妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします! 番外編   作:tom200

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二年目の九校戦後の夏休みの一日。
あの日購入した水着がついにお披露目する時が来ました。


湖デート(本編絡みあり)

 

「深雪、今度の土曜日予定は空いているんだったね」

 

お兄様を玄関で出迎えてハグをしていると唐突に訊ねられた。

肯定を返すと、それはそれは機嫌の良さそうな笑みを浮かべられて。

 

「予定していた工程が思ったよりスムーズに進んでね。何とか一日確保できたんだ」

 

ここ数日この時間の確保のため無理をしたのだろう、顔には疲労の色が滲んでいた。

出来る事ならその一日をゆっくり家でくつろいで休んでもらいたいが、この時間を空ける為だと言われてしまえば報いることが優先されるべきだ。

 

「バイクで遠出をしよう」

 

――すべてはお兄様の御心のままに。

 

(…せっかく頑張って作ってくれた時間だもの。とーっても嫌な予感がするけれど、できる限りお兄様の期待に応えられるようにしよう)

 

買っていただいた水着はどこにしまっただろうか…。

行く前からすでに不安を抱きつつ、心臓のスペアって作れないかな、と非人道的なことを考えながらとっくに三十秒を過ぎたのに気付かずしばらくご機嫌なお兄様と抱き合っていた。

 

 

 

 

とはいえお兄様と二人の外出が嬉しくないわけはない。

貴重な時間を削って作ってくれたお兄様には感謝の念が堪えないし、バイクで遠出はとても楽しみだ。

お弁当も久しぶりにがっつり作れてウキウキして、前日も夜しか眠れない!と浮かれるくらいには今日を楽しみにしていた。

 

「じゃあ水波ちゃん、行ってくるわね!」

「はい、深雪様。お気をつけていってらっしゃいませ。達也様も、くれぐれも深雪様をよろしくお願いします」

 

水波ちゃんはお留守番だ。

一応一緒にどうか誘ったのだけれどね、もともと家事を全力でするんだ!と一週間も前から気合を入れてたそうで断られてしまった。

今日はいい天気だものね。カンカン照りの空模様。大物をやるならこんな絶好の日もないだろう。

水波ちゃんが働くのに、遊びに行くのは気が引けるけれど、彼女にとってこの仕事はむしろいい気分転換なのだそう。

ということで新しく新調してもらった夏用のライダージャケットとスーツ(健全)に身を包み、お兄様の乗るバイクに跨る。

その際お兄様の腰に腕を回すのだけれど、この瞬間は何度やっても緊張する。

 

「し、失礼します」

「深雪になら何をされてもかまわないよ」

 

くすくすと笑うお兄様はコンディションを完全に整えてきたのか、数日前の疲労感などさっぱり無くなって見えた。

今朝もいつも通り早朝から鍛錬にも向かわれていたし、昨日は万全を期すため早く就寝したのかもしれない。

 

「では水波、後のことは頼んだ」

 

言ってフルフェイスのヘルメットを被ってバイクは発進した。

サイドミラーには頭をしっかり下げて送り出す水波ちゃんの姿が。角を曲がるまできっとあのままの姿勢なのだろうね。

流石できるメイドは違う。

しばらくバイクは一般道を走ってから高速に乗る。さらに上がるスピードに私のテンションも上がった。

 

「深雪は本当にバイクが好きだな」

「はい!この爽快感がたまらなく気持ちいいです」

「だけど一人では乗って運転するようなことはだめだよ」

 

優しい声で釘を刺されたけれど、一応これでもお嬢様なので安全の確保できない状況が許されないことくらいはわかっている。

今もお兄様と一緒に乗るバイクだから許されているにすぎない。

どんな状態でも守護できるお兄様の傍なら危険なことなどありえないから。

 

「お兄様のバイクだからこんなに楽しい気持ちでいられるのです」

 

というよりお兄様が運転するのでないのなら、そもそもバイクには乗らないだろう。

こんなに人に密着しなければならない乗り物に、お兄様以外となんて考えられない。

言いながら想像してきゅっとお兄様の腰にしがみつくと、お兄様が少し身じろぎをしたので慌てて、少し手を緩める。

 

