首輪が外れるその時に   作:dekunobou

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手紙

「コルク、よし。ラベル、よし、瓶の割れもなし。ええと、赤ワインはこの列で終わりね」

 

 ランプの薄灯りの下、記録用紙に鉛筆で結果を書き込む。

 読み書きができて助かった。イザベラさん印の首輪さまさまだ。

 

 なんとおれ、カトラリーの次はアルコールの管理を任されちゃったぜ。

 職場は半地下の一室、ワインやウイスキーといったアルコール類を貯蔵している酒庫。一見雑用っぽいけど、来客時に提供するお酒なんかは家の面子に関わりまくりらしく、カトラリーの管理と肩を並べるくらい重要なお仕事なんですって。

 

 とはいえ、おれが任されているのは()()()()()なんだけど。

 

 部屋の鍵はヘイグさんが持っているし、最終的な帳簿の締めにも彼の署名が必要だ。おれがやっているのは、転記と照合と、異常がないかの確認。それと数え上げ。有体に言えば棚卸し。

 

 それでも、任される仕事が広がっていくのは精神衛生的に良い。度が過ぎなければ、だけど。

 これだけのお屋敷を人力で維持するのに、おれの働きは微々たるモノだろう。結果だけ見ればその通りなんだけど、主題はそこじゃない。仕事を通して、お屋敷の人との関わり方や、日々の過ごし方ひとつひとつに対する引け目が、少しずつ軽くなっているのを感じていた。我ながら単純。

 

 石壁に囲まれた空気はわずかに湿り気を帯びていて、ほんのり樽の匂いがする。古い木と、熟した果実と、アルコールの鼻を刺す刺激。

 規則正しく並んだ棚の奥で、ランプの灯りに酒瓶の底が輝く。暗い色の宝石みたいで、しばし見とれてしまった。

 人間の気配から遮断された、静かな仕事。呼吸をするたびに、身体の境界線や時間の感覚が曖昧になりそうになる。

 

「さて」

 

 おれは気を取り直して仕事に戻る。残っていた区画を確認して、書類の端に小さく印をつける。

 ふう、と一息ついた。吐き出した息は白くならない。半地下とはいえ、外よりはだいぶ暖かいようだ。ついでにランプの芯の長さを確認する。

 薄いガラス製の覆い(ホヤ)の内側、消えない最小限の火がゆらめいている。持って生まれた貧乏性か、あんまり盛大に燃やしすぎるのも憚られるので火力は最小だ。ちょっと暗いかもしれないけど、おれの猫の目は暗闇でも結構見えるので問題ない。

 

 最後に酒庫全体を見渡して、目に見える異常がないかチェックする。異常なし、ヨシ!

 

 一仕事終えたおれは、手持ちランプを携えて酒庫を出た。

 石の階段を上がるにつれ、空気の質が変わっていくのを感じる。それと同時に、スープのような香りが鼻先をかすめた。冬場に嗅ぐ煮込み料理の匂いって、なんでこんなに心惹かれるんだろう。うまく言葉にできない、漠然としたノスタルジーを刺激されてしまった。

 

 そして、廊下へ出た瞬間、窓の外が思いのほか明るいことに気がついた。窓枠の影が、いつもより廊下の奥まで伸びている。

 そうかぁ、昼が長くなっているのか。

 

「はぁ〜」

 

 おれは盛大にため息をついた。

 慣れない環境でドタバタしているうちに、季節が移り変わろうとしているわけだ。時間の流れが早すぎる。光陰矢の如し……。

 

 おれは勝手に受けたダメージに肩を落としたまま、窓の外を見た。外の世界は、沈みかけた日差しによって淡いピンクに染まっている。冬の夕暮れだ。草はまだ眠ったままで、木々は裸の枝だけを寒風にさらしている。しかし、もうすぐそれも終わるだろうという予感があった。

 

 ふと、離れで暮らすカトリオナさんのことを思い出す。

 

 あれ以来、アレンさんが彼女の元へ足を運ぶ回数が増えた。

 

 劇的な変化じゃない。泣いて抱きついて仲直り、みたいな雑なハッピーエンドでもない。扉を開けて、椅子に座って、顔を見るだけとかでもいい。それだけだったとしても、胸の奥のつかえが少し下りる気がした。

