第1章 怪物と男の子
グリモールド・プレイス12番地から少し離れた場所に屋敷が建っていた。
屋敷の庭ではブラック家を中心に黒いローブやドレスを着た風変わりな人達が宙に浮かぶ楽器が奏でる音楽に乗って優雅に踊り、貴族のような立ち振る舞いで話に花を咲かせていた。
集団の中心にいるブラック家は他とは違う空気を醸し出しており、傍から見ればまるで王族のようであった。
そのブラック家の当主、オリオン・ブラックは見た目が短く切り揃えた黒髪と黒緑の目で若そうな割には何を考えているか分からない面持ちで自分に話しかけてくる人達と一言、二言交わしていた。
オリオンの妻、ヴァルブルガ・ブラックは夫と同じ黒髪に百入茶色の目をしており厳格そうな顔つきで自分の周りに集まっている者たちと喋りながら誰かを探しているようであった。
ヴァルブルガは小さな子供を抱えていた。
両親と同じ黒髪に母親と同じ百入茶色の目を持っており3歳弱のようである。
子供は母に話しかけてくる大人達を見てキャッキャと愛らしく笑っていた。
子供の名前はレギュラス・アークタルス・ブラック。
ブラック家本家の"次男"であった。
「貴方、あの子が見当たらないわ。どこにいるか知らない?」
ヴァルブルガは長男が見当たらないとオリオンに話しかけた。
オリオンは妻の言葉に怪訝そうにしながらも
「いや、私は見ていないな。君が見ていると思っていたが?」
「えぇ、私が見ていましたとも。
こんなに人が周りに群れていなければ目を離すこともなかったかもしれないわね。」
ヴァルブルガは夫の物言いに少し不機嫌になったようで、ただでさえ厳しいそうな顔をさらに引きつらせていた。
「ヴァルブルガ、オリオン、何か困り事でも?」
夫婦の背後から声をかけながらゆったり歩いてくる人物がいた。
少し乱雑に切られた短い黒髪に濃い黒紅色の目をしており、オリオンと同じくらいの背丈の男だ。
彼はアルファード・ブラックと言いヴァルブルガの弟である。
「あぁアル、ちょうどいいところに来たわ。
あの子を探していたのだけど、見かけたりしなかった?」
「ん?あの子なら少し前に森に入っていくのを見たぞ。」
自分が産んだ兄弟のうち、長男が懐いている我が弟が来たことで少し機嫌が戻ったのかヴァルブルガがアルファードに尋ねると彼はあっけらかんとした口調で答えた。
するとヴァルブルガの目がみるみるうちにつり上がり次の瞬間には庭だけでなく屋敷全体に響くぐらいの声量で叫んでいた。
「何ですって?!」
彼女が大声で怒鳴ったのと同時に周りの人達が持っていたグラスが激しい音を立てて割れた。
グラスが割れ悲鳴をあげる者と怒鳴り声に驚きブラック家の方を振り向く者で場は一瞬で騒然となっていた。
ヴァルブルガは周りの様子には気づいていなのか、はたまた気にする余裕もないのかアルファードに詰め寄っていった。
「森の中に入っていったですって?!貴方!見ていたのなら何故止めなかったの?!
