ラブライブ!~合同企画短編集2024~【完結】   作:薮椿

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“glitter”

 中川菜々の朝は早い。

 

 朝五時半には起床し、自室を出てリビングへと向かい、コップ一杯の白湯を飲む。洗面をし、癖の目立たない程度に髪を整えると、寝衣からスポーツウェアへと着替えを行う。上は汗の不快感を軽減するインナーの上に白Tシャツ、そして黒いウインドブレーカーを羽織る。早朝は冷え込むので、防寒のために欠かせない。下は黒のレギンスに赤のハーフパンツを重ねている。このハーフパンツは、彼女の所属する同好会のメンバーからの贈り物であり、お気に入りの一品だ。

 そうして朝六時には、彼女は家を出る。毎朝日課となっているランニングをこなすためだ。軽いストレッチを終えると、腰のポーチからスマートフォンを取り出し、運動管理アプリを起動。 ランニングモードに設定した後、Bluetoothイヤホンをスマホと同期してプレイヤーからランニング用のプレイリストを選択。流れるのは、最近彼女がハマっている、ライトノベル原作のアニメOPだ。

 

「さて……行きますか」

 

 アプリのスタートボタンを押し、腰のポーチに収納。そのまま彼女は走り出した。

 家を背に左向きに出発し、目の前の交差点を右折。海沿いに向かって進み、有明アリーナから自宅方向へ一周。約4km、これが彼女のいつものランニングコースだ。無論、体型維持と体力向上が主な目的のため、流す程度の速度でしか走らない。四十分もあれば高校二年生の少女である彼女でも余裕を持って走り切れる距離になっている。

 帰宅後、そのままシャワーを浴び、改めて身支度を整える。後髪の三つ編みも、もうすっかり慣れたものだ。その後、母親が作ってくれた朝食をありがたく頂戴した。ランニングを始めた当初、虹ヶ咲学園生徒会の長たる娘が毎朝ランニングを行う理由を彼女の母はひどく訝しんでいた。しかし、『文武両道、心技体を兼ね備えた人間こそが生徒会長に相応しい』という娘の言葉に感銘を受けて以降、特に怪しむこともなく応援している。

 ごちそうさまでした、と朝食を下げた後は自分の部屋に戻り、カバンの中身を確認。無論、教科書等の準備は前日夜に終わらせてある。忘れ物がないことを確認すると、最後にもう一度鏡で全身を確認、そして深呼吸でマインドセット──身も心も、中川菜々(完璧な生徒会長)の完成だ。

 

「では、行ってきます」

 

 気を付けてね、という母の言葉を背に、彼女は玄関を出た。

 徒歩と電車を駆使し約三十分。虹ヶ咲学園へと到着。早朝のランニングの疲れを毛程も見せることなく、彼女は日中の授業を受けていた。そうしていれば、あっという間に放課後になる。菜々は生徒会室へと向かい、会長としての業務をこなす。夕暮れの近付く午後五時半過ぎ。他の生徒会メンバーの帰宅を見送り──彼女は生徒会長の仮面を取り去る。

 

「すみません、お待たせしました!」

 

 髪を解いて逆三角形をした金色のヘアピンで留め直し、練習着へと着替えた菜々は、自身の所属する同好会の戸を明け、先にいた面々へと挨拶をした。その声色は、先程までの生徒会長としての振る舞いから来る凛としたものではなく、底抜けに明るい、聞いた者に笑顔と活力を与えるような、闊達なもので。

 

 

 そう、これが生徒会長中川菜々ではなく——超人気スクールアイドル、優木(ゆうき)せつ()という、彼女のもう一つの顔である。

 

 

 彼女が所属する同好会とは、『スクールアイドル同好会』。文字通り、今を輝くスクールアイドルを目指す者たちが所属する場所だ。メンバーは設立時の五人から増えて十人。かつては各々の目指すアイドルの方向性の違いから、致命的なすれ違いが生じて廃部寸前にまで追い込まれたこの同好会。また菜々──せつ菜自身も、引退を決意したこともあった。しかし方向性の違いこそが自分たちの唯一無二の個性であり、目指す場所がバラバラだからこそ作り出せるモノがある……そのことに気付いた彼女たちは絆を結び直し、時折ユニットを組むことはあれども基本的にはソロ活動、尊敬できる仲間として、或いは互いに高め合うライバルとして日々切磋琢磨しているのだ。

 

「あ、やっと来た! も〜遅いですよ?」

「お仕事お疲れ様、せつ菜ちゃん」

「かすみさん、歩夢さん、遅れてすみませんでした」

「私たちだけで、進められるところまで進めておいたわよ?」

「はいこれ、話し合った内容をまとめたレジュメです」

「わ、見やすい……! 果林さんにしずくさん、ありがとうございます!」

 

 せつ菜の笑顔に、しずくと果林の二人も笑顔を返した。

 

「よーし、せっつーも来たことだし、さっさと残りの分も決めちゃおっか!」

「愛さん、これまで相槌打ってただけでしょ?」

「うっ……キビシーねぇ、りなりーは」

 

 愛と璃奈のやりとりに、同好会の面々から笑い声が漏れた。

 

 彼女たちが話し合っているのは、次回のライブについてのことだ。約二ヶ月後、お台場の海浜公園で新規オープンを迎える百貨店の開店セレモニーを兼ねた祭りが開催される。そこに設置される特設ステージでのパフォーマンスで出演してくれないか、という打診が先日同好会にあったのだ。

 

「一時間もくれるなんて太っ腹だよね〜」

「それだけあれば、一人一曲は歌えるんじゃない?」

「お客さんも多そうだし、久々のステージね。ワクワクするわ」

「全体で打ち合わせることは殆ど決まって、後は出演順だけど……せつ菜、目は通した?」

 

 話し合いを進行してくれている果林の問いかけに、せつ菜は力強く頷く。

 

「はい、把握しました。要点が纏まっていたので漏れもないかと思います」

「OK。じゃあ順番は──」

「はいはーい! もっちろんかすみんが一番ですよ!」

「あ、かすかすズルい〜! 愛さんだって一番がいいんだけど!」

「かすかす言うなーー!!」

「え〜わたしも最初がいいな〜」

「……ってなワケ、さっきから」

「あははは……」

 

 肩を竦めて嘆息する果林に、目の前のぎゃあぎゃあ言い争っている惨状から自分が来るまでの経緯を理解したせつ菜は苦笑いを浮かべた。

 

「まぁ最初に出たいっていう気持ちはわかるけど……」

「どんな順番になったって、自分の最高のパフォーマンスをするだけよ」

「勿論です。順番に拘らないで、自分にできる精一杯を表現することが大切だと思います」

「私は一番だと緊張しちゃうかも……」

 

 ここでも意見は真っ二つ。最早日常と化した各々の意見や考え方の違い。けどそれこそが、自分たちの在り方だと、全員が理解している。故にぶつかり合い、言い争うことこそあれど、それが元で袂を分つことは絶対にない。それがわかっているからこそ、彼女たちは全力で思いをぶつけ合うことができるのだ。

 

「はい、皆さん落ち着いてください。このままじゃ埒があきませんよ」

 

 パンパン、と手を鳴らし、せつ菜は全体へと呼びかけた。

 

「時間は限られていますから、今日はここで話し合いは一区切りにしませんか? 私が言うのもなんですが、完全下校時刻も近づいていますし。出演順は今日中に決めてしまわないといけないものでもないでしょう?」

「んー、それもそうだね」

「それでは、各々練習開始、と言うことで!」

『はーい』

 

 これ以上は平行線だ、と薄々全員が感じていたのだろう。せつ菜の促しに対して、特に反対の声は上がらなかった。

 

「さて、私も頑張らなくっちゃ」

「せつ菜。彼方から新しい柔軟を教えて貰うんだけど、貴女もどう?」

「昨日テレビで見たんだよね〜。柔軟性アップ間違いなしみたいだよ〜?」

「あ、はい! ぜひご一緒させてください!」

 

 よーし、と意気込み、彼女は部屋の奥で手招きする果林と彼方の元へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

 彼方による地獄の柔軟を終えた後、本番で歌う曲のステップの確認を中心に練習を行い、学校を出たのが午後七時過ぎ。帰宅する頃には、日もしっかり沈み切っていた。

 

「おかえり、菜々。夕飯、温めておくから先にお風呂に入っておいで」

「はい。いつもありがとう、お母さん」

「気にしないで。ゆっくり入ってきて良いからね」

 

 母の気遣いに感謝しつつ、菜々は脱衣所へと移動した。

 浴室に入れば、母の手によって菜々好みの少しぬるめのお湯が張られている。全身を洗い終えると、菜々は湯船に体を沈めた。

 

「ふわぁ……」

 

 一日の疲れを、体が一気に思い出したかのように襲い来る脱力感に、菜々の口から思わず声が漏れた。

 次の日に疲労を残さぬように、とストレッチとマッサージをしながら、約二十五分程度の低温浴を終えて体を芯まで温めた。

 夕食を済ませると、少しの間だが母と話す。学校であったことや勉強のこと、他愛のない話だが家族で交流することのできる貴重な時間だった。それを終えると歯磨きを済ませ、母に『おやすみなさい』と告げて彼女は自室へと戻る。

 次の日の予習も終わり、時刻は午後十時半。早朝からの運動、多忙極まる生徒会、同好会の練習。ハードな毎日をこなすために、彼女はいつも決まってこの時間に就寝──

 

 

 

「さて──始めますか」

 

 

 

 ──なんてするわけがない。

 財布から机の引き出しの鍵を取り出し、開錠。中に入っていたノートPCを取り出し、電源をオン──『生徒会の書類整理に必要だから』と、こういった機器に疎い両親を説得し手にいれたハイエンドモデルのそれが恐ろしい速度で起動し、デスクトップを表示した。机の端にかかっているワイヤレスヘッドホンを装着。Bluetooth規格のゲームパッドを取り出し、カチャカチャとボタンを押してPCとの接続を確認すれば、準備完了。

 

 もうお分かりだろう、彼女が何を始めようとしているか。

 

 

 

 ()()()()()()()()

 

 

 

 それはインターネットの普及と共に、爆発的な速度で浸透した、現代の娯楽。

 かつて日常的にあった、子どもたちがどこかに集まってゲームをすると言う光景は、今では殆ど見ることはできない。何故ならば、()()()()()()()()()()。ボイスチャット、或いはそれに相当する外部コミュニケーションツールを用いれば、まるで一緒にいるかのようにゲームができるような時代になった。

 それに伴い、“一緒に遊ぶ友人の間口”も広がった。一昔前の人が聞けば信じられないような‘’ネットの友人”。この言葉が社会に浸透しているなどと、誰が予想できただろうか。

