遅すぎた天才、はやすぎた天才   作:小さい鯨

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卑怯者の末路

 天皇賞春、当日。

 天気は晴れ、良バ。トウカイテイオーは今日、春の三冠の一角を獲得しようとしていた。

 控室にて、テイオーは靴ひもを結んでいる。その姿を傍らで、トレーナーとマックイーンが見ていた。テイオーの新たな勝負服は、たった1か月前に貰ったというのに、すでにボロボロであった。袖は擦り切れ、マントには穴が空き、ところどころに土汚れが目立つ。その理由は彼女がこの服を着て、練習を重ねてきたからだ。そのおかげか、吐き気や虚脱感は少しばかり楽にはなった。それでもオイヌとのレースは全戦全敗、芳しい結果とはならなかった。

 

「よっと、準備終わり」

 

 テイオーは立ち上がって飛び跳ねる。彼女はいつも通り、リラックスしていた。

 

「テイオー」

 

 トレーナーが、テイオーに話しかけた。

 

「なに、トレーナー」

「あー……、なんだ、正直、お前はトレセンに行った方が良かったと思ってるよ。俺よりもいいトレーナーがいただろうし。あの時、最初に会った時、もっと勧めてたらよかったなって」

 

 テイオーはトレーナーの言葉を聞いて、少し考えた後、にししと笑った。

 

「なーに言ってるのさ、トレーナー。ボクは天才なんだから、誰と契約しても一緒だよ」

「お前な……」

「でもさ、ボクを見つけてくれたのはキミだけなんだよ、トレーナー。キミがいたから、ボクは走れたんだ。だからキミは、ボクの最初で最後のトレーナーなんだよ。……ありがとうね、トレーナー」

 

 もう一度、テイオーは笑った。今度は満面の笑みで。トレーナーはその笑みに、照れくさそうに微笑んだ。

 

「……そうか」

「うん!」

「……テイオー、トレーナーとしてこう言うよ。天皇賞は来年もあるから無理はするな、気楽に行け」

「うん、……実際聞いてみると、意外と安心するね、これ」

 

 テイオーは、同意を求めるように、マックイーンに視線を送る。マックイーンは苦笑し、微かに頷いた。

 

「だが」

 

 テイオーは改めて、トレーナーを見た。

 

「お前の相方として言わせてくれ。勝ってきてくれ。そしてお前の……、いや、俺たちが作った走りを、ぶつけてきてくれ」

「……うん!!」

 

 テイオーがレースに向かう時間がきた。彼女はドアへ向かい、改めて2人を見る。

 

「それじゃあ、ボクらしく、悔いなく楽しく走ってくるよ。ゴール板の前で待っててね、トレーナー、マックイーン」

「ああ、待ってるからなテイオー!」

「……」

 

 マックイーンは何も言わず、ただテイオーを見ていた。テイオーもそれにこたえ、微かに頷いた。

 

 ■

 

 芝揺れるレース会場、満員の観客たちは今日の勝者を見に来ていた。トウカイテイオーは3番人気。菊花賞の敗北と、大阪杯での辛勝の結果、テイオーは1番人気ではなくなっていた。そのことは気にせず……、とは言い切れないテイオーだったが、極力気にしないようにし、目当ての人物を探す。

 目的の人物を見つけたテイオーは、彼女に声をかけた。

 

「久しぶり、サファイア」

 

 サファイアクリスタル、今日の1番人気。菊花賞を勝利したウマ娘だ。彼女は大阪杯に出場していない。おそらく、菊花賞の時と同じように、天皇賞に合わせてきたのだろう。

 

「……久しぶり、来たんだ3200m」

「もちろん! 帝王が逃げ出したりするわけないでしょ?」

 

 にししと、帝王は笑った。

 

「ボク、負けず嫌いなんだよ、すっごくさ」

 

 テイオーがゴールを指さす。サファイアも、そちらを見た。200m、菊花賞からたった200m増えただけというのに、最果てのように感じる。

 

「あの時、キミは『最も強いウマ娘』だった」

「あの時……?」

「うん、あの時は。今日、あの時の距離に200m分熨斗を付けて勝利させてもらう。今日は、ボクが挑戦者(チャレンジャー)だ!」

「…………、そう。中距離専用の天才が、私にどこまで食らいつけるか、楽しみにしてるよ」

 

 テイオーとサファイアは、不敵に笑いあった。

 

『唯一無二、一帖の盾をかけた熱き戦い、最長距離G1、天皇賞春!』

『3番人気、トウカイテイオー。長距離の影響からか、人気が落ちてきております』

『2番人気はカスタードプディング。現状、出場したレースで2着が続いておりますが、今回は1着を狙えるか!』

『そして1番人気、菊花賞を大逃げで独走し、新聞を一面で飾ったサファイアクリスタル! 今日も長距離を勝ち取ることができるのか!』

『全員のゲートインが完了、出走の準備が整いました!』

 

