

 

「まあ良いじゃないか。君もいろいろと訊きたいことがあったみたいだし」

「・・・出しゃばった真似をして申し訳ありませんでした」

 

視線はリーナちゃん(警戒対象)から外せないけれど、言葉だけでも謝罪する。

敬語になってしまったのは、先生の前で取り繕うのもおかしな気がしたのでいいかなって。

でもお兄様呼びはやめておいた方がいいのかな。

どうしよう。呼ばなければおかしく思われないと思うのだけど・・・。そこまでは考えてなかったな。反省。

 

「謝ることなどないよ。実際危なかったのは確かなんだから。ありがとう」

 

優しい声色だけど表情厳しくリーナちゃんを見据えているお兄様器用ですね。優しくフォローまで。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

ここで謝るのもおかしくなってしまうので大人しく口をつぐんだ。

 

「それに訊きたいことはこれから訊けば良いだけだしな」

 

それからリーナちゃんとの問答が始まる。

不利な状況でも毅然と立ち向かうリーナちゃんは修羅場をくぐってきた歴戦の戦士なのだろう。総隊長の名は伊達じゃない。

時折綺麗事で正当性を主張するけど、お兄様にはお為ごかしは効かないからね。

一対三が卑怯だって言うけど、その直前数人で囲んでたのはとんでもないブーメランでは?

ちなみにお弟子さんはカウントされてない模様。もしや気づいてないのかな。

姿は見えていないけど、気配探れば先生ほどではないから感づけるはずなんだけど。思ったより余裕がないのかもしれない。

リーナちゃんが逆上するよりも早くお兄様が身も蓋もない発言をして、今度こそ逆上するリーナちゃんだけど、そうすることによって奮起しているようにも見える。

怒りは原動力だから。先生は噴出して笑ってますね。楽しそう。余裕ある大人は違うね。

でもリーナちゃんの日本人差別ともとれる発言に、先生は鋭く彼女のルーツに切り込んでいく。

そうだね。先生の目的これでしたものね。

そしてお兄様は提案する。

フェアとは名ばかりの一対一の勝負を仕掛けたのだ。そしてそれを了承するリーナちゃん。

・・・こういうところも諜報には向いてないよね。諜報の人ってこういう言葉の裏を読めないといけないから。

彼女の場合、力づくで勝てば問題ないとでも思ったかな。

さっき戦った時に勝てると確信でもしたのか。だけど彼女は忘れていないだろうか?

お兄様がきわめて怪しい候補として、アンノウンの戦略級魔法師か確認するために派遣されていたはず。隠し玉があるかもしれない可能性抜けてない?それともそれを御せるだけ己の力を過信してる?だとしたら――

 

「いいわ」

「待ってください」

 

条件を呑むリーナちゃんの言葉に重なるように待ったをかける。そのせいで彼女が鼻白んだが、気にすることなく私はお兄様に向き直る。

 

「リーナとの勝負、私にさせてください」

「ミユキ、アナタ何を・・・」

 

お兄様と見つめ合う視線を断ち切って、今度はリーナちゃんと視線を合わせた。

彼女は綺麗な表情を歪ませてこちらを見ている。疑っているような眼差しに、気分も害しているのかもしれないと思うけれど、ここは私も引き下がれない。

 

「リーナ、貴女は私の友人であり、ライバルだと思ってる。だけど私の目の前で傷つけようと、――殺そうとしたことを見逃すことを、許すことはできない。たとえ敵わなくとも、貴女に一矢報いなければ気が済まない」

「・・・何よ、否定していたけどアナタの方だって十分ブラコンじゃない。敵わないとわかっていても立ち向かうだなんて」

 

呆れと嘲笑を含んだ笑みに、リーナちゃんは完全に私を見下してくれたらしい。

ブラコンってどうして見下されるんだろうね。

ブラコンシスコンってかなり怖いものだってオタクは知ってるんだけど。大事な人の為なら命かける的な怖さって恐ろしいものだよね。

 

「タツヤはいいの?可愛い妹がUSNA最強の名を冠するシリウスと対決しようと言ってるけど」

 

無謀な行動を止めないのか、と嗤うリーナちゃんは完全悪役ムーヴがキマっている。

ここで長い髪をふぁさ~、とやったら完璧だったけど戦闘するのにまとまってない長い髪は邪魔よね。・・・あれ、ブーメラン?でもお兄様にポニーテールは禁じられてるしね。

 

「いいわけがない。・・・が、深雪がそうと決めたならそれを見守るのも兄の役目だろう」

 

その言葉にリーナちゃんは怪訝な顔をしたけれど、お兄様が相手じゃなく、クラスでよく対決していて手の内のわかっている相手になったことで気が楽になったのだろう。

未知の相手より勝算が高いと踏んだのか。

 

「条件は変えない。私が負けたら、何でも話してあげる。そんなことあり得ないけどね!」

 

こうして私たちが戦うことが決定。

この場に居てはすぐに人が来てしまうということで、別の場所に移動して戦うことになった。

・・・だから、先生たちはどこでそういう情報を得るのだろうね?人気もなく、魔法がバンバン使える場所知ってるなんて。ご都合主義かな。忍びの習性ってことにしておこう。

 

 

 

 

移動は二手に分かれた。一緒に先生の車で移動もできたけどね。

これから戦うのに同じ車両というのも気まずいかもしれないが、先生も彼女とおしゃべりしたいだろうから。

ということでお兄様の背にくっつきます。

 

「寒いだろうが、少し我慢していてくれ」

「お兄様が温かいので大丈夫です。」

「・・・そうか」

 

とは言うものの、くっついてても実際はとても寒い。手袋あってもバイク用じゃないから風がすり抜けてくる。

ヘルメットがあるおかげで顔は寒くないけどね。フルフェイスで助かった。

でもね。防護に優れた服でも風に強いとは限らない。むしろ普通の服よりも防寒できてない気がしてきた。寒い。

 

「ですがお兄様にくっつき過ぎたら傷に障りますか?」

「構わないよ。お前がくれる痛みならなんだって――なんて、見えていない箇所は大抵治してる。問題ないよ」

 

それならよかった。だけどその前のセリフいりました?もしや内側から温める作戦です??ボッと熱くなりましたよ。

恐ろしいお兄様だ。

 

「お兄様、私は勝てないと思っています。リーナでしたら勝てるけれど、彼女はシリウスとして戦うでしょう。実戦経験の差もあれば、今の彼女にほとんど制限は無いはず。ならば私が彼女に対抗できるのはサイオン量と事象干渉力くらいです」

「よく分析できているね」

 

お兄様からのお褒めの言葉だけど、流石に喜べる状況ではない。

 

「持ち込めるとしたら引き分けくらいかと」

「・・・それも相当難しいと思うが、それで?どうするんだ」

「彼女は『シリウス』です。もし一高校生が彼女の尋問に成功したら――この状況だって十分にまずいでしょうが、それ以上に国際問題に発展しかねません。彼女の取り扱いはとても難しいものと思います。落としどころとしては引き分けが一番。次点で私が敗北することだと思うのです」

 

勝ったらその時点で戦略級云々がなかろうとも危険因子だと判断されるだろう。そんなことになったら彼女以外の刺客が送られてもおかしくない。

 

「・・・深雪はそれでいいのかい?」

「私は、お兄様に牙をむいたら私が黙ってないというのが伝えられればそれで十分です。彼女とするのは試合であって殺し合いではありません。もしそうならば、彼女はきっと戦いを了承しなかったはずです」

「そう、かな」

 

お兄様はちょっと歯切れの悪い言葉を返した。どんな表情か窺えないのが気になるけれど、この状況ではどうにもできない。

ただ、面白くなさそうな空気が。私が負けるか引き分けるかするつもりだからかな。

 

「私もただ何もしないで負けるつもりはありませんよ。小細工でも何でも駆使してあがいてみます」

「無理にあがく必要はない。お前が傷つくことなんてなくていい、と言いたいが・・・お前はそれを許してくれないのだろうね」

 

ヘルメットの通信機器越しではあるのだけれど、悩まし気な溜息は止めていただきたい。

息が吹きかけられることはないが、ぞわっとしました。

寒さで震えたと勘違いしていてくれるといいのだけど。

 

「お兄様が心配してくださることは嬉しいのですが、これも成長と見守っていただけたら、と。私自身、どれだけできるのか試してみたいのです」

「・・・わかったよ。止めはしない・・・ようにする」

 

苦渋の選択をしたかのような絞り出したような声に、ちょっぴり笑ってしまった。

 

「でももし私やリーナに危険が及んだと思ったら」

「それは必ず阻止するから安心するといい。ここには俺だけでなく師匠もいる。そんなことにはならないよ」

「はい」

 

やっぱり話を擦り合わせておいてよかった。これなら予定にないことが起きてもお兄様たちが何とかしてくれるだろう。

そしてさりげなく聞いちゃったけど、私のサイオン量や干渉力って現段階でリーナちゃんを僅かでも上回ってるんだ・・・。

お兄様が言うのだから間違いないのだろうけれど・・・修行の成果が出たってことかな。

 

(読んでてよかった異世界転生ゼミ)

 

一時期異世界転生もので流行ったのよね。幼少期から始める魔力底上げトレーニング。

私が気付いたのは中学生の時だったから手遅れかとも思ったけど、いろいろ試してみたあの頃。

お兄様に無茶なトレーニングだって何度も止められたっけ。

それらはどれも過去試されつくしたものだったからやっても無駄だと思われていたりしたんだけど、何もやる前からあきらめるのも面白くなくて。

厨二病が疼いた結果です。そして恐らくそのうちのどれかが成功していたのか。

今になって結果が分かったけれど、色々やり過ぎて何がどう作用したのかさっぱりわからない。

力はいくらあって困るものじゃないからとやれることは、と思ってやっていたけれど、困ることあったね。原作改変しちゃうとは思わなかった。

だけどおかげでお兄様が制御力を解放するイベントは避けられたはず。

だって、アレがあったらリーナちゃんだって私たちが何かおかしいと思ってもおかしくない。

何かしらまた調べられてしまうよ。疑いの種は一つでも少ない方がいい。

 

 

――

 

 

着いたところは河川敷で、明かりもわずかなところだった。

周囲に人影もない。こういったところってヤンキーが好みそうだけれど、この時代人口が少ない影響でそういった輩の生息地が変わったのだ。

居なくなったとは言わない。いつの時代も荒くれ者はいるものだ。流石にリーゼントの気合の入った人たちはいないけどね。

――月のない夜だった。街灯がほとんどないせいで東京なのに星が見える空。それでも霞んで見えるのは空気が悪いのか、それとも光量が弱いのか。

リーナちゃんは体を強張らせていた。嫌な想像が過ったのだろう。

安請け合いしてしまったことを後悔しているのか。本当に何もしないなんて確証は何処にもないから。

まあ、本当に決闘以外するつもりはないのだけど、これが私たちでなかったら普通は襲撃ポイントに連れてこられたと思うのが自然なのかもね。

こんな暗がりでは不安を掻き立てられ、そんな考えに至るのも仕方ないのかもしれない。たった一人で敵地にいるのだ。

いくら最強の戦士と呼ばれていても最悪のケースは過るだろう。

お兄様が心配しないよう声を掛けるけれどそんなこと、気休めにもならないらしい。

お兄様がここまで気にかける事なんて無いのだけど、そんなことリーナちゃんが知るわけないものね。

 

「事情を聞かせてもらうだけだ。訊きたいことを聞いたら駅まで送っていくよ」

 

挑発ともとれる笑みを浮かべるお兄様、とてもいいと思います。素敵。

気休めなんかよりこっちの方がリーナちゃんには効果があるみたい。気力を取り戻したように見えた。

 

「話してあげるのはワタシに勝てたらよ」

「無論だ。それも含めて約束は守る」

 

リーナちゃんの視線がお兄様を通り越して私に向けられた。

強い闘志を漲らせた目に、けれど私は怯まない。

対抗するように目に力を込めれば、・・・リーナちゃん、貴女戦闘狂の素質でもお持ちです?やる気が跳ね上がったね。

それを見届けたお兄様は審判に先生を据え、先生も心得たとばかりにルールを説明した。

 

「勝敗の条件は、どちらかが降参するか、戦闘不能になること。殺すのは無しだよ。遺恨を残してしまうからね」

「それから、予期せぬ第三者の介入があった場合ややむを得ない理由で中断や引き分けについても決めておきませんか?」

 

私からの提案に、先生はふぅむ、と顎を擦りながら答えた。

 

「予期せぬ、ねぇ。まあ可能性として無くはないとは言えないけれど、そうだね。第三者の介入や、やむを得ない理由で中断した場合は本人たちの判定に任せようか。君たちは僕たちと違って公平な目を持っているだろうからね。だけど引き分けることなんてあるかな?」

 

すると今度はお兄様が割って入る。

 

「こういった時細かく決めておかないとうやむやになりますからね。ただはっきり勝負がつかないのだからペナルティがあってもいいと思いますよ」

「ペナルティ?例えば判定負けをしたら質問回数を制限したり、肯定否定のみで返すとか?」

「ちょっと!どうしてワタシが負けることを前提で話しているのよ!」

「むしろリーナに有利な話だろう?勝った場合は無罪放免なんだ。負けはどんな負けでもしゃべってもらう、よりも好条件だと思うが」

 

・・・そんなことないでしょう。

リーナちゃんこっそり喜んでるところ悪いけど、騙されてるよ。

質問に答える必要性ないのに答える道筋が出来上がっちゃってるよ。

でもそんなリーナちゃんが可愛い。素直でいい子。――早く、そんな立場捨ててきちゃえばいいのに。

だけど今の彼女にとっては大事な場所だものね。無理強いはできない。

 

「私は構わないですが、リーナは」

「さっさと終わらせてあげるわ!」

 

あら、やる気ですね。なら私も全力で相手をさせてもらいましょうか!

互いに闘志を漲らせて、いざ、尋常に――

 

「では、始めようか」

「ちょっと待ってください、師匠」

 

――んん?ここで水を差しますお兄様?

先の話でお兄様の秘策というか、過保護による解放フラグは無くなったのではなくて?

ほら、見てください先生とリーナちゃんの不審なものを見る目。このタイミングで?みたいなお顔。全無視です??

一歩一歩近づいてくるお兄様。

暗がりの中で、黒い服なのに私の目には恐ろしいほどくっきりと見えます。

 

(ちょっと、止まりましょうお兄様。私はその、えっと!)

 

だんだん近づくお兄様に上がる心拍数と緊張感。

先ほどそれは必要ないと前振りをしていたはずなのに、まさかの強制力がここでも働こうというのか。

 

(この後の展開ってアレがくるの!?待って!なぜ?!)

 

私たちは今までハグまでならするけれど、その、額とはいえキスなんてしたことない。

額を重ねたことはあってもお兄様の唇に触れたことなど・・・その、原作軸に入って指先にされたのが初めてで。

 

(私からしたのだって、横浜のアレはああいう儀式であって!いや、そうするとお兄様のこれも儀式になるのだろうけども!されるのとするのとじゃ雲泥の差があると言いますか何が言いたいかというとですね!近づくお兄様に緊張がピークで大混乱で顔に血が集まっているのがわかるけどどうにもできない!誰か助けて!!)

 

オタクのノンブレスの絶叫を心の中からお送りしましたけど、これくらいじゃ上手く発散できない。

息が、心臓が止まりそうだった。

内心叫びまわっている間にお兄様の顔が目の前に。

腰を抱き寄せられ、後頭部に手を回されて、いつもとは違う触れ方にパニックは最高潮。髪の中に指を潜り込ませてなんて――

 

(どどどこでそんなことを身に付けたのお兄様!なんで手馴れてるの?!でもね!?)

 

寄せられる唇が額に触れるよりも早く、私の手がその唇を受け止めた。

 

「・・・深雪」

 

ふ、触れたまましゃべらないでください!そしてなんでそんな切なそうな声を出されるの?!ぎゅっと心臓が掴まれた気がした。だけど、お兄様を止めねばならない理由が私にはある。

 

「・・・お兄様が今、何をなさろうとしたのか私にはわかっているつもりです。ですが、それはいけません。私たちはこれ以上疑われるわけにはいかないのです」

「だが、」

 

どうして分かったなど、聞かないでほしい。ただ知っていたなんて答えられないから。

ちょっと落ち着いて考えると目的もわかってくる。

お兄様としては、実戦経験の差を埋めるためにも私の力を解放させてイーブン以上の状態に持ち込みたいのだろう。

だけど、

 

「言いましたでしょう。私は試したいのです。いつまでもお兄様の後ろに隠れているだけの、弱い私でいたくないから」

 

本当はお兄様と肩を並べたり、背を守って戦えるまでになりたい。

けれどそれをお兄様は望まない。わかっている。

お兄様は優しいから、私を危ない目に遭わせたくないのだと。わかってはいるの。

 

「わがままな私でごめんなさい」

 

ぎゅう、と腰に回る腕がさらに強く抱き寄せられた。苦しいほどに密着する体。

二重の意味で息が止まり、お兄様の視線に射抜かれて、ついには私の体から力が抜けて腕が下がる。

そして額に近づいていた唇は横にずれ、蟀谷に、続けて頬に掠めるように触れていく。

そこに、術を解放する式は無く。

 

「お前が弱いなんてあり得ない。俺が、お前に傷ついてほしくないだけなんだ。弱いのは俺の心だ」

 

最後にこつんと額を重ねて至近距離で目を合わせて、瞳を揺らす。

お兄様の不安がダイレクトに伝わって、直前で何をされたかも忘れてお兄様に手を伸ばす。

 

「違いますよ、お兄様。それは弱さではありません。想う心が弱いだなんて言わないで。想いは力なのですから。お兄様が想ってくださるだけで私は強くなれるのです」

 

お兄様の両頬に手を添えて伝えれば、お兄様は固く目を瞑って私の手をすり抜けて肩に額を擦り付けた。

すり、と摺り寄せられ胸をきゅうっと締め付けられながらも頭を撫でて、いつもありがとうございます、と感謝を述べるとお兄様はようやく力を抜いて拘束していた体を離してくれた。

 

「少しでもお前の力になるというのなら、俺はお前を想っているよ」

「少しどころか、お兄様は私の力の源ですから。・・・あら、でしたら私、負けられませんね」

 

いっちょ気合を入れ直さないといけなくなった。これがお兄様の作戦。

なんて私に有効な作戦なんだろう。即効性がある。

笑顔を向ければ、お兄様はふわり、と優しく微笑んでくださった。

困ったね、こんなお兄様見たら負けて悲しませるなんてできない。覚悟を決めねば。

 

「お待たせしました、師匠」

 

お兄様はしれっと先生にだけ頭を下げたけれど、リーナちゃん見てください。さっきよりもひどいお顔になってますよ。

しわくちゃピ〇チュウを彷彿とさせますね。一体何を見たらそんなお顔になっちゃうというのか(すっとぼけ)。

 

「リーナも待たせたな。・・・調子が悪いなら、少し時間を置いてもいいが」

「そうさせた張本人が何を言ってるのよ・・・いえ、結構です」

 

リーナちゃんの敬語珍しいね。嫌味なんだろうけど、お兄様には効かないよ。

そして今度こそ、私たちは対峙する。

勝機は僅か。負ける確率は五分五分なんて甘いことは言えない。恐らく三割あればいい方だ。それでも私は――

 

 

――

 

 

リーナ視点

 

 

敵に囲まれ、味方は誰もいない孤立無援状況は初めてではない。

だが、CAD以外ほとんどを奪われた状態で、というのは初めてだった。

闇も深い中、これから一対一で試合をする。――ハイスクールの優等生である彼女と。

・・・どんな馬鹿気た状態だ?命のやり取りをする気がないのはこの時点でもわかる。

だがこの場にミユキがいなければ、恐らく私は尋問されたり拷問を受けていたかもしれない。

とっくにタツヤのことを普通の高校生と思うことをやめていた。

彼はあまりにも戦闘に慣れている。あぶり出す為だけに自身も傷つける戦術を、ただの高校生がするわけがない。軍人だってそんな戦術取るわけない。

捨て身をする時があったとしても仲間がいる時くらいのものだが、あの時タツヤの近くには仲間などいなかった。忍術使いの男もミユキもあの時にはいなかったはずだ。

いくら捕えるためとはいえ己の身を犠牲にすることをためらわない戦い方は一般人ではありえない。

だけどミユキは、今目の前に対峙している美しい少女は違う。

兄が傷つけられたことで、アンジー・シリウスと知りながらも許せないと啖呵を切って立ち向かうのは異常だと思うけれど、彼女からは実戦慣れの空気を感じない。

それだけは間違いようがない直感だった。

いくら優等生であろうとも、洗練された技を持っていても、しょせんは綺麗なところしか歩いたことのない少女だ。

泥臭さも知らない少女に、負けるはずが無かった。

この距離も、彼女が接近戦を持ち込みたくないのがわかる。

魔法師は魔法で戦う術は身に付けるも、接近して武術のみで戦うことなど学ばない。

彼女の通う学校ではそんなカリキュラムは無かったし、部活動を見てもルールに縛られた形だけのモノばかりだった。そんなものお遊びと変わらない。

唯一の不安は、彼女がこの師匠と呼ばれている忍術使いに教えを乞うてないかだが、彼女自身師匠とは呼ばず先生と呼んでいることから、恐らく弟子ではないと思う。

だが先生ということは何かしら教わっていてもおかしくはない。気を付けるに越したことはない。

――そう、油断しているつもりは無かった。

実戦経験が無くとも化け物じみたサイオン量と事象干渉力はいくら能力を抑えていたとしても自分を越えていた。

今も並ぶくらいか、相手の方が少し上かもしれない。

モンスターと呼ばれた自分と比肩しうる才能を持つ彼女。

もし、生まれた場所がこの国であったなら、彼女と本当のライバルとして共に研鑽し合う仲になれていただろうか。ただの友達として付き合えていただろうか。――そんな夢を見てしまうほど、彼女は魅力的だった。

大事な兄を傷つけた敵だと認識してもなお、友達だと言ってくれた。・・・それも今この時までかもしれないけれど。

 

(一撃で終わらせる)

 

合図など待たずに自己加速を掛けてターゲットに接触、情報強化で魔法を無効化しつつ格闘術で無力化する。

これで条件はクリア。そのままミユキに気を取られている間に高速移動でこの場を脱出すれば、仲間の元に戻れる。

――速攻で方をつける。

 

(ワタシは貴女と違うのよ!)

 

のうのうと平和に暮らしていた彼女とは棲む世界が違うのだ。決別は早かれ遅かれ来る。それが今になっただけ。

何の予兆もなく魔法を発動しかけた直後、突如突風と共に霰が散弾銃のごとく襲い掛かる。

とっさに横に避けたけれど、動揺が抑えきれなかったのか、続く横殴りのブリザードに空気の密度を操作し真空の盾を作って直撃を回避するしかできなかった。

彼女よりも今は自分の方が魔法の発動速度が速いはずなのに、と考えたのは一瞬で。

なんてことはない。彼女も合図なんてものを待たずに速攻を仕掛けてきただけのことだった。

 

(っ上等!)

 

先ほどのふざけた兄妹のやり取りで鎮火しかけた闘志に火がついた。

彼女は全力で挑んできている。ただの真面目な優等生なんかじゃない。どんな手を使ってでも勝とうとする戦士だった。

ならば自分がすること、それは二度と歯向かう気力さえなくなるほど圧倒的な力でねじ伏せること。

シリウスの名を冠する者の役割。力の象徴であり、圧倒的強者であることを見せつける。

先ほどの魔法は二つとも精度と威力を無視したスピード重視の魔法だった。

当たればもちろん動けなくなっていたかもしれないが、あれだけ大ぶりな攻撃なら対抗措置が取れる。

部下たちの中でも今のが避けられる者など限られているから、十分にすごい魔法だけれど、自分なら問題ない。

攻撃が途切れたのは精度を上げる為か。ならば今度こそ、と自己加速と情報強化を並列実行しながら間合いを詰める。

拳銃こそ取り上げられたが、服についているボタンまでは没収されることは無かった。これ一つでも自分にかかれば十分な武器になる。

ボタンを握りしめ、残り5メートルまで接近したところでまたしても直感が働いて急停止した。

直後襲い掛かる突風は唐突に動きを変えて引き波のように体を引っ張ってきた。

逆らうように体に静止の魔法をかけて対抗するが、凄まじい風だ。この風も利用して魔法を多重展開、手に握りこんだボタンに移動魔法を発動させて加速過程を無視した時速300キロの速度で飛ばす。

こんなものを喰らえば防御魔法が発動したとて衝撃は免れないはず――だった。

しかしボタンは彼女に届くことなく一メートル手前で失速、落下した。

何が起きた?と彼女の周りを探ってみると、おかしなことに気付いた。先ほど吹き荒れた風もそうだが、忍術使いの服も、タツヤの髪も乱れた様子はない。

彼らの前にはうっすらとミユキと自身を中心に薄いドーム状の膜が張られているのだ。

 

(・・・ミユキは初めから魔法を二重展開していた!?彼らを巻き込まないために?!)

 

信じられなかった。彼らならそんなことしなくとも勝手に防いだだろうに、彼女は彼らを気遣う余裕があるというのか。

苛立ちを隠せなかった。思わず舌打ちが出てしまうほどに。

 

(そんな余裕、ぶち壊してやる!)

 

ボタンが落ちたことで彼女の使用した魔法が日本でもっともポピュラーとされる減速領域だと推測できた。

ミユキほどの冷却・凍結魔法の使い手ならば、減速魔法の威力もすさまじいものになるだろう。

先ほどの吸い込まれそうな風も理解できる。踏みとどまれたから、暴風に錐もみ状態になることなく無傷で済んだ。直感の働きは今日も優れている。

大規模な事象改変の気配が消失した。

今度も本能に従って地に伏せる。対物障壁展開も忘れない。

ガードの上をとんでもない暴風が吹き荒れて体が持って行かれそうになるのを慣性増大魔法の多重発動で持ちこたえ、風が収まるチャンスを待った。

ここまでずっと先手を取られっぱなしの状況に、プレッシャーも感じていた。

攻撃は最大の防御であり、攻撃をしなければ勝利などありえない。

コンバットナイフを右手で握りしめ、攻撃に備える。もう片方の手にはダガーを隠し持ったまま。

予測通り風は収まり、魔法を解除して体を跳ね起こす。ダガーはすでにばら撒いた。

 

(分子ディバイダー!)

 

片膝立ちで右手のナイフを横薙ぎに振り抜く。

仮想領域が伸びるのとほとんど同時に、圧倒的な干渉力が二人の間に放たれた。

形成されつつあった仮想領域が空間を圧する干渉力に塗りつぶされる。

だがこれは想定内のこと。防がれることは読んでいた。

 

「ダンシング・ブレイズ!」

 

無効化を確認するよりも早く、魔法を放つ。

ひっそりとばら撒かれたダガーが浮き上がり、目にも止まらぬスピードで地面すれすれの弧を描きながら、深雪に支配された空間を回避しつつ彼女に迫る。

更に駄目押しでもう一度ナイフを構えて自己加速。ナイフをブラフに格闘術で昏倒させるつもりで接近したのだが、目を疑う羽目になる。

それは一瞬タツヤの時と同じかと錯覚させられた。

彼女に触れる直前でダガーが止まっているのだ。

 

(まさかミユキも同じ魔法を!?いいえ、彼女のコレは止まっている。減速魔法!?自分の体の表面を覆っているというの?!)

 

やはり駄目押しは無駄にならなかったことを意味するのだが、それにしてもそんな減速魔法の使い方は見たことも聞いたこともない。

この状況で格闘技など通用するのか!?と頭を過るタイミングで、ミユキは流れるような動きでダガーを叩き落としていた。

様子見でもう一度ナイフを振りかざすも、何かの壁に守られているように刃が通らない。

急な怖気を感じて手を離せばナイフはそのままの形を保ったまま深雪の右腕に触れることもできずに停止していた。

左手にわずかにサイオンがまとわりついている。

あのままでは自分ごと動きが停止させられていたかもしれない。

 

(接近戦が不得意と見せて、とんでもない隠し玉を持っていたということね!)

