こんばんは!
「…………」
とある日。
「…………」
早朝。
「…………」
山口太介宅、寝室にて。
「…………太介くんの匂いだ」
伊地知虹夏は、眠る山口太介に抱きついていた。
▽
伊地知虹夏は鬱憤が溜まっていた。
山口太介が廣井きくりや後藤ひとり等色んな女性と仲良さそうにしているのも、田城とかいう女の影がチラついているのも、鬱憤の原因となっているのは間違いないが、なにより一時の衝動で山口太介を怪我させてしまったのが大きい。
ああするべきではなかった。
伊地知虹夏は、今になってしっかりと後悔していた。
山口太介の世話を出来るのは喜ばしいことだが、愛する人が痛みに苦しんでいるという状況は最悪でしかない。
なにより、本人が辛くなさそうに振る舞っていることが、伊地知虹夏を殊更に苦しめた。
山口太介への絶え間なき罪悪感は強いストレスとなり、どこにも吐き出せずに胸の中に沸々と溜まって──そんな感じ。
だから、発散しに来た。
普段よりも1時間早い到着は、眠る山口太介を眺める時間を確保する為。合鍵でドアを開け、玄関で靴を脱いで洗面所で手を洗い、そのまま寝室へ直行。仰向けで死んだように熟睡している山口太介の寝顔を眺めたり写真に納めたりと、伊地知虹夏なりにストレスを発散させていた。
「…………」
満たされ始める欲求。しかし尽きることはなく。
視覚で楽しめば、次は触覚と嗅覚に移っていた。
つまりは接触。寝ている山口太介の頬を撫で、頭を撫でる。身じろぎ一つしない山口太介の姿を見て、嫌がっていないのだと錯覚してしまう。その錯覚は伊地知虹夏の大胆さを加速させた。
指で
指で唇を動かす。合わせてプルプルと揺れる彼の唇に、思わず生唾を飲み込んだ。
「……全然起きないね。当たり前だけど」
噴き出したように、短く笑う。それから伊地知虹夏はベッドに手を掛けた。当然のように、躊躇いも何もなく山口太介の胴体を跨いだ。
「…………」
ベッドの上に立ち、山口太介を見下ろす。ベッドの上、体重で沈んでいる足の裏辺り。窪みに引っ張られて山口太介の寝相も僅かに動くが、やはり起きない。そのことに安心した伊地知虹夏は、山口太介の身体に掛けられていた布団を器用に剥ぎ取った。
パジャマ姿に包まれた彼の身体が露わになる。布団の温もりを失ったというのに、未だ気を付けの姿勢で眠り続けている。
暑過ぎず寒過ぎない5月の気温が幸いしたのか、布団の中と室温に然程変化は無く、温度差で驚いて起きてしまうというミスもなかった。
「…………」
膝を曲げて、山口太介の腰を脚で挟むように膝をついた。
山口太介に跨っている姿勢。
空いた両手を山口太介の細い腰に当て、それから流れるように薄い腹に這わせる。
彼の眠りは深い。
伊地知虹夏の上体が前に傾く。腹に這わせていた両手が胸に移動。やがて肩に移動し終えた頃には、伊地知虹夏の胸と山口太介の胸がピッタリとくっついていた。
どちらのものか分からない鼓動が胸を打つ。
眠っている山口太介の高い体温が伊地知虹夏へと移る。
山口太介の寝顔が、目の前にある。
「…………」
ご馳走を前にした時のように、今一度生唾を飲み込む。肩に添えていた両手を、山口太介の両耳へと、塞ぐように当てる。言わずもがな、万が一にも山口太介を起こしてしまいかねないリスクを排除する為だ。
「…………私だけを見てよ」
眼前で呟く。
眠りが深いので──そして、耳を塞いでいるので、反応は無い。
睡眠時の控えめな脈拍と、それに伴う深くゆったりとした呼吸。
両手を耳から離し、山口太介の首筋に顔を埋める。その匂いを鼻から存分に吸い込み、身体を押し付けるように抱き締める。
それからもう一度耳を塞ぐ。
「…………私以外見ないでよ」
反応は無い。
何度も何度も、鼻から匂いを吸い込む。何年も前から
「…………」
止まらない。止められない。
