首輪が外れるその時に   作:dekunobou

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寒すぎて冬

 窓の外は一面の雪景色。この土地の秋はマジで短くて、あっという間に冬がやってきた。

 

 冬になってから、足音や生活音が、やけに大きく響くように感じる。

 どうやら、分厚い石壁は音も冷気も閉じ込めてしまうらしい。吸い込む空気の冷たさや、音の聞こえ方の違い。そういった些細な違いに、妙に敏感になっている気がする。この身体にも結構馴染んできたと思うんだけど。

 

 相変わらず手持ち無沙汰な上、お外はあいにくの雪模様。なので屋敷の中をウロウロ歩き回っている。お散歩代わりだね。

 ちなみにゲストが勝手に屋敷を徘徊していいのかと思うかもしれない。そこらへんは大丈夫。ハミルトンさんにお屋敷散策したいですってお願いしたら、すごく眉間へ皺を寄せた後、絞り出すようにオーケーを出してくれたので。

 

「よく降るなあ」

 

 おれは階段手前の窓から、雪に塗りつぶされた景色をぼんやりと眺める。あんなに鮮やかだった湖畔はモノクロで、視覚からも冷気が伝わってくるみたいだ。思わず両腕を擦り合わせると、手のひらに、ウールの柔らかな手触りが伝わってくる。

 今着ているカーディガン、大ぶりなウッドボタンが開け閉めしやすくてお気に入りなのだ。ゆったりした袖で動きやすいのに、カフスはしっかり窄まっていて邪魔にならないのもいい。ポケット付きも高評価。

 

 おれは一度身震いして、階段を降りることにした。暖房も何もない廊下が一番寒いんだこれが。

 その時、下の階から、シャーロットさんの後輩であるアリサちゃんがやってきた。彼女は蝋燭の取り替え作業中のようで、長短バラバラな蝋燭が入ったバスケットを抱えている。

 

「お、アリサちゃん。おつかれ〜す」

 

 おれの挨拶に対して、彼女は音もなく踊り場の隅に寄って頭を下げた。こうやって屋敷の中ですれ違う際、メイドさん達と会話を交わすことは(ほとんど)ない。

 使用人である彼女たちと、使い魔であるおれの間には埋められない溝があるらしいので。社畜として魂の深いところまで刻まれた下っ端根性が疼くが、悲しいことにこればっかりはしょうがない。理屈だけじゃどうしようもないことって色々あるからさ……。

 しかしよく見てみると、彼女はバスケットの陰で小さく手を振っていた。

 

「いえーい」

 

 その可愛らしいアピールに、思わずピースサインで返事をする。

 シャーロットさんよりさらに若いから、まだまだプロ意識が足りてないんだろうな。大変無邪気でいいと思うけど、それシャーロットさんにバレたら目玉だぜ。多分おれも「そのような行動は謹んでくださいませ」なんて釘刺されるだろうけど、そん時はそん時で。我ながらダメな大人〜。

 

 さて。

 寒いし、一服したい。ついでに時間も潰せると尚よし。となると、向かう先の候補はだいたい決まっている。

 おれはアリサちゃんと別れると、とりあえずキッチンの方へ足を向けた。今日は昼もディナーもないから、現在進行形で戦場真っただ中ということもないだろうし。

 

 おれの予想通り、扉が開かれたままのキッチンは静かで、そこからわずかに暖かい空気が廊下へ流れ出ていた。スン、と匂いを嗅いでみれば、お酢と泥炭の燃える甘い香り。おそらく、掃除も一段落ついて仕込み中って感じだろうか。とりあえず扉から顔だけ出して覗いてみる。……実はおれ、キッチン出禁なので。毛皮のある人種はご遠慮くださいってのが基本らしい。まあそれはそう。

 

 覗き込んだ先では、真っ黒に磨かれた鋳鉄製オーブンの前で、コックのマーサさんが腕を組んで鍋を見つめていた。

 マーサさんはオークの中年女性で、この屋敷の食を司っている鉄人料理人だ。ビシッとまとめたブルネットの髪と、理知的な黒い瞳が、一本筋の通った人という印象。毎日の朝食からディナー、サパーまで、その丁寧な仕事っぷりは常々マジリスペクト。あとこの屋敷でおれ以外唯一の獣人ってことで勝手にシンパシー。まあオークってあまり体毛ないらしいけど。

 そして、彼女はおれの存在に気がついたのか、こっちを向いて頭を下げた。それに対し、おれも小さく会釈して返す。

 

