『トウカイテイオーだ! トウカイテイオーが来た!! トウカイテイオーが抜いた!! 後は走り切るだけだ!! 後ろの子達は間に合うか!!』
トウカイテイオーは坂を上り切り、ストライド走法に切り替え、先頭を走る。
『2バ身、3バ身、どんどん離していく!!』
ゴールが見えきた。息を切らし、足を動かしていく。彼女はそのまま止まることなく、ゴールインをした。
『トウカイテイオー!! トウカイテイオー!! ダービーを制しましたのは、トウカイテイオーだ!!』
テイオーはひゅうひゅうと喉を鳴らし、汗まみれの身体で勝利をかみしめる。
『割れんばかりの歓声、そして拍手! お手本のような走りと、破天荒な走りを両立させた天才は、無敗の2冠を今! 達成しました!!』
「これが! 帝王の実力だあああ!!」
テイオーは指を二本高々と立て、観衆を沸かす。世界は今、トウカイテイオーだけを見ていた。熱が引き、息がようやく整った。トウカイテイオーはあることを思い出し、レースを走り終えたウマ娘に話しかけに向かった。
「ね、ね。キミ、トレセン学園の生徒?」
「え? そうだけど」
「えーっと、サファイアクリスタルって子、知らない?」
「サファイア? ああ、うん。知ってるけど」
「今日来てないからどうしたんだろって思って」
テイオーは辺りを見回す。改めて確認をしても、彼女の姿はなかった。次は勝つという言葉は嘘だったのか、もしくは諦めたのだろうか。
「なんか、菊花に合わせて修行するって言ってたけど」
「……へぇ?」
「中距離のダービーは捨てるって、あの子長距離の方が得意だから」
「思い切りいいじゃん。そっか、菊花賞に」
テイオーはにやりと笑った。……東京優駿を捨てる。その言葉の意味が、覚悟が、今のテイオーには分かっていなかった。
■
ダービーも終わり、テイオーは菊花までレースには出ず、トレーニングのみ行っていた。夏休みに入ると、トレセン学園では夏季合宿が行われるが、スクールにそんな物はない。マックイーンとトレーナーは遠征をしてレースに出ている。その遠征にテイオーや他の生徒たちはついていかず、自宅での長い休み及び自主練となっていた。
メジロマックイーンはGⅠには全く出なかった。それどころか練習すらまともに行わず、彼女の本気の走りをテイオーは1度も見ていなかった。
テイオーは自室で勉強中、そのことが強く引っかかった。トレーナー曰く、彼女には重たい話があるという。テイオーは自身の携帯を取り、ネットでメジロマックイーンを打ち込む。
「……はぁ、やっぱやめた」
文字を消し、携帯を机の上に戻した。
■
時期は飛び、10月、菊花賞当日。テイオー、トレーナー、マックイーンの3人は、京都競バ場に来ていた。
「それにしてもすごい人気だったな。テイオー」
「にっしっし、ようやくボクのすごさが皆分かったみたいだね~?」
今日の観客席は満席、その全てがトウカイテイオーを見に来ていた。レース場に来るまでにも、たくさんのファンの姿を見てきている。この控室に到着するのも、困難を極めたほどであった。
「この様子だと、有馬記念にも出れそうだな」
「ファン投票で出れるか決まるやつだっけ?」
「ええ、その年で最も人気のあるウマ娘が出れるレースですわ」
「じゃあ有馬記念もボクが一番とっちゃおっと!」
まだ出れるか決まったわけでもない有馬の1位を取る、そんなことを言うテイオーに、マックイーンは苦笑する。三冠最後の一角を取りに来たというのに、彼女はとてもリラックスしていた。
「あ、そうだった。トレーナー、1位取ったら観光してもいい? ボク、秋の京都見て回りたいんだよね」
「あー、まぁいいか。中央じゃないしな」
「中央?」
「トレセン学園。あそこは学業兼ねてるから宿泊とかしにくいんだよ、ただでさえ未成年だからな。レース終わったら即帰宅」
「え~~、なんかやだなそれ」
テイオーが不満げな顔になり、マックイーンはくすくすと笑う。
「あと裏話だが、正直言うと外に出るような子は、ちょっと味が強すぎてな……」
「味?」
「色物が多い」
「……変人が多いってこと?」
「まぁ……そうですわね」
「何が酷いって、変人である奴ほど強いから、注目が増えるんだよ。注目されるってことは、それだけスキャンダルの餌食になりやすくてな……。だからこそ、学園からは用事が終わったらすぐ帰ってこいって言われる。それと……」