 

 

 ──閑話休題(それはさておいて)

 

 

 菜々は元々、スクールアイドルの他にゲーム、アニメ、漫画、ライトノベルが好きな根っからのオタク女子である。

 しかしその趣味を厳格な両親の前で大っぴらにすることもできず、打ち明けられる友人も少なかった。

 故に幼少期から彼女は、両親に内緒でひっそりとこれらのサブカルチャーを享受していたのだ。‘’大好き”を伝えたい、という彼女のスクールアイドルとしての原動力、起源(オリジン)はまさに此処にある。中川菜々の中に封じ込められた‘’大好き”を、隠すことなく表現し伝えたい──そんな思いから生まれたのが、スクールアイドル、優木せつ菜なのだ。

 

 

 つい先日、彼女のスクールアイドルとしての活動が両親にバレて、無理矢理辞めさせられそうになるといった事件があった。そんなピンチを、同好会のメンバーの協力を経て、自分のライブを見てもらうと言うチャンスに変えた彼女は、本気のライブで両親を説得し、見事にスクールアイドルとしての活動許可を勝ち取ることが出来たのだ。

 その際、彼女は自分の‘’趣味”についても両親に打ち明けている。驚きながらも理解を示してくれた両親に対して抱いた安堵は、菜々の記憶に新しい。そのことで、以前は両親にバレないように気を付けながら行っていた‘’趣味”の時間も、心置きなく楽しむことができるようになった。

 だがそれが原因でアイドル活動に支障が出たり、本業である学業をおろそかにして成績を下げることは、両親は勿論菜々自身がそれを許さない。故に彼女は全てを終わらせて、それから趣味の時間を始めるのだ。

 

 

 菜々が最近プレイしているのは、三人称視点のRPG。このFPS全盛期のご時世、その流れに逆らうような作風が受け、最近五周年を迎えた有名タイトルだ。

 大きな特徴としては、剣に魔法、銃火器に近代兵装等何でも有りで、プレイヤーが望むような役職に何にでもなれる、と言う点がある。

 故にスナイパーライフルで魔物を撃ち抜くプレイヤーもいれば、ライトセーバーでドラゴンを切り刻むプレイヤーもいる。この特徴から、さまざまな人気アニメや漫画とコラボを行っており、菜々がこのゲームを始めたきっかけも、彼女が好きなアニメがこのゲームとコラボをしていたからである。

 最初は軽い気持ちで始めた菜々だったが、あまりにも自由度が高く奥深いこのゲームの沼にどっぷりハマり、気づけばコラボ期間が終了した後も積極的にプレイをしていた。

 

 

 デスクトップのランチャーからゲームを起動し、ログインを済ませる。ロビーに到着すると、菜々はいつものようにショートカット機能から【ギルドハウスへ移動】を選択。数刻の暗転の後、画面がギルドハウス内に切り替わると、チャット欄に通知が届いた。

 

 

『やっほー、()()()。待ってたよ』

『遅くなりました。英語の課題の量が多かったもので』

『相変わらず真面目だね、優等生ちゃん』

『からかわないでください( *`ω´)』

『ごめんってw』

 

 

 菜々が話している人物は、このゲームを始める前に知り合った一人の女性だ。

 元来オタク気質のある菜々は、同じ趣味を持った人々がチャットで交流する、一昔前の掲示板やサークル機能の相当するような場所で、リアルで打ち明けることの出来ない趣味話(オタクトーク)に花を咲かせていた。

 その女性は、菜々が最も好きなライトノベルの大ファンで、話がとてもよく弾んだ。それ以外にも共通で好きなアニメや漫画があるとわかり、一気に距離が縮まった。菜々が今ハマっているRPGも、元はと言えばこの女性が勧めてくれたもので、最近は時間が合えば一緒にゲームをプレイするのが日課になっている。

 菜々が使用するハンドルネームは、彼女の芸名と同じくセツナ。元々菜々の大好きなラノベ作品のキャラから取った名前なので、由来の説明もしやすい。

 

 

『で? 今日はどーしよっか?』

『昨日の続きのボス倒しにいく?』

『あ、いえ。欲しい素材があるのでそちらに付き合ってもらっても良いでsか』

『良いですか、です』

『りょーかい』

 

 

 二人は昨今のネトゲ界隈では珍しく、VC(ボイスチャット)ではなくゲームに備え付けられたチャット機能を駆使して、文面で会話を行っている。無論、ゲームと連携したVCのできる外部ツールを導入し、互いにIDを交換しているが、それを用いて通話をしたことは一度もなく、使っているのはそこでもメッセージ機能のみだ。

 理由としては二つあり、先ずは二人の出会いのきっかけがチャットだったということ。数年単位でそれを続けていた彼女達にとって、文面で話すことの方が馴染み深く、安心感があった。そしてもう一つは——双方の利害の合致。

 菜々は当時、親に隠れて“オタ活”に取り組んでいたため、VCで誰かと話すなど論外だった。また親からの許可を得た今であっても、深夜帯まで誰かと話しながらゲームをしているとなればきっと話は変わってくる。彼女には高校生という立派な()()があるからだ。

 そして菜々には、スクールアイドル(優木せつ菜)というもう一つの顔がある。優木せつ菜は、その界隈ではかなり有名な方であり、声も顔もかなりネット上に出回っている。画面の向こうの相手を信用していないわけではないが、自分の個人情報を守る術として菜々なりに考え、声を出しての会話はやめた方がいいと判断していた。

 一方相手側はというと、リビングに置かれている据え置き型のPCでゲームをしているため、声を出すことができないという至ってシンプルな理由。こうした利害の合致によって、二人はチャット文での交流を行っていると言うわけだ。

 

『セツナは今日何時まで?』

『遅くても一時には落ちます』

『そう言ってこの前ドロ運悪すぎて3時まで起きてたよね』

『あれは忘れてください!』

『ていうか、そっか』

『一時からあれか。神回確定の』

『です! リアタイせねばなりません!』

『はいはーい。んじゃ早くドロップするようにがんば』

『……努力でどうにかなるならそうしたいです』

『wwwwww』

 

 なんて事のない、軽口の応酬。一人で趣味に興じるのも、同好会の皆と切磋琢磨するのも、こうして夜に画面の向こうの彼女とゲームをしながら話すことも。全てが今の彼女に取ってのかけがえのない時間で、少し前までの彼女には考えられなかったような時間だった。そんな当たり前に有り難みを感じながら、菜々は素材回収を終わらせるべく、ゲームの世界へと意識を没入させていった。

 

 

 ちなみに素材は一向に集まらず、楽しみにしていたアニメのリアタイ視聴に失敗したのはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

『ねーセツナ、最新話みた?』

 

 それから一週間後、菜々はいつものように例の友人とゲームをしていた。

 

『もちろん!リアタイ録画動画サイトで三き!』

『三回、です』

『見過ぎw 気持ちはわかるけど』

『いよいよここまできたって感じだよねー』

『ラスボス戦始まるし。まあこっからが長いんだけど』

『ですね!ワクワクします』

『やっぱし? セツナもそう思うよね』

『はい! そして最終決戦に入る前のアレ!』

『そうそう! あれはいい原作改変だったよねーアニメならではの演出って感じで』

 

 その返信を見た菜々は、我が意を得たりとばかりに溢れんばかりの思いをタイピングし始めた。

 その間一分、また一分と時間は過ぎていく。熱中している菜々は、そのことに全く気付いていない。

 

『セツナ? 大丈夫?』

 

 返信が止まり、固まってしまった菜々の様子を気遣う、友人のチャットにさえ。

 迸る情熱をキーボードに叩きつけること五分弱、彼女は誇らしげな笑みを浮かべながらそれを送信した。

 

『そうなんです! SNSではよく思ってない人もいるみたいなんですけど私はやっぱりこれまでの積み重ねがあってのあのシーンが有ったと思うし、そこに至るまでの描写がしっかりと補完されていて他の人たちが言ってる唐突とか原作無視だとかいう感情は全く抱きませんでした。むしろあの改変を入れることで最終決戦後のヒロインと主人公のやり取りのやり切れなさというか悲壮感が増すというか……それに次回は最終決戦回ですよね? わざわざ意味のない原作改変をするとは思えないし、きっと来週あそこの場面が意味を持つようなさらなる改変が待っているんじゃないかと思うんです!酷評を見た時は正直私の価値観に疑問を抱くこともありましたが、やっぱりあなたならわかってくれると思いました』

 

 チャット欄を一撃で埋め尽くす、膨大な文字の海。ただの一回送信した文が、横にスクロールバーを生産する始末。そしてそこで菜々は漸く、画面の向こうの友人が送ってきていた『おーい』や『大丈夫かー?』という、自分を心配している言葉たちに気付いた。菜々は即座に、キーボードを叩き直す。

 

『ごめんなさい、私夢中になってました』

 

 送信後、なかなか送られてこない返事。怒らせてしまっただろうか……と不安が胸に込み上げる。しかし向こうからの返事はそれから程なくして届いた。

 

『やーそんなことだろうとは思ってたけどさ』

『セツナって、夢中になると本当に周り見えなくなるよねww』

『こんなふうに分割して送ればいいのにさ』

 

「はぁ……良かった」

 

 安堵のため息もそこそこに、菜々は返事を送る。

 

『私そこまでタイピング早くないので……』

『だからこそだよ』

『会話と違ってリアルタイムで話せるわけじゃないからね』

『ちょろっと打つだけでも、返信の意志がわかるから』

 

 彼女のいうことももっともだ、と菜々は思う。しかしそれではダメだ、と叫ぶ自分が心の中にいるのも事実。

 アイドルとしての自分(優木せつ菜)が歌という形にして叫ぶ“大好き”は、あくまで等身大。切り分けることもなければ、それを人に伝えるにあたってチャットのようなラグは生じない。だからだろうか。自分の言葉を分割して入力し送信することに対して、菜々の中に漠然とした違和感、抵抗があるのだ。

 

 

 この時間差が、酷くもどかしい。

 

 心の中で燻る‘’大好き”が、画面の奥の彼女に百分の一も伝わっていないような気がして。

 

 自分の思いを、言葉ではなく文字にした途端、熱を失っていくような気がして。

 

 

 積み重なっていく歯痒さは、やがて彼女に一つの思いを募らせる。

 菜々はその言葉をチャット欄に打ち込み、送るかどうか迷いに迷い──勇気を出して、Enterを鳴らした。

 

 

 

 

 

『じゃあ、会って話してみませんか』

 

 

 

 

 