 まあ、酒を飲んだ際、彼にちょっと苦言を呈してしまったのがきっかけだけど。酒の勢いで説教とかジジ臭くて自己嫌悪……。

 

 おれは小さく咳払いをして、執務室の方へ足を向けた。ヘイグさんは基本的にアレンさんと一緒にいるから、今この時間はそこにいるはずだ。

 左手には報告用の書類。今日の酒庫のチェック結果と、いくつか気づいた点をまとめている。この書類は、ヘイグさんの手で帳簿へ落とし込まれて、彼の署名で正式なドキュメントになるのだ。日常の小さな業務だが、おれの手がけた仕事が世に残る。そう思うと、生活に心地よい緊張感が生まれる気がした。

 

 執務室へはすぐに着いた。

 重厚な扉の向こうから、くぐもった話し声が漏れ出ている。どうやら、アレンさんもヘイグさんもこの中にいるらしい。

 

 おれはノックをする前に、一度息を整える。こういう時間というのは、いくつになっても慣れないもんだなあ。喉の奥が少しだけ乾くような感じがした。

 

(やってることは上司への業務報告だしな)

 

 おれは軽めの深呼吸をして、分厚い扉を叩いた。

 

「ケイです。ヘイグさんへ酒庫管理の報告に上がりました」

『どうぞ』

 

 おれのノックと声がけに対して、すぐに入室の許可が降りた。

 

「失礼いたします——」

 

 相変わらずごちゃごちゃした執務室。他の部屋にくらべて豪華な暖炉の火は小さく、沈みかけの夕日と、ランプの灯りが影を濃くしている。

 机に向かうアレンさんが、顔を上げた。

 

 ……彼はなんだか難しい顔をしていた。

 いつもの疲れた顔とは違う。皺の寄った眉間の下、緑の瞳に戸惑いのような色を湛えていた。

 

 アレンさんの手には、封を切られた手紙。

 普段の執務で見かける手紙より上等な紙を使っているのか、パリッとしているように思える。それに、もう剥がされているけど封蝋まで施されていたようだ。

 

 おれは反射的に足を止めた。あれ、社外秘なやつかしら?

 

「出直した方が、よろしいですかね」

 

 おれの問いかけに、アレンさんは表情の影を引っ込める。

 

「いえ。ヘイグへの報告ですね? かまいませんよ」

「あ、じゃあ失礼します」

 

 ほっとして机に近づく。

 アレンさんの奥に控えるヘイグさんへ報告書を差し出すと、彼は受け取った書類に一度だけ目を落とし、小さく頷いた。

 

「確かに受け取りました」

「あ、ついでに少し気になった部分についてメモを残しています。もし的外れなことを言ってましたらご放念ください」

 

 ヘイグさんへ報告する間、どうしても隣のアレンさんが気になってしまう。さっきは表情を取り繕っていたが、またあの難しそうな顔に戻っている。

 封筒に残った封蝋の色は、深い赤。派手じゃない、渋い色味だ。古い葡萄酒のような、そういう上品さ。そして、広げられた便箋に踊る文字は、これまで見たどんな筆跡よりも格式高く見えた。

 

「この手紙が、気になりますか?」

 

 アレンさんがふっと息を吐いてそう言った。

 いやぁ、そりゃバレますよね、見てるの。でも、そんな手紙、意味深に広げていたら気になるのが道理ってもんでしょう。

 

「ずいぶんと、難しい顔をされていたので」

 

 正直に答えると、アレンさんは一瞬だけ笑った。

 ただ、どうにも違和感の残る、乾いた笑みだった。

 

「古い友人からの手紙ですよ」

「へえ、ご友人」

 

 その言葉を、口の中で転がす。

 アレンさんにも、ちゃんと友人がいる。当たり前のことなのに、どこか感心してしまった。この世界には電話もなければメールやSNSもない。電報がようやく普及してきて、世界が縮まり始めたくらいだ。

 日本に比べれば、情報のやり取りに時間がかかる世界。そのなかで、昔馴染みの友がいる。おれはその事実に、感動じみたものを覚えていた。おれはもう、ほとんど友達いなかったから……。

 

 アレンさんは手紙の端を指で撫でた。紙の手触りを確かめるような仕草。なにか迷っているのか、それとも無意識なのか。

 

「……執務も一段落していますし。もしよければ、お茶でもいかがですか」

 

 言葉面だけを捉えれば、ただのお茶のお誘い。だがこの場合は、何か話したいことがあるという意味だろう。

 

 どしたん、おれで良かったら話聞こか?