 

随分と、舐められたものだ。もったいぶらずに仕掛けられていたら即ヤラれていた可能性があった。

内心冷汗をかきつつ、距離を取ろうとしたところで足元に向けて何かが投げつけられた。

丸い、小さな球が7,8個。それがバラっと地面に撒かれた。

サイオンも纏っていないただの黒い玉に見えるのだが、まさか私のダガーのように?!と警戒した時、――ミユキがパチンと指を弾くタイミングでパンパン、と音を立てて破裂した。

爆弾?!と思ったけれど激しい音ばかりで威力もなければ魔法の発動も感じられない。

はったりか!隙を作ることが目的だ、とCADを構える頃にもう一度彼女が指を弾く。

次はなんだ、と警戒するように足元を見れば、残りカスだと思われていた半球となった玉の破片が発光した。

今度は魔法だ。単純な目くらましだが、闇の深い中凝視していたためこれは効いた。

慌てて後方に跳びのいたが、感覚で掴んだ彼女の居場所は変わらない。やはりただの時間稼ぎか。

先ほど接近した際、ミユキの表情は取り澄まされたものだったが、額に浮かぶ汗が、彼女の疲労を物語っていた。

どんな魔法を使ったのかわからないが、ダガーを止めた魔法は彼女にとってかなり疲弊をもたらすものなのかもしれない。

だが、こんな時でさえ周囲を囲む膜を解かないのだから、彼女は甘すぎる。

その甘さを逆手に取らせてもらおう。

 

「ミユキ!」

 

魔法の展開スピードは私が早かった。

 

「リーナ!」

 

構えたミユキも発動しようとしているが、出遅れもあってまだ構築中。

 

「「勝負よ!!」」

 

それでも彼女は諦めていなかった。

――きらめく彼女の瞳は、こんな時でさえ美しいと思わせる輝きに満ちていた。

 

 

――

 

 

深雪視点

 

 

空間が沸騰した。

空間が凍り付いた。

二人の魔法力が世界を塗り替え、二人の世界が激突した。

雷光瞬く、炎雷の世界。

晶光煌めく、氷雪の世界。

空気が燃え上がる灼熱の地獄、「ムスペルスヘイム」。

空気が凍り付く極寒の地獄、「ニブルヘイム」。

片や、気体分子をプラズマに分解し、更に陽イオンと電子を強制的に分離することで高エネルギーの電磁場を作り出す領域魔法。

片や、気体分子の振動を減速し、水蒸気や二酸化炭素を凍結させるだけでなく、窒素までも液化させる領域魔法。

熱プラズマが凍結した空気を元に戻し、冷気が熱プラズマを気体に戻す。

ぶつかり合う二つの力は、地上にオーロラの帳を下ろした。

揺らめき、重なり合う、極光の舞。

きっと幻想的に見える光景だろうけれど、滲む視界ではそんな光景は見えない。

いくら鍛えて原作の深雪ちゃんよりもスペックが上回ろうとも、力を解放していない状況では有利な舞台の上であろうとも、単純にサイオン量も魔法制御力も足りなかった。

恐らく一分も持たない。――だからこそ、策を弄した。

綱渡りのような作戦で場を凌いできた。

先手を取って近づくことを封じて、減速領域を使って圧倒的防御力と同時に反撃してみせて。

ただの力押しだけに見せかけつつ、分子ディバイダ―を無力化できたけれど、この時点でニブルヘイムに使う余力ギリギリしか残っていなかった。

ジリ貧だったところでダガーが来ることはわかっていたからこそ、最小限の範囲を――自分の周りだけに減速領域を濃縮して掛ければあら不思議、僕最強だから、で有名な月曜発売週刊誌の人気キャラクターの術擬きの再現に成功。

本家無下限程完璧な術式ではないけれど、全身5秒程度なら省エネモードでも張れる。

後は物理で叩き落とした。これでもう残された力は高等魔法一発のみ!と思ってたのに、まさかのリーナちゃんの追撃。ナイフで斬りかかるなんて聞いてませんけど?!

動くことができたのは奇跡に近かった。彼女が左手でナイフを振りかざす姿を捉え、切りつけられる右腕だけに瞬時に減速領域を掛けた。

プロだからこそ狙いが利き腕だとわかったので部分だけ掛けることで間に合ったのは助かった。

不測の事態に、本筋に持ち込むためにポーチの中にあるパチンコ玉サイズの癇癪玉を、飛び退る彼女の足元に向けて叩きつける。

これは普通の癇癪玉ではなく、叩きつけてから数秒遅れて爆発する仕様になっている。

爆発と言っても癇癪玉にそこまでの威力はない。直接当たったところで火傷も負わないだろう。ポーズとして指パッチンをするけれど、これらは魔法で爆発するわけではない。ただのブラフである。

直後激しい音が鳴るだけのユニークグッズ。だがそこに一工夫。熱源の残るの半球に、今度はCADをこっそり操作して意味ありげにブラフでしかない指パッチン。

フラッシュライトのようにまばゆい光がリーナの足元を包んだ。九校戦で見たほのかちゃんの奇策、水面を光らせた時のような目くらましの光。リーナちゃん以外には目元のみシェードを掛けたので目は守られただろう。

リーナちゃんはもろに食らったのか後方にさらに距離を取って――最後の攻撃に打って出る。

迎え撃つために、私も最大速度でニブルヘイムを繰り出した。

発動は遅れたものの、押し戻すことに成功。魔法はイメージ。そして追加で魔法式に出力する。

張りぼてでもいいから前方に圧力をかけて押し戻したのだ。

その後重ねるようにもう一度情報強化を掛けて通常の威力で対抗する。

視界が滲む。もう、私の策は出し尽くした。ガス欠は目前だが、対する彼女は連続の戦闘だというのに私よりも残っていそうだった。

拮抗できている今が奇跡のようだ。

――だけど、そろそろ彼女も違和感に気付いた頃だろう。

 

「ぐっ・・・ミユキ、貴女まさか!これが狙いだったというの?!」

 

おおう、リーナちゃん。テンプレよろしく叫ぶけど、そんなことしたら余計に酸素が無くなっちゃうよ?

魔法は別に完全に無から有を生むわけではない。きちんと自然界の事象の元に構築される。

情報を書き換えたところで修正力が働いて、あるべき形に消費されるべきものは消費されるのだ。

火の魔法を使うには酸素を燃焼させねばならない。それを閉じ込められた空間で使用したらどうなるか。・・・酸欠になりますよね。

初めから張っていた膜は別に先生たちに被害が行かないように張ったものではない。全てはこの時のため、彼女が火と雷の魔法を使う前提で仕込んだ罠である。

 

「貴女が火と雷を使うことは予測できていたから」

 

お兄様の元に駆けつけた時に、肌で感じていたから嘘ではない。原作パワーだけを頼るわけにはいかない不測の事態が彼女にはあったからね。

酸欠になりかけているのは彼女だけじゃない。私も同じ空間にいるのだから薄くなるのも当然だ。

どちらが制御を失うか根競べになるが、氷を使う私よりも彼女のエリアの方が、酸素が薄くなるのは必然で――

30秒くらい経っただろうか?リーナちゃんが背中から奥の手を出そうとしたが、原作のお兄様が言う通り、これは自殺行為だ。

たとえそうでもしないと起死回生はないとしても、成功する確率は限りなく低い。

お兄様が動くのが見え、展開しっぱなしの膜だけを解除する。おかげで少しだけ余裕が確保できた。

光の洪水が、二人の魔法を消し飛ばした。途端襲い来るのは灼熱と極寒の嵐。

自分たちの分はどうとでもなるけれど、お兄様にこの暴力的な嵐を防ぐ術はない。喰らっても修復するつもりなのだろうけれど、そんなことさせない!

お兄様を私の目の前で苦しませるなんて絶対させない。急いで構築した魔法は無事お兄様を吹き荒れる嵐から守れたようだった。

ふらつく足を叱咤してお兄様に駆け寄る。

 

「なんて、無茶なことを!けがは!?」

「すまない。お前を更に疲労させてしまうなんて」

「私のことは大丈夫、だけど」

 

縋りついて傷を確認するけれど、本当に何とか間に合ったらしい。・・・よかった。お兄様を守れるように何度もシミュレートしたけれど、無事成功したらしいことで力が抜けたところをお兄様がしっかりと支えてくれた。

お手を煩わせてごめんなさいお兄様。

 

 

――

 

 

「あ~、達也くんこれどうするの?決着つく前に止めちゃって」

「あの状況では『殺しは無し』が守られなかったでしょうから止めたまでです――リーナ。あの状態で何か仕掛けようとしていたようだが、それは無謀と言えたし、もし成功したとしても今度は深雪が危険なことになっていた。あの状況で威力を抑える余裕などなかっただろう」

 

お兄様の指摘が正しいのか、リーナちゃんは反論の口を開かない。

・・・あれ、待って。もしかして反論の余地がなくて黙っているんじゃなくて、酸欠で口を開く余裕すらないのでは!?

お兄様から離れてリーナの元へ。体はふらつくけれど、走れないほどじゃない。

立ち続けているリーナは放心状態で立っているのも不思議な状態に見えた。

CADを操作して彼女の周囲の酸素濃度を上げる。これくらいなら僅かなサイオンでもできる。

 

「リーナ、大丈夫?苦しくない?」

 

返事はない。聞こえてはいると思うのだけど、反応できないようだった。

 

「リーナ、声が聞こえるなら深呼吸をして。大丈夫。もうあなたに危害を加える者はいないから」

 

おねがい、ともう一度深呼吸を促せば、リーナちゃんは深く息を吸い込んでくれた。良かった。ちゃんと状況が理解できている。

 

「・・・ど、して」

 

俯いたままのリーナちゃんの唇から言葉が漏れる。聞き取りづらいけど、これはどうして、かな?でもどれに対してかはわからないから次の言葉を待つ。

下から覗き込んで、安心させるように微笑んで。

視線が、絡み合う。

 

「ワタシ、あなたを・・・」

「そうね。でも、私はこうして怪我もしてないから」

 

最後、リーナちゃんは必殺の一撃を持っていた。必殺なのだから相当な威力の魔法だったのだろう。それが私に向くはずだった。

だけど、彼女は知る由もないけれど、お兄様がいるところで私が致死の攻撃を受けることはないのだ。

 

「ワタシは、人を殺せるのよ」

「そう」

「世界最強の部隊を率いる総隊長だって、気づいているのでしょう?」

「ええ」

「なのに、どうしてっ」

 

ようやくリーナちゃんの言いたいことが分かった。

そして彼女が訴えたいことも。

 

「だって、貴女は私の友達でもあるもの」

「そんなの仮初めに決まってるじゃない!」

 

絶叫にも近い叫びだ。きっと彼女の心は私を拒絶したいのだろう。甘言を弄しているとしか思えないかもしれない。

だが、私はリーナちゃんを拒絶する理由はない。

唯一の理由であったお兄様に対しての禍根は先ほどの試合で消化した。

 

「そうなの?でも、だとしても私にとっては綺麗で可愛らしい、大事な友達だもの」

「馬鹿じゃないの!?騙されてるって言ってるのよ?!」

「落ち着いて、リーナ。貴女はついさっきまで酸素が足りてないのだから、そんなに叫んでは危ないわ」

 

馬鹿にしてるわけじゃない。ただ本当に心配なのだ。つい先ほどまでここは酸素の薄い空間だった。私もようやく体の自由が戻ってきている。

 

「そうやって心配して!私を懐柔するつもり?!」

「懐柔されてくれるの?」

「されないわよ!!」

 

打って響くような返しが気持ちいいね。そして可愛い。

 

「なら、良いじゃない。私は貴女に優しくしたい。そして貴女はそんな私に懐柔されない。なら問題ないでしょう?」

「~~~~~~好きにしたら!?」

「そうさせてもらうわ。――お疲れ様、リーナ。試合に付き合ってくれて、ありがとう」

 

彼女の手を取って感謝を伝えれば、その手を振りほどくことなく、彼女は少しだけ力を込めて。

 

「どうしようもない馬鹿ね、アナタ」

 

更に俯いてしまった。もしかしてこれって拘束されてることになるのかしら?人質にして逃げることもできるものね。

 

「私を人質にして逃げる?たぶんだけど、それなら協力できると思うわ」

 

小声でそう囁けば、リーナちゃんは肩を揺らした。きっと考えてたんだろうな。

でもまさか人質が協力を申し出るなんて思わなかっただろうけど。

 

「・・・そんなことしたらタツヤが襲い掛かってくるんでしょ」

「まあ、そうね。でも私が自らついていくときは結構待っててくれることもあるのよ?」

「・・・・・・もしかして誘拐され慣れてる?」

「それなりに経験はしてる方だと思うわ」

 

余罪は聞かないでほしい。お兄様が怖いので。

リーナちゃんは手を離した。拘束していても無意味だと悟ったのかな。攫い甲斐が無くて申し訳ない。

悲鳴を上げようものなら本気でお兄様が動いてしまうので安易に上げられないのです。

 

「・・・勝負は私の負けよ」

「・・・・・・リーナちゃんそれはダメよ」

「チョット、今ワタシのことなんて呼んだの?!」

 

しまった。疲れてたから口を抑えるの忘れてた。

あんまりにも潔く敗北を認めるものだからついうっかり心からの忠告が。

 

「リーナ、流石にそれはよくないわ」

「違うわよ!今『ちゃん』を付けたでしょ?!子ども扱いして馬鹿にしてるの!?」

「馬鹿になんてしてないわ。私はただかわいい子には心の中でちゃんを付けて呼んでいるだけよ」

 

なので開き直って答えてみたらリーナちゃんが固まった。再起動したと思ったら顔を真っ赤に怒鳴られた。

 

「かわいい?!何を言ってるの!」

「リーナは可愛いわよ。ほのかも美月もエリカも、心の中では皆ちゃん付けね。でも流石に高校生だから表立っては言えないけれど。さっきのはちょっと心の声が漏れちゃったのよ。・・・今年は気を付けようって誓ってたのに。リーナ。お願いだから聞いてなかったことにしてくれない?」

「・・・・・・アナタ、それが本性?」

「秘密ね」

 

リーナちゃんの言う本性ってどれだろう?ちゃん付けのことだけならいいのだけど。オタバレしてないことを祈る。

だいぶ緊張が無くなってきたようでなにより。

 

「そろそろ皆が待っているだろうから、どうする?」

「どうするって、さっきも言ったようにワタシの負けだわ。いくら窮地に追い込まれたとしてもアナタを殺そうとしたのは事実」

「でも殺してないわ。兄さんが言っていた、やむを得ない事情で中断、が妥当じゃないかしら。それなら全面降伏じゃなく、ちょっとのペナルティで済むわ」

「・・・どうしてコッチに有利な方を提案するのよ」

「だってリーナが素直に腹切り受けようとするから」

「ハラキリ!?ワタシはそんなつもりじゃないわよ!」

「イメージよ。あまりにも潔いから。そんなんじゃ良いように利用されちゃうわ。心配なの、リーナがいい子過ぎて」

 

そう言ったらリーナちゃんに睨まれました。余計なお世話って書いてあるね。わかりやすい。

あとなんでだろう、アンタもね!って文字も見える気がする。

 

「もう少しずるくていいと思うわ。横やりを入れたのだからノーカンよ!くらい言ってもいいと思うのだけど。先生が言っていた本人たちの公正な判断に任せる、が気になっているというのだったら、質問にyes,noで答えるだけでいいんじゃない?」

「・・・アナタのお兄さんは何か聞きたそうだったけど?」

「そうね。でも手を出しちゃったのだから、ね?」

「・・・怒られたりしないの?」

「兄さんが、私を?・・・・・・怒られたことはないわ。・・・後で困ることはされるだろうけど」

「え」

「あ!ち、違うのよ?困るって言っても私が困るだけで、その、別に酷いことをされるとかそんなんじゃないから」

 

リーナちゃんの疑惑の視線が痛い!口を滑らせた私が悪いけど、でも怒られたことは無いから!信じて!!

 

「何が違うというのよ。困らせてるのは事実なんでしょ」

「う・・・でもほら、私が恥ずかしいだけだし」

「は、恥ずかしい!?いったい何をさせられてるのよ!」

「き、聞かないで!恥ずかしいことなんだから聞かれたら困るっ・・・」

 

おかしいな。私がリーナちゃんを励まそうとしていたのに気づけば心配されてます。余計なことを口走った私のせいだけど。

気付けば手を引かれてお兄様たちの元へ向かっていた。リーナちゃん回復早い。流石総隊長。

 

「水を差されたとはいえ、あの時確かに私は負けそうだった。だから質問には答えるけれど、イエスかノーだけ。それからタツヤ、私からも質問があるわ。別にこれは今回の件じゃなくてミユキのことよ。その質問に答えてくれるというのなら大人しく答える」

「?深雪についてか?」

「リーナ!」

「ミユキ、これは友人として譲れない条件だわ」

 

ぐ、・・・リーナちゃんが封じ手を使うなんて。『友人』を盾に取られては止めることは・・・でも、

 

「深雪が困るような質問なのか?」

「ミユキを怒ることはないけれど、困らせることはあるのでしょう?いったいアナタ妹に何をしているというの!」

 

リーナちゃんの一喝に、私は顔を覆い俯き、先生は腹を抱えて笑い、お兄様は真顔になった。

 

 

――

 

 

リーナちゃんとの美少女頂上決戦は無事に引き分け。

お兄様は両手に花で、先生が大笑いした一夜が明け、日曜日。

お兄様と共に制服を身に纏って学校へ。

え?何か違う?気のせいだよ、何もおかしなことなんてなかったよ。

リーナちゃんの質問に対してお兄様が、なんだそんなことか、みたいに平然と答え、リーナちゃんが怒り心頭で私を連れて帰る、って言ってきかなくなるっていうよくわからない展開が繰り広げられ、先生大爆笑でひきつけを起こしてお弟子さんにお世話された珍事が起きたくらい。

っていうかお兄様やっぱり困らせていた自覚はありましたね?そして破廉恥!とリーナちゃんが叫んだ声が頭を離れません。

リーナちゃん、破廉恥なんて古風な言葉よく知ってたね。現代で使ってる人少ないんだけど。

一体何年ごろの資料を見て勉強したのか。ファッションのことといい気になる。

とまあ、そんなこと今は置いておくとして。

部活動や実験に勤しむ生徒たちを横目に私たちは生徒会室へ。まだ誰も待ち人は来ていない。

 

「まだ、どなたもいらしてませんね」

「呼び出した人物が最後に登場するのはフィクションのお約束だが、現実はそういうわけにも行かないだろうな」

 

お兄様、そんなフィクションのお約束を知るくらいにはフィクションに精通しておいでで?

いったいどんなフィクション作品に触れたんだろう。そういった類の本を読んでいるところなんて見たことないけど。

でもそろそろ人が来ることを思えばこれも今質問していいことじゃないね。お兄様のファンとしては大っ変気になるけどね!

とりあえずそうですね、とにこにこ笑顔で返しておく。

適当なところに座って待って居ようとお兄様と並んで座るとお隣から視線が。

 

「どうかなさいましたか?」

「いいや、昨日も話したが、深雪は成長したな、と」

 

確かに、そんな話昨日したなぁ、と昨日のあの騒動後のことを思い出す。

 

 

――

 

 

試合(けしてあれは決闘ではない。命かかってないからね)が終わった帰り道、疲労した私を心配してバイクで帰ることを躊躇したり、お兄様の過保護が発動しっぱなしだった。

これも心配をかけすぎたからだと反省して大人しく従っていたのだけど。でも、だからって移動するたび抱きかかえようとしなくても・・・。

お兄様だって激しい戦闘したでしょうに。私と違って命懸けの。

修復したとはいえ、自ら傷ついたこと知っているんですからね。

抱きかかえられている間にそっと胸に手を這わし、腕を撫でると、お兄様は私の考えを見抜いたのかすまない、と苦笑して返した。

 

「お兄様はもう少しお体を大事になさってくださいませ」

「そうだな。――ああ、深雪に巻いてもらったハンカチの部分は痣にもならなかったんじゃないかな。痛みも少なかった」

「!それは何よりです」

「深雪のおまじないが効いたのかな?」

「あ、あれはおまじないなんかじゃなく・・・」

 

確実にハンカチに擬態した特殊金属のポテンシャルです。

お兄様だってわかっているだろうに、どうしても私を揶揄いたいのか。

 

「お前の心が傍にあるような気がして心強かったよ」

「・・・もう、お兄様ったら」

 

他に何が言えただろうね。疲労している頭では良い案など浮かばなくて、せめてもの抵抗でお兄様の肩に頭を押し付けるしかできなかった。

くすくす笑われてるけど何の反論もできない。

玄関を開けてようやく下ろされたけれど、框に座らされ靴も脱がされる。・・・お兄様ぁ。

 

「今日は世話をさせてくれ。いつ倒れるかと冷や冷やした」

「それは・・・そうですね、最後は危なかったと思います」

 

もしあのまま続けていたらと思うと、リーナちゃんにも悪いことをした。

連戦で疲労している上、酸欠状態の最悪のコンディションで更に別の魔法を使っていたら、恐らく彼女は無事では済まなかった。

冷静な判断力も奪ってしまっていただろうから、一か八かのあんな無謀な行動に出ようとしたのだろうけども。

リーナちゃんの意地を見誤っていた。

まあ、私の作戦は最終的にお兄様が止めてくれると信じてたからできた無茶だけどね。

 

「あの癇癪玉も試作品かな。師匠が面白そうに眺めていたよ」

 

おっと、忍びの先生にも興味を持っていただけましたか。忍びのアイテムがルーツだもんね癇癪玉。

 

「相手の隙を作るには十分な音でしたね。ただその分音が大きいので周囲に気付かれることが難点ですが。フラッシュ効果は日中じゃ暗い部屋くらいしか効果がありませんし。・・・結構使うタイミングが難しい品ですね」

 

もともと逃走する時間を稼ぐためのアイテムだ。私は二段構えで使ったが、音と同時に光らせることもできる。

本来はそう使う。今回は時間稼ぎと心理的に追い詰める為、そして物理的距離を置かせるためだったのでああいう使い方になっただけのこと。

 

「・・・深雪は成長したね」

 

ソファに運ばれ下ろされるとお兄様がひざを折って前に。私よりも低い位置に顔があり、見上げられた。

その表情は微笑んでいるのに少し眉が寄っていて・・・どことなく寂し気に見えた。

見ているだけできゅっと苦しくなる。

なのでお兄様が口を開く前に頭を一度、少しだけ下げて謝った。

 

「・・・無茶な戦い方をしました」

「そうだね」

「でも、間違っていなかったと思うのです」

 

お兄様と視線が絡み合う。

 

「お兄様に力を解放していただいていたなら、恐らく私は彼女を心ごと追い詰めていたことでしょう。同時に怪しまれたはずです。『どこにこんな力が』、『学校の時とは違う』、『兄が細工を施していた』、『普通じゃない』、と。

いくら隠していても彼らは私たちの真実に辿り着いたかもしれません。それだけは避けなければならない事態です」

 

わかっているでしょう?と苦笑を交えて見つめれば、お兄様は苦いお顔に。

ごめんね。四葉の柵はいつもお兄様を苦しめる。早く解放して上げられたらいいのだけど。

 

「――拒まれた時はショックだったよ」

 

ん、拒む?・・・・・・あ、ああ!

 

「そ、そうですお兄様!ど、どうしてあの時あんなことをなさったのです?!」

「あんなこと、とは?」

 

お兄様が上目遣いで首を傾げてくる。カッコいいのに可愛いとはこれ如何に?!じゃなくて。落ち着いて。びーくーる。

 

「その後です!そ、その・・・ここと、ここに・・・」

 

だめだ、言葉にするのが恥ずかしくて触れられた箇所の米神と頬を指すのが精いっぱい。

あの時は伝えねばならないことがあったから耐えられた。でも、今は・・・思い出すだけでも恥ずかしくなる。

 

(ハグはまだ許容範囲だけど、っていうか恥ずかしいけど慣れてきた、に変化しただけなんだけど。そのね、あ、あんなことされたの初めてで・・・)

 

「親愛のキスは家族間では当たり前なんだろう?」

「それは海外の話であって!そもそも我が家にそのような習慣は無かったではありませんか!」

 

いえね、昔私も考えたことが無かったわけじゃない。仲良し家族計画の中にハグ&キスはあったにはあった。

仲良くなるにはふれあいが大事だからね。機会が増えれば増えるほど仲良くなると。

けれど、・・・勇気が出なかった。だって、あの麗しい母の顔にキスできます?その上前世からの推しに自らキスを??

・・・私には無理だった。ハグがギリギリラインだった。ほら、アレにはストレス軽減の効果もあったから理由付けができた。

でもキスは違う。効果は・・・言葉の代わりに愛を伝えられるくらい?キスで幸福を感じられるのは愛情を理解してこそ意味がある。関係性が曖昧のままするにはハードルも高かった。

それならまだ直接口に出して伝える方がまだマシだった。

だからその行為自体は避けていたというのに・・・まさかお兄様の方からされるだなんて。

恥ずかしさのあまり顔を覆ってしまう。

 

「・・・怒ってるのかい?」

「怒ってなど、いないですが・・・でもあんなこと初めてだったから・・・」

「照れているのか。ならよかった」

 

真っ赤に染まっただろう耳を摘ままれてするっと一撫で。いきなり驚くじゃないですか!肩がびくっと跳ねてしまった。

これも良くないけど、だめですお兄様。あんなことされたら心臓持ちません。

 

「キスを嫌がられたんじゃないかと心配だったんだ」

 

そんな心配しなくていいです。お兄様に与えられるモノはなんだって喜ぶチョロインの妹ですから!心臓に悪いけどね!

というか、お兄様。額を拒んだのは理由が違うと言っているでしょう!なんでキスを嫌がった話になってるの?!

おかしいでしょ!そのようなことを訴えれば、お兄様はどちらも変わらないよ、と。

いやいや大いに変わるでしょう。

それからその押し問答が続き、いろいろがうやむやになった。

 

 

――

 

 

「お兄様だって成長なさっているのですから、私も置いていかれないように必死なのですよ」

 

事実、お兄様は今もなお成長が止まらない。師匠の下でも、軍の訓練でも、研究所でも、お兄様はまだまだ吸収して先に行ってしまう。

すでにお兄様との実力の差がとんでもなく開いているというのに、どうして学びを止められるというのか。

そう言うと、お兄様は私の頭を撫でる。

 

「それ以上頑張ろうとなんてしないでくれ。ただでさえ深雪は頑張り過ぎているんだから」

「ふふ、ならお兄様もご自愛くださいね」

「敵わないな、深雪には」

 

昨夜のような不穏な会話はない。ちょっと安心。

お兄様に頭を撫でられ、私の見えない尻尾は今日も扇風機並みにぶんぶん風を起こしています。

お兄様もにっこにこ(妹視点)。

そこにノックが。入ってきたのはエリカちゃんと吉田くんだ。

 

「おはよう達也くん、深雪」

「あら、エリカ」

 

元気そうだけど、美容を極めし私の目は誤魔化せない。エリカちゃん無理してるね?

 

「貴女、少し疲れているわね?肌が荒れているわ。ちゃんと寝られてる?」

 

近寄って両頬を手で包み込めば、水分量も足りて無さそう。若いからって無茶しすぎだ。

目の下もうっすらクマさんがいる。

 

「ちょ、ちょっといきなり顔を掴まないでよ深雪」

「血行を促すマッサージだから大人しくしてちょうだい」

 

もう、もう!可愛いんだからちゃんと手入れしてあげて。

私たちが女子同士でわちゃわちゃしている間にお兄様も吉田くんとおしゃべり。

 

「待たせちゃったかな?」

「いや、こっちも来たばかりだ。悪いな、日曜に」

 

でもなんだろう、会話的にはデートの待ち合わせみたい。

吉田くんってお兄様にちょっと傾倒してる?って時あるよね。お兄様のこと全面的に信頼してるというか。

・・・私的にはそっちでも有りなんだけどね。お兄様が幸せならそういうことになってくれても。

この時代じゃそこまで理解はされないし、魔法師同士ではいろいろ柵的に難しかったりするだろうけど(ご実家とかね、吉田くんちは大変そうよね)、バックアップにフォローと頑張ってみせますよ。

お兄様が望めば、だけどね。

二人の間にそんな感情は、うん、無さそう。

吉田くんはただの天然さんだし、お兄様も皆との今の関係性が好きみたいだし。

 

「それで、今日はどうしたの?休みの日に達也くんがあたしたちを呼び出すなんて珍しいじゃない」

 

エリカちゃんのもちもちお肌から手を離すと、血行が良くなったのか温かくて赤みが差していた。よきよき。

その頬を擦りながら、エリカちゃんが訊ねる。

時々ね、高校生らしく一緒に遊んだりもしているので休日に会うのは珍しくはない。

だけどお兄様は常に誘われる側だったから、こうして呼び出すこと自体が珍しいことだった。

しかも場所が学校となれば、エリカちゃんも何か感づいているのだろう。

例えば、この後誰かが来る、とか。

でもそんな空気は感じさせない。エリカちゃんは初めての生徒会室が物珍しいのか、壁一面の情報機器が埋め込まれているのを眺めたりしていた。

 

「もう少し待ってくれ。話はメンバーがそろってからにしたい」

「他に誰か来るのかい?」

 

吉田くんはエリカちゃんに何も言われてないのかな?

