僕の姉は殺人鬼~そんな姉に溺愛されてていいのか!?~ 作:あずきBAR
体感的には、向日葵君と一緒にラーメンを食べてから、既に半日ほどの時間が過ぎているような気がしていた。
しかし、時計を見るとまだ八時半で、たった一時間程度で、ここまで状況も心境も変わることがあるこの世界の構造が、とても不思議に思えた。
弟を一目でも見ようとしたら、義弟を殺すことになった。
本当に、この世界はどうかしている。
いや、おかしいのは、この世界じゃなくて、僕の周りの世界だけか。
僕が義弟を殺している間に、世界のどこかでは、笑顔で家族との時間を過ごす人がいた。
もう僕には二度と手に入らない、そもそも手に入れることが不可能だった時間を、ありふれた日常として傍受している人がいる。
それは、なんだか残酷で、でも素敵なことのように思えた。
向日葵君のスマホを手に取り、試しに電源ボタンを押すと、画面が明るくなる。
服の前のポケットに入っていたのと、僕が殴った場所から離れていたため、壊れてはいないようだ。
パスワードを打ち、向日葵君の言っていた
そのスマホを懐に入れ、自分がここに来た意味を思い出す。
僕の当初の目的は、長い眠りから覚めた弟を見て、安心と幸せを感じることだった。
だが、今になって、その行動に果たして意味があるのか、疑問に思えてきた。
向日葵君の言葉を真に受けたわけではないが、今の僕は、もう光と関わり合うことのない人間だ。
ならば、その姿を見たとて、虚しくなってしまうだけではないか。
僕の猿芝居を信じるほどに、純粋な少年を殺した直後ということもあり、そう思えてしまう。
しかし、そう考えれば考えるほど、火事で意識不明となった光の痛ましい姿が、僕の脳内で色濃く浮かび上がってくる。
そのイメージをかき消そうとするが、なかなか消えてはくれない。
これを消すためには、どうすればいいのか、そう考えると、やっぱり光を見たいと思った。
弟を見た最後の姿が、あんな悲しい姿だなんて、耐えられない。
光の元気な姿を見て、少しでもいいから希望を持ちたい。
今日という最悪な日に、明るい明日を見よう。
そう意志を固め、近くの建物の屋上まで飛び上がって、弟のいる病院の方を見る。
そういえば、あそこで飛び降り自殺をしかけたことにより、僕は鬼灯さんと出会ったのだったか。
それを思い出し、三ヶ月半前でも、昨日のことのように思い出せるあの日のことを思い浮かべる。
今思えばどうして僕はここにいるのだろう。
次から次へと風が体を押して、今にも屋上から落ちてしまいそうだ。少しの恐怖と開放感が風に流されずに、周囲の黒とともに僕にまとわりついている。
家が燃え、両親が亡くなり、弟が重体。
そんな絶望を凝縮したような出来事により、僕の眼前には「死」の文字が迫ってきていた。
放火の被害者が、被害にあったまま泣き寝入りどころかそのまま永眠するだなんて、まったくもっておかしな話だ。
そんなことは他の誰よりも僕が強く感じている。
だが、もう限界なのだ。
深く息を吸い込み、歩み始める。
一歩一歩の足取りは徐々に重くなるが、それ以上の思いが足を持ち上げる。
「さようなら」
誰へともなくそう呟き、僕は鳥のように空へと乗り出す。
僕に翼は無く、夜に吸い込まれる。
自分という生き物は案外あっさりと死ねるのだなとぼんやりと目を閉じる。
直後、僕の手を強く引っ張る手が現れた。
その手は力強く、僕を屋上へと引き戻す。
僕は飛び降りに失敗したのだ。
僕の手を掴んでいる相手を見る。
赤のロングストレートに、ロボットかと疑いたくなる冷たい目を持っている女だ。
僕の知り合いにこんな人間はいない。
「ねぇ君、どうせ死ぬくらいだったらさ」
女が首を触り、少し緊張するように言う。
「私と一緒に世捨て人してみない?」
「...はい?」
突如現れた謎の女は、意味不明なことを言う。
なんというか、あまり関わってはいけないような、関わってしまったが最後、ろくなことにならないような漠然とした予感がする。
「すみません。そういうの興味無いので」
「死ぬよりかは絶対にマシだと思うよ?」
「...あなたに、僕の何が分かるっていうんですか。僕は、生きることが苦しいから死にたいんです。死ぬことこそが一番マシなんです」
分かったような、なんだか馴れ馴れしい女の言葉に腹が立ち、悪感情をさらけ出す。
「世捨て人とやらになりたいなら、勝手にやっといてください」
「いや、私はもう世を捨てているよ」
