首輪が外れるその時に 作:dekunobou
「あの手紙の送り主はエドガーといいまして、西の王家、ウィンベリー家の嫡男です」
アレンさんは静かに語り始めた。
「私とは同い年で、立場も似ているせいか、幼い頃からことあるごとに首を突っ込んでくる……まあ、おせっかいな男でした」
そう言って彼ははにかむ。時折言葉を探しつつなのは、こういった昔語りに慣れていないせいか。
「領地のことにかかりっきりな私を案じてか、こうやって定期的に便りを寄越してくれるんですよ。それと、どうやらあいつも家督を継ぐそうで、その報告も含まれてました……ただ」
アレンさんはそこで一度言葉を切った。カップの縁に指を添えたまま、視線だけが机の方――広げたままの手紙へ向く。
「今回は、その報告だけでは済まなかったようでして」
苦笑いにもならない、唇の端を引き攣らせたような表情で、彼は深く息を吐いた。
「何年か前、南部と王都を直接繋ぐ鉄道計画が、銀砂の魔女さまの勧告により白紙になったことがありました」
アレンさんは、そう言い終えてから少しだけ眉間に皺を寄せた。自分でも、言葉にするのが面倒な種類の話だと思っているみたいだった。
「銀砂の魔女さまの」
「ええ」
アレンさんはわずかに肩を竦めつつ「王都の南側はもともと湿地がちなのですが、勧告の理由は霊脈が不安定という、曖昧模糊としていて受け入れ難いものでした」と続けた。
霊脈ねえ……。ある意味定番感あるワードだけど、この世界においてどういう意味合いなのかは推し量れない。
「最終的に中止の決断を下したのは現王なのですが、すでに多額の資金が集まっていた状況でしたから。地元貴族や実業家などの出資者は納得しませんし、学会と新聞からは激しい糾弾。さらに軍も噛んでいたので、あちらこちらが揉めに揉めました」
おれは黙って頷いた。詳しい状況はわからないが、随分と面倒くさいことがあったらしい。こういうの、色んなところに禍根を残してゴタゴタしがちだよね。おれの世界でもそういうのよく聞いた気がする。
「それが近年、自分の領地だけでもと、敷設を強行する者がおりました。しかしその工事は難航を極め、死者も多数出ているそうです」
アレンさんは冷たい声でそう言った。その言葉尻には、わずかに軽蔑の念が滲んでいるようだ。
というか、王様の命令ならおとなしく従いなさいよ。まあ、先走っちゃう連中が出てくるのも世の常なんだろうけど。しかも完全にサンクコスト効果で引き返せなくなっているようで、笑うに笑えない。
ただ、
「そのこともあってか、近頃どうにも王都の空気が不穏だ、と書いてありました。エドガーは根拠のない話をする男ではありません。具体的なことはわかりませんが、無視できない
アレンさんは、もう一度だけ手紙に目をやった。おれの想像以上に重たい話がしたためられたそれは、妙な迫力を持って見えた。
息継ぎのような沈黙。想像していた以上にシビアな話だったから、かえって助かる。
アレンさんはカップを持ち上げ口をつけようとして、その寸前で手を止めた。緑の瞳が、かすかに揺れる。
「すみません、鉄道の話になると、どうしても——」
そう呟いてから、彼は自分の言葉を一度飲み込んだ。喉の奥で、言葉を組み立て直す気配がする。
「まず申し上げておきますが、私は鉄道そのものを否定したいわけではありません。もはや必要不可欠なものだと思っています」
そこまで言って、ようやく彼はカップを置いた。カップとソーサーが触れ合う音が、やけに大きく響く。
「ただ……どうしても、思うところがあるのです」
彼の視線が机の方へ向いた。手紙ではなく、その奥。しかし窓の外でもない。特定の何かというより、空間全体を眺めているようだった。
「私が十八の時、この国で大きな鉄道事故がありました」
諦めたような、覇気のない声。しかし淡々としているぶん『大きな事故』という言葉が、嫌に鼓膜へ引っかかった。
