抗え!ティーチャー   作:やすり屋

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日常の終わりが近づいて参りました。




体育祭 前編

 

月が沈み太陽が昇る世界のシナリオ通り、その道理のままに梅雨が明けた日の朝。群れから逸れた哀れな雲が、青い空を拒み散り散りになりながら不格好に泳ぎもがいている。

 

 

 

似合わない白黒ジャージに身を包んだ、諦念を体現したかのような男が階段の最上段からグランドの様子を見まわしていた。何かを探しているわけではなく、生徒を見守るという己の本分を果たすための行動であった。疾うに水溜まりは掃け、昨日までのぬかるみをハイカラ模様のシューズで踏み潰していく中学生男児達。残った足跡も時間の経過と共に次々その形を変え、辛うじて引かれた白線を目視で認識できる程度に凹凸し、様変わりしてしまった。

 

 

 

自転車を抱える時のような、恐る恐るといった心持ちで幅の狭い階段を降りる。日々酷使され悲鳴を上げる腰、その嘆きを無視して両手を地面へと伸ばす。青々とした、処理のなされていない鬱屈とした草むら。薄汚れたそこから頭を出した、投げ捨てられたままのバスケットボール拾い上げた。以前の授業で誰かが回収し忘れたものであろう。泥の鎧を纏ったそれをコンクリートの地面に叩きつけると、さながら虚栄心のようにぼろぼろと外壁が崩れ落ちていく。

 

 

 

(暑い……)

 

 

 

小綺麗な見た目になったボールを小脇に抱えたまま、常設されたレンタルテントの下に引っ込む。教員用のパイプ椅子、その傍らに手元のオレンジを転がした。視線を外に向ける。生徒たちの声がそこら中を飛び交い、未熟ゆえ軽率に孕んでしまえる、若者特有の荒々しさと危うさが、混濁した半透明の汗となって全身に滲みだしていた。

 

 

 

「おはようございます、悟先生」

 

 

 

出会い頭、とはいっても背後からの不意打ちめいた挨拶が耳朶を打つ。聞き慣れた、言い換えれば聞き飽きた、枯れ葉の擦れ合うような低い音。未だ午前中だというのに、既にしゃがれた、しかし熱のある声で僕に話しかけるような酔狂な人間に、心当たりは一人しかいなかった。

 

 

 

「……おはようございます、佐藤主任」

 

 

 

「本日もお元気そうで何よりです―――それと、呼び方は学年主任で構いませんよ。少しばかり、ええ、少しばかりしっくりこないので」

 

 

 

全身を真っ白のスポーツウェアで覆った格好で、メガホンを片手に装備した学年主任がその場に佇んでいた。今しがた冷房の利く部屋で雑務を終え職務に復帰した僕とは違い、この燃え盛る太陽の下、小一時間絶えず激と指示を飛ばしてきた人間である。疲労困憊も必死であろう。

 

 

 

「今年はなんとかクラス分のテントをお借りできてよかったです」

 

 

 

体育祭の日程をずらすことでレンタルまでこじつけたという学年主任。僕としてはむしろ、なぜ今まで生徒用のものがなかったのか甚だ疑問である。再三繰り返すようだが、本日は見事なまでの炎天下。万一太陽に蝋で組み上げた羽で近づかずとも、十分自殺行為足りうるのだ。過去を引き合いに出すのは三流のすること。諸行無常、時代は移り変わっていくのである。

 

 

 

「予算出して購入とかしないんですか?死人が出ますよ」

 

 

 

無論比喩ではない。下手をすれば、生徒の脳味噌髑髏のホイル焼きがダース単位で保健室に提供できてしまうレベルの話である。

 

 

 

「善処させていただきます……」

 

 

 

「………何か問題があるので?」

 

 

 

普段と違って少しばかり頼りない返事。やはり疲れているらしい。

 

 

 

「メンテナンスに割くリソースが馬鹿にならなくてですね……」

 

 

 