トレーナーはマックイーンをちらりと見た、彼女は何故見られたのか分かっておらず、不思議そうな顔をしていた。
「私は関係ありません、みたいな顔してるが、お前も問題児入りリストに入ってたからな、マックイーン」
「えっ」
「マックイーンが!? なんでなんで!?」
テイオーは興味津々の様子でトレーナーに食いつくが、マックイーンは納得がいかず、トレーナーを問い詰めていた。トレーナーはそれを制しながら、話を続けた。
「マックイーンは見た目お嬢様で、中身お嬢様だろ?」
「うん、ご令嬢って感じだよね」
「外面が言い分、内側がばれるとギャップの落差で叩かれるって話があってな。メジロ家からもいくつか注意事項が出てて、大変だった」
「へぇ……、それだけ? もっとお店の十や二十出入り禁止になったとかないの?」
「うーん、そういうのはないかな。ああ、ただ、メジロ家から野球スタジアムや珍味各種には近寄らせるなって言われた。俺は全く興味がなかったから、意味は分からなかったけど」
「も、もう、その話はいいじゃありませんか!!」
頬を赤らめ、マックイーンはこの話を打ち切ろうとする。その態度にテイオーは大声で笑い始めた。
「あっはっは!! マックイーンもお茶目なところあったんだねぇ」
「も、もう、揶揄わないでくださいまし!」
「ごめんごめん!……あれ?」
テイオーは疑問を感じた、以前から抱いて違和感ではあったが、先ほどの会話でそれが疑問へと変わった。この2人は何故、ここまでトレセン学園に詳しいのだろうと。
「ねぇ、2人とも、前から思ってたんだけどさ」
その疑問を聞こうとしたとき、職員がテイオーを呼びに来た。出走の準備が整ったようだ。
「出番みたいですわよ」
「一着貰ってこい、テイオー」
「ん、うん、じゃあ行ってくるね」
■
天気は晴れ、良バ、言い訳のできない環境。当たり前のことだが、ゴールはいつもより遠い3000mだ。
トウカイテイオーは深呼吸をし、軽く跳ねる。体調は万全であった。
テイオーがゲートへ向かうと、見知った顔がいた。皐月賞でトウカイテイオーに宣戦布告をしたウマ娘、サファイアクリスタルだ。
「ちゃんと来たんだ、サファイア」
サファイアもテイオーに気づき、顔を向ける。
「脚質、長距離苦手なのにちゃんと来たんだ」
「まぁね。僕は帝王だから、全てを征服したいんだよ」
サファイアはレース場を見る。つられてテイオーもそちらに視線を移した。改めてみてもゴールまで遠い。いつもは心地よく見える芝が、地獄への道のように見える。
「今回のレース、私は内枠、貴方は外枠、良バで大番狂わせも起きにくい。私にとって最も勝利しやすい条件がそろっている。後でこっちが不利だったなんて言わないでね」
「言わないよ」
「私は……、勝つためならなんだってする。どんな卑怯な手だって使ってみせる。ポッとでの天才なんかに、負けたくないから」
サファイアはテイオーの返事も聞かず、ゲートへと向かった。テイオーはそんな彼女に笑みを浮かべた。
『クラシックロードの終着点、菊花賞を制し最強の称号を手にするのは誰だ!』
『1番人気はもちろんこのウマ娘、皐月賞、ダービーを勝ち取り、菊花賞を狙う無敗の2冠ウマ娘トウカイテイオー!』
『帝王が3冠を獲得するのか、他の子がそれを止めるのか!!』
『最も強いウマ娘はいったい誰になるのか!! 各ウマ娘ゲートに入って準備が整いました!』
とても長く感じられる刹那の時間、走者たちはその時を待った。先ほどまで煩かった歓声の声は遠くに去り、心臓の音と、自身の呼吸の音だけが聞こえる。
『今、スタート!』
ゲートが開かれ、菊花賞のレースが開始された。
『先頭はサファイアクリスタル、長距離であっても逃げですね。少し飛ばし過ぎな気もしますが、大丈夫でしょうか』
サファイアは前だけを見て、走る。先頭争いは今回もなく、彼女一人だけが独走していた。
観客席でトレーナーとマックイーンは、レースの行方を見ていた。
「大逃げ……菊花賞で初めて見ましたが……、確かに経験の足りていないテイオーさんには、合っているかもしれませんね」
「天性の才で走るのがテイオーだからな。奇抜な走法は確かに効くかもしれないが、邪道がいいってわけでもないだろうに」
「と言っても、王道の走りではテイオーさんに勝てる見込みはほぼ0でしょうし、リスクを取るのも手では」
「……うん?」
トレーナーが目を凝らし、先頭を走るサファイアを注視する。
「……あの子、全然後ろを見ないな」
