抗え!ティーチャー   作:やすり屋

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大人と子供、略してコトナ

 

 五月五日、こどもの日。

 

 

 

別名は端午の節句、元は男児の壮健たる成長や幸福を祝う行事であった。しかし近年、その行事自体に性別を不問とした子供達の好運を願う行為や母親への感謝等の意味合いが付与された、らしい。

 

薫る風に吹かれ、逆境に立ち向かう鯉のぼり。からから笑って転げ回る矢車と吹き流しを横目にして、黒と緋色、青の三色が、残像となってたなびき、悠々と空を泳いでいる。

 

 

 

そんな天気の良いある日のこと、ベランダの窓枠に囲まれた世界を箱庭のように覗き見ていた。手元に握られた、大して美味くもないちまきの串。それをじっと見詰め、弾力のある可食部をそっと齧る。中途半端な塩っぽさが身体の水分を吸い取り、自然と眉間に皺が寄っていく。独特の臭みと単純な甘みだけで構成されたスーパーの柏餅が、どうにも今は愛おしかった。

 

 

 

「……今日の昼飯、これかあ」

 

 

 

「おかわりもあるよ」

 

 

 

「これだけで白米一杯分位あるからね?」

 

 

 

 時が過ぎ、すっかり鳴りを潜めた生温い風が春の名残を感じさせる頃。そんな季節の変わり目、僕を待ち構えていたのはベランダの境界線にある掃き出し窓を開け放し、景色を肴に在庫処分に追われる朝であった。

 

 

 

「ミカミちゃん、先生お腹はち切れちゃいそう」

 

 

 

「先生なら大丈夫だよ」

 

 

 

「なにその根拠のない絶対的な信頼」

 

 

 

「というか、発案者は先生でしょ」

 

 

 

ちゃんと責任取ってね、と色んな意味で耳の痛いお小言を頂戴する。目を瞑ると、彼女に駄々をこねた数日前の馬鹿の姿がフルハイビジョンで鮮明に思い返される。偶には季節を感じたいからといって、割引シールに塗れていたちまきを手当たり次第に籠に放り込んだ懐かしい記憶。じたばたと、スーパーでお菓子を強請る子供の様相と何ら変わらない僕を見て、目の前の彼女は果たして何を思い描いていたのだろうか。真相は全く闇の中である。

 

 

 

「いやホント、後悔してるわ」

 

 

 

しかし、いくら季節感というか、風情を感じるためとはいえ限度がある。僕の全身、穴という穴から自然素材のレーザーが射出されるのは何としても避けなければならない。食卓に並べられた白の円錐、プラスチックのように腹にたまるだけのそれを作り置きの麦茶で喉奥へと流し込んでいく。

 

 

 

「………」

 

 

 

一本、また一本。こびりついた餅米を前歯で器用に剥がし、賽子を転がすようにして串を皿に落とす。足指の使用許可が下りてようやく数える事が出来る朝餉の残骸を視認すると、潤いを忘れた筈の喉が震えた。

 

 

 

「完食おめでとう」

 

 

 

「……暫く、イベント事は勘弁だわ」

 

    

 

「三歩歩いたら忘れそうだね、それ」

 

 

 

「鶏頭で悪かったねぇ」

 

 

 

ぴんぽぉん。

 

 

 

無駄な応酬を繰り広げていると突如、玄関から呼び出しの合図。無粋な真似をしたインターホンが、言葉尻弱く客人の到来を知らせる。

 

 

 

「………遂に来たか」

 

 

 

「?」

 

 

 

頭のてっぺんにクエスチョンマークを浮かべる彼女。抜き足差し足で目的地に近づき、覗き穴からそっと対戦相手を確認する。広がっているはずの五月の空の青は、巨大で強大な深淵に遮られてその姿を包み隠してしまっていた。

 

 

 

「ちぇすとー」

 

 

 

「んぎッ」

 

 

 

直後、扉一枚隔てた別世界から、充血した肉の眼球に●ッキーが差し込まれた。人肌の熱で僅かに溶け出したチョコレートが透明の粘膜を突き破り、確かな熱をもって角膜に染み出した。

 

 

 

「しゃ、洒落にならん……」

 

 

 

「先生……!」

 

 

 

「お邪魔しまぁす」

 

 

 

抵抗する様子も気概も全く見せないシリンダー。マスターキーの特権をフル活用した解錠方法、その実行犯が玄関先に堂々たる面持ちで姿を現す。隣で僕の心配をする金剛石の瞳の少女、その視線の先に、まさしく巨人が立っていた。

 

 

 

「遊びに来ちゃいましたぁ」

 

 

 

圧倒的な質量、そして重厚感。天をも貫かんと伸びるその背丈に加え、薄いニットのセータードレスを纏った女性が、玄関に差し込むはずの光を悉く遮っていた。

 

 

 

「……こんにちは、大家さん」

 

 

 