 

「ああ、そろそろ来るはずなんだが」

 

と、ちょうど噂をしていたタイミングで来るのだからお兄様、案外フィクションのお約束、現実にありましたね。

待ち構えていたようにドアがノックされる。

お兄様がドアを開けに行き、現れた姿にエリカちゃんは眉を顰め、吉田くんは納得した。

わざわざお兄様がお出迎えしに行く相手と言えば、先輩方くらいしかいないからね。

 

「お呼びだてしてすみません」

「吉田に、千葉?お前たちも司波に呼ばれたのか?」

 

先輩方もここに揃う面子を見てそれぞれ表情を変える。

こうしてお兄様の独断による会合は開かれたのだった。

 

 

――

 

 

「最初に説明してもらえる?どうしてあたしたちが七草先輩たちと一緒に呼ばれたのか」

「同感ね。私もまずそこから説明してほしいわ」

 

エリカちゃん、めっちゃ喧嘩腰。誰にでも強気で行けるその態度、感心もしちゃうけど、目上の人にはあまり感心できない態度です。めっ!と視線を向ければそっぽを向かれました。もー。

対する七草先輩もちょっとトゲトゲ。エリカちゃんに触発されちゃったらしい。まあ先輩もまだ高校生だからね。そんなこともある。

・・・っていうかこの構図、お兄様を挟んで行われているから取り合ってるようにも見えるね。いや、実際心境的にもそうなのか。

エリカちゃんは西城くんのこともあって手伝ってもらえると思ってるみたいだし、七草先輩は手伝ってくれる約束をしているのにエリカちゃん達にも手を貸そうとしているんじゃないかって気が気じゃない感じ。

お兄様、とんだ浮気男の扱い。

組織とか派閥とか、面倒だね。どっちも一緒に捜査しちゃえばいいのに。

面子ばかりを気にして一番大切なことを見失っている。まあ、両組織とも自分のとこが一番って思ってるから、お手手繋いでってのが難しいのかもしれないけれど、学生たちくらいは気にしないでいいと思うんだけどね。

 

「我々が追いかけている吸血鬼の捕獲について、お知らせしたいことがありましたので」

 

女子たちをちらりと見たお兄様は、唯一聞いてくれそうな十文字先輩に視線を移して話した。

吉田くんはエリカちゃんを心配してたので集中できてなかったからね。消去法です。

 

「聞かせてもらおう」

 

そして先輩いいお声ね。お兄様との会話をしばらく大人しく聞きたくなる。・・・なかなかそんな場面来ないんだけどね。

 

「昨晩、三時間おきに特定パターンの電波を発信する合成分子機械の発信器を吸血鬼に打ち込みました」

 

あっさり言うけれど、ツッコミどころしかない発言。お兄様わかってたよね?

昨日の出来事なんてほとんど説明できることなんてない。

リーナちゃんとの約束もあるし、軍の機密事項満載のアイテムのことなんて、たとえ軍属のことがバレている相手にも言えない。

初めから聞かれても教える気はないってことだね。

 

「発信器の寿命は最長で三日間。電波の出力は微弱ですが、街路カメラに併設した違法電波取り締まり用の傍受アンテナなら受信可能です」

「ちょっと待って、達也くん。昨晩?何処で?」

「どうやって見つけたのよ?」

 

ほらほら、皆驚いて食いつきが凄い。美少女に迫られて微動だにしないお兄様の図。モテモテだね。あんまり羨ましいと思えない表情だけどね二人とも。

 

「合成分子機械って、何処からそんなものを・・・」

 

吉田くんは茫然と呟いていた。まあ、ただの高校生じゃそんなもの手に入らない。というよりよく吉田くんが知ってたよね。

お兄様、もう少しでいいから吉田くんに優しくしてあげて欲しい。この間のコートは役に立ったようだから、吉田くんが追いはぎのようにコートを奪われ一人置き去りという、踏んだり蹴ったりなことにはならなかったようだけども、不憫だよね。有能なのに。

 

「これが電波の周波数とパターンです」

 

そういってお兄様は四人の前に一枚ずつ、カードを滑らせる。

 

(やだカッコいい。ポーカーのディーラーみたい!)

 

次のぬいの衣装それにしようかな?そうしたら深雪ぬいにはお揃いもいいけど、やっぱりそこはバニーガール?エナメルの光沢あるエッチなのも好きだけどここは王道でいきたい。・・・網タイツは難しそうなので素足にヒール?それもえっちね。嫌いじゃない。むしろ好きでしかない。・・・というよりそれはぬいじゃなくて等身大に着てもらいたい服だね。

買うのは抵抗あるし、作ろうかな。そんなに布地も必要ないし。ほら、ぬいの資料のために本体も着てみないとどんな感じかわからないじゃない?うさ耳は作るの大変そうだね。

どこかのテーマパークので代用しようか。尻尾選びは任せて。ハロウィンの時に良いお店があったからきっといい毛並みがすぐに見つかるはず。

・・・・・・絶対お兄様には見つからないようにしなければ。

 

「先輩のチームもエリカのチームも傍受アンテナを利用できるはずですね?」

 

おっと、邪なことを考えていたら話が進んでます。意識が持って行かれてましたね。顔には出てないはずだし、空気も漏れてないはず。うん。皆お兄様を見ている。問題はない。

 

「これで居場所を突き止めろ、ってこと?」

「・・・なぜ、これを私たちに?」

 

うーん。女子たちはぎすぎす空気が止まらないね。吉田くんたじたじ。

だけど十文字先輩は動じない。こんな七草先輩珍しいと思うのだけど、親しい間柄だから宥めるとかしてくれそうなのに何もない。

フォローは上手そうだったけれど、ここで余計な口出しをしては火に油を注ぐことになるから口出ししないってことなのかもしれないね。

それにしてもお兄様の我関せず感がすごい。・・・気にしてないわけじゃないのにね。

 

「我々が追いかけている吸血鬼の正体ですが、USNA軍から脱走した魔法師のようです」

 

お兄様からのこの発言はそんな彼らの空気を一変させる効果があった。

彼女たちをイライラさせていた原因にもなっている正体不明の敵が判明したのだから、そうなるもの不思議じゃないのだけど。

そうなるともう一つの正体不明の勢力もおのずと判明するわけで。

彼女たちも探索妨害をしていた未知の勢力の動きが、到底非合法組織にできるものではないと睨んでいたのか「そういうこと・・・」と納得いくところがあったようだ。

 

「それも単独ではありませんね。脱走者は少なくとも二人以上、もしかしたら十人前後になるかもしれません」

「スターズから十人も脱走者が出たの?」

 

スターズに所属していない魔法師も当然存在するとの説明は十文字先輩が買って出ていた。

先輩の声には鎮静の効果でもあるのかな。二人が静かになっていく。

お兄様も同じ低音ヴォイスの持ち主なんだけどね。何が違うんだろう?貫禄?圧??先輩の声も重厚感があってとっても素敵です。

 

「――たとえ相手がスターズのメンバーでなくても、戦闘訓練を受け、その上に吸血鬼としての異能を身に付けた相手です。甘い相手じゃないでしょうね」

 

こちらは淡々と、落ち着いた声は機械的に聞こえるかもしれないけれど、注意を促す言葉にはちゃんと思いやる気持ちも込められている。

 

「そうだな。魔物の力を度外視しても、油断ならぬ相手だ」

 

低く響く良い声も、気を引き締めていこうと、冷静に対処しようと言い聞かせる。

・・・うーん、二人とも上司にしたい人ランキング上位だよ。この声と言葉なら信頼できる。この人についていこうって気にさせてくれる。

こんな人たちと一緒に仕事ができたら幸せだろうね。・・・これが本当に高校生?信じられないよ。

 

「しかし、スターズ所属の魔法師でなくても、USNA軍の所属であることに違いありませんよね・・・。軍属の魔法師はどこの国でも厳重に管理されているものだと思っていましたが、USNAの軍紀が緩んでいるのでしょうか」

 

吉田くんの視点って時折マニアック、というかずれるよね。いや、大事なところではあるんだけども。

今回に限って言えば外れているようで実際核心ついてるし。

 

「いや、それはむしろ逆だろう」

「逆?」

「魔法師に対する軍の締め付けを上回るほど、パラサイトの影響力が強かった、ということじゃないか。パラサイトは人間を変質させるのだろう?その変化が肉体だけでなく精神にも及ぶのであれば、寄生されたことで価値観が変わっても不思議はない」

「それは・・・そうだね。じゃあ、パラサイトは何のために脱走したんだろう?」

「軍に居続けることが無意味に思えたのか、それとも軍に所属していては成し遂げられない目的があるのか。それはパラサイトを捕まえて聞いてみなければわからない」

「目的か・・・。パラサイトに限らず魔物の目的は、飢えを満たすか仲間を増やすかが相場なんだけど、今は気にしても仕方ないか。あれこれ考えても推測でしかない。それより、軍紀が緩んでいるんじゃなかったら、そっちの方が事態は深刻だね」

「ああ。軍紀が保たれている中を脱走してきたということだからな」

 

それは、手引きをした人間がいたということなのだけれど、ここでそれを話すことはできない。訊き返されたら困るからね。それにその情報はまだ確証を得られてない段階だから。

 

「それで結局、どうしろって言うのよ」

 

エリカちゃんは本筋から外れた会話に辟易してしまったようだ。

ここしばらくのストレスが蓄積されてヤバそうだね。

お兄様もストレス溜めるとヤバいタイプだったけど、エリカちゃんも周囲に迷惑を掛けちゃう系かな。・・・ってお兄様と一緒にしたらキレられそう。

 

「どうしろこうしろというつもりはないが」

 

喧嘩腰な態度にもお兄様は動じない。

 

「友人が痛い目に遭わされたんだから、放っておくつもりはない。しかし同時に、自分の手で思い知らせてやることにこだわるつもりもないな。公安や警察庁で対処するなら余計な手出しをするつもりはないし、師族会議が責任をもって処分するというならそれに文句はない。もちろん、千葉家が単独で討伐しても一向に構わない」

 

お兄様だって、この件は無視できない案件だと思ったからここまで動いている。

だけどそれがエリカちゃんや七草先輩たちには伝わらない。それはお兄様のこの態度がそう思わせてしまっているのだろうけれど・・・とてももどかしく思う。

 

(お兄様が、冷めているように見えてしまうのは、感情が衝動まで届かず、且つ感情をコントロールできてしまうから仕方のないことかもしれないけれど)

 

お兄様の発言が突き放しているように感じたのか、はたまたやる気を感じなかったのか。十文字先輩以外複雑そうなお顔ですね。

・・・なんというか、皆甘えん坊さんかな?そんな、ご不満です、という顔を見せるだけで何も言わないってことは相手に気づいて、構ってってことなのだけど誰もそのことには気づいてない。

だけどお兄様は素知らぬ顔で席を立つ。

 

「ご足労頂いて申し訳ありませんでした。物がモノですので、直接お渡しした方がいいと思いまして」

「いや、構わない。ご苦労だったな」

 

何か言いたげに口を開きかけた七草先輩を抑える形で十文字先輩が労いの言葉を掛ける。

先輩によく似合うお言葉。端的だけどそこがいい。

 

「せっかくこうして顔を合わせたのだから、我々は少し話をしてから帰ることにしよう」

 

十文字先輩はこの機会を利用してきちんと目的を果たそうとしている。こういうところも信頼できるよね。

先輩、後はよろしくお願いします。お兄様に続いて立ち上がり、後ろに回る。

 

「そうですか。それでは、戸締りをお任せしてもいいですか?」

「任された」

 

吉田くんからの縋りつくような視線を、お兄様は見なかった振りをしてその場を後にした。

強く生きて、吉田くん。

 

 

――

 

 

電車での帰宅中。お兄様は悩まし気に窓の外を眺めていた。なんとも絵になるお兄様だ。

 

「甘いな、俺は・・・」

 

ぽつりと零された言葉はため息交じりで、とても落ち込んでいるのがわかる。

すぐにでもそんなことないと否定したくなるのをぐっと抑えて続きを待った。

 

「自分には無関係だと思っていた結果が、このざまだ。何もかもが後手後手で、手掛かりはいくらでもあるのに、肝心なことがわかっていない」

 

悔しさも滲ませて、反省して。

 

(――ああ、なんて愛おしいのだろう)

 

胸が苦しくなる。お兄様が落ち込み、藻掻き苦しむ姿に見ているこちらも辛くなるけれど、同時に込み上げてくるのは、――改めて好きだな、という感情。

前世から司波達也というキャラクターが好きだった。

初めから人が持っているものをことごとく奪われ、欠陥を抱えながら兵器として育てられ、本人もいつしか自分がそういうものだと割り切って、唯一残された妹への愛を原動力に生きてきた。

その妹も懸命に兄に尽くそうとして、時に盛大に空回りをしてしまうけれど、それでも絶対的に受け入れてくれる存在というのは彼にとってどれだけ支えだっただろう。

そしてその軸がぶれなかったからこそ彼は、妹を中心として交友を深め、共に戦うことで信頼も生まれ、友情を育んでいった。

今のお兄様も原作の彼同様、自身も知らぬ間に人間らしく悩み、後悔している。

それは感情のない兵器にはけしてできないこと。

この成長を目の当たりにできたことを、どうして無感動でいられようか――愛さずにいられようか。

原作の深雪ちゃんは、心も視られたい、と思っていたようだけれどとんでもない。

こんな前世からも持ち越してしまった重い愛を視られては、きっと如何なお兄様だとて逃げ出してしまう。

親しい人ほど見せられない想いというものもあるのだ。

厳重に想いを隠して、寄り添うようにそっと声を掛ける。

 

「それは、リーナのことでしょうか?」

 

既に叔母様からスターズが動いていると忠告されたお兄様にとって、USNAからの留学生という時点で怪しむべき対象だった。

すぐにその正体もわかっていた。だが、目的がイマイチ理解できずに手をこまねいていた。

・・・本当は目的なんてお兄様に対しての探りしかなくて、吸血鬼の話は後から来た緊急任務だったんだけどね。ご都合主義ぃ。

 

「参ったな・・・深雪には本当に、隠し事ができない」

 

そうは言うけれどお兄様、隠すつもりもなかったでしょう、と思うわけで。

お兄様のことを見て、考えていればわかること。

小学生の考えるなぞなぞの方が難しいくらいだ。

苦笑するお兄様は少しだけ肩から力を抜いた。

 

「リーナが何か企んでいたのは、最初から分かっていることだったんだ。それを尋問する機会だってあった。無理やり機会を作ることもできた。それなのに俺は、自分の生活に波風を立てたくなかったがために見逃して、結果的に対処が遅れた」

 

残念だけど、初めの頃に問いただしたところで彼女の日本に来た目的に吸血鬼は含まれていないので、お兄様の実力を量ろうと逆襲されるくらいしかないと思う。

スターズと正面衝突は望ましくないのだから、見逃したり泳がせたりするのが正解です。

だけどね、お兄様のその考えが重要なの。

今の生活に波風を立てたくない、というその気持ちが、何よりも大切なものなのだ。

 

「いや・・・わかってはいるんだ。俺がすぐに手を打ったからと言って、被害を防げたとは限らない。事態はもっと悪化したかもしれない。でもなぁ・・・友人が犠牲になった、という事実を目の前にすると、無駄だと知りつつ考えずにはいられないんだよ」

 

後悔する姿の、なんと――美しいことだろう。

人の心の葛藤を表現することは芸術作品に多く残される題材の一つ。そのわけは、人の葛藤する姿がとても魅力的だから。だからこそ形に残したくなる。

お兄様のこの姿は正に心を揺さぶるものだった。

耐え切れず、ほう、と息が漏れた。

願わくばその溜息が安心して出たものだと勘違いしていて欲しい。

 

「お兄様はお優しいから、だから後悔なさっているのですね」

「・・・なんだ、いきなり」

 

お兄様は顔を上げてこちらを見て、一瞬目を見開いたけれどそのことには触れずに聞き返した。

 

「もしやお兄様自身お気づきになられていないのですか?・・・お兄様ほどの方でも、ご自身のこととなるとわからないものなのですね」

 

頬を緩ませて言う私を、お兄様は怪訝な表情で見つめる。何が言いたいのかわかっていないようだ。

 

「すまない、深雪が何を言いたいのかよくわからない」

 

素直に訊いてくれるお兄様のお陰で、私たちの間にエリカちゃんとの間にあるもやもや感が生じることが無い。

訊けばすぐにでも分かり合えるのに、この年齢の少年少女は複雑で、素直になれないお年頃だからしょうがないのだけど。

 

「俺が一体、何に気付いていないと言うんだ?」

 

いつか、お兄様も心がさらに成長して、素直になれない瞬間が来るのだろうか。

反抗期のような反発する心が芽生えるだろうか。それは、見てみたいような、見なくて済むなら見たくないような。

複雑な親心、じゃなかった。妹心です。

母もそうだけれど、お兄様の感情を育てたのは私だという自負があるから、つい親のような目線になってしまうけれど、もうお兄様は私の手を離れて、自ら成長しているのだと思うと感慨深い。

嬉しい、愛しいという気持ちが笑みとなって溢れてしまう。

 

「お兄様は、ご友人である西城くんを傷つけられたのが許せないのです。そして仮初めとはいえ友人となったリーナに手荒な真似をしたくないとお考えなのです。

お兄様が私以外の者にも情けをかけて下さっている。お兄様はご自分でお考えになっているよりずっと、人間らしい感情をお持ちなのです」

 

あえてここは私の言葉ではなく、深雪ちゃんの言葉で伝えた。

だって、私にとってお兄様はずっと優しくて、人のことを想える人だと思っていたから。

ここまでそのことを伝えられてこなかったことは心苦しいけれど、順序を守らねば何かが狂ってしまう気がしてこの日まで温めてきた。

それが、ようやく伝えられた。

 

「お兄様はお優しいです。お優しいから躊躇って動けないでいた。私はそれを愛おしいと思いこそすれ、情けないなどと思いません。恥ずべきことではないのです。――お兄様の心が、感情が芽生え、育ってきたのです。どうか、このまま大事に慈しんで育ててくださいませ」

 

お兄様の健やかな成長こそが、私の喜びなのだから。

気持ちを込めて微笑めば、お兄様は正面を向き直って深く座って目を閉じた。

初めて見る、年頃の男の子のような反応。

きゅん、と確かに音がした。

 

(え?本当に?・・・この照れ隠しを無料で見ていいのですか?課金は?ぜひとも課金をさせてほしい)

 

横から盗み見をするしかないこの状況がもどかしい。

このスチルを残せないなら、と心のシャッターを切ったけれど、念じれば用紙に写す魔法ないかな。

ほのかちゃん辺りできない?光を映すだけ?残念。

 

 

――

 

 

夕食を食べ終わってすぐ、電話のベルが鳴った。

顔を見合わせたのち、番号を見たお兄様がそのままリビングで電話を受けたことにより、高解像度の大画面に雫ちゃんのあられもない姿が映る。

瞬間カッと顔が熱くなって慌てて顔を覆いながら悲鳴を上げてしまった。

 

「きゃあああ!雫ちゃん!ダメよそんな恰好してちゃ!!ガウンを、ガウンを着てぇ!」

 

知ってた。わかってた。でも想像よりはるかに大画面の雫ちゃんはえっちくて。

ほっそりとした肢体を隠すことなどできないスケスケえろえろネグリジェは高校一年生にはまだ早いと思います!

しかも酔っているのか、目はうつろで頬は赤く上気し、妖しげな雰囲気がここまで漂ってくるよう。えっちい!エッチだよ!!刺激が強すぎる。

どうしてみんな可愛い上にプロポーションも素敵なの!?目が離せないじゃない。え?顔を覆ったんじゃなかったのかって?指の隙間って案外結構見えちゃうものだね。

 

(この!私の変態!!)

 

思わず素の自分が出てきてしまったのもしょうがないと思う。それくらい衝撃が大きくてヤバかった。

画面から雫ちゃんがガウンを取りに行っている間、静かだったお兄様の反応が今になって気になった。

気配的にお兄様がうろたえた様子はない。その前に私が叫んでしまったというのもあるけれど。

顔から手を離しておそるおそるお兄様を見れば、少し首を捻ってじっと私を見ていて、視線が合ってしまった。

途端ボッと頬が熱くなった。なんだろね。エッチなビデオを見てたのを見つかった気分?妙に焦りますね。

・・・おかしい。どうして私の方が焦るんだろ。こういうのって男性の方が焦るんじゃないかしら?

 

「あ、の・・・お兄様?」

「何でもない」

 

訊ねる内容もまだ口にしてないはずなのに、お兄様は何でもないと口にして前を向いたタイミングで雫ちゃんが戻ってきた。

何だったのか気になるけれど雫ちゃんの話が優先だから後回しだ。

 

「吸血鬼の発生原因なんだけど」

 

さっそく雫ちゃんは彼と接触したらしい。

・・・雫ちゃんの綺麗で可愛らしいドレス姿を見て、二人きりでテラスで、内緒話をした男がいると?ずるい、許しがたい。

問題点がそこじゃないことは冷静な深雪ちゃんの頭脳がわかっているけれどね。文句の一つでも言ってないとやってられなくてね。

 

「余剰・・・なんだっけ、余剰何とかの黒い穴の実験みたいだよ」

 

ああ・・・、ぽやぽやしてる雫ちゃん可愛すぎない?何故画面越しなの?今すぐ抱きしめたい愛くるしさ。

声を出さないように口元をずっと押さえてるけれど、息が漏れちゃう。そんな場合じゃないのにね。

顔はしっかりシリアスを貫いており――つつも頬が緩んでいるような気もする。気づかれてないことを祈るばかりだ。

 

「余剰次元理論に基づくマイクロブラックホール生成・消滅実験、じゃないか?」

 

低い、強張った声でお兄様が確認する。

よくお兄様はそんな雫ちゃんの様子に惑わされずに真理に近づけますね。・・・いえ、真剣に事件に向き合っているお兄様だからこそ、か。気を散らしすぎている妹で申し訳ない。

そこからお兄様による実験内容の説明講座が始まった。難しいけれど付いていけたよ。

お兄様から頭を撫でていただきました。嬉しい。

思わず相好崩したら雫ちゃんから私も撫でるー、と画面越しにエアなでなでを。私昇天しちゃう。

画面越しで本当によかった。画面越しじゃなきゃ死んでた。

聴講中の舌っ足らずの雫ちゃんの破壊力も耐えきった私はかなり耐久レベルが高くなったと思う。

それでも、この二つのなでなでコンボの前では虫の息なんだけれどね。

生まれたてのバンビのよう。ぷるぷる震えています。電話が終わってもしばらく動けなかった。

 

「ひゃ!お、お兄様?!」

 

ら、お兄様に抱き上げられました。お姫様抱っこ。

え?な、何故に?!

 

「心拍が異常だ」

「そ、それはお兄様と雫に褒められたことが嬉しくてですね?!」

 

体の異常じゃなくて心です、と情けない告白だけど、ここは自己申告しないと心配させてしまうかなと思いましてですね。無駄に心配させる時間が長引くよりかはいい。

でもお兄様はそんな私に呆れることなく、ソファに運んで座らせてくれた。

 

「電話が始まって間もなく心音が乱れていたからな。酸欠になってもおかしくないほど、全力疾走と同じくらい動いていた」

 

・・・うう、お兄様に笑われてる。嫌悪感が向かなくてよかったけれど、複雑。

 

「誰だって、あんな姿を見たら驚きますでしょう?」

「確かに驚いたが、何か行動するよりも早くお前の悲鳴が上がったからな。おかげで冷静になった」

「・・・すみません」

 

そうだよね。あんなえっちぃ姿を見て硬直したところ、いきなり背後で悲鳴を上げたらお兄様だって驚く。

頭を下げて謝ると、隣に座ったお兄様が宥めるように背を撫でてくれる。次第に心拍数は落ち着くけれど一定からは下がらない。・・・お兄様のね、視線がね、優しすぎて心が落ち着かない。

 

「お兄様は今、別のことに頭を悩ませたいはずですのに」

「吸血鬼の原因が分かったところで対処法はまた別問題だから」

 

それはそうなのだろうけど、その問題だけではない。

 

「――お兄様のせいじゃないです」

 

お兄様の胸に寄りかかるように体を傾けて顔を隠した。

 

「深雪、」

「あちらの国が勝手に焦って未知の領域に手を伸ばした。成功するかもわからない実験に賭け、自滅をしたのです」

 

たとえ強国であろうとするばかりに、お兄様の力を危険視し、対抗する術を模索した結果がこうなったのだとしてもそれは、お兄様のせいではない。

危険とわかりつつ手を出すことを許可した、己たちの技術を過信した研究者たちと、愚かにもゴーサインを出した上層部が悪いのだ。それを唆したっぽい黒幕おじさんが一番悪いんだろうけど。

どっちにしろその責をお兄様が背負うことなど一ミリもない。

 

「・・・そんなこと気にしていないよ」

 

少し間が開いたということはその可能性を考えていたということ。お兄様はすでにお気づきでいたのだ。

だけどかの国の見通しの甘さを、お兄様がどうにかする謂れも無いはずなのに。

撫でていた手はいつの間にか抱きしめる腕となり、もう片方の手が私の髪を梳く。

長い髪だが、お兄様の手は引っかかることはない。深雪ちゃんボディは今日も細部に至るまで完璧だ。

 

「お兄様は優しすぎます」

「誤解だよ。俺はそんなお優しい人間じゃない。そんな俺を心配してくれる深雪こそ、優しすぎる」

 

優しくない人間は、その可能性すら気づくことはない。要因の一つとは考えても、そこに責任を覚えることなどないのだ。

お兄様が積極的にパラサイトをどうこうしようとしたのは、そこにも理由があったのかもしれない・・・というのは穿ち過ぎだろうか。

温かい腕の中、回された腕はいつの間にかとん、とん、とリズムを刻み、瞼がだんだん重くなる。

 

「まだ戦いの疲れが取れていないだろう?」

「でも、片付けが」

 

夕食を食べ終えたところに電話がかかってきたので、机がそのままだった。それにこんなところで寝ては――

 

「それくらいなら俺でもできるよ。安心して眠るといい」

 

その言葉が終わる頃にはふっと意識が遠のいて、つむじに何かが触れた気がしたけれど、それが何だったのか考える間もなく夢の世界へと誘われていった。

 

――おやすみ、いい夢を。

 

お兄様のお声は睡眠導入剤もびっくりの寝つきの良さを発揮する。これを音源にして販売したらいいのに。・・・いや、すでにあったなそんなCD。お兄様の中の人が絵本読んでくれて眠らせてくれるっていう。それを無料で聴いていいのだろうか?お布施を払わせてほしい。

 

それが原因かわからないが、私は分厚い財布を握りしめ、賽銭箱を探して彷徨い、迷子になる夢を見た。

 

 

――

 

 

E組メンバーのいない食堂での食事は居心地が悪かった。

おかしいな。原作の深雪ちゃんと違って、私にはお兄様をほのかちゃんと取り合う気など全くない。

よってほのかちゃんはお兄様とべったりできるはず、と思っていたのだけれど、なぜか様子が違う。

ほのかちゃんはそれなりに押せ押せなのだけど、お兄様がね、どうにも困惑気味だった。

そしてなぜか私を巻き込む。まあお兄様が私を放置できるわけがないのだけれど、それにしても構うんだよね。

ここ、学校ですよ。お家じゃないのにほのかちゃんに触れ合われた分、私に触れようとする。

学校ではあまりべたべた兄妹してなかったはずなんだけどな。

後ろではこんな三角関係見たことない、とかよくわからない発言がですね――、違うね。多分だけど皆が描いている構図はわかっている。ただ私が納得していないだけで。

ほのかちゃん→お兄様→私、の図ですね。

なんでやねん。普通そこはほのかちゃん→お兄様←私、でしょうに。

いえ、私が参戦していないのだからほのかちゃん→お兄様の片思いの図、だけでいいはずなんだけどなぜそこに私を入れる??学校内で流行っている物語のせい?

このままここで時間を潰すのも気まずいので屋上へ行くことになった。

・・・この後、パラサイトと直接対峙することになるんだよね。だけど――

 

(ここではまだパラサイトを抑えることはできない。吉田くんも封印することもできないし、お兄様もまだその術を習得していない。――だから、リーナちゃんの大切な人を、)

 

救うことが、できない。

せっかく元気に(見た目だけ)登校しているのに、これは彼女の心をひどく傷つける。

いえ、違う。パラサイト化した人間を救うことなど元々できない。

ただ、体を綺麗に残せるか否か、だ。――未来の一例を除いて。

居心地の悪さに移動してきた屋上、通称空中庭園も、冬には人気が無くなる。

手入れが行き届いているので、この時期でも綺麗にお花が咲いているけど、こうも寒いとね。

CADを携帯できない一般生徒がここを利用することはほぼないだろう。こういう時生徒会に入っていてよかったと思うね。使えるものは何でも使います。

ということで寒気を遮断する魔法を展開。これも学校側にバレてるんだよね使っていること。大目に見てくれているのかな。

けれど、うん。ほのかちゃんは大胆だね。お兄様の腕に巻き付いてます。そして押し付けてますね。

男子が見たらまず羨み、次いで呪う光景。

寒い冬だからね。見た目も温かくしないと。

私はちょっと離れてベンチに腰掛けた、んだけど・・・お兄様?何故気遣いを無駄にするように私の腰を抱き寄せようとするのです?力が強いですね。逆らえない。

お兄様も寒いとか言わないよね?もしかして私だけ寒くないの?魔法効いてない??