 これまでも、何度か思っていた。これだけ気が合う話ができるなら、リアルで会ってもきっと楽しいはずだ、と。実際に会う恐怖よりも、興味の方が勝っていた。

 しかし相手からの返事はない。アバターの動きも止まっている。唐突に途絶えたレスポンス、菜々の心に少しずつ不安が募っていく。やはり不味かっただろうか……と思ったその時、通知音が鳴った。

 

『……本気で言ってる?』

 

 端的な疑問文。チャットの文面からでは、その感情が正と負、どちらにあるかは汲み取れない。

 

『……私は、本気で言いました』

『あたしと、会って話したいって?』

『はい、そうです。貴女はどうなんですか?』

 

 再度途切れる返事。菜々が辛抱強く待っていると。

 

『……わかった、会って話そう。あたしもセツナに会ってみたいしね』

 

「っ! やった……!」

 

 思わず呟きが漏れた。歓喜の気持ちのまま、菜々はキーボードに指を走らせる。

 

『嬉しいです! 楽しみです! いつにしますか?』

『ちょ、気合い入りすぎw』

『だっtれ!』

『だって、です』

『そこまで楽しみにしてくれて、あたしも嬉しいよ』

 

 そこから二人は、今後の予定を詰めていく。

 

 

 菜々の提案から始まった、唐突なオフ会。

 

 それが二人の関係にどのような結果をもたらすか──この時の二人は、知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ……遅刻です」

 

 そして約束の日。菜々は早足で人ごみの中を歩いていた。地方に住んでいる彼女が、菜々のいる東京、お台場まで来てくれることになり、待ち合わせ場所の駅へと菜々は急いで向かっている。

 遅刻、と言ったが厳密に言えば少し違う。菜々は朝早起きをして、余裕を持って相手を迎えに行くつもりのスケジュールで準備をしていたのだが、準備をしている途中で向こうから『送ったのより二本くらい早いやつに乗れた』と連絡が来たのだ。そうなるとゆとりを持って準備するわけにもいかない。スケジュールは一瞬で破綻した。

 

「わざわざ来ていただいているのに申し訳ない……!」

 

 そして今に至る、というわけだ。バタバタの準備になってしまったが、それでも最大限のお洒落をしていた。

 上はターコイズブルーのセーターに、黒のショートコート。下は白のフレアスカートをチョイスし、黒のショートブーツと合わせてある。靴下は、彼女(せつ菜)のパーソナルカラーである緋色(スカーレット)がわずかに顔を出していた。反面、髪は三つ編みで、いつもの細縁丸メガネの菜々スタイル。但し制服とは違い、薄茶色のベレー帽を被っている。

 

「ええっとええっと」

 

 早足を続けたまま、菜々はポーチから携帯を取り出し、メッセージアプリを起動。

 

『もう着いちゃった。待ってるからゆっくり来てくれて大丈夫だよ』

 

 つい先ほど送信されてきたメッセージを再度確認する。その下には、今日着ている彼女の服装の写真が送信されていた。疑っていたわけではないが、女性とわかるシルエットや指先の見える写真が送られてきた菜々は少し安堵する。白いロングコートに、スキニータイプのジーンズ。チラリと写っているリュックには、互いの好きなアニメキャラのマスコットキーホルダーがぶら下がっていた。これだけの情報があれば、きっと探し出すことができるだろう。

 事実、待ち合わせ場所にたどり着いた瞬間、すぐに見つけることができた。人混みでごった返す中、一人の女性が駅構内の円柱にもたれ掛かりながら、俯いてスマホを操作していた。

 

「……あの、すみません」

 

 女性の右側に立ち、声をかける。女性はスマホに夢中で聞こえていないのか振り向かない。

 菜々は意を決して、スマホを触っている女性の視界に入り込むような形で、屈みながら再度声をかけた。

 

「すみません」

「っ!? は、はいっ」

 

 突如視界に入ってきた菜々に、女性は驚いたように肩をビクンと跳ね上げた。菜々は改めて女性の全身に目をやる。

 身長は菜々と同じくらいか少し上。腰辺りまで伸ばされた艶やかな黒髪の長髪は、結ばれることなく風に靡いている。顔立ちは大人びており、可愛いという言葉よりも、美人と称する方が相応しい。色白な顔の中央に鎮座する、大きな碧色の瞳が不安げに揺れている。緊張がこちらまで伝わってくるようだった。

 

「あの、人違いだったらごめんなさい──」

 

 菜々が“その名”を呼ぶと、女性は驚きに目を見開いた。

 

「え……ってことは、キミがセツナ?」

 

 喧騒に消えてしまいそうな程小さな声で、彼女は菜々に問いかけた。

 

「はい、そうです。初めまして」

「初めまして、だね」

 

 菜々の挨拶に対しても、会釈のような小さな笑みと小声の返事を返すだけの彼女。

 

「……なんだか不思議な感覚ですね」

「ね。びっくりだよ。こんな可愛い子が来るなんて想像もしてなかったし」

「照れますよ、そんな。貴女だって、びっくりするくらい美人じゃないですか」

「あはは。丁寧にどうも」

「うふふ」

「……」

「……」

 

 沈黙が流れる。チャットで話している時と、雰囲気が違う。話す話題には事欠かないはずなのに。いつものように気さくな感じで話せると、勝手にそう思っていた。そこで菜々は気付く──もどかしいはずのチャット間の()()こそが、自分達の会話には必要だったのだと。

 とはいえ、誘ったのは自分だ。この空気をなんとかしなければ……と、菜々は必死に頭を回しながら周囲に視線を泳がせる。すると左側に、飲食街に吸い込まれていく人々の姿が飛び込んできた。時刻は昼前、長旅で疲れているだろうと菜々は結論付け、意を決して口を開く。

 

「えーっと、立ち話もなんですからとりあえずお店に入りましょうか。丁度昼食の時間ですしね」

「えっ?」

「ん?」

 

 予想外の聞き返しに菜々は戸惑う。何かおかしなことを言っただろうかと彼女の様子を見ると、周囲のざわめきに気を取られているようにキョロキョロと辺りを見回している姿が目に入った。

 地方から来たと言っていたから、人が多いのが珍しいのだろうか……と菜々は想像を働かせ、苦笑しながら再度彼女に問いかける。

 

「お店、どこかに入りませんか?」

「ん、あぁ、そうだね。どっか座れるところに行こっか」

「どこか希望ありますか? 食べたいものとか言ってくれれば探しますよ」

「そーだなー……静かなとこがいいかも。ゆっくりセツナと話したいしさー。さっきからもう人が多くて酔いそうだよ」

 

 彼女は舌を出しながら、困ったように笑う。そんなコミカルな様子をみた菜々は、耐えられずに吹き出した。

 

「でしたら、喫茶店にしましょうか。オススメのお店があるんです。少し歩きますけどいいですか?」

「ん。道案内よろしくね」

 

 そう言いながら彼女は、ウインクをしながら右手の握り拳を鼻に当て、少しだけ前へと突き出した。見慣れないポーズに、菜々は首を傾げる。

 

「何ですか、そのポーズ。何かのアニメキャラの真似でしょうか?」

「えっ……あーまぁそんな感じ。ほらセツナ、早く行こうよ」

「あ、そうですね……では行きましょう。こっちです」

 

 彼女の促しに答え、菜々は喫茶店の方角を指さしながら歩き始めた。

 

 

 

 

 十分ほど歩くと、目的の店へと辿り着いた。

 街中から少し入った路地にある喫茶店で、都会の喧騒から離れられる、落ち着いた雰囲気の店だ。

 同好会のしずくから教えてもらった店で、一緒に来店して以降気に入った菜々は、一人でも定期的にここに訪れている。

 入店し、二名であることを店員に伝えると、窓側の二人用席に案内された。

 

「いい場所だね、ここ」

「気に入ってくれましたか?」

「うん。ここなら落ち着いてゆっくり話せそうだ」

 

 友人の笑顔を見た菜々も、安堵の笑みを見せた。

 メニューを二人で見合い、二人分の飲み物とサンドイッチのセットを選んで注文を済ませる。

 飲み物が届くまでの間、二人は他愛ない話に花を咲かせる。

 

「都会だと思ってたけど、ここまでとはねー。セツナはいつもこんなところで生活してるんだ。疲れないの?」

「生まれた時からずっと東京にいるので、この喧騒も私の生活の一部です。人が多いのは、苦手ですか?」

「人が多い、ってよりもうるさいのがどうもねー。疲れちゃうんだよね、騒がしい場所にいるとさ」

「あ、あはは……そうなんですね」

 

 眼前の彼女は心底うんざりしたように呟いていたが、普段から人が集まる場所でパフォーマンスをしている菜々からすれば、なんとも同意しづらい話だった。

 

 

「そういえば、年齢ってお伺いしても?」

「おっ、やるね〜セツナ。初めてのオフ会、初めて会う相手に対して年齢を聞くとは」

「あっ、いやそんなつもりじゃ……!」

「冗談だよ冗談。ただ気をつけたほうがいい。そういう話を嫌がる人だっているし──そんな何気ないことが、地雷になる人だっているんだよ? ま、アタシは全然気にしないけど、今後セツナがこんな風にオフ会することがあるのなら」

「し、しません! 私が会うのは、貴女だけですっ!」

 

 菜々は声高に叫んだ。静かな店内に、奈々の声が響き渡り一気に視線が集中する。

 

「あ、す、すみません……」

 

 顔を真っ赤に染めながら、菜々は頭を下げて店内の客に謝罪した。

 そのまま顔を伏せていた菜々の耳に入ってきたのは、眼前に座る彼女の笑い声。

 

「セツナ、必死すぎ」

「ご、ごめんなさいでもっ」

「わかってるって。ありがとね、嬉しかったよ」

 

 今日会ってから初めて見る彼女の優しい笑み。菜々は驚きを隠せずに目を見開いた。これまでずっと、どこか一線を引かれたように感じていた彼女との距離が、一気に縮まった気がして。今漸く、彼女との交友が始まったような、そんな感覚を覚えた。

 

「……質問の答えだけど。あたしは今二十一。大学三年生だよ」

「わ、結構離れていたんですね」

「意外?」

「年上かなとは思っていましたが、想像以上でした」

「ふーん。やっぱり嫌かな?」

「全然。寧ろ嬉しいです、なんだかお姉ちゃんができたみたいで」

「……そっか」

「あれ、どうかしましたか? 顔が少し赤いような……」

「い、いいんだよ別に。気のせいだって」

 

 菜々から目線を逸らしつつ手をパタパタと振る、明らかに照れている様子の彼女を見て、菜々は微笑んだ。

 

