息を吸って、吐く。息を吸って、吐く。何度も何度も行った、ターフに出る直前に行う、私のいつもの動作。
レース場に出る出口、その直前で私は何度も深呼吸をして、心を落ち着かせる。落ち着け、落ち着け。レースには何度も出たし、GⅠにも3着だが何度も出場した。
何度も出たというのに、いつまでたっても慣れることはない私の心に苦笑いをし、よし、あと1回やっ「どうしたの、キミ」「ひゃあああ!?」
突然後ろから声をかけられ、私の身体が跳ねる。数十センチは跳ねたような気がした。
「だ、誰⁉」
勢いよく後ろを振り返る。そこにいたのは、トレセンにおらずして、GⅠレースを勝ち取っていく天界人、トウカイテイオーだった。
「ご、ごめんね。出口の直前で立ち止まってるから、何かあったのかなって」
「え、あ……、いやぁ、ごめんごめん。隣にどきますね……」
私はそそくさと、通路の端へ移動する。1人で熱唱していたところを、見られたような気恥ずかしさを感じ、彼女が出ていくのを待つ。だが、彼女は外には出ず、立ち止まっていた。
「あ、あのぉ」
「なに?」
「行かないんですかね、トウカイテイオーさん」
「え、いや一緒に行こうよ。すぐそこじゃん」
トウカイテイオーは外、光溢れるターフを指差す。さも当然のように言い放つGⅠウマ娘、住む世界が違うなあと、空笑いする。
「いやぁ、その、緊張してまして……、その、なんていうか、心の準備がですね」
「有馬記念なのに?」
「有馬だから……ってわけでもないか」
あははと、私は照れを隠すように頭をかく。トウカイテイオーは少し考えたあと、私の手を握った。
「ちょ!?」
「ほら行こう! 最初が肝心っていうじゃん!」
彼女は戸惑う私の手を引っ張って、光溢れるターフへ連れて行く。
「ボクはトウカイテイオー! キミは?」
「……な、ナイスネイチャ」
■
テイオーとネイチャはレース場へ出る。時期は12月、寒気に身を震わせる時期だが、会場は熱気に包まれていた。人、人、人、見渡す限りの群衆が、選ばれたウマ娘達を観戦しにきていた。トウカイテイオーは、彼らを見回すように眺めていく。
「おー、これが有馬か……、あれ、ネイチャあんまり緊張してないんだね」
あれほど尻込みしていたネイチャだが、握っている手は震えてもおらず、顔色も特には変わってない。
「え? あー、まあ私は有馬記念、初めてってわけでもないから」
「……じゃあ、なんであんなに、ターフに出るの渋ってたの」
「その、癖といいますか」
「癖」
「ネイチャァ!」
鼻から鮮血を迸らせている、ゆるふわウマ娘がネイチャに飛びつく。ネイチャは驚いたように、彼女を受け止め……、というよりかは、鼻血がつかないように、彼女を手で制した。
「おーおー、どうしたんだい、タンホイザさんや」
「ちょ、この子鼻血が!」
「ああ、気にしなくていいから、いつものことなんで」
「いつものこと」
ネイチャは慣れたように、ハンカチを取り出し、タンホイザの鼻血を拭いていく。
「あ゛ーー! ト゛ウ゛カ゛イ゛テ゛イ゛オ゛ーた゛ーーー!!!!」
「今度は何!?」
馬鹿デカい声と共に、黒鹿毛のウマ娘が駆け寄ってくる。
「アタシ、ウイニングチケット! よろしくね!!!」
「ウイニングチケット……、ああ、ダービーの。ボクはトウカイ「そうそう! ダービー仲間だよ!! ハヤヒデ!! ダービーテイオーだよ!!」
「ダービーテイオー!?」
「こらこら、チケット、少しは落ち着け」
マシンガントークで喋り続けるチケットに呼ばれた葦毛のウマ娘、ビワハヤヒデが、眼鏡を正しながら歩み寄ってくる。テイオーはわ~と、彼女を見つめていた。
「うわー、でっかい」
「私の頭はデカくない!!」
「頭とは言ってないから……」
ネイチャがフォローをするが、テイオーは迫ってくるシルエットが大きかったため、声を溢してしまっていた。そのことは黙っておくことにした。
テイオーは、にっこりとハヤヒデと握手を済ませ、彼女達と別れる。
「ネイチャ」
「何かな、テイオーさん」
「トレセン学園が変人ばかりって、本当だったんだね!!」
「いやいや! そんなことはないから! ええと、ほら、あそこにいるライスシャワーさんとか……」
ネイチャが小柄な黒髪のウマ娘を探し、彼女を指差す。その先にいた少女は、ついてくついてくと呟きながら、トウカイテイオーを見ていた。気のせいか、目から炎が出ているような気もする。
「……」
