須臾の月は夜空の端で浮かぶ   作:ぬん

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#2 多分これは無理

 

 この日の憂鬱っぷりと言えば比較しようがないくらいだった。

 

 朱由に焚きつけられた私は学校に向かうべく、1年ぶりに制服の裾を通す。セーラー服は成長を見越して1サイズ大きめに買っているのに、この一年で私の四肢や背丈が全く成長しやがらなかったため、そんな合理的な配慮は無為に帰している。

 

 縁瀬分校のセーラー服は渡良島と同じものだ。ただそれを意識している学生は殆ど居ないんじゃないだろうか。何せ渡良島は隣島と言えど片道で2時間、往復で4時間の道程となる。だから偶に休日で行くことはあるだろうが、普段は意識するほどあまり関わりはない。因みに以上は私の妄想的考察であるが、多分そこまで多くを外していないと思われる。知らんけど。

 

 もう1年はタンスで眠っていたというのに、自分でもビックリするくらいセーラー服には容易に着替えることが出来た。鏡で確認した自分の姿はとても眠そうな目をしていて、如何にもニートで人生駄目そうな雰囲気を醸し出している気がする。まあ否定はしない。人間は嫌いだ。社会も腐敗している。そんな女が如何にしてキラキラとした目で「将来はパティシエになっていつかクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーを優勝します!」だなんて将来の展望を語れるだろうか。因みに今引き合いに出したパティシエは当然例の一つ以上の意味を持たない。パティシエになりたいと思ったことは無ければ私がパティシエだなんて笑っちゃうほど似合わないし、別にケーキとかシュークリームに深い思い入れもない。

 

「……今日は学校に行くの?」

「うん、まあ、気分的に」

「そう。じゃあお昼は要らないのね」

 

 一階に下りて、朝ごはんを用意していた母親と淡々とした問答を交わす。両親との仲は別に悪いわけじゃないけど、良好と言えるほど言葉を交わす訳でもない。精々事務的な会話だけで、私が引き籠った時も父も母も特に何も言わなかった。最後に十分以上の会話をしたのはテレビを部屋に置いてくれた時……いや、通信制高校への転学を考えた時だったかもしれない。ただそれも淡々としていて、父親は私が何か言って怒るタイプじゃないし、私は私で何が何でも行ってやるという強い意志がなかったのもあり、意見が弾かれたら特に追及せず矛を収めた。とまあ、ステレオタイプな親子らしい会話というのは私の家庭には存在しない。特に最近は肌の水分を浚うような空気がリビングを充満していて少し居づらい時もある。

 

 朝ごはんを食べ終えると、支度をして靴を履くと玄関の前に立つ。陽の光が戸の曇りガラスから漏れ出ていて、ふと一歩踏み出すのを躊躇った。

 日光だ。私が久しく見なかった鮮烈な日差しに、自分が吸血鬼になってしまったかの如く錯覚すら覚えてしまう。少しでも陽を肌に浴びたら肉がボコボコと燃えて、骨がジュクジュクと溶けて、原型を留めないほど醜く崩れて行ってしまう私の姿が脳裏過る。

 

「いや、ないだろ」

 

 思わずセルフツッコミ。周囲に誰もいないので虚しく響いた。誰に聞かれた訳でもないのに何だか気まずい。

 その場から離れたくなった私は扉に手を掛けて、ドアを開く。

 外界に戻ったことを歓迎するかのように眩い日差しが私を照らし上げる。少しして目が慣れてきて、私は厚い歓迎に中指を立てる。太陽も虫共も何もかも五月蠅い死ね。もっと自己主張を抑えろボケ共。静謐を是とする月と夜空と星々を見習えバーカ。

 心の中で罵詈雑言を並べながら、久しく感じていなかった肌に熱を孕ませる感覚と共に私はコンクリートを踏みしめた。

 

 学校は家から上り坂を歩いて10分ほどの場所にある。

 7月中旬の熱光線に汗が自ずと皮膚から滲む。汚れ一つ無い真っ白なYシャツが早速水分を含み、気持ち悪さに自然と眉が吊り上がりそうになるのを感じる。ああもう暑い。だだ暑い。夏、滅びるべき。ついでに冬も滅びて、春と秋だけの世界に住みたい。きっと私だけじゃなくて大抵の人間はそう思ってる。だから室内だけでも理想の環境を作り上げようと希求して、エアコンなんていう環境破壊兵器が出来上がったのだろう。かく言う私もその便益を享受しているから強くは言えない。言えることはただ一つ。人類死すべき。自然を考えればきっと私含めて人類なんて全員いなくなったほうが良い。

