凪の気分を ~先輩の妹が何だかしつこい上に周りの女子もおかしくなってきたような~ 作:冴木甲士
聞き間違い、というわけではなさそうだった。
葵は、確かに俺へ問い掛けた。
本物の彼氏になる気はないか、と。
さすがに、動揺した。
建物の屋上にある外の厳しい寒さが全くの些細なことに思えた。
周りに俺らを冷やかす野次馬がいたとしても、どうでもいいと感じた。
今まで葵は俺に対し幾度となく「偽の彼氏を演じてほしい」ということを頼んできた。
理由はもちろん男避け一択であり、必要がなくなれば即座に捨てられる立場ということだ。
しかし、今の葵が言ってるのは、偽物ではなく本物。
好きな相手じゃなければ、出てくるはずのない提案だった。
俺にとっては、意外の一言でしかなかった。
恋愛というものが一体どういう感情でどんな心理を催すものなのか創作の世界での聞きかじりしか知識を得ておらず、ましてや経験などしていない。
そんな俺からしたら、異性への恋愛感情などは見た目や雰囲気といった「容姿」が一番大事になると認識していた。
現実の世間において、異性として興味を持たれるには見た目や雰囲気が前提になることはどうあっても覆しようのない事実だと思う。
そこに性格や能力といった内面的な要素も絡んでくるのもまた当然だが、それは人物としての興味を持つ際に重要になってくるものであり、異性とはまた違う側面があるように思う。
少なくとも芸能界でブレイクしているアイドルを見渡せば、見た目や雰囲気がいかに重要かは簡単に察せられるであろう。
架空の恋愛作品でさえ異性に惚れる要素として容姿は必ずといっていいぐらいに出てくる。
それへの反論のように主人公やそれに近しい人物が相手を容姿でなく中身、すなわち性格や親交をもって好きになるという展開も主流の一つとしてはあるが、そんな場合でも美男子や美少女とされるキャラクターが周囲の異性にモテる描写がそれなりに多く見られる。
要は、見た目なのだ。
その上で相手が好むような雰囲気を醸し出さなければ、異性から恋愛感情を持たれることなんてない。
そう、思っていた。
だから、葵の告白が意外でしかなかった。
葵が俺に抱く感情といえば御自慢の容姿をもって俺を利用してやろうぐらいのものかと思っていた。
どんなに親しい感情を持っていても、友情の類かと思っていた。
しかし、こうして告白された以上、返事をしなければならない。
告白にどう答えるかは、された瞬間に決まっていた。
「……悪い。偽物でも、本物でも、お前の彼氏になる気は、ない」
葵の告白を、俺は断った。
「……そうですかー」
瞬間、葵の表情から、熱が急速に失われたように見えた。
「……」
俺はこの後の言葉を紡げなかった。
何と言っていいのか、わからなかった。
葵から何を言われようとも、仕方ない気分になっていた。
「先輩の気持ちは、わかりました。でも、人の気持ちって、いつか変わるかもしれないですよね」
葵が何やら奇妙なことを言う。
「ん……俺にはよくわからんが」
「もし先輩が本物の彼氏になりたくなったら、今度は先輩から頼んでくださいね。私が同じことを聞くのはもう二度とないので」
葵はふい、と後ろを向いた。
「……今日はもう疲れました。帰りますね」
「……そうか」
「あ、同伴は結構です。まだ明るいし、一人で帰ります」
葵は俺の方を振り返らず、早足で屋上の出口まで向かった。
俺はそんな葵の近くにいるのもためらわれ、しばらくその場に立ち止まり、葵の去った方角にある空を眺めていた。
空には薄い雲が所々にたなびいていて、冷たく澄んだ青を少し白く濁らせていた。