首輪が外れるその時に   作:dekunobou

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夜は自己嫌悪で忙しい

「あー……つかれた。もう無理。お家帰りたい。……帰るお家がない。へへっ」

 

 力尽きたおれはベッドへダイブした。それと同時に、口から弱音が溢れる。

 天蓋付きの貴族趣味なベッドに、柔らかな、体の沈み込んでいくようなマットレス。普段使われてない客間だというのに、洗濯したてのリネン類からは何かしらの花の香り。生地のたっぷりとした純白の下着も相まって、どこぞのご令嬢って様相だ。ぶっちゃけ、あまりの場違いさに、居た堪れなくてしょうがない。

 

 いろんなことがあった一日だった。

 怒涛の展開に麻痺していた心が、ようやく感覚を取り戻したような気がする。

 だってしょうがないだろう。こんな現実離れした現実を一々受け入れようとしたら、頭がパーになってしまう。ベッドの上、一人になって初めて、この身に降りかかったことを咀嚼できるようになってきた。

 

 正直、夕食の味なんてちっとも覚えていない。広い食堂の大きなテーブルに着いたのは、おれとハミルトンさんの二人だけ。ヘイグさんはハミルトンさんの後ろに傅いていて、会話はしない。おれに料理を運んでくれた男性の使用人も同じようなものだった。視線すら合わせない、超絶ビジネスライク。

 ハミルトンさんは『寂しい食卓でしょう。母は病気がちでしてね、離れで療養中なのです』と、昼間と変わらない表情でそう言っていた。

 あまりに静かで、義務的な食事だった。ただ、急な来訪にも関わらず、できる限りのおもてなしをしようという心遣いの伝わってくる料理だったことは確かだ。丁寧で、温かくて、手間のかかったものだったろうと思う。それなのに、腹の底には何も落ちてこなかった。ただそれだけが申し訳ない……。

 

「ううん……」

 

 おれはもう一度唸り声をあげると、仰向けに姿勢を変えた。コルセットから解放された胸が、肋骨の上で形を変えるのを感じる。それは姿勢を変える度に、すこし遅れて揺れを返す。こんなものが自分の体の一部なのだという事実が、妙に他人事に思えた。

 

 思考がうまくまとまらない。頭の中で、脈絡のないものが次々と浮かんでは消える。身体のこと、昼間の出来事、それから……やり残した仕事。こんな状況になってまで仕事のことかと、我ながら骨の髄まで社畜根性が染み込んでいてちょっと笑える。それでも、あのメール一本、あの資料一式はどうなったんだろうかと思うと落ち着かない。今となってはどうすることもできないが、少しだけもどかしい。

 

 おれは天蓋を覆うヴェールのひだを眺めながら、無意識に枕の右側へ腕を伸ばしていた。

 しかし、期待した手応えは返ってこない。……そうだった。スマホは電源を落としてバッグの中にしまってあるのを忘れていた。日々の習慣が、否応にも環境の違いを浮き彫りにしていく。

 おれは、空振った手の所在なさを誤魔化すように腕を組む。両腕の下で形を変える胸に、二の腕へ食い込む指の感触。その柔らかさに、得体の知れない怒りを覚えた。

 

 大体、なんでおれがこんな目に遭わなきゃいけないんだ?

 

 確かに、死ぬほど疲れてたし、社畜生活の閉塞感はしんどかった。全部投げ出したいと思ったことは何度でもある。でも、だからと言って、体ひとつでこんな縁もゆかりのないところにポイ、はあんまりじゃないか。あんな生活でも、愛着がないと言えば嘘になるんだ。こうやって全部失って、初めてその重みを思い知るなんて、なんてありふれた感想だろう。

 おれは、人生においてこんな展開望んじゃいなかった。毎日、くたくたになるまで働いて、目を瞑っても歩き回れるくらい馴染んだ間取りの家に帰る。賞与がある月なんかはちょっといいものを食べたりするような、どこにでもいる人間だったんだ。日本に生まれ育って、帰る家だってある。帰省をすれば、出迎えてくれる家族もいる、平々凡々な男の……。

 

 おれは憤りに任せて喚く代わりに、両手で顔を覆った。

 記憶の中の自分と異なる、前に突き出た鼻と口。顔全体を覆う、短い毛の感触。

 変わり果ててしまったおれは、どうやって自分を()()だと証明すればいいんだろう。自分の立っている場所だけ残して、世界が崩れ落ちてしまったような気分だった。

 