 

 そんな意味の無い思考を順繰りと回していれば校舎に着いた。鉄筋コンクリートで作り上げられた3階建ての校舎はこの島で最も高い建築物である。校舎の外壁は至る所が年季が入った汚れ方をしていて、割れた窓ガラスがガムテープで暫定補修されている。昭和中期に出来たこの建物は元号を2つ超えていることもあって、トイレは和式だし体育館の床は軋むしで、全体的に綺麗とは言えないだろう。

 高校生の教室は校舎の1階だ。2階に小学生、3階が中学生の階となっている。普通なら3階が最上位学年だろうけど、中学卒業後に島を出る子供が多いからこの島に住む高校生はほぼいない。必然的に最も教室が小さくて少ない1階に高校生フロアが割り当てられたのが私の生まれる前のまだ子供が多かった時代の話らしい。現在は小中高の全数で30人もいない程度の規模感だから最早一つの教室に十把一絡げに一纏めにしてもいいものだけど、そこは昔からの風習を自分の子供みたいに大事にする田舎である。じじばば町内会によって現在も昔から変わらぬ安定した運営が続いているらしい。令和に生きる高校生からすればふーん程度の感想しかないけども。

 

 校舎内に入ると空気が一変した。一気に蝉の音が静かになり、室内特有のひんやりとした冷気が私を押し返す。それが私が中へ立ち入ることを拒絶しているみたいに思えて、一歩一歩の足取りが重い。これから処刑場に赴く死刑囚の気分だった。

 

 もう何もかも投げ出して帰りたくなったが、ここまで来た以上引き返す道理が一つも無い。諦めて溜息吐いて、何とか上履きに履き替える。自分の下駄箱の位置を思い出せず少し手間取った。

 

 教室は1階には2つあるが、現役で使われているのは下駄箱に最も近い、職員室と隣り合った教室だけだ。ドアの上に据え付けられている木製の表札には『高校生』と描かれている。

 

 教室のドアに近づくに連れて、私は溺れそうになった。体調が悪いわけじゃない。でも四肢が上手く動かない。息が苦しい。呼吸の仕方ってどうやるんだっけ。視界が暗い。明るいのに夜より暗い。

 

 それでも動いたのは私なりの意地だった。何も分かってない癖して知った顔で私を語り、尊敬しているとまで言い放つ朱由。やっぱり嫌いだ。尊敬しているって言葉は嫌じゃなかったけど、未知の感情だったけど、だけど嫌いは嫌い。顔一面に泥を塗るまで私の気が済まない。

 

 鬱屈な気持ちを押し殺して、粘り強い冷えた空気を振り払って、取っ手に右手を引っ掛けると扉を開いた。建付けが悪く、その音はガタガタと大きく鳴り響く。

 

 私が入れば教室内から漏れ聞こえていた話し声は一度水を打ったような静かさで支配された。太陽を浴びた校舎の匂いに、チョークの石灰臭さ、疎らに置かれた学校机。全てが久しぶりだなと思いつつ、一応確認。

 

 教室内には5人いた。狭い島の同年代ということもあり、全員顔も名前も知っている。中でも新参者たる朱由はと言えば、相変わらず空気に溶けるような笑みを浮かべていて、私の顔を認識するとその無機質な嬉しげな表情をより深めた。ちょっと怖い。

 まず口を開いたのはつんつんと逆立った癖毛が特徴的な男だった。前河拓海(まえかわたくみ)という。

 

「珍しいな、お前が来るとか」

「……そういう日もある」

「来ない日の方が多かっただろ」

「だって人と関わりたくなかったし」

 

 前河の物珍し気な言葉に思ったまま打ち返せば、すぐにムッとした顔になった。

 

「俺たちと話したくないってか?」

「まあ合ってる」

「んだとコノ。心配してやってんのに」

「心配される謂れなんて無いでしょ」

 

 別に私は悪意があるわけでもなく正直に言ってるだけだけど、やはり怒ってしまった。

 

「まーまー。そう荒れない荒れない」

 