 ゲートインしたテイオーは、軽く跳び跳ね、気合を入れる。微かにあの光景がにじみ出てくる。腰に着いた羽を撫で、精神を落ち着かせた。

 つばを飲み込み、出走の構えを取った。騒がしかった音が遠ざかっていき、自分の鼓動の音だけになり、それすらも遠くにいった。世界には、自分と、13人の敵と、レースだけになる。

 ゲートが開かれ、14人が同時に走り出した。

 

『今、スタートしました!!』

『14人、全員出遅れはありません。綺麗なスタートです!』

『先頭争いはサファイアクリスタル、ウエストシャイン、菊花とは違い大逃げではなさそうか?』

 

 大逃げではないことに、空気が微かに弛緩した。テイオーは少しだけ苦笑をする。やはり全員、サファイアの大逃げを警戒していたようだ。それだけ、あの走りは衝撃的だったからだろう。

 もちろん二の舞にはならないよう、イメージトレーニングはしてきたけどね……! テイオーは辺りを見回す。少々縦に長いぐらいで、掛かっている子はいないようだ。だが、微かに緊張している子が何人かいることに、テイオーは眉をひそめた。

 

『トウカイテイオーは5番手だ、その後ろにカスタードプディングがついている』

 

 後ろについている2番人気を、ちらりとテイオーは見た。だが、彼女はサファイアに集中していた。自分が一番に見られていないことに悔しさを感じるが、少しでも体力を温存したいテイオーにとっては願ったりかなったりだった。

 

『先頭はサファイアクリスタル、その後ろにウエストシャイン、チョコヴァイスと続いています。と、おおっと?』

 

 トウカイテイオーを抜く子が現れた。まだレースは中盤も中盤、この時点で抜くのは得策ではないはずだが……。何かの作戦? テイオーは脳をフル回転するが、すぐにそれは違うことに気づく。

 

『コンドルレッド、どうした! さすがに早すぎるぞ!!』

 

 違う! これって……、周りの走者達もそれにつられようとするが、何とか抑えている。だが、歩幅が狂い始めている子も出てきていた。菊花賞のレースの結果、サファイアが先頭であることを走者全員が恐れているのだ。今の速度が本当に適正速度なのか、遅すぎるんじゃないのか、速すぎるんじゃないのか、その疑念が、迷いが、自分の走りへの疑心暗鬼と化していた。

 トウカイテイオーのサファイアへの注視すらも、少なからずの負担となっている。先頭との相対距離で速度を測るのが基本であるため、先頭が狂人であるというだけで、ゲームメーカーになっていたのだ。

 さすがに、そこまで考えて菊花賞のレース走ってたわけじゃないよね……!? テイオーの頬を汗が伝う。ゴール板を横切った。あと一周残っているというのに、テイオーの脚は重くなり始めていた。

 

 ■

 

 メジロマックイーンは、トウカイテイオーのことが嫌いだった。テイオーだけじゃない、リンスも、オイヌも、ミントも、真面目に走ろうとしないウマ娘は、全員、全員嫌いだった。

 なんで、私だったんだ。

 メジロ家の悲願、それを成しえるために、彼女は生まれてから終わる日まで、全てを捧げてきた。

 どうして、私だったんだ。

 だが、その全ては無くなってしまった。

 どうして、他の人じゃなかったんだ。

 本当に、"すべて"を終わらせようとも考えた。

『俺は、もう1度お前の走りが見たいんだ。諦めるだなんて言わないでくれ。だから、頼むよマックイーン』

『俺のために走ってくれ』

 この人のためなら、いいか。彼女は、そう考えた。

 私の居場所、最後に残された唯一の場所。

 彼女は分かっていた。彼が見たい走りは、二度とやれないことを。

 それでもいい、この人を騙すことになっても、私はそばにいたい。

 手を抜いて走っていく彼女たちを見て、マックイーンは憎しみを抱いた。

 本気でやらないのなら、その脚をください。私が、彼という居場所を失わないために。

 トウカイテイオーが怪我をしたと聞いて、内心喜んだ。

 彼女にも、私と同じトラウマがあると聞いて、嬉しくなった。

 だけど、メジロマックイーンは本当に彼女たちが嫌いだったわけじゃなくて──。

 それなのに、なんで、彼女は走り続けれるんだ。

 

「行け!! テイオーーー!!」

 

 観客席、隣にいるトレーナーが叫ぶ。ゴール板前を、トウカイテイオーが走り抜けた。苦しそうな顔だ。歯を食いしばり、まだもう一周も残っているというのに、彼女はすでに疲労困憊だった。