何かあったらどうするつもりなの!!!」
ヴァルブルガは感情に任せ弟を怒鳴りつけていると体裁を気にしたオリオンが流石にこれ以上は、と止めに入った。
「ヴァルブルガ、少し落ち着け。」
「落ち着けですって?!落ち着いていられると思っているの?!」
「頭を冷やして周りを見ろと言っている。…これ以上恥を晒す気か?」
オリオンの冷たい目と周囲の目に咎められヴァルブルガはそれ以上喉から出かかった言葉を飲み込んだ。
だがその目は相も変わらず弟を睨みつけており、アルファードは嫌な寒気がした。
「と、とりあえず落ち着こうじゃないか。
あの子だってまだ子供とはいえそこらの子供よりかはよっぽど賢い。
流石に森の奥深くまで入っていくことはしないだろう…」
「貴方は!何も分かっていないわ!」
アルファードは気休めのつもりで言ったのであろうが逆にそれがヴァルブルガの逆鱗に触れてしまったようだ。
「ヴァルブルガ。」
いい加減にしろとでも言うような目線で睨みつけられればヴァルブルガはそれ以上何も言えなかった。
オリオンとヴァルブルガ、2人は夫婦である前にブラック家当主とブラック夫人なのである。
当主に逆らうのはまずいというのは何も知らない一般人でも火を見るより明らかであった。
「…とにかくあの子は誰かに探させることにしよう。アルファード、お前も探しなさい。
元はと言えばお前が森に入る前に止めていればこうはならなかったのだからな。」
オリオンはヴァルブルガがやっと口を閉じたタイミングで周りのものに指示を飛ばし始めると共に空気と同化し始めたアルフォードを睨みつけて言うとアルファードは溜息をつきながら渋々といった風に頷いた。
「はぁ…。ったく、分かりましたよ。けど、そんな探す必要あるのかねぇ。
この別邸近くの森に危険な生物なんて居やしないぞ。」
そういう問題じゃない、とヴァルブルガが口を開こうとすればオリオンに目で黙るように責められ、弟と夫に対する不満を募らせながら気持ちを落ち着かせるように息を吐き小さく呟いた。
「まったく…どこまで行ったのかしら"シリウス"は…」
「…痛い」
さて、場所は変わりブラック家別邸近くの森の奥ではブラック家の嫡男シリウス・ブラックが地面に蹲り手をさすっていた。
シリウスはパーティの嫌な空気に耐えきれなくなり森の中へ逃げてきた訳だが奥の方に行かなければすぐに連れ戻されると考え、大人達が想定している深さよりももっと奥の方まで歩いてきていたのだ。
だが、奥の方へ行けば行くほど木の根が見えなくなるほど草が荒れ、先程足が根に引っかかり盛大に転げ手を擦りむいたわけである。
「…もういいや…。」
そう言ってシリウスはもう歩く気力すらないのか地面にごろんと仰向けに寝転がると木の葉で覆われた空を見上げながら思考を放棄した。
空は青く、木の葉は風に揺れその音が心地よく太陽も木の葉に遮られ眩しいと感じる必要もない。
静かな空間が荒れていたシリウスの心を沈めてくれた。
「大丈夫かい?」
その声が聞こえるまでは。
「?!」
シリウスは慌てて飛び起きると声がした方向を振り向いた。
この声の主が両親の知り合いならば確実に二人に突き出される。
その時、どんな恐ろしい目にあうか分かったものでは無い。
...この前、無断でマグルの街に探検に行ったあとのことを思い出してシリウスは小さく震えていた。
だが、シリウスが振り向いた方に人はいなかった。
人の代わりに怪物がいた。
黒い鱗に覆われた巨体を黒い翼を地面につかせることで支えながら紫色の目でジッとシリウスを見ていた。
本でしか見たことのないヘブリディーズ・ブラッグ種という竜が目の前にいた。
⎯⎯⎯⎯⎯…今、この竜が喋ったのか?
シリウスは頭の中でそんな馬鹿げた考えを否定しながら1歩も動けなかった。
動けなかったが不思議と恐怖はなかった。
竜は固まって動かないシリウスを見ていた。
いや、シリウスの返事を待っているようであった。
竜が喋るわけがないと言うのに。
だが、しばらくの睨み合いの末、
「血が出ている。大丈夫かい?」
喋った。
今度こそ、はっきりとシリウスの目の前で真っ黒な竜がその口から鋭く大きい牙を覗かせながらヒトの言葉を喋った。
シリウスは信じられないという面持ちで竜を見たが、反射的に言葉を返していた。
「だ、大丈夫…。ちょっと転けて擦りむいただけだから…。」
「だが痛そうにしていた。回復するのも遅い。疲れているんじゃないかい?」
確かにシリウスは疲れていた。
まだ5歳のシリウスに森の奥深くまで来るための体力消費は意外とキツかったようで傷を治す気も起きなかった。
「まぁ、確かに、疲れてるけど…。でもそんなに痛いわけでも血がたくさん出てるわけでもないから…っ!」
