震える腕をできる限りゆっくり動かし、サトシは手に持っているノートを机の上に戻した。隣でコライドンは彼に対して何も声をかけない。
フジ老人の人生ははっきり言って「悲惨」の一言では済まされないものだ。失って、奪われて、それでも生きている内にやれることはやったとあの世で誇らしげになれるものではあるが、それもできそうにない。
「胸糞悪ぃ、何も残ってねぇよ……」
心の底から濁流のように湧き上がる感情を全力で噛み殺し、窓から見える塔を睨む。まるで人生を賭けた努力は無駄だと言わんばかりだ。墓の財宝を盗掘する所業と言える。
サトシはさっさとここから去ることにした。ゴーストタイプのポケモンをどうにかするという目的があってここに来たが、ここに頼る気分では無くなっていた。死者からこれ以上モノを取りたくないという気持ちもあったが。
廊下を歩き、玄関が見える位置まで辿り着く。そしてサトシは立ち止まった。扉の前で待ち構えているようにほねずきポケモン、ガラガラがいた。
「も、もしかしてアレか? ポケモンタワー無くなって、人間を恨んでいるとか……」
原作ゲームでは野生のポケモンとして出現するガラガラの幽霊。この個体はゲットすることができず、倒さなければ先に進むことができない*1。避けては通れぬイベント戦闘として物凄く有名なため、サトシは当然覚えている。
そのガラガラだが、何故か敵意を向けてこない。それどころか真剣な眼差しでサトシとコライドンを見ている。まるで何かを伝えようとしているみたいだ。
「な、何の様だ? 」
『……』
声をかければガラガラは黙って廊下を歩き始める。サトシの横を通り過ぎ、まるで何処かに向かおうとしているみたいだ。
「お、おいっ!? 」
慌ててサトシは追いかける。こんなことは予想外だったのだろう、彼はもの凄く慌てている。何か頼み事でもあるのだろうかと思いたくもなる場面だ。
やがてガラガラはトイレ近くにある開き戸の前に立ち止まる。そして持っている骨を開き戸の床に向けた。サトシは開き戸を開ける。どうやら物置きらしく、掃除用具が入っていた。
「おい、何も無いぞ? 」
サトシが思わずそう声をかけるが、ガラガラは首を横に振る。「違う、そうじゃない」とでも言っている様だ。訳が分からず、彼はコライドンに視線を向ける。翼の王もガラガラの考えていることが分からないみたいだ。
「それにしても、臭いぞ。掃除用具洗ってないのか? 」
嫌そうな顔をしながらサトシは物置きにある掃除用具を見る。モップ、雑巾、バケツ。どれもこれも生臭くてこれ以上嗅ぎたくもないだろう。それらから牛乳が腐ったような、異臭が漂う。このまま時間が経てばベトベターが出現してしまうかもしれないってくらい酷い。
ガラガラは持っている骨の先を物置きから廊下へと移動させる。もしかして掃除用具を外に出せと指示しているのだろうか?
「ヤバい。何かネバネバしてるし、触りたくもない。でも……」
一生懸命、サトシは掃除用具を廊下に出す。ヤケに数が多く、まるで何かを隠しているのではないかってくらいだ。
やがて物置きが空になると、初めてこの空間の異常さが判明する。床はカーペットで敷き詰められてあった。それを
「行けばいいのか? 」
『……』
ガラガラに確認を取る。サトシの問いに頷き、急に姿を消してしまった。きっとこの場所を教えたかったのだろう。酷い臭いに耐えながらも、地下へ向かった。
「何だここ? 使われてない倉庫みたいだが……」
地下は不潔で散らかっていた。壁や床はペンキか何かで塗りたくられてある。段ボールだらけだが、どれも空箱のままで
正直言って幽霊が出そうな場所ではある。しかしガラガラの幽霊に出会っている時点で今更感が強い。ゴース系統もそこまで怖いとは思えず、この時のサトシは楽観的ではあった。
さて、何から調べよう。サトシはそう思って全ての段ボールを畳むことにした。部屋が片付いていれば捜索が楽になると思ったからだ。コライドンの協力もあり、短時間で作業が終わる。
そして、この地下室の壁を見てサトシはある事実に気づく。他の壁はコンクリートで造られているのに、西側の壁だけレンガが使われている。
「向こうは隠し部屋ってことか? 」
