妹転生?!ファンとしてお兄様を幸せにします! 番外編   作:tom200

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タイトルそのままの変わりゆく二人の関係を一つのテーマで書いてみました。
いつもと書き方を変えているのでお気を付け下さい。
過去を捏造しています。

①沖縄事変後・②高校一年・③婚約者で恋人未満・④婚約者で恋人(なりたて)
それぞれのお兄様の対応と妹の反応の差。
ハグをテーマに。

あなたはどのお兄様がお好みですかーー?




ビフォー・アフター

 

[chapter:CASE 1 ハグ]

 

 

達也は今も信じられなかった。

深雪から触れられること自体夢のようで、現実には思えなかった。

あれほど遠巻きに見られ、時には睨みつけられていたというのに。

 

「お兄様」

 

俺のような出来損ないの兵器に向けられるべきではない優しい笑みに、どうしていいかわからない。そう混乱している間に深雪は距離を詰め、二人の距離をゼロにする。

 

「よろしければ、お兄様も腕を回してくださいませ」

 

深雪に促されるまま背に腕を回して抱き合う形になるのだが、達也のぎこちない動きに深雪は笑みを深くして喜びを見せてはさらに達也を混乱させた。

 

(なぜ、深雪は笑うのだろう。拒絶も蔑みも無い、嘲笑っていないことはわかるが、そうなるとどうして笑いかけられているのかがわからない。

 

達也にとって自分に向けられる笑みというのはほとんどが悪意に満ちたものだった。

だからわからない。深雪が自身に向けて微笑みかける意味が。

同時に、自身の胸が温かく感じる理由もわからない。

 

(体が触れ合うと体が温まってここも温かくなるのか?)

 

懐に潜り込んで攻撃する時も、捕まったことを想定し抜け出し反撃する時も、こうして密着をする場面はあるが、体温が上昇することなどなかった。むしろ反対にここはわずかに冷えていた気がする。

人はそれを危機感を抱いて肝が冷えると例えるのだが、彼にとってそれは日常のことであり徐々に薄れてきていた感覚でもあった。

だが、今妹に抱きしめられて、こうして抱き合ってみて感じる様々な事象に動揺し、中でも胸に宿った温かいモノに疑念を抱いた。

 

(俺は、壊れたのだろうか)

 

達也にとって熱とは痛みだった。

苦痛が伴うものだった。

けれど、今宿る熱に痛みはない。ただ、何も感じていないわけでもなく、例えるならばくすぐったい感覚だろうか。

 

「――29、さんじゅっ!お兄様、ありがとうございました」

「…ああ」

 

(もう、三十秒経ってしまったのか――…っ!?)

 

達也の身体が硬直したことに気付いた深雪が兄の顔を覗き込む。

僅かに目を見開いていることから何かに気付いて驚いていることが分かったが、何も気づかなかったふりをしてスッと離れた。

深雪には兄が動揺していることが分かったが、なんにでもすぐに答えればいいモノではないと口を閉ざして引き下がる。

母と違い兄は、生まれた時から愛情をかけられることなく、情緒や感情が育つより早く実験によってその機会を奪われ、非情な訓練が強いられていたことを知っていた。

そうしてこれまで過ごしてきたところに、いきなり見たことも触れたこともない愛を与えられ、それが何なのかと答えを教えるのはただの押し付けであり刷り込みになってしまうことを危惧して、まずは疑問を持ってもらうこと、それが何かを自発的に考えてもらうこと、それでもわからなければ私ならこう思う、と正直に伝える事を心掛けた。

