『でも、なんで俺を選んだんですか?』
男と少女が向かい合っていた。片方はうだつの上がらない、流星の混じった男。もう片方はまだ子供だというのに、気品と優雅さを兼ねそろえた少女。
『俺は今年入ったばかりの新人で、家もごくごく普通の、元チンピラみたいなもんなのに』
『ええ、話は聞いていますわ。貴方を選んだ理由……、それは』
『それは?』
『……勘ですわね、貴方と同じです』
メジロ家の名優はニコリと微笑んだ。
『そんな曖昧な理由でよければ、私と一緒に走ってください』
『……俺でよければ』
『ええ、では、メジロ家のトレーナーとして、守ってほしいことがありますわ』
それはかつてあった、2人のささやかな出会い。
■
10月、天皇賞秋。マックイーン再度の挑戦。
彼女は控室で、トレーナーから脚のマッサージを受けている。彼女は不安そうな表情で、彼を見下ろしていた。
マックイーンの今日の勝負服は、黒を基調としたドレス風のものではなく、白を基調としたもの。カットアウェイショルダーのベストと、ショートパンツの上にオーバースカートを纏ったものだ。
「それじゃあ、ボクは先に観客席に行っておこうかな」
2人を見守っていたテイオーが、腰を上げる。
「もう行くのか?」
「うん、早めに行っていい席取っておきたいし。それに……」
テイオーはマックイーンに視線を送る。マックイーンはその視線に答えるように、微かに頷いた。
「じゃあね、マックイーン。自分らしく走っておいで」
テイオーは手をひらひらと振った後、部屋から出ていった。彼女が出ていったことを確認した後、マックイーンはもう一度トレーナーを見下ろした。
「トレーナーさん」
トレーナーがマックイーンを見る。今から彼を曇らせてしまう言葉を言う。そう思うと、胸が苦しくなった。だが、これは私への罰なんだ。そう決心したマックイーンは、天皇賞春から半年間考えたことを実行しようとしていた。
「お話があります」
「話?」
「はい」
「……分かった」
マックイーンの真剣な表情から、大事な話だということを察したトレーナーは、マックイーンの脚から手を離した。マックイーンは、自身のスカートを握りしめ、もう1度深呼吸をする。
「……今回のレースが終わり次第、トレーナーさんとの契約を破棄させてください」
「……え?」
彼が目を見開いた。マックイーンの言葉が理解できないようだ。マックイーンは目を逸らしたくなる衝動を抑え、必死に彼と目を合わせ続けた。唇を噛み、逃げるなと心の中で唱え続ける。
「……ど、どうしてだ。なんで、こんな急に」
「……急だったのはごめんなさい。そうでもしないと、私は逃げてしまうから」
マックイーンはそっと、両手を差し伸べた。トレーナーは、彼女の顔と手を見比べた後、ゆっくり手を握る。彼女の手は冷たく、震えていた。
「……トレーナーさん。私は、弱いウマ娘です」
ぽつぽつと、少女は語りだす。
「……何言ってるんだ。お前は強いよ」
「いいえ、そんなことありません。私は、貴方に甘えていました」
少女の頬を、涙が伝う。2人の両手は塞がれているため、その涙を拭ける者は誰もいない。
「トレーナーさん、貴方は……、私の脚がこうなったのは、自分のせいだ。そう考えていたんでしょう?」
「…………」
男は否定も肯定もしなかった、だが、握っていた手が、微かに震える。
「あれは事故なんです。貴方のせいじゃない」
「………」
男は顔を背けようとする。だが、少女が手を引っ張り、それを止めた。恐る恐る、男は少女の顔を見る。少女の瞳から涙が止まることはない。
「……」
「……」
2人は顔を見合わせ続ける。少しばかりの静寂の跡、男が口を開いた。
「……ああ、そうだよ。あれは、俺のせいなんだ。……俺が、お前を迎えに行っていたらって、俺は何度も思った」
「っ……」
「あの雨の日、俺が、……俺がもっとしっかりしてたらって。俺は、……俺は、お前の担当になってから、迷惑しかかけてない。何もできてないんだよ、俺は」
「そんなこと、ありません」
「お前の直感は間違えてたんだよ、マックイーン。俺は、お前と会わない方が良かったんだよ。俺じゃなかったら、お前は、もっとすごいウマ娘になれてたんだ。天皇賞だって、春にも出ていられたんだ。」
「……トレーナーさん。あれは事故だったんです」
「………」
