こんばんは!
右足の怪我が良くなった。
治った、と素直に言えないくらいにはまだ少し痛みが残っている状態ではあるけれども、松葉杖を使わずに二本の足で歩けるくらいには快復した。
登下校時の荷物も自分で持てるし、誰かの介助無くとも室内を動き回れるようになった。
優しい幼馴染に心配をかける事もなくなったし、気の合う友達に荷物を持たせる事もなくなった。
走れはしないが、1人で歩けるようになった。
そんな俺。
そんなある日の休日。
今日はごとちゃん初バイトの日である。
「あ、お前段ボールに入ってライブしたギターじゃん! 確か……マンゴー仮面」
「まっ、マンゴー仮面です!」
「違いますよ星歌さん。ごとちゃんです」
「違う太介。ぼっちだよ」
紙パックのりんごジュース片手に、カウンターチェアに座りながらごとちゃんとなにやら話していた星歌さん。
星歌さんのムスッとした表情と、ごとちゃんの萎縮し切った絶望フェイス。その二つが融合することによって側から見れば説教中とも取られかねない状況。
STARRY到着直後に目にした光景に、そんなまさかと少し早足で近寄ってみれば上記の通りというわけだ。
星歌さんの冗談かマジか分からないあだ名にごとちゃんが泣き笑いながら肯定し、俺が慌てて訂正を入れて、背後の山田が更に訂正を入れて。
じゃあ正しい呼び名は何なんだよと星歌さんにジト目で睨まれたところで──そして星歌さんから「あと星歌さん↑やめろ」といつもの御言葉を頂戴したところで、虹夏も少し遅れて到着。ごとちゃんへと気さくに笑いかけた。
「お、ぼっちちゃん早いね!」
「ぼっちちゃんっていうのか……」
星歌さんの〝成る程〟といった表情を他所に、山田と二人してサングラスをかける。言わずもがな、虹夏の笑顔が眩し過ぎるからだ。
どういうわけか山田のサングラスだけ鼻と髭が付いている鼻眼鏡タイプだったが、山田曰く「ウケ狙い」らしい。
そんなハッキリ言うなよ。
「お姉ちゃんもおは〜!」
「ここでは店長って呼べよ」
「えへへ、ごめーん」
呆れながら呼び名の訂正を求める星歌さんに、笑って返す虹夏。
さっき三人で昼食を食べた後くらいから、なんだか虹夏の機嫌が良いように見える。何故だろうか。
「なんでだと思う?」
その理由を考えようとしたところで、隣の山田から問われる。脳内でまだ答えを出せていなかった俺は、会話を繋ぐだけの言葉を口から出す。
「さぁ」
「SURFACE?」
「決め付けんな」
「──多分、私が美味しそうに麺を啜ってる姿に癒されたんだと思う」
「いや、珍しく山田がちゃんと自分の分の代金を支払ったからじゃないか」
勝手に話脱線させて勝手に話戻してる山田。
自由人。
「給料日に感謝。ぶい」
俺の指摘に、何ら戸惑うこと無く真顔でピース。
山田リョウとはいつだってこういう奴だ。
数年の付き合いになるが俺は山田のそんな姿を笑って許したり、時折割と本気でイラついたりしてる。そんな時には自己流のアンガーマネジメントで自分を律しているのだ。
『俺の方が頭が良い』と脳内で3回念じることで怒りを抑えてね。
「そんなに言うなら、この前の英語のテストの点数で勝負」
「俺の思考読むなって。27点」
「勝った。28点」
「はいそこ、底辺の小競り合いしないの!」
「「…………」」
幼馴染に底辺って言われた……。
「太介、底辺だって」
「
「これでも傷付いてる。プライドとか」
「普通は心が傷付くんだよ」
「私って
「
「…………」
「痛っ、無言で肩パンするなよ!」
「……ダサくないもん」
「えぇ……今ので傷付いてる……」
▽
「トニック水はここからで、ビールはこのサーバーからね。カクテルは後ろの棚の──」
「あばばばばばばばば……」
バイトが始まり、山田と共にトイレ掃除に向かおうとしたところで、ごとちゃんがドリンクの仕事内容を教わっている場面に遭遇した。キャパオーバーに陥ったごとちゃんの顔が早くも青ざめている。
「……ぼっち、表情がコロコロ変わって面白い」
「同感。あれが可哀想可愛いってやつか」
言ってから、止めていた足を再び動かしてモップとバケツ片手にトイレへと向かう。
男子トイレの掃除担当は俺固定で、今日の女子トイレの掃除担当は山田。