兄の幸せのために、成長を促し、助ける。

それが彼女の掲げたモットーだった。

少々リビングでお待ちいただけますか、と去っていく妹に直立不動で見送った達也は言われたとおりにリビングに向かうが未だにショックから抜け出せてはいなかった。

時間の感覚が狂っている。

三十秒のカウントもまともにできないなんて、これはガーディアンとして死活問題だ、とまで思っていた。

三十秒があんなにも短く感じることなど達也にとって初めてだった。

むしろ今回を含めてこれまで深雪の数える三十秒は実際の三十秒ではなく約四十秒、十を数え出してからずれ出す。

だが、達也がそれを指摘することはない。深雪が三十秒と言うなら三十秒なのだ。

その実際四十秒の三十秒が早いと思うのは異常と言えた。

これから自分はどうするべきなのか、達也は思考を巡らせる。

深雪を守るのが自分の使命であり存在意義である。

兄として、ガーディアンとして彼女を守る。そのために扱かれ、鍛えられてきた。

技術を身に着けてきた。

だが、今その技術の一部にこうして陰りが出てきたのは由々しき事態だ。

たかが時間の体感速度、ではない。時間の感覚はコンマ一秒でも狂えばどんな場面でも支障をきたす可能性があった。

その原因と思われるのが、深雪との接触、深雪が考案したストレス解消法によるものだということはわかっているのだが、果たしてこれは断るべきなのだろうか。

深雪は今たくさんの課題を抱えている。稽古事も勉強も、一般の中学生以上のものを学び、その上魔法技術も身に着けようとしていた。

多大なストレスを抱えてもおかしくない勉強量だ。たまったストレスを解消するための手段だと言われれば俺に断ることなどできるはずはないが、せめて代替は無いものだろうか。非接触でできるストレス解消法は――

 

「お兄様、立ったままお待ちになっておられたのですか?」

 

座ってお待ちいただいてよろしかったのに、とトレイを運ぶ深雪から半ば強引にトレイを取り上げて深雪を先に席に着かせる。

近づく気配、漂う香りで何故リビングに待機させられていたかを理解できたので判断力は鈍っていないようだった。

ありがとうございます、と腰かける深雪の前に、彼女が用意したカップと菓子を並べて、お兄様もお座りくださいの声と、同時に隣を叩かれたことでそこに座れという指示であると、残るカップをその前において指示通り隣に腰を掛ける。

こうしたお茶会は最近時間ができた時にするようになった。

息抜きになるのだと微笑む深雪に「俺といては息が詰まらないのか」と問うたのは彼にとって当然だった。

達也が傍に近づくと周囲の空気が緊張するのが常だった。

だが、深雪は笑って答える。

 

「お兄様といることが最も安全で安心できるのに、何故息が詰まるのです?大好きなお兄様と一緒にお茶を嗜む時間をいただけるのは私にとって幸せなことです」

 

そう言われてしまえば、彼女の幸せを願う者として逆らう理由はなかった。

従者と席を共にするなんて、という彼にとっての常識もここはプライベートな空間であり、誰の目も無いのだから自由でありたいと言われてしまえば何も言えなくなる。

達也に紅茶のことはわからない。けれど、深雪が今日は上手く淹れられた、と微笑むからにはこれが美味しいということなのだろう。そう思って飲むと美味しく感じられた。

お茶を飲み、お菓子をつまみながら楽しそうに今日の出来事を話す深雪を見ると、遠くで見守っていた時以上の喜びを得られた。

温かい紅茶を飲み、感情豊かに笑ったり不満を口にしたりする深雪に――ハグをした時と同様胸に温かい何かが感じられて胸に手を当ててみた。体表に熱があるわけではない。

 

(やはり内側か。だが内臓に負担があるようには思えない)

 

達也は今日も自動修復をする怪我を負い、元に戻っている。それは内臓に至るまですべて丸ごと瑕疵の無い体に戻っているはずだ。

手を当てたのはほんの二秒ほどだが、深雪は少し首を傾げただけで何も問わなかった。

ただにこりと微笑んで、お茶を飲み、なんてことないように口を開く。

 

「嬉しい時間も、楽しい時間もあっという間に過ぎてしまうものですね」

 

これが最後の一口です、と焼き菓子を口に運んでもう一度紅茶を飲む。

ただ、それだけの行動に、達也は天啓を受けたような心地がして目を伏せた。

 

(そうか、そういうものなのか)

 

人は感情によって体感が変わるらしい。

学校に通って一般の子供に触れて知識として知っていた。

夏休みが短い、と嘆く声が休み明けには多く聞かれ、勉強の時間は長く休み時間は短いと文句を言う子供たちの様子に、何を言っているんだと思っていたものだが、まさかそのようなことを自分が体験することになるとは思わなかった。