 今度口を開いたのは阿波唯(あわゆい)だ。向日葵色のショートカットを靡かせながら、ぼんやりとした瞳で前河を宥めている。

 

「月香ちゃんも駄目だよ、煽るようなこと言っちゃ。たっくんは馬鹿だからすぐ真に受けちゃうよー」

「馬鹿じゃねえよ!」

「馬鹿だよ?」

 

 何を言ってるんだろうという顔を引っ提げて阿波はマイペースに首を傾げた。前河もその反応に少しやり辛そうにしている。

 阿波はそのまま私に顔を向けて、目を合わせて言ってくる。

 

「でも月香ちゃんも良くないんだよ。帰ってきたと思ったら何も言わず学校来なくなっちゃうし、皆にごめんなさいも言ってんだよね?」

「なんで私が謝る必要があるの」

「それは心配を掛けたからだよー。たっくんもそうだけど、皆それぞれ思うところは在ると思うんだ。だから……うーん私上手く言えないんだけどね? 皆のこれからを考えたら、これまでを丸めるために一つ、落とし所みたいなものは必要なんじゃないかなあって。あ、これ前も言ったかも」

 

 何も分かってなさそうな人畜無害な面から紡がれる言葉の数々。

 ……気持ち悪さに反吐が出る。私は悪くないしお前たちに何もしてない。死ね。死ね。私は間違ってない。謝罪を強要されても私には用いる言葉が存在しない。でもそんなことは目の前の4人には関係ないのだろうと思う。全ての事実も個人の感情も、この素晴らしく円滑な人間社会の維持という大義名分を前にすれば、容易に歪められ唾棄される対象でしかない。少なくともこの社会では。

 

「そもそも謝る理由が無いって前も言ったよね阿波」

「前みたいにゆいゆいって言ってよー」

 

 無視した。確かに昔は渾名で呼んだりもしたが、時間も経って私も高校生。前は前、今は今である。

 

「謝る理由ならあるよ。だって月香ちゃん、島を出る時も島に戻った時も何も言ってなかったと思うんだ。うーんとね、難しいことは私も分からないけど、それって良くないことだよね? 筋が通ってないっていうかさ」

「筋? 別にこれまでも通す筋なんて無かったと思うんだけど」

「え? ええ?」

 

 阿波はあざとく右手の人差し指を顎に当てて、首を右に傾け、左に傾け、瞼をパチパチとさせる。……何となくこうなると思っていた。

 私と彼らとでは根本的なクラスメイトに対する捉え方が違う。彼らにとってクラスメイトとはこの小さな島で殆どいない同世代、言わば家族のようなもので、一方私にとっては赤の他人。前提となる認識が違うのだから話は平行線であり分かり合える余地もない。だから学校に来るのは嫌だったんだ。

 

 このまま面倒な会話が縷々と続いていくと思われたが、「ちょっと待って」と優等生然とした台詞が私と阿波の間に挟みこまれる。誰が言ったかは見なくても分かる。大声ではないがクラスを纏めようという気概が籠っているその声音は冴木祐徳(さえきゆうとく)のものだ。正しく眉目秀麗で頭も良く、細身ながらも盛り上がった皮膚からは確かな筋肉がスラッと見て取れる。一言で表してクラス委員やサッカー部の部長のような容姿をしているこの爽やか青年は、私の性質と真反対過ぎることもあり或る意味で私が一番苦手としている人物でもある。

 

「二人の言い分も分かるけど、一旦落ち着こうよ。折角学校に月香が来てくれたのに、また喧嘩別れみたいな形をするのは良くないし僕は嫌だよ」

「……とっくんがそう言うなら」

 

 諫めるような言葉に、阿波は少々感情のしこりが残った顔をしながらも閉口してコクリと頷く。

 

「言っとくけど前のは喧嘩じゃないから」

「分かってるよ。意見のすれ違いだよね」

「全然違うし」

「まあ良いじゃないか。登校を再開するんだろう? 折角なんだから改めてリスタートということで、仲良くしようよ月香」

 

 口元から清涼感が出ているように感じるからイケメンって不思議だ。そして、今の発言も全く以て自分の考えや願望を押し付けているだけなのに、さながらそれっぽい理論の体を成している風に見えるから扱いが難しい。

 

