グレンがトレセン学園に潜入し、そして逃げおおせた日からはや一ヶ月。
『トウカイテイオー一着!あっ!?トウカイテイオー指一本、高らかに掲げました!あれはかつてシンボリルドルフが見せたパフォーマンスだぁーっ!!』
テレビの中で人差し指を立てた右手を誇らしげに掲げるトウカイテイオー。皐月賞直後の映像だ。ひとまず、ここまでは史実通り。問題は次の日本ダービー。彼女の脚は果たして無事でいられるのか──。
「おいグレーン!早くパン出してくれー!」
「あっ、すぐにやる!」
そしてグレンは相変わらずショウ南ノ風の手伝いをしていた。パンを焼き、棚に並べて客と世間話に興じ、時たまL/Roarsとしてレースに参加する。
そんな日々が突然一変した。
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とある週の日曜日のことだった。既にランチタイムを捌き切り、客足が遠のいた店内は微かなパンの残り香が漂っている。
グレンはいつものようにショウ南ノ風の店番をしていた。マスターとベリーは厨房で新しいパンを焼いている。
──カランカラン。
物静かな店内に来客を告げるドアにつけられたベルの音が響く。レジの前でグレンはそちらを顔を向ける。
「いらっしゃいまー……!?」
客が訪れた時の常套句を口にしようとしたグレン。しかしショウ南ノ風を訪れたその人物の顔を見て思わず息を呑んだ。
鹿毛に、黒鹿毛に囲まれた白い流星。史上初、そして唯一の無敗で三冠を達成した生ける伝説。現トレセン学園生徒会長を務めるウマ娘。
シンボリルドルフがそこに立っていた。
グレンが顔色を驚愕に染めるのと同様に、シンボリルドルフもまた驚きと困惑を隠しきれない表情をしていた。
「話には聞いていたが……本当に、そっくりだな」
シンボリルドルフの来訪。予想だにしなかった事態にグレンは次に起こすべき行動を見失った。固まるグレンをシンボリルドルフは静かに見つめている。鋭い、冷徹なものすら感じさせる視線で。
緊迫する店内、そこに厨房から足音が聞こえてきた。
「グレンちゃ〜ん?お客さんもいないし今のうちに休んでちょうどぅえぇえ!?」
店内に立つシンボリルドルフの姿を目にするなり、驚愕のあまり目を剥きながらのけぞるマスター。大のレースファンが「皇帝」とも称される傑物を前にすれば当然の反応であった。顔が大騒ぎしているマスターに向き直り、シンボリルドルフは静かに頭を下げた。
「突然の来訪、申し訳ありません店主さん。私がここに来ることはできるだけ知られたくなかったものですから」
「と、言うと……?」
「私はそこの彼女に会いに来たのです」
再びシンボリルドルフが眼中にグレンの姿を捉える。声は低く落ち着いているが、奥には冷徹な鋭さがある。しかしそれは怒りではない。探るような問いかけが根底に潜んでいた。
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ショウ南ノ風には、店で買ったパンを食べることの出来るイートインコーナーが存在する。80円があれば飲むことの出来るドリップコーヒーマシンも完備しており近隣では評判のスポットだ。
そのイートインコーナーの片隅にシンボリルドルフとグレンは向かい合って座った。その様子を遠巻きに眺めるのはマスターと、騒がしいので厨房から出てきたベリーだ。ベリーもまた、シンボリルドルフを目にして形容するのが難しい奇声をあげていた。
そんな二人は厨房から顔半分だけを覗かせて、シンボリルドルフとグレンを遠巻きに見つめていた。
(で、なんでシンボリルドルフがこんなところにいるんだよ)
(こっちが聞きたいわよ……)
二人の会話は聞こえない。心配そうな二人の視線の先で、おもむろにシンボリルドルフが口を開いた。
「改めて自己紹介といこうか」
テーブルの中央に右手が差し出される。
「日本ウマ娘トレーニングセンター学園、生徒会長のシンボリルドルフだ。よろしく」
「グレン、です。よろしく」
握手を交わす二人。
「突然押しかけてしまってすまない」
「いやまあ俺は別に……マスターは驚いたでしょうけど……」
チラッとマスターの方を見るとこっちに振るなと手を払われた。
「ゴホン、それで俺に何のご用でしょうか」
「いくつか聞きたいことがあってね」
