首輪が外れるその時に 作:dekunobou
「お
一際冷え込んだ朝のことだった。今日も今日とて朝食後のお着替え中。毎朝同じことの繰り返しだが、シャーロットさんは律儀にリクエストを聞いてくれる。
「あー、ええと、おかしくなければなんでも……」
「承知いたしました」
分厚い絨毯を貫通する冷気に、思わず足を擦り合わせた。
窓の外では、岸際の木々が葉を落とし始めている。否応にも冬の気配を濃厚に感じさせる景色だ。
部屋の暖炉は本格稼働を始めているが、いかんせん石造り故の圧倒的冷気が優っているようだ。もっと新しい建物であれば、効率の良い暖房設備なんかで過ごしやすいはず、というのはハミルトンさんの談。最初は大層立派なお屋敷だと思ったが、実際住んでいる身としては色々苦労があるらしい。それはおれも現在進行形で実感中。
今日のドレスはイザベラさんから頂戴したモノを選んだ。ハミルトン家の方で用意してくれたドレスもあるが、ぶっちゃけ魔女謹製のやつばっかり着ている。やっぱり縫製技術とか、そういう違いだろうか。布地のクオリティも、正直比較にならない。
そして何より、どれも尻尾が出しやすいからストレスが段違いなのだ。ハミルトンさん家のドレスには、バッスルとかいうお尻側に謎のボリュームを出すやつが付いてる。あれが最高に意味わからない。元々はおれみたいな尻尾がある人向けの意匠だったらしいけど、シルエットが優雅だとかで流行して業界標準らしい。でもあれマジでいらないと思う。座るとき普通に邪魔だし。
その点、イザベラさん印のお洋服はいい。シャーロットさん達曰く、こんなシンプルなドレスは見たことないそう。でも意外と洗濯しやすかったりで好評らしい。コルセットという敵は避けられないが、余計なものは少ないに限る。
「使い魔さま、こちらでいかがでしょうか?」
髪が短くていじれる部分が少ないせいか、セットは秒速で終わった。
「ああ、いい感じだと思います。たぶん」
ドレッサーの鏡の中、いまだ見慣れない黒豹の顔がこちらを覗き返している。
ううむ。何が違うかわからないんだけど、人に整えてもらうと雰囲気が違う、気がする。しょうがねえって、おじさん基本的に千円カットだったんだから……。美容室なんてもう何年も行ってないし。
整髪料なのか、顔を動かすと花のような香りが漂ってきた。
「お疲れ様でした」
「いつもありがとうございます。そういえばハミルトンさん、今日は市内で会食って言ってましたっけ」
「はい。そのように聞き及んでおります」
そしてこれだ。なーんにもやることがない。おれはどうやらこの家のゲスト的な扱いらしく、厚遇されているけど自由があんまりないのだ。仕事もないから、ハミルトンさんが家を空けているとお茶の時間のお喋りすらなくなる。
その間、隙を見て周りの仕事なんかをしようとするとどこからかメイドさんが飛んでくるのだ。おやめくださいー! って。
ちなみに、シャーロットさんのことを『グランタハさん』って呼んでたらすごく複雑な表情で『恐れながら使い魔さま、私めのことはシャーロットとお呼びください』とお願いされてしまった。結果は察して欲しい。社会人の癖で、どうしても「さん」付けが抜けないのよ。ほんとごめん……。
ドレッサーから立ち上がって、凝り固まった肩をほぐす。パソコン仕事から解放された副作用か、かえって肩凝りなんかが気になるようになってしまった。日がな一日ダラダラしてるだけなのに……。
そして一度、肺の中の空気を入れ替えて、シャーロットさんにお礼を告げる。
「毎朝ありがとうございます。おれ、もともと男だったからこういうの全然慣れてないんですよね」
なんてことない雑談のつもりだった。
「おとこ……」
一瞬、シャーロットさんの視線が下を向いた。
視線の先にあるのが何か、考えるまでもなかった。コルセットの締め付け、ドレスの胸元。我ながら主張の激しい部分。
しかし彼女はすぐに視線を戻す。ただ、そこには戸惑いと疑問符が浮かんでいた。なんだか嫌な予感。
「あれ、もしかしてそこらへん伝わってない……?」
おおっと〜? ここでもまたディスコミュニケーション?