 冴木は誰にも好かれそうな優しい表情を保ちながら、視線をずっと机に張り付いて勉学に勤しむ眼鏡を掛けた男子生徒に振った。薙名田通雅(なぎなたみちまさ)だ。髪の毛が目にかかる程長く、ギャルゲーの主人公を思わせる容姿はどこか前の学校では昼休みになるたびに教室最後方でゲームを持ち込んで娯楽に興じていた根暗集団を連想させる。まあ私もあまり人のことをとやかく言えないが。

 

「道雅もそう思うでしょ」

「見て分からないかな。俺は勉強をしているから青春は放課後にしてほしい」

「改めて仲良くしたいってさ、月香」

「俺は一言もそんなことは言ってない……!」

 

 薙名田は本気で怒ってる訳じゃないようで、ごめんごめんと謝る冴木に仏頂面な台詞を並べつつも特に不機嫌そうな様子は無い。だろうなって感じだ。なにせこいつは昔からツンデレってやつだった。本心とは逆のことを言うのは日常的で、実際にはそんなに悪い人間じゃないことは私も知っている。まあそれだけだけど。薙名田に限らずだが私は相手に対して特にあーだこーだと深く考察をしないし興味も無いから、言ってしまってそんな浅い情報しか脳に残っていない。

 

 ふと、私は朱由を見る。変わらぬ薄っぺらな笑みを張り付きながら、口を開かず趨勢を見守っている。驚いた様子一つ見せないってことはこうなる可能性を予見していたんだろうな。にも拘らず別に介入する気も無いと。そっちが学校来いとか言ったくせに。本当に性格が悪い。

 

「私の事は気にしなくていいよ、どうせ今日も自習でしょ。隅っこで勉強してるからお気になさらず」

「あーそうかよ。ほっとけよ祐徳、俺らと喋りたくないってよ。都会の空気に染まっちまったんだよコイツは」

「…………っ」

 

 一瞬悲痛そうに冴木は顔を曇らせた。

 良く分からないけど、取りあえず間違っている。

 私は都会になんか染まっていない。染まる理由が無い。それに都会は私の嫌いな社会の集積地だ。同じ社会という区分で言えばここも都会も変わらないと言えど、人間が多いのはその分ストレスである。一人暮らしだったらまたそれも変わるんだろうけども。

 当然口には出さない。一々突っかかっていても疲れる。私は溜息を一度吐いて、カバンから自学用の参考書を取り出した。

 

 久々の学校は変わらなかった。

 高校生クラスは私を含めて6人しかいないこともあって、まともな授業は行われない。分からないところを先生に聞いていく形式で、それも先生によっては聞かれても分からず、ちょっと待ってねとか言い出して職員室や別の教室で授業をしている教師に聞きに行ったりもする。

 まあ空気がそんな緩い感じなので、自習と言っても雑談交じりのものになるわけで、私とついでに薙名田を除けば勉強とおしゃべりが半々くらいのペースで独学を続けていた。高校進学時点で島から出ないという選択肢を取っている彼らは基本、大学受験も視野に入れていない。受験しないのならこのくらいの雰囲気になって当然かもしれない。唯一、薙名田だけは違うっぽいが。

 

「松下さん、ちょっと良いですか? 校舎裏とかでお話したいことが」

「え、何ですか……別に良いですけど」

 

 昼休み。給食を食べ終わると私は朱由から話しかけられた。断ることも脳裏で過ったけど、理由も無いのに流石にそれはどうかと思い了承する。特にそれ自体が嫌って訳じゃないし……面倒ではあるけど。

 その光景に目敏く気付いた阿波が声を上げた。

 

「あれ、朱由ちゃんって月香ちゃんと知り合いなのー?」

「阿波さん。はい、この島で初めてあった人なんです」

「へーそうなんだ。意外だね~」

 

 阿波は能天気な笑顔を浮かべた。それに対して朱由も底知れぬ笑みで返すと、先導するように教室から出て行く。仕方ないか。着いてく着いてく。

 どこの学校も人気が無さそうな校舎裏だが、分校ともなればそれも一入だ。純粋に生徒数が少ないから全く人の気配がしない上に、日陰ながら夏なのでジメジメと暑い。帰りたい。

 

「すみません、こんなところに連れてきてしまって」

「彼らに聞かれたくないならしょうがないと思います。その代わり手短に」

「その前に一つ……その」

「なに?」

「えっと…………あの…………」

 

