首輪が外れるその時に 作:dekunobou
いやあ、まったくもって参ったねこりゃ。急に自分が自分じゃなくなったような感じがあってわけもわからずピーピー泣いてさ。いやはやお恥ずかしいやら情けないやら……。挙句初対面の女性に宥められるだなんて、顔から火が出そうな思いだ。今はおそらく毛むくじゃらだろうから、ぱっと見わかんないかもだけど。
そして、そんな彼女を一目見て、おれはどうして『魔女』だと思ったのだろう。初対面の女性を魔女と形容するのは、少なくとも褒められたものじゃないよな。
ベッドに腰掛ける彼女は、たっぷりとしたドレープによって生まれる艶が生き物のように蠢く、漆黒のドレスを身に纏っている。生気を感じさせない、真珠のように白い肌との対比が眩しい。無造作に流した、烏の濡れ羽色としか言いようのない深い黒の髪と、冷ややかさすら覚えるような深い赤銅色の瞳。そして、左手には黒檀と象牙を組み合わせた”杖”を携えていた。
——いやめっちゃ魔女だわ。
思ってた以上に魔女アピールしてたわ、うん。
「——、——?」
ほぼ確定魔女は、イマイチ歳がわからない美貌に笑顔の形を浮かべながら、おれに声をかけた。
しかし残念ながら全くもって言葉がわからないので、おれは何も言えずに目を泳がせることしかできない。彼女は微笑をたたえたまま、アホ面で黙りこくるおれを見つめていたが、しばらくたっても一言も返ってこない状況に眉を顰め始めた。
「——?」
「ンナゥー」
「——……」
あぁ、ついにネコチャンに話しかけさせてしまった。どう考えてもこの人命の恩人的なやつだろう。テンパってしまって礼の一つも述べられない己の情けなさに、穴があったら入りたいことこの上ないので穴掘ってきていいすか? しかし不思議なことに、彼女とネコチャンの間で会話が成立していたように思えた。
おれが苦虫むしゃむしゃしていると、魔女はパチンと指を鳴らした。つい音につられて彼女を見れば、その指先には碧い炎が灯っていた。……拳銃で撃たれた時に見えたものと、ついさっき彼女が現れた時と同じ色の炎だ。
たぶん、この炎は彼女の魔法とか、そういうものなのだろう。彼女はゆらゆらと踊る炎を手のひらに移すと、おれの方へそれをフッと吹きかけた。
「おわっわっ」
魔女の息に乗って、炎が想像以上にゆっくりと漂ってくる。熱くはなさそうだが、火を近づけられればビビってしまうのも仕方がない。おれは反射的にベッドの幅が許す限り後ずさってしまう。
そうこうしている間に、ついに炎が目前まで迫っていた。音も、熱もなく空中で燃える碧い炎。それは、生唾を飲み込んだ瞬間におれの頭に燃え移った。
「オワーッ! 燃えるッ、助け……。いや、全然熱くねえな、なんとなくわかってたけど……」
半分くらいノリで火を消す素振りを交え叫んでみたが、予想通り熱くもなんともない。炎もあっという間に消えた。はぁ、とため息をついて居住まいを直すと、ころころとした笑い声が部屋に響いた。
あ、ネコチャンの目つきが心なしかより険しく……。
「ん、なんだこれ」
ふと、喉元に違和感を覚えた。右手で首に触れてみれば、鞣された革の感触。そのまま手を滑らすと、ひんやりとする部分もある。おそらく、金属か何かが埋め込まれているんだろう。ちょっとした予感があり、枕元に佇んだままのネコチャンを横目で見る。いつのまにか、ネコチャンはクラシカルな装飾が施された手鏡を抱えていた。そして、ちょうどその鏡面は俺の方を向いている。
そこに映っていたのは、黒い毛並みに黒い髪の毛の猫人間だった。いや、右腕と同じで、黒地に斑点が入っているように見える。いうなれば黒豹って感じか。我ながら野生味がなくて締まりのない感じだけど。
次いで目を引いたのは、左右で瞳の色が違うところ。右目が金で左目が青。散々泣き散らかしたから白目が充血してるけど、所謂オッドアイってやつですよね。厨二病が疼くぜこりゃ。
いやあしかし、全然面影ねえんだなあ。まあ、自分の顔に愛着あったかって言われるとそこまででもないんだけど。普通くらい? おれ、こういうのになりたい願望とかあったのかな。夢って深層心理のサムシングがうんぬんかんぬんって言うし?