「す、すみません!苦しかったでしょうか」

「いや、構わないよ。言っただろう。深雪になら何をされても良いと」

「…もう、お兄様ったら」

 

本当にやめてほしい。

このフルフェイスのヘルメットには音声ユニットが組み込まれているのでお兄様の声が耳元に直接聞こえる感覚になるのだ。

吐息こそ感じられないがまるで、囁くようにお兄様の甘い声が。

想像してほしい。お兄様の、良いお声が、耳に直に響く――こんなの冷静でいられるだろうか。

私には無理だった。

悶えそうになるのを堪えるには目の前のお兄様にしがみつくしか方法は無くて、でもそれはお兄様にこの激しい心音を聞かせてしまうことにもなるわけで。

どこにも逃げ場が無かった。

 

「深雪?」

「…はい」

「しばらく休憩は入れる予定が無かったがどこか寄ろうか?」

「だいじょうぶです…」

 

出来るなら、だいじょばないです、と答えたかった。

まだスタートして十分の一も満たない距離。こんなところで休んでいたら目的地になんて着かないわけで。

 

「全速力でお願いします」

 

しがみ付く時間が短ければ、心臓の負担は少なくて済むはずだ。…理論上は。

と、混乱した最中考えた理論なんて合っているわけもないでたらめな理論で。

だけどそんな考えにも縋りつきたいほど、血迷っていた私にはいい考えに思えたのだ。

くすり、とお兄様が笑う。

 

「わかったよ。もう少しスピードを上げるからしっかり掴まりなさい」

 

どうやらバイクを楽しんでいると勘違いしてくれた模様。でも、これ以上しっかりなんてどう掴まればいいの?

お兄様は苦しくないのだろうか。

 

「何のために鍛えていると思っている」

 

笑いながら言うお兄様だけど、間違いなく妹に抱きしめられるのを堪える為ではないことは確実だと思います。

 

 

 

そんなこんなで一度休憩をはさんで到着したのは紅葉の時とはまた違う、青々とした緑生い茂る夏の香りが満載の山だった。

野生の草花が夏の空と湖によく映える。

前回同様魔法で草をカット、自分たちが過ごす範囲だけ整えた。

その間お兄様は湖に向けてシルバーホーンを構えていた。…今のは分解、だね。

魔法の痕跡を追うように視なくともお兄様の魔法なら感覚的に何を使用されたのか分かるようになりました。…深雪ちゃん、本当にお兄様のことならなんでもわかっちゃうレベル。

その後、今度は完全思考型CADを試す様に何度か魔法を行使して納得がいく形になったのか、こちらに戻ってきた。

 

「いかがですか、使い心地は」

「商品化するモデルを少し自分用に調整してみたんだが、大分スムーズになった。まだ少し反応速度が遅いが精度は問題ない。シルバーホーンとの誤差は無くなった」

 

お兄様のは特化型だから汎用型CADとは癖が違うらしい。

私も使わせてもらったが誤差なんて感じなかった。

…とはいえ私はそんな繊細な魔法ではなく力圧しばかりなので誤差がそもそもわからないというのもあるが。

 

「そちらもだいぶ整ったな」

「こんな感じでよろしいでしょうか」

 

自由に伸び切った草を刈り、小石などもどけたところにシートを広げ、ベースとなる場所を作っておいた。

 

「ああ。十分だ。――そうだな。あの木の辺りに設置するか」

「!…本当に完成させたのですね」

「まだ試作品レベルだがな。たとえ周辺に人がいなくとも、外で深雪を着替えさせたくはないから間に合ってよかったよ」

 