話をしている間に手の傷にヒリっと何かが染みる感覚がして手の方に目線を落とせば紫と桃色が混ざったようなザラザラとした舌がシリウスの手の傷を舐めていた。
傍から見れば竜が小さな少年を喰う前の前菜で舐めているようにしか見えないが、竜が舐めた後の手を見ればそこに先程まであったはずの傷が消えていた。
「我ら竜の唾液にはちょっとした癒しの力がある。かすり傷程度なら少し舐めるだけで治すことができるのさ。」
竜は少し得意げな顔で(少なくともシリウスにはそう見えた。)そう言った。
「…ありがとう。」
竜と喋っているという奇妙な体験をしているにも関わらず、少しはにかんだ笑顔でそう返したシリウスを竜はまるで我が子を見るような目で見つめていた。
「…む?」
その時だった。
竜が遠くの茂みを睨みつけると茂みから人が杖を構えながら飛び出してきた。
「シリウスッッッ!!!」
アルファードだ。
アルファードはシリウスを竜から慌てて引き離すと竜に杖を向け呪文を放った。
「コンジャクティヴァイティス・カースッ《結膜炎の呪い》!!!」
結膜炎の呪いが竜の目に命中すると竜は悲鳴ともとれる雄叫びをあげ、アルフォードがいた場所に向かって右翼で叩きつけた、が。
「ステューピファイ!」
アルファードは既に移動しており見当外れな場所に攻撃をする竜に失神呪文を放った。
だが、相手は竜だ。
たかが1人の魔法使いが放った呪文など竜の鱗に通用するはずもなく竜は呪文が放たれた場所、すなわちアルファードのいる位置を睨みつけ唸り声をあげた。
竜は結膜炎の呪いを当てられ目が見えないはずだが匂いで呪文が飛んできた場所を察知し、アルファードに向かって口を開けた。
炎を吐く気なのだ。
「ステューピファイッ!!!」
しかし今度はアルファード達のいる位置とは真反対の場所から数多の失神呪文が飛んできた。
竜の雄叫びを聞きつけ姿現わしで飛んできたオリオン達であった。
「アル!シリウスを連れてここを離れなさい!」
ヴァルブルガが叫ぶとアルファードはシリウスを抱き抱えながら素早くその場を離れた。
「あっ…」
シリウスは目の前で起こった光景に唖然としていたがアルファードに抱き抱えられ竜からどんどん離れていくとようやく理解してきたようであった。
その時、シリウスが最後に見た竜は怒り狂ってその場にいた魔法使い達を炎で焼き殺そうとする姿だった。
「さぁおぼっちゃま、ここまで来れば安心だ。」
屋敷近くの森出口まで逃げるとアルファードはシリウスを下ろして言った。
「それ、やめて。」
シリウスはおぼっちゃまと呼ばれたことが不満らしくぶすくれた顔でボヤいた。
アルファードはそんな甥っ子が可愛いらしく笑いながらシリウスの頭を撫でくりまわして謝った。
「すまんすまん。
つい、な?」
シリウスは頭を撫でくりまわしてくる手をぺちぺちと払うと竜の鳴き声がする方向を向いた。
「…あの竜は?」
「竜なら大丈夫。ヴァルブルガ達がしっかり追い払ってくれるから。」
シリウスとしては竜の身の安否を心配したつもりだったのだが、アルファードは竜を怖がっての発言だと捉えたのかシリウスを安心させるように言った。
何も安心出来なかったが。
「…あの竜は人に慣れてた…。」
シリウスがそうつぶやくとアルファードは険しい顔をしながら甥の言葉を否定した。
「シリウス、それは違う。
竜は人に慣れることも懐くこともない、獰猛な生き物だ。
人に慣れているように見えたならば、それは人の狩り方を覚えた知能が高い個体だったんだろう。」
⎯⎯⎯⎯⎯まるで叱られているような気分だ。
シリウスは納得がいかないようで地面に視線を落としたその時。
空の方から聞いたこともないような遠吠えのような声が聞こえた。
シリウス達は慌てて上をむくとちょうど竜が2人の頭上で旋回し飛び去っていくところであった。
アルファードは杖を構えていたが竜が飛び去っていくのを見るとホッとしたように杖を懐にしまった。
「…バイバイ」
シリウスはアルファードに聞こえないように小さく呟いたつもりだったが竜には彼の声が聞こえたのか、遠くへ飛んでいきながらもう一度遠吠えを上げた。
その時、森の方から叫びながら走ってくる両親が見えた。
シリウスの中のナニかが黒く、沈んでゆくのを感じた。
きっとこの後はいつもより酷い目に遭うのだろう。
シリウスは自分の名前を怒りながら叫ぶ両親を無視して少しづつ、少しづつ小さく、しかし、自由に飛んで行く竜を見ながらアルファードに言われたことを思い出し、自分に言い聞かせるように言った。
「…じゃあ、あれは竜じゃない。」
⎯⎯⎯⎯だって、あの生き物は両親が自分を見る目とは比べ物にならないほど、優しい目をしていたから。
―――あの怪物は誰よりも自由だ―――