首輪が外れるその時に   作:dekunobou

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礼儀作法は淑女の武器ですわ〜ッ

 アレンさんに「マナーやエチケットを学びたい」と切り出したとき、彼はペンを動かす手を止め、少しだけ意外そうな顔をしてこちらを見た。

 

「マナー、ですか?」

「ええ。テーブルマナーなど、本を読むだけじゃわからないことも多くてですね」

 

 アレンさんは手にしていたペンをスタンドに戻すと緑の瞳を細めて、おれを観察するようにじっと見た。その視線が、おれの首に巻かれた黒革の首輪に一瞬だけ留まる。その存在を思い出した途端、部屋の空気が急にひんやり重くなった気がして、背中の毛がざわっと逆立った。

 アレンさんの目が、なんだかすごく言い出しにくい()()()()()を部下に振る時のように、申し訳なさそうに泳ぐ。

 

 彼はなんだか困ったような表情のまま、ゆっくりと口を開いた。

 

「ケイさまは、使い魔さまでいらっしゃいます。窮屈な我々の世界に、わざわざご自身を閉じ込めなくても良いのですよ?」

 

 ううむ、アレンさんの気遣いが身に染みる。それに、彼の言葉も尤もだ。魔女の使い魔という看板は、それだけで無作法を神秘に変換してくれる。だが、基本を知っていてそれを無視するのと、知らないままでいるのでは雲泥の差があるだろう。いい加減、おれも特例にあぐらをかいてられないってわけ。

 

「いやまあ、そうかもしれないんですが。おれ……(わたくし)としても、こちらに居候する以上、ハミルトンの名に恥じない最低限のしきたりは身につけておきたいと思いまして。私の無作法で、アレンさんや、この屋敷の皆さんの顔に泥を塗りたくないんです」

 

 おれの言葉を聞いた瞬間、アレンさんの瞳が、石を投げ込んだ湖面みたいに大きく揺れた。

 過去の事故や、根も葉もない風評などの逆境と戦ってきた彼にとって「ハミルトンの名を守りたい」というおれの青臭いセリフは、直球すぎて想定外だったのかもしれない。

 

 彼はデスクに両肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せて、おれをじっと見つめた。

 そこにあるのは、いつもの取り澄ました当主の仮面じゃない。なんだかすごく嬉しそうな、それでいて戸惑うような……年相応の青年らしい眼差しだった。

 

「それほどまでおっしゃるのであれば、なんとかいたしましょう」

 

 アレンさんはそう言って、組んでいた指をほどいて、机の表面を数回指先で叩いた。その仕草には、迷いを断ち切ったような清々しさと、それから——いたずらを思いついた子供じみた——妙な明るさが混じっている気がした。

 

「ほんとですか、ありがとうございます!」

「ええ。ですがハミルトンの教育は、王都のそれよりも古風で、いささか……いえ、かなり骨が折れるかもしれません」

 

 無事快諾された喜びも束の間、随分と含みのある言い方だ。王都よりオールドスクールってどういうことよ、体罰ありって感じ?

 彼はスタンドからペンを取ると、何かしらメモをとりながら続ける。

 

「指導役として、ミセス・スタンリーに話を通しておきましょう」

「あ、はい。スタンリーさんなら、確かに心強いですね」

 

 おれはあの快活でチャーミングなオバ様の顔を思い出し、少しだけ安堵した。知っている顔なら、まだやりやすいかもしれない。……そんな甘い考えは、アレンさんの次の微笑みによって瞬時に吹き飛ばされた。

 

「彼女以上の適任はそうそういませんよ。なにせ彼女は、母上に代わってこの屋敷を仕切る、バレントリア随一のハウスキーパーですからね」

 

 彼はそう言って、意味深な笑みを残したまま、ふたたび手元の書類にペンを走らせ始めた。

 カリカリと規則正しく響くペン先の音。その音に乗せて、おれの中に嫌な予感がじわじわと広がっていく。

 

 うむ、このお屋敷に勤める使用人の実質トップから直々のご指導かぁ。日本でいえば、入社早々に現場の酸いも甘いも噛み分けた叩き上げの役員から、マンツーマンで研修を受けるようなもんか……?

 しかもスタンリーさんは、アレンさんにとって家族に近い立ち位置の人だろう。多分、どんな教育内容か分かってて笑ったんじゃなかろうか。

 

 ……ちょっとこれ、大ごとどころか、とんでもないスパルタ教育になりそうじゃん?