いつもの山田はと言えば虹夏と交代で掃除していて、そしてなにかと理由をつけて「代わって」とごねまくっている。
しかし生憎、今日の虹夏はごとちゃんに付きっきりだ。山田も渋々ながらその辺り理解しているようで、トイレに到着した直後にキリリとした表情で俺と目を合わせてきた。
普段の山田こそ怠け癖やクズな言動が目立つものだが、意外にも根っこの部分は善人であり常識人なのだ。そうでなければ、虹夏ともここまで関係が続いていないだろう。
「太介、私の代わりに女子トイレも掃除して」
「…………」
前言撤回。
コイツ悪人だわ。
「大丈夫。私がやったってことにしておくから」
しかも大悪人だわ。
「……俺、今心の中で山田のこと褒めてたんだけどな」
「え、詳しく」
「近い近い。真顔の圧が凄い」
静かに顔を近付けてきた山田に軽く仰け反りながらそう伝えると、ハッとしたような表情をした
それから、視線を外しながら。
「ごめん」
「いや、素直に謝られると俺も困っちゃうんだけど」
「自分の美貌のことをすっかり忘れてた。一周回って毒か」
「いや特に異論は無いけどさ、な〜んで謝りながらもそんな誇らしげなの」
己の美貌に自信ネキに向かって自信の根源を問えば、なんともしどろもどろな表情。もしかしてただの冗談だったのかもしれない。すまん、マジレスしちゃって。
「っ、……私は可愛い。ので」
「ミカサみたいに言うな」
「太介、私にツッコミを入れてくれてありがとう」
「はいはい、何度だって入れてやるよ」
「太介のそういうところ好き」
それから、不意に場に流れた気まずい空気。俺自身山田に対して気まずいとかそういった感情を抱いてはいないのだが、いつもみたいなどうでもいい雑談が
何を言おうか迷っている俺と、不自然と思えるほど口を噤んでいる山田。
やがて、山田が口を開いた。
「……太介」
「なんだよ」
「……掃除しよ」
「あぁ、そうだな」
まさか山田から仕事を促されるだなんてと内心とても驚いたが、さっきも言ったように『山田は意外と良識のある人間だ』ということか。悪人にも良識は備わっている──つまりは憎めない奴ということ。人気投票だったら絶対5位以内に食い込んでくるようなキャラクター性である。
そんな具合に自分を納得させ、俺と山田はそれぞれトイレ内へと足を進めるのだった。
▽
「…………っ」
「力抜いて大丈夫だよ。ライブ始まったら暇になるから」
「は、はい……」
「お疲れ」
「お疲れ〜! あれ、受付は?」
「店長が変わってくれた。今日のバンドはどれも人気あるし、勉強になるから見とけって。あと太介も受付」
「……受付に二人いる?」
「さぁ。……あ、別にSURFACEじゃなくて」
「思ってないし」
「なにか話したいことがあるとか言ってた。気になるならあとで太介に聞いてみれば」
「うーん、あんましグイグイいくとしつこい女だと思われちゃうかもだしな〜……」
「太介のこと盗撮とかしてる人が心配することじゃないと思う」
「え゛」
「あー! もう、ぼっちちゃんに変な目で見られちゃうじゃん!」
「事実。ぼっち、虹夏は太介に対してだけ激ヤバ女になるけどあまり気にしないで」
「あ、あわわ……」
「ぼっちちゃーん? リョウの言うこと本気にしちゃダメだよー?」
「あ、……あの」
「なに? ぼっちちゃん」
「ど、どど、どうして盗撮を……?」
「好きだから」
「ヒェッ……」
▽
「それで、どうなんだよ」
STARRY、受付にて。
俺と星歌さんは、二人並んで座っていた。ライブも始まり、今は曲前の短いMCトークが行われている。
そんな中に差し込まれた問いかけ。こちらに視線すら向けずにかけられた言葉に、俺は思わず隣を向いて聞き返してしまった。
「どうなんだよ、とは?」
「色々だよ。お前ら三人のこと、あとぼっちちゃんのこととか」
「ははーん? さてはいつものシスコンモードですな?」
「ですな? じゃねーよぶっ飛ばすぞ」
ゴンッ。
「本当にぶっ飛ばす時に言わないでくださいよ!」
世間話の最中、流れるような動作で頭頂部に振り下ろされた鉄拳。その重みに堪えかねて両手で患部を押さえながら、俺は返した。
これ以上頭が悪くなったらどうしてくれるんだ。
「それはさて置き、俺達三人については特に変わりはありませんよ」
「本当か?