「あ、申し遅れましたが私の方は……」

「高校二年生。でしょ?」

「えっ!? どうして……」

「わかるよそりゃ。いっつも予習してから来るって言ってるし、この時点で高校生。受験生だとしたらここまで頻繁にゲームしたりはしないだろうし、三年生っていう線も薄い。残りの二択は勘。セツナの見た目で決めた。去年まで中学生でしたって感じでもないしね。いい意味で垢抜けてるっていうかさ」

「凄い! アニメに出てくる探偵みたいです!」

「ふふふ、もっと褒めてもいいよん」

 

 拍手と共に瞳を輝かせながら褒める菜々に、彼女は誇らしげに笑いながら両手でピースを返した。

 そんなふうに話していれば、頼んでいた軽食とドリンクが卓上に届けられる。

 

「わ、写真より美味しそう」

「はい! 見た目に違わぬ美味しさですよ」

「……結構イイ金額するんだから、期待してるよ?」

「え、そうなんですか?」

「田舎舐めんなよー? あたしの地元なら同じ金額でパスタが付いてくるんだから」

 

 はぁ〜、と呟きを漏らしながら、菜々は心底感嘆した。菜々自身もこの店が決して安いと思っていたわけではないが、それでも女子高校生の自分からしても手が届きやすい金額設定をしている、という印象だったからだ。

 

「ま、食べる前にする話でもなかったね。冷めないうちに食べようか」

「あ、はい。頂いちゃいましょうか」

「いただきまーす……」

「いただきます」

 

 二人同時に手を合わせ、卓上のホットサンドに手を伸ばす。

 具材はオーソドックスなBLTで、薄らと焼き色が付いたトーストはまだ少しだけ暖かい。

 一口齧ると、一気に濃厚なソースの風味が口の中で主張を始めた。それらがトマトの酸味と絡み合って、厚めにスライスされたベーコンの旨みをより引き立ててくれる。

 

「うん、やっぱり美味しいっ」

 

 記憶通り、あるいはそれ以上の美味しさに笑みが溢れる。最初にしずくに連れられて食べた時から、菜々はこの店のサンドイッチがお気に入りだった。

 向こうはどうだろうか、と視線を上げて様子を伺うと。

 

「んー、うまいっ」

 

 自分以上に瞳を輝かせる彼女の姿を見て、菜々は思わず微笑んだ。

 

「お気に召したようで安心しました」

「パンを片面だけ焼いたホットサンド、ってのがまた良いね。こう、表面の温かさと中の具材の冷たさのアンバランスさっていうか……」

 

 うんうんと頷きながら、彼女は笑顔でホットサンドを頬張っている。

 

「やー羨ましいな。セツナの日常には、こんな美味しいものが満ち溢れているなんて」

「貴女の住んでいるところには、こんな店はないんですか?」

「んー、ちょっと都市部まで出ないと無いかなー。ちょろっと立ち寄れる範囲にこんなお洒落で美味しい店は少なからず無いよ」

「そうなんですね……ぜひ行ってみたいです、貴女が住んでいるところにも」

「やめときなやめときな、こんな便利な場所からこっちに来たら不便すぎて暮らしていけないよ」

「え、本当に?」

「そーだよ。あたしの地元はさ──」

 

 そうして二人は、何気ない話に興じていく。

 数年の付き合いだとしても、顔を合わせればやはり話題には事欠かない。そうして気づけば彼女たちは、ランチタイム営業の終了時刻まで話に花を咲かせていた。

 

 

 

 

「すっかり話し込んじゃったね」

「はい! とても楽しかったです」

 

 会計を済ませ、二人は店の出入り口前で笑い合う。そこには出会った当初の緊張感は微塵もなかった。

 

「この後はどうする?」

「そうですね……ここからだと映画館とかが近いんですけど」

「ん?」

「あ、映画館です映画館。前に観たいアニメの映画があるって言ってましたよね? よかったら一緒にどうですか?」

「……映画、ねぇ」

 

 うーむ、と言いながら顎に手を当てる彼女の様子を見て、菜々は首を傾げる。良い提案だと思っていたのだが不満があるだろうか……と思っていると。

 

「映画はまた今度でいいかな。朝早起きだったから寝ちゃいそうだし」

「あ……そうですよね。ごめんなさい、配慮が足りませんでした」

「いいよいいよ気にしないで。考えてくれてありがとね」

 

 頭を下げる菜々に対して、慌てたように彼女は感謝の意を述べる。

 

「代替案って言っちゃなんだけど、アニメショップ連れてってよ。東京限定のやつなんか探して買って帰ろうかなって思っててさ」

「あ、良いですね! 二人で見るのも楽しそうです」

「でしょ? それじゃセツナ、道案内よろしくね」

「わかりました」

 

 そうして二人は、近場のアニメショップに歩き始めた。

 

「ここから五分くらいで着く見たいです」

「お、本当に近場だ」

「この辺はそういうお店が多いですからね。オタクに優しい……街……で……」

「ん、セツナ?」

 

 菜々の視線の先にあったのは…

 

「──スクールアイドル専門店、ねぇ」

 

 その呟きも、菜々の耳には入っていなかった。

 スクールアイドルのブロマイドやグッズ、CDを取り扱うその店は、ファンと思われる人たちでごった返している。かく言う菜々も、アイドルオタクとしての血が騒ぎ始めていて。

 

「──セツナー。帰ってこーい」

「っ!? あ、ごめんなさい!」

 

 隣にいる彼女からの呼びかけで、菜々は冷静さを取り戻した。

 

「大丈夫?」

「すみません、少しぼーっとしていて……」

「ふーん……好きなの?」

「えっ?」

「スクールアイドル。すごい興味アリ気だけど」

 

 その問いかけに、菜々はすぐに答えを返すことができなかった。今この場にいる彼女は、中川菜々でもなければ、優木せつ菜でもない。あくまでアニメや漫画が好きなオタク女子、セツナなのだ。故にこれまでセツナとしてアイドルの話をしたこともないし、するつもりもなかった。自分の中の‘’大好き”を伝えるのは、優木せつ菜の仕事であって、セツナがすることではない。セツナは彼女と、興味が合う話をできるだけで良かった。

 だからこそ、スクールアイドルが好きだと、セツナとしてYESと答えることに若干の抵抗があったのだが。

 

「隠さなくてもいいよ、別に」

「え」

「わかるって、それだけ熱心に見つめてたらさ」

「……そう、ですよね」

「行っといでよ、まだ時間あるし。あたしはここで待ってるからさ」

「えっ、良いんですか?」

「いーよ全然。友達のオタ活邪魔するつもりなんて全くないし……あたしは行かないけどね。人混みとかうるさいのは苦手だからさ」

 

 そう言いながら、彼女は菜々に笑顔を向ける。その言葉と様子に、菜々は心からの暖かさを感じた。

 

「……ありがとうございます! ではお言葉に甘えさせていただきますね!」

「はーい。気を付けてね」

 

 行ってらっしゃい、と手を振る彼女に対して菜々も手を振り返すと。

 凄まじい速さで人混みの中に消えていった。

 

 

 

 

「ふふふふふふふ」

「満足げだね」

「貴女のおかげです!」

「さいですか」

 

 十五分程で、菜々は店を出た。買いたかったものが買えて極めて上機嫌で帰還してきた菜々の様子を見た彼女は思わず苦笑する。

 

「そんなに好きなんだね」

「いいですよ、スクールアイドルは! 歌う側にも、聞く側にも大好きが溢れていて。とっても幸せになれるんです。アニメや漫画と同じなんです、私にとって。同じくらい大切で、大好きな存在で……勇気をもらえるんですよね。辛くて苦しい時、スクールアイドルの曲を聞くと、すごく元気になります!」

「……なんかよくわかんないけど、セツナがそれを大好きなのは伝わってきたよ。それに文字がいっぱい。いつものチャットみたいだ」

「うぅ、からかわないでくださいよ……」

 

 

 顔を赤らめて伏せた菜々の耳に、控えめな笑い声が響いた。

 

 

 そんな菜々の耳に飛び込んできたのは。

 

 

「やったー! 優木せつ菜ちゃんのブロマイド無事に手に入れたよ!!」

 

 

「ッ!?」

 

 跳ね上がりそうになった肩を、菜々は必死に抑えた。

 後ろを見れば、すぐ近くで女子中学生と思わしき少女が、友達に自身が手に入れたブロマイドを自慢している姿が飛び込んでくる。

 彼女の手に握られているのは──

 

「はぁ……いつ見ても可愛い……優木せつ菜ちゃん!! 最っ高……!!」

 

 恍惚な笑みを浮かべながら、女子中学生は嬉しそうにその名を──アイドルとしての菜々(優木せつ菜)の名前を叫んでいる。

 

「へー。今せつな、って聞こえた気がしたけど、セツナと同じ名前のスクールアイドルがいるんだね」

「えっ!? あぁ、そうみたい、ですね……」

「ユウキ、セツナ? って言ってたね。どんな子か知ってる?」

「んんー、まぁーその、知らないわけでは無いですけど」

 

 歯切れ悪い返事を重ねる菜々。その時、周囲から歓声が上がる。

 

「あっ、見て! せつ菜ちゃんだ!」

 

 一人の少女が、ビル街の一角に備え付けられた、大画面液晶を指差す。

 そこには、優木せつ菜の先日行ったライブ映像が放映されていた。

 

「あ゛っ」

「おーあの子が優木せつ菜………………え?」

 

 菜々の隣から、不審げな声が聞こえた。

 見た目だけなら、まだ誤魔化しが効いたかもしれない。だが名前が同じという共通点が、彼女の疑念をより深めているのは想像に難くなかった。

 

「“優木せつ菜”……()()()?」

「あ、いやその……」

「優木、せつ菜……ねぇ、この人ってもしかして」

「う、うぅ……」

 

 いつか彼女にも話そうとは思っていた。両親から承諾を頂いた以上、菜々が芸名を使って(本名を隠して)アイドル活動をする理由はどこにもない。しかしそれでも、決して短くはない、菜々が優木せつ菜として活動してきたキャリアが、安易に正体を明らかにすることを躊躇わせる。

 しかしそれも一瞬。彼女は答えを口にする。

 

 

 

 

「はい、そうです──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 彼女に嘘を、吐きたくなかった。

 今日会うのが初めてだろうと、彼女は自分にとって無二の友人である事に変わりはない。今日だって、会いたいと言った自分の我儘に応えて、わざわざこちら側まで来てくれた。ならばこそ、自分は彼女に対して真摯であるべきだ。

 そう結論付けて、吐き出した言葉。彼女はそれを受けて、数瞬驚いたように目を見開き──ややあって、困ったような笑みを見せた。

 