近寄ったことでお兄様の腰の腕は離れたけれど、どうしよう?温度上げるべきかな。

でもそうするとほのかちゃんが暖を取る理由が無くなってしまうから、このままの方がいいと思うのだけど。

そういえば、そろそろパラサイトが校内に侵入するのよね。

飛行用デバイスは身に付けている。ほのかちゃんには悪いけれど、今後の展開のためにも連れてはいけないので置いてけぼりにしちゃうのが申し訳ない。

これから私は不快な波動を感じるらしいのだけど。

 

(そもそも不快な波動ってどんなのだろう?肌を掠めるような、ってあったけれど)

 

深雪ちゃんはお兄様と違って情報を触覚や嗅覚などの五感で感じ取る。基本パッシブスキルなのだが、普段は制御して感覚を鈍らせている。

魔法を使用する学校でMAX感知していたら体がもたない。遠くの教室の魔法実習でさえ何かを感知してしまう。

三割程にしていれば、同じ室内の魔法でも、分厚い膜上に何の魔法か感じますね、程度に抑えられる。

年齢を重ねるごとに感度の増してくる反応に戸惑うこともあるけれど、そのたびに制御の技術も向上しているから、今ではコンマ幾つまで制御可能だ。

これはちょっと自慢。誰とも比べられはしないけどね。

だけど今はそのMAX全開。いち早く気付ければ動きが何か変わるかもしれない。

そう思ってのことだったのだけれど、この時私はすっぽ抜けていた情報があった。

原作の深雪ちゃんとの差だ。

研ぎ澄まされた感覚はどんな小さな感覚も拾ってしまう。

耳元で突然虫の羽音が掠めていく。それが大きな蜂の羽音に聞こえて思わず身が竦んだ。

 

「深雪、どうした?」

 

これは不快なんてものじゃない!虫は苦手じゃないけれど、こんな至近距離で聞いて落ち着いてんかいられない!

西城くんもこの音を聞いたのだろうか。彼は会話としては聞き取れなかったけれどなんとなく言っていることがわかっていたような描写があったけど、残念ながら私には会話とすら思わなかった。

それとも集中すればわかるだろうか?もしくはもっと近づけば違うだろうか?だけど今、それは後回しだ。

 

「今、不快な・・・」

 

あれ?でもコレ不快な波動っていうよりも聴覚の捉えた情報だ。

 

(・・・となるともしかして深雪ちゃんが感じたのはまた別の――)

 

その時だ。

 

「ひうっ!?」

 

中途半端に口を開いていたのが悪かったのか、口からとんでもない声、とういかアレです、あられもない声を上げてしまい、慌てて口を手で覆って閉じる。

真っ赤になったのは恥ずかしい声を出してしまったことと、もう一つ――確かに、肌を掠めた・・・長く、細い何かが背中をくすぐるように通り過ぎた。

だがその感覚こそが大問題で――

 

(ちょちょちょちょちょっと待とうか?!え?これってまさかそういう!?嘘でしょう?!だからどうして深雪ちゃんだけライトノベルの雰囲気から逸脱するの??おかしいでしょう!これは、一番、おかしい!!)

 

慌てて感覚を遮断した。もう一度受けるのはちょっと心の整理が追いつかない。

驚きすぎて寒気を遮断していた魔法も解除され、入り込んだ冷気でまた体を震わせるけれど、先ほどの感覚がまだ残っているような気がして気持ちが悪い。

 

(・・・確かにパラサイトって触手を持った超生物っぽかった。でも、だからってこれはないでしょう!)

 

ジャンルはラブコメから急展開、エロ漫画になってしまったというのか。信じられない。信じたく、ない!

パニック状態で思考が纏まらない!

 

「み、深雪?!どうしたの??」

 

ほのかちゃんの心配する声に答えなきゃ、とゆっくり顔を上げると座った目をしたお兄様と、動揺を隠しきれず、けれど隣のお兄様にも怯えているほのかちゃんの姿。

お兄様の目の色がいつもより暗いですね。ちょっと冷静さが戻った。

ありがとうお兄様。でも空気がぴりついててちょっぴり怖い。

 

「・・・その、とても不快な波動を感じて」

「場所はわかるか?」

 

サイオンかプシオンかも聞かれずに発生源を聞かれるけれど、遮断してしまった今、どの方向からなんて確認できない。

もう一度アレに触れればわかるかもしれないが、と若干躊躇った時、お兄様の端末が鳴った。

 

「達也くん、大変よ!」

 

音声はお兄様にだけ聞こえる状態だけれど、慌てている先輩の声が漏れ聞こえていた。

 

「七草先輩、細かい位置はわかりますか?」

 

うん。目も据わってるけど声もめっちゃ低い。今にも場所を聞いたら殴り込みに行きそうな雰囲気。

殴り込みっていうか血の雨を降らせそう、の方があってるかも?

とにかく物騒な空気背負ってます。あれ?ヤンキーかヤクザ漫画かな?カチコミ行きます??

おかしい。この段階ですでにお兄様は相手が西城くんを襲ったパラサイトだと断定しているのだろうか、というくらいキレてる。

お兄様は般若を背負ったような形相(深雪ちゃんeye)で空を睨みつけていた。

続く言葉は先輩が落ち着いたからか、漏れ聞こえることは無かったけれど、お兄様が顔を動かしたことから場所の報告があったのだろう。

「了解です」と短く答えたお兄様は腰のベルトに付けていた飛行デバイスを操作。

私も続けて魔法を行使し、お兄様と同じタイミングでふわりと浮かび上がる。

お兄様がちらり、とこちらに視線を向けたけれど、すぐに前に戻す。

うん?何を確認されました?方向的にもう少しひねればほのかちゃんだったはずだけど、そちらは全く視線を向けられていなかった。

・・・今はパラサイトが問題だから、そこまで気が回らなかったのか。

ほのかちゃんごめんね?寒い屋上に一人不安にしたまま置いていってしまうことが心苦しいけれど、これもこの後の大事な流れのため。

振り返ることもできず、お兄様に続いて実験棟の方に向かって飛んだ。

 

 

――

 

 

着いた先は実験棟の資材搬入口付近の空き教室。

いきなり直で現場に行ったら場を混乱させるだけだからまずは様子見。

学校の警備は論文コンペ以降、さらに厳重になったと聞いた。

元々機密保持の観点からかなり高度なセキュリティだったのだけど、不審者、盗撮、盗聴対策についてはより一層強化されたらしい。

だからきっと不審な痕跡に気付いただろうけど、その相手が新型測定装置のデモ機を持ってきた相手となれば、それが悪用のためかなど、判定はし辛い。

相手も名のある会社だから手荒なチェックもできない。そもそも許可証があるから余計に何かが無い限り詮索などできるはずも無い。

パラサイトサイドとしては表の仕事上ここへ来るしかなかったのだけど、彼らはよく考えてる。

パラサイトたちは人間たちの都合をちゃんと認識して擬態している。

元の人間の知識だというけれど、そんな人の生活なんて無視して好き勝手動くかと思ってた。

擬態のみならず、生態までトレースできるってすごいことだ。相当身近な人間じゃない限り、変化に気づけないレベルじゃないかな。

確かリーナちゃんともコミュニケーションしてても不審に思われてなかったんだもんね。

・・・だからこそ余計、仲間意識の高いリーナちゃんが傷つくのだけど。

 

(まだ高校生の女の子だ。敵地に送られた状態で少数精鋭の仲間を疑うなんて、できるはずもない。・・・苦しむはずだ)

 

目の前では6人のマクシミリアンの社員が作業を行っている。

あの人がパラサイトだと知っていても普通の人にしか見えない。魔法師の目で見てもおかしなところはない。想子波の偽装を見破ることができなかった。ならば先ほど感知できた霊子波はどうだろう?こちらは確か隠蔽されているはず。

 

(もう一度、感知してみるべきかな)

 

あの時感じた不快感は完全に遮断したことで今は全く感じない。制御できていてよかった。

だけどそれではダメなのだ。目隠しをしたままでは何も得られない。

 

(徐々に、上げていけばさっきのようなことにはならないはず)

 

見逃さないようにフルにしていたから、あんなはっきりくっきりと感触が伝わってしまったのだ。

・・・粘度のある湿り気を帯びた細長いモノに背筋を撫でられたあの感覚・・・怖気が走った。

しばらくあの感覚が消えなくて気持ちが悪かった。

・・・深雪ちゃん、よく耐えられたね。私なんか変な声出しちゃって恥ずかしい思いまでしてしまった。

今度は気を付けていこう、と気合を入れて感覚を研ぎ澄ませていく。

まずは一割。特に変化はない。二割。少し空気は変わったけれどこれはいつもと変わらない。二割五分、も問題ない。

校内から感じるのは実習の微かな波動かな?どんな魔法を使っているのかもわからない。三割、四割と上げたところで彼らの元に近づく一人の影――リーナちゃんだ。

お兄様も気づいてそちらに注視している。

彼女はこっそり、というほど隠れてもなく、でもちょっとだけいいのかな?と戸惑ったようにトレーラーに近づいていく。

それはまるで、仕事中に知り合いに近づいていいのかな、と不安がっているようにも見えた。実際彼女の感覚としてはそんな感じであったのだろう。

だって、彼女は一ミリも疑っていなかったから。

リーナちゃんが近づくと一人の女性が振り返る。振り返った彼女の周りにはキラキラと、光がちらついた。

 

(んん?あれは――)

 

その光が物理によるものではないことはすぐにわかった。

それを振り払うように手を動かす姿にリーナちゃんが訝しんだことで確信に変わる。

それは同じく様子を窺っていた彼らも確信したタイミングだったのだろう、別方向で小さな揺らぎと空気を切り裂いて何かがリーナちゃんたちに向けられて飛来してくる。

小さな揺らぎは恐らくエリカちゃんのデバイスの起動、飛来してきたのは吉田くんの魔法。

展開された魔法により、見えていたリーナちゃんを中心とした一区画が幕に覆われたように見えなくなった。

いや、うっすらと背景が見えているから、もしかしたら普通の人なら元々何もないように見えているのかもしれない。

認識阻害ってすごい。いや、こんな複雑な工程をやってのけてしまう吉田くんが凄いのか。

 

「結界ですか?」

「幹比古だな。大した腕だ」

 

吉田くん!お兄様が手放しで褒めてます。よかったね。できれば本人にも伝えてあげてね。きっと喜ぶ。

そして自己加速したエリカちゃん、その後ろには十文字先輩が続く。エリカちゃんヤる気満々だね。

早くて顔は見れないけれど漲っている闘志が伝わってくる。

結界は彼らを弾くことなく迎え入れていた。出入り自由なのかな。視界を遮断することと音漏れ遮断に特化してるのか。

お兄様は七草先輩とお電話で結構とんでもないことを要求している。機械による録画を止めるだなんて、権限云々以前の問題ですよ。

できちゃいけないヤツ。それができちゃう先輩は今までどんな悪ぅいことしてきたのかな?

と、そんなことを気にしていたら耳元を、今度は小さな羽音が横切っていく。

この距離でも私には会話には聞こえない。何を伝えようとしているのかもわからない。四割程度だからか、それとも私の受信が悪いのか。

吉田くんの張った結界は魔法を遮断することはないみたいだ。よって、別の魔法が中と繋がっているのが感覚的にわかった。

もう少しだけ感度を上げてそれに手を伸ばすと・・・糸電話の糸かな。触れると微かに振動が行ったり来たり。

この糸辿って行ったらスターズのリーナちゃんお世話係の元へ行けちゃったり?それはないか。

これは物理的に横にあるのではなく、私のイメージによって感覚でとらえた情報だから。

だけど、彼女もいいお姉さんだよね。どことなくだけど穂波さんを彷彿とさせる面倒見のいいお姉さん。会うことはないだろうけど、好き。

会話が途切れたのかな?通信は繋がったままのようだけど振動がない。エリカちゃんが攻撃に入ったのかもしれない。

その証拠にぶわっと圧が。多分十文字先輩とリーナちゃんの魔法が激突したのかもしれない。

展開が早いったら。

 

「行くぞ、深雪」

「はい、お兄様」

 

顔を見合わせ頷き合って、隠れていた教室の窓から身を乗り出した。

 

 

――

 

ふわっと窓から飛び出したはいいけれど、だからといってすぐ姿を見せるまねはしない。

結界内に入ってすぐトレーラーの陰に隠れて様子を窺う。

あ、その間にお兄様が他の社員さんたちの意識を刈り取ってますね。素早い。

というか、突然何が起こったのかわからず恐慌状態でしたよ。彼らは本物の社員さんだから何も知らなくて当然なのだけど。

パラサイトだということが私たちに察知されなければ、そのまま表向きの仕事に従事していた可能性が高いからね。

これに関してはそちらでフォローお願いしますね、リーナちゃん。

結界の影響で先ほどまで全く聞き取れなかった会話の応酬が、目の前で繰り広げられていた。

そしてリーナちゃんの悲痛な叫びがパラサイトへと向けられる。

リーナちゃんは真実、彼女が吸血鬼、パラサイトだと知らなかったのだけれど、この状況で信じろというのは酷だ。

同国の人間、しかも会いに行っている現場を見れば仲間と思うのも無理はないし、事実彼女自身仲間だと思っていたのだから。

エリカちゃんの斬撃は容赦なく相手を追い詰めていき――彼女の小太刀が吸い込まれるようにミアと呼ばれた女性の腹を貫いた。

ただの剣術ではありえない軌道。エリカちゃんは本物の天才剣士だった。

人を刺した非道な場面だというのに感動さえ覚えてしまう御業である。・・・リーナちゃんにはそうではなかったけれど。

だが、エリカちゃんが動くよりも前に背筋がざわつく。

次いで対峙する相手を蹴り飛ばして後方に下がるエリカちゃんの本能のシグナルは正確だった。

 

「っんぅ!」

 

突如襲われる感覚からとっさに身を守るように体を丸めるも、情報を感覚で捉えているだけ。

よって物理的でも無ければ攻撃を向けられているわけでもないのでただの体を撫でるような感覚から逃れることはできなかった。

 

(もしかして、パラサイトが魔法を使おうとするとこの感覚が毎回襲ってくるというの!?)

 

屋上では一本の長い――もうはっきり言おう、触手が背中を這った感覚だったけど、今のは体を包み込むように幾重もの触手が体にまとわりついた感じがした。

あれだ、イソギンチャクが背後からクマノミを包み込んでいるような光景を見たことがあるだろうか?あのクマノミになった気分だった。

きっと彼らにそんな感覚はないだろうけどね。ふんわりと無数の触手に包み込まれる。・・・四割ちょっとでこの感覚なの?!言い方ソフトにしてるけど、衣服の上から弄られた感覚といえば伝わるだろうか。

直接的ではないけれど、とっっっても不愉快!!痴漢されてる気分だ。

すぐに解放されたけど、たまらず体を擦ってしまう。

お兄様からまた視線を感じたけれど、・・・言いたくないよー。

パラサイトの傷が完全にふさがったのをリーナちゃんは驚愕して受け止め、エリカちゃんは上等!と更に闘志を燃え上がらせて構えを取るが、ごめんなさい!二度と同じものを受けたくないので邪魔させてもらう!

 

「だったら、これでどうかしら」

 

流石にリーナちゃん含め皆が見ている前で、精神体自身を凍らせる魔法が使えないので、パラサイトごと凍らせることができないのが口惜しい。

でもしばらく表面だけでも凍ってて。動かないで。

できれば魔法自体使わないでほしい。・・・これ、制御とは別に対策考えないと、お兄様に今後パラサイト関連携わらせてもらいないのでは?

流石に感覚全カットで立ち向かえるほど甘い相手じゃない。情報を見逃すというのは危険な行為だから。

そんなお荷物状態でお兄様が戦場へと連れて行ってくれるとは限らない。お願いすればできなくもないだろうけど、それではお兄様への負担となる。

今後、パラサイトと関わっていくと知っていて、何の対策も立てないのはまずい。

キンッ、と凍り付いた女性を見て、ようやく体にまとわりついたような感覚も消えた。

そんなもの、彼らが魔法を使う瞬間感じただけのことで、実際には常にまとわりついてなどいないのだけどね。気持ち悪いのってしばらく残るから。

 

 

――

 

 

「深雪?」

 

気の抜けたエリカちゃんに名前を呼ばれて手を振る。

一応存在を知らせるために声を掛けてから魔法を使った。新手と思われて警戒をこちらに向けられるわけにもいかなかったから。

背後にいるお兄様にも気づき、今度こそ完全に構えを解いたエリカちゃんは、しかし表情を引き締めてお兄様の視線の先、リーナちゃんを見つめる。

リーナちゃんは流石総隊長というべきか状況把握が早かった。

一般人であるマクシミリアンの社員たちの安否を真っ先にお兄様に確認していた。

あの状況でお兄様が何かをしたらしいと理解できていたリーナちゃん凄い。ちゃんとお仕事してる。務まってるよ総隊長。

社員さんたちは意識刈り取られただけだから。息の根なんて止められてないからね?

リーナちゃん、学校内だというのに発想が物騒。エリカちゃんがためらいなくぶっ刺したから余計にそう思ったのかな。

ほっとしたリーナちゃんの代わりに、エリカちゃんの厳しい視線はお兄様に向けられた。

この時エリカちゃんにとっては得物を取られた、と勘違いしちゃったのだろうけど、どうしてそう思ったのだろうね。

昨日の話し合いでお兄様はやっつけられれば誰がやってもいい、って説明していたと思うのだけど。

仲間として全面的に譲ってくれると思っていた相手にどちらでも構わないと言われたことが、彼女にとって仲間から外れたと勘違いさせてしまったのだろうか。

もしそうなのだとしたら思い違いだし、そもそもお兄様がパラサイトを構う理由がない。

この時のお兄様は、西城くんが傷つけられたことに腹を立て、排除すべき敵だと認識していたのだから。

仇は誰がとってもいいって言ったことが、仇は自分たちで打ち取るタイプの彼女にとって投げやりに感じてしまったのかもしれない。

エリカちゃんに譲っても構わないのだという風には取れなかったみたいだ。

お兄様の心が伝わらないということがもどかしかった。

 

「別に要らんな」

 

エリカちゃんの考えは見事空振り、お兄様は淡々と説明する。

パラサイトの処遇に、リーナちゃんが体を緊張させたけれど彼女は沈黙を貫いた。

自身に権利がないのだと思っているようだけど、そんな優先順位を考えてしまう時点で、彼女はお兄様のように感情を無視できていないのだと違いを見つけてしまった。

お兄様がもし彼女と同じ任務を受けていた場合、間違いなくこの場で処分していた。それが任務だからだ。

権利の有無の主張など関係ない。この程度で――この国の人間を傷つけたわけでもないので国際問題に発展することにもならないなら、躊躇うこともないだろう。

この判断が下せない時点で、彼女はこの場の空気を読み過ぎた。

もちろんそれが悪いことだと言うつもりもない。

 

(この人間らしさが彼女の良さだ。その良さを殺す必要なんて、ない)

 

十文字先輩がお兄様との話を終わらせた瞬間だった。

体にまとわりつく感覚に襲われ、パラサイトの魔法を使うタイミングだと察知した私と、俯瞰して観察・警戒を怠らなかった吉田くんの警告が重なった。

 

「「危ないっ!」」

 

瞬間的に反応したお兄様たち二人の動きは流石だった。

放出系の魔法により引き起こされた空中放電は十文字先輩の展開した障壁に阻まれ、お兄様が放った対抗魔法によりかき消された。

とっさに取った行動に称賛したい気持ちと同時に悔しい気持ちでいっぱいになる。体が竦んで警告しか出せなかった。

皆の視線の向けた先、まだ凍り付いている状態の女性には、そんなことは不可能だ。

中の精神体、パラサイトが原因であることは明白だった。先ほどよりも存在感が増している。

私は襲い来る反応を拒絶するように事象干渉力を、自身を中心に広げてパラサイトの触手から身を守ろうとした。

遠のく触手の反応に、サイオンの壁が有効なのかと兆しが見える。

 

「自爆!?」

 

パラサイトに注目が集まっていたので、私の行動に気付いたのは恐らくお兄様だけだと思う。

けれどリーナちゃんの言葉によって意識は引き戻される。

 

「「伏せろ!」」

 

お兄様と十文字先輩の指示に体が反応するより早く、私はお兄様に抱え込まれて地に伏せられる。

瞬間、サイオンの壁に揺らぎが生じて防げない触手に撫でられる感触に、声を上げないようお兄様の肩口に口を押し当ててやり過ごした。

くぐもった音は小さくて、お兄様に聞かれていないことを祈るばかりだけれど、この強い反応は魔法を使うつもりだと気付いてCADに触れて応戦態勢に入った。

お兄様と十文字先輩も第二陣に備えて既に魔法を展開中。流石の反応。

もちろんリーナちゃんも、何が起きているかわからずとも動けるのは経験の差なのか。

氷は突き破られ、女性の体は灰となって降りかかる。この場に漂う臭いが無かったのは幸いか。

だが、鋭い私の嗅覚には掠める程度に嗅ぎ取れてしまった。・・・パラサイトに悪気が無くても、不快だ。

正直、この時の私は若干キレていた。

気付かれていなくとも、辱めを受けている状況下でランダムに魔法でも狙われ、更にリーナちゃんを悲しませる出来事まで起きて。

エリカちゃんともギスギスしてて。

大変なストレスにさらされていたのだ。感情の制御も甘くなる。

十文字先輩の障壁を邪魔せぬよう、私は氷の粒を満遍なく空中に漂わせた。

電撃の雨は容赦なく降り注ぐけれど、氷の粒子群が絡めとり、人に近寄らせない。

本当なら今すぐコキュートスで止めを刺して全て終わらせたいくらいだ。

だけどそれができないことは私が一番わかっていた。

正体云々もそうだけど、このパラサイトは今後、お兄様の役に立つ。ここで消滅なんてさせてはいけない存在。

だからやり過ぎてもいけない。

お兄様が徐々に動きを捉えられるようになり撃ち落としている。起動式の展開プロセスが人間と違って、工程を必要としていないパラサイトの攻撃に、初めこそ感覚が掴めずにいたお兄様だったけれど、事象改変自体は起きている。

その揺らぎを読み取って編み上げられる前に魔法式を分解できるようになっていた。対応力が早い。

だけれども決定打が無かった。霊子情報体への攻撃する術をこの場に居る誰も持ち合わせていなかったのだ。

あるとすれば吉田くんだけれど、それでも準備をしないでできることではない。美月ちゃんを守りながらの状態で参戦できるはずもない。

 

 

――

 

 

「司波、何故だと思う?」

 

ある程度余裕が生まれてきたことで、思考を巡らせる時間もできた。

十文字先輩が障壁を展開しながらなぜこの場にパラサイトが居続けるのか、お兄様に問いかける。

お兄様も淡々と撃ち落としながら会話に参加する余裕があった。私はエリカちゃんと自分の周囲を警戒するだけでもいっぱいいっぱいなのだけどね。気を抜くとすぐ触手の感触が。もうやだ。姿かたちが見えない状況でひとり痴漢に遭っている状態怖すぎる。

でもこれを完全遮断するということは相手の魔法の予兆を見逃すということ。そっちの方が命に関わる。

それに引き換え触手云々はただの感覚だから命にかかわることはない。でもメンタルがヤバいです。

 

(触手のエロ漫画の、抵抗できなくなるヒロインが堕ちていくって展開って定番だけど、その王道展開ぶっ壊す方法今すぐ誰か教えてほしい。塩掛ければ萎れるとか無いの?精神体相手だから物理効かない?塩は聖なるアイテムだから効いてよ。あああ、もう!気が散る!)

 

と、私が内心キレているタイミングでリーナちゃんもキレていた。

だけどごめんね、敵はパラサイトよ!と、とっておきみたいに情報出してくれたけど、相手がパラサイトであることはとっくの昔にわかってたんです。リーナちゃん絶句しちゃった。

お口パクパクさせてるリーナちゃん、可愛いね。そこにクッキー差し込んで食べさせてあげたい。鞄の中にあるから後でまた受け取ってくれないかな。

お兄様の言う通り、お兄様たちが例外なので安心してほしい。十師族も百家も普通じゃないのですよ。

日本は古来からパラサイト以外にも非物質体と関わってきているしね。お兄様がいなくてもいずれ気づいてたと思う。

・・・歴史の浅いと言われる彼らの国では精霊とかそこまで浸透してなかったのかもしれない。土着民ならまだしも、移民だと関わりなかっただろうから。

 

「パラサイトは人間に取り憑いて、人間を変質させる。取り憑く相手に適合性があるらしいんだけど、宿主を求めるのは自己保存本能に等しいパラサイトの行動原理らしいわ」

「つまり、俺たちの誰かに取り憑こうとしているのか」

「多分」

「どうやって」

「知らないわ。ワタシが教えてほしいくらいよ」

「・・・使えん」

「悪かったわね!」

 

この時点でお兄様って結構リーナちゃんに気を許してるよね。でないと彼女の気を昂らせるために態と呆れてみせるなんてしないもの。

リーナちゃんは気付かぬうちに鼓舞されて、激しい一撃を以て迎撃していた。

パラサイトの留まる理由は判明した。壊れた器の代わりが欲しいのだ。

今までも被害者が魔法師であったことはわかっている。適合性はその中でもさらに何か特別なモノでもあるのだろうか。

ここのメンバーにそれを持っている人間がいるのか、わからない。

けれどここは魔法師のための学校。器の候補はいくらでもいる。そのことに気付かれたら取り憑くのが難しい私たちより他へ向かってしまう恐れがあった。

被害を拡大させるわけにもいかない。身動きの取れない状態に全員がやきもきしているその時だった。

体にまとわりついているような感覚の触手に変化がみられた。

――魔法を使う時は体にまとわりつくような感覚だった。それが今度は、まさぐられるような動きに変わった。

 

「ぅんっ」

 

思わず体が硬直するが、同時に危機感が強まった。まるで狙いを定めているような動きだ。

 

(これはまさか宿主として狙いを定めたということ?!)

 

タイミング的にはそう読むこともできる。己を叱咤して体を動かしCADを操作。自分とエリカちゃんの前に氷の粒子群を配置してみると、サイオンの間を掻い潜るように何かが延ばされた動きが見えた。

プシオンの塊は見えても薄ぼんやりとしか把握できない私たちには、伸ばされる触手など見えはしない。けれどサイオンの不自然な動きは目で追えた。

十文字先輩が障壁を構築し、見えない何かを弾き、お兄様が何かに向けて銃撃を放つ。まさぐるような動きの波動が途切れた。

身動きが自由になった私が物理的にエリカちゃんの前に立ったのは、エリカちゃんには対抗する術を持ち合わせていなかったからだ。

 

「深雪、」

「エリカ、気をしっかり持って。気休めかもしれないけれど拒絶する心が何よりの防衛だと思うから」

 

本当にただの気休めだった。けれど古来より、姿の見えぬ敵に怯えを見せることは隙だということは語り継がれる物語の定説。オタク的に言えばフラグであり、前振り。

私には感覚的に狙わるタイミングがわかっている。――フラグなんて立つ前に叩き折ってしまえばいい。

 

「貴女がどう思おうと、私たちは貴女が大事で、守りたい人なの。それだけは知っていて」

 

お兄様は決してエリカちゃんが思うようなドライで何でも割り切れちゃう人じゃない。

優しくて思いやりがあって、だから時折うまく動くことができない、そんな器用なのにまだまだ不器用なところもあるお兄様だから――急には無理でも受け入れてあげて欲しい。

背後のエリカちゃんがどんな表情をしているのかわからないけれど、構わなかった。

またも体を嘗め回すように這う触手は先ほどより距離を詰めてきているからなのか、もしくはあちらも余裕なく切羽詰まっているからなのか、より刺激的に動く。

身悶えそうになるのを堪えて息を詰まらせながらサイオンの壁を作って弾きつつ、もう一度氷の粒を敷き詰める。

十文字先輩の防壁に阻まれ、お兄様とリーナちゃんが撃ち落としていくけれど、やはり形振り構わなくなっているのか立て続けに触手を伸ばしてきた。

気迫が違うのか、サイオンの壁も突き破られて体に巻き付かれる感覚が襲う。

サイオンの壁のない状態で強い意志の下触れられるというのは、肌に直接触れられたように感じてしまうらしい。

今度は今まで感じたことのない温度まで感じるようになった。

ひんやりとしていて粘着質な滑り気まで感じ取れてしまう。

――怖気が走った。気持ちが悪い。とてつもない不快感だった。

自分が得体のしれない何かに支配されかかっている感覚が、何よりも許し難かった。

 

(私を唯一支配していいのはお兄様だけなのに。それを、こんな――!)

 

憤りが体の主導権を恐怖と不快感から奪い返し、コキュートスを放たんとしたその時、何もない空間――プシオンの塊が漂っていた辺りに業火の炎が上がった。

たちまち体を覆っていた不快なモノが消え失せる。

吉田くんがパラサイトを攻撃したのだ。その前に美月ちゃんの声が上がったはずだけど、頭に血が上っていたからか私には聞こえていなかった。

不快感が無くなると同時にお兄様の感情が揺れ動いた。驚愕した様子で空を見つめている。

――否、お兄様にはすでにパラサイトがどこにいるか把握できるようになっていた。

・・・危なかった。一歩間違えば、私はとんでもないことをこの場でしでかすところであった。

 

(いくら頭に血が上っていたからって、この場でコキュートスを放っていたら大変なことになることくらいわかっていたはずなのに・・・)

 

しかも、直前にはとんでもないことを思った気がする。

 

(私を支配していいのはお兄様だけって・・・原作の深雪ちゃんじゃあるまいし)

 

確かにお兄様には返しきれない恩がある。幸せにしたいと願って日々生きている。

けれど私をどうにかしてほしいだなんて一度も思ったことはない。

私をお兄様のモノにしてほしいだとか、誰かのモノになってほしくないだとか、ましてや今回のように支配されたいなんてそんな欲があると思わなかった。

 

(うーん、これってもしかしなくてもお兄様の為につくられた完全調整体だから、元よりそんな風に依存するよう出来ているとか?だとしたらとんでもないものを四葉も作ったものだね)

 

自身の無意識の欲求に対しドン引きである。

でも原作の深雪ちゃんのおかしな行動も、これで理解することができたとも思った。

随分自分を押し付けてるな、認識してもらいたがってるなと思ったけれど、なるほど。

植え付けられた理念のもとの欲求であれば、思考よりも本能で動いてしまうのか。

・・・ちょっと考えれば自分の行動が客観的に見ておかしいってわかりそうなものだったけれど、そうじゃなかった。彼女には元々――

 

(って、今はそんなこと考えている場合じゃない!!)