山口太介の首筋に唇を触れさせる。
良い気分だ。
山口太介の胸に顔を擦り付ける。
良い気分だ。
山口太介の両手と手を繋ぐ。
良い気分だ。
「…………ふぅ」
しかし、足りない。
伊地知虹夏の
自分がキスやハグなどの行為に慣れ始めてしまったのか、それともストレスの多さゆえにそもそもの
「…………」
山口太介の顔の横、挟むように両手を立てる。流れたサイドテールが彼の頬をくすぐるが、やはり起きない。今だって半ば上からのしかかっているような体勢なのに、声を上げるどころか身じろぎ一つしない。
じゃあなにやったって大丈夫だ。
伊地知虹夏の
「はぁっ……んむ」
山口太介の唇に対して、斜めの角度で唇を触れさせる。それによってより密接した唇同士。毎朝普段の触れ合うような優しいキスではなく、長く絡み求め合うことを前提としたキスを、伊地知虹夏はした。
何をやっても起きないのを良いことに、伊地知虹夏が未だ閉じている山口太介の唇に舌を
抑え切れない衝動に、山口太介の手を強く握る。眠っている山口太介が握り返してくることは決してない。
「ふぅー……! ふぅー……!」
舌で舌を撫でる。
舌と舌を絡ませる。
舌を舌で舐め取る。
ドラマや映画で観たラブシーンをそのままに、山口太介の舌を追い立てる。
歯を、内頬を、上顎を、歯茎を。
口腔内を隈無く舐め回し、自らの愛情深さを証明するように深く──深く口付けを交わす。
口腔内で力無く垂れている山口太介の舌に「私が太介くんに乱暴しちゃってるみたい」と妙な
キス。
キス。
キス。
深く、絡まり、
息を荒げ、覆い被さり、組み伏せ、一方的に押し付けるキス。
握る手の力が強くなる。
好き。
大好き。
しかし唇を繋げたまま発せられた声は、本人さえも聞き取れないくぐもった音に変えられてしまう。
でもそれで良いのだ。
だって
山口太介は目を開けない。開ける気配もない。これだけのことをされても未だ身じろぎ一つしない想い人に、なんて隙だらけなんだと、いっそ情けなさすら感じてしまう。
しかしこの場では、その情けなさすら伊地知虹夏を疼かせる凶器たり得てしまう。
恋は盲目──いや、今の伊地知虹夏には山口太介の
「……ぷはっ」
唇を離す。糸を引く唾液が残像のように伊地知虹夏の唇を追い、やがて切れた。
山口太介の両耳を塞ぐ。しっかりと、何があっても聞こえないように手のひらを押し当てる。
それから。
「好きぃ……! 太介くん……! 私と一緒にいてぇ……! 大好きぃ……!」
息も絶え絶えに、伝える。決して伝わらない言葉を、伝える気もない言葉を、それでも伊地知虹夏は本心から伝える。朱に染まった頬から熱を逃すように、山口太介の胸板に頬を擦り付けて匂いを嗅ぎ、山口太介の股の辺りに腰を押し付けるように──
「……なにしてるの」
▽
「リョウお願いっ! このことは誰にも言わないでっ!」
食卓テーブルを挟んで、椅子に座り向かい合わせ。正面に座って気まずそうに目を逸らす山田リョウに向かって、伊地知虹夏は顔の前で手を合わせた。
午前6時30分を過ぎた辺りのことである。
「…………」
「りょ、リョウ……?」
手を合わせて、目を瞑り。相手からのリアクションを待っていた伊地知虹夏は、しかし一向に返ってこない言葉に訝しむ。遂には細目を開けてその名を呼んだ。
呼ばれた山田リョウは、気まずさを全面出して渋々返答。
「……その前に、一つ聞かせてほしい」
「なに?」
「……
山田リョウが一体いつから伊地知虹夏の行為を見ていたのかは定かではないが、表情を見るに決定的な所は余さず見られてしまっていたに違いない。
伊地知虹夏は後頭部に手を当てて、照れ笑いながら返す。
「いや、今日みたいなのは初めてだから! 最近イライラしちゃってて、つい出来心と言いますか……」