 苦しくないのか? 苦しいに決まってる。トラウマなんて、そんなに簡単に治るわけじゃない。辛くないのか? 辛いに決まってる、彼女の脚は長距離向けじゃない。怖くないのか? 怖いに決まってる。だって、脚を失う恐怖は私が一番わかっている。

 なんで、じゃあ、なんで、彼女は脚を止めないんだ。走るのが楽しいからか? 本当に? そんなわけない。あれは強がりだ。楽しいわけがない。今の彼女は、過去の亡霊と戦っている。それは、想像を絶する恐怖だろう。どうせ立ち止まると思っていた。だって、彼女は私によく似ているから。

 負けろ(勝って)負けろ(勝って)負けろ(勝って)

 心の中で、呪詛(激励)を唱え続ける。分かってる。分かってたんだ。私が本当に嫌いだったのは……。

 私が本当に嫌いだったのは、私だったんだ。卑怯で弱かった、私だったんだ。

 卑怯者だった貴女は、卑怯者の私を置いて、どこまで行くんだ。もしかしたら、私も、貴女と同じように、走れたんだろうか。

 

「勝て」

 

『ねぇ、マックイーン、キミも本当は……、変わりたいんじゃないの……?』

 

「勝て!!」

 

 今もこうして、私は貴女に自分を重ねている。私は貴女と同じ、ううん、貴女以上に卑怯者なんだろう。それでも、だとしても、私は……、貴女と同じように走りたい。

 

「勝てえええええ!! トウカイテイオーーーーー!!!」

 

 ■

 

「ああああああああ!!!!」

 

 恐怖が足元からせりあがり、体を縛り付ける。前から襲い掛かる突風が、ボクを止めようとする。芝は足に絡みつき、ボクの邪魔をする。降り注ぐ太陽の光は、ボクの体力を奪っていく。

 楽しくない、楽しくない、走るのが全然楽しくない!

 辛い、苦しい、もうやめたい。脚を止めたい。

 先ほどから脚が悲鳴を上げ、痛みを発していた。そのたびに、脚が止まりそうになる。

 

 それでも、トウカイテイオーは脚を止めようとはしなかった。

 

 もういいじゃないか、ここまで頑張ったんだ。誰もバカになんてしないだろうさ。頑張ったんだよ、ボクは。皆分かってくれる。また足を怪我して、今度こそ足の骨を折ったほうが、バカみたいじゃないか。

 

 それでも、トウカイテイオーは脚を止めようとはしなかった。

 

 だいたい、ここで勝ってボクに何のメリットがあるんだ? 学校の内申があがるぐらいじゃないか。ここで一生歩けなくなったらどうするんだ? そっちの方がデメリットが高いだろうに。

 

 それでも、トウカイテイオーは脚を止めようとはしなかった。

 

 あの子が脚を掴んでくる。あの子の悲鳴が聞こえる。あの子の姿が見える。ボクはあの子みたいになりたいのか? 足が歪んだあの子がいる。

 

 それでも、脚を止めなかった。

 

「あああああああ!!!!」

 

『え、えっと……、教える……、こう、自然に走れば』

 

 ありがとう、リンス。確かに走りやすくなったよ。がむしゃらに、脚を動かし続けた。体はまだ動く。息も吸える。ボクはまだ走れる!

 ボクは、ボクは勝ちたい!! 勝ちたいんだよボクは!! 折れるかもしれない、一生走れなくなるかもしれない。そんなの分かってるんだよボクは!!

 サファイア、なんで君がダービーを捨てたのか、今なら分かるよ。キミも勝ちたかったんだろ!? 何をしてでも!! 負けたら、自分の全てがなくなるのが嫌だったんだろ!?

 ボクも嫌だよ! ボクも、勝っていたい! 走るのが好きでいたい! 無敵のトウカイテイオー様でいたいんだ!!

 たしかに僕には夢も執着もない、走り続けた経験もない。途中で逃げ出して、全力で走ろうともしなかった、卑怯者だ。だけど! だとしても!! 諦めていい理由にはならないんだよ!!

 

『この人本気で走ってないんですよ! いつもいつも、最後で力を抜いて……』

 

 そうだね、オイヌ。最後まで力を抜いたら駄目なんだ。キミはバカだけど、ボクはキミが羨ましいよ。キミとの疑似的な長距離レース、正直、2対1で卑怯じゃんって思ってたけど、楽しかったよ。マックイーンと走ってるみたいだった。

 ミント……、キミとは数分も喋ってないから、なにも思いつかないや、ごめんね! 勝負服ありがとう!

