#7
───都内某日、空が白み始めた頃。
首都圏から離れ、高いビルが見えなくなり代わりに田んぼや畑が視界を占めてくる場所にそれはあった。
大勢の人間を迎え入れるためであろう横に長く広がる玄関。完成当初は光り輝いていたであろう隅に埋め込まれた定礎も、今はその輝きを失い、代わりに年季を伴った鈍い光を放っている。
その前に1人のウマ娘が立った。
鹿毛の髪をうなじ辺りでひとまとめにし、動きやすそうなウォームウェアを身に纏っている。
グレンだ。
「思ってたより古い建物だね」
額に手を当てて周辺を見回すグレンの呟きに答えるのは同じくウォームウェアを着たベリーである。
「作られたのが4、50年前らしいからな」
昔はG1レースも開催されてたらしいぞ。
ベリーのうんちくにほー、と返しながら見回すのをやめないグレン。やがて一つの確信を得た。
「誰もいないじゃん」
人影の一つもなく、静まり返ったレース場からは人の気配を一切感じない。
「そりゃそうだろ、今日最初のレースが始まるまで何時間あると思ってんだ」
「それもそうか」
観客たちがまだ姿を見せない早い時間帯、そんな時間にグレンとベリーがレース場にやって来た理由は一つ。
彼女らはレースを観にきたのではなく、走りに来たのだ。
フリースタイルレース。
トゥインクルシリーズを主催するURAではなく、民間の企業や個人が運営しているアマチュアのレース。
ここならばまだデビューをしていないトウカイテイオーを知るものは少ない。
グレンでも、心置きなく走ることが出来るのだ。
─※─※─※─※─※─※─※─※─
横長の玄関から少し離れた普通の大きさの扉。スタッフ用らしき扉を躊躇いもせず開けて中に入って行くベリーの後に着いていくグレン。
中に入るとすぐに警備員詰所らしき場所の前に出た。
「おはようございまーす」
そこに向かってベリーが声を掛けると少しの間を置いて年配のメガネをかけた男性が顔を覗かせた。
「はい、おはようございま……」
挨拶を返しながらベリーの顔を見た男性はポカン、と間の抜けた顔をした。
気さくに笑いながら片手をあげるベリーを見て再起動したと思えば驚いた様子で頭に手をやった。
「ベリーちゃんじゃないか!久しぶりだねえ!!」
「ご無沙汰です、尾形さん」
2人は顔見知りのようだ。
置いてけぼりを食っているグレンを置いて久方ぶりの再開を果たしたらしい2人の会話は白熱した。
「いやー、何年振りかなぁ」
「最後には来たのは五年ほど前ですかね」
「もうそんなになるか!毎日ここにいるから時間の感覚が曖昧になって参るよ。マスターさんは元気?」
「元気を持て余してますよ」
ベリーが苦笑を交えて返すと尾形、という男性は腕組みをして何度も頷いた。
「そうかいそうかい、近いうちにまたパンを買いに行こうかな」
「是非」
その辺りで雑談も一段落を迎えたらしく、そこで初めて尾形がベリーの背後に立っているグレンに気づいた。
「そちらの娘さんは?」
「去年からうちで世話してるグレンだ」
「ほほお〜……」
尾形から向けられた謎の生暖かい目をなんだろうと思ったグレンだったが、そういえばショウ南ノ風は反抗期で家出した少女やウマ娘の面倒を見てきた過去があるんだった、と思い出した。
何か勘違いをしているらしき尾形の誤解をグレンが訂正する暇もなくベリーが本題に入った。
「そんで尾形さんさ、ちょっとレース場に入れて欲しいんだけどいいかな」
「構わないけど……もしかして、ベリーちゃんレースに出るのかい!?」
目を輝かせた尾形にいや、と首を振った。
「出るのはコイツだ」
親指で指し示されたベリーの後ろに立つグレンを見て、納得したように頷いて(目の輝きは若干薄れて)、
「じゃちょっと待ってくれるかい、今出入り口を開けてくるから」
「ゆっくりでいいよ」
そう言ったにも関わらず尾形は小走りで詰所から出ていった。
「今の人誰なの?」
置いてけぼり通しだったグレンが問うと肩をすくめてベリーが答える。
「アタシがレースを走ってた頃からここの警備員をやってる尾形さん。ちょくちょく顔を合わせるうちに仲良くなってさ。あと最近は来なかったけどショウ南ノ風の常連さんだ」
「なるほど……」
ようやく判明した尾形の人物像に納得していると遠くからおーい、と尾形の呼ぶ声が聞こえて来た。
「開けてくれたぜ、行こう」
「おし」
2人は尾形の声のする方へ歩いていった。
─※─※─※─※─※─※─※─※─
尾形が開けてくれた扉をくぐった途端、差し込んできた朝日に思わず手をかざし目を紡ぐグレン。
少しの間を置いてゆっくりと、手を下ろして目を開ける。
「うおお……」
目に飛び込んできたのは光輝くターフだった。