「おつかれさまです。もしあれば、コーヒーかお茶、分けていただけますか?」

「ええ、コーヒーでよろしければ。少々お待ちくださいな」

 

 おれはキッチンの入り口でお礼をして、マーサさんがポットを持ってきてくれるのを待つ。

 初めてここへ顔を出した時、彼女をひどく畏縮させてしまったことを思い出した。ちょうど紅茶にも飽きてきた頃だったので、空気に混じるコーヒーの香りが気になって声をかけてしまったのだ。そしたらそれはマーサさんが個人的に飲むための物だったようで、慌てて新しいコーヒーを淹れようとしてくれたり、それをいつもの癖で遠慮してしまったり。でもそのやりとり以来、よくキッチンへ顔を出して飲み物をもらうようになった。

 

 なお、味の違いはよくわからなかったです。コーヒーはかつて愛飲していたけど、眠気覚ましや仕事のお供としてだったから……。

 

「お待たせしました使い魔さま」

「ありがとうございます」

 

 彼女から銅製のポットを受け取る。よく使い込まれて鈍い光沢を放つポットに入ったコーヒー、それだけでなんだか美味そうじゃない? そのずっしりとした重量感を引き金に、今朝の会話が蘇った。

 

「あ、ちょっと気になることがあって」

「なんでございましょう?」

「今朝、ハミルトンさんが、王都の配給事情がよろしくないとかなんとか、って言ってましたけど、そういうのってこっちも影響あるんですか?」

「そうそう、どうやら今年は色々大変なんですって。でもご安心ください、私がいる以上、当家の食卓はなんとかいたしますので」

「ふふ、頼もしいですねえ」

 

 ハミルトンさんがすごく嫌そうな顔でそう言っていたからちょっと不安だったけど、どうやら杞憂で済んだらしい。マーサさんがそう言うならきっと大丈夫なんでしょ。というか、王都で配給事情がよろしくないとか大丈夫なのかよ。詳しくは知らんけど。

 

「それじゃあ、コーヒーいただきます。飲み終わったらまた顔出しますね」

「毎度恐れ入ります」

 

 ではでは〜と、マーサさんに別れを告げる。さーて、一服すんべ。

 おれはキッチンに隣接する部屋の、半開きになったドアへ身を滑り込ませた。

 

「おつかれノアくん、今日もシルバー磨き?」

「あ、使い魔さま! いてっ」

 

 キッチンの隣室はカトラリールームだ。大きな食器棚に囲まれた中央、机に向かって銀食器を磨いていたノアくんへ声をかける。すると彼は立ち上がろうとして机に脚をぶつけていた。痛そ。

 

 ノアくんは濃い茶色の短髪がよく似合う好青年なんだけど、そそっかしくてどことなく犬っぽい。このお屋敷でフットマンという職についている彼は、ディナーの給仕や来客のお出迎え、それと銀食器の管理などを任されているそう。

 

「マーサさんからコーヒーもらってきたぜ。君も飲むかい?」

「ぜひ!」

 

 おれは右手のポットを軽く掲げてみせると、ノアくんは手慣れた様子で机のスペースを空けてくれた。

 机の上には、磨き終えたものとまだくすんだままのものが整然と並べられていた。フォークやナイフの柄尻には、盾みたいな形をベースに、角を持った獣の図柄が等しく刻印されている。そういえば、デキャンタやボウルにも同じのがあったっけ。多分、家紋的なやつ。これ全部一揃いに統一されてるのかあ、すげえ金かかってそうだな、なんて凡庸な感想が浮かんだ。

 

「タバコ吸っていい?」

「どうぞどうぞ」

 

 おれがそう言うが早いか、すかさず灰皿が出てきた。準備いいねえ。君もちょっと一服したかったんじゃないのぉ?

 

 おれはカーディガンのポケットからハイライトとマッチ箱を取り出す。百円ライターは、初日の銃撃事件で血まみれになってしまい、なんか嫌だったので捨ててしまっていた。それと、マッチで火をつけたタバコってなんかうまいよね。経験則的に。

 

 左手に持ったハイライトのパッケージの底を、右手でデコピンする。うまくいかなかったのでもう一回。するとようやくタバコが一本顔を出した。そのままフィルターを咥えて抜き取る。この、マズルの長さにも、唇の薄さにも慣れてきた。

 タバコのパッケージは机の上に置いて、マッチ箱を開ける。日本でもたまに見る、大きめの消しゴムくらいの箱だ。そこから一本取り出して、側薬目掛けて擦り付けた。

 