てっきりイザベラさんからのお手紙で伝わっているものだと思ってたんだけど、どうやらそうじゃないらしい。まずいな、シャーロットさん確実に頭がフリーズしてる。
「でも、使い魔さまは、その」
もう一度、彼女の視線が下に。
今度はほんの一瞬で、すぐに逸らされた。
見てはいけないものを見てしまった、というより、どう扱えばいいかわからないものを見てしまった、という顔だ。
あーそうか、この世界の貞操観念、かなり厳粛っぽいもんな。もしおれが肉体的にも男だったら、シャーロットさんの人生に、余計な傷を残してた可能性もあったわけだ。
「あー、使い魔になる際にこうなりまして……シャーロットさんもご存知の通り、今は完全に女性なのでご安心を……」
自分の体のことなのに、改めて言葉にすると変な感じだ。どこか他人事みたいにすら聞こえる。でも、イザベラさんとこで行われた精密検査や、これまでのアレやソレが、逃げ場のない現実として積み重なっている。
「はあ。そういうこともあるんでございますね」
「そういうことらしいっす」
なんとか飲み込んでいただけたらしい。会話はそこで一旦終わった。
シャーロットさんは何かを言いかけて、結局何も言わなかった。手元に残った櫛を布で丁寧に拭き、元の場所に戻す。その動作がやけにゆっくりで、慎重で、こちらを刺激しないようにしているのがありありとわかった。気まず〜。
「……本日は、お部屋でお過ごしになりますか?」
「そうですね、今日はこのまま、読書でもしようかなと」
彼女は一拍だけ考えるように頷き、「承知いたしました」と、いつもより少しだけ硬い声で答えた。
扉の閉まる音が、いつもより大きく聞こえた気がした。
おれ一人残された部屋の中で、暖炉の火がぱちりと音を立てる。
泥炭を燃やした時の、なんとも言えない甘い匂いが鼻をついた。
参ったな。シャーロットさん、最後までなんか釈然としない顔してたし。もしこれをきっかけに距離を置かれることになったとしてもしょうがないとは思う。だがしかし、ちょっと勿体無い気もする。
ただまあ、そうなるよなぁ。シモの世話までした相手からそんなことカミングアウトされたら。
というかイザベラさん、どこまで説明してどこから説明してないんだ。
……もしかしてこれ、ハミルトンさん達も知らないんじゃね?
* * * *
「ヘイグさま、朝の報告に上がりました」
「手短に」
シャーロットは真面目なメイドだ。
言葉少なだが、報告に私情を挟まない。判断を仰ぐべき点と、そうでない点の切り分けができている。
正直に言えば、他に適任がいないからと半ば押し付けた、使い魔さまのお世話を、ここまで滞りなく務めるとは思っていなかった。期待以上、と言って差し支えない。
今回の報告も、特に事件などなく終わるはずだった。
「あと、どうやら使い魔さまは、もともと男性のようです」
「……男性?」
突拍子も無い彼女の報告に、思わずおうむ返ししてしまった。
「はい。使い魔になる際、女になったと」
彼女の言葉を噛み砕く。
表情には出さなかったが、内心では確かに、眩暈がしそうになっていた。
「それは、確かなのか?」
「は、はい。少なくとも、あの方がそういった嘘をつくとは、あまり思えません」
「ふむ……」
返事をしながら、頭の中で情報を整理する。
確かに、シャーロットの言うことは尤もだ。荒唐無稽な言動の目立つ方ではあるが、少なくとも何の益もない嘘をついて場をかき乱すような人物には見えない。
むしろ、そう考えた途端、これまで引っかかっていた点が、次々と腑に落ちていった。
妙齢の淑女にも関わらず、常識外れに短いお髪。尾を隠すこともしなければ、座る際は脚の上に置く。礼儀作法は最低限こなすが、社交における「暗黙の了解」をどこか外してくる物言い。
そして、必要以上に周囲を観察する視線——狩人のそれではないが、常に退路を確かめるような目。
男が女になる……にわかには信じがたい話だ。
だが、相手が魔女であるならば話は別になる。
人知の及ばない連中のすることだ。使い魔の姿形を変えてしまう程度のこと、できぬ道理はないだろう。
問題は事実の真偽よりも、その扱いだった。
「……承知した」
私は息を整える。ハミルトンの家令として、戸惑いを表に出すことなどあってはならない。
「このことは、アレンさまへご報告差し上げる。下がってよろしい」
「承知いたしました」
私の言葉にシャーロットは一礼し、踵を返した。
その背を見送り、完全に姿が見えなくなってから、小さく眉間を押さえる。
さて。
