首輪が外れるその時に   作:dekunobou

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ひとりぼっちのあいつ

 やらかしてしまった。ハミルトンさんの言葉を消化した途端、血の気が引いて喉の奥が狭まる。いつもなら、触れるべきでない話題だと気づけただろうに。まだまだ関係性を築けていない状況で、ご家族の話題に触れるなんてどうかしている。完全に油断していた。気持ちだけが先走っているのか、今も舌が喉に張り付いてしまったようにうまく動こうとしない……。

 

「使い魔さまがお気に病むことではございません。それに、ままある話ですから」

 

 何も言えないでいるおれに、彼は完璧な微笑みを浮かべてそう言った。つい先ほど、一瞬だけ浮かんだ悲しみのような色は完全に塗りつぶされてしまった。それがどうにも悲しいことのように思えた。

 

「その……失礼し——」

 

 頭を下げ、詫びようとしたタイミングでノックが響く。

 

「誰だ」

 

 ハミルトンさんの柔らかな微笑みが、外行きの表情へ切り替わる。威厳を感じさせる、低く端的な誰何の声に、おれは途中まで出かかっていた言葉尻を完全に飲み込まざるを得なかった。そしておそらく、このノックのタイミングは意図的なものなんだろう。おれと、ハミルトンさん両方へ慮ったようなタイミングだった。

 

「ヘイグにございます、旦那さま」

「入れ」

 

 ハミルトンさんの声に応じて執務室の重厚な扉が開くと、枯れ枝のようなヘイグ(老執事)さんが現れた。

 一呼吸置いて、彼は深く一礼する。

 

「客間の支度が整っております。ご案内いたしますか、旦那さま」

 

 ハミルトンさんはわずかに目を伏せ「……ああ。ヘイグ、彼女をご案内して差し上げなさい」と指示を出す。

 

「かしこまりました」

 

 ヘイグさんはもう一度頭を下げると、執務室の入り口で半身をずらし、待機の姿勢をとった。

 

「イトカワさま、ヘイグがお部屋までご案内いたします。それと……侍女とまでは言えませんが、メイドを一人おつけします。なにかご用があれば、彼女かヘイグにお申し付けください」

 

 視線をおれに戻したハミルトンさんが、再び笑みを貼り付けてそう言う。その柔らかさを取り戻した声音に、罪悪感を刺激された。

 

「あ、ありがとうございます。大変興味深いお話で、勉強になりました。また、改めてお世話になります」

 

 そう言いながら、胸の奥に残ったざらつきをどうにか押し隠すように、表情と声を整えて深く頭を下げた。

 その一連の動作が、自分の不格好さをごまかすための儀式みたいにも思えて、余計に情けなくなる。

 

「どうぞこちらへ」

 

 おれはソファから立ち上がると、もう一度ハミルトンさんへ目礼してヘイグさんのエスコートに従った。

 

 + + + +

 

 執務室の扉が閉まると、呼吸が無意識に浅くなっていたことに気がついた。

 一度、肺がからっぽになるまで息を吐いて、ゆっくりと吸う。生まれて初めて目にして体験した、貴族的なあれやこれ。どうしたって緊張はするし、気疲れもする。しかも、ハミルトンさんはおれの想像以上に雲の上の人だったわけで。そして狼藉のバリューパックに、地雷を踏み抜くおまけ付き。完全にやらかしてしまったなあ。しみじみとそう思う。

 

「使い魔さま、よろしいでしょうか」

「あ、ハイ」

「お世話を預かるメイドをご紹介いたします。ハウスメイドのシャーロット・グランタハでございます。当面のご用向きはこちらへお申し付けくださいますよう」

 

 部屋から出た瞬間に始まった脳内反省会は、ヘイグさんの声によって強制終了させられた。

 正直それまで気がつかなかったのもアレだけど、ヘイグさんの隣に、一人の若いメイドさんが佇んでいた。彼の紹介によると、どうやらこの子が例のお付きのメイドさんらしい。おれなんかにお世話係ってさぁ……。こういう扱いをされる度、庶民マインドが悲鳴を上げる。勘弁しちくりーって。

 

「は、はじめまして。これからこちらでお世話になります、イトカワと申します」

「グランタハでございます」

 

 リボン付きのメイドキャップから、明るいブラウンの髪が覗くメイドさん。彼女は朴訥そうな青い瞳でおれを見上げると、名乗りだけのシンプルな返礼をした。ああもう。なんかこう、どうしようもなく立場の違いを感じさせる応対だ。ハウスメイドって言ってたし、多分庶民で平社員的な存在なんだろう。

 

「ええと、グランタハさんですね、いろいろとよろしくお願いいたします」

 