 

(見るだけで十分だと思っていた。こうして話しかけてもらえるだけでも身に余ることだとさえ思っていた。だからハグのような触れ合いに恐縮する思いだったのだが、その反面、俺は喜んでいたのか)

 

深雪に受け入れられてもらえることを、触れることを許してもらえることを、嬉しいと感じていたのだ。

 

(まだ、ここが温かい理由はわからないが)

 

達也は今一度胸に手を当てる。

ぬるま湯のように温かい。不思議だと思えど忌避感は全くない。

 

「ああ、そうだね」

 

時間があっという間だという言葉に同意を示す。

このお茶の時間も三十分あったというのに短く感じられるのはおかしなことではなかった。

ぎこちなく、ではなく自然に口角を上げる兄に、深雪はそっと祈りを捧げるように胸に手を当て微笑む。

心から嬉しさが溢れんばかりなのを堪える様に。

抑えながらも兄の変化に、成長に喜んで感謝を奉げる。

 

(お兄様、これからたくさん、嬉しいと思えることを増やしていきましょうね)

 

これから皆で幸せになるのだ。

その願い(想い)は日に日に強くなっていく――。

 

 

――

 

 

「おかえりなさいませ、お兄様。そしてただいま帰りました」

「おかえり深雪。そしてただいま」

 

玄関に入ってすぐ、達也は妹を抱きすくめた。

それだけで一日の疲れが無くなるような心地がした。

腕の中の深雪がくすくすと笑う。

 

「今日もお疲れさまでした」

 

その微かな振動がくすぐったかったことと、ほんのわずかな不服さを訴えるように少し力を強めて抱きしめる。

 

「まったく、笑うなんて深雪は酷いな」

「お兄様を笑ったわけではございませんよ」

「どうだかな」

 

新歓週間は終わったはずなのに、達也はこの日も未だクラブ勧誘に追われていた。

深雪はそれらを自分が兄の身体能力や技師としての能力をばらしてしまったからだと責任を感じていたようだが、達也にとってそこは大した問題ではなかった。だからその件については謝る必要はないとすでに伝えてあり、深雪もそれ以降申し訳なさそうな姿を見せることはなかった。

別に本家からは能力を隠せとは言われても実力を隠せとは言われてなどいない。とはいえ目立つな、というのは暗黙の指示ではあっただろうが、深雪が目立つ以上、兄が巻き込まれないはずも無く、深雪を守る以上目立つのは仕方のないこととも言えた。

達也が一番に守らなければならないのは深雪であって本家の指示ではない。

 

「ただ、嬉しいのです。お兄様が人気者で」

「人気者というより珍獣の捕獲に躍起になっているようだが」

 

人気者、とは聞こえがいいがギラギラとした目で追いかけまわされる様は一獲千金を狙うハンターたちと、その狙われる獣のようだと達也は思ったのだが、そう言うと深雪はまあ!とさらに笑う。

 

「お兄様が珍獣ですか?確かにお兄様は唯一無二の珍しさはありますが、ふふ」

 

深雪は自分の考えたことがおかしくて吹きだしてしまったのを兄の方に顔を埋めて隠そうとしたが、腕の中でその小刻みの震えが隠せるはずも無く。

 

「深雪さん、一体何がそんなにおかしいのかな?」

 

俺に教えてくれないか、と背中をポンポンと叩かれ、深雪は顔を上げた。

そのキラキラと輝く楽しそうな顔がとても眩しくて、達也は目を細めて見つめ返す。

 

「お兄様をお世話するには何が必要かしら、と思ったらおかしくなってしまって」

 

実際に珍獣として飼うことを考えたらしい妹に、今度は達也が笑う番だった。

 

「深雪が俺を飼うのか?俺の世話は大変だぞ」

「あら、そうなのですか?」

 

もうとっくに三十秒のハグは終わっているというのに、会話に集中して気づかぬ妹をしれっとそのまま抱き込んで。

 

「適度な運動は自分でやるが、舌が肥えてしまったからな。美味い食事とハグは必須だな。それから温かな寝床か」

 