「ターフが光ってる」
「何言ってんだお前」
芝に着いた朝露に朝日が反射して輝いているように見えるということにグレンが気づいたのは数十秒の後であった。
そんな簡単なことにも気づかなかったのはグレンの感情の波のせいだろう。
感動という名の。
「なんかいい匂いもする」
「匂い?どんな」
「なんていうか……言い方悪いけど青臭いというか」
「ああ」
そこでベリーはふっと微笑んだ。
「そりゃ芝の匂いだな」
この世界に転生して初めて間近で目にする芝の整備されたターフ。
「これが……」
それが輝いて見えることに自分でも不思議だった。
と、そこへ
「おおーい!!」
遠くから大きな、いやもはや怒号ともいうべき声が飛んできた。
見ると男性が走ってくるのが見えた。近づいてくるにつれ、両目をを吊り上げて歯茎を剥き出しにしている怒りの形相が見えるようになる。
一瞬、頭部が光る。よく見ると男の頭は禿頭で……
「ん?」
謎のデジャヴを覚えたグレンとその横に立っているベリーに禿頭の男が詰め寄る。
「何やってんだあんたら!勝手にターフに入るんじゃねえ!」
「まあまあまあ!」
唾を飛ばす禿頭の男とグレン達の間に割って入ったのは尾形だった。
「尾形さん何やってんだアンタ!こんな時間にターフに人を入れるなんて」
「いいから落ち着きなよ!確かにレース場開場は10時からだけど、ターフには許可を取れば朝の6時から入っていいって決まってるでしょ!」
「……確かにそうだ……」
「あ──────ッ!!」
尾形の説得で一旦ヒートダウンした禿頭の男の耳にウマ娘の叫びが突き刺さる。
「うるっせえな!なんだよ!?」
そこには禿頭の男を指差して驚愕の表情を浮かべるグレンがいた。
「アンタあの時の……!」
─────
───
─
プァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!
『バカやろ───ッ!!危ねえだろ!!』
『怪我したらどうすんだドアホウ!!』
─
───
─────
この世界に転生してすぐ、車道に飛び出したグレンと追突しかけたトラックを運転していたあの男であった。
「去年あたりにアンタに殺されかけたウマ娘だよ!」
「…………あっオマエあん時のウマ娘か!てか殺されかけたってなんだお前が飛び出して来たんだろうが!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐグレンと禿頭の男を眺めながら両手を頭に置いてベリーは尾形の方に顔を向けた。
「誰です?あの人」
「本多さんだよ。何年か前からここのターフ整備をしてる。ベリーちゃんが走ってたころはまだ居なかったから会ったことはないと思うよ」
のほほんと会話を交わす尾形ベリーと青筋を浮かべながら口論するグレン本多。なんとも対照的な2組だった。
不必要に芝荒らすんじゃねえぞ!
そう吐き捨てて行ってしまった本多の背中をグレンが睨め付けていると
「じゃ、ちょっくら走ってくるかな」
ベリーが着ていたウォームウェアを脱ぎ捨てた。
「ターフの確認をしたいからグレンはそこで見ててくれるか」
「分かった」
「ベリーちゃん、いきなり走って大丈夫かい?」
「ここに来るまでに身体温めておいたし、たまに走ってるから大丈夫だよ」
グレンと尾形が離れるのを確認してから、靴のつま先でターフを叩いてゆっくりとスタートの構えをとるベリー。
(……なんか別人みたいだな)
ベリーの纏う空気が明らかに変わったのを肌で感じ取り、グレンは思わず身震いした。
少しの沈黙。そして。
「シッ…!」
鋭く息を吐いてベリーの身体が爆発的な加速と共にターフに飛び出した。
「早っ……!?」
あっという間に小さくなったベリーの背中を驚愕の声を上げるグレンの横で、尾形は目を細める。
「いやぁ……またベリーちゃんがターフで走っているところを見れるとは思いもしなかったよ」
その言葉は明らかに郷愁の念であった。
「あの、尾形さん」
「ん?なんだい」
「ベリーってフリースタイルレースを走ってた時ってどんな感じだったんですか?」
「彼女から聞いていないのかい?」
「ええ、まあ」
腕を組んだ尾形は、すでに向こう正面に 入ったベリーを見て微笑んだ。
「僕はここの警備員をして長くてね。フリースタイルレースを走るウマ娘とは何人か顔見知りなんだけど」
その中でも1番ギラギラしていたのが彼女だったという。
「……ギラギラ?」
「うん、今のあの娘からは想像もつかないけどね」
そういえば以前マスターからも聞いた。
かつてベリーもまた親への反抗心から東京に飛び出して来たウマ娘だったと。
記憶の中にあるベリーの姿を反芻する。
