馬房で過ごしながら、あくせく働く人間達を眺める。
「おーい、誰かこっち手伝ってくれー!」
「分かった、すぐに向かう!」
今日も頑張って働いてることで。
働いている姿が別段面白いわけじゃない。本命は別にある。もうそろそろかな……?
「も、もってきま……わぁっ!?」
「バッ!お前何やってんだ!」
眺めていると、1人のお世話係が派手に転んだ。しかも、水の入ったバケツをぶちまけて。加えて、何もないところでだ。
「ラファエル!気をつけろといつも言ってるだろ!?」
「すす、すみませんすみません!すぐに汲み直してきます!」
先輩であろう人間に怒鳴られてすぐさま逃げていく人間。アイツも懲りないヤツだ。
俺が見ていたのはあのラファエルという男だ。気の弱そうな、なよなよしている人間。別に見ててイラつくとか、怒られて笑えるから観察しているとかそういうわけじゃないんだが……。
(なんでアイツ、毎回何でもないところで転ぶんだ?)
今の水ぶちまけの件もそうだが、アイツはなんというかそそっかしい。本人に悪気は一切ないし、なんなら誰よりも真面目に仕事に打ち込んでいるから好感は持てる方だろう。
ただ、仕事を真面目にこなす一方でアイツは
(本当に不思議でならん……。最早呪いか何かだろ)
そうこうしている間に水を汲み直して戻ってきている。ペコペコと頭を下げて謝っていた。凄く申し訳ないという気持ちが伝わってくる。怒っている先輩もいつものこと過ぎるのか、最早怒るのもバカバカしくなっている感じだ。
(さすがの俺でも悪いヤツじゃないのは分かるんだが……なんていうか、気が削がれるな)
相手にしたくないな。まぁ俺の担当になることはないだろう。どうもまだまだ駆け出しっぽいし。
そんなラファエルだが、よく転んでどんくさいことから嘲笑の対象になっている。
「また転んでるぜ?ラファエルのヤツ」
「いっつも何もないところで転ぶよな~」
「もはや才能じゃね?転ぶ才能!」
……聞いてて気分の良いもんじゃねぇな。ほっとこ。俺には関係ねぇし。ちなみに、ラファエルの野郎はその後も何度か転んでいた……本当になんでだ?
その後はいつものように調教が始まったが、今日はトレバーのヤツは来ない。ということは、だ。
「ギャアアァァァ!?」
「エリュシオンがまた振り落としたぞー!」
俺に乗れるヤツはいない。好き放題できるってことだ。鞭で叩かれてイライラしてたんだ、とっとと下りろ!
落とされた人間は俺を睨みつけている。俺は意に介さない。
(別にコイツらに恨みがあるわけじゃねぇ。でも、コイツらもその内俺を虐げるに決まってる)
なんせ俺は見た目が悪いらしいからな。陰口だって聞こえたし、いつの日か俺に暴力を振るう日だって来るだろう。そうなる前に、恐怖を植え付けてやる。
「クソ……」
「ベテランの人でもダメなのかよ……」
俺を恐れていれば、何かしようとは思わないはずだ。そうなりゃこっちの勝ち、なんの心配もない。
不幸中の幸いだったのは、アーウェンや成金豚のようにやり返してこないことだ。飯抜きとかにされたらさすがに自重しなきゃならないが、その気配はない。
(随分と好都合じゃねぇか)
やられる前にやってやる。人間なんて、信用できるか。
◇
俺には今、頭を悩ませていることがある。
「どうしたものかな……」
思わず溜息を吐いてしまうけど、状況が好転するわけじゃない。分かってはいるが、それでも吐きたくなるんだよねぇ。
ありがたいことに、今年もたくさんの馬を預からせてもらっている。大人しい子もいれば気が強い子もおり、ちょっとした微笑ましさを感じながら一頭一頭大事に育てる……んだけど。
「彼もダメ、彼女も……ダメだったな。う~ん」
俺の悩みの種は、一頭の馬にあった。
名前はエリュシオン。旧友であり親友のウィリアムがアメリカで競り落とした、黒鹿毛の馬だ。見てくれはちょっとアレだけど、成長すれば立派な馬になる。不思議とそんな確信があった。
さて、そんなエリュシオンだけど……これがまぁとんでもない気性をしているんだ。今年入厩してきた馬どころか、俺が面倒を見てきた馬の中でもトップレベルに荒い気性をしている。というか、間違いなく一番上だ。
(蹴る・噛むは当たり前。油断している厩務員にタックルを仕掛ける、調教中の人間を振り落とす……気性が悪いのは最初から知っていたけど、いざ自分で世話をすると凄いな)
人間を殺しにかかっている。エリュシオンが人間を見る時の目は憎悪に満ちており、常に殺意を放っている。それほどまでに憎いのだろう、人間が。初めて彼を見た時からそうだったな。
「オズワルドのバカはどんな世話をしていたんだ……絶対彼の仕業だろう……」
エリュシオンが生まれた牧場の長であるオズワルドに対して思わず悪態をつく。一応、酷い扱いを受けていたとは聞いていたが、よくここまでの気性難に育て上げたものだよ。一周回って尊敬する。
「先代から世話になっていたから取引は継続しているけど、あの調子だとなぁ……」
どうして人格者の先代からあんなのが生まれたのか……おっと、これはどうでもいいことか。
