「足にヒビが入ってますね」
「ヒビ?」
トウカイテイオーは菊花賞のレース直後、病院へ運ばれた。ウィニングライブは欠席、現在身体検査を終え、医者からの診断を受けているところだ。
「運が良かったですね。長距離向きじゃない足で、あんな走りをしてヒビですんだのは奇跡ですよ」
「……」
テイオーは自身の足を撫でる。すでにギプスがつけられ、自慢の足は触ることができなくなっていた。
「……先生、いつから走れるようになりますか」
「それを外すのは12月からでもできますけど、レースは今年いっぱいは様子見した方が得策ですね」
「……じゃあ有馬は」
「有馬記念? 12月でしたよね、やめた方がいいと思います。無茶したら、今度は折れますよ」
「……そっかぁ」
「骨折は癖になるから、ここは我慢。じゃあお大事に」
「……ありがとうございました」
呼ばれたトレーナーが診察室に入り、テイオーを支える。2人は部屋を後にした。
会計も済ませ、後はテイオーの迎えが来るのを待っている状態だ。テイオーは受付前の椅子に、体を預けた。
「まぁ良かったじゃないか、ひびですんで」
トレーナーがホットココアとコーヒーを買ってきて、隣に座った。テイオーにココアを手渡す。指先が温められ、心も少しだけ温かくなった。
「まぁ、そうだね。ただ、半々かな。有馬には出れないみたいだし」
「まだ選ばれてなかったけどな」
「いーや、ボクなら絶対選ばれてたね」
軽口を叩いた後、テイオーは缶を開けココアを一口飲んだ。
「ね、トレーナー」
「なんだ?」
「菊花賞終わったし、マックイーンの話聞かせてよ」
「……」
トレーナーはコーヒーを開けようとしていた手を止め、テイオーを見た。
「……気が滅入る話だぞ」
「もう落ち込んでるから大丈夫だよ。それに、ボクだけハブられるのは嫌だしね」
「それは……すまん」
「許さないもんね、だから、教えて」
トレーナーは視線を動かし、逡巡する。そんなトレーナーを、テイオーはじっと見ていた。その視線に折れたのか、はたまた別の要因か、トレーナーはため息をついた後、口を開いた。
「……俺と、マックイーンの出会いはトレセン学園だった」
「やっぱりトレセン学園にいたんだ、2人とも」
「ああ、あいつはメジロ家の令嬢、俺は新人のペーペートレーナーだった。あいつは当時から優秀だったが、俺は控えめにいっても出来のいい方じゃなかった」
「それはなんとなくわかるかも」
テイオーははにかんだ後、もう1度、ココアをちびりと飲んだ。
「はっきり言うな……」
「嘘ついても仕方ないでしょ、それで?」
「あいつと初めて会ったのは、選抜レースだった」
「選抜レース?」
「中央はウマ娘の人数に比べて、トレーナーの数が少ないんだ。だから、トレーナーに選んでもらうために走るんだよ。一生選ばれない子もいる」
「入学したらすぐに勝負の世界かぁ」
「まぁ、マックイーンにはあまり縁のない話だったんだけどな。あいつはレース前から、色んなトレーナーから声をかけられてたらしい」
「マックイーンらしいね」
にししと、テイオーは笑う。それに連れられてトレーナーも微笑んだ。
「選抜レースはアイネスと同着1位だった。2人ともまだデビューしていないっていうのに、すさまじい走りだった」
「アイネス、ダービーウマ娘のアイネスフウジン?」
「ああ、レースはギリギリの勝負だった。ライアン、ええと、マックイーンの親戚に言われて、食事をしっかりとったから負けなかったって、マックイーンは言ってたな」
「なにそれ」
けらけらと、病院内にテイオーの笑い声が響く。看護師ににらまれ、テイオーは笑うのをやめた。
「それでまぁ、アイネスとマックイーンはトレーナーたちに囲まれてな。俺が先だ、俺が先だって、彼女たちのトレーナーになろうとするんだよ。普通は逆なんだけどな」
「あっはっは~! わかるわかる。誰だって優秀な相手と組みたいもんね。それで、その中からトレーナーが選ばれたの?」
「どうなんだろうな、あいつがなんで俺のことを選んだのか、よく分からないんだ」
トレーナーがコーヒーのプルタブを開けた。かしゅっと、音がたつ。
「だって、俺のあいつへのスカウトの言葉、『綺麗でした』だったんだぜ?」
「トレーナー、本当にいつか刺されるよ……」
テイオーは笑いつつ、少し引いた。
「いや、だって本当に綺麗だったんだあいつの走り。一瞬で一目ぼれ、で、あいつの手を握って告白。まともなスカウトの言葉は言ってなかった気がする」
マックイーンは当時中学生だったはずだよね? とテイオーは思ったが、よくよく思うと高校生でもアウトだったので、深く聞かないことにした。
「その後、呼び出し、そして担当に選ばれた。当時の俺は消されるって思ったね」
「当たり前だよね~?」
「いや、まぁ、本当に怖くてな」
感慨深そうに、トレーナーは天井を見上げる。
「あいつの目標は天皇賞の制覇だった。メジロ家の悲願らしくてな。だからそれに合わせてスケジュール組んでた。まあ、俺がデビュー戦の申し込みド忘れしたりして」
「うん?」
「あいつ、テイオーと同じでデビュー戦遅れたんだよ。俺のミスで」
「……よく消されなかったね、トレーナー」
「本当にそう思う、ま、まあいいんだよそれは」