「くそ……」

 

 指の間から睨みつけた天蓋の輪郭がぼやけだす。おれはそれを拭わず、流れるままに任せた。

 

 * * * *

 

「シャーロットさん! 使い魔さまってどんな感じでした!?」

 

 どんな感じって……。

 あたしは書きかけの日記帳から眼を離して、同室のアリサを見た。彼女は、あたしの口からどんな物語が語られるのかという好奇心で眼を輝かせている。

 

「別に、普通だったわよ」

 

 あたしはあえて素っ気なく返事をした。

 しかも嘘。全然普通じゃない。他の使い魔さまのことを知らないから比較できないけど、多分普通じゃない。

 

「え〜!?」

「え〜って何よ。ほらほら、さっさと寝なさい。あたし、明日から使い魔さまの専属なんだから。手伝ってあげられないわよ」

 

 これも嘘。完全な専属じゃないけど、この子の前だとちょぴり見栄を張っちゃう。

 

 ハミルトンのお屋敷に勤め出したのが十五の時で、あくせく働いているうちに四年も経ってしまった。ハウスメイドとしてはもう中堅。こうやって、後輩の面倒を見ることも多くなってきた。案外、あたしにはこの仕事が向いていたのかもしれない。

 同世代の子は、都会に出て百貨店で働いたりタイピストになりたいっていうけど、これもそんなに悪い仕事じゃないと思う。このお屋敷は万年人手不足だけど、慣れちゃえばどうってこともない。アレンさまと大奥さまの二人しかいらっしゃらないし、色々あって、お客さまも少ないからそれもあるかも。大奥さまのお世話だって、ミセス・スタンリーとメイド長のマクマナスさんが担当されてるしね。

 

 だから今日、血相を変えたヘイグさまに呼び出された時、あたしは何か良からぬ事が起きたんじゃないかって身構えると同時に、よくわからない期待みたいなものを感じていた。

 時たま屋敷をお尋ねになる碧炎の魔女さまが、使い魔さまをお屋敷へ預けることになったって噂は聞いていた。その時は、ただでさえ人手が足りないのにどうするんだろうって思った。使い魔さまが滞在されるなら、侍女をつけないなんてあり得ないじゃない? でもまあ、悲しいことに、侍女が務まるような家格の使用人は居ないんだけど……。そして、なんだかんだあってあたしに白羽の矢が立ったってわけ。

 

 大した教育なんて受けてないし、もし期待に沿うことができなかったらどうしよう。そんなことを考えながらヘイグさまに連れられて、いよいよ顔合わせ。

 

 まあ、その不安を吹き飛ばすには十分すぎる出来事が待ってたんだけどね。

 だって、いきなり使い魔さまのお粗相の世話をすることになるなんて誰が想像できるの?

 

 まず第一印象、()()()()と大きい。身長はこれまで出会ったどんな女の人より大きくて、このお屋敷の中じゃ誰よりも背が高いんじゃないかしら。あとは何も言うまい。何食べたらあんなになるんだろ。圧倒的すぎて嫉妬すら湧かない。

 

 さらに驚いたのが、大人なのに尻尾丸出しってとこ。有尾人のエチケットは正直自信がないんだけど、あたし達で言う脚の扱いとほとんど一緒と聞いたことがある。脚を出していいのは子供までってこと。なのに使い魔さまったら根本から先っぽまで丸出し、ゆらゆらふらふらさせてもう目の遣りどころに困っちゃった。テールホールに被せる飾り布もつけてらっしゃらないし。使い魔って自由なんだなあって思った。

 

 その後の出来事は、あの方の尊厳のため忘れることにした。でも、なんとなく悪い方じゃないのかなって、短い間のやり取りで感じた。すごく腰が低いし、率先して後片付けをしようとするから慌てて止めてしまったくらい。それと、当面のお召し物をどうしようか、アメリアさまの遺品で工面できるかなんて話し合っている間に、魔女さまから荷物一式が届いたのは安心した。届いたお召し物は相変わらず不思議な作りをしていたけれど、どれも素敵だった。気になるところはあたしたちで手直ししていいと仰せつかっているから、そこも安心。ちょっと面白かったのは、毛繕いの道具だけいっそう立派だったこと。見たことないような櫛が、小さな旅行鞄みたいな鞄に何本も入ってるの。たぶん、碧炎の魔女さまは人間に興味がないんだわ。人間用の服との違いに、そうなんじゃないかって感じた。

 