 

お兄様は左手を前に突き出していた。

その先には恐怖に身をすくませた美月ちゃんと、守ろうと奮闘する吉田くんの姿。

この場に居る誰もが何が起きているのか、何が起ころうとしているのかわからない。

ただプシオンの塊が移動しているのはなんとなくわかったのか、誰もが表情に焦りを滲ませている。

そしてお兄様から放たれる想子が奔流となって迸った。

押し流し、吹っ飛ばされていく何かに、お兄様の背中が自身の無力さに虚無を背負うけれど、私はその背に手を当てながら違うと言いたい口を堅く結ぶ。

お兄様は確かにこの瞬間、敵を逃がしてしまったけれど、同時に美月ちゃんを守ったのだ。体も心も。傷つく前に救ってくれた。

だがお兄様は今、そんな言葉は望んでいない。

十文字先輩から掛けられる言葉にもお兄様は何も返せない。だから、何も言わない。

できるのはただそっと背中に手を添えるだけ。押すでもなく、引くのでもなく、ただ添える。

この熱が、どうかお兄様に伝わるように。熱と同時に思いも伝わるように。

リーナちゃんが連絡を取り始めて通話の糸が通る。

エリカちゃんが剣を下ろして仕舞い、十文字先輩はデバイスで七草先輩とやり取りを。

周囲が動き出して、お兄様が拳を握るのを見計らってから私は手を下ろして、お兄様の背後から抜け出して駆けだした。

 

 

――

 

 

向かう先は――座り込んで吉田くんに支えられている美月ちゃんの元だ。

続いてエリカちゃんも追いかける。

 

「美月!」

 

美月ちゃんは顔面蒼白で今にも斃れそうな顔色で、震えていた。

抱きしめるとその体の震えはより顕著なものとなる。

 

「美月、怖かったわね。もう、もう大丈夫だから」

 

遠慮なく抱きしめると、美月ちゃんはしがみつくように抱きついて私の肩を濡らし始めた。

怖かったはずだ。いくら友達を守るためとはいえ、美月ちゃんは元々ごく普通の家で育ち、学校でも何かと戦う想定をした訓練などしたこともない、普通の子だ。

横浜でだって気丈に振る舞おうとしていたけれど、しばらく体調を崩していた。夢見も悪かっただろう、寝不足なのを化粧で隠していた。

 

「頑張ったわね。美月のお陰で助かったわ」

 

背を撫でて、言葉を掛けて。少しでも安心させたくて熱を分け与える。

私は感じることしかできなかったけれど、美月にはあの触手の群れが襲い来るのを目の当たりにしたのだ。それはどれほど恐怖だったことだろう。

美月から嗚咽が漏れた。良かった。声に出した方がすっきりするから。

いっぱい泣いて、体から恐怖を流しちゃおうね。ストレスも気持ち悪さも全部、全部出しちゃおう。

 

「美月、ありがとう」

 

貴女が頑張ってくれたから、私は凶行に及ばずに済んだ。

 

「吉田くんも、ありがとうございました」

 

吉田くんがいてくれたから、お兄様は美月ちゃんを助けられた。今はまだ、無力感に苛まれているだろうけれど、これも次の糧になるから。

お兄様は必ずただでなんて転ばない。

 

「いいえ、大したことは・・・」

「ミーキ、お礼なんだから素直に受け取んなさいよ。返されちゃ深雪も困っちゃうでしょ」

「う・・・」

 

ここの関係もいいよね。しっかり者の勝気な姉御と真面目で真直ぐなちょっと頭の固い弟分、みたいな。

美月ちゃんが私の腕の中で小さく笑う。

よかった。思っていたより心の負担は重くないみたい。

 

「ねえ、授業はもう始まっちゃっているし、次の時間まで生徒会室でお茶をしない?パウンドケーキの余りがあるの」

「それってこの前みたいに深雪の手作り?」

「ええ。添えるクリームは無いけれど、それなりに美味しくできてると思うわ」

「あのクッキー、市販のものかと思うほど美味しかったです。きっとケーキもそれなりどころじゃないでしょうね」

 

リーナちゃんの姿はすでに無く、十文字先輩はお兄様と軽く話してどこかへ行ってしまった。

 

「兄さん、生徒会室に行こうと思うのだけど」

「そうだね。俺もちょっと休みたい気分だ」

 

無理をして、合わせて笑ってくれているのがわかる。空気を悪くしないために、と。

本当、お兄様は優しすぎます。

エリカちゃんは何やら不満もありそうだけど、美月ちゃんの手前、自分を抑えているみたい。

吉田くんはそれもわかっているけれど、自分ではどうしようもないと、美月ちゃんをいつでも支えられるよう半歩後ろで控えるように歩き、私は美月ちゃんとくっつきながら生徒会室へと向かった。

 

 

――

 

 

美月ちゃんの柔らかボディを役得のように抱きしめたり、寄り添うように触れ合ったりして・・・ふへへ。幸せです。

女の子同士っていいよね。こういうことしてもおかしくないから。

美月ちゃんはいつも恥ずかしがってなかなかこういうことさせてくれないのだけど、今日ばかりは人肌も恋しくなるというもの。

・・・私も助かってます。あれ、気持ち悪かったものね。特に最後のアレは嫌で仕方なかった。シャワー浴びたいくらい。

体には何の変調も無いはずなのにね。感触だけ伝わるっていうのも考え物だ。こびりついた感覚を洗い落とすことができない。

生徒会室に授業中誰も訪れるはずもなく、・・・いや、ちょっと前まで七草先輩がいたのかな。でも十文字先輩との話があるのかすでに姿は無かった。

 

「適当なところに座っていて。すぐにお茶を用意するから」

 

そう言って皆の後ろを通り抜けるところでエリカちゃんの耳に囁きを一つ。

 

「(美味しいケーキを食べたいなら、もやもやは解消した方がおいしく食べられるわよ)」

 

要約すればお兄様に対する蟠りはさっさと片しちゃいなさいな、との助言である。

何も次の日までこんな思いを引きずることなんてない。エリカちゃんは今、リーナちゃんのこと納得してないだろうからね。

パラサイトの話をしている時、お兄様とリーナちゃんのやり取りが仲良く見えたし。

肩をぽん、と叩くとエリカちゃんはわかったわよ、と小さく呟き返してくれた。うーん、素直ないい子。

よく反抗する印象あるエリカちゃんだけど、ちゃんと聞き分ける時は聞き分けられるいい子なんです。

本当はこのケーキ、生徒会の皆で食べようと思っていたけれど、鞄に入っているクッキーと交換かな。一人二枚くらいは行き渡るはず。

紅茶はティーバッグです。らくちん。手間をかけるのもいいけどこうして楽することも嫌いじゃない。企業努力は素晴らしいのです。

ケーキを切り分けお皿に乗せて。フォークはお皿に乗っけちゃおう。その分ささっと渡せるからね。

先に紅茶から運ぼうか、と思ったら美月ちゃんが手伝いに来てくれました。

・・・というより空気に耐えられなかったかな?ちらりと見たらにやりと笑うエリカちゃんとすまし顔のお兄様、胃が痛いのかな、屈む吉田くん。

うん。お手伝い助かります美月ちゃん。

 

「あの・・・もしかしてですけど、深雪さんも何か辛かったんじゃないですか?」

「え・・・?」

「時々、動きがおかしかったように見えたので・・・」

 

あら、まあ。気づかれちゃってましたか。どうりで。

いくら気まずい空間でも美月ちゃんが席を立つなんて珍しいと思ったけれど、本命はこちらだったみたい。優しいね。心が救われる思いだ。

 

「私も怖かったの。ずっと、嫌なモノを感じてて・・・気持ち悪くて」

 

気遣わし気に美月ちゃんが見つめてくれる。心配してくれているのがよく伝わった、優しい瞳。

 

「心配してくれてありがとう。こうして皆がお茶に付き合ってくれたから、私も今は気が楽になったの」

「わ、私もです。誘ってくれて嬉しくて。・・・正直、あのまま教室に戻っても落ち着かなかっただろうから、助かりました」

 

二人してはにかむように笑ってから、お茶とケーキを運んだ。

皆美味しい、と喜んでくれて私もとってもハッピーです。ありがとう。皆の笑顔がいい薬です。

 

 

――

 

 

そして授業に戻り、生徒会の仕事も終えて・・・ほのかちゃんのカラ元気が、ですね。

ごめんね屋上置いてって。クッキーで許してくれるとは思わないけれど、バレンタインまで待ってほしい。きっといいことあるから。

・・・たとえその先に待つ結末が、彼女にとって最良のモノでなかったとしても、女の子にとって初恋の相手からのプレゼントは永遠の宝物だから。

ほのかちゃんと三人で帰って、家までのコミューターの中。

珍しくお兄様と向い合せで座った。

隣に座らなかったことに、お兄様はちらっと視線を向けただけで何も言わなかった。私はそんなお兄様に微笑んで目を瞑る。

美月ちゃんはきっと今晩またも魘されるのだろう。

それだけパラサイトの存在は生理的に受け付けないものだったに違いない。

直接触れられることは無かったとしても想像だけでも気持ちが悪い。

エロ漫画は紙面や画面越しだから楽しめる。自分に降りかからないから。

だが、体験して思うのは、直面するだけでもアレは恐怖だ。そして激しい嫌悪感。体を掻きむしりたくなる。

・・・そんなことをして深雪ちゃんの玉体に傷なんてつけるわけにはいかない、というオタク思考が働いているからまだ心が助かっているけれど、結構ギリギリだったりする。

うーん、今後の対策どうしよう?これからパラサイトと関わらずに、というのはストーリー上難しい。

なら原作の深雪ちゃん並みにあまり感じないよう感応力を引き絞るか。

けれどそれでは鍛えた意味が無くなってしまう。

今回は察知することができたから対応も早くできていた。受信アンテナはそのままに感覚だけ鈍くすることはできないだろうか。

例えばリーナちゃんの時に使ったなんちゃって無下限的バリアを張れば分子ですら減速させられる。

そして精神干渉も混ぜればその力は精神体である彼らにも通じるはずだ。

ただし、この方法はかなりの集中力を必要とするし、長い時間全身隈なく張りっぱなしなんてできない。

それにバリアを張った時に感覚がまったくなくなっては意味がない。

何か当たってるな、どういう触れ方だからこういう行動に出るかも、までわかれば百点なのだけど・・・。

もし、ピクシーに憑いたら実験できないかな。アレをもう一度体験すると思うと気が引けるけど、有益な情報をむざむざ自分から捨てるというのももったいない。

・・・ああ悲しきかな、前世からの貧乏性。裕福な家庭に生まれてもなお骨身に染みついてしまっていた。

思わず零れる溜息に、お兄様がこちらに顔を向けた。

 

「すみません、ため息など」

「いや、深雪も今日は疲れただろう」

「それならお兄様だってお疲れでしょう?今日も守ってくださってありがとうございました」

 

お兄様には何度救われたか知れない。

微笑んで感謝を述べても、お兄様の表情は晴れない。うーん、ここまでお兄様が引きずるとは。

でも、そのことが嬉しかった。すぐに切り替えられるお兄様もすごいけれど、こうして藻掻き、苦しんでいる姿もとても人間味があっていい。

 

「お礼を言われて、お兄様は苦しいですか?」

 

あえて言葉にしていえば、お兄様はまたも「深雪には敵わないな」と零す。

 

「苦しめたのでしたら申し訳ございません。ですが、お兄様には不可な採点であっても、私には花丸満点のお仕事ぶりでした」

「・・・それは、随分甘すぎる採点だな」

「お兄様は私を守ってくださいました。エリカも守ってくださいましたし、リーナの心も守ってくださいました。彼女が折れないで自身の任務に戻れたのはお兄様の発破掛けのお陰です。そして美月が無事でいられたのも、お兄様が苦渋の決断をしてでも美月を優先してくださったから。――だから、百点満点。花丸も付くというものです」

 

お兄様には納得のいっていない結果でも、誰も傷ついてない。

そもそも奇襲をかけたのがこちらであろうとも捕獲する術も、攻撃する術もはじめから持っていなかった時点で、何も成功することはない。

お兄様はいつも完璧でいらしたから、高望みをし過ぎている。

そう、説明したつもりなのだけど、お兄様の瞳が翳りを見せた。口元も自嘲で歪んでいる。

 

「・・・ダメだよ、深雪。その百点は不正だ」

「不正、ですか?」

 

ゆっくりとコミューターが止まる。家に着いたのだ。

扉が開き、お兄様が先に下りる。差し伸べられる手を取って、続いて下りるのだけれど、いつものように背中や腰に手を添えられることはない。

・・・今日はお兄様から触れられたのは昼までだったと、この差し伸べられた手だけだと気付いた。

・・・・・・・・・。

 

(・・・お兄様が気付かないはずが無かった)

 

私の変化に気付かないお兄様ではない。

考えればすぐに思い当たる。初めてアレに触れられた時、お兄様の目は据わっていた。私が何かを感じ取っていたことに気付いていたのだ。

家に入り、いつもならハグをするのだけれど、お兄様の繋がれた手はまだ離れない。

 

「こんなことを聞くのは、お前にも辛いことを思い出させることになるのだろうが――」

「・・・いえ、私がお兄様に隠すことなど・・・。ですが、知られたくなかったと言えば、そうです。今回のことはできることならば、知られずに済むのであれば、その方がよかったと」

 

そう思わずにはいられなかった。

けれど、今後のことも考えれば言わざるを得ないわけで。

 

「このまま、お話を聞いていただけますか?」

 

コートを脱ぐこともせず、靴も脱がず、玄関で手を繋いだまま向かい合い、話を聞いてほしい、との願いをお兄様は嫌がることなく頷いた。

 

 

――

 

 

繋いだ手を見つめて俯いたまま、私は重い口を開く。

 

「お兄様は、パラサイトの姿をご覧になりましたか?」

「美月ほどはっきりではないが」

 

なら、話は早い。

 

「私には、お兄様のように情報を眼で見ることはできません。ですが、代わりに感覚でとらえることはご存じでしょう。

昼休み、私は嫌な予感がして警戒度を上げておりました。だからはじめ、耳元で大きな虫の羽音が聞こえて身が竦んだのです。この時期に昆虫などいないので、すぐに魔法によるものだと思いました。すぐにお兄様に伝えようとしたのですが、続いて襲ったのはとても不快な音ではなく波動で、・・・長く、意思を持った何かで背中を撫でられたような感覚を触覚で捉えたのです」

 

昆虫の羽音は聴覚で、触手は触覚で。今まで感じたことのない波動の捉え方に戸惑ったのだと伝えたけれど、うまく伝わったかはわからない。

顔を上げられないまま続ける。

 

「その場で感覚を一度遮断したのでしばらく感知できなくなったのですが、もしこの反応がパラサイトに対してのモノなのだとしたら見分けがつくかと思い、少しずつ感覚を解放していったのです。そしてパラサイトが魔法を使う直前にその・・・全身に長いモノがまとわりつかれる波動、とでも言うのでしょうか。擽られるような感覚がありまして」

 

・・・なぜかなるべくマイルドに伝えようとしている自分がいた。

はっきり言えば触手が体を撫でまわす感覚であり、痴漢や変態に触れられたような嫌な気分がした。

そして乗っ取ろうと触手を伸ばされた時はもっとヤバかった。

まさぐられるように触手が体を這ったのだ。・・・これをどうマイルドに・・・?というよりなぜ自分はマイルドに伝えようとしているのか――答えは簡単だ。

先ほどからお兄様から不穏な空気が漂っている。

こわひ。怖いですお兄様。思わず嫌悪していたパラサイトを庇いたくなる怖さ。

だってあの子はこの後ほのかちゃんの意思を継いだベイビーちゃんになるのでしょう?お兄様のお役に立つ子になるのよ。

そんな子を、このままだとお兄様は消滅させてしまうんじゃないかというほど、闘気が漲っております。

なんというか、何が何でもあの場で仕留めるべきだった的なオーラがひしひしと。

お兄様、そんな術なかったでしょう?落ち着いてくださいませ。

そう思いながらも私も顔を上げられない。やましいことしたわけじゃないのに。

・・・ん?触手プレイってだけでやましい、か?いや、やましいじゃなくてやらしい、だね。でもそもそも不可抗力だし・・・ってそうじゃないから。プレイじゃないから!変態思考はハウス!!

 

「取り憑こうとする感触も、魔法を行使する時と違う動きもあり、うまくこの情報を活用できれば――」

「もういい」

 

有利になるはずだ、との言葉は紡ぐことができず、繋がった手を強引に引かれて息が止まるほど強い力で抱きしめられた。コート越しなのに、ものすごい圧だ。

 

「おに――」

「あれだけお前を守ると言ったのに、俺の力不足だ」

「そ、なこと」

 

否定をしたいのに、ぎゅう、と締め付けられてままならない。ちょっと待ってお兄様。本当に待って。それ以上締められちゃうと中身が出ちゃいそうなんですけども!

 

「、すまない」

 

気付いてくれたようで助かりました。腕の締め付けは弱まったけれど、離れはしませんね。

 

「・・・私は、大丈夫です。感覚的なモノであって、実際触れられたわけでも――、穢されたわけでもありません」

「――だが、震えている」

「そんな、はずは・・・」

 

意識を自身に向ければ――ほんのわずかに震えていて。

 

「これは、寒さで――」

 

後はお兄様からの締め付けが原因だ、と言いたかったけれど、――かち合ったお兄様の目がもう茶化して逃げることを許してはくれなかった。

静かに視線が絡み合う。

真直ぐに見つめるお兄様と、逃げ道を探す私の視線では折れるのはどちらかなんて明白で。

心をいくら誤魔化そうとしても、見透かす眼を持っているお兄様から逃れられるわけがないのに。

 

「・・・・・・かった、です。気持ちも、わるくて・・・ふれられた感触が、こびりついて離れなくて、」

 

確かに体を穢された事実はない。パラサイトが私自身に触れる前にお兄様が撃ち落としてくれたし、十文字先輩が防いでくれていたから。

ただ、優れた感知能力は私に確かに危機を察知させてくれていた。

思ってもいない形だったけれど、その情報は有益で、――結果、気色の悪い感触に心が耐え切れなくなった。

私には、うまく切り替えられなかったのだ。コントロールができなかった。

 

「ごめ、なさ、い。こんなことで、」

 

零れ落ちる涙を、お兄様が何度も、何度も指で拭い、その度にまた涙をこぼす。

こんな時でも顔が歪まないのが深雪ちゃんのすごい所だ。眉間に皺もよらない。ただただ大粒の涙が零れていく。

 

「俺の前で我慢しなくていい。もっと吐き出してくれ」

「・・・お兄様は、もっと情報を精査して、判別していらっしゃるのに、どうして、私にはできないの・・・」

 

それが悔しい。お兄様には優れた眼があるけれど、それを己で制御しているから有用に使いこなしている。

私にも超感覚と呼べる、情報を得る感覚が備わっているのに、いつまでも手に余らせて無用のものになってしまっている。

こんな重要な時でさえ、中途半端で使いこなせないなんて、ポンコツなのはリーナちゃんじゃない。私の方がポンコツだ。

 

「そうやって自分を追い詰めてくれるな。お前はよくやっている」

 

頬から涙を掬い上げ、お兄様の手もびしょぬれのはずなのに、と思ったけれどお兄様発散させていたのね。乾いた手で私の頭を撫でる。

 

「――忘れられないなら、別のことで頭を埋めたら、楽になるか?」

 

 

――

 

 

「べつのこと、ですか?」

 

オウム返しすると、お兄様は苦笑して。

 

「俺もな、今日は自分が情けなくて腹が立った。どうしようもなく、今は無力感でいっぱいなんだ。こうして、大事な妹を泣きやませてもやることもできない」

「それは、」

 

お兄様のせいじゃないと否定をしたくても、お兄様の人差し指に唇を抑えられてしまった。

静かに、というように添えられたその指は、力を入れられているわけでもないのに魔法の鍵のように私の口を閉ざした。

 

「だから、お互いの頭を占めている嫌なことを、塗り替えよう」

 

そう言って、お兄様の顔が近づいて。

いつの間にか人差し指の鍵は頬に添える手に変わっていて。

 

――ちゅ、と目元に柔らかな感触と共に小さなリップ音。

 

それが一度だけでなく、何度も、涙を吸い取るように。

そして涙の跡を辿るように眦から頬を辿って顎へ。右が終わると次は左へ。また上から下へと口付けが降り注ぐ。

・・・これは現実なのだろうか?

お兄様の綺麗なお顔が近づいては少し離れてまた触れて。それを何度も、何度も繰り返されて。

私は瞬きを忘れたのではないだろうか、とそれを凝視して動くこともできなくて。

 

「お前の涙は甘いね」

 

お兄様の吐息が頬を擽り、瞬いた拍子に零れ落ちる涙を、今度は舌で舐めとられた。

 

「うん、甘い」

 

(・・・ぺろりと自身の唇を舐めとるお兄様エロすぎやしないかな。発禁モノでは??)

 

なにより甘いのはお兄様の声だ。私をとろかすほど甘い声と瞳に、立っているのがやっとだった体から力が抜け落ちて、お兄様の腕に抱き寄せられて支えられてしまった。

 

「甘いものが疲れた心を癒すというけれど、本当だな」

 

そうだろうか?同じく甘いお兄様を摂取しすぎてこちらは息も絶え絶えなのだけども。

 

「深雪、また呼吸を忘れているよ」

 

・・・ああ、いつだったか。お兄様に呼吸の仕方を教わったことがあったっけ。そんなに昔じゃないはずなのに、思い出せない。

頬から流れるように滑る手に顎の下を擦られて、

 

「吸って」

 

そうだ。あの時もお兄様に息を止められたんだ。お兄様の素敵な姿を見て息の根が止まってしまったのだけど、今回は――あれ、どうして息が止まっているのだろう?

 

「うまく吸えないか?」

 

考え事をしていて吸うことを忘れてしまった。

 

「吸えないなら、人工呼吸も一つの手だね」

 

くすくすと笑うお兄様だけど、もう少し焦ってもいいのでは?妹が目の前で呼吸を止めているのですよ?何故そんなに愉しそうなの?

慌てて顎の下を撫でられてうっすら開いた唇から息を吸う。

 

「深雪は驚きすぎると呼吸が止まってしまうみたいだね」

 

大抵の人間は驚くと止まると思いますよ。私みたいに長い人は珍しいでしょうけれど。ついでに心臓も偶に止まりますね。犯人はわかってます、お兄様です。

 

「うん、やっぱり深雪で頭が満たされると何もかもどうでもよくなるな」

「・・・・・・お兄様、それは現実逃避というのです」

 

まさかのお兄様思考放棄。でも、

 

「・・・お兄様でいっぱいで、余計なことなんて考えられないというのはわかります」

 

先ほどまで心と頭を支配していた暗い思考が全てどうでもよくなった。ああ、触手?あったねそんなこと。

だから、この世界は分類上少年誌なのですよ。青年誌はノーセンキュー。ラノベはちょっとえっちぃまでしか許されてません。コンプラに守られてます。

・・・深雪ちゃん、結構すれすれでしたとかそんなのは気のせいです。

アレです。水戸のご老公様のドラマ後半の見えそうで見えないお風呂シーンみたいな、・・・令和の子には通じないか。

えっと、ご長寿物ご長寿物・・・しずかちゃんのお風呂?どっちもお風呂だね、そして共通して肝心なところは見えない。・・・小学生女児の件についてはいろんな意味で見ちゃダメです。アウトだよ。

っと、話が逸れに逸れたけれど、おかげで気持ちは浮上した。

 

「いつまでも気持ちを引きずっていては、前に進めませんものね」

「俺はいつまでもお前をここに留めておきたいけれど、そうも言ってられないね。体が冷えてきている」

 

いつまでも空調のかかっていない玄関で、いくら二人寄り添っていても真冬の夜は冷える。

 

「・・・お兄様のせいで頬は熱いままですけれど」

「俺はおかげで心が温まったよ」

 

何で妹の顔中にキスをして心が温まるの?その原理がわからない。

 

「最後に」

 

と、お兄様が再度身をかがめて額に唇を落として。

 

「お前が悪夢にうなされないように、おまじないだ」

 

・・・・・・悪夢には魘されないかもしれないけれど、別のものに悶えそうなおまじないですね。

 

「・・・お兄様は、私を幾つだと思っておいでなのですか」

 

とりあえず、口では憎まれ口のように考えていることと別のことを返すけれど、内心は暴れ狂っている。

お兄様、その口元に指を立ててるの、さっき私に当てていた指なのは意識的ですか!?お兄様のことだから確信犯疑惑!

 

「子ども扱いなんて、今の深雪にできるわけないだろう?」

 

ぽんぽんと頭を叩く手は明らかな子ども扱いだ。

表情も揶揄っているとばかりの笑みで。

 

「もう、お兄様ったら」

 

慰めるためにキスをしたり、揶揄って笑わせようとしたり。

こんなに甘やかされては、暗く落ち込む暇もない。私の心は単純で、お兄様で満ちればすぐに幸せになってしまうから。

 

「そんな意地悪をするお兄様には、こうです!」

 

靴を脱いで上がろうとするお兄様を後ろから抱きついて回りこむと、首を伸ばして頬に唇を押し当てた。

人生で初めて自分の意思で口付けをして、私はその場を逃げるように、振り返らずに階段を駆け上がった。

 

 

――

 

 

心臓がうるさいほど音を立てている。階段を駆け上がったからでもあるけれど、その前からすでに鼓動は跳ねていた。

ずるずると閉めたドアに寄りかかって床に座り込む。

 

(きゃー!推しの、推しの頬にキッスしちゃった!!勢いって怖い!!!)

 

しばらく動くことができずにペタンと座り込んでいるのできっと制服のスカートはしわくちゃ。コートも着たまま上がってきてしまった。

きっと玄関には靴が飛び散っているだろう。・・・もしかしなくてもお兄様に直させてしまったのでは?と思うけれど見に行く勇気はない。

そろそろ夕食の支度をしなくてはならないというのに。

 

(今日は色々あり過ぎて、頭がパンクしそう!)

 

昨日だって雫ちゃんの姿にテンパったりといろいろあって、一昨日なんてリーナちゃんとの対決まであった。

この三日間が、濃厚過ぎるっ。

 

(――嫌なことなんて吹っ飛ばしてしまうお兄様は本当に魔法使いだ。いつだって私を救ってくれる)

 

お兄様は、こんな時まで私に心を砕いて、大丈夫なのだろうか。

お兄様だってひどく落ち込んでいたはずなのに。

 

(もしかして、隠すためにあんなことを・・・?)

 

お兄様も参っていた。だからからかうことで誤魔化していたのだとすればーー。

そう考えたらいてもたってもいられなくなり、動けなかったのが嘘のように俊敏に着替えだして、これまた淑女にあるまじき早足で階段を駆け下りて、夕食の準備に取り掛かる。

途中見かけた玄関では、やはり靴が仕舞われていた。申し訳ありませんお兄様。

今日は圧力鍋先生の力に頼った手早い煮物セットに、いんげんの胡麻和え、焼き魚とお味噌汁。ご飯もすぐに炊きあがる。ありがとう文明の利器!いつも助かってます。

そしてご飯が出来上がったのだけれど、肝心のお兄様が姿を見せない。珍しい。

いつもは呼びに行くより早く現れて配膳を何も言われないうちからかってでて下さるのに。

でも、なんだか呼びに行くというのも新鮮で不謹慎かもしれないけれどちょっとワクワクする。

お兄様の部屋の前に向かうはいいけれど、お兄様お部屋にいるかしら?と不安になったけれど、よかった。部屋の明かりがついている。

ノックをしてから声を掛けた。

 

「お兄様、お夕飯の準備が整いましたけれど、すぐに食べられます、か」

 

言い切る直前に、お兄様が部屋のドアを開けたのだけど、あれ?ちょっと様子がいつもと違う・・・?

服装が乱れているわけでもないし、髪型もいつも通り・・・、んん?

