グレンが頬を触ると鏡の中のトウカイテイオーも頬を触る。
「……」
グレンが喋らないと鏡の中のトウカイテイオーも喋らない。
当然だ。
なぜならグレンがトウカイテイオーなのだから。
台に肘をつきながら鏡を覗き込む。
(そもそもなんで俺トウカイテイオーの見た目してんだろ……)
こちらに来てすぐ、ひょっとして前世の俺がトウカイテイオーの身体に入り込んだ憑依系の転生モノだったりしないかと心配になりニュースや新聞を見漁った頃もあった。
トレセン学園の生徒が行方不明になった旨のニュースが一切なかったことからその線は否定されたが。
しかしグレンがトウカイテイオーの姿を持って転生した以上、それには何か意味がある。
とは思うのだがパン屋の仕事の手伝いをしていて果たしていいのだろうか……。
と、鬱屈とはいかないが小さい悩みを抱えながら生きていた時期が一変した出来事があった。
─※─※─※─※─※─※─※─
夏が過ぎ、残暑も感じなくなり涼しい過ごしやすい季節すら通り過ぎて12月、冬。
いきなり時期が飛びすぎではないかと思われただろうが、その間ずっとパン屋の仕事に追われていて変わり映えしない毎日だったのだ。
割愛。
いやパンのよい焼き加減が分かるようになったことは自慢してやりたい。
それはともかく。
珍しくショウ南ノ風が休みになった。
「なんか珍しいね、休み」
「マスターちょっとワーカホリックなところあるからな……」
「そこ、聞こえてるわよ」
そんな珍しい休みの日、グレン、ベリー、マスターの3人は電車に揺られていた。
時期はクリスマスシーズン真っ只中、街中は様々な装飾が施され、至る所にイルミネーションが設置されていた。
この世界では初めての、ウマ娘の世界のクリスマスにちょっとワクワクしているのは内緒だ。
「で、どこに行くのさ」
「ついてのお楽しみよん♪」
朝からこの調子で行き先を一向に教えて貰えない。ひょっとしてディ◯ズニーランドか?今ならクリスマスで大いに盛り上がっている頃か。
夢の国にマスターのようなオネエが出現したら夢の国がもっと夢の国になりそうだな。
とグレンが極めて失礼なことを考えているうちに目的地についた。
結局行き先を聞いてものらりくらりと交わされながら着いたのは
「中山レース場?」
「そうよ」
人でごった返している中山レース場の入場口に立ち、ハンディキャップ帽を目深に被りながらこっそり周囲を見回す。周囲の人々に特に変わった様子はない。
テイオーはまだデビューしていないようだから有名にもなっていないわけで、グレンが彼女に瓜二つの容姿でも騒がれることはない。
とはいえテイオーの知り合いに出くわす可能性もあるので油断は禁物だ。
「でもなんで中山レース場に……?」
「ちょっとグレンちゃん。今日が何の日か忘れた?」
「え?クリスマス……あ」
クリスマス、レース場とくれば答えは一つ。
「そう!有マ記念よ!!」
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会場内はレースを観に来た観客達でごった返していた。
人混みに揉まれながら前進する中、遅々として進まない列に暇を持て余しベリーに雑談をふっかけることにした。
「毎年来てるの?有マ記念」
「ああ、マスターが大のレース好きでさ。行かない年もあったりするんだけど、今年の有マ記念は絶対観たいって」
「なんで?」
ベリーの指がグレンの頭を飛び越し、背後の方向を指し示す。
はてな、と思いながら振り向くとそこには有マ記念を告知する色とりどりのカラーと、中央に走っているポーズをとったウマ娘が描かれた何枚ものポスターが張り出されている。
その中には見覚えのある顔ぶれもあった。
「メジロアルダンにヤエノムテキ……あ、メジロライアンもいる」
錚々たる顔ぶれだ。いずれもトゥインクルシリーズで優れた功績を残した逸材かつ、前世ではよく目にしたウマ娘お馴染みの顔。
「あの内の誰かがマスターの推し?」
「違うわ、あの娘よ」
いつの間にか背後まで来ていたマスターがグレンの頭上から指を差す。
するとさっきまで建物の陰に隠れていた新たなポスター群が見えた。
その中のマスターが指を差す芦毛のウマ娘。
「オグリキャップ……」
なるほどマスターの目当てはかのアイドルウマ娘だったということか……。
と内心納得したところではたと気付いた。
有マ記念、オグリキャップ、そして先ほど自分はメジロライアンのポスターを目にした。
「ひょっとして……」
「そうよ」
若干涙ぐんでいるマスターに代わり、ベリーが答えを言い放った。
「今日の有マ記念はオグリキャップのラストランだ」