シンボリルドルフは懐からスマートフォンを取り出し何かの操作をした後、それをグレンの眼前に差し出した。画面にはどこかの学校と思われる場所を撮影した動画が流れている。
「ん?」
画面外から何者かが走り込んできた。赤い体操服を身にまとった黒髪ポニーテールの謎のウマ娘……というかどう見てもグレンである。背景や着ている服から察するに、先日トレセン学園に侵入した際のものだろう。映像は監視カメラか何かで録画されたものと思われる。
「これは君だろう」
「……はい」
潜伏場所まで割れている今、何を誤魔化してもどうにもならん。と、開き直ったグレンは聞かれたことはなんでも吐こうと腹を決めた。
「まず君は誰だ?」
「説明すれば長くなるんですけど……」
「構わない、聞こう」
グレンは唾を飲み込み、静かに息を吸った。これはピンチでもありチャンスでもある。トレセン学園の生徒会長が直接接触してくるのは予想外だったが、上手くいけば強力な助っ人を得ることが出来るかもしれない。目の前の人物が敵となるか味方となるか。全てはグレンの言葉に掛かっている。
「俺は異世界からここに来ました」
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グレンは前世の記憶、高架下で目覚めたこと。ショウ南ノ風の世話になりながら今まで暮らしてきたことなどを、シンボリルドルフに洗いざらい話した。シンボリルドルフは一切口を挟むことなく、静かにグレンの前に座っていた。
「──そして怪我した俺はこれをトウカイテイオーの怪我を回避することに使えると考えました。あとは知っての通りです」
全てを聞き終えたシンボリルドルフはそのまましばらく黙っていた。目も閉じられている。長い沈黙を経て、静かに口を開いた。
「荒唐無稽な話にしか思えないが」
シンボリルドルフは対面に座るグレンの顔を見た。
「その容姿を見てなお、あり得ないと断言するのは難しいな」
どうやら信じてもらえそうだ。グレンは心の中で胸を撫で下ろした。
気付けば窓からは夕陽を示す濃い橙色の日光が差し込んでいた。確かシンボリルドルフが現れたのはまだ正午を過ぎたころだった。それほど長く話し込んでいたということだろう。
窓の外を見るとランドセルを背負った数人の小学生が歩いている様子が目に入った。時間帯から下校中だと思われる。その数人の小学生の中に一人、幼いウマ娘が混じっているのに気づいた。彼女達は楽しげに談笑していたが、先頭の子が走り出すとそれに釣られて全員が走り出す。ウマ娘は最後尾からゆっくりとついていった。笑い声が遠ざかっていく。
「──ウマ娘は別世界の魂を受け継いで走る」
シンボリルドルフの声が聞こえた。話し疲れて若干上の空になっていたグレンは、顔の向きを戻した。シンボリルドルフもまた窓の外を眺めていた。
「御伽話だと、思っていたのだがな」
「信じてくれるんですか?」
「さっきも言っただろう?その容姿の君の存在を否定するのは難しいと。それに……」
そこでシンボリルドルフは初めて笑った。
「君のフリースタイルレースの走り様を見れば、ただ姿形が似ているだけのウマ娘ではないと誰でも分かるさ」
「んん!?」
よもやフリースタイルレースを走っていることまで調べがついているとは。これでは何のために鷹の仮面をつけていたのか分からない。
「それにナイスネイチャの協力がなければ、君の所在を突き止めるのはもう少し時間が掛かっていただろうけどね」
「ナイスネイチャ?」
そういえばこっちの世界に来たばかりの時に彼女に会ったこともあったな、と思い出す。その時シンボリルドルフが椅子から立ち上がった。
「委細承知した。すまないがこのことはトレセン学園に報告させてもらうが構わないか?」
「あの。マスター……ここの人たちは俺を助けてくれただけです。俺とはなんの関係も……」
「分かっているよ。彼らの迷惑になるようなことはしないと約束しよう」
「俺は別にどうなってもいいので!出るとこ出ますよ」
「それには及ばないよ」
理由はどうあれ、グレンは不法侵入をしたのだ。だがシンボリルドルフは柔和に微笑んだ。
「君が不法侵入したことの影響といえば、夜間のトレーニングが禁止されて練習時間も短縮され、生徒達が思うように身体を鍛えることが難しくなったことくらいさ」
バチギレてる?