坊ちゃんになんとお知らせするべきか。
事実だけを述べるか。それとも、前提を丁寧に積み上げるべきか。
どちらにせよ、今朝の平穏はここまでだろう。
まったく。魔女絡みの案件というのは、どうしてこうも胃に悪いのか。
* * * *
アイロンで皺が伸ばされた新聞紙は気分がいい。パリッとした紙とインクの香りは、よく整理された、秩序の匂いだ。
ケイさまの故郷では、目の前に広がるそれより、格段に洗練された印刷物が毎日発行されているそうだ。どうやら写真ももっと鮮明になり、見たままの色が印刷されるようになるらしい。
職人による着色ではなく、撮ったそのときから色がついている……。残念なことに、ケイさまより賜ったスマートフォンはすでに
話に聞くところでは、スマートフォンで新聞を読むこともできたらしい。彼の方の世界とこちらの世界、彼我の技術力の差に、思わず想像が膨らんでしまう。
そんな輝かしい想像と相対するように、広げた新聞の見出しには「王都、燃料価格が例年より早く上昇」、「霧と凍結による石炭輸送の遅延」といった文字が踊っていた。
「ヘイグ、見ろ。今年も早速王都が火の車だ」
「……毎年恒例ですな」
物々しい書き方だが、実際、ヘイグの言う通り毎年の恒例行事だ。王都はその成り立ちから、物資のほぼ全てを他領に頼っている。毎年冬になると燃料は値上がりし、こうやって新聞を賑わせることになる。
こういうときには、こっちのピートにもそれなりの需要が生まれる。新聞が言うには例年より早いそうだから、この後の議題に上がるかもしれない。薄暗い会議室にひしめく、陰気臭い顔つきが頭の隅を横切っていった。あまり積極的に思い出したいものではないな……。
議員連中を頭から追い出すために、僕はもう一度新聞へと視線を戻した。
紙面をめくる音が、やけに大きく響く。王都の記事の続きを追い、視線を滑らせ、文字を追う。相変わらず悲痛で煽情的な内容が続いていた。内容自体は珍しいものではないが、近頃どうにも記事の雰囲気が変わったように思う。
机の端に置いた懐中時計に、ふと目がいった。
短針はすでに、会議へ出発する刻限に近づいている。そろそろ身支度を整え、馬車の手配を確認しなければならない時間だ。
わかっている。
わかってはいるのだが、頭の中ではまだ、さきほどの見出しと議員の顰めっ面がぐるぐると回っていた。本音を言えば、憂鬱で仕方がない。
しかし、時間は待ってはくれない。僕は新聞を畳み、机の上に置いた。
ここで切り替えなければ。当主として、今日の役目を果たすために。
ちょうどそのときだった。
「それと旦那さま、少々お耳に入れたいことが」
「なんだ?」
「使い魔さまについてでございます」
「ふむ、言ってみろ」
「どうやら、魔女さまとご契約なされる前は男性だったとのこと。今後のご処遇についていかがなさいましょう?」
なるほど。そんなことが。
僕はなんとなしに窓の外へ視線を向けた。つい先日まで、燃えるようだった木々の色彩は、すっかりその鮮やかさを失っている。
もう秋も終わりか。これから訪れる冬のことを考えると、ため息の出番が増えそうだ。
「え?」
ちょっと待てヘイグ。いまなんと言った?
「使い魔さまですが、元々男性だったそうです。ご処遇に変更ございますか?」
「おとこ? 誰が」
「恐れながら申し上げます。碧炎の魔女さまの使い魔であらせられる、イトカワさまでございます」
「ケイさまが……?」
ヘイグ、お前は冗談が下手だな。
あの方が男? そんなわけがないだろう。どこからどうみても、見紛うことなき完璧なレディだろう。
「わ、笑えないな」
さ、さて、そろそろ屋敷を出なければ。
おっと、懐中時計が転がって……。
「旦那さま、お気を確かに」
ついでに、ヘイグを医者に診せる必要があるかもしれない。こいつも年だからな…………。
* * * *
その日の夜。お仕事を終えて帰ってきたハミルトンさんは、意気消沈って感じだった。いつもより投げやりな足取りでサロンにやってきたと思ったら、ヘイグさんへ珍しくコーヒーを頼んでいた。しかも濃いめの注文付き。クライアントに無茶振りされたチームメンバーがよくこんな顔してたっけ。胸が痛い〜。
「ずいぶんとお疲れのようですね?」
「え、ええ。今日もまた、足元を見られまして」
そう声をかけると、険しい顔でコーヒーを飲むハミルトンさんが苦笑した。
「あぁ……」
具体的にどんな内容か知らないけど、なんとなく察しはつく。ハミルトンさん若いから、相手も舐めてかかってくるんだろう。そしてその後は会食で接待だろ?