 シュバ、と心地よい音、まばゆい輝き、鼻の奥を刺す火薬の匂い。

 

 おれはマッチの火が落ち着くのを見計らい、その周りを手で囲うようにしてタバコへ。空気を口へ含むように吸い込みながら、先端へ火を当てる。

 すると、チリ、チリ、と巻紙と葉が燃える音が耳に届く。

 咥えタバコのまま煙を吐き出して、マッチを振り火を消す。燃え殻はそのまま灰皿へ。

 

 人差し指と中指でタバコを挟みながら煙を吸い込む。チリチリ、と音がして、ぼんわりと先端が赤く燃える。ずしりと重く甘い煙の味。一旦口から離して、よく冷えた部屋の空気ごと肺へ……。

 なんとも言い表し難い充足感と共に、ゆっくり煙を吐き出した。

 

 寒い日のタバコは、やっぱりうまい。

 

「……使い魔さまのタバコ、美味しそうですよね」

「これ? ヘイグさんには一本あげたけど、なかなか評判良かったよ」

「えぇ、羨ましい」

「おー、交換しようぜ。二本でいいよ」

「本当ですか! うわ、残り一本しかない!」

「わはは残念」

 

 まあ普通にあげてもいいんだけどさ。

 本気で悔しがっているノアくんに笑いながら、彼が用意してくれていたコーヒーカップを口へ運ぶ。寒い日のコーヒーとタバコってベストマッチ。部屋戻ったら歯磨きしとこ。

 

 部屋の脇から適当なスツールを引っ張り出して腰掛ける。

 机に肘をついて、もう一口。なんか、この部屋、こぢんまりしていて居心地いいんだよな。学校の社会科準備室とか、会社の古い端末仕舞ってる倉庫とか、そんな雰囲気。

 

 他愛もない会話の切れ目。タバコから立ち上る紫煙と、キッチンから伸びるオーブンの配管を眺めていると。

 

「使い魔さまは、元の世界に帰りたいとか、思ったりするんですか?」

 

 同じように紫煙を燻らすノアくんが、そう口を開いた。

 ただの疑問といった問いかけだった。

 

「うん?」

 

 帰りたいかと聞かれたら、もちろん帰りたい。

 元の世界には帰れない。そう告げられた時は、あまりの急展開に軽く流してしまっていた。あれからイザベラさんとは、ロロさんを通じて連絡をとっている。その中で、どうしても日本に帰れないのかと質問したことがあった。

 

 答えはノー。

 

 それを裏付けるように、ハミルトン邸の書庫にある文献でも、異世界人が元の世界へ帰れたという記述はなかった。

 今すぐ全部受け入れろと言われれば難しいが、現実問題、諦めざるを得ない状況だ。

 

「帰れるなら帰りたいけどねぇ。……魔女さまお墨付きで帰れないって話だからね、どうなんだろうね」

「そうですか……。でも、このお屋敷も、すごくいい所なので」

「あっはは。それは実感してるし、ありがたいって思ってるって」

「そうですよね、旦那(アレン)さまは俺と年もあんまり変わらないのにご立派ですし!」

 

 その時、廊下から鍵束(シャトレーン)の音がして、ノアくんは慌てて仕事に戻った。

 おれはコロコロと表情を変える彼に苦笑しながら、タバコを灰皿で揉み消した。

 

 当初は新品未開封だったハイライトも、そろそろ残りわずか。おすすめの銘柄とか、ノアくんに聞いておこう。ハミルトンさんはたまに葉巻を、ヘイグさんはパイプを嗜んでるみたいだけど、紙巻き仲間は彼だけだ。

 おれは肺に残った煙をすべて吐き出すと、視線を窓の外へ向けた。

 

 真っ白に染まった庭園のなか、離れの明かりが頼りなさげに揺れていた。

 

 * * * *

 

 その日の夕食後。いつものようにサロンで、ハミルトンさんと雑談する。暖炉にはしっかりと火が入っていて、外の冷え込みが嘘みたいに部屋は暖かい。

 冬場はどうしても遠出が難しいらしく、最近は近場の案件ばかりらしい。もっとも、相手もそれを織り込み済みなのか、お仕事自体はむしろ立て込んでいるそうだ。なんだか年末進行みたい。わかるっすよ、そのしんどさ。

 今朝もそうだったけど、険しい表情をしているのが増えたように思う。

 

 そんな、愚痴みたいなことを話しながら、カップの中身が減っていくのを眺めていた時だ。

 

