変更点
おやっさん→マスターに名前を変えました。
#4
「いらっしゃいませ〜!」
ドアの上部に取り付けられた来客を告げるベルの音に反応して声を上げる。
初日には声を張り上げ過ぎてベリーに怒られた。
居酒屋の店員じゃねぇんだぞとは彼女のツッコミである。
確かに居酒屋の店員のような声の大きさはここには似つかわしくないだろう。
府中の商店街に店を構える落ち着いた雰囲気が好評なここ、パン屋「ショウ南ノ風」では。
「こんにちは〜グレンさん」
「ああ、大倉さん!こんにちは〜」
やって来たのはこの店の常連の一人、近所に住んでいる主婦だった。
「今日もいつものですか?」
「ええ、お願いできますか?」
「ちょうど焼き上がったところですよ」
そのまま雑談をしながら大倉さんがいつも買っていく食パンや少しの菓子パンを袋に詰めていると、
「あら、大倉さん。いらっしゃい」
奥からから顔を覗かせたスキンヘッドに薄く引かれた口紅、180cmのガタイをコック服に窮屈そうにつめたこの店の店長……マスターだ。
「あらマスター!なんだか会うのは久しぶりですね」
「最近は裏でパンを作ってる時の方が長いからねぇ。そういえば、お子さんは元気?」
「元気すぎて手を焼いてますよ〜」
始まったマスターと大倉さんの雑談に耳を傾けながらパンを詰める。
マスターの明るい人柄目当てにパンを買いに来る人もいる。そうした人は今の大倉さんのように彼と雑談に花を咲かせるのだが……
横から聞こえるのだが話のノリが完全にママ友同士の会話。
「おーいグレン」
後ろから呼ばれたので振り返るとパンを焼く厨房に続く出入り口にベリーが立っておりこちらを手招きしている。
大倉さんに会釈をしてからそちらに向かい、何?と聞くとベリーは親指で後ろを指し示した。
「悪いんだがゴミを捨ててきてくれるか?今焼いてるパンの前を離れるわけにいかなくてさ」
「はいはい」
小麦粉の入っていた袋などが詰められパンパンに張ったゴミ袋を軽く持ち上げる。最近ようやくウマ娘の人並外れた膂力に慣れてきたところだ。
店の裏口のドアノブを開けると裏路地に繋がっている。裏口の横に置かれたゴミ置き場にゴミ袋を捨てているとふと背後に気配を感じた。
───なご。
振り返ると室外機の上に平均的なそれの2倍の大きさを誇る猫が飛び乗るところだった。
「なんだドンさんか」
路地裏に倒れていたグレンを発見しショウ南ノ風に導いてくれた命の恩人。
「いや恩猫か」
しゃがみ込んでドンさんに目線を合わせる。ドンさんはショウ南ノ風で飼っている猫ではなかった。たまにひょこっと現れては飯を催促して二、三日過ごした後また姿を消すという。半野良猫、と言ったところか。
ショウ南ノ風以外にも世話になっている家があるらしく、野良猫とは思えないフワフワの毛並みを撫で回したいのはやまやまなのだが……
「今仕事中でさ。悪いけどまた後で来てくれない?」
ごめん、と手を合わせると
───なご。
明らかにしょうがねえな、と言っている顔をしながら室外機から降りて行ってしまった。
「やっぱ人の言葉理解してるよあの猫様……」
小さくなっていくドンさんの背中を見送りながら立ち上がる。ふう、と息をついて上を見上げると狭い路地裏の壁の隙間から晴れ渡った空が見えた。
グレンがショウ南ノ風に居候を始めてから1ヶ月が経った。
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「住み込みでバイト?」
「そう」
首を傾げて言葉を繰り返すグレンに食後のお茶を啜りながらマスターが答えた。
「貴方、その様子じゃ帰るあてないんでしょう」
図星である。
「ならウチで面倒見てあげてもいいわよ。店の手伝いをしてもらう代わりにね」
「店というと……」
「私がやっているパン屋よ」
衣住ぷらす朝昼晩のまかない付き。
破格の条件である。
「話が美味すぎる……」
正直言うと怪しい。
そもそも素性も分からないグレンを雇ってメリットなどあるのか。考え込むグレンを見て洗い物をしていた手を止めたベリーが言う。