物置きのカーペットのことといい、どうやらフジ老人は何かを隠したがっていた様だった。レンガの壁だが、恐らくガラガラに作らせていたのだろう。だからあの幽霊は部屋のことを知っていた。
「……何であいつ、俺に隠し部屋のことを教えようとしたんだ? 」
サトシは疑問に思った。普通だったらトレーナーの遺品なんて他人に触らせない筈である。なのにガラガラは道案内をしてまで部屋の存在を知らせた。
答えは壁の先にあるのだろう。そう思ってレンガの壁を調べることにした。そして覗き穴が見つかった。
「よし、中を確認。……うわああああああっ!!!? 」
サトシは顔を真っ青にし、ガタガタ震え出した。そんな姿を見たのか、コライドンは険しい顔で覗き穴に近寄る。
「ギャオ……!? 」
空虚な目が、こちらを覗き見ていた。
コライドンは怯えているサトシを抱え、反対側の壁に素早く移動する。壁の向こう側にいる誰かを警戒し始める。目の形からして人間のものであり、断じてガラガラのものではない。
サトシを壁際に置き、コライドンはレンガの壁に近寄る。そして渾身の一撃を振るった。
ガラガラと崩れるレンガ。そして彼らは隠し部屋の全容を見て思わず絶句した。床は無く、泥だらけのプールがそこにあった。……そして泥の上に小さい女の子が居て、震えているサトシをぼんやりと見ている。
「ガアアアアアッ!! 」
翼の王が目の前の少女に吠える。彼女はどう考えても人間ではない。ガラガラとは違って肉体があるように見えるから、幽霊かどうかすら怪しい。
『……』
女の子は変わらずサトシを見ている。空虚な目で、綺麗な洋服を身に着け、可愛い靴を履いている。そんな彼女だが、一切泥はついていない。
この屋敷はフジの家だ。昔はここで研究が行われていたが、同時に彼の家族もここで生活していたのではないかと思われる。だから娘の幽霊がいてもおかしくない。
「……な、なあ? お前はアイなのか? 」
恐怖を押し殺し、サトシは声をかける。こんなところで睨みあっても意味がない。だから状況の好転を狙うべく、彼は少女の素性を尋ねることにした。
『……違う。私は、アイツー』
返答は来た。しかし思いもよらぬ情報を聞いてサトシは混乱する。アイツー、その名前の由来を考えれば恐ろしい事実に気づくだろう。
「ま、待ってくれ。お前は、クローンなのか? 」
『そう。アイから産まれた、人造人間』
ミュウのクローンだからミュウ
『でも私は失敗作。産まれて、直ぐに死んだ』
「ちょっと、ちょっと待ってくれ! そんな情報、日記には書かれてなかった筈だ!? 」
『あなたはあの人のことを知らな過ぎる。都合の悪い事実を忘れる為に、機械を使って自分の記憶を
惨い話だ。このことが事実ならフジ老人は善人ではない。
そして死んだということは、アイツーはクローン体の幽霊ということになる。普通の幽霊と違う点があるとすれば、肉体を持っていることだろう。アンデット、ゾンビの
『私の身体は死んでいる。なのに私の手足は動かないし、この部屋から出られない。誰も私を食べてくれない。だから腐り崩れてはくれないし、肉体から出られない。心臓は止まっているのに、私はあの世に行くこともできない』
クローンでも身体の腐敗は発生する筈である。しかしこの少女の肉体はそれが起こらない。
フジ老人の狂気によって産まれてしまった命だ。彼女は特殊なクローンである。命を失っても、死後硬直で
『こんなところにいたくない。暗い、冷たい、
アイツーは虚ろな眼でサトシを見る。感情は一切籠っていなかったが、恐らくそれは彼女なりの
『お願い。何でもいいから私を終わらせて。どんな技を使ってもいいから、肉体を捨てさせて。助けて、助けて、助けて……』
少女のお願いに対してサトシは沈痛な気持ちでボールを構える。自分の手持ちに嫌なことをさせてしまうが、このまま放っておくのも駄目だ。
「カ、カゲ……」
現れたのはヒトカゲ。炎タイプのポケモンである。しかし彼の表情は悲し気だ。まさか自分の技を死体焼却に使われるなんて思っても無かったことだろう。
「持てる力を全て使って、アイツーの死体を焼き払うんだ」
クローン体とはいえ、彼女は日本人だ。ならば火葬すれば成仏できるかもしれない。誰かから非情な選択だと言われそうなことだが、お願いされたからにはやるしかなかった。
「カ、カゲーッ!! 」