冗談めかして要望を述べる達也だが、実際のところこれが無ければ生きる価値が無いとさえ思ってしまう。

深雪がいるだけでも生きる理由にはなるが、そこにこうしたご褒美が加わることで生きている楽しみが生まれることを知ってしまった。

人は貪欲だ。一度味を知ってしまえばもう後戻りなどできない。

奪われてばかりいた人生だが――もう、二度と奪われたくはない。

兄の目から光が薄くなったことを敏感に察した深雪は手を伸ばして頬に触れる。

 

「それだけでよろしいのですか?」

 

じっと、兄の目を見つめる。つぶさに変化を見逃さないように。

対する達也は、それだけ、と言うがそれがどれだけの価値があることなのかと考える。

深雪手ずからの料理など、どれほど金を積んだとしても手に入れられるものではないというのに。ハグだってそうだ。深雪から与えられるすべてが値段のつけられない物ばかり。

その恩恵を受けられる自分は世界一幸せ者の兄だという自覚があった。だからこそ、失うことを恐れてしまい、腕に抱く力を強めてしまいそうになるのを堪えながら、どうやってこの幸せを守ろうかと様々な排除計画を脳裏に巡らせることで、不穏な空気が垂れ流されていることに達也は気づいていなかった。

無自覚の殺意にも似た感情に、これ以上思考の海に沈めてしまってはいけない――。深雪は一度固く目を閉じてからしっかりと兄を見つめる。

 

「たっぷりの愛情と、おやつと甘やかし。…もちろんしつけも必要でしょうけれど」

 

最後の一言は慌てて付け加えたのは兄から洩れる気配が変化したから。

深雪はこの、兄の醸す夜の雰囲気に似た空気が苦手だった。先ほどの殺意にも似たドロドロとした感情も苦手だ。でもそれに関して言えば自身に向けられたものではないのでさほど恐ろしいとは感じなかった。でも、夜の雰囲気は違う。ゾクゾクと背中を撫でられる感覚に、深雪は慄いていた。

けれどそんな怯えなどおくびにも出さないのは、何時までも兄に弱いところは見せられないという妹の矜持だ。それだけが今の彼女を淑女として支えていた。

対する兄はと言うと、掛けられた言葉に感銘を受けていた。

胸が震えるとはこういうことかと実感する。

 

(深雪はいつだって、俺に与えてくれる)

 

欲することを知らなかった自分に愛を、幸せを与え、教えてくれる。

ただの、戯れのつもりの冗談だったのに、ふいにこうして達也の奥底に眠る感情を突き刺しに来る。

それが、たまらなく嬉しかった。

 

「深雪になら、喜んでしつけられたいものだが、俺は手癖が悪いからな」

 

だが、それをそのまま直接深雪にぶつけてはきっと重いだろうからと空気を和ませようとするのだが、彼は自分の醸している空気を読むことには疎かった。

そして、自分の発言が危ういことに一切気付いてもいなかった。

司波達也、同世代よりも大人といる時間が多く、ストレスがたまる軍部でそういった軽口を叩いて気を紛らわせる大人が多い環境で育ったことによる弊害だった。

雰囲気と言葉により耐え切れなかった深雪は顔を真っ赤にし、兄に寄りかかって顔を隠したのだが、鈍感な兄はそこまで気付かず、甘えてくれていると勘違いしてその背を撫でて幸せに浸っていた。

 

彼らの下には、こんなところでイチャイチャしていないで早く家の中に入ってくださいと突っ込んでくれる家族がまだいなかった。

 

 

――

 

 

「深雪」

「し、失礼します…」

 

くすくすと笑う兄に、深雪はうう、と口を尖らせつつ広げられた腕の中に納まった。

シャッターが下りるように抱き込まれる。

身体が緊張したままの妹に、くすりと笑って。

 

「これも意識してもらえていると思えば嬉しいものだな」

「…私はちっとも嬉しくありません」

 

深雪は嘆く。

兄の腕の中と言えばいつでも安心できる場所だった。安全、とは言えないのは、時折戯れを起こして兄に意地悪をされることがあったからなのだが、今ではずっと意地悪をされているような気分になって安心もできずにいた。