どうやら大人の事情とやらが関係しているらしい。金銭関係となればなおさらである。余計なことに突っ込む首という名の余裕は持ち合わせていないので、それ以上の追及は避け大人しく引っ込む。出来合いでも使えればいいのだ、使えさえすれば。

 

 

 

「悟先生も体育祭の会議には出席していたと記憶しているのですが。備品に関する話も資料を配布して……」

 

 

 

「ははは、なんのことやら」

 

 

 

疑いは禍の源である。一秒、あるいは一分程度。体感時間の長い沈黙のあと、そっと首を振ってグラウンドの方向に視線を向ける。決して気まずさからではない。炎天下の中、たいていは有象無象だが、集団の中に既視感のある連中がちらほらと映っていた。

 

 

 

『おら、集団行動続けっぞ~』

 

 

 

緊張感皆無な宣言、教員用テントの中心部に設置された台座のマイク越しに伝わってくる既視感まみれの指示声。声の主は多々良瑞樹、僕の親友であった。今回体育教師である我が親友はそこかしこ引っ張りだこ、言い換えれば体育祭の要なのであろう。最近は朝から晩まで働き詰めで、碌に会話も交わしていないような気すらする。いやはや、学校行事に本気になれる大人とは素晴らしいものである。

 

 

 

きーんこーんかーんこーん。

 

 

 

そんな無体なことを考えていると、見計らったのようなタイミングで学校のチャイムが鳴った。昼休み開始の合図である。

 

 

 

「おや、やっとですね。私は一旦失礼します。事務仕事が溜まっていますので」

 

 

 

「あんまり無理しないでくださいよ」

 

 

 

「今が踏ん張り時ですから、ね」

 

 

 

眼鏡を光らせ、先程までの疲労を見せない凛々しい背中を僕に向けてずんずんと職員室に向う学年主任。このたくましい熱量が、まさか教師の才能とでもいうのだろうか。テンプレートの教師像を必死になぞっている身としては如何ともしがたい劣等感に襲われるが、それはそれ、これはこれである。

 

 

 

ぞろぞろと、蟻の行列のように教室に向かう生徒達。ふと地面に目を向けると、細長い雨露が這うように地面を流れ、錆びれてしまっても尚存在感を放つ白銀のますの中にするする飲み込まれていく。炎天下の下、青い花々が咲き誇っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休みを終え、練習が再開する。

 

 

 

「草山田―!!走れ!!!」

 

 

 

どこぞの学級委員長の声がグラウンド上に木霊する。阿吽には足りないが、それに呼応するかのように加速度的に順位を上げていく坊主頭の少年。最底辺のスタートから見事なごぼう抜きであった。

 

遠目から背中を思い切りに叩かれ、前のめりに倒れる少年を視認する。全身の穴という穴から汗が噴き出す彼は、歓喜から来る安らかな顔をしていた。

 

 

 

「………あ、先生」

 

 

 

心の奥底で玩具の十字を切っていると、こちらもまた耳なじみのある声。黙祷から意識を浮上させ、はっきりと正面を見つめると既視感のある丸眼鏡にピントが合った。

 

 

 

「おやおや、誰かと思えばたらしの智君じゃないか」

 

 

 

「相も変わらず不名誉なんですがッ」

 

 

 

濡れた体操着の袖で額の汗をぬぐいながら、特徴的な瓶底眼鏡を尻のポケットに突っ込む智少年。簡易的な砂上の城、その中心にビーチフラッグのように突き刺さった真っ赤なバトンを引き抜く。どうやら自主的な特訓の最中らしい。

 

 

 

「聞いたよ、学年リレーのアンカーなんだってね?」

 

 

 

「ええ、ありがたいことに」

 

 

 

「彼女にいいとこ見せなくちゃアね」

 

 

 

余計なおせっかいを焼きたかったわけではないが、高鳴る鼓動が止められない。あたふたという擬音を絵に描いた反応を期待したが、少年はぼやける視界の中、眉間に寄った皺を親指と人差し指で軽く摘まんだまま、淡々とその期待を処理するかのように反応する。

 

 

 