「言っとくけどよ、お前みたいなのこの辺じゃ別に珍しくもないぜ?」
話を要約するとこうだ。
ウマ娘というのは人並外れた力を秘めてはいるが、その内面は年頃の人間の女子とそう大差ない。故にウマ娘にも反抗期というものが存在する。ウマ娘自体が穏やかな性格の種族なためそれ自体はすぐに終わる。
だが何事にも例外はある。
気性の荒いウマ娘や親との折り合いがうまくいかなかったウマ娘はそのまま家を飛び出す。俗に言う家出である。そして家出したウマ娘がどこに行くかというと……ここ府中である。
「なんで?」
「ウマ娘って走るのが生きがいっていう種族だからねぇ。この辺はフリースタイルレースなんかのレース場が多いから走れる場所も多いのよ」
「なるほど……」
「実際今までも何人か、家出してきたウマ娘の面倒を見たことあるんだぜ」
「ベリーちゃんもその中の1人なのよ」
「えっ!?」
目の前のベリーからは落ち着いた雰囲気があり、とても家出をするほど気性の荒いウマ娘とは思えなかった。
「昔はすごかったのよ。それがまーこんな可愛らしくなっちゃって」
「昔の話だっつーの」
そういえばベリーの口調にはところどころヤンキーのような荒い言葉遣いが混じる。荒れていた頃の名残ということだろうか。
「私は店を手伝ってくれる人が増えて楽が出来る、ウマ娘ちゃんは家に帰らずに住める場所を確保できる。まさにWIN WINの関係ってワケ」
「はぁ……」
それって労働力の搾取なのでは……。
と思ったのだが後に聞いた話では違った。
ベリーから聞いた話によると、マスターは家出してきたウマ娘には内緒でその家に連絡を取るのだという。そして事情を説明した上でウマ娘の反抗期が落ち着くまでウチで預かるといった形になるらしい。
今でもショウ南ノ風でお世話になったウマ娘やその家族から感謝の手紙が届くこともあるそうだ。
「……」
「まだ納得出来ないようね?」
「いや、納得は出来たんですが」
……話が出来すぎている。
路地裏で倒れたところを拾われた家がたまたまウマ娘の面倒を見てくれるパン屋だったとは偶然ではあり得ないだろう。
「それこそドンさんにお礼を言うんだな」
「え?」
ベリーが指差す先には皿に盛られたキャットフードとトッピングの挽肉をがっつく猫の姿があった。
「言っただろ、ドンさんがお前を見つけて"ここ"連れてきたって」
「……?」
話を聞いたグレンはもう驚くばかりだったのだがこのボス猫。複数ある自分が世話になっている家の中からショウ南ノ風を選んで人を呼びに行ったという。
「それってここが行き場のないウマ娘を世話してくれる場所だと理解した上でベリー達を俺のところに連れてったってこと?」
「そうだぞ」
「ホント賢いわよねドンさん」
「いやもう賢いとかいう次元を超えてる気がするんですが」
コイツひょっとして化け猫か何かでは?
グレンの視線に気づいたドンさんはなご、と鳴いた。
その姿はただの猫であった。
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とまぁそんなわけでグレンはここの世話になることになったのだ。
パンをこねたり焼くといった仕事は経験が必要だからすることはないが、焼き上がったパンを棚に出したり、店内の掃除やおぼんとトングの消毒などやることは多い。
要は雑用である。
なのだがいかんせん待遇がいい。マスターの言うとおり衣住に加えてまかないも付く。
たまに店の余ったパンになることもあるが基本はベリーの手料理。
これが美味いのだ。和食も洋食もイケる。
聞けばショウ南ノ風に居候をしながらマスターに教わったという。
だからマスターはパンを焼くだけでなく料理も出来ることになる。完璧超人すぎるのだ。
店内の掃除をし、焼き上がったパンを並べ、接客の中で顔見知りを増やしていき、ベリーの作る手料理に舌鼓を打つ生活が続いた。
そして季節も移ろってゆき……冬がくる。
10話くらいまではこれから毎晩投稿する予定ですのでお待ちいただけると幸いです