「そう、だったんだ……」

「似合って、ませんか?」

「んーん、そんな事ない。セツナは美人さんで性格も明るいし」

「怒って、いますか……?」

「いや、全然?」

「じゃあどうして……ッ!」

 

 そこから先は、何かが喉につっかえたように言葉にならなくて。

 言い淀んだ自分の様子を不審そうに見つめている彼女の姿を見て、菜々は小さく溢した。

 

「どうして、今そんな顔をしているんですか……」

「え?」

「私がスクールアイドルであることを告げてからです、そんな顔になったのは……隠さないでください、貴女に嘘をついて欲しくないんです」

「……えっと」

「だからッ!!」

 

 菜々の感情のボルテージが上がっていく。スクールアイドルは、菜々にとっても譲れない部分。眼前の彼女の本心をはぐらかすような返答や表情に、憤りに近い感情が込み上げてくるのを抑えられなかった。

 

「……いきなり声を荒げてごめんなさい」

「セツナ……」

「……私は貴女のことがずっと大好きでした。そしてその想いは、今日実際にあなたに会ってみても変わらない、寧ろより一層強くなりました」

 

 俯き、拳を握りながら菜々は呟く。

 

「私は、この世界をみんなの“大好き”で溢れかえる世界にしたい……! 私にとって、スクールアイドルも貴女も、何にも代え難い‘’大好き”なものなんです! これまで隠していてごめんなさい、黙っていてごめんなさい……でも」

 

 そこで一度言葉を切り、菜々は付けていたメガネを外し、結んでいた三つ編みを解いた。

 それによって顕になるのは、中川菜々のもう一つの姿──優木せつ菜。

 

「これが……いいえ、()()()私です!」

 

 胸に手を当て、菜々は──せつ菜は、彼女の瞳を力強く見据えた。

 

「だからお願いです。知ってください、私のことを。その上で、教えてください、貴女のことを! どんな小さなことでもいい。貴女が思った事、感じた事……それらも全て含めて、貴女のことをもっと“大好き”になりたいんです!!」

 

 せつ菜の声には、ステージでのパフォーマンス同様、想いが籠っていた。そして聞いた者の心を震わせる、力があった。それこそが彼女の持つ天賦の才であり、持つべきものだけが持つ、天性のカリスマである。せつ菜は信じている──自分の歌と声には、“大好き”を人に届ける力があると。本気で伝えれば、きっと相手に届くはずだと。

 

「改めてお願いします──ちゃんと聞いてください。言葉にすれば、きっと分かり合えるはずですから」

 

 きっと彼女もわかってくれる。そう確信するせつ菜の表情は、屈託のない笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 だからせつ菜は、気が付かなかった。

 

 

 

 己の口にした言葉の、致命的に過ちに。

 

 

 

 

 

 

 

「──────」

 

 

 せつ菜は気付く。話を黙って聞いてくれていた彼女の表情が、一瞬心の痛みに耐えかねたかのように大きく歪んだことに。

 知っている。せつ菜は──菜々はその表情の意味を、身を以て知っている。

 それは人間が、心の奥に秘めた誰にも触れられたくない部分に触れられた時の──それがもうどうしようも無いことだと受け入れるしかない亡失と諦念に襲われた時の、それが溢れそうになるのを抑えるために見せるものだと。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()菜々には、それがよくわかってしまったから。

 

「あ、あの……」

 

 菜々は彼女に恐る恐る声を掛ける。そこに先ほどまでの、優木せつ菜のような自信は微塵も感じられない。

 返事をせず、ただ茫然と立ち尽くしていた彼女は、一つ大きなため息を吐くと──ポケットからスマホを取り出すと文字を打ち込み始めた。ややあって、彼女は画面を菜々に向ける。

 

 

『ちゃんと聞けなくてごめんね。』

 

 

 端的に纏められた謝罪の言葉。それを打った彼女は、困ったように笑っていた。

 それを見せられた菜々には、ただただ困惑が訪れる。 

 

「な、なんでですか……?」

 

 疑問を口にしながらも、心のどこかが警鐘を鳴らしていた。

 ドクン、と心臓の鼓動が煩い。口の中が急に乾き始める。

 そんな菜々に対して、彼女はスマホの画面を下にスクロールし、打ち込んであった続きの言葉を見せた。

 

『あたしも、セツナのことが大好きだよ。でもあたしには絶対に知られたくないことがあって、ずっとそれを伝えるか迷ってた。言えばもうセツナとは友達で居られないかもって思ってたから』

「な、何を……一体どういう……?」

『今日、誘ってくれて本当に嬉しかった。会えばあたしの秘密を知られちゃうかもって思ったけど、一日だけなら大丈夫だって自分に言い聞かせてた』

「意味が……わかりませんっ……!」

 

 口ではそう言いながらも、菜々は薄々、その()()に気付き始めていた。

 今日一日、彼女と過ごす中で、違和感を覚えることが何回もあった。それが今、自分が気付いた答えと急速に結び付き始める。

 

 ──違う。そんなわけがない。

 

 感情は、その答えを否定する。けどそれを馬鹿げていると笑い飛ばすことを、状況と理性が許さない。

 

 やがて彼女はスマホを一度手元に戻し、新たに文字を打ち込んで菜々の眼前に差し出す。

 

 

 

『あたしを見て』

 

 

 その促しのまま、菜々は正面へと視線を移す。

 そして彼女が長い横髪を掻き上げ、そのまま右耳へと掛けた。

 

 

 

 それが、答え合わせだった。

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 菜々の表情から、血の気が消え失せた。

 

 

 

 

 それは彼女の秘密を知ったからではなく。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「──ごめんね」

 

 

 

 文字ではなく、言葉でそう告げた彼女に対して、菜々は言葉を返すことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 感音性難聴。

 

 それが彼女の語った、己の秘密だった。

 症状は人によって様々であり、彼女の場合は左右の聴力低下に加え、『音が複数ある環境で特定の音を聞き分けるのが難しい』という困難があった。また左右の聞こえにも差があり、左は比較的静かな場所であれば、普通の声量でも聞き取りが可能だが、右は補聴器を使用して尚日常会話に支障をきたしかねない程である。

 生まれつき、というわけではなく、彼女が高校二年生になるまでは、両の耳で普通に聞くことができていた。どこにでもあるような普通の高校生活を送っていた彼女の日常は、唐突に奪われたのだ。

 

『突発性、ってやつがあってさ。最初はなんか聞こえづらいなーぐらいの感じで、まあ気のせいだろって無視してたんだけど。高を括って放置してたら、反対側も聞こえなくなっちゃってさ。これはヤバイ、って焦って病院行った時にはもう手遅れ』

 

 あれから二人は、近場の公園のベンチへと移動して腰掛けた。彼女は菜々に対して、スマホを使いながら抱えていた秘密を打ち明けてくれていた。

 

『ショックだったし、何より怖かった。今まで当たり前にあった音が自分の世界から消えていくなんて、想像すらしたこともなくて。なんであたしなんだって、何回も思ったよ』

「……」

 

 彼女の独白に対して菜々ができるのは、ただ無言で相手の言葉を待つことだけ。そんな菜々の様子を見た彼女は苦笑しながら続きの言葉を打ち込んだ。

 

『実はね、セツナ あたし、スクールアイドルやってたんだ』

「えっ……」

『ほんとだよ、セツナみたいに有名にはなれなかったけど、いつか大きな大会にも出てやろうって、仲間たちと一緒に頑張って……そんなアオくさい青春の日々が、あたしにも確かにあったんだ』

 

 そこで彼女は、目を閉じながら天を仰いだ。

 

「……最初は絶対負けるもんかって思ってた。耳が聞こえなくたって、アイドル続けてやるんだって」

 

 そこからの言葉は、彼女の口から紡がれていく。

 

「ごめんセツナ、ちゃんと聞こえるかな? 自分の声も聞き取りづらいから、周りにあった大きさでしゃべれてるかわかんなくて」

「……大丈夫、です。大きすぎることもありません……あっ」

 

 菜々はそこで言葉を切ると、両手で大きな丸を作って彼女に示した。そんな様子を見た彼女は笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 

「ありがと。このくらい静かな場所なら、多分セツナの声も聞き取れるよ」

「あっ……そう、ですか」

「うん……で、続きだけど。結果としてあたしはスクールアイドルを辞めた」

「……一応、理由をお伺いしても?」

「セツナもわかってくれると思うんだけど……アイドルとしてのパフォーマンスは、そのほとんどを耳に依存してる」

 

 彼女がいう言葉の意味を、菜々は自身の経験と照らし合わせながら正しく理解することができていた。

 個人やグループで差は生じれど、“曲に合わせて歌い、踊る”ということはスクールアイドルの根幹部分だ。この曲に合わせる、という部分にハンディがある場合── どれだけの困難がその夢に立ちはだかることか。

 通常アイドルやアーティストは、パフォーマンスの際には耳にインカムを装着している。耳元から流れる曲はリズムやタイミングを知らせる羅針盤であり、この羅針盤が狂ってしまうとパフォーマンスに歪みが生じることになりかねない。特にグループで活動するアイドルの場合、全体の動きを揃える必要があるので、羅針盤の重要性がより高まると言っても過言ではないだろう。

 

 

 

 ──()()()()()()()()()()()

 

 

 

「想像してみて。自分が今どこを歌っているのか、どこを踊っているのかわからなくなるんだよ」

 

 彼女の耳は、騒がしい場所やたくさんの音がある場所で、それを聞き分けることができないという特性がある。その特性がもたらすハンデは、あまりにも大きい。羅針盤が機能しない状態で、全力で歌い、踊りながらコンマ一秒も周囲とずらさないということが、彼女には求められていた。

 

「そうなってくると、周囲の様子を見ることに、ただタイミングを合わせることだけに一生懸命になる。そして出来上がるのは、表現なんて二の次で、周りの動きを見ることだけに全力を注ぐ、笑顔の無い常に辛そうな顔してるロボットみたいなスクールアイドル……こんなの、見てて楽しいと思う?」

「……」

「楽しくないよね。だってあたし自身が、全く楽しくなかったもん」

「っ……」

「それでもグループのみんなは、あたしに合わせようとしてくれた。なんとか頑張って、今まで通りにって。それが原因で練習の質が下がって、大会の予選も落ちて……そうなったらもう、あたしのせいじゃんね。誰も口にはしなかったけど、全員がそう思ってたはずなんだ」

 

 だから辞めた。そう言って彼女は、菜々が一目でわかるような作り笑いを浮かべる。

 

「……そうだったんですね」

「ごめんねセツナ……さっきあたしは、セツナに嫉妬したんだ」

「……」

「眩しいくらいに、自分の好きなことに一生懸命で、夢に向かって突き進むセツナは、過去のあたしそのものだったから。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったから」