「まあ、できることをするだけですよ」

 

 

 

なんて、やけにそっけなく、いつになく真剣な回答が返ってきたことに困惑を隠せない。以前までの名前のない植物のような、青臭いなよなよとした雰囲気は微塵たりとも感じられなかった。

 

 

 

「いったいどういう風の吹き回しだい?」

 

 

 

その答えの先を、彼自身の口からもう一度聞いてみたくなった。間髪入れず、素直な言葉が少年の口元からまろび出る。

 

 

 

「期待されるの、嫌いじゃないんですよ、オレ」

 

 

 

自己肯定感に満ち溢れた、格好つけた言の葉。ヒトというのは短期間でこうも変わることが出来るものかと、思わず感心する。

 

 

 

「それじゃ、オレはこれで」

 

 

 

白線で仕切られた空間、その内側から智少年を呼ぶ声がちらほらと耳に入る。

 

 

 

「頑張り給えよ、智少年」

 

 

 

「ええ、先生のクラスにも負けませんから」

 

 

 

其れだけ言い残して、その場で手を振って小さくなっていく人影。リレー待ちの群衆にどっぷりと溶け込んでいく光景を見届けて、いそいそとその場を立ち去る。雑務程度とはいえ、僕にも仕事自体は割り振られているのだ。暇人を謳歌し続けるわけにはいかないのである。

 

 

 

「悟先生、ハロハロ」

 

 

 

そんな後ろ向きな覚悟とは裏腹に、本日何度目かもしれない既視感と再び邂逅する。やけに甲高い、特徴的なイントネーション。透き通った青空を背景に、異国情緒あふれた金髪が風に棚引いている。

 

 

 

「……ハロハロ、ミリアちゃん」

 

 

 

別名図書館の肉食獣。イロモノの立て続けの登場に胃もたれを引き起こしかけるも、何とか持ちこたえて応答を続ける。

 

 

 

「こうして話すのも、随分久々な気がするネ」

 

 

 

「教師と生徒なんて、そのくらいの距離感が丁度いいんだよ」

 

 

 

「そういうものなノ?」

 

 

 

「そういうものなの」

 

 

 

己への戒めを込めながら、説得力が欠片もないことを悟られないように会話を交わす。教師というのは一度教卓に上がったり、教育の場面に立ち会ったりしてしまえば、さんざん解釈を悩みぬいた物事をもっともらしく堂々と教えてやらねばならないのだ。教育の指針である教師が曲がるわけにはいかないのである。

 

 

 

「愛しの彼の所に行かなくてもいいのかい?」

 

 

 

「智のコト?全然気にしてないヨ」

 

 

 

「おや、そりゃまたどうして」

 

 

 

「だって、智だもン」

 

 

 

絶対に勝つから、心配する必要などないのだと。一切の曇りなき眼でそう宣言する彼女。

 

 

 

「……そういうもの?」

 

 

 

「うん、そういうもノ」

 

 

 

あっという間に、ほんの数十秒前とは質疑応答の立場が逆転していた。末恐ろしい少女である。惚気の原液を生身で食らい、何とか肉の形を保つので精いっぱいの僕とは大違いである。

 

これ以上の会話は無意味であった。彼女の手綱を握らせるため、そっと背中を押し、智少年のもとに彼女を送り出す。小走りに駆け出していく少女は、誰の目から見てもあからさまに機嫌がよかった。

 

 

 

各々が自身の役割に没頭し始めた頃、再び周囲の有象無象に目を向ける。傍目には大縄跳びの縄を回しすぎて肩を壊した数学教師の姿から、顔と名前の一致しない少年少女、碌な活躍のない校長、外部から招き入れたゲストまで多種多様な属性を持った人種がいる。そしてそこに共通しているのは、その誰しも程度は変動するにせよ、気力に満ち溢れているという点であった。

 

 

 

(………僕の思う、最善を)

 

 

 

真っ白なジャージの足元、泥が付着した裾をじっと見つめる。西の空には、墨汁を垂らしたような暗雲が立ち込めていた。

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