ウマ娘、走る為に生まれた者たち。別の未来では悲しく、そして輝かしい歴史を辿った名前を背負い、或いは受け継ぎ走る。
だが、その陰では必ず名前も言われぬ者も居る。これは、何も無ければ何も残さないまま終わる筈だったはずの彼女が、運命に出会ったお話。
練習場。そこは様々なウマ娘達が日々自らの走りに磨きをかける場所。1人は身の丈よりでかいタイヤを紐で体に繋ぎ引き摺り、1人は何故か将棋を指す。
一言で表すならカオスだが、ちゃんとした練習なので安心してほしい。その中で1人、ひたすら走り続けているウマ娘がいた。走り疲れて立ち止まり、折れそうになる膝を抑えて地面に顔を伏せる。
努力の象徴がポタポタと垂れる。しかしそんなウマ娘に向けられる目はとても良いものではなかった。
『またいるよあいつ……』
『なんでまだいるの?』
ウマ娘の耳は人間のそれを上回る。小さく漏れるそれも聞こえてしまう。しかし、そのウマ娘は口をきつく一文字に結び、再び走り出す。
そのウマ娘は、いわゆる落ちこぼれ。トレセン学園において後ろ指を指される者。一度も勝利する事はなく、その戦歴には敗北しかない。負け犬。そう揶揄されて久しい。
メイクデビューなど惨敗で、誰の目にも留まらないモブ。それがこのウマ娘であった。悲しい話ではあるものの、珍しい話ではないのがトレセン学園の常だ。レースに輝かしい栄誉がある裏で、必ず涙を落とす者たちがいるように、こういった事は初めてではない。
だが、その事実を前に、彼女の目に諦めの色はない。自分にない才能と、勝てない絶望を前に、それでも前に進み続ける者の目があった。
彼女のトレーニングはお世辞にも上手いとは言えない。朝から走り出し、体が意思に反して動けなくなるまで続き、それの繰り返しを日が暮れるまで続けるのである。根拠もない、時間をただ浪費するだけのもの。
だが、彼女にはそれしかなかった。自らに出来るのは走ることだけ。途中で潰れてしまうのであれば自分はそこまでの奴だった、と笑うのだ。もちろん、関係者は皆止めた。見ず知らずのトレーナーや、寮長なども。しまいには緑の服に身を包む笑顔が妙に圧のある女性にも。だが彼女は辞めない。走る事を辞めた時が自分の死ぬ時である、とだけ告げて。
だから今日も彼女は走る。最初は止めていた、或いは不安そうにみていたウマ娘達も消えた。今あるのは、醜く足掻く彼女をコソコソと話の種にする者達だけだ。いつもの日常。走り続けて敗北を重ねる負けウマ。
だが、その日は違った。その日は新たなトレーナー達が来る日。練習場にウマ娘達の様子を見に来た新人トレーナー達が居たのだ。
中には既に目をつけた子に声を掛ける者もいた。当然彼女にも目が向けられたが、誰もがすぐに気がつく。
──才能がない。
フォームはめちゃくちゃで体は見るからに硬い。あれではすぐに故障し走れなくなるだろう。1人、また1人と、彼女に目を向けるものは消えていき、最後に残ったのはたった1人だった。
彼の目には、今も走り続ける彼女が写っている。不思議だった。彼女を動かすものはなんなのか。誰もが才能がないと悟った彼女の走りは、何故だか目が離せなかったのだ。
「ねぇ、君」
だから、止まった彼女に声をかけた。彼女はチラリと見ただけで、興味を失った。好奇心だけで来る者たちに期待するのは辞めたのだ。
「走る先に目指すものは何?」
だから、その言葉に一瞬動きが止まった。目指すもの。……そんなもの、ない。私が走るのは、走りたいからだ。その先に何があるのかは分からない。だけど必ず何ががあると信じているからだ。
──それを知りたいから、走る。
その言葉に聞いた時、新人トレーナーの心は決まった。そこに明確な理由はない。強いていうなら、直感。自分の中に刺さるものがあった。
「初めまして、もし良かったら、君の担当をさせてもらえないか?」
そう声を掛けるものは初めてだった。ふざけるな、今まで除け者に、見捨ててきた者たちが私に何を言うのかと反発する心。今のままではいけない、チャンスがあるのならなんであれ掴むべきだと、冷静に考える心。彼女の心は二つあった。目を伏せ、考える事数秒、答えは決まった。
差し出された手を握り返して、目を見る。
「こちらこそ……よろしく」
「ありがとう。所で……名前は?」
そう言えば、名乗っていなかった。改めて彼女は自らの名を告げる。
「オニノミコ」