 大昔は騎士の家系だったとはいえ今は小さな蒸溜所(しかもハミルトン家所有)の娘。降って湧いたこの大役、逃す手はないわよね。お給金にも色がつくみたいだし。……個人的に、使い魔さまのことちょっと心配っていうのも含めて。

 

 ちなみに、フットマンのノアが「めっちゃ美人だった〜」って呑気なこと言ってたから脛を蹴ってやった。

 給仕の時何考えてんのよって。

 

「ふぅ」

 

 こんなもんかな。

 キリのいいところでペンを置いて、日記帳を引き出しへしまった。蝋燭だってタダじゃない。あたしはあくびを噛み締めながら「灯り消すよ」とアリサに呼びかけて、そっと火を消した。

 明日から忙しくなりそう。

 

 † † † †

 

 なかなか寝付けなくて、無為に寝返りを繰り返す。

 

 目の上のたんこぶの議員連中の相手に、相変わらず急な魔女さまのご来訪。心身ともに疲労が溜まっているはずなのに、ちっとも眠気がやってこない。

 

 いい加減に眠ってしまえと、瞼を強く瞑るたび、あの瞬間が鮮明に去来してうまくいかない。

 

 ——女性特有のあまい香りと、間近に感じる人間の体温と、その息遣い。

 

 碧炎の魔女さまの使い魔であらせられる、ケイさま。

 あのお方が初めて使役することになった人間の使い魔。異界からの迷い人。しかし、魔力が一切扱えないという、魔の眷属として致命的な欠点を抱えるお方。

 ……しかも、この世界についてほとんど知らないまま当家へ預けられることになった、どうにも不憫なお方だ。

 

 彼女と初めて対面した時、やはり迷い人であるからか、独特の雰囲気を纏っているように感じた。装飾の少ないドレスに、少々奇異にも思える出で立ち。それとは裏腹に、教養を覚えるような柔らかい物腰と正しい発音。失礼を承知で言えば、王都でもなかなかお目にかかれないくらい、見目麗しい方だと思う(人それぞれ好みがあるので異なる意見を否定はしないが)。特に、スマートフォンという異界の機械を差し出された時は、いささか面食らってしまった。驚き半分、好奇心半分といったところか。あれだけ薄く小さい箱の中に、()()や写真機が詰め込まれているとは、いまだに信じ難い。

 

 今にして思えば、あの時の僕は、少し浮き足立っていたのだと思う。領主として然るべき振る舞いを意識するあまり、かえって余計な力が入っていたのかもしれない。使い魔さまである彼女を前に、必要以上に気を張っていた自覚は、確かにあった。さらに言えば、名誉に対する焦りのようなものもあったかもしれない。

 

 ヘイグの静止を振り切り、僕が案内役を務めることにしたのも、その延長だったのだろう。

 

 途中、ミセス・スタンリーとの遭遇を経て、執務室へ戻る道中に事は起こった。

 踊り場で蹴躓いた彼女が、咄嗟に腕を伸ばした先に()()()()()()の事故なのだ。

 ただの事故なのだが、あまりに衝撃的な一瞬だった……。

 

 間近で見上げた彼女の瞳が、この世のものとは思えないほど美しかったのだ。

 

 黄金と碧、左右で異なる色彩。……ケイさまの双眸には、ウィシュケ湖の秋が閉じ込められていた。

 この地の秋は短い。しかし、もっとも美しさが際立つ季節でもある。湖水は冷たく澄み渡り、岸辺の木々は鮮やかに色づく。長くうんざりする冬を前に、すべてが燃えるように輝いて見える季節。僕は、現実離れした美しさに、呼吸すら忘れてしまっていた。

 

「はぁ…………」

 

 思い出すのは、初めて魔女さまにお目見えしたあの瞬間。幼い時分ながら、この世界にこの人より綺麗な女性はいないんじゃないかと思った。現に今も、魔女さまへの畏敬の念は消え去っていない。それなのに。

 

 未だ両手に残る、あの方の腰の形、温もり——。

 

 いや……その……咄嗟に体をお支えしただけで、他意はなかったのです。

 ……決して、豊かすぎるくらいの胸が当たってしまったからだけではない。ないのです……。

 

 僕はもう一度腹の底からため息をつくと、うつ伏せになって枕に顔を埋めた。

 学生時代、どこそこのカフェの女給がイイだとか現を抜かしていた級友たちの笑顔が蘇る。

 僕も、彼らに負けず劣らず、軽薄な人間なのかもしれない……。

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