これは少しずつ兄に慣れる為に訓練として深雪から触れる練習をしているところだった。

次期当主として発表され、当主の息子となった兄と婚約者となって変わったのは立場だけではなかった。

達也が深雪に対し恋情を自覚し、告白したことで二人の関係が変わったのだ。

ミストレスとガーディアン、兄と妹、そして返事を待つ男と、返事に悩む女。…しかし返事の内容はほぼ決まっている状態なのは明白で、気持ちの整理を待っている、というのが現状だ。

だから兄は余裕を持って待つと言っているのだが、その割に距離を縮めようと画策していたりする人の悪さがあった。

 

(深雪にしたら待たせて申し訳ないとか思っているのだろうがな)

 

開き直った達也は虎視眈々とその時を狙っているのだが、大事な兄を待たせてしまっていることに罪悪感のある深雪はそれに気づけない。

今日もまた、兄の術中にはまっていることになど気付かず、ただ己の羞恥に耐えていた。

おずおずと手を伸ばし、自身も達也の背に腕を回し身体を密着させる。

以前は当たり前のようにしていたことも、今では心臓がうるさいほど騒ぎ、緊張してしまっていた。

だが、必死なのは深雪だけではない。

達也もまた水面下で必死だった。

深雪が自分を好きなことはすでにわかっている。だが、長年兄妹として過ごしてきたことが彼女を常識に縛り付けていて殻を破れないでいた。

それは仕方のないことだと達也も理解している。自分のように自覚したからといって振り切れるわけではないのだ。

ただ、達也の立場上深雪を得られる機会などあのタイミングを逃したらありえず、婚約者と認めた後も深雪が本命を見つけるようなことがあれば破棄される可能性があったので早々にモノにする必要があった。

幸い他に好きな男もいないことはわかっていた。自分が一番好かれている自信もあった。そして自分たち兄妹には結婚できない理由が無いとわかった以上することは一つだった。

達也は今でもあの夜の決断が間違いではなかったと認識している。

 

(深雪も嫌そうではなかったしな)

 

何よりもそこが重要だった。

深雪の想いは多分、俺にある。それが確認できたことが一番の成果だった。

俺の為に作られた女の子だからではなく、彼女の意思で選んでもらう。…たとえ、このように逃げ道を塞いでその道しか選べないようにしてでも――。

だから、焦らず地道に彼女が堕ちてくるのを待っているのだが、これがなかなかにきつかった。

 

「可愛い」

「!!もう、すぐにそういうことを言うのはお止めください」

 

腕の中でもじもじとしてしまう深雪につい思いが溢れて言葉をこぼすと、深雪を怒らせてしまう。

とはいえこれは照れ隠しだとわかっているのだが、それがまた可愛くてたまらない。

愛おしい、と、口付けたくてたまらないのに今手出しをしたら深雪は逃げ出してしまうだろう。

待つ、と言って一度手を出したことで信用を失いかけた達也はこれ以上深雪を追い詰める事だけはできなかった。

約束を絶対に守る。今度こそ深雪の合意なく手は出さない。

そう誓ってしまった手前、いくら可愛くても手を出せないのだ。

思春期真っただ中、男子高校生には最も厳しい修行だった。

飢餓の状態で目の前にフルコース、満漢全席が用意されているようなものだ。

匂いを嗅ぐだけで我慢をするというのは何もない状態よりも過酷なものであった。

 

「悪かったよ。今は心の中だけで思うようにする」

「…もう、お兄様ったら」

 

ぷしゅ~、と音を立てるように力を抜いて達也の胸に頭を預ける深雪に、無意識に支えるように腕を回す達也だが、そのまま首をもたげて項に舌を這わせようとしていたのを直前で気づき慌てて止めた。

 

(…危なかった…)

 

せっかく落ち着いた深雪をまた警戒させてしまうところだった、と己の理性のひもを結びなおし、また修行に戻る。

しばし抱き合い、徐々に互いの心音が重なるようになって頭を上げて二人視線を絡め合い――

 

「いいか?」

 

兄の懇願する言葉に、妹は震える瞼をゆっくりと下ろして自然と顎を上げる。

 

 