「こちらの暮らしにはもう慣れましたか?」

「ええまあ、それなりに」

 

 ぼちぼちですなあ。いまだに見ることやること初体験が目白押しで飽きがきませんよ。残念ながらニートの才能がないらしく、無駄飯くらいの現状は正直しんどいですがね。

 

「それと、その……使用人たちと、親しくされているようで……」

 

 言い淀むような前置きのあと、ハミルトンさんはそう切り出してきた。

 

「あ、それは……そうですね。何分、距離が近いので。すみません……」

 

 自分でも歯切れの悪い返事だな、と思う。

 ただ、事実ではある。身の回りの手助けは基本シャーロットさんだし、単純に接する機会も多いし。ハミルトンさんやヘイグさんに比べて、距離感を縮めやすいのは否めない。

 

 つい視線を逸らした先、暖炉の前ではロロさんが気持ちよさそうに転がっていた。腹を上にして、四肢を投げ出した、いわゆるヘソ天というやつだ。暖炉の火が毛並みを照らして、柔らかそうなミルクティー色の腹がやたらと無防備に見える。

 

 ……自由だなあ、ロロパイセン。

 

 その様子を見ていると、昼間のカトラリールームが脳裏に浮かんできた。銀食器を磨くノアくんの背中や、キッチンの熱と匂い。あそこでは、肩書きよりも手元の作業の方が大事だった。

 

「……いえ、責めているわけではありません」

 

 そう前置きしてから、彼は少しだけ姿勢を正した。

 

「ただ、その……当主として、気になる部分ではありまして」

 

 なるほど。個人的な感情というより、立場の話か。

 そう思うと、わずかに嫌な予感が胸に引っかかった。

 

「ちなみに、そのぉ、あまりこういうの良くない感じですか?」

「そうですね……他の家でしたら、使用人が客人と無駄話をしただけで、職を失うこともあります」

「あぁ〜」

「で、ですが、当家は元来使用人との垣根が低い家風ですのでご安心を」

 

 ハミルトンさんは「私もミセスやヘイグに頭が上がりませんので」とはにかむ。ミセスというとは、スタンリーさんのことだろう。

 

 ただ、それを聞いて、思わず背中を丸めた。無意識に危ない橋を渡ってたらしい。おれ自身は良くても、環境がそれを許さないということか。……今回はたまたま運が良かったということで、肝に銘じよう。

 

 少しの沈黙のあと、彼は咳払いをひとつした。

 

「……だから、というわけでもありませんが」

 

 縮めていた背を伸ばすと、緑色の視線がおれを見つめていた。

 

「いかがでしょうか。私のことも、アレンとお呼びいただくのは」

 

 唐突な提案だった。

 一瞬、意味を理解するのに時間がかかった。

 

「ええと、なんというか……」

 

 言葉が迷子になる。

 呼び捨て? いやぁ、さすがにそれは……。

 

「あの、おれが生まれ育った国では、敬称をつけるのが割と普通というか。で、ですので、なかなか呼び方を変えるっていうのが、直ぐ直ぐは難しいというか……」

 

 自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。

 焦ると、うまい言葉が出てこない。これまで培ってきた会話のライブラリがまったく機能しない感じ。

 でも、こっちの世界では、名前で呼び合うのが普通なんだろうな。

 

「アレン、さん……で、ご容赦願えないでしょうか……努力は、しますので……」

 

 恐る恐るそう告げると、彼は一瞬きょとんとした顔をして、それから少しだけ笑った。

 

「ええ、それで構いません」

 

 ほっと息をつく間もなく、彼は続ける。

 

「不躾ながら……僕も、ケイさま、とお呼びしても?」

 

 喉の奥から、「ヒョェ」みたいな変な音が出そうになるのを、必死で堪えた。

 

「え、ええ……バッチこいです……」

 

 勢いでそう返したものの、内心は大騒ぎだ。

 名前で呼ばれるの、慣れてないんだってば。基本的に男のコミュニティだと苗字呼びが普通だからさ。同じ場所に同姓がいればまだあり得るけど、なんだかムズムズする。

 

 分かってはいるけど、慣れないものは慣れない。しかしここに来てからというもの、慣れなきゃ、が多すぎる。

 

 そんなこちらの内心を知ってか知らずか、アレンさん——もうこう呼ぶしかない——は、どこか満足げな表情を浮かべている。その顔が、ちょっとだけ腹立たしい。

 

 でも、無下にはできないよなあ。

 おれ、居候の身だし……。

 

 

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