百九十は優に超えようとしている背丈。実年齢には確実に見合わない、どう維持しているのか皆目見当もつかないその凹凸の激しいボディライン。亜麻色の前髪をさらけ出し、肩にかかるくらいの長さを後ろでくくった髪型。垂れた糸目が特徴的で、ほんのりと甘い香りと、綿毛のようにぽんわり緩やかな雰囲気を纏った彼女。

 

 

 

「挨拶できて偉いですねぇ、はなまるあげちゃいます」

 

 

 

「そりゃどうも……」

 

 

 

有無を言わさず片手に挟んだ棒状の菓子を僕の唇に無理矢理ねじ込む目の前の女性。

 

 

 

三田園穂乃果、三十二歳。このアパートのオーナーである。

 

 

 

「………」

 

 

 

「ミカミちゃん、ステイ」

 

 

 

突如として低く唸り始める少女。瞳孔がん開きの彼女を背中から引っぺがし、待機を願い出す。偶の休日くらい、一人きりの時間はなるだけ減らしてやりたいとは思うのだが、どうやらそう都合よく物事は動いてはくれないらしい。

 

 

 

「……どうかされましたかぁ?」

 

 

 

「ああ、いえ……」

 

 

 

「何か作業中だったのなら、出直しますけど……」

 

 

 

「ああ、いえ滅相もない」

 

 

 

人の命を脅かした直後とは思えない発言に驚愕しながらも、丁寧に対応する。いかに気さくに振舞っているとはいえ、彼女はこの住処の契約主であり、下手に刺激して機嫌を損ねるのは結果的に僕自身の損失に繋がってしまうのだ。なるべく穏便にことを済ませてしまいたかった。

 

 

 

「家賃なら毎月ちゃんと払っていると思うんですが……」

 

 

 

「知っていますよぉ。そもそも悟さん、お給料日はいの一番に私の部屋に来るじゃないですかぁ」

 

 

 

「それもそうでした」

 

 

 

乾いた笑いが五月の空に木霊する。新品同然のサンダルに足を滑らせ、彼女を玄関の外に誘導する。いくら夏が近づいてきたとはいえ、吹く風は人の都合などお構いなしに部屋の空気を底冷えさせていくのだ。黒の扉を施錠しないまま閉じ、改めて眼前の彼女に向き合った。 

 

 

 

「………ゴールデンウィークもおしまいですね」

 

 

 

「あら、悟さんが自分から話題を振るなんて…やっぱりちょっと変わった?」

 

 

 

「結構酷くないですか?」

 

 

 

「だって……ねぇ」

 

 

 

互いに猿頬を膨らませ、酷くゆったりとした口調で会話が進んでいく。どうやら本当に遊びに来ただけらしい。僕がこのアパートに世話になる以前から、彼女はこういった自然体な人間だったことを思い出す。

 

 

 

「そういえば悟さん、最近私のこと避けていませんかぁ?」

 

 

 

「あれです、警察が近づいてきたら疚しい事があるような気分に苛まれるあの現象ですよ」

 

 

 

「防犯対策の心構えとしては満点ですねぇ」

 

 

 

「ははは」

 

 

 

「偉いですよぉ、よしよし」

 

 

 

直後、僕の頭頂部へ自然と伸びる彼女の右腕。僕はその行動を経験則から先読みし、今にも触れんとするその手首を軽く掴み、次のフェイズへの移行を阻止する。

 

 

 

「あ、あらごめんなさいねぇ」

 

 

 

厚い唇から紡がれる言の葉とは裏腹に、反対側の掌が僕の間近に迫ってくる。同じ手法で迫り来る魔の手、もとい母の手を払いのける。

 

 

 

「三田園さん、ちょっと……」

 

 

 

「ち、違うんですこれは」

 

 

 

「現在進行形で証拠がポンポン産声上げていますよ」

 

 

 

こうした会話中にも迫り来る千手観音の如き猛攻。その全てをのらりくらりかわし、いなし、避け続けていく。在宅ワークで運動不足気味の彼女が膝をつくのに、そう長い時間はかからなかった。

 

 

 

「きょ、今日はこのくらいにしといてあげます……」

 

 

 

荒い息、肩を上下させて疲労を表現する彼女。その巨体から繰り出される技を受けたのは果たして何度目であろうか。被害者である無数の屍のかつての僕が、その一挙手一投足を体で、心で理解していた。

 

 

 

「次は負けませんからねぇ」

 

 

 

「いつの間に勝負になったんですかね」」

 

 

 

「諦めたら、そこで試合終了なんですよぉ」

 

 

 

「勝手に僕をリングに上げないでください」

 

 

 

翠玉の瞳の奥深く、静かな炎をたぎらせるこの大家。人を甘やかすことにかけては天下一品なのである。彼女のマジックハンドに捕まったが最後、その甘く柔らかい肉体に全身を覆われ、持ち前の母性にぐずぐずに脳みそを蕩かされ、まともな判断もつかなくなるのがオチである。

 

 

 

「僕、四捨五入したらもう三十路ですよ。お互いいい大人なんですから」

 

 

 