両手の人差し指の先をくっつけ合い、顔色を窺うように言った伊地知虹夏。それまで話しかけないでくれと言わんばかりに半身で目を逸らして椅子に座っていた山田リョウも、ようやく身体を伊地知虹夏の方へと向かせた。
温度の低い瞳が伊地知虹夏を映す。
「
「うっ……」
「答えて」
「……た、太介くんの寝顔を写真撮ったり、キスしたり布団に入って隣に寝転がってみたり、片手借りて頭撫でてもらったり」
「常習性、アリと……」
「もう! なに書いてるのっ!」
つっこまれ、どこからか取り出したバインダーをどこかへとしまった山田リョウ。小ボケはいいか、そう自答してから伊地知虹夏を睨んだ。
「虹夏、これって犯罪だよね。眠っている幼馴染に同意無く不貞を働いて、あろうことか目撃者には他言無用をお願いする? 結束バンドのリーダーであり、なにより私の幼馴染である虹夏がまさかこんな」
「
「──だから気に入った」
伊地知虹夏のキラーワードに顔の彫りを深める山田リョウ。思わず現在地がM県S市杜王町なのではないかと錯覚したが、なんてことない下北沢だった。
▽
「前から不思議だった」
「なにが?」
「太介のタオルとかダウンジャケットとか盗んでる虹夏が、その程度で済んでいるのかって」
「ひ、人聞きが悪いよ! あれは借りてるだけ! ちゃんと使ったら返してるから!」
「なにに使ってるの?」
「…………」
「聞かないでおく」
「ありがとう」
途端に生まれた不自然な沈黙に、慌てて空気を読んだ山田リョウ。自分がこんな常識人ムーブを強いられるなんてと内心悔やみながらも、胃の痛みを抑える為に話を変えた。
「なんで寝てる太介にキスとかベロチューとかできるのに、告白だけ出来ないの?」
テーブルに頬杖をついて睨みを効かせれば、伊地知虹夏「べ、ベロチュー……」と単語の生々しさに引きながら縮こまる。言葉だけでなく行動に移している奴がなにを、と山田リョウは思ったが、言わぬが花だと口を閉じておいた。
それから伊地知虹夏は、申し訳なさそうに視線を外してモゴモゴとし始めた。
「い、いやぁ……」
「すれば良いじゃん、告白。太介って馬鹿だからはっきり言わないと伝わらないと思う」
「それはそうなんだけど……そうなんだけどぉ……」
山田リョウの直球な質問にはっきりとした返答をしない伊地知虹夏。煮え切らない態度に業を煮やしたのか、テーブルをトントンと指で叩きながら言った。
「虹夏、これは由々しき問題。虹夏の所為で、私は二人の友達を同時に失いかけている」
「リョウ……」
「私は、
普段あまり口に出すことのない山田リョウの本心に、伊地知虹夏の口元が緩む。
「でも」
山田リョウが釘を刺すように言った繋ぎの一言が、弛緩しかけた空気を再び張り詰めらせた。
「虹夏が今日みたいな事をしでかすなら、私は太介を守ってあげないといけなくなる。つまり1:1:1だった私達の関係性が、2:1になるということ」
「……ごめん」
「もう一度聞く。なんで告白しないの?」
「…………」
「虹夏」
詰めるように名前を呼べば、伊地知虹夏は肩を跳ねさせた。それから、懺悔室に入った信者のように、ポツポツと理由を語り始めた。
「……もしフラれちゃったら、今までみたいな関係が壊れちゃうから」
「…………」
「私は太介くんのことが好きだし、絶対一生一緒にいたいって思う」
「お、おう……」
「でも、太介くんが同じように私を好きかどうかなんて分からないでしょ? だから怖いの」
「……断られて、一緒にいられなくなるのが怖いと」
苦しみながら告白する伊地知虹夏。その姿に同情した山田リョウは、引き継ぐ形で続きを発言した。
伊地知虹夏の懸念は、色恋に直面した中高生の悩みの代名詞とも言えるものである。山田リョウにも聞き馴染みがあるし、なにより理解が出来る。
「え?」
しかし今発言したばかりの言葉にNOをつきつけるかのように返された一文字に、山田リョウは背中に冷たいものが伝うのを感じた。