 先ほどまでの、覚悟を決めたはずの威勢はどこへやら。おれは何とも情けないことに、すでに若干、いや、かなり強烈に気後れしてしまっていた。

 

 * * * *

 

 敷地内に建てられている使用人棟の一角。家政婦長室のドアを叩いたおれを待っていたのは、背筋に鉄板でも入っていそうな、氷のように正確なカーテシーでおれを出迎えるスタンリーさんだった。

 見間違えかなぁ。お部屋は間違えてないはずなのに、いつものちょっと忙しなくておしゃべりなおばさまが見当たらない。なんだろう、シバき倒される予感しかしない……自分のお部屋に帰りたい……。

 

「よろしく、お願いいたします……」

 

 おれはスタンリーさんになんとか挨拶を絞り出す。窓から差し込む光が逆光になっていて、表情が読めないのも余計におっかない。

 

「お話は旦那さまからお聞きしておりますわ。使い魔さまが、淑女としての道を歩む覚悟を決められたと」

「え、ええ、まあ、そんな大層なものじゃないんですけど——」

 

 おれが愛想笑いを浮かべた瞬間、彼女の鋭い視線がおれの背後に突き刺さった。

 

「では初めに、使い魔さま。……まずはその、ハレンチなものを収めていただけますこと?」

「は、ハレンチ?」

 

 おれは思わず自分の胸元を確認したが、ボタンはちゃんと留まっている。どうやら彼女が指し示していたのは、無意識にゆらゆらと揺れていたおれの尻尾だったようだ。

 

「あ、尻尾ですか」

「左様でございます」

 

 おれは今日も今日とてイザベラさん謹製ドレス、冬服バージョンを着ている。朝用のドレスなんかはこちらで用意してくれたものも着るけど、かっちりしたやつは断然こっちの方が着心地がいいからだ。

 

「やっぱり、隠したほうがいいんですか?」

 

 尻尾は隠すもの。

 そういった話は、ちらほら耳にしたり本で読んだりしてきた。だが、どれくらい厳密なのか実感としてわからず、今まで出しっぱなしにしていた。無理に服の中へしまうと圧迫感あって気持ち悪いし。

 

「……淑女が公の場で尾を剥き出しにするのは、下着を晒して歩くも同義ですわ。獣人など、尾を持つ方は専用の覆い布(テール・カバー)で隠すか、服の中に収めるのが最低限の嗜み。とくに、殿方の前では言語道断です」

「そんなに」

 

 えー、マジか、下着かぁ……。

「下着」という強烈なワードを飲み込んだ瞬間、頰の毛の下で、顔が沸騰しそうなほど熱くなった。なに? ということは、アレンさんやヘイグさん、シャーロットさんやノアくんと接していた間、おれはずっと社会の窓全開だったみたいな感じ? ファーストコンタクトからずっと、まじめ腐った顔で下着丸出しだったってこと? そういうさ、大事なことはちゃんと最初に教えてくれよ魔女サマよぉ〜?

 

 問題の尻尾は、おれの動揺を映し出すようにぶわっと膨らんでいた。なんかもう、無意識にこうなるのも気恥ずかしく感じる……。

 

「も、もうちょっと早く指摘してくれても……」

「使い魔さまであることに遠慮して、これまで誰も指摘しなかったのは、ハミルトン家始まって以来の不手際ですわね」

 

 スタンリーさんは肩を小さくすくめてそう言った。言葉では「不手際」と言いつつ、その瞳や振る舞いにはまるで詫びるような様子が見られない。非を認めているというより、おれの無知さを受け入れただけ、という感じだ。

 

「とにかく、自ら『学びたい』とおっしゃってくださって助かりましたわ。使い魔さまといえど、淑女には淑女の立ち振る舞いというものがございますから。たとえ、元々は殿方だったとしても、ね」

「アッス……そっスね……」

 

 それはもうほんとにそう。ぐうの音が出ないくらいそう。スタンリーさんの言葉に、おれは肩を縮こませる以外になにも出来なかった。こういう時、我ながらデカい図体が恨めしい。昔から、反省の気持ちとは裏腹に、イマイチ反省してないように見られるんだよなぁ。

 

 そんなふうに、肩を落として耳も倒していると、彼女は小さく息を吐いて椅子に座るよう促した。

 シンプルな木製の椅子に座って、スタンリーさんと向き合う。しゃんと背筋を伸ばした彼女の、芯の強そうな瞳。その迫力に、おれは思わず固唾を飲み込んだ。

 