 

「お兄様、ちょっと失礼しますね?」

 

言ってお兄様の額に手を伸ばす。前髪をそっと横にずらすと、あら、ちょっと赤みが。

そういえば、階段を降りる頃、ごとん、と重いモノがぶつかる物音を聞いたような気が。

おでこを赤くしたのを見つかったお兄様は少し視線を横に逸らしてバツが悪そう。一体何があったというのか。

でもその前に。

 

「・・・痛いの痛いの、飛んでいけー、なんて。まさかお兄様にする機会が来るなんて思いませんでした」

 

お兄様のおでこを撫でながら、古の呪文を唱えた。

ふふふ、と思わず笑ってしまう。

どうして額を打ち付けたのかわからないけれど、もしかして気合でも入れたのかしら。落ち込んでる場合か!みたいな。

お兄様自分に厳しいから。代わりに私が甘やかしてあげないと。となでなでして前髪を直してからもう一度。

 

「ご飯はもう少し後になさいますか?」

「いいや、今すぐ食べに行こう。痛みももう飛んで行ってしまったしね」

 

お兄様はそう言うと部屋の明かりを消して一緒にダイニングに向かう。

もう、あのコミューターのような距離はなく、いつもの二人の距離と空気で。

 

「今日も美味しそうだね」

「お口に合うとよろしいのですが」

 

いただきます。と手と声を揃えて微笑み合って。

温かな食事と食卓に、心の平穏が戻ってくる。

 

「深雪。明日から少し早く家を出る」

 

何気なく言うお兄様の目は、強い意志を宿していて。次へ進む者の顔つきをしていた。

 

「はい、私もご一緒させてくださいませ。私も先生に伺いたいとことがございます」

 

お兄様が進むというのなら、私も置いていかれないようにしなくては。

守られているだけではいたくない。ましてや足手まといになるなんてことは絶対に避けたいから。

 

「あまり張り切り過ぎないように。今晩は特に、早く眠るんだよ。今日は疲れているのだから」

「はい」

「もし、怖い夢を見たのなら、遠慮なく俺を起こしてくれ。――それとも、初めから添い寝をしようか」

 

お兄様、調子を戻されたのはいいですが、ちょっぴり飛ばし過ぎです。まだ本調子ではない模様。

 

「・・・もう、そこまで子供ではありませんよ。でも、お心遣いありがとうございます。今夜はホットミルクを飲んで寝るようにします」

 

それに、と続けて。

 

「お兄様にはおまじないをしていただきましたからね。きっと怖い夢なんて見ません」

「・・・そうか」

 

きっと、今夜悪夢は見ない。

私には、お兄様が付いているのだから何も怖がることはない。

恐怖とは、幸せの前には恐れをなして近寄らないものだから。

 

 

――

 

 

あの触しゅ――じゃなかった、学校でパラサイトと対峙した事件から一週間。

お兄様は対パラサイトの攻撃する術を身に付けるため、先生のもとに修行に来ていた。

原作通り、お兄様は三日で遠当てなる技を習得し始めているようで、同じ修行を繰り返すもまだモノにはできていない、手応えの無さに悔しさを滲ませていた。

まだ四日しか経っていないけれど、なかなか思った成果が出せないようで、いつもより負担を感じているようだ。

 

(・・・お兄様はいつでもそつなくこなしてしまうから、こうして壁にぶつかること自体珍しいことなのよね)

 

少年少女たちに立ちはだかる、障害と呼ぶべき壁。先の見えない不安。努力の先が報われると思い続けるには、手応えが無さ過ぎて藻掻き苦しんで。

高校生らしい心の動きではあるけれど、お兄様のこれは少年少女たちのような青春的なものではない。

日常を守るために己に課した試練である。

何処までもお兄様はヒーローなのだ。理由がたとえ、自分たちが平和に暮らすためというささやかなものだとしても。

対象は世界を混乱させるほどの大敵。

そんな強敵を前に、お兄様はこうして努力して、抗おうとしている。

なんて、なんて格好いいことか。惚れずにはいられないだろう。

 

「さすがの君も苦戦しているねぇ。まあ、できない人間にはどんな努力してもできない類の技だからね、これは」

 

飄々と、告げる先生の言葉は聞きようによっては努力しても無駄なものは無駄、と言っているようなものだけれど――。

 

「つまり、とっかかりを掴んだお兄様には見込みがある、ということですね」

 

訊ねると、正解と言わんばかりに口角を上げて返答する。

 

「まあね。三日で理の世界に遠当てを放てるようになったんだから、全く適性が無いということでもないと思うんだけどね」

 

回りくどい言い方だけれど、これは先生の指導だ。これ以上の問いかけは野暮なのだろう。

お兄様もそれがわかったのか、問答よりも実戦を求めた。

 

「師匠、次をお願いします」

 

感覚は掴めた。けれどその先に進めないことがお兄様を苦しめている。

もどかしいだろう。

お兄様にとってイデアを漂う情報体を認識することができているだけに、的が認識できているだけに、対抗手段となるはずの想子弾が当てられても、思った結果が出ないとなればそれは及第点にも届いていない、赤点ラインも越えられないのと同じなのだろう。

お兄様にとっては結果がすべてだから。

わかってはいるのだけれど、この努力の過程も大事なのだと伝えたい。

 

「まあ、適性の有無は、結果でしかわからないところがあるからね。今日できなかったことが明日になると突然できるようになったりするのも術法というものだから」

 

手を組んで見守るしかできない私には掛けられない慰めを、先生が言葉にして掛ける。

 

「もっとも、『何時か』を待っていられない状況であるのも、また事実」

 

もちろん先生のことだから、ただ慰めるだけなんてことはしない。それは指導にはならないから。

 

「君の場合はどこを狙えばいいのかはわかるわけだから、遠当てとは別の攻撃手段を編み出すのも一つの手だと思うよ」

 

教えられた技に拘る必要はない、との助言に、しかしお兄様は苦笑を返した。

 

「そんなにホイホイと新しい魔法を開発できるものじゃありませんよ。行き詰っているのは認めますが、それにしたって買い被りです」

「そうかな?君は確かにある一面では非才だけど、術式の改良や開発にかけては非凡な才能を持っているじゃないか。自分から可能性を狭めてしまうのは得策じゃないと思うけどねぇ」

 

やっぱり先生には千里眼でもあるのではないかと思うほど、いくつもの可能性が見えているような発言。

如何な優れた頭脳を持っていても、お兄様自身で気付ける範囲はそう広くない。ちょっとしたアドバイスを受けて閃くこともある。

なら、妹としてここは後押しをする場面。

 

「そうですよ、お兄様」

 

胸の前で力いっぱい握りしめていた手を離して握りこぶしを二つ作る。

 

「お兄様は必ずやできますとも!お兄様の閃きは今までにもとんでもない偉業を成し遂げられてきたのですから。今回だって打開策を見つけられぬはずがありません」

 

そう、攻略法は一つじゃない。原作通りじゃなくたって、別の裏技を見出せることもある。

この間のリーナちゃんとの戦いで、力を隠した状態で引き分けをもぎ取った時のように、同じ結果を導く別の手法を編み出す可能性だってあるのだ。

 

「このまま術式解体による直接攻撃を第一の対策としつつ、新たな魔法の開発をされてもよろしいのではないのでしょうか」

 

むろん、一つのことに拘り、突き進むことも成功につながる手段になりえるだろうけれど。

お兄様の可能性はどこまでも広く、広がるものだから。

たとえ今回その先に実りが無くても、蔓はその先まで伸びて新たなつぼみを付けるかもしれないから。

お兄様はこんな無茶なことを言う妹を、責めることも否定することもなく、受け止めた。

受け入れる、までいかないのは、まだ葛藤があるからだろう。本当にできるかなんて現段階のお兄様にはかなり確率の低いことだろうから。

期待に応えられないかもしれない、なんて考えているのかもしれない。けれど、妹の信頼を裏切ることができないお兄様はしばらく頭を悩ませるのだろう。

申し訳ないとも思うけれど、このプレッシャーは挫けそうになるお兄様の心への着火剤にもなるはずだから。

 

「ところで、深雪くん。先ほどから壁が無くなっているよ」

「あ!す、すみません!!」

 

ちょんちょん、と先生に肩を突かれて、自分の訓練がおろそかになっていることに気付かされてしまった。

慌てて両の手を合わせて自分の周囲に円を描くように魔法の壁を構築する。そしてそれを自分の体の形に収縮させて――

今、私もお兄様と一緒に対パラサイトの波動をどうするか訓練中なのだ。こちらもまだ模索段階である。

とりあえず、この間の戦いでサイオンの壁が有効なのはわかったのだけど、アレをそのまま維持して戦い続けるには無駄があり過ぎる。

何かいい策は無いかと先生と相談したところ、サイオンをただ固めたような壁だけではなく別の形で障壁を模索してみたらどうだろう、とのアドバイスをもらった。

そこで浮かんだのは数々の漫画、アニメの知識。

リーナちゃん戦でもやったなんちゃって無下限もそうやって生まれたものだ。他にも何か試してみる価値はある。久々にオタク魂に火が付いた。

対物理は無下限だけでもいいけれど、相手は精神体、情報体だ。つまり非物質。

パラサイトの近くにいて、波動を感知できる能力を遮断するのはもったいない。

何とか活用したいけど、直接体を這いまわるあの感覚は受けたくない。

かといって事象干渉のサイオンをまき散らしては周囲の魔法を妨害することになるから、自身の体の周りをコーティングすればいいのでは、との案はすぐに浮かんだ。

だが、これが案外難しい。

真っ先に浮かぶのは先にも述べたなんちゃって無下限だけど、いくら分子にまで影響し、減速させる魔法であっても、それは物理に効くもので非物質に効果があるのはその魔法を構築する際集まるサイオンの壁だけ。

それだって結構効果はあるのだけれど、あの魔法を維持できる時間は短い。非効率的だ。

吉田くんみたいな結界技はどうだろう?結界だと遮断、と言うイメージだけど吉田くんのアレは色々融通が利きそうな面もあった。

・・・とまあ、いろんなジャンルの知識を活用しまくって実験中。

イメージを形にするだけでも結構時間を要するので、一週間経ってもまだまだ何も得られていない。

今試しているのは、月曜の雑誌で連載が再開されるたびにファンが歓喜の雄たけびを上げるあの作品、狩人の念能力の一つ、円である。範囲内を索敵するアレです。

察知するなら別の形に察知させたっていいじゃない。

ということで現在は試行錯誤中なんだけど、集中が切れてしまった。流石に無意識下でずっと展開することはできない。パッシブスキルとは違うのだ。

あれからパラサイトと遭遇していないので、これが実際どれだけ効果があるかわからない。

ただ先生の助言で、無駄じゃなさそうだとは思うのだけどね。・・・私の方も先に進めているかさっぱりだ。

だけど、せめて彼女と対峙するときまでに少しでも対策を考えておきたい。未知のことだからこそ、幾重にも策は用意しておかないとね。

 

 

――

 

 

そんなこんなでそれぞれがそれぞれの思惑を掲げ動き出してた二月上旬、世界中に凶報が行き渡った。

――ついに来たか、と私はニュースに釘付けになりながらも拳を握り締める。

センセーショナルなニュースだろう。

要約するとこんなところ。

合衆国政府による、とんでもない失策、失態に非難は免れない。

昨年十月三十一日、朝鮮半島南端で使用された日本軍の秘密兵器に対抗する手段の開発を魔法師に命じた。

魔法師たちはダラス国立加速器研究所において、科学者の警告を押し切りマイクロブラックホール生成実験を強行。これにより次元の壁に穴を空け、異次元からデーモンを呼び出した。

魔法師たちはデーモンを使役することで、日本の秘密兵器に対抗しようとしたのである。

しかし彼らはデーモンの制御に失敗し、身体を乗っ取られてしまった。

昨年末より巷間を騒がせている吸血鬼の正体は、デーモンに憑依された軍の魔法師であり、犠牲者に対して軍は――

と、ここから軍部への非難になるのだけど。まあよく考えられた世論の印象操作だこと。

勝手に強行したという魔法師非難も当然なのだけど、そもそも日本の秘密兵器とかね。ちゃっかり日本も悪感情が向くように仕向けられてる。

しかもデーモン?パラサイトを自分たちの意思によって呼び出したような発言にも引っかかるよね。

ただ莫大なエネルギー変換をしようとしただけの実験で、どうしてそれが召喚して使役なんて発想になるのかね。

結果的に彼らを招き入れてしまったからって、理由をごちゃまぜにして都合良いようにまとめ上げるなんてひどいシナリオライターもいたものだ。脚本粗すぎますよ。

――だけど、だからこそドラマチックでわかりやすく、浸透しやすいのだろうけどね。

 

「・・・雫が教えてくれたお話と似通っているようですが」

「ああ、随分と脚色されているがな」

 

お兄様も違和感に気付いているようだった。というよりこれは気付くだろう。

ニュースの最後の締めくくりも魔法師を統率しきれなかったことと、超自然的な力を利用することが国益にかなっているか改めて考え直すべき時が来たのかもしれない、などと。

 

「これは、荒れるでしょうね」

「魔法師排斥運動の旗印にこれほどのニュースは無いな。それよりもニュースソースが気になるな」

 

ニュースでは内部告発だと言っていたけれど、当然そんなわけがない。内部ならばデーモンなんて言葉を使うはずがない。リーナちゃんはすでにパラサイトを知っていたのだから。

デーモンとは、彼らにとって忌むべき隠語のようなもの――やはり、この情報を漏らした人間は大亜連合と関わりのある人間であることは間違いない。

 

(あー、本当に嫌になるったら)

 

暗躍大好き黒幕気取りのおじさんめ、とちくちくいやらしい攻撃に苛立ってしまう。

お兄様に気付かれないようにコンソメスープを飲んで落ち着かせている間、お兄様は電話機のコンソールに手を伸ばすものの、取ることは無かった。

 

 

 

 

ということでお兄様と共同作業です。駅でリーナちゃん捕獲大作戦。

にっこりお兄様の笑顔(妹視点)を前に逃げ出すとは、リーナちゃんどういうつもりです?なんてわかっているけれどね。ごめんね。これも様式美だと思ってね。

後でお詫びのフィナンシェ渡すから。

最近お菓子ばかり作っているけれど、ストレスがあるのでね。しょうがない。

食べることもいいけれどお菓子作りもいいストレス発散です。付き合ってください。

お兄様も、二日に一回パンにしてごめんなさい。資料に目を通す度にイライラがね。

本当人の国で何をしてくれているんですかねぇ?!っていうくらい入り込んでるんですけど。

まだ何をしているかわからないから泳がせているところが多すぎて、人手が足りない。

っていうか七草!十文字家もだけど横須賀の警備もうちょっとどうにかなりませんかねぇ!?

がばがばだよ。むしろ一般人の、あの船なんだろう?って写真の方が有力情報ってどうなってるの?それを拾ってくるうちの子凄い。えらい。

そしてそれをちゃっかり一般人ジャーナリスト使ってリークしてる辺り暗躍上手。

なんか、有志による自警団とか作りそうで怖い。無理はしないで。多分だけどあなた達魔法使えない一般市民でしょう。心配。

見ず知らずの人たちだけど、日本のために、皆を守るために活動してる人は応援したくなっちゃう。

目の前ではお兄様とリーナちゃんが並んでイチャイチャ・・・ではなく平然としているお兄様とキャンキャン噛みつくリーナちゃんの図ですね。可愛い。

話は今朝のニュースがどこまで真実かってことだけど、彼女にとってはほとんど嘘っぱちに思えただろうね。

事実脚色部分はほぼ創作ではあるのだけど、軸が間違ってないので、ね。

そこでお兄様がちょっとだけ踏み込むと、リーナちゃんは『七賢人』の存在を明かした。

彼女にとって彼の行動は有益な情報源ではあっても、愉快犯にしか思えてないからいい印象なんてないんだろうな。

不機嫌そうに答えているのがその証拠。リーナちゃんのような真面目な子にはレイモンド君は気に入らないんだろうね。

だんだんヒートアップしてきたリーナちゃんは気を逆立てた猫のようにお兄様に食って掛かった。

可愛い。

 

「だから正体がわからないって言ってるでしょうが!」

 

フシャア!と威嚇してますね。

 

「リーナ、可愛いけれど落ち着いて。兄さんに当たっても何も解消しないわ」

「な!?かわっ?!な、なにを言ってるのよ!」

 

あら、怒りの矛先がこちらに。でも怒った顔もそーきゅーと。

 

「毛を逆立てた猫ちゃんみたいだったわ」

「私は猫じゃないわよ!」

「怒らせちゃった?ごめんなさい。でも可愛いは撤回しないわ。リーナは美人さんだけど可愛さも持ち合わせているのだから」

 

確信をもって言えば、リーナちゃんはわなわなと体を震わせて口をつぐんでしまった。

 

「深雪、お前が可愛いモノが好きなのは知っているが、あまり口に出しすぎると相手が困るから抑えた方が良い」

 

おっと。お兄様から忠告が。リーナちゃんを困らせるなだって。

・・・リーナちゃん、可愛いって言われ慣れてるはずでは?日本語で言われ慣れてないからかお耳真っ赤だった。肌が白いとよくわかる。

っていうか話途中だったわよね。中断させてしまった。お兄様にそっと視線を向けたら意図を読み取ってくれて話が再開。

リーナちゃんも落ち着いたのか、人間主義者と七賢人の繋がりを否定していた。

けどまさかその七賢人の内一人が煽って扇動しているなんて思いもよらないだろう。組織名を名乗られたらグループだと思うのもしょうがない。

七賢人の一人しか接触してないで愉快犯グループと思われる彼らも彼らだ。それでいいのか七賢人。

 

「最後に、一つだけ聞かせてくれ」

 

お兄様は問う。パラサイトを招いたのは意図してのことなのかと。

彼女は即時否定した。

怒りに体を震わせながら。

 

「私は四人も感染者を処断しているのよ。これが誰かの仕業だというのなら、ワタシはソイツを許さない」

 

怒れる彼女は、瞳に強いきらめきを宿らせて。

 

(やっぱりリーナちゃんは美しい。そして、カッコいい戦士なのね)

 

彼女はただ綺麗なだけのお姫様ではないのだと、改めて見惚れた。

 

 

――

 

 

真実よりも虚像を愛する人間は、瞬く間にこのセンセーショナルなニュースを受け入れた。

遠い海の話であっても、その大陸を揺らす大波は、揺れて返してこの遠く離れた国にまで届くのは時間の問題だった。

 

 

 

 

待ちに待った藤林さんとのお茶会は、残念なことにただお茶会だけを楽しめる内容ではなかった。

本当に残念でならない。なぜおじさんとおじさんによる狸とキツネの化かし合いの音源を聞かされねばならぬのか。

いや、結構な情報なのですけどね。必要なのもわかるのだけどね?

私は悲しい。

簡略式でしかお迎えできないことが無念で仕方がない。

テーブルクロスは華やかに。ティーポットも花柄の描かれた物をチョイス。あまりお腹に溜まるものはよくないかもしれない、と軽く手で摘まめる程度のマカロンと一口タルトを。タルトは甘いものもしょっぱいものものせられるから融通が利いてとっても便利。彩にもなるしね。

 

「突然の訪問だったのに、これ、手作りでしょう?すごいわ」

 

そう言ってマカロンをパクリ。

美女とマカロン。似合う。素敵。

だけど気を使わせてしまっただろうか。美女に褒められたおかげで気分が一気に振り切れて私はハッピーだけれど。

カットフルーツ盛り合わせの機会もまた訪れるかもしれないと思えば。

連絡きたの今朝でしたものね。びっくりはしましたが、そういえばお宅訪問のお話あったなと思い出しました。

確かお兄様が私に世界情勢のお勉強をさせようとしていたと記憶しています。が、お兄様、私の口で言わせるよりもするっと自身で解説なさってました。

まるでお前もわかっているだろうが、みたいな。

実際その手の情報は集めておりますのでそれなりに見えているつもりです。

今回の音源も、お兄様に関わるお話でしたからね。ただ、やっぱり直接持ってきた理由は――

 

「ハイ、二日早いけど義理チョコよ」

 

帰り際、ハンドバッグから取り出したのは綺麗に梱包された薄い小箱。

うーん、実にスマート。慣れていらっしゃる。大人の女性の余裕を感じます。憧れますね。素敵です。

 

「義理ですか」

 

お兄様ご不満ですか?と言葉だけ聞くと心がウキウキしちゃう展開を期待したいところだけれど、お兄様は面白がっているだけの模様。

 

「義理じゃ不満?」

 

そして魅惑のお姉さんの悩殺スマイル!直撃していないのにクラっと来ますね。麗しい。

これにはお兄様も動揺を――しないですねぇ。・・・やっぱりちょっと席を外せばよかったかな。

荷物を取りに行く振りをして、とか。でも用意周到な私はうっかり準備してしまっていたわけで。

 

「いえ、まったく」

 

バッサリ否定するお兄様に噴き出す藤林さんは、でしょうねぇ、と笑っていたけど、いったい何がでしょうね、なんだろう。

 

「あの、藤林さん。こちらを受け取っていただけますか?」

 

気になるけれど、帰ってしまわれる前に私も渡さねば、と取り出したのは藤林さんの小箱より厚みのある、けれどサイズとしては小さめの箱。

 

「いつも兄がお世話になっておりますので、お礼のチョコです」

「え、私に?」

「お礼もあるのですが、憧れの女性にお渡しできる機会なので。もちろんお返しは不要です。受け取っていただけますか?」

 

言いながらちょっと恥ずかしくなって俯き加減で小箱を差し出す。

視界に入る藤林さんの手が一瞬受け取るのを躊躇したように止まったけれど、受け取ってもらえました。良かった。

 

「ありがとう。私チョコを貰うの初めてだわ」

 

先ほどまでの悪戯な笑みではなく微笑む藤林さんは美しかった。これだけでご褒美です。

嬉しさのあまり真っ赤になった頬を押さえて、控えめに恐縮です、と返してお兄様の後ろに下がった。

 

「・・・ですから、あまり妹を誘惑するのを止めていただけませんか」

「あら。今日誘惑されたのは私の方よ。素敵なおもてなしを受けて、帰りにはこんな可愛いサプライズされて。

深雪さん、もしお兄さんに困らせられたらいつでもお姉さんに相談してね」

「俺が一体深雪をどう困らせるというのですか」

「自覚ない?」

「・・・なんのことやら、わかりませんね」

 

なにやら先ほどまでと雰囲気が変わってバチバチ音が聞こえそう。静電気です?

しかしそこは大人なお姉さん。くるっと表情を変えてじゃあね、と藤林さんは颯爽と帰っていった。

心の中では大ぶりに、表では控えめに手を振って見送って。姿が見えなくなるとお兄様が振り返り、ぽんぽん、と頭を軽く叩かれる。

 

「準備お疲れ様。喜んでもらえてよかったな」

「はい!」

「まだ食べるものが少し残っていたね。チョコも頂いたことだし、もう少しお茶を楽しもうか。今度は、二人きりで」

「まあ。そのチョコレートはお兄様が頂いたものでしょう?」

「貰ったのだから、どう食べてもいいだろう?それに、藤林さんが選んだからにはきっとおいしいチョコレートのはずだ。興味あるだろう?」

 

そう言って手に持っていた小箱の角を口元でちらつかせるお兄様。魅惑的なお誘いに、私は陥落した。

大変美味しゅうございました。

 

 

――

 

 

次の日、月曜日の学校は午後から浮足立っている女子の姿が目に付いた。早く帰って準備したい組だね。可愛らしい。青春って感じがとってもグッドです。若いって素晴らしい。

授業の終わり共に立つ姿は、定時に帰るパートのママさんを彷彿とさせる。懐かしいなぁ。

仕事できるママさんの手際と効率の良さよ。・・・あと残業なんてしてたまるか、の気迫ね。

一時間前から流れる、追加の仕事持ってくるなオーラ半端ないもの。圧が凄かった。

彼女たちにはそんな気迫なんて微塵もないけどね。純粋に早く帰って準備したい、というぴゅあっぴゅあな心しか感じない。

早くおかえり。そして明日はイベント楽しもうね。

ばいばい、と手を振って生徒会室にお仕事へ。今日はリーナちゃんも一緒です。

このところパラサイトの動きが急に落ち着いたらしい。

・・・うちのおじ様がお掃除してくれてましたからね。しばらくあちらも警戒して何も出てきません。

ゆっくり休んでね。言えないけど。

意外なことに、と言っては失礼かもしれないけれど、リーナちゃん事務仕事覚えるのがとっても早かった。

総隊長ってこういうことも熟しているのかな。大変だ。彼女の職場からはブラックな香りしかしてこない。早く何とかしてあげたいね。

しばらく仕事をしていたのだけれど・・・うーん、ほのかちゃん焦ってますね。空気が駄々洩れです。

そしてちょくちょく響くエラー音。恋する乙女のピンチです。

中条会長が体調不良を心配して声を掛けるけど、会長、明日が何の日かわかってますよね?

・・・もしかしてあげるより餌付けされる側だったり?友チョコでキャッキャしてそうでもあるけど。

ほのかちゃんがお兄様ラブなことは誰もが知っている事実だと思うのだけど・・・でもそうね。ほのかちゃんの今の様子だけ見ると、心配になる気持ちもわからなくもない。

うむ、ならば手を差し伸べてあげようじゃないか。

 

「ほのか」

「!!な、なに?深雪」

 

・・・そんなにビビらなくてもいいのに。

私ってそんなに怖いかしら。

 

「今日はリーナも手伝ってくれてるし、今日一日休んでもこっちは何とかしてみせるわ。だから、行ってほのか」

 

こっそりと、耳打ちをする。

 

「い、行くって」

「兄さんに挑むのに、万全の態勢じゃなきゃ本気も出せないでしょう?――恋は戦争なんだから。ここは任せて」

 

混乱しているほのかちゃんに言葉のマジックを。

ここは任せて先に行けって、言ってみたい死亡フラグだよね。死なないけど。

肩を叩いて発破を掛ければ、ほのかちゃんは勢い良く立ち上がって。

 

「すみません!後日必ず埋め合わせはしますので!お先に失礼します!!」

 

体調不良なんてことは無かった。彼女は風のように去っていった。

お兄様という強敵、難敵を相手にするのだからそれ一点に集中しないとね。ひらひらと手を振ってお見送りします。

 

「み、深雪さん・・・?」

 

どういうこと?と中条先輩が困惑気味に尋ねるけれど、いくら周囲にまるわかりであっても乙女の秘密を大声で言うわけにもいきませんからね。

 

「彼女は現在患ってますので、今日はお休みしてもらいました」

「え・・・元気そうでしたけ、ど・・・あ、そういう///」

 

わかっていただけて何よりです。さあ、残った人たちで頑張ってお仕事片付けましょうね。

中条会長はこの後ちょこっとエラー音を連発していた。はわはわしている会長可愛かったですけど何を妄想してました?

五十里先輩はいつも通り。だけどさっき苦笑を浮かべてましたね。

リーナちゃんは疑問符一杯。だけど仕事はちゃんとこなしてる。すごい。

ほのかちゃんがいない穴埋めを何とか処理しきった私たちは、いつもと同じ時間に帰宅することができた。

 

「ん?ほのかがいないね」

「ほのかは今日諸事情により早く帰しました」

 

きっぱりはっきりそう言うと、お兄様は口を閉ざした。

代わりに開いたのはリーナちゃん。

 

「ねえ、さっき言ってた患ってるって何なの?ホノカはどこか悪いの??」

 

いろんな日本の言い回しを知っていても、その裏までは難しいよね。日本に馴染み過ぎていたからすっかり忘れてました。

お兄様はお察しなので横を向いている。

 

「日本では古くから、恋は病とされているのよ」

「え!?そうなの?・・・ん、恋??」

 

混乱しているリーナちゃんかわゆい。

 

「明日はバレンタインでしょう?海外では男性が贈るのが主流だと聞くけれど、日本では女性がチョコレートを渡す日という認識が強いのよ」

「知ってるわ。ジャパンカルチャーは私たちの国でも広まってるから。ってことは何?ホノカは明日タツヤにあげるチョコレートについてあんなになっていたというの?」

「だから、病なのよ」

 

恋煩いはどんな薬も効かない厄介な病なのですよ。

というか、リーナちゃんはっきりとお兄様がお相手だってわかってますね。自分からほのかちゃんが言うわけもないから、観察して気づいたんだろうけど。

ほのかちゃん、態度に出過ぎてたから、注目しなくても気づくか。

 

「恐ろしいビョーキね」

「・・・兄さんが病原体じゃないんだから、そんな目で見ないであげて」

 

何故、怖いと言ってお兄様をジト目で・・・?は!も、もしやリーナちゃんもお兄様にドキッとしたことが!?もうタネが蒔かれて今にも芽吹きそうになっていたりして?!