マスターと阿吽の呼吸でショウ南ノ風を回す姿。
パンを買いにやって来た常連の客と楽しげに談笑する姿。
店じまいをした後に売れ残りを目当てにやって来たドンさんを撫でる姿。
そのいずれも"ギラギラ"とは程遠いものだった。
「昔は荒れてたんですか?」
「そりゃもう凄かったよ。今じゃ想像も出来ないけど」
尾形が口を閉じるのとベリーが一周を走り切ってグレン達の元に戻って来たのは同時だった。
ふー、と長く息を吐くとベリーは口元を拭った。
「やっぱターフで走るのはいいもんだな」
「ベリーちゃんにそう言われて本多さんも鼻が高いだろうね」
─────
───
─
尾形は警備の仕事に戻ると言ってターフから出ていった。
「さて、じゃレースが始まるまで走るか」
ベリーに指導されながら柔軟を済ませたグレンが芝の上で2回3回跳ねる。
足裏に伝わってくるターフの感触にどうしようもなく昂る胸を自覚する。
「ウマ娘なんだなぁ……」
「なんか言ったか?」
「いや、なんでもない」
その後グレンはベリーが見守る中、レースが始まるまでターフを何周も走った。
そして迎えたレース本番。
めちゃくちゃボロ負けした。
─
───
─────
【orz】
「めっちゃ凹んでる……」
寸分も違わないorzの状態でターフに沈むグレンの肩に手を置いてベリーは励ましの言葉を送った。
「ま……その……あれだ。初めてのレースだからさ……そんなもんだって」
「最下位かつ前のウマ娘と5バ身差やぞ」
「悪い」
正直驕りがあったのは否めない。
わしトウカイテイオーやぞ?
そこのけそこのけ帝王が通る。
テイオーステップでぶち抜いてやるわ。
そんな思惑など序盤も序盤、スタートの時点で木っ端微塵に打ち砕かれた。
『あーっ5番大きな……、かなりの出遅れ!!』
致命的な出遅れをかまし、巻き返しなど出来ようはずもなくこの様である。
(トウカイテイオーの身体を持って転生してきたと思ってたんだけどな……)
顔がそっくりなだけだったのだろうか。
「おーい、邪魔だぞー。退けー」
そこへガタゴトとエンジン音を伴いながらやって来たのは本多だった。乗っているのはターフを整備するための車両か。
「聞いてくださいよ本多さん」
「俺はターフを整備したいんだが……」
ため息を吐く本多を一旦無視してグレンは続けた。
「めっちゃ負けました」
「おう、見事な負けっぷりだったな」
ハンドルにもたれかかっていかにも興味ありません、といった体で話を聞く本多を(なし崩し的に)交えて反省会を始めたベリーとグレン。
「何がダメだったんだろう」
「やっぱ初めてのレースだから勝手が分からなかったんじゃないか?」
グレンのそばに腰を下ろしたベリーが言うとグレンはうーんと唸った。
「一生懸命走ったんだけどな……」
「ちょっと気になったことあるんだがいいか?」
片手を上げた本多にガバリと身体を起こして反応するグレン。
「マジ!?本多さんアドバイスくれんの!?」
「お前らが退きそうにねえからな」
アドバイスって程でもない気もするけどな、と前置きして本多は鼻を鳴らした。
「お前、人間みたいな走り方するな」
「「あっ」」
─※─※─※─※─※─※─※─※─
夜。
ショウ南ノ風にて夕食をとりながら2人はマスターに今日の一部始終を報告した。
「って訳なんよ」
「変わったこともあるものねぇ」
人間の走り方をするウマ娘。
この世界じゃそれはもう奇妙なことなんだろうな、ベリーの報告を聞きながらグレンは味噌汁を啜った。
「俺にはレースは荷が重かったみたいね」
大人しく土手のランニングコースでも走っていよう、とグレンは思ったのだがそれに異議を唱えたのはマスターだった。
「でもそれ、人間の走り方だったから負けたってことでしょう?ウマ娘の走り方に矯正すればいいんじゃない?」
「それは……そうだね」
問題は誰がそれを教えるのか、である。すぐに思いつく人物で言えば……。だがベリーは肩をすくめた。
「アタシは教えることはからっきしなんだ」
それに矯正ともなれば専門知識が豊富な人物でないと重大な故障に繋がる恐れもある。
「ふむん……どうしたものかしらね」
「あの、マスター。別にそこまでしてくれなくても俺は住まわせてくれて飯も頂いてる立場なんで文句なんかないよ……」
というグレンの言葉にしかし、毅然とおやっさんは首を振った。
「あなたに走ってみないかって提案をしたのは私よ?中途半端なところで投げ出すのは私の流儀に反するわ」
やだ、イケメン……。
ちょっとキュンと来たのは内緒だ。
「大丈夫、アテはあるわ」
バチコーン、とウィンクを放つマスターにグレンとベリーは顔を見合わせた後、首を傾げたのだった。