ぶち破られた壁からこの小部屋に入ってくる人影を、オスカーは夢見心地で捉えていた。
なんとそこにいたのは、先程自分が死体を投げ入れた牢獄にいた白髪の女性だったからだ。
まさか、まさか最後に自分が助けた人物に会えるとは思わず、オスカーは感極まった。
だが女性がぼやけて見える目でもしっかりと捉えられる距離ぐらいに近づいてきた時、彼は驚愕した。
「…おお、君は…亡者じゃないんだな…と言うか、亡者どころか…不死人でもなさそうだ…でも、よかった…」
「亡者?外にいる動くミイラのことですか?」
コテンと小首を首をかしげ不思議そうにな顔つきをする純白の犬耳の少女。なお髪の長さは短めだがボリュームがあるため本来人の耳のある位置は隠れている。そしてどうやらここに来る前になにか大きな物でもあたったのかかなりの大痣があった。
オスカーは少女が亡者を知らないという情報を得、彼女にできる限り説明しようとした。
「…君の言う通り…外にいる動くミイラが、亡者という…不死人の成れの果てだ…耳にしたことは無いかい…」
「すみません。生憎つい数日前に私のいた牢屋に入れられたばかりでして…私、この地域のことや亡者というのを全く知らないんです」
オスカーは犬耳少女が言っている内容を疑問に思った。
少なくとも不死院に入れられたまだ正気を保ててる人間ならばその意味を理解し、この先の自分がどうなるのかわかるはずだ。
もう後戻りできなくなった者たちに、自分も仲間入りするのだと。
だがこの犬耳少女はそれを知らない。それどころかその存在すら存じ得ないときた。
この犬耳少女の正体は一体何者だろうか。
「ゲホッ…ゲホッ」
「あ、大丈夫ですか!?」
彼は彼は咳込み、何かを悟ったように言った。
「…私はもう駄目だ…」
「そ、そんな」
「…もうすぐ死ぬ。死ねばもう、正気は保てない…」
「正気が、保てない?」
「…私は、不死者だ…不死者は、その身を死の淵に、委ね続けると…彼らのように、なる」
「彼ら…?―――ッ」
犬耳少女はハッとしたように言う。
「亡者…!」
「…そう、だ…」
オスカーが続ける。
「…だから、君に、願いがある…同じ不死の身だ…いや、不死かどうか、分からないが…観念して、聞いてくれよ…」
オスカーの表情は被っている兜のせいで良く見えないが、その隙間から見える真剣な眼差しを受け、犬耳少女は決意する。
「わかりました。助けてもらった恩もあります。必ずその願いを叶えてあげましょう」
オスカーが頷く。
「…恥ずかしい話だが、願いは、私の使命だ…それを、見ず知らずの君に、託したい…私の家に、伝わっている…不死とは、使命の印である…その印、あらわれし者は…不死院から…古い王たちの地にいたり…目覚ましの鐘を鳴らし、不死の使命を知れ…目覚ましの鐘を鳴らし、不死の使命を知れ…」
オスカーは一度大きく息を吸い、安心したように続けた。
「…よく、聞いてくれた…これで、希望をもって、死ねるよ…」
「…」
「…ああ、それと…これも、君に託しておこう…」
そういってオスカーは懐から琥珀色の液体で満ちた瓶を取り出し、犬耳少女に渡す。
「…これは?」
「…不死者の宝、エスト瓶だ…それを飲めば、すぐに体を、癒せる…」
「!じゃああなたが―――」
「…無理だ…それは、あくまで、傷を癒やすだけ…亡者化は、止められない…」
「そんな…」
「…それと…これも…」
懐から錆びついた鍵を取り出し、渡す。
「…ここ…不死院の出口の鍵だ…」
「ありがとう、ございます」
「…じゃあ、もう、さよならだ…」
えっ、と呆けた様な顔をする犬耳少女。
「…死んだ後、君を襲いたくはない…いってくれ…」
「…はい」
犬耳少女は礼をしてその場を退くため入ってきた穴の方へ戻る。
「…ありがとうな」
オスカーの、感謝の言葉が小部屋に響き渡る。
すると犬耳少女は振り返ってきた。
「最後に、聞きたいことがあります」
「…なんだい…」
「あなたの名前はなんですか」
その問いに、オスカーは虚を突かれた。
自分はもう、亡者になるだけ。そこからもとの人に戻ることはないので覚えられる意味もない。
だが、彼女は己の名を聞いてきた。
不死はよく、自分が何者か分からなくならないよう、そうならぬよう何かを遺す。
本に、記録に、或いは人の記憶に。
自らを見失わぬように。
亡者になって失ったことすら失われないように。
それでもオスカーは戻ることはないし、戻ろうとも思わない。
けど、彼は名乗った。
「…オスカー、だ…君は…」
「犬走椛です…それでは、色々とありがとうございました」
そう言い残して、犬走椛はその場を去った。
その姿を見て、オスカーは安心したように目を閉じた。
ふと意識が途切れかけた時、オスカーはふと思い出した。
(忘れていた!エスト瓶はとんでもなく不味いから慣れるか大怪我を負うまでは間違っても一気飲みしてはいけないと言い忘れていた!)
エスト瓶のまずさはオスカーは亡者に成りかけの今でも思い出せるくらいまずかった。
エスト瓶の中身は熱を持ってドロドロとした舌触りをしており、口にそれを入れた瞬間、何日も放置して腐りまくった生ゴミを火で焼いた様な味がするのだ。
始めてエスト瓶を飲んだ不死は皆、あまりの不味さにそれ以降怪我をしようともあまりそれを口にしようとはしない。恐らくロードランへの道のりが苛酷なのもそれが一つの要因だろう。
して、いまそのとんでもない味がするエスト便はもう穴から外へ出て行った椛が味を知らずに持っていった。
(でも彼女のことだから、不死者の宝だって自分でも伝えたぐらいだから、大切に飲んでくれるはずだよな…)
話を真面目に聞いてくれていた椛をオスカーは見た。だからそんな風に考えるのだが、入ってきた彼女の体に大痣ができていたを彼は思い出した。
ただ、思い出したところでどうなるんだ。というのが今の現状。
椛はこの場にはいないし、オスカーにこれ以上彼女に何かを伝える力はない。
つまるところ、もう彼女がエスト瓶を飲む未来は確定したもので―――
「マッッッッッッッッッズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウウ!!!!」
ああ、手遅れだったか。と、彼は少し後悔しながら逝った。