「……そういわれてみると、確かに全く見ませんわね」
大逃げであったとしても、無駄な体力を消費しないために、後ろの確認は取るものだ。全く確認を取らないのは、自分に絶対の自信があるか、逃げバカぐらいだろう。だが、サファイアは全く後ろを見ることなく、速度を上げていく。
『菊花賞にしては全体の動きがとても速いですね……、いや、これは』
『サファイアクリスタル、止まらない、止まらないぞ!!』
サファイアはまるで、中距離を走っているかのような速度で駆けていっていた。全体がそれに引っ張られ、状況がどんどん縦へと引き延ばされていく。
「な、なんて凄まじい走り……、ですけど、あんな走りで最後まで持つわけが」
「あの子潰れるぞ!!」
うっそでしょ!? テイオーは自分の速度を守りながら走っていた。そのため、一人、また一人とテイオーは抜かれていく。サファイアに引っ張られ、テイオー以外の走者達が自分の速度を勘違いしているのだ。これにはあるトリックがあった。サファイアが徐々に速度を上げたため錯覚したという物と、トウカイテイオーの強さを全員が把握していたため、彼女に勝たんと掛かりやすくなっていたためだ。
先行であるはずのテイオーは、いまや差しの位置まで引きずり降ろされていた。
『早い早い!! もう先頭は第3コーナー近くだ!! というか、皐月賞じゃないんだぞ!! 体力大丈夫か!?』
菊花賞を全力で走って逃げきる!? そんなこと絶対にあり得るわけがない!! トウカイテイオーはそれを確信していた。体力が持つわけがないんだ。じゃあ卑怯な方法ってなんだ? ドーピングとか? いや、そんなわけが……!!
あらゆる可能性を、テイオーは走りながら考えていた。そのあり得ない走りに、テイオーは走っているというのに、寒気を感じていた。冷や汗が伝う。
また1人、テイオーは抜かれた。テイオーは目の前の光景に愕然とし、慌てて後ろを確認する。彼女の見た光景は、真実であった。
「嘘でしょ……!!」
『トウカイテイオー!! ドンケツだ!!』
テイオーの後ろには、もう誰も残っていなかった。
落ち着け、落ち着け。走り切れるわけがないんだ。いつものペースで行け。
でももう、先頭は第4コーナーを回っている。これは間に合うのか?
ほとんどの子がスタミナが切れ始めてきている。落ち着いたら勝てるんだ。
サファイアは? あの子は長距離が得意のはずだ。このまま逃げ切るんじゃないか?
トウカイテイオーは焦る気持ちを何とか抑え、その時を待った。第3コーナーを曲がったあたりで、前を走っている子達が息を乱し始め、走りのペースが崩れていく。そのことに、テイオーはホッとした。サファイアも疲労を隠せないようで、目をつぶって走っており、その速度は徐々に落ち始めていた。
テイオーは第4コーナーに近づく。先頭はすでに直線を走っているが、今からでも追いつける速度になっていた。テイオーは息を吸い、ようやく我慢を解放した。
「駄目!! テイオーさん!!!」
マックイーンが叫ぶ。だが、その声はトウカイテイオーには届かない。
「タイミングはばっちりだったぞ!?」
「加速なんてせずともテイオーさんは勝てましたわ!! もしも加速するのであれば、もっと早いタイミングでなければ……!!」
マックイーンは天性のステイヤーだ。そして、長距離のためにあらゆる努力を積み重ねていた。マックイーンと、そしてサファイアだけが、トウカイテイオーに今から起こることが分かっていた。
「いいですか? テイオーさんの得意走法は先行であり、前を走っている方を抜くのは平均で2回か3回、多くても4回といったところです。あれだけの人数を、テイオーさんが抜いた経験はありません!」
「だ、だが全員走る体力は残ってないぞ? 簡単に抜けるんじゃ」
「加速していなければ、それもできたことでしょう。ただ、加速した直後であれば」
マックイーンは減速する走者たちと、加速するテイオーを見る。
「テイオーさんは減速していく前の方々に、ぶつかっていっていくのも同じです。今の彼女には、前方の走者達が、自分に向かってバック走をしているようにも見えていることでしょう……!!」
なんでこんなに数がいるんだ……!!
トウカイテイオーは、マックイーンの推測通り自身のスピードと、減速してくるスピードの板挟みにあっていた。1人、1人と向かってくるライバルたちを、軽やかに避けていく。だが、だが、数が多い。
1人、2人、3人……!! まだ、まだたくさんいる!!