色々と耐えきり我慢したご褒美をもらう兄と、兄のお願いに少しでも応えようとする妹は次第に距離を詰め――二人の影は重なった。

 

 

――

 

 

「お兄様――、達也様、少しだけ、よろしいですか」

「少しだなんて、そんな寂しいことを言ってくれるな」

 

夜遅く、次の日も早い平日の夜。

ノックと共に現れた深雪に、達也は作業の手を止めて中に招き入れた。

 

「お忙しいのに申し訳ありません」

「構わないよ。おいで」

 

まだ寝巻も着ていない達也はパジャマ姿で現れた深雪にもうそんな時間だったのか、と没頭していたことに気付かされた。

恐らく深雪はそれを心配してこうして来てくれたのだろう。

 

(それも、達也、と呼ぶからには――)

 

遅い時間に押しかけても、深雪からは強引さは全くなく、そっと寄り添うように身を寄せて、ふわりと抱きしめられたので極力達也も同じだけの力で抱き返す。

淡い期待を抱きながら達也は今までの作業を強制終了させて明日に回すことを決めた。

どのみち深雪がこうしてきたことで作業などできようはずもない。手につくはずも無かった

 

「また、俺は無理をしてるか」

「達也様は真面目ですから」

 

集中してしまうと没頭してしまうのは何度失敗しても直せないらしく、こうして深雪が気にかけるようになった。

 

「ありがとう」

 

意図をもって腰を撫で少し力を込めて抱きしめれば、深雪の頬に朱が走る。

自分から仕掛けても、こうして初々しさを見せる深雪に、改めてその可愛さに骨抜きにされる思いの達也なのだが、そのことに深雪は気づかない。気付く余裕が無い。

 

「このままゲストルームに向かいたいところではあるが」

「そ、れは明日に影響を及ぼしてしまうでしょうから」

「ふっ、わかっているよ」

 

そう言いながらも達也の手は深雪の腰に這わせたままで、深雪が耐えるように俯いて震えていることに気分を高揚させていた。

しかし、深雪もやられっぱなしではない。

いたずらをする手の甲を捕まえて。

 

「次をやったら凍らせてしまいますよ」

 

持ち上げて口付けておきながら、深雪は冷えた手でその手を包み込む。

ぞくり、と達也の背筋に走ったのは恐怖とは全く別物であったが、それは抑え込まなければならないらしいことは彼女の纏う想子が教えてくる。

 

「深雪も大概悪女だな」

 

期待させるだけさせておいて突き落とすような行動は正に悪女そのものであるが、彼女が悪女をする時は誰かの為であり、達也の為であることはわかっていたのでがっくりと大げさに肩を落とした。

それをころころと笑い、慰めるようにもう一度背に手をまわして抱きしめて。

 

「ふふ、時には翻弄しなくては、達也様にすぐに飽きられてしまいますでしょう?」

「俺が?お前に?ありえないな」

 

むしろ面白みのない俺の方が捨てられそうだ、と口にしながら離さないとばかりに抱き上げた。

 

「きゃっ」

「しっかり掴まっていなさい。少し片づけてから寝室へ行こう」

「それでしたら下ろして作業した方が早いでしょう」

 

深雪の正論は、しかしこの状態の達也の意思を変えることはできなかった。

 

「一度手にした深雪を離せるほど、俺に余裕はないよ」

「…もう、達也様ったら」

 

こうなっては頑固な兄は言うことを聞かない、ということを深雪は身に染みて理解していたので、せめて負担にならないよう兄の体にしがみつく。

それは同時に兄を喜ばせることになるのを深雪は気づかない。

片手ですべて片付け終えるとまっすぐと寝室へ。

 

「深雪、もう一度ちゃんとしたハグをさせてくれるか」

 

するっと深雪を床の上に下ろし、ハグを要求する達也に、深雪は少し恥じらいながらも手を広げた。

抱きしめてから気付く、己の疲労感に改めて自身の状態。

この腕の中のぬくもりをずっと抱きしめていたい。

 

「お疲れ様です、達也様」

「うん…みたいだ」

「ふふ、実感できてきたようですね」

「急に体が鉛のように重くなった」

 