「その事故で、父上と姉上を亡くしました」
あまりにも端的なその言葉に、おれは息を呑んだ。軽々しく何かを言えるような雰囲気ではない。
それに、お父さんのことは聞いていたけど、お姉さんまでとは知らなかった。おれは視線だけで、続きを促す。
「姉上の婚姻に向けて、ハミルトンから王都へ赴く折りでした」
アレンさんは、自分自身へ言い聞かせるように言葉を続ける。
「不運でした。人的なミスも、機械の不調も重なったと聞いています。鉄道史に残る大事故だ、と」
その言葉に、彼の諦観が現れていた。突如降りかかってきた不幸も、事実として受け入れるしかない。そんな整理の仕方。
そこで、彼の声がわずかに低くなった。穏やかな声音から、痛みを堪えるような、ザラついたものへ。
「それでも、どうしても、想像してしまうのです」
彼の指先が、カップの縁をなぞる。薄い陶器の輪郭を確かめるような仕草。
自分が、今ここにいることを確認しているみたいだった。
「もしもあの時、鉄道ではなく馬車で向かっていたら? ケイさまの世界のような、進んだ技術力があったなら? 碧炎の魔女さまのように、瞬間的に移動できたなら、と」
顔を上げたアレンさんと、視線がぶつかる。彼の緑色の瞳がおれを射抜く。涙を湛えているわけではない。だが、その奥に、隠しきれない悲しみが広がっていた。
しかしアレンさんは「どれも、詮ない妄想です」と笑い捨てる。
笑った、というより、笑う形を真似ただけに見えた。
その視線の奥にはまだ「もしも」が居座っていた。異世界の技術や魔法に、ありもしない救いを結びつけてしまうくらいには。
おれは、アレンさんの眼差しを逸らさずに受け止める。思い出したくもない悲惨な過去を、わざわざおれに打ち明けてくれたのだ。その覚悟を、蔑ろにすることはできない。
「……それで、お母様も?」
「はい。それ以来、母上は塞ぎ込むように。事故のあと、完全に寝所から出なくなりました。医者は『心の病』だと言いましたが……治る類のものでは、なかったのでしょう」
アレンさんはそこで目を伏せた。思い出すだけで、痛みを伴うような記憶なんだろう。
おれは頬の内側を噛んだ。人間離れした牙が肉に食い込む。この痛みは、彼の身に降りかかった不幸の百分の一にも満たないだろう。でも、これはおれ個人の気合いの問題だ。
「事故の直後のことは、正直、あまり覚えていません。いや、無意識のうちに、記憶に蓋をしているというべきか……」
彼は、もう少しお付き合いください、と言ってから、息を深く吸い込んだ。カップの中身はほとんど減っていない。
「本当に厄介だったのは、その後のことです」
暖炉の火がはぜた。
アレンさんの声音は穏やかなものへ戻っていたが、その表情にはいまだ険しさが残っている。
「多数の死者が出た。その中に、立場ある者がいた。それだけで、人はすぐに理由を求め始めるようです。誰の責任なのか。その責任はどう償うべきか。逆に、得をした者はいないのか」
彼が淡々と言葉を並べるほどに、胸の奥を針で突かれるような気持ちになる。
おれは黙って、カップを持ち上げた。熱いものを口に入れないと、余計なことを考えてしまいそうだった。
「鉄道局と、工事を請け負っていた企業。監督官。……それから、王都の役所。皆、責任の所在を押しつけ合いました」
彼はそこで、わずかに口角を釣り上げた。しかし笑みには見えない。
「事故の規模が大きいと、
アレンさんは手を組み直した。指先が、ほんの少しだけ震えている。寒さのせいじゃ、ないだろう。
「家には弔問が押し寄せました。皆、涙を流しながら、決まってこう言う。『これからはあなたが』と……。私はその頃、まだ学生でした。政治のことも、社交のことも、分からないことだらけだった。ですが、分からないとは言えない立場になってしまった」
