首輪が外れるその時に 作:dekunobou
幕間:ベッドの下のひみつ/琥珀色のまなざし
この世界に目覚まし時計はまだないらしい。最初はちゃんと朝に起きられるか不安だったけど、夜明けの鳥の囀りで起きてしまうのが続いている。まだ完全にメンタルが落ち着いていないからだろうか? まあ、そもそも律儀に起きる必要はないんだけど。
なぜなら、今のおれはニートと呼んで差し支えないからだ!
……社畜生活との温度差で風邪ひきそう。秋も深まってきたから気をつけないとね。
ここ数日、朝起きてご飯食べて散歩して、お茶してお昼寝して晩ご飯食べて寝るだけの生活。強いて言えば、お茶や食後にハミルトンさんとお話しするのがお仕事って呼べるかな。よく、あっちの世界のこととか、日本について喋ってる。お願いされてお話ししてるんだから労働だよな……? ちなみにこっちじゃお昼ご飯はあんまり食べなくて、お茶の時のお菓子や軽食がその代わりって感じらしい。昼休みにラーメン屋駆け込んで大盛り食ってたのがもはや懐かしいぜ……。まあ、運動なりお仕事なりしてないから全然これで足りるんだけど。
昨日の晩は、ハミルトン家が持っている蒸溜所のウイスキーを飲ませてもらった。角瓶とかを想像してたらかなり煙臭くて驚いたけど、そのインパクトの奥に甘みや樽のいい香りが隠れてて美味しかったです。これには蒸溜所見学への期待も鰻登り。お土産とか買っちゃおうかしら。お金は……ツケでなんとかなんないっすか。これでも使い魔なんですけど。
ただ、お酒を飲むと、近くなるものがあるね。夜とかね、それで目が覚めちゃったりするよね。
そんな実のないことを考えつつ、布団の中でぬくぬくと微睡を堪能してたら、シャーロットさんがカーテンを開けに来た。どうやらモラトリアムは終わりらしい。惰眠を貪り続けるのもなんか違うと思ったので、朝起きる時間になったらカーテンを開けてくれって頼んでいたのだ。ウオッ眩し。
そして、ベッドのすぐそばで物音がしたから横目で見てみれば、シャーロットさんよりもうちょっと若いメイドさんが、中身入りの
……この世界にはね、個別のトイレはあんまりないんだって。こういうのが割と普通なんだって。ちなみにあれ、チェンバー・ポットって呼ぶらしいよ、かっこいいね。とりあえず、当分お酒は控えようとおもいました。カルチャーショックの波状攻撃に、おじさんもうボロボロ。
「おはようございます、使い魔さま」
「あ、おはようございます……」
「お召し物をご用意いたしました。お支度が整いましたらお呼びください」
どうやら、起きているのはバレバレだったらしい。ベッドの脇で深く腰を折ったシャーロットさんと朝の挨拶を交わす。とりあえず、布団から抜け出すことにしますか。日本で使ってた寝具より数倍上等なこのベッドからの脱出、本音を言えばかなり名残惜しい。でも使用人の方々の仕事を増やすのも申し訳ないので、おれは覚悟を決めて身を起こした。
革製のサンダルを履いて立ち上がると、ひんやりとした秋の空気を感じる。このお屋敷は全体が石造りだからか、冷気がダイレクトに伝わるらしい。どおりでハミルトンさんのお母さまは離れで療養してるわけだ。そっちは木造かつ新しい造りで冬も暖かなんだそう。まだ秋でこの感じでしょ。冬、嫌だなあ。日本より寒そうじゃん。
毛皮があっても寒いもんは寒い。腕をさすりながらドレッサーの前に座って、引き出しから歯磨きセットを取り出す。木製の柄に馬——こっちへ来た初日に見た、あのツノが生えたやつは馬で合ってたらしい——の毛が植えられた歯ブラシ。それと瓶詰めの歯磨き粉。最悪、灰や塩なんかを想像してたから、これは嬉しい誤算。優しいミント系の味で結構嫌いじゃない。
朝のうちに取り替えられていた水差しから、コップへ注いだ水で口を濯ぐ。これがまた、今までと勝手が違って難しい。あんまり口に含みすぎるとこぼれてしまうのだ。水は目の前のボウルにそのまま吐き出す。陶器製の高そうなそれに吐き出すのはちょっと抵抗があったけど、これはもう慣れるしかない。そしたら、歯ブラシに歯磨き粉を適量つけて歯を磨く。こうしてると、異世界でも基本的な身だしなみは変わんないんだなと感じる。
ただ、目の前の鏡に映る、今の自分を受け入れるのは、結構時間がかかりそうだ。金と青の眠そうな目。ぎこちない手つきで磨かれる、人間離れした牙。顔の毛に寝癖がついて、斑点模様が渦を巻いている。短いけど意外と寝癖つくんだよこれが。
そして歯磨きが終わったら、同じくボウルへ吐き出す。最後にリネンのハンカチで口元を拭いておしまい。この世界にティッシュなんて無え。
お次に寝癖直し。ここでイザベラさんからのプレゼントのブラシ類が大活躍。髪の毛も体の毛も全部お任せあれ。え? 髪と毛皮の違いはなんだって? なんか毛質とか伸びる上限が違うんだってよ。聞いた話だけど。だからちゃんとブラシも使い分ける。髪の毛は、普通の人間用みたいなやつ。それ以外の毛皮の部分は、毛の長さや部位によって使い分けるんだって。めんどくせ〜と思いつつ、鏡と睨めっこして寝癖をやっつけていく。
まあ、こんなもんでしょ。これは今後の課題とさせていただきたく……。
そしたら朝の身支度最後の関門、お着替えパートワン!