胃がちぎれるわ。濃いめのコーヒー飲みたくなるのもわかるけど、ご自愛してくだせえ。
「お水どうぞ」
「え?」
「コーヒーだけだと胃が荒れるので」
「あ、ありがとうございます……」
いちいち注いでもらうのもめんどくさいので、セルフで飲めるように用意してもらった水差しから、お水を差し出した。こういう時のコップも見事なカットが刻まれていて、手にするたび少し緊張する。
部屋の空気が、どこか落ち着かない。そこはかとないぎこちなさを孕んでいる感じ。
暖炉の火はいつも通りなのに、ハミルトンさんの視線が定まらないせいだろうか。コーヒーカップを持つ手が、ほんの少しだけ止まる回数が多い。珍しく、彼が深い息を吐く。
「……イトカワさま」
彼の思い詰めた声音に、来たな、という気持ちと、来たか、という気持ちが同時に湧いた。
「はい?」
「ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
その前置きが、すでに答えを含んでいる気がする。十中八九あの話だろう。
シャーロットさんもヘイグさんも仕事早いなぁ。報連相がしっかりしてらあ。
「どうぞ」
「その……」
ハミルトンさんは一度、咳払いをした。言葉を選んでいるというより、選びすぎて迷子になっている感じだ。
「失礼な聞き方になってしまったら、先にお詫びします」
「え、いや、そんな」
なんだ、そんなに構えられると落ち着かないんだが。ここにきてまさかの追放ルートか?
「イトカワさまは、その……」
一瞬、目が泳ぐ。
「……魔女さまとご契約なさる前は、男性であった、という話を聞きまして」
そうそう、そうなんですよ。
別に隠してたわけじゃない。初日のスピード感に流されまくってすっかり気にしてなかっただけというか。先触れのお手紙に経緯が書いてあると勝手に思ってたというか。とにかく、騙すようなつもりは一切なかった。
「そうですね。こちらに来るまで、もともと男でした」
思ったより、声は普通に出た。
静まり返ったサロンに、おれの声がやけに響いた気がする。
そういえば、いつもハミルトンさんの側に控えるヘイグさんも見当たらない。
「……そう、ですか」
彼はこれ以上踏み込まなかった。質問を重ねない。確認もしない。ただ、事実を一度、テーブルの上に置いただけ。
その沈黙が、おれの背中をチクチクと刺してくる。今すぐイザベラさんに苦情のチャットを入れたい気分だ。ロロさんにそういう機能実装されねえかな。
「今は?」
しばらくして、ハミルトンさんがぽつりと口を開いた。
「今は……」
おれは胸元に視線を落として、肩をすくめた。
「ご覧の通り、どこからどう見ても女性ですね。我が主人のお墨付きで」
冗談めかして言ったつもりだったが、ハミルトンさんはニコリともしなかった。
「……それで、ご不便はありませんか」
わずかに低くなった声音と、思慮深そうな緑の瞳。そこで、ようやく気がついた。彼は、ただの事実確認や好奇心で聞いていない。
「不便、ですか?」
「ええ」
そんなもの全部、と即答したいが、すこし考えてみる。
コルセットは苦しい。ドレスはいまだに裾を踏む。毎日着替えが二回以上とか無駄でしかない。最近尻尾の存在に慣れてきたせいで、逆にひっかけたり踏んづけたりで散々だ。あと熱いお風呂に入りたい。
しかし、おれに戻れる場所なんかないのだ。
イザベラさんの家は魔力がないから居られない。
この世界の常識や知識がまだまだないから、市井に紛れることもできない。
もちろん、生まれ育った日本にだって帰れない。
「うぅん……」
少し悩んでから、こう答えた。
「皆さんには大変よくしていただいておりますし、あとはまあ、慣れるしか」
「……そうですか」
ハミルトンさんは、深く、静かに息を吐いた。
「もし」
彼は、少しだけ硬い声で続ける。
「屋敷で、何か不都合がありましたら、待遇でも、呼び方でも——」
ああ、なるほど。この人なりの『確認』なのか。
「大丈夫ですよ」
おれは先回りしてそう言った。
「ほんとうに助かってますので、お気になさらず」
すると、ほんのわずかに、彼の肩から力が抜けたのがわかった。
「……ご配慮、感謝いたします」
それ以上、この話題は続かなかった。
無理に終わらせたわけでも、避けたわけでもない。必要な分だけ確認して、棚に戻した感じだ。おれとしても、これ以上腫れ物みたいに扱われるのは本望じゃない。
彼はソファへ体を預けると、いくぶん険の取れた顔でコーヒーを味わい始めた。
……もしかして、ここに預けられたのって正解だったんじゃ?
苦労はまあ多いけど、話は通じるし、ハミルトンさんの頭も柔らかい。
ガチャだったらSSR引いたと言えるのでは?
サンキューイザベラさんフォーエバーハミルトンさん。
TS娘に「おれは女です」と言わせる回