そう言ってお兄様がバイクのサドルバッグから取り出したのは二つの円環型のCAD――と言えば珍しくも無いのだが、これは腕に嵌めるものではない。

特化型、というかこれを目的に作られているので他の用途が無い機能のCAD。

一時持続型結界魔法――と仮の名前がついているが、簡単に言えば持ち運び可能な簡易更衣室。

目くらまし機能の付いた周囲から見えることなく着替える為だけに作られた、身を隠す空間を一時的に作り出す魔法だ。

お兄様は、このためだけにこのとんでもない魔法具を作り出した。

学校で初めてパラサイトと対峙した時、吉田君が使った認識阻害の結界術を応用したものらしい。

視界遮断だけで音は遮断しないらしい。別に音が漏れても問題ないし、外の音が聞こえないと呼ばれても気付かないから。

それに一時的に持続型、というのは制限時間付き、ということ。

ループキャスト技術があるとはいえ、この魔法はかけ続けるというのではなく初めにサイオンを注ぐことで魔法を行使させる――魔方式の保存機能をちょこっと応用した代物――のだとか。

でも扱いが大変難しいらしく五分しか持続できないんだということがお兄様はご不満のようだけれどちょっと待ってほしい。

この技術ってもう形になり始めてるの?!

サイオン量はかなり必要だったりするので普通の魔法師ではこの五分だってきついとは思うけれど、深雪ちゃんをもってすれば一人でも動かせる。

・・・この時点で実用化はまだ到底できない代物だとお分かりだろう。

というか、このアイテム、とっても危険な代物だよね。

だって、五分でも姿隠せるアイテムだよ?犯罪に使いやすそうな一品ですね。もちろんお兄様はそんなこと承知の上だろうから人に使わせる気は無いんだろうけど。

本当に、妹を着替えさせるためだけにとんでも技術を惜しみなく利用してしまうあたり流石お兄様である。妹のことには全力投球。

 

「早速使ってみてくれるか」

「…はい」

 

つまり、水着に着替えて来いということ。…やっぱり家から着替えてくればよかった。

一応提案したんだけどね。ライダースーツの下に着るのか、と聞かれて想像してみたらなんかえっちに思えて意見を引っ込めたんだけど、別に着てもよかったのではと今なら思う。

見えるのは結局ライダースーツだけなんだから。汗を掻いたところですぐに湖に入るわけだしね。

でも、忙しい合間を縫ってせっかくお兄様が私の為に作ってくださったわけだから、ちゃんと使って感想を伝えねば。

水着を持って大きな木の横に円環型CAD――簡易更衣室を地面と胸の高さくらいに水平に持ち上げ円環をセットして集中力を高めてからサイオンを注ぐ。

すると円環は自動で分裂し、直径10センチの円だったものが一メートルほどに広がる。別れたパーツ同士をつないでいるのは魔法師の目にしか見えないサイオンのラインだ。

二つの円環が一定の大きさに広がると、今度はこの上下二つを繋ぐサイオンの膜ができる。

こちらは魔法師以外にも認識阻害させる。この時円環自体にもかかるようになるので何があるか全く見えなくなる。

それが人の入れる高さにまで位置が調節されて簡易更衣室の完成だ。

…改めてすごい技術だね。でも眺めている時間はない。制限時間は五分。急いで着替えないと。

中に入ると不思議なもので外の景色が見えない。真っ白な空間に一人になった。

ジャケットはすでに入る前に脱いでいたので、下のライダースーツを脱ごうとするのだけれどいくら夏用と言えど中は非常に蒸れている。汗がすごい。

いくら途中の休憩所で、魔法で汗を発散させてもすぐにビショビショになってしまった。おかげですぐに脱がせなくてちょっと苦戦。

お兄様からプレゼントしていただいたお揃いのメダル型の完全思考型CADを使って汗を無くしてからもう一度トライすると今度はあっさり脱げた。

この簡易更衣室と化した認識阻害結界は外界をシャットアウトした密室というわけではない。

夏とはいえ山の中、通り抜ける風が涼しい。湖が近くにあるからそれも影響しているのだろう。

狭い部屋の中にいる感覚なのに風が吹き抜けるのが違和感ではあるが気にしている暇はない。

…見えないとわかっていてもこの膜の向こうにお兄様がいるのかと思うと下着を外すことに抵抗があるが、水着に着替えるのに外さないわけにはいかないので。

 

(…ええい、ままよ!)