「貴方は悪くない。悪いのは私なんです。私は、貴方の罪の意識に甘えてしまった。私は、……私はあの時、貴方と再び会った時、こう言わないといけなかった」
少女が男の手を握りしめる。その力はとても弱弱しく、今にも消えてなくなってしまいそうだった。だから、その言葉を聞きたくなかったとしても、男は耳をふさぐことができなかった。その場から離れることはできなかった。
「……私の脚は、もう2度と、昔のようには走れないんです」
「…………ぁ」
「……もう、私は貴方が見とれた走りはやれないんです。夢からは、覚めないといけない」
「……」
ぽつり、涙が落ちた。それは、少女の涙ではなかった。
「今回のレース、もしも私が1着を取れなかったら……、私はメジロ家に戻ります。走れなくても、レースに関わることはできますから。勘当も同然の身ですが、頭を地面にこすりつけてでも、私は他の道を探そうと思います」
テイオーさん、結局私は、走りたい理由は分かりませんでした。でも、この脚を動かし続けることだけが、走ることじゃないと思うんです。レースに混ざれなくても、走ることに関わることはできる。貴女との約束を破ってしまうことにはなりますが、この脚にもう価値がないとしたら、貴女も許してくれるでしょう。
でも──、
「でも」
もしも──、
「もしも、私が、一着を取れたら……」
「一着を取れて、貴方が私の走りを見て、私の走りに価値があると思って、……あ、貴方が、貴方が良かったら」
「……わ、私のことを、もう1度だけ、スカウト、してもらえませんか……?」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった言葉を、何とか吐き出した少女は、男の返事を待つ。
「……ああ」
男の蚊の鳴くような声を聞いた少女は、たどたどしく微笑んだ。
「トレーナーさん」
「なんだ? マックイーン」
「私は、貴方と会えてよかったです」
そっと、少女は手を離した。自身の涙を拭きとり、立ち上がる。
「……行ってまいります」
メジロマックイーンは部屋を出た。後ろから微かに聞こえる嗚咽の音を無視し、自身の道をようやく踏み出した。
■
天気は晴れ、昨年とは違い良バ場となった東京競バ場。観客席には、今年の勝者を見に、大勢の観客が来ていた。
「おかえり」
「おう……」
レース開始直前、ギリギリになってトレーナーは観客席に来た。テイオーは彼の目元をチラリと見たあと、理由を聞かず、改めてレース場を見る。
3番人気メジロマックイーン。去年とは違う彼女の様子に、テイオーの口角が上がった。
レースはすぐに始まった。2000mのレースはすぐに終わるだろう。テイオーは隣に立っているトレーナーを見る。彼は去年と同じく、ただ1人のウマ娘を見ていた。その目は、病院で見た時のような遠いものではなかったが、それでも、彼の目はマックイーンだけを見ていた。
「全く、キミは本当に強いよ。マックイーン」
レースで走る好敵手を、呆れたような顔でテイオーは眺めていた。
つまらないレースだった。そのレースを一言で言うのなら、そんな感想になるだろう。
頂点達の駆け引きも、圧倒的な強者による蹂躙も、そのレースにはなかった。
そのレースの勝者は少し後方で走り、体力を温存した。ある地点でスパートをかけ、前にいるもの達を抜き、ゴールする。お手本のような、お手本すぎて逆に珍しいレベルの塩試合だった。
レース開始時の歓声はだんだんとなくなっていき、最後は誰もが口を閉ざしていた。
だが、そのレース、彼女の走りを見た者で、つまらなかったと言う者は誰もいないだろう。
彼女のことを知る者も、彼女のことを知らない者も、皆の感想は、同じになることだろう。
『とても、綺麗だった』と。
『……あっ、め、メジロマックイーン!! 天皇賞秋を制しました!!』
■
ウイニングライブ開始10分前、レースでの静寂が嘘のように、ライブ会場は騒がしかった。観客は皆、今か今かとライブを待ちわびている。トウカイテイオーは、ステージから少し離れた場所で、その時を待っていた。
「悪い、待たせた」
トレーナーはレースが終わった後、職員に呼ばれどこかへと行っていた。話は長かったようで、今度もまた、時間ギリギリになってテイオーの隣へ戻ってきた。
「遅かったね、また泣いてたの?」
「お前な……、蒸し返すのなら、さっきスルーした意味がなくなるだろ」