 感動詞を紡いだまま口の形がホールドされた。ロード時間が長い。

 気長に待っている間にも夏の熱気が身体に入り込む。早くして欲しい。

 

「先に私が話してもいいですか?」

「は、はい……どうぞ」

 

 待てども一向に言葉を出さない朱由に、私はそう言って主導権をもぎ取った。

 

「クラスの人とは斑鐘さんは仲が良いんですか?」

「はい。一応仲良くさせていただいてます」

「なるほど、であれば私にもう関わらなくても良いんじゃないですか? お知り合いもできたと言うことなので。ああ、私に同情して無理に話しかけているとかだったらそれは止めてください。私、そういう上辺の感情が嫌いです」

 

 もう私と初めて出会った、知り合いなどいなかった状態とは違う。自分で言うのもなんだが私は結構捻くれていて気難しいと思う。それは全て社会が悪いから仕方ないとして、けどそれは朱由には何も関係の無いことだ。

 

「でも同じクラスですよ?」

「それが理由にならないと前も言いましたよね。クラスが同じだけなら赤の他人です」

「それに同情なんかしてません。私がしてるのは尊敬です」

「それも良く分からないんだよなぁ……」

 

 ぱあっと輝いた笑顔を浮かべて、なんでそんな良い表情をしたんだ今と私は首を捻った。私の中で斑鐘朱由という女はこの二週間、ずっと得体の知れない存在だ。嫌われてる自覚はあるだろうに毎日私に話しかけに来たり、かと思えば突然尊敬してますとか緊張混じりに言ってきたり。いや苦手で嫌いだけど。苦手で嫌いだけども、その根底にある価値観については少々興味があるのも事実で、だからこそ私はこの誘いを断らなかったのだろう。

 

「……正直に言っても良いですか」

「はい、どうぞ」

「本当に言っていいんですか?」

「別に良いですよ」

「言ってもこれまで通りの関係でいられると保証するなら言います!」

「変わらないですよ五月蠅いな」

 

 また嬉しそうな表情をした。何なんだコイツ。嫌いつってるんだから何を言われても関係性なんて変わらないしさっさと言え。

 幾何かの緊張を抑えつけるように口を一文字にしてギュッと引き絞り、呼吸を整えると朱由が話す。

 

「私、別にあの人たちとは仲良くないです」

「……意外と正直に言うんですね」

「松下さんが私をクラスの一員みたいに言うものですから、その、それは違うなって言いたくなって……嫌いって訳じゃないんですよ。でも仲が良いとは違って、ただ空気に馴染んだだけです」

「その二つって違うんですか?」

「私にとっては何光年も離れた概念です。私はその、クラスの方々からは居なくなった分かるくらいに、其処にある自然な風景としては捉えられていると思います。でも仮に学校に来なくなっても多分関心は持たれません。そんな深い関係じゃないからです」

「なるほど……いやなら私も同じでは?」

「松下さんは特別です」

 

 なにが特別なんだ。ああもう嘘っぽく笑うな腹立つな。

 ともかく、朱由が存外ドライな考え方をしていることは理解した。クラスの風景にはなれても仲間ではないか。

 

「で、私に呼び出した理由は何ですか? クラスメイトの仲良くなりたいとかですか? それなら私は適任じゃないと思いますが」

「その、お礼を言いたくて」

「……はあ」

 

 全く予期していなかった言葉に無色透明な溜息が出た。

 

「お礼なんて言われる筋合いはないです」

「違うんです。来てくれたことが私、嬉しかったんです」

「全然意味が分からないです」

「因みに学校卒業後はどうされるんですか?」

「話が変わりすぎですが?」

 

 薄暗い校舎裏には似合わない深窓の令嬢を思わせる微笑みに、私は肩を下ろした。二週間の付き合いで分かっていたが、こうやって強引に朱由は話を押し通そうとすることがある。意外と頑固だ。よくそれでクラスでも影薄く馴染めたなこの女。

 

「まぁ私は今のところ大学に進むと思います」

「確かに松下さんって結構難しい参考書使ってますよね。受験を見据えていると、なるほど」

「そちらはどうなんですか?」

 

 何がなるほどなのかは分からないが置いておいて。

 私だけ知られるのも何か嫌だったので、特に興味は無いけど聞き返してみる。

 朱由は自分に話を振られると思っていなかったからか、目を大きく見開いた。

 