「やめて! その、分かってるからボク! みたいな顔するのは!」
■
「新顔が何人かいるが、本当に変わらないな」
「ええ、そうですわね」
観客席にいるトレーナーとマックイーンは、キャラが濃い中央の精鋭達を見ながら、感慨に耽る。マックイーンはパーマーに気づき、手を振った。彼女が手を振り返し、今日も彼女は大逃げだろうか、そんな考えても意味のないことを、マックイーンは思った。
「テイオーさんの勝率はどのぐらいでしょうか」
「うーん、3割ってところだな。あのレベルと走るのは、テイオーは経験がないからなぁ」
「本当、運がいいのか悪いのか」
「おーい、尾黒ー、マックイーンちゃーん」
レースを眺めていた2人は声をかけられ、そちらを向く。女性が手を振りながら、近寄ってきていた。
「あれ、久しぶり。
声をかけてきたのは、尾黒の同期である小豆トレーナーであった。顔見知りであるマックイーンは頭を下げる。
「10年ぶりだね、尾黒」
「そんなに経ってねーよ。お前が有馬って、見学でもしに来たのか?」
「そこは担当が選ばれたって思ってよ」
小豆トレーナー、尾黒と同期ではあったものの、組んだ担当が鳴かず飛ばずで、いまだ実績がないトレーナーであった。また、コンビが長続きしないことでも有名で、有馬記念とは一番縁のないトレーナーであった。
「じゃあレース出てるのか? どの子だよ」
「いやまぁ、出てはいないけど」
「じゃあ見学じゃねーか」
「トレーナーさん、あまり虐めるのは」
「マックイーンちゃんも、同情するのはやめて! 今回は担当と一緒に来たの! 姉がレースに来てるから!」
「お前に姉っていたっけ」
「あたしのじゃない!! 担当の! 今回の子はすごいから!!」
小豆は担当を紹介するように半身を引いた。どうだ! と、自慢気な顔をしているが、誰もいない。
「……小豆トレーナー、いい病院を紹介しましょうか?」
「……あれ? ちょ、ちょっと待ってて! ブライアン! こっちおいで!!」
少し離れたところで観戦していたウマ娘を、小豆は呼びかける。彼女はため息をついたあと、小豆の元へ歩み寄った。尾黒は彼女を見て、息を飲む。黒鹿毛のポニーテールのウマ娘だった。
「なんだトレーナー、騒がしいぞ」
「ほら! ブライアン! あのメジロマックイーンだよ!」
「……メジロマックイーン」
ブライアンがマックイーンを見定めるように、視線を送る。まだジュニア期だろうに、彼女の殺意にも似た荒々しい気配に、マックイーンもまた、耳を寝かし臨戦態勢に移る。
「マックイーンちゃん、どうかな! うちの子は!」
「……ええ、確かに、素晴らしい素質をお持ちのようで」
「そうでしょ〜! ぶーちゃんだったら、クラシック路線の1つぐらい、絶対取れるもんね!」
「だからその、ぶーちゃんはやめろと」
小豆の空気の読めない発言に、剣呑な雰囲気が霧散する。ブライアンはため息をついて、マックイーンは苦笑した。先ほどまでとは違い、穏やかな表情でブライアンは握手をしようと手を差し出す。
「ナリタブライアンだ。まだジュニアだが、メジロマックイーン、今度お前と走りたい」
「……お眼鏡にかなうか分かりませんが、よろこんで」
何故どの子も、怪我をしてしまった自分に対して対抗心を燃やすのか。内心不思議に思いつつ、マックイーンは彼女の手を握り、約束をする。
「ほら、トレーナーさんも。トレーナーさん?」
いまだぼーっとしていた尾黒は、マックイーンの言葉で覚醒し、ブライアンに詰め寄る。
「君いい下半身してるね、もっとじっくり見てみたいんだけど」
「なんだこいつ、変態か?」
「うちの担当にセクハラしないでもらえますか!」
「トレーナーさん、それはやめてくださいましとあれほど」
引き離される尾黒。その後、一言二言会話した2組は別れた。
「化けそうな子だったな」
「ええ、本当に」
少し離れたところで観戦している小豆ブライアンコンビを横目に見た後、2人はレースに視線を戻した。ゲートインが始まっている。
「そろそろ始まるな、それじゃあ、今日もテイオーを応援するか!」
「はい、トレーナーさん」
マックイーンは微笑んだ後、自身の担当トレーナーに寄り添った。
『今年のNO.1を決める有馬記念! 果たして誰が一着になるのか!』
『全員がゲートインし、出走の準備が整いました!』
『誰が有馬を勝ち取るのか』
『今……スタートです!』
有馬記念。
誰が勝ったかは、ご想像にお任せします。
次回、最終回です。多分短め。