「ごめんごめん、でもほんとにどうしたの?」
「あー、まあ見てたら分かる」
言葉を濁すトレーナーに、首を傾げるテイオー。だが、彼が黙ってる理由がすぐに分かると聞いて、深くは追及はしなかった。
おい、あれを見ろ。誰かが呟いた。他の客たちも何かに気づいたようで、観衆たちが、どよめき出す。
テイオーはどうしたんだろと、観客たちが指さす先を見た。そこはステージの上だった。ステージの上に誰かが立っていた。スポットライトが当たっていることから、運営の予定に入っている行動なのだろう。
彼女はウマ娘だった。鹿毛のベリーショートで、前髪が白髪になっている。観客の誰かが彼女の名前を言った。
「メジロライアンだ」
■
マックイーンは一人でのマッサージを終え、予定よりもかなり早いが、ライブステージの舞台裏へと向かっていた。トレーナーは私を選んでくれるのだろうか。私は最後まで、ライブを完遂することができるのだろうか。様々な不安はあったが、前を向き、マックイーンは進み続ける。
だが、その歩みは止まることとなった。
「やぁ、久しぶりだね。メジロマックイーン」
後ろから呼び止められたマックイーンは足を止めた。誰だろうと、彼女は振り返る。マックイーンを呼び止めた者、それはトレセン学園の生徒会長、皇帝シンボリルドルフであった。思いがけない人物の登場に、少なからずマックイーンは動揺した。
「る、ルドルフ会長? どうしてこんなところに……」
「こう見えてもトレセンの生徒会長だからね。GⅠレースの視察をしないといけないのさ」
「こう見えても……」
彼女の冗談に、マックイーンは愛想笑いをする。
「少し時間いいかな。なに、ライブの邪魔はしない」
「……はい、大丈夫ですわ。まだ時間はありますから」
「それはよかった」
二人は移動し、休憩所へ立ち寄った。辺りには誰もいない。2人は適当な席に座った。
「さて、まずは……、天皇賞1位おめでとう」
「ありがとうございます」
「あの怪我から、ここまで復帰できたのは、君ぐらいだろう」
「私一人の力ではありませんわ。さまざまな方々が、後押ししてくれたおかげです」
マックイーンは苦笑した。自分ひとりだけだったら、いったいどうなっていたことか、想像に難くない。
「足をなくした時はライアン達、そしてトレーナーさんに。スクールに入ってからは、スクールの方々と、そして──」
「トウカイテイオーに?」
自分が言おうとしていた名前を先に取られ、マックイーンは少し驚いたように目を開いた。
「ご存知ですの?」
「それはもちろん。私の推しだからね、彼女は」
「推し……、まさか、あのトレセン学園の生徒会長が、一人のウマ娘を応援するなんて」
「彼女はトレセン学園の生徒ではないからね。1ファンとして応援できるんだよ。まぁ、あまり口外もできないから、内緒にはしておいてくれ」
「では、貸し1ということで」
ふふっと笑うマックイーン。
「ううむ、これは誤魔"かし"たほうがよかったか」
「2文字のギャグはどうなんですの?」
「駄目出しはしないでもらおうか、名優」
ルドルフはため息をついた。ため息をつきたかったのはマックイーンの方ではあったが、この人は変わらないなと、マックイーンは流すことにした。
「秋の天皇賞」
「はい」
「GⅠでもある時点で、レースとしての格は上々だ。どうだろう、トレセンに戻ってくる気はないか?」
トレセンに戻る。マックイーンは呟く。
「逃げ出した……という者がいるかはわからんが、君の、いや、君たちの成績ならば誰も文句は言うまい。尾黒トレーナーと共に戻ってくることも可能だ。何なら、君たちのスクールの子達を全員連れてくるのも」
「それは……」
トレセンからの編入要望、それはレースを志しているものであれば、喉から手が出るほど欲しい物だろう。最先端の設備、様々な併走相手。トレーニングの場としては、日本では唯一無二の場所だ。それも、生徒会長直々の言葉。断るものはよほどのバカだろう。
「……申し訳ありませんが、編入についてはお断りします」
「そうか」
ルドルフは分かっていたのか、マックイーンの返事を素直に受け取った。
「私だけじゃなく、私のスクールの生徒たちは皆、断ると思います。トレーナーさんも」
彼が私を選んでくれるのか、それは分からないが、それは確信できた。