「特に考えてないんですけど……多分進学かなと思ってます。受験は再来年だから勉強に本腰入れるのは来年からでいいかなと」

「そうなんですか」

 

 全く聞いてないんだけどなあと思いつつ頷いておく。ところでやっぱりと言うべきか、私と同年齢だったらしい。それにしては何と言うか、胸の弾みがデカい。K2レベルか。思わず自分の胸に手を当てる。高尾山。流石に高校二年生にもなって突如巨大化を迎えることもないだろう。遺伝子から敗北した気分になって軽く舌打ちが出そうになった。

 

「あの……どうされましたか?」

「いえ、何でもないです」

 

 珍しくキョトンとした顔で困惑を隠さず口に出す朱由。その胸捥げるか私に少し分けてくれ。この野郎。

 

「大学はどの辺りで考えてるんですか?」

「まだその話続くんですね……。特に拘りはないですが、1人暮らしになるから首都圏か関西かなと」

「松下さんって文系国立志望で首都圏って凄いですね! 頭、良いんですね!」

「気持ち悪いな」

「え、ちょっと酷くないですか……?」

 

 いや気持ち悪いよ。何で嫌いって言われた時よりもショック受けてるんだ己は。

 だって私は文系だなんて一度も話した覚えはない。多分生物基礎という受験科目の性質上から文系国立志望と推測したんだろうが、自習中に人がやってる参考書の科目とか確認していたというのはストーカーみたいで普通に引く。無いわと思う。完全に知っている体で話されるのは気持ち悪いって。

 

「もし大学進学するとすれば国立なんて難しいから私は私立ですかね……」

「そうですか」

「……でも松下さんが国立目指すなら私も目指そうかなあ、なんて。どうでしょうか?」

「いや知りませんよ。勝手に目指しててください」

「松下さんと一緒のキャンパスライフなんて憧れますね」

「全然憧れませんけど?」

 

 さっきから満面の笑顔で何を言ってるんだという気持ちである。嫌いって言ってんだろ天然馬鹿め。

 じとじとした視線を送りつけていると、朱由は何かを思い出したように声色を変えた。

 

「あ、でも……大学行くならお爺ちゃんに話さないといけないかも」

「そうですか」

「顛末はちゃんと松下さんにも話しますからね!」

「はあ……」

 

 というかさっきまで進学するかどうか分からないみたいな感じだったじゃん。今の進学するって決めたのか? ノリが軽いなおい。人生の重要な選択だぞ。

 まあ別に朱由が受験しようがしまいが私には関係ないことだ。この時の私はそう思いながら暑さに耐えかねて校舎内へと歩を進めた。

 まさか自分がこの件について深く関わるとは、当時の私には一切考え及ばぬことだったのである。

 

 

 

 

────◇ 斑鐘朱由 ◇────

 

 

 

 

 月香さんが学校に来た。

 嬉しいという感情もあったけど、それよりも大きかったのは不安感だった。

 月香さんが学校に来なくなった理由を私は知らない。知ろうともしなかった。可能なら知りたかったけど、その豆腐みたいにデリケートな話題に手を突っ込んでしまえば、今の私の立場が砂上の楼閣の如く吹き飛んでしまう気がしてしまって、私は踏み入れることが出来なかった。

 

 今考えると、あの時の私はとても自分勝手だった。

 学校に来てくださいとか、学校から逃げないで下さいとか。

 なにやってんだろう。本当に私なに言っちゃってるんだろう。

 でも抑えきれなくてつい言ってしまって、でも結果的に月香さんが来たから良かったとも思っちゃうから私って救いようがないよね。

 

 とにかく私は純粋な感情として月香さんが来てくれて嬉しい。

 月香さんと学校生活を送れるという高揚感が身体を支配して───でも私自身の齎す生き方が、表の顔に嵌められた桎梏が、私が月香さんに話しかけるという選択肢を除外させる。

 

 今朝、久々に登校してきただろう月香さんに私は話しかけられなかった。

 話しかければ周囲から変な目で見られていたことだろう。

 それが怖い。怖かった。

 我が薄い私にとって、普段の言動の内容が決まる最も大きな要因は周囲からの評価だ。不登校だった月香さんに新参者である私が話しかけるのはおかしい。クラスメイトの方々とも変な感じだったから、異物の私が挟まるのはより変に思われただろう。