やだ。どうしよう。胸がドキドキしちゃう。

 

「み、ミユキこそどうしてそんな目で私を見るのよ!」

「リーナは誰かにチョコをあげるのかしらって気になっちゃって」

 

確か原作ではお兄様にあげようとしたけど結局渡せないで帰っちゃったのよね。

アレもリーナちゃんの良さがよく出るシーンだったけど、今回は渡せるかな。

 

「ミユキまでそれを聞くの?」

 

あらぁ。綺麗なお顔に皺が。たくさん聞かれたのね。その気持ちはよくわかるけど。

 

「誰にもあげる予定は無いわよ」

「そうなの?なにも本命だけじゃなくても義理チョコあげるのも楽しいわよ。真剣にイベントを取り組む人もいるけれど、基本的にはお祭り騒ぎが好きな日本人だから、便乗して配って楽しむのもこのイベントの面白い所ではあるわね」

「・・・でも、ワタシが誰か個人に贈り物をするのは、色々問題があるから」

「大変なのね。まあ、これは別に強制されるイベントではないから。あ、でも男性側はそうではないわね。貰ったら来月のイベントに強制参加させられるわ」

 

そこでリーナちゃんと私の視線がお兄様に向く。

お兄様は、強制と聞かされて苦笑した。男性側には拒否権もあるけれど、そんなことしたら学校中から非難が行くだろうね。モテ男への当たりは強い。特に目立つお兄様には。

 

「そういうミユキは、誰にあげるの?」

 

おや。矛先がこちらに。でも本命はお兄様?な質問が来ない。と思ったら。

 

「タツヤ以外に」

 

との文言が付いた。そうですか。お兄様にあげることは彼女の中で確定なのですね。正解だけども。

 

「あら、それは当日のお楽しみよ」

 

人差し指を口元に立てて思わせぶりに。まあ、やったところで意味なんてないのだけれどね。

・・・どうしてリーナちゃんはいいの!?みたいな反応でお兄様を見たの?

お兄様もお兄様で目つきを鋭く私を探ろうとしないでくださいませ。何も出てきませんから。

 

その日の晩、キッチンに立って作業をする時間、ずっと視線を感じていたのは気のせいだと思いたい。

 

 

――

 

 

大粒の汗が、滴り落ちている。

息も荒く、喘ぎ苦しむ姿のお兄様に、新たな扉を開きそうになるのを必死に厳重に鍵をかけまくって邪念を封じ込めてから、タオルを握りしめて駆け寄った。

 

(無心になるのだ。苦しんでいるお兄様を前に、アレなことを考えてはいけない)

 

体と心はお兄様を全身全霊で心配している。それは間違いないのだけど、前世の業がね?やっぱりオタクって魂にまで刻み込まれてるんだねっていうくらい、切り離せない何かがあってですね。

でも、それにしてもお兄様のこの疲労は異常に見えてしまう。

違うとわかっていても確認せざるを得ないほどに。

先生に尋ねると、先生は心配ないと説明をしてくださる。優しい。

 

「その、これらの術は・・・副作用のような、危険なものは無いのでしょうか」

「いや、そんなものは無いと思うな」

 

軽いお言葉だけれども、その分信じられる部分もある。

その後に続く解説もわかりやすく、どれほど緻密なことをしているのか教えてくれた。まるでプログラムのようなことを自動ではなく自ら計算して設定して行動に移しているのだから、疲労するのも当然だ。

お兄様もはっきりと否定したことで、肩の力が抜けた。

隣で先生が苦笑するけれど、ごめんなさい。先生の言葉が信じられなかったわけではないのです。先生もそれがわかっているのか気にするな、とばかりに肩をぽんっと叩かれた。

 

「だけど、この様子では、生まれたばかりの『子』は滅せても、年月を経て存在が固まった『親』が相手だと難しいだろうね」

 

その言葉は、この程度で疲労しているお兄様を打ちのめす言葉ではなく、事実として受け入れるための言葉。

状況を正しく認識することの方が下手な慰めよりもお兄様の欲するものだから。

先生の優しさはきちんと相手に合わせてのモノ。だから先生の言葉は信じられるのだ。・・・それで安心しきれないのは私の心の弱さです。もっと鍛えないと。

その後場所を移動して。

鞄の中から取り出したのは綺麗にラッピングした小箱。

 

「先生にとっては異教の風習かと思いますが、どうかお受け取り下さい。いつも兄妹共々お世話になっているお礼の気持ちです」

「いやいや、異国異教の風習であろうと、いいものはどんどん取り入れていかなければ」

 

このやり取りも三度目ともなれば、ちょっとお茶目を発揮してわざとらしく大げさな動作でやり取りをする。

皆が見ている前ですからね。先生もチョコを掲げて楽しそう。にんまり笑顔がより一層皆の不信感をあおりますね。こちらもポーズですけども。

 

「色欲は戒律に違反するのでは?」

「肉欲に結びつかなければ構わないんだよ」

 

お兄様が呆れつつ声を掛け、飄々と返す先生のやり取りは見ていて楽しい。

それからもう一つ手提げ袋から大きめの箱を取り出して。

 

「こちらは皆さんへ。いつも兄のお相手を務めて下さりありがとうございます。これからもよろしくお願いします」

 

こちらは個別包装は難しいので皆さんで分けてもらうように。

皆さん礼儀正しく礼をしてくださるのだけど、訓練したかのような角度ですね。揃っていて素晴らしいです。

 

 

――

 

 

さて、バレンタインの戦いはすでに始まりました。

張り切って乗り切りましょう。

そう気合を入れて家を出る前の玄関にて。

 

「今日は鞄を持たせてはくれないのかい?」

「これは私が運ばなければならない荷物ですので」

「ずいぶんたくさんありそうだが」

「そうですね。それだけたくさんの方にお世話になったということです」

 

お兄様は持ちたそうにしていたけれど、通常の鞄でしたらまだしも、バレンタインチョコの運搬をお兄様にさせるのはちょっと気が引けますので。

ってことで学校に向かう途中、美月ちゃんと合流。まず荷物を見られました。いつも持ってないですからね。

今日は行き交う人女性は何かしらのバッグを持っています。

経済を動かしてますね。

美月ちゃんも鞄を持ってます。お互いニッコリ笑顔。

 

「やっぱりイベントは一緒に楽しみたいですよね」

 

その意見には大賛成です。お兄様は、そんなものなのかというお顔です。

いつも私が何かしらのイベントを企画しているのを不思議そうに見てましたものね。

世の中結構イベント好きですよ。私が異常なわけじゃない。何かしら理由を見つけてお酒を飲みたいと歌を歌う人種です。何かしら見つけては騒ぎたいのです。

だけどね、お祭り騒ぎもいいけれど、真剣勝負をする子もいるわけで。

というわけでほのかちゃんが仁王立ち――はしてなかったけれど待ち構えておりました。気合が違うね。

美月ちゃんの裾をそっと引っ張って。

 

「美月、私E組に用事があるから連れてって」

「え?このまま三人で・・・あ、ああ。そうですね」

 

ちらっと私が向けた視線の先に気付いた美月ちゃんはコクコクと頷いた。

 

「じゃあ兄さん、私は美月とE組にいるからゆっくり来てね。あまり配ってるところを見られると恥ずかしいから」

「・・・そんなにあるのか?」

「そんなには無いけれど、そもそも来ているかまだ分からないし」

 

お兄様のそんなにってどんなに?E組と言えば西城くんと吉田くんだけど、西城くん、今日来るかな。

退院の予定なんて私たちは聞いていないけれど、原作知識では今日でしたからね。

 

「お、おはようございます、達也さん」

「おはよう、ほのか」

 

すすす、と美月ちゃんとお兄様から離れれば、恋する乙女にはもうお兄様しか見えてなくて。私たちは顔を見合わせて苦笑し合うと、そそくさとこの場から離れた。

背中に視線を感じなくもなかったけれど、私にはどうしようもないので。お兄様、しっかり。

 

「その、深雪さんは・・・達也さんにチョコをあげたんですか?」

「朝はバタバタしているし、学校で渡すのもおかしいでしょう?帰ってゆっくりできるようになってから渡すつもり」

 

誤魔化すこともないので正直に。まあ兄妹で渡すのっておかしいかもしれないけれどね。

余りに自然に答えたからなのか美月ちゃんはたいして違和感を覚えなかったようだ。

いつもと違う道のりで、校内を歩く。今日は色々注目されますね。こんな袋を下げているから余計に、でしょうが。

 

「皆深雪さんが誰にチョコレートをあげるのか気になっているのでしょうね」

「美月も気になる?」

「気になってましたけれど、その袋を見る限り、本命じゃないってことはわかりますから」

「ふふ。正解。でも本命用には作っていないけれど全部手作りではあるわよ」

「え!?それ全部ですか?!この間頂いたクッキーもそうでしたけど、深雪さんお菓子作りも上手なんですね」

「上手っていうか、何か考え事をしたり難しいことに直面したりすると手を動かしたくなるっていうか。一種の現実逃避かしら。無性に作りたくなるのよ。あれね。試験が近づくと勉強中に掃除がしたくなるような」

「あ!それわかります。急に気になっちゃうんですよね」

 

学生あるあるだね。

そんな話をしていたらあっという間にE組です。

扉が開いた瞬間音が消えましたね。おはようございます。雑音泥棒です。朝の喧騒を盗んで申し訳ない。

と、目的の人は・・・あ、いましたね。良かった。

 

「千秋」

「・・・珍しいわね。あんたがこっちに来るなんて」

「おはよう」

「・・・おはよ」

 

うーん。今日もツンツン絶好調だね。ってことでハイ。

 

「ナニコレ」

「チョコよ」

「チョコ?!なんで!?」

「なんでって、今日はバレンタインでしょう?だから、友チョコ」

「友チョコ?!」

 

そんな驚く?友チョコってそんなおかしなものじゃないでしょうに。

 

「わ、私何にも用意してないわよ?!」

「いいじゃない。別に見返りが欲しくてあげるわけじゃないんだから。お祭り騒ぎがしたくて配ってるのよ。だから貰って」

「・・・ほ、ほんとにお返しなんてしないわよ」

「捨てられてないだけ十分よ」

「捨てるって、私を何だと思ってるのよ!」

「私の大切なお友達」

「なっ!?バ?!」

 

何言ってるの、バカじゃないの、かな。ありがたや。その罵倒は我々にはご褒美です。

相変わらず可愛い反応ありがとう。これからもよろしくね。

そして吉田くんがやってきました。席に着いてから美月を引っ張って。

 

「はい、美月と吉田くんも。いつもありがとう」

 

吉田くんは貰えると思ってなかったのか真ん丸お目目。吉田くんも綺麗系なお顔立ちですよね。美人さんタイプ。

肌も白くてきめ細やかで・・・女装似合いそうだよね。たれ目の泣き黒子なんて色っぽいの代名詞。

 

「え、あ、ありがとうございます。っていうか貰っていいのかな」

 

なんできょろきょろしてるの?ああ、男子で一人貰うのが恥ずかしいとかかな。西城くんが来ればいいのだけど。

あ、きた。

おーっす、と入ってきてこっちに気付いてちょっと驚いてるね。私いるの珍しいっていうか初めてだものね。お兄様が近くにいないで一人ここにいるのって。

ということで驚かせついでにはいっ、と手渡す。

 

「西城くん退院おめでとう。これは退院祝いじゃなくてバレンタインのチョコなのだけど、受け取ってもらえるかしら」

「え!?お、おお。ありがとな。・・・へぇー。こういうの貰うの初めてだわ」

 

箱をしげしげと見つめる西城くん。意外だ。西城くんくらいカッコよくて気遣いもできる人がチョコを貰えないなんて。でもきっと何らかの事情があるのでしょうね。

 

「・・・よくそんな普通に受け取れるね」

「いやー、驚きすぎて逆に?みたいな。つーか達也は?」

「それが、見当たらなくて」

「・・・これ見つかったらヤバいと思うか?」

「・・・どこまで許容範囲か読めないからね・・・」

 

なんか男子だけでこそこそお話していますが、エリカちゃんが来ない。どうしよう、そろそろお兄様が戻ってきそうな気配がある。

 

「エリカは、今日は遅いみたいね。本当は直接渡したかったのだけど、美月頼んでもいい?」

「ええ。エリカちゃんもきっと喜んでくれると思いますよ」

「だと良いのだけど、そろそろ戻るわね。――お騒がせしました」

 

一応皆に一礼して教室を後にする。

急がなきゃ。ほのかちゃんより先に教室へ。できるだけ優雅に。それでいて足早に向かえば――よかった。間に合ったみたい。教室が浮足立ってますね。

皆とおはようの挨拶をして席に着くと、あら、ジャストタイミング。ほのかちゃんが来ました。

そして挨拶もそこそこにトイレに連れ込まれます。事案です?違うね。ただの混乱です。

恋する乙女は必死です。

いつでも全身全霊で頑張ってる。鏡の前で、つい先ほどお兄様から頂いた髪飾りで髪を結わう。可愛らしい。

飾りもだけれど何よりもこの行動が可愛い。幸せいっぱい、と見ているだけで伝わってくる。

――だから、お兄様はプレゼントしたことに罪悪感など抱かなくていいのだ。

たとえそこに計算が絡んでいようとも。そもそも女の子は皆計算して恋の駆け引きをしているのだから。

お兄様が何も言わないのを、拒絶しないことをいいことに好き勝手しているのは私たちだ。

この甘い夢に浸っていたいと望んでいるのはほのかちゃん自体なのだから。

丁重な手つきで髪飾りを触れてチェックしているけど、その扱いは正しい。正直高校生が贈るにはお高い品ですからね。本物の水晶でできた真球です。

魔法師にとっての補助アイテムでもあるそれ。ほのかちゃんには本当に役に立つものですので大事になさってください。

 

「ねっ、深雪、どうかな?おかしくない?似合ってる?」

「もちろんよ。とてもよく似合っているし、なによりほのかは可愛いからより一層輝いて見えるわね」

「・・・それは流石に言い過ぎだよ・・・」

「そんなことないわ。良く似合ってる」

 

その言葉に、ほのかちゃんはもう一度鏡を見て、うっとりと水晶を眺めていた。

きっと今日は一日この状態だろうね。

 

 

――

 

 

はい、来ましたね。ラノベの不思議。女子更衣室ですよ。

どうして皆堂々と下着になって着替えるのかしらね。・・・セクシーショットですね。お色気回。わかってますとも。嫌いじゃないですしね。

でもね、私が思い描いているものと違う気がするのですよ。

何で皆、私が着替え出すとため息を漏らしながら見つめるの?頬を赤らめるの?手をワキワキするの?!

気付かぬふりで着替えるけれど、知ってるからね?

今日は皆浮ついた雰囲気だし、私に注目もされないかな、と思って着替え始めたのだけど・・・ちらちらあるね。イベントは関係ないのか。

そんなことを考えていたらリーナちゃんがこっちに来ました。いつもは入り口付近なのにね。質問攻めに疲れたらしい。

私の傍にいたら質問されることは無いからね。

 

「リーナ、お疲れ様ね」

「・・・どうしてミユキは質問攻めに遭わない・・・のよ」

 

あら、言葉に詰まって。私に見惚れてくれた?なんちゃって。そんな赤くなって目を逸らさなくてもいいのに。変に勘違いしちゃうよ。

 

「私にそんな色気のある話が無いからじゃないかしら?ほら、私って本命あげそうに見えないでしょう?」

 

女子の中で誰が気になる?みたいな話もほとんど振られない私です。

皆興味ないみたいよ。温泉でタイプ聞かれたくらいじゃないかな。恋バナ好きだけどね。

そもそも話せるだけのネタを持っていないと皆構ってくれないのよ。・・・ボッチのつもりはないんだけど、ちょっとさみしい。

ので。ここは神のお望み通り動いて差し上げようではないか。たまにはサービスです。自棄になったともいう。

 

「リーナ、スタイル良いわね。羨ましいわ」

 

勢いよく脱いだリーナちゃんは、なんとも健康的な体つきをしていた。

程よく筋肉に包まれつつも、女性らしいボディラインが眩しい。思わず頬に手を当てて見入ってしまう。

 

「な、なに言ってるのよ?ミユキのどこにワタシを羨む理由があるっていうの。これだけ周囲を魅了しておいて」

「まあ。この視線は私だけのものじゃないわよ。リーナの腰からお尻にかけてのライン、とっても綺麗・・・。良く引き締まっていてセクシーだわ。細い印象なのに決して痩せているわけじゃなくて・・・とても健康的な美なのね」

 

引き寄せられるようにその腰に手を這わせる。

あらやだ。なんてきめ細かいお肌。手を滑らせると、リーナちゃんが身震いして名前を呼ばれてはっとした。ご、ごめんなさい。途中から完全に無意識でした。

若干涙目のリーナちゃんは悔しかったのか、今度は私に触れてきた。

お、触れるのね。私も触っちゃったから遠慮なくどうぞ!と思ったのだけど、緊張してるの?指先が震えているから擽ったい。少しくらいなら我慢できてたんだけど。

 

「っん、りぃな、くすぐったいわっ・・・」

「ご、ゴメン!」

 

今度はリーナちゃんがはっと気づいて謝るけれど、それと同時期にがたがたん、と周囲から複数の物音が。ほのかちゃんのみならず、幾人かが腰を抜かしたように崩れ落ちていた。

ようやく周囲を見る余裕ができました。というより現実逃避かな。

下着の見本市かっていうくらい皆の下着もいろいろあって可愛いよ。スポーティーもいいよね。私も偶には白以外、レース以外を検討してみようかしら。

・・・あと、今日はちらほら勝負下着っぽいモノもありますね。皆大胆。お話聞きたい。

私?いつも通りですよ。何の変哲もない下着ですとも。・・・ただ常態ボディが大変アレなだけで。

 

「・・・早く着替えてしまいましょうか」

「ええ」

 

皆のためにもこの危険物はしまっちゃいましょうね。

イチャイチャはほどほどに。本日の教訓です。

 

 

――

 

 

やっぱりほのかちゃんは今日も仕事にならなかった。昨日よりはミスが無かったのだけど、時折夢の世界に飛んでっちゃってたから。

これにはさすがの会長も苦笑い。五十里先輩?今日は予告通りお休みです。その分昨日頑張ってらしたので。

愛され彼氏も大変ですね。いいですとも。イベントを全力で楽しむ方のためのサポートなら任せて!裏方も立派な祭りエンジョイ勢だから。支えてみせますとも。

リーナちゃんを巻き込んでお仕事を頑張った。

帰り際、そそくさと一人帰りそうな中条会長を捕まえてそっとチョコレートを渡したら、喜んでもらえました。

いつもご迷惑おかけしてます。これからも引き続きよろしくお願いします。

 

「深雪ー」

 

ほのかちゃんに呼ばれて会長とお別れ。

あれ?リーナちゃんは?と思ったら教室に忘れ物をしたらしい。

いつもは無い荷物がリーナちゃんにもあるのかな?口元が緩みそうになるのを手で押さえつつ、ほのかちゃんと二人きりならちょうどいい。

 

「ほのか、これ受け取って」

「何――って、これ!」

「友チョコよ。貰ってくれると嬉しい」

「も、もちろん貰うけど!ええー。まさか貰えると思わなかったから・・・私用意してない」

 

ほのかちゃん、お兄様まっしぐらだから用意していないことはわかってましたとも。

というか、この時代結構友チョコ文化は薄れているように思う。女子同士でのプレゼント交換あまり見かけなかった。

小中と、周囲を見てなかったからなぁ。気づかなかった。でもせっかく用意したなら渡したい。

 

「見返りが欲しくてやってるんじゃないから。日頃お世話になってるお礼」

「それなら私の方が贈らなきゃなのに。今日だって、それに昨日も・・・」

「借りを返してくれるっていうのなら、これからもお友達として仲良くしてねってことで」

 

ほのかちゃんにとって私ってとっても複雑な存在だと思う。

憧れの女子から友人になれたけど、好きな人の妹で、しかもその好きな人の愛を一身に受けているようにしか見えないライバルのような存在。

だけど、私から見たら純粋に可愛い友人の一人で。これからも仲良くしてもらいたい大事な友人。

ほのかちゃんは唸ってからぎゅっと抱きついてきた。・・・おおう、やわらかいマシュマロボディ。まだコート来てないから制服越し。

ダイレクトに感じてヤバいですね。女の子の体ってふわふわ。

 

「わ、私の方こそ!よろしくっていうか」

 

いい具合に混乱してますね。早口で捲し立てられてるけど申し訳ない。抱きつかれている感触に意識を持って行かれているので馬の耳に念仏状態。

一応脳を通っているので記憶には留まっているはずだけどね。好きだの仲良くしてねだのも聞こえるから、うん、喜んでもらえてるならなによりです。

 

「・・・・・・何してるんだ?」

「ミユキ・・・アナタ・・・」

 

おおっと、友情を深めていたらお兄様とリーナちゃんが登場。

・・・しかし、お二人とも、どうしてそんな目でこちらを見るのです?

お兄様の声にびくっと反応したほのかちゃんはパッと離れて身だしなみを整えだした。友情より恋だよね。知ってた。

 

「友情を深めていたの。――大漁ね、兄さん」

 

大量ではなく大漁。たくさん釣れたようでよかった。九校戦効果か、はたまたナイト効果か。

あ、そういえば本は無事出版された。恋愛モノだからなのか発売日はつい先日、バレンタイン直前だった。

予約して購入したのだけど、部長からも献本されたので、うちには計3冊ある。当然のようにサイン付きでした。売れないね。・・・売る気ないけれど。

ハードカバーの、装丁もしっかりしたいい本でした。この時代に電子書籍でなく紙で出すって・・・これ、四葉パワー働いてない?と疑いたくなるほど力の入ったものでしたけれど、売れ行きはどうなるのでしょうね。

売れ残ったらこっちにまで被害が来そうなのだけど。

と、そんな話はさておいて。お兄様の持つ手提げが思っていたより大きかった。くれた人の名前はちゃんと残しておかないと来月困りそうですね。お兄様の記憶力なら心配いらないだろうけど。

私の言葉にお兄様は苦笑、ほのかちゃんは・・・まあ面白くはないよね。申し訳ない。話題の選択ミス。

そそくさとコートを着て帰る支度を整える。

帰り道は駅まで4人。E組の皆は先に帰ってしまった。恐らくほのかちゃんのために遠慮したのかな。ほのかちゃんとお兄様が並んで歩き、私はリーナちゃんとおしゃべりしながら帰る。

リーナちゃんは会話の途中、くっつきそうでくっつけないほのかちゃんをちらちらと見ていた。

私たちお邪魔かな?と思うけど、お兄様がこちらを時折確認するように視線を向けるので離れることはできない。

・・・直に見なくても確認できるお兄様が、わざわざ視線を向けてくるのはそう言う理由。お察しするけれど、ほのかちゃん、ごめんよ。

リーナちゃんが耳打ちで居心地悪いことを伝えてくるけど、私もです、としか返せない。すまない。力不足で。

気を紛らわせてあげようと手を繋いでみたら、リーナちゃんは戸惑ったけど仕方ないわね、と振り払わずに付き合ってくれた。優しい。好き。

 

「リーナは優しいわね。ますます好きになっちゃう」

「~~~アナタね!その紛らわしい言い方何とかしなさい!さっきもホノカ真っ赤だったじゃない」

「あれは感謝のお返し、みたいなことだったし・・・。リーナの国ではハグってよくするのよね?」

「それはっ、そうだけど!あんな長く触れ合わないし、そもそも赤くなんてならないわよ!」

 

・・・まあ、それはそうね。赤くなって抱き合ったら別の意味が生まれちゃう。

ただの友情のハグだったはずなんだけどね。

 

「ほのかは感激屋さんでもあるから」

「・・・・・・確かに、顔に出やすいようだけど」

 

今もお兄様の横顔に真っ赤になって見つめてますからね。

だけど残念。それもここまで。駅に到着してしまいました。

ほのかちゃんとは上下線で別れてしまうのでここで三人でお見送り。気を付けて帰ってね。乗り過ごしちゃダメよ~、と言いたいが、キャビネットは電車と違い、乗り過ごすことはない。親切な乗り物です。

私たちの乗るキャビネット待ちのわずかな時間。

 

「どうした?」

「な、何でもないわ」

 

リーナちゃんが、不自然にお兄様から顔を背ける。

あああ~、もどかしい。渡せるのか、渡せないのかの、せめぎ合い。キュンキュンします。

・・・それを無粋な視線に邪魔されるっていうのもいやね。リーナちゃんはこのことを当然気付いているかは別にして知っているだろうし、私が気付く視線にお兄様が気付かないはずもない。

お兄様が視線をちらりと周囲に向けたタイミングで私は鞄から最後の小箱を取り出した。

 

「リーナ、受け取って」

「・・・え・・・ええ!?」

 

白い肌に寒さ以外の要素で赤く染まる頬。可愛いね。

 

「本命と義理だけじゃなくて、友チョコっていう文化もあるのよ」

 

そう言うと、ああ、そういうこと?と、ちょっと落ち着いたリーナちゃん。

・・・あれ、私ソッチの気があると思われた?・・・すまない。それは私のオタク成分のせいですね。

 

「この前の勝負、リーナは引き分けに思ってくれたみたいだけど、私は負けたと思ってる」

「!?どういうこと?!あれはむしろ」

「連戦後の貴女のコンディションは百パーセントじゃなかった。そうでしょう?」

「・・・・・・だけど、本気だったわ」

「本気で戦ってくれて嬉しかった。リーナがちゃんと私を見てくれて、向き合ってくれて。――貴女にとってあの戦いは屈辱に思えたかもしれない。でもね、私はリーナと少しでも近づけた気がして、いい思い出なの」

 

リーナちゃんにしたら、たかが一高校生に負けたのだ。屈辱でしかない敗北に思えただろう。

不利な状況であっても総隊長が負けるわけにはいかないから。

だけど、あれははっきり言えば無効試合だ。あんな一方的に不利な状況フェアとは言えない。

命懸けの闘いならそんなこと言えることじゃないけれど、そうではなかったのだから。

 

「・・・アナタ、おかしいわ」

「そうね。きっと私はおかしいわ」

 

否定はしない。できない。きっとなどではなく、私はそもそもおかしな存在だから。

 

「ありがとう、友達として付き合ってくれて」

 

こんな私にも優しくしてくれる彼女に感謝を。

微笑んでお礼を述べると、キャビネットがやってきた。タイミングが良いったら。

リーナちゃんは俯いてしまったけれど、ごめんね、困らせてしまって。そう心の中で謝るしかできない。

到着したキャビネットが開く瞬間、リーナちゃんは鞄から取り出したモノを、突き出した――私に向けて。

 

「え・・・」

「貰いっぱなしは嫌なのよ!受け取りなさい!!」

「でも、これ」

「友チョコよ!早く」

 

ええー・・・、これ絶対お兄様に用意した奴ぅ・・・。

真っ赤になって顔を背けるリーナちゃんは、恥ずかしさに震えていてとってもキュートだった。

受け取らないわけにはいかないらしい。

 

「・・・ありがとう、うれしい。友チョコくれたのはリーナだけよ」

「!か、感謝なさい!わ、私がチョコをあげたの、アナタだけなんだから!じゃあね!!」

 

言い逃げるようにキャビネットに飛び乗って、彼女は行ってしまった。

 

「・・・・・・・・・リーナちゃん可愛すぎぃ・・・」

「よかったな」

 

は!しまった。お兄様がいたのについうっかり零してしまった・・・。誓ってまだ二月しか経っていないのに・・・。

 

「す、すみません・・・騒がしくしてしまいました」

「気にしなくていいんじゃないか、リーナも喜んでいたみたいだし。――お前も、随分と嬉しそうだ」

 

ぽんぽん、と頭に触れられるのだけれど・・・なんでしょうこの空気。声も顔も微笑ましそうに見えるのに、なぜかひんやりしています。

・・・冬、ですし?日も落ちて真っ暗ですからね。寒くて当然なのですが・・・。

 

「・・・お見苦しい所をお見せしました」

 

浮かれ過ぎである。恥ずかしい。穴があったら入りたい。

 

「深雪が見苦しいことなんてあるはずもないよ。どんな深雪も人目を奪う可憐さだ」

 

キャビネットが到着した。身を丸くしている私を、お兄様が背中に手を回して誘導する。

キャビネットの中は静かで、久しぶりに居心地の悪さを覚えた。

この個室が怖い。

 

「寒いのかな?もう少し寄るといい」

 

寒いのか怖いのかもうよくわからない。お兄様の言われるまま密着するように座り、家路についた。

 

 

――

 

 

家に入ってハグをして。

その頃にはお兄様は普通に戻っていた。ええ。コミューターの中でもぴったりくっついていたからでしょうか。寒さが和らぎました。

キャビネットの空調温度が低かったのかもしれない。そうに違いない。

 

「お兄様、お手提げのモノは冷蔵庫へしまいますか?」

「頼んでいいか?しばらくコーヒーのお供には困らなそうだな」

「私もご相伴に預かってよろしいのですか?」

 

お兄様へのチョコレートですのに。いいのだろうか。

 

「渡された時に言われた。チョコレート、彼女たちにもあげたんだろう?」

「ああ。エイミィ達ですか。一緒に九校戦を戦い抜いた仲ですから」

 

あんな形にはなったけれど、温泉に一緒に入った、裸の付き合いもしたお友達ですからね。

 

「彼女たちはお前に用意していなかったから一緒に食べてくれ、とのことだ」

「まあ・・・。そんなつもりで渡したわけではなかったのですが」

「俺一人で食べても味気ないからな。深雪が一緒に食べてくれた方が俺も助かる」

「・・・お兄様がそうおっしゃるなら」

 

でもあの量、私があげたエイミィちゃん達だけじゃないと思うのだけどなぁ。

 