「だって、走るのはどこでだってできますから」
「ふふ、まぁそれはそれでよかったよ。君たちが来たら、私は大手を振って推し活ができないからね」
「あら、あのトレセン生徒会長が私利私欲を?」
「私だって、やりたいことの一つや二つぐらいあるさ」
ルドルフは時計を確認した。
「と、そろそろ時間だ」
「あら、もうそんな時間ですの?」
ライブまではもう少し余裕があった。会長の都合なのだろうか、そうマックイーンは考えた。
「こちらの用事でね、慌ただしくてすまない」
「いえ、少しの時間でしたが、有意義でしたわ」
2人が立ち上がり、休憩所から出る。相変わらず辺りに人はいない。スタッフすらいないことに、マックイーンはなにか違和感を感じた。
トラブルでもあったのだろうか。マックイーンがそんなことを考えていると、ルドルフが口を開いた。
「……ああ、最後に1つ」
「はい?」
「駆け落ちという噂は本当なんだろうか」
「……うん?」
聞き捨てならない言葉を聞いて、マックイーンはその言葉を、頭の中で反芻する。
「あ、あの、会長さん。駆け落ちとは?」
「なんだ、知らないのか? 君と尾黒トレーナーは、メジロ家から2人で駆け落ちした、という噂がトレセン内では」
「な、何故!?」
「君、事故にあった後、すぐにトレセンから出ていっただろう、それも尾黒トレーナーと一緒に。しかも、噂では同棲してるとも」
「駆け落ちなんてしてませんわ!」
「はっはっは、まぁ、噂は独り歩きしていくという話だよ。トレセンに編入しなくても、顔を出すぐらいはしてもいいだろう」
ルドルフは愉快そうに笑う。マックイーンはそんな彼女を恨めしそうに睨んだ後、ため息をついた。もう2度と戻るまいとは思っていたが、根も葉もないうわさを広められているのも、見過ごせない。
「……確かに、たまには顔を出した方がよさそうですわね……」
「ああ、そうしてくれたまえ。君はトレセン内でも、ファンが多いんだ。皆喜ぶ」
ルドルフは改めてマックイーンと別れ……、ようとして、また足を止めた。
「同棲は真実?」
「それもデマですわ」
■
意外と話が長引いてしまい、ライブ直前にマックイーンは舞台裏へたどり着いた。他の選手たちはすでにきており、緊張した面持ちで、その時を待っていた。
「ごめんなさい。遅れましたわ」
彼女達は声をかけるマックイーンをちらりと見た後、無視するかのように、顔を戻した。
「…………」
嫌われている、というにはどこか違和感を感じつつ、マックイーンもステージ開始を待つ。
「き、緊張する……。人ってどう書くんだっけ」
「人は……こう」
「これやっぱり迷信だよ、全然緊張取れないし、ね、やっぱり交代を……」
「駄目」
ひそひそと、彼女たちの内緒話。ジュニア期ならともかく、シニア期で緊張も何もないだろう。ルドルフの存在と言い、何かしらのサプライズがあるのは、おおよそ予想はついていた。
「駄目、もう無理、私ライブドタキャンする……」
「駄目だって」
「あの」
こちらも聞こえていないふりをしようとしていたが、緊張している子の顔があまりにも青色になってきているため、マックイーンは声をかけることにした。
「緊張でしたら、深呼吸をなさってはどうでしょうか。呼吸することに集中すれば、少しは落ち着くかと……」
「あ、あわわわわ、ま、マックイーンさんが」
彼女の顔が青から白へと変わった…。よく見たら緊張している子は2着の子だった。介抱していた子が、間に入る。
「すいません、マックイーンさん」
「は、はい?」
「今取り込んでるので、話しかけないでもらえると。できれば10mほど離れて貰えますか」
「え、えぇ……」
4人ほどから睨まれ、マックイーンは口を閉ざした。その後も、2着の子は背中を撫でられ、面倒を見られていた。
「なんなんでしょうか本当に……」
そうこうしていると、ステージに上がる時間になった。マックイーン達は、明かりが消された状態でステージへあがる。蛍光テープを頼りに、それぞれの立ち位置へ移動した。だが、マックイーンは今日何度目かの違和感に気づいた。いつもより観客席が静かなことと、隣にいるはずの2位と3位がいない。
不思議がっているマックイーン、そんな彼女に優しい光が降り注ぐ。
「え……?」
ステージ全体を照らすライト、スポットライト特有の鋭い光ではなく、拡散する光。ライブの予定にはなかったことに、マックイーンは驚いた。