 

 というのは冗談だけど、なにか話があるというなら黙って聞くのが年長者の役目というもの。

 ただ、夕食後などに交わしてきた会話とは、少しばかり趣の異なる内容になりそうだった。日本やあっちの世界について話したり、仕事の相談だったりではない、もっとプライベートな話題。

 

 おれは一拍ほど溜めを作ってから頷いた。

 

「ええ、ぜひ」

 

 おれの返答に、彼はわずかに眉尻を下げる。

 そのままアレンさんはヘイグさんにお茶の指示を出す。ヘイグさんは無言で頷き、執務室を後にした。

 

「さぁ、暖炉の前へどうぞ」

「ありがとうございます」

 

 アレンさんは執務机から立ち上がると、おれを暖炉の前のソファへ誘った。

 

 二脚の一人掛けソファが、暖炉に向かって少し角度をつけて置かれていた。他の部屋より立派な暖炉は、小さな火でも十分に暖かい。ソファの位置関係は近すぎず遠すぎず、話をするにはちょうどいい距離だ。

 

 おれは促されるままその片方に腰を下ろした。背もたれに体重を預けると、ふっと肩の力が抜ける。

 アレンさんも向かいのソファに座り、膝の上で手を組んだ。手紙は机の上に置いたまま。視界の端で、あの厚い紙がやけに白く見えた。

 

 しばしの沈黙。

 

 彼の瞳に、暖炉の火が反射する。その静かな眼差しは、ここではないどこかを見つめているようだ。たまに喉仏が上下するのは、唾を飲み込んでいるんだろうか。なんだかおれまで緊張してきた。

 

 少しして、控えめなノックが鳴り響いた。

 

 ドアが開くと、シャーロットさんが小さなカートを押して入ってきた。ヘイグさんも後ろに控えている。カートの上にはティーポットとカップ、それから砂糖壺とミルクの入った器が揺れないように並べられていた。銀のスプーンが触れ合って、小さく音が鳴る。

 

 シャーロットさんは一礼だけして、言葉はほとんど発さない。必要以上に目を上げず、手だけを正確に動かしている。いつの間にかヘイグさんはアレンさんの少し後ろの定位置へ。

 

 カップがソーサーに置かれる音。ポットの蓋がわずかに擦れる音。お茶の湯気が、暖炉の熱と混じって部屋へ立ち昇っていく。

 

 シャーロットさんが一杯目を注ぎ、次に二杯目。手首の返しがきれいで、液面が揺れない。砂糖壺とミルクがそれぞれの手元へ置かれて、最後に小さな皿が添えられる。甘い菓子だろうか、やわらかな匂いがした。

 

「ありがとう」

 

 おれの礼に、シャーロットさんは目礼で答えた。近頃は、朝の支度の時に砕けた会話をする仲だが、このなんとも言えない空気を察してか神妙な面持ちをしている。さすがプロだぜ。

 

 最後にヘイグさんは、必要な配置だけ目で確認すると、ほんの小さく頷いた。それを受けて、シャーロットさんは小さく頭を下げる。彼女は静かにカートの向きを変え、部屋から去っていった。

 

 アレンさんはカップに手を伸ばしかけて、ふと動きを止めた。そして、背後にいるヘイグさんへ、普段より少しだけ低い声で言った。

 

「ヘイグ、少し外してくれないか?」

「かしこまりました」

 

 ヘイグさんが退出すると、部屋の空気が少し変わった。

 執務室に残ったのは、暖炉の火がはぜる音と、お茶の香りだけ。

 

 アレンさんは、サーブされたお茶で唇を湿らすと、おもむろに口を開いた。

 

「ケイさま。あなたにまだ、お話しできていないことが沢山ありますね……」

 

 その声音は穏やかだった。

 けれど、その穏やかさの裏側に何か、決意を固めたような強さがあった。

 

 おれはカップに手を添える。薄い陶器から伝わる熱を感じ、息を飲んだ。

 

「そうですね。まだ、知らないことばかりです」

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