「いいのかなぁ……、それで、天皇賞だっけ」
「ああ、天皇賞の春が最初の難関だった。長距離3200m、菊花よりも200mも遠いレースだ」
「マックイーンは菊花勝てたの?」
「勝ったよ、圧勝だった。あいつは本当に、強いウマ娘だった」
だった。その言葉が、テイオーの中で反芻される。先程から、トレーナーの言葉は全て過去形だった。
トレーナーはコーヒーに口をつける。その黒く苦い液体は流し込まれることはなく、手は先程の位置に戻った。
「天皇賞春の前日、仕上げは完璧そのもので、あいつは最高の状態だった。俺と、あいつは浮かれてたんだろうな。あいつは日課のジョギングをしに、学園を出たんだ」
トレーナーは遠くを見る、まるで、今の彼はここにいないようだった。
「あいつが出た後、小雨が降り出したんだ。予報だと、曇りだったんだけどな。俺は行き違いにならないよう、校門の前であいつを待ってたんだ。だけど、時間になっても、あいつは帰ってこなくて」
「……」
「次に会えたのは、一か月後だった」
「何があったの……?」
「……あいつ、交通事故にあったんだよ」
「交通……事故」
「脚をやられてな。走ることは絶望的だって」
「で、でも」
テイオーは身を乗り出す。
「マックイーン、この前レースに出たんでしょ? OPだけど1位とったって」
「俺が……頼んだんだよ、走ってくれって」
「頼んだって……」
「あいつの脚が折れた後、俺が走ってくれって頼んだんだ。だから、あいつは血反吐を吐きながらリハビリをして、走れるようになった。だけど、あいつのステイヤーとしての才能は潰れた。スタミナがな、長距離を走るほどの体力は戻らなかったんだよ」
「………」
「今のあいつが走れるのはギリギリ2000mだ。だから、俺とあいつは秋の天皇賞を目標にすることにした」
「でも」
テイオーは目を泳がせ、言葉を探す。動かなくなった自分の足を撫でた。
「でも、マックイーンにも、なにか走る理由があったんじゃないの……? 頼まれただけで、そんな……そんなこと」
「……分からない。もしかしたら、俺とあいつはまだ夢を見てるのかもな」
「夢……?」
「ああ、夢だ。あいつのあの綺麗な姿が、あの走りが、もう1度できる夢を」
「………」
テイオーは彼の目線を追う。テイオーには、彼が何を見ているのか分からなかった。視線を下ろし、自身の足を見る。ひび割れて壊れかけてしまった足。その足を優しく撫でた。
「……ボクにはわからないよ」
テイオーのつぶやきは、彼には聞こえなかった。
■
1週間が経った。天皇賞秋当日、今日走るのはトウカイテイオーではない、メジロマックイーンだ。控室にはマックイーン、トレーナー、テイオーがいる。トレーナーは、マックイーンの足を丁寧にマッサージしていた。
「マックイーン、リラックスして走るんだぞ。来年もあるんだから」
「分かっていますわ」
「…………」
テイオーはかける言葉もなく、彼らを見ていた。係の者がマックイーンを呼びに来る。彼女は立ち上がり、真っ黒な勝負服をなびかせ、部屋を出ていった。
「じゃあ行くか、テイオー」
「うん」
東京競馬場は朝の激しい雨により、不良場となってしまった。現在は小雨に落ち着いたが、それでもレース場は最悪の状態となっていた。
テイオーは松葉杖を使い、トレーナーと共に観客席にたどり着いた。ターフにいるマックイーンを見つける。彼女の顔は、この空のように曇っていた。
「勝率はどんな感じなの? トレーナー」
「5分5分だな。あいつは走り切れさえすれば誰にも負けない。ただ、焦って体力が持つかが」
「トレーナーって、マックイーンの肩すごいもつよね」
「あいつのトレーナーだからな」
「……そっか」
18人の走者がゲートインする。マックイーンは外枠だった。
3番人気メジロマックイーン。歓声の中には、マックイーンを応援するものもあった。それにつられ、テイオーがマックイーンへ声を出す。彼女は聞こえていないのか、ゴールを見つめていた。
ゲートが開かれ、天皇賞秋が始まった。
メジロマックイーンは中盤の少し後ろ、差しの位置につく。テイオーの目から見ても絶妙な位置だった。スタミナを無駄に消費せず、かといってマックイーンの足でも先頭を狙える位置。一見簡単そうに見えて、計算し尽くされた走り。彼女の苦しそうな顔が、動きが、ここまでの努力を感じさせる。
「いけえええ!! マックイーーーン!!!」
テイオーは観客席の柵を掴み、声をあげる。泥と緑をまき散らしながら進んでいくレース。マックイーンは落ち着いて、レースを進めていった。丁寧なレース運び、ハンデがあるとは思えない、華麗な走り。第4コーナーを曲がり、直線に入った。
その時だった。
マックイーンが転倒した。
「マックイーン!!!」
トレーナーが大声で叫び、どこかへ走っていく。おそらくマックイーンのもとへだろう。倒れている彼女を気にしにしながらも、周りの走者達が走り去っていった。
テイオーは動けずにいた。
『一勝もできないままターフを去るのは、辛いだろうな』
テイオーは、思い出した。
天皇賞秋は終わった。転倒したマックイーンの足に異常はなかったが、転んだ際についた利き手の骨を折ってしまった。マックイーンの天皇賞の成績は、最下位という形に終わった。