そして首には、目の前のネコチャンとお揃いの黒革の首輪。いつの間にこんなものつけられたんだろ。十中八九さっきの炎だと思うけど。
「どうかしら、
おれが鏡と睨めっこをしていると、魔女が再び口をひらいた。気怠げだが、なにか楽しんでいるような声音。
というか。
「……あ、ハイ、わかります。ありがとうございます」
すーっげ。言葉わかるようになっちゃったよ。この首輪のせい? マジでファンタジー。
そんでおれ、
「あなた死にかけてたのよ、覚えてるかしら?」
「いやあ、銃で撃たれるなんて初めてなので、あんまり詳しいことは。とりあえず、夢の中とはいえ死ぬかと思いました、ハイ」
ちゃんと言葉でコミュニケーション取れるって素敵。安心感と共にストレスが解消されるのを感じる。……あとはこの夢が覚めてくれれば言うことなしだ。
「夢? あらあら、そういう問答は嫌いじゃないけれど、わたしにとってはここが現実で、今はもう昼下がりよ。寝ぼけてないで、お茶にしましょ。服は持ってこさせるわ」
「はあ、お茶ですか…………」
いやあ、夢じゃないってさ。
ウケる。
じゃあなんだい? 何も知らないおれは、ひょんなことから異世界にやってきちゃって脇腹撃たれて死にかけて、魔女ーッて感じの魔女に助けられてそんでなんか毛むくじゃらの猫人間になって、挙げ句の果て女になってしまったってことかい? ハッハッハ! そいつはケッサクだぜ、笑いが止まらないね!
そりゃそうだよなあ。
死ぬほど痛かったもんなあ。
夢じゃ無えんだよなあ…………。
+ + + +
魔女さんが
そしてそのなかで最も大きい、ピューマのような子の脇には、トランクがひとつ括り付けられていた。バイクでいうサイドバッグみたいな感じ。確か、馬とかラクダもあんな感じで荷物運ぶっけ。いやしかしビジュアルがだいぶメルヘンチックな感じだな。
ちなみに、さらっと説明されただけなのでイマイチよく分かっていないのだが、この首輪は魔女の”使い魔”だという証らしい。つまり、おれも使い魔にされちゃったってことでいいのかしら。あとでちゃんと聞かなきゃ……。
おすまし顔のピューマがおれの前でおすわりの姿勢になる。すると、不思議なことに固定していたベルトが勝手に外れ、トランクがゆっくりと床に降りた。そこへ白いペルシャ猫——魔女曰く現在最古参のアントンさん(年齢不詳)——がやってきてナーとひと鳴きすると、トランクがゆっくりと開いた。
そのトランクの中には、ドロワーズからコルセット、ドレスなどの着替えが一式揃っていた。
「お、おお……。これを、着ればいいのね?」
選択肢はないんだろうけど、目の前に差し出された女物の服にたじろいでいると、おれの足元でアントン先輩がニャアと鳴いた。
彼の目が語っている。
四の五の言わずにさっさと着替えなさい、と。
そこからがまた大変だった。
そもそもだね、三一歳成人男性がね、なんの戸惑いもなくドレスなんて着れるわけがないんですよ。でも悔しいことに今のおれは一糸纏わぬすっぽんぽん。毛皮があるからあんまり恥ずかしくないと思いきや、周りでベッドメイクなどのお仕事に励んでいる猫さんズの視線が絶妙に気になるのだ。なんかこう、知性、感じるんですよね。いやまあ、彼らも全員使い魔ってやつなんだろうけど。
ドロワーズやシュミーズなんかはまだいい。普通の下着とそう大して変わらない。ズボッとやって紐でキュっだ。なおドロワーズに関してはご丁寧なことに、尻尾を通す穴が空いていた。ちょっとお尻見えそう。
そんで問題はコレよ。デデーン、コルセット!