 

この言葉を心の中ででも使う日が来るとは思わなかった。

着替え終わって脱ぎ捨てた物を畳んでいる最中に、結界が揺らぐ。

慌てて外に出ると膜は消失、円環は元の形に戻り、宙に浮いていた方は地面に落下した。

…時間、結構ギリギリだった。五分ってあっという間。

ぽかん、としばらく円環を見つめていると、さくさくと草を踏みながら近寄る音が。お兄様だ。

振り返るとお兄様が困った表情をされていた。何かあっただろうか?

 

「どうかなさいましたか?」

「いや、分かってはいるんだが…荷物を抱えている状態だと、水着が見えなくてな」

 

目を逸らされたので自分の恰好を見下ろして確認してみる。

胸に抱いている着替えた終わった服がちょうど胸を隠すようになっていて、下の水着もフリルが可愛らしいけれど素材は違うがぱっと見下着に見えるわけで…何でだろうね。水着と下着って似たような布面積なのに印象がね、違うというか。

 

「か、片付けてまいります!」

 

その場から逃げ出す様に荷物を置いているシートの下に向かった。靴を履いていてよかった。

シートの上にまとめられた荷物のところに片付けてからもう一度お兄様の下に戻ろうか、と立ち上がり振り向くとお兄様の姿が見当たらない。

ここら一体は見晴らしがよく、隠れられるとしたらまだ刈っていない伸び切った草むらか、先ほど私が着替えていた大きな木の陰くらいしかない。

まさかこんなところにまで刺客が来るとは思えないし、そのような感じもしなかったのだが――。

元居た場所、木陰の方に行ってみよう、と少しだけ警戒しながら近づく。

…よかった。お兄様はそこにいた。

姿は見えないのに何故分かったって?深雪ちゃんのお兄様センサーがばっちり反応しました。

詳しく言うと気配と…匂い、です。…うん、深雪ちゃんって本当にすごいね。もう何も言うまい。

 

「お兄様?」

 

声を掛けると、お兄様が木の裏から姿を現したのだけれど、その姿に息をのむ。

お兄様は水着姿になっていた。

しかも、昨年夏に見た水着だが、初っ端からラッシュガードを着ていない。――つまり上半身が裸の状態なのだ。

見事な肉体美を前に呼吸って止まるよね。

昨年も見事な引き締まった筋肉だったけれど、成長されたからか、昨年よりも陰影が濃くなったというか…

 

「また倒れてしまうのか?それは困るな」

 

歩み寄るお兄様が触れるほど近づいたと思ったら、さっと抱きしめられて何も見えなくなる。

 

「こうすれば、何も見えないだろう?落ち着いて、息をしなさい」

 

確かにお兄様の肩口に抑えられているので何も見えないのですけれど、…お兄様の常識ってどうなっているの?

水着を着用していると言ってもお兄様は半裸状態。私も心もとない胸元の水着の辺りが若干とはいえ密着しているのですよ?

見えている部分で言ってしまえばほぼ裸状態。これで抱き合って冷静でいられると?しかもこの状態で呼吸なんてしたら――きゅう。

 

 

 

 

気が付けばシートの上で横になっていた。

 

「目が覚めたようだね」

「…申し訳ございませんでした」

 

うう…目が覚めてもお兄様は半裸…じゃなかった、海パンのみの水着姿でした。まぶしい。目が開けられない。薄っすらとしか。

 

「免疫がないとはいえ、これで気を失うようでは困る場面もあるだろうから、俺で少し慣れるようにな」

 

……違うんです。お兄様のだからこうなっているのです、とは言えない。

起き上がって小さく頷いて返すと、お兄様は頭にぽん、と手を置いた。

 

「気分は悪くないか?」

「大丈夫です。ご心配おかけしました」

 

その言葉にぽんぽん、と落ち着かせるように頭を叩かれてからお兄様は立ち上がり、手を差し伸べた。

 

「体調が良いなら涼みに行こう。大分気温も上がってきたようだからな」

「はい」

 

手を借りて立ち上がるのだけれど、お兄様が目を細められて、一言。

 