 おれがジャパニーズスマイル・ウィズ・おじぎで答えると、グランタハさんは面食らったと言う顔で瞳を瞬かせた。そして彼女は両手をエプロンの前に揃えたまま目礼して半歩下がる。なんとも悲しい距離感。

 

「では、お部屋までご案内いたします」

 

 些細なモヤモヤを噛み締めていると、タイミングを図ってヘイグさんが声をかけてきた。正直助かる。おれは短く返事をし、先を行くヘイグさんのあとに続いた。

 

 というかヘイグさん、お歳はいくつくらいなんだろう。腰はまっすぐで矍鑠としてるし、身長も結構ある。ハミルトンさんよりわずかに高いくらいか。まあおれよりは全然低いんだけど。それに、いちいち所作がカチッとしている。なんかこう、そういうところも職人然としていて好感が持てる人だ。そんなことを考えながら、薄暗い廊下を歩く。

 

 そして、沈黙が許される状況に置かれたおれは、ようやく自分自身の身体が発するアラートに気がついた。

 

(あ、やべ。おしっこしたい)

 

 尿意って、一度気がつくと加速度的に酷くなるよね? つまりそういうこと。正直緊張が緩んだっていうのもあると思う。やばい。これはやばい。なんかおれ、こっち来てからこんなんばっかだな。

 

「あ、あのぉ」

「なんでございましょう?」

「お手洗いに行きたいのですが、お借りしても?」

 

 おれは迷うことなくヘイグさんに問いかけた。こういう時、部屋に着くまで我慢しよ、みたいなのが一番よくないんだ。おしっこ我慢して打ち合わせ内容一切覚えてないくらいなら二、三分遅れる方が断然マシ。もちろん一報入れてからだけど。

 

「……グランタハ」

「は、ハイっ」

「使い魔さまをバスルームへ」

「承知しました。……ささ、こちらです」

「いやはや、申し訳ないです、すぐ戻りますので、はは……」

 

 おれは一度ヘイグさんと別れ、グランタハさんの後を追う。気持ち内股で。

 さすが彼女もこの屋敷のメイドさんといった感じで、緊迫したおれを時折気にかけながら案内してくれた。なお、その表情は若干硬い。ほんと申し訳ない……。

 

「お待たせいたしました、こちらがバスルームでございます」

 

 刻一刻と緊急度を増していくアラートに急かされながらたどり着いたバスルームは、幸運にも案外近くにあった。ハミルトンさんにお屋敷内を案内された時にはスルーされていたので不安だったが、これにて一安心。すこし肌寒いバスルームは、元砦を改築した屋敷らしく、他の部屋や廊下に比べると石造りの構造体が目立つ。縦長の小さな窓から差し込む外光が、冷たい空気の中で白く揺れていた。部屋の奥には、白地に青の釉薬が鮮やかな陶器製のバスタブが鎮座している。妙に洗練されたそのデザインが、この無骨な屋敷の中ではひどく浮いて見えた。

 

「どうぞこちらを」

 

 水場特有の、すこし重たく冷たい空気に気圧されていたおれは、グランタハさんの声で現実へ引き戻された。そして、彼女が手で示した先には、奇妙な椅子が一脚。前面に扉のついた木製の箱に、肘掛けつきの椅子が融合したような代物だ。その座面の中央には、鍋蓋のような陶器の円盤。

 

 ……さすがに、ここまで来ればわかる。これが便器なんですね。

 

 グランタハさんが蓋を持ち上げた瞬間、答え合わせは完了した。ああ、下水はまだ本格的じゃないのか。とはいえ清潔に保たれていそうだし、こればっかりはしょうがない。日本にも地獄みたいな公衆トイレがあるしな。この程度、些事だぜまったく。

 

 それじゃ、さっさと下着を下ろして——

 

 下ろせなかった。

 ……いや、ちょっと待て。これ全部脱がないとできなくない?

 

 「ちょっとまってこれどうすんの?」

 

 コルセットが邪魔で屈めないし、そもそも下着類の上から締めてあるから、下だけ脱ぐとかできないじゃんね!

 お、詰んだか?

 

「え? 下にお召しのものに開いておりませんか?」

 

 壁際にて待機していたグランタハさんが素っ頓狂な声を上げた。

 

「何が?」

「何って、穴が」

「穴が!? 尻尾の穴以外に?」

「え、ええ。普通は、用足しのための、穴が」

 

 そんなもんなあったか!?