「そうなんですか?」
「なんでお前が知らねーんだよ……」
「別に1時間早く起きた日とか無かったですけどね。いつも通りの1週間でした」
言うと、顎に手を当ててなにかを考え始めた星歌さん。左の耳からは激しい演奏と共にボーカルの歌声が聴こえてきていた。
ライブが始まってから入場する客というのはまばらだ。だからこうして話していても特に問題は無い。
今日みたいなブッキングライブの日は、たまに『目当てのバンドだけ見る』みたいな客もいるけれど、ライブハウスにまで足を運ぶような客というのは音楽自体をそれなりに好いていて、目当てのバンド以外も見ていくものなのだ。
だから、ライブが始まれば受付もドリンクも暇になる。
こうして意味も無く机の上に両手を放り出しても、座った椅子の背もたれに体重をかけても、星歌さんの横顔を眺めていても問題は無い。
「…………」
……あ、そういえば今週、何曜日だったか。山田が起こしてくれた日あったな。
山田といえば、虹夏の作る朝食目的に俺の家に来ることがある。まあまあ、というかここの所毎日来ている。
それでも朝俺を起こしてくれるのはいつも虹夏で、半分眠ったまま顔を洗って歯を磨いて食卓に着き、それでも寝ぼけていればいつの間にか同席していた山田が俺の耳元で囁きかける──文字に起こせば意味不明な、朝のルーティン染みた遣り取りのようなものがある。
だから、思い返してみれば不思議なのだ。
あの日、何故山田は食卓ではなく俺の寝室に来ていたのか。
虹夏に俺を起こすよう言われたのだろうか。
珍しいこともあったものだ。
「……どうした? 太介」
「え? いや、なんでもないです」
「私の顔ボーっと見つめて。なにかあったのか?」
「なにも。強いていうならば星歌さんに見惚れていたくらいで──あ痛っ」
「私を口説くな」
「口説いてないですって。……チョップですら凶器なんだからこの人」
今し方出来たばかりの新しい患部から熱を逃すように手で
「進路とかどうすんだよ、お前」
「進路?」
「進学とか就職とかさ。そういえばお前、歌手になりたいとかガキの頃言ってたよな。なるのか?」
「ははは、そんなまさか」
目指すのか、じゃなくて『なるのか』と問われてしまった。星歌さん俺の歌声を信頼し過ぎでしょ。
そんな星歌さんの冗談に笑って返すと、初対面の人なら睨まれているのだと錯覚しかねない目で続きを促された。
続ける。
「就職……いや、就職って言っていいのか? 兎に角、進学はしませんよ」
「曖昧な言い方だなオイ」
俺の要領を得ない言い方に、星歌さんは溜め息を吐いた。
「俺のじいちゃんばあちゃん、今は地元──香川に帰って農業やってるんですよね」
「知ってるよ。時折
「いえいえ、俺もいつもお世話になっているので。こちらこそありがとうございます」
「おう」
「なので、高校を卒業したらじいちゃんばあちゃんの仕事を継ぎます」
「ッ……。お、お前。そのこと誰かに言ったか?」
「? いや、まだ先のことですし誰にも」
「──ぜ、絶対に誰にも言うな!
「は、はい……分かりました……」
座っていた椅子から腰を上げた星歌さんに、眼前で凄まれる。そう言えば星歌さんって昔と比べてだいぶ丸くなってるんだよなと荒れていた過去を思い出して、今も昔も変わらぬ迫力に泣きそうになりながら必死に首を縦に振る。
何度も何度も。
赤べこもびっくりの俺の首肯速度にようやく落ち着いたのか、星歌さんは溜め息と共にもう一度腰を下ろした。
「…………はぁ。どうすんだよコレ」
それから、机に両肘をついて頭を抱える星歌さん。
言葉が見つからなかった俺は、励ましの意味を込めて力無く萎れた頭頂部のドリトスの辺りを、つまりは星歌さんの頭を優しく撫でた。
患部がまた増えた。
書けば書くほど山田のことを好きになっていく。山田、LOVE。