「……っ」

 

 菜々はそれ以上、彼女のことを直視できなかった。

 己の抱えていることを、ここまで赤裸々に話してくれる彼女は、きっと菜々のことを信頼してくれているのだろう。だからこそ、彼女の秘密を知れば知るほど、自分のしてしまったことの罪悪感が心の中で膨れ上がっていって。

 

 

 

 ──『私は貴女に、嘘を吐いてほしくないんです』──

 

 

 

 それは嘘ではなく、彼女の触れられたくない秘密で。菜々は無理矢理、それをこじ開けようとした。

 

 

 

 ──『ちゃんと聞いてください』──

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()彼女に、こんなに心無い言葉を笑顔で投げ掛けて。

 

 

 最低だ。最低の人間だ。

 菜々は自分を責め続けていた。

 そんな俯いたままの菜々に、頭上から声が響く。

 

「……好きの反対は無関心、なんてよく言うけどさ。あたしはそうじゃなかったよ」

「どういうことですか……?」

「自分の大好きだったモノ……それに向けていた(プラス)の感情が(マイナス)の感情に向かう時──それは反対になるんじゃなくて、()()()んだよ」

「裏、返る……」

「うん、大好きの感情は裏返って……人はやっぱりそれが、()()()に変わるんだ」

「っ!」

「そう、あたしはねセツナ」

 

 勢いよく顔を上げ、菜々は声の主である彼女を見た。

 

 

 

「──あんなに大好きだったモノ(スクールアイドル)が、嫌いになっていくことに耐えられなかったんだよ」

 

 

 

 その言葉が、きっと彼女の全てだったのだろう。

 彼女は憑き物が落ちたように、作り笑いではない、今日一番の優しい笑みを浮かべていて。

 

「ごめんね。セツナは本当に良い子で、優しくて……一緒にいて楽しいし、今日会えて良かったなって思ってる」

 

 そう言葉を続けながら彼女は、菜々の頭を優しく撫でた。

 

「セツナの本気は、しっかり伝わったよ。きっとキミはこれからスゴいスクールアイドルになって、自分の夢を、叶えていくんだね……」

 

 その手は優しく、菜々に慈しみすら感じさせる。

 彼女はまさしく、妹の成長を見守る、姉のような優しい表情で菜々のことを見ていた。

 

「でも」

 

 そしてその手は不意に止まり。

 時が止まったかのような静寂の中、その言葉は放たれた。

 

 

 

 

 

「──キミの‘’大好き”は、あたしには重すぎる」

 

 

 

 

 

「っ……──!」

 

 それは、菜々の心の柔らかい部分を、痛烈に抉る言葉だった。

 

「きっとセツナにはわかんないよ。あたしがどんな気持ちで、今こうして生きているのか」

 

 言いたいことは、たくさんあって。

 でもそれを言葉にしてカタチ作る部分が、凍りついたように動かなくて。

 

「“大好き”が溢れる、“大好き”を否定しない世界……すごく素敵で、そんな世界ができればきっと良いんだろうなって思うあたしもいるけど」

 

 彼女の言葉を聞きながら、菜々にはもうわかっていた。わかってしまっていた。彼女が自分に、一体何を伝えようとしているのか。それを菜々は──せつ菜は十分理解しているつもりだったのに。

 改めてその現実と、直面させられた。

 

 

 

 

「──それを望まない人もいるってことを、心のどこかで覚えておいてね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅあぁッ!?」

 

 声にならない悲鳴をあげながら、体が半自動のように跳ね上がった。

 爪が食い込むほど握られた拳、浅く荒い呼吸、激しく上下する肩。汗で顔に貼り付いた前髪が鬱陶しくて、菜々は乱雑にそれを掻き上げる。そこまでしてやっと、彼女は自分が悪夢に魘されていた事に気づいた。

 

「……ぁ」

 

 そして菜々は思い出す。公園で彼女と別れ、虚な感情のまま家に帰り、両親がたまたま外出していたのを良いことに自分の部屋のベッドに転がり込んで……そのまま眠ってしまっていたことを。

  

 

 

 

 ──彼女に告げられた言葉を。

 

 

 

 

 ——『キミの‘’大好き”は、あたしには重すぎる』——

 

 

 

「っぁ……」

 

 何度も脳内でリフレインする、昨日の言葉。

 

 

 

 

 ——『きっとセツナにはわかんないよ。あたしがどんな気持ちで、今こうして生きているのか』——

 

 

 

 

 彼女の言葉に、答えを返すことができなかった。至極その通りだ──菜々にできるのは、彼女の心を理解することではなく、()()()()()()だけ。聴力を喪う辛さは、実際そうならないと本当の意味でそれを理解しているとは言えない。

 

 

 ──そんなアナタに、どんな言葉をかければよかったと言うのですか。

 

 聞こえる私が……人に()()()()()()

 

 

 それでも彼女が欲していたのは、菜々の涙でも、無言の返答でもなかったはず。傷つけてしまった、取り返しのつかないことをした。

 菜々は昨日の彼女の様子について、改めて思いを馳せる。

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 振り返れば、確かに彼女は菜々の言葉を聞き返してくる事が多かった。返答に変な間が開くこともあれば、どうとでも取れるような返事をすることもあった。それらはきっと、聞こえなかった部分を前後の文脈や表情、唇の動きで、菜々が何を話しているのかを()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 また、彼女の必要以上に小さな声量も、自分の話している声の大きさが、自身でもよくわからなくなるため。公共の場では細心の注意を払いながら声を出していたことは想像に難くない。

 そして時折彼女が見せた謎のジェスチャー……最初はアニメキャラの真似事だと思っていた菜々だが、あれも今なら答えがわかる。

 

 

 ——手話。

 

 

 その可能性に至った彼女はすぐに検索をかけ、答えを導き出した。道案内時に見せたものは、「よろしくお願いします」の意だ。普段使っているそれが、不意に出てしまったのだろう。

 

 思い返せば、ヒントはいくらでも転がっていた。『会って話しませんか』という自分の我儘で、彼女にどれだけ負担とストレスを与えていたか。自身の隠そうとしている一番弱い部分を隠してまで菜々のために会いにきてくれた彼女。そんな彼女に剰え『ちゃんと聞いてください』だなんて。

 

「酷いにも……程がありますよね──っぁ」

 

 絞り出した声は、掠れて震えていた…それを自覚すると共に、瞳から涙が伝う。

 そんな自分にも募っていく苛立ち。被害者振るな。悲しいのは、傷つけられた彼女の方だ。自分が泣いていい道理なんてどこにもない。

 

「止まれ、止まれっ」

 

 両の手で目尻を強引に拭う。込み上げる嗚咽を、歯を食いしばって無理矢理押さえ込んだ。

 

「お願いっ、ぅっ、止まって……っ、お願いだから……!」

 

 自分の思いとは裏腹に、止めどなく溢れる涙と嗚咽。もうどうすればいいかわからなかった。今なお被害者面をしているように見える自分の心を、死にたくなるほど嫌悪しているのに。加害者の自分が泣いていいわけないのに。自分の‘’大好き”が誰かを傷つけ──

 

 

 

「──────ぁ」

 

 

 

 そこで彼女は、漸く気付いた。菜々が……優木せつ菜が理想とする、『“大好き”が溢れかえる世界』。

 それは決して、自分の“大好き”を、相手に押し付けるということではないはずなのに。

 昨日の自分はアイドルへの想いを、荒ぶる感情のまま叩きつけるような形で彼女に伝えようとしていたのではないか?

 そして彼女にそれを否定されたような気がしていることが──たまらなく悲しいのではないか?

 自分の“大好き”なもので、誰かを傷つけてしまったことが──耐えられないのではないか? と。

 

 だとしたらそれは。

 

 

「──なんて自分勝手なんでしょうか」

 

 

 どこまでも独り善がりで、自己中心的。

 自責の念に駆られる菜々には、自分の理想がひどく滑稽なものに思えた。

 “大好き”が誰かを傷つけてしまうことになりかねないなら。

 

 

「私の理想は──果たして本当に正しいのでしょうか」

 

 

 奇しくもそれは、今一度()()()()()()()()()()を問うきっかけになっていた。

 

 

 

 

 

 

 波乱のオフ会の次の日。菜々は初めて、体調不良以外を理由に学校を休んだ。

 とても学校に行けるような心境ではなかった。母親に心配されないように、制服を着て家を出た後彼女は当てもなく、海沿いの公園へと辿り着いた。

 天気は良好だが、雲が多く風が強い。波も高く、やや荒れ気味。どっちつかずな天候が、自分の心情を表しているような気さえして。彼女はただ茫然と、揺れる海面を眺めていた。

 そうして、どれくらいの時間が経っただろう。

 

「あれ、せつ菜ちゃん?」

「侑、さん……」

 

 想像すらしていなかった、予想外の人物が菜々の前に現れた。

 

「どうしたの、こんなところで? 学校は?」

「ちょっと……色々あって。侑さんこそ、どうしてこんなところに?」

「音楽科は期末試験期間だからね。明日の実技試験に向けて今日は練習日だから早帰りだったんだ。練習前にみんなのライブ用の演出でも考えるか、ってとりあえず散歩してたらせつ菜ちゃんがここにいたんだよ」

 

 侑はニコリと菜々に笑いかける。それに返事をする気力すら、今の菜々にはなかった。

 

「……どうしたの、せつ菜ちゃん」

「何もありませんよ。心配しな」

「そんな誰でもわかるような嘘吐かないでよ……! 今自分がどんな顔してるかわかってる?」

 

 心配しないでください、と嘯こうとした菜々を、侑は嘘だと一蹴する。

 

「話してよ、せつ菜ちゃん。私でよかったら、相談に乗るからさ」

 

 そう言って、侑は菜々の横へと腰掛けながら菜々に笑いかけた。

 

「……ありがとうございます、侑さん。聞いてくれますか──」

 

 

 

 

 そして菜々は、昨日あった全てを、侑に対して打ち明けた。

 時々嗚咽混じりになりながら、途切れそうになる言葉を、侑はずっと優しい表情で聞いていた。

 

 

「そっか……そんなことがあったんだ」

 

 一頻り聞き終えた後、侑は空を仰いで呟いた。

 そんな彼女に対して、菜々のモノローグは続く。

 

「……覚悟してたつもりだったんです。スクールアイドルが、好きではない人がいると。私が歌うことを好ましく思わない人だっているということを。私が“大好き”を表現すれば、傷つく人だって必ず居る……それを承知で私は歌い続けてきました」