 

 ただ一つ幸いだったのは月香さんが孤立していたことだ。きっとクラスメイトの話に月香さんが加わっていたら、新参者の私じゃこの島に住んで長い月香さんに上手く話しかけられる自信は無かっただろう。

 だから時間を置いて、昼休みに私は話しかけた。

 阿波さんに話しかけられたけど、特段深く突っ込まれることもなかったから良かった。

 

 月香さんとお昼に話すのは初めてだったから少し緊張したけど、月香さんはいつも通りだった。

 昼夜逆転生活を続けてきた月香さんは、普段以上に眠たそうな瞳をして、嫌い嫌いと言いつつ私の話に相槌を打ってくれる。それが心地良い。嫌われている状態は私にとって苦痛のはずなのに、月香さんは例外だった。嫌いと口で言ってる割に私を嫌っている感じがしないからなのか、はたまた私が月香さんのことを好意的に見ているから変なフィルターが掛かっているからなのか。理由は分からないけど、月香さんと話すのは楽しい。未知の感情に心が躍るし、月香さんの言葉に嘘もお世辞も上辺の意見も無いから、何時間でも話そうと思えば話せちゃうだろう。

 

 そして、大学進学の話。

 私は将来の目標が無い。この島で職に就くのか、外に出て就職するのか、大学か専門学校に進学するか。

 月香さんは大学進学するらしくて、また私には月香さんが眩しく感じた。

 何も考えていなかった私だけど、大学という選択肢が後光に照らされて、つい検討しちゃう。

 

 大学かぁ……。

 月香さんは都市圏の国立大学に進むらしい。あんまり詳しくないけど都市圏となると難易度が高い気がするなぁ。私はあんまり勉強が得意じゃないし学力的に厳しい気がするから、もし狙うなら私立かな。三科目入試であれば私でもやれるかもしれないし、月香さんと同じ地域の大学に進めるかも。

 

 いやいや、でも同じ地域だからって大学同士が近いって言うのは違うかもしれない。同じ地域の大学と言っても

 それに良く知らないけど国立の方が絶対に良いに決まってる。学費は安そうだし、将来的な就職も良さそうだ。前の高校でも大学進学組に対して教師は良く国立大学を目指せと言っていた気がする。うん。ありかもしれない。

 

 考えれば考えるほど大学進学という選択は最善手のように思えてきた私は、家に帰ると早速お爺ちゃんとお婆ちゃんにそのことを伝えることにした。

 私の祖父母は生まれてからずっとこの縁瀬島一筋で生きる島民だ。ここに来るまでは人生で二回しか会ったことが無いくらいには疎遠で、それまであまり祖父母のことは知らなかった。

 

 両親が居なくなってきてから引っ越してきた私に対して、今後永住する人間として見ている節があって、この話をするとどう思われるんだろうという不安感がある。

 でも、私ははっきりと物を言える人間になりたい。

 月香さんと会って初めて湧いてきた感情ではあるけど、この新鮮な感情を不意にしたくない。海流に浮かぶだけのブイに私はなりたくはない。

 

「私、学校を卒業したら島を出ようと思っています。将来を考えて大学に行きたいんです」

 

 夕飯が終わって、私はそのままお爺ちゃんとお婆ちゃんに私の意志を伝えてみた。

 心配だったのはお爺ちゃんの方だ。

 お爺ちゃんは日本酒を片手に、一切身動ぎもせず私の話に耳を傾ける。

 話終えると鋭く鷹のような眼光が私を貫かんとばかりに飛来して、それでも私は月香さんなら絶対に動じないと思って、寧ろ睨み返してやろうと精一杯真剣な表情を保たせる。

 お爺ちゃんは島で漁師をやっていて、海の男らしくこってりと日に焼けた肌に、眉間や口元は深い皴が刻まれていて、かなりの強面だから何を言われるか全然想像が付かなかった。対照的にお婆ちゃんは優しいから、多分私が何を言っても最後には許してくれるんじゃないかって思ってる。

 

「それは本当か?」

 

 酒で焼けたようにしわがれた、しかし重圧が籠った声音が空気を支配する。私は抗いの旗を立てようと首を縦に振った。

 

「はい。本当です」

「外に出て何をする? 将来の夢とかあんのか?」

「それは……無いです」

「じゃったら島におったらええじゃろう」

「……。」

 

