首輪が外れるその時に 作:dekunobou
「アレンさんって婚約者いたの!?」
「はい。お相手は確か、東の方の、ブライトウェル侯爵とかいう家のお嬢様でしたか」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。テーブルの向かいに座るシャーロットさんは紅茶を口へ運びながら頷く。穏やかな午後の使用人控室の空気をぶっ壊す、衝撃の事実だ。おれは少しだけ残っていた紅茶を飲み干して、次の言葉を待つ。
「でも、家督を継いですぐに御破談になってしまったそうですよ」
「マジかよ」
アレンさん、被婚約破棄系男子だった……。
しかも家督を継いですぐってことは、鉄道事故があって間髪入れずにってことか。
シャーロットさんの言葉に、おれは両耳を後ろに倒してしまっていた。いわゆるイカ耳ってやつ。これは最近気づいたんだけど、ウゲーって顔を顰めたりすると耳も連動してしまうのだ。
でもさあ、わざわざそんなタイミングで婚約破棄って、あまりにもあんまりじゃない?
おれの分かりやすすぎる表情を見て、シャーロットさんは「聞いた話ですけど」と前置きして語り始めた。
「もともとこの家は、碧炎の魔女さまとの関わりが代々深いというのはご存じですよね?」
「うん」
「六年前の事故で大旦那さまとアメリアさまがお隠れになった後、なんというか……」
彼女は眉根を寄せて、お皿の上のスコーンをむしった。そのまま赤いジャムの入った小瓶を開け、中身をスコーンへ塗る。
「あの事故をきっかけに、ハミルトン家は
「えぇ……」
なにその、言いがかりみたいな……。他の魔女は知らないけど、少なくともイザベラさんはそんなことする魔女じゃないと思う。なんせ、アレンさんとそのお父さんの趣味を混同してたくらいアバウトな方だし。
「結構新聞とかで取り上げられて、その時に使用人もたくさん辞めちゃったみたいなんです」
「マジで? だからこんなに少数精鋭なんだ?」
「ま、まあよく言えばそうなるかも、ですね」
おれの相槌に、シャーロットさんはすこし困ったような顔をして頷いた。そこでようやく、手にしていたスコーンを齧った。
……なんだかなあ。
アレンさん、この前の打ち明け話では端折ってたけど、そんな過去があったなんて。ただでさえ事故で弱っているところに婚約破棄、追い討ちの風評被害で使用人の大量離職だろ?
それに聞いた話ってことは、シャーロットさんも当時を知らないのか。確かにこの屋敷を見渡せば、ヘイグさんたちベテラン層と、彼らのような若手ばかりで、その間を繋ぐ中堅層がすっぽりと抜け落ちている。人材のドーナツ化現象ってやつか。もうほんと、人間ってのは世界が違うくらいじゃ変わんないんだなあと、しみじみ思う。世知辛い。
おれはどうにも居た堪れなくなって、自分の首輪を手のひらで撫でる。滑らかな革に、金属の冷たさ。この首輪は契約の証だが、今の話を聞いた後だと、なんだか「高価な割に使い道のわからない置物」のタグでも付けられているような気分だ。
「使い魔さま?」
「……ああ、ごめん。なんでもないよ」
おれの様子を不思議そうに窺っていたシャーロットさんに、おれは慌てて苦笑いを返した。彼女は「そうですか?」と首を傾げながら、最後の一口のスコーンを頬張る。少しの間もぐもぐとして、口の中身を飲み込むと、彼女は少しだけ真面目な顔をして言った。
「私が入ったばかりの頃は、今よりずっと暗かったんです、ここ。その頃に比べれば……今は、こうしてお茶を飲む余裕もありますから大丈夫ですよ」
彼女が満足そうに目を細めるほど、おれの胸のうちは反比例するようにざわついた。
大丈夫とはいうが、ギリギリの組織に、なんのスキルもないおれが、魔女の使い魔なんていう仰々しい肩書きひとつで転がり込んでいるのだ。
一応、自分なりにカトラリーや酒庫の管理を手伝ってはいるが、おれ一人が食いつぶすリソースに見合っているとは到底思えない。おれの分の食費や人手を他に回せば、もう少し現場の負担もマシになるんじゃないだろうか。
……だめだ。一度考え始めると、自分がこの屋敷の運営効率を下げている
「でもさぁ、おれがこの家でお世話になってるのって、本当は結構な負担なんじゃない?」
「そんなことはございません!」
「おおぅ」
おれのぼやきを即座に否定してくるシャーロットさん。その勢いにちょっと驚いてしまった。
彼女は咳払いをすると、少し赤く染まった頬を掻いて続ける。
「今は当家を悪く言う人もあまりいないですし、実際、使い魔さまのお世話は大変名誉なことですから」
シャーロットさんはそう言って、ティーポットを手に取った。迷いのない、流れるような手つきでおれのカップに二杯目を注いでくれる。立ち上る湯気と一緒に、茶葉の香りが鼻をくすぐった。