「せつ菜ちゃん……」

「けどいざそういう人と向き合って……すごく自分勝手に思えたんです、優木せつ菜(自分自身)のことが。意図せずにしろ、大好きを相手に押し付けて……それを知らないふりして歌い続けることが、無責任なんじゃないかって、思っちゃったんです」

 

 そう言って菜々は俯く。

 

 しかしそんな菜々の言葉を聞いた侑は、腕を組みながら思案に耽っていた。

 

「うーん……」

「侑さん……どうかしましたか?」

「ねぇ、私思うんだけど……昨日のそれは、本当にせつ菜ちゃんが大好きを相手に押し付けちゃったのかな」

「え……?」

「せつ菜ちゃんは当事者だから色々混乱してるかもしれないけど、第三者の私からすれば今の話はね──」

 

 侑は立ち上がり、菜々の正面に立つ。

 そして彼女は、菜々に笑顔を向けながら言葉を続けた。

 

 

 

 

「──昨日のそれはせつ菜ちゃんじゃなくて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃないかなって思うんだ」

 

 

 

 

「……そう、でしょうか」

「そうだよ。そしてさ、それってそんなに悪いことなのかな。だって、自分の仲良しで大好きな人が、自分の好きなものを一緒に好きになってくれたらとっても嬉しいよね! 私だってそうだし」

「……」

「確かにせつ菜ちゃんは、方法とか掛ける言葉を、間違っちゃったかもしれない。けどそれで全部が取り返しがつかないかっていうと……それも違うと思うんだよね」

「え……」

「だってそれって終わりじゃなくて、()()()でしょ?」

「始まり……?」

「そう。昨日初めてお互いの秘密を知って、驚いて……これからせつ菜ちゃん達は、互いの事を理解し合って、もっと仲良くなれるってことだよ! 昨日の衝突はそのためのキッカケに過ぎなくて……今はそのための準備期間。私はそう思うな」

 

 笑顔のまま、菜々に語りかける侑。その優しさに、菜々は心が救われていくような気がしていた。

 それでもまだ、心の曇天は晴れない。菜々にできるのは、作り笑いを浮かべることだけだった。

 

「そうだと……いいんですけどね」

「それで? せつ菜ちゃんはこれからどうするの?」

「えっ……?」

 

 予想外の質問に、菜々は面食らってしまう。

 そんな彼女に、侑は笑顔で問いかけた。

 

「辞めちゃうの? スクールアイドル」

「そ、そんなことはありえません……っ!!」

「ごめん、意地悪した。そんなわけないよね。わかってて聞いたんだ、今……あんなにスクールアイドルが大好きなせつ菜ちゃんが、そんな簡単に辞められるわけがないって。それをせつ菜ちゃん自身にわかって欲しかったから」

「っ……!」

 

 事実、侑に活動継続を問われた時、菜々の口からは考えるよりも早く否定の言葉が出てきた。

 どうすれば良いかなんて、そう簡単に答えが出せるはずないと思っていた菜々の心。しかし実際は、スクールアイドルを辞める気がさらさらなかったことを、侑によって自覚させられた。

 

「酷いこと言っちゃってごめんね?」

「そ、そんな! 謝らないでください。侑さんのおかげで、大事なことに気づけたんですから」

「そっか……ねぇ、せつ菜ちゃん」

「ん……なんでしょうか」

 

 

 すると侑は再度菜々の隣に座り──その手を優しく握りながら、そっと菜々の肩に自分の頭を乗せた。

 

 

「私がスクールアイドルが大好きになった瞬間は──あなたがくれたものなんだよ」

「!」

「あの日、せつ菜ちゃんのステージを見て、心の中がうわーーってなって、トキメキが止まらなくなって……でもそれって、せつ菜ちゃんの歌とか言葉だけじゃないんだよ。歌も踊りも、笑顔も! せつ菜ちゃんがステージで表現してくれる全てが、私の心にトキメキをくれたんだ」

「侑、さん……」

「一番大事なのは、せつ菜ちゃんの気持ちだよ。前も伝えたと思うけどね。せつ菜ちゃんが選んだ道を、私は全力で応援するよ。それがどんな道でもね……でも、これだけは覚えておいて」

 

 侑は顔を上げ、菜々の瞳をじっと見つめながら言う。

 

 

 

「せつ菜ちゃんの“大好き”で笑顔になれる人も、たくさんいるんだよ」

 

 

 

「っ──!!」

「私も勿論、その中の一人。忘れないでくれると嬉しいな」

 

 頬を少しだけ赤らめながら、侑は笑った。

 

「……そっか」

 

 心を覆っていた曇天に、一筋の晴れ間がさしたような気持ちだった。

 

「ありがとうございます、侑さん……私のやるべきことが、見えた気がします」

「せつ菜ちゃん……!」

 

 菜々は侑に笑顔を見せた。その表情に、先ほどまでの迷いは微塵もない。彼女の中で、一つの覚悟が決まった。

 

 

 

 

 

 

『昨日はごめんなさい』

『もう、私とは話したくないかもしれませんが、どうしても話したいことがあって今メッセージを送っています』

『二週間後、ライブがあるんです』

『ワガママを承知でいいます。見に来てくれませんか』

『スクールアイドルが好きだった貴女に向けた……私からの想いを込めて頑張ります』

『怒ってますよね、きっと。ふざけるな、何考えてるんだって』

『ごめんなさい。けど私には、これしかないんです』

『こうすることでしか、貴女に想いを伝えられないんです』

『自分勝手なのは、重々承知しています。めちゃくちゃなこと言ってるっていう自覚もあります』

『それでも、来てくれると……嬉しいです』

 

 

 

 その夜、菜々が電子チケットを添えて送ったメッセージ。

 それに既読こそ付けど、彼女からの返信はなかった。

 

 

 

 

 

 そして迎えた、ライブ当日。

 会場となる海浜公園は、多くのファンで溢れていた。

 

 控室に集まった同好会メンバーも、緊張と興奮が冷めやらない様子でがやがやとしている。

 そんな中、せつ菜は椅子に座ったまま指を組み、深呼吸をしていた。

 

(指先が冷たい、胸が詰まったように苦しい──緊張してますね、笑っちゃうくらいに)

 

 優木せつ菜としてステージに立つようになってから、久しく忘れていた感情。彼女は本番に強く、ライブ前は緊張よりも楽しみが勝るタイプの人間だった。

 

(落ち着いて──できるだけの事はしてきました。あとは全力で表現するだけ)

 

 自分自身を宥め、もう一度深く深呼吸。

 彼女からの返信は、結局今日に至るまで来なかった。悲しくないと言えば嘘になるが……それを嘆いている暇はない。ステージでは、自分を待ってくれているファンがいるのだから。彼女が来ようが来まいが、最高のステージをするだけ。

 

(分かってる、分かってるんです──でもっ)

 

 

 

 

 ──『きっとセツナにはわかんないよ』──

 

 

 

 

(集中しなきゃ、集中しなきゃ)

 

 

 

 

 ──『キミの大好きは、あたしには重すぎる』──

 

 

 

(これじゃダメだ、こんな気持ちじゃダメなのに……!)

 

 あの日の彼女の言葉が、今更せつ菜の脳内で響いている。震え始めた指先を、握り拳で誤魔化した。

 

(大丈夫、大丈夫、私は優木せつ菜、ファンの皆さんに最高のステージを──)

 

 

 

 

「──大丈夫だよ、せつ菜ちゃん」

 

 

 

 

 背中から感じる温もりが、せつ菜の思考を現実へと引き戻した。

 

「侑さん……」

「せつ菜ちゃんの想いは、きっと伝わるよ。だから信じて、自分をさ。せつ菜ちゃんは、自分が思ってる以上に最高のスクールアイドルなんだから!」

「そうだよせつ菜ちゃん!」

「貴女がいつも通りにやれば、何も心配することなんてないわよ」

「私達も、せつ菜さんのステージを楽しみにしてます」

「そーだよせっつー! せっかくのライブなんだし、緊張なんてしてたらもったいないよ〜?」

「皆さん……」

 

 振り向けば、同好会のメンバーが一同に揃ってせつ菜に笑顔を向けていた。

 

「……ありがとうございます! そうですよね、緊張なんて、してられないですよね!」

「せつ菜さん、元気になってよかった」

「全く、世話が焼けるんですから……いいですかせつ菜先輩! このかすみんが泣く泣く! 断腸の思いでトップバッターを譲ったんですからね! 盛り上げないと承知しませんよ!?」

「はい、勿論です! 最高の状態でかすみさんにバトンタッチして見せます!」

「お〜、やっといつものせつ菜ちゃんに戻ったね〜」

「優木せつ菜さーん! 準備をお願いしまーす!」

 

 その時、スタッフからの呼び出しが掛かった。

 

「それでは皆さん……行ってきます!」

 

 手を振る同好会メンバーに見送られながら、せつ菜は控え室を後にした。

 

 

『せつ菜ちゃん!』

「ん……侑さんに歩夢さん?」

 

 

 舞台袖の階段を上がる前、せつ菜は侑と歩夢に呼び止められた。

 そして二人は顔を見合わせると、せつ菜に向かって笑顔で拳を突き出しながら問いかける。

 

 

『──始まったのなら!』

 

 

 その言葉に込められた意味を正しく理解したせつ菜は、満面の笑みで拳を突き返して、声高に叫んだ。

 

 

 

「──貫くのみです!」

 

 

 

 せつ菜の表情にはもう、微塵の緊張もない。

 そして彼女は、足を踏み入れる。ファンの待つ舞台──大好きの溢れる世界へと。

 

 

 

 

 

 舞台上に姿を現した優木せつ菜を迎えたのは、万雷の拍手と、割れんばかりの大歓声。

 それに応えるように、彼女はマイクに向かって叫んだ。

 

 

 

 

『みなさーーーん! こんにちはーー!!』

 

 

 

 

 熱狂と興奮が、会場を満たしていく。

 会場の客一人一人の想いが、電流のようにせつ菜の体に伝播していくような錯覚。

 

 

 

(あぁこれだ──やっぱり私は、()()なんだ)

 

 

 喜びと笑顔の溢れる、“大好き”で満ち足りた空間。

 ここで歌い、踊ることこそが自分にとっての全て。“大好き”を世界に広げていくこと、それだけが優木せつ菜の存在理由だと、彼女は改めて気付かされた。

 

『本日は私たちのライブにお集まりいただき、本当にありがとうございますっ! 今日この場に来てくれた、全ての人に伝えたい言葉があります!』

 

 せつ菜の一言一句が、会場の熱気を煽っていく。

 

『私は、スクールアイドルが、会場の皆さんが!!』

 