 記憶を反芻するが、確かに尻尾を通す用の穴以外にそんなものはなかったはずだ。もちろん脚を通すところは除いて。

 いやしかし、おれが見落としていただけかもしれない! 念のため、スカート部分に手を突っ込んで股座を確認する。視界の隅で、グランタハさんが頬を赤らめている。でもマジで冗談にならないくらいヤバいんだって。

 

 だがしかし、無情。

 

「……開いてないね、穴」

「な、無いってことはないでしょう!」

「実際ないんだよ、ほら」

 

 俄かに声を大きくした彼女に向かって、おれは裾をたくし上げて見せた。

 こうしている間にもどんどん限界が近づいているんだ、変質者チックかもしれないけど背に腹はかえられねえんだよ。

 

「わ! 使い魔さま! はしたなくございますよ!」

「いやだってマジでないんですもん!」

 

 グランタハさん顔真っ赤。おれは真っ青。

 彼女は「あーもう!」と頭を振り、おれの元まで駆け寄ってきてくれた。もしかするとこういった服に慣れてないおれの見逃しがあるかもしれない。お願いだそうであってくれ頼むから。

 

「え、ええっ、ほんとだ! というか縫い目もない!?」

 

 ダメかー!

 

「どっどど、どうしたらいい!?」

「……仕方がありません、使い魔さま!」

「ハイ!?」

「お召し物失礼いたします!」

 

 グランタハさんはおれの背中側へ回り込んでドレスのボタンを外し始めた。たのむ早くしてくれ神様おねがいもう悪いことしませんから。

 

 「使い魔さま! あと少しの辛抱です!」

 

 さすがハミルトン邸のメイドさん! 神速の手捌き! そして背中がフリーになったドレスから脱出。あとはコルセットだけ! さっそく取り掛かってくれたのか、胴体を縛り付けていた紐が少しずつ緩んでいくのを感じる。あ、あとすこし……

 

 お腹がフリーになったとおもったら、ぷつんと何かがとぎれる感じがした。

 

「あっやっ、やべっ、……っあ〜」

「……あー」

 

 

 ……ああ、床も石造りだからお掃除楽そうでいいね。

 

 

 大丈夫ですよ使い魔さま、すぐに替えのお召し物をお持ちしますから。グランタハさんはそう言って、慈母の如き優しさで後片付けをしてくれた。ごめんなさいね、おじさん、お仕事増やしちゃったよ。手伝おうとしたら迫真の表情で断られちゃったし。

 

 おれの下着が変だった件、彼女が言うには、たぶん魔女さまが想像だけで作ったんじゃないかって。なるほどね。

 

 + + + +

 

 おれは案内された客間で燃え尽きていた。

 

 この部屋は、暖炉こそあれどどこかひんやりしていて、さっきまでの騒動が嘘のように静まり返っている。

 おれは寝椅子に腰を落とし、全身の力が抜けるのを感じていた。

 

 あれだけの一悶着があったのだ。時間だってかかったし、ヘイグさんの耳に入っていないはずがない。その上で、二階の客間まで案内をする間の何も知らぬ存ぜぬという紳士的な態度。やっぱあの人プロやな——

 

 あと、グランタハさん、十九歳だって。めっちゃ若いのにちゃんとプロですごい偉い。超立派。おれが十九の時なんて、大学の講義そっちのけでサークルに入り浸ってたもん。お父さんお母さんごめんなさい……。そしておれは、そんな子の目の前でお漏らしする三十路すぎのおじさん。想像より介護されるの早かったなあ。あと四〇年くらいは先のことだと思ってたよ……。もう乾き切った笑いしか出てこない。

 体が勝手に某燃え尽きたぜのポーズになる。すると、股の間が心許ないような感じがした。だって新しく用意してもらった下着、ほんとに穴開いてんだもん。実際はスカートも下着自体も生地がたっぷりだから、そこまで開放感はないわけだけど。てかそっかあ、ラインダンスってえっちな踊りだったんだなあ。見えちゃうもんな。こいつはどすけべだ。

 

 おれは寝椅子の背もたれに上半身を預けると、もう一度部屋を見渡した。重ねてきた歴史の長さを感じさせる、重厚な調度品。壁掛けのランプには煤ひとつ付いていない。南向きの窓から差し込む夕日が、陰影を一層濃くする。ほんとご立派なお部屋だ。おれが住んでたアパートの間取り全部合わせたより床面積ありそうで、嫌になる。整然と、完璧に整えられた部屋に、おれの私物はくたびれたビジネスバッグ一つだけ。財布に定期に社員証、未開封のタバコ(ハイライト)に私用携帯。あとは折り畳み傘なんかの細々とした物しか入っていない。はあ、一服してえ。

 

 苦し紛れに深呼吸をした時だ。

 

「うおっ」

 