「こんなに可愛らしい深雪を独り占めできるなんて、俺は贅沢者だ」

 

可愛いよ、眩しいくらいだ、と。微笑みとセットで。

ボボッと顔に熱が集中したのが分かった。

 

「も、もう!お兄様ったら」

「今の深雪を見て何も言わないでいるなんてそれこそ不可能だ」

「…そんなこと言って。誰にでも言うのでしょう」

 

なんて返せばいいのかわからず、原作深雪ちゃんの言葉を借りて言ってしまったのだけど。

 

「そんな風に思われていたのか?心外だな」

 

そう言うとお兄様はするっと顎を掬い上げて上向きにされる。

真剣な表情と強い眼差しに射抜かれて身動きが取れない。

 

(…こんな時だけど、お兄様、かっこいい…)

 

身動きは取れなくとも心は通常運転。煩悩は無くならなかった。

目がハートになっていないか心配になるくらいお兄様に釘付けになる。

 

「お前にだけだ」

 

――こんなに心をかき乱されるのも、愛おしいと思うのも――

 

「深雪だけが、俺をこんなにさせる」

 

手を取って胸に押し当てられる。

手からはとくとくと、早い鼓動が感じられた。

意識が再び遠のきかけ、体の力が抜けて頽れそうになったところで間一髪、頬に添えられていた手が腰に回された。

 

「これも刺激が強すぎたか」

 

これも、も何もお兄様自体が刺激が強すぎるのです…。そう言えればいいのに。

 

「申し訳――」

「謝るな。これも訓練だ」

 

…いつの間にかに恐ろしい訓練が始まっていた。

男性に慣れる訓練?だと思うのだけど相手がお兄様の時点でかなりレベルが高い。難易度最高レベル。

というかこれは訓練のための言動でしたか。

 

「訓練なら訓練と事前に仰ってくださいませ」

「それでは構えられてしまうだろう?」

 

くすくすと笑うお兄様に、私は更に体の力を抜いてしまう。それをひょいっと抱き上げられて重さを感じない足取りで、お兄様は湖に向けて歩き出した。

 

「ほら、腕を回して。安定しないだろう」

「…失礼します」

 

これも訓練の一環らしい。

恐る恐るお兄様の首元に腕を回す。

直に触られている太ももやお尻の腕のたくましさにドキドキしていることに気付かれないよう表情を引き締めたのだけど、全身にめぐる血は体をうっすら色づかせてしまっていた。太陽の光で気付かれないことを祈りつつ。

 

「こ、このまま湖に入るのですか?」

「深雪は湖で泳いだ経験はあるか?」

「ないです」

「なら、支えていないと感覚が難しいかもしれないな」

 

?去年海に入った時はこんなことは無かった。つまり湖だと勝手が違うのだろうか。

お兄様がそのまま入水し、私も徐々に足から濡れていくのだけれど――

 

「わ、冷たいですね」

 

気持ちいい冷たさに声を上げると、お兄様も眩しそうに微笑まれてそうだな、と賛同する。

山の湖だからだろうか。海とは違い水温が低い。それに――

 

「水が重い…あ、海水じゃないから」

「そうだね。海だと思って入ると困惑したかもね」

 

確かに。海水浴と同じだと思っていたからこの違いに戸惑ったに違いない。

そうか、湖は海と違って多少浮力はあるものの海ほど軽く体が浮かないんだ。

腰まで浸かる位置まで戻ると、お兄様がゆっくりと下ろしてくれた。

かなり透明度のある湖なのでこのくらいの場所であればうっすらと底が見えた。

 

「ふふ、なんだか不思議な感覚です。冷たいお風呂に入っているような」

「夏の熱さを忘れさせるな」

「ええ」

 

そこからしばらく体から力を抜いて浮く練習をして、二人手を繋いで揺蕩いながら空を眺めた。

濃い青い空と、入道雲が夏だと教えてくれるのに、浸かる水が冷たくて不思議な感覚だ。全く熱さを感じない。

唯一熱を持つのはお兄様と繋がる手だけ。

 

「今、何を考えているんだ?」

 