「え? ってなに」
「私が言いたいのはそうじゃなくて、太介くんにフラれたら
「…………」
「だから、なるべくライバルを排除して太介くんが私に好意を抱くように仕向けたいんだよね」
「…………」
コイツヤベー。
山田リョウは出かかった言葉を寸での所で止め、口内でモゴモゴと押し殺した。飲み込むことは出来そうにない。
「虹夏、ヤバすぎ」
というか押し殺すこともできなかった。山田リョウは心底引いた目で伊地知虹夏の姿を見定めた。
「や、ヤバくないよ! 恋する女の子ってみんなこうなんでしょ?」
「そんなわけない。誰からの入れ知恵?」
「この前お姉ちゃんにそれとなく相談した時は『しゃらくせーなオイ。欲しいもんは自分で掴み取るんだよ』って言われたし……」
「店長……」
恐らく伊地知星歌もここまでしろとは言っていないと思うが、それはそれとして伊地知虹夏にきっかけを与えてしまった罪は重い。山田リョウは虚空にピントを合わせ、
時刻は午前6時50分。
そろそろ起こす時間。
キッチンで朝食の仕上げをしていた伊地知虹夏にそう促された山田リョウは、てくてくと寝室に足を運んでいた。
「…………」
ベッドの側に立ち、ぼぅ、と冷めた瞳で山口太介を見下ろす。渦中でありながら他人事のようにすやすやと眠る山口太介の寝顔に、なんだかイラッとした。
「…………もし、さっき私が声をかけなかったら」
山口太介の知らぬ間に全てが終わってしまっていたのだろう。
「…………そうなったら、太介はきっと幸せにはなれない」
区切る。
「…………そして。そうなったら結束バンドは、多分終わる」
自分で言って、酷く口内が乾いた。
喉が嚥下の動きだけをして──つまりは息を呑んだ。
「…………」
伊地知虹夏が山口太介に対して並ならぬ執着を見せ始めたきっかけは、中学時代にまで遡る。
中学時代に山口太介が
「元を辿れば太介にもそれなりの責任があるとはいえ……」
哀れみ。
山田リョウはどうしたものかと頭を悩ませるのだった。
膝を曲げて、山口太介の寝顔を眺めてみる。山田リョウの目から見ても、黙って寝ている山口太介の顔は美形に見えた。
「……でも喋ったら喋ったで面白いやつ」
誰に対してのフォローだと、自らの発言を鼻で笑う。
山田リョウは考え、そして決めなければならない。
このまま伊地知虹夏の恋路を応援するのか、それとも山口太介の身を守る為に動くのか。
近い将来、必ず選ばなければならない。
「……厄介な友達だよ、ほんと」
その一言で結論を出し、頭の中に残った
願わくば、なるべく私の胃が痛まない未来が訪れんことを。
切に。
「…………」
そろそろ起こさなければ。
伊地知虹夏に怪しまれることを懸念した山田リョウは、山口太介の耳へと顔を近づけた。
「…………」
今から言うことは、きっと彼の耳に届きはすれどただの音として認識されるのだろう。眠りの中にいる彼の脳には、ただの目覚ましとして処理されるのだろう。
普段のように、訳も分からず驚きながら目を覚ますのだろう。
「…………」
けれども、それで良い。
聞こえてしまったらそれはそれで困る。
胃が痛む。
「…………さて」
軽く息を吸い、心の準備を。
口を開いた。
「── 太介、好きだよ」
伊地知虹夏:山口太介のことが好き。でも本人に言えない。
山田リョウ:山口太介のことが好き。でも本人に言ったら戦争になるから絶対に言えない。
なんか気付かないうちにエッチな方向にシフトしちゃってました!一回廣井きくりBADENDルートでエッチ描写しちゃったから、エッチ描写を書くという選択肢が私の日常に入り込むようになってしまったようです!
虎杖悠仁みたいですね。
ぼっちざろっくエッチ描写厳禁界隈の皆様には申し訳ない気持ちでいっぱいです!
みんないつも読んでくれてありがとうね!!!!!!!!