「オアー! 無理無理ムリムリ、出ちゃう出ちゃう出ちゃう! ウゴゴゴ……」
手頃なチェストに両手をついて、コルセットの紐を締め付けられる拷問。着替えを持ってきてくれたピューマ君(ちゃんかもしれない)が紐を咥え、大型猫科動物の膂力でギリギリ締めてくる。マジで中身出るかと思った。たまらずガチで懇願したら、哀れなものを見る目をしてすこし緩めてくれた。ねえこれ本当に必要なの? バカじゃないの? 必要ねえから廃れたんだろ、今すぐ廃れとけボケが。
「あとは……ドレスか……」
決して派手ではない。
フリルたっぷりにどデカいスカートとかではなく、シックな濃紺のシュッとしたやつ。スクエアな襟ぐりや袖口なんかはベロアになっていて高級感もある。
決して派手ではないが、明確に確実に女物である。さすがに、抵抗感がしゅごい。しようがないことだとは思うが、なんだか罰ゲームを受けているような心持ちにさせられる。
だが、交渉の余地はあまりなさそうである。キャビネットの上に移動したアントンさんがおれのことをじっと見ているのだ。彼のへちゃむくれなお顔には独特の迫力がある。一体全体、見張られているのか、急かされているのか。若い頃、ちょっと無口な先輩に仕事を教わってた頃を思い出す。
おれは首を左右に小さく振って邪念を払うと、意を決してドレスに袖を通した。
シュッとした印象とは裏腹に、たっぷりとしたスカートの丈はくるぶしより数センチ上。袖は七分袖という感じで、こちらも割とゆったりしている。ただ、スクエアな襟ぐりからは、コルセットにより寄せて上げられパワーアップした谷間がガッツリ見えていた。まあ、毛皮によって色っぽさはあまり感じないんですがね。
クソ……せっかくのセクシーダイナマイトボデー(おじさんの発音)なのに猫人間だなんて……。全てが、全てが惜しい……。
「えっ、これボタン合ってる? なんか掛け違えてる気しかしないんだけど」
あとはボタンを留めればお着替え完了、というところで最後の難関である。大体、背中にボタンのある服なんて着たことがないのだ。それに尻尾を通す用なのか、お尻から後ろ襟まで全部ボタンになっている。あまりに多いボタンの数にモタモタモタモタしていると、チェストの上に座るアントン先輩がくっそデカいため息をついた。猫にまで呆れられる。おれは何ひとつやり遂げられない。誰もお前を愛さない……机はどこだ、おれが潜り込める机は。
「わっわっわっ」
とかやってたら、狐火みたいな青い火の玉が飛んできて、背中のボタンが留まる感覚がした。呆気に取られていると、その火の玉はアントン先輩の頭上をくるくる回ってから消えた。
満足げに「フスッ」と鼻を鳴らす彼の、ゴージャスな尻尾が優雅に揺れている。
すげえ、パイセンまじ半端ねえっす。猫って表情筋に乏しいはずなのにそんなドヤ顔できるんすね。まあただの猫じゃないんだろうけど。最古参らしいし。
「ありがとうございます、助かりましたパイセン」
お手を煩わせてしまいほんと申し訳ない。でも世間一般の限界社畜おじさんはこういう女物の服の着方に精通してねえんじゃねえかな。してねえと思うんだけどなあ。してる人もいるのかなあ。いるんだろうなあ、世界って広いから。おれも新しい扉開けちゃった気分だよね。
というか、着るもの全部ジャストサイズなの意味わかんね。体感、ほとんど身長は変わっていないように思える。つまり一七八センチ前後は今もあるということ。女性基準ならかなりの高身長だろう。それなのに、採寸したかのようなサイズ感。
……まあ、魔女だしな。ファンタジーだしそういうこともあんべ。おれは深く考えることをやめた。眠ってる間に使い魔さんたちが測ってくれたとかもあり得そうだし。
さてと、身だしなみもオーケー。髪は首輪付けられた時になんか整えられてたっぽい。魔法って便利。おれも使えんのかな。想像したら年甲斐もなくワクワクしてきたぜ……おれも男の子だからよ……。
さて準備オーケー、それじゃあお茶の時間だ。なんだかんだ昨日? の晩から飲み食いをしていないので、コルセットで締め付けられた腹が鳴る。
俄かに空腹感を覚えたおれは意気揚々とドアノブを握った。
真鍮製のドアノブはすばらしい建て付けの良さで、まったくガタ付きもない。
それはいいんだけど。
回んないなこれ、壊れてない?
「うん〜?」
もしかしてこれ回さないやつ? 魔女さん、どうやって出ていったっけ。ううむ。押してダメなら引いてみろってこと?
「え、なにこれ開かないんだけど?」
押しても引いても、うんともすんともいいません。
思わず足元のアントンさんに声をかけると、出会ってから史上最大の『なに言ってんだこいつ』という顔をしていた。
え、何? おれが悪いのこれ?
あたりを見渡すと、猫さんズもみんな『マジかこいつ』って顔してた。
なんだよ! おれなんも分かんないんだから優しくしてよもう!