「ご、ごめんなさい。悟さん、弟によく似ているのでついぃ……」

 

 

 

僅かに寂しさを覗かせる表情。先ほどの発言を撤回する気は毛頭ないが、彼女の発言はどうも胸にクるものがある。

 

 

 

「弟さん、今は海外で働いているんでしたっけ?」

 

 

 

「え、ええそうなんです。なかなか連絡もよこさないし……」

 

 

 

「それは心配ですね……」

 

 

 

「向こうでも、ちゃんとやっているといいんですが」

 

頬に手を当て、小さくため息をつく彼女。憂いを帯びたその姿は、手のかかる腹兄弟を心配する姉の姿そのものだった。

 

 

 

「……弟さん、どんな人なんですか」

 

 

 

ただの興味本位であった。ただ、このお節介焼きな彼女が大事に思っている人について、少しばかり気になってしまうのはしようのないことだろう。

 

 

 

「ええと、そうですねえ。弄り甲斐たっぷりですよぉ」

 

 

 

突如、勢いを増していた風がやむ。それに身を任せていた鯉たちがばたばたとくたばり、しなびた屍となって青い空へと浮かび上がった。

 

 

 

何故だろう。雲行きが怪しくなってきたような気がする。

 

 

 

「勿論可愛いところもあるんですけどぉ、それ以上にオーバーといいますか」

 

 

 

「おーばー」

 

 

 

「私が悪戯する度に見せる、情けないリアクションが面白くてぇ……」

 

 

 

「結構酷くないですか?」

 

 

 

「だから、悟さんもお気に入りなんですよぉ。大袈裟な所とか、本当に弟そっくりで…」

 

 

 

どうやら僕は人身御供だったらしい。しかも弟さんの代理品扱いである。未だ鋭い痛みの走る右目、それを瞼越しに擦り、言葉を交わしたこともない彼女の同胞に勝手な同情を送り付ける。

 

 

 

「また今後ともごひいきに、お願いしますねぇ」

 

 

 

「はは……」

 

 

 

彼女、本当に遊びに来たのだろうか。僕を弄びに来たの間違いではなかろうか。

 

 

 

「ああそうだ、そろそろ本題に入らないと……」

 

 

 

「胃もたれ起こしそうな前座ですね」

 

 

 

余計な発言を払いのけ、手元のトートバックから皺だらけのビニール袋が飛び出す。さながらマトリョーシカ、しかしその中身は開帳されることのないまま僕の元に差し出された。

 

 

 

「はい、どうぞぉ」

 

 

 

若干気後れしながらも持ち手部分を受け取る。油粘土のような重みが僕の両肩を襲い、思わず折りかがむ。前かがみになって気が付いたビニール袋の中、既視感に満ちたそれ。

 

 

 

「まだ若いんだから、いっぱい食べてお仕事頑張らなきゃですよぉ」

 

 

 

「……それはお互い様ですね」

 

 

 

「お世辞は結構ですよぉ」

 

 

 

それから二言三言交わし、自身の部屋へと戻っていく彼女。唐突な嵐の到来に戸惑ったものの、改めてその奔放ぶりを思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開錠しっぱなしの自宅の扉を開けると、そこには三角座りで不動の意志を貫いていたらしき三上沙耶が待ち構えていた。

 

 

 

「お帰りなさい、先生」

 

 

 

「うん、ただいま」

 

 

 

「………それは?」

 

 

 

「戦利品」

 

 

 

彼女の小さな掌で頭頂部を撫でられながら、中身の確認を始める。上部には僕の眼球を穿ったダークブラウンの凶器が何箱も積み重なっており、思わず呼び覚まされた恐怖に喉が鳴る。

 

 

 

「……ミカミちゃん、取り敢えずしまっといて」

 

 

 

「うん」

 

 

 

真っ赤な小箱たちを受け取り、そそくさと菓子袋の補充に向かう彼女。裏腹に、僕はしばらく口をつけられそうにはない。

 

 

 

「……まだ底のほうに何か入っている」

 

 

 

重さの原因の大半はおそらくそれであろう。御尊顔を拝借しようと、ビニール袋の中からその原因を取り出した。

 

 

 

「………え?」

 

 

 

プラスチックのかさばる音。袋から飛び出してきたのは無数の既視感。それ即ちちまきであった。

 

 

 

「なんてこった……」

 

 

 

ノルマ追加である。今にもはち切れそうな腹をさすりながら、しかし厚意を断り切れない僕はなんと弱い人間なのであろうか。やはり受け取る前に確認しておくべきだった。

 

 

 

「……また貰ってきちゃったの?」

 

 

 

あきれたような表情、というか実際呆れて語り掛けてくる彼女。薄暗い部屋の中、食べ物を粗末にしてはいけませんと指導する立場であるはずの僕に、彼女の厳しい目線が向けられる。容器から串を取り出し、一本齧った。

 

 

 

「来年は気を付けます……」

 

 

 

中途半端な塩っぽさが、やけになった心に染み出した。

 

 

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