その答えにくすくすと笑う深雪が愛らしい。

寝ぼけかけている頭でそう考えた達也はもう一度深雪を抱えてベッドに向かい、一緒に横になろうとするのだけれど、

 

「お、お待ちくださいお兄、達也様!着替えませんと」

「…もううごきたくない」

 

半眼になっている覆いかぶさっている達也に、深雪はこんな時だというのに胸をきゅんと高鳴らせた。口を開くのも億劫といった感じで今にも寝てしまいそうだけれど、そのままの恰好で寝るのは体が休まらない。

 

「お手伝いさせていただきますからあと少しだけ頑張ってくださいませ」

 

まずは着替える服を取ってまいりますので離してくださいと伝えるのだけれど、いやいやと首を振られる。

可愛い。幼く見える仕草が可愛いがすぎる。深雪は悶えそうになるけれど、己を叱咤し身体を押し退けようとした。

 

「達也様、一緒に寝る為です。ね?」

 

ちょっとあざとすぎるかな、と思いつつも精いっぱいのおねだりをする深雪に、達也はかわいい、と口付けをしようとするので慌ててその口を覆って押し返す。

 

「む」

「もう、お兄様!」

 

お戯れはよしてください!と今度こそ深雪が怒ったように言えば、寝ぼけたように動いていた達也がばれたか、と身を起こした。

 

(…もう…あと少しで騙されて流されるところだった…)

 

確かに達也は疲労してぐったりとしていたが、意識ははっきりしていた。

達也なりのちょっとした悪戯だった。このまま流れてもよし、流れなかったとしても慌てる深雪の可愛さに癒されるもよし。残念ながら見破られたが、恋人の戯れとして構ってもらえたことで大分楽しませてもらった達也はのっそりと身体を移動させて寝巻を取り出すとその場で服を脱ぎ、適当に畳んで半裸のままベッドへ戻ってきた。

 

「お、お兄様!?」

「手伝ってくれるんだろう?下は履いたから、あとは頼む」

 

裸なんてすでに見慣れているだろうに、体を起こして真っ赤にした顔を覆う可愛い妹に近づいて続きをお願いする。

 

「うう…カッコいい…」

 

パジャマを受け取って広げながら呟く深雪に苦笑を堪えきれず体を震わせた。

こんな傷だらけの体を見て、怖がるどころか見惚れてくれるとは、深雪の趣味は変わっている。

だが、そのおかげでこうして楽しい時を過ごせているのだからそのおかしな思考に感謝ではあるのだが、と達也はとりあえず深雪がやりやすいように背を向けた。

すると背後からホッとため息が聞こえてたが、今度は何とか笑いを堪えて着せてもらえるのを待った。

先に袖を通されて、と順調に羽織らせられた達也だが、ここで予想外のことが起きた。

深雪が背中から腕を回して抱き着く形でボタンを締めだしたのである。

これには達也も心臓が不審な動きをしだすのを抑えられなかった。

不意打ちもいい所だった。深雪の柔らかい体が背中に触れる。そこから彼女も心音が早いことがわかる。

…そんなに恥ずかしいと思うなら、こんなことまでしてくれなくてもよかったのに、と過らなくもないが口には出さなかった。口に出して止められてはたまったものではない。こんなサービスが今後も受けられるかなんてわからないのだから。

達也もそういう意味ではまだ十代。駆け引きよりも享受を選んだ。

そして、最後のボタンが留め終わると、深雪は精魂尽き果てぐったりと身体を達也の背に預けた。

柔らかな体が押し付けられ、達也は(これは寝るどころではなくなったんだが)と考えるも、深雪のこの状態では叶わないだろうとスッと精神を切り替えて体を反転、深雪の身体を抱き留めてそのまま横に倒れる。

 

「ありがとう。これでゆっくり寝られるな」

 

腕の中に閉じ込めた深雪は自身でしでかしたことだというのにぐったりとしていて、その様が色っぽく見えたがぐっとこらえて布団をかける。

 

「おやすみなさいませ、お兄様」

「ん、おやすみ」

 

額にキスを落して抱きしめ合いながら眠った。

 

 

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