ただでさえ、長距離に向いていない足が、確実に消耗されていっていた。
■
サファイアクリスタルは才のあるウマ娘だ。
トレセンに入学する前は負けたことはなく、周りからの期待も高かった。天狗になっていなかった、とは言えないだろう。
だが、トレセン学園に入学し、彼女は上には上がいることを痛感する。自分以上の才を持つものが、自分以上の努力をし、自分以上の執念を持つ。怪物たちにとっては勝つことが当たり前であり、彼女の存在など塵芥でしかなかった。それでも学園を出なかったのは、彼女が不器用だったからだろう。
自分以上に才のあるものが、自分以上に努力をし、自分以上の執念を持つ。それなら勝てなくて当然だ。だったらせめて、情けない走りだけはしないようにしよう。不器用な少女は、そう考えた。現実を直視しても走るのをやめなかった彼女は、適当なトレーナーに出会い、適当にトレーニングを行い、GⅠに出バできるまでになった。
そんな彼女は、トウカイテイオーというウマ娘と出会った。彼女の存在は、サファイアの考え方を粉々に破壊した。
走り始めたのは去年から、勝利への渇望もない、そんな
トレセン学園に来てから、初めて勝ちたいと思った相手だった。
ダービーを捨て、休みも返上し、菊花賞まで鍛錬に明け暮れた。だとしても、
『トレーナー、どうしたらトウカイテイオーに勝てると思う?』
彼女の取った卑怯な手、それは、ただただ全力で走ることだった。
周りの走者達を利用し、トウカイテイオーに疑念を持たせ、自分が内枠になるという運命に身を任せる。ゴールまで持たない情けない走りをしてでも、勝ちたかった。
もうすでにサファイアには走り切るスタミナは残っていない。鮮血が鼻から零れ落ち、口で酸素を求める。速度はもう通常時の半分以下にまで落ち、足が、心臓が、脳が、走るをのやめろと訴えてくる。
それでも彼女は脚を動かした、彼女は不器用だったからだ。
トレーナー、こんな私に付き合ってくれてありがとう……!!
朦朧とする意識の中、凡才でしかない自分に付き合ってくれた人に感謝をする。なんで自分が走っているのかも、今の彼女には分からなった。あったのは感謝と、そして……
「こんな、こんな才能しかないやつに、負けてたまるかああああ!!!」
一流に遥か劣る怨嗟にも似た執念だけだった。ああ、だが勝負の世界は非情だ。
すぐ隣を、
■
前方にいた16人を抜き去り、テイオーはようやく先頭に追いついた。自分への挑戦者をちらりと見る。すでにスタミナは切れているはずなのに、それでも彼女は動いていた。ウマ娘というには、恥ずべく速度まで落ち込んだ彼女を抜き去ろうと、テイオーは脚に力を入れる。
「……っ!!」
だが、伸びない。トウカイテイオーの足も、すでに限界が来ていた。残りの1人を抜き去ることができない。残りたった200mが、はるか遠くに感じる遅さ。もうすでに周りの声は聞こえなくなっている。息もできなくなってきていた。100mを過ぎ、トウカイテイオーも目をつぶって、残りを走り切ろうとする。
『──────』
「あっ」
テイオーの足が一瞬止まった。
『2人ともゴーーーールイン!!! 同時にゴールインしました!!』
テイオーは足を引きずるようにコースから外れ、膝をつく。サファイアはよろよろと、歩いていき、倒れた。
「ふ、ふざけるな本当に………」
サファイアは芝を握りしめ、全く動かない体を何とか動かそうとする。彼女の声が聞こえているのか、聞こえていないのか、テイオーは茫然と電子掲示板に視線を移す。
「あ、あれだけ頑張って……、こんな結果なんて……」
サファイアは何とか仰向けになった。自身の血で、勝負服が汚れた。
「でも……でも」
そして、電子掲示板に結果が表示される。
「私の勝ちだ!!! トウカイテイオー――!!!」
『1着はサファイアクリスタル!! 僅差でサファイアクリスタルだ!! 菊花賞大逃げという前代未聞の走りで、トウカイテイオーの3冠を防ぎました!!』
「勝った!! 勝ったよトレーナー!! 私勝てたよ!!」
1位は眼だけで自身のトレーナーを探す。トウカイテイオーは、反応することが全くできなかった。彼女はゆっくりと、自分の足を見る。
「どうだ、トウカイテイオー! これが……、……どうかした?」
「ううん、なんでもないよ。負けるって、こんな気持ちなんだなぁって……」
トウカイテイオーは、芝の上に座り込む。ずきずきと感じる痛みに、顔をしかめた。
「ごめん」