「ま、マッフイーンさん!!」
「あ、先ほどの……」
緊張していた2着の子が、マックイーンへ歩み寄る。ステージにはマックイーンと彼女しか立っておらず、辺りを見回せば、ステージ下、観客席の最前列に他の走者達がいた。
「と、トレセンだ、代表、2着のアルキオネスですす」
「は、はぁ…、えっと、これはいったい?」
「えっと」
落ち着け―と、他の走者の子達がアルキオネスに声をかける。深呼吸を繰り返し、ようやく彼女はマックイーンを見た。
「ライブは計画変更になり、マックイーンさんのソロライブになりました」
「…………」
観客たちが、ペンライトをつけていく。白色のペンライト。マックイーンを意識した色。会場はその色だけが咲いていく。
「……なんですのそれ」
「あ、そ、その、いきなりになってごめんなさい」
「……いえ、いいんです」
ここまで大がかりなことをするのは、恐らくメジロ家のものだろう。そう思うと、マックイーンは苦笑した。
「曲は? もともと予定していたものでは、ソロは少し」
「曲は……」
彼女がマックイーンに、予定していた曲を伝える。
それは、メジロマックイーンが天皇賞を目指していた時に練習していた歌。今でも空で歌える曲。かつて、何度も励まされた唄。
「ふふ……、そうですか。確かに、ぴったりかもしれませんわね」
アルキオネスはマックイーンにマイクを手渡し、ステージから降りた。他の仲間たちのもとに戻った彼女は、ペンライトをつける。
観客席を眺め、無意識にある人物を探す。だが、無数にいる人の中から、見つけることはできなかった。それでも、彼女は心細くはなかった。
イントロが流れ出す。動きもほとんどないこの曲。過保護すぎるだろう。
観客席に向かってマックイーンは微笑んだ。誰かが、おかえりー!! と叫ぶ。誰かが、待ってたよー!! と叫んだ。声が震えないことを祈りながら、彼女は歌った。はじまりの曲を。
「Let's go Start!」
■
「トレーナーは知ってたの?」
ペンライトを揺らしながら、テイオーは隣に立つトレーナーに問いかける。ステージでは、歌姫が会場を彩っていた。
「いや、俺もさっき聞いた」
「えー、サプライズはいいけど、トレーナーには一言かけとくべきじゃない?」
「プレッシャーかけたくなかったんだろうな」
「それはそれで、過保護すぎるなぁ」
メジロマックイーンが来る前、メジロライアンがステージに立っていた。
彼女が来た理由、それはソロライブの許可を観客たちから貰うことだった。GⅠウマ娘が頭を下げ、マックイーンのソロライブの許可をもらいに来るという前代未聞の事態に、観客たちは言葉を失った後、全員がそれを了承した。
「トレーナーさ」
「うん?」
「話したんでしょ? マックイーンと。夢のこと」
「ああ」
「諦めるの?」
「ああ」
「そっか……。そんなに簡単に諦めてよかったの?」
その問いに、トレーナーは呆れた。
「お前、俺に諦めてほしいのかそうじゃないのか、どっちなんだよ」
「んー、まぁ、遠い目してるトレーナーは痛々しいけどさ、簡単にやめるのもなんかなーって感じ」
「そうかぁ……、そうだなぁ……、確かに俺、あいつのかつての走り大好きだったけどさ」
「うん」
「あいつのことも、同じぐらい大好きなんだぜ?」
トレーナーは嬉しそうに笑った。
「………ふーん、じゃあさ」
「おう」
「ボクとマックイーンだったら、どっちが好き?」
「え? あー」
テイオーの質問に、数十秒ほど頭を悩ませるトレーナー。ステージで歌う彼女を見て、トレーナーは口を開いた。
「マックイーンかなぁ……」
「ええ……」
「なんでちゃんと答えたのに、そんな嫌そうな顔するんだよ」
「そこはさぁ、ボクのことを考えて、嘘でもボクっていうか、はぐらかすかするところじゃない?」
「面倒くさいなぁお前……」
テイオーは深い深いため息をついて、もう1度ステージの上にいる好敵手を見る。
自分とは違って、折れたというのに立ち上がったウマ娘がいた。痛みを知ったというのに、それでも走るのをやめなかったウマ娘がいた。たくさんの人から愛されているウマ娘がいた。
「本当に強いよ、キミは」
テイオーは呆れたように、彼女へ笑顔を送った。
これにて本編は終わりです。
後日談として2本ほど短編を書いて、このお話も終わりとします。