 どたんと音がして、部屋のドアがゆっくりと開いた。

 誰だ? もし屋敷の人なら、ノックをしないなんてあり得るだろうか。よしんばおれが聞き逃してるだけだとしても、大きな物音を立てたりしないだろう。

 背筋の毛が逆立って、手のひらに汗が滲むのを感じる。もう、これ以上の騒動は勘弁してくれ……。

 その願いが通じたのか、姿を現したのは一匹の猫だった。しなやかな四肢に、ミルクティー色の短い毛並み。顔の中央や足先だけが濃い色をした、シャムとかそんな柄の猫だ。そして首には、おれのと同じ意匠の革首輪。おそらく、イザベラさんの使い魔だろう。

 

「ンナー」

「もしかして、先輩使い魔の方ですか?」

「ナン」

 

 おれがそう問いかけると、猫は短く鳴いた。多分肯定。スカイブルーの理知的な瞳がおれを見つめる。悲しいことにおれは使い魔同士の会話ができないけれど、コミュニケーションは成立しているはず。

 

「確か、初対面ですよね……? あの、新人使い魔のケイです。よろしくお願いします……」

「ナー」

 

 イザベラさん家で見た記憶がないので、簡単に挨拶する。するとシャム猫さんは半眼になってもうひと鳴き。これは「んなもん分かってんだよ」的な反応かな? 絶妙に愛想の悪い反応に苦笑いを浮かべると、猫さんは素早い身のこなしでおれの隣に飛び乗ってきた。

 そして、アントンさんが魔法を使った時と同じような火の玉が目の前に浮かんで、一葉の封筒が姿を現した。

 

「手紙?」

 

 それをキャッチしてみると、ターコイズブルーの封蝋が施されていた。たしか、イザベラさんが先触れとして出した手紙にも同じものがあったはずだ。

 

「これ、おれ宛ですか?」

「ナンナ」

 

 鳴き声と共に首肯で返される。おれ宛の手紙かあ、なんの用件だろう……。おれは生唾を飲み込むと、早速封を開けて便箋を取り出した。

 

『ハーイ、ケイ。元気だった? 一人で放り出しちゃってごめんなさいね。あなた念話もできないの忘れちゃってたのよ。代わりに連絡係としてロロを向かわせたわ。あなたは直接会話できないだろうけど、この子は名前を呼べばすぐ来るよう言い付けてあるから。何かあったら手紙でも頂戴な。それじゃ、新世界楽しんでねぇ』

 

 短くて、最低限の内容……。元気も何も、ちょっと前まで一緒にいたじゃないですか。やっぱり魔女って時間感覚おかしいのかな。それと、この使い魔さんはロロっていうお名前なのか。先輩だからロロさんですね。

 

『追伸、しばらく王都には近寄らない方がいいわよ。あなた、警察に追われてたじゃない? そこを私が拾っちゃったからもうみんなピリピリしちゃってるのよ、ごめんなさいね? それに、近頃なんだか魔女自体への風当たりも強くなってるのよね。もし見つかったら面倒くさいことになるわよきっと。だからハミルトンでゆっくりしてなさいな』

 

「ええ……」

 

 手紙を読み終わって、思わず声が出た。

 イザベラさまったらお茶目〜。王都に近寄るなって言われても、大体あなたのせいじゃないですかぁ。

 まあ、お陰様でおれは命拾いしたわけだし、特に王都に行くような用事とかなさそうだからいいけどさ。

 

 おれはため息をつきながら手紙をたたむと、ビジネスバッグの中にそれを仕舞い込んだ。折れたりしないよう気を遣いながら、内側のポケットへ。

 

「ロロさん、お手紙ありがとうございました。これから、連絡取りたい時なんかにお声がけすればいいんですね?」

「ンナーナ」

 

 そういうこと、よろしくねー。とか、そんな感じだろうか。

 ロロさんは満足げにひと鳴きすると、器用にドアを開けてどこかへ去っていった。退室後、ちゃんとドアは閉めていくあたりさすが教育されてるなあと思った。

 

 おれはロロさんを見送ると、どさりと寝椅子に倒れ込んだ。

 ああ、疲れた。それにしても、なんてめちゃくちゃな一日だったろう。

 目が覚めて、使い魔になって。使い魔としては全然役に立たなくて、異世界人としても能力なし。そしてこれからお世話になろうっていうハミルトンさんに好印象を持ってもらおうとしたらなんだか空回り。挙句不敬ムーブに地雷を踏み抜く。最後はトドメのダム決壊。

 

 夕暮れの残滓が、豪奢な部屋をぼんやりと照らす。

 ほんと、なんだか大変なことになっちゃったな。

 現実逃避のため息ばかりが部屋に転がった。

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