その言葉を疑うように、世捨て人だという女の格好を見る。
ネイビーのパンプスに、足を覆う黒タイツ、ふわりとしたダークグリーンのスカート、淡いベージュのシャツの上にはクリーム色のカーディガンを羽織っている。
世捨て人という言葉には似合わない上品な格好だ。
それに加えて、さっき僕の手を掴んだこの女の手が、やたらと堅く、冷たかったのだ。
その手には、紳士がつけていそうな黒手袋がはめられている。
どうにも、この女は怪しい。
「死んだって、どうにもならないよ」
「うるさい。生き地獄よりかはマシだ」
癖になっている敬語が、取れてしまっていることに気づいたが、どうせ死ぬのだから、と構うことなく思いを撒き散らす。
「視界に入る全てが灰色に見えたことはあるか?耳に届く全ての声が邪魔だとしか思えないことはあったか?そんな自分を死ぬほど嫌いになったことはあるか?ないだろ!なら、分かったようなこと言うなよ!」
「あるよ」
女は静かに、でも力強く言う。
「今までの人生、そんな味気なくて、つまらなくて、何もかもがどうでもいいと感じて、その度に自分が嫌いになっていく。そんなことばかりだったよ。でも、その上で言うね」
「...」
「自殺するくらいなら、絶対に生きてた方がいい。生きる理由より、死ぬ理由の方が多くても、生きる意味が分からなくても、生き地獄でも、どうせいつか死ぬんだから、生きている今を続けた方がいい。だって、そうしないと...」
「......そうしないと?」
「なんというか、子供っぽい表現になるけど、」
女は、僕の目をじっと見つめながら、真剣に言う。
「もったいない」
今思えば、あれが僕の生命への執着の源だったのではないかと感じる。
死のうとしたことがきっかけで、生きたいと思うようになっただなんて、変な話だ。
だが、その変な話のおかげで、僕は生き長らえることになり、鬼灯さんを愛するようになり、弟の復活を喜ぶことが出来た。
徒花になってから、良いことばかりではなかったが、それでも今ここで息が出来ることが無性に嬉しかった。
そして、これから光が普通の人生を送ってくれたら、どんなに素晴らしいことか。
病院の中を、誰にも見つからないように進んでいく。
隠れて行動することは、自分で思っていたより体に馴染んでいたらしく、なんの問題もなく、光のいる個室まで辿り着けた。
光の個室は病院の角にあり、窓から覗く月光が扉を照らしていた。
この扉の先に、光がいる。
そう考えると、気分が高揚した。
慎重に、物音を立てないように扉に耳を近づける。
ザシュッ
すると、何かを切るような音が聞こえてきた。
ゴトッ
次に、中で物が落ちた音がした。
何をしているのかは不明だが、どうやら光は本当に意識を取り戻しているらしい。
ひとまず、それが嬉しかった。
僕が人殺しをしていても、光は別の場所で普通に生きていく。
少し寂しいけれど、この道を選んだのは僕だし、もう後戻りはできない。
光だけでも、普通の幸せを得てくれたら、なんだか救われたような気分になれると思うのだ。
そんな未来に思いを馳せ、再び扉の先へと意識を傾ける。
「これで...大丈夫...」
部屋の中から、蚊の鳴くような声が聞こえてきた。
が、今の声は明らかに女の人の声だった。
光以外の誰かがいる。
看護師さんだろうか?
いやでも、なんだか今の声には非常に聞き覚えがあった。
ここ最近、毎日聞いている声。
僕が愛している人の声。
.........鬼灯さん?
いや、それはおかしい。
鬼灯さんがここに来る理由などない。
きっと、声が似ているだけの別人だろう。
そのはずだ。
なのに。
なんで、嫌な予感がするのだろう。
なぜ、冷や汗がでてくるのだろう。
どうして、部屋の中には人がいるはずなのに、こんなに静かなんだろう。
単に静かというわけではなく、なんだか、部屋の中で何かが起こったような、重要な何かが起こってしまったような。
そんな気味の悪い静けさ。
僕は、恐る恐る扉を開ける。
できるだけ中を見ないように、ゆっくりと、静かに。
すると、血の匂いがした。
人間から流れる、ツンと鼻をつく血の匂い。
僕は耐えられず、扉を勢いよく開け放って、部屋の中を見る。
そこには、真っ赤な床と、光の頭があった。
大量の血液が、白い床を赤に染めていく。
同じように真っ赤なベッドの上には、光と鬼灯さんがいた。
首から上がない光と、血まみれのナイフを持って、ベッドに座る鬼灯さんがいた。
マリーゴールド
花言葉「絶望」