「うん、まあ、ならいんだけどさ」
おれは温め直されたカップを両手で包み、その熱を手のひらで転がした。
名誉、なんて言葉は正直くすぐったい。むしろ、アレンさんの背負っているものの重さを知った今となっては、自分だけがこうして甘やかされているような、妙な居心地の悪ささえ感じてしまう。
「お世話されてる側としては、まだまだ慣れないんだけどねぇ」
手近にあったミルクピッチャーを引き寄せ、少しだけカップへ注ぐ。つい自分の分は自分でやりたくなってしまうのだ。スプーンで静かにかき混ぜると、澄んだ褐色の液体が不透明な琥珀色へと混ざり合っていく。
「……おれはそんな大層な人間じゃないし」
独り言のようなおれの言葉に、シャーロットさんは自分のカップをそっとテーブルに置いた。少しだけ首を傾げる。その動作には、この屋敷で働く者としての、鋭くも温かい観察眼が宿っていた。
「これは、個人的な感想ですけれど……使い魔さまは、思っていたよりずっと普通でいらっしゃいますよね」
「普通?」
「ええ。もっとこう……近寄りがたい方かと。魔女さまの使い魔、ですし」
なるほど、そりゃそうか。使い魔が人間のお屋敷でお世話になるというレアケース。さらにプラスして、毛並みはつぎはぎ模様ときた。普通に考えて身構えてしまうのはしょうがないだろう。おれは笑顔を取り繕って肩をすくめる。
「まあ、見た目はなあ。でも中身はただの元・勤め人だからね、特別なところなんて何もないんだよ」
「……勤め人、だったのですか?」
「そうそう、雇われの身。だからかな、何にもしてないのは落ち着かないし、この部屋の空気とか、結構好きなんだよね」
そう言いながら、テーブルの木目を指先でなぞる。紅茶と、焼き菓子のバターの香り、少しだけガタつく椅子。使用人控室のこの感じ、なかなか落ち着くんだよな。
シャーロットさんの後ろの壁には、呼び鈴のベルがずらっと並んでいる。それぞれのお部屋にある紐を引っ張るとこのベルが鳴って、メイドさんを呼ぶことができるってわけ。どこか、飲食バイトのバックヤードのような趣がある。
「こういう場所でさ、役職とか肩書とか抜きで、仕事の愚痴言ったり、噂話したり。そういうの、わかるでしょ」
シャーロットさんは一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。
「……ええ。確かに」
その笑い方は、さっきまでよりずっと柔らかかった。
「若い子たちも、使い魔さまのことはお世話しやすいと言っていますよ。威張らないし、その……過度なご要望もないので」
「へえ。そりゃよかった」
お世話しやすい、か。愛玩動物にでもなった気分だ。でも、嫌われたり気持ち悪がられたりするより断然マシかな。近頃コンプラとかに敏感すぎて、若い子とどう接していいかわかんなくなってたから……。
異世界に来てまでビクビクしてるのもどうかと思うけど、なかなか染みついたものは消えてくれない。そもそも、人に偉そうにできるような器じゃないってのもあるけど。
「……それに」
シャーロットさんは、ここで少し声を落とした。少しだけイタズラっぽい表情。
「こういうお話も、
ああ、とおれは頷いた。こういう、みんなが知っているけど、あえて大きな声ではしないような、プライベートで人を選ぶような話題。もちろん、部外者にペラペラと喋るような話じゃない。そんな話を、おれだからこそしてくれる。少なくとも、シャーロットさんは、おれを身内として考えてくれてるんだろうか。もしそうだとしたら、正直に嬉しい。
「ありがと。休憩中に重たい話題でごめんね」
「いえ。むしろ……」
彼女は何かを言いかけて、首を小さく横に振った。
「アレンさまが、お一人で抱えすぎないでいられるなら……その一助になるなら、喜んで噂話だっていたします」
使用人らしい忠誠心と、等身大の人情が混ざった言葉だった。
なんだかなあ。
おれはなんだかむず痒い感じがして、窓の方を向いた。頬杖をついた手で、首輪へ触れる。革の感触は相変わらずだが、さっきより少しだけ、冷たさがマシになったように感じる。外の景色はまだまだ寂しさを覚えるが、窓を開けた時に吹き込んでくる風に暖かなものを感じることも増えた。
おれがぼーっと外を眺めている間に、シャーロットさんはお茶を飲み終わったらしい。食器の触れ合う音がして現実に引き戻された。
「この後はお部屋に戻られますか?」
彼女の声音は、すでにお仕事モードへ切り替わりつつあるようだ。
「そうねえ……お勉強でもしますかぁ」
わざと軽く言うと、シャーロットさんは一瞬考え込むような顔をした。
「おれも、いろいろと思うところがあってね」
「左様でございますか」
彼女はそれ以上踏み込まず、静かに頷いた。食器を抱え、仕事に戻っていく背中は、なんだかとても頼もしかった。