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開場と同時に全力ダッシュをかまし、ウマ娘の脚力とマスターの迫真すぎるダッシュに物を言わせて観客席に1番乗りしたグレンたちはゴール目の前という好位置に陣取ることが出来た。
グレンとベリーに普通に追随出来ているマスターがいい加減人間なのか気になったが、とりあえず今は置いておいた。
そのマスターは身長180cmを超える屈強な身体を後ろの人たちの邪魔にならないように中腰になりながら手すりにしがみついてる。すごく辛そうな体勢だ。グレンはマスターの腰が心配になった。
観戦場所を確保し一息ついたところで辺りを見回すと、開場して間もないというのに観客席はすでに人で埋め尽くされつつあった。
「この人たち全員有マ記念観に来たのかな?」
「それもあるだろうが……やっぱりお目当てはオグリキャップだろうな」
彼女の最後の姿を見に来た。
ここにいる全員が。
「……」
トゥインクルシリーズを牽引してきた伝説の最後のレースに立ち会えること。
それを喜ぶと同時に不思議な感覚に襲われる。
前世では彼女が主役を務めるシンデレラグレイは好きで単行本は全て買っていた。だが最終話を見ることなくここに来てしまったため、物語の結末は分からずじまいだったのだが、それがまさかこの目で見ることができるとは。
人生とは分からないものだ。
やがて有マ記念に出走するウマ娘達がレース場に姿を表した。
1人1人に凄まじい歓声が鳴り響く。
「あ、メジロライアン」
さすが今年の有マ記念の最有力候補なだけあって一際大きい歓声が鳴り響いた。
観客席に向かって手を振る彼女を見ながらマスターはつぶやいた。
「ライアン、いい感じそうね」
「分かるの?」
「伊達にレースファン30年やってんじゃないわよ」
そういうものなのか、と納得しつつライアンを見る。とはいえ、レースに関しては素人なのでどの辺が"いい感じ"なのかいまいち分からない。
そしてそのメジロライアンの次にレース場に入って来たのが
「オ゛ク゛リ゛ち゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!!」
「うるっさ!」
涙と鼻水を流しながら太い腕をブンブンと回すマスター。
ガタイがいい上にオネエ、というただでさえ目立つ存在のマスターがさらに目立っている。
そしてそれは向こうにも同様だったようで
『……』
「あ゛ーっ!見た今の今私に向かって手を振ってくれたわ!!」
「何言ってんだ俺にだよ!」
「いいや僕に決まってるね!!」
周囲とマスターはオグリキャップが誰に手を振ったか論争という不毛な争いに突入した。
「あんたたちこそ何言ってんのよ!!手を振る先にこんな目立つやつがいたら見ないわけにはいかないでしょ!!」
「くっ、それ自分で言うか!?」
だがどうやらマスターに分があるようだ。
ほっといたら乱闘騒ぎが起きかねないのでベリーと2人がかりでマスターを押さえ込んでいるうちにゲート入り開始の時間になった。
ゲート入りを渋っているヤエノムテキを見ながらグレンは傍のベリーに話しかけた。
「誰が勝つと思う?」
「オグリ……って言いたいけど、ライアンかな」
オグリキャップは前走のジャパンカップで11着。衰えは目に見えていた。
オグリは終わった。
それが世間一般の評価だった。
だがそれを聞いていたマスターが声を張り上げた。
「何言ってんの!オグリちゃんはやってくれるわよ!!だってオグリちゃんだもの!!」
よく通るマスターの声にそうだ!や俺たちのオグリだぞ!と同調する声が聞こえて来た。
「愛されてるんだなぁ……」
前走で11着と大敗したにも関わらず未だ大勢の人々に声援を送られるアイドルウマ娘。
その人を惹きつけてやまない魅力とは一体何なのか。
少し、気になった。
(まぁ、前世の記憶でオグリが勝つのは分かってるんだけどね)
グレンは手すりに肘をついてあくびをした。
観客が見つめる先、最後となったラケットテニスというウマ娘がゲート入りを果たした。
先程までの喧騒が嘘のように静まり返る観客席。
沈黙する観客達の視線の先でゲートの中のウマ娘達はその瞬間を待つ。
──ガコン。
ゲートが開く。
飛び出すウマ娘達。
爆発する観客達の歓声。
有マ記念が始まった。
『さぁ思い切って前に行くウマ娘はいませんが、ゆっくりと、ゆっくりと軽く押してヤエノムテキか』
場内に設置されたスピーカーから実況が聞こえてくる。
あの声はお馴染みの明坂だろうか。
『第3コーナーから第4コーナーに入り先頭はアサイチジョージが立ちました』
「オグリキャップは……」
いた。
ちょうど中団、芦毛の白い髪がバ群の中からチラリと覗いている。
ウマ娘達がスタンド前に入ってくる。