 そこで言葉を切り、息を大きく吸い込んで。

 

 せつ菜の心の奥底から込み上げてくる想いを、魂のままに叫んだ。

 

 

 

 

 

 

『──()()()のことが、大好きです!!!』

 

 

 

 

 

 

 その言葉に込められた意味をどう受け取るかは、個人の自由だ。

 

 

 

 

『今日は最後まで、最っ高に盛り上がっていきますよーーーー!!!』

 

 

 

 一際大きくなる歓声、会場のボルテージは最高潮。

 

 

『それでは聞いてください──』

 

 

 

 

 

 スクールアイドルは、私にとっての全てで。

 

 

 抑えきれない“大好き”を、誰かに伝えたくて。

 

 

 どんな苦しみもしがらみも、ステージの上では私を縛ることなんてできない。

 

 

 心から届けたい想いがある。

 

 

 叶えたい理想がある。

 

 

 それを歌に乗せて叫んで、全身で表現して。

 

 

 それだけでいい。それ以外要らない。

 

 

 今この場は、それだけが全て。

 

 

 

 

 さぁ、時は来た。

 

 

 この場の総てを──私のモノに。

 

 

 

 

『──“LIKE IT ! LOVE IT !”!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「せつ菜ちゃん、お疲れ様!」

「侑さん。ありがとうございます」

 

 せつ菜が舞台袖に戻ると、スタッフTシャツを着た侑がドリンクを持って待ち構えていた。

 

「素敵なライブだったね! お客さんもすごく盛り上がってたし!」

「そう……ですね。そうだと、良いんですが」

「せつ菜ちゃん……?」

 

 歯切れの悪いせつ菜の返事に、侑は首を傾げる。

 

「侑さん。私の思いは……彼女に届いたと思いますか?」

 

 今の自分にできる最大限のパフォーマンスをした。迷いは振り切ったつもりだったが、パフォーマンスを終えてアドレナリンが切れつつある今、一度は振り切った不安の影が足に再度絡まりつつあることを、せつ菜は感じていた。

 そんな様子を見ていた侑は、せつ菜に優しく笑いかける。

 

「そうだね……()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「えっ」

 

 侑が指さした方向。そこに目をやったせつ菜の視界に飛び込んできたのは。

 

「や。セツナ」

「嘘……どうして……」

「来て、って言ったのはセツナでしょ?」

 

 来ていないと思っていた、今日この場にいないはずだった彼女が、優しい笑顔でせつ菜を見つめていた。

 すると再度、舞台から歓声が上がる。次のかすみがステージへと上がったのだ。この舞台袖も一気に騒がしくなり、目の前の彼女との会話の余裕を奪い去っていく。すると彼女は侑に対して、スマホで作成した文面を見せる。

 

『えっと、高咲さん。どこか静かな部屋貸してもらえるかな』

『勿論準備してますよ! 二人でごゆっくりどうぞ』

 

 それに対して、侑も文面を作って返した。

 

「黙っててごめんね、せつ菜ちゃん。詳しい事はきっと教えてもらえると思うから。話したいことが沢山あると思うし……あとは二人で、ちゃんと話をしておいで」

 

 侑はせつ菜に頭を下げながら、持っていた鍵を渡す。それは同好会のメンバーが舞台併設の控え室に向かう前に待機していた、ステージ裏に用意されているプレハブ小屋の鍵だった。

 

「……はいっ、わかりました」

「じゃあ、また後で──頑張って」

 

 せつ菜の肩を優しく叩いた後、侑は一礼をしてその場を去っていった。

 

「……行きましょうか」

 

 聞こえづらいだろうと、進行方向を指差しながら、せつ菜は彼女に語りかける。それに対して、彼女はゆっくりと頷いた。

 

 

 

 

 

 控室の鍵を開けて、中に入る。

 その間、二人に会話は全くなかった。周囲に大きな音があったので遠慮していた、という面も確かにあるが、せつ菜は何から話すべきか、ずっと考えていて。

 そんな中、先に口を開いたのはせつ菜ではなく、彼女の方だった。

 

「……凄い歓声だね」

「はい、皆さん盛り上がってくれて何よりです」

 

 当たり障りのない会話。しかしそれこそ、今の二人にとっては必要なもので。

 

「……来ないものだと、思っていました」

「あたしも最初は来るつもりじゃなかったよ」

「なら、どうして……?」

「……ここでセツナと向き合わなかったら、一生後悔する気がしたんだ。キミとの関係をこんな形で終わらせたくなかった」

 

 苦笑いを浮かべる彼女。そんな彼女に対して、せつ菜はかける言葉が見つからない。

 

「だから、高咲さんに連絡したんだ。優木せつ菜を調べれば学校名はわかるし、同好会に連絡するためのメールアドレスもあったから。色々手伝ってもらったよ。私のハンデのことも伝えて、配慮もたくさんしてもらった。セツナからも、お礼言っといて」

「そうだったんですね……もちろん伝えておきます」

 

 侑には、感謝してもしきれない。せつ菜の中に、温かい感情が込み上げた。そして話は、今日のせつ菜のステージへと移る。

 

「……見たよ、セツナのライブ。すごく良かった」

「本当ですか……?」

「嘘吐いてどうするのさ。なんか色々工夫してたみたいだね?」

「そうなんです! 気付きましたか?」

 

 我が意を得たり、とばかりにせつ菜は笑った。

 

「同好会のメンバーに、璃奈さん……視覚効果に強い方が居て。その方や侑さんに協力してもらいながら、バックモニターの演出を見直したり、歌詞表記を工夫したり……どんな方にも、私のライブを楽しんでもらえるようにって、色々考えたんです」

「そっか……」

「聞こえましたか、私の歌は?」

「……ごめん、正直いうとあんまり。やっぱりあれだけ歓声が混じると、あたしの耳じゃ上手に聞き分けられなくて」

「……そう、ですか」

「でもね、セツナ」

「……?」

 

 顔を上げたせつ菜の視界に映ったのは、胸に手を当てながら優しく微笑む、彼女の姿。

 

 

 

「──ちゃんと()()()よ、セツナの気持ち」

 

 

 

「っ──!」

「セツナが何を思ってあの場所に立って、スクールアイドルがどれだけ大好きで……あたしのこと、どんな風に思ってくれてるか。聞こえなかったけど、全部あたしに伝わった。凄いね、セツナ……自分の気持ちを表現するのに、音なんて要らないんだってわからされた。自分でスクールアイドルやってる時には……気づかな、かったよっ」

 

 

 その言葉と共に、一筋の涙が彼女の頬を伝った。

 

 

「ごめんっ、ごめんねセツナ……あたしあの時、すごく酷いこと言ったよね。セツナはずっと、あたしのことを思ってくれてたのに、勝手に嫉妬して、突き放して……最低だよね」

「……違う、違うんです」

 

 彼女につられるように、せつ菜の瞳からも涙が溢れる。

 

「“大好き”を強要しない。そんな世界にしたいって気持ちも嘘じゃなくて、そうしないといけないのはわかってて……でもっ、それでもっ、貴女には、好きになって欲しかったんです。“大好き”な貴女には、私の大好きなものをを、好きになって欲しかったんです……っ!」

「セツナ……」

「わがままでごめんなさい、自分勝手でごめんなさい……だから、今日、精一杯歌いました。貴女に届くように、全力で。貴女と、これからもずっと一緒にいたいから」

 

 震える声を絞り出しながら、せつ菜は瞳の涙を拭う。そして揺れる瞳で見据えながら、彼女に問いかけた。

 

 

 

「──私は貴女が大好きです。これからも、私とずっと友達でいてくれますか……?」

 

 

 

 せつ菜の問いかけに対して──彼女は躊躇うことなく、せつ菜を抱きしめた。

 

「あたしも、セツナのことが大好きだよ」

「うっ、っぁ……」

「ちょっと、そんなに泣かないでよ」

「貴女だってっ、泣いてるじゃないですかぁ……」

 

 嗚咽混じりの泣き声を漏らすせつ菜の頭を、彼女は姉のように優しく撫でる。

 

「セツナ──やっぱりあたし、スクールアイドルが大好きだ」

「ぅぅ……よかっ、た……よかったです……っ」

「色々教えてよ。あたし、最近のスクールアイドル事情、何もわかんないからさ」

「はいっ、私でよければぜひ……」

 

 そこがもう、せつ菜の限界だった。

 子どものように泣きじゃくるせつ菜の頭を抱き、彼女もまた泣きながら優しく背中を叩く。

 

 一度は亀裂の入った二人の友情。

 今日新たに、せつ菜の“大好き”がより強く、二人の絆を結び直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『では、もう一度始めるんですね!』

『うん、“スクール”アイドルにはもうなれないけど』

 

 ライブから数日後、菜々達は久しぶりにゲームにログインし、チャット欄で会話を交わしていた。

 

『やっぱりあたしは、歌うことも踊ることも大好きなんだって、気付かされちゃったから』

『そうですか……嬉しいです』

『セツナのおかげだよ。ありがとね』

『とんでもないです。私は何も』

『とりあえず、大学のサークルに顔を出してみたんだ』

『そしたらびっくりしてさ。私みたいな人も活動できるような配慮が今は結構進んでるみたいで──』

 

 そこからの彼女の話を、菜々は真剣に聞いていた。

 例えば、『1.2.3.4』と一定のリズムで光り続けるライト。カラオケのように歌詞が今歌われている部分で色塗りされて、鏡に投影されるシステム。これらを使って聴覚ではなく、視覚的に羅針盤となるモノを提示する方法が、今では確立されているそうだ。

 

『凄いですね。そこまで進歩しているなんて』

『だよね……将来はさ、そういう仕事に就きたいんだよね あたし』

『おぉ……!』

『ハンデを抱えて夢を諦めかけてる人に、道を示してあげたい』

『あたしの経験を少しでも活かして、支えられる人になりたい』

『それが規則や制度を舗装する側になりたいのか、ハードやシステムを構築する側になりたいのか……』

『それはまだわかんないけど』

『それでも大丈夫だって』

『“未来は無限大だ”って、キミが教えてくれたから』

『あたしはキミの“大好き”で頑張れるよ、セツナ』

 

「ふふっ……」

 

 菜々は思わず口元が綻んだ。

 

 

 

 

 未来は不透明で、何も描かれていないキャンパスで。

 

 その先がどうなっているかなんて、神様すらわからない。

 

 しかしそれでも、自分の思いに正直に。

 

 “大好き”を原動力に変えながら。

 

 これからも、優木せつ菜は歌い続けるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 まだ見ぬ“glitter(トキメキ)”を胸に、自分の理想が叶う未来をただひたすらに信じて。

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