私が笑ったことで波紋が起きて、お兄様から質問が。

 

「どう見ても空模様は夏ですのに、ひんやり涼しくて今がいつなのかわからなくなりました。お兄様と繋がったこの手が無ければ、私は夢と勘違いしていたかもしれません」

「確かに夢のような時間だな。こんなにゆっくりするのは久しぶりだ」

「お兄様は少し働きすぎなのです。…九校戦のことは、私も反省しています」

 

九校戦…思い出すのも辛い、悲しい出来事だった。

あまりにストレスがたまりすぎた私たちの大暴走がみんなに知られることは無かったけれど、まさか原作の通りお兄様のベッドに潜り込んだり、泣きじゃくったり…。

お兄様もストレスで正常な判断ができなくなっていたりと、とにかく大騒ぎだった。

 

「…あれは俺も反省したよ。すまなかった」

「いえ、もとはと言えば、私がうまく配分できていなかったのです」

「深雪はちゃんとやっていたよ。それに何度も忠告もしてもらっていた。だというのにまともに取り合わなかった俺に責任がある」

 

繋がった手がぎゅっと握られた。

あの時は互いに自分のことに手いっぱいで異変に気付く余裕が無かった。

 

「――お前を泣かせた」

「…勝手に泣いたのです」

「俺が、泣かせたんだ」

「自分が耐えられなかっただけです」

「お前が耐えることはなかった。…寂しがらせてしまった」

 

大きな波紋が起き、あっという間に横抱きにされていた。

お兄様の泣きそうな顔に、驚きはかき消され、胸が苦しくなる。

 

「もう、良いのです。こうして一緒に居られて私は寂しくありません」

「深雪は、もっと我侭になるべきだ」

「お兄様の貴重な一日を頂いているのに、これ以上我侭になるのですか?」

「これのどこが我侭なんだ。深雪の当然の権利だろう」

 

お兄様の貴重な一日を奪う妹の当然の権利とは??

あまりにもおかしな言葉に噴き出すと、お兄様も笑って返した。

 

「さ、水に慣れたなら少し泳ごうか」

「そうですね」

 

 

 

 

それから泳いだり、水を掛け合ったり(原作のような一方的な水かけではない)して遊んで、途中お弁当を食べて一休みして、また湖で揺蕩って。

 

「そろそろ疲れてきたんじゃないか」

「そうですね。水の中というのは少しの運動でも疲労すると言いますし」

 

正直楽しすぎてテンションが高く疲れていない気になっているけれど、お兄様がこう言うということは、これ以上は止めた方が良いという合図。

大人しく従うよう頷くと、頭を少し乱雑に撫でられた。

 

「こういうところが我侭を言えていないところだぞ」

「お兄様を信頼しているのです」

 

言うことを聞きすぎだ、とお兄様がおかしな注意をするけれど、お兄様の言うことにそう間違いはないのは今までの実績が物語っていますのでね。…ストレスでおかしくなっていなければ、だけど。

足がつるとか、水着が脱げるとかのハプニングも無く、岸に着いて水から上がるのだけど。

 

「…これは、」

「体が重いだろう」

「はい…」

 

水を出たら自重にびっくり。

お兄様の差し出す手を迷うことなく掴む。

 

「深雪が許してくれるなら運ぶが」

 

すぐに断ろうとしたのだけれど、お兄様の顔を見て開いた口を一度閉じてから、

 

「…お願いします」

 

我侭を言って欲しそうだったのでリクエストに応えてみる。…これって我侭の強要かな?初めて聞いたよ。我侭を要求されるなんて。

 

「やっぱり深雪はいい子過ぎるな」

「…お兄様が甘やかしたがりなのだと思います」

「それは仕方がない。誰だってお前が相手なら甘やかしたくなる」

 

抱き上げられてすたすたと運ばれる。

お兄様だって同じ時間水の中にいたはずなのに体幹が一切ぶれないどころか揺れをほとんど感じない。

 

「…習い事に水泳も入れましょうか」

「ふっ、深雪は負けず嫌いだね。でもそれは止めてくれ。これ以上お前との時間が減らされては俺の方が参ってしまうよ」

 