「それにしても、お兄様からまだカカオの匂いがするのが不思議なのですが、召し上がられたのって結構前ですよね?」

 

香水かってくらい香りがします。近づかないとわからない程度だけれど。

 

「・・・やはり匂うか。俺はすでにマヒしてわからないのだが」

 

それはつまり七草先輩の想いの詰まったチョコレートを召し上がられたということですね!お兄様順調にイベントを熟されて。

・・・文字通り苦い思い出なのか、お兄様のお顔に深い皺が。眉間の谷が深いですね。

離れていると気付かなかったけれど、ハグすると流石にわかりましたね。濃い匂いがしました。

 

「夕食は入りますか?」

「そんなに食べてないよ。むしろ深雪の美味しいご飯を食べて早く払しょくしたいくらいだ」

「一体何があったというのです?」

 

一応知らないふりはしておきますね。実際その時間生徒会室でお仕事をしていたので何があったかは知りようがない。

ちょこっとニアミスしたほのかちゃんは何も言わなかったしね。戻ってきた時少しだけ様子がおかしかった。

七草先輩の存在は、ほのかちゃんにとっては自分にないモノを持つ素敵な先輩ですからね。恋する乙女としては気になるところなのだろうけど。

 

「世の中知らない方が幸せなこともある」

 

そのようですね。では知らないままでいましょう。

チョコレートの入った手提げを受け取って、キッチンへ。一、二、三・・・あら、結構ありますね。お兄様モテモテ。

メッセージカードは流石に抜いてあるみたい。後でお返しするのにも必要ですしね。

皆義理ということもあり買った商品ばかり。ふむ・・・多分ここにほのかちゃんのは無いね。

多分彼女のは手作りだろうから。流石に本命は一緒くたに冷蔵庫へ入れるようなことはないみたいで安心しました。

とりあえず一旦着替えてから夕食作りだ。・・・もちろん普通の家着でね。

給仕の恰好なんてしません。バレンタインだからとあそこまでのサービスは過剰だと思います。食事だって普通でいいのです。渡すのはチョコだけで十分。

兄妹でいったい何を張り切るというのか。今回は七草先輩とほのかちゃんが張り切ったのです。そこに私まで参戦することはない。

・・・とはいえ、お兄様のお好きなメニューにはするけどね。どうせだったら良いイベントだった、で終わらせてあげたいから。

 

 

――

 

 

「・・・ありがとう深雪、生き返った心地がするよ」

 

ごく普通の、ありふれた夕食メニューだったと思うのですがね。相当苦かったんだなあのチョコ。

そしてお兄様が言うとなんというか、重みがね。何度も生き返った(死んではないけど似たようなものよね)経験のあるお兄様が口にすると相当辛かったのではと思ってしまう。

それをたった一人で乗り越えられた服部先輩は男です。恋する男は凄い。感服します。

 

「お兄様がなぜそこまで安堵されるのかはわかりませんが、喜んでもらえたのでしたらよかったです」

 

こんなに感情の込められたごちそうさまは初めてです。

ご苦労様でしたお兄様。このイベントの先に、きっと素敵なラブが待っていますから。

痛みや苦しみを乗り越えてこそ掴むものがある、というヤツですね。・・・ちょっと違う気もしないでもないけど。

 

「こちらは私からです」

 

コーヒーを入れるより早く。ごく自然に気取ることもなく。

食器を片付ける前に小さな、誰に渡すよりも小さな箱を取り出し、お兄様の前に置く。

シンプルな白い正方形の小箱。お兄様の手の平なら片手に収まるサイズだ。包装紙も無ければリボンもかけていない。中に緩衝材は詰まってますけど。

 

「開けても?」

「どうぞ」

 

お兄様は慎重な手つきで箱を持ち上げ、蓋を開ける。

 

「・・・弾丸、だな」

「弾丸ですね」

 

弾丸の形を模したチョコレートが三つ。それが今年のチョコレートです。

お兄様はひとつ取り出してしげしげと見つめる。

 

「随分精巧な作りだ。ん?外側はコーティングか?」

 

掴んだ感触でそこまでわかりますか。

ええ、ええ。その一発を作るのにとても苦労しましたとも。

そのサイズでもそのままチョコを溶かして固めただけでは結構な噛み応えになってしまいますからね。

まず薬莢を作るところから始めましたとも。

そしてその中にガナッシュを流し込んで作るという、非常識な作り方で作りました。

普通固めたチョコの枠に熱々のチョコなんて流し込めば溶けて形が崩れるのが当たり前ですからね。

減速魔法をこんなところに使うパティシエはまずいない。断言する。

・・・しかも形が定着するまで維持するなんてループキャスト技術が無ければできない。お兄様の技術あってこそのこのチョコレートです。

薬莢の型も、氷で片側ずつ作って形を整えドッキング。丸をそのまま作るのは無理でした。

 

「・・・魔法がこんな平和的利用をされているとは、人間主義者も驚愕するだろうな」

「包丁の使い方を決めるのは人間ですから」

 

良いじゃない。魔法をお菓子作りに使っても。

そしてお兄様作る工程遡りましたか。クリスマスプレゼントの時もそうでしたが、なんか気恥ずかしい。

 

「ありがとう。深雪の魔法はいつも俺を喜ばせてくれる」

「そう言っていただけて嬉しゅうございます」

 

魔法の無駄遣いと言われないか冷や冷やしました。そんなことお兄様が言うはずもないのですがね。

渡せたことで私の今日のミッションは終了。食器を片付けるため立ち上がる。

 

「ところで、何で弾丸なんだ?」

「え?ああ。特に深い意味はないのですが・・・」

 

あら、それ聞いちゃいます?聞かれたら答えてあげるのが世の情け、ですよね。

 

「貴方のハートを撃ちぬくぞ、というちょっとした茶目っ気です」

 

振り返りざまにばぁん、と指でピストルを模してお兄様にアクションして見せると、お兄様は固まったのち胸を押さえた。ノリがいいですね。

指先にふっと息を吹きかけるモーションをしてからシンクに向かいます。

 

「とっくに深雪には射抜かれているのに追い打ちをかけるのか」

「追い打ちだなんて。そもそもお兄様に弾丸が当たるわけがないので三発も用意したのですよ」

 

というより、意外と難しくてそれしか作れなかったのだけど。失敗作は融かして別のチョコへと生まれ変わりました。

 

「深雪からもらえるというのなら俺は喜んで受けてしまうだろうから分解はしないぞ。修復はされるかもしれないが」

 

そんなリアルな回答されましても。

 

「そこは避けましょう?そもそも私がお兄様を撃つなど想定もできませんが」

「今まさに撃ち抜かれた」

「あら、命中したのですか?まだ食されてもいないのに」

 

くすくすと笑いながら残った食器を持ってテーブルから素早く離脱する。

揶揄いモードだからと言って油断はできないのですよ。お兄様はすぐ私の心臓を止めに来る。

 

「食べる前からこの威力か。これは心して食べないとな」

「チョコに細工などしておりませんよ――ああ、でも」

 

たかがチョコに警戒することなんてない、と言いたかったのだけれど昔得たオタクの知識が呼び起こされた。

 

「チョコレートには確か、フェニルエチルアミンという成分が入っていて、鼓動を早め恋と錯覚させる媚薬効果があるのだとか。――食べる際はお気を付けくださいませ」

 

バレンタインはそう言うネタがいっぱいゴロゴロ転がってましたねー。いやー、懐かしい。

皆の妄想力には脱帽&感謝です。たくさんのいい作品に出会えました。

チョコ一つで皆すごいよね。いろんな発想があって楽しかった。平和な世の中だからこそ、妄想の翼はどこまでも広がっていったのです。

それを思えば、現状はあまりよろしくない。創作物が無くなるということはないけれど、そんなものに現を抜かして、という空気が規模を縮小させていた。

無くならない辺り人の煩悩は無くならないんだな、との証明にも思えるのだけれど、それでもこの状況はよろしくない。

世界はもっと平和になって娯楽に力を入れるべきだ。心を豊かにするべきだ。

なんて、世界平和を考えていたら手元がすべて片付いていた。

魔法かな?無意識にできちゃう深雪ちゃん素晴らしい。えらい。

エプロンを外して戻るとお兄様が頭を押さえて俯いていた。

 

「お、お兄様?!いかがなさいました?もしや体調が??」

「・・・いや、大丈夫だ」

 

大丈夫と言いながらもお兄様の表情は晴れない。

もしや今頃になって七草先輩のチョコレートがお兄様の体調を崩して――いや、もしかしたら私のチョコがその記憶を蘇らせてしまって?それはよくない。

手元を見ればまだチョコレートの入った箱が空いたままだった。

 

「お兄様、今お食べにならないのであれば冷蔵庫へしまいましょうか?一応常温でも大丈夫だと思いますが」

 

何処か見えないところへしまった方が良いのではないかと提案したのだけれど、私の差し出した手を見てお兄様は箱を閉じて両手で大事そうに包み込んだ。

 

「常温で大丈夫なら手元に置いておきたい。・・・後でいただくよ」

 

その様子に気に入っていただけたんだな、と思って頬が緩んだ。プレゼントを大事そうに持ってもらえるって嬉しいね。

 

 

――

 

 

その後、コーヒーを飲むのだけれど、今日のお供はチョコ以外、とのことだったのでプレーンのクッキーを。

 

「今年のバレンタインは、いろいろあったようですね」

「そうだな。――お前にも手を借りてしまった」

 

それはほのかちゃんへのプレゼントについてだろう。

選びに付き合いましたから。真剣に選ばせていただきました。

とはいっても贈るものは決まっていたので、どの石が純度が高いかくらいでしたけどね。

ほのかちゃんに思いを伝えられた時、お兄様ははっきりと付き合えないと断った。けれど諦めないと決めたのはほのかちゃんで、激しく拒絶しなかったのはお兄様。

今回のチョコレートも、断ることはできたのに、お兄様はほのかちゃんを悲しませない方法で、やんわりと改めて告白させない空気を作った。

プレゼントをその場で渡すことによって意識を逸らしたのだ。

想いをぶった切らなかったことは酷いことかもしれない。

はっきりと拒絶しないことで、気持ちを長引かせたり助長させたりしてしまうから。

けれどまだ高校生なのだ。甘酸っぱさも、苦い思い出も、青春の内。

いずれ過去のことと割り切るにはこのタイミングの外無い、間違いや勘違い、いい思い出で済まされる多感な時期。

たくさんいろんな経験をして、失敗をしても許される時期だ。

 

「ほのかは喜んでおりましたよ。今は、それで十分なのです。――お兄様は先が無いと思うから罪悪感を抱かれるのでしょうが、それはほのかも承知の上。・・・恋とは楽しんだ者勝ちなのです」

 

だからお兄様が気に病む必要はない。

 

「私も今日、たくさんプレゼントを贈りました。返してもらうことよりも、皆が受け取ってくれて喜んでもらえた。そこに喜びを感じるのです。皆の反応が嬉しいのです。そのあとのことよりも、その瞬間が見たくて」

 

恋だけじゃない。イベントなんてものは須らく楽しんだ者勝ちなのだ。

でも、そうか。

 

「贈る側からしたら楽しいイベントでも、受け取る側はいろいろと考えてしまうのかもしれないですね」

 

特にお兄様は真面目だから、ただ貰うということができない。今までそのような施しを受けたことが無いから余計に。

ギブアンドテイクなら知っていても、ただ受け取ってもらえればいい、なんて想いは持て余してしまうのかもしれない。

 

「そういえば、レオ達が戸惑っていたぞ。お前から貰えると思っていなかったから来月はどうしたらいいのか、と」

「友チョコはお返しはいらないと伝えたのですが。皆律儀ですね。でも返すのもイベントの楽しみの一つというのでしたら、そうですね。もらえるならクッキーでしょうか」

 

マシュマロやグミを貰ったって彼らにそんな意図が無いと思うので。だけどどうせ貰うならここは無難が一番なクッキーをお願いしましょうか。

 

「伝えとく」

その方が悩まずに済みますものね。よろしくお願いします。

 

「・・・楽しんだ者勝ち、か」

「ええ」

 

お兄様は目を閉じてソファに深く沈んだ。

最近になって、お兄様はこうして少し崩した姿も見せてくれるようになった。そのことが嬉しくて、緩む口元をコーヒーカップで隠した。

 

 

 

 

こうして一大イベントのバレンタインの夜は更けていった。

あくる日――

学校は本日起きた怪奇現象の話題でもちきりだった。

曰く、ピクシーが微笑した、と。

学園七不思議がいまだに廃れない理由はここにある。皆娯楽に飢えているのだ。

よって回るスピードがとてつもなく速かった。今朝起きた事件だというのにこの浸透率。まあ、詳しい情報なんてないけれど。

生徒会役員として呼ばれて状況を詳しく聞いたけれど、生徒会も把握できていない。教員たちが調査中とのこと。

ほのかちゃんが怖いね、と震え、中条会長がまさかまたトラブルが?と別の恐怖に震えていた。会長・・・お疲れ様です。

そしてほのかちゃん、しがみつくの待って。今うっすらとだけどぞわぞわしてるところだから。

近くにいないのだけどね、場所を確認するため感度を上げていたからうっすらとだけど気配を感じるのですよ。

活動休眠していても存在を消してはいないのか。昨日までは気配を探ろうとしても感知できなかったのだけど、今日は隠れる気が無いらしい。

詳しくはお昼に、ということでこの場は解散。授業に戻る。

リーナちゃんはお休みです。パラサイトがロボットに入ったなんて情報、知れたら大変なことになるから運がよかった・・・というより神の采配ですね。ストーリー成り立たなくなっちゃう。

でもね、私がこうして前もって感知しちゃっている時点でストーリー変わっちゃうよね。・・・どうしよう?先にお兄様に知らせた方が良いのかしら。それともチェックしてから気づいた方が?

 

(・・・ピクシーがお兄様に抱きつくところは見たいよね)

 

私はそっと感度を落とした。

 

 

――

 

 

購買でお昼を買うのは初めてでちょっぴりドキドキ。お兄様の分のホットサンドとドリンクを。

お兄様は一足先に先輩たちと打ち合わせ。恐らく話の流れ的にこの後メンテナンスルームに向かうのだろうと予測して――うん、その通りみたい。メールが来ました。

直に向かってほしいとのこと。ほのかちゃん、エリカちゃん達も行きますよー。

皆噂好きだよね。お兄様に便乗して見に行こう、なんて。ほのかちゃんは生徒会役員として、だけどね。

到着したらさっそく服部先輩が野次馬を散らしてくれました。危険が無いとは言えないからね。

お兄様にホットサンドを渡して手早く食べながら打ち合わせ。

私もこの間に食べようと袋からサンドイッチを取り出すのだけれど、ちょっと食欲が。

感度を下げようともこれだけ近づくと違和感は感じるわけで。

今こそ先生との修行の成果を!と考えなくもなかったけれど、それをするとお兄様に気付かれる可能性が高いので今回は無し。

クッションが当たってるくらいのレベルなので普段ならこれくらいたいして気にならないのだけど、相手がアレだと知っているから気分がね。

このパラサイトちゃんがいい子だって知ってるんだけど、対峙していた時のことを思い出すとまだ身が竦む。

・・・やっぱり対処ができる、できないでは心の持ちようも変わるのかな。この後どこかで訓練する時間が取れればいいのだけど。

困ったなぁ。

今朝の妙な動きの説明を受けながらお兄様は魔法のようにホットサンドが消えていく。

もう一個いります?とお茶と共に差し出せばお茶を飲んでからホットサンドが消えた。まるでシュレッダーみたいに吸い込まれていった。面白い。

そして隣でほのかちゃんが驚愕の表情。エリカちゃん達もうわぁ、って顔。

どうしてかって?お兄様がノールックだったからですね。会話の邪魔はしないしさせません。よってお礼も頭を一撫でだけ。これもノールック。

私もタイミングに合わせて頭を寄せたのもどうかと思うけどね。お兄様が撫でたそうな雰囲気だったので。

蔑ろにされてるわけじゃないよ。これが片付いたらあの時はありがとう、ってちゃんと言ってくれると思う。完全に後回しにできないからのチョイ撫でです。

これでちょっと気が楽になったので私もサンドイッチの最後のひとかけを口に入れる。何とか食べきりましたね。

 

「ピクシー、サスペンド解除」

 

お兄様の短い指示に、少女型ロボットは目を覚ます。――同時にクッションが膨らんだような圧を感じた。

魔法はまだ使ってないからかな。ひも状のアレは感じない。

ごみをまとめて片付けて、お兄様の斜め後ろに戻る。ピクシーの表情はまだ噂のように微笑んではいない。

だけど不思議と目の色が違って見えた。

ただ情報を入れようとしてカメラを動かしているのではなく、目の前の人間を、お兄様を見つめている。

その瞬間だ。ぞわり、と先ほどまでクッションだったものが糸状に解れて体をなぞるように蠢いた。

直接的な、肌に触れるような感覚ではなかったので見悶えるまではいかないが、それでも分厚い冬のコートの上から撫でられているような感覚はある。

ピクシーがお兄様を視界にとらえて、前進する。

体の動きも魔法だったのか。うねうね動くね。うねうね。

・・・無機物ならまだいいんだけど、この動きは生き物のように意思をもって動いているかのよう。

どうして私の情報の捉え方ってこうなのだろう。もしかしてだけど、前世の前情報がいらない情報処理の仕方して勝手に解釈したから今に至っていたりしない?・・・答え出ないことを考えるのはやめよう。

目の前の光景を目に焼き付けねば。

――お兄様が美少女型ロボットを抱きとめているこの素敵な光景を。

無機物ボディの宇宙生物にまで愛されちゃうお兄様すごくない?素晴らしきかなハーレム系主人公。これをどうして非難できようか。

どう考えてもお兄様巻き込まれてのことであって自発的じゃない。

なのに女っ誑しの称号を得てしまったりして睨まれたり悋気起こされたり・・・不幸体質ここに極まれり、だよね。女難の相。不憫。でもそこがいい。

 

「・・・へぇ、司波君って、ロボットにまでモテるんだ」

 

衝撃的な光景に誰もが思考停止していた中、唯一外に出ていて今ようやく現場を見た花音先輩が冷ややかな声を掛けたことで、全員が動き出す。

ほのかちゃんと美月ちゃんは静と動で混乱を現し、エリカちゃんはどうなってんの?とあんぐり。西城くんは首を傾げ、吉田くんは顔を逸らし、先輩方は何が起こったのか戸惑っていた。

 

「兄さん、大丈夫?」

「大した衝撃は無かったから問題ない。――ピクシー、離れてくれ」

 

私が騒がないだけで、こんなにスマート。

っていうか誰もお兄様を心配しないとは何事?もっと心配してくれてもいいと思うのだけど。

ほのかちゃんもようやくその可能性に気付いたみたいだけど、話はどんどん進んでいく。

そしてお兄様は私を振り返り視線を向けられた後、美月ちゃんに声を掛けた。

ピクシーを見てくれないか、と。

一瞬私を見たのは、アレを感じたかどうかだと思うけれど確認するわけにはいかないと気付いたのかな。心配させてごめんなさい。

そしてピクシーの中の正体が明らかになる。その――目的も。

美月ちゃんの目ってどうなってるんだろうね。ほのかちゃんとパターンが似てるって、どういう風に見えてるんだろう?

おかげでほのかちゃんの望みがここにいる皆に公開されています。これぞ正に公開処刑。かわいそうすぎる。

止めてあげたいけれど、早いところ原因究明しなければならないのでね。

ほら、暴れない暴れない。エリカちゃんと二人がかりだけれど、抵抗する人間抑えるのって大変ね。とりあえず締め技で押さえればいいかな?

 

「・・・深雪、容赦なさすぎ」

「暴れたら怪我しちゃうかもしれないじゃない」

「・・・だからってオトすのはどうかと思うわよ」

 

早くオチた方が幸せだと思うのだけど。

五十里先輩たち話に普通に参加しているけど、百家にはパラサイトの情報回ってるのね。流石に一般に回ってはいないけれど、服部先輩は有志で活動に参加しているのかな。

七草先輩や十文字先輩も動いてるから不思議はない。

でもパラサイトに届いた祈りがほのかちゃんの想いだったことで事態は大きく進展する。

ほのかちゃんの願い、祈りはお兄様のものになりたいという欲求だったから。

好きな人に尽くしたい、なんて。なかなかそこまで想う人は珍しいけれど、そこは彼女の生まれも関係する。エレメンツ――遺伝する、依存性質。

ご都合主義ィ!とか言っちゃいけない。このおかげで色々助かることがあるのだから。

物語を抜きにしても、厄介な性質だと思うけどね。

だけど反面、こうも思う。パラサイトは宿主の思念、祈りによって人格が変わる。

憎しみの念には憎しみを、救いを求める声にはその者にとっての救いを。それは彼らの意思に関係なく写し取ってしまう心。

その祈りが誰かを想う心だったから、ピクシーは人に討伐されることもなく寄生に成功している。

同じ仲間たちからは捕らわれているように思えてしまったみたいだけれど、彼女――少女型ロボットに寄生してしまったのだからそう呼ぶけれど――は自らの意思として、願いを叶えようとする言動が見られるようになる。

すぐにでも小さな願いを叶えられる彼女は、苦しみをトレースして願いを叶えようとする彼らよりも幸せなのではないかと、勝手ながら思ってしまうわけで。

 

(憎しみの心ばかり抱くことになってしまったパラサイトは、大抵負の感情に振り回されて封印されたり悪い人たちに悪用されたりした歴史があるのだろうな)

 

何かの拍子で地球に来た彼らを、人はその時々で彼らを悪魔と呼んだり、神と呼んだりするのだろう。

利用するだけ利用して、都合が悪くなると処分やら封印やらして存在を無くしていく。――そんなに度々地球に来てはいないだろうけどね。

パラサイトという存在に同情はするけれども、

 

(だからって、お兄様に微笑みかけたいからって魔法使うのはチョッと控えてくれないかなぁ!)

 

もぞもぞ動かれるのは大変気が散ります。もうシャットアウトしようかな。

 

「では、俺の命令に従え。今後、俺の許可なくサイキックを行使することを禁止する。表情を変えているのも念動の一種だろう?それも禁止だ」

 

お兄様~!ありがとう!助かりました。おかげでもにょもにょがクッションに戻った。クッションならそれほど怖くない。変に動かないからね。やっぱり動くのが怖いんだね。存在はちょっと慣れてきた。

お兄様に尽くそうとするピクシーちゃん可愛いね。

仲間になると思うとすぐに手のひらを返せる私です。

敵だった人が仲間に加わる展開好きだよ。戦隊モノのブラックって嫌いな人少ないんじゃない?

ピクシーはあんな孤高のタイプじゃないけど、感覚的に昨日の敵は今日の友ってヤツです。これからよろしくね!

 

 

――

 

 

「ロボットにパラサイトが取り憑くなど、思いもよりませんでした」

「ヒューマノイドタイプだから、なんだろうな。とんだ付喪神だ」

 

おお。お兄様から付喪神なんて言葉が出るなんて。

お兄様としても今回の出来事は予想外だったのだろう。眉間に皺が。そろそろ癖がついちゃいそうですよ。伸ばしましょうね、とそこを撫でるとアイロンのように伸びていく。

よかった。痕は付いてない。

今日はお稽古の日。ということでお兄様が購入なさった自動運転車で移動中。高級車ですよ。黒塗りの。良家の子女も大変ですね。習い事一つでも体裁を整えなければならないなんて。

この度におしゃれな恰好をしなければならないというのも一苦労。・・・何せ毎回お兄様のお言葉がかけられますからね。

服を着ること自体はそこまで大変でもない。慣れです慣れ。一人ででもそれなりに着飾れます。

でもね、お兄様の言葉に耐性なんて付かない。いつまで経っても慣れないのですよ。そろそろ手抜きをしてくれてもいいんですけどね。

着飾った装いの私に対し、お兄様は暗色のジャケットを羽織っていて、年相応、高校生には見えない恰好だ。

十文字先輩程ではないけどお兄様も落ち着いているからスーツを着せられているのではなく着こなしている。つまりカッコいい。

・・・これで一人カフェのテラス席で新聞片手にコーヒーでも傾けられたら、私は延々とお兄様を眺め続けるだろう。ハマり過ぎである。想像だけでご飯がおいしい。

そんなことを考えていたからだろうか、お兄様の問いかけに反応が遅れた。

 

「我慢していたんだろう?」

「え、」

「ピクシーの中の存在に」

「申し訳ございません・・・。はい、気づいておりました」

 

お兄様はいつから、とは問わなかった。

 

「お前のことだ、どこまで大丈夫か試したかったか」

「いえ!そんなことは」

 

流石に皆のいる前でそこまでの危険は冒せない。

かといってお兄様がピクシーに抱きつかれるシーンが見たくて、なんて答えられるはずもないのではぐらかす一択で。

 

「・・・お兄様は、どうなさるおつもりですか?」

「どう、とは、ピクシーをどう扱うかということかい?」

 

お兄様は何とも言えない表情で返した。

 

「家に連れて帰るわけにも行かないからな。適当な口実を作って、学校で情報を聞き出すことになるか」

「やはり、家には連れて帰らないのですね」

「それはそうだ。パラサイトが嘘をつかないという根拠も保証もない」

 

まあ、私の害になるかもしれない可能性のあるものを、しかもまだお兄様が対処しきれないかもしれないモノをテリトリーに連れ込むわけがない。

それは、わかるのだけれど。

 

「・・・お兄様、お願いがあります」

「聞くのが怖いな」

 

お兄様はすでに予想されているのだろう。けれど私も引くわけにはいかない。今後のことを考えれば避けては通れないから。

 

「パラサイトに対しての、訓練をさせてください。先生と対策は考えました。通用するか、確認したいのです」

「・・・それは俺が撃退する術を身に着けてからではだめなのかい?」

「ほのかの思念に感応した、とピクシーは言いました。どこまでその言葉を信じていいかは未知ですが、それでもあの時お兄様の言葉に従順に従い、尚且つ嬉しそうにしていました。・・・もしその、おかしな状況になったとしても感覚をシャットアウトすれば感じ取ることはありません。――お兄様のおっしゃることはもっともです。お兄様が術を身に付けてからの方が安全だとも承知していますが、・・・そう待っていられる状況でもないと思うのです」

「・・・深雪の勘か」

 

勘、というより原作知識です、とは言えない。

俯いていると、お兄様が私の手を取った。

爪の先まで手入れをした手がお兄様の手に包まれる。

 

「わかった。早いうちにセッティングしよう」

「ありがとうございます」

 

お兄様にとってこの決断は苦渋を伴うものだったのだろう。また眉間に皺が戻ってしまった。

申し訳ない。

あ、そうだ。

私はハンドバッグから一枚のハンカチを取り出した。

 

「お兄様、ちょっとこちらを向いてくださいませんか」

 

素早くハンカチの形を整えて、こちらに向き直ってくれるお兄様の胸に差し込む。

最後にちょん、と摘まんでふんわりさせて。うん、これなら格式高いスーツが一転、カジュアルなパーティー風になるね。ポケットチーフも使い方ひとつで印象が変わった。

 

「これは?」

「先日のハンカチと同じ素材の柄違いです。こちらは光沢もあってシルクに見えますでしょう?これなら畏まった席でもちょっとしたパーティーでもおかしなモノには見えませんから」

 

胸が撃たれるようなへまをお兄様がするとは思えませんけれど、お守りです。

これから大変でしょうけれど、一つでも怪我が少なく帰ってきますように。

 

「ポケットチーフ一つでだいぶ印象も変わりますね」

「俺にはまだ早い着こなしだな」

「そんなこと御座いませんよ。素敵です」

 

確かにただの高校生では浮いてしまうかもしれないけれど、落ち着いた印象のお兄様なら、ちょっとした粋に見えなくもない。・・・老けているのではないですよ。大人びているからそう見えるのです。

到着した場所のエントランスまでエスコートしてもらって、ここでお別れ。

いくら護衛といっても、ここは男子禁制。その分厳重に警備体制が敷かれている。

たった二時間しかない中で、お兄様はスターズのトップと使い捨てと言ってもそれなりの実力者数名とやり合うことになっている。・・・ちょっとくらい遅刻してもいいですよ。お兄様の体が傷つかない方が私には重要です、なんてこの段階で言えないですしね。

 

「いつも通り、時間になったら迎えに来るから」

「はい、お迎えお待ちしております」

 

見送るお兄様の視線を感じながら案内に従って付いていく。お兄様がそちらで戦うなら、私はここで戦ってみせよう。

この先に続く、お兄様の幸せへの道を作るために。

 

 





妹 の 司波深雪度 が 2 上がった
依存度 が 3 上がった


兄 の お兄様度 が 5 下がった
依存度 が 7 上がった

一定 の 数値 の 上限 を 超えたため 
称号 が ランクアップ できます
ランクアップ しますか?
 →YES
  NO

 →NO が 選択 されました
シスコンお兄様 の称号 は 継続 と なります


□□□□□□□ の 条件を 満たしていません
■■■■■■ が 回避 されました



――

なんて、ちょっとゲームチックにステータス追加を。空白は皆さまの想像にお任せします。
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