観客達の歓声は凄まじくまるでレース場が揺れているようだ。
『夢、期待、願い、さまざまな思いが幾重にも重なり大きな声援となって中山レース場に響き渡っています』
十数万人の大観衆の前を16人の優駿達が駆け抜けていく。
ふとオグリキャップの姿が目に入った。
その顔はただひたすら前だけを見据えている。
ファン達からの声援を受けている彼女は一体何を思って走っているのか。
バ群が遠ざかっていく。
第2コーナーに向かうウマ娘達。
その中の小さくなっていくオグリキャップの背中をグレンはただ見送った。
バ群は第2コーナーを抜け、第3コーナーを過ぎ、向こう正面に入った。
そこで状況は動いた。
『あっとここでメジロライアンが前に出た!』
混戦状態の中、そのパワーに物を言わせてメジロライアンが浮上する。
遠目から見てもその気迫が伝わってくるようだ。
『ライアンに続いてオグリも行った!』
その背を追うようにオグリキャップもスピードを上げる。しかしその加速はライアンと比べるとひとつふたつ迫力が足りなかった。
「バ群に揉まれてスタミナを消費してしまったんだわ」
グレンの隣に立つマスターが歯噛みをする。
「前だったらあれくらいどうってことなかったんだけどな……」
反対側でもベリーが歯痒そうに呟く。
「頑張れオグリー!」
「俺たちがついてるぞー!!」
後方から先程マスターと言い争っていた2人の声が飛んできた。
バ群が第3コーナーに入る。
第4コーナーを抜けたらもう残すところは直線勝負のみ。
澄み切った師走の空気を切り裂いて最後の勝負が始まろうとしていた。
切っ掛けを作ったのはメジロアルダンだった。
「バ群の中から躍り出たのはメジロアルダン先頭に立つか!?」
バ群の中から姿を現したメジロアルダンが先頭に向かって加速する。
その両隣にいたウマ娘達も先を越させてないとターフを蹴る脚に一層力を込める。
そのときどよめきが起こった。
『オグリだ!オグリが来た!!オグリキャップ一気に3番手!!』
芦毛のウマ娘がバ群の外側からトップ争いに飛び込んできた。
「オグリちゃぁぁあん!!」
マスターが涙の入り混じったダミ声を上げる。
「オグリィィィィィィ!!」
ベリーが手すりを掴んで身体を乗り出しあらん限りの声を張り上げる。
「「「オグリキャップゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」」」
隣から、後ろから、そこかしこから、オグリキャップを応援するファン達の声が聞こえる。
『ここでライアンも来た!メジロのライアンだ!!オグリキャップの猛追します!!』
メジロの名を背負うウマ娘が芦毛のウマ娘に迫る。
声援の中、グレンは見た。
不思議な感覚だった。
まるでそこだけ、切り取られた写真のような。
次世代のウマ娘に迫られる中、苦悶の表情を浮かべるオグリキャップの顔。
スーパークリークやイナリワンとの強敵たちと繰り広げるレースの中で摩耗していった脚。
全盛期とは程遠い、タマモクロスと激闘を繰り広げた有マ記念の頃の力など当に無く。
だが。
それでも歯を食いしばり、前を見つめる。
その目はまごうことなき日本一を掴んだウマ娘の目だった。
「……がんばれ!!」
気がつけば叫んでいた。
手すりを掴み、周囲の人々に混じってオグリキャップに声援を送る。
前世も含めて出したことのない大声を上げる。
──オグリキャップ!!!!
そんなはずない。
だが確かにファン達の声援が寸分の狂いなく、揃った。
芦毛のウマ娘が脚をターフに叩きつける。
轟音。
時が止まる。
上体を倒す。
かつてカサマツで見せた、怪物と呼ばれた脚。
それがここ中山で再び姿を現した。
先頭に飛び立つ。
『オグリ先頭!オグリ先頭!!しかしライアンも来ている!!』
汗だくの顔を驚愕に染めながらも、追い縋るメジロライアン。
『オグリ先頭!ライアン来た!オグリ先頭!!ライアン来た!!』
そして。
グレンが見つめる中。
その目前で白い影が真っ先にゴール板を駆け抜けていった。
─※─※─※─※─※─※─※─※─
『オグリ1着!オグリ1着!オグリ1着!』
興奮のあまり同じことを何度も何度も叫ぶ実況。
その実況も中山にこだまする歓声で今は聞こえない。
感情がキャパシティをオーバーしたらしきマスターが撃沈し、ベリーは両手を振り上げて歓声を上げている。
「オグリ───!!」
「ありがと───!!」
オグリキャップは、己を讃える声の雨の中静かに佇んでいる。
やがて片手を上げる。
歓声が再び湧き上がった。
「……すげえなあ……」
自分ですら知覚することなくグレンは呟いた。
最後の最後で限界を乗り越えた1人のウマ娘。
彼女が起こした奇跡は、今日、確かにグレンの胸に刻み込まれた。