エリュシオンと同時期に入厩した馬達にはすでに担当の厩務員がついている。主だって世話をする人が必ずついているんだ。だけどエリュシオンには
「これでもう何人目だろうか?まだついたことのない職員も首を横に振るし」
気性が悪すぎて誰も担当したがらない、というわけだ。
気性難でも許せるレベルがある。ちょっと言うことを聞かないとか、ワガママすぎるってだけならまだ許せただろう。まだかわいい方だ。
けれどエリュシオンの場合は、比喩でも何でもなく命がけだ。自分の命がかかっている。
「わ、私は絶対に嫌です!担当したくありません!」
「俺だってまだ命は惜しいんですよ……!頼みますから、他の馬にしてください!」
ガタガタと震えて、そう懇願する人が後を絶たない。病院送りにされた厩務員もいるし、怖がって当然だろう。
「仮で担当してもらった人達も絶対にゴメンだ!って断られたからなぁ……本当にどうしようか?」
餌あげの最中にも噛んでくる、馬具の装着をしていたら引きずり回される、調教で鞭を使ったら振り落とされる。うん、誰も担当したがらないのも当然だ。
「悩み事ですか?イアンさん」
1人悩んでいると、休憩中の1人が話しかけてきた。俺を心配している表情をしており、悩んでいる姿を見て思わず声をかけたのだろう。
「あー……ちょっとね。エリュシオンのことで」
「お、俺は絶対に嫌ですからね!?」
エリュシオンのことを話題に出すだけでそこまで拒否反応を示さなくても。けれど、それだけ嫌なんだろうな、エリュシオンを主だって担当することが。
「そうは言うけどね。でも、このまま担当厩務員がつかないままっていうのもよろしくない」
「とはいってもですよ?アイツの気性じゃあ誰も世話なんてしたがらないでしょう」
だから問題なんだよ。誰が良い人材はいないだろうか……と、考えた時に、ふと頭に浮かんだ。
「……そうだ。ねぇ、
「え?ラファエル・ガーランドのことですか?確か……3年目、とかだったはずです」
3年目、か。なら丁度いいか。
俺の考えが分かったのか、話しかけてきた厩務員は青ざめた顔をする。
「ままま、まさか!?ラファエルをアイツの担当にするつもりですか!?」
「そうするつもりだよ。誰もやりたがらないし、ラファにも良い経験になるだろう」
「いやいやいや!それはさすがに「失礼しま~って、うわぁ!?」まず、い……」
話している最中に誰かが部屋に入ってくる。ただ、入ってきたのと同時に転んだ。鈍い音が聞こえる。それにしても何もないところで転ぶなんて……いつも通りではあるけど、そそっかしい。
入ってきたのは年若い厩務員。頼りなさそうな、柔らかい雰囲気の青年だ。涙目で顔を手で押さえている。
「そ、その……自分の名前が聞こえてきたような気がしたのですが。な、なにかご用でしょうか?」
「うん、ラファ。君に重要な仕事を与えようと思ってね」
「じ、重要な仕事……!ま、任せてください!僕、頑張ります!」
気合が入ってるね。良いことだ。そんな彼に俺は、ポンと肩に手を置く。
「明日から君がエリュシオンの担当厩務員ね」
「……へ?」
「誰もやりたがらなくて困ってたんだ。でも、やる気はあるみたいだからお願いするよ」
伝えるべきことは伝えて……ないな。肝心なことを忘れていた。
「そうそう。この後仕事とか色々教えるから。頑張って覚えるんだよ」
仕事もちゃんと教えないと。担当を持つのは初めてだから、しっかりしないとね。
ラファはというと……凄い慌てていた。
「ままま、待ってください!?まさか、
「この厩舎にエリュシオンは一頭しかいないだろう?」
「えええぇぇぇッッ!?」
今更悲鳴を上げてるけど決定は取り下げない。彼には頑張ってもらおう、うん。後エリュシオンと相性良さそうな気がするし。
◇
馬房から顔を覗かせる。もうそろそろお世話係が来る時間だ。
(さぁて、今日は誰になるのかね?)
ここに勤務している人間が何人かは知らないが、俺のことなんてとっくに知れ渡っているはずだ。人間共の会話からも分かっている。俺は敬遠されていると。
その中で選ばれた生贄は、果たして誰になるのか……なんて思っていると。
「おお、おはよう。エリュシオン」
『……はっ?』
目の前に現れたのはラファエル。どんくさくて嘲笑の対象になっていた男が、俺の前に立っていた。いや、なんで俺の前にいるんだよ?思わず声出ちまったじゃねぇか。人間には馬が鳴いているようにしか聞こえないけど。
相変わらずオドオドしていて、滅茶苦茶震えあがっている。なにしに来たんだよお前。とりあえず馬房の扉を軽く蹴る。
「ヒッ!?」
そしたら大袈裟に飛びのきやがった。……え?驚きすぎだろ。ちょっと小突いただけじゃねぇか。
「こらこらエリュシオン。あまりラファを困らせないでくれ」
戸惑う俺のところに、イアンがやってきた。そうは言うけどな、さすがにこれはビビり過ぎだろ。
イアンはというと、軽い調子だ。そして、ニコニコ笑顔で。
「エリュシオン。今日から君の担当になるラファエル・ガーランド君だよ。よろしくしてあげてね」
「よよよ、よろしく!」
『……はっ?』
とんでもねぇことを告げやがった。
エリュシオンにとって苦手?な相手が担当厩務員に。果たして?