ヤケクソになってヒトカゲは口から炎を吐く。『かえんほうしゃ』だ。前のトレーナーからわざマシンを使われて覚えさせられたものだが、火力は高い。
業火が少女の死体を消し炭へと変えていく。死臭が漂い始めるが、ヒトカゲは止めなかった。骨も残ること無く肉体は消えていった。
『ありがとう』
アイツーの魂はヒトカゲに礼を言う。とかげポケモンは照れながら右手で頭を
「カゲ? ……グォーッ!! 」
なんと身体が光ってリザードへと進化した。力が溢れると言わんばかりに、かえんポケモンは雄叫びを上げる。そして真剣な表情でアイツーの魂を見る。
『お礼に、良いことを教える。……あの人は小さい箱を天井にある電灯の中に隠した。それが何なのかは分からないけど、きっと大切なものだったと思う』
「わ、分かった。……お前も迷わず天国に行けよな」
サトシの言葉にアイツーの魂は光り、そして天高く飛んでいった。彼女のいうあの世が何処にあるのかはともかく、少なくともこの屋敷から解放されたのだろうと思われる。
言われた通り、天井の電灯を取り外すことにした。光源はリザードの尻尾の炎がある為、暗闇になることは無い。
「確かに箱だ。ダイヤル式の鍵がついているのは想定外だが」
ダイヤルを操作し、4
「3832……。よし、開いた」
一発で鍵が開く。良くも悪くも、フジ老人の愛情と悲しみは本物だ。設定されている番号からして分かることだ。
中身は、マスターボールと小さな紙切れだった。サトシは紙に書かれていることに目を通す。
「我が財産を使ってシルフから購入したものだ。これを使ってあのポケモンをロケット団の手から救って欲しい。……はぁ」
サトシにとって、色々とツッコみどころ満載の屋敷だった。アイツーのことが無ければ、彼は独善的になってマスターボールを貰っていったのかもしれない。しかしフジ老人が決して善人ではないことを知っている。
マスターボールと紙切れを箱に戻し、それを泥の中に捨てた。本当にミュウツーを救いたい人がやればいいだけで、別にサトシはそんなことをする気にはなれなかった。
フジ老人に幻滅したのだろう。何もかもどうでもよくなり、サトシはさっさとマチスと合流したくなった。
「……アイツーは救ってやったんだ。ガラガラも天に昇っただろうし、もうこれ以上関わりたくねぇ」
今度こそ、サトシは屋敷から出た。
* * *
「それでボーイは機嫌を悪くしてたのか」
シオンタウンのポケモンセンターで事の
そして本題に入る。
「一時的ではありますが、フジ老人の屋敷に
「……この国の宗教観について詳しくないから何とも言えんが、天国にいるフジ老人は怒らないか? 」
「大丈夫でしょ。ポケモンの為に共同墓地作ろうとした人ですよ? ゴースたちが安心できるんだったら使わなくなった住居くらい、提供してくれると思います」
サトシの発言を聞いてマチスは思わず苦笑する。ポケモンは大切にするが、同じ人間に対しては軽視しがちだ。
「それでボーイはラジオ塔に関してどう思ってるんだ? ミーはシオンタウンの人たちに呼びかけて、そのまま訴訟起こせばいいと思うが」
「どうもしませんよ。現町長は都市開発の為に、金持ちはラジオ塔を建てたくて手を組んだんでしょ? 最初は憤ったけど、冷静によく考えれば彼らにだって何か事情があってやった訳ですから。フジ老人の日記のみを
別にシオンタウンの人たちは困ってない。ゴースの大量発生の件については非があるだけで、それ以外に何か悪いことをした訳じゃない。現町長たちが本当に悪人であったのなら、警察は動くだろう。
「ほう? ボーイは
「俺はまだ子供ですよ。本当に気に入らない奴は直接ぶん殴るか、コライドンの『げきりん』でぶちのめすつもりですので」
「とんだブラックジョークだな」
物騒なことを言いつつ、サトシはガッツポーズを取ってみせる。そんな彼を見てマチスは呆れた表情を見せた。
フジ老人に関してですが、できる限り多くの設定を入れてます。ミュウツーの逆襲の内容を含んだ結果、可哀想ではあるけど狂った研究員としての側面もある人となりました。
ということで、フジ老人を救済したいのであれば三次創作としてこの設定を使っても構いません。託されたマスターボールを使ってミュウツーを捕まえるのもアリです。……おススメしませんけどね。