体力が敵わないことはわかっていてもちょっと悔しかったので苦し紛れに言えば、笑われてしまった。

シートまでたどり着きゆっくりと下ろされる。

水やタオルまで甲斐甲斐しく世話をされて、恐縮しかけるのだけど、お世話したいモードのお兄様にそれはかえって迷惑になってしまうので我慢してお世話をされる。

…原作の深雪ちゃんなら、そんなことさせなかっただろうけれど、ごめんなさい。お兄様に期待されてしまうと自分を押し通せない。

こういうところが良い子ちゃん過ぎると言われるところだろうか。

 

「どうした?」

 

表情が曇ったのか、ちょっとした変化だっただろうにお兄様はすぐに気づいて下さる。

嬉しいけれど心配させてしまったことも申し訳なく思うわけで。

 

「遠慮しているとか、そういうわけではないのです。ただ、私はお兄様を優先したいと。それが私にとっての我侭のつもりなんです」

「…言いたいことは分かったが、それはあまりに俺に都合が良すぎる我侭だな」

 

隣に腰を下ろしたお兄様は――水気を飛ばされても水も滴るいい男ぶりが…色気がね、こう、醸されていると言いますか。

日陰を作るように日差し側に座られて身を寄せられているので、逆光で表情が見えづらいのに笑っているのが雰囲気で伝わってくる。

手を伸ばされて、髪を耳に掛けられた。

 

「――深雪にあんな風に泣かれたのは初めてだった」

 

雰囲気とは裏腹に静かな口調で語り出したのは、あの九校戦の夜のこと。

 

「頭が真っ白になって、体が動かなくなった」

 

淡々と話しながら、髪を梳く様に撫でられる。

 

「こないで、と言わせてしまったことも――辛かっただろう」

 

……辛かった。

そう、確かにあの時の私は辛い、というのが一番近い感情だった。

悲しさや寂しさすべてひっくるめて、辛かった。

それをお兄様が指摘されたことに驚いたのは、この複雑な感情をお兄様が読み解けたのだという事実に驚かされたのだ。

今まで私が相手でも複雑な感情を理解することはお兄様には難しいことだったはずだ。

四大感情――喜怒哀楽に当てはめることはできても、その中の複雑な感情はわからず最終的に喜んでいるならいいか、と深く追求しないのがお兄様の今までだった。

それはお兄様が深く追求するのを面倒がって、とか深く探るとよくない気がするとか、原作ではそんな描写もあったけれど、お兄様を見て、知って、気付く。

感情を失うということは諦めが早くなる。割り切る、見切りをつける――わからないことは今考えても仕方がない、と結果を求める。

最終的に辻褄が合えば問題ないだろうと、そういう傾向に行くようだ。ただ、それだけの事。

その結果、お兄様は冷たく見られてしまうことがあるのだけれど、大きな誤解だ。

最終的に辻褄を合わせてくれる――結果大団円を導いてくれている時点でお兄様はその人のことを思い遣り、助けているのだ。

それが優しさでなくて何だというのか。

結果助けただけ、最終的に良いオチが付いただけ。なんて言うかもしれないが、それのどこが冷たいというのか。

私は、お兄様ほど優しい人を知らない。こんなに努力し、人に寄り添って、手を差し伸べてくれる人を知らない。

本人が無自覚だろうとも、そんなつもりが無かろうとも、――お兄様はヒーローだ。

お兄様の撫でる手を取って頬に引き寄せた。

ひんやりと冷えた体にお兄様の温かい手が心地よい。

 

「すべて終わったことです」

「しかし、」

「今、私は幸せです。これ以上、何を望むというのでしょう?」

 

辛かったことに気付いて、こうして心に留めておいてくださったことがどれほど嬉しいか。

 

「幸せなのです」

 

言葉を重ねることでしか伝えられない。

でも、それが一番伝えたいことでもある。

幸せなのだと。今、こうしていられることが、どれほどの幸福か。

 

「…そうだね」

 

肩を引き寄せられ、凭れるようにお兄様の胸に倒れる。

 