彼はそう言ってから、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「……ヘイグも、あの事故で息子を失っています。だから彼は、私に同情しませんでした。慰めもしませんでした。代わりに、必要な段取りだけを淡々とこなしてくれました」
その言葉に、ヘイグさんを責める響きはない。むしろ、救われた側の人間の言い方だった。
「喪に服す期間。弔問の対応。領地への周知。王への報告。そして、当主の席を空けないための準備」
アレンさんは、カップに視線を落としたまま言った。
「私は、その間、余計なことは考えず働くことだけを意識していました」
そこで少しだけ、言葉が途切れた。
彼は顔を上げると、自分でも少し意外だという表情でこう言った。
「——そうして、気がつけば六年が過ぎていました」
部屋の中に、また静けさが満ちた。
おれはカップを置く。陶器の触れ合う、澄んだ音が小さく響いた。
「……なるほど」
安い慰めの言葉が喉まで出かかったが、奥歯を噛み締めて飲み込んだ。
口にしてしまえば、彼が六年間抱えてきたものを汚してしまうような気がした。
それでもアレンさんは、少しだけ肩の力が抜けたみたいだった。ソファに背を預けるその姿が、ひどく小さく見えた。
――いや。
次の瞬間、彼は自分の中で何かを片づけたみたいに、背筋を伸ばした。さっきまでの言葉は、ただの弱音じゃなくて整理だったのだろう。彼に合わせるように、おれも居住まいを正す。
「……すみません。長くなりましたね」
謝罪というより、区切りの言葉だった。
「初春には、王都で議会があります。四王家の代表に、上下院が一堂に会する議会です」
この国の四つの王家が集う議会……。聞いただけでも重要なものだとわかる。まだ若い彼の肩に、どれだけの重責がのしかかっているのだろう。おれには、想像もできやしない。
それなのに、彼は穏やかに続ける。
「今年は――なかなか厳しいものになりそうです」
少しだけ口角が動いた。それはただの微笑みというより、覚悟を軽く見せるためのオブラートのように思えた。
おれは一度唾を飲み込む。その裏で、彼の言葉がじわりと蘇った。
「……ご友人の言っていた『不穏な空気』ってやつですか」
「ええ」
アレンさんはカップを持ち上げ、今度はちゃんとひと口だけ飲んだ。喉を潤す、というより、現実に戻るための動作に見えた。
「この度の同行はヘイグとノアだけにします。あちらは公の場ですし……未婚の当主がレディを連れ回すのは、噂の種をばら撒くようなものですので」
そう言いながら、彼は一瞬だけこちらを見た。少しだけ気後れするような眼差し。
「ケイさまには、ハミルトンで留守をお願いしたい。勝手を言っているのは分かっています」
そのお願いに、おれは迷わず首を縦に振った。なあに、お安い御用だぜ。それに、得体の知れない、しかも魔女の首輪付きの女。そんなのがアレンさんの周りをウロチョロしてたら、根も葉もない噂に尾鰭に胸鰭までついて大騒ぎしそうだ。
「了解です。お任せください、留守番にはもう慣れましたから」
言葉にしてから、少し皮肉っぽくなってしまったかと思う。
しかし、そんなおれの言葉にアレンさんは、安堵の息をついた。
「……ありがとうございます」
礼の言葉は短かったが、決して嫌な感じではなかった。
心なしか表情を柔らかくしたアレンさんの横顔を、暖炉の火が照らす。
彼は、十代で家族のほとんどを失い、重荷を背負わざるを得なかった。
ヘイグさんだって、ご子息を亡くしている。
おれは、すっかり暗くなった部屋の中を見渡した。この家には、どうしようもなく死の気配が染み付いている。でも、そんな中で、アレンさんは必死に立ち向かってきたのだ。その結果として、いまこの時がある。
おれは、この家で何ができるだろう。何か、少しでも、力になれるような。
おれは、目の前の青年に、ただの上下関係以上の意識を抱き始めていた。