クローゼットに並べられた、朝用ドレスが三、四着!!
どれも似たようなやつばっか……。
とりあえず無難そうなのでええやろ……。
あれこれ迷うのもめんどくさいし、どうせよくわからないので適当なやつを手に取る。今日は淡いグレーの君に決めた。理由はシンプル。これだけウール製で暖かそうだったから。
朝用というだけあって、ドロワーズにパニエ、コルセットなんかもつけない省エネ仕様。だけど女性としての経験値がまだ数日分しか無いもんで、なかなか上手に着れないんだこれが。あと、朝用という名に偽りなし。朝食が終わったらもう一度お着替えタイムが待っている。しかもフルセットの本気のお着替えだ。誠に意味わからん。部屋着ならジャージとかスウェットが着たいよ、おれは。でも、普通の人間用のドレスを、尻尾が出せるようにお直ししてくれたメイドさんたちに顔向けできないので我慢する。
脳内でぶつくさ言いながら、想像力を駆使してドレスを身につけていくが全然うまくいかない。なあにこれ。布が余ってらあ。
「……恐れ入ります。そのままですと、裾を踏まれてしまいます」
そんな、ドレス対おれの泥試合が見てられなかったのか、シャーロットさんが助太刀しにきてくれた。
「そろそろ、冬物を増やしましょうか?」
おれの選定基準が暖かさにあることがバレたのか、そんなことを訊かれた。
「そうですね……まだちょっと、こちらに慣れてないので、もう少し暖かいのがあれば嬉しいです」
「承知いたしました」
布の擦れる音と、静かな会話。その合間にテキパキとおれの敗戦処理が進んでいく。
「前を整えますね。失礼いたします」
彼女はそういうと、おれの前に回り込んで、腰に巻かれた帯? を整え始めた。
おれの眼下で、白いメイドキャップが忙しなくしている。おれなんかよりずっと早起きしているだろうに、しっかりと整えられた身だしなみ。茶色い髪と、白い布のコントラストがまぶしい。
ふとこの時、彼女の服に初めて目が行った。シャーロットさんが着ているのは、いわゆるメイド服ってやつだ。ただ、コスプレみたいなやつじゃない。厚ぼったくて真っ黒なワンピースに、飾りじゃないエプロン。おれが身につけている、豪奢で装飾の多いドレスとは真逆の、実用性一点張りの服だ。……なるほど、これが彼女たちの
「さ、よろしゅうございますよ」
シャーロットさんの声に合わせて、姿見の前に立つ。
鏡の中には、古いヨーロッパの写真から出てきた貴婦人、といった出立ちのおれが映っていた。淡いグレーの、たっぷりとしたドレスに、同じくウールで織られたショール。少し体を動かしたりして、角度を変えて見てみる。黒い毛皮と白手袋柄も相まって、適当に選んだ割に馴染んでいる気がした。
「うん、いいね。ありがとうございます」
「恐縮でございます」
彼女は深く礼をして「アレンさまが食堂でお待ちです」とおれを促した。その声はすこし上擦って聞こえた。
* * * *
相変わらずのニート状態継続中。今日も今日とて何もすることがない。
湖のほとりの東屋から、ぼーっと景色を眺める。書庫から拝借してきた本は、表紙すら開いていない。
小さな桟橋に、陸に上げられた白いボート。湖に落ちた葉っぱの吹き溜まり。水鳥の群れ。湖面を滑って吹き付ける風が冷たい。何もできないのに時間だけが進んでいく。その焦れったい気分を冷やすにはちょうどよかった。
ちょっと前、散歩へ出たときに見つけたこの東屋だが、いい感じに水辺が近くてなかなか気に入っている。一度、もっと波打ち際まで歩いて行こうとしたら、シャーロットさんに視線で止められたのは内緒。服とか汚すなよ、って眼だったね、あれは。
そのシャーロットさんも今は不在だ。あの子も結構仕事があるそうで、一日中侍らせておくのも忍びない。しばらくここで読書したいと伝えたら、ブランケットをお持ちしますと屋敷へ戻っていった。……どうしよ。あの葦が茂ってるあたり覗いてみようか?