「使い魔さまには、覚えていただくこと、身につけていただくこと、様々なエチケットやマナーがございます」

「はい」

「正しい発音に食事の作法は当然として、四王家の家系図と姻戚関係、社交の基本となる紳士録の暗記。それから、ダンスにピアノに歌唱など。さらには有尾人としての正しいエチケットも。身につけていただくことが目白押しですわね」

「はい……」

 

 提示されたカリキュラムの物量に、おれの意識が遠のきかける。なんとなく想像していたマナー講座というより、これはもう再教育キャンプみたいなものだ。スタンリーさんはいつものウインクで話をまとめると、机の上に置かれた、小さな旅行鞄のような裁縫箱を手元に引き寄せた。

 

「今日は、簡単にお裁縫から始めましょうか」

 

 ()()に、ねえ。おれ、縫い物なんてなんにも覚えてないぞ。玉結びってどうやるんだっけというレベルだ。

 

「ううん、義務教育でやったぶりですね」

「あら、使い魔さまのお国では、殿方も針を習いますの?」

「そうですね。と言っても、子供の頃にちょっとですけど」

「素敵なことですわ。この地でも、昔の狩人は山で自分の服を直したものです。針仕事には、その者の誠実さや気品が現れますのよ」

 

 彼女は上機嫌に頷くと裁縫箱を広げ始めた。それは使い込まれた黒い革張りの箱で、角は鈍く光る真鍮で補強されている。イザベラさんが持たせてくれた毛繕い道具の鞄とよく似た、実用一点張りの質実剛健な佇まいだ。

 蓋を開ければ、そこには整然と並んだ色とりどりの糸巻と、長さごとに分類された鋭い針が、まるで整列する軍隊のように隙なく収められている。小学校の家庭科で使ったプラスチックの箱とは、放っているプロの道具としての迫力が違った。

 

「さて、いきなり手を動かすのもよろしいですが、まずは何を縫うべきかを定めなくてはなりませんわね」

 

 スタンリーさんはそう言って、お裁縫箱の脇に、一冊の分厚い本を広げた。どうやら、様々な種族の女性の身だしなみについて記された本らしい。栞が挟まれたページには、犬や猫の顔をした女性の精密なイラストが印刷されている。

 

「貴女にまず仕立てていただくのは、その剥き出しの野性を理知で覆い隠すための覆い布(テール・カバー)ですわ」

「テール・カバー……自作するんですか」

「当然です。本来、バッスル付きのドレスであれば、スカートの膨らみの中に尾をしまうのが普通です。ですが、せっかく魔女さまが誂えてくださったそのドレス、ケイさまもお気に召しているようですし、無理に伝統的な型に嵌めることはございませんでしょう」

 

 彼女は滔々と語りながら、本の図解を指し示した。

 

「尻尾の付け根を覆うだけの小さいものから、スカートの後ろ半分を覆うような大きなものまで。手編みのレースをたっぷりあしらった最高級品は、すべてのレディの憧れらしいですわね」

「へえ」

 

 なるほどなあ。確かに、本の中に描かれた人物はどれも、なんというかエレガントな雰囲気だ。こういった本はあまり興味がなくて読んでこなかったが、この世界にはおれの知らない文化があるということを思い知らされる。

 なになに、『……尾の動きは心の鏡です。淑女たる者、みだりに見せびらかしたり、感情を露わにするものではありません。これを覆い、抑制することこそが、理知ある貴婦人への第一歩』ですって。見せるだけじゃなくて、あんまり好き放題動かすのもよくないとか、なかなかどうして堅苦しいのね。

 おれはちょっと思うところがあって、視線を下に落とした。

 

「……ちなみに、コレってどんな風に見えますか?」

 

 おれは膝の上に乗せた尻尾を指差した。座る時、つい抱え込むようにここへ置いてしまうのだが、これまでの流れからすると、もはや完全にアウトな予感しかしない。

 

「乳離れ前の子猫みたいで愛らしいですわよ。その熊のように立派なお身体でなければ、お菓子の一つでも差し上げましたのに」

「ッス……」

 

 スタンリーさんは片眉をあげて「つまり、幼子の所作ですわね」と追い討ちをかけてきた……。どうりでお世話になり初めの頃、アレンさんとかギョッとした顔をしてたわけだ。いい歳こいて幼児ムーブをかましてたとか、客観的に見て相当にキツすぎる。もうヤダ消えてぇ、リライトしてぇ……。

 

「さあさ、お気を確かに。順を追って参りましょう」

 