 嘘を吐きたくないと思って正直に無いと答えちゃったけど、当然のように私の言葉にお爺ちゃんは反駁してきた。

 

「朱由、お爺ちゃんは心配なんよ。アンタが外でやってけるか」

くみ(公美)はだあっとれ。……別に俺は反対はしちぇねえ」

 

 お爺ちゃんはお婆ちゃんの言葉に少し機嫌を悪くして、更に酒を仰いだ。

 

「ワシはこの島でしか生きたことが無い。島の外なんざ知らん。じゃが島の外にお前が欲しいと思うもんがあるんじゃろう」

「そうですね……いえ、今は島の中にあります」

「中ァ?」

 

 私の言葉に奇怪そうに首を傾げて、表情を少し緩めた。

 私はもう嘘は吐きたくない。今はまだ、全ては無理だけど。でも、これからはもう……本心で生きていく。憧れからそう思ったんだ。

 

「友達……友達と一緒に大学生活を送りたいんです」

 

 言っちゃいけないことを言ったような気分になって自然と視線が下がる。

 それでも、それが私の本心だった。向こうが友達と思っているか分からない……いや、友達と思ってないだろう。

 でも私にとっては恩人で、尊敬する人で、一緒にいたい友達だ。だって月香さんのことを考えたら胸がこうう、熱を帯びるように苦しくなって、頭が何だか訳が分からなくなりそうに白くなる。私の未知の感情。きっと、これが友情ってやつなんじゃないかなって。もっとその友情を感じたい。身体に刻みたい。だからこれが私の本心だ。

 

 お爺ちゃんは一瞬、間隙を突かれたようなポカンとした無表情を浮かべて、ニヤリとして口を開く。

 

「そうかいよ。そりゃあ悪くねえ理由だ」

「怒らない……んですか?」

「少々子供っぽいが……前から俺は、お前が大人みてえに自分を生簀に閉じ込めていた気がした。我儘としちゃ上等だろうよ」

 

 私は顔を上げて、お爺ちゃんの顔をちゃんと見る。相変わらず仏頂面で、しかし少し柔らかい表情をしている気がする。

 

「随分とダチ公が大切なんだな。俺のダチ公は半分以上逝っちまったが、確かに大切じゃった。今でも命日に石の前で手を合わせるくれえの付き合いだった。まあなんだ、大切にしてやれ」

「……はい!」

 

 お爺ちゃんはそう言って静かに立ち上がった。自分の部屋へと歩いてく白いタンクトップ姿に、私は一礼する。今まであった畏怖に類似した感情はもう無い。お爺ちゃんは私の事を良く考えてくれていた。それが今日分かったと同時に少し申し訳無くなって、これからはもうちょっと上手く接してあげようと思った。

 

 お爺ちゃんが完全に部屋へ戻ったタイミングで、今まで黙っていたお婆ちゃんが私の目を見て言う。

 

「朱由、アタシも賛成だけどね……大学ってのはそんな簡単じゃないと思うさね。アンタの父も苦労しとったよ。二浪してようやっと東京の平均くらいの大学じゃった」

「そ、そうなんですね……」

 

 お父さん二浪だったんだ……知らなかった。意外にバカだったのかな。

 懐かしそうな目をしたままお婆ちゃんは話を続ける。

 

「浪人していた頃はホンマに辛そうじゃった……常に返ってくる結果がEとかDばかりでね。いつ崖の上から大海原に飛び込んで自殺するかとひやひやしたわ。そんな思いをアンタにまでさせとうない。だからアタシはアンタに条件を課そうと思っとる」

「条件……?」

「模試でA判定を取れ、それが大学に行かせる条件じゃ」

「A判定………………」

 

 お婆ちゃんの目を思わず確認する。本気だ。冗談など欠片も存在してないように見える。 

 都内国立大学のA判定……いや無理じゃないかな!

 私立ですら怪しいよ……!

 でも多分、取らないとお婆ちゃんは許してくれない気がする。

 一番優しいと思っていたのに、罠だったかあ!

 

「が、頑張ります」

「おお、頑張りなさい」

 

 震え声で私はお婆ちゃんの無茶ぶりに応える。

 お婆ちゃんはにっかりと暢気そうな笑みを浮かべていた。

 

 ………………どうしよう。

 

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