えいやと、腰を浮かせようとした時だった。耳慣れない女性の声がした。
「あなたがイザベラの新しいペット?」
いつの間にか、東屋の柱の間に女が立っていた。
……それよりいま、イザベラって言ったか?
おれは目を細めてその女を見る。
全体的なシルエットは、細く黒っぽい。そこへ濃い黄色のアクセント。明らかにこの世界の服飾品の文法から外れた装い。恐ろしいほど整った顔立ちに、二つの眼がぬらりと輝いていた。その色はアンバー。女は、豊かな巻き髪を風に遊ばせて、悠然と佇んでいる。
水辺のせいか、背筋が冷たい。
「なんのことでしょうか?」
おれはイザベラさんの言葉を思い出す。魔女にとって、名前は大切なの。簡単に口にしてはならないモノ。にもかかわらずこの女は開口一番、その名前を口にした。だからおれは、あえて何も答えない。
濃いブロンドの巻き髪を風に揺らして、彼女は微笑む。
「なるほどね」
そう呟いた後、瞬きの間に女の姿は消え去っていた。
おれは、あっけに取られるしかない。これだけ? 一体なんだったんだ?
残されたのは困惑と、背中の毛を湿らす冷や汗だけ。
しかし、だんだんと怒りが湧いてきた。
あ? なるほどってなんだこの野郎。なんか意味深なこと言えばいいとか思ってそうだな! だいたいね、人のことペットっていうの良くないと思いますよ! まあ似たようなもんですけどね! この首輪が目に入らぬかってな!
その日の夕食のあと、おれの唯一お仕事と呼べるかもしれない時間に、ハミルトンさんへ今日の出来事を話してみることにした。
「そうそう、湖沿いの東屋で、なんか蜂みたいな柄の服を着た方に話しかけられたのですが、どなたかご存知でしょうか?」
おれはなんの気なしといった感じで話題を切り出すと、紅茶を一口飲んだ。これスタンリーさんが淹れてくれるんだけど、絶品なんだよね。ペットボトルとかの市販品なんか目じゃない。土俵が違うって? それはそう。
「は、蜂、ですか?」
ハミルトンさんは少し間の抜けた声を上げると、わずかに考え込むようなそぶりを見せる。
あまりに一瞬だったからよく覚えてないんだけど、蜂っぽい印象が強いんだよなあ。
「ええ、黒ベースに、黄色いあしらいの入った服の、なかなか雰囲気がある女性の方でした」
ただ意味深なだけだったけど、無理やり言い換えれば雰囲気があると言えるんじゃないか?
「あぁ……もしかすると、琥珀の魔女さまかもしれません」
さすがにちょっと情報量足りないかなと思ったら、まさかの心当たりが。
「琥珀の」
でもあれ琥珀モチーフだったのか。蜂にしか思えなかった……。我ながら感性が終わってる。
いやしかし、ここで琥珀の魔女のお出ましか。初日にハミルトンさんの口から聞いただけだったけど、まさかこんなすぐにファーストコンタクトがあるなんて。うちのイザベラさんとは、どんな関係なんだろうか。仲とかいいんだろうか。猫アンド魔法オタクのイザベラさんと、意味深厨二病な琥珀の魔女さま、ね。あんまりコミュニケーション成立しなさそうだなあ……。
「琥珀の魔女さまは、比較的よくお姿をお見せになる方なんですよ」
ハミルトンさんは少し残念がるように「私も直接お声を聞いたことはありませんが」と続ける。この魔女大好きっ子め。まどマギとか見せたら解釈違いで寝込みそうだな。
「そうなんですね。
彼の期待のこもった眼差しに応えてあげたいが、大したエピソードがないので申し訳なくなる。でもマジでこんな感じだったからしょうがない。
「なるほど……。琥珀の魔女さまらしいといえばそうなのかもしれません」
このあとしばらく、ハミルトンさんの魔女講座が続いた。たまにはおれが聴く側に回ってもいいだろう。おれは時折相槌を入れながら、彼の語りに耳を傾けた。
「琥珀の魔女さまは記録や記憶に関する逸話が多くてですね、もし彼女のお気に召せば有史以来の全てを——」
「へぇ〜」
え、じゃあなに。ただ観察しに来ただけってこと? なんか嫌〜。