 彼女はすこし呆れたような声音でそういうと、端切れとボタンをいくつか机に広げた。

 

「ではまずは、ボタン付けの練習から。取れかかったボタンを放置するのは、心の綻びを放置するのと同じ。淑女の身嗜みは、常に整っていることが最低条件ですのよ」

「ボタン付け、ですか」

 

 差し出されたボタンを手に取る。だが、彼女の「教育計画」はこれで終わりではなかった。

 

「これを基礎として様子を見ながら、貴女の野性を包むためのテール・カバーを仕立てましょう。そして最終的には、ハミルトンの紋章を刺繍していただきます」

「し、刺繍まで」

「当然です。刺繍とは単なる装飾ではなく、その家の歴史と格式を布に刻み込む神聖な儀式。針の進みに迷いがあれば、それはその家の尊厳を汚すことに他なりません。ハミルトンを背負う者として、一針たりとも妥協は許されませんのよ」

 

 まいったなあ。話のスケールがどんどんデカくなっていくぞ。大体おれは裁縫セットから習字セット、エプロンにナップザック全てドラゴン柄で通した男だぜ。青い稲妻を纏った銀龍がプリントされた、あの黒い裁縫箱を教室で誇らしげに広げていた遠い日のおれに教えてやりたい。お前、二十年後に異世界で女になって、おばさまにシバかれながら縫い物することになるぜって。

 

「それに針仕事は、単なる作業ではございませんのよ。言うなれば、己の乱れた精神を整える『心の調律』みたいなもの。さあ、まずはこの指ぬきを。……あら、入りませんわね」

「ん、入んないですねぇ」

 

 スタンリーさんが用意してくれていた指ぬきは、人より太くて肉球付きのおれの指にはフィットしなかった。彼女は「困りましたわ」と口で言いながらも、その目は獲物を値踏みする鷹のように鋭い。彼女は棚から丈夫そうな革の端切れを取り出すと、手際よくおれの指のサイズに合わせて裁断し、即席の指サックを縫い上げ始めた。その指先の動きは正確で素早い。もはや魔法みたいだ。感心しながら待っている間に、今日使う分には必要十分な指サックが完成した。

 

「いかがでしょ?」

「完璧です」

 

 こうして、おれのお裁縫修行が幕を開けた。そして、これがもういきなりハードなものだった。針仕事という、繊細な動作。学校で学んで以来ウン十年ぶりな上に、これまでと勝手の違う手指。針に糸を通すだけで五分以上。一針縫うごとに、眼精疲労や肩こりが……。

 それでも、スタンリーさんの指導を受けながらいくつかボタンを付けていると、なんとなくコツを掴んでくる。しかし、それにちょっと油断してしまったのか。

 

(いて)ッ」

 

 おれの指先から、ポツリと赤い血が滲んだ。

 

「あらあら、さっそく洗礼を受けましたわね」

 

 スタンリーさんは、止血用の清潔な布を差し出しながら、にこやかなのに、しかし一切の妥協を許さない笑顔で言った。

 

「訓練にケガは付きもの。『その痛みは、お前の慢心を正す薬だよ』……なんて、主人がよく新兵に言っておりましたわ。さあ、血を拭いたら続きを。布を汚してはいけませんわよ」

「……ハイ」

 

 このオバ様、完全に体育会系のノリだ。問答無用で体に覚えさせようとする感じの、正直苦手なタイプ。

 不意に社畜時代の、深夜三時の修正依頼を思い出す。でも、スタンリーさんは頼れば応えてくれるし、あの時の絶望感に比べれば、こんなんまだまだ。……いや、やっぱりどうかな、不安しかないなぁ。

 

 数時間後。おれが端切れと格闘している間に、彼女の教育熱は危険な領域に達していた。

 

「素晴らしいわ、使い魔さま。指先は不器用ですが物覚えがよろしい! これならすぐにでも王都の馴染みの商人を呼びませんと。最高級の刺繍糸に、特注のレース、それから——」

「ちょ、待ってください! 業者呼ぶのはまだ早いですって!」

「いいえ、早すぎることはありませんわ! 旦那さまが帰られる頃には、貴女をハミルトンの生ける芸術品に仕上げてお見せしなければ。旦那さまは少々身内に甘いところがありますが、世間はそういきませんわ。外からの目は容赦ございませんもの!」

「おぉん」

 

 彼女の背後に、ありもしない炎が見えた気がした。アレンさん、あなたが「適任だ」と笑っていた理由が、今ようやく、骨身に染みて理解できました。おれはダメかもしれません。