 肩の力が抜けたテイオーは、観客席をちらりとみた。トレーナーとマックイーンがどこにいるのか、それは分からなかった。でも、彼らがテイオーを見ていることは、確信できた。

 トレーナー、本当にボクを見つけてくれてありがとう。辛いし、苦しいし、痛いことばかりだけど、怖いし、悲しいし、嫌になることばかりだったけど、ボクは、ボクはやっぱり走るのが大好きだ!

 マックイーン、ボクはキミと走りたい。キミはさ、強いウマ娘なんだよ。こんなところで、くすぶってたら駄目なんだよ。早く走らないと……、一生追いつけないところまで、ボクは行ってるぞ!!

 テイオーは、脚に力を入れ、スパートをかけた。

 

「う、うあああああああああ!!!!」

 

『トウカイテイオー!! 最終カーブを曲がり、仕掛けたぞ!! サファイアに追いつけるか!!』

 

 トウカイテイオーは先頭を目指す。5バ身も離れていないはずなのに、10バ身以上の差があるように感じる。それでも、テイオーは脚を止めなかった。

 あの子は、あの子は結局走るのをやめたんだろうか。

 

『トウカイテイオー、トウカイテイオー!! 徐々に距離を縮めていく!! サファイアクリスタルとの一騎打ちだ! 間に合うか!! あと200mだが、届くのか!!』

 

 口の中が鉄の味がした。眩暈がしはじめる。脚がふわふわと、無重力のように重さがない。

 いや、やめてない。やめてないって信じたい。あの子は、まだ走れるって言ってたんだ!!

 

『サファイア!! サファイア逃げ切れるか!? 3バ身、2バ身、ゴールまでもうわずかだ!!』

 

 スタミナなんて、もうなかった。あったのは、目の前を走っている子から教えてもらった、根性だけ。

 だから、ボクも!! 諦めないんだああああああ!!!」

 風のように、なんて言えないみっともない走りで、トウカイテイオーはサファイアクリスタルに追いつき、ほぼ同時にゴールを突っ切った。

 

『今、2人同時にゴールイン!! ゴールしました!!』

 

 トウカイテイオーはふらふらと、よろけながら進み、膝をついた。サファイアは、少しだけ走ってようやく止まった。

 2人は滝のような汗をかきながら、電子掲示板を見る。

 

『判定がでました……、天皇賞春の一着は……』

『トウカイテイオー!! ハナ差でトウカイテイオーが一着、二着はサファイアクリスタル、今、菊花賞の雪辱を晴らしました!!』

 

 トウカイテイオーは倒れ、寝転がり、サファイアへ視線を向ける。彼女は茫然と、電子掲示板を見ていた。

 

「サファイア」

 

 声をかければ、彼女はテイオーに視線を動かす。

 

「ボクの勝ちだ。へへっ」

 

 テイオーは指を二本立て、愉快そうに笑った。

 

「……どう? 見直した? ボク本当に悔しかったんだから」

「…………」

「……サファイア?」

 

 彼女はもう1度、掲示板を見る。彼女は、呟いた。

 

「……悔しい」

「にししっ」

「悔しい!」

「あっはっは!! ボクは無敵のトウカイテイオー様だぞ!! 練習時間さえあれば、こんなもんなんだよ!!」

 

 テイオーは高笑いをし、倒れたまま、サファイアへ手を伸ばした。

 

「握手」

「……」

「キミが良ければ、ボクはまたキミと走りたい。ボクなんかで、良ければだけど」

 

 サファイアは少し迷った後、一歩一歩踏みしめるように近寄り、テイオーの手を握った。

 

「……その、才能しかないなんて言ってごめん」

「いいのいいの、本当のことだったし。逆にさ、あの言葉のせいで、ボクはもっと無敵になっちゃったんだよ~?」

 

 サファイアはテイオーを引き、立たせた。脚に力が入らないようで、倒れそうになるテイオーを、サファイアは支える。

 

「ま、これでボクは速くて運が良くて、強いウマ娘になったわけだ」

「菊花賞勝ったのは私だから」

「……いや、今回+200長いし、最初でも菊花賞のリベンジって」

「菊花賞と天皇賞は違うから」

「………ま、まぁそういうことにしてもいいけど、冠数はボクの方が上だし」

「私はダービーと大阪杯出てないから、ノーカン」

「ええ!? 汚くないそれ!!」

「……だから、次のレースで、勝敗を決めよう」

 

 その言葉に、テイオーはキョトンとした顔になったあと、けらけらと笑った。

 

「……にしし。それなら乗った!」

 

 サファイアはテイオーと共に、観客席を見る。歓声と拍手に包まれた。テイオーは、マックイーンとトレーナーを探す。2人の姿を見つけた彼女は、もう1度、指を二本立てた。

 

「2勝目、取ったよ!」

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