「これ以上の幸せはない」

 

トクトクとお兄様の心音が響く。

少し早い心音は、強い生命を感じさせる音をさせていた。

 

「ありがとう。深雪はいつも俺に幸せを運んでくれる」

「何をおっしゃいます。お兄様がいるからこそ、幸せなのです」

 

顔を上げて言えば、お兄様は珍しく照れたような表情で目を伏せられた。

これだけ近いと陰っていても表情がよく見えるな――と思ったところで体が一気に緊張した。

 

(流れでこんな格好になっていたけれど、水着姿で!しかもこんな至近距離で!?!?)

 

大パニックで硬直して動けずにいるのを、お兄様はしばらく面白そうに見つめてからそっと手を放してくれた。

 

「さ、そろそろ着替えておいで」

「そ、そうですね!もう帰る準備をしませんと!」

 

慌てふためきながらお兄様から距離を取り、着替えを取りに振り返ろうとしたところでお兄様からストップの声がかかる。

 

「帰るのは温泉に入った後だよ。そのままじゃ体が冷えてしまうだろう」

「…あ、そういえば温泉があると…」

 

そんな予定だった、と思い返したところでまた体がギシッと固まった。

ギギギっと音がしそうなほどゆっくり首を回してお兄様を見れば、先ほどとは打って変わってなんとも意地悪そうなお顔をされています。

 

「もう一着持ってきているはずだね」

 

…ええ。お兄様から念を押されてましたから、買っていただいた水着は両方持ってきていましたけれど。

 

「…このままでもよろしいのではないでしょうか」

「だめか?似合うと思ったんだが」

 

こてん、と首を傾げられるお兄様は大変可愛らしいと思うのですけれど、その目のせいでちょっと可愛くないですね。とても恐ろしさを感じます。

似合うでしょう。むしろ深雪ちゃんに似合わない水着などこの世に存在しないのではないだろうか。

何よりお兄様が選んでくださったのだ。確実に深雪ちゃんに似合うはずだ。試着室でもよく似合っていたものね。

この太陽の下ならもっとよく映えるだろう。

 

「…ちなみに、お兄様も着替えられるんですよね?」

「俺はこれしか持っていない」

 

……今度はお兄様の分も一緒に買おう。

 

 

 

 

それから温泉にゆっくり浸かって、浸かりすぎ以外の理由でのぼせかけたりするのだけれど割愛する。

割愛するったら割愛する!何もなかった!!お兄様のラッキースケベの呪いが発動なんて、そんな事実は無かったのです!

 

「…あ~、深雪、その…」

「お兄様、何も起きなかった。よろしいですね?」

「……わかった」

 

謝罪は受け付けません。謝罪する原因なんて存在しないのですから。

 

 

 

帰りのバイクでちょっぴり気まずくなったけれど、流れる景色と風の心地よさが全部吹き飛ばしてくれた。

…そういうことにしておく。

 

 

 

 





忘れたころにやってくるラッキースケベの呪い。
ヒント;妹の身に着けているのはオフショルダーの水着です。うっかり足を滑らせて支えた時にずるっといけば――。
効能高い天然温泉はぬるぬるして滑りやすい箇所がありますからね。流石のお兄様には読めなかった。でもお兄様のラッキースケベの呪いを知っていた深雪成主ならば気を付けられた。気が緩んでいたんです…。泳いだ後だから疲労もありました。

お兄様、妹の野外での着替えに気付いて大急ぎでCADを完成させた。とんでもない技術を惜しみなく注ぎ込む。これ一個で相当なお値段しそう。門外不出の一品。絶対人に見せられない。妹専用。
ちなみにお兄様の眼でも視えないのかと言われれば、封印を解いて本気で覗けば――ね?(←
九校戦の反省をちょっとばかし入れてみました。
お兄様にとってあれは結構心にきた。かなり後悔していた。
だからこその遠出のプレゼントだったのだけど、むしろ何倍ものプレゼントを返された。
妹がいればお兄様はずっと幸せ。(…無意識に逃さないとか考えてそう)
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