 

 * * * *

 

 それから数日後。アレンさんが王都へ向けて出発する日。

 

 屋敷まで続く道は雪解けでぬかるみ、湿気を含んだ冷たい風が、玄関ホールへ吹き込んできていた。北方の春は名ばかりで、空気の端々にはまだ冬の鋭い刺が残っているようだ。吹き込んでくる外気は無遠慮に足首へ絡みつき、体の熱を奪っていく。

 

 玄関先には、屋敷の使用人たちが揃っていた。御者が馬の首筋を撫で、蹄が湿った地面を踏むたびに泥の匂いがする。革のハーネスがきしむ音に、誰かの囁き声。いつもより少しだけ慌ただしい、浮き足だったような雰囲気。

 

 おれも、その列に混じって立っていた。

 

 スタンリーさんの特訓のおかげで、背筋は以前より気持ち伸びているように思う。コルセットの締め付けに、正しい立ち姿。窮屈で仕方がないが、不思議と嫌な気分ではない。針仕事を()()調()()と言ったのは伊達じゃないらしい。たぶん、この締め付けも同じだ。身体が勝手にだらけようとするのを、細い骨組みが咎めてくる。

 

 今日はちゃんと、尻尾を隠している。布と縫い糸との格闘の末に完成した覆い布の下、スカートへ沿わせるように。なんとも言い難い圧迫感はあるが、これまでのやらかしを思えば、これくらいなんともない。

 

 そんな空気を堪能していると、アレンさんが玄関ホールに姿を現した。

 

 彼は、これまで見たことのない、仰々しい装いをしていた。襟元まできっちり閉じた外套に、黒光りする背の高い帽子。両手には純白の手袋。小脇に重厚なステッキなんか携えているその姿は威風堂々としていて、ほんとうに王族なんだなと感じさせる。

 そして彼が歩くたび、澄んだ靴音がホールに響く。そのたった数歩で、屋敷の空気が切り替わるのを感じた。

 

 アレンさんはまっすぐ外だけを見つめ、歩みを進める。短い使用人の列を過ぎ、おれの前も同じように通り過ぎる。馬車のステップに足をかけたところで、彼はふと足を止め、こちらを振り返った。

 

「では、行ってまいります。……ケイさま、あまり根を詰めすぎないように」

 

 そう言った彼の顔には、領主としての鉄の仮面ではなく、どこか心細さを隠しきれない表情が浮かんでいるように見えた。思えば、彼は家督を継いで以来、こうして独りで重荷を背負って王都へ赴いてきたのだ。

 

「はい。アレンさんも、お気をつけていってらっしゃい」

 

 おれはスタンリーさんに叩き込まれた、優雅でお淑やかな会釈を贈った。首の角度、目線の先、指先の揃え方、重心の位置。頭の中で「大変よろしい!」と誰かの声がする。

 

 顔を上げると、アレンさんは目を丸くしていた。どうよ、なかなかうまいもんだろ? おれは内心ドヤ顔でそう問いかける。

 でもアレンさんは、すぐに表情を元に戻してしまった。いつもの凛々しい顔だ。それでも最後に、微かに口角を上げ頷いてから、馬車へ乗り込む。

 

 扉の閉まる音が、短く響いた。

 

 彼の姿が馬車へ消えてすぐ、御者の掛け声。馬のいななきとともに、車輪が軋む音。馬車はゆっくりと動き出し、泥を跳ね上げながら屋敷の門の方へ向かっていく。

 

 おれは馬車の背を見届ける。そうして車輪の音が聞こえなくなると、おれは深く、胸の奥に溜まった息を吐き出した。

 

「……さて。おれの淑女修行(戦い)は、まだまだこれからですわー……ってか。はぁ、肩凝った……」

 

 思わずそう口にした途端、背中の筋肉が一斉に抗議を始めた。ただつっ立っていただけなのに、全身満遍なくギシギシいっている。

 

 しかし、王都という名の戦場へ独り乗り込んでいったアレンさんの負担を思えば、これくらいの苦痛は何てことはない。針が指に刺さる痛みも、尻尾を隠す圧迫感も、全身に気を配る疲労も。全部慣れれば済むことだ。

 

 そして、戦いを終えた彼が屋敷へ帰ってきたとき、せめて「魔女の使い魔」という隣人の存在が、彼の助けになるように。

 

 おれはおれで、この窮屈な武器を自分のものにしてみせるしかない。

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