こっそりシンボリルドルフの顔色を伺うがその表情は柔和なものだ。
「君はトレセン学園に害意を持って侵入した訳ではないのだろう?」
「ええ、まあ」
「それが分かれば十分さ、自粛命令を取り下げることが出来る。だが」
シンボリルドルフの顔から笑みが消える。現れたのは『皇帝』の二つ名を持ちトレセン学園生徒会長を務める、すべてのウマ娘の理想を体現する存在。
「トレセン学園は夢と希望の場所だ。君がそれを踏みにじれば……容赦はしない」
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シンボリルドルフが立ち去った後、ずっと張り詰めていた神経が一気に弛緩し疲労感を感じながらグレンは椅子にもたれかかった。
「おい大丈夫かよグレン」
ベリーとマスターがグレンの元に飛び出してきた。
「なんとか……」
「結局何の用だったの?」
「それはー……」
グレンの正体はシンボリルドルフ、引いてはトレセン学園に露見した。しかしマスターたちに自分の正体を告げるかどうかはまだ迷いが生じる。
黙り込んだグレン。それをみたマスターは肩をすくめた。
「まあ言いたくないなら別にいいわよ」
「……俺が言うのもあれですけど。俺がとんでもない犯罪者だったらどうすんですか」
さすがに呑気すぎるのでは、と思ったグレンが苦言を呈すがマスターは何てこともないように言い放った。
「ウマ娘が犯す犯罪なんてタカがしれてるでしょ」
「実際今まで面倒を見てきた家出ウマ娘のなかでも警察沙汰になったことは何回かあるけどよ。大体が万引きとか速度制限違反とかだぜ」
「最悪アタシとベリーちゃんで取り押さえられるし」
「あんたら本当にパン屋ですか」
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「報告は以上です」
「感謝ッ!ご苦労だったな」
場所はトレセン学園、理事長室。部屋には一人のウマ娘と二人の人間がいた。
「たづな、沖野トレーナーに情報の共有を頼む」
「はい、分かりました」
駿川たづなが部屋を出て行った。シンボリルドルフともう一人、小柄な人間がその場に残った。
「してシンボリルドルフ。君はグレンというウマ娘……どう見た」
「悪いウマ娘ではないと思います」
「その心は?」
「眼、ですかね」
「なるほど」
シンボリルドルフの言葉に頷く声。それにバ鹿にしたような音色はない。むしろ納得したような色が含まれていた。
「それと謝罪、君を雑用に使ってしまって申し開きもない」
「いえ、私が希望したことですから。以前あなたにはお力添えしてもらった手前……」
「否定、私は紙に署名しただけだ。それに結果は変わらなかったしな」
「そんなことは……」
「いや、あの時のトレセン学園理事長が先代であれば……オグリキャップの日本ダービー出走も叶っただろうさ」
声の主はため息をついた。
「もう遅い。君は寮に戻りなさい」
「……はい。失礼します、秋川理事長」
「ちゃんと寮に戻るんだぞ」
「ど、どういう意味でしょうか」
「回答ッ!この前生徒会長が寮の門限ギリギリまで生徒会室に居残って仕事をしているの何とかしてくれという嘆願書が届いてな。んん?」
「……気をつけます」
足音、すこし経ってからドアの開閉音が聞こえた後部屋は静寂に包まれた。
部屋に残された最後の一人の名は秋川やよい。トレセン学園理事長を務めている人間であった。
シンボリルドルフ(トレセン学園)がグレンを見つけられた理由
・ナイスネイチャの情報提供(第一話、第二十一話参照)
・グローリーチャレンジャーレースの観客が録画していた映像がネットに流出していた(第十五話参照)
・あとトレセン学園の聞き込みなどの人海戦